渋谷凛「いつもどおりの普通だって」 (11)


スタッフの人に導かれるままに、バックヤードを進む。

普段は搬出搬入で用いるのであろう大きな扉は開け放たれていて、これでもかというくらい十二月の風を吸い込んでいた。

「こんなところしかなくて、ご不便をおかけして……」

私を案内してくれているスーツに身を包んだ担当者の人は、心底申し訳ないといったふうに、頭を下げる。

今日、何度目か既にわからなくなったそれに、私は同じく今日何度目かわからなくなった「いえ、本当に大丈夫です」を返すのだった。

今日は、私を贔屓にしてくれている企業の商品の販促を兼ねた、クリスマスイベントに呼ばれていた。

アピールする新商品の紹介と少しのトークショーと、ちょっとした私からのクリスマスプレゼントの抽選。

そんな、よくある簡単なショッピングモールでのお仕事で、何も問題などなかったし、こういったショッピングモールの通用口にテレビ局やライブ会場のようなものが用意されていないことなど、重々承知しているのだが、どうにもこの担当者の人は失礼にあたると思っているらしく、しきりに恐縮しているので、私まで申し訳ない気持ちになってくる。

でも、もしかすると、この人はこうした応対は初めてなのかもしれない。

そう思い当たれば、なんだか微笑ましくも見えてくるが、同時に緊張させてしまっているのは私のせいではないかとも考えてしまう。

なぜなら、残念なことに私は冷たい第一印象を与えてしまうことが多いからだ。


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と、来ればここはアイドル渋谷凛の腕の見せ所なのではないだろうか。

見せ所だと思う。

なんて、胸の内で自分に言って聞かせる。


かけている伊達眼鏡を外してポケットへとしまい込む。

次いで、大きく一歩踏み出して、覗き込むように「あの」と声をかけた。

相手がどきり、としたのがわかる。

よし。

入りは上々だろう。

「改めて、今日はたくさん気を遣っていただいちゃって、すみません。でも、おかげでイベント、すっごく楽しくできました。ありがとうございました」

言い終わると同時に、重心を踵に移動させ、くるりと方向転換し、何事もなかったように歩き出す。

それから、二言、三言の謝辞の繰り返しを経て、私は用意してもらっていたタクシーへと乗り込んだ。


運転手さんへ「事務所でお願いします」と声をかけ、ゆるやかに流れ始めた景色に視線を移す。

さっきのは、自分ではなかなかに良い対応ができたと思う。などと、自賛してみるが、もうちょっと上手にやれたのではないか、とも思う。


こういうのは、加蓮が上手い。

先程のそれも、脳内の彼女を真似て行動してみたのだが、脳内の彼女と完全に同じ行動はできなかったのである。

私も、彼女のように悪戯っぽく笑ってウィンクでも投げられたら、さらにファンサービスが上達するのかもしれないが、どうにも荷が重い。

というか、私は加蓮のように自然に繰り出せはしないだろう。

だが、冷たい第一印象からのそういった温度差は立派な武器である、とどこかの誰かが言っていた気もするので、あれはあれで正解なのかもしれない。

うん、たぶん、正解だ。

なんていう、どうでもいい反省会を頭の中でしているうちに、暖房の効いた暖かな車内と心地の良い揺れによって、私はゆっくりゆっくり意識を手放していく。




雑に肩を揺すられる振動で、私は覚醒を果たす。少し重たい瞼を持ち上げて、私の肩に置かれた手と、その伸びている方向を見やる。

そこには「お客さん、もう終点ですよ」と歯を見せるプロデューサーがいた。

急速に頭が回り始め、状況を理解した私はタクシーの運転手さんに詫びて、車から逃げるように出る。

私が降りたあと、数秒の間があって後部座席の扉がばたんと閉じて、タクシーは走り出し、遠ざかっていった。

「お疲れ、だよなぁ。朝からだったし」

「……ごめん。迷惑かけて」

「ん? ああ、俺は別にタクシーの人に呼ばれて出てきたわけじゃないよ?」

「え、どういうこと?」

「偶然、事務所の前にいたら、すーっとタクシーが来て、運転手さんと目が合って、後部座席に寝てる凛がいて……みたいな」

「それ、ほんとに偶然?」

「もちろん」

「コートも着ないで、こんな寒い中?」

「いや、さっきまではコートなんていらないくらいだったんだよ」

「さっきって?」

「三か月くらい?」

「そりゃそうでしょ。……はぁ、もう事務所入ろうよ。三か月くらい前と違って寒いし」


プロデューサーに先立って、事務所へと入る。
玄関を抜けて廊下を進んでいると、小走りで近づいてくる彼の足音が聞こえ、ほんの少しだけ歩幅を狭めた。
そして彼が私の隣に並ぶときに「でもさ」と声をかける。

「待っててくれて、ありがとね。嬉しかったし、疲れも吹っ飛んだよ」

にっ、と笑んで、軽く覗き込むようにしてプロデューサーの顔を見て、言う。

「なんかの役作り?」

返ってきたのは、期待に反して冷めたものだった。


「えー」

「えー、って何さ」

「結構、どきっとするかな、って思ったんだけど」

「んー。ふつう」

「ふつう、は酷くないかな」

「だって、ほら、なんかさっきのは作った可愛さって感じ」

「作った可愛さ?」

「うん。こういうことしたら、可愛いだろうな、みたいな可愛さ」

「でも、可愛いことは可愛いんでしょ?」

「まぁね」

「じゃあ、何がだめなの?」

「作ってない可愛さが欲しい、みたいな」

「よくわかんないなぁ」

「遺伝子組み換えでない、みたいな」

「ますますよくわかんないんだけど」

相変わらず、この男はわけのわからないことばかり言う。

でも、狙った可愛さであったことは事実で、それを見抜いてくるのは流石だとも思った。

隣を歩くプロデューサーの鼻先はほんのり朱色をしていて、それなりの時間、外にいたのであろうことを物語っている。

それを毛ほども言い出さない辺り、本当に良い恰好しいな人だ。

私は自身の首に巻いているマフラーをするすると抜いて、プロデューサーの顔面目掛けて投擲する。

べちぃ、と着弾したそれの端を持って手早く巻き付けてやると彼はわざとらしく「ぐぇ」と声を上げた。

「そんなにきつく巻いてないでしょ」

「遂に殺されるのかと思った」

「私がせっかく心配してあげたっていうのに」

「なに、なんの心配?」

「耳も鼻も赤くなってるよ」

「これこれ! こういうの!」

「急におっきい声出さないでよ」

「遺伝子組み換えじゃないやつ!」

「……はいはい」

くだらない話を交わしながら、事務所を進む。

はじめは彼のデスクに向かうのかと思ったけれど、どうもそうではないらしく、彼に「こっち」と導かれるのに従った。


やがて、到着したのはうちの事務所にいくつかある会議室の中のひとつだった。

「今年はここです」

「?」

「やるでしょ。クリスマスパーティ」

「え、あれ事務所でやるつもりだったんだ」

「うん。ちゃんと使用許可もらってるし、今日は一日ずっと頑張って準備してたんだよ」

言って、彼はジャケットから会議室の鍵を取り出して、がちゃりと開錠する。

扉が押し開けられ「ほら、入って入って」と彼に促されるままに、私は室内へと踏み入った。

飛び込んできたのは、折り紙を切って作られた輪っかが巡らされている壁と、料理の並んだ机。

ご丁寧なことに、机には可愛いカラークロスまでもが敷かれている。


「すごいね。これ」

「うん。頑張った」

「今日、ちゃんとお仕事してた?」

「してたことにしといて欲しいです」

「……まぁ、ちひろさんへの告げ口はナシにしとくよ」

「助かります」

「ていうか、何も手伝えなくてごめん。私も一緒にできたらよかったんだけど」

「いやいや、凛はお仕事だったわけだし……あ」

「?」

「ケーキ、凛の担当にしてたけど、お仕事なら買って来れるわけないよな」

「ん。ああ、それなら安心してよ。ちゃんと昨日の内に買っといたからさ」

「流石だなぁ」

「それじゃあ、始めよっか。クリスマスパーティ」

机の方へと近づけば、プロデューサーがつつつと寄ってきて、私の後ろを取る。

そうして、椅子をすっと引いてチェアサービスのまねごとをしてきた。

当然、本職のそれとは違って雑で、やや膝裏に強めに当たる椅子の圧力を感じないではなかったけれど、ここまで準備してくれたのだ。

及第点はあげてもいいだろう。


そのあとで、プロデューサーも私の隣に椅子を持ってきて、座る。

「正面じゃないんだ」

「横の方が楽しくない?」

「それは、うん。そうかも」

「でしょ? よし、食べよ食べよ。飲み物はお茶とアレ買ってあるよ。アレ」

「アレ?」

「シャンメリー!」

「私でも飲めるやつだね」

「そうそう。これ小っちゃい頃好きだったんだよなぁ」

「私も誕生日とかでこれあると嬉しかったよ」

「これから、会食とかはシャンメリー出してもらう?」

「それはやめて」

「いつもウーロン茶ってつまんないじゃん」

「なんか渋谷凛シャンメリー飲んでるぞー、って絶対ウワサになるよ」

「可愛くていいじゃん」

「そういう可愛さはあんまり欲しくないかなぁ」

「そうかなぁ」

「そうだって。っていうか、この料理はプロデューサーが作ったの?」

「んーん。九割九分九厘既製品」

「一厘だけプロデューサー製のがあるんだ」

「ないよ」

「…………そっか」

「突っ込むのに疲れた顔されると堪えるな」

「じゃあ疲れるボケしないでよ」

会話を打ち切って、机上のフライドチキンへと手を伸ばす。

がぶりと噛みつけば、味の濃い皮とじゅわっと肉汁の溢れるぷりぷりの身のコンビネーションが、空腹に沁みる。


「おいしい」

「そりゃよかった。よし。俺も食べよっと」

「あ、待って」

「ん?」

「私の鞄、開けてよ」

「鞄? これ?」

「うん。それに緑の包みの箱が入ってると思うんだけど」

「お、あった。なにこれ」

「メリークリスマス。プレゼントだよ」

「え、俺に?」

「ほかに誰宛てのがあるって言うの」

「えー。嬉しい。開けていい?」

「うん。気に入るといいんだけど」


彼はしゅるしゅるとリボンをほどいて、ほどいたリボンさえも丁寧に置き、包み紙をおそるおそる開く。

そして、出てきた小箱の蓋を開けるや否や「おお……」と感嘆の声を上げた。

「え、すご」

彼は慎重な手つきで箱から中身を取り出して、机の上に乗せる。

机の上には、ちょこんと小さなクリスマスブーケを模したお菓子が現れた。

「え、これ凛が作ったの?」

「まぁ、うん。九割九分九厘、私製だよ」

「一厘だけ、既製品があるのか」

「うん。土台にしてるとことか」

「なるほど」

プロデューサーは、私があげたプレゼントをひとしきり眺めたあとは、今度は携帯電話を取り出して、ありとあらゆる角度から写真を撮り始め、それが終わったと思えばまた眺めては感嘆を繰り返す。

もう十分眺めたであろうし、十分写真も撮ったように思うのだけれど、彼にとってはそうではないらしく、依然、続けている。


「ねぇ」

「ん?」

「それ、一応、食べものなんだけど」

「これを食べるなんてとんでもない」

「……食べてもらうために作ったのに?」

「…………えー、でも」

「別に、ほら、また作ってあげるからさ。食べてよ」

苦笑まじりに私が言えば、彼は渋々それを了承して、口へと運ぶ。

「おいしい……」

椅子の背もたれに全体重を預けて、彼は蕩けたような仕草をする。

絶対にそこまでのものではないし、彼の表現が過剰なのはわかっているけれど、どうしても口角が上がってしまう私がいた。

「何笑ってんの」

「んーん? ちょっとね」

「何だそれ」

「楽しいな、って思って」

「そりゃよかった」

「でも、不思議だよね」

「?」

「こうやって一緒にご飯食べるのも、二人でばかみたいな話をするのも、今日に始まったことじゃないのに、なんか特別な感じがするなぁ、って」

「クリスマスパワーかな」

「うん。たぶんね」

「じゃあクリスマスパワーに乾杯しよう」

「いま、私の手、油でべとべとなんだけど」

「じゃあ俺だけで乾杯するよ」

「そこは拭くもの取ってくれたりしないかな、普通」

「今日は特別らしいし」

屁理屈をこねる彼を無視して、紙おしぼりを袋から出して手を拭う。

綺麗になった手でグラスを持って「はい」と彼の前へ差し出せば、彼もグラスを持つ。

グラス同士が当たって、かちんと軽快な音が響いた。




こうして今年も、穏やかで、温かなクリスマスが、幕を開ける。





おわり

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