「今日は阿良々木くんのお尻を開発します」
「唐突だな」
両親も妹も不在だった、ある日のこと。
自宅に遊びに来ていた交際相手の戦場ヶ原ひたぎが突如僕の尻穴の開発に乗り出した。
これまで僕は自分の尻の穴の可能性というものついてそれほど深く考えたことはなく、単なる排泄器官としてこれからも末長く使っていくのだろうと漠然と思っていた。
とはいえ、知識としてならば他の使い道があるらしいということは知ってはいたのだが、怠慢な僕はそれを実際に試したことはなく、ましてや試そうと考えたことすらなかった。
「というわけで、まずは浣腸をしましょう」
浣腸。
要するに、尻から直接下剤をぶち込む行為。
字面的には恐ろしいことこの上ない蛮行ではあるものの、便秘に苦しむ人々にとってはまさになくてはならない特効薬である。
「阿良々木くんは浣腸したことがある?」
「小さい頃にあるかな。覚えてないけど」
「その時に処置した看護師が羨ましいわ」
どういう意味だろう。複雑な気持ちになる。
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「なによ、不満そうな顔をして」
「いや、なんか今の僕の尻穴を否定された気がしてさ。これでも綺麗にしてるんだけど」
不満を口にすると戦場ヶ原はくすりと嗤い。
「それじゃあ逆に聞くけど、阿良々木くんは昔の私のお尻の穴に興味はないの?」
「ないと言えば嘘になるけど……それでも、僕が好きになったのは今の戦場ヶ原だから」
「あら、ありがと。それは素直に嬉しいわ」
昔の戦場ヶ原ひたぎの尻穴。ロリガハラ。
それを拝む機会は既に失われてしまった。
けれど、僕らは今を生きている。そうさ。
過ぎ去った過去に、想いを馳せはしない。
「私も好きよ。今の阿良々木のお尻の穴」
「そりゃどうも」
「でも私は欲張りだから、過去も今も未来も含めて、あなたのお尻の穴を独占したいの」
「それは素直に怖いけど、なんか嬉しいな」
人間は生きている限り必ず歳を取る。摂理。
吸血鬼となった際の後遺症が残る僕が戦場ヶ原と同じように老いるのかはわからないけれど、共に同じ時を歩むことに違いはない。
いずれにせよ、年老いてからも互いの尻を拭き合えるような関係になりたいものである。
「さて、そろそろいくわよ」
「ああ。覚悟は出来てるよ」
「それじゃあ、お尻をこちらに向けて」
言われた通り、尻を向ける。すると彼女は。
「ちゅっ」
「んなっ!?」
不意に臀部に柔らかな感触が伝わり、それが戦場ヶ原の唇であると気づいた僕は慌てた。
「な、な、なにしてんだ、お前!?」
「キスよ」
「キスは尻にするもんじゃないだろ!」
「そんなマナーは尻ません」
「尻ませんで済むか!」
「はいはい、浣腸するから黙りなさい」
ひとの尻にキスしてもなお、澄ましている戦場ヶ原に憤る僕を尻目に、浣腸液を注入。
ぶちゅー。
「んあっ!?」
「はい。今から5分間、我慢してね」
「ご、5分も!?」
戦場ヶ原ひたぎの無慈悲な宣告の直後。
ぐぎゅるるるるるるるるるるるるるぅ~っ!
「ぐぎっ!?」
浣腸特有の即効性の強烈な便意が僕を襲う。
1分経過。
「せ、戦場ヶ原、もう無理。トイレに……」
「ダメよ。まだ1分しか経ってないわ」
便意を訴える僕に腕時計をちらと見て、戦場ヶ原が経過時間を告げる。信じられない。
「まだ1分!? 到底耐えられるわけない!」
「大丈夫。私がついてるわ。頑張って」
取り乱す僕を優しく励ます戦場ヶ原。鬼か。
「も、もう無理だ! 僕はもうおしまいだ!」
「大丈夫。あなたはこれから始まるのよ」
「まもなく終わる! 終わりの始まりだ!!」
「上手いこと言うわね。余裕の表れだわ」
余裕なんて一切ないのに。わかって欲しい。
2分経過。
「せ、戦場ヶ原さん……助けてっ」
「ええ。もちろん、助けてあげるわ」
「っ……じゃあトイレに行かせてくれ!」
「だめ。これまでの我慢が水の泡になるわ」
「糞の海に沈むよりはマシだろうが!?」
「ふふっ。本当に阿良々木くんは面白いわ」
悲痛な僕の訴えに取り合ってくれない。
「腹が痛いんだ! この上なく! 嘗てなく!」
「ええ。わかってる。痛いほどにわかるわ」
「いいや、お前にはわからないだろうさ!」
この苦しみは僕のものだ。わかって堪るか。
「いいえ、私にもちゃんとわかってる」
「なんの根拠があるってんだ!?」
「だって、私も今、浣腸してる最中だから」
「えっ……?」
やっべー。びっくりして漏れそうだったぜ。
3分経過。
「ひ、ひたぎさん……? 今、なんて……?」
「あら、名前で呼んでくれるの? 嬉しいわ」
「どういたしまして……じゃなくて!」
戦場ヶ原ひたぎは先程、なんと言った。
この極限状況下の幻聴でないとすれば、僕の耳には彼女も現在浣腸中であると聞こえた。
つまり、それが意味するのは、すなわち。
「まさか、ずっと我慢してたのか……?」
「ふっ……バレてしまっては仕方ないわね」
「いや、自分から暴露してただろうが!?」
一時、便意を忘れて僕がツッコミを入れると、戦場ヶ原は妖艶な笑みを浮かべて、そっとこんな耳打ちをしてきた。
「実は、ずっとうんちがしたかったのよ」
「フハッ!」
おっと。僕としたことが、はしたないな。
4分経過。
「阿良々木くんが悦んでくれて嬉しいわ」
思わず愉悦を溢した僕を見て、満足そうに微笑む戦場ヶ原があまりに綺麗だったから。
「暦でいいよ」
「え?」
「僕のこと、これからは暦って呼んでくれ」
阿良々木暦。
それが僕の名前だ。
何気に気に入っていたりする。
同じ時を歩む彼女にはそう呼んで欲しい。
「……暦。これでいい?」
「ああ。ありがとう、ひたぎ」
「好きよ、暦」
「ああ。僕もひたぎが好きだ」
お互いに好意を告げた時、5分が経過した。
5分経過。
「暦。油断は禁物よ」
「っ……!?」
ぎゅるるるるるるるるるるるるるるぅ~っ!
「ぐあっ!?」
危なかった。今のはダメかと思ったぜ。
一瞬の気の緩みが命取りとなる。
ちょっと良い雰囲気だったのに台無しだ。
糞囲気になどしてたまるものか。
「5分経ったわ、暦。おめでとう」
「そ、そうか……じゃあ、僕はトイレに……」
「ええ。行ってらっしゃい」
苦難を乗り越えた僕を労うひたぎさん。
トイレに向かう僕を見送ってくれた。
しかしそこでふと、違和感を覚えた。
僕は今、限界寸前である。なのに、彼女は。
戦場ヶ原ひたぎは、平気なのだろうか。
「なあ、ひたぎさん」
「なによ、早くしないと漏れるわよ」
「それはお前も同じじゃないのか?」
戦場ヶ原ひたぎは僕より前に浣腸していた。
僕に付き合ってずっと我慢していたらしい。
ならば、彼女のほうが危機的状況なのでは。
「私はもう充分、愉しんだから」
「ひたぎさん……」
「だから、もういいのよ」
「いいって……なんだよ」
問いただすと、彼女は困ったように笑って。
「私はもう、どうせ間に合わないから」
「っ……なんだよ、それ」
「だから、阿良々木くんだけでも……」
「そんなことっ……誰が望んだんだよ!?」
馬鹿なことを。
初めから、そのつもりだったのだろう。
僕がトイレに行っている間に姿を消すつもりだったのだ。独りぼっちで漏らす気らしい。
「私のことは気にしないで、行って」
「い、行けるわけないだろうが!?」
「いいから早く。あなたに見せたくないの」
「見せたくないって……どういう意味だよ」
「だって、漏らしたら、嫌われちゃうから」
いつもと同じ、表情が窺えないひたぎさん。
その白い細面に、透明な涙が伝い、落ちた。
僕はその仮面の下の苦悶の表情を垣間見た。
「勝手に決めつけるなよ!」
「暦……」
誰が誰を嫌うって?
僕が、阿良々木暦が、戦場ヶ原ひたぎを?
冗談はよしてくれ。断じて、ありえない。
「僕がひたぎさんを嫌う未来なんてない」
「同情は……いらないわ」
「同情なんかするもんか」
確かに僕らは互いに苦しみを分かち合った。
だから、同情と言えばそうかも知れない。
けれど、そんな言葉で片付けたくはない。
「僕は絶対にお前を嫌わない。糞を我慢してる女子高生なんて……蕩れるだけだろう?」
便意を堪えているひたぎさんは可愛かった。
「僕は、そんなお前に欲情してるだけだ」
変態と謗りを受けても構わない。愛してる。
「さあ、ひたぎさん。立って」
促すと、ひたぎさんは尻込みをした。
「実は、もう歩けなくて……」
「なら、僕がおんぶしてやるよ」
「余計に出そうで怖いわ」
「その時は、その時さ」
腹痛時のおんぶほど怖いものはない。
一説によると、排泄に適した体勢らしい。
たしかに尻の穴が全開となる格好だ。
「あ、やだ。これは思った以上に厳しいわ」
「ひたぎさんの可愛い声が聞けて嬉しいよ」
「ばか……さっさと歩きなさいよ」
そうして僕らは歩きだした。
急がす焦らず、一歩一歩、踏みしめて。
背負う恋人の温もりを感じながら。
ぽたり。ぽたり。
「暦、下ろして」
「大丈夫。まだいける。もう少しだけ」
ぽたり。ぽたり。ぽたり。
「あのね、私はもう……」
「ひたぎは大丈夫」
「暦、聞いて。私はもう……ダメなのよ」
「大丈夫。僕がついてる。だから平気だ」
彼女と自分に言い聞かせて、理解を拒んだ。
「聞いて、暦」
「……わかった。聞くよ」
「私、漏らしてしまったわ」
やはり。滴っていたのは、便だったらしい。
「へーそうか。それがどうかしたのか?」
「軽蔑したでしょう」
「軽蔑なんか、するもんか」
ただ少し悲しい。僕は彼女を救えなかった。
「廊下を汚してしまって、ごめんなさい」
「いいから、謝るなよ。らしくないぜ?」
「でも、彼氏の家を汚すなんて、最低だわ」
「ひたぎさんは最高の彼女だよ」
僕には勿体ないくらい、よく出来た彼女だ。
「ひたぎさん、僕の耳を噛んでくれ」
「……嫌」
「もうそれしか道はないんだ」
「嫌よ! 道連れなんて、そんなの……」
「勘違いするなよ。たまたま道が一緒だっただけだ。そしてそれが運命だと、僕は思う」
これが運命であり、『ウン命』なのだろう。
「私は運命なんか信じない」
戦場ヶ原ひたぎは悪徳宗教に苦しめられた。
故に、運命など信じていない。迂闊だった。
僕としたことがつい地雷を踏んでしまった。
「軽々しく運命なんて言って、悪かったよ」
「謝る必要はないわ。気の持ちようだもの」
気を取り直すように、ひたぎさんが微笑む。
「私は自由意志を信じたい」
「自由意志?」
「ええ。具体的には脱糞する自由のことよ」
まったく。年頃の女子の台詞とは思えない。
「でも、不可抗力ってこともあるだろう?」
「ないわ。この世に偶然なんて存在しない」
「神はサイコロを振らないってか? 数学好きの僕としては推したい説ではあるが、それはとっくに量子論によって否定された筈だぜ」
「箱の中で猫が脱糞しているかどうかなんて、匂いを嗅げば箱を開けるまでもなく明白じゃない。ラプラスの脱糞魔とも言うわ」
「そんな汚い思考実験をするのはひたぎさんくらいだと思うけど、説得力だけはあるな」
ラプラスの脱糞魔。もといラプラスの悪魔。
あらゆる素粒子の状態を把握すれば一瞬先の未来を見通すことが出来るならば、やはり神はサイコロを振らないのかも知れない。
「だから私は自らの運命に抗ってみせる」
「既に糞を漏らしている女の台詞かよ」
「言わないでよ、もぅ……恥ずかしいわね」
ひたぎさんの照れ顔。激レアである。
片手を火照った頬に当てる仕草にぐっと来てしまっている僕はやはり常軌を逸していて。
「ねえ、こよこよ」
「なんだい、ひたぎちゃん」
「私ね……まだ宿便がね……?」
「言わなくてもわかってるよ」
ああ、わかっているさ。今度こそ、一緒に。
「その目」
「僕の目がどうかしたか?」
「まるで獲物を狙う吸血鬼のようね」
「知ってるか? 男の吸血鬼ってのは基本的に美女しか狙わないらしいぜ。やらしいよな」
「本当にいやらしくて、食べて欲しいわ」
「えっ……」
それはもしや、糞を食えってことだろうか。
「バカね。そんな倒錯していると思う?」
「僕らは充分に倒錯しているだろ」
「そんな恋愛関係って、素敵でしょ?」
「素敵かはともかく、僕はお前が好きだ」
「嬉しいわ。私も暦のことが……隙あり」
はむっと、ひたぎさんが僕の耳朶を噛んだ。
「んあっ!?」
ぶりゅっ!
「一瞬の隙が命取り。あなたは私の自由意志によって、うんちを漏らしたのよ」
「フハッ!」
何が隙なものか。僕はただ物好きなだけだ。
「あ、あああっ!? あああああっ!?!!」
ぶりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅぅ~っ!
「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
脱糞する僕を見つめて高らかに哄笑するひたぎさんもまた、盛大に糞を撒き散らす。
ぶりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅぅ~っ!
「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
それを見て僕も嗤い出してしまうのは、もはや一種の怪異現象と呼んでも差し支えない。
これには忍野メメもぶったまげるだろう。
「はあ……はあ……こよこよ。全部出たわ」
「はあ……はあ……ああ。僕も出し切った」
互いに荒い吐息を吐きながら報告し合う。
何故かと言えばお互いに褒めて欲しいから。
そっと彼女の頭に手を乗せて撫でてやると、ひたぎさんはくすぐったそうに微笑んでから、不意に僕の頬にキスをしてくれた。
「さあ、早くお風呂でキレイにしましょう」
「もう少しくらい、余韻に浸っても……」
「だめよ。浸るのは、ひたぎが許しません」
僕の彼女は、上手いことを言うのが得意だ。
後日談というか、今回もオチはうんちであり、このままでは終われないので、その後の僕とひたぎさんの睦言について語ろう。
「ほら、キレイになったわ」
「ひたぎさんも」
「私はもともとキレイよ」
「はいはい。もともと汚くて悪かったな」
汚れた身体を清めた僕らは清潔感を取り戻し、スッキリ爽快な気分ですっかりやり遂げた気持ちになっていた僕の尻穴に、突然。
「えいっ」
ズボッ!
「へあっ!?」
いきなりひたぎさんの細い指先が侵入してきたことに驚いて、変な声が出てしまった。
「ひ、ひたぎさん、何を……?」
「言ったでしょ? お尻の穴を開発するって」
ああ、なるほどと納得する。
これが終わりの始まりであると。
終わりに見えて、始まりの前座。
「お、お手柔らかに……」
「ふふっ。任せて。この時のために神原でたくさん練習したのよ。だから、痛くないわ」
時として、人間は痛いほうがマシなこともあるのだと、僕は尻で思い知ることとなった。
【尻物語】
FIN
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