【ミリマスSS】新月がやってくる (34)
アイドルマスターミリオンライブ!のSSです。
殆ど地の文で、かつそこそこの長さなので予めご了承ください。
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1596322052
【1】
島原エレナとは。
太陽のように笑顔が明るい、ダンスが大好きなブラジルハーフの女の子である。
いつもみんなで笑顔になることを信条としており、彼女の屈託のない笑顔につられて暖かな気持ちになるだけでなく、彼女も積極的に周りの手を引き、笑顔の輪を広げていく。
四条貴音とは。
765プロダクションに凛と輝く月のような佇まいの、上品さとミステリアスな雰囲気を兼ね備える女性である。
まるで亡国の王女のような美しさに同性であっても惹かれる者は多い。また、独特の鋭い洞察力と堂々とした立ち振る舞いだけでなく武芸も修めており、心身共に頼れる存在である。
そんな765プロダクションにとって太陽と月のような存在である彼女たちの、現在の姿をご覧頂こう。
「イヤだぁ~‼ もう帰るぅ~‼」
「島原エレナ…、どうか私を置いて行かないでください…」
「ワタシも一人はイヤだヨ~‼ ほら立ってよタカネぇ~‼」
「腰が、腰が動かないのです…」
「もうヤダぁ~‼ ママ~‼」
ズルズル。ズズズ。
ズズ。
いつもなら麺を啜(すす)る音に聞こえるだろう。
だがしかし、これは銀髪の女王が尻で歩いている音である。いや、尻で歩ける人類など存在しない。
正確には、四条貴音が島原エレナに引き摺られ、尻で滑って移動していた。
どうして四条貴音は尻で歩いているのか。
どうして島原エレナは幼児退行しているのか。
765プロが誇る太陽と月の変貌ぶりの原因を知るため、事の発端から振り返ろう。
【2】
「エ~‼ ワタシ怖いのヤダヨ~‼」
島原エレナは一言目から拒絶の意志を示した。
ただこの時の彼女の表情から読み取れる感情は、恐怖ではなく不満だった。
劇場の事務室で珍しく静かに雑誌を読んでいたエレナは、プロデューサーの口から告げられたオファーの内容を聞いて文字通り口を尖らせた。
「エ~」と発音しているのに口の形は「ウ~」である。
この場合は「エゥ~」と表記するのが正しいのかもしれない。
そのままエレナは「みんな一緒ならまだ良いけど~」と漏らした。
正しい表記は「どぅ~」である。
ついでに机に肘をついて右頬を持ち上げているので「どぅ~」で吐きだした空気は顔の左斜め前方に力強く抜けていった。
「プロデューサー、ワタシがお化け苦手なの知ってるよネ? どうしてイジワルするの?」
とある一般プロデューサーの名誉のために弁明しておくが、彼は決して可愛いエレナに意地悪をするためにこのオファーを告げたわけではない。
確かに今の彼女はただでさえ柔らかい頬が持ち上げられて寄り上がりプニップニな状態に仕上がっているだけではなく、
普段あまり見せない不満を孕んだ瞳で見上げられると顔の整った彼女が不貞腐れているような言いようのない高揚感を感じるのは事実だ。
話が逸れた。
要するに島原エレナは可愛いのである。
いや、その通りだけどそういう話ではなかった。
プロデューサーは決して島原エレナに意地悪することを生業としているのではなく、
あくまでアイドルとして仕事の依頼を受けたため、本人に告げたに過ぎないのである。
故に、例え過去に765プロ劇場のみんなでホテルに肝試しに行ったときにエレナがお化けに怯えている姿を知っていたとしても致し方ないことなのである。
これは不可抗力なのである。
島原エレナは右手の人差し指と親指で輪を作り、円形に頬を隆起させていた。
横山奈緒がこの場にいたら「タコヤキや‼」と言いながら突いてくれたことだろう。
プロデューサーも突いてみた。
エレナの口の尖り具合が増してタコみたいになった。
「うぅ~、やめてヨ~」
「そうは言ってもエレナが御指名だからなぁ」
「エー‼ なんでなんで~⁉ シャチョーさんもイジワルなの?」
「みんなエレナのことが大好きなんだよ」
「ムー…」
エレナの口がさらに前にせり出していく。エレナは実は頭足類なのかもしれない。
「アッ‼ じゃあせめて、コトハとメグミと一緒に行かせてヨ‼ 二人と一緒ならまだ何とかなるかもしれないし…」
「お生憎様。その二人は当日別の仕事が入ってしまっているんだ」
「えっと、じゃあミヤとか…」
「美也も外に出ちゃってるなぁ」
「エ~‼ 一人だったらヤダ~‼」
嬉しい悲鳴だが、前に765プロ全員で肝試しした時と比べるとアイドルの知名度も上がっていて、
それぞれのスケジュールがそれなりに仕事で埋まっている。
お陰様で毎週の劇場公演のメンバーや練習時間を確保することに四苦八苦している。
「そうだなぁ、その日が空いてる子は…」
事務机の上に置いてあった手帳を見ようと歩みを進めるとほぼ同時に、事務室の扉が開いた。
「ごきげんよう」
「タカネ‼ おはよー♪」
「エレナ、おはようございます」
「あ」
挨拶するよりも前にプロデューサーの口から間抜けな声が漏れた。
声と言うよりも、無造作に空いた口から空気が抜けた際に出た音だった。
合計四つの瞳が不思議そうな顔で声が漏れた方向に向けられる。
何故か居たたまれない気持ちになったプロデューサーはいつもの数倍情けない声色で「おはようございます」とようやく声を出した。
無事に挨拶を終えたプロデューサーはようやく正気に戻ったように唾を飲んだ。
何かを考えている。
おそらく彼の頭の中では各アイドルのスケジュール帳がパラパラと開かれているのだろうが、
如何(いかん)せん目線が右上に飛んでいるために、間抜け面が際立ってしまっている。
そのまま「そうだ」と分かりやすく両の手をポンと叩いた。
急なテンションの変化に彼自身の喉が驚き、おかしなタイミングで声が裏返っていた。
「たかネがアいてるみタい」
「なんて?」
あまりの違和感にエレナは聞き返した。
「貴音が空いてる。撮影の日」
「ホントウっ⁉ タカネ~、一緒にロケ行こうヨ~‼」
「ほう、ろけですか。どのようなものでしょうか」
「肝試しだってさ。ワタシ一人だと怖いけど、タカネと一緒なら安心だヨ~」
貴音の首が九十度動いた。
だが、動いた様子は見えなかった。それほど高速で首が回転した。
無駄な動きは一切なく、音も立てず、ダンスレッスンで鍛え上げられた見事なアイソレーションだった。
美しさすら感じた。
きっとダンスの先生がこの動きを見たら教え子の成長に涙したことだろう。
「プロデューサー…?」と尋ねた貴音の顔色と声色からは何も感じ取ることが出来なかった。
ただ、何かをプロデューサーに尋ねていることだけが伝わった。
エレナの顔は頼れる同僚を見つけた喜びで満ち溢れている。
お化けが怖いという感情よりも、ARRIVE以来ひさしぶりに貴音とお出かけできることの喜びの方が勝っているというわけだ。
「山奥の病院に行くんだって‼ きっと途中で美味しい物も沢山食べれるヨ♪」
「美味しい物…」
貴音の頭がグワンと動く。
普段はあまり大きな動きを見せることが少ない貴音の奇行にエレナの頭の上にクエスチョンマークが飛び交う。
普段ならば「美味しい物」の「おいし」くらいのタイミングで「参りましょう」と飛びついてくるハズなのに。
なんだか二日酔いの時のリオみたいだネ。とエレナは思っているに違いない。
「プロデューサー…」
貴音は再度呟いだ。
二度目の言霊(ことだま)には葛藤と懇願が込められていた。
プロデューサーは悩んでいた。
それはもう悩んでいた。
プロデューサーというのはアイドルをプロデュースする者(765プロではマネージャーも兼ねる)なのだが、
どのようにアイドルを輝かせるかを考えると同時にアイドルを一人の人間として幸せにしなければならない。
もちろんアイドルに嫌われて良いわけではないが、
仕事として給料を支払っている以上、時には本人の希望よりも事務所全体を考えて仕事を割り振らなければならない。
これまでの話には全然関係ないが、豊川風花はよく頑張っていると思う。全然関係ないけど。
プロデューサーは四条貴音が怖いものを苦手だということを知っていた。
つまり、怖がっているリアクションを求められる肝試しの撮影においては適任と言える。
そして、プロデューサーは島原エレナがそのことを知らないことも知っていた。
普段の貴音を見ているとお化けが苦手とは天地がひっくり返っても思わないだろう。
大男も投げ飛ばすくらいなのだから、お化けくらい一息で消滅させそうなものである。
もっと言うと、貴音がエレナの怖がりっぷりを知らないことも知っていた。
今のエレナはニコニコ笑顔である。
この笑顔で「ワタシ一人だと怖いけど」と言ったとして、まぁ一般的な感性だと思うだろう。
いつものように明るく楽しくサンバを踊りながら心霊現場を練り歩き、お化けを成仏させて回りそうなものである。
プロデューサーは悩んでいた。
だが、情報を整理すればするほど、悩みは楽しみに変わっていった。
「そうだな、今の季節なら岩魚(いわな)が美味しいだろうな」
下した結論は、エレナと貴音に別のことを考えさせることであった。
【3】
ズルズル。ズズズ。
ズズ。
決して尻で歩いている音ではない。麺を啜っている音である。
尻で歩く人間なんているわけがない。
貴音、エレナ、プロデューサーは撮影スタッフと共に蕎麦屋で舌鼓を打っていた。
蝉の鳴き声と渓流のせせらぎを聞きながら、風通しの良い木造のバルコニーで、岩魚と山菜の蕎麦を啜る。
なんと心地よいことだろうか。
外を見れば木漏れ日がチラチラと煌めき、岩にぶつかって弾ける飛沫(しぶき)が何とも涼しげである。
そんな中、撮影スタッフたちはプロデューサーと同じ席に座る二人の少女から目が離せずにいた。
決して美しい所作とは言えないが、ブラジルハーフの快活な女の子が美味しそうに麺を啜る姿は、見ているだけでこちらも幸せな気分になる。
啜った麺が口の中に吸い込まれていく瞬間に下唇がピンと張ると共に首がクッと持ち上がり、口を閉じたままでも十二分に伝わる笑顔の花が開く。恐おそらく今の彼女には「美味しい」「幸せ」以外の感情が無いのだろう。
自然と見ているこちらも同じ気持ちを共有できる。
そんな元気で可愛いハーフっ娘の隣にはピンと背筋を張り、凛々しいとも言える姿で蕎麦を食す銀髪の美女。
蕎麦を食べる姿に「凛々しい」という表現はこれまで使ったことが無かったが、とにかく凛々しいのである。
通常は食事中に音を立てることはマナー違反とされているが、蕎麦は例外的に麺を啜ることが「粋」とされることもある食べ物である。
粋とはどういうことか訝しんだこともあったが、今の彼女を見れば皆納得するだろう。
麺を啜る音すら美しいのである。そんな彼女の姿に見とれていると、気付けば横に並ぶ椀の高さが増えているのである。
現在お椀タワーが建設中である。
皆初めのうちは不思議に思っていたがお椀タワーが四棟目に差し掛かったあたりで考えるのをやめた。
まだ時間は午後三時。
外では太陽は燦燦(さんさん)と降り注ぎ、風通しの良い室内に居ても首元はジンワリと汗ばむくらいだ。
明るく爽やかな陽気であり、このあと肝試しが控えているとはまったく考えられない天候だった。
「もしかしたら、お化けさんも今日はお休みかもしれないネ♪」とエレナは能天気に構えているように見えた。
おそらくそうは考えていないだろうけど、そう見えるほどに今の島原エレナはいつも通りだった。
「え~、それでは食べたままで良いので今日のロケの流れを聞いて下さい」
エレナの笑顔がピタリと固まった。
笑顔のままで固まっているのだからきっと幸せな気持ちのままで固まったのだろう。
でも今のエレナは「お化け欠席説」を提唱できそうになかった。
今回のロケ地は山深くに佇む廃病院。
呼吸器系の患者の療養を目的として空気の綺麗な環境に立てられた病院であった。
しかし、まるで患者を閉じ込めるかのような陸の孤島となっていたことと、特殊な症例の患者を多く受け入れていたことで良からぬウワサが流れ始めてしまった。
このウワサをどこからか聞きつけた患者が脱走を試みたり、治療に対して抵抗したり、非常にヒステリックな環境となってしまった。
「そしてついに、看護師の一人が精神を病んで自害してしまいました」
ゴクリと息を呑みながら聞くエレナに気を良くしたのか、ロケの流れを話すだけだったはずのスタッフはいつもよりゆっくりとした口調で事の舞台設定を語っていた。
舞台設定というのは今回のロケの設定であり、本日のロケを実施するのは撮影用のセットである。
廃屋に立ち入るということは通常許可されるものではないのだ。
ならばいっそ作ってしまえというのが765プロの社長たる高木順二郎の教訓である。
高木社長は教えた覚えのない教訓により数億の支出を余儀なくされた。
「今回は、その看護師が残したという手記を見つけてきてもらいます。五階の当直室に残されているというウワサですが…」
「そ」
貴音が声を発した。
その声の大きさたるや、飛んでいる蚊も揺らせないほどであった。
「それは、違法なのでは…?」
貴音は至極真っ当な意見を述べた。彼女は法に縋(すが)った。
「実は調査も兼ねていて、文化的に保護したいと国から要請されているのです。ですが、これまで誰も見つけたことが無いのです。もし現地に行って所定の場所を調べて見つからなければそのまま戻ってきて大丈夫です」
スタッフは滅茶苦茶なことを自信満々に言った。
プロデューサーの眉がピクリと動く。
なんだその理由は、それなら昼間に行けば良いだけだろう。
しかもアイドルに行かせるようなものではない。
「そうですか…」
しかし、銀髪の女王は縋っていた法が助けてくれないことに落胆するばかりで、細事を気に留める余裕は無いようだった。
エレナは口を真一文字に結んだままで難しそうな顔をしている。
難しそうな顔をしているだけで何も考えていないのかもしれない。
「それでは地図をお渡ししますね」
アイドルが深夜に廃病院(風のセット)を探索するとあれば、安全のために不用意な移動は避けるべきである。
どうしてスタッフが道順を知ってるんだと聞かれる前に、スタッフは勝手に「実は私は昔この病院の調査スタッフでしてね」と語っていた。
打ち合わせの間ずっと、プロデューサーの肝が試されていた。
【4】
夜が更け、周りを照らすものは車のヘッドライトだけとなっていた。
周囲を鬱蒼(うっそう)とした森に囲まれた廃病院は、星々のか細い光に縁取られて異様な存在感を放っていた。
今宵は新月。
いつもなら心を明るく照らしてくれる太陽も月も、今日は地球の裏側でお留守番。
「エ~‼ もっとおっきなライト持っていこうヨ~‼ こんなんじゃ全然見えないヨ~⁉」
今の彼女たちを守るものは一握りの懐中電灯と、小さなヘッドライトのみ。
不満を漏らすエレナとは裏腹に、貴音は討ち入り前の武将のように覚悟を決めた表情を見せていた。
「えーっと、携帯は圏外だろうから無線繋ぎっぱなしにしておくからな。あとハンディカムもあるけど、ヘッドライト横にもあるから余裕があるときだけで良い…ん、なんだ貴音」
貴音は真顔でプロデューサーの目を真っ直ぐ見ながら、ゆっくりと頭(かぶり)を振った。
どうやら覚悟は決まっていないようだった。
十七歳と十八歳の見た目も麗しくスタイルも抜群のアイドルが男性にしがみ付いている。
プロデューサーは慣れた様子で「ホラホラ最初はカメラマンさんに撮ってもらうから」とあしらっている。
病院に突入する前のインタビューを担当していた三十六歳の男性カメラマンはもし死んだら世界の不平等さを嘆く幽霊として化けて出ようと心に決めた。
「アー、えーっと、島原エレナだヨー」
エレナは元気が足りなくて中途半端な中国人のようになっていた。
「四条貴音です…。四条貴音です…」
貴音は「四条貴音マシーン」になっていた。
覚悟の決まった顔というよりは、目が据わっているという表現が正しいことが分かった。
「今日はね、肝試しに来てるんだけど…。ワタシ、怖いの苦手だから…」
「タカネ~‼ 今日はお願いだヨ~‼」
「四条貴音です…」
マシーンは快調だった。あくまでマシーンとしてはの意味だが。
「えっと、じゃ、じゃあレッツゴーう‼」
エレナは怖いなりにアイドルとしての務めを果たそうと懸命だった。
「四条貴音です…」
貴音は貴音なりに頑張っているようだった。
カメラが着いてきたのは病院の入り口までで、撮影用の照明を落とすと急な明るさの変化に目がついていかず、完全な暗闇に包まれた。
その瞬間にエレナは「ヒッ」と声を上げた。
ヘッドライトの弱い光が周りボンヤリと照らす様子が、徐々に視界に広がっていく。
ジワリジワリとぼやけた輪郭で包まれた世界は、先ほど多数のスタッフに囲まれていた空間とは別世界のように、
この暗い世界に二人きりのように感じられた。
「うぅ~、じゃあ進もう、タカネ」
「島原エレナ…」
四条貴音マシーンは島原エレナマシーンにバージョンアップした。
エレナの服の裾を掴む機能が追加されたようだ。掴むというよりは握り締めている。
そのまま身体を半回転させれば腰で投げられそうな気迫が込められていた。
エレナが右手にビデオカメラを、貴音が左手に懐中電灯を装備して、空いている手はお互いの腰のあたりの服を握りしめていた。
どちらかが逃げようとしても物理的に逃げられない布陣だ。
もし何かに襲われた場合だとお互いが障害となって逃げられない布陣とも言える。
ソロソロ、という音がよく似合うような摺り足で二人は長い長い廊下への歩みを進めた。
【5】
道中は拍子抜けなほど何も起こらなかった。
いや、別にスタッフも何も仕込んでいないから何も起きないのは当然なのであるが。
貴音の場合スタッフを配置すると気配を気取られてしまう可能性があるのと、深夜の暗い状況で驚かせてしまって怪我をしてしまうリスクを考えた結果であった。
果たして何も配置していない病院風のセットで番組の撮れ高は得られるのか。
プロデューサーの懸念は杞憂に終わった。
というのも、エレナは何も起こらなくてもずっと「怖いヨ~、怖いヨ~」「帰りたいぃ…」「やだぁ~」と呟きながら歩いていて、可愛いが無限に襲い掛かってきていた。
貴音は貴音で、二人の足音の反響を感知して「何奴ッ⁉」と構えてその様子にエレナが「ギャー‼」と叫んだと思えば、
その後「何も…問題ありません」と涙目で震え声を出す珍しい貴音が見られていた。
プロデューサーとしてこの貴音をお茶の間に流すのはイメージ戦略上いかがなものかとも思うが。
結果的に、何もない廊下と何もない階段を上がるだけで二人はボロボロだった。
エレナはズビズビ鼻をすすっているし、貴音はもはや何もしゃべらないようになっていた。
彼女たちが何をしていても絵になる程度には美少女で良かった、とプロデューサーは思った。
「ここだよネ…?」
「島原エレナ…」
島原エレナマシーンの音量が最小値となってもはやマイクが拾えるかどうかになった頃、
満身創痍という言葉が世界一似合う二人はようやく目的の当直室に辿り着いた。
エレナがもう一度だけ唾を飲みこんでから宿直室の扉に手を掛けた時のことだった。
貴音が「島原エレナ、お待ちください」と彼女を制止した。
その言葉があまりにも真に迫っていたのでエレナは扉から電流が流れたかのようにビクッと飛び跳ねて「ど、どうしたノ…?」と素直な疑問を口にした。
貴音は「詳細は分からないのですが…」と前置きした上で「もう少しだけ、待たれた方が良いかと」と回答した。
要するに何も分かっていなかった。
だが、貴音の深刻そうな表情はエレナに改めて緊張感を与えるには十分であり、エレナと貴音は顔を見合わせて呼吸を合わせていた。
なおこの時、ヘッドライトに添えられた小型カメラにはお互いの顔面がドアップで映し出されていた。
ドアップで写されてもお茶の間に耐えうる美少女で本当に良かった。
プロデューサーは改めて胸を撫で下ろした。
呼吸を整える二人。
そして同じタイミングで大きく息を吐いた。
貴音がエレナの瞳を真っ直ぐ見て、ゆっくりと頷いた。
心は整ったようだ。
「いざ」と貴音は扉に手を掛けるエレナを激励した。
エレナも「イザ」と呟いていたが恐らく意味は分かっていない。
バーン‼
という擬音がピッタリな勢いでエレナが引き戸を思いっきり引いた。
その衝撃で扉のそばにあったステンレスのラックが
バーン‼
と倒れ、島原エレナは今日一番の大きな声で「キャーーー‼」と叫んだ。
それに驚いた貴音が腰から後ろに吹っ飛び、尻から地面に着地した。
貴音に服の裾を掴まれていたエレナも後ろに吹っ飛び、器用に身体を空中で半回転ひねってうつ伏せに貴音の横に滑り込んだ。
ラックに乗っていた書類がバサバサと飛び交い、貴音の眼前を埋め尽くした。
貴音の眼球、口、手、脚の全てが「あわわわわ」という擬音が似合う動きを繰り出した。
普段の貴音からは想像できないほどカサカサとした動きだった。
ただしこの動きは録画されておらず、お茶の間からはひたすらエレナが貴音に抱き着いて「キャーーー‼ キャーーーーーー‼」と叫んでいる声だけが聞こえることになるだろう。
非常に残念である。
一通り飛び交った書類が全て地面に到達したころ、貴音の全身はすっかり「あわわわわ」の形で固定されていた。
静止しているとこれがなかなか絵になるものである。
エレナは貴音に縋りついたまま号泣していた。
泣くときに「ママ~‼」と言うのは骨川スネ夫くらいかと思っていたが美少女が言うとこれもなかなか絵になるものだ。
一通り泣き終わった後、エレナは貴音に縋りついたまま「イヤだぁ~‼ もう帰るぅ~‼」と再び泣きついた。
その時の声色をマイクで拾っていたプロデューサーは「流石に限界か」と思い至り、スタッフ派遣の手配を進めた。
「島原エレナ…、私を置いていかないでください…」と、今度は貴音がエレナに縋りつく番だった。
どうやらエレナがこのまま貴音を置いて帰ってしまうと危機感を覚えたのだろう。
エレナの服を千切れそうなくらいの力で掴んでいる。
「ワタシも一人はイヤだヨ~‼ ほら立ってよタカネぇ~‼」
「む、」
「タカネ?」
「む、む、」
貴音は言葉の全てに器用に読点を付けていた。
「タカネぇ、早く帰ろうヨ~‼」
「それが、腰が、腰が動かないのです」
「えぇ~⁉」
その時、二人のいる五階に向けてカンカンカンと複数の足音が迫ってきた。
もう数秒待てばスタッフの人影とライトが見えるのだが、この時の二人にはそんな余裕は無かった。
「もうヤダ~‼ ママ~‼」
エレナは走り出そうとしたが、エレナの腰を強くつかんだ貴音がそれを許さなかった。
それでもエレナは引っ張るので、貴音の尻が徐々に滑り出し、やがて貴音の尻と床の摩擦は静摩擦係数から動摩擦係数へと変化した。
結果として貴音は尻もちをついた姿勢のまま、エレナに引っ張られて高速で移動し始めた。
銀色の美しい髪を棚引かせながら、四条貴音は尻で歩いていたのだ。
ある意味ホラーよりも怖い。
この何とも奇怪な鬼ごっこはスタッフのライトに島原エレナが気付くまで続き、スタッフが追いついたころにはエレナは涙やら汗やらでべちょべちょになっていた。
貴音は静かに目を閉じて立ち往生ならぬ座り往生間近となっていた。
それでも人を不快にしない程度には美少女のアイドルって本当に凄い。
プロデューサーは心の底から自社のアイドルを誇りに思った。
「もうぜっっっったいホラーの仕事はやらないからネ‼」
「……」
貴音がプロデューサーに口をきいてくれるまで二週間かかった。
おわり
おわりました。HTML依頼出してきます。
色々と申し訳ないです。
書き忘れましたが、島原エレナと四条貴音のお化け怖いコンビって良いなぁ!と思って書いていました。たかエレきてる。
貴音...ケツだけ歩きを習得したか...
珍しい組み合わせだがイイネ。乙です
島原エレナ(17) Da/An
http://i.imgur.com/dbSk8xJ.png
http://i.imgur.com/wJJodUT.png
四条貴音(18) Vo/Fa
http://i.imgur.com/UrH3bcy.png
http://i.imgur.com/4HBfx1Q.jpg
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