五更瑠璃「それで、飲むの? 飲まないの?」高坂京介「わかった……頂くよ」 (12)

高坂京介は高坂桐乃の兄である。

兄弟仲は京介が高校2年に上がるまでは最悪で、ひょんなことから妹の桐乃のオタク趣味が発覚して兄妹のわだかまりは薄れた。

そもそも桐乃は実の兄である京介に異性としての好意を抱いており、そうとは知らずに京介は才能溢れる妹に劣等感を抱き、距離を置いて接していて、その兄のよそよそしい態度に桐乃は反感を抱き、兄弟仲は拗れていた。

どちらが悪いということはなくどっちもどっちという長い兄弟喧嘩を続けていた2人の関係は一見複雑なようでその実、簡単だった。

単純にコミュニケーション不足だったのだ。

見た目は全然似ていない癖に、変なところで似通っているのは流石兄弟というべきか。

何はともあれきっかけは何でも良く、適度に言葉を交わしてお互いを知ろうとする努力をすればいずれ分かり合えるのは必然である。

「まさかお前がそんなことを言うとはな」
「私だって、少しは人間的に成長したわ」

不敵に笑うと彼はさも嬉しそうに破顔した。

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「にしても相変わらず、暑苦しい格好だな」
「ふん。余計なお世話よ。ほっといて頂戴」

季節は夏。
日本には四季があって、毎年夏が来る。
趣味で自作しているゴシックアンドロリータ服に身を包む私には苦手な季節と言える。
とはいえ、別段嫌いなわけではないけれど。

「あなたの妹の季節がまた来たわね」
「桐乃の? ま、確かに夏ってイメージだな」

高坂桐乃と出会ったのは初夏の秋葉原。
オフ会の会場で私はあの女と同席した。
派手なブランド服に身を包んだ彼女とゴスロリ服に身を包んだ私は周囲から浮いていた。

まるで正反対の私たちは当然ながら反りが合う筈もなく数えきれない衝突を繰り返した。

今思えば、それこそが口数の少ない私にとっては"適度"なコミュニケーションだった。

「今日は"白猫"にはならないのか?」
「お望みとあらば、変身しても良いけど?」

今ではこうして自然に、彼女の兄である京介を揶揄うことだって出来るようになった。

「もう少し、ドレス姿を堪能させて貰うよ」

ふむ。その言い回しは悪くないわね。
この男も随分言うようになったものだ。
せっかく仕立てたドレスを会って早々に脱ぐのは些かつまらない。女心を理解している。

「流石、大学生は女慣れしているわね」
「お、女慣れなんてしてないっての!」

半眼を送ると彼は心外そうに反論してきた。

「合コンとかコンパはどうも苦手でさ」
「盛大に滑る様が目に浮かぶわ」
「うるせえな! 人のこと言えんのかよ!?」
「私は存在そのもので空気を破壊出来るわ」
「どこの裏面のラスボスだよお前は!?」

ああ、楽しい。この私が屈託なく笑うとは。

「あの、黒猫?」
「何かしら?」
「お前、そんなに表情豊かだっけ?」
「だから、人間的に成長したのよ」

あなたに子供と思われないように少し大人ぶってしまう自分がおかしくて、また笑った。

「少し歩くか」
「ええ。せっかくのお天気だものね」

待ち合わせ場所の秋葉原駅から電気街方面へと歩調を揃えてゆっくりと歩きだす。
駅の構内を出ると日光が容赦なく降り注ぐ。

「手に持った日傘、差さないのか?」
「ええ。この程度の灼熱、黄泉の冷気を身に纏う私にとっては何ら意味をなさないわ」
「相変わらずの厨二っぷりだな」

だって、日傘であなたの顔が隠れて見えなくなるのが嫌だから。なんて本音は言わない。

そんな私の痩せ我慢を知ってか知らずか、彼はなるべく日陰を選んで進んでくれて、路地に設置された自動販売機の前で尋ねてきた。

「ドクペとマッカン、どっちがいい?」
「究極の2択ね」
「秋葉原の自販機と言えばこの2択だろ」

すっかりこの道のプロのような口ぶりで秋葉原に馴染んだ様子の彼に甘えて、私は選ぶ。

「あなたと違うものを飲みたいわ」
「じゃあ、俺はドクペで黒猫はマッカンな」

ガタンッガタンッと、受け取り口に飲み物が入った缶が落下して、彼はそれを拾いあげると、おもむろに私の頬に冷たい缶を当てる。

「どうだ? 黄泉の冷気よりはマシだろ?」
「……五分五分よ」

そんな戯言よりも無邪気な彼の笑顔の方が私にとっては重大で、頬が熱く火照っていた。

「んぐっんぐっんぐっ……ぷはーっ!! くぅ~っ!! ドクペ美味えーっ!! もう、この瞬間の為に生きてるって感じがするぜ!!」
「いくらなんでも大袈裟過ぎよ」

まるで風呂上がりにビールを煽るサラリーマンのようなリアクションをした京介にツッコミつつ、私もマッカンのプルタブを開けて、甘すぎる練乳入りコーヒーを口に含んだ。

「どうだ、そっちも美味いか?」

感想を尋ねる京介。この刻を待っていたわ。

「飲んでみる?」
「へ?」
「あなたの奢りなんだから遠慮は不要よ」

ずいっと黄色いマッカンを差し出すと、彼は私が口付けた飲み口を凝視しながら、喉仏を上下させて生唾を飲み込んだ。想定通りね。

「いや、俺はドクペあるし……」
「実は私も、あなたのさっきの飲みっぷりを見せられて、ドクペを飲みたいのだけど」
「じゃ、じゃあ、もう1本買うから……」
「無駄遣いはダメよ。何のためにお互い別々の飲み物を買ったと思っているの」
「は、初めから、このつもりで……?」
「変な言いがかりはやめて頂戴」

無論、このシチュエーションは入念な計画に基づいて進行している。彼に選択肢はない。

「それで、飲むの? 飲まないの?」

即断即決を迫ると、ついに京介は観念した。

「わかった……頂くよ」
「ふっ……それでいいのよ」

勝った。支配欲が胸を満たす。しかし彼は。

「なあ、黒猫」
「何よ、今更怖気づいたのかしら?」
「どうせなら口移しのほうが嬉しいなって」
「く、口移し、ですって……!?」

この男、この私に大衆の面前で、"森に生きる山犬の姫"のような真似をしろだなんて。

「なんだ、出来ないのか?」
「だ、だって、人目が、その……」
「じゃあ、俺からしてやるよ」
「ふぇっ!? ま、待って、心の準備が!」
「いいから、目閉じろ」

強く言われると逆らえず、私は目を閉じた。

「よし、もう開けていいぞ」
「はえっ?」
「残念。ドクペはもう飲んじまった」

私が目を閉じている間に京介はドクペを飲み干したらしく、空き缶をゴミ箱に捨てた。
揶揄われたと気付いて、こちらも飲み干す。

「ふん。あとで必ず後悔するわよ」
「もうすでにだいぶ後悔してるよ」
「それなら……まあ、いいけど」

駄々を捏ねる子供を宥めるのが彼は上手い。

「なあ、黒猫。ひとつ聞きたいんだけどよ」
「何よ、改まって」

日陰の自動販売機の横で道ゆく秋葉原客を眺めながら、彼は何気なくこう尋ねてきた。

「俺とお前ってもう終わった関係なのか?」

誰かがカンッと空き缶を蹴った音が響いた。

「……そんなことを訊くのは無意味だわ」

暑い。マッカンの甘さで、酷く喉が渇いた。

「私とあなたは今、こうして一緒に居る」

伝わっているだろうか。私の言葉の真意が。

「そっか……そう、だよな」
「ええ、そうよ」

何が、"そう"なのか。自分でもわからない。

「黒猫。いや五更瑠璃。お前に頼みがある」
「……はい」

知れず、敬語になる。期待に胸が高鳴った。

「俺におしっこをかけてくれ」

雑踏の音に紛れて、おかしな単語が届いた。

というのが、その日起こった全てである。

あくまで主観的なものなので京介があの時、何を思ってあのような妄言をほざいたのかは定かではないが、私はそれなりに傷ついた。

そのまま無言で踵を返して電車に飛び乗り、車内で泣きじゃくるくらいには傷ついた。

あのあと、何度も京介から着信が入っていたが全てを無視して彼の幼馴染みに告げ口して鉄拳制裁を依頼する程度には傷ついたのだ。

しかし、それで癒えるくらいの軽症である。

「もしもし、私だけど」
『すまん! 黒猫! 俺が悪かった!!』

彼の幼馴染みから矯正完了の報告を受けて、久しぶりに連絡してみると開口一番に謝罪をされたのだが、こちらの用件は別だった。

「今、私トイレに居るのだけど」
『は、はい? トイレ? なんで?』
「お、音だけでも、いいかしら……?」

かけるのは無理。でも音だけなら頑張れる。

「私のおしっこの音、聴かせてあげるから」
『黒猫、お前……無理、してないか?』
「し、してないわよ! 黙って聴きなさい!」

多少無理しなければ、関係を取り戻せない。

『わかった。黒猫の放尿音を聴かせて貰う』

何故だろう。受話器越しの彼が愛しかった。

「ちょっと待って。今、近づけるから……」
『ああ、頼む』

私は何をしているのか。我ながら、愚かだ。

「たぶん、この距離なら聞こえると思うわ」
『わざわざ悪いな』
「い、いいのよ。このくらい、平気だから」

そう、平気。彼が望むなら応えてあげたい。

「あの、京介」
『どうした、瑠璃』
「け、軽蔑しないで……!」

私の願いは、それだけだ。嫌われたくない。

『軽蔑なんかしないよ』
「京介……」
『惚れてる女の放尿音とか、ご褒美だろ?』

み、耳が幸せ過ぎて脳汁が溢れちゃうわ。
どうしよう。どうしよう! 嬉しすぎる!
愚かにも録音していないことを悔やんだ。
ああ、京介。逢いたい。けど、今は無理だ。

「いつの日か必ず、私は今よりもっと人間的に成長を遂げて、あなたに尿をかけてあげるわ」
『ああ。その日を愉しみに待ってる』

そしてその時こそ停まった関係を動かそう。

「今はこれが……私の精一杯よ」

ちょろっ……と、はしたない水音が響いた。

『フハッ!』
「ひっ!?」

受話器越しに伝わる彼の愉悦に、震えた。

ちょろろろろろろろろろろろろろろろんっ!

『フハハハハハハハハハハハハッ!!!!』

トイレの個室内に響き渡る京介の哄笑と、勢い良く噴出する、私のおしっこのせせらぎ。
それは明らかに異常で異質で、狂っている。
だからこそ、常軌を逸した愛の深みがある。

『ふぅ……ありがとな、瑠璃』

感謝なんてされる謂れはない。お互い様よ。

「こちらこそ……お粗末様でした」

だからそう返すと、彼はクスクスと嗤って。

『すげー逢いたい』
「ばか……また、今度ね」

今はひとまず、ここで通話を切ろう。
焦る必要はない。季節はまた巡ってくる。
彼と再会するその日を愉しみに、私はこの現実世界で人格的に成長して、備えよう。

「だってあなたは未来永劫……いえ、"私"は、未来永劫……あなたの虜なのだから』

私は黒猫。高坂京介に呪いを返された女だ。


【俺の黒猫がこんなに成長するわけがない】


FIN

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