ターニャ・フォン・デグレチャフ「さて、副官。着替えを手伝ってくれ」 (16)

「メーデー! メーデー! ライン・コントロール応答せよ! メーデー! メーデー!!」

ライン戦線。
帝国と共和国の国境は激戦地であった。
夥しい数の兵が動員され凌ぎを削り合う地。
そこにターニャ・デグレチャフ少佐は居た。

『こちらライン・コントロール。どうした?』
「敵の航空魔導師並びに戦闘機の数が多すぎる! 現在、損害多数! 僚機は半数を下回り、第二〇五航空遊撃魔導大隊は壊滅! 繰り返す、大隊は壊滅した! 即時撤退許可を求む!!」

デグレチャフ少佐率いる航空遊撃魔導大隊は待ち伏せていた敵の大規模魔導師団により壊滅的な打撃を受けた。しかし司令部は非情だった。

『許可は出来ない。現地点を死守せよ』
「現地指揮官として命令を遂行することは困難であると判断する! 再考を求む!!」
「再考は出来ない。現地点を死守せよ」

(現場の状況がわかって言っているのか!?)

飛び交う敵航空魔導師は散開せずに隊列を維持したまま繰り返し飽和攻撃を与えてくる。
それに対して我が方は身を寄せ合い隙間なく防殻術式を展開するので精一杯であり、攻勢に転じられず、一機、また一機と力尽きていく。

「きゃあっ!?」
「セレブリャコーフ少尉!?」

司令部に直訴していたデグレチャフ少佐を守っていた副官であるセレブリャコーフ少尉が敵の遠距離砲撃術式の直撃を受けて、撃墜された。

「少尉! しっかりしろ! 少尉!!」
「デグレチャフ、少佐……私は、もうダメです」
「諦めるな少尉! すぐ後退して手当てを……」
「少佐……どうか、私を置いて逃げてください」
「ダメだ! 私はそんな弱音は認めないぞ!? 少尉、命令だ! 意識をしっかり保て!!」
「少佐……どうか、早く、逃げ、て……」

(ああ、ダメだダメだダメだ。死んでしまう)

セレブリャコーフ少尉の意識が遠のいていく。
どうすればいい。指揮官として、何が最善か。
考える暇もなく次は大隊副長が餌食となった。

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「少佐殿! ぐふっ!?」
「ヴァイス中尉!?」

意識を失ったセレブリャコーフ少尉を抱いて茫然としているデグレチャフ少佐を庇い、今度は大隊副長であるヴァイス中尉が被弾した。
血反吐を吐きながら彼は大隊長に懇願した。

「少佐殿、ここは任せて……お下がりください」
「そんなこと出来る筈がないだろう!?」
「大隊副長より大隊各員へ告げる。デグレチャフ少佐はこれより後退される。以降は本官が指揮権を掌握し、少佐の血路を切り開く。以上」
「ヴァイス中尉!?」

明らかな軍規違反だ。
譲渡されたわけでもなく指揮権を引き継ぐなど、そんなことは出来る筈もないのに各員は。

「了解! 小官も全力を尽くして血路を開く!」
「デグレチャフ少佐! 行ってください!!」

(行けるわけないだろう! この状況で!!)

デグレチャフ少佐が司令部に直訴していた隙に2名の幹部が被弾したことからもわかる通り、少佐が大隊を抜ければすぐさま全滅してしまう。
そんなことはこの理不尽極まる数の暴力に晒されている彼らは言うまでもなくわかっている筈なのに、それぞれ勝手に決死隊を組み始めた。

「俺が先陣を切る。グランツ少尉は直援につけ。ノイマンとケーニッヒは空路を確保しろ」
「了解!」
「どでかい風穴こじ開けてやりますよ」
「小柄な少佐には不釣り合いな程のね」

ヴァイスの命令に隊員達は素直に従った。
あまりにも無謀なその試みはもはや作戦とは呼べず、ただの悪あがきにしか過ぎない。
断じて、そんな非合理な行為は認められない。

「貴様ら! 死にたいのか!?」
「違います少佐。助けたいんです」

生意気にも口答えしてきたのはグランツ少尉。
彼はセレブリャコーフ少尉と親しくしていた。
ならばと、腕に抱く彼女を突き出して命じた。

「だったら貴様が副官を運べ! 私は残る!」
「おっと。女性士官には触れない規則なので」

(この状況で規則もへったくれもあるものか)

「グランツ! 私の命令が聞けないのか!?」
「聞けませんね、こればっかりは」
「何故だ!? 私が幼女だからか!?」

気づけば、涙が頬を伝っていた。泣き喚いた。
腕に抱くセレブリャコーフ少尉に滴り落ちる。
グランツ少尉は申し訳なさそうに頭を下げた。

「お許しください、少佐。自分は男ですので」

(何を馬鹿な! 時代錯誤にも程がある!!)

デグレチャフ少佐とて、中身は男だ。
故に性別で差別されるいわれはない。
しかしそれを彼らは信じないだろう。

「グランツ、もう一度だけ言う。命令に従え」
「指揮権は副長に移っているので聞けません」
「ならばヴァイス、この馬鹿に命令してやれ」

殴りたい衝動を堪えてヴァイスに命じると、彼は深々と頭を下げてから、グランツに告げた。

「グランツ少尉、幼女になど構うな」
「ヴァイス!? 貴様ぁ……!」

よもやヴァイス中尉が歯向かうとは思わず。
裏切られた気持ちで怒り狂うデグレチャフ少佐に構わず、ヴァイスは決死隊を指揮した。

「敵魔導師団は正面から突っ込んでくるぞ! 我々も正面から打って出る! 行くぞ!!」
「了解!」
「よもや正面から来るとは思わんだろうな」
「ああ、度肝を抜いてやるぜ」

防殻術式を解除して、銃弾が降りしきる真っ只中へと突っ込むヴァイス。それを追う隊員達。

「待て! 待って! 頼む! お願いだから!?」

戦場に響き渡る、か細い幼女の悲痛な叫び声。
届かぬ筈はないだろうに、彼らは止まらない。
四面楚歌の中、近接戦闘で血路を切り開いた。

「デグレチャフ少佐! 行ってください!」

(行けない。お前たちを置いて私は行けない)

涙を拭ってデグレチャフ少佐は覚悟を決めた。
セレブリャコーフ少尉を捨て、彼らに殉じる。
願わくば、落下の衝撃に耐え、地上の地獄から免れて、この副官だけは生き延びてくれと。
腕から力を抜こうとした少佐に副長が怒鳴る。

「大隊は何度でも蘇る! デグレチャフ少佐! あなたさえ居れば、大隊は不滅なのです!!」

だから生き残れと、副長であるヴァイス中尉に叱咤されて、デグレチャフ少佐は目が覚めた。
必ず、この落とし前はつけさせる。必ずだ。

(覚えていろよ。虫ケラ共。存在Xもだ!!)

この戦場に舞い戻り共和国を血祭りにあげる。
1匹たりとも残さず殲滅して神を地上から消す。
そう固く決意して、血路を全速力で通過した。

「ああ、そんなっ! 司令部が!?」

戦線を離脱したデグレチャフ少佐は絶望した。
帝国軍ライン方面司令部は敵爆撃機による攻撃で、完全に破壊されていた。瓦礫の山である。

(くそっ! だから言わんこっちゃない!!)

あの時、再考して大隊の後退を認めていれば。
残存の航空戦力を司令部防衛に当てていれば。
まだなんとかなったかも知れないのにと憤る。

「くっ……ふふ、ふふふっ……そうか、存在X」

頭上も地獄、眼下も地獄、前も後ろも地獄。
この世界に救いはなく神はその姿を現さない。
ならばやはり、神は居ないのだろう。
居るのはクソったれの傍観者だけだ。

「神よ! 私はあなたを許さない! 認めない!」

幼女は血の涙を流して、慟哭した。
神に対する怨嗟を、呪詛を吐き出しながら。
腕に抱く副官の体温が失われるのを感じた。

「ああ……少尉……大隊諸君。無力な私を許してくれ。弱い私は何ひとつ、守れなかった……!」

力が足りぬ。力が欲しい。世界を滅ぼす力が。

「お前たちが居ない世界など……滅ぶがいい」

共和国も協商連合も連邦も合衆国も全て全て。

「何もかもを焼き尽くした後に小便をかけ消火して、亡骸に糞を垂れ流して耕してやる!!」

そこでふと、幼女は眠りの淵より、目覚めた。

「少佐……デグレチャフ少佐」
「んあ?」
「大丈夫ですか? すごくうなされていました」
「セレブリャコーフ、少尉……?」

目が覚めると、そこには副官が居て。
心配そうにこちらを覗き込んでいた。
何がなんだかわからず手を伸ばすと。

「んっ……くすぐったいです、少佐」
「生きて、いるのか……?」
「当たり前じゃないですか」
「ヴァイス中尉たちはどうなった?」
「たぶんまだ寝ていると思いますよ」

寝ているとはどういうことだ。夜らしいが。
何かの比喩だろうか。もう目覚めないのか。
いや、こうして目が覚めた。副官も健在。
つまり、ということは、よもや、まさか。

「夢、だったの、か……?」

信じられない。あの戦場が夢だなんて。
血と汗と爆薬の臭いがまだ鼻に残っている。
頬に手をやると流した涙の跡すらあった。
たしかにあれは現実だ。いや、幻覚なのか。
いずれにせよ、夢などでは説明がつかない。
たしかに戦場に居た。ならば、おそらくは。

「存在Xめ……!」

まるで仮想現実を見せられたかのようだ。
そんな芸当が可能なのは出鱈目な存在のみ。
どうやら存在Xに弄ばれていたらしい。屈辱だ。

「怖い夢でも見たのですか?」
「セレブリャコーフ少尉……手を」
「はい? 小官の手がどうかしましたか?」
「ああっ良かった……本当に、良かった……!」

震える手で副官の手を握りしめ、咽び泣いた。

「そんなに恐ろしい夢だったのですか?」
「ああ、ああっ! 怖かった! 苦しかった!」
「お可哀想に。もう平気ですよ……よしよし」

みっとなく泣きじゃくるデグレチャフ少佐。
セレブリャコーフ少尉は優しく背を撫でた。
しばらくそうされて、ようやく落ち着いた。

「ぐすっ……すまない。無様を晒してしまって」
「どうかお気になさらないでください。少佐はまだ幼くあらせられます。そんな夜もありますよ」

慰める副官はまるで聖母のようだった。
デグレチャフ少佐の心中はかなり複雑だ。
なにせ中身はおっさんである。甘えられない。

「もう大丈夫だ。心配をかけたな」
「ぎゅっとしましょうか?」
「い、いや、いい。平気だから……あっ」

断ったのに副官は問答無用で抱きしめてきた。

「セレブリャコーフ少尉……貴官は強引だな」
「あとでお叱りは受けます。だから今だけは」
「……ありがとう」

今だけはこの優しい副官に甘えようと思った。

「なるほど。それは怖い夢でしたね」
「うん……死ぬほど怖かった」

デグレチャフ少佐は階級を忘れ、ただのターニャとして、自分が見た悪夢を語って聞かせた。
セレブリャコーフ少尉はそんな幼女の話をまるで実の姉のように親身になって聞いてくれた。
全てを聞き終え、彼女は何やら感慨深そうに。

「小官は感激しております」
「な、なんだそれは。どういう意味だ?」

いきなり感激されて首を傾げる少佐にセレブリャコーフ少尉はすこし揶揄うように説明した。

「大隊編成時のことを覚えていますか?」
「もちろんだとも。よく覚えている」

第二〇五航空遊撃魔導大隊は、少佐自らが編成官として選抜から訓練まで担当していた。
当初は遊撃の任はなく、ただの航空魔導大隊だったが、求められる適正は高いレベルだった。
にも関わらず、ラインにおける共和国との膠着状態で弛緩した兵士が刺激を求めて大隊の志願し、その数はあまりに多く、一刻も早く即戦力を手に入れたかった参謀本部に急かされたが故に、ゼートゥーア准将の許可を得て、少しばかり『手荒』にふるいにかけた経緯があった。

「あれは流石に骨が折れた」
「折った、の間違いでは?」

やはり揶揄うような口調のセレブリャコーフ少尉を睨みつけるも抱かれていては迫力が出ず。

「少佐殿は、大変丸くなられました」
「貴官と違い、私は太った覚えはないが?」
「少佐殿。私だって傷つきますし怒りますよ」
「すまなかった。失言だ。話を続けたまえ」

ほっぺをつねられて降参した少佐に促されて、セレブリャコーフ少尉は所感を述べた。

「私は少佐殿を冷酷な方だと思っていました」

その印象に何ら間違いはない。
デグレチャフ少佐は冷酷な帝国軍人である。
自他のみならず、上層部すらも知るところだ。

「ですが少佐は、部下思いの優しい上官です」

少佐は思わず笑いそうになった。
会社勤めしていた生前とは真逆の評価だった。
部下に駅のホームで自らがリストラした部下に突き飛ばされ呆気なく電車に轢かれて死んだ男にはあまりに不似合いな表現だ。あり得ない。

「少尉は私を誤解しているようだな」
「いいえ。小官は確信しております」

確固たる意思と自信を持って、少尉は語る。

「少佐殿は部下の為に涙を流せる方です」
「あ、あれはあまりにも悲惨だったから……」
「本当に部下をただのコマだとしか思っていない指揮官ならば、きっと涙は流せませんよ」

涙の跡は擦っても落ちない。
顔を洗いたかったが、少尉が離してくれない。
せめてもの抵抗として両手で顔を覆った。

「少佐殿はお優しい方です」
「私は……優しくなどない」
「小官はそんなデグレチャフ少佐のことが……」
「やめてくれ!」

自分を突き飛ばしたかつての部下の顔が浮かんで、セレブリャコーフ少尉の言葉を拒絶した。

「私は……自分のことしか考えていない」

そう独白すると、セレブリャコーフ少尉が興味深そうに見つめてきて、胸の内を吐き出した。

「私が泣いたのは、自分の育てあげた部下を失ったことが悲しかったからだ。だから、私は」
「やっぱり、優しいじゃありませんか」

恥を忍び打ち明けたのに副官は分からず屋だ。

「私は、歪んでいる。優しさなどではない」
「歪んでいてもいいじゃないですか」

セレブリャコーフ少尉はデグレチャフ少佐が抱えるコンプレックスをいとも簡単に受け入れ。

「歪んでいるからこそ、愛は深くなるのです」
「愛、だと……?」
「はい。少佐は大隊を愛しておられるのです」

それだけは絶対にありえないと口にする前に。

「ちょっと……いえ、かなり歪んでいますけど」

そんな風に茶化されては否定する気も失せた。

「やれやれ、大隊諸君も気の毒に……」

まるで人ごとのように加害者の少佐は嘆いた。

「こんな歪んだ私に愛情を向けられるとはな」

なんと不憫だろう。なんという不条理。
しかし、世の中とは、そういうものだ。
まして組織ならば、尚更ままならない。

「せいぜい、我慢して貰うとしよう」
「我慢しなくちゃ、いけませんか?」

不満そうに口を尖らせる少尉に笑って命じる。

「隊員共の脱走を、この私が許すとでも?」
「たとえ許されたとしてもお傍におります」

どうやらこの副官は筋金入りらしい。
それもその筈。この手で育てあげた。
ならば彼らも渋々隊に留まるだろう。

「む? なんだ、もう朝が来てしまった……」

見れば窓の外が白んできた。夜明けが近い。
結局、一晩中副官と語り明かしてしまった。
いかに同性とはいえ、同室はやはり問題か。

「貴官の睡眠を妨害して、すまなかったな」
「いえ、まるで夢のようなひとときでした」

どうやら年若い副官は夜更かしに強いらしい。

「ならば朝から訓練を始めても構わないな?」
「く、訓練、でありますか……?」
「ああ。あの悪夢が現実にならないようにな」

デグレチャフ少佐は不器用な人間だ。
故に、こんな形でしか戦友を救えない。
実際の戦場より遥か奈落の地獄に堕とす。
地獄の中で生き抜く術を身につけさせる為に。

「さて、副官。着替えを手伝ってくれ」
「はい、喜んで」

いそいそと寝巻きを脱いで、少佐は気づいた。

「そんなっ!? こ、こんな、馬鹿な……!」
「あら? 少佐殿、下着が汚れてますね」
「うう、見ないでくれ……」

おねしょだけでなく、寝糞まで漏らしていた。

「フハッ !」
「わ、嗤うなぁ!!」
「フハハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
「嗤うなあああああああああああっ!?!!」

宿舎に響き渡る歪んだ愉悦に浸ったセレブリャコーフ少尉の哄笑と、絶望の淵に沈むデグレチャフ少佐の悲鳴で飛び起きた大隊副長のヴァイス中尉は遅きに失したことを悟り、呼んでもないのにおっとり刀で部屋の前まで駆けつけて喚き散らした。

「少佐殿! 如何しましたか!? 少佐殿!」
「来るなあああああああああああっ!!!!」
「どうか小官も混ぜてください! 少佐殿!!」

その後の訓練でヴァイスは本当の地獄を知る。


【ラインの悪夢】


FIN

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