これは、とあるプロデューサーとアイドルのお話。
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なぁ紗代子、覚えてるか?
俺たちが初めて逢った日、あれは39プロジェクトの最終面接だったよな。
『私はアイドルになれるまで、絶対に諦めません!』
君はそう必死に訴えかけてきた。全力で前のめりで、燃えさかる焔のように揺らめくあの瞳に、俺は惹かれたんだ。なんでこの子は、こんなにも本気になれるんだろう、ってさ。
そこから始まったんだよな、君と俺との二人三脚が。社長に無理言って、君だけソロでプロデュースさせてもらって。数えきれないくらいお仕事とライブとを繰り返して、少しずつ、だけど着実にアイドルランクを上げてきてさ。
そしてようやく今日、Bランクに挑戦できるところまで来れたんだ──52人の中の1人じゃない、アイドル高山紗代子として評価される時が来たんだ。いろいろ大変なことも多かったけど、本当に楽しかったよなぁ。
でもな、今だから言えるけど、ファン数や売上だけで全てが決まるアイドルランク制って、俺はあまり好きじゃないんだ。アイドルにかける情熱も、オーディションに落ちた悔しさも、最高のステージをやり遂げた達成感も、そういうのを全部いっしょくたにするようでさ。
それでも認めさせるには、こういう目に見える指標が必要なんだ。他人にも……もちろん君自身にもな。誰にでも見えるからこそ、胸を張って言えるんだ──“高山紗代子”はこんなにもスゴいアイドルなんだぞ、って見せつけてやれるんだよ。
なぁ紗代子、もう少しなんだ。
あともう少しでBランクが──トップアイドルに指がかかるところまで来ているんだ。君の教えてくれた夢だって、もうゴールが見えているんだ。だから──。
「なぁ、紗代子」
薄暗い舞台袖。進行スタッフが忙しなく腕を回している。紗代子の出番がすぐそこまで迫っている合図だ。強張る背中に声をかけた。
「はい……もうすぐ出番、ですね」
「ああ、そうだ。少し緊張してるか?」
「やっぱりわかりますか?」
「そりゃわかるさ!なんたって、いつも見てるからな」
「ふふ、プロデューサーには隠し事できませんね」
「なんたって今日はBランクへのランクアップフェスだ。ここを突破できれば、晴れて“一流アイドル”の仲間入りって大一番だからな、無理もな──」
「見てください、プロデューサー」
差し出された手は小刻みに、けれどはっきりと震えていた。大舞台での緊張もあるだろう……だけど、きっとそれだけじゃない。
「手も脚も、さっきから震えが止まらないんです。お客さんも見たことないくらいいっぱいで、控え室もここもすごくピリピリして、……すごく、こわくて」
「紗代子──」
「こんなの私らしくないですよね、わかってるんです。けど……」
なら、俺にできるのは。この差し出された手を俺は──。
「なぁ紗代子、覚えてるか?」
俺は紗代子の手をとった。震える指をきゅっと握りしめた。
「アイドルのステージで一番大事なことって何だと思う?」
「えっと……応援してくれる皆さんに笑顔になってもらうこと、です」
「うん、それさえ忘れなきゃ大丈夫さ。どんな大舞台だって、結局やることは変わらないんだよ、きっとさ」
必勝の策や適切なアドバイスも授けてやれないし、緊張も不安も止めてはやれないかもしれない。けど側にいて、いっしょに震えることならできるから。
「……そうですよね。特別なことなんて、きっと何もいらないんですよね」
「その通り!さぁ、“いつも”みたいにお前の全部を出しきってこい!」
「はいっ!──プロデューサー、いってきます!」
ゴーサインをうけて彼女は飛び出していく。何千何百というサイリウムがきらめく、あの大きなステージへと──彼女自身の“約束”を果たすために。
そして俺はいつも、それを見送ることしかできないんだ。
どれだけの想いがこめられていても、時間はどこでも誰にでも平等に、無慈悲に流れていく。ダンスが終わり音楽が消え、ステージの上に静寂が訪れた。
これは、パフォーマンスと歓声との狭間にある、余韻とすら言えない刹那的な時間。すぐにでも興奮と称賛の歓声でかき消えてしまう、儚い時間であるはずだ。
この静寂が永遠に続くはずなんてない、そんなことは百も承知している……それでも俺は息を呑んだ。
──ワァァァァァ……
呑み込んですぐに大きな歓声があがる。そうだ、それで良いんだ。ほっと胸を撫で下ろす。
それにしても、やはりウチの劇場とは規模が違う。歓声一つとっても、足の先までビリビリと響いてくるほどだ。今ステージの真ん中にいる彼女がいったいどれだけの音圧を浴びているのか、俺には想像することさえできない……例えそれが、万雷の拍手でなかったとしても。
『皆さんっ!今日は応援してくださって、本当にありがとうございました!』
最後の挨拶を終えて、彼女が戻ってくる。ステージを降りてまっすぐに、俺へ向かって駆けてくる。
「プロデューサー!」
「お疲れさま、紗代子。いいステージだったぞ」
「はい!プロデューサー、私っ、わた……わぁっ?!」
「さ、紗代子?!」
「わ、たッ、わ、わわ……わぷッ!」
「おっとと!」
たたらを踏んだ彼女の身体は、俺の腕の中にちょうど飛び込んできた。可もなく不可もなく、ぴったりとだ。
「大丈夫か?」
「は、はい、すみません。足が引っかかっちゃって」
「……うん、あの配線だな。挫いたりしてないか?」
「はい、大丈夫だと思います。でも、リハーサルの時は何もなかったはずなんですけど……」
しかし、この距離でよかった。もう少し遠かったりでもしたら転んでたかもしれない。言いたくはないが絶妙に良い距離だ……まるで予め測ってあったかのように。
「まぁ仕方ないさ。細かいケーブル配置はその時々で変わるもんだし、それに舞台袖は暗いからな。要は『最後まで気を抜いちゃダメ』ってことだな」
「そうですよね。劇場とは違うってこと、もっと気をつけないと……」
なんて通り一辺の注意を口にしながらも、俺の意識はまるで違うものに奪われていた。しっとり貼りついた前髪、潤んだ瞳に荒い息、甘酸っぱい汗の匂い。衣装越しでも伝わってくるアツさと柔らかさ、そしてか細さ。
「あの、プロデューサー?」
色んなものがごちゃ混ぜになって、触れた場所から伝わってくる。ライブを終えたばかりの、ファンの誰も見ることのない生の“高山紗代子”。それを今、俺だけが独占してる……この彼女を見ていいのは、俺だけなんだ。
「もう、プロデューサー!」
「──ッ?!」
抑えめながらも鋭い声で、 我に返る。いけない、こんなことでは……紗代子に失望されてしまう。“高山紗代子のプロデューサー”らしく振る舞わないと。
「な、なんだ?」
「あの……どうでしたか、今日のステージは」
「あ、ああ!よかったぞ!お客さんも盛り上がってたしな……だけど」
腕の中の紗代子の、まっすぐに俺を見つめる眼。自信よりも不安の方が勝っていそうな、震える瞳。今ここで、彼女が“プロデューサー”に求めているのは──。
「まだ少し緊張というか、気負いすぎてる所があるかな。力みすぎて動きも表情も固くなってた。細かいミスの原因にもなるし、なによりあれじゃ今一つノリきれない、ってお客さんも少なくなかったんじゃないかな」
そう、今日の出来映えは彼女自身もよくわかってるし、なにより結果にも表れている。それをはっきり口にするのも、プロデューサーとしての大事な役目なんだ。
「やっぱりそうですよね、そこが課題……」
「ああ、そうだ。Bランクといえば、日本トップクラスの“すごいアイドル”だ。それを賭けてライブするってんだから、相手もすごいってことさ。ほんの少しのミスでも命取りになる……もちろん、紗代子だって負けちゃいないけどな」
「もう、またそんなこと言って……いいんです。私に足りないものは、私が一番よくわかってますから。だから──」
「“あとはそれに向かってがんばるだけ”、だろ?」
「はいっ!」
そう答える紗代子に悔しさはあっても後悔はない。どれだけ躓いても、それでも立ち上がって前を向く──それが“高山紗代子”ってアイドルなんだ。
……だけど。
「大丈夫、その元気があれば、紗代子の夢が叶うのだって……あの子とのステージだって、きっとすぐ実現できるさ」
「もう、それは気が早すぎますよ」
「そうかな?これまでの紗代子の頑張りを知ってたら、そうは思えないけど──もっとも夢が叶ったら、俺なんて要らなくなるかもしれないな」
「そんなッ!」
大きな声だ。スタッフにじろりと睨まれるほど、人目を憚らない大きさと……切迫感だった。
「私、プロデューサーが……あなたがいないと私……」
焦りと恐怖が、紅い瞳にみるみる広がっていく。すがるような視線……あぁ、この眼だ。腹の底に渦巻く、卑劣で醜く矮小な、昏い欲望が満たされていくのを実感する。彼女のおかげで気付いた……気付いてしまった、浅ましさの表れだ。
だが長くは続かない。きっかり五秒、それで限界だ。
「──悪い、そんなつもりじゃあなかったんだ」
まったく、プロデューサーになって上手くなったのは、涼しい顔で嘘をつけることくらいなものだろう。
「プロデューサー、嘘でもそんなこと言わないでください……じゃないと私……」
「……すまん」
──ワアアァァァァァッ!!
そこへ轟音じみた歓声が割って入る。会場全体がまるで一つの生き物になったみたいな一体感を伴って、俺たちの心身にビリビリと叩きつけられる。
「……始まったな」
「はい……やっぱり全然違いますね」
「あぁ、確かに段違いの盛り上がりだ。けど、実力にそれほど差はないと俺は思う」
「でも私は……」
「言ったろ?ちょっとしたミスでも命取りだって。今日の勝敗を分けたのは、本当に些細な積み重ねだったと思う」
本当にそうか?
「とにかく全力を尽くした結果なんだ、今日は受け入れるしかない」
お前は本当に、今日ここに至るまでの全てを、全力でやり遂げたのか?レッスンプラン、セールスプロモーション、フェス戦略……その全てを紗代子の勝利のために捧げたんだと、胸を張って言えるのか?
「なぁに、今日だってあともうちょっとだったんだ。次にあのステージに立つのはお前さ。そしたら胸を張って、“あの子”に言えるだろ──私、こんなすごいアイドルになれたよ、って」
「プロデューサー……」
こうして一歩また一歩と、君とゴールへ近づく時間。いっしょに走り続けていく時間を終わらせたくないんじゃないのか?
自分にとって“心地好い二人三脚”を、失いたくないだけなんじゃないのか?
「──そんなこと、あるもんかよ」
不快な囁きを散らすように、小さくけれど確かに頭を振った。
「プロデューサー?」
「……いや、なんでもない。邪魔にならないよう、そろそろ戻ろうか──ほら、預かってた眼鏡だ」
「……ありがとうございます、プロデューサー」
眼鏡を受け取った紗代子の身体が離れていく。なんてことはない。いつも通りの、“プロデューサー”と“アイドル”の距離に戻るだけだ。
「それと今日の反省会もしないとな──次こそあのステージに立って、紗代子の夢を叶えるために」
「……はいっ!───────!」
プロデューサーがアイドルの夢を踏みにじるなんて、そんなことあっちゃいけない。絶対にあっちゃいけないんだ……そう何度も自分に言い聞かせた。
プロデューサー。
あなたは気付いてますか?
「──もっとも夢が叶ったら、俺なんて要らなくなるかもしれないな」
そう嘯くあなたの口元が醜くつり上がっていることに、あなたは気付いているんでしょうか。
「──悪い、そんなつもりじゃあなかったんだ」
そしてその後、どれだけ苦しそうに眉根を寄せているのか、あなたは気付いていないでしょうね。
「──そんなこと、あるもんかよ」
あなたが“舞台裏”でしか見せない歪んだ笑顔に、私がどれだけ救われているのか……あなたはきっと気付くことはないんでしょう。
──醜くて卑怯でちっぽけなのは、私だけじゃないんだよって。
プロデューサー。
いつからだと思いますか?
「──ほら、預かってた眼鏡だ」
今の私は、あの子との約束を果たすことよりも。
いつもよりあなたに一歩近づける──この時間があるから、どんな辛いことにも耐えられる、頑張れる。
この時間のために、アイドルを続けていきたいと、思うようになったのは。
プロデューサー。
知っていますか?
「──次こそあのステージに立って、紗代子の夢を叶えるために」
夢って、叶えたらそこで終わりなんですよ。
でも、それって当たり前のことで。終わりがあるからがんばれるし、無茶もできるんです。終わらない夢に向かってがむしゃらに走り続けられるほど、私は強い人間じゃないんです。
それに、新しい夢を見つけてまた走り出せるほど、私は器用な人間じゃありません。
だから私はいつも、こう応えるんですよ。
「……はいっ、“次”はトップを目指しますね!」
プロデューサー。
あなたは最後まで、いっしょに走り続けてくれるでしょうか。
了
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