【艦これ】神風「最初の一人」 (819)

まだ朝の冷ややかさが残るとある鎮守府。

その敷地内の端に位置する建物の廊下に俺達は立っていた。

男「中々立派な部屋ですね」

扉の前で俺はそう言った。

勿論言葉通りの意味ではない。

他の部屋とは明らかに材質の違う頑丈な壁。

ちゃちなドアノブがあまりにも不釣り合いな堅牢な扉。

間違いなく中からではなく外から監視するためにある覗き穴。

これを牢獄だと言って否定する者はいないだろう。

普段から使われていないのか一切の気配を感じられないこの建物の中でさえ異質と言えた。

提督「でしょう?上から口酸っぱく言われましてね。可能な限り"いい"部屋になってますよ」

そう言って隣の男は肩を竦める。

俺と殆ど変わらない身長で、軍人とは思えないほどの細身を白い軍服で包み、いかにも知将といったふうな黒縁の眼鏡と、それとは対称的に柔和な顔立ちをしている。

どうやら俺の言葉がいくばか皮肉を含んでる事は理解しているようだ。

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男「最後に、もう一度その時の状況を聞かせてもらっていいですか?」

提督「もう一度?報告書に事細かにまとめたはずですが」

男「こういうのは本人に直接聞いた方がいいんですよ」

提督「ほほう。なんだがプロっぽくていいですね」

自分をプロ、と言っていいのかは分からないが理由はそんなんじゃない。

上を通して届けられる文字の羅列なんて一切信用が出来ないというだけだ。

提督「そうですね、報告書と違って長々と書く必要もないので要点だけ話しましょう」

男「お願いします」

言葉の端から伝わってくるくだらないしきたりへの反骨精神に思わず頬が緩んだ。

早朝この鎮守府に到着してからこの部屋に来るまでの僅かな時間だけだが、基本的にこの男の印象は悪くない。

提督「この鎮守府もそこそこ大きくなってきましてね、戦力の拡大をと既存の建造方法で、狙いとしては駆逐艦か軽巡ですね」

自分の艦隊の成長が嬉しくて仕方ないと言うような顔で話すこの男が、少し羨ましく思えた。

提督「材料の方は割愛しますが、ともかく建造方法は特に異常はありませんでした。ですから彼女の姿を見た時は正直かなり混乱しましたよ」

「彼女」という単語を素早くインプットする。

良かった。

少なくともこの男は艦娘を人として扱っているようだ。

少しだけ肩の力が抜ける。

提督「身体の大きさから見て駆逐艦なのは間違いないと思いますが、服装や装備がこれまで目にしたものとはまるで違うんですよ。ウチの艦娘達も心当たりはないと言いますし、お手上げです」

少なくとも同型艦はいない、か。

まあそういった新型の艦娘だからこそ俺が呼ばれているわけだが。

提督「本人も記憶は一切無し。とりあえずは、保護、して。上に連絡を取って今に至る。とまあこんな感じですかね」

"保護"という柔らかい表現ですら躊躇する辺よほど彼女が心配なのだろう。随分と優しい男のようだ。

男「彼女の様子は?」

提督「会話は出来ます。身体も特に問題はありません。艤装は使い方が分からないので展開出来ないようですが」

男「それを聞いて安心しましたよ」

提督「…やはりそうでない場合も?」

男「無言で撃たれたパターンはまだ2回しかありませんよ」

提督「…」

察してくれたようだ。

提督「これがこの扉の鍵です。窓は格子が付いてますし、一応は唯一の出入口です」

男「確かに」

受けとった鍵に付いている兎のキーホルダーについては後で聞いてみるか。

提督「破壊による強行突破の際はこちらが責任をもってあたりますが、扉からの逃走はそちらの問題になりますのでよろしくお願いしますよ」

男「ええ。お互い責任がありますから」

提督「お昼前までに執務室まで来てください。昼食の後にここを案内しますので」

男「分かりました」

提督「それでは私はこれで」

そう言うと今しがた来た廊下を戻っていく。

男「…」

なんとなくその後ろ姿をじっと見てみる。

あ、振り返った。

一瞬目が合ったかと思うと物凄い速さで向き直し早歩きで曲がり角へ消えていった。

そこまで恥ずかしがらずとも…

よほど心配なようだ。

男「さてと」

解れた緊張を繋ぎ直す。

覗き穴から扉付近に彼女が居ない事を確認してドアを開ける。

音を立てないようにドアを閉め靴を脱ぐ。

さて報告通りならば…

部屋は扉を開けてすぐの部屋のみ。彼女を探すのは難しくない。

奥の方に置かれているベットに目をやる。

男「…」

「ン~」

寝ている。せっかくの集中力が一気に霧散する。

男「緋色…」

彼女の姿を見て思わず呟いてしまった。

色というのも艦の大切な判断材料になるのだが、しかし緋色なんて色の艦あったか?

「ムニャムニャ…」

…むにゃむにゃなんて本当に言う奴がいるとは。

男「さてどうするかな」

寝ている以上無理に起こしてもしょうがない。

「ンッ…スー」

反応、のようなものがあった。聞こえてはいるらしい。

男「さっさと執務室に行っちまうか」

くるりと向きを変え扉に向かおうとしたその時だった。

「行かないで」グィッ
男「おぉ!?」

ズボンの裾を引っ張られた。

振り返ると彼女は目を擦りながら俺を見つめていた。

「ん、え~っと?貴方は?」

男「俺は、男ってんだ。よろしく」

あまりに急な事に頭がフリーズした。まるで機械のようなギクシャクした挨拶をしてしまう。

「よ、よろしく。私は、私…は……ふにゃ」パタン

1度起こした体が再び布団に倒れる。

男「…oh」

桜模様があしらわれた緋色のパジャマから臍と右の肩が顕になっている。

まるでメデューサのようになっているボサボサな紅色のロングストレートが彼女の寝相の悪さを如実に物語っていた。

報告1:自身の記憶を呼び起こそうとすると気を失う。

なるほどそのようだ。

また長くなりそうな話を…

タイトル通り嘘偽りなく神風の話です本当です。
基本的に神風えっちいなと思いながら書いているので秋刀魚や鰯を獲るついでにでも読んでいただければ幸いです。

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提督「大体寝てるんですよ。原因は、まあ記憶の欠落なんでしょうね。心理学とか脳科学とかそういう分野の話なんでしょうか」

男「でしょうね。彼女が人間だったら、ですが」

場所、執務室。

結局気絶した彼女はその後目を覚ます様子がなかったため早々に切り上げる事となった。

テーブルを挟んで置かれた二つのソファにお互い向かい合うように座る。

叢雲「はいコーヒー。熱いわよ」

男「ありがとう」

俺と提督の間の机にコーヒーが2つおかれる。

叢雲「何かいるかしら?」

男「いやこのままで結構だよ」

ここの秘書艦は叢雲だという。

腰まである薄らと雲のかかった空の様な色のロングヘア。姉妹艦の中で唯一ワンピースの様になっている白の制服。鋭い目付きとそこから覗くオレンジ色の大きな瞳。

駆逐艦らしい矮躯には不釣り合いな言動に不思議と違和感を抱かせない独特の雰囲気があった。

叢雲「あらブラック?ウチの司令官と違って大人ね」チラ

提督「一言多いよ」

チラと提督の手元を見ると既にミルクが2つ空けられていた。

叢雲「ねえアナタ歳は?」

提督「叢雲、あまり馴れ馴れしくするもんじゃ」
叢雲「いいじゃない。これから暫くはここにいるんでしょう?」

男「構いませんよ」

叢雲「で、幾つなのよ。四十手前?」

男「…三十一歩手前だ」

叢雲「あら、えーっと。深みのある顔ね!」

男「一言多いわ」

思わず素が出てしまった。

提督「君ねぇ…」

叢雲「てへっ」

チロと舌を出しておどける。

悪びれる様子はない。

叢雲「というかアナタ達殆ど同年代じゃない。よそよそしく敬語なんて使ってないでもっと馴れ馴れしくしなさいよ」

提督「君はもう少し馴れ馴れしさを抑えた方がいい」

男「お互い立場もあるんだよ」

叢雲「はぁぁめんっどくっさいわねえ」

これだから人間は、と呟きながら隣の部屋に消えていく。

コーヒーを持ってきたし簡易的な台所があるのだろうか?

提督「悪いね。まあ彼女いつもあんな調子なんでよろしくお願いします」

男「ああ、よく分かりましたよ。よそよそしいよりはいい」

提督「そう言ってくれると助かりますよ」

お互いに少し口調が砕ける。

男「で、彼女の事だが」

提督「ええ、見てもらったのなら大体わかったと思いますが」

男「初対面の時もあんな感じで?」

提督「とりあえず自己紹介をと名乗ったらその後にパタン、と。その後も何回も会話はしたけれど、長く話していると段々意識が薄くなっていくようで」

男「意識に絶対量でもあるのか。だとしたら確かに記憶の欠落が原因なんでしょう」

提督「というと?」

男「記憶も知識も積み重ねです。こうした会話ですら例外ではない。言葉やイメージ、相手の表情。色々な情報を無意識のうちに俺達は処理してる。

そしてその処理は生まれた時から今日までの全てに支えられているものです」

叢雲が運んできたコースターを手に取る。

男「勉強でもよく言われる土台が大切というのは生きる上で殆どの事に当てはまる」

コースターを机に置き、その上に残り半分となったコーヒーのカップを乗せる。

提督「土台があるから乗せられる、と」

男「ええ。でもこの積み重ね以上の物は乗せられない。鎮守府の作戦書なんかを俺が読んでも、気絶とまではいかなくてもきっと知恵熱がでるでしょうよ」

提督「買い被りすぎだよ。書類は所詮書類です」

照れと苦悩が入り交じったようなその顔は、彼がここの提督である事を改めて実感させた。

男「ところが彼女はその土台がない。タチが悪いのはまるっきり無いのではない事だ。会話や最低限生活に支障がない程度にはある。その中途半端さが原因でしょう」

叢雲「土台がまるでないなら赤子のように何でも吸収できる。なまじ変に土台が残っているせいで受け止め損ねて、中身のコーヒーをぶちまけてショートする、ってことかしら」

男「正解。かどうかは分からいけどな。少なくとも俺はそう思った」

隣の部屋から戻ってきた叢雲は自分用らしいカップを手にしていた。自分のコーヒーを作っていたのだろう。

ウサギの顔が描かれたカップだ。

提督「なるほど。その継ぎ接ぎだらけの記憶を戻していかないといけないわけか」

男「おそらくは」

提督「大変な仕事だね」

男「他人事じゃあないですよ。下手すりゃ1年ここにいる事になるかもしれないんだ」

提叢「「1年も!?」」

男「最高記録は358日。後は大体2ヶ月以内で長かったのはそれっきりですが」

提督「そんなに大変なのかい!?"最初の一人"というのは」

男「聞いたことはないので?」

提督「そういう事がある、というのは…もちろん色々な根も葉もない噂も。でもこうして実際に目の当たりにするとは思いもよりませんでしたよ」

叢雲「…」

叢雲はコーヒーを飲みながらじっとこちらを見つめている。こちらも必要以上にこの件を知ってはいないようだ。

そして何故か提督の横に座ったりせず彼の座るソファーの背もたれの部分に後から前のめりで寄り掛かる形で落ち着いている。

男「知らないのは当然ですよ。むしろ知っていたらまずいくらいだ」

提督「迂闊に喋ると消されたり?」

男「正直笑い事じゃないですよ。トップシークレットと言っても過言じゃない」

提督「マジですか」

冗談半分だった表情が凍る。

男「マジです」

男「艦娘は、こういう言い方はあまり好きではないが基本的にはコピー、クローンというべき存在です。少なくとも鎮守府の数だけ同じ艦娘がいるようなものだ」

叢雲「そうね。私も何度か、何人かの私と顔を合わせたことがあるわ」

男「でもコピーやクローンだとして、ならば当然元となるオリジナルがいるはずだ」

提督「かつての駆逐艦叢雲こそがそれに当たるんじゃないんですか?」

男「そういう見方もあります。それが正しいのかどうか結局のところ誰も分かっていないのが実情ですが」

叢雲「アナタはそう見てはないみたいね」

男「建造できる艦娘の種類は年々増えている。しかしそれはなぜだと思います?」

提督「そりゃあレシピというか、新しい建造方法が見つかっているからじゃないですか」

男「それは建造しやすい方法というだけです。建造可能な艦娘が増えているのは新たにオリジナルが発見されているからです」

叢雲「オリジナルねえ」

男「本当に突然、なんの前触れもなくそれまで建造では確認されていなかった艦娘が生まれる事があるんですよ」

叢雲「今回みたいに?」

男「まさしく」

提督「肝心な部分は妖精さんまかせだからなあ。何をどうやっているのやら」

男「それがわかれば苦労しないんですが…ともかくそうやってある日急にオリジナル、最初の一人が生まれる。そうするとこれまた不思議な事にその艦娘が各鎮守府で建造可能になるんです」

叢雲「なにそれ」

提督「ゲームとかのアンロック機能みたいな感じだね」

叢雲「あー確かに」

どうやら2人とも思い当たるものがあるようだ。

男「…」

ゲームなんてやらないから全然わからんな。

男「ただ少し条件があるんです」

提督「条件?アンロックの?」

男「そう。多分そう」

叢雲「あ、それが記憶ってわけね」

叢雲が手に持ったコップを俺の方に掲げる。

その体制だと零れたら確実にソファーが、最悪提督の肩もアウトになりそうで怖い。

男「そういうことだ。記憶が元からあるなら問題ないが今回の様に記憶に欠損がある場合それを取り戻さないと行けないんですよ」

提督「…でも記憶と言っても何を忘れているかなんて外からじゃ分からないでしょう?完全に記憶を取り戻したかどうかは何処で判断するんですか」

鋭い質問だな。流石は提督と言うべきか。

男「言い方が少し悪かった。正確には記憶というより、名前なんですよ。恐らく」

叢雲「名前って、叢雲とか?」

男「そう。自分が誰なのか、どういった船だったのか。経験則ですがそれがトリガーになっていると思います」

提督「なるほどね。真名か。なんだかカッコイイね」

叢雲「またそうやって変な想像して」

提督「変じゃないでしょ変じゃ」

男「期間にバラツキがあるのもこれが原因でしてね。外見の特徴や他の記憶から艦名を特定できれば直ぐに記憶は戻るんですが」

叢雲「今回みたいにヒントゼロ記憶なしだとどうなるかってわけね」

男「ああ」

男「言い方が少し悪かった。正確には記憶というより、名前なんですよ。恐らく」

叢雲「名前って、叢雲とか?」

男「そう。自分が誰なのか、どういった船だったのか。経験則ですがそれがトリガーになっていると思います」

提督「なるほどね。真名か。なんだかカッコイイね」

叢雲「またそうやって変な想像して」

提督「変じゃないでしょ変じゃ」

男「期間にバラツキがあるのもこれが原因でしてね。外見の特徴や他の記憶から艦名を特定できれば直ぐに記憶は戻るんですが」

叢雲「今回みたいにヒントゼロ記憶なしだとどうなるかってわけね」

男「ああ」

提督「ちなみに最長記録の一年以上ってのはどういう感じで?」

男「記憶自体はそこまで欠落していなかったんですが、その艦娘ってのが海外の船でね」

叢雲「そういえば海外艦って建造可能よね。あまり気にしたことはなかったけど」

男「大変でしたよ。海外艦なんて予想外なところの資料なんてなかったから全部一からで。海外から資料取り寄せるだけで一苦労ですから」

提督「それで1年ですか」

男「殆ど事務作業みたいなものでしたがね。お役所ってのはどうもこういうのに弱い」

提督「それで」

提督が少し姿勢を正す。これが本題といった感じだ。

提督「答えられる問じゃないとは思うけれど、今回はどう思います」

男「…初めて、ですよ」

提督「初めて?」

男「あそこまで記憶がない事が、です。実際今日見てみるまで半信半疑な所があった…」

提督「…」

叢雲がコーヒーを啜る音だけが部屋に響「熱ッ!」

……

叢雲「な、何よ…」タジッ

男「まあ暴れるような心配もないですし、気楽に気長にいきますよ。焦る必要も無い」

提督「ですね。丁度お昼ですし、昼食に行きましょう。食堂とか色々案内するんで」

男「頼みます」

提督「いやいや、長い付き合いになりそうだからね」ハハハ

男「そのようだ」ハハハ

叢雲「ちょっと!何あからさまに無かった事にしてんのよ!ホットミルクぶっかけるわよ!」

提督「君が勝手にやった事だろ!なんで切れてるんだよ!」
叢雲「五月蝿い!」
提督「だー待て落ち着いて!デザート分け、いやあげるから待って!」

男「…」

コーヒーではなくミルクだったか…

この情報は、頭に入れておくとしよう。

量を減らして確実に更新していったほうがいいのではというのが前回から得た教訓

例えば「はじめまして!吹雪です!」と名乗られなければ私達は彼女を吹雪と認識できない、というような話です。
初期艦贔屓で叢雲頼もしいなあと思いながら書いていきます。

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【食堂】

提督「流石に慣れてますね」

男「慣れてる?」

叢雲「男女比率が1:100の環境に、よ」

辺りを見渡す。

食堂には俺たちの他に50人ほどの艦娘がそれぞれ昼食をとっている。

昼は出撃や遠征などでまばらなので夜はさらに増えるだろう。

男「改めて言われると確かにすごい環境だ」

叢雲「それはこの戦争にも言えることだわ」

提督「まったくだね」

昼食は私が魚定食。向かい側の叢雲が唐揚げ丼、提督がカレーだ。

この鎮守府には本来提督以外の人間はいない。

人口の多い都市部などを守る主要な鎮守府以外は基本的にそんなものだ。

今ここには俺の提督以外は全員女性という事になる。

もっとも言葉で聞くほどいい環境ではない。

仮にも軍の施設だ。確かに比較的規模は小さいがそれでも国防の要の一つである。そんな鎮守府に何故人がいないのか。

政府や上層部も馬鹿だけで構成されているわけじゃない。

当然理由がある。

こうならざるを得ないだけの理由が。

"人"と"艦娘"を隔てる理由が…

叢雲「それにしてもいきなり魚とはね」

男「ん、何がだ」

叢雲「アナタの昼餉よ」

男「不思議か?」

提督「外部の人間はたいていカレーや麺類を選ぶね」

男「なるほど」

確かにそこら辺を選んでおけばまず不味いということはあまりないだろう。

叢雲「何かこだわりでもあるの?」

男「長居する事になりそうだからな。定食の味を知っておく事が大切なんだ」

提督「へえ。やはり鎮守府毎に味が違ったり?」

男「そうだな。地元で何が捕れるか作られているかにもよる。10を超える鎮守府を回ったが、そのうちグルメ本でも出せそうだ」

叢雲「他所の鎮守府か~。興味深いわね」

男「オススメできない所ならいくつか教えてやろうか?」

叢雲「…ご忠告どうも」

提督「我が家が一番ってことだよ」

叢雲「住めば都かもしれないわよ」

男「生まれ故郷が一番だよ。艦娘には」

提督「そういうものなのかい?」

男「経験則では」

提督「そうなのかい?」

叢雲「さあね」

飛龍「」ツンツン

提督「ん?どうした飛龍」

何故かこっそりと提督に近づき肩をつついたのは正規空母、飛龍。

橙色の着物と緑色のミニスカートのような袴。明るい茶髪のショートヘアと柔らかい表情は見た目よりもいくばか幼さを感じさせる。

彼女が来た方を見ると複数の艦娘が何やら興味深そうにこちらを見ている。

話しかけづらい転校生に誰が声をかけるかといった結果飛龍が挙げられた、という感じか。

飛龍『この人が前に言ってた派遣のリーマン?』

提督「認識は間違ってなくもないけど、そんな言い方はしてないよ」

飛龍『あはは冗談冗談。えーっと』「私は飛龍、よろしくね」

言葉を聞いて理解した。

あぁ、なるほど。

これが彼女が挙げられた理由か。

男「調査官の男という者だ。大本営直属、と言えば聞こえはいいが提督という身分と大して違いはない。私も君達に頼る事があるだろうし気軽にしてくれ」

飛龍「な~んだそっかそっか。てっきり提督がなんか悪い事してバレたのかと」

提督「君達もう少し提督を信用してくれてもいいんだよ?」

叢雲「アンタももう少し信頼されるような働きを見せてくれてもいいのよ?」

提督「働いてない?僕結構頑張ってない?」

飛龍『でも実際前線に出てるのは私達だしね~。もう少し労わって欲し~な~』

提督「人の酒勝手に持ち出すような奴がよくもぬけぬけと…」

飛龍『げっ!』

提督「げっじゃないよバレてるに決まってるだろう」

飛龍『いーじゃん!どうせ提督たいしてお酒なんてわからないくせに!』

提督「この口か!この口が言うか!」

ギャーギャーワーワーと、喧しくて、騒がしくて、賑やかだ。

それが少し羨ましい。

男「それともうひとつ」

飛龍『イタタタタほっぺ伸びる伸びる!ん?』


男『私と話す時、君を通す必要は無いよ』


飛龍『…へぇ』

叢雲「…」

提督「…ん?」

飛龍『ひょーかい、みんはにふはいほふね』

叢雲「手ぇ離しなさいよ」

提督「あ、スマン」パッ
飛龍「ブヘッ」

艦娘の頬も人間とそう変わらないらしい。

飛龍が元のグループ、どうやら空母の集まりらしき所へ戻っていく。

彼女達の楽しそうに話すのを受けてか食堂全体の空気が少し緩んだように思えた。

提督「すまないね、お見苦しいところを」

叢雲「全くよ。冷める前にさっさと食べなさいな」

男「いや。随分と仲がいいようで安心しましたよ」

提督「安心?」

男「そうでないところもあるという事で。まああまり気にしないでください」

提督「なるほど、ね」

ふいに食を並べているテーブルの下から軽快な音楽が鳴り出した。

この声は確か那珂という軽巡の歌だ。

提督「おっと、ごめんごめん」

叢雲「連絡?」

提督「やっば遠征帰ってきてるって」

叢雲「そういえば予定がずれ込んでたわね」

提督「ごめん叢雲。行ってくる」ガタ

叢雲「カレーどうすんのよ」

提督「お好きに、食べてもいいよ」

叢雲「はいはい」

提督「急でごめん。案内の方は叢雲に任せるからゆっくり食べててください」

男「了解」

叢雲「ほらさっさと行ってあげなさい」

提督「ああ」ダッ

特に怒るでもなくヒラヒラと手を振る叢雲。

よくあることなのだろう。

男「彼は何を?」

叢雲「出撃や遠征の帰りは必ず迎えにいくようにしてるのよ。報告やらもそこでね。過保護なのよ」

男「いい人じゃないか」

叢雲「甘いのよ。皆にも、自分にも」

そう事も無げに言うとお茶を豪快に飲み干す。

男「甘い、か」

叢雲「子供扱いして」ボソッ

男「ん?」

叢雲「なんでもないわ」

当然聞こえていた。

が、彼女が初めて口にした不満にあまり触れるべきではないと思った。

叢雲「それにしても、驚いたわよさっきは」

唐揚げ丼をペロリと平らげ提督の残したカレーに手をつけ始める叢雲。

艦娘は基本的によく食べるものだと知ってはいるが目の前でこれだけの量を当然のように食す様はやはり壮観である。

提督「さっきとは?」

叢雲「飛龍の事よ」

提督「ああ」

締めの味噌汁を啜る。

うむ、好みの濃さだ。グルメ本を書くなら星三つだろう。

提督「喋れる事、か」

叢雲「そ。確かに調査員なんだしそれくらい当たり前なのかもしれないけれど、提督でもないのに実際に喋れる人間を見たのは初めてよ」

男「逆だよ。調査員だから喋れるんじゃない。喋れるから調査員になれたんだ。いやそもそも調査員なんてものが出来たのも俺がいたからだしな」

叢雲「へえ、何か事情があるってとこかしら」

男「そんなところだ」

叢雲「アナタも苦労してるのね」

男「君もか」

叢雲「皆苦労してるのよ」

男「世知辛い世の中だな」

叢雲「甘いのはカレーくらいなものよ」

男「カレーといえば」

叢雲「なによ?」

男「普通に食べるんだな」

叢雲「普通?どういう意味よ」

男「そのスプーン提督が使ってたものだろ?」

叢雲「ええ、そうだけど」

何言ってんだこいつという目で見られた。あまりそういう事を気にする質じゃなかったようだ。

叢雲「そう、だけど…」

まあ間接キスなんて今どき流行らないか。まして見た目は子供とはいえ軍人として日々働く身。そんなことをいちいち

叢雲「…」

男「あれ?」

叢雲「…」プルプル

俯かれた。しかも何か震えている。

頭の、耳?は警告色になっているし。

男「む、叢雲さん?」

叢雲「…辛いのよ」

男「さっき甘いって」
叢雲「五月蝿い!」
男「はい!」

真っ赤な顔でそう喚かれた。

神風を書きたいのに神風が出てこない!

人間と艦娘の違いとかが好きなんです。
楽しそうに笑う飛龍を見守り隊の者として今後も飛龍の話は書いていきます。

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【鎮守府:廊下】

叢雲「ここが男子トイレよ」

男「はい」

叢雲「…なんでさっきから敬語なのよ」

男「いや、なんか、すみません」

叢雲「あーもう!さっきのは忘れなさい!私も忘れるから!いいわね!」

男「えぇ忘れろっても「い い わ ね ?」アッハイ」

おっかねえ。

叢雲「さて、アナタが使いそうな施設はこんなところね。後どこか案内してほしいところはある?」

男「そうだな。ドックとか工廠なんかは必要になったら案内してもらうかな」

叢雲「さいで。あーそうだわ、部屋を忘れてた」

男「おう」

叢雲「一応要望通りあの子の部屋の隣と司令官の部屋の隣、2つを用意したわ。どっちにする?」

男「前者で頼むよ」

叢雲「りょーかい。で、理由は?」

男「2つ用意させた理由か?」

叢雲「ええ。前者を選んだ理由も」

男「一概には言えないが、概ね危険度の違いだな。安全なら側に居た方が都合がいい」

叢雲「なぁんだそれだけなの」

男「一体何を期待したんだよ」

叢雲「もっと私なんかが考えもつかない特殊な理由があるもんだと思ってたわ」

男「提督もそうだが、俺の事を特別視し過ぎだよ。精々カウンセラーもどきみたいなもんだぞ」

叢雲「珍しい仕事だもの、仕方ないでしょ」

男「それはまあわかるけどな」

叢雲「それと、敬語。使わないのね」

男「?どういう事だ」

叢雲「敬語よ。司令官には頑なに使い続けるくせに私達には使わないじゃない。初対面なのに」

男「あー悪い。気に触ったか?」

叢雲「別にそれはいいわよ。私としてはその方が楽だし。でも部外者は皆よそよそしく敬語を使ってくるか、下心丸出しで馴れ馴れしくしてくるかだから気になったのよ」

男「何故と言われるとなぁ。まあ実際の年齢はともかく艦娘って基本的に皆見た目は年下だし、なんとなく子供扱いしてしまうところはあるかもしれん」

叢雲「…へぇ」

男「あ、いや、別に見下してるとかそういう事じゃなくてだな」

叢雲「分かってるわよ。ただ、やっぱりアナタも変わってるわねって」

男「?」

何か妙に納得したという顔をされた。

その賢しら顔がなんだか癪に障るので問いただしてやろうと思ったがどうやら目的地に着いてしまったようだ。

叢雲「ここね」

一階。

鎮守府の端の方にある例の部屋の隣。

まだ彼女は寝ているのだろうか。

叢雲「でこれがこの部屋の鍵」チャリ

男「たしかに」

叢雲「…」

男「?」

差し出された鍵を受け取ろうと手を出したが叢雲は中々鍵を手放さない。

叢雲「ねえ、多分アナタは十二分に分かっていると思うけれど一応言わせて頂戴」

男「なんだよ改まって」

叢雲「他の艦娘と気軽に接触しない事」

男「…」

叢雲「たまにいるのよ、外からのお客様に。まあカワイー女のコばっかりだし?軽率に声をかけたくなるのは分からなくもないけれど」

男「ここも昔何かあったりしたのか?」

叢雲「無いわよ。幸いにも今のところは」

それは、よかった。

叢雲「鎮守府にとって司令官以外の人間は異物よ。それに過剰に反応してしまう娘がいないわけじゃない」

男「分かってるよ。よく」

叢雲「でしょうね。だからまあ、一応よ」

そう言うとようやく鍵を渡してくれた。

男「それじゃ、ご開帳」

隣の部屋と違い1つしかない鍵を開け部屋に足を入れる。

男「おーこりゃいい」

叢雲「急拵えだから簡素なものだけど、気に入ってもらえたなら幸いね」

男「十分だよ。所詮は仕事部屋だ」

部屋は一人暮らしには十分すぎる大きさだ。

大きな窓から午後の日差しがこれでもかと差し込んでいる。

家具はベットと仕事机にタンスのみ。

他はがらんと空いて何も無い。

叢雲「こっちがお風呂。と言ってもシャワーだけなんだけど。トイレは悪いけど向こうの共同の使ってちょうだい」

男「風呂まであるのか」

叢雲「元々人間用に作られてるのよ、ここ。使わなかったからこうして放置されてただけ」

なるほどね。人間用…作業員等を入れる予定があったのだろうか。しかしこの部屋…

男「…」

叢雲「隣とは大違いよね」

男「顔に出てたか?」

叢雲「司令官と同じ顔だったわよ」

男「そうかい」

叢雲「こっちは壁や窓を丈夫にする必要はなかったから広々と出来たわ。キッチンやトイレなんかが欲しいなら言ってちょうだい」

男「そこまでしてもらう気は無いよ」

叢雲「あ、勿論予算はそっち持ちよ?」

男「尚更いらん」

男「さて、後は荷物運びか」

叢雲「そう言えば外に止まってたのってワンボックスカーよね?そんなに荷物あるの?」

男「俺自身の荷物は少ないさ。男だしな。問題は仕事関係の方だ」

叢雲「手伝いはいる?」

男「んー正直欲しい」

叢雲「なら丁度いいわ。紹介しておきたい娘もいるしね」

男「紹介?」

叢雲「えぇ」

そう言うと恐らく仕事用であろう端末を取り出して連絡を取り始めた。

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江風『いよっす!江風ってンだ、よろしくな』

飛龍『飛龍でーっす。さっきぶりだね、よろしくぅ』

透き通るような赤紅色の長髪を揺らしながら右手を大きく挙げて挨拶する駆逐江風。この制服は確か改二か。白いマフラーが髪と共に揺れる。

近頃はすっかり見なくなった気がするブイサインでまるで十年来の友人かのようにノリノリで挨拶してきた元気娘飛龍。先程の食堂の件からしてもそうだが初対面だろうと人に対して遠慮がない。

以上二名。

叢雲『ご感想は?』

男『馴れ馴れしすぎやしないか』

叢雲『礼節に関して2人にこれ以上を求めるのは無意味よ』

男『いや俺は構わないが、お偉いさんとか来たらどうするつもりなんだ』

叢雲『絶対に合わせない』

飛龍『ねぇねぇ、呼び出されたと思ったらなんか悪口言われてない私達?』ヒソヒソ

江風『もっと個性的な挨拶とかの方がウケがいいンスかねぇ』ヒソヒソ

叢雲『そうじゃないわよ』

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男『というわけで2人に荷物運びを頼みたいんだ』

車へ向かいながら経緯を説明する。

江風『なるほどね。うンうン、任せとけって』

飛龍『でも私達をわざわざ呼ぶ程大層な荷物なの?』

叢雲『それは私も知りたいわね』

男『見りゃわかるよ。衣服とかは大した量じゃないからいいが、一個だけどうしても俺じゃ、いや人間じゃ厳しいものがあってな』

飛龍『なんだろー、人だと近づくのも危ういような薬とか?』

江風『核兵器とか?』

男『お前ら俺をなんだと思ってんだよ…』

叢雲『ほらさっさと行くわよ』

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

【廊下】

江風「」ジーッ

男「…」

駐車場はそう遠くない。廊下を渡り建物を出れば直ぐだ。しかし、

なんかすっげぇ見てくる。睨んでる訳じゃないが視線が凄い。

飛龍『えいっ』ペシッ
江風『あいてっ』

飛龍『あんまり見ない』

江風『えーだってさあ』

男『やっぱ気になるか?』

江風『そりゃもうモチのロン』

飛龍『まあ提督以外の人間ってあんまり見る機会ないしねぇ』

江風『そうそう。普段お偉いさンとかが来る時はウチらはたいてい出撃とか遠征だしさ』

男『ほお』

叢雲『たまたまよ、たまたま』

会わせない、とはそういうことか。

江風『でもやっぱこうして見ても提督とさほど変わらないように見えるな』

ん?どういう意味だ?

叢雲『そりゃそうでしょ』

飛龍『でもちょっーと提督のがヒョロいかなあ。でも提督の方が筋肉はあるわね』

男『見ただけで分かるのか』

飛龍『歩き方とかで』

男『マジかよ』

江風『なあなあ。アンタからはウチらはどう見える?』

男『見える?見えるって、そのまんま見えてるが』

江風『そのまんまってどんなさ』

男『そのまんまは、鏡に映る自分と同じって事だろ』

なんだ?何が言いたい?

江風『いや、だって鏡はただ反射してるだけじゃンか。そーじゃなくてアンタの瞳には何が見えてるかって話さ』

そう言って手で丸を作りメガネのように自分の目にかける。

男『瞳…』

言ってる意味が全然分からない。瞳だって鏡と同じ光の反射だ。

今俺の瞳に反射している姿は彼女達のそのまんまの姿。そうじゃないのか?

叢雲『無駄話はおしまい。ほら、見えてきたわよ』

飛龍『おーあれで来たの?』

男『まあな』

江風『お、じゃあ運転出来ンのか!いいなぁ私も運転してみたいんだよなあ』

叢雲『運転免許は厳しいらしいわね』

飛龍『そもそも私達外に出るのも一苦労だしね』

江風『あー地上も思いっきり走ってみてーなー』

飛龍『免許と言えば夕張とかはなんか持ってたよね』

叢雲『電気、なんとかみたなやつね。あれは私達でも簡単に取れるらしいわよ』

男『取ってどうするんだ?』

江風『なンかカッコ良さげじゃんか』

飛龍『あーなんかでっかいの見える』

男『ああそうだ。これが運んで欲しいブツだ』ガタン

白のワンボックスカー。その後部を開ける。

江風『うわ、なンじゃこりゃ』

飛龍『GANTZの四角バージョンみたいな』
江風『ドミネーターとかはいってそう』
叢雲『羊羹みたいね』

三者三様の反応。

江風『羊羹?』

飛龍『羊羹かぁ』

叢雲『悪かったわねばば臭くて!!』

誰もそんな事言ってない、とは勿論言わない。

中にあるのは車の白とは対称的に真っ黒な四角い箱。

縦横50cmほどの箱。端的に言ってデカい。

叢雲『これ重さはどれくらいなの?』

男『持ち上げてみりゃわかる』

江風『きひひ、まあ見てなって。ふんっ!ン!ん!?』

飛龍『うわービクともしない』

叢雲『重さ幾つよこれ』

提督『ギリギリ床が抜けないくらいらしい。200は確実に超えてるな』

江風『そりゃ持ち上がらないわけだ』

飛龍『それじゃ、改めて運ぶとしますかね』

江風『おう』

飛龍が車の中に入り反対側をもつ。

飛龍『せーの』

スッ、と先程までビクともしなかった箱が持ち上がる。

男『流石に艦娘パワーだな』

叢雲『なんなら車ごといけるわよ?』

男『それは勘弁だ。あ、一応割れ物注意だからな、落とすなよ』

飛龍『だいじょぶだぁって。ほらほら』ヒラヒラ

男『おい!手を振るな手を!』

江風『ちょ!飛龍さんバランスバランス!』ガクン

飛龍『え?わたっ、とと!』ガシッ


江飛『『セーフ…』』


男『人選ミスだろこれ』

叢雲『悪気はないのよ2人とも…』

江風『これ全部衣服なのか?』

男『違うよ。生活用品はこれと、これだ』

叢雲『カバン2つだけ?逆にこっちは少なすぎないかしら』

男『野郎の荷物なんて大したもんじゃないさ。必要なら適当に補充するしな』

飛龍『私としてはそっちの荷物も気になるところだな~』

男『よく分からんが期待には答えられないと思うぞ』

飛龍『え~見てみないとわかんないわよ』

男『ろくなことにならんのは分かる』

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【鎮守府:廊下】

飛龍『your best ! my best !生きてるんだから』♪
江風『失敗なんて、メじゃない』♪

叢雲『少しは反省しなさいよ』

男『歌うのはいいが気を緩めるなよ』

飛龍『2人は!』
飛江『『プリキュア~』』

男『…』

飛龍『うわやっば。目がマジだこれ』

江風『私は見えないから知りませーン』

飛龍『あズルい!箱に隠れるな!』

江風『ほら、私らちっさいから』

飛龍『いっつも大きくなりたーいって言ってるくせにぃ』

江風『それはそれという事で』

男「… 」

わざとやってんのかってくらい騒がしい。

叢雲「いえ、違うのよ…?一応意味のある人選なのよ…」

男「人馴れしてる、だろ?」

叢雲「分かってるなら話が早いわね」

男「でも慣れすぎじゃないかこれは」

叢雲「性分なのよ。飛龍は空母の、江風は駆逐艦の。2人とも中心的な立ち位置だから見知っておくといいわ」

男「コイツらがリーダーなのか?」

叢雲「リーダーってわけじゃないわよ。ただ、そうねえ、何か動く時必ず先頭で突っ走ってく、そんな感じよ」

男「なるほどね」

江風『あれ?なに話してンだ?』

飛龍『あー内緒話してるー。逢引だ逢引、提督に言いつけてやろ』

叢雲『んなわけないでしょ。ほら前見て』

江風『ところでよぉ、ひとつ質問なンだけどさ』

男『なんだ?』

江風『この箱ってあの紅ちゃんの隣の部屋に運ぶンだよな?』

男『そうだが、紅ちゃん?』

飛龍『あの娘の呼び名よ。名前がわからないのは仕方ないとして、呼び名くらいないと不便でしょ?』

江風『で、臨時で紅ちゃんってわけさ。発案は誰だっけかな』

男『なるほど』

飛龍『他にも眠り姫、赤ずきん、撫子、さくらとか色んな呼び方があるわよ。あ、さくらは真宮寺さくらのさくらね』

男『統一してないのか…』

真宮寺さくらって誰だ。

叢雲『それで、質問って何よ』

江風『ン、あ~それな。この箱だけどさ、入口から入るのかなって。変形とかする?』

男『あ』

叢雲『え、ノープランなのそこ』

男『ま、窓から行けるか?』

飛龍『ベランダなら網戸とか外せばいけるんじゃない?』

男『じゃあそれで頼む』

飛龍『はーい、って逆方向じゃん!』

男『すまん、失念してた』

江風『こりゃ高くつくぜぇ調査官殿』

男『本当に済まない』

叢雲『ほらさっさと戻るわよ』

男『…なあ、一ついいか』

飛龍『ん?』
江風『んぁ?』
叢雲『何よ』

男『あの娘の名前、実際に呼んだりしてるのか?』

叢雲『呼ぶも何も、まともに会話だって出来てないわよ?』

男『そうか…そりゃそうだ』

ならいい。なら、いいんだ。

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【部屋】

江風『ふぃーなンとか入ったな』

飛龍『大丈夫なのこれ?ほんとに床抜けない?』

叢雲『一階だしこれくらいなら、多分』

男『今んとこ抜けたことはないから大丈夫だとは思うんだがなあ』

江風『しっかしこの殺風景な部屋にこれだけドカンとあるとなンつーか威圧感が凄いよなあ』

飛龍『ますますGANTZね』

江風『いやいや、よく見ると確かに羊羹にも見えるかも』

叢雲『アンタ明日からトイレ掃除ね』

江風『あー!乱用だ!職権乱用だ!!』

飛龍『ねえねぇ!これ何に使うものなの?やってみてよー』

男『ダメだ。企業秘密だからな。そのためにこんな頑丈にしてあるんだから』

江風『じゃあさ、運搬のお礼にって事でちょっち見せてくれよ。先っちょ!先っちょだけでいいから!」

叢雲『なぁに言ってるのよ。あんだけふざけて運んだんだからチャラよチャラ。ほら行くわよ』

江風『ちぇー』

男『悪いな。礼はまた今度に』

飛龍『絶対だからね!』

江風『じゃねー』

バタン。

3人が部屋から出ていく。

男「…」

さてと、

忍び足で今しがた3人が出ていった扉までいく。

扉に耳を当てると廊下から声が聞こえる。

江風『飛龍さんはなンだと思います?』

飛龍『んー自白剤とか?」

江風『その発想はなかったっス…」

飛龍『現実的なとこだと思うんだけどなあ』

江風『そりゃあそうかもしれない、なくもないかもですけど。でも…』

飛龍の中で俺はどんなイメージなのだろうか…

だいぶ離れたのか2人の声が聞こえなくなる。

2人。

つまり叢雲は一緒ではない。

外から足音がする。

忍び足のようだが部屋の中と違い廊下では木製の床の軋む音を抑えることは出来ないようだ。

足音が、扉の前で止まった。

少し迷ったが、俺はドアノブに手をかけ

男「せいっ!」ガチャッ
叢雲「うきゃあ゛!」ドサッ

思い切り引いた。

どうやら扉に前のめりで寄りかかっていたらしい叢雲がこちらに倒れてきたので片腕で受け止める。

やはり駆逐艦は軽い。

叢雲「あー、えっとー」

男「新聞ならいらねえぞ」

叢雲「あははー失礼しましたー」

男「待てい」ガシッ
叢雲「グエッ」

叢雲「はぁ…しっかり対策済とはね」

男「信用されない立場だからな。盗み見盗み聞きには気をつけてるんだよ」

叢雲「前例があったわけね」

男「まあな。とはいえこうして俺を警戒する気持ちもわかるから強くは言えないんだがな」

叢雲「監視カメラ等がないのも知ってるってわけ?」

男「ああ。途中で設置されてもすぐ分かるぞ」

叢雲「…そのための箱、という事かしら?」

男「いい発想だ。不正解だけどな」

叢雲「ハイハイ私の負けよ。今日は大人しく引いておくわ」

男「少しくらいは様子を見てくれよ。俺を信用するかどうかはそれから決めてくれ」

叢雲「随分謙虚ね」

男「言ったろ、そっちの気持ちも分かるって」

叢雲「わかったわよ。それじゃ」

男「おいおい、扉くらい閉めてけよ」

叢雲「それじゃあなたが不安でしょ?なんなら執務室まで送って貰ってもいいのよ」

男「こんにゃろ」

叢雲「お返しよ」

チロと舌を出して得意げな表情で部屋を出ていく。

男「…こりゃ手強いな」

扉の下の隙間に滑り込ませるように置いてあったボタンのような物を拾い戸を閉める。

さっきの倒れかけた時に咄嗟に投げたか?

盗聴器かな。本当にバレるかどうかのテストといったところだろうか。

勿体ないからタオルでくるんでバックの中に入れる。

しかしこんなものを既に用意しているとは、思った以上に用心してるんだなここは。

男「それじゃ本格的に始めるとするか」

黒い箱から伸ばしたコードをコンセントに刺し電源を入れる。

聞きなれたモーター音とともに箱が変形しだす。

キーボード、モニター、パネル、アンテナ。色々なものがまるで裁縫箱のように展開される。

相も変わらず作者の趣味前回の無駄な細工だが。

起動に問題はなし。故障もなし。電波もちゃんと来てる。

キーボードを操作していつもの画面を出す。

ポン、という間の抜けた音とともに画面が切り替わる。どうやら起きていたようだ。

男「こっちは無事セッティング終えたぞ。仕事だ仕事」

「あ゛ーーー、仕事ねぇ…仕事…まだ早いんじゃない?」

寝起きなのかいつもの特徴的な声がさらに独特なものになっている。

そういえば以前に鼻声だと言ったら怒られたな。

画面には事務所が映っているが、肝心の話し相手の姿が見えない。

男「早い方がいいに決まってんだろ」

「締切終わったばっかで寝不足なのぉ~休ませて」

画面の下で何かがもぞもぞと動いている。そこで寝てたのかこいつ…

男「お前の行動に口を出さないのは仕事をちゃんとやる場合だけだって言ったの忘れたかおい」

「ぶぇ~ケチんぼ」

男「口を出すなって言うなら金ももう出さんぞ」

「ぐっ…分かった分かった分かりましたよぉー。で何するのさ」

男「今回の艦娘の特徴を全部送る。それで全軍艦のデータと照らし合わせてくれ」

「ちょっ!?全部!?全部って言ったあ!?」

男「海外艦の線は今のところなしだ。事前情報通り駆逐艦というのが有力だが如何せん記憶なしだ。一応他も頼む」

「うわぁマジかぁやべーやこりゃ」

男「外見的な特徴は機械じゃ判断できないからな。人がやるしかない。お前の得意分野だろ?」

「描くのはね…」

男「なにかわかり次第追加で送る。頼んだぞ」

「ラジャりましたぁ」

男「あーでもその前に」

「まだ何か」

男「風呂入って目え覚ましてこい」

「…やんエッチぃ」

声はすっかりいつものお調子者のそれに戻っていた。

秋刀魚が中々出なくてね…

江風は"ウチら"と"私ら"と"私達"のどれがらしいのかで凄く悩みました。
一応ですが基本的に人と艦娘はお互い別言語扱いなので言葉が通じないという前提の世界です。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

自分の部屋を片付けて隣の部屋に行ってみると彼女はまだ寝ているようだった。

さてこうなるとやる事がないな。

という事で少し早いが夕飯にしようと食堂に来たのはいいのだが、

男「忘れてた」

まだそれほど混んではいないがそれでもこの大所帯。それなりの数の艦娘が食堂にいる。

その彼女達の視線が全て食堂に入ってきた俺に向けられる。

決して好意的ではない視線が。

直前に妙に人馴れした飛龍達に会っていたせいかすっかり忘れていたが人間への反応なんてこんなものである。

男「…」

さてどうするか。

ここで引き返すのはかえって印象が悪い。

とはいえこの状況でゆっくり飯が食えるほど俺の精神は強くない。

仕方ない。すぐ食べられる物を選んで速攻で出るしか

飛龍『チャオー!えーっと、男さん?男君?様にしとく?』

男『うお!ビックリした。飛龍、と蒼龍だったな』

蒼龍『は、はい。蒼龍です』

ぎこちない反応。しかしこれが普通だ。飛龍の方が異常と言える。

姉妹艦だったか。どうやら飛龍に着いてきたようだ。

止めるわけでもなくかといって離れるわけでもなく、ついつい一緒に来てしまったと言った感じか。

男『男でいいと言ったろ』

飛龍『いやぁ呼び捨てはちょっとねぇ。あだ名とか付けたげよっか?』

男『断る』

艦娘との距離を縮めるにはいい手かもしれないが、単純に俺が嫌だ。

飛龍『他の鎮守府ではどんな呼ばれ方してたの?』

男『他の鎮守府か』

艦娘達との関係はお世辞にもいいとは言えないものばかりだったからなぁ。

男『あ、部下からは課長と言われてるな』

飛龍『課長なの?』

男『一応な』

飛龍『へー…ねぇ蒼龍、課長ってどれぐらい偉いの?』

蒼龍『ランクで言ったらフラタとかフラヲくらい?』

飛龍『あーんーなんか微妙なとこね。でも適度にムカつく』

よく分からんが馬鹿にされてる感がある。

飛龍『じゃ課長で』

男『まあその方が馴染みがある』

飛龍『蒼龍もそれでいいっしょ?』

蒼龍『うん。よく考えたら提督だって提督だもんね』

飛龍『確かに。あーっとそれより早く注文しようよ。課長は何にする?私のオススメはねぇ生姜焼き定食。蒼龍はメガ盛り焼肉定食ね』

蒼龍『ちょっと!たまによ!いや好きだけど、出撃とかで疲れてる時だけだから!』

飛龍『さらに食後にこのでかい方のパフェをねえ』
蒼龍『ひーりゅーうー』パタパタ

男『あーまあ艦娘は消費カロリーが大きいからな。よく食べるのはいい事だろう』

蒼龍『違う!違わないけど!違うから!』

うん、この騒がしさは確かに姉妹だな。

けして喧しくはなく、まるで軽快なリズムで鳴り続ける太鼓のような印象を受ける。

結局流れで3人とも焼肉定食となった。勿論メガ盛りではない。

飛龍『課長は嫌いなものある?』

男『キムチだけは今後一生食わないと決めている』

蒼龍『なんで?』

男『トラウマがな…』

飛龍『何やったらキムチなんぞにトラウマできるのよ』

男『内緒だ。こいつだけは墓まで持っていく』

飛龍『ちなみに提督は唐揚げが嫌いよ。何故か』

男『何故か』

飛龍『うん。何故か』

蒼龍『叢雲ちゃんも知らないんだって』

食堂の端の空いていたスペースに三人で座る。

俺と対面する形で飛龍蒼龍の並び。

案の定艦娘である2人は食べるペースが早い。あっという間に平らげてしまった。

俺も別に遅い訳では無いのだが。

男『2人はあの娘に会ったことはあるか?』

飛龍『あーさくらちゃんの事?』
蒼龍『撫子ちゃん?』

男『やっぱ呼び名はバラバラなのな』

飛龍『私は会ってないんだぁ。写真だけ。すっごく可愛かった』

蒼龍『私は寝顔だけチラッと。こう、ギュッとしたくなる感じの娘だった』

飛龍『分かるー。一緒に寝たい。お風呂とか入りたい』

蒼龍『ね!ね!絶対抱き心地いい!』

飛龍『絶対メイド服とか似合う!』

蒼龍『私は水着とか試したい!』

飛龍『髪なんかもいじりがいかありそうで!』

蒼龍『ウェーブかけたい!』

男『待て待て落ち着け』

女子トークになった途端ヒートアップする。

蒼龍『課長は抱きたくならなかった?』

男『なるか。そんな事したら殆ど犯罪者だろ』

蒼龍『え~そうかな』グゥ

飛龍『あ』

男『…』

蒼龍『』カァ

真っ赤になった。蒼龍なのに。

飛龍『よし行こう!デザート食べに行こう!』

男『俺の事は気にするな』

蒼龍『もうダメ…お嫁に行けない…』

飛龍『はーい行きますよ~ほれほれ~』

青とオレンジの背中を見送る。

しかし飛龍はすごいな。コミュ力の塊みたいなやつだ。それに気遣いもできている。

蒼龍の方と一度話出せば飛龍と変わらない印象だが、それは彼女がいるからこそのように思える。

さっき話しかけてきたのもパッと見て俺の置かれた状況を察したからだろう。

おかげでこうしてスムーズに料理を頼めたし違和感なく食堂に紛れられている。

とはいえそれに甘えるというのもどうかと思う。二人が戻る前に茶碗をからにする。

飛龍『ただまー』

蒼龍『あ、課長もう食べ終わってる』

男『やっと食べ終わった、だろ?』

蒼龍『そろそろ怒りますよ』

男『冗談だよ。悪いが俺は先に戻るよ』

飛龍『えーパフェ食べないのー?今ならあーんしてあげるよ、蒼龍が』

蒼龍『なんで!』

男『俺にも仕事があるからな。それと飛龍』

飛龍『はいはい』

男『ありがとな』

飛龍『ん?何が』

男『いや、なんでもない』

飛龍『大丈夫?パフェ奢る?』

男『奢るほうかよ』

飛龍『感謝は気持ちじゃなくて態度で示してよね』

男『遠慮ねえなおい』

蒼龍『飛龍は色々と根に持つタイプだもんね』

飛龍『ふふん』ドヤァ

何故ドヤ顔。

だがまあ、この借りはしっかり覚えておこう。

コミュ力お化け筆頭艦娘飛龍

神風はまだ出てこない

腹ごしらえも済んだし一旦部屋に、

男「とその前に」

自室の隣の扉を開け中を確認する。

いつ目を覚ますかわからない以上こうしてちょくちょく確認するしかない。

カメラで監視という手もあるがそれはちょっとどうかと思うしなあ。

沈みかけた太陽の光は部屋にはもはや入ってはおらず室内はぼんやりと薄暗くなっていた。

神風「」

男「あー…」

落ちていた。ベッドから。

うつ伏せで床に這い蹲る彼女はその長い髪で身体を覆われているせいかますます貞子っぽく見える。

ピンクの貞子か…逆に不気味だな。

男「…運ぶか」

別にこのまま床に寝ていても問題は無いのだが、見てしまった以上放っておくのもなんだし。

しかしどうしようか。体格は小学生程度とはいえ意識のない人間を持ち上げて運ぶのはそれなりに苦労する。

まあ起こしてしまったらその時はその時だ。

うつ伏せのからだを転がし仰向けにさせる。

顔にかかった髪を退けると彼女の穏やかな寝顔が現れた。

一向に浮かび上がってこないその不安定な意識は今どこで何を見ているのだろうか。

肩の辺りと膝の下に手を入れお姫様抱っこの形で持ち上げる。

決して重くはないが意識の無い身体はまるで砂袋でも持っているかのようでとても持ちにくい。

腰に来るなこれ…すっかり鈍った身体については今後対策を講じるべきかもしれない。

男「ふぅ」ドサ

おっと、もう少し丁寧にベットに寝かせるべきだったか。

布団は、別に寒くもないしいいか。

さて戻ろう。

男「ん?」グィ

何かに服の裾を引っ張られた。

何か。

いやここに何かは一人しかいない。

まったく、今朝と同じくだな。

男『あー、起こしてしまったかな?』

『起こす…私、寝てたの?』

男『ああ。ぐっすりとな。気分はどうだ』

『なんだかふわふわするわ。この前もそう』

男『この前、とは?』

『えっとね、叢雲と、司令官とお話した時よ』

男『ほほう。二人はなんて?』

『"妖精達が見えるか"って言ってたの。私、妖精なんて見た事ないから分からないと答えたわ』

男『それで』

『初めて見たわ。妖精っていうのを。とても小さくて可愛かった』

男『なるほど』

過去の船の記憶がない。そしてそれらを思い出そうとすると意識を失う。

しかしこうして艦娘として生まれてからの記憶はしっかりと残っているようだし、それを思い出そうとして意識も失わない、か。

当然妖精は知らない。

基本的な知識はやはりゼロか。

部屋の明かりをつけ彼女と並んでベットに座る。

『えと、男さん、よね?』

男『課長と呼んでくれ。そちらの方が馴染み深い』

『課長なの?』

男『課長だよ。課長ってのは分かるか?』

『そこそこ偉い人』

男『…大体合ってる』

『課長さんはどうしてここに?貴方も鎮守府の艦娘なの?』

男『いや、俺は…人間だよ。司令官と同じね』

『貴方も、私とは違うのね』

男『そうとも言えるな。君は鎮守府についてどれぐらい知っている?』

『えっと、司令官が一番偉くて、その補佐を叢雲がしてて、他にも艦娘っていう人達がいっぱいいるって。それくらいしか聞いてないわ』

男『なるほど、ありがとう』

どうやら最低限の情報だけで留まっているようだ。これならば多少はやりやすい。

男『俺は鎮守府の人間じゃない。この鎮守府は海軍に属するものだが、俺はその軍とは、まあ少し別の組織から来た者だ』

『…派遣の人?』

なんでそんな知識はあるんだよおい、とは言わない。そんな事で意識を失われては困る。

男『そんなところだよ、多分』

『何をしに?』

男『今回は、そうだな。教師としてだな』

『先生なの?』

男『そういう事もやっているんだ。例えば歴史なんかを教えたりな』

『歴史の先生なのね』

男『主に近代史だがな。でも好きなのは戦国時代だ。君は歴史と聞いてなにか連想するものはあるかい?』

『んーそうね。平安時代とかかしら』

男『大正時代なんかはどうだ?』

『大正時代?』

そう。彼女の唯一の特徴。

現時点で唯一の手掛かり。服装はどういうわけか大正時代のものに通じるものがある。何か覚えていればいいのだが。

『あまりぱっと思いつくものはないわね』

男『…それもそうか』

なるほどな。大正時代という存在は知っているわけか。

もう少し踏み入ってみるか。

男『昭和時代なんかはどうだ?』

『昭和…えっと、大正の次で、それで…』コテン

男『ダメか…』

意識を失った彼女は俺の体によりかかってきた。

やはり大戦時の記憶が欠損していて、そこを中心に関連する記憶も抜けているようだ。

第二次世界大戦を中心にそれに近い記憶程抜けていて離れる程影響は少ないといったように思えるが、ここら辺はまだ検証次第だな。

再び彼女をベットに寝かせ布団をかける。

そういえばこの分だと着替えもしていないようだが大丈夫なのだろうか。

パジャマとはいえずっとこのままというわけにもいくまい。風呂も、まあ寝たきりならそんなに要らないか?

いや、俺が心配してもしょうがないか。

明かりを消し牢屋に鍵をかける。

そう、牢屋だ。そう意識すべきだろう。

彼女をここから出すには、やはり相当な時間がかかりそうだ。

普段使われていないせいか明かりも少なくすっかり暗くなった廊下を執務室に向かって歩く。

しーちゃんペンライトゲットだぜ

色々と忙しい時期ですが大規模作戦が始まってしまいました。
戦力層の薄い鎮守府なのでしっかり様子見です。

今後神風にはしっかりお風呂に入ってもらうし漏らしてもらう予定なのでそこまでは頑張ります。

男「失礼します」

執務室を扉をノックし声をかける。

提督「ああ、どうぞ」
『げっ!』

男「…ん?」

入室の許可に混じって何やら不穏な声がした。

ここで考えもなく扉を開けた自分を詰りたくなる。

瑞鶴『…』ムスッ
金剛『…』

提督「あー、お疲れさま」

男『邪魔でしたかな』

提督「いや構わないですよ。少し座って待っててください」

男『ええ』

ソファに座り提督の方を見る。

彼のいる立派な机の前にこちらに背を向け二人の艦娘が並んで立っていた。何かの報告の最中だろうか。

僅かに緑がかったツインテールと迷彩柄の巫女装束のような服という特徴的な姿をしているのは空母の瑞鶴だ。迷彩ということは改装はしているらしい。

チラと振り向き突然やってきた邪魔者に対して隠すこと無く敵意を向けてくる。高めの身長に反して幼さの残る顔はまるで膨れっ面をする子供のような印象を受ける。

もう一人はブラウンのロングヘアに白ベースに赤のラインというまさに巫女服といった容姿。世間での知名度も高い戦艦金剛だ。

しかし金剛は瑞鶴と違った。こちらを横目で一瞥したときのあの冷ややかな視線は思わず鳥肌が立つ程だった。

彼女がどういった意図を持っていたにせよ一般人でしかない俺にとってそれは殺意と何ら変わらない威圧感だった。

会話はどうやら船団護衛の編成についてのようだ。流石にこういった話は素人の俺には分からない。

しかしこれ長くなるだろうか…明らかに部屋の空気が重い。俺のせいで話し合いに支障が出てなければいいが…

提督「よし、じゃあ続きは明日の演習で試しながらにしよう。二人ともお疲れ様」

瑞鶴『はーい。提督さんもお疲れ~』

金剛『お疲れ様デース提督ぅ!明日もよろしくネー』

二人が部屋の入口へ向かう。

機嫌の悪さを隠そうともしない瑞鶴とは対照的に普段と変わらない金剛。二人の性格がよく現れて

金剛『"課長さん"も、お疲れ様ネ』

男『…あぁ、お疲れ様』

そういう事か。怖い怖い。抑揚のない冷めた労いの台詞で察する。

課長呼びということは飛龍からの情報は鎮守府にちゃんと広がっているようだ。

わざわざ言ってきたという事は牽制、線引きという訳だ。流石は戦艦金剛と言ったところか。

提督「いやぁタイミングが悪かったみたいで申し訳ない」

男「構いませんよ。遅かれ早かれ彼女達とは接触しなければならないんだ」

提督「今叢雲を呼んだのでそのまま待っててください」

男「OK」

提督「僕も失礼して」ドサッ

机から離れソファに深々と腰を預ける。

男「どうですか、そこの椅子の座り心地は?」

来客に備えてか随分と立派に作られている机を見ながら問いかける。あの椅子では長時間の作業は負担だろう。

提督「それはどっちの意味で?」

男「え?あぁ、いや、ハハッ。貴方の思う方でいい」

思いがけない反応に、しかしつい笑いが零れた。

提督「堅苦しくてしょうがない。でもどうにも居心地がいい」

間違いなく本音だろう。そう確信させる目をしていた。"どちらの意味の回答でも"、それが本心だろう。

男「羨ましい」

提督「本気で?」

男「それなりに」

提督「座り心地はもう少し良くなって欲しいのですけれどね」

男「それは無理でしょうね。何せ作っているのがアレだ」

提督「あれ、いいんですかねそんな事言って」

男「椅子職人の話でしょう?」

提督「おっとそうでしたそうでした」

叢雲「あら、いつの間にか随分と打ち解けてるじゃない。それでいいのよ、それで」

提督「おー叢雲」

男「いつの間に…というか早いな」

叢雲「勿論。司令官の要望には即座に答えられるようにしているわ」ドヤァ

提督「もはやストーカーレベルだよね」ハハハ

叢雲「は?」ピキ

男「…」

褒めたつもりなんだろうなーこの男は。朴念仁なのか?

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

叢雲「それで、どうだった?一日あの娘(こ)といて」

男「一日と言っても会話ができたのは二回だけだ」

提督「二回?午前中以外にも目を覚ましていたんですか?」

男「ついさっき。それなりに会話はできましたよ。何かを思い出させなければ会話自体はそれほど問題ない」

叢雲「問題は私達の目的がその思い出させる事って点ね」

男「とりあえず先の会話で今後の大まかな方針は決まった」

提督「ほう、それは」

男「まず彼女は鎮守府という組織を一切知らない。ここの事もここにいる3人と他に大勢の艦娘という人がいる、という認識しかない。それを逆に利用しようと思う」

叢雲「利用?」

男「俺が教師として彼女につく。艦娘とはこうやって生まれた時は何も知らないから勉強が必要なんだと言ってな」

提督「あー、あぁ!なるほど。それは良さそうだ」

叢雲「確かに…彼女の負担は少なそうね」

男「と言っても現時点での、あくまで大まかな方針です。様子を見つつ彼女の反応を見てその都度調整は必要になるでしょう」

提督「ならこれから暫くはこの時間にこうして集まって報告を聞き話し合うとしましょう。専門家じゃないけれど僕らも手伝いはできるはずです」

男「それはありがたい。ひとまずはそれで行こう」

叢雲「それで、細かい方針は何かあるの?」

男「方針というか、今とりあえず知りたいのは食事が必要かどうかかな」

提督「うん。何せあの調子だから今の今まで何も摂取できていないんだよね。艦娘である以上"栄養摂取"は不必要だけど"食事"は必要だ」

叢雲「とは言えいきなり食堂というわけにもいかないものね。何か簡単に持ち運べる軽い物でも用意させとく?」

提督「そうしてくれると助かる。俺としてもな」

叢雲「そういえば夕餉はどうしたの?完全にスルーしてたけど」

提督「あっ」

男「食堂で食べたよ」

叢雲「あら、やるわね」

提督「なんか来客感全然なかったから忘れてたね」

男「飛龍のおかげでな、助かったよ。明日からは気をつける」

叢雲「へぇ飛龍が。ふぅん」

提督「いつもは来客には別室で少し豪華なものを出したりしてるんですけどね。いやほんと申し訳ない」

男「馴染んでると言ってくれるならそれが一番ですよ」

叢雲「明日はどうするの?」

男「別室とまではしてもらわなくても、でも出来れば二人のどちらかとは一緒が望ましいな」

提督「ならそうしましょう。食堂に馴染めるように」

叢雲「…明日って報告書あったわよね」

提督「あ゛」

男「報告書?」

叢雲「近海の調査報告書よ。深海棲艦(ヤツら)の動向を週一くらいで報告しなきゃなのよ。どんな小さな動きも見逃さないようにね」

男「ほぉ。それは知らなかったな」

提督「」

叢雲「終わるの?」

提督「」

叢雲「…」

提督「」

男「これは?」

叢雲「日頃からコツコツやらない怠惰な男の哀れな末路よ」

提督「ホント申し訳ない」

叢雲「てことでアンタはそこで仕事。私が食堂行くわ」

提督「無慈悲な…」

叢雲「安心なさい。後で私がご飯持ってきてあげるから」

提督「えーじゃあ誰かに夕飯作ってもらおうかなあ」

叢雲「」ピクッ

男「作ってもらう?」

提督「秘書艦は日毎に他の艦に変わってもらったりしてるんですよ。そこでいつからかその日の秘書艦とご飯を食べるのが流れになってて、僕が作ったり向こうが作ったりと色々とね」

男「ほお」

艦隊内でのコミュニケーションのためか。中々いいアイデアだ。

しかし料理までできるのかこの男。

提督「日中はどうしても艦隊の運用に時間を取られるのでご飯を作ってくれたりすると空いた時間を他に回せましてね」

叢雲「な、なら一緒に食堂行けばいいじゃない」

提督「報告書書かなきゃだから行けないって話だろ?」

叢雲「」

男「…」

あ、これはあれか。察した。

提督「それに秘書艦の制度も君の負担軽減のためにやってる所もあるんだしそこまではしなくても大丈夫だよ」

叢雲「…そう」

男「よ、よろしく頼むよ」

叢雲「ッ…」キッ

うわ睨まれた。どう考えてもとばっちりだろ俺は。

提督「では明日からはそういう事で」

男「あ、ああ…」

いいのかなぁそういう事で。口出すことじゃないんだが。

叢雲「司令官っ!」バンッ

提督「うおっ!」
男「えっ?」

叢雲「徹夜よ」

提督「は?」
男「ん?」

叢雲「徹夜で終わらせるわよ」

提督「…へ?」
男「あー…」

目がマジだ。

提督「べ、別にそこまで急を要するものじゃなくないかい?」

叢雲「四の五の言わずにやるわよ。明日の仕事はいくつか私がやっておくからやるわよ」

提督「えぇ…」

男「…徹夜ってのはやったりするので?」

提督「たまに…」

叢雲「昔はしょっちゅうやってたものだけれど」

提督「若さは力だよ」

叢雲「まだ若造じゃない」

提督「二十後半辺りからくるんだよ、急に。呪いみたいなのが全身に」

叢雲「何よそれ」

男「…」

それは分かる。

提督「君達は寝なくても平気だけど僕らは寝ないと二三日は引きずられるんだよ…」

叢雲「いつもたっぷり寝てるんだからたまには頑張りなさいよ」

提督「えぇ…」

叢雲「ほら、やるからにはさっさとやるわよ!終われば寝れるんだから」

提督「やるとは言ってなくない?」

叢雲「 や る わ よ 」

提督「ハイ」

男「あーうん。頑張って」

叢雲「じゃまた明日」

提督「こっちの事はお気になさらず…」

男「気にはなるが、まあどうこういうものじゃない」

提督「それもそうだ。では、おやすみ」

E2までしか終わってない!

基本的に艦娘の好意的な態度しか見ないのでそうでない艦娘を書きたいなって。
人選は個人的睨まれてみたい艦娘トップ2からです。

男「…」

扉を乱暴に叩く音で目が覚めた。

ベットに寝たまま手探りでスマホを手繰り寄せ時刻を確認する。

朝の6:18。

一体何の用だ?そもそも誰が扉を叩いているのか。

寝起きの機嫌の悪さを自覚しながらそれでも少し急ぎめで入口まで移動し扉を開ける。

男『はいはい、何の用ですか』ガチャ

叢雲「私よ、おはよ」

妙なアンテナが喋った。いや違う。

目線を少し下げるとそこには叢雲がいた。

男「叢雲?おはよう、どうしたんだ?こんな時間に」

叢雲「マルロクマルマル。艦隊総員起こしの時間よ。だからあなたも一応、ね」

ニヤリと笑う。うーんこの顔、さては嫌がらせの類だなこれ。

男「なるほどね。そりゃご親切にどーも」

鎮守府の朝はどこも早い。

なんなら平日は灯りの消えない鎮守府だってある。

男「ここはいつもこの時間なのか?」

叢雲「そうね。6時に声掛けて、暫く猶予を与えた後布団にしがみついてる奴らを叩き起していくのよ」

男「ならこれからその叩き起しってわけかい」

叢雲「これからじゃないわ。今まさによ」

男「あぁなるほど。布団にしがみついてるとさっき叩かれていた扉みたくなってたわけだ」

叢雲「気をつけなさいよ。アナタは私達や扉と違ってそれほど頑丈じゃあないもの」

男「肝に免じておこう」

眠気はすっかり覚めていた。

男「君の今後の予定を聞いてもいいか?」

叢雲「全員の起床を確認。今日の各自の予定を改めて通達、各自目を通したか確認。早番の娘達の航路や日程を確認送り出し。夜番の娘達の帰投確認、で報告受けてとりあえずは朝餉ね。司令官は、まあ起きないでしょうけど」

サラッと簡素に答えたがこれだけでもどれほど忙しいかわかる。

今は端末等で事足りるとは言え百を超える部下をまとめあげるのは並の苦労じゃない。

早番というのは恐らく早朝からの遠征や船の護衛だろう。夜番はそれを夜通しやっている艦隊か。

男「改めて聞くとえらい忙しさだ」

叢雲「この身体じゃなきゃ三日持たないわよ。それでも司令官は睡眠を取れって言うけれどね」

男「そうなのか?」

叢雲「ええ。わざわざ秘書艦を交代制にしてまでね。いい夢を見ろって事らしいわ」

男「いい指揮官じゃないか」

叢雲「そう?押し付けがましいと思わないでもないわよ。夢なんか見なくたって、私はあの人の隣いにいる限りは人であり続けられると思うのだけれど」

男「あって欲しいという思いだよ。きっと」

叢雲「…ま、だから私から何か言ったりはしないのだけれどね」

提督と叢雲。二人の間にある信頼は少し変わったもののようだ。

最もその印象もお互いが人間だったら、という前提あってのものだが。

叢雲「それで、アナタの方はどうなのよ。今後の予定は」

男「あの娘の様子を見ているよ。起きるようなら一緒に朝食を摂りたいところだが」

叢雲「彼女次第ってわけね。はいコレ」

ポケットから何かを取り出す。ポケットあったのかその服。

男「これは?」

叢雲「アナタ用の連絡用端末」

渡されたのは昨日叢雲も使っていたスマホだった。

叢雲「基本的に連絡機能だけが入ってるわ。それも鎮守府内だけの。そこら辺はアナタなら分かってるでしょ?」

男「そりゃな」

情報漏洩には意外な事に国が徹底して対策をとっている。流石にアイツらでも艦娘という存在が如何に重要かは理解しているらしい。

その為基本的に鎮守府と外部の連絡手段はかなり限られている。当然俺の普段使っているようなスマホはここじゃ電波が入らない。

叢雲「その端末の機能レベルは一番最低限のものになってるわ。外部との連絡は私か司令官のみ。後は執務室のコンソールね。観覧用のパソコンの置いてある部屋もあるけど、履歴とか全部外に送られてるからバレるわよ」

男「観覧用ってのはつまり娯楽としてって事か?」

スマホを操作して確認する。うん。今まで使ったことのあるものと同じだ。

叢雲「調べ物のため、って名目だけど実際はアナタの言う通りよ。今時娯楽がテレビだけってのはつまらないでしょ?」

男「そりゃそうだろうな。よし確認した。何かあれば連絡する」

叢雲「連絡先は今のところ私と司令官だけ登録しといたわ。緊急なら電話。そうでないならメッセージでお願い」

男「…他の艦娘とも連絡先を交換したりできるのか?」

叢雲「可能よ。機能的にはね。でもその方がアナタはやりやすいかもね」

男「だから買い被りすぎだよ。分かった、ありがとう」

叢雲「それじゃ頑張ってちょうだい」

男「君もな」

右手をヒラヒラと振りながら去ってゆく小さな背中を見送る。

彼女を見て、はたしてその背中がかつて計り知れないほど沢山のものを乗せて海を渡っていたと分かる者がどれだけいるのだろうか。

少なくとも俺には分からなかった。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

さて仕事だ。切り替えよう。

顔を洗い歯を磨く。その後ギリギリ社会人らしく見えるラインのラフなシャツとズボンに着替える。

流石にまだ半袖を着る季節ではないが、長居する事を考えると先に仕入れておくべきかもしれないな。

そんな益体も無い事を考えながらお隣さん家の扉を開ける。

男「…変わらずか」

寝ていた。昨日と違い桃色貞子にはなっておらず寝かせたままの姿勢、つまり仰向けのままベットにいた。

寝相とは脳が深く寝ているから起こると聞いた事がある。それでいえば昨日はちゃんと眠れていたという事なのだろうか。

そもそも艦娘の睡眠ってどういう状態なんだ?

男『おはようございま~す』ヒソヒソ

なんとなく小声で呼びかけてみる。別に寝起きドッキリというわけじゃないんだが。

『ん…~』モゾモゾ

お?意外にも反応があった。つまり気を失っているのではなくあくまで睡眠状態にあるという事か。

男『ヒトナナマルマル。総員起こしから一時間たってるぞ』ユサユサ

身体を優しく揺すりながら普通に起こしてみる。

『んー…ん?』

男『よ、おはよ』

『おは、よう?』

普通に起きた。最初の頃より意識が安定してきているのだろうか?

『えっと、その、私また寝てたの?』

男『ああ、ぐっすりとな。今は朝の七時だ』

『朝…うーいつの間に寝てたのかしら』

男『そこら辺は気にしなくても大丈夫だよ。起きられるか?』

『えぇ。問題ないわ』

そう言って上半身を起こし大きく伸びをする。

『久々に朝に起きた気がするわね』

男『ならきっとそうなんだろうな』

『よッ痛っ!』

男『!?どうした!』

『あ!ち、違うの!ちょっと髪を引っ張っちゃって…』

男『髪?あぁそういう事か』

長座体前屈の姿勢からベットに手を付き立ち上がろうとして、その長い髪を手で押えてしまいピンと張ってしまったようだ。

『…』サラサラ

不思議そうに自分の髪を触る。記憶が無いと自身の身体すらままならないか。

男『身体に異常はないか?』

『異常?うーん、ないと思うけど、多分』

男『よし。なら朝食にしよう。一日三食が健康の基本だ』

『そういえば私何も食べて無いわね』

男『ちょっと待っててくれ』

スマホを取りだし叢雲にメッセージを送る。

男:彼女が起きた。とりあえず朝食を食べようと思う。

よし、これでしばらくすれば

叢雲:早いわね。了解。そっちに送るわ。

男『返信早いな…』

『ん?何何?』

男『叢雲からの返事がすげえ早くてな。よっぽど忙しいんだろうよ』

色々連絡取りまくってんだろうなあ。わざわざ朝食を持ってきてもらうなんて少し気が引けるな。

『そうじゃなくて!そのちっこい板よ。なんなのそれ?』

男『ん?あー、そうか。そうなるわけか』

船の記憶のみならず現代の記憶も欠けているのか。

男『スマホって言ってな。最新の通信機器だ』

『おぉー』

凄いキラキラした目で見てくる。確かに知らなければ随分と不思議なアイテムだろう。

男『ま、それはあとだ。とりあえずは朝食を食べる準備だな』

部屋を見渡す。

家具は下が二段のタンスになっているこのベットのみ。食べるとしたらこの木の床になるのか…まあ掃除はされているようだし別にいいか?

男『ん?』
『あら?』

廊下の方から何やら音がする。

男『なんだ?』
『足音かしら?』

随分と慌てた様子の足音がこちらにすごいスピードで近づいて、そして

飛龍『どーーっも宅急便でーーす!!』バァン!!

そいつは勢いよく扉を開けて入ってきた。

男『飛龍…』

相変わらず元気120%の様だ。

というか普通に彼女を他の艦娘に会わせてしまったが大丈夫かこれ!?

『…』ドンビキ

…すっげぇ引いてる。ドン引きしてる。無理もないか。提督、叢雲、俺ときて次がコレだもんな。

飛龍『…あのー、なんか反応が欲しかったり?』

男『廊下を走るな』

飛龍『えぇーそこぉ?よりによってそこぉ?』

男『というか何でお前なんだ。叢雲は朝食を、を?』

"送るわ"、とそう言った。なるほどな、送るってそういう意味か。

飛龍『だからその叢雲に朝食持ってってって言われたのよ』

男『OK理解した。ありがとう』

飛龍『どいたま~』

叢雲はそう判断したわけか。確かに他の艦娘達に慣れさせるなら飛龍はかなり向いていそうだが、それにしたっていきなりすぎるだろ。

飛龍『というわけで私!航空母艦飛龍です!よろしくぅ~』イェイ

『よ、よろしくオネガイシマス』

声が小さくなっていく。完全にビビって縮こまる小動物状態なんだが。

飛龍『ムフッ』

男『あ?』

なんだ?凄い気持ち悪い笑みを浮かべてなんか変な声を出しやがった。

一体何g
飛龍『会いたかったにょぉぉぉおおおお!!!』ガバァッ
『キャァァァアアア!!』ビクッ

それは艦娘の身体能力を遺憾無く発揮した動きだった。

僅かに体を斜めにし重心を前に倒しつつ膝を瞬時にバネにし彼女に飛びかかった。

それは淀みないスムーズさで気づいた時には彼女は飛龍によって再びベットに寝かせられていた。

もっとも今の布団は飛龍だが。すげぇな見事にルパンダイブしたのに衝撃を自分の腕だけで殺してやがる。流石艦娘。

飛龍『ムフッ』

男『あ?』

なんだ?凄い気持ち悪い笑みを浮かべてなんか変な声を出しやがった。

一体何g
飛龍『会いたかったにょぉぉぉおおおお!!!』ガバァッ
『キャァァァアアア!!』ビクッ

それは艦娘の身体能力を遺憾無く発揮した動きだった。

僅かに体を斜めにし重心を前に倒しつつ膝を瞬時にバネにし彼女に飛びかかった。

それは淀みないスムーズさで気づいた時には彼女は飛龍によって再びベットに寝かせられていた。

もっとも今の布団は飛龍だが。すげぇな見事にルパンダイブしたのに衝撃を自分の腕だけで殺してやがる。流石艦娘。

飛龍『あ゛あ゛あ゛ちっちゃーい!ちんこいちんちくりんー!!うわほっそ腕細!髪スベスベーウリウリ~』

クリスマスプレゼントに欲しいぬいぐるみを買ってもらった子供でもここまで全力で堪能はしないだろってくらい抱きついて堪能してる…

『んーー!!んんん!!??』バタバタ

よしこれは流石に助けた方がいいなうん。

飛龍『ん?』ピタッ

男『お?』

止まった?

飛龍『…A、じゃないBか!Bはあるな!』
『んん!!??』

男『変態かお前は!』ベシッ

大した効果は見込めないが反射的に頭を叩いてしまった。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

飛龍『あはは』

男『あははじゃねえよ変質者』
『』

飛龍『あははー…ごめんつい』

彼女は俺の後ろに隠れて飛龍に対して警戒態勢全開だった。当たり前だ。

飛龍『だって仕方なくなくなくない?』

男『仕方なくねえよ』

どうせろくな理由じゃねえ。まっくこいつは頼りになるんだかならないんだか…

飛龍『いやぁでもようやくちゃんと会えたわね、さk『あ゛あ゛あ゛ストォォプ!!飛龍ストップ!!』…え?』

『?』

男『あ、いや、その…』

やっべ思わず声を荒らげてしまった。

飛龍『えと、何が?ん?』

男『あー悪い。少し急用を思い出したすぐ戻る』

『え、ええ、分かったわ』

飛龍『じゃあここで待ってるねー』

違ぇよお前も来るんだよ。今更不審がられることを気にしてもしょうがない気もするが、一応彼女に気づかれないように飛龍にアイコンタクトを送る。

気づけ!お前もちょっと外に来い!

飛龍『…?』

そうだこっちを見ろ!汲み取れ!

飛龍『……!』

お!

飛龍『!』パチンッ

すっごいいい笑顔でウィンクされた。

男『少し飛龍借りるぞ』グイッ
飛龍『えちょっ!』
『ええ!?』

飛龍と共に廊下に出て戸を閉める。

飛龍『どうしたのよ急に。ウィンク変だった?』

男『んなわけあるか…』

飛龍『じゃ何よ』

男『…名前だ』

飛龍『名前?』

男『これは、まあ俺が言ってなかったのが悪いっちゃ悪いんだがな。飛龍、さっき彼女の事"さくら"って言いかけたろ』

飛龍『あーうんうん。言いそびれたけど』

男『"彼女を名前で呼んではいけない"』

飛龍『…はい?え、なんで?』

男『あ、いやほら。本当の名前が見つかる前に渾名があるのも変だろ、な?』

飛龍『はぁ、まあそれもそうか。でも呼び名がないのは不便じゃん』

男『そこら辺は、今提督と相談中だ』

飛龍『ふーん、ならしゃーないか』

とっさの事だったから凄い雑な誤魔化し方になったが、まあ納得したようなのでいいか。

男『ともかく、彼女には不用意に接触するな』

飛龍『そんなに徹底するものなの?記憶がないってだけで』

男『あぁ、だってお前らは…』

飛龍『お前らは?』

男『悪いなn『何でもないってのはなしね』…』

飛龍『なら、昨日の貸し、ここで返してもらおっかな~』

男『…お前ら艦娘は危ういからだよ』

飛龍『…それって人にとってって事?』

男『存在が危ういって事だ。彼女は特にな』

沈黙が廊下を埋める。飛龍の真剣な顔はなんというか、叢雲とは別の凄みがあった。

飛龍『そっか。じゃ私は退散した方がいいかな。朝食は届けたし』

男『悪いな』

飛龍『悪いかどうかは、私が決めるから』

男『そりゃそうか』

飛龍『それじゃ!』

いつもの調子で変なポーズをとりつつ、部屋の前から立ち去ーらなかった。

男『飛龍?』

飛龍『ねえ、一個だけあの子に質問させてくれない?』

質問してもいいか、という問ではなかった。

質問をさせて欲しいという願いを口にした。

先程の真剣な顔に戻って。

男『…内容による』

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

飛龍『たっだいまー、朝ごはん食べよー』

『は、はい!』

男『あんまり怖がらせんなよ』

飛龍『怖がらせてない!怖がらせてないから!』

男『あれ、そういや肝心の朝食は?』

飛龍『これこれ』

『それは、お弁当?』

飛龍『そうそう。ホントは遠征とか遠出する娘用に用意されてるんだけどぉ、その予備のやつを丁度いいから食べちゃおって。余ったら勿体ないしさ』

男『そりゃありがたい。見ての通り食べる場所なくてな。弁当なら食べやすい』

飛龍『あー確かになんもないわねここ』

とりあえずは机を用意した方がいいかなこれは。後で考えておこう。

『えっと、じゃあどこで食べようかしら』

男『弁当だからな。ベットに腰かけてか、床でピクニックか』

飛龍『床は止めといた方がいいと思うけどね。それじゃ配達員はここでばいなら!』

『ば、ばいなら~』

古い…

飛龍『あそうだ!配達代代わりに一つ質問してもいい?』

『え、私に?』

飛龍『そう!』

なるほどそう来たか。恩着せがましい気もするが質問の仕方としては悪くない。

『いいけれど、あまり答えられる自信はないわよ?』

飛龍『そう大したことじゃないって~』

ベットに腰かけ緊張からか体を少し強ばらせる彼女の目の前に目線を合わせる形で屈む飛龍。

じっと、真剣に、でもやさしく彼女の薄らと桜色が透ける瞳を見つめる。

飛龍『貴方、何処か行きたいところはない?』

『行きたい、所?』

飛龍『そう。自分はそこに向かいたい。辿り着かなくてもいいから目指したい。そんな場所』

『うーん、えっと…ごめんなさい。ちょっとよく分からなくて』

飛龍『…そっか!ごめんごめんなんか変に重苦しくしちゃって。性格診断テストみたいなもんだからあんま気にしないで?それじゃバイビー!』ピューッ

『行っちゃった…』

男『なんだったんだ?』

『さあ?』

男『とりあえず朝食にするか』

どうして年末の方が忙しいんです

週一くらいで更新したい。
でも次はE6を無事突破出来たらですかね…
とりあえず晴れ着艦娘達を拝みます。

明けましておめでとうございます。

今年も少しばかりお付き合いしていただければ幸いです。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

叢雲『どぉ?そっちは』

男『順調だ。トラブルがないって意味ならな』

叢雲『それは重畳』

端末の向こうからは叢雲の声以外に様々な艦娘の声が聞こえる。何処かで作業中のようだ。

叢雲『なら昼餉も必要って事でいいわね?』

男『ああ頼む。いや待て飛龍はもうなしだぞ』

叢雲『それについては悪かったわね』

男『とても悪気のある声とは思えないが』

叢雲『だから感謝をするわ』

男『感謝?』

叢雲『ええ。ありがと、飛龍を追い返さなくて』

男『…どの道いつかは頼っていただろうからな』

叢雲『じゃ昼餉が出来たら持っていくから楽しみにしてなさい。そうね、小半時くらいかしら』

男『お、おう。分かった、ありがとう』

通信が切れる。

『叢雲?』

男『あぁ。昼飯を持ってくるとさ』

『もうお昼なのね。時間が過ぎるのって早いわ』

男『だな。それまで休憩しとくか?』

『ううん。キリが悪いからこのまま解いちゃうわ』

男『分かった』

しかし小半時ときたか。一時が二時間で半時が一時間だから、三十分か。

…ババむさいというのもさもありなん。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

男『お、来たかな』

『ん?何が?』

男『足音だよ』

『足音、あー本当だ』

叢雲『もしもーし。持ってきたわよー』

廊下から声がする。ノックもなしという事は両手が塞がってるのか。

男『はいよー。お?鍋か』ガチャ

叢雲『入れ物はね』

男『うお、カレーの匂いが』

叢雲『ご明察』

男『誰でも分かるだろ』

叢雲『ご飯はこっち』

男『もうよそってあるのか。お代わりは?』

叢雲『ない』

男『マジか』

叢雲『そんなに食べる?』

男『いや別に』

叢雲『なら聞かないで』

叢雲『あ、しまったこの部屋食べるとこないわね』

男『それなら大丈夫だ。ほら』

叢雲『あら、この机って』

男『俺の部屋から持ってきたんだ。食べるのにはちょうどいいだろう』

部屋には高さ五十センチ程の四角い机が置いてある。小さめだが一応四人用くらいの大きさなので鍋を囲むには最適だ。

叢雲『それじゃお邪魔するわよ』

男『あ、紙どかさないと』

『はいはーい』

彼女が机の上のプリントを退かしていく。

叢雲『紙?』

男『あーその話はまた後で』

叢雲『ふん、まあいいわ。とりあえずカレーよカレー』

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

男『いただきます』
『いただきます』

叢雲『…』ジー

男『…なんだよ』

叢雲『お味は?』

男『味?んー…ん、ん?』

普通に美味しいカレーだったが叢雲のいつも通りなツンとした態度になんとなく微妙な表情で返してみた。のだが


叢雲『え』


零れ落ちるような一声と共にもう戻ってこない飼い主を待ち続ける忠犬のような悲愴な表情で固まってしまった。

男『美味い!美味いぞ普通に!』

あまりに予想外の反応にこっちもテンパってしまう。

叢雲『 あ でしょ!!』

まるで時が止まったかのようなしばらくの間の後、身を大きく乗り出しいつもの得意げな顔に戻る。

『ん~美味しいわ!私甘口の方が好きだもの。具も柔らかくて食べやすいし』

叢雲『そうよ~。しっかり火を通しているもの』

男『お、おう』

ビビった。軽くあしらわれるか文句あるのかみたいな事言われると思ってたがまさかあんな反応をされるとは。

このカレー、叢雲が作ったんだろうな。誰かさんのために。

ったく振る舞われる野郎は幸せだな。

男『なんでそんなに喜ぶんだ?ひょっとして叢雲が作ったのか?』

我ながら大人気ないと思いつつもついからかってしまう。

叢雲『なッ!ち、違うわよ!これはぁその、白雪が作った…のよ』

男『ほほぉう』
叢雲『何よ!』

『お代わり!』

男『え』
叢雲『あら』

『…え?』

おかわりないんだよな。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

男『ご馳走様』
『ご馳走様』

男『さて、片付けに行くとするか』

叢雲『あら、いいわよ私一人で』

だろうな。カレーの鍋、ご飯の入った皿3つを乗せたトレイ。これらを一人でまるで軽いお届け物持ってきたくらいの感覚で運んで来ているんだからな。

鍋に至っては素手だ素手。そりゃ戦闘時の火器などによる熱に比べりゃ可愛いものだろうが。

だがしかし、

男『態々持ってきてくれたんだ。少しはお礼もしたい』チラッ

叢雲と話せるいい機会だ。自然と彼女をここに残していけるし。

さて今回はアイコンタクトできるだろうか。

叢雲『…あー、そうね。ならお願いしようかしら』

通じた。流石秘書艦。

『えっと、私はどうしたらいいかしら』

男『食べたばかりだし休憩してていいぞ』

『ならさっきの本の続きが見たいわ!』

男『それでもいいさ。留守番頼むよ』

『はーい』

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

部屋を出て廊下を歩く。

叢雲が空になった鍋を、俺がトレイと重ねた皿を持つ。

叢雲『留守番とはまたうまいこと言うわね』

男『物は言いようだな』

叢雲『それで、何やっていたの?』

男『さっきのプリント。あれは問題集だ』

叢雲『問題集?』

男『大学入試の過去問やらをな。教科は数学と物理』

叢雲『そんなのやらしてどうするのよ?』

男『例えば、叢雲、この問題解けるか?』

端末を操作して保存してある問題の一部を見せる。

叢雲『んー解こうと思えばいけるわね』

男『その"解こうと思えば"ってのは具体的にどういう意味だ?』

叢雲『どういうって、そりゃあ…あー、なるほどね。そういうこと』

男『流石に理解が早いな』

叢雲『どうも』

船とはただ舵を握っていれば動かせるものではない。

大きなものになればなるほどただ海を進むだけでも様々な計算が必要になってくる。

まして砲撃、雷撃なんかを行うにはさらに複雑な計算を要する。

そして本来それらは船に乗る何人ものエリート達によって行われるものだ。

だが、艦娘はその身一つで一隻の船であり、一隻の船にもかかわらず一人でしかない。本来大勢の人間で行われる様々なものを一人で体現している。

男『こうして普通に過ごしている時と違って、戦闘中の艦娘の脳は凡そ人間離れした作業をしている』

叢雲『ええ。さっきの"解こうと思えば"ってのも戦闘態勢で脳をフル回転させればって意味だもの』

男『単純計算すれば艦娘の脳は優秀な軍人の脳の十や二十以上が並列化されているようなもんだ。スパコンと比べるには余りにも人間の範疇だが、普通の人間と比較すれば余りに人間離れしている』

叢雲『だからこそのテスト?』

男『計算ってのをきっかけに思い出すものがあるかなってな。結果はこの通り』

叢雲『これは?』

男『さっきのテストの点数』

叢雲『…見てもよくわからないわ』

男『偏差値は70以上。秀才だ。だが人の範囲だな』

叢雲『偏差値って何の統計よ』

男『あぁ、全国の受験生達と比べてって事だよ』

叢雲『受験…あーそういう。そっか、学生って奴か。そっか、そういう世界があるのね』

そう言って叢雲は廊下の窓から外を見る。彼女の持つ薄い空色のカーテンのせいで見えなかったが、その表情は想像に難くなかった。

男『俺も昔受験生だったな。もう二度とゴメンだし、出来れば忘れたいくらい嫌な思い出だがな』

つい、ついくだらない事を口走ってしまう。ただ誤魔化す為に。

叢雲『アナタの事は聞いてないわ。いいから話を進めてちょうだい』

ヒラヒラと片手でこちらをあしらう叢雲の呆れた表情に安堵しつつ会話を戻す。

男『あー、それでだな。さっきのテスト。普通艦娘にガチで解かせたら軒並み満点か凡ミスが少し出る程度の結果になる』

叢雲『まあそうね。引っ掛け問題なんかは慣れていないから間違えそうだけど、ええ、他は大抵暗算でいけるわ』

端末に映る問題を凝視しながらそう答える。きっと今俺との会話と並行して問題を解いているのだろう。こういう作業は艦娘だからできる事だ。

男『頭の中で計算ってどんな感じなんだ?』

叢雲『んー殆ど感覚的なものなのよねぇ。問題だけ見てあとは他の人に頼んでる感覚。人というか他の脳みそ?何せメタグロス状態だもの』

男『めた?』

叢雲『あ、気にしなくていいわよ』

男『そうか』

メタグロス。なんだろう。専門用語か?それなら俺でも知ってそうだが。

叢雲『それにしても記憶なくても解けるものなのね。あ、たまたま覚えてただけ?』

男『いや、どうも記憶と言うよりは知識の方らしい』

叢雲『それって違うの?』

男『例えば俺が記憶喪失になったとしよう。俺は誰、ここは何処ってなる』

叢雲『それで?』

男『そんな状態でも俺は二本の足で歩いて日本語での意思疎通ができる。記憶喪失ならそれはおかしくないか?』

叢雲『…確かに。言われてみれば記憶喪失って
なんだがんだ記憶あるわよね』

男『つまり経験の方の記憶は失われて知識の方はあるって事だ。彼女も経験の方はさっぱりだが知識は恐らくある』

叢雲『数学や物理は分かるってわけね』

男『他にもカレーに対する知識もな。甘口が好きってことは辛口の知識はあるみたいだ』

叢雲『となると記憶喪失ってそれほど厳しい状況でもないのかしら』

男『そこはなんとも言えないな。脳をタンスと仮定すれば彼女は恐らくどこに何をしまったか分からなくなってるんだ

そしてどういうわけか特定の引き出しは開けると爆発する』

叢雲『だからどれが爆弾の大元を探るために引き出しを一個ずつ開けていくしかないと』

男『そういう事だ』

叢雲『手当り次第試すってそういう事だったのね』

男『実際計算能力から記憶が戻った例があってな。だから試してる』

叢雲『あら、実例有りなの』

男『歴史と計算。とりあえずはここら辺が実例有り。さっき彼女が読んでいたのが歴史の教科書だ』

叢雲『それで、試して見たアナタの所感は?』

男『なんとも。一万まである数字の中からランダムで当たりが出るまで引き続けるみたいな作業だ。地道にやってくさ』

叢雲『ま、精々頑張って頂戴。応援してるわ』スッ

男『…なんだその手は』

叢雲『ここまででいいわよ。お皿。ここからは艦娘も多いし』

鎮守府の外れのあの建物はともかく食堂は鎮守府の中心に近い。当然艦娘も集まる場所だ。

男『ならお言葉に甘えよう』

叢雲『あともう一つ』

男『まだ何か』

叢雲『カレーの事言ったらコロス』

あ、からかってたのバレてたのね。

想像以上に怖かった彼女の目を前にして俺は黙って首を縦に振ることしか出来なかった。

イベント海域逆RTA完遂

艦娘はきっと頭がいい、というより処理能力が高いんだという世界です。

"夕餉"のように古臭い言い回しをしそうだなというのが私の中の叢雲概念です。つまりババむs

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一週間、という感覚。間隔。

この一見世間から隔離された鎮守府という空間。

しかし意外な程に世間と同じ一週間という感覚を共有して動いている。

一週間の天気は入念にチェックするし、当番や護衛艦隊の編成なんかも曜日で交代させている。

休日は人を乗せた船が多く通るし、輸送の船の種類や数は季節や時期にそって大きく変わる。

僕や彼女達にとって一週間という周期はそれなりの意味を持っている。

提督「なんというかまあ、意外と長いですよね。一週間」

叢雲「あっという間よ」

男「あっという間だな」

そう。彼が、そしてあの娘が来てから約一週間になる。

夕飯を済ませ鎮守府が少しづつ静かになってゆくこの時間。いつもの会議も七回目になる。

提督「半ば様式美になってきたけど一応これから始めましょうか。どうです、彼女は」

男「残念ながらさっぱりですよ」

そう言って目の前の男は首振る。

いつも通りソファに座り部屋のテーブルを囲んで叢雲のコーヒーを啜るこの会議。気付けば彼が僕の向かいのソファの右側。そして僕の左に叢雲というのが定位置になっていた。

提督「流石にそろそろ違うアプローチを始めるべきなんじゃないですかね」

素人考えだが未知の相手であるのは彼も同じだ。的外れということもないだろう。

叢雲「そうね。流石にそろそろ名前も欲しいわ。"彼女"とか"あの娘"とか言うの面倒だもの」

そう言い放って叢雲が"コーヒーを啜る"。

ふむ。どうにも御立腹のようだ。

男「"仮名"か。まあ、そうだな。そうする他にないでしょう」

"名前"。この話について彼はいつも言い淀む。

「本当の名前を探すのが目的なのだからその前に名前をつけるとややこしい問題が起こる」と言いあの娘を名前で呼ぶなとそう続けた。

それはきっと本当だろうし本音なんだと思うけれど、それ以外に何か、それ以上に何かを隠しているように思えて仕方がない。

提督「今あの娘の渾名って何があったっけ」

叢雲「ええっと、眠り姫、赤頭巾、座敷童子、さくら、撫子、赤子、後なんだったかしら」

提督「この中だったら何がいいですかね?専門家としては」

軽いジョークのつもりで聞いてみる。しかし

男「それはあなたの役割ですよ。俺じゃない」

酷く真剣な顔で返される。

こちらに対して何か隠し事があるのはまあ上層部に関わる人間である以上当たり前だろうと思えるけれど、それにしたってもう少し心を開いて欲しいものだ。

叢雲も叢雲で彼には警戒しろと再三言ってくるし。

再び叢雲を見る。

コーヒーがもう殆どない。

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叢雲「名前だけじゃないわ。一週間、何の成果もなかったんだもの。何か大きく方法を変えないと埒が明かないわよ」

自分の口から出た言葉に自分で驚いてしまった。

私、思ったよりイライラしてる。

まったく!これじゃ本当に子供じゃない!何をそんなに苛立ってるのよ私。

どうにか気を紛らわせようとコーヒーを…あら、もうない。

男「そうだな。他の艦娘との接触。後は海や艤装に触れさせる事だな」
叢雲「そういう事なら今すぐでもできるじゃない。仮の名だってそうよ」

つい食い気味に言ってしまった。何よ、何を焦ってるのよ。

男「いや、だからそれは、彼女に負担をかけてしまう事になるから慎重に」

この眼。なにかに怯える眼。何度見てきただろう。

あ、やばいな私。

叢雲「だからッ!!なんでいつもあの娘を腫れ物扱いするのよ!!一体何に怯えてそんなに縮こまってるのよ"アナタ達"は!!」バンッ

あー、やっちゃった。

机を叩いた痛みが少しずつ掌から伝わってくる。

でもそれと同じように、どうしてこんなにイライラしていたのかがようやく分かってきた。

別に今回に限った話じゃない。人間(コイツら)のこういう態度に、ずっとイライラしてたんだ。私は。

艦娘(私達)に近づいてくるくせに、艦娘(私達)に怯える人間(コイツら)に。

男「」

うわードン引きしてる。当たり前だ。まだ私睨んだままだし。

落ち着けー落ち着け私。深呼吸深呼吸。

提督「はいそこまで」ポン
叢雲「ヒャッ」ビクッ

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叢雲「ちょっと!急に頭叩かないでちょうだい!!」

提督「えぇー、手を置いただけじゃん」

二人がまたいつもの痴話喧嘩を始めた。

しかしありがたい。おかげで一旦落ち着ける。

しかし、怯えるときたか。

確かにそうかもしれない。自分じゃ大丈夫だと思っていたが結局俺はまだトラウマを引きずってるようだ。

提督「ま、焦る気持ちは分かるんですけどね。僕らは一週間も彼女をあそこに閉じ込めているわけですから」

叢雲「そーね」プイッ

僕ら、か。

そうだ。彼女の事を案じているのは俺だけじゃない。立場は違えどそこは同じなんだ。

男「もう一度状況を整理しましょう」

一度冷静になるべきだ。

男「記憶とは言ってしまえば五感から得た刺激が形作るものの総称です。故に記憶喪失の際はその五感に働きかけるのが効果的だ」

叢雲「御託はいいから結論だけ言ってちょうだい」ムスッ

バツが悪そうにそっぽを向きながら叢雲が一蹴してくる。

後でどう言い訳をしようか…

男「この一週間試せたのは三つ。

計算。これは彼女に知識がある事は分かったが記憶には繋がらなかった。

歴史。文献や写真。やはり第二次世界大戦の部分が抜け落ちていた。これらは新しい知識として教えれば問題はなかったが覚えてないかと尋ねると意識が保てなくなる。

艦名。艦名である事を伏せて名前や関連するキーワードを見せたり聞かせたりした。帝国時代に存在した日本の艦艇。改名されたものを含めれば400以上。その全てのワードで反応がなかった」

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400以上か。ウチもそれなりに大所帯になっては来たけど、400っていうのはやはりかなりの数字だ。

提督「ここまで記憶が戻らないのはやはり異例ですか?」

男「計算に関しては前回たまたまそこから記憶の糸口が掴めただけで有効かどうかはなんとも。

ただ歴史や、特に名前。これらは彼女達の根幹とも言える部分。何も反応がない、というのは初めてです」

提督「ならやはり、彼女をあの部屋から出す、という方針でいいですかね」

提督「ええ、そうする他なさそうです」

叢雲「で!あの娘を外に出す場合どんな不都合が起こるわけ」

まだ怒ってはいるけど思考自体は冷静らしい。叢雲は感情が激しいからなあ。

男「一つは力の暴走。艦娘の力は凄まじい。彼女がもし艤装を使えたとしても制御できるかは分からない。最悪それを止められるように見張りが必要です」

撃たれた事があると彼は言っていた。何が起こるかは確かに分からない。

男「もう一つ、やはり他の艦娘との接触は可能な限り抑えたい。一度に合わせるのは恐らく相当な負担になる」

これも同意だ。言葉だけでも気を失ったりするんだ。他の娘との接触は良くも悪くも影響が大き過ぎるだろう。

叢雲「…他の娘との接触だけならあの部屋で一人ずつ会ってもらうって事も出来るけど」

男「それはダメだ。やはり部屋を出てこの鎮守府に触れて欲しいと思う。彼女がなんであれ、ここに所属する艦娘であるのは確かなんだ。それを彼女に認識して欲しい」

ん?まあ言わんとする事は分かるけれど、それは別にそこまでこだわる事ではないようにも思える。

ましてこれまで消極的なアプローチしか取らなかった彼が。何か意図があるのだろうか?

叢雲「…」チラッ

叢雲と目が合う。叢雲も疑問を抱いたようだ。

叢雲「そう。なら艤装や海に触れさせる方を優先しましょうか。そうね、見張りに私ともう一人の他の娘を付けるのはどう?それくらいなら負担なく会わせられるんじゃない?」

男「そうだな。よし、そうしよう」

提督「決まりだね。なら早速見張りと艤装運用の方法を考えよう」

叢雲「となるとまずは明石や夕張辺りに合わせることになるかしら」

男「いや、その前に一つやらなくてはいけないことがある」

叢雲「まだ何か?」

男「あぁ」

そう言って彼は端末を取り出して何か操作する。

ん?僕の端末が震えた。メール?

提督「これは」
叢雲「なになに?」ヒョコ

見覚えがある書類が添付されていた。

うわあ仕事が増えるなこれは。

男「協力者をこの鎮守府に、呼びたいんだ」

つまりその許可等の手続きをしろというわけだ。

Atlantaが可愛くてつい…

次は意外な協力者に来てもらいます。

鎮守府の正面入口。そこにある門の前で待機する。

男「お、来た来た」

鎮守府は大抵人の大勢いる港か人の寄り付かない沿岸の二種類の場所にある。

ここは後者だ。山に囲まれ外界と通じているのは海路か山の中を走るこの一本道だけだ。

海は勿論だが陸の監視も厳しい。一本道は最初と最後にゲートがあり許可なく入れない。山の方も色々と防犯設備が張り巡らされてるとか。

そんな一本道を鎮守府に向かってやってくる大型トラックが見えてきた。

思えばこうして直接会うのは久々な気がする。

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男「よ、久しいな」

門の前で停車したトラックの運転席に声を掛ける。

「こちらこそお久しぶりです。かれこれ一年半ぶりですかね」

大きな車体に似つかわしくない小さな顔がひょっこりと顔を出す。以前と変わらない丸っこい顔だ。

男「え、そんなにだったか」

「いつもはメールか電話ですからね。お互い忙しい身ですし」

男「お前に忙しいと言われる程じゃないさ」

日向「取り込み中すまない」

戦艦日向。いや航空戦艦だったか。彼女が今日の門の当番のようだ。

日向「ここにサインと、いや、説明は不要か?」

「ええ、慣れてますから」

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日向「よし、照合完了だ。通ってくれ。ゆっくりとな」

日向が端末を操作し門を開ける。

「はい」

門には色々とセンサーやら何やらがついてるらしく危険物や事前の申請以外の人間がいるかを見つけられるそうだ。

技術的な部分はよくわからんが、やろうと思えば抜けれるのではないかと思わなくもない。

「あ、トラックってどこに停めます?いつものグラウンドでしょうか?」

男「あー、鎮守府の端にある別棟というか、入って右にある建物の後ろに頼む」

「別棟…あぁ分かりました、はい。思い出したので。そこで準備しちゃっていいですか?」

男「頼む。終わったら執務室に、でいいか?」

「大丈夫です」

男「じゃ」

トラックが三台。静かに動き出した。

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叢雲「なんだか不思議な感覚ね。夏に桜でも見ているようだわ」

執務室の窓からトラックを眺める。

提督「そんなに違和感があるのかい?」

叢雲「アンタはどうか知らないけど、私達にとってアレは生まれた時からある季節のイベントだもの」

提督「なるほど。言われてみればそうか。で、イベントとしてはどうだい?」

叢雲「…ま、別に悪い気はしないわね。人間相手じゃないからってのもあるけど」

男「それを聞いたら彼女達は喜ぶよ。そのために頑張っているからな」

いつの間にか課長が戻って来ていた。

提督「おかえり。問題なかったですかね」

男「ええ。後は準備して診察するだけです」

提督「こちらも朝礼であそこには近づくなと皆に伝えてあるので恐らく、大丈夫だと思います」

叢雲「大丈夫よ。その位は弁えてるわ」

一部駆逐艦辺りで少し不安なのがいるけど。

叢雲「しかしまさか健康診断とはね」

健康診断。司令官が年に一度遠くにある軍の施設で受けるものとは違う、艦娘の為の健康診断。

ウチでは毎年秋にああやってトラックで機器が運ばれてきて艦隊全員が例外なく受診する。

男「本来書類上必要な事でもあるんだ。鎮守府の外、つまり海で艦娘を活動させるのに診断を受ける必要がある」

叢雲「ならあの娘の場合は?」

男「今言った事もそうだが、何より本当に俺達の知る艦娘なのかちゃんと調べておきたいからな」

私達の知る艦娘、ね。

逆に

提督「僕達の知らない艦娘、というのはどういった場合を指すんですか?」

男「分かりませんよ。何せ知らないんですから」

叢雲「そりゃそうね」

あの娘がそうでないという保証は、確かにないわね。

男「ところで叢雲。健康診断の時のスタッフ。君はどう思う?」

叢雲「どうって、また随分あやふやな聞き方ね」

男「別に深い意味は無いんだ。艦娘にとってどういう印象なのかを参考までに聞きたかっただけだ」

叢雲「ふーん。ならそうね、好印象よ。驚く程ね」

男「そりゃよかった」

叢雲「…なんだか妙にこだわるわね、そこら辺。アナタも関わりがあるの?」

男「うむ、まあそうだな。あると言えばある。お」

「失礼します」コンコン

控えめなノックとともに扉の向こうから声がする。

大人しく、落ち着いた、しかしそれでいて中にいる私達にしっかり届く、女性の声だ。

提督「どうぞ」

叢雲「…」

艦娘だ。

予感なんてものじゃない。確信がある。

私達艦娘は大抵そういうものだ。

人間が私達艦娘を見てなんとなく直感的に"人じゃない"という感覚を覚えるのと似ているけれど、私達の方はもっと確信的だ。

例え初対面でも艦娘は艦娘に会えば自分と同じだとわかる。

声や雰囲気、オーラというか、ともかく何かがそう確信させる。


扉が開きその女性が入ってくる。

茶色っぽい髪は首の後ろで結えられている。長さは肩に触れる程度か。

身長は私よりも少し高いくらい。軽巡クラスといったところかしら。

白い襟の深緑のセーラー服に生成りのパーカーを羽織っている。見たことの無い服装だけれど何型だろうか。海外、ではなさそうなのだけれど。

黒いふちのメガネに黄緑色の瞳。人懐っこそうな、猫のような印象を受ける。

ふむ、

叢雲「…え、誰?」

提督「え?」

叢雲「いや待って、アレ?」

提督「誰って、初対面で名乗ってもないのに開口一番それはどうなんだい」

叢雲「違、違うのよ…確かにそうなんだけど、んん?」

艦娘だ。間違いなくそう感じる。なのに、それなのに。

誰だ?見た事ない。知らない。

現在世界で確認されている艦娘のデータは全部一通り見ている。でもその中に彼女はいなかった。

それに司令官が申請した書類にあった今回のスタッフの数は三人。その内艦娘は二人で私も知っている顔ぶれだった。

どういう事?だって目の前の彼女は"間違いなく人じゃない"

男「えっと、とりあえず紹介してもいいかな」

提督「あーうん、お願いします」

課長が彼女の横に立ち私達の方を向き直る。そして

男「こちら、海軍情報部三課課長の」

「しーちゃんです。どうぞよろしくお願いします」ペコリ





叢雲「…」
提督「…」


叢雲「は?」
提督「え?」

男「しーちゃんです」

叢雲「え、なに、馬鹿にしてんの?」

男「気持ちは分かるがそうではない」

提督「しかも情報部三課で、課長?」

しーちゃん「はい。課長を務めております」

叢雲「それでえっと、その、」

しーちゃん「しーちゃんです」

叢雲「」
提督「」

あ、ダメだ。処理能力が追いつかない。

男「これがあるから面倒なんだよ…」ハァ

しーちゃん「なら過去の自分を恨んでくださいね」ニコニコ

男「お前絶対楽しんでるだろ」

しーちゃん「滅多に無い機会ですから楽しまない手はありません」フンス

男「他人事だと思って」

しーちゃん「何せ人の事ですから」

男「でぇ、えー何から説明するか」

しーちゃん「あーでももうすぐ機器の用意が終わるので手短にお願いします」

男「出来るかっ」

叢雲「一つ!」

しーちゃん「はい?」

叢雲「一つ確認するわよ。そのしーちゃんってのはあだ名よね」

しーちゃん「いいえ」

男「…」

しーちゃん「れっきとした私の名前です」

それまでの穏やかな表情を崩してハッキリと彼女は断言した。

サンリオには行けなかった…

しーちゃん可愛い。結わえているのも解いているのもいい

叢雲「…はいどうぞ」コト

しーちゃん「ありがとうございます?」

全員にお茶を出して私も席に着く。

私の隣に司令官、向かい側に課長と…しーちゃんが座る。

課長の横に座っているためか彼女の小柄という印象に拍車がかかる。

提督「それでえっと、情報部三課のしーちゃん、さんですよね」

しーちゃん「しーちゃんでいいですよ。あ、でもしーさんはやめていただけると幸いです。なんかこそばゆいので」

柔らかく微笑む。見る者に無害であると思わせるその表情が返って私の警戒心を煽る。

提督「では、しーちゃん。その情報部三課というのがそもそも聞き慣れない組織なのですが」

そう、そうよ。海軍にも色々な組織がある。

けどこうして鎮守府に直接関わるような組織はそう多くない。まして私達が聞いた事ない、なんて事はないはずだ。

しーちゃん「それはまあ情報部ですからね。あまり目立つ事はしません。でも例えばこれ」スッ

ポケットから取り出したのは、端末?私のとは少し違うようだけど。

しーちゃん「こういった端末や鎮守府のシステムなんかは情報部一課が深く係わってたりします。二課は、ちょっと詳しくは言えませんね。でもあそこは基本鎮守府には係わってません」

提督「確かにシステム面は特に気にせず使っていたけれど、そりゃ誰か作った人がいるわけですよね」

しーちゃん「そして私の所属する三課。ここは比較的最近できたものですね」

叢雲「組織の目的は?」

しーちゃん「んー、情報の発信。あるいは誘導、って所でしょうか」

つまり教える気はないということね。

しーちゃん「あ、名刺ならありますよ。名刺の役割を果たしてはいませんけれど」

そう言ってパーカーの下から首に下げた名札ケースを出す。その中にあった名刺を一枚司令官に渡した。

提督「…連絡先と所属、ID。以上」

叢雲「名刺なのに名前が無い…」

しーちゃん「顔写真はあるので一応私のと分かるはずです」

男「名前は諸事情によってなしだそうだ。しーちゃんと書くよりは不明の方が信用されそうだもんな」

しーちゃん「そうなんですよねぇ」

困り顔で微笑まれたが困惑してるのはこっちの方だ。

結局何一つ分からなかった。なんなのよこいつ。

叢雲「…」

どうしよう。怪しいのが増えた。

むしろ課長よりもこの女の方が私としては怪しい。司令官にはきっと分からない。この"艦娘なのに艦娘ではない"という感覚。

提督「二三質問してもいいですか?」

しーちゃん「質問は構いませんがお答えできるかは分かりません」

提督「簡単な質問です。YESNO程度で簡単に答えてる形で構いません」

しーちゃん「分かりました」

提督「年に一度の艦娘達の健康診断。あれは貴女の組織が関わっているのですか?」

しーちゃん「YES、というより私達が主導で始めたものです」

提督「最近できた組織と言いましたが、貴方が設立を?」

しーちゃん「NO。私は何も出来ませんでしたから」

提督「では最後に、貴方は"提督"ですか?」

しーちゃん「…それは提督というものの定義によりますね。ですが私の基準で言えばNOです」

提督「…分かりました。とりあえずは彼女の診察の方をお願いします」

しーちゃん「はい。お任せ下さい」

しーちゃん「それで診察の事なんですが、接触する人数は少ない方がいいとの事でしたね」

男「あぁ。負担は出来るだけ減らしたい」

しーちゃん「では私と男さんの二人でよろしいでしょうか?」

提督「それに関してはお二人にお任せします」

しーちゃん「分かりました。それで、今準備をしているウチのスタッフ二人なのですが、この部屋で待機してもらっても構いませんか?」

提督「それは大丈夫ですが、何故ここで?」

しーちゃん「色々と話したい事があるのではないかと思いまして、ね」

そう言って女が私を見て口元を歪ませる。

なんかイラッとくる。微笑む、という表現で間違いはないのだろうけれど、この女の猫のような瞳とそれをキュッと細めた表情はなんだか見透かされているようで落ち着かない。

叢雲「…いいんじゃないかしら。私は構わないわよ」

提督「そうかい?ではそういう事で」

しーちゃん「はい」

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執務室がいつも通り私と司令官だけになる。

叢雲「…」

提督「…」

叢雲「…」

提督「…なあ叢雲。さっきからどうしたんだい?」

叢雲「不機嫌なのよ」

提督「それは見ればわかるけど…別に警戒するような相手では無いと思うよ?」

叢雲「…そうね」

その判断に間違いはない。

組織としては彼女の情報部三課とやらにウチの鎮守府は敵対する意味は無い。というか基本あっちが優位だし揉め事は勘弁だ。

例の健康診断を見る限りも、彼女の組織はとても友好的だ。私達にとってそれはとても大切な事だ。

でも

叢雲「あの見た目で、しかも女で課長よ?古き悪しきの塊みたいな軍でそれは警戒するには十分過ぎると思わない?」

彼女が艦娘だと感じたという話は黙っておこう。これは私の問題だ。

提督「なら今回の事でそれを判断すればいいさ」

叢雲「少しは疑う事を覚えなさいよ」

提督「もう少し信用する事を覚えてもいいんじゃないかい」

叢雲「…」

提督「…」

ここで揉めても仕方ないか。こうやって今までも私達はバランスを取ってきたんだし。

「失礼します」コンコン

提督「どうぞ」

この声には聞き覚えがある。事前の書類で見た残りの二人。

時雨「初めまして。情報部三課、時雨です」ペコリ

北上「北上でーす」イェイ

叢雲「あら」

見知った顔だが二人共服が制服ではなかった。

それに何より"人間の言葉を話している"。

提督「宜しく、二人とも」

北上(佐世保mode)「ほほぉ、中々いい部屋ですなあ」

軽巡洋艦、北上。制服とは真逆なロングスカートにシンプルな服。え、これでトラック運転してきたの?嘘でしょ?

時雨(佐世保mode)「こら北上、あんまりうろちょろしないで」

駆逐艦、時雨。こっちは制服をアレンジした感じでオシャレ。オシャレすぎる。オシャレとかよく分からないけれど。しかもメガネだ。

提督「構わないよ。診察には時間がかかると言っていたし、ゆっくりしてていい」

北上「だってさ」

時雨「もぉ…」

ここはひとつ試しに、

叢雲『はいコーヒー』コト

時雨『どうも。でも"それ"は要らないよ』

叢雲「…みたいね。二人共ミルクと砂糖は?」

北上「なんか甘いのないの?」

時雨「砂糖多めで」

叢雲「牛乳ならあるわよ」

北上「牛乳…牛乳って甘いと言えるかな?」

時雨「知らないよ…」

叢雲「後こっちも、自由に食べていいわよ」

時雨「お構いなく」

北上「おー饅頭あるよ饅頭。こうなると牛乳は合わないかなぁ」

叢雲「次は熱いお茶が一杯怖い、って?」

北上「ん?あぁ、はは、そうだね。ちなみに一番怖いのは羊羹かな」

時雨「怖い?」

北上「気にしなーい気にしなーい」

提督「二人はいつも健康診断の時にいた北上と時雨、でいいのかい?」

北上「ふぉれえあっえうお」モグモグ

時雨「食べるか喋るかどっちかにしなよ」

北上「」モグモグ

時雨「…うん、基本的に診断の際のスタッフはいつも同じなんだ。僕らの他に金剛、響、瑞鳳、明石が主要メンバー。後はその時々で一人二人つく感じだね」

提督「なるほど。ならお久しぶり、と言うべきなのかな」

北上「まーそうは言ってもウチら直接会った事はないしね。そういうのは金剛さんか瑞鳳さんに任せてたから。ここの時は大体金剛さんじゃない?」

提督「そう言えばそうだね」

叢雲「…」

へぇ。意外と考え無しってこともないのね。

今の時雨と北上の話した内容は間違いなく当事者だからこそ言える内容だ。

カマかけ、という程じゃないけれどしっかりと警戒はしていたようね。

叢雲「それで、さっきしーちゃんと話していたのだけれど途中で終わっちゃったのよ。一つ聞きたいのだけれど」

北上「なになに?年収とかの話?」

時雨「なんでそうなるのさ」

なら私も踏み込んでみようかしら。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

叢雲「情報部三課の活動と目的」

時雨「ん?」

提督「!?」

叢雲?おいおいまさか…

叢雲「艦娘の為、という話は聞いたけれど詳しくはアナタ達から聞いてと言われたの」

北上「うへーめんどくさい事押し付けていきやがったぞあのチェシャ猫」

思いっきり騙しにかかった!悪びれもせず!躊躇なく!

でもそれが知りたいのも事実だ。どうする、このまま上手くいくかな?

時雨「ふーん、そこまで話してたんだ」

北上「随分話が早いもんだ」

時雨「なら、もうしーちゃんの本名は聞いたんだ」

本名!?流石に"しーちゃん"っていう名前は本名じゃないのか。しかしこれはどうする?詰んでないかな?

叢雲「…聞いたわ」

半ば諦め気味に叢雲が答える。

時雨「へぇそうかい。なるほどなるほど」

ニヤリと笑う時雨。

あらら、完全にしてやられたな。というより思ったより用心深かった。

時雨「あはは、残念。しーちゃんは本当にしーちゃんなんだ。本名なんてないよ」

叢雲「嘘でしょ!それはそれでビックリなんだけど…」

提督「はぁ」

やれやれ。最初に仕掛けたのは僕だけど、まさか叢雲があそこまでグイグイ行くとは思わなかった。

北上「んー?ん、あーそういう事か。わおウチらめっちゃ警戒されてんじゃん」

叢雲「なんていうかその、ごめんなさい…」

提督「僕からも謝罪しよう。叢雲を止めなかったのは僕の意思だ」

時雨「いや、いいよ。むしろそれが普通だしね」

北上「なんせ初対面でいきなりしーちゃんだもんね。これが名前ですって。怪しまない方がおかしいってあんなの」

随分とバッサリ躊躇なく意見を言うな北上。北上らしいと言えばそうだけど。

改めて考えるとバランスの取れた二人と言える。

時雨「でもね、しーちゃんが名前を名乗るって事はそれだけ相手を信用してるって事なんだ。元々二人には僕らの事を話すつもりだったんだよ」

北上「でもその前にお菓子追加で、後牛乳。罰ゲームね」

時雨「北上」

北上「いやいや、これはちゃんと意味があるんだって。立場あるもの同士が揉め事をチャラにしたいって時は謝罪とそれに対する罰が一番なんだって」

時雨「それは、まあ確かに」

それに二人とも随分と人間に慣れている。色々な面で。

叢雲「りょーかい。牛乳とお菓子ね。何かリクエストは?」

北上「和菓子ー」

叢雲「はいはい」

叢雲が席を立つ。和菓子か、他にあったっけな。

時雨「さて、話すとは言ったけれど何から話したものかな」

北上「全部説明すんの?めんどくない?」

時雨「勿論話せる範囲でだけど、事細かに説明してもしょうがないし掻い摘んでだね」

提督「さっきしーちゃんは情報の発信、誘導と言っていたよ」

時雨「それは概ね正解だね」

北上「情報部としての仕事は基本それだよね。まーそんな仰々しいもんじゃなくて実際は単なるプロパガンダ。てゆーかパンダだよパンダ。白黒ハッキリしないとこなんかそっくりだね」

時雨「パンダ?」

提督「客は誰だい」

北上「国民」

時雨「あぁそういう意味か」

提督「国民ね。軍人らしい言い回しだ」

北上「そりゃどーも」

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『よ、よろしくお願いしらす!』

自分を閉じ込めている小さな部屋でさらに縮こまるような形でお辞儀をする。

しーちゃん『そんなに畏まらなくても大丈夫ですよ。軽い健康診断ですし』

しらす…うん相当緊張してるな。

しーちゃん『予め聞いてはいると思いますけど改めて、本日貴方の診察を担当しますしーちゃんです』スッ

『あ、どうも』

しーちゃん『あら暖かい手。それにまだ白い』

『そ、そうかしら』

しーちゃん『えぇ。さ、行きましょう。車はすぐそこに停めてあるから』

『はい!』

触れて、笑顔で話す。彼女の緊張は幾ばか解れたようだ。

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『わぁー…』

しーちゃん『どうです?これ全部私のなんですよ』エッヘン

『凄い!なんかこう、カッコイイわね!』

しーちゃん『んーカッコイイかはともかく凄いのは確かですよ。三台とも世界に一つしかない特注品なの』

男『いやお前のではないだろ』

何故か建物横に停められた三台のトラックに目を輝かせている。何故…

カモフラージュの為まるで運送トラックの様にしーちゃんの趣味全開なデコレーション?がされているのだ。カッコイイ…のだろうかこれは。

しーちゃん『では早速行きましょう。あー靴は脱がなくていいですよ。そのまま階段でトラックの中に』

『はーい』

男『じゃあ俺はここで待ってるよ』

『え?』

男『ん?いや、俺は外で待ってるから安心してくれ』

『そう、なの』

しーちゃん『…何言ってるんですか。付き添いが付き添わなくてどうするんです』

男『は?』

しーちゃん『大丈夫ですよーこの人言う事やる事コロコロ変わる人ですから。ほら男さんも早く』

『あら、中は結構広いのね』

男「おい!なんで俺まで中に!」ヒソヒソ

しーちゃん「不安がってる女の子残して外で待つとかありえないでしょ」ヒソヒソ

いつものイタズラ猫の様な顔でそんな事言われてもなあ!

『しーちゃん…さん?私どうしたらいいのかしら』

しーちゃん『そこの椅子に座っててください。すぐ行きますから』

だが彼女が俺に着いてきて欲しいと思ってるのは事実だろう。あまり気は進まないが…

しーちゃん「どうします?」

男「行くよ…」

しーちゃん「そうですね、貴方はそうするべきです」ニヤ

こいつ…

しーちゃん『ではまず服を脱いでください』

男『おい』

『はーい』

男『おいぃ!?』

しーちゃん『『え?』』

男『二人してそんな不思議そうな顔をするな』

しーちゃん『でも脱がないと測定とか出来ませんし。あ、下着はそのままで。というか下着はちゃんと現代の物なのね』

『こう言ってるわよ?ちなみに下着は叢雲から借りてるわ』

男『それは出来れば知りたくなかった…』

『?どうして?』

男『見ていて複雑な気持ちになる』

この白いブラと下着が叢雲の…いやらしさは無いがなんかこう、複雑だ。

しーちゃん『この娘の下着ならいいって言うんですか』

男『そうは言ってない』

しーちゃん『へー、この着物細かいパーツはないんですね。楽でよかった』

『パーツって?』

しーちゃん『着物って中に着たり巻いたりする物が多かったりするの。貴方のはその点とても簡素で良さそうと思ったんです』

『そういうのもあるのね。一度着てみたいわ』

なんだろう。目を背けておきたいがこういう時それをやると逆に恥ずかしい気もする。どうすればいいの俺。

しーちゃん『さて、では簡単な測定から行きましょう。寒くはない?』

『ええ。とても暖かいわ』

男『…』

ここまで来て俺ここにいる必要あるか?とは言えない。もういい、割り切ろう。仕事だこれは。

しーちゃん『まず身長体重と、これらの器具は知ってますよね?』

『ええ、知ってるわよ』

しーちゃん『では最初はここに』

目の前の少女を改めて観察する。

撫子、赤子、眠り姫、赤ちゃん、紅、緋色…なんとかさくら。

様々な呼び方があるがその多くが彼女の最も特徴的な部分、つまり紅色のロングストレートを指している。

今の所その最も特徴的な部分は一切彼女の名前に結びついていないが。まあそれ自体はよくある事だ。叢雲だってあの髪色は船と関係はない。

身体的特徴が当てにならないのは既に知っている。

身長は駆逐艦としては並だ。体重も、見た目より少しずっしりとくるがけして重いわけではない。

しーちゃん『手を上げて、こうバンザーイって』

『これは?』

しーちゃん『バストウエストヒップの計測です』

『…それも必要なの?』

しーちゃん『勿論!』

胸は、人間で言えば発育が進んでいる方だろうが艦娘で言えばこちらも並だろう。これに関しては一部駆逐艦がおかしいのだが。

腰はクビレというより痩せているといった感じだ。なんだか少し心配になる。もっと食え。

下半身は逆に少し肉付きがいい。太っているというのではなく子供特有の柔らかさと言うべきか。

しーちゃん『…』

『?』

男『…ん?どうした』

しーちゃん『何ジロジロ見てるんですか』

男『変な目ではない。お前とやってる事は同じだ。というか他にどうしろと』

しーちゃん『冗談です。後は長座体前屈と握力と』

男『そんなに色々あったか?』

しーちゃん『ええありましたよ。ありましたと』

つまり、今回の特別仕様か。どういう意図かは後で聞くとしよう。

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しーちゃん『はい。これでここでの測定は終了です。一旦この服を着て隣のトラックに行きましょう。向こうでもすぐ脱ぐので』

取り出したのは病院などで見る患者服だ。

『わーこれも可愛いわね』

しーちゃん『緋色という特徴を男さんから聞いていたのでそれに近い色を持ってきました。帯をつけたらこれも案外着物っぽく見えそうですね』

患者か…嫌な言葉だ。勝手な思い込みだが、そう感じてしまう。

しーちゃん『行きますよ?』

男『あぁ』

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時雨「僕達の仕事は大きくわけて二つ。さっきも言った通り軍の広告塔。活動比率としてはこっちが大きいね」

北上「組織の建前だからね。表の顔はしっかり務めなきゃ」

叢雲「つまり、裏があるって?」

時雨「裏という表現は少し語弊があるけどね。でも確かに表じゃない活動はある。僕達の組織の根幹的な部分だ」

北上「言っちゃえばしーちゃんの志ってやつかな。願いというか、目指す場所。ウチらはそれに集ってるんだ」

提督「随分と勿体ぶった言い回しだね」

時雨「言うは易し行うは難し。今や多くの人や艦娘が捨ててしまった夢だからね」

提督「それは?」

時雨「艦娘と人とが手を取り合う世界。それを目指してるんだ」

大体例の感染症のせい

慌ただしくて中々更新出来ませんでしたが生きてます。
しーちゃん達佐世保組の可愛さを糧に生きてます、

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しーちゃん『手をここに当てて、こう抱え込む感じで。そうそう。そしたら大きく息を吸ってー、はいそのままで!』

『こ、これすっごくお腹が冷たいのだけれど』

しーちゃん『三秒我慢してください。3.2.1、はいオッケーです』

二台目のトラックの中も一台目と同じで人間に使うものと同じ機器が置かれていた。

『これは何をしているの?』

しーちゃん『レントゲンですよ。お腹の中を写真に撮るんです』

『お腹の、中を…』

しーちゃん『心音とかも聞いときます?男さんもほら』

男『なんで俺に聴診器を渡そうとするんだ。やらないから、やらないからお腹をこっちに向けなくていい』

『あら』

あらじゃないだろ。

しーちゃん『冗談はともかくここでの検査は終わりです。三台目に移動するのでまたこれを着て行ってください』

『はーい』

握力、体温、口内検査など普通艦娘には行わない検査も多かったが、どういう理由だろうか。

いや、視力検査は普通にしてるんだっけな。

『よいしょ』

下着の上に一枚羽織るだけで見る方はこうも安心できるのだから不思議なものだ。

しーちゃん「あそうだ。男さんこれいります?」

男「…は?なんだこりゃ」

しーちゃん「耳鼻科なんかで口内を見る時に使うヘラみたいなやつですよ。彼女の使用済みです」

男「いるわけねえだろ俺をなんだと思ってるんだ」

しーちゃん「残念。捨てるくらいなら売ってしまおうと思ったんですけど」

男「しかも金取るのか」

しーちゃん「ちなみにこれは舌圧子と言います」

男「それは知らなかった。しかもそれ金属だろ?消毒して再利用とかしないのか」

しーちゃん「しますよ?ちなみにステンレス製です」シレッ

男「なら売るなおい」

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しーちゃん『ここが最後の検査になります』

『この子だけ他のトラックより大きいわね』

しーちゃん『これはトレーラーベースですからね。北上さんの愛車です』

男『愛車…』

『あら?入口がないわ』

しーちゃん『これだけ後ろ側が入口前が出口という形式じゃないんですよ。運転席のすぐ後ろのここが出口兼入口です』

『入っていいかしら?』

しーちゃん『どうぞどうぞ』

こいつに関しては俺も知らない。こんな大きな車体に何を積んでるんだ?

『わあ!なんだかこう、宇宙船の中みたい!』

しーちゃん『分かる。キャトルミューティレーション味がありますよね』

『きゃとり?』

牛の切断って意味だと分かって言ってるんだろうかこいつは。後で意味聞かれたらどうしよう。

それよりも

男『MRI…か、これは』

しーちゃん『概ねその認識で間違いありません。形はそれを元にしてますから』

患者を寝かす診察台とその先にある筒状の機械。俺も健康診断で何度か見た事がある。

車内という閉鎖空間だとより宇宙船っぽさが出る。

しーちゃん『最後はそこの台で横になってもらうだけです。服はそのままで大丈夫ですよ』

『横になるだけでいいの?』ヨイショ

しーちゃん『はい。こっちを頭にして、そうそう。そのまま目を閉じてみて』

『なんだかドキドキするわね』

しーちゃん『そしたらそのまま三十分じっとしていてください』

男『三十分!?』

しーちゃん『その間姿勢をそのままで、目も開けてはいけません。声も何か異常がない限りは出さないで。あ、寝るのは構いませんよ?そのままでしたら』

『んー簡単そうで難しいわね』

しーちゃん『少し機械の音はしますけれど何かされることはないので大丈夫です。いけそうですか?』

『分からないわ。でも多分大丈夫』

しーちゃん『了解です。私達は始まったら運転席の方に行きますけど声や姿は確認できるので何かあったら伝えてください』

『う、うん』

ベットに横になる彼女の目はぎゅっと瞑られている。隠しているつもりなのかはわからないが緊張と恐怖が見て取れる。

しーちゃん『…ホラッ』ツンツン

男『え、あぁ…手でも握っていた方がいいか?』

しーちゃんに脇腹をつつかれ慌てて言葉を繋ぐ。

『こ、子供じゃないのよ!これくらい平気よ』

男『なら良かった。寝ててもいいらしいし、ゆっくり待っていれば大丈夫さ』ポンッ

そっと頭に手を当てる。これで少しでも励ます事が出来てるならいいんだが…

しーちゃん『では始めましょうか』

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しーちゃん「よっと」バタン
男「…」バタン

お互いにトレーラーの運転席に座る。当然しーちゃんが運転席。俺が助手席だ。

しーちゃん「心配ですか?」

男「そりゃな。もっと上手いやり方はあるんだろうが、俺にはどうもああいうのは苦手だ」

しーちゃん「ちゃんと効果はあったと思いますけどね。特にほら、頭ポンはポイント高いですよあれ」

男「そうなのか?」

しーちゃん「まあそれはいいです」ガチャ

しーちゃんが座席をめいっぱい後ろに下げる。

元々随分と前になっていたようだ。ハンドルもかなり下がっている。考えてみればここにあの北上が座っていたんだよな…

しーちゃん「画面を見ててください。あ、そちらもゆっくりしていいですよ。座席下げると結構広いですからここ」

男「ならそうしよう」ガチャ

画面。カーナビと言うには随分と大きな液晶が真ん中に着いている。他にも何やら様々なスイッチやツマミがある。コックピットかここは。

しーちゃんが何やら操作をすると妙な画面が出てきた。認証?

しーちゃん「これですよこれ」ピッ

首から下げていた名札ケースを画面にかざす。するとロックが解除され画面が変わった。

男「そういう機能もあるのかそれ」

しーちゃん「と言うよりこっちがメインですね。昔はカードキーだけで何枚も種類がありましたけど、今じゃこれ一枚で何でもですよ」

男「時代だな」

画面に次々と映像が映る、
そこには様々な角度から撮られたトレーラーの内部、つまりあの機械と彼女が映っていた。

しーちゃん「ではスタートです」

ボタンを押すと映像の中の機械が動き出す。動作もMRIと同じ感じだな。

男「音も拾えてるのか?」

しーちゃん「勿論」

男「ならそろそろ説明してもらおうか。色々とな」

しーちゃん「せっかちですねえ。話が早いのは好きですけど、折角の機会なのでゆっくりと会話がしたいんですよ私」

そう妙な事を言いながら後ろで結わえていた髪を解きメガネを取る。

肩にかかる位の茶色いショートヘア。ハッキリとわかる黄緑色の瞳。

あの時と変わらないしーちゃんが隣にいる。

男「まだ仕事中だろ?」

しーちゃん「三十分は暇ですから。オフって事で」

男「真面目なんだか適当なんだか」

しーちゃん「メリハリですよ」

男「眼鏡変えたんだな」

しーちゃん「え、気づいてたんですか?あの男さんが?」

男「今の流れで馬鹿にされるとは思わなかった」

しーちゃん「そんなつもりは無いですよ。眼鏡は不幸な事故でお亡くなりになりまして…具体的に言うと寝起きでフラフラ~グシャッ、と…」

男「うわぁ」

しーちゃん「流石にショックでしたあれは」

男「ちゃんと寝てるんだろうな」

しーちゃん「寝てますよ、ちゃんと。いい夢は、まだ見た事がないけれど」

男「働き過ぎだって部下からも言われてるんだろ?」

しーちゃん「それは、はい…でもそれこそ夢のためですからね」

しーちゃん「でも最近は随分と人手も増えてきましたし、昔より遥かに楽になりました」

男「それは何よりだ。お前は人に仕事を押し付けられるタイプだからな。長には向いてる」

しーちゃん「褒め言葉と受け取っておきますからね。でもそれなら男さんこそ人手不足の極みじゃないですか」

男「それは、そうなんだがな」

しーちゃん「求められる人材が特殊なのは分かりますけれど、もう少し何とかした方がいいんじゃないですか?

専門家と言えば聞こえはいいですけれど結局の所調査係って"貴方一人だけ"じゃないですか」

男「それはそうだが、でもアイツも手伝ってくれてるし」

しーちゃん「それでも彼女一人じゃ限界があります。そのために他の誰も寄せ付けられないのなら本末転倒です」

男「…その話題は後回しだ。今はこの検査の事を教えてくれ」

しーちゃん「もぉ。絶対後でまた話しますからね」

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時雨「艦娘と人間の関係。その現状を一言で言い表すと?」
叢雲「最悪」

間髪を入れずに叢雲が言い放つ。

提督「…悪化の一途を辿っていた、かな」

北上「へいとくはんがせーかい。客観的にはね」ゴクン

時雨「だから食べながら喋らない」

まるで保護者みたいだな。

時雨「元々僕らは異質なんだ。戦況が安定してきて脅威と恐怖が薄れだした途端人々は僕らを拒絶しだした」

提督「叢雲。しばらくステイ」

今にも腹の中に溜まっていた感情を吐き出そうと口を開きかけた叢雲を先に牽制する。ここで感情論を出す意味は無い。

叢雲「…分かったわよ」

叢雲も自覚はあるのだろう。ばつが悪そうに口を閉ざしてくれた。

北上「…秘書艦さん随分と荒ぶってるね」

提督「いつも人間相手に色々と我慢してもらってるからね。つい溜まってた物がでちゃうんだよ」

叢雲「一言余計よ」

時雨「気持ちは分かるけど何処かで毒ぬきしないと体に悪いんじゃないかい?」

叢雲「貴方達もそうなの?」

北上「ま色々とね」

時雨「これでも人間とはかなり関わりのある仕事をしててね」

叢雲「…私はね、人間が嫌いだけど、それをあまり口にしたくはないのよ」

提督「え、そうなのかい?」

北上「なんでなんで?」

叢雲「なんでって、それはぁ…」ジー

提督「ん?僕?」

叢雲「な、なんでもないわよ!」

提督「えぇそんな顔真っ赤にして怒る事なの?」

叢雲「うるさい!!」

北上「うわ、なんだろ。今すぐこの部屋飛び出して海ん中入って海水飲みたい」

時雨「甘い物好きなんだろ?」

北上「毛穴から砂糖ぶっ込まれた気分だよ」

時雨「さいで。さて話を戻そう」

叢雲「話って?」ハァハァ
提督「落ち着きなよ…」

北上「人間と艦娘の関係は確かに悪い。そしてこの状況を良しとしない者が二種類いた」

提督「良しとしない者?」

艦娘が人々に受け入れられない状況。それを良しとしない者というと、つまり

叢雲「…軍と艦娘」

時雨「そう。緊急事態とは言え人々の理解なしにこんな得体の知れないモノに予算を回せる程今の世の中は単純じゃない。生きるにも死ぬにも金と権利が関わるご時世だ」

北上「軍としてはウチらがなんであれ国民の理解は得なきゃいけないからね。そして当然私達にとってもこの状況はあまり良くない」

叢雲「人間を守る為に戦ってやってるってのに、その人間に嫌われるなんて笑えないわね」

北上「そ。そこでウチらの組織さ」

時雨「僕らの仕事の大部分は宣伝なんだ」

叢雲「宣伝?」

提督「広報活動…って事はあのテレビで見るのはもしかして」

時雨「そう。軍の国民に対する"艦娘とは安全安心な国民を守る兵器である"という宣伝を僕らがしてるんだ」

北上「ウチらがそれやるから組織と金を寄越せって、そうやって三課が出来た」

提督「それじゃあやっぱり彼女、しーちゃんが三課を立ち上げたのかい?」

北上「んーというよりしーちゃんを神輿に担ぎあげた人達がいるって感じ。このままじゃ軍としても、なにより艦娘にとって良くないと考える変わり者な人達が軍の中にもいたのさ」

なるほど。先の質問で彼女が自分は何も出来なかったと言ったのはそういうわけか。

北上「そっからは色々やったねえ。演習披露したりなんかお店とかとコラボしたり歌って踊って変な祭りやって」

時雨「パレードとかもやったなあ。基本的に陸でお偉いさんの横とかにいるのは僕らのメンバーだよ」

提督「サーカス、とかも?」

北上「アレは凄かったね…面白かったけどさ」

時雨「しーちゃんがノリノリでね…」

叢雲「あのドラムも貴方が?」

北上「私結構才能あるって言われたよ」

叢雲「アレって全部貴方達がやってたの…」

時雨「だって普通嫌でしょ?人間相手にああいう事するの」

叢雲「…そうね」

提督「…」

嫌か。まあそうだよね。

叢雲だけじゃない。皆だって人が全員そうでは無いと知ってはいるだろう。

でも、戦場で命懸けで戦う彼女達には、百のお礼の言葉よりも、たった一度の、化け物を見るかのような瞳の方が、心に刺さる場合が多い。

提督「でも、なら君達は嫌じゃないのかい?」

時雨「…どうなの?」

北上「えーここで私に振るの?」

時雨「こういう問に対する答えは君の方が適任だからね」

北上「あーはいはい分かったよ。ん~そうだなあ。別にどうでもいい、かな私は」

時雨「ふーん。僕は、いや僕もどうでもいいか。嫌じゃないよ」

叢雲「それじゃあ、貴方達の目的って軍の使いっ走りって事になるけど」

時雨「ま、そうなるね」

北上「表向きはね」

提督「表向きねえ」

時雨「そもそも三課が設立された辺りの戦況はまだ余裕がなくてね。広報とかそんな事に貴重な戦力である艦娘を割けなかった。だから無理のある計画だったんだ」

北上「でもその無理を通したから無事三課が生まれた」

叢雲「そんな事が出来たの?」

北上「頭の回る人がいたんだよ。神輿を作った狸がね」

時雨「あの東京の英雄、若き元帥の後押しもあったしね」

提督「あぁ。彼か」

彼なら確かに、人と艦娘が手を取り合う世界。そんな世界を目指す者を助けてくれるだろう。

北上「まーそうは言っても、結局はしーちゃんの夢が中心なわけだけどさ」

叢雲「人と艦娘が手を取り合うってやつね」

時雨「後は単に僕らのような艦娘を助けたかったんだろうね、しーちゃんは」

提督「?」

叢雲「含みのある言い方ね」

北上「…言うのそれ?」

時雨「いいんじゃない?しーちゃんもそういうつもりだったと思うけど」

北上「えーやたら信頼されてんじゃん君」

提督「そう、なのかな?」

物凄く不満そうな目を向けられた。そんな目で見られても対応に困るんだけどなあ。

時雨「というよりあの男が、だろうね」

北上「なんかそれはムカつくな~。後で嫌味言ってやろ」ニヤ

そう言って実に楽しそうにニヤリと笑う。

叢雲「待って待って話がズレてるわ」

時雨「あーゴメンゴメン」

北上「別に聞いてて面白い話でもないよ」

提督「そういうつもりで聞いてはいないさ」

時雨「分かってるよ。簡単に言うとさ、僕ら戦えないんだ」

叢雲「え?」

甲は諦めて乙にした提督

貴重な戦力である艦娘が怪しい音頭を踊ったり奇妙な生物とショーをやるわけないだろという話です。
三越に来てる深海棲艦は、見なかった事にしましょう…

しーちゃん「あの機械。MRIを模した形だと言いましたけど、そもそもMRIってどんなものか知ってます?」

男「お前みたいなちゃんと知識のあるやつに聞かれると知らんとしか言えないんだが」

しーちゃん「適当でいいですよ適当で。イメージで」

男「んーまあようはデカいレントゲンだろ。X線とか使う」

しーちゃん「ブブーハズレ。MRIのMはマグネティック。つまり磁力です」

男「へー。RIは?」

しーちゃん「えっと、まあそれはいいじゃないですか」

男「目ぇ逸らすなや」

しーちゃん「CTスキャン。MRI。どちらも簡単に言えば何かをぶつけてその減衰具合で透過させたように写す、なんです」

男「そこは何となくわかる」

しーちゃん「それらが艦娘に効かないのも知ってますよね」

男「そりゃな」

人智を超えた艦娘の不思議な部分。恐れと敬意と、あとあまりにも訳分からないからムカつくという理由で妖精パワーなんてこの界隈の奴は呼んでるが。

ともかく今までの人類の様々な技術が艦娘には効かないのだ。

男「待て、その言い方だとまるで」

しーちゃん「ええそうです。そんな理解不能な艦娘の体を解析できるのがこの機械なんです」エッヘン

男「それとんでもない発明じゃないのか!?」

しーちゃん「ええまあ」

男「いや、だとしたらそんな話聞いたことねえぞ。火種としては十分な話題だろ…」

艦娘を制するものが世界を制すと言っても過言じゃないのが今の世界情勢だ。そんな技術があると知れた日にゃ。

しーちゃん「対艦娘用観測装置は以前から研究が続けられていました。国内外問わず」

男「それは知ってる」

しーちゃん「でもそれは難航、というより皆つんでました」

男「それも知ってる」

しーちゃん「なのに去年急に装置が完成しました」

男「!おいまさか」

しーちゃん「はい。妖精の気まぐれです」

男「うっわ…」

しーちゃん「匙投げて辞める研究者も出たとか」

男「そりゃ折れるわ」

妖精の気まぐれ。

御伽噺のような単語だがこれを国家機密に関わるような大の大人が本気で口にするから面白い。

最も実際は何一つ笑えない話なのだが。

要するに人間の理解を吹っ飛ばして妖精がそのよく分からん力で解決してしまう事を指す。

そもそも妖精は大抵の人間には認識する事も出来ず、例え見えても会話は成立せず、勿論こちらの言うことなんか聞くわけもない。

そんな存在が時折本当に気まぐれに何かをするのだ。

しーちゃん「知り合いの博士曰く"自分の全てをかけて取り組んでいた難問の答えが無関係な人の転がしたサイコロの目で出てしまった位辛い"だとか」

男「心中察するに余りある…」

しーちゃん「とにかく出来てしまった以上はしっかり有効活用しなくてはいけません」

男「この機械はこれ一台なのか?」

しーちゃん「今のところ国内に二台。後は国外に、ってこれは話さない方がいいですね」

男「そんな貴重なのよく借りれたな。こんな雑な警備で」

しーちゃん「いえ、知り合いのツテでこっそり借りました」

男「はぁあ!?」

しーちゃん「研究所的にももっとデータが欲しいから是非と」

男「相変わらずそういう事サラッとやるよなお前」

しーちゃん「あ、結果が出ましたよ」

男「!」

画面には、なんかよく分からない数字やグラフが並んでいる。

男「レントゲンじゃないのか?」

しーちゃん「それは見た目だけです。これは、そうですねぇ。艦娘のよく分からない部分を数値化する機械ってとこですね」

男「んー…」

分からん。

しーちゃん「詳しい事は長いので割愛します。ともかく結果を見るに、彼女の中身は普通の艦娘と何ら変わらない、一切異常の無い状態です」

男「…そうか」

少しほっとした。何せ艦娘の変化は外からじゃ分からない。

"また取り返しのつかない事になっているかもという不安が拭いきれていなかったから"

しーちゃん「今大丈夫だからって安心しちゃダメですけどね」

男「少しくらい安心してもいいじゃねえか」

油断が禁物なのは分かるがこっちだって色々と、

男「ん?検査結果ってもう出たのか?」

しーちゃん「ええ」

男「じゃあさっきの三十分じっとしてろってなんなんだ?」

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艦娘は兵器だ。

この場合兵器というのは戦う力という意味。

つまり

叢雲「戦えないって、どういう事よ」

その力がないというのは艦娘の根底を覆す事になる。

時雨「僕は砲撃音がダメでね。近くで聞くと思考が飛ぶんだ。PTSDに近いらしいよ」
北上「わっ!!!」
提叢「「!?」」ビクッ




時雨「いや別にこれくらいでどうこうなったりはしないよ?」

北上「だってさ」

提督「え、あ、そうかい」

叢雲「ビックリした…」

むしろこの状況で隣からいきなり大声出されてピクリともしないのって逆に凄いんじゃないかしら。

北上「私は死ぬのが怖い。戦いたくない。それだけ」

叢雲「沈むのが?」

北上「いんや。死ぬのが。沈むのは、別に」

叢雲「?」

それって同じ事じゃないの?

時雨「ここら辺は僕達と君達じゃ認識にだいぶ齟齬があるからね。かくいう僕も北上の言う事を十全に理解してるわけじゃないんだ」

北上「私そーとー変わり者だかんねぇ。今でこそこんなだけど、昔は自分が変わり者とすら思ってなかったし」

そう言って最後のお菓子を口に放り込む。

うわ、もう全部食べてるし。変わり者というかなんというか。

提督「戦えないから、三課に入ったって事かい?」

時雨「いや、それは少し違くて「戦えない艦娘は破棄される」…北上」

北上「およ?自分で言いたかった?」

時雨「いいや。君に任せるよ」

北上「そうそう。善意は素直に受け取らなくちゃあ」

ため息をつく時雨とニヤと不思議な笑みを浮かべる北上。この二人仲がいいのか悪いのかイマイチ分からないわ。

提督「艦娘の所有権は国にある。そしてその管理、運用等のあらゆる権利はこの戦争中、鎮守府という特殊な場所においてその司令官に一時的に譲渡される」

北上「そう。その処分もね。そしてそれはあくまで上が何も言わなければでしかない」

叢雲「それってどういう意味よ」

北上「弾の出ない銃を置く場所はないって事だよ」

北上がロングスカートを思い切り蹴りあげて足を組む。その挑発的なにやけ顔は私を向いていた。

叢雲「…私達はそんな存在じゃないわ」

北上「かもね。でも人間の認識は違う。彼等にとって私達は正しく兵器でなくっちゃあいけない」

叢雲「それは、間違ってはいないでしょうけど」

北上「そう間違ってない。不良品を箱に詰めた時の奴らの目を見れヴェア!?」
時雨「はいストーップ」グイッ

おさげを思いっきり引っ張られている。アレは痛い。

提督「なるほどね。君達のような艦娘を助けるために作った、というのはそういう事か」

時雨「そ。初めて僕らは戦う以外の事をしたんだ。それに戦力以外に艦娘をさく余裕がない戦況で三課が出来たのもこれが理由。何せ戦力外の艦娘で構成されたんだから」

提督「それがしーちゃんの目的か。若いのに凄い人がいるもんだなぁ」

時雨「凄い人ねぇ。まあそうかもね」

コイツら、一々思わせぶりな事ばかり言うわね。しかも十中八九楽しんでる。

提督「全ては艦娘の為を思ってというわけだ」

時雨「宣伝活動も人間に僕達の事正しく知ってもらうため。そして僕達が人間の事を知るためでもある。どこまでいっても僕達のためさ、ねえ北上」

北上「…」

北上は、さっき後ろから髪を引っ張られた時の姿勢のまま顔を天井に向けながらソファにどっかりと座っていた。

時雨「…」

北上「…」

時雨「うん、冷静になってさっきの自分の発言を思い返して反省と恥ずかしさで不貞腐れてるみたいだね」
北上「ちょっと!」

時雨「違うのかい?」

北上「あーはいはいなんでもございませんって」

提督「ははは、仲良いねえ」

時北「「何処が」」

提督「ははは」

叢雲「はぁ、結局何がしたいのよ貴方達」

時雨「今説明したじゃないか」

叢雲「それは組織の、しーちゃんの目的でしょ?貴方達はどうなのって聞いてるの」

時雨「あぁそういう事かい」

北上「私はしーちゃんの助けになりたい、かな。特に自分の目的とかないし」

時雨「ドラマーはいいの?」

北上「路頭に迷ったらそっち方面もいいかもねえ」

時雨「僕もしーちゃんを手伝いたいっていうのはあるけど、僕自身人と触れ合いたいというのが目的と言えるかな」

北上「艦娘だからね、人と付き合うには色々と壁があるわけよ。あ、時雨眼鏡貸して」

時雨「いいけど。え、なんで?」ハイ

北上「ふむ、これで髪をほどくと。どお?知的に見える?」

叢雲「文学少女って感じね」

提督「図書館とかにいそうな」

叢雲「そうなの?」

提督「あくまでイメージだけどね」

北上「そ、イメージ。イメージだよ。偏見、固定観念とも言えるね」

時雨「北上?」

北上「艦娘はどうやっても人に紛れ込めない、なんて言うけど、こうしてちょっと工夫すれば案外溶け込めたりするんだ」

叢雲「…」

提督「変装って事かい?」

北上「違うよ。艦娘と人との間に壁を作ってるのは人だけじゃない。艦娘もそうだって事。朱に交わろうとしてないのさ」

時雨「それは、確かにそうかもね。しーちゃんもそうだ。あの人が変えようとしてるのは人間の意識だけじゃない。僕らの意識もだ」

提督「流石、説得力というか、経験が違うね」

時雨「戦う場所が違うだけだよ。大変なのはお互い様さ」

叢雲「意識、壁か…」

それはきっとその通りなんだろう。

しーちゃん「失礼しまーす」ガチャ

北上「あ、終わった?」

しーちゃん「あら可愛い」

北上「でしょ」ドヤサ

時雨「気をつけなよ。アレはイベントで使えるとか考えてる顔だから」

提督「検査の方は?」

しーちゃん「ばっちしです」

提督「お疲れ様です。どうでした?」

男「問題なしです。詳しい報告はまた」

しーちゃん「というわけでさっさと撤収しましょう。この時間なら帰りに温泉とか寄ってお土産買っていけます」

北上「えマジ?よっしゃサクッと撤収だ」ダッ

時雨「ちょ北上!…いいの?」

しーちゃん「こんな機会中々ないですし、後はバレなきゃ」

時雨「はぁ、りょーかい。温泉は入りたいしね」

北上「しぐ~その前に髪結んで」

時雨「自分でやれ」

北上「えぇ!?」

しーちゃん「というわけでサッと片付けて帰りますので、詳しい話はお、課長さんからどうぞ」

提督「了解。お疲れ様です」

しーちゃん「あ、今のは聞かなかったことでお願いします」

提督「今の?はてさてなんの事やら」

しーちゃん「いえいえちょっとした独り言です」

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叢雲「で、どうたったのよ」

男「どうも何も無いよ。普通の艦娘だった。少なくとも外から観測する分にはこれまでの例と変わらない」

提督「ならいよいよかな」

男「ええ。外に出てもらう事になります」

叢雲「そこについてはまた話し合わなくちゃね」

提督「だね。それに名前もだ」

男「えぇ、そうですね」

叢雲「あー、その前にしーちゃんを見送ってくるわ、一応」

提督「一応って。貴方もお見送りに行きます?」

男「いや、それはいいですよ」

叢雲「そ、なら行ってくるわ」

男「俺は彼女のとこに戻るよ。そろそろ夕飯ですし」

提督「なら話し合いはその後で」

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鎮守府の門で待機する三台のトラック。その先頭に話しかける。

しーちゃん「あれ?男さんは?」

叢雲「誘ったけど別にいいって言ってたわ」

しーちゃん「むー、薄情な人ですねぇ」

叢雲「貴方達、どういう関係なの」

しーちゃん「…どういう関係に見えます?」

叢雲「別に」

ダメだ。この人にはなんか勝てる気がしないわ。

しーちゃん「何か、聞きたいことがあるんじゃないですか?」

叢雲「貴方、結局どっちなの」

しーちゃん「どっちだと思います?」

叢雲「聞いてるのはこっちよ」

しーちゃん「答えるとは言ってませんからね」

例の爽やか無害スマイルでサラッと言われた。相手が運転席の中でなければ頬を抓ってやるところだ。

叢雲「…人、には思えないわ」

最初は艦娘だと思った。そう確信していた。

でもそれは違った。確信したのは"人ではない"という部分だ。

こうして改めて聞かれて思った。"人でない"という事と"艦娘である"という事は、多分イコールじゃない。

しーちゃん「…八十点」

叢雲「え」

しーちゃん「というわけでご褒美です。誰にも内緒ですよ?」

そう言って運転席から少し体を乗り出す。

私も体を出来るだけ伸ばして顔を近づける。

しーちゃん「私も、昔は艦娘になりたいと思っていたんですよ」

叢雲「え、それってどういう」
しーちゃん「それではまたお会いしましょう」
叢雲「あちょっと!」

日向「ふむ、行ってしまったな」

叢雲「門閉めたままで話せば良かったわ」

日向「それは次回に生かすといい。で、何を話していたんだ」

叢雲「…ねぇ、艦娘になりたいってどんな気持ちなのかしら」

日向「そう言っていたのか?」

叢雲「あっ、い、言ってない!言ってないから!例えよ例え」

日向「まあ何にせよ、艦娘である以上私には答えられない問だな。"海を走りたい"や"深海棲艦と戦いたい"等であれば分からなくもないが」

叢雲「そういうものなの?」

日向「"鳥になりたい"と"空を飛びたい"は別だろう?そういうことだよ」

叢雲「そういうものなのね」

日向「恐らくな。さて、そろそろ夕食だ。戻ろう」クルッ

私は、私はどうだろう。

私は

叢雲「昔は、人になりたいなんて思わなかったのに…」

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『見て見て!』

男『…なんだそりゃ』

『診察カードだって!今日の記録が書いてあるの』

男『いつの間にそんなものを。ってそれよりその服は』

『しーちゃんから貰ったの。今日使ってた診察用の服』

男『まあ服が増えるのはいい事か』

『次が楽しみだわ』

男『気に入ったようで何よりだよ』

『でも、ちょっと疲れたわ』

男『もうすぐ夕飯だが、その前に少し横になってもいいんじゃないか』

『そうする』

ベットに飛び込むような形で寝転ぶ。

白いベッドに緋色の髪が綺麗に広がっていく。

男『眠くはないのか?』

『ううん、全然。まだ夜って程じゃないわよ?』

男『…だな。夕飯持ってくるから待っててくれ』

『はーい』

廊下を歩きこの建物から食堂のある本館へ向かう。

男「睡眠か。深く考えたことはなかったな」

艦娘は夢を見ない。

脳の構造が人間とは違うのだ。いやそもそも脳があるのかもよく分からない。

故に夢を見るというシステムがないのだ。

ならば艦娘にとってそもそも眠るとはどういう事なのか。

建物を出ると丁度夕日が海に沈むところだった。

先程のしーちゃんの言葉を思い出す。

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しーちゃん「艦娘が夢を見ないのは知ってますよね?」

男「そりゃ勿論」

しーちゃん「なら艦娘が眠るってどういう事か分かります?」

男「どういう事って言われると、睡眠は睡眠だろ。極論無くても身体に影響はないだけで、彼女達の生活の上ではやはり必要というか」

しーちゃん「そうじゃなくて、艦娘の睡眠というのがどういう状態なのかって事ですよ」

男「状態?」

しーちゃん「そうですねえ。就寝時間を設定している鎮守府とそうでない鎮守府がありますが、それ以外に等しく艦娘が長時間じっとしていなければいけない時があります。さあなんでしょう」

男「…じっと、入渠か」

しーちゃん「え、正直正解すると思いませんでした。その通り。バケツは無限ではありません。駆逐艦でも長ければ五時間は超えますし、戦艦ともなれば丸一日かかります」

男「確かに睡眠以上だなその時間は」

しーちゃん「その間、艦娘って何してると思います?」

男「…暇潰し、ってレベルの時間じゃない時があるな」

しーちゃん「寝てるんですよ」

男「寝る?」

しーちゃん「見えますか?あの建物。ここは四つですね。入渠ドック」

男「あぁ。工廠横の三角屋根だろ」

しーちゃん「あの中に一人で半日ってどうです?誰かと話したり何かしたりとか出来なくは無いですけど、それでも半日とかになればどうしようも無いです」

男「なら寝るしかない、のか」

しーちゃん「そう。寝るんです。でもそれは体を休めるために機能を落とすという生物的な物じゃないんです」

男「夢を見ないって話か?」

しーちゃん「いえ、暇と感じるその意識を落とすんです」

男「…ん?」

しーちゃん「想像しにくいとは思います。でも艦娘はそういう事が出来る。そういう事をするんです。必要でない時、人という部分を落とせる。まるで誰も乗っていない船みたいに」

男「誰も、乗っていない…」

しーちゃん「今回の三十分放置はそのテストです。これまでの経験から体を静止させ目を瞑った状態からなら概ね三十分以内に艦娘は意識を落とします」

男「今は、今はどうなんだ?」

しーちゃん「今は目を瞑っているだけですね。そこら辺はこの機械でバッチリ分かります」

男「…」

しーちゃん「知らなかったでしょ。まあ私も最初は知りませんでしたけど。よくよく知れば、艦娘はあまりに人間と違うんです」

男「お前は、出来るのか?」

しーちゃん「…私には多分もう、出来ないでしょうね」

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叢雲「何ボォーっとしてんのよ」

男「ん?あぁ、叢雲か」

いつの間にか夕日を眺めたまま立ち尽くしていた。

叢雲「もうすぐ夕餉でしょ。今日はどうするの?」

男「今考えていたとこだよ」

叢雲「何も無いならこっちで決めてもいいかしら」

男「もちろん構わないが」

叢雲「今日吹雪と、あーウチの姉妹が何人か当番なのよ。だからあの娘に何か作ってもらおうと思って」

男「助かるよ」

叢雲「ならそう伝えとくわ」

男「なあ叢雲」

叢雲「何よ」

男「最後に寝たの何時だ?」

叢雲「はあ?昨日よ昨日。ちゃんと司令官の言う通り寝てるのよ」

男「…寝てる時って、どんな感覚だ?」

叢雲「寝てる時って言われても、寝てるのよ?そんなの分かりっこないじゃない。そこにいないんだもの」

男「あぁ、そうか。そうだな」

叢雲「?ほら、行くわよ」

少し遅めのゴールデンウィーク

生きてました。まだまだ色々と大変な時期ですが頑張って提督やっていきたいです。

入渠ドックの外見はゲーム内に鎮守府のイラストがあるという話を何処かで見てそれを思い出したのですが実際どのイラストなのかは忘れました。記憶違いなのか…?

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男『おはよう』

『おはよっ、課長さん』

扉を開けると既に起きて本を読んでいた彼女がこちらを向いて挨拶をする。

何事も無ければこうして規則正しい生活は出来るようになってきた。

『あら、今日は司令官も?』

提督「おはよう」

『今日は何の用かしら』

提督「大切な話があるんだ。君に関わる大事な事がね」

『私?』

提督「そう。君に自身の名前を決めて欲しいんだ」

それは昨日の夜決めた事だった。

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提督「名前を、まあ僕が付けるってのはいいんですけど。いざ付けるとなると迷いますね」

男「極端な話記号でも良いんですよ。いえ良くはないんですけど、肝心なのは提督である貴方が仮のあだ名を付けるって点なので」

叢雲「無難に今あるあの娘のあだ名から選べばいいんじゃない?」

提督「えっと、赤子・紅・赤ずきん・緋色・さくら・撫子…」

叢雲「座敷童子・姫ちゃん・官女・お雛様。後はピーちゃんとかワラビーとか訳わかんないのも聞いたことあるわ」

男「だからなんで皆統一しようとしないんだ…」

提督「うーん責任重大だなあ。あそうだ。今の中からあの娘に選んでもらうというのはダメですかね」

男「選ばせる、か。確かにそれは悪くない」

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『…ワラビーって?』

男『気にしなくていいよ。よく分からないから…』

『この中だったら、そうね。緋色!緋色がいいわ!』

提督「了解。なら少しの間かもしれないけれど、よろしく。緋色」

緋色『ええ、こちらこそ』

そうしてお互いに握手をする。

そう。これが大事なんだ。

男『さて。仮とはいえ名前も決まったし、昨日の検査で問題なしとなった。今日からは外に出て色々と学んでもらう』

緋色『本当!?やった!』

男『あぁ、だがそ』
叢雲『その前に!』バタン

緋色の部屋の扉を勢いよく開けて叢雲が入ってくる。

緋色『?』

叢雲『掃除するわよ!』

提督「…と言って聞かなくてね」

叢雲『必要な事よ!』

そこには箒を持った叢雲がいた。

エプロンをして三角巾を被りマスク代わりの布を首から下げるその姿は、うん、正直おばさんくさい。言わないけど。

叢雲『この建物。こうして他の建物と離れた所にあるのを見て分かるかもしれないけど後から追加で建てられたものなのよ』

緋色『確かに、あっちの大きいのとは全然材質が違うものね』

叢雲『で、色々あって貴方…えっと、』

提督「こちら、緋色嬢でございます」

緋色『ひ、緋色です。よろしくお願いします』ペコリ

叢雲『緋色が来るまで放置されてたのよ』

男『見ての通り何も無いしな』

叢雲『一応サッと掃除はしたのだけれどね。それじゃあ不十分。物もない。それに掃除する係もいないからほら』サッ

廊下の床を指でなぞって見せる。

叢雲『こんなにホコリが溜まってる!』

小姑みたいだな。

提督「小姑みたいだね」

叢雲『』ガンッ

箒の柄を床に叩きつけて黙らせる。これはオカンだな。

叢雲『掃除も皆持ち回りでやっている鎮守府の大切な仕事よ。まずはそこから学んでもらうわ』

緋色『は、はい!えっと、先生?』

叢雲『先生…そうね、ええ。先生よ!』ドヤサ

なんだか嬉しそうだ。

提督「そんなに嬉しいかい?」

叢雲『』ガンッ

何でいちいち口に出すんだコイツ。

叢雲『とはいえこの人数じゃ無理があるものね。なので今回は助っ人を連れてきたわ』

江風『いよっス』ヒョコ

男『江風か』

今日はジャージのようだ。掃除するのだから当たり前か。

江風『へへ~ンおっひさぁ。それに初めましてだな、緋色。江風ってンだ。よろしくな』

緋色『よ、よろしく』

江風『いやぁ飛龍さンの言ってた通りだな!めっちゃ可愛いじゃンか!』

緋色『ひ、飛龍さん!?』ビクッ

江風『…なンかすげぇ怪訝そうな面持ちなンだけど』

男『ちょっとな。別に仲が悪いわけじゃないんだが、第一印象がこう、合わなくてな』

江風『あぁ、なンか想像ついたわ』

叢雲『さて。とりあえず廊下の掃除からよ。道具もそこに置いといたから』

緋色『はい!』
江風『ほ~い』

男『…俺もか?』

叢雲『当たり前でしょう』

ですよねぇ。

提督「じゃあ叢雲、あとは頼んだよ」

叢雲『ん』

叢雲『掃除の基本は?』

江風『え』

叢雲『基本よ。前に言ったじゃない』

江風『めっちゃ頑張って磨く』

叢雲『アンタはそれやると力加減間違えそうだから止めて』

緋色『上からやる!』ビシッ

叢雲『正解』

緋色『よし!』

江風『なるほど、まずは制空権を取るのか』

叢雲『それっぽい事言ってもアンタが今新人より下の立場になった事に変わりはないわ』

江風『チャンスを!もう一回チャンスを!!』

叢雲『二人はまず廊下の窓を掃除。そうね、江風は外から、緋色は中からにしましょう』

江風『この長屋って課長と緋色ンとこ以外にも部屋がいくつかあるけど、そこの窓はいいのか?』

叢雲『長屋とか呼ばれてるのねここ。そっちの部屋はどうせ使わないからまだいいわ』

江風『ほーい』

叢雲『道具はこのバケツに入れたから好きに使ってちょうだい』

緋色『はい』

江風『よっしゃ江風一番乗りだぜい!』ダッ

叢雲『廊下は走らない』ガッ

江風『ハイッ』

男『…俺はどうする?』

叢雲『これで高いとこのホコリを叩いといて』

男『なるほど。となるとマスクか何か欲しいんだが』

叢雲『あー、確かにそうね…』

緋色『あ、私いいもの持ってるわ!』

男『いいもの?』

緋色『ちょっとまってて』パタパタ

嬉しそうに自分の部屋に戻っていく。

男『子犬みたいだな』

叢雲『可愛いじゃない。素直で』

先生呼びされてから緋色に凄い甘い気がする。別に悪い事ではないが。

緋色『これなんかどうかしら!』

男『…緋色さん』

緋色『何?』

男『その、これは?』

叢雲『』プルプル

緋色『下着だけど?』

男『いやダメだろ!』

緋色『ダメなの!?』ガビーン

男『なんでそんな微妙な倫理観が抜け落ちてるんだよ!?』ガビーン

緋色『先生から頂いた物なのに!』

叢雲『そこわざわざ言わなくても良かったじゃない!?』


江風『…何やってンスか』

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結局江風のマフラーを借りた。

大切な物だからとジャージの下に巻いていたらしいがそんな物をマスク代わりに貸してもいいのだろうか。

借りる側だしそれ以上追求はしなかったが。

男「潮の香りだな」

あれ、もしかしてこれ傍から見ると少女から借りたマフラーを嗅ぐ変態なのではなかろうか。

廊下の奥の方を見る。

江風と緋色が何か話しながら窓を拭いている。

なんだかんだすっかり仲良くなっていた。

叢雲『手ぇ止まってるわよ』

男『いや、サボってる訳じゃなくてな』

叢雲『冗談よ。しっかし凄い埃ね。想像以上』

男『俺が来る前に軽く掃除したんじゃなかったのか?』

叢雲『そんな所までやる余裕はなかったもの。だからそうね、年末の大掃除が最後かしら』

男『五ヶ月以上放置か。納得の量だ』

叢雲『こういうのってやろうやろうと思っていても中々出来ないのよねえ』

男『分かる』

しかし長屋、長屋か。その呼び方はきっと実に正しい。

鎮守府にある建物は生活の為の部屋と業務の為の部屋に分かれる。

それで言えばここは前者だ。

だが、他の建物から隔離されてるとも言える立地。共同の風呂が一つ。女性用ではなく男性用のトイレ。誰も使っていない長屋。つまりここはなんなのか。

男『ここに実際に"人員"を入れた事は?』

叢雲『あるわ。最初は人手が欲しくてね。でも合わなかった。私もそうだけど』

男『そうか』

鎮守府に提督以外の人員を配属するか否か。これは未だに正解の見えない問題でもある。

人と艦娘が上手くやっている所もあれば、艦娘だけの所もある。

ここのように一度人と触れ、そしてやはりダメだった場合も。

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叢雲『後は廊下を拭いて終わりね』

男『水道とか風呂はどうするんだ?』

叢雲『水道は私がやったわ。お風呂とトイレは使った人が掃除する事』

つまり俺か。

江風『よっしゃ雑巾がけタイムだ!』

叢雲『なんでそんなに張り切ってるのよ』

江風『聞いたぜ叢雲。お前吹雪型の中で二番目に速いんだろ?』

叢雲『誰から聞いたのよそんなの…』

江風『勝負だ!』

男『何の話だ?』

叢雲『雑巾がけのスピードよ』

子供か!

…子供か。

いや子供か?

叢雲『残念だけどこれからお風呂掃除とかのレクチャーがあるの。それに面倒だからどの道パスよ』

江風『ちぇー』

叢雲『…そうね。でも貴方の実力次第では考えてあげなくもないわ。試しに緋色とやってみたら?』

江風『ほンとか!?よっしゃやろうぜ緋色!』

緋色『えぇ!私も?』

江風『なあなあいーじゃンか!貸しって事でもいいぜ』

緋色『まあ、別に嫌ではないけれど』

江風『決まりっ!スタートラインあっちな』

緋色『待って、具体的にはどうやるの?』

江風『そりゃ簡単よ。こう両手で雑巾を床に押し当ててそのままダッシュ。手が浮いたらアウト』

緋色『よし、分かったわ』

江風『初めてだし試しに一回やってみっか』

緋色『えぇ』

これまで緋色と過ごして来て分かった事がある。

彼女は意外と活発的だ。

最初はオドオドした所が目立ったが、それは記憶の無さから来る恐れや不安に起因するものだったのだろう。

それが飛龍や江風との接触を経て少しずつ素の緋色が出てくる様になったと思う。

未知に期待を寄せ、友人と楽しげに会話し、こうした勝負事では以外にも負けず嫌い。

そんな緋色が

叢雲『…同じ目ね』

男『ん?あぁすまん。ぼーっとしてたか』

叢雲『司令官と同じ様な目をしていたわ』

男『俺が?』

一体どんな目だ?そう問いかけて見ようとした時だった。

『フギャッ!?』バチン

叢雲『!』
男『!?』

江風『あ』

緋色『』

廊下で顔面からズッコケた緋色がいた。

男『緋色!大丈夫か!!』

緋色『イタタ…思いっきり躓いちゃった』

江風『おー鼻真っ赤』

叢雲『まったく』ヤレヤレ

男『え?』

いやいや待て待て顔面から行ったんだぞ?落ち着き過ぎじゃ

叢雲『お願いだから入渠沙汰になるような事はしないでよね』

江風『それくらいは弁えてるって』

緋色『顔、変じゃないかしら?』

叢雲『ええ平気よ』

あぁ、そうか。そうだった。

男『鼻血とか、大丈夫か?』

江風『おいおいおい、この程度でウチらが血ぃ流すわけないじゃンか』ハッハッハッ

男『…だな』

少し痒そうに鼻を擦る緋色を見て思い出す。

艦娘は人とは違うんだ。

緋色『…』

叢雲『どうしたの?』

緋色『外に出て、いいえ。部屋にいる時も少し思うことはあったのだけれどね』

江風『何が?』

緋色『この袴動きにくい!』

男『そりゃまあ、袴だしな』

勿論実際履いた事なんかないから偉そうな事は言えないが、叢雲の短いワンピースとタイツ、江風のジャージに比べれば動きの制限はかなりのものだろう。

江風『ンあ~確かにこりゃなあ。すっげぇ長いもンなこれ』

叢雲『今度余ってるジャージ持ってくるわ』

男『過去類を見ないタイプの服装だしな』

それ故に名前の特定に難航しているのだが。船だけに。

江風『…よし。江風さンのを貸してやろう』

緋色『いいの?』

江風『勝負挑ンだのはこっちだしさ。だから』ヌギ

男『え』

江風『ほい』スッ

男『脱ぐの?』

緋色『ありがとう!』スルッ

男『そっちも!?』

男『なんか俺が変に気にしてるだけみたいで辛い』

叢雲『ここら辺はまあ、慣れてとしか言えないわね…』

江風『どうした課長さン』

男『清々しい、清々しいぞこの縞パン』

江風『ン?あっ、ぶるまってやつの方が良かったか?』

叢雲『どこで聞いたのよそんなの』

緋色『わ~すっごい!ジャージ凄いわ!動きやすい』

男『ところで今緋色が履いてる下着ってむr『掃除、するわよ』ハイ』

江風『よっし仕切り直してもっかいだ。スタートラインまでゴー』

緋色『ゴー』

ジャージにパンツと着物にジャージ。いっそ恐怖すら感じる奇妙な絵面だ。

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叢雲「排水溝の髪の毛はちゃんと捨てておいてよね」

男「う、そうするよ」

長屋の風呂は俺しか使っていない。よって自分の後始末は自分でしなくてはならない。

しかしこうしてあれこれ注意してくる様は小姑よりも母親を思い出す。

叢雲「アイツも何度も注意してるのに掃除しないのよねえ」

男「はは」

母親というか奥様だった。

男「提督は何処の風呂を使っているんだ?」

叢雲「執務室の横に私室があるのよ。そこのをね」

男「ほぉ」

叢雲「流石に私達の使ってる浴場を使わせる訳にはいかないでしょう」

廊下からドタバタと激しい足音が聞こえてくる。

レースは白熱しているようだ。

叢雲「アレちゃんと掃除できてるんでしょうねぇ」

男「廊下走っていいのか?」

叢雲「掃除してるならセーフ」

男「適当な」

男「そういえば、艦娘ってやはり気にならないものなのか?その、下着とかって…」

叢雲「しないわよ。そもそも見られて困るって考えはそういう価値観を知らず知らず教えこまれるから芽生えるものでしょ?原人が裸を恥じるかしら」

男「なるほど。最もな意見だ」

叢雲「気にするとしたら露出ではなくそうなる程被弾した事実でしょうね。ま、たまに人間からの下卑た視線に辟易する事はあるけれど」

男「ホントすまん」

叢雲「鼻の下を伸ばすんでなければ別にいいわよ。アレは、私達を船でも人でもないもっと下劣な物と捉える目付だから気に食わないだけ」

男「お世辞じゃなく艦娘はみな見た目が綺麗だからな。下心が、そりゃ全くないわけじゃなかろうが皆が皆そんな目で見ているわけじゃないだろう」

あまりに人間を敵視する叢雲につい擁護の声を上げてしまう。

実際艦娘は人々にとって救世主であり英雄であり救いの女神だ。加えてその容姿からある種の信仰とも言える支持を集めているのも事実だ。

叢雲「あら、慰めてくれるの。それとも人類が貶されるのは我慢ならない?」

これまでの経験から分かってはいたが、この手の話になると叢雲はすぐカッとなる。

こういう時叢雲のスラリとした矮躯は、その鋭い目付きからたまに弾丸のような印象を受ける。

男「俺は皆の味方だよ」

叢雲「都合のいい言い方ね」

男「オブラートに包んだと言ってくれ」

叢雲「そぉ、ね」

男「?」

つかつかと叢雲が俺に歩み寄ってくる。というよりもこれはもう、

迫り来ると言うべきだ。

男「叢雲!?」

思わず一歩右足引いたところ残った左足を払われた。

体制を崩し後ろに倒れる瞬間胸ぐらを捕まれ、結果として壁に寄りかかる形でゆっくりと座らされた。

流石艦娘。技術も力も凄い。

男「で、なんの真似だッ!?」グイッ

そのまま胸ぐらをぐいと引き寄せられ叢雲に顔を付き合わせられた。

いくら小柄な駆逐艦とはいえこうして座らされてしまうと上から見下ろされる形になってしまう。

先程"艦娘は皆見た目が綺麗"等と宣ったがこれに関しては完全に主観だ。客観的に見ても恐らくそうだが先の言葉は間違いなく自分の抱いていた感想から来るものだ。

事実、目の前の小さな顔の大きなオレンジの瞳に見惚れている。

叢雲の薄い雲のかかった青空のような色の髪が、まるで雫のようにこちらの頬に撓垂れ落ちてくる。

叢雲「なぁに顔赤くしてんのよ」

男「え、うわっ」

パッと手を離され開放される。

クソ、少しドキドキしてる自分が情けない。年下の少女にからかわれ、年下?年下でいいのかな。

叢雲「司令官だってそんな顔はしなかったわよ」ニヤニヤ

それ暗に同じような事したと言ってるようなものなんじゃ。

男「で、何がしたかったんだ。まさか掃除サボって大の大人をからかう為じゃあるまいな」

叢雲「いえ、ただ貴方、どうして提督にならないの?」

男「え」

叢雲「だってそうでしょ?貴方、私達に自然に接してくるし、なにより"話せる"し"聞ける"じゃない」

提督になる為の素質はいくつかある。その中でも分かりやすく、かつ大きい要素が一つ。

それが艦娘の声を聞き、意思疎通が可能かどうかだ。

艦娘は日本語、あるいは外国語までもを理解し読み書き出来る。もちろん筆談も出来る。だがどういうわけか普通の人間と"会話"が出来なかった。

声が、人の声が艦娘には届かず、また彼女達の声も人には届かなかった。

言語は理解しているのに言葉が届かない。そこには不思議な壁があった。

それは単純に先頭の指揮や業務に影響が出るだけではなかった。彼女達との繋がりを築けないという事でもあった。

故に会話の可能な人材は誰であろうと集められた。ある程度戦局の落ち着いた今でさえ一年か二年程の教育で鎮守府に配属されるという。昔なら即日だったとか。

でも

男「なれなかったんだよ」

叢雲「なれない?」

男「俺は聞こえるだけで、伝わる事も伝える事も出来なかったんだ。提督にはなれなかったよ」

嫌な思い出だ。

いたたまれなくなって風呂場を出てそのまま廊下への扉を開ける。

江風『ヒャッホーいいぞいいぞ!』
緋色『それーー!』




男「」

思考が目の前の光景を理解する前に停止した。

全く関係ないけどづほの七周年ボイス可愛い

激しい運動をするのでなければ袴はこの時期非常に快適なのでオススメです。
しかし改めて露出度的な意味でも神風型の服って艦娘の中でもかなり異色ですよね。

「」と『』はそれぞれ人の言葉と艦娘の言葉で分けてます。
人間と艦娘で意思疎通出来るとは限らないのでは、というのがこれを書くきっかけになったのでおいおい説明していくつもりです。

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提督なれなかった、という意味を私は十全に理解できなかった。

でも逃げる様に風呂場を出て行くその背中にそれ以上の質問を投げかけるのは流石に憚られる。

それでも何か声をかけようと私も風呂場を出て、出た所で

男「」

叢雲「…ん?」

固まってる。

両手で顔を覆い廊下へ出る直前の所で固まってる。泣いてる、とかじゃないわね。

え、何?ちょっとわかんない。

入口で立ち尽くす課長の横から江風と緋色の声が響く廊下に顔を出す。

江風『あ、終わったか?』
緋色『お疲れ様~』

そこにはジャージにパンツの江風と、完全に下着姿の緋色がいた。

下着?

なるほど、これは固まるのも納得だわ。

叢雲「…ふむ」

少し迷って私は、廊下に立てかけておいた箒は古い物だし振り回して折れても問題ないだろうと言う結論を出した。

どうせ江風のせいでしょう。

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叢雲『それじゃあ道具はトイレ横のロッカーに入れて置いて。使う時はそこからね』

男『あぁ、ありがとう』

江風『秘書艦殿この折れた箒は如何致しましょう』

叢雲『捨てといて』

緋色『うぅ、ごめんなさい』

男『緋色のせいじゃない、と思うぞ多分』

江風『それよか!早くやろうぜ課長さン』

叢雲『江風、アンタこの後の護衛任務忘れてないでしょうね』

江風『覚えてるって。信用ねぇなぁ私』

叢雲『動きやすくするなんて理由で下着姿にさせる奴を信用する程私は冷静さを失ってないのよ』

江風『悪かったって…』

叢雲『緋色も、なんか変なことされたらすぐに言いなさいよ』

緋色『はーい』

建物を離れ執務室に向かう。

どうやら今度は三人で雑巾がけ大会をするらしい。

叢雲『何やってんだか』

しかし掃除というのは上手くいった。

何も今回のは本当に掃除がしたかったからという訳じゃない。

鎮守府内では基本的に身の回りの事も全て自分たちでやらなければならない。その為炊事洗濯掃除に至るまで全てがシフト制になっている。

ウチはまだ117しか艦娘がいないが、それでも出撃遠征船団護衛等々がどれだけ重なっても半数弱は鎮守府にいる事になるのだ。何だかんだで生活は回っている。

そのシフトにあそこの、長屋の掃除を加えて少しずつ緋色と皆を会わせていこうという魂胆だ。

叢雲『となるとシフトを少し変えなきゃね』

頭のどこかでシフトを組み替えつつ執務室の扉を開ける。

提督「おかえり」
吹雪『あ、おかえり~』

叢雲『あら、てっきりまだ工廠の方かと思っていたわ。それに吹雪も、どうしてここに?』

提督「有難いことに存外早く終わってね」

そう言って机の上のPCと睨めっこを再開する。

吹雪『私はちょっと報告にね。もしかしてお邪魔だったかなあ』ニヤニヤ

叢雲『…』イラッ

吹雪『叢雲はさ、機嫌悪い時の自分の顔を一度鏡で見た方がいいと思うんですお姉ちゃんは』

叢雲『アンタも一度私をおちょくってる時のニヤケ顔を確認してみた方がいいわよ』

提督「仕事中に戯れないで。そっちはどうだった?」

叢雲『まあ上手くいったと思うわよ。それで昨日話してた掃除のシフトの件なんだけれど、以前B班とD班でメンバーを変えようって話が出てたじゃない?それも含めて』

提督「あー待って待って、今こっちを片付けたいから。そうだね、案があるならまとめといてくれないかな。終わったらそれを見て決めるよ。と言っても僕が口を挟む余地はない気もするけど」

叢雲『りょーかい』

そうだった。司令官は私達みたいに"自分のどこかに思考を任せる"事は出来ない。一つの事に集中するので手一杯だ。

基本的に生物としての能力は艦娘の方が遥かに上になる。

シフト表のB案をまとめつつ司令官の座る机に向かいながらそんな事を考える。

肉体的にはもちろん脳の処理能力も単純に人の数十倍はあるだろう。それでも司令官というか存在が必要なのは、私達に無いものがあるからだ。

叢雲『それは?』

提督「ここよりもう少し南の、ほら前に演習をした鎮守府があったろ?あそこからの報告で深海棲艦に少し妙な動きがあるらしくてね。以前タンカー襲撃があったのもここだ」

叢雲『…ウチの船団護衛のルートにも近いわね』

提督「それで吹雪に来てもらったんだ」

吹雪『はい。私の艦隊も今日そこを通ったの』

叢雲『どうだった』

吹雪『航路自体には何も。でも司令官から聞いて一応偵察機を広く出してたんだけど、そしたら敵の艦載機みたいなのを何度か確認したみたいで』

叢雲『へぇ…そう。どう思う?』

提督「憶測だけじゃまだ何も言えないね。ただもう少し監視と護衛を強化するべきかもしれない」

叢雲『そうね。それには賛成だわ』

提督「次は、また吹雪の艦隊になるね。頼んだよ、吹雪」

吹雪『はいっ!お任せ下さい』ビシッ

嬉しそうに、とても嬉しそうに。跳ね上がらんばかりにビシリと敬礼をしてみせる吹雪。

そう。

私達にはこれが必要なのよ。

前に進めという指針が。

背中を押す声が。

駆逐艦叢雲の歩んだ歴史は、経験は、私のこの足で歩んできたものじゃない。私達は皆結局のところ生まれて間も無い赤子に過ぎない。

司令官はそんなまだ空っぽな船の中を満たしてくれる、そういう存在。

なんて。別に難しい話じゃないわ。

海がしょっぱいのと同じ様に、船には船長が必要なのよ。ただそれだけの単純な話。

提督「よし終わり。工廠の方も片付いたし後は、は…あれ?」

吹雪『どうしました?』
叢雲『どうしたの?』

提督「…明石から貰ったデータの奴って吹雪持ってる?」

吹雪『え?あのメモリーって司令官が受け取ってたじゃないですか』

提督「うわぁ、忘れてきた…」

叢雲『なぁにしてんのよ』

提督「ゴメン」

吹雪『あ!じゃあ私ちょっと取ってきますね』

提督「ごめん、頼むよふb…え?」
叢雲『ちょ、え?』

吹雪『よいしょ』ガラッ

おもむろに吹雪が窓を開ける。三階に位置する執務室は海に近い事もあって非常に風通しがよく夏は重宝するがこの時期はまだ開けるには寒い。

ましてその窓に足をかけたりはしない。

提督「…何してんの?」
吹雪『とう!』バッ
叢雲『とうじゃないでしょお!?』

提督「…」

叢雲『…』

提督「だ、大丈夫だった?」

叢雲『着地はちゃんと出来てたわ。失敗しててもたいした事はないと思うけど』

提督「吹雪ってなんか凄いズレてる所あるよね」

叢雲『悪気はないんだけれどね…いやだからこそ余計悪いというか』

提督「なんか学生の頃思い出した」

叢雲『どうして?』

提督「お昼の購買に行く時窓から飛び降りたら近道なのになあとか考えてたんだよ」

叢雲『こうばい?』

提督「アイテム屋だよ。昼食が売ってるんだ」

叢雲『ふぅん』

とりあえず窓は閉めた。

提督「吹雪には後で言っておいてね」

叢雲『嫌よアンタが言えばいいじゃない』

提督「姉妹だろ?」

叢雲『あれ程タチの悪い姉はいないわ』

提督「誰か真似するといけないしなぁ。ここは提督としてビシッと言わなきゃか」

叢雲『そうよ。アンタが私達の』

"なれなかったんだよ"

叢雲『…私の』

"提督になれない"

提督「叢雲?」

司令官の両肩を掴みぐいと顔を引き寄せる。

椅子に座っているとはいえそれでも司令官の背は私より少しばかり大きい。

提督「えっと、どうしたの?」

お互いに目を合わせる。

司令官は特に動じることも無く不思議そうに私を見つめている。

眼鏡のレンズに映った私が見える。

司令官の見ている私は、はたしてそこに映っている私なのだろうか。

それとも司令官の瞳には、何か別のモノが写っているのだろうか。

レンズに映る私の瞳が水平線に沈む夕陽のように不安定に揺れている。それが堪らなく情けなくて

叢雲『あっ』ギュッ

不意に抱き寄せられた。司令官の左肩に顎を載せる形で体を重ねる。

私よりも太くて長いその弱々しい手が私の腰周りを包んでいる。

司令官の心臓の鼓動が波のように私の中に反響して、

吹雪『取ってきましたあ!』バタンッ
叢雲『!?』バッ

提督「あら、おかえり。あった?」

吹雪『はい!明石さんは何か色々と言いたそうでしたけど』

提督「うん、後で謝っておくよ」

吹雪『…叢雲?』

提督「あー、そうだ吹雪。さっきの話、瑞鳳達にも伝えておいてくれるかい。明日もまた同じ艦隊だろ?」

吹雪『了解です。えと、それでは失礼しまーす』




提督「あぁ、注意するの忘れてたな」

提督「まさか他にもあんな事してる娘いないよね」

提督「叢雲さーん?」

叢雲『今夜』

提督「へ?」

叢雲『今夜、空いてるわよね』

提督「…君が仕事をしろと言わないのなら空いてるよ」

叢雲『仕事はしなさい。無理のない範囲で』

提督「そういえば、緋色が来てからもう二週間は経つね。ここ暫くはご無沙汰だったか」

叢雲『…そうね』

提督「んー?なんだいなんだい、寂しかったのかい」

叢雲『さて、C案まで出来たわ。今から書き出すから吟味しなさい。仕事よ し ご と』

提督「艦娘ってホント便利だね」

叢雲『まあね』

提督「でもそうやってずっと頭使ってると疲れるだろう。少し他の娘と同じに普通に過ごしててもいいんだよ」

叢雲『問題ないわ。それに秘書艦だもの。お陰様で休息はとれているし』

提督「なら、僕も応えないとね」

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朝から始めた掃除を終え江風と共に昼食を食べ、そのまま江風にここでの生活や業務を緋色に説明してもらった。

意外にもちゃんと説明出来ていて驚いたが、叢雲曰く体を動かさない限りはマトモな娘だそうだ。

夕食も江風と共に摂るつもりだったが緋色の意識が落ちてしまったので今日はお開きとなった。

そしていつもの報告会。

男「流石にお風呂に入れても大丈夫でしょう」

提督「掃除の後ですしね。緋色は今も?」

男「ぐっすりですよ。明日の朝には起きると思いますけど」

叢雲「ようやくね」

男「助かったよ今まで」

叢雲「まさかアナタにやらせる訳にはいかないものね」

艦娘は基本的に動かなければ何も消費しない。黙って座っていれば何時まででも変わらずそこに居られるという。

睡眠は生物的な必要性はなく、食事も動く分だけ必要とする。船として動くには燃料を。人として動くには食事をという違いでどちらも燃料と言っていいだろう。

身体は改装による変化、もしくは進化のでしか変わらず成長は一切ない。身体の維持も生物ではなく船を基準としており老廃物等は食べたものしか出ないそうだ。

それ故部屋に篭っているだけの緋色はこれまで叢雲に身体や髪を拭いてもらう程度で生活していた。汗や匂いを気にしなくていいのは少し羨ましい。

提督「でも夕方頃に寝たのなら一昨日みたいに今頃起きるんじゃないですかね」

男「そこはなんとも。それならそれで今日お風呂に入れられますし」

叢雲「お風呂って長屋の、アナタが使ってるやつよね」

男「あぁ」

お風呂は共同の少し大きめのものだ。如何にも男性用と言った感じだが。

叢雲「あの娘一人で大丈夫なの?」

提督「流石にお風呂くらいは、大丈夫ですよね?」

男「大丈夫かと聞かれたら不安要素はあるとしか言えないじゃないですか…」

お互いに顔を見合わせる。

脱走、なんて事は無さそうだが未だいつ意識を失うか分からない緋色を一人お風呂に入れるのは確かに怖い。艦娘だから溺れたり頭をぶつけたりなんていうのは驚異ではないが。

叢雲「はぁ、仕方ないわねえ」

また叢雲を頼る事になるが致し方ない。

叢雲「…ん」

男「ん、どうした?」

自分がやる、といった素振りを見せていた叢雲が不意に固まる。

叢雲「いえ、別にアナタが見張ればいいじゃない」

男「俺が!?」

叢雲「中に入らなくったって脱衣場で待ってれば事足りるわよ」

男「いやいやそれが不味いだろって話じゃないのか!?」

叢雲「直接見るわけじゃないし扉越しに声でも掛けてればいいわよ。あの娘も気にしないと思うわよ」

男「向こうはそうかもしれんが…なんでまた急に。今日明日なにかあるのか?」

叢雲「ッ」ビクッ

え?何だこの反応?

提督を見てみる。

提督「あはは」

少し困った様な、でも叢雲の反応を楽しんでいる笑い方だ。

男「はぁ。まあ緋色が嫌がらないのであれば別にいいか」

いいのかなぁ。

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男「聞こえてるか?」

「聞こえてるよー。でも音がなんかちっちゃい。んん?この接続端末って、もしかしてワイヤレスイヤホン繋いでる?」

男「あぁ」

「なんでまた、今部屋にいないの?」

男「風呂の脱衣所にいる」

「は?」

男「緋色が、あぁあの娘の仮の名前な。緋色になった」

「へぇ緋色、緋色かぁ。いい名前じゃん」

男「そう、だな」

「はいはいそこ暗くならなーい。で何?緋色ちゃんのパンツでも漁りに来てるの?」

男「割と笑えないからやめてくれ」

「え」

男「緋色が今風呂入ってんだよ」

「え」

男「見張ってんだよ脱衣場で」

「もしもしポリスメーン」

男「違うんだよやめてマジやめて」

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「へぇそれで見張りねえ。いやそうはならんやろ」

男「なったんだよ何故か」

「いやまあそこまでは百歩譲って良しとしよう。なんで私呼んだのさ」

男「いたたまれないんだよ…」

「は?どゆこと」

男「今すぐそこの風呂場で少なくとも見た目で言えば小学生くらいの女児が素っ裸で居るんだぞ…それを一人黙って脱衣場で見張るとか辛すぎる…」

「ご褒美じゃん」

男「そう感じるのはお前の描いてる二次元の世界を好む者だけだろ」

「悲しい事に割とそうでも無いけど今は別にいいや」

男「何よりもしこれで性的興奮とかしてしまったらと考えるとこの場で自害したくなるから少しでも気を紛らわしたくてな…」

「それで脱衣場でイヤホンしてボソボソ喋る中年が生まれたわけね」

男「やめてくれ…」

「でも性的興奮自体は別に普通なんじゃない?女性の肉体の全盛期って中高生辺りっていうじゃん。

駆逐艦って背丈こそ小さいけど肉体はお前のような駆逐艦がいるかってくらい発達してるからさ。発達度合いは振れ幅がでかいけど」

男「だからなんだよ」

「緋色ちゃんも背丈こそ小さいけど胸は確実にあるし肉付なんかも結構成熟してるわけでね。つまり女性の肉体としては非常に魅力的と言える状態でそれに興奮するのは男なら仕方ない」

男「仕方ないじゃねぇよ仮にそうだとしても俺のプライドが許さん」

「変なプライドもってるなぁ」

男「人としての矜恃だろ」

「はいはいそーですか」

男「…シャワーか」

「あ、ホントだこっちまで音聞こえてきた。ふぅん今緋色ちゃん身体洗ってるわけかぁ。あの小さくてスラリとした子供のような体型。それでいて二の腕や腰、お尻や太腿なんかは子供特有のもっちりとしたものではなくクビレが見て取れる程で、まだ慎ましやかな胸は手にすっぽりと」
男「切るぞ」

「えーいい所だったのにぃ。薄い本かよ!?って展開なんだよ今まさに」

男「変な想像させんなマジで」

「ホントに余裕ないのね…」

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男「とまあ今日の活動はこんな感じだ」

「ふむふむ。オーケーオーケーまとめとくよ」

活動記録は大切な物だ。いつもは寝る前に報告しているが今日はここで済ます。

男「流石に今日は疲れた」

「お疲れちゃん。課長ももう中年だもんねぇ。肉体はすぐに置いてかれるって言うよ」

男「馬鹿言えまだ三十路一歩手前だ」

「28超えたらおっさんよ」

男「嘘だろ…」

「まあ肉体の全盛期と本来60程度の寿命とを考えればあながち間違いじゃないわよねぇ」

男「それは確かに」

「歳は取りたくないものねえ」

男「全くだよ。今でこれだとあと数年したらどうなるか…」

「でもさぁたかが雑巾がけでしょ?」

男「あの体勢で走るのめちゃくちゃ辛いんだぞ」

「筋肉痛?」

男「ん、いやそんな感じはしないな。寝て起きたらなってるかもしれないが」

「課長昔はスポーツマンだったんでしょ?肉体のステータスは高いと思うよ。問題は体力だね。アレはすぐ落ちる」

男「お前に身体の事を賢しら顔で語られても説得力がなあ」

「ネットで見た」

男「ますます説得力ねぇよ」

「でも実際落ちてるでしょ?」

男「まあな。ストレッチでもするかな」

「ランニングとかいいんじゃない?道具も要らないし」

男「でも鎮守府はおいそれとは出れないし、敷地内で俺が走ってたら色々とトラブルが起きそうだろ」

「エッチなハプニング?」

男「俺をよく思ってない娘に絡まれるとかそういう奴だよ!」

「んじゃ朝は?起床前とか朝食の時間帯ならセーフなんじゃん?」

男「あぁ。それはありかもしれんな…」

「だしょ」

男「そろそろ切るよ」

「もういいの?」

男「シャワーの音が止んでしばらくたったし、そろそろ上がるだろう」

「なるほど。着替え覗いちゃ ダ メ よ 」

男「はいはい。さてもう11時か。髪の毛乾くのに時間かかるだろうし、こりゃ夜更かしかもな」

「課長ぉ女の子の髪の乾かし方とか分かるのぉ?」

男「うるせぇ。そういやお前は今日は寝るのか?」

「寝る寝る。最近ゲームばっかで寝てなくてさー。これからぐっすり寝るわけです」

男「原稿は」

「ゲームはね、インスピレーションが刺激されるのよ」

男「あぁ、そうか…」

「そういう反応がいっちゃん心にくる…」

男「ま、仕事してくれりゃ文句はねえよ」

「キャー素敵。それじゃおやすみ」

男「おやすみ、"秋雲"」

通信が切れる。

耳のワイヤレスイヤホンを外しポケットに戻す。

緋色「上がったよー」ガラッ

男「おう、分かっtなんでもう出てきてんだよ!?」

素っ裸。素っ裸の緋色が出てきた。なるほど先程の秋雲の描写は実に的確だなって何考えてる俺。

緋色「え!?だって上がったから…」

男「ま、いやちょ、待て待て今出る!出るから!」

緋色「いいわよ別に、ここ広いし。あ、そこの棚に入れてある下着取ってくれない?」

男「」

緋色「課長?」

次があるなら絶対叢雲に頼もう。

緋色『上がったよー』ガラッ

男『おう、分かっtなんでもう出てきてんだよ!?』

素っ裸。素っ裸の緋色が出てきた。なるほど先程の秋雲の描写は実に的確だなって何考えてる俺。

緋色『え!?だって上がったから…』

男『ま、いやちょ、待て待て今出る!出るから!』

緋色『いいわよ別に、ここ広いし。あ、そこの棚に入れてある下着取ってくれない?』

男『』

緋色『課長?』

次があるなら絶対叢雲に頼もう。

叢叢してきた

言った傍から間違えました。「」と『』は自分で書いてて紛らわしいと思ったりしますが、文字だとこれが一番なのかなと。
艦娘117人というのは自分の鎮守府準拠ですが、多いところだと今は200とか300になるんでしょうか。

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男「よし」

準備運動が終わった。

久々なのでラジオ体操なんかをやってみたのだが思いの外動きを身体が覚えていて驚いた。

時刻は朝の五時半。総員起こしの六時までまだ時間はある。鎮守府は眠ったままだ。

昨夜緋色も風呂に入った後何事もなく寝てくれた。

寝巻きのつもりで持ってきていたジャージはこの時期の朝には少し寒かったが動けば問題ないだろう。

鎮守府の港側は昼夜を問わず一定の艦娘がいるのでそこを避けて回るか。

小さいと言っても一つの鎮守府だ。それでもジョギングに十分な広さはある。

自分の体力を確かめるため少し軽いペースで走り始めた。

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男「あ」

大鳳『え』

目が合った。

走り始めて一分も経たずに。

多くの艦娘が寝泊まりし執務室などもある鎮守府で一番大きい建物。その裏にまわろうとした所だった。

茶色の入った黒髪。もみあげの長さが特徴的なショートボブ。服装は、詳しくはわからないが陸上選手などがしている露出度の高いピッチリしたものだ。ブルマではないのは分かる。

腕を振り準備運動をしている姿からこれからジョギングをしますというのが察せられる。

大鳳『』

男「」

大鳳『あー、えっと。ご一緒します?』

少し恥ずかしそうにそう提案する彼女から敵意は感じなかった。

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男『何時もこうやってジョギングを?』

大鳳『はい。課長さんもですか?』

男『最近運動不足を痛感してね。鍛える、という程でなくとも健康体ではいたいからジョギングをしようと思いたって』

大鳳『なるほど』

装甲空母大鳳。比較的小さいと知ってはいたがこうして並んで走ると想像以上だ。叢雲より少し上くらいの身長だろうか。

男『しかし、その、意外だな。ジョギングをしている、艦娘がいるとは』

大鳳『よく言われます。なんでそんな事してるのかって。実際運動としての意味は無いですしね』

そう言って少し困ったように笑う。

艦娘に肉体的な能力の向上はない。

あまり前と言えば当たり前だ。鍛えたら船の馬力や砲の火力が上がった、なんて事はありえないのだから。

彼女達の訓練は砲撃の精度や波風を読んだ速力の出し方、回避運動の方法等の動作の練度を上げるものであり、それこそが彼女達のステータスと言える。

着任したての大鳳と歴戦の大鳳でもそのスペック自体はなんら変わらないのだ。問題はそれを使って何ができるか、だ。

大鳳『私、走るのが好きなんです』

男『ほう、ジョギングが、趣味か』

大鳳『ジョギングというより運動が、ですかね。この身体で海で戦う以外の動きができるのが、なんだか楽しくって』

男『それは確かに、珍しい』

楽しい、と言ってから大鳳のペースが少し上がった。一応合わせてペースを上げたが、もう既にきつい。かなりきつい。久々に運動するやつのペースじゃない。

大鳳『課長さんはジョギング好きですか?』

男『き、嫌いでは無いはずだ』

畜生流石艦娘。こうして走ってるのにまるで座って話してるかのように普通に喋ってきやがる。

大鳳『あ!』キキッー

大鳳が突然ブレーキをかけた。

大鳳『すみません!その、少し休憩しますか?』

優しい気遣いだ。だが、

男『それは、有難いが、少し歩こう』ゼェゼェ

大鳳『休まなくても大丈夫でした?』

男『えっと、だな。人間は激しい運動の、後にな、急に止まると、心臓に悪い』

大鳳『へぇ。それはいい事を聞きました』

いい事?何がだ?

そう聞こうかと思ったが心臓と肺がそれを許してくれなかった。

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港とは逆の森に面する方にあったベンチに座る。もっとも森は壁に阻まれてあまり見えないが。

朝の湿気でじんわりと湿ったベンチがなんとも言えない不快感を与えてくる。

男『』チーン

が、それよりも疲れた。

大鳳『お水持ってきましょうか?』

項垂れる俺をに鳳は心配そうに話しかけてくる。こうして座ってようやく目が合うくらいだな。

…緋色の方が胸あるな。待てそうじゃない。

男『いや大丈夫だ。久々の運動で少し身体が驚いてるだけだ』

大鳳『あ~機関部とかも放っておくとダメになりますものね』

男『お、おう』

機関部…人間の俺には全く共感できない。

男『こりゃ帰ったら朝風呂かな』

既に背中にじんわりと汗を感じる。もう少し薄着でも良かったか。

大鳳『…』ジーッ

男『どうした?』

依然情けなく項垂れている俺を大鳳がしゃがみこんで覗き込んでくる。

大鳳『いえ!大した事じゃないです!すごい汗だなぁと』バッ

かと思うと急に思いっきり後退りして距離をとる。

男『何もそんなに離れなくても。く、臭かったか?』

大鳳『そういうわけではなくて…なんというか、距離感と言いますか、間合い?がよく分からなくて』

そう言って一歩だけ、恐る恐る踏み出す。

それは初めて猫や犬を目の前にしてどうしていいかと慌てる子供のようだった。

無理もない。慣れていない艦娘にとって人間とはそういうものなのだろう。

男『フフッ』

大鳳『えっ!なんで笑うんですか!?』ガーン

男『いや悪い。昔の事を思い出してな』

かつて初めて艦娘に触れた時、あいつから見た俺もきっとこんな感じだったのだろう。

そう思うとおっかなびっくり近づいてくる大鳳が妙に可笑しかった。

ようやく隣に座った大鳳が流れる汗をじっと見つめてくる。

男『汗って珍しいか?』

大鳳『確かに私達は汗とかかきませんしね。でもそれよりも、同じなんだなって思ったんです』

男『同じ?何がだ』

大鳳『提督と』

そりゃ同じく人間だしな。どう意味だ?

あまり突っ込む話題でもないと思って話をそらす。

男『いつも一人でジョギングを?』

大鳳は動きたくてうずうずしているのか座ったまま足をブラブラとさせながら話す。

大鳳『毎日走っているのは私だけですね。決まった曜日に長良ちゃんとか朝霧ちゃん達。たまに川内さん達や駆逐艦が数人』

男『意外といるんだな』

大鳳『動く事で体を起こす、というのに丁度いいんだそうです。川内さんみたいに有り余る衝動を発散させに来る方もいますが』

男『何処の川内も同じか。島風なんかはどうだ?』

大鳳『あの子はどうして皆が全力疾走しないのか本気で納得いってないみたいで』

男『島風もブレないなぁ』

大鳳『一時期提督もジョギングをしていた事があって、その時は結構いたんですけれど』

男『あぁそれで俺と同じだと。しかし彼もジョギングを』

大鳳『本当に一時的でしたけれどね。仮にも提督だと言うのにあんまりにも貧弱だから、と叢雲が無理やり色々と鍛えようとした事があって』

男『うわぁ。さぞスパルタだったろう』

大鳳『それはもう。内容自体は提督の体力レベルに合わせてましたけど、ともかく引き摺ってでもやらせていましたから』

男『想像に難くないな』

大鳳『結果一週間と経たずに提督が音を上げて。その分仕事を頑張りだしたので叢雲も諦めたんです』

男『諦めたのか。てっきり無理矢理でもやらせるものと』

大鳳『それくらい提督の拒否反応が凄かったんですよ。大好きだった唐揚げが喉を通らなくなったそうですし』

なんかそれ前にも聞いたな。唐揚げ嫌いにそんな理由があったとは。

大鳳『一年前の事なのにもう随分昔の事のように感じます。あの時もこうやって』

男『お、おい?』ドキッ

大鳳が俺の身体に顔を近づけ匂いを嗅ぐ。小柄な女性に匂いを嗅がれるというなんだ、なんだこの状況。

ただでさえ今の大鳳の服装は非常に露出が多い。失礼な感想かもしれないが陸上選手はよくこの格好で人前に出れるものだ。

大鳳『私達からはしない匂いです。でもどこか知っている匂い』

男『海の男達か』

大鳳『血なまぐさいよりはいいでしょう』

男『…さてもう一走りするか』

大鳳『もういいんですか?』

男『あぁ』

走ってもいないのに鼓動が早くなる心臓をとりあえず抑えたかった。

大鳳『でしたらその前に一ついいでしょうか』

男『なんだ?』

大鳳『その、汗を!舐めてみてもよろしい、でしょうか』ズイッ



男『はい?』

大鳳『ですから、課長さんの汗をですね』
男『いやいやなんでだ!なんで汗を舐める!?』

大鳳『大した意味は無いんです。興味本位というか』

大した意味があろうがなかろうが汗を舐めるってどういう事だ。

男『いや流石にそれは…』

大鳳『すみません。やっぱり失礼だったでしょうか』シュン

男『んー失礼かと聞かれると、あまりにも予想外すぎて最早そういう次元じゃないというか…なんでまた?』

大鳳『以前飛龍さんが言ってたんです。提督の汗は海みたいにしょっぱかったって。それが気になっていて…』

男『…なら提督に提案してみたらどうだ』

大鳳『そ、それは!恥ずかしいデスシ…』カァァ

あ、そういう恥じらいはあるんだ。

ビビって離れたかと思えば至近距離で匂いを嗅いだり、確かに距離感の取り方がめちゃくちゃだ。価値観がよくわからん。

このままだと本当に舐められかねないのでとりあえず走ろう。

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大鳳『もうすぐ六時ですね』

男『あぁ、そろそろ戻ろうか』ハァハァ

大鳳『明日も走りますか?』

男『身体が持てばそうしたいな』

想像以上に鈍っていた身体が今日一日でこの疲労を回復できるかはちょっと怪しい。

大鳳『こうして誰かと走っていると、あぁちゃんと地に足が着いてるんだなあって実感できるので、出来ればまたご一緒させて下さい』

男『大事なのか?誰かと一緒というのが』

大鳳『海だとこんなに近くに並んで航行は出来ませんから。この身体で陸を歩けるからこそなんです』

そう言って大きく伸びをする。

脇…じゃない。

腕や足、腰や腹。どこを見てもとても軍人とは思えないほど華奢だ。引き締まってはいる。だがやはりこれでは陸上選手とすら言えないだろう。

そんな身体で、海を渡り戦場を駆け抜けている。

男『なるほど。善処するよ』

その助けになるなら、ジョギングくらい軽いものだ。

男『なら、約束ついでにひとつ聞いてもいいか?』

大鳳『いいですよ?私で答えられることなら』

男『こんなことを聞くのは失礼だとは思うんだが、その、どうして"人間"と走ろうと?』

大鳳『あ~、そこですか…そうですよね』

少し寂しそうな表情が返ってくる。だから聞きたくなかったのだが、しかしここはハッキリさせておきたい所でもある。

大鳳『私ここに着任してまだ日が浅いんです。と言っても一年半程前ですが。その、人間は確かにあまり好きとは言えません。でも他の皆さんや、加賀さんみたいに蛇蝎の如く人間を嫌う程の理由はまだないんです』

確かに新米であればそれだけ人との関わりは少ないだろう。あの距離感の取れなさもそれか。

それより今加賀を殊更強調して言ったな。正規空母加賀。要注意かも知れないな…

大鳳『それに、私達空母には飛龍さんがいるじゃないですか』

男『あぁ。なんとなく分かったよ』

大鳳『ふふ、凄いですよねあの人』

男『それには同意だな』

大鳳『飛龍さんだって嫌な思いはしているはずなんです。でもあの人はいつだって人間の事を信じてる。確かに私だって人間が皆私達を忌み嫌っているとは思いません。

でもわざわざ人間の肩を持とうとも思いませんでした。何処にいるかも分からない優しい人間を信じる理由がないですからね』

それはきっと正しい。

人間が艦娘に抱く恐怖にも似た感情は迫害だとか差別と言った類のものではない。

生物的な本能。"これは違う"という拒否反応。

それがない者が、まともな感性が壊れているものこそが提督と呼ばれるある種の才能を持った人間なのだから。

大鳳の言う"優しい人間"なんてのは本質的には存在しないのかもしれない。

大鳳『人間の事を話す時の飛龍さんはいつもキラキラとした目で、まるで水平線の向こうを見るかのように私には見えないどこか遠くを見ているんです。それが、私の憧れなんです』

男『確かに。あいつの価値観は変わっている。あんな艦娘に出会ったのは初めてだ』

大鳳『だから応援してますよ。貴方の事も』

男『俺も?』

大鳳『提督とは違うけれど、貴方もまた変わった人間です。だから飛龍さんや緋色ちゃん、そして私達にとってこの出会いがいいものでありますように』スッ
男『え』

一瞬何が起きたか分からないほどスムーズにこちらに近づいてきた大鳳がそのまま背伸びをし、疲れて立ち尽くしていた俺の首筋に流れる汗をペロリと舐めた。

男『お!おま!?』

大鳳『あ、本当にしょっぱいんですね。でも海ほど濃くは無い』

男『』

大鳳『不思議ですね。私達からはそんなもの生まれないのに。それでは課長さん、また明日』

男『…オウ』

大鳳が駆けて行く。




男「風呂入ろ」

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秋雲「え、で、何?朝から上司に競技用ユニフォームという中々フェチ度の高い服装の小柄な少女に汗を舐められた事を相談された私はどう反応を返したらいいわけ」

男「やめろ反復するな」

画面の中の秋雲が凄い冷たい視線を送ってくる。

朝風呂に入り自室に戻った俺はとりあえず秋雲と話す事にした。

秋雲「課長はホントさあ…動揺してるのは分かるけどとりあえず頭乾かしたら?」

男「そのうち乾くだろ」

秋雲「まだ少し涼しい時期だし湯冷めするよぉ。あ、緋色ちゃんはまだ寝てるの?」

男「あぁ。起床時間は過ぎてるけど、昨晩風呂に入ったせいで寝るのが遅かったしもう少し寝かせておこうと思う」

秋雲「別に艦娘なら寝たっていう事実があれば睡眠時間なんて気にしなくていいと思うけどね」

男「…緋色はまだ"艦娘かどうか"すら定かじゃないよ。名前が見つかるまで油断はできな」

秋雲「言うと思った。で、要件は?まさか舐められて興奮したとか脇フェチでしたとかいう告白が目的じゃないでしょうねえ」

男「違うわ」

先の出来事が頭から離れないからとりあえず誰かに話してしまいたい、というのは確かだが。

男「艦娘にとって匂いというのがどういう意味を持つのか気になってな」

秋雲「あぁ、そこか。確かに匂いって今までになかった観点よねえ」

男「ちなみにお前はどうなんだ?匂いとか」

秋雲「"今の私"にわかると思う?」

男「…だな。何か匂いに関連する物を少し調べたりして欲しい」

秋雲「はいは~い。それじゃ課長、ハーレム目指して頑張ろぉ!」

男「誰が目指すか」

秋雲「あーそうだ忘れてた!昨日のお風呂イベントは何か面白いことあった!?」

画面から飛出てくるんじゃないかという程顔を近づけて興奮気味に聞いてくる部下。

男「大変だったよ…全裸で、いや全裸なのは当たり前なんだが、脱衣場に俺がいるにも関わらず普通に出てくるしな」

秋雲「どうだった?ロリっ子の全裸」

男「思い出させるな…まあ自分がロリコンの変態じゃないと分かったのは安心したが」

秋雲「え…課長ロリコンじゃないの…?」

男「なんでそこで驚くんだよ!?」

秋雲「いやぁてっきりロリコンだからこの秋雲さんを手篭めにしたのかと」

男「何が手篭めだ勝手に話を盛るな。でもやっぱ裸を見たという事実はこう凄い罪悪感がな…」

秋雲「真面目ねぇ…でも同じロリ体型なのに大鳳にはときめいたんだ」

男「ときめいてねえって」

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叢雲『アナタ、朝大鳳とジョギングしたそうね』

男『情報早いなおい』

緋色の部屋に朝食を持ってきてくれた叢雲が早速話題を振ってきた。

叢雲『空母と駆逐の情報伝達の速度は凄いわよ。砲弾並みね』

男『それは恐ろしい…』

緋色『課長さんジョギングしてたの?』

男『あぁ。身体が鈍ってたからな』

緋色『へ~いいなぁ』

叢雲『ジョギングか、ありかもね』

緋色『本当!?』

叢雲『考えとくわ。運動は大事だものね』

そう言いながら机に朝食を並べていく。

飛龍なんかは運ぶの楽だからと丼物や麺類ばかりだが叢雲は毎回和食を持ってくる。こだわりなのだろうか。

男『いい匂いだ』

今日の魚は鯵か。

叢雲『護衛の代金に貰ったりしてるのよ。今日のは釣れたて』

緋色『本当にいい匂い!ん?』

男『どうした?』

緋色『…ん?ん~』クンクン

目を瞑り子犬のように鼻で匂いを辿っている。

男『?』

叢雲『一体何が…え』

少し辺りを嗅ぎ回り、最終的に叢雲の目の前でピタリと止まった。

叢雲『?』チラリ
男『?』チラリ

思わずお互いに目を合わせる。一体どうしたんだ?

緋色『なんだかいつもと違う匂いがする』

叢雲『え?』

男『違うってどんな?』

緋色『う~ん…上手い言葉が見つからないのだけれど、そうね。いつもは海の匂いなのよ。飛龍さんや江風もそう。それに焦げ臭い感じの匂いや、鼻につく変な匂い。でも今日は嗅いだことない匂いなの』

叢雲『匂いって言われてもねぇ』クンクン

男『今朝は何食べたんだ?』

叢雲『まだこれからよ。それまでだって特にいつもと変わった事はー…ぁー…』

男『叢雲?』

緋色『?』

フリーズした。叢雲がフリーズした。それに心無しか顔が青ざめているような。

叢雲『用事思い出したわ』スッ

男『え、おい』

叢雲『それじゃ召し上がれ』バタン

追求したらコロスとでも言わんばかりの勢いでドアを閉め出ていってしまった。

緋色『…えーっと、いただきます?』

男『あぁ、うん。食べようか』

なんだったんだ?

しかし匂い、また匂いか。

男『なあ緋色、俺ってどんな匂いがする?』

緋色『匂い?んー…男の人の匂い、かしら』

男『…臭い?』

緋色『臭くはないわよ。でも皆と違って、変わった匂いだわ』

加齢臭?加齢臭か!?いやまさか、俺はまだおじさんて歳じゃねえ。断じてねえ!!

緋色『そうだ!私は?私はどんな匂いがする?』

男『緋色の、匂い?いやそれはちょっと』

緋色『なんでよ、気になるじゃない』

男『う…』

だって匂い嗅いだらこう、犯罪臭がするし…緋色からじゃなく俺から。

緋色『ほら』

食事の並べられた机の前に行儀よく正座した緋色が目で早くと訴えかけてくる。

腹を括るか…考えてみりゃ別に理由があってやるわけだし、何かいかがわしいと考えるからそう思えるんだ。

緋色の、文字通り緋色の髪に顔を近づける。

男『…』クンクン
緋色『どう?』

男『シャンプーの匂いがする』

緋色『あー』

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男『そろそろお昼だな』

緋色『疲れたぁ…』

艦娘になる為、という名目の勉強会はある意味順調だ。緋色が意識を失う事はほとんど無く、抜け落ちていた知識などを補えている。

最も肝心な記憶の方はサッパリだが。

男『昼食までまだ時間があるな。休憩にしよう』

緋色『ふわぁい』

ぐったりと
机につっぷす
ピンク色

男『歴史嫌いか?』

緋色『嫌いではない、と思う。でもどこの国でも戦争は嫌よ』

日本史から遠ざけ世界史に触れさせてみたが、戦争というだけで精神的に負担になっているのだろうか。

男『これが終わったら緋色の興味ある歴史にするか』

緋色『私古墳とかはにわがいいわ!』

男『中々微妙なところ突いてくるな』

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緋色に教材代わりのタブレットを渡し部屋を出る。意外にも読書好きなのか電子書籍を暇さえあれば漁っている。

男『さぁて』

今の時間なら昼食には間に合うだろう。端末を取りだし電話をかける。

叢雲『もしもし…何かあった?』

俺からの唐突な電話に真剣な声になる叢雲。

男『大丈夫だ。緋色の事じゃない。その、少し電話を借りたくてな』

叢雲『電話を?』

鎮守府で外と連絡を取る手段は制限されている。この端末も連絡ができるのは鎮守府内だけだ。その為外に電話をするには借りる必要がある。

叢雲『そうねぇ。ビーチ、って言っても分からないか。前に見せたPCとかゲーム機が色々置いてあった場所があるじゃない?みんなのたまり場でビーチって呼ばれてるのだけれど、そこに電話があるわ』

男『何故ビーチ…いやしかし、そのだな』

叢雲『ま、そんなたまり場にアナタ一人が行くってのはちょっと問題よね』

男『あぁ。また瑞鶴辺りに睨みつけられたらたまらん』

叢雲『それとも、そういう回線じゃかけたくない相手、なのかしら?』

男『んー微妙なところだな』

叢雲『微妙って何よ微妙って』

鎮守府の数少ない外と繋がる回線は当然監視されている。機密が漏れたりしたら事だし当然ではある。

だからまあ内緒話には向いてない。

叢雲『執務室に行ってちょうだい。司令官の部屋に電話があるわ。最もこっちだって監視はあるけれど』

男『それで十分だよ。ありがとう』

電話を切り執務室に向かう。お昼前という事もあって建物の中に艦娘の姿は殆どなかった。

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提督「おはようございます、と言うべきですかね」

男「どちらでも構いませんよ。しかし…」

提督はデスクで作業をしていた。していたのだが、

男「何やってるんです」

提督「ほら、もうそろそろ梅雨じゃないですか」

男「えぇ。確かにもう何時梅雨入りが発表されてもおかしくは無いですね」

提督「そうなると駆逐艦なんかがよくこれを持ってくるんですよ。ですからお礼にコチラもこれをあげようと思いましてね」

男「…てるてる坊主を」

提督「はい。とりあえず20個くらい作ろうかなと」

男「てるてる坊主を」

提督「ちゃんと作ろうとすると意外と難しいんですよねぇ」

これは流石にサボりじゃなかろうか。俺がとやかく言うことではないが。

男「えっと、今回は電話を借りたくて来たのですが」

提督「叢雲から聞きましたよ。そこの扉から私の部屋に入って向かって右の所にあります。ご自由にどうぞ」

男「え、部屋入ってしまっていいんですか」

提督「構いませんよ?見られて困るような部屋でもないですし。あーでもベッドの下はNGで」ハハハ

男「はぁ」

ベッドの下?掃除してないのだろうか。だとしてもそんなとこ覗く奴いるのか?

執務室の奥にある扉を開け部屋に入る。

簡素な部屋だ。ビジネスホテルの一室といったイメージになる。

ベッドに小さなデスク、本棚とクローゼット。あくまで寝るだけの場所、ということか。

脇にあった電話を手に取り番号を押す。

今回は別に盗聴なんかを気にする必要は無いだろう。

繋がった。

「」

男「もしもし?」

「ふぁい、もひもひ」

男「おい今何食ってる」

「モグモグ」

男「…」

「ゴックン お饅頭です」

男「今お昼だぞ…」

「ほら、ウチの子達結構な頻度で各地に飛んでて、その都度お土産買ってくるのでタイミングが合うとお菓子が沢山溜まるんですよ」

男「だからって今食う事はないだろ。身体に悪いぞ多分」

「大丈夫ですよ。一応そこそこ丈夫ですし、あれから身体が成長する様子もないので気にしてません」

男「さいで…で、一つ聞きたい事が出来たんだが今いいか?しーちゃん」

しーちゃん「大丈夫です。食べながらでよければ」

男「いや食べるのは一旦やめろ」

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しーちゃん「ふむ、"匂い"ですか」

男「あぁ。これまで気にした事は無かったんだが、しーちゃんは何か心当たりとかないか?」

しーちゃん「秋雲さんには聞いたんですか?」

男「アイツは、ほら、分からねえって…」

しーちゃん「なるほど。そうですねえ、匂い…心当たりはありますね」

男「本当か!」

しーちゃん「はい」ビリビリ

男「…次はなんだ」

しーちゃん「シューアイスです。ちょうど良い感じに溶けてますねぇ。一応私達グッズとかも出してるので出来れば食べ物なんかとコラボしたいと考えたりはしてるんですけど、これが中々上手くいかないんですよ」

男「なんでだ?」

しーちゃん「食べ物っていうのは人の生活にモロに関わる部分ですからね。そういう所に艦娘が関わるのを良しとする人は少ないんです。あとは利権絡みですねぇ」

男「なるほどね、って今はそれはいいんだよ」

しーちゃん「冷たっ!まだ溶けきってなかった…」

男「で!心当たりって!」

しーちゃん「私達三課は当然というか人と関わることが多いです。そうやって人と仕事をして帰ると、たまにあるんですよ」

男「何が」

しーちゃん「この前そちらに伺った北上さんなんかもそうですね。他の娘が人と接触して帰ってきた時言うんです。"人と合ってたの?"って」

男「!」

しーちゃん「そういう娘達に色々聞いたこともあります。でも皆あやふやな感じで、そういう気がした、そんな匂い、気配がしたとか言うんです」

男「匂いに限らないのか」

しーちゃん「私の見解としては、匂いではなくそれに準ずる何か。彼女達艦娘しか感じ取れない感覚的な物じゃないかと」

男「それは人と会った時だけなのか?」

しーちゃん「今のところ、私が知る限りはですが」

男「ふむ」

人と会う、か。この鎮守府で人と言うと俺か提督しかいない。

しかし提督だとしたら秘書艦の叢雲は常にそういう匂いがするんじゃないだろうか。

俺、はないだろう。接触する機会はどう考えても提督より少ない。その密度も。

男「北上なんかが何か感じ取った時の"人と会う"ってのは具体的にどんなレベルの接触なんだ?」

しーちゃん「そうですね…」ウーン

しーちゃんが何やら考え込む。

考え込んでるのか?聞こえないようにお菓子食ってんじゃねえだろうな。

しーちゃん「この前そっちの鎮守府に行って貴方に会った時なんかも言われましたよ」

男「俺?」

あの程度の接触で匂いがするなら叢雲はやはり常にそういう匂いがするはずだ。そもそもあの時は緋色もいたし。

男「ぁぁああ分からん。艦娘ってのは本当に分からん」

しーちゃん「頑張ってくださいね。調査員さん」

男「声援より応援が欲しいな。誰か空いてる人員いないのか?」

しーちゃん「ウチもカツカツなので」

男「あれ、というか緋色の名前知ってるのか」

しーちゃん「報告者には目を通してますから」

男「相変わらず情報の早い事で」

しーちゃん「それではまた、息災で」

男「あぁ、ありがとう」

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緋色の部屋に戻りながらしーちゃんの話を頭で反復する。

男「匂いかそれに近い何か、か。少なくともそういった感覚があるのなら緋色はある程度艦娘としての力や感覚はあるわけだ」

そこは少し安心出来る。

緋色の部屋の前まで来て中から飛龍の声がした。どうやら今日の昼食の当番は飛龍らしい。

男「…」

そっとドアに近寄り耳を澄ます。些か罪悪感を覚える行為ではあるが緋色がどういった反応をしているのか気になるのは確かだ。

緋色『じゃあ飛龍さんも釣るの?』

飛龍『私は釣りはからっきしなのよねぇ。蒼龍によく飛龍は大雑把過ぎるって言われる』

緋色『あー』

飛龍『しちゃう?やっぱ納得しちゃう?』

緋色『はい…』

飛龍『ま、これも私の持ち味って事よ。大胆さなら負けないわ』

大雑把から大胆に変化した。こういうのは捉え方にもよるから間違いではないが。

しかし二人きりでも思ったより緋色は飛龍と仲良くしているようで安心した。

緋色『うーん、飛龍さん今日は潮と、焦げ臭い?』

飛龍『え゛嘘!?取れてない!?今日午後は出撃ないからちゃんとお風呂入ったんだけどなあ…どれくらい臭う?』

緋色『えっと、鼻に来る感じじゃないんです。私もちょっとなんて言ったらいいか分からなくて』

飛龍『…あ~そういう奴か。そっかそっかぁ緋色ちゃんそういうタイプか』

緋色『タイプ?』

飛龍『大丈夫大丈夫。それ匂いじゃないから、多分ね。でもこの手の話は私イマイチわかんないよのね』

緋色『今朝、叢雲の匂いも少し変だったの』

飛龍『叢雲も?ん、しかも今朝?』

緋色『うん。初めてする匂いだった。叢雲にそれを話したら、なんだか慌てて出て言っちゃって』

飛龍『ブッ』

緋色『飛龍さん!?』

飛龍『待って…ククク、一分待って…フフッ』

そこから本当に一分近く擽りの拷問にでも耐えるかのような声が続いた。

飛龍『まずね、匂いに関してはあまり言及しない方がいいわね』

緋色『いけない事だったかしら…』

飛龍『んーこれに関しては叢雲が気にするかどうかの問題だから緋色ちゃんは悪くないわよ』

緋色『ならどうして?』

飛龍『叢雲はねぇ、十中八九昨晩提督と寝たのよ』フフフ

緋色『ねた?』

提督とねた。ねた?

寝た!?

衝撃で思わず身体が強ばる。つい身体を揺らして扉がガタと音を立てるくらいには。

男「ヤベ」
飛龍『てーーい!!』バン

反射的に扉から離れた瞬間勢いよく開いた。

男『…』

飛龍『…』

男『…』

飛龍『キイテタ?』

男『キイテタ』

飛龍『oh…』

緋色『あ、課長さんおかえり~』

飛龍「課長さん」

飛龍が顔をずいと寄せて、わざわざ人間の言葉で俺に話しかけてくる。

飛龍「今の話絶対叢雲にしない事。いい!?」

男「お、おう、分かってるって」

飛龍「頼むからねぇ。これバレたら私死んじゃうから多分」

男「そんなにか」

飛龍「ぶっちゃけ叢雲の事に関しては皆結構察してるのよ。今朝だってまた変な寝癖残ってたり服もシワシワだったりとかでさ」

男「…」

全然わからなかった。一目見てそれが分かるのもどうかと思うが、そういう所はやはり艦娘ど同士、女同士だからこそなのだろう。

飛龍「特にその、課長さんにバレるってのは叢雲的に結構大ダメージっていうかね、うん」

男「まあそうだろうな。分かった気をつける」

緋色『二人ともお昼ご飯食べないのー?』

飛龍『食べるー!』

男「待ってくれ、一つだけ」

飛龍「何?」

男「結局匂いって何なんだ?」

飛龍「私もね、そういうのがわかるって訳じゃないから聞いた話なんだけど、なんでも"情景"って表現が一番近いそうよ」

男「情景…」

提督と叢雲の、情景?

…深く考えるのはよそうかな。

しーちゃんはお菓子好き

艦娘は何処まで人間の機能を有して何処から人間では無くなるのか。
今回は艦娘に食べたり出したりという生物的なサイクルは無いという話。
それはそうとなんでも今回の大規模作戦非常に札が多いそうですね。
ウチはどの道足りないのでいいのですが。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

叢雲『ただいま』

提督「おかえりー」

叢雲『…何してるの』

提督「てるてる坊主をね。お、これはいい感じ」

よしこいつには後で然るべき処置を行おう。

でもその前に

叢雲『課長、電話借りに来たわよね』

提督「あぁ来たよ。五分くらいの短い会話だったけどね」

てるてる坊主作りに夢中な奴の時間感覚は宛に出来ないわね。

叢雲『どんな様子だった?』

提督「様子?別にいつも通り、あーでも終わった後なんだか釈然としないって顔してたかな」

叢雲『へぇ、そう』

提督「そうだ。叢雲も作るかい?てるてる坊主」

叢雲『パス。アンタが仕事に取り掛からない限り雨は降らなさそうだもの』

提督「え、どういう意味」

叢雲『なんでもないわ、それじゃ』

提督「えー」

叢雲『…もうひとついい?』

提督「まだ何か?」

叢雲『私って、臭う?』

提督「におう?え、匂い?匂い…考えた事もなかったな」

叢雲『って事は特にないって事よね!』

提督「まあそうなる、かな。仮に今何か匂いがするなら僕と同じ匂いなんじゃない?それだと僕には分からないかも」

叢雲『確かにそうね…』

提督「後はほら、僕の布団の匂いとか。でもアレ昨日干してくれてたしなぁ。太陽の匂いかもね」

叢雲『そうであると祈っておくわ…』

もし私達には分からない匂いが付いていたらどうしよう…最悪実は皆にバレてました~なんて事に…

一旦この事は置いておこう。

執務室を後にする。

あの男は確かに司令官の部屋から電話をかけた。時間も決して長くはなかったでしょう。

端末を取り出して連絡先を選ぶ。

叢雲『もしもし、夕張。今空いてる、わよね?』

夕張『はいって言わないと怒られる圧を感じた』

叢雲『当たり前でしょう。この時間仕事は入れてないはずよ』

夕張『プライベート中ですぅ』

叢雲『なら丁度いいわ。仕事よ』

夕張『プライベートって答えたのに間髪を入れず仕事しろと言われた』

叢雲『必要な時に必要な事をするのが私達の仕事でしょ。司令官の部屋の電話、ログを私の端末に送っておいてちょうだい』

夕張『急ぎで?』

叢雲『どれくらいかかるの?』

夕張『ログだけならすぐにでも。中身はちょっとかかるかも』

叢雲『なら取り急ぎログだけでもお願い』

夕張『例の映像とこっちと、どっちが優先?』

叢雲『支障がないならこっちで。頼んだわよ』ピッ

あの男のかけた連絡先。それだけで非常に価値がある。

そういえば司令官はなんか釈然としない顔とか言ってたわね。

一度様子を見に行こうかしら。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

叢雲『あら、また電話かしら?』

男『違うよ。御手洗に行くだけだ』

丁度緋色の部屋から出てきたところに出会した。

叢雲『いまあの娘は?』

男『海について勉強中。準備が出来たら海に出れるんだろ?そのために』

叢雲『なるほどね。準備の方は順調よ。明後日、くらいかしらね』

男『それは重畳。緋色に用か?』

叢雲『ちょっと様子見に』

男『なら、はい』カチャ

叢雲『ん』

私に鍵を渡してそのままスタスタとトイレに向かう。

鍵か。あの娘に随分と甘いように見えるけどこうして今でもしっかり鍵をかけていく。私なんかは別に鍵がなくてももう大丈夫なんじゃないかと思ってるのに。

彼だからこそ分かる危険性があるのか、それとも他の理由か。

叢雲『悩んでも分かるわけないか』ガチャ

緋色『ん、あら?課長さん?』

叢雲『勉強は順調そうね』

緋色『あっ叢雲!丁度良かったわ』

叢雲『丁度良かった?何かあるの?』

緋色『うん。大した事じゃないんだけど。叢雲は何か用?』

叢雲『貴方の様子を見に来ただけよ。それと海に出るって話、明後日位にはいけそうよ』

緋色『ホント!?やった!』

叢雲『その為にもしっかり勉強しなくちゃね』

緋色『はぁい』

叢雲『でも勉強って何やってるの?』

緋色『今は法律よ』

叢雲『あぁ、そうね。それがあったか』

車両に道路交通法があるように船にも海上交通安全法がある。

海なんて広いのだから大丈夫だろうと考える人は多いらしいが海は一つ一つのスケールが陸とは大違いになる。大型船が沈もうものならどれだけの被害になるか。

加えて深海棲艦への対応や艦娘の海上での扱い、船との違いや規則。それらはここ数年で漸く法律でキッチリと定められた。

緋色『覚える事が結構多いわよね』

叢雲『船だけの時は少なかったのだけれどね。今は細かい所まで法律で決められているから』

緋色『これなんか随分最近に出来たものみたいだけれど、これからも増えるのかしら』

叢雲『でしょうね。特に私達の扱いなんかは今もあちこちで揉めてるし、選挙で大きく取り上げられる題材でもあるもの』

緋色『…なんだか大変ね』

叢雲『まあそうね。別にどうでもいい、と言いたいところだけれど、こっちが必死に戦ってる後ろでギャーギャーと言い争ってるのは正直気分悪いわね』

緋色『叢雲?』

叢雲『!ごめん、忘れて』

緋色の心配そうな表情で我に返る。またこれだ。すぐカッとなるのは悪い癖よ叢雲。

叢雲『ところで緋色の用って何?』

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

緋色を海に出すとして先導は誰が良いだろうか。

そんなことを考えながらトイレを出て廊下を歩く。

叢雲が理想ではあるがアイツも秘書艦だ。そこまで時間を割くのは難しいだろう。となるとやはり江風か。

んーあまり江風の人となりを知らないからなんとも言えない所はあるが、あまり適任とは思えないんだよなぁ。

他にも協力的な艦娘がいればいいが。

増えていくばかりの課題に頭を悩ませながら緋色の部屋の扉に手をかける。

しかし僅かに開きかけた扉から聞こえて来た声に思わず手を止めてしまった。


緋色『提督と寝たってどういう意味なの?』


男「」

緋色ぉぉぉぉ!!??

なんで聞いた!?直で!何で!?飛龍に叢雲には言うなって言われて…言われ…

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

飛龍「今の話絶対叢雲にしない事。いい!?」

男「お、おう、分かってるって」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

言われてねえ!!!あの時俺が盗み聞きしたせいで緋色に忠告してないんだ!!

ど、どうする…

僅かに開けた扉の隙間から中の様子を見てみる。

叢雲『』

固まってる。

こちらに背を向けて座っているから顔は見えないが十中八九固まってる。

緋色もそんな叢雲を不思議そうに見つめている。

そっと扉を閉め今来た廊下を戻る事にした。

絶対に、絶対に今聞いてしまったと悟られるわけにはいかない。

トイレの前まで戻ってきたがどうしようかこれ。正直混乱していて考えがまとまらない。

すると緋色の部屋の扉が物凄い勢いで開いて叢雲が飛び出してきた。

男「やっべ」

どうしよう。どうすんのこれ!?

廊下にいる俺を見つけるやいなや叢雲が全力ダッシュで詰め寄ってくる。

男「うわっ!?」

ぶつかるかと思った衝撃を直前で綺麗に殺してそのまま俺の胸ぐらを掴んできた。

圧倒的身長差にも関わらず俺を僅かに屈ませたその小さな手の力はとてもさからえる物じゃないと本能が訴えていた。

叢雲『どういうことよ!!』

男『な、何が!?』

叢雲『とぼけないで!アンタが漏らしたんでしょ!』

男『ちげえ!俺じゃねえ!!』

ここままこの真っ赤な青鬼に絞め殺されるんじゃないかと割と本気で思った。

もはやいい訳ではなく命乞いの気分だ。

が、

叢雲『…へぇ、漏らしたってなんの事か分かってるわけ』

男『は?………あ』

やっべぇ…テンパって口走ってしまった。というか叢雲が恐ろしいほど冷静だった。

叢雲『つまり知っているのはアナタと緋色…いや、そもそもなんで…飛龍!?』

男『』

今なお顔は真っ赤なのに推理がどんどん進んでいる。この文字通り脳ミソが複数あるかのような思考は流石艦娘だ。

よく見れば頭のあのアンテナみたいなやつが紅く光っていて僅かに煙まで出ている。フル回転してるようだ…そして

叢雲『…ねぇ』

もう殆ど泣いてると言ってもいいような顔で最後の推測を確かめてくる。

叢雲『誰が何処まで知ってるの』ウルウル

男『お、俺は飛龍から聞いただけだからなんたも…』

もうこれは話すしかないな。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

叢雲『緋色の言ってた匂いの事を飛龍に話したわけか』

男『そしたらピンと来たみたいでな。その提督と、って話を』

叢雲『…そう』

いちいち目を逸らされるのはこっちも精神的にきつい。

男『あー!でも飛龍は口外するなって必死に言ってきたから多分広めてるわけじゃないと思うぞ!』

叢雲『ホント!?』

男『あぁ。緋色には言い忘れてたようだが…』

叢雲『そうよね、あの子も別に軽薄って訳じゃないのだし』

そうかなぁ。

それ以前に飛龍以外にも普通に気づいている娘は多いって話もしてたが、言わないのは嘘じゃないからセーフだ。

叢雲『でも結局匂いってなんなのかしら』

男『飛龍は何か知ってるみたいだったぞ』

叢雲『飛龍が?』

男『緋色の事をそういうタイプかって言ってたし、匂いの事も情景だとかなんとか。聞いた話らしいが』

叢雲『なんだか余計分からない言い方ね』

男『だよな。緋色は俺からは男の人の匂いがするとか言ってたよ。緋色からはシャンプーの匂いがした』

叢雲『昨晩入ったばかりだものね』

男『となると叢雲のも案外シャンプーとかの匂いだったりするのかもな』

叢雲『シャンプー?なんでよ』

男『そりゃあ、そのほら、風呂入るだろ?』

叢雲『入るけど、昨日の夕方よ?流石に匂いは残らないでしょ』

男『え、入ってないの?』

叢雲『え?私朝風呂の習慣はないわよ』

男『え゛』

叢雲『な、何よ?どういう反応なのそれ』

マジか?もしかしてそのまんまなのか?いやしかしそれは流石に臭うだろ…

男『だってほら、提督とー、寝たんだろ?』

叢雲『…ウン』

男『だからほら、臭いとかがこう、な?』

叢雲『何よ!ただ寝ただけでそんなに匂いがつくはずないじゃない!なんなら今ここで嗅いでみなさいよ!別に変な、変な匂いしないわよね…?』ヤケクソ

男『…あれ?』

叢雲『ハッ!そういえば緋色もなんか匂いがどうとか言ってて、まさか本当に匂う…?』

男『???』

叢雲『え?』

男『提督と寝たんだよな?』

叢雲『だからそうだって言ってるじゃない!』

男『ぐ、具体的には?』

叢雲『はあ!?寝る以外に何があるのよ!!』

男『』

叢雲『』ゼェゼェ

男『ごめんちょっと待って』

飛龍はなんて言ってたっけ。

提督と寝た。それだけだったはず。

つまりそれはそのままの意味だと。

寝るに寝る以外なんの意味があるというんだ常識的に考えろははは

男『ごめん。多分これは俺が悪い…あまり認めたくはないが』

叢雲『なんなのよもう…』

お互いにようやく落ち着きを取り戻してきた。

叢雲『緋色になんて説明しようかしら…』

男『そのまま一緒に寝ましたって言えばいいんじゃないか?』

叢雲『嫌よそんな恥ずかしい事!アナタに知られてるのも正直そこそこ恥ずかしいのよ…』

そりゃ見た目は子供とはいえ大の大人と同じ布団でってのは恥ずかしのか。

しかし待てよ?さっきの反応からして叢雲は男女の営みについて全く知らなそうだ。なら

男『そんなに恥ずかしがることか?』

叢雲『アナタには分からないでしょうね。だからまあそこそこなのよ。恥ずかしさは』

男『それについて詳しく聞きたいんだが』

叢雲『聞いてなかったの!?恥 ず か
し い の !これ以上話す理由はないわ』プイッ

男『緋色の為だ』

叢雲『なんでそこであの娘が出てくるのよ』

男『緋色もよく寝てる。というか意識を失ってるわけだが、艦娘にとって睡眠はそれと同じことだろ?だから叢雲が睡眠において何か意味を持っているなら参考までに聞かせて欲しいんだ』

叢雲『…』

叢雲がじっと見つめてくる。

賢い目だ。俺の言うことは十全に理解しているだろう。

それから暫く迷うように目を動かし、やがて下を向きながらポツリと漏らした。

叢雲『アンタのせいよ』

男『俺の?』

叢雲『私達にとっての睡眠は確かに人間のそれとは違うわ。人間はほら、脳を休めるとかなんとかって』

男『まあそんなところだ。脳ミソは容量が消して多くはないらしいからな。日毎にメンテして記憶を整理しないとすぐダメになる。夢もその影響で見るらしい』

叢雲『でも私達は違う。少なくとも数日間寝なくても万全に動けるわ。考えてみれば当たり前の話よ。海上に出た船が夜だから寝ますなんてことは無いでしょ?船員は互いに休息を取り合うけど船は常に動き続けてる』

右脳だけ寝かせて左脳で動く、なんてどこかで聞いたような話を艦娘は本当にできる。それも左右なんてレベルでなく。

叢雲『私達は船だもの。ならその船が眠る時って何時だと思う?』

船が眠る時。

海の底で、記憶の中で、なんて。

男『修理する時、とか?』

叢雲『60点。ま、及第点ね』

男『模範解答は』

叢雲『人が乗っていない時』

誰も乗っていない空っぽな船か。

叢雲『船が船として活動するのは人が乗っている時だけよ。今でこそ様々な役割があるけれど根本的に船は人を乗せ運ぶものなのよ』

男『つまり寝てる艦娘は人のいない船…』

空っぽの船。空洞で伽藍堂で、何も無い。

叢雲『意識を失うってそういう事よ。私達は寝ている時人としての部分が限りなくゼロになる。おかしな話よね。船としては寝ているのに逆説的に殆ど船になるのよ。何も言わない、何も思わない、何も感じない空っぽに』

男『それは意図的に出来るのか?』

叢雲『慣れれば。個人差はあるけれどね。未だに"寝付き"の悪い娘はいるもの』

男『なるほどね。それが艦娘の"寝る"という事か』

ならば海の底で眠るという表現は正しくその通りなのだろう。もはや目覚めることがないという点を除けば艦娘にとって眠るというのは陸だろうと海底だろうと大差はない、のかもしれない。

男『だがそうなるとますます分からないな。それが眠るという事なら提督と寝る理由はなんだ?』

叢雲『それは…』

再び顔を赤くして俯く。しかし直ぐに顔を上げ意を決したように俺を見据えて言った。

叢雲『それは、本当に眠ってしまうのが怖いと、嫌だと、思ってしまったからよ』

叢雲『眠る事に違和感を覚えたことは無かったわ。そういうものだと理解していたから。司令官に言われて人間のように日毎に寝るようにしたところでそれは同じ。毎日メンテナンスをしている、くらいの感覚よ』

男『毎日眠るようにってのは最初から?』

叢雲『殆どそうね。一応マニュアルでは一週間毎にメンテナンスとなっているのだけれど、司令官がそんな私達を見て毎日寝ようって』

男『マニュアルか。一応そういうのは書いてあるんだな』

と言っても確かあれは目安。守らなくてはいけないルールではなかったはず。だからそうでない鎮守府も多いのだ。

叢雲『ちなみに一週間って数字は何か根拠があるのか知ってる?』

男『状況によって、つまりストレスの大小で変わるらしいがただ普通に暮らしているだけなら二週間が不眠の限界値らしくてな。出撃等のストレスを考慮して一週間を基準にしたんだろう』

叢雲『ふぅん…そ』

恐らくあえてつっこまなかったのだろう。

なんで二週間が限界だと分かるのか。限界を超えるとどうなるか。

最もこれに関しては俺も知らない、知りたくもない。

叢雲『これでも初期艦だもの。そうやって毎日毎日寝てると意識を落とすのに随分慣れてね。ある日たまたま司令官が執務室のソファで昼寝をしている時、まああれよ。魔が差したの』

叢雲の視線がブレる。

俺ではなくどこか遠くを見ている。いつかの記憶を見つめている。

叢雲『気持ちよさそうに寝ていた。人は夢を見るというのは教わっていたから気になったのよ。司令官の隣に寄り掛かるように座って、私も意識を落とした』

きっとその時はまだ恥や照れはなかったのだろう。

叢雲『空っぽになるはずだった。でもそうじゃなかった。司令官の鼓動が私の中に響いたの。それは波や機関部や砲撃や砲弾や魚雷や雨や風や、海で出会った何よりも響いたの

まるで司令官を乗せているような感覚だった』

男『乗せる、か。俺らには分からない感覚なんだろうなあ』

叢雲『ええそうね。人間には分からないわよ絶対』

そう断言する叢雲はどこか誇らしげだった。

男『それでその心地良さが気に入ったから提督と?』

叢雲『そうね。でも本音はもう少し後ろ付きよ』

叢雲『あの暖かさを失うのが怖くなったのよ』

さっきも言っていたな。

本当に眠るのが怖い、と。

叢雲『薄らだけど覚えてる。いつかの私もきっとその温もりを抱いて海に出ていたのよ。でも今は違う。今の私達の中にあるのは全て過去だから。司令官のような、あの鼓動のような今がないの』

少し悲しげにそう言うと俺の右手をそっと掴んで自分の胸に押し当てた。

男『お、おい!?』

慎ましやかではあるがそこに確かに存在する柔らかなそれはそれでいてしっかりと弾力があり手の中にすっぽりと
叢雲『まだ響いてるでしょ?鼓動が』

男『うぇ!?お、おう。響いてる、な』

まだ?まだってなんだ?

叢雲『これは私のじゃないわ。私達のは記録を再生しているだけの乾いたものだもの。司令官のは違う。アナタもそうだけど、今を少しづつ刻んでる音だから。止まるまでは、暖かく響き続けてる』

男『…あぁ、そういえば艦娘は寝ている時心音がしないんだったな』

寝ている時は停止している時だから。機関部や動力部と同じで、停止する。

叢雲『今私の中に反響してる暖かいのは司令官のなのよ。まだ過去じゃない鼓動なの』

叢雲の胸から手を離す。心音は、聞こえなくなった。

叢雲『勿論これもずっとじゃないわ。私のよりずっと鮮明だけれど所詮は反響。段々弱くなっていくの。だから、その、定期的に司令官と、司令官を、抱かせてもらってるの…』

この抱くも文字通りの意味なんだろうな。あるいは人間には想像もつかない何かの比喩か。

男『ならやっぱり別に恥ずかしがらなくてもいいんじゃないか?』

叢雲『恥ずかしいわよ。だって私、自分の中にある過去よりも今の温もりを選んでしまっているんだもの』

男『難しいな、艦娘の考えは』

叢雲『だから言ったでしょ。人間には理解し難い価値観よこれは』

男『そのようだ』

叢雲『まあこれは私が恥ずかしいというだけで、というより秘書艦として示しがつかないって感じよ。多分皆にバレたとしても何か言われたりって事はない、と思うわ』

男『結局自分の問題か。真面目だな叢雲は』

事実皆にバレているようだが何も無いということはそういう事なんだろう。

叢雲『以上よ。質問はもう受け付けないわ』

男『ありがとう。恥を忍んで教えてくれて』

叢雲『わざわざ言わなくていいわよ。人間であるアナタ相手ならそこまでじゃないわ』

男『もう何年も関わってると言うのに、艦娘ってのは分からないことだらけだ』

叢雲『というか私達の睡眠についてあまり知らなかったのね』

男『俺が本来見るはずなのは艦娘の過去だからな。名前を探し当てるってのはそういう事だ』

叢雲『ならこれは個人的な趣味ってことかしら』

男『否定は出来ないな…さて後は緋色にどう説明するかだな』

叢雲『そこはまかせるわ』

男『おい当事者』

叢雲『話してあげたんだからそれくらいは頑張ってちょうだい』

男『分かったよ』

叢雲『それじゃ』

ヒラヒラと気だるげに右手を振りながら去っていく叢雲の背中は、しかし不思議と何か憑き物でも落ちたかのような感じがした。

男「そういや最初俺のせいとか言ってたけどどういう意味だったんだ」

あの分じゃ聞いても答えてくれなさそうだし、今は緋色の事に集中するか。

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叢雲『はぁ…』

話してしまった。

緋色の為とは言うけれどそれでもやっぱりアレは話したくはなかった。

でも、話した事で少し気が楽になったという事実もまたどうしようもなく存在していた。

あんな話他の娘には言えないし、司令官にだって言えない。

それが外部の人間になら話せたというだから変な話ね。最も彼も私達に関わっているだけあってただの人間と言うには少し変わっているけれど。

そう。変わってる。何かは分からないけれど。

ともあれこれで今まで溜め込んでいた物が少し吐き出せたのかもしれない。

叢雲『あら?』

端末を見てみると夕張から報告が来ていた。流石に速いわね。

そこには司令官の電話のログがあった。今日使用された一件の電話番号。

私はその番号に見覚えがあった。

私は彼を信用している。そう言ってしまってもいいだろう。

でもそれとこれとは話が別。

私は秘書艦としてこの鎮守府を、司令官を守る義務がある。

進路を変更しながら夕張に連絡を取る。

叢雲『もしもし、例の映像だけど。あぁそう、流石ね。今から行くわ』

真っ直ぐと工廠へ向かう。

e6がキツすぎるので友軍待ち

艦娘にはえ、そこ?みたいな所に物凄く意味を見いだして欲しいという話です。
船って結構音が響きますからね。
私が一番一緒に寝たいのは瑞鳳です。

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叢雲『おまたせ』

工廠。

鎮守府で最も大きな施設。

本来の鎮守府なら船のドックなんかが一番大きいのかもしれないけれど、艦娘である私達には人間サイズで十分。

そうなると例え人間サイズとはいえ兵器の開発や整備等色々な設備が必要になる工廠が必然的に最も大きな施設になる。

夕張『待ってましたとも。ほらほらエアコン効いてるから来て来て』

鎮守府における工廠は様々な役割がある。

一口に兵器開発といっても魚雷や電探、大小様々な口径の砲や艦載機まで。どれもオリジナルとは比べ物にならないほど小さいが如何せん種類が多い。おまけにそれらの改修、整備までしなくてはならない。

その為工廠は細かく区分けのようなものが自然と出来上がる。

施設に入ってすぐ右は機銃、左は小口径。港から反対側になる奥の方には艦載機。大口径の物は港から直接運びやすいように海の方にある。

魚雷は一度事故があったので少し開けた、隔離された場所に…

そんなまるで何かの展示会の様相を呈している工廠には当然区画毎に隙間が存在する。

そんな隙間を彼女は、彼女達は利用している。

叢雲『こんな所にエアコンなんてつけた覚えないわよ』

畳三畳、いや二畳程の隙間にいた。

椅子と机、モニターやらの機材。さながら秘密基地ね。

区画とは言うけれど別にしっかりと壁で遮られているわけじゃない。それでもここだけはじっとりとした蒸し暑さがなく程よい涼しさになっていた。

夕張『隣の冷却用の奴をちょーっと弄ってこっちにまわしてるだけよ。セーフセーフ』

叢雲『今使う必要のない電力が無駄になっている時点でアウトよ』

夕張『PCの冷却用に!』

叢雲『なら下にだけ空気を送りなさい』

夕張『熱いと作業効率が落ちる!』

叢雲『人の死体は冷たくなるそうだけど艦娘もそうなのかしらねー』

夕張『きゃー冷たい目~』

閑話休題。

叢雲『別に私達汗かかないんだしいいんじゃないの?』

夕張『それはそうだけど、やっぱりこのしっとりとした感じは嫌なのよねぇ』

まあそこら辺をどう考えているかまで文句を言う気はないけれど。

叢雲『それで。準備は出来てるんでしょうね』

夕張『そこはバッチし。でもその、本当にやるんですか?』

叢雲『やるわよ』

夕張『今更感はありますけど結構やばいレベルでプライバシーの侵害ですし、何よりあの人鎮守府とは別管轄の、はっきり言ってヤバい所と繋がってそうな人じゃないですか。バレたらどうなるか…』

叢雲『プライバシーに関しては申し訳ないとは思うけれどね。バレたら云々は盗撮してる時点でもうアウトよ。毒かどうかは分からないけれど後は皿ごと飲み込むまでよ』

夕張『おぉ流石流れと勢いで盗撮を命じただけある』

叢雲『…』

そう。流れと勢いだった。

これに関しては今でもかなり後悔してるし今ではかなり反省している。

最初あの男の部屋に盗聴器を仕込もうと考えたのは実際に会ってからだった。

一目見て、やはり信用出来ないと思った私は夕張と明石に頼んで盗聴器を用意してもらった。

それを部屋に仕込んでおしまい。それだけだった。

バレた。

迫真の演技と巧妙な技でこれは完璧だと、さながら映画で見たスパイの気分で得意げに工廠に戻った私に夕張はそう伝えてきた。

はっきり言って恥ずかしさと悔しさで頭がいっぱいになった。あーまた恥ずかしくなってきた。

ともかく人間如きにあっさりと看破されたことに納得のいかなかった私は冷静さを失ったのだ。

部屋がダメならトイレだ!風呂だ!

あの時は本気で言っていた。付き合わせた夕張達には申し訳ないと思っているけれどともかくそうしてあの長屋にいくつかの盗撮用のカメラなどが仕掛けられた。

勿論仕掛けてから何があった訳では無い。そりゃあ男のトイレとか風呂とかを撮ってどうするんだという話だ。

映像なんかを管理している夕張も気を使ってかそれ以降私に盗撮に関して報告したりはしなかった。

今朝までは。

なんでも鎮守府のカメラと同じ人の顔を判別するシステムを使っていたらしく今朝二人が一緒にお風呂入ってるという報告が入ったのだ。

夕張からのメッセージは変態が出たという内容の報告だったのでとりあえず経緯を説明してその誤解は解いた。アレは私のワガママでもあったし…

でも映像は気になった。あの男が緋色とどう接しているか。お風呂という特殊な状況でのそれが気になったので私は夕張に映像を見せるように頼んだのだ。

夕張『あ、椅子一個しかない』

叢雲『じゃあアンタは立ってて』

夕張『ヒドッ!?』

叢雲『ウソよ。お互い小柄だし一つでも座れるでしょ』

夕張『は~い』

夕張『二人が映ってる時間は一時間弱』

叢雲『長くない?』

夕張『飛ばし飛ばしでパッと見た感じ着替え中に色々あったみたいです。そこら辺はネタバレなのでお楽しみに』

叢雲『お楽しみにって、そういうのじゃないんだけれど』

夕張『それじゃ行ってみましょうか』

叢雲『…』

夕張『…叢雲?』

叢雲『え?あぁ、お願い』

夕張『何かあったの?』

叢雲『何でもないわ』

夕張『? それでは』

最大で六人程度の人間が同時に使う事を想定した共同の風呂。その小さく質素な脱衣所の角から見下ろす形で仕込まれたカメラの映像がPCの画面に流れ出す。

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男「…」

目の前に緋色が寝ている。

勉強中に意識を失ったのだ。久々だったので少し慌てながらもとりあえずベットに仰向けで寝かせた。

この程度なら直に目を覚ますだろう。

相変わらず椅子もなく机だけの部屋で床に座りベットに横たわる眠姫を眺める。

緋色の胸元が静かに上下する。

艦娘も呼吸はする。

ただそれは心臓の動きや肺の機能、血液循環などが複雑に絡み合った生命活動の一つとしてではなく、例えば犬のロボットにその方が自然だからと尻尾を振る機能をつけるかのような、人らしくあるためのアクセサリのようなものだという。

こうして心音を止め寝ている時にもそれが止まらないのもただ止めていないかららしい。今ここで緋色の口を塞いだり首を絞めても息が止まるだけでなんら影響はないという事だ。

男「気持ちよさそうに寝てる、ように見えるんだがなあ」

そういえば先程叢雲と話していた時は冷静ではなかったせいか思い出せなかったがしーちゃんも睡眠について言っていたな。

例え睡眠を取らなくても入渠の時などに眠ると。誰も乗っていない船のように、意識と言うより人の部分を落とすと。

しーちゃんは言っていた。自分にはそれはもう出来ないと。

出来なくなる事がある。それが緋色にも言えることなら、緋色もまだ油断はできないという事だろうか。

男「…意外とあるよなぁ」

なんだか億劫になってきて思考を逸らす。

風呂の時も思ったが、とはいえ秋雲もこれくらいだったよな。この体型だと普通くらいなのだろうか。

いやそれよりも気になる事がある。

緋色の胸と水平になるように目線を合わせてじっと見つめる。

確かに上下はしているがそれは呼吸の影響だ。俺が観測したいのは心臓の鼓動だ。

男「横から見てもわからんよなぁ」

試しに下を向いて自分の胸を見てみるがやはり胸の動きに区別はつかない。

心臓の部分に触れて確かめるか?いや流石にそれは色々とアウトだよなぁ…

そうだ。確か首筋とか手首で脈を測ったりするんだよな。それなら問題ない。

男「…」

緋色の首筋に伸ばした右手が止まる。

何かを思い出していたような気がする。

ただそれをハッキリとさせる前に伸ばした手を静かに上下する左胸の方へと動かした。

そっと、呼吸の邪魔にならないように右手を乗せる。

小さくて、
柔らかくて、
暖かくて、
そして、

静かに脈打っていた。




酷く後悔しながらそっと手を離した。

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叢雲『…』

夕張『…』

画面の中で彼は全裸の緋色を出来るだけ見ないようにしながら着替えを促して脱衣場を出ていった。

律儀というか真面目というか、どう考えても不可抗力だし、そもそも私達相手にそう気にすることでもないだろうに。

でもまあそんな事はどうでもいい匙の範疇だ。

叢雲『どう思う?』

夕張『どうって言われると、えっと、ちょっと予想外というか』

叢雲『これがさっき言ってたネタバレの内容じゃないの?』

夕張『ざっと流し見しただけなので最後のドタバタくらいしか見てませんよ』

なるほど。音声までは聞いていなかったという事ね。

叢雲『つまりこれを見るまで気づかなかった、痕跡はなかったって事よね』

夕張『はい…』

この映像は偶然とはいえ確実に彼にはバレていない。ならばフェイクの可能性はない。そもそもこんなフェイクをする理由がない。

事実だ。今し方目にした映像は間違いなく事実で、そしてだからこそ信じられなかった。

叢雲『"誰と、どうやって通信をしたって言うのよ"』

夕張『…』

鎮守府は外と通信は出来ない。

唯一の回線は全て監視されている有線のみ。

また周りの山々や海からの無線も遮断されているし、出来たとしても確実に痕跡が残るはず。

だというのに一体どうやって…?

夕張『耳につけていたのはワイヤレスイヤホンでしょうね。本体は多分、例の箱』

叢雲『なら、あの大仰な箱は"その為"のものだって事になるわね。そういうのって可能なの?』

夕張『ん~、そういう質問には正直"不可能とは言いきれない"としか答えられないんですよね』

叢雲『煮え切らない返答ね』

夕張『例えば鎮守府は外との通信、つまり電波なんかはシャットアウトしてはいます。でもそれって壁で覆ってるわけじゃなくて網を張ってるイメージなんです。

普通なら捕まります。たとえ抜けられたとしても抜けたという痕跡が残ります。でも絶対に穴がなく、また通り抜ける手段がないとは言いきれないんです』

叢雲『技術的な問題ってこと?』

夕張『今この瞬間にも技術は進化してますからね。仮に昨日までは完璧だったとしても今日には抜ける手段が見つかっているかもしれません。

この手の話はなんでもありですからねぇ。実は抜けられますって言われたらそれまでですし。完璧なのはオフラインにする以外ないです』

叢雲『なら特定するのは難しそうね』

夕張『そうですね。それに有線の方だって怪しいもんです』

叢雲『どうして?あっちは網と違ってわかりやすい一本道なわけでしょ?』

夕張『この前課長さんは情報部の人と繋がりがあったって言ってましたよね』

叢雲『えぇ』

夕張『通信システムやらを構築、保守をしているのがそこなら隠し通路や抜け穴なんかがあってそこを利用している可能性があるんですよ。そしてこれもまた確認するのは至難の業です』

叢雲『そういう事…さっき送って貰ったログ。あの電話番号ね、その情報部のしーちゃんのものだったのよ』

夕張『え゛、マジ?』

叢雲『マジよ。前に名刺を見せてもらった事があるのよ。どうせダミーの電話番号だと思っていたけれどあの番号と同じだったわ』

夕張『となるといよいよ難しいですねぇ。下手に追ったらこっちが見つかりますよ。リスク高すぎます』

叢雲『アンタが言うなアンタが』

夕張『てへ』

叢雲『ったく。これ、音声をもっと鮮明にしたり出来ないの?』

夕張『技術的には可能だと思いますけど、私にはそれがないので。ソフトとか探せばもしかしたら?』

叢雲『そこまではしなくていいわ』

脱衣場で、しかもすぐ隣に緋色もいる。低く小さい声の部分はほとんど聞き取れなかった。

それでも聞き取れたいくつかの部分から感じたのは、いつも通りという事だった。

私や緋色、飛龍や江風なんかと話している時の彼と同じような話し方だ。

とても何かスパイのような活動をしているようにはみえない。

だけど、だけれども、彼にそんなつもりはなくても電話の相手はそうでないかもしれない。

電話の相手。

叢雲『"秋雲"って言ってたわよね』

夕張『はい。考えられる相手は、鎮守府ではなく例のしーちゃんの情報部三課所属の秋雲とかですかね』

叢雲『秋雲っていたかしら。診察やメディアへの露出なんで見かけたことはないけれど』

夕張『裏方かもしれませんよ。構成員が把握出来ない以上可能性でしかないですけど』

叢雲『そうね。あるいは彼と同じく調査員として秋雲がいるのか』

"課長"というのは部下がそう呼んでいるからと本人が言っていた。その"部下"が秋雲の可能性はある。

夕張『基本的に鎮守府以外での艦娘の保有は認められてないはずですけどね』

叢雲『しーちゃんの所だって鎮守府じゃないもの。例外はあるわよ。そもそもそんなの上の都合でどうとでもなるわ』

夕張『全ては可能性。現状じゃ議論しても無駄ですかね』

そうだ。全ては可能性。確証は何もない。

叢雲『方法は不明。でもなんであれあの箱からどうにかして外と通信しているのは確かよね』

夕張『それについてはほぼ間違いないと思います』

叢雲『なら、鎮守府と外とに網を張るのではなく箱に網を張るのは出来る?』

夕張『それは…出来ます。防ぐのではなく痕跡を探るためって事ですよね』

叢雲『えぇ。まずはそこから始めましょう』

夕張『そうなると…バレるわけにはいかない…ふむ、ルーターは長屋から遠いし…』ブツブツ

叢雲『あー待ってストップ』

夕張『へぁ?』

叢雲『とてもデリケートな問題よ。慎重にいく必要がある。急いだって仕方ないわ。とりあえずは緋色の艤装の件やいつもの業務を優先してちょうだい。この件は時間を見つけじっくりとお願い』

夕張『了解しました』

叢雲『とりあえず戻るわ。執務室空けちゃってるし。また連絡する』

夕張『この映像どうします?消す?』

叢雲『カメラ仕込んでる時点でバレたらアウトだもの。映像消したところで仕方ないでしょ』

夕張『それもそうね。ではしっかり保存しておきます』

叢雲『頼んだわ』

夕張『最後にもうひとついい?』

叢雲『…何?』

夕張『これって提督にナイショって事よね?』

部下としてではなくいつもの口調で聞いてくる。夕張はここら辺の線引きをしっかりしている。

叢雲『えぇそうよ。これは秘書艦という立場からの命令じゃない、秘書艦だからこその個人的な判断、頼みよ』

夕張『つまり~給料外の労働よね?』

叢雲『うっ、そういうとこホント抜け目ないわねぇ。いいわ、何が望みよ』

夕張『いやぁ実は試したい兵装があって~明石とも話してたんだけれどちょぉっと規定外の物になりそうで~申請出来ないから弾薬ちょろまかして欲しいなぁって~、ダメ?』

叢雲『………私が許せそうな範囲だと思えるなら詳細送ってちょうだい』

夕張『ッシャア!』ガッ

叢雲『まだいいとは言ってないわよ!』

頼りになるけど、悩みの種でもあるのよねこの娘ら…

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工廠を後にする。

叢雲『さぁて切り替え切り替え』

一旦この事は忘れておこう。

あの男と対立するのが目的ではない。緋色を助けたいという気持ちは同じなのだから。

最終的にそうなるとしても、今はまだ考える必要は無い。

端末で時間を確認する。もうすぐ演習が終わる時間だ。

一度執務室に戻っててるてる坊主を作ってるバカを叩きに行こう。

…バカ司令官。

あの能天気な平和ボケはきっと今の私の行動を良しとしないでしょう。

燃料20万溶かしたけどE6終わった…

艦娘同士での喋り方、つまり敬語やさん付けの基準は人によって解釈にかなり差があるのではないかと思います。
見た目の年齢に沿うのが自然にも思えますが戦艦を駆逐艦が呼び捨てという例もありますし。
史実での階級や親しさ、鎮守府内での練度や着任日順等々色々な解釈があって面白い点です。

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例の映像見た翌日。

私は朝餉の後に長屋に寄ってみた。

叢雲『あら?』

緋色の部屋を扉の覗き穴から見てみるとどうやら一人だけのようだった。

何やら真剣に机の上のプリントと向き合っている。

隣の部屋の前に移動して控えめにノックをする。

『どうぞ~』

すっかり聞き慣れた声に許可を貰いドアを開ける。

男「叢雲か。どうした?」

叢雲「緋色、今何やってるの?」

男「問題集、法律のな。記憶力の方は心配ないが状況判断は慣れが必要だからな」

叢雲「なるほどね…」

男は自室のベットでタブレットを操作していた。ベットの隅にはスマホ。

そしてベットの向かいに例の箱が鎮座している。

男「…気になるか?」

叢雲「嫌でも目に入るでしょこれは。異質よ異質。ま、床が抜けてないようで安心したわ」ヤレヤレ

男「それに関しては俺も安心したよ。といってもある日突然って可能性は捨てきれないが」

叢雲「その場合は何処に請求したらいいのかしら」

男「んー、個人で弁償かなぁ」

適当に話題を逸らす。この箱の存在を気にしていると悟られるわけにはいかない。もっとも今どうこうするつもりは無いけれど。

叢雲「…緋色の部屋に居なくていいの?」

男「あ、あぁ。解いてる途中だからな、邪魔しちゃ悪いだろ」

叢雲「そ」

彼はそう言ってタブレットに視線を戻す。まるで何かから逃げるように。

昨日から、昨日からだ。昨晩の報告会の時から彼は変だった。何処か逃げ腰というか及び腰だった。

まるで初めて深海棲艦(ヤツら)と対峙した新兵のように。

盗撮がバレた?いやそうは見えないわね。もう少し注意深く観察する必要がある。

叢雲「緋色の航行の件だけど、午後からで問題ないそうよ。準備は出来てるって」

男「そうか。良かった」

とてもほっとしたという顔をする。

叢雲「実際やってどうなるかは出たとこ勝負になるけれど」

男「そこは仕方ないさ。それで教官というか、指導役は誰が?」

叢雲「私よ」

男「叢雲が?」

叢雲「あら、不満なの?」

男「まさか。ただそこまで時間を割いてもらえるとは思わなくてな」

叢雲「今日は秘書艦休みなの。だから業務は午後の緋色指導一つだけってわけ」

男「そういや交代制だって言ってたな。代わりは誰が?」

叢雲「加賀」

男「ほう…」

何か反応が硬いわね。会ったことないのだから当然か。

叢雲「さてと、緋色の部屋に行ってもいい?」

男「構わないが、何か用なのか?」

叢雲「気になったから顔を見たいだけ」

男「それでも助かるよ。せっかくの休暇に悪いな」

叢雲「忙しい秘書艦を休むってだけで私は休みじゃないわよ。あの娘の様子を見るのも立派な仕事だしね」

男「なら、ほい」チャリ

あっさりと私に鍵を渡してきた。

男「頼んだよ。と言っても試験中だから邪魔はするなよ。後…一時間ちょいで終わるからそしたら俺も行く」

叢雲「ええ、まかせなさい。それと、最後にひとついい?」

男「ん?」

叢雲「なんで寝ながらやってるの」

男「筋肉痛がな…」

罰が悪そうにそっぽを向く。いつかの司令官と同じような反応ね…

部屋を出て隣の扉に鍵をさす。

しかし妙ね。何かあったのかしら。

最初に何か慌てたように"緋色の邪魔になるから"とか言ってたくせに私が部屋に行くと言ったらあっさりと承諾した。

一体どういうつもりなのやら。

叢雲『お邪魔するわよ』ガチャ

緋色『おはよ~先生』

完全に先生で定着してしまった。別にいいのだけど。

緋色『今日はなんの用で?』

叢雲『何もないわよ。ちょっと様子を見に来ただけ』

緋色『あら、そうなの…』

叢雲『なんでそこで残念そうな顔するのよ』

緋色『えっと、お勉強サボれるかなぁって思って』

叢雲『ダァメよ。試験中なんでしょ?集中なさい』

緋色『はぁい』

緋色『ねぇ先生』

叢雲『何?』

緋色のベットに腰掛け端末で文面を考えていると緋色が話しかけてきた。

緋色『課長さんには会った?』

叢雲『えぇ。隣で作業してたわよ。筋肉痛とか言ってたわ』

緋色『他には?』

叢雲『特に何も』

緋色『そぅ…』

不満そうな声を漏らしつつもテストに戻る。

この娘も気づいているのだろう。今日の彼が少しいつもと違う事に。

考えすぎ、なのだろうか。気分が悪いとか、筋肉痛のせいとか、そんなことかもしれない。

何にせよ今日は午後の事に集中すべきだろう。

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緋色『終わったぁ!』

叢雲『お疲れ様。課長呼んでくるわね』

緋色『いいわよそこまでしなくても。扉の方で声を出せば気づくわ』

叢雲『私もそろそろ戻るもの。ついでよついで』

緋色『ありがとう。ならお言葉に甘えるわ』

叢雲『あら、何リラックスしてるのよ』

緋色『へ?』

叢雲『試験時間はまだ15分あるわよね』

緋色『え゛知ってたの』

叢雲『見直しする事。基本よ』

緋色『はぁぃ…』

不満げに頬を膨らませるピンク玉。

いずれこの娘と並んで海に出る日も来るのだろう。そう思うと生まれたばかりの妹のようで、いっそう愛おしく思えた。

叢雲『頑張って』

ピンク玉の頭を撫でて部屋を出た。

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時刻はヒトサンマルマル。

昼食を食べた後だった。

緋色『ほら、早く行きましょう』

男『!』パッ

俺の手を掴もうとして伸ばされた緋色の手から思わず腕を引いてしまった。

緋色『…課長さん?』

不満げに、不安そうにこちらを見上げる。無理もない。緋色からすれば全く意味のわからない行動だろう。

だけど、だけれど俺は、これ以上緋色に触れるべきじゃないんだ。

男『なんでもないよ。行こう』

昼食を終えてすぐ、叢雲に指定された場所に向かう。

食べてすぐ運動というのは身体に良くないと言うが今回運動するのは俺でなく緋色だ。艦娘であれば大丈夫だろう。

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叢雲『集合時間五分前。流石ね』

緋色『えっへん』ドヤサ

鎮守府には港と呼ばれる艦娘達が帰投、出撃する為の設備がある。役割としては港だがそこは艦娘、実際の港とは異なる機能を持つ。

そんな港から工廠を挟んだ鎮守府内で海に面した箇所としては一番端にある場所。そこが集合地点だった。

叢雲『さて、おおまかな説明は予め聞いていると思うけれど改めて説明するわよ』

緋色『はい先生』ビシッ

叢雲『今日は教官よ』

緋色『はい教官』ビシッ

カラッと晴れた青空と並ぶ穏やかな海を背にして立つ叢雲とその前に敬礼をして立つ緋色。

身長にさほど差がないのですごく微笑ましく見える、とは口が裂けても言えない。

しかし叢雲の横にあるのはなんだ?布で覆われているがこれが今回使う艤装なのだろうか。

それにしては大きい。

叢雲『まず二人に紹介するわ。今回の協力者』

などと考えていると叢雲の言葉を合図に布がバッと飛んでいく。



夕張『そう!この夕張よ!!』シュバ



緋色『』ポカーン
叢雲『…』
男『…なんだこれ』
叢雲『どうしてもこれやりたいって』
男『あぁそう』

夕張『あ、あれぇ…なんか反応が芳しくないぞ~…』

布の下から出てきたのは軽巡夕張だった。オレンジのネクタイに灰色のスカート、見ていて心配になるほど露出したお腹。改二だろうか。

目の前にピンクと水色と緑色の三色が並んだ。

夕張『え~というわけで兵装実験軽巡夕張。よろしくね』

緋色『あ、はい、よろしくお願いします』

飛龍、江風と来てだんだんと慣れてきたのか意外とあっさり夕張と握手する緋色。いい事なんだろうけどあんまり慣れて欲しくない気もする


男『ん?そっちは?』

夕張の後ろに何かがあった。

叢雲『夕張、ここからの説明はアナタに任せるわ』

夕張『ラジャりました』

夕張『さてさて、事前に説明があったと思うけど今回緋色ちゃんには艦娘としての航行をしてもらいます』

そう言って後ろにあったそれを持ち上げた。

夕張『そしてこれが!今回の訓練の要である艤装です!』

緋色『これが、艤装…』

男『吹雪型の物か。ん、でもなんかちゃっちいな』

夕張『さっすが課長さんよく分かってるぅ。これは訓練用に簡略化された物なんです。最低限の機能だけを有してます。普通の艤装を車とするならこれはゴーカートってとこですかね』

緋色『わざわざ私の為に?』

夕張『いやいや、チューニングはしてあるけどこれ自体は元々ある物なのよ。艦娘にも最初上手く航行出来ないって娘はたまにいるから』

男『そうなのか。知らなかった』

夕張『特に問題になることも無いですからね。一ヶ月もかからずマスターできるんで現場に居なきゃ知らないのも仕方ないですよ』

現場の悩みか。

艦娘はその特殊性からマニュアル化し辛い場面が多く、現場に判断が委ねられる場合が殆どになる。

きっとこういった問題は他にも沢山あるんだろうな。

夕張『それじゃさっそく装着しちゃいましょう』

緋色『は、はい』

叢雲『大丈夫よ。艤装って言ってもホントに訓練用の簡素な物だから。リュックを背負うようなもんよ』

夕張『じゃあまずはこれを肩に背負ってー、そうそう。サイズもぴったしね。後は腰にこれを』

緋色『付けるもの多いのね』

夕張『装備する訳じゃなくて背負うだけだもの。安全対策として色々あるのよ』

叢雲『どう?キツかったり緩かったりしない?』

緋色『んー多分丁度、かしら』

夕張『あ、叢雲。結局FRCは何色にするの?』

叢雲『青でいいんじゃない。モクは切ってある?』

夕張『バッチリよ。DCと補助だけ』

叢雲『ハタハタ付いたままだけど』

夕張『え、私付ける派』

叢雲『えそうだったの?ん~まいっか』

緋色『???』

緋色が助けを求めるような目で俺を見つめてくる。

すまん。俺も専門用語はサッパリなんだ。

叢雲『よしOK。行きましょ』

緋色『うん、じゃない。はい!』

叢雲に手を引かれて階段へ向かう。どうやらそのまま海まで伸びているらしい。

緋色は慣れない背中の艤装で少し歩きづらそうだ。

男『ああして艤装を背負うとちゃんと艦娘なんだと再認識できるな』

夕張『私達の半身みたいなものですからね、艤装は』

半身。その通りだろうな。

だから今の緋色は本来の半分以下の存在でしかないわけだ。

夕張『課長さんって艤装の事どれくらい分かります?』

男『姿形程度なら。さっきみたいな実際の機能や中身になるとサッパリだ』

夕張『あら、調査員というからてっきりお詳しいのかと』

男『詳しい所は部下に任せたりしてるからな。名前を探すだけなら見た目で十分だったし。少なくとも今までは』

夕張『そっかぁ残念』

男『なんでだ?』

夕張『外の技術者と話す機会って中々ないんで、詳しい人だったらなぁと勝手に期待してまして』

男『その手の知識も覚えようとはしてるんだがな。如何せん実際に触れたりしない立場だと中々難しくてな』

夕張『興味があるなら色々と教えましょうか?マニュアルとかありますし』

男『そんなのあるのか?』

夕張『近年鎮守府はどんどん増えてますからね。古参の鎮守府のデータをまとめてマニュアル化する事で全体の効率や戦力の向上を図ってるんですよ』

男『現場も進化してるんだなあ』

夕張『いつまでも私達相手に分からん分からんじゃこの先もたないですからね。ちなみに発案は件の東京の英雄みたいですよ』

男『あぁ、まあそうだろうな』

夕張『凄いですよねぇあの人。若くてイケメン!しかもスケートもできるとか』

男『それは初めて聞いたな』

夕張『流石に最後のは眉唾ものですけど』

夕張『ところで緋色ちゃんの近くにいなくてもいいんですか?』

男『それは、ほら、これは艦娘としての訓練だからな。俺じゃなく鎮守府の仲間とやるってのが大事なんだ』

夕張『ふむ、それもそうですね』

嘘じゃない。その通りだ。

緋色に必要なのは鎮守府であり同じ艦娘であり、提督という存在だ。

俺であっちゃダメなんだ。

夕張『あ、そろそろですね』

男『あぁ』

海の方へ近寄る。階段を下りずに緋色達を見下ろす形で。

叢雲は先に階段を降りそのまま海に浮かんだようだ。

緋色はそんな叢雲の両手を握り今まさに階段を一歩下へ、つまり海面に足をつけようとしていた。

緊張で身を強ばらせている緋色に叢雲が優しく何かを話している。

両手を握りリードする叢雲とへっぴり腰で足を踏み出す緋色の二人を見て昔スケートをしたことを思い出す。

あの時もああやって先生に滑り方を教わったなぁ。

緋色が海へと足を入れた。

チャプンと、そんな水溜りに足を踏み出したような音を想像してしまう程あっさりと彼女は浮いた。

当然のように。そしてやはりそれは当然なのだろう。

夕張『…めっちゃりきんでますよ?』

男『え?』

言われて気づいた。いつの間に手をぎゅっと握り締めていた。全身の力が少しづつ抜けていく。

夕張『心配でした?』ニヤリ

夕張が何か嬉しそうにこちらを見てくる。

男『まあ、そりゃな』

夕張『大丈夫ですよ~。沈んだりしませんって』

男『分かっていてももし浮く事が出来なかったらと考えちまうんだよ』

緋色は叢雲に引っ張られてゆっくりと階段から離れていく。

僅かとはいえ揺れる海面と背中の艤装でバランスが中々取れないのか始終フラフラしていた。

夕張『課長さん、叢雲が今何をしているかって分かります?』

男『何って、緋色を引っ張ってる?』

夕張『どうやって?』

男『…後ろ向きで?』

夕張『じゃあその後退がどれくらい凄いことか知ってます?』

男『?』

夕張『ふっふ~ん分からないですよねそうですよねぇ』

物凄く得意げな顔をされた。

夕張『技術担当として、緋色ちゃんにも関わることですし一度しっかり説明致しましょう』

男『お、おう』

しかし後退?よく分からんな。

夕張『先程言った通り艦娘にも航行訓練があります。そのレベル0。初歩が前身になります』

男『ん、浮くことじゃないのか?』

夕張『浮くのは艦娘としては技術とかではなく特性に近いですね。艤装なしでも浮く事は出来ますよ』

男『そうなのか!?』

夕張『むしろ意識しないと海に潜れないくらいですからね。そして次に停止。その次は左右に、面舵取り舵って奴です』

男『教習所を思い出すな』

夕張『あー確かに基本的には同じかもですね』

男『あれ、自分で言っておいてなんなんだが教習所分かるのか』

夕張『フォークリフトとか色々乗れるんで私』ドヤァ

男『免許とか取れるのか鎮守府』

夕張『あぁいえ一般道なんかとは別扱いなので正式に免許はないけど乗ってます。一応他所で他の艦娘に習いはしましたけど』

男『そういう事か。ま、制度を待ってる余裕はないわな』

夕張『だから非公式扱いなんですよねぇ。戦争中だっていうのに、周りの目を気にする程度には危機感が薄れてきたようで』

夕張を見て改めて理解する、その意識の差。人と艦娘との間にある壁を。それはきっとこうして積み重なっていったものなのだろう。

男『…そう悪いことばかりじゃないさ』

夕張『おおっと話が逸れましたね。基本的な移動が終わると次は動きながらの攻撃と回避になります』

男『ちなみに潜水艦は?』

夕張『あーーー……』

すげぇ難しい顔をされた。それ聞く?みたいな。

夕張『ここまで出来れば基本的に艦隊の動きには付いてこれるのでチュートリアルクリアって感じですね。後は精度の問題なので鍛錬あるのみです。最終的には急加速急停止が目標ですかね』

男『そうか』

スルーされた。別にいいけど。

夕張『さてここからが艦娘としての本領発揮と言うところです』

男『艦娘の本領?』

夕張『ここからは難易度丙ってとこですね。まずはスケート航行。スケートと同じ要領で両足を交互に動かします。次にステップ。足首だけ動かして細かく右に左に動きます。最後にターン。左右どちらかの足を軸にクルッと回ります』

男『それが本領なのか?』

夕張『はい。船には出来なくて私達には出来る動きですから』

男『そういう事か』

船はその仕組みと海上という条件ゆえに動きが大仰にならざるを得ない。しかし艦娘は違う。推進力を止まったまま生み出せるという一点を除けばスケートと同じくらい自由に動けるのだ。

夕張『丙では左右で違う動きをする事が目標です。ターンは片足停止、片足前進か後退が必要なので1番難易度が高いですね』

男『しかし丙でそれか。乙は想像つかないな』

夕張『乙は上半身の動きですね。下半身はどうしても動きが制限されるのでその状態で上半身のどう使うかが大切なんです』

男『具体的にはどんな訓練を?』

夕張『ボクシングなんかでやるあの、天井から高吊り下げられたヤツを避けるみたいなのとか、バッティングなんかを海上でとかですかね』

男『地に足を付けずに野球か。一気に難易度が上がった気がするな』

夕張『最後に受け身です。衝撃で体制を崩してもしっかり受身が取れれば戦闘は継続できます。これが出来ないとダメージは少なかったのに倒れた影響で艤装が破損なんて事になりますから、耐久面が大きく変わります』

男『そこに関しては本来の船より難しくなっているわけか』

夕張『そうですね。船なら例え駆逐艦でもまさか転んで大破なんてことにはなりませんから。それも含めて耐久面は私達結構もろいです』

夕張『最後に甲です。ただ難易度にかなり差があります。一番簡単なのはジャンプ。中くらいで後退。横にスライド移動なんかもヤバめですね。聞いた話だと逆立ちしながら航行できる訳の分からない娘もいるとか。ジャンプ以外はもう才能とかの域になってきますね』

男『ジャンプは分かるが、やはりその中だと後退が難しいってのがよく分からないな。それ自体は船も出来るだろ』

夕張『ただ下がるだけなら練習すれば誰でも出来ます。叢雲がやってるのはそういうレベルじゃないんですよ。アレはもう後ろ向きで前進してるのと変わりません』

叢雲を見る。まるでスーツケースでも引っ張るかのように緋色と手を繋いだまま水上をゆるりと後ろ向きのままに進む。

どうやら少し楽しくなってきたらしい緋色から笑顔が見えた。

夕張『あんな風に誰かを引っ張りながら後退ってのも凄く難しいんですよ。まして戦闘中でも出来るのは、それだけの経験と訓練を重ねた者だけです』

男『…艦娘ってのは、やっぱ凄いもんなんだよなぁ』

夕張『船も艦載機も本来人が許されていない領域を行く為のモノですから。どちらも常に自然から試され続けているようなもんです』

男『その言い方は随分としっくりくる』

夕張『ちなみに足をぴたっと揃えて直立したままクルクル回れる艦娘は基本練度が頭おかしい人達です、なんて言う話がありますね』

男『叢雲は出来るのか?』

夕張『さすがに無理だそうです。にしても課長さん、意外とこの手の話は知らないんですね』

男『戦闘関係の話はあまりな。その手の話はあまり部外者に知られたくないって鎮守府も多い』

夕張『え、なんでですか?課長さん関係者じゃないですか』

男『軍としてじゃないよ。鎮守府にとって、その鎮守府以外の奴は部外者だ。自分達の戦力を知られたくない事情は、まあ想像できなくもない』

夕張『…うわぁ』

男『そんな顔するなよ』

夕張『こんな大変な時に余計事ばっかだなぁって。でも…叢雲や提督も、そういう事あったりするのかな』

男『どうだろうな』

夕張『あ、始まった』

男『何が?』

夕張『はい、どうぞ』

男『ワイヤレスイヤホン?』

夕張『緋色ちゃんの艤装に通信機が付いてるんですけど、そのマイクだけONにしてあるんです。これで会話聞けますよ』

男『それは盗聴なんじゃ』

夕張『技術担当として艤装の音を披露必要がありまして~』

男『モニタリングしろよ』

夕張『じゃあ私作業に戻るので。そこの工廠に居ますから何かあれば呼んでください』

男『おい技術担当』

本当に行っちまった…嘘だろ。

実際この位の訓練なら何も無いのだろうけれど、それにしたってなぁ。

緋色達を見てみると丁度叢雲が手を離した時だった。

それを眺めながらイヤホンを耳にさした。

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叢雲『いい?転びそうになっても手をついたりしようとしちゃダメ。ここでは"そういう感覚"を捨てなきゃいけないの』

緋色『は、はい』

揺れているのは身体だけじゃなくて声もだった。叢雲から手を離され一人で海に立っている状況が不安で仕方ないようだ。

叢雲『木になったイメージね。足から根が伸びて結びついているイメージ。例え揺れてもある程度なら足さえ海面に付けていれば倒れはしないわ』

緋色『足に根っこ、足に根っこ…』

叢雲『はい後ろで腕を組んで!』

緋色『はい!』ガシ

叢雲『えいっ』

叢雲が緋色のおでこを軽く突いた。

緋色『ヒッ!?』

グラりと緋色の身体が後ろに倒れかける、が。

緋色『…あれ?』

後ろで腕を組みバランスの取れない状況にも関わらず緋色の身体は後ろに倒れることなくただ押された分だけスーッと後ろに下がっただけだった。

叢雲『ね?倒れないでしょ』

緋色『ホントだ…』

叢雲『で、今どんな感覚だった?』

緋色『どんなって言われると…うーん、波になった、みたいな、感じ?』

叢雲『へぇ、よしよし。じゃあ次は進み方ね』

緋色『はい!』

叢雲『今の姿勢のまま私に腕を伸ばしてみて』

緋色『こう?』

叢雲『ええ、そのまま』

そう言って叢雲も手を伸ばす。しかし二人の間には人一人分程の距離がある。

叢雲『もうちょいね』

叢雲が少し前に出る。

叢雲『もう少し腕を伸ばして』

緋色『ん~!んっ!』グッ

叢雲『もう少し、もう少し"前に"』

緋色『ん゜っ!あ、届いた!!』

叢雲『はい合格』

緋色『へ?』

緋色の右手が叢雲の右手をぎゅっと掴んだ。緋色が前に出ることによって。

叢雲『ほら、こっちよ』

再び叢雲が緋色の手を離して後退する。

緋色『…』

緋色は離れていく叢雲に対して再び手を伸ばして、そして少しづつ進んでいく。

緋色『はっ!進んでる、私進んでる!!』

叢雲『次はちょっと曲がってもらおうかしら。ゆっくりよ。焦らずに』

緋色『はいっ!』

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楽しそうに笑っている。

海の世界で。

艦娘の世界で。

俺はイヤホンをそっと外して暫く二隻の姿を眺めていた。

生きてます

艦これACは一度やったことがあるのであるのですが、改めて艦娘ってすごい動きしてるなと思いました。
ああいった動きも練度に入るのでしょう。
艦娘ならではの訓練は色々考えられて面白いです。

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緋色が艤装での航行が可能と分かった日から最初の三日間は叢雲が付きっきりで指導をしてくれていた。

叢雲『はいチェック』

緋色『ベルトよし、よし、よし。ランプABよし。えっと、無線チェックよし』

叢雲『はいストップ。煙突のチェックが先ー』

緋色『あ』

叢雲『もう一回最初から』

緋色『は~い』




夕張『あの艤装、訓練用だから細々してますけど実際の確認項目は半分もないんですよ』

男『出撃時もああしてチェックしてるのか?』

夕張『それは勿論。緊急時以外は入念に。戦闘でなく整備不良や確認不足で戦闘不能とか笑えませんからね』

男『それもそうだ』

夕張『私達の敵は深海棲艦だけじゃないですから。今じゃ当たり前のように行き来してますけど、油断してるとあっという間に飲み込まれちゃいますから。海に』

男『実際あったりするのか?』

夕張『ウチではまだないですね。モノホンの船と違って私達は航行不能になっても船に乗っけてもらったりおぶってもらったりできるので戦闘以外での轟沈は中々聞かないですし』

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江風『いよっす』ガチャ

部屋の扉が開けられ江風の顔がひょっこりと現れた。

緋色『江風!どうしたの?』

江風『にっひひぃ。何を隠そう今日の教官は私なのさ!』

緋色『…江風が?』

江風『え、何、そこ疑問に思う所か?』

夕立『私もいるっぽい~』

緋色『ぽい?』

江風『紹介するぜ!教官その二、夕立だ!』

夕立『よろしくね、新人さん』

緋色『はい、よろしくお願いします』

江風『あ~そンなに固くなくてもいいって』

緋色『そう?』

夕立『でもこういうのハッキリしとくのが大切だって川内さんも言ってたっぽい』

江風『ん~~』

男『昼食はもう食べ終わっているし、緋色がいいならもう行ってもいいぞ』

緋色『ホント!?なら早速行くわよ!』

夕立『おぉ凄い気合い』

江風『ヤル気があるのはいい事だ。よっし行くぜ!』

三人が慌ただしく部屋を出ていく。

叢雲の指導により最低限の航行が可能と判断された次の日。

訓練に合わせて他の艦娘達と接触させていく事になった。

陸にいる時より海にいる時の方が船の記憶を思い出すきっかけになりやすいかもしれない。それが俺の考えだった。

教官として接触させる案は提督や叢雲も賛成だったため翌日に即決行となった。

緋色の方も海を進むのが楽しいのか訓練には実に積極的だ。まるで新しい遊びを覚えた子供のように。

男「居なくなると静かなもんだな」

まだ提督達には言っていない。だが大切な事だ。

ああして艦娘に囲まれて、同じ艦娘として、同じ鎮守府の仲間として過ごす事が如何に大切か。

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吹雪『という事で今日は私が教官を務めます!』

緋色『よろしくお願いします吹雪教官』

吹雪『はぅ…』

男『え?』

吹雪『あ、すいません。なんというかその…』

緋色『?』キョトン

吹雪『…緋色ちゃん』

緋色『はい』

吹雪『一回お姉ちゃんって言ってもらってもいい?』

緋色『…お姉ちゃん?』

吹雪『あ゛あ゛あ゛!』ガバッ
緋色『キャッ!?』
吹雪『こんな妹が欲しかったぁぁ!』スリスリ

男『…』パシャッ

吹雪『え、今撮りました?今撮りましたよね??』

後で叢雲に送っておこう。

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男『どうだった?今日の訓練は』

緋色『雪風はね、とても分かりにくかったわ…』

男『え、そうなのか』

緋色『言っていることはとても正しいのよ。でも、その、言い方が分かりにくいというか、感覚的というか…』

男『あーそういうタイプか』

緋色『一度分かってしまえば直ぐにクルッて回れたの。でもそこに気づくまでが長くって』

男『でもしっかりコツを理解出来たんだから緋色も頑張ってるじゃないか』

緋色『そ、そお?そうね、そうよ!』ドヤ

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陽炎『今日は私が教官よ。よろしく』

緋色『よろしくお願いします』

男『そちらは?昨日の話では陽炎だけだって』

不知火『陽炎に任せるとどんなスパルタになるか分からないので補佐として来ました、不知火です』

陽炎『ちょっと!人聞きの悪い事言わないでくれる』

緋色『そちらは?』

黒潮『不知火に任せとるとあらぬ方向に行ってしまいそうやと思うてなぁ、ウチも補佐やで~』

不知火『不知火に落ち度でも?』

陽炎『え、私へのフォローとかないの黒潮。あらぬ疑いかけられてるんだけど』

黒潮『それは事実やし』
不知火『それは事実なので』
陽炎『ぐはっ』


緋色『この場合はどうすればいいの?』ヒソヒソ
男『俺が知りたい…』ヒソヒソ

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長波『今日は私が教官役』

緋色『はい』

長波『のはずだったんだけどなぁ』

男『梅雨入りしたしなぁ』

緋色『雨天中止なの?』

長波『そりゃあウチらは雨ニモマケズ風ニモマケズだけど、まだ訓練中だろ?』

緋色『これくらいの雨なら大丈夫!よ、多分、大丈夫?』

長波『ほほぉヤル気たっぷりで不安も十分か。よっしなら決行だ!雨天時の航行の事も教えとかなきゃだし』

緋色『りょうかい!』

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午前は座学。午後は航行訓練という流れで毎日色々な駆逐艦達と触れ合ってもらった。

勿論駆逐艦だけではないし、場所も海だけではない。

川内『はーい休憩。十分間ね』

緋色『は~い…』

場所は長屋の横にあるグラウンドのような場所。

緋色が背負っていたリュックを外しその場にへたり込む。

登山家なんかが背負っていそうな普通のものより二回りほど大きなそれは緋色の小さな体も相まってもはやリュックとは思えない存在感があった。

しかしあれは決して重い訳では無い。実際に中身も確認した。

あの中にあるのは容器だ。リュックにギリギリ入るほどの大きな容器。そこに水が2L入っている。例え緋色でも背負う分には軽い重さだろう。

男『一ついいか?』

川内『…なんでしょうか』

男『この訓練ってどういう意味があるんだ?』

川内『…』

川内は俺の方を一切見ず何かを考え込んでいる。

何か。

俺の質問への答えではないだろう。この場合彼女が悩むのは恐らく俺に答えてもいいのかどうか、だろう。

川内『バランスの訓練ですよ』

男『バランス?』

相変わらずこちらを一瞥すらしないがそれでも質問には答えてくれた。

川内『私達の艤装には様々な種類がありますけれど、軽巡や特に駆逐艦は基本的に背中に背負う形のものが多いです』

男『確かにそうだな。背負うか、腰に装着くらいか』

川内『ええ。別に重くはありません、艦娘からすれば。ただ背中にある程度の重量を背負うことによる重心の変化や運動エネルギーの変化は大きいです』

説明は分かるがいまいちピンと来なかった。あの重さをものともしないという前提が人間には想像しにくい。

川内『バランスは私達にとって死活問題です。なんせ崩れれば転覆ですからね。そのための訓練がこれです』

川内がグラウンドに置かれたリュックを指さす。

川内『大きな容器に水が入ってます。重さは大した事は無いですけど動くと揺れます。この揺れは自身の運動に大きな影響を与えます』

こちらは想像しやすい。水の入ったバケツを持って急ごうとすれば水は揺れそれに身体が引っ張られる。

川内『実際の艤装のバランスはもっと細かくてそれぞれに特徴があるんですけど、今回は大まかな動きになれてもらうためにこういう形にしたんです』

男『なるほど。納得だ』

川内『本当なら海上でやるんですけどね。流石にそれは早そうなので』

緋色は艦娘としての力は殆ど発揮出来ていない様だがそれでも人間より遥かに丈夫だ。

その緋色が今し方リュックを背負い川内とキャッチボールをしただけであれ程疲れている。一体どれだけの負荷がかかっているのだろう。

川内『…やってみます?』

男『…遠慮しておこう』

きっとまた全身筋肉痛になること間違いなしだ。

パシャリ、と後ろで音がした。

シャッター音だ。それも実際にシャッターが閉まった音ではなく記号としてのシャッター音。つまるところスマホなんかの音だ。

『あやっべ』

川内『ちょっと、何撮ってるのよ』

江風『たははーバレちった』

夕立『江風ドジっぽい』

江風『録画停止ボタンと位置が近すぎるンだよこれ』

長屋の廊下の窓から二人が顔を出す。シャッター音は江風の手にある端末からのものらしい。

川内『別に撮るほどのものはないからねー』

江風『いやいやいや、貴重なものがありますって』

夕立『超激レアよ激レア!』

激レア?なんだろうか、緋色の訓練?

江夕『『敬語の川内さん!!』』

川内『え!そこ!?』

江風『じゃあウチらはこれで~』

川内『待てぇい!!あ、休憩ちょっと追加ねー』ダッ

男『追っかけてっちゃったよ…』

改二の服装で全力ダッシュする川内はまさに忍者だ。

緋色『お水飲んできてもいいかしら』

いつの間にか立ち上がっていた緋色が俺の傍に来ていた。

男『あの分じゃ一悶着ありそうだしいいんじゃないか』

緋色『ならそうするわ』

男『あれ、そんなにきついのか?』

緋色『重くはないのよ。でもあやつり人形みたいに背中があっちこっち向いて大変なの』

そう言って腰を振って見せる。

緋色『そうだ!課長さんもやってみたらどうかしら!』

男『それは遠慮させてくれ』

緋色『えー疲れるけど結構楽しいのよ?』

その疲れるの度合いが艦娘とは桁違いなんだよ。

やっぱ緋色もしっかり艦娘だな。

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男『静かだ』

ベットに寝転んだまま冊子を閉じ自室の天井を見上げる。

緋色が訓練を行う午後はこうして時間が空くことが多くなってきた。

初めこそ興味もあって彼女達の訓練を見学してはいたがあまりいつもお邪魔する訳にも行かない。こうなるのも必然というわけだ。

とはいえ別に暇を持て余している訳ではない。この時間だって仕事なのだ。有意義な事に使わなければならない。

端末を取り出して時間を見る。待ち合わせまで後二十分。少し早いが一応向かうとしよう。

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空母寮。

艦娘の中でもとりわけ異色な艦種である空母はその特異性から他と違いこうして専用の施設がある事が殆どだ。

今日はその寮の裏手で約束があった。

飛龍から借りていた艦載機のマニュアルを返さなくてはならないのだ。

勿論実在の艦載機ではなく艦娘達の操る艦載機の方だ。これまでの戦闘記録からその特徴や飛行のコツ、弱点等が事細かに記載された冊子は分からないなりに非常に面白かった。

借りる際飛龍は『別に返さなくてもいいわよ?なんならPDFであるし』と言っていたが流石に俺がこれを持っていても仕方ないのでしっかりと返す事にした。

約束の十分前。五分前行動をするようなやつには見えないという偏見があるがさてどうだろうか。

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男『冗談だろ』

約束の時間から既に三十分が経過した。

流石におかしいだろ。何かあったのか?

男『いや、不思議という程でもないか』

例えば直前に護衛や警戒任務で海に出ていたとして、そこで何かあれば帰投が遅くなるのは当たり前の事だ。

別に戦闘にならなくても近くに深海棲艦がいれば迂回したり安全の為に停止したりすることもある。

海の上なら通学途中の女子大生のようにメッセージで遅れる旨を伝えるなんて事が出来るはずもない。

何にせよ今は無事を祈ってやるくらいしか、

男『ん?』

二階建てのコテージのような作りの空母寮。裏手に当たるここは各部屋の窓があるだけで特に変わったものはなかった。

そんな寮の壁に背を預け何気なく空を見ると、それは飛んでいた。

二機の艦載機だ。鎮守府のすぐ近くを飛んでいた。

何故こんな所に?しかも二機だけ。

警報などもないし特に危険という訳では無いのだろうが。

縦横無尽に空を掛ける二機を暫く眺め、そしてようやく理解した。

演習だ。

マニュアルにもあったな。艦隊演習ではなく一機だけを操る飛行訓練。

青とオレンジの二機が幾度も空で交差する。

どうやら空中戦、所謂ドッグファイトをしているようだった。

眺めているとなんとなく二機の違いがわかってきた。

オレンジはともかく暴れている。獲物を前にした猛獣のようにひたすら青に食らいついていく。

一方青は冷静だ。最低限の動きで猛攻を躱している。

だが二機の本質は恐らく逆だ。

青は一度躱し攻めに転じると途端に動きが激しくなる。獰猛と言ってもいいようなそんな何かが感じられる。

オレンジは躱されると途端に動きが鋭くなる。それまでの激しさが嘘のように、自分に食いついてきた相手を冷静に狩るような雰囲気があった。

『わかるの?』
男『オフォア!?』ビクッ

右後ろから急に声がした。空に夢中になっていたので驚いて妙な声が出る。

不思議な声だった。

右耳に入ったそれは確かに声だったがしかし気づかなければそのまま左耳から出ていって何も残る事がなく消えていく、そんなそよ風の様な声だった。

少し心を落ち着けてから振り向く。

その少女は一階の窓の縁に組んだ両腕を乗せそれを枕に空を見つめていた。

セミロングで太陽の光を内側で反射するような薄く透き通った茶髪。紅白の鉢巻でまとめられた少し長めの前髪がいくらか暖簾のように顔にかかっている。オレンジに近い瞳は俺ではなく空に向けられていた。

純白の弓道着が彼女のその存在の薄さを際立たせているようにも思えた。

男『…』

軽空母瑞鳳、だよな。知識としては合っていると思うのだが空母は実際に目にした事がない艦娘が多い。先程の衝撃もあって確証が持てなかった。

こうして目線の高さが一緒になってはいるが瑞鳳という艦娘の背丈は随分と小さかったはずである。

瑞鳳『アレ、見えるの?』

相変わらず俺の方を見ずに質問を続ける。

だがいつかの川内とは違うように思えた。

川内は、いや川内に限らず俺と一線を引いている者は多い。嫌いという感情だけでなく深入りはしないという意識からそうするのだろう。それは別に珍しくもない。

だが彼女は違う。そう確信できた。きっと瑞鳳にとって俺と目を合わせることと空を見つめることに大差は無いのだ。

もし瑞鳳がこちらを向いていたとしても恐らくその目は今空を見つめるオレンジの瞳と同じ、焦点の合わないぼんやりとした形になっていただろう。

何故だかそう思えた。不思議とそう感じた。

男『オレンジと青だろう?さっきからあれを見ていたんだ。演習かい?』

瑞鳳『…ふーん、そっかぁ。そうね、演習よ』

男『初めて見るよ。こういうのは』

瑞鳳『青が烈風、オレンジが紫電改二』

男『えっと、艦上戦闘機だよな』

瑞鳳『そ。オススメは零式の三二型』

男『艦載機には疎くてな』

瑞鳳『お好みは?』

男『強いて言うなら水上機かなぁ』

瑞鳳『そっち派かぁ』



沈黙が訪れる。

なんだ、何だこの状況?

明日の天気を気にする乙女のように空を見上げる瑞鳳とそれに並んで壁にもたれかかりながら空を見上げる俺。

別に何も問題は無いはずなのにこの沈黙が妙にきまずい。上司に呼び出された上に目の前で無言だった時と同じくら緊張してしまう。

瑞鳳『普段はしないのよ、ああいう演習は。艦載機の訓練ならもっと他にあるもの』

男『これに載ってたよ。俺には少し難しかったから流し読みだったが』

瑞鳳『それは?』

ここで初めて瑞鳳が俺の事を見た。相変わらずぶれたままのオレンジの瞳が光るその小さな顔は無表情だった。

男『飛龍から借りたんだ。こういう知識はいつか役に立つかもと思ってな』

瑞鳳『あー指南書。勉強熱心ね』

男『仕事だからな』

瑞鳳『うそ』

男『…本当だよ』

瑞鳳『ふーん』

瑞鳳がまた空を見上げる。

再びの沈黙。

瑞鳳『どうしてここに?』

男『飛龍と約束しててな。これを返しに来たんだが一向に現れなくて』

瑞鳳『そうね。まだ飛んでるもの』

男『あぁ、ん?飛んでる、ってまさかあの艦載機…』

瑞鳳『オレンジが蒼龍、青が飛龍よ』

男『色逆なのか…でも演習があるならそう言ってくれれば』

瑞鳳『二人とも熱くなってるだけよ。たまにああしてずっと二人で飛び回ってるの』

男『つまり俺はすっかり忘れられてるだけか』

瑞鳳『そ』

瑞鳳に習って俺も空を見上げる。

青の方から煙が出ていた。決着はもう少しで着きそうだ。

瑞鳳『それ、私が預る?』

男『ん?』

瑞鳳『あの分じゃいつ戻ってくるか分からないもの』

男『そうか、そうだな。そうしてくれるならありがたい』

瑞鳳『なら』スッ

組んでいた腕を解き右手をこちらに伸ばしてくる。

飛行機の翼に纏う飛行機雲のような振袖が腕のラインをくっきりと露わにしていた。細くて、そして思ったよりも長い腕だった。

男『頼んだよ、瑞鳳』

マニュアルを手渡す。しかし何故か瑞鳳はそれを掴まなかった。

瑞鳳『…』

男『?』

瑞鳳『もう一回』

男『え』

瑞鳳『もう一回言って』

なんで?言う、何を言う?頼み方か?頼み方がダメだった?

男『えっと、お願いします』

瑞鳳『そうじゃなくて』

何がそうじゃないんだ。表情が読み取れない。怒ってはいないようだが。

男『頼みます、瑞鳳、さん?』

瑞鳳『…』

え、怖い。パワハラ上司か?無表情による圧が凄い。

心臓がすげぇバクバク言ってる。

瑞鳳『ありがと』パッ

しかし瑞鳳はそう言うとマニュアルを受け取り素早く顔を引っ込めてしまった。

背中を目で追うことも呼び止める事も出来たがしなかった。勝手に部屋を覗くのも悪いし。

それに

男『いい匂いだったな』

いや、この言い方は違うな。表現が違う。というかマズい。変態か俺は。

そういうのではなく、なんだろう、空気というか、雰囲気だろうか。

いなくなって初めて気づいた。彼女が漂わせていた空気。

どこか落ち着くような、それでいて心臓の鼓動が高鳴るような。表現に困るが、その懐かしさだけははっきり覚えていた。

俺が艦娘に憧れるようになったきっかけ。かつて同じような体験をして、俺は艦娘に惹かれたんだ。

これに触れたくて、憧れたんだ。提督に。

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秋雲「なんかあったの?」

画面の向こうから秋雲が問いかけてくる。

俺の画面には資料しか映っていないが秋雲はこのPCのカメラから俺の表情を見ているようだ。

こちらも画面を切り替えれば今秋雲がどんな表情をしているかは見れるが、それをしたら負けな気がした。

男「何も無かったよ。ただ会って少し話しただけだ」

部屋に戻って俺は瑞鳳の資料を漁った。空母に関する知識が足りないと感じたのと、単純に気になって仕方なかったからだ。言わないけど。

秋雲「でもめっちゃ乙女な顔してるよ?」

男「…なんだよ乙女って。馬鹿にしてんのか」

秋雲「おちょくってはいるけどね~。でも質問はマジよ」

男「だから別に何も」

と言いかけたところで廊下から音がした。

何時もの騒音が。

男「一旦切るぞ」

秋雲「あいは~い」

『課長ッ!!』

スリープボタンを押したところで扉のノブに思い切り負荷がかかった音がした。

壊れたろこれはと思ったがどうやら無事だったようだ。

PCのスリープを確認してからドアを開ける。

案の定ヤツがいた。

飛龍『生きてる!?』

男『とりあえず一旦落ち着け?な?』

滅茶苦茶焦っているらしい飛龍を前に逆に冷静になって来た。何やってんだこいつ。

男『で、何があったんだ』

飛龍『何があったというか、何も無くて良かったというか』

男『意味がわからん。それよりも俺に言う事があるんじやないか?』

飛龍『言う事?えっと、ドア壊しかけてごめん?』

男『それは叢雲に言え。そっちじゃなくて、今日は随分と熱心に演習してたらしいじゃないか』

飛龍『あ゛、あはは~』

男『別にそれは構わないんだが、せめて事前に言ってくれ』

飛龍『ごめんごめん今度埋め合わせするからぁ。ってそうじゃなくて!』

男『おう?』

飛龍『課長、瑞鳳に会ったってホント!?』

男『ホントだが、瑞鳳からマニュアル受け取ったろ?』

飛龍『それで!何もされなかった!?』

男『はあ?別に何も無かったが』

なんだ?何か危険な事だったのか?瑞鳳という艦娘にそんな危険性があるようなデータはなかったが。

男『一体なんの話をしてるんだ』

飛龍『んーっと。課長はさ、私達空母が艦娘の中でも特殊だってのは知ってるわよね』

男『あぁ、艦載機だろ?』

艦娘は不思議な力を持っている。不思議な力としか言いようがないくらいの力を。

それは例えば海に浮くだとか推進力、爆発力や耐久力だとか艤装の操作だとか、様々な物理法則を無視する物だ。

しかしその力にも制限がある。そのひとつに自身にしか力を使えないというものがある。

艦娘はどうしたって俺を海に浮かせることは出来ないのだ。

だが艦載機に関しては少しは違う。明確に船とは別の物でありながら操ることが出来る。艤装のようにどこからともなく取り出すことが出来る。視界の共有が出来る。

そして艦載機を搭載できる艦娘自体は数多くいるがその中でもそれに特化した空母という艦種は特殊なのだ。

男『宿舎なんかが離れているのもそうだと聞いてる』

飛龍『流石にそこら辺は知ってるか。話が早いっ』

飛龍『私達空母はね、なんてゆーかこう、第六感?的な?そういう外向きな力というかさ、そーゆーのが大なり小なりあるわけよ』

男『第六感か。艦娘の中でもそういう認識なんだな』

飛龍『まあね。私達からしたら当たり前なんだけど、他の娘達からしたらこっちが変だって言われるわけよ』

男『それが何か関係してるのか?』

飛龍『このシックスセンスね、個人差があるのよ。と言ってとこれの強さは艦娘としての強さには直接関係なくて。ボクサーが幽霊見えてもしょうがないでしょ?』

男『そりゃ確かにな。後なんでシックスセンスって言い替えた』

飛龍『カッコイイから。で、このシックスセンスなんだけどづほちゃんすっごく強いのよ!』

男『…ほう』

飛龍『なんて言うかなぁ。見えてる世界が違うのかなぁ?普段は別に何も感じないんだけど、ふと目を合わせて話してる時に気付くのよ。

あ、この娘と私は見えてるものが違うって。

目を合わせてるはずなのに目が合ってないというか…ごめん意味わかんないねこれ』

男『いや、分かるよ』

まるで自分の事のように。

飛龍『そう?づほちゃん自身は別に人間を好きでも嫌いでもないって感じなんだけど、そういうわけのわからない所があるからさ。なんか人を取って食ったりしそうというか』

男『おいおいいくら何でもそりゃないだろ』

飛龍『それは分かってるけど!けど、本当に分からないのよ、あの娘』

男『この通り何も無かったよ』

飛龍『だからまあ私の杞憂に終わったってことね』

男『そんなに心配だったのか』

飛龍『なんでかね。直感が告げて、シックスセンスが告げてたのよ!』

男『第六感でいいと思うんだけどなぁ』

心配か。この場合心配だったのは俺ではなく瑞鳳の方なのだろう。

飛龍『まあいっか。マニュアルありがとね』

男『心配なら瑞鳳に直接聞いてみればいいんじゃないか?』

飛龍『えー聞にくいじゃーん。私が何を心配してるのかとか多分伝わんないし。一応それとなく話はしてみるけど』

男『それもそうか。あ、ドアはそっと閉めろよ』

飛龍『分かってるって』

男『そういや演習は結局飛龍の負けだったのか?』

飛龍『え!なんで分かったの!?』

男『瑞鳳が教えてくれたよ。青が飛龍だってな』

飛龍『うわめっちゃ恥ずかしい…でも通算なら私勝ち越してるから!強いから!』

男『なら次やる時は観戦させてもらおうかな』

飛龍『よぉうし特訓だ!てわけで私は、ん?青って?』

男『艦載機だよ。青が飛龍でオレンジが蒼龍だって。青は最後らへん煙噴いてたからな』

飛龍『あーづほちゃんが言ってたのか、だから色なんて。それじゃまた』

男『おう』

ドアをそっと閉めたあと廊下をダッシュしていく。この後特訓とやらをするのだろう。

秋雲「やっぱ何かあったんじゃん」

男「うわっ!あれ、スリープにしたはずじゃ」

秋雲「それはそっち側の画面操作を閉じてるだけで私の方は動かせるの」

男「そうだったのかよ」

秋雲「で、づほちゃんと何があったのかしらあ?」

男「話してただけだって。それは嘘じゃない。妙な雰囲気を感じたりはしたけど」

秋雲「それがシックスセンスってやつ?」

男「かもな」

秋雲「艦娘にも色々いるのねぇ」

男「まったくだ」

秋雲「…惚れた?」

男「お前らには惚れっぱなしだよ。昔からな」

秋雲「あはは、ヒューかっこいぃ」

男「そんなんじゃねえって」

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叢雲『はぁ』

間宮がやけに賑わっているので覗いてみるとどつやら賭けが行われていたようだった。

それ自体は別に咎める事では無かったのだけれど、問題はその賭けの対象だった。

演習。しかも蒼龍と飛龍の一騎討ち。

叢雲『まぁたやったわねあの二人』

今日の演習はあくまで艦載機を使った艦隊防空の訓練だった。しかしその後二人は勝手に試合を始めた。

弾薬ボーキ燃料。二人分など微々たるものだが許可なく使用するというのは問題だ。しかも前科…何犯だったかもう覚えてないわね。

皆も上空を飛びまわる予定にない一騎討ちを見てまたあの二人だと賭けを始めたらしい。

谷風『二人ならそのまま寮に戻ったよ。間違いないね。何せ賭けの結果を確かめる為に見に行ったもんだからさ』

嵐『落ち込んだ飛龍さんと満面の笑みの蒼龍さんが並んで歩いてたよ。語るに落ちるってやつだったな』

との証言が得られた。

というわけで空母寮。

叢雲『加賀がいたら巻き込んで説教してもらおうかしら』

常習犯を相手にどう切り込むかを考えながら入口の戸を開ける。

『本当なの!?』

叢雲『…あら』

『あ、叢雲』

それはあまりにも意外な光景だった。

いつも通りのふわふわとした様子でこちらを向く瑞鳳と、深刻な顔をして声を荒らげる加賀がいた。

加賀『ッ!…ごめんなさい、少し冷静ではありませんでした』

瑞鳳『それはいいけど、どうする?』

加賀『詳しくは後で聞くわ。それで叢雲、何か用かしら』

叢雲『用はあったんだけれどね。悪いけど優先順位が変わったわ。何かあったの?』

加賀はあまり感情を表に出さない、ということは無い。むしろめちゃくちゃ表に出る。顔には出ないけど。

だからこそ意外だった。

MVPを取って涼しい顔でステップを踏んでしまっている時も、ミスをして何食わぬ顔をしながら箸を動かす手が止まっている時も、仲間を傷つけられて澄まし顔で手にした弓をへし折らんばかりに握りしめている時も、

声を荒らげるなんてことは殆どなかった。

加賀『…』

瑞鳳『いいんじゃない?別に話しても』

あまりにも対称的な二人の反応に事の重大さを測りかねる。瑞鳳はこういう時でも本当にブレない。

加賀『…あの人間の話しよ』

課長。そう呼ばれている、あの男。人間嫌いな加賀が言うのだからよっぽどの事だろう。

叢雲『その話、ここで出来るかしら』

瑞鳳『あ!じゃあ私のお部屋来る?夕方まで私だけだし』

頭の中でスケジュールを漁る。そうだ、同室のメンバーは5:30まで護衛任務の予定だ。

叢雲『そうね』
加賀『お邪魔しましょう』

瑞鳳『じゃぁ先行ってて。私お茶とお菓子持っていくから』

叢雲『あー、うん、お願い』

完全に遊びに誘う感覚のようだけれど、大丈夫よね?これ、シリアスな話なのよね?

無印瑞鳳の右手の振袖がクシャッとなってる感じが非常にえっち

決して初めて嫁を書くから色々悩んで一ヶ月も経ったとかじゃないんです本当です。
異色度で言えば潜水艦がぶっちぎりだと思いますが以前別のお話で触れたので今回は出てこないと思います。

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瑞鳳の部屋は基本的にシンプルだ。生活に必要な最低限のものだけが置いてある。

ガラス張りの棚と艦載機の模型意外は。

加賀『あら、これは…』

加賀が作業机の上にあったものを眺めている。

叢雲『また新しい模型?』

加賀『スピットファイアね。MK.1かしら。こういうのはあまり詳しくはないのだけれど』

瑞鳳『お待たせー。あー!加賀さんそれ作り途中だからね!お触り厳禁です』

加賀『ふむ、これはなかなか。でも貴方にしては珍しいわね』

瑞鳳『脚はあんまり好きじゃないのよ。好きじゃないんだけどぉ、頭の部分が可愛くてぇ、つい』

加賀『あぁ、なるほど』

瑞鳳『オラついてるように見えて可愛い所もある感じがいいのよ!』

叢雲『はいストップー艦載機トーク終わりー』

砲塔や魚雷、電探など艦には様々な装備があるが艦載機程バラエティに富んだものは無い。

そのせいもあってか多くの空母は艦載機に対するこだわりというか並々ならぬ情熱を持っている。

叢雲『で、何があったわけ』

丸テーブルを三人で囲む。お茶とお菓子でいざ女子トークといった様相だが恐らくそんな話ではない。

加賀『叢雲がここに来た理由ですが、飛龍と蒼龍の件で合ってますよね』

叢雲『えぇ、その通りよ』

教科書に乗せられるくらい綺麗な正座をしてこちらを向く加賀は完全に仕事モードだ。

加賀『あの試合は私も見ていました。瑞鳳も見ていたそうですし、他にも多くの娘達が見ていたでしょう』

瑞鳳『ぅんぅん』モグモグ

一方綺麗に正座こそしているがお菓子を頬張りながら頷く瑞鳳はいつもと変わらない様子だ。まあこの娘はこうじゃない時が珍しいのだけれど。

加賀『それをあの人間も見ていたんです』

叢雲『課長が』

見ていた、という事自体はそれほど不思議なことではないはずだけれど。

瑞鳳『私はね、最初机で模型作ってたの。そしたら空が暖かかったからなんだろーって思ってそこの窓のとこにいったのよ』

叢雲『それはいつ頃?』

瑞鳳『ん~時間はわかんない。でも多分二人が飛び始めた辺りよ。それで窓は開けてたから空を見てみようとしたらね、すぐ横に課長さんが居たの』

この部屋は一階の奥にある。もし外に誰か立っていたなら丁度窓の辺りに見えるだろう。

瑞鳳『まあ別にあの人に興味はなかったから無視するつもりだったのだけれど、近寄ってこう並んでみたらね、分かったのよ。あー見えてるんだなって。アンテナある感じだったもん』

叢雲『見えてる?艦載機の事?』

瑞鳳『そう、とも言うかな?青とかオレンジとか』

青にオレンジ?機体の色かしら。

ともかく課長も艦載機を見ていたって事よね。それほど高度は高くないはずだし別にそれも特に不思議な事ではないと思うけれど。

瑞鳳『それで話しかけてみたの。そしたら飛龍に借りた本を返しに来たって。だから私がその本を受け取って飛龍に返したの』

叢雲『それで、その。何が問題だったの?』

瑞鳳『ん?あの人にも見えてたってとこが』

叢雲『艦載機なら別に誰にでも見えるじゃない』

瑞鳳『ぅうん。見えてたのはそっちじゃなくて。なんて言うかなぁ、本来形の無い力の形を保つ為の構造力、構想力?あるいは指向性の存在しない意志を飛ばすための意志力かなぁ』

叢雲『!?』バッ

いっぱいいっぱいなので助けを求める為慌てて加賀の方を向く。

何もこれだけじゃない。空が暖かいとかアンテナがどうとか色々と理解の限界を超えてるのよさっきから!

加賀『…残念ながら瑞鳳の言っていることは全て本当です』

叢雲『う、嘘でしょ』

瑞鳳『本当だってばぁ!』プンスコ

加賀『ねぇ叢雲。今回の問題、私と瑞鳳の二人がという点でなにか思い当たりませんか?』

叢雲『二人…!』

そうだ。以前に

バタン

飛龍『づほちゃーんちょっと訓練のギャァアアア!!??』ビクッ

叢雲『あ』

問題児と目が合った。

飛龍『アディオス!』ピュー
叢雲『待てコラ!』

加賀『先に飛龍からでいいわよ』ハァ

瑞鳳『ひりゅーなんかしたの?』

加賀『勝手に試合』

瑞鳳『あ~あれ無許可だったのかぁ』

叢雲『でも』

加賀『私達の話自体は先程ので全てですから』

叢雲『ま、急を要するのは確かに飛龍達のほうだけれど』

加賀『だから私からは一つだけ。あまりこういうことに私見を述べるのは良くないとは思いますが』

叢雲『構わないわよ』

加賀『あの人間は危険よ。悪意等の有無ではなく存在が、という意味で』

叢雲『…一応聞いておくわ』

瑞鳳『私も賛成』

加叢『『え』』

思わず声が重なってしまった。まさか瑞鳳が今の意見に同意するなんて。

瑞鳳『殆ど事故みたいな話だけど、やっぱり灯台がいくつもあるのは危ないと思うのよ。私は嫌いじゃないけどね』

叢雲『?』

加賀『そう』

あ、これフォローないやつね。

叢雲『じゃあ行ってくるわね。お菓子ありがとね』

瑞鳳『またね~』ノシ

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瑞鳳と加賀。

一見特に繋がりのない二人だが意外な共通点がある。

元は噂だった。

艦娘にも噂はある。

一応世間的には他の鎮守府の艦娘との交流はせいぜい演習くらいなもので基本的に各々自分の鎮守府からは出られないということになっている。

いるが、実際は違う。

護衛する船のいる港や遠征先、担当海域を超える際に護衛を他の艦隊に引き継ぐ時や海でたまたま遭遇する時。

他の鎮守府の艦娘と出会う時は頻繁ではないがそれほど珍しくもない。

そしてそんな時、本来業務的な連絡しかしない事になっているがまさかそれで終わるわけもなく、私達は貴重な交流をしているのだ。

噂は文字通り海を流れる。

護衛の際に会うのは比較的近い鎮守府の艦娘だが遠征や出撃時に出会う場合はかなり遠くの鎮守府の艦娘にも出会える。

そんな時私達は可能な限り話をする。

世界情勢や愚痴や趣味、そして色々な噂を。

私達にとってそれは最も刺激の強い娯楽と言える。

夕餉に他の艦娘と話したなんて娘がいようものならまるで尋問でもしているのかと言うほど皆集まり根掘り葉掘りその内容を聞いてくる。

そんな漂う噂にあったのだ。

数年前。"艦娘の、特に空母に特別不思議な感覚を持った者が稀にいる"という噂が。

確か最初に聞いた時は第六艦覚(ships sense)とかいうクソダサい名前があった気がする。ウチでは流行らなかったけど。

元々艦娘は不思議な存在。自分達ですらそう自覚している。だからこの噂は妙な信憑性がありそれがみんなの興味を引いた。

でも噂は一年も経たずにピタリと止んだ。

実在したからだ。

その広まった噂に、あぁ自分のコレはきっとその噂のモノと同じだと、そう名乗り出るものが次々現れたそうだ。

実在してしまっては噂も何も無い。

そしてそれこそがこの鎮守府では瑞鳳と加賀だった。

叢雲『これね』

廊下を歩きながら端末を操作する。以前加賀から提出された報告書だ。

一時はどうなる事かと思ったけれど日常生活にも戦闘にも寄与しないこの不思議な感覚にお偉方も「あー不思議だね。でも艦娘だしね」程度の反応しか示さず何も分からないまま今まで放置されている。

まあ今更不思議の一つや二つというのは確かにその通りだけれど。

"コレ"というのは大体が普通は感じないものを感じるという内容だった。

見えないものが見える。

感じられないものが感じられる。

それが、課長もそうだというの?

提督になれる条件のひとつは私達と話せるという事にある。

私達の声が聞こえて、私達に声が聞こえる。

司令官も普通に話していても艦娘にその言葉が伝わる。

でも課長は私達の声こそ聞こえているようだけれど、私達に聞こえる言葉は言うなればカタコトだ。

聞こえると言うよりどうにか聞こえるように話している感じ。そんな事が出来る人間は初めて見たけれど。

だから資質としては司令官の半分というか、中途半端な感じだと思っていた。

それでも普通の人間とは少し違うのだろうから何か見えるとかそういう事があっても不思議ではない、のだろうか。

叢雲『でも加賀の忠告なのよねぇ』

加賀の人間嫌いは相当なものだ。本人も私見と言っていたが実際それは入りまくりだろう。流石に気にし過ぎだとは思うけど。

ま、課長に対しては今まで通りそれなりに警戒って事で。

叢雲『ただいま~』

提督「あぁお帰り」

叢雲『あら、珍しく忙しそうね』

提督「これだよ」

叢雲『深海棲艦…出たの?』

提督「お陰で航路変更やらなんやら」

叢雲『って事は予定組み直しかぁ』ガックリ

提督「何時でも出撃出来るようにもしとかなきゃだしね」

叢雲『飛龍にも話とかないと』

提督「そう言えばさっき艦載機が飛んでたけど、また飛龍達かい?」

叢雲『えぇまたよ、また』

提督「元気だねぇ。今回はどっちが勝ったんだい。僕にはどっちも同じような緑色の機体にしか見えないからね」

叢雲『あぁそれなら…司令官も見てたの?』

提督「うん。あ、いや、サボってたわけじゃなくてね」

叢雲『そうじゃなくて、何が見えたの!』

提督「え?だからなんか飛んでるなって。僕はほら、艦載機あんまり詳しくないからさ。違いとかこの距離じゃ分からないよ」

叢雲『そう…』

提督「?とりあえず民間船にはあらかた連絡したから問題は輸送船だね。こっちの方頼むよ」

叢雲『えぇ、任せなさい』

頭の中でスケジュールを整理しながら窓の外を見る。

大分気温が上がってきた暖かな空を見ながら、少しゾッとした。

あの男、一体何が見えたのだろうか。

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緋色『課長さん、何か好きな歌ってあるかしら』

訓練から戻った緋色がふと話しかけてきた。

男『好きな歌?んー流行りの曲とか有名なのは知ってるけど、これといって好きってのはないかなあ』

緋色『そっかぁ』

男『なんでまた』

緋色『今日訓練中にね、江風が歌ってたのよ。航行しながら』

男『ほほう、歌を』

緋色『とっても上手だったからどうして歌を?って聞いたの』

男『そしたら』

緋色『これは挨拶のために練習してるんだって』

男『あいさつ?』

緋色『海上で他の艦隊とすれ違う事があるって言ってて、すれ違うと言っても距離はすごく離れてるらしいんだけど』

何も無い広大な海の上ですれ違うとは具体的にどの距離からなのだろうか。目視できる距離とかか?

緋色『余裕がある時は通信したり直接話をしたりするらしいのだけれど、そうじゃない時。数分で別れてしまう時に歌を贈るらしいの』

男『歌、か』

そういえば歌は艦娘でも人間でも聞こえるんだったな。しーちゃんが音楽関係のイベントなんかから活動を始めたのもそれが所以だったはずだ。

緋色『サビだけだったり前半だけだったり、ともかく相手に歌を贈るって言ってたわ。中には海外の歌を聞いた娘もいるらしいわよ』

男『艦娘の文化ってわけか。初めて知ったよ』

緋色『それでね!私も歌を練習してみようかなって思ったの』

男『緋色は何か知ってる歌は…あ』

緋色『民謡とかいくつか思い浮かぶものはあるのだけれど、他には、なんでか…あまり…』

しまったと思った時にはもう遅かった。記憶を探るような仕草をしたかと思うと緋色の身体がグラりと揺れる。

緋色『ぁ』
男『うお!』ギュッ

倒れかけた緋色をどうにか支えてベットに寝かす。

男「はぁ…迂闊だった」

しかし歌かぁ。後で秋雲にでも聞いてみるか。

きっといつか緋色も海の上を歌いながら駆けていくのだろう。

でもそれだけじゃない。緋色はまだそれを知らない。俺だってそれがはたしてどんな世界なのか知りはしないのだから。

あの青い世界は戦場なんだ。

横たわる緋色を艦娘だと理解していてもそんな世界を知らずにいて欲しいと願わずにはいられなかった。

緋色の髪をそっと撫でてみる。

男「子守唄の一つでも歌えればなぁ」

月イチとかマジかよ

来月からはもう少しペース上がるはず。
瑞鳳は一時期特攻パワーでとんでもダメージ連発していた印象が強いので何かそっち系の感覚というかがぶっ飛んでるというイメージになりました。

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提督「貴方も見ていたんですか」

男「えぇたまたま」

提督「あれ一応ルール違反なんですよね」

男「え、そうなんですか」

提督「空も警戒対象ですから。事前通達のない飛行は混乱を招くので本来禁止なんですよ。ここは空の脅威が薄いので大目に見てますけど」

コーヒーを飲みながらいつもの夜の報告会。私はミルクだけど。

正直毎日やるほど報告する内容もないのだけれど、こうして課長と交流するのを目的としてやっている部分がある。

普段外の世界と接点のない私や司令官にとって彼は貴重な存在だ。実際司令官も殆ど彼との会話を目的にこの時間を当てている所がある。

まあ私もだけれど。

単に外の情報が欲しいわけじゃない。そんなものは今時ネットでいくらでも手に入る。

この場合貴重なのは外の世界の価値観だ。

叢雲「大目に見るなって私は言ってるのだけれどねぇ」

提督「まあまあ。あの二人だって超えちゃいけないラインは弁えてるよ」

叢雲「いや普通に考えたらそのラインは既に超えてんのよ」

提督「え」

叢雲「え、じゃないわよ」

提督「今緋色ちゃんは?」

男「寝てますよ。何か歌を知らなかと聞かれて
思わずこちらから聞き返したらパタリと」

提督「歌?」

男「艦娘は海で歌うという話を聞いたらしく」

提督「あぁあれか。そんな話もしてたとは、随分皆とは仲良くなっているようで安心しますね」

男「えぇ」

あぁそういえば、司令官にとっては貴重な同性の相手でもあるのかしら。私達がはたして異性と見られているのかは知らないけれど。

でも私は彼と穏やかに話せる気はしなかった。

彼の何かが見えているという事実。加賀の忠告通り警戒する他になかった。

叢雲「それと明日の訓練なのだけれど、少し予定を変更してもいいかしら」

男「変更?」

司令官「教官役を変更せざるを得なくなったんですよ」

男「勿論その辺はそちらの都合に合わせてもらって構いませんけれど、何かあったんですか?」

叢雲「深海棲艦が出たのよ」

男「!」

提督「と言ってもあくまでここの担当する海域付近で見かけた、という程度です。危険なレベルではまだない」

叢雲「いくら制海権を取り返した海域と言っても海は奴らのホームだもの。こうして発見された以上警戒レベルは引き上げる他ないのよ」

男「それで予定変更と」

提督「一般人を乗せた交通のための船は欠航。運搬のための船は迂回したり日時をずらす事になるので、こっちの予定も大きく変わるんですよ」

叢雲「もぉ大変だったのよ今日…というか今日からしばらくなんだけれどね…」

男「そういった苦労もあるのか…」

提督「ま、ここに危険が及ぶことはないので安心してください」ハハハ

叢雲「やめてよフラグみたいな事言うの」

男「フラグ?」

提督「いえ、気にしないてください」

叢雲「あぁ、それで明日の教官役なのだけれど」

課長を見る。いつもと変わらずリラックスした感じで座っている。

さぁ、どんな反応を見せる。

叢雲「秋雲に代わってもらったわ」

ピタリ、と課長の動きが止まる。

一瞬。こうして意識して観察していなければ気にもとめないほど僅かに。

だがだからこそハッキリとその硬直が私には見えた。

男「ほぉ。秋雲ですか」

そう言って机のカップを手に取る。まだコーヒーの残るそれをしばらく意味もなく揺らしてまた机に置いた。

人は中々意図してリラックス出来ないものだという。落ち着かなくてはならない時じっとしているのではなく何か他のことをしようとしてしまう。

課長は分かりやすく動揺していた。

提督「秋雲なら緋色ちゃんともすぐ馴染めるでしょう。と、それは知ってますか」

とはいえ司令官には何も違和感を覚えさせない程度の行動でもある。でなければ私が困る。

男「まあ、他の鎮守府でも会いましたから」

部下である事は依然隠したまま、か。

叢雲「暇が出来たら私も覗きに行ったげるわ」

提督「暇、暇かあ。暇が出来たらいいね…」

叢雲「ホントにね…」

男「…お疲れ様です」

そんな感じで今晩の報告会は終わった。

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叢雲「どうだった?」

提督「何がだい?」

叢雲「課長の様子」

提督「んー?別に何もないけど、何かあったの?」

叢雲「ないならいいわ」

提督「まあたそうやって警戒して。少しは気を抜きなよ」

叢雲「そんなんじゃないわよ。さて、もう一仕事よ」

提督「その前に、コーヒーお代わりいいかな」

叢雲「はいはい、ミルクは?」

提督「多めで」

叢雲「たまには苦いのも飲むべきよ」

提督「甘さは大切だよ」

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男「ま、そんな感じだな」

秋雲「ん~進展ないね~」

いつもの報告会の後、自室でもいつもの報告を行う。

男「そろそろ別の方法を考えないとな」

秋雲「戦闘訓練じゃない?やっぱ」

男「それは…」

秋雲「緋色ちゃんがどうにもその手の話題が苦手そうなのはわかるよ。でもこのままじゃダメなのは確かでしょ」

男「でももしかしたら「私を見てそう言えるの」…」

秋雲「別に責めてるわけじゃないの。でも逃げちゃダメ」

男「手厳しいな」

秋雲「ありがたぁく思いなさい」

男「なら締切から逃げるなよ」

秋雲「あれは戦略的撤退だから」

男「それじゃ、また明日」

秋雲「待って」

男「な、なんだよ」

秋雲「明日の教官役、私聞いてないけど」

男「…秋雲」

秋雲「私?」

男「秋雲だ。ただしお前じゃないな」

秋雲「あぁ、そういう事」

男「うん」

秋雲「それで黙ってたんだぁ」ニヤニヤ

男「なんだよその顔は」

秋雲「んーっとね、なんか嬉しいのと、ムカつくのと、イラッとするのが混じった顔」

男「つまり怒ってると」

秋雲「大丈夫?」

男「大丈夫さ。分かってるよ、お前とは違う秋雲だ」

秋雲「私が、秋雲とは違ったと言うべきかもだけどね」

男「かもな…」

秋雲「課長は大変だねぇ。逃げちゃえばいいのにさ」

男「そうもいかないさ。もう逃げられないよ俺は」

秋雲「優しいねぇ」

男「そんなんじゃねえよ」

秋雲「ううん、優しい」

断言された。

秋雲「優しいよ」ニヒ

楽しそうな顔で。

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夕張『ちょぉっと聞きたいこともあるんで今日の午後、工廠来ません?』

次の日の朝、そう連絡が来たので久々に工廠にやって来た。

夕張『じゃん!おニューの訓練用艤装です』

男『これは、夕雲型?でもなんか違うな』

夕張『大正解。陽炎型をベースに夕雲型のを組み込んだ形です』

男『こんなの作れるんだな』

夕張『兵装を積まなきゃ船としての艤装部分は案外どうにでも出来るんですよ。だからあくまで訓練用ですけど』

男『それで、こいつの意味は』

夕張『艤装を変える事で緋色ちゃんに何か変化が起きないかなぁって。だからこれを使用していいか課長さんに確認を』

男『確認は必要ないよ。海の事は専門外だからな。現場に任せるさ』

夕張『そう言ってくれると信じてました!では早速訓練中の緋色ちゃんに付けてもらいましょう』

男『いきなり艤装変更しても大丈夫なのか?』

夕張『戦闘するわけじゃないですし平気だと思いますよ。そもそもこれ航行用に組み上げたばっかですし負担になるような要素はありませんから』

男『いや待て待て、組み上げたばっかってそれダメなんじゃ』

確か装備は登録された物でないとダメだったはずだ。

夕張『ふふーん、ルールが適応されるのはあくまで正式に着任した艦娘のみです。緋色ちゃんは書類上浮いた存在なのでセーフ!船だけに!』

男『別に上手くないし笑えない』

夕張『それに今回はちゃんと叢雲も呼んでありますから。課長さんだって何かきっかけが欲しいでしょう?』

男『それはそうなんだが…』

それを言われると弱い。

男『はぁ、仕方ないな』

夕張『よっしでは行きましょう』

夕張が艤装の乗ったカートを押す。

男『なあ』

夕張『はいはい?』

男『艤装ってなんで皆そうやって吊るしてあるんだ?』

工廠にあったのもそうだが、この運搬用のカートも艤装を乗せるのではなく四隅の柱にある鎖で吊るして固定する形になっている。

夕張『波風とかの衝撃には当然強く作られてますけど、こうして地上にいる想定はされてませんからね船って』

男『それはそうか』

夕張『卵みたいなもんですよ。縦で割るのは難しいけど横ならあっさり割れます。艤装もこういう地面からの細かな振動で不具合とか出やすいんですから』

男『結構管理大変なんだな。丈夫なものだし、はっきり言って雑に扱ってるものだと』

夕張『色々あるんですよ。調子悪いなーってぶっ叩いて見る事もあれば、地震の揺れで倒れて壊れる事もあります』

男『色々だな』

夕張『色々です』

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夕張『おーーいあっきぐもー』

いつもの訓練場所である工廠裏の入江のようになっている港。緋色と秋雲はまさに訓練中だった。

さて、俺はもう

夕張『あれ、戻るんですか?』

男『あぁ…』

そうだ、と言いかけてやめた。

きっと声をかけられなかったら戻っていただろう。でもここで肯定してしまったら自分が逃げていると認めることになる。

まあ逃げ出したくて仕方ないんだが、それでも認めるのはなんだか癪だった。我ながら子供じみた理屈だが。

男『いや、見学していくか』

夕張『折角ですからこいつの感想を課長さんにも聞きたいんですよ』

男『見てるだけじゃないも分からないがな』

夕張『何かありません?特に艦橋とマスト辺りはこだわったんですよぉ。艦橋は陽炎!マストは夕雲のハイブリットです!』

男『分かんないって』

目を輝かせて語り出す姿は秋雲を彷彿とさせる。

秋雲『なになに?何の話ぃ?』

男『!?』

いつの間にか桟橋までやって来ていた秋雲がこちらにやってくる。

まるで玄関で靴を脱ぐような気軽さで足に装着した艤装を解除し事も無げに陸に上がった。

夕張『ね!秋雲なら分かるわよね!この煙突部分とか!』

秋雲『あーそういう話しね。うんうんワカルワカル』

夕張『他にもねぇ内部もまだ試行錯誤中だけどこだわっててねぇ』

秋雲『こりゃスイッチ入ってますな~。ごめんね課長さん、オタクは火ぃ付いたらとまんなくってさ』アハハ

男『あ、ぁあ…慣れてるよ』

秋雲『んあ、そうなの?ならいいけどさ』

意外と小さくて、そのくせ妙に細い。姿勢を正すと首がスラリと長く、腰の位置が高い。

歯をのぞかせ笑う口はいつも大きく、楽しそうな瞳に右のホクロが付いてくる。妙に耳につく特徴的な声が不思議と心地よい。

よく知っている、見慣れている。数年ぶりでも鮮明に思い出せる。

秋雲『どったの?』
男『秋、雲』

緋色『ちょっと待ってよ~秋雲先生ぇ』

緋色がようやく陸に上がってきた。彼女はまだ艤装を背負っているだけで扱いきれてはいない。足の艤装を解除するにもしっかりと固定されたスキーブーツを外すように手間がかかる。

秋雲『あ~ゴメンゴメン。つい』

脱ぎ終えた艤装を桟橋に綺麗に並べてこちらに向かって

男『え』
秋雲『あ』
夕張『お?』

緋色『あれ?』グラッ

ベチャッ、と言う音がしたんじゃないかと言うくらい綺麗に顔面から転んだ。

男『緋色!?』ダッ

一度廊下で見た光景だがここは桟橋。木の板とは違う。この程度で傷つく身体出ないと分かっていても冷静ではいられなかった。

秋雲『あっちゃ~忘れてたねこれ』

夕張『大丈夫?一応明石に見てもらう?』

緋色『ん゛~いったぁぁ…』

男『大丈夫、そうだな。流石艦娘』

緋色『うん。痛いけど、痛いだけよ』グス

涙目だが確かにそれだけのようだった。

男『でも何だって転んだんだ?』

段差はない。足や服にひっかけた様子はなかった。いや、

そもそも緋色は転ぶ寸前足を動かしてすらなかった。

艤装を外し、こちらを向き、まっすぐ立って、そしてこちらに来るような素振りを見せてそのまま倒れ込んだ。

秋雲『たまにあるのよこういうの。私も一度経験したことあるのよねぇ』

男『こういうのとは』

夕張『"脚離れ""陸離れ""浮き輪"、とかとか呼び名は色々あるんだけど、要するに歩き方を忘れちゃうんですよ』

男『歩き方を、忘れる?』

秋雲『長時間の海上活動。もしくは海と陸の切り替えになれていないと起こる現象。海じゃ足は踏み出さないからね』

男『それであの倒れ方か。確かに理屈はわかるが』

スキーの後なんか暫く歩く時に変な感覚になるが、それのさらに酷い症状って事だろうか。

緋色『自分でもびっくりしちゃった。立ってるだけなのに前に進んでるつもりで身体が前に出ちゃったもの』

秋雲『それだけ航行に慣れてきた証拠とも言えるわけだし気にしない気にしなぁい』

夕張『ちょっと休憩する?』

緋色『ううん大丈夫。それで、その艤装は?』

秋雲『おニューの艤装よ。緋色ちゃんのね』

緋色『えぇ、でも大丈夫かしら』

夕張『同調率は高いし、緋色ちゃん飲み込み早いから問題ないわよ。それにそのために秋雲が教官の日を選んでるわけだしね』

秋雲『装着の仕方は同じ?』

夕張『同じ同じ。違うのはFFCとリングの重さくらいかな』

秋雲『あーそこは夕雲型準拠なのね。オーキードーキー』

夕張『それじゃ早速いってみましょう!』

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叢雲「どう?緋色は」

桟橋で秋雲と緋色を眺めていると後ろから声をかけられた。

男「仕事はいいのか」

叢雲「なんとか一段落付いたの。で休憩がてらね」

男「お疲れさま。緋色の方は順調だよ。こうして見る分には」

叢雲「へぇ、流石秋雲ね」

男「最初からあの艤装があるから教官を秋雲にしたんじゃないのか?」

叢雲「アレをいずれ緋色に試そうと考えてたのは事実よ。でも予定がズレて秋雲が今日になったから艤装を急ピッチで完成させてもらったのよ」

男「そういう事か」

叢雲「秋雲が選ばれた理由は分かってるみたいね」

男「陽炎型と夕雲型。そのどちらでもあったって事だろう?」

叢雲「正解」

男「知ってるさ。よく知ってる」

叢雲「ふぅん」

叢雲『二人ともー!そろそろ休憩よー!!』

叢雲の号令を受けて二人が戻ってくる。

叢雲『どうだった?』

秋雲『問題なし。でも細かいところで気になる点が幾つかあるのよね~』

叢雲『夕張に聞いてみれば?』

秋雲『でも今は一応訓練中だし』

叢雲『構わないわよ。調整に時間かかるなら今日の訓練はここまでにしてもいいし』

秋雲『ならそうしよっと。緋色ちゃん、艤装一度ここに戻してもらっていい?』

緋色『はーい』

緋色が慎重に足を一歩踏み出す。

男『今度は大丈夫そうだな』

緋色『足が棒みたい…』

叢雲『どうしたの?』

秋雲『あれあれ、陸離れ』

叢雲『あぁ』

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秋雲が艤装を工廠に持っていったのでしばし休憩となった。

緋色『陸離れって何か対策とか、コツってないのかしら』

叢雲『こればっかりは慣れね。後は手で足に触れるとかかしら。海でも手は自由に動かすから』

緋色『なるほど!』

叢雲『とりあえず今は暫く歩いて慣らしていったほうがいいわ』

緋色『はーい』

少しよろめきながら緋色が歩き出す。

男『大丈夫かな』

叢雲『大丈夫でしょ』

緋色『ねーねー二人ともぉ!』

少し行った所でこちらに声をかけてきた。

叢雲と顔を見合せながら緋色の方へ向かう。

緋色『これって何かしら』

緋色が桟橋の側面、海水に浸っている部分を指さした。

男『あーフジツボだな』

緋色『これが。食べられるのかしら』

男『食えない事は無いだろうけどあまりオススメはしないな』

緋色『ふぅん。ねえ叢k…叢雲?』

男『ん?』

叢雲『…』

凄い顔をしてた。

苦虫を纏めてすり潰して煎じて飲ませれた様な凄まじい表情だった。

叢雲『私、それ嫌い』

嫌悪感100%の声でそう言った。

緋色『ど、どうして?』

叢雲『船の底の方って赤かったり青かったり、ともかくその材質とは違う色が意図的に塗られているのは分かるわよね』

緋色『そうね。私がさっき履いてた艤装も底は赤かったわ』

男『確かにそうだな。艦娘は大抵赤かな』

叢雲『では問題です。何故色が塗られているのでしょうか』

緋色『何故って言われると難しいわね』

男『話の流れから考えるとフジツボが原因だよな』

叢雲『それは合ってるわ。では理由は何でしょうか』

緋色『ここまで波に浸かりますよ~って印とか?』

叢雲『当たらずしも遠からずって感じね』

男『…フジツボが付かないように?あ、フジツボが苦手な色とか』

叢雲『んーまあほぼ正解ね』

緋色『えぇ!?そんな理由なの?』

叢雲『そんなってレベルじゃないわよ。深刻な理由よ』

男『フジツボがか』

叢雲『フジツボは子供を海に放流するの。そしてそれは岩や船底なんかにくっついて成長し、それみたいにピッタリ張り付くフジツボになるの』

緋色『この子達も頑張ってるのね』

叢雲『頑張ってるなんてもんじゃないわよ。フジツボの幼生はね、何かにくっつく時その材質に合わせた接着剤を自分で作って張り付くのよ。とんでもない吸着力よ』

男『わざわざそんな事してるのか。自然って凄いな』

叢雲『凄いのは認めるけれどね。まあそんな感じで船底にビッシリ張り付いてくるのだけれど、当然そんな余計な突起物付けていたらその分スピードは落ちるし燃費も悪くなるわ。靴にガムつけて歩きたくはないでしょう?』

緋色『ガムかぁ。どうなの?』

男『幸いガムを踏んだことはなくてな』

叢雲『私もないけど多分そんな感じよ』

緋色『今度試してみようかしら』

叢雲『ごめん言い出しといてなんだけれどそれはやめておきなさい』

叢雲『とにかく、この赤色はそのフジツボが付かないように塗られているものなのよ。細かい原理は省くけれど、そうね、防水スプレーのイメージね』

男『って事はかけ直したりしなきゃいけないのか』

叢雲『ええ。だから色々と研究開発されてるのよ』

緋色『生き物って凄いのね。海にとって私達は環境の一つでしかないって事だもの』

男『ちなみに赤には理由があるのか?』

叢雲『成分の問題かしらね。でも他にも緑や青なんかもあるからあくまで目印だと思うわ』

緋色『青はいいわね。カッコイイ』

男『自分と同じような赤じゃなくてか』

緋色『違うからこそよ。隣の芝生ね、青だけに』

叢雲『港で聞いた話じゃ、昔と違ってフジツボ対策も随分と進化してるみたいよ。元から船の材質をフジツボが付きにくいものにしてるんだとか』

男『船ってのは本当に色々な技術が詰まっているんだなぁ』

緋色『えいっ』コツン

男『落ちるなよ』

緋色『うーん本当に取れないわねフジツボ。岩と変わらないわ』

叢雲『これが身体に付くとか悪夢よ悪夢』

緋色『私達の艤装にも付くのかしら』

叢雲『流石にそれはないわ。小さいし、私達は船と違ってずっと海に浸からず陸に上がるもの』

男『そうか。確かに本来船は一度海に出たら余程の事がない限りずっと海にいるからな。そりゃ手入れも大変なわけだ』

叢雲『そゆこと。だから別に艦娘にとってフジツボは特に気にする事もない相手なんだけれど、ねぇ…』

緋色『苦手?』

叢雲『トラウマというか、本能的に嫌悪感が溢れちゃうのよ…』

男『艦娘にも色々あるんだなぁ。ちなみに一番苦手なものとかってあるのか?』

叢雲『一番、一番ねぇ。そうね、やっぱり潜水艦かしら』

緋色『あ、戻ってきたみたい』

叢雲『残念、休憩終わりね』

秋雲『なになにぃ?何の話してたの~?』

男『フジツボについての話を』

秋雲『あー…』

夕張『チッ』

舌打ちした。すっげぇ表情で舌打ちした。整備とかする側からしたら憎むべき相手なんだろうなぁ。

叢雲『ハイハイそんな顔しないの。艤装は?』

秋雲『ちょこぉっと調整した。緋色ちゃんまたよろしくね~』

緋色『はーい』

叢雲『私は少し工廠に行くわね。課長はどうするの?』

男『俺は、少しここで見ているよ』

叢雲『了解。じゃ秋雲、後よろしく』

秋雲『あいあいさー』

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叢雲『どうだった』

工廠に戻ると同時に尋ねる。そのために今日をセッティングした面もある。正直気になって仕方なかった。

夕張『秋雲と会った時凄く動揺してたわ』

叢雲『そんなに?』

昨晩は必死に動揺を隠そうとしていたけれど。

夕張『暫く言葉も出せないってくらい固まってた。やっぱり何かあったんじゃないかしら』

叢雲『んー、だとしても何かって何かしら』

夕張『…駆け落ち?』

叢雲『そういうのいいから』

夕張『でも現時点じゃなんともって感じね』

叢雲『やっぱりあの箱を調べるしかないかしら』

夕張『でもそれって最終手段じゃ』

叢雲『そうなのよねー。さてどうしたものか』

これ以上は揺さぶっても何も出てこない気がする。もっと具体的な手段で調べる他にない。

叢雲『あ』

端末から音が鳴る。この音は司令官からだ。

夕張『暫くはそっち優先ね』

叢雲『緋色の艤装、任せたわよ』

夕張『はい。そちらも頑張って』

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秋雲「でぇ?そっちの秋雲さんと出会っちゃってドキドキしちゃったわけぇ?」

男「うるせぇ」

秋雲「平気だーみたいな事言っといて結局それか~。ダメだなぁ課長は。まだまだお子様ねぇ」

すごくイキイキした表情で煽ってきやがる。なんかいい事でもあったのかこいつ。

男「好き放題いいやがって…そもそもなんでそんなに楽しそうなんだよ」

秋雲「え~だってだってさ、そんなに秋雲さんの事を想ってくれてたなんて、キャーもうまいっちんぐ~」

男「当たり前だろ」

秋雲「…あるぇ」

男「お前の事を、そんな軽く見れるかよ」

秋雲「急にそんな真面目にされると、あはは参ったなこりゃ」

その時画面の奥から音がした。何か軽いものが落ちた音が。

いやこの場合音の内容はそれほど重要じゃない。"音がする"という事が問題だ。

男「なんだ今の?」

秋雲「あーちょっと待ってて~」

秋雲がわざわざ画面から消える。戻ってきたその手にはA4位の封筒が握られていた。

男「なんだそりゃ」

秋雲「メールだね。お、しーちゃんからじゃん」

男「は?メール?」

秋雲「いいっしょ。なんか個人探偵に来る依頼書みたいでさっ」

男「そのためにわざわざ音まで付けたのかよ」

秋雲「こういうのは雰囲気が大切なの。えーっと内容はっと」

男「というかそれ、俺宛には来てないのか」

秋雲「…どうも急いでたからここにしか送ってないみたいね」

男「急ぎ?どんな内容だ」

秋雲「例の深海棲艦の動きが活発になって来たみたい。近々大規模作戦が発令されるかもって」

男「マジかよ…」

秋雲「どうする?」

男「と言ってもこっちに出来ることなんて殆どないからなぁ。作戦中緋色をどうするかだけでも考えておくか」

秋雲「今する?」

男「いや、もう寝るよ」

秋雲「オーキードーキー」

男「…」

秋雲「何、その顔」

男「なんでもないよ。おやすみ」

秋雲「おやすみ~」

画面が消える。昼間見たのと同じ、あの顔が消える。

やっぱりお前は秋雲だよ。

余計なもの書いた上に遅れやがったコイツ!

艦娘雑学みたいなお話。
海にいると色々と弊害でそうですよね。
距離感とかもおかしくなりそうです。

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叢雲「起きてる?」

翌朝、寝癖を整えていたら廊下から叢雲の声がした。

時計を見ると時刻は丁度六時。総員起こしの時間ではあるが叢雲が俺の部屋に来るには少し早い。

男「おはよう、どうした?」ガチャ

叢雲「おはよ、悪いけど急用よ」

男「ん?」

叢雲「上から作戦命令が出たわ」

男「!?」

ウソだろ。しーちゃんからの連絡を受けたのは昨日だぞ。それだけ緊急事態って事なのか?

叢雲「開始は四日後。しばらく慌ただしくなるわ」

男「四日って…短すぎないか?」

叢雲「えぇ。普通短くても一週間、いえ、それでも短すぎるくらいよ」

男「そりゃそうだろうな」

いきなりデカい仕事を振られてそれが一週間後とかゾッとする。

叢雲「前に近場で深海棲艦に動きがあった話はしたでしょう?アレを追っていた別の鎮守府の艦隊が敵の補給線を見つけたのよ」

男「敵の攻勢を見据えての作戦、か?」

叢雲「というより先手必勝ね。体制を整えられる前に潰すってことらしいわ」

男「そのための四日か」

本来ならば今すぐにでも動きたい位なのだろう。

叢雲「幸い通常任務の哨戒や護衛はその影響で減らしていたから準備は比較的楽ではあるのだけれどね。それでも四日は大変だけれど」

男「こうして俺と話す時間も勿体ないくらいじゃないのか」

叢雲「本当はね。でもこういう話は直接するに限るから」

男「こちらとしては助かるよ」

叢雲「貴方、こういった事態の経験は?」

男「三度目だ」

叢雲「なら」

男「大体は分かるよ」

叢雲「OK。詳細はまた連絡するわ。とりあえず今日は二人とも部屋にいてちょうだい」

男「あぁ、了解だ」

叢雲「それじゃ」

男「あ、叢雲」

叢雲「ん?何?」

男「…ありがとな」

叢雲「いいわよ」ヒラヒラ

なんてことない風に手を振りながら戻っていく叢雲。しかしその足はいつもより速かった。

頑張れ、なんて無責任に言いかけてやめた。

叢雲がずっと頑張ってるのは見ればわかるのに。

俺にかけれる言葉なんてない。

男「何にせよまずは仕事だな」

秋雲と相談するためにモニターの電源を入れる。

男「おい秋「っしゃヘッショ!突っ込め突っ込めえ!」……」

なんか盛り上がってる。

秋雲「あ゛ーーニトロがあ!?」

男「…」

秋雲「うわぁタイミング悪すぎじゃんクソ~」

男「…」

秋雲「あ~萎えるぅ」チラッ

男「…」

秋雲「」

男「おはよう」

秋雲「おやすみなさい」
男「寝るな」

秋雲「申し訳ございませんでした」

カメラ越しの土下座って滑稽なだけで何の効力もないという事がわかる。

そもそもこいつの土下座は両手で足りない程度にはもう見てる。

男「いや、いいんだよ別に。仕事に問題が出なければ勤務時間外に何しようがさ」

秋雲「えー顔に文句あるって書いてあるぅ」

男「ルール上何も問題は無いけど心象的に言いたいことは山ほどある」

秋雲「是非墓まで持ってってねっ」

男「お前次第だ」

秋雲「ぅう…で、何さ急に」

男「昨日話してた作戦が四日後に開始らしい」

秋雲「はあ四日後!?早っ!これが締切なら私逃亡手段を探し始めるレベルよ!?」

男「もう少し粘れよ」

秋雲「しーちゃんの感じから急を要するとは思っていたけど、まさか翌朝に来るとはねぇ」

男「緋色をどうするか早速話し合わなきゃな」

秋雲「鎮守府の方はどうなのさ」

男「詳細は後でって言ってたが、ここから出られないのは確実だろうな」

秋雲「そりゃそうか」

秋雲「で、緋色ちゃんどーすんのよ」

男「部屋で勉強みてやるしかないだろう」

秋雲「まぁた部屋分けてやるの?」

男「いや、今回はちゃんと教えるよ。これを機に鎮守府や出撃時の事も教えなきゃだしな」

秋雲「すっごい嫌そうな顔してる」

男「マジか」

秋雲「何、ヤバいの?」

男「大丈夫だよ。まだ大丈夫だ」

秋雲「ふぅん」

男「なんだよその顔は」

秋雲「アドバイスしてあげよっか?」ニヒヒ

男「…癪だが頼む」

秋雲「そばに居るのがダメってんならさ、一度近づいて背中を押してあげるの。そして自発的に進ませて結果的に離れる。中途半端に距離とるのが一番ダメ」

男「珍しくマトモな意見だな」

秋雲「抗議するー今の発言には断固として異議を唱えるー」

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秋雲との話し合いの結果、とりあえず鎮守府の動向を見てからという事になった。

男『緋色、おはよう』コンコン

ドアを叩くと中からか細い声が返ってきた。

緋色『おはよぉ課長ぉさん』

男『入るぞー』

緋色『ぅん~』

いつものピンクのパジャマに身を包んだ緋色がベットに座っている。

男『眠いのか?』

緋色『なんていうのかしら、重いというか…ブレてる?そんな感じがするの』

少し虚ろな瞳は確かに眠さとは違う何かがあるようだった。

男『ほぉ。まあ体調が悪くないのであれば問題ないさ』

緋色の睡眠状態も依然謎のままだ。

艦娘は夢を見ないはずだし、心音も止まるはずだ。それなのに緋色は

緋色『そうだ。ここが何だかポカポカしたの』

男『ポカポカ?』

緋色『ええ。ほら、何か変じゃないかしら?』スッ
男『ブッ!?』

緋色がパジャマの首元を下げ胸元をさらけ出す。正直若干見なれつつある気もするがとにかく反射的に目を背ける。

緋色『課長さん?』

男『大丈夫だ、大丈夫だからとりあえず服を着てくれ』

飛龍『おっハロー朝食だよ~ってうわあ!服ぬがせてる!!ロリコンだあ!!』

男『待てえ!!』

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飛龍『なぁんだそういう事かぁ。私ゃてっきり』

男『てっきり何だよ、おい』

緋色『ろりこんって何?』

男『気にしないでくれ。それよりも』

飛龍『ん?なになに』

男『朝からこれか』

緋色『豪華ね!』

飛龍が持ってきたのはイクラ丼三人前だった。

飛龍『元々ねぇ、普段からあっちゃこっちゃ遠征でばらばらになってる吹雪型姉妹がさ、ほら!深海棲艦が出たからって出撃や遠征が減ったじゃない?』

男『らしいな』

緋色『いただきま~す』

男『いただきます』
飛龍『いっただきまーす』

飛龍『で!久々に姉妹で揃うからちょっとしたパーチーやろってなったの。長女自ら遠征先のお土産、イクラを持ってね』

男『って事はこれ凄く新鮮な物だったりするのか』

飛龍『多分そうじゃないかなぁ。よくわかんないけど』

緋色『こういうオレンジ色でプリっとしてるのは鮮度が良い証拠よ』

飛龍『へ~そうなんだ。知らなかった、な』チラッ

男『俺も正直わからん』

飛龍と目が合った。おそらく考えてる事は同じだ。

緋色、こういう知識はあるのか。

飛龍『でねでね!こんな事になっちゃったじゃん?もうパーチーどころじゃないじゃん?』

さっきから物凄い勢いで喋り倒している飛龍だが同じくらいの勢いでイクラ丼も食べている。凄いな。しかも食べ方が綺麗だ。どうやって両立してるんだこれ。

飛龍『悲しくもパーチーはお流れ。でも作戦後までイクラはもたない!でも適当に食べるのはそれはそれで辛い。

という事で吹雪ちゃんが間宮さん達に"託してたイクラは他の人に振舞って上げてください"って哀愁漂う表情で言ってきた』

緋色『…』ピタッ

緋色の手が止まった。まあ今の話聞いたら無邪気に食えなくなるわな。

後どうでもいいけど飛龍の吹雪のマネが妙に上手い。

飛龍『という話が鳳翔さん繋がりで入ったから私が少しもらってきたわけ。食べたかったんだけどさ、堂々と貰って食べるのは流石に後ろ髪引かれるものがあってね…』

男『だからここで誰にもみられないように食べたかったと』

飛龍『いぇす!』

十分に図太いのではなかろうか。

緋色『艦娘のお仕事って大変なのね…』

飛龍『普段はそんな事ないよ~。最前線ならともかく、ここら辺は戦闘自体殆どないし、そりゃあ長期間の遠征とかで中々会えない娘がいたりもするけど、基本的に休みはタップリ取れるから』

そうだ。艦娘は出撃に際してどうしても燃料や弾薬等を消費する。イタズラに出撃してもマイナスになる場合もある。

飛龍『ただ私達が本当に求められるのって緊急事態だからさ。何時どこでそれが起こるか分からないって覚悟してなきゃいけないの。普段の余暇の多さはそういう事態に備えてとも言えるわね』

男『消防士みたいなものだよな。何も起きないなら平和かもしれないが、それでも次の瞬間にはそれが起こっているかもと気を張ってなきゃいけない』

緋色『それは、辛いわ、きっと』

飛龍『こ~ら箸が止まってるわよっ』ツンッ
緋色『ぁうっ』

飛龍『大変っちゃ大変だけど、私達ヒーローだからねぇ。その分色々なものを貰ってるしイーブンよイーブン』

艦娘の皆が皆この飛龍みたいに力強く笑えるわけではないだろう。それでも少なからずこういった信念があるからこそ戦えている。

それはとても尊い事のはずなのに。

飛龍『ご馳走様』

男緋『『早っ』』

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男『ご馳走様』
緋色『ご馳走様でした』

イクラ丼は非常に美味しかった。非情にも。

緋色『ところで、その。一つ質問いいかしら』

飛龍『何何改まっちゃって~。ドンと来い』

緋色『さっき飛龍さんの言ってたこんな事って何?』

飛龍『あー大規模作戦のk』ハッ

ほぼ言い終わったところで飛龍が慌てて口を塞いで俺を見る。

緋色『なんだか鎮守府の雰囲気も変な感じで、何かあったのかなって』

男『その事については説明するつもりだったんだ。飛龍が来てくれたから手間が省けたし』

飛龍『あ、なんだ話してよかったんだ。はぁー焦ったー』

緋色『大規模作戦?』

男『悪いが飛龍、説明をお願いしてもいいか?』

飛龍『んぇ?いいけど、なんで私』

男『俺は知識だけだからな。現場の声の方が伝わると思って』

飛龍『なるほどなるほど。なら私に任せて!』

飛龍『まず上から命令の来る作戦ってのは大きく分けて2種類あってね。一つは鎮守府単体で行うもの。もう一つが複数の鎮守府共同で行うもの。今回はこっち』

緋色『複数ってどのくらい?』

飛龍『場合によるかなぁ。今回は即応性、機動性を考えて近場の四鎮守府での作戦だけど、例えば深海棲艦共がわっと押し寄せてきたとかなら十や二十の鎮守府でって事になると思う』

男『実際本土近海を取り戻すまではずっと総力戦だったらしいからな。いずれそういう時も来るだろう』

飛龍『他の三つの鎮守府とは交流もあるし連携は楽だと思う。でも流石にいきなりすぎだからな~。何が起こるか分からないってのが怖いかも』

緋色『ん~お仕事って大変なのね』

飛龍『大変よ、とってもね。辛いかどうかはそれぞれだけど、とても大変だって所は確か。私はそれが誇りなんだけどねっ』

男『…なぁ、こういう質問はするべきでないかもと迷ったんだが』

飛龍『なになに遠慮しないでドンと来てよ』

男『作戦の期間はどれくらいだと思う』

飛龍『それ聞くの躊躇する内容?』

男『機密かなって』

飛龍『あ~まぁダメって言われてないしだいじょうビッ』

不安だ…

飛龍『て言ってもそもそも期間は決まってないのよね』

緋色『そうなの?』

飛龍『推測、経験則でなら補給線潰しに三日ってとこかな。これは三日かかるじゃなくて三日以上かけるのはマズイって意味ね』

男『後は敵の戦力次第か』

飛龍『そゆこと』

緋色『飛龍さんも行っちゃうの?』

飛龍『へ?あー大丈夫大丈夫。ウチは戦力少ない方だから、一番ヤバいのは別んとこが引き受けてくれるって』

男『鬼ヶ島の所だろ。噂なら聞いたことある』

飛龍『へぇそんな有名なんだあの鎮守府。まそんなだからウチらはせいぜい乙くらいの難易度よ。楽じゃないけどそんな身構える程でもないって』

緋色『そ、そう』ホッ

嘘だな。乙というのは十分に身構える必要がある難度だという。

でもありがたい嘘だ。緋色に心配をかけさせたくは無い。

男『助かったよ。色々話してくれて。それに悪いな、時間取ってしまって』

飛龍『いいっていいって。むしろここに逃げてきたいくらいでさ』ハハハ

緋色『ありがとう、飛龍さん』

飛龍『…抱きついてもいい?』

緋色『え゛っ、い、いいけど…』

飛龍『緋色ちゃぁぁあ゛あ゛ん゛』ガバッ
緋色『~~~~ッ!!??』

再び二つの圧倒的な弾力に挟まれて悶える緋色。

今回は許可取ってるから止めるに止められない。

飛龍『よっし元気でた!それじゃあばっはは~い』シュバッ

男『ずっと元気100パーセントじゃねぇか』

緋色『』

男『…大丈夫か、緋色?』

緋色『おっきぃ…』

何が、とは聞かない。

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男『そろそろお昼か』

緋色『もうそんな時間なのね』

男『続きは後にして休憩にしよう』

緋色『もうちょっと、もうちょっとだけやるわ』

男『やる気だな』

緋色『皆も、頑張ってるから。私も負けてられないわ』

男『そうか。なら頑張ろう』

緋色のやる気は日を追う事に増しているようだった。他の艦娘を見て、なにか思うところがあるのだろう。

男『ん?』

廊下から足音が聞こえてきた。昼食を誰かが持ってきてくれたのだろう。こんな時に申し訳ない。

飛龍『はいはーい飛龍入りまーす!』

男『え』

緋色『あら?』

またお前かよ。

飛龍『イクラ丼美味しかった?』

男『何だ急に』

飛龍『美味しかった?』ズイッ

緋色『えぇ勿論。また機会があったら食べたいわね』

飛龍『ならちょうど良かったぁはいこれ』

イクラ丼が再び机に並べられた。

男『どういう事だこれ』

飛龍『みんな忙しそうでさ、余ってるっぽかったからつい』

男『お、おう』

お前は忙しくないのかよ。

緋色『やったぁ!早く食べましょう!』

飛龍『おーおー気に入ってくれてるようでお姉さん嬉しいな~』

男『まあ美味いしいいんだけどな』

緋色『これなら幾らでも食べられるわよ』

飛龍『上手いっ!』

緋色『え?』

飛龍『あれ?』

ダジャレでは無かったらしい。

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男『まさか二回連続で飛龍が来るとはな』

緋色『忙しいでしょうに、わざわざ持ってきてくれるなんて』

男『あれは本人が食いたいだけな感じもあるけどな』

緋色『でも美味しかったわ』

男『それはまあ。でも三回目は流石に勘弁だ』

緋色『いくらなんでも三食同じにはしないでしょう』

男『だな。さて昨日の続きだ。法律と軍規のどっちからやりたい?』

緋色『航海術がやりた~い』

男『それでもいいっちゃいいんだが、やるなら海に出てやりたいものでもあるからなぁ』

緋色『…暫くはお預けかしら』

男『残念ながらな』

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飛龍『こんばんわ~~』

男『』
緋色『』

飛龍『え、あれ、何この空気』

男『そんな気はしてたけど』
緋色『あ、でも丼じゃない』

飛龍『そうそう!流石に三連続は飽きると思ってイクラ巻きにしてみたの!作ったの私じゃないけどね!』

すっげぇ楽しそうに話すな。

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緋色『ご馳走様』

飛龍『お粗末さま~』

男『まさか本当に三食イクラとは。明日も持ってくる気じゃないだろうな』

飛龍『残念ながら在庫切れで』

緋色『あら』

男『食べたかったか?』

緋色『えへへ、正直ちょっとありかなって』

飛龍『それと伝言ね』

男『伝言?』

飛龍『叢雲から。今夜は忙しいからいつものはなしって。なになに毎晩何してたのぉ?』

男『知ってて言ってるだろ』

飛龍『さぁてねっ』

緋色『皆、大変ね』

飛龍『怖い?』

緋色『え』

緋色の何気ない一言。それを飛龍は真っ直ぐ捉えた。

緋色『怖くは、ないわ。でも不安で、少し怖い』

男『緋色…』

かける言葉が見つからなかった。一体何に不安を抱いているのか、何に恐怖しているのか皆目見当がつかなかったから。

飛龍『わかるなぁ、私もそういう時あったもん』

緋色『そうなの?』

飛龍『うんうん。昔ね、置いてかれそうな気がして怖かった』

緋色『置いて…そう!そうなのよ!多分それだわ!!』

どうやら緋色の中にあった何かを飛龍は知っていたらしい。緋色自身でも理解していなかった何かを。

飛龍『そういう時はともかく勉強と訓練!ただ闇雲に進むには海って強大すぎるから、まずは自分を鍛えよう』

緋色『はいっ!』

何にせよ緋色のやる気が出たなら問題ない。

男『今のは飛龍の経験談か?』

飛龍『まあね。海って目的もなしに立ってられる場所じゃないからさ、その目的を見つけるまでが大変なのよ』

男『艦娘にも色々あるんだな』

飛龍『誰だって色々あるのよ。課長もそうじゃないの?』

男『ま、そうかもな』

緋色『そうなの?』

男『多分』

飛龍『それじゃ私はこれで、おやすみ~』

男『おやすみ』
緋色『おやすみなさい』

男『緋色は何か目的があるのか?』

緋色『分からないわ。まだ』

男『そりゃそうか』

緋色『課長さんの目的って?』

男『秘密だ』

緋色『え~』

男『もし緋色の目的が見つかったら、それを教えてもらう代わりに俺も言うよ』

緋色『なら私、課長さんから目的を聞くのを目的にするわ!』

男『却下』

緋色『えぇ~』

男『ほら、風呂入って寝るぞ』

緋色『は~い』

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男「さてと」

翌朝、緋色用の教材を見直しながら支度をする。

秋雲に頼んでおいた物だが流石に出来がいい。普段からこういう真面目さを発揮して欲しいものだが、オンオフが激しいのがあいつの良さでもある。

そんなことを考えていると扉から聞きなれた声がした。

叢雲「おはよ」

男「おはよう」

廊下にいた叢雲は、なんだか昨日とは雰囲気が違っていた。

なんだろう、柔らかいというか。

叢雲「部屋、お邪魔してもいいかしら」

男「それはもちろん構わないが、いいのか?今忙しいんだろ?」

叢雲「えぇ。昨晩遅くまで忙しくした結果、今日の午前中は何も動けないと分かったのよ。だから司令官は部屋で休息中」

男「叢雲は?」

叢雲「ここなら誰にも見つからないでしょう?」

男「なるほど」

つまりリラックス状態なわけか。彼女の負担を少しでも和らげられるのならいくらでも手を貸したいところだ。

叢雲「意外と日当たりいいのねここ」

男「住んでみると快適なもんだよ。でここで何する気だ?」

叢雲「棚上げしてた仕事片付けるの」

男「それ休めてないだろ…」

叢雲「別に休む気は無いわよ」

男「なら何しにここに来たんだ」

叢雲「私、鎮守府じゃどこにいても秘書艦叢雲なのよね。だからこうしてただの叢雲としていられる場所って実は貴重な事に気づいたのよ」

男「イマイチわからんが、まあ落ち着けるんなら別に構わんさ」

叢雲「あ、せっかくだしその黒い箱見せてよ」

男「ダメだ企業秘密だ」

叢雲「ざ~んねん」

特に残念そうな素振りも見せず、当然のようにベットに腰かけ端末をいじり始める叢雲。

いつもの何処かピリピリとした、背筋を伸ばしてるような感じはない。これがただの叢雲という事なんだろうか。

叢雲「コラムとかって書いた事ある?新聞なんかにあるような」

男「コラム?普通ないだろそんな経験。なんでコラム」

叢雲「鎮守府内の新聞用にね。ネタが浮かばなくって」

男「そんな仕事まであるのかよ…」

叢雲「面白いわよ案外」

男「息抜きとしてか?」

叢雲「そんなところね」

男「そういや昨日三食全部飛龍が持ってきてくれたんだが」

叢雲「なに、なんかやらかしたあの娘?」

男「そういうんじゃなくてな。作戦前で皆忙しいんだろ?なのにアイツ随分暇そうというか、その」

叢雲「あーそういう。実際暇なのよあの娘」

男「え、そうなのか?」

叢雲「むしろそうして暇にしてるのが仕事と言ってもいいわね」

ますます分からん。

叢雲「駆逐艦や軽巡は遠征や護衛やらで忙しいわ。戦艦や空母はこういう時の重要戦力。艤装の整備や作戦前の打ち合わせやらで忙しい。重巡は数が少ないから普段から地味に忙しいわ」

端末に素早く文字を入力しながらもこちらとしっかり会話をする叢雲。

男「皆忙しいわけだ」

叢雲「そ。作戦が始まれば更にね。でも、みんな忙しかったらダメでしょ?」

男「ん?」

叢雲「作戦中、出払った鎮守府に敵が攻めてくるかもしれない。突如救助を求める船がでてくるかもしれない。戦況が一変して即時出撃する必要があるかもしれない。そういう想定外な緊急事態に対応出来る艦隊が必要なのよ」

男「つまり予備選力ってことか?」

叢雲「そう言ってもいいかもしれないわね。飛龍はウチでもかなりの古参で腕も立つわ。だから基本的に鎮守府近辺に留まって、後輩の指導や演習をしてるの」

男「それは、俺の考えが甘かったよ…すまん」

叢雲「私に謝っても仕方ないでしょ。というか飛龍に謝っても意味ないわよ」

男「ああ、そうだな」

叢雲「あの娘はね、どんなに楽しい時でももしその緊急事態が起こったら誰よりも早く出撃しなきゃならないの。

敵の戦力が一切不明でも、無事に帰れる保証なんてまるでなくても、誰かに見送られたり決心したりする間もなく出撃するのよ」

飛龍は言っていたな。自分達が求められるのは緊急事態の時だと。本当に文字通りだったわけか。

それなのにあんなに力強く笑えるのか、あいつは。

男「凄いな」

叢雲「ええ。それが飛龍が選ばれてる理由でもあるわ。飛龍以外の艦隊メンバーもそう。皆何よりも心が強いわ」

叢雲「ま、そーゆーわけでアナタ達の事あの娘達に任せる事は多くなると思うの。よろしくね」

男「俺はむしろ任される側だよ」

叢雲「それで、作戦中はどうするつもり?」

男「部屋で勉強だよ。記憶の方は一旦置いといて、艦娘としての勉強に集中しようかと」

叢雲「そ。海に出られるようになった以上そっちは確かに大切ね。分かったわ。なにか入り用なら今のうちに準備しときなさい。飛龍は好きに使っていいわ」

男「そうさせてもらうよ」

叢雲「そうだ、せっかくだから写真撮ってもいいかしら?記事に使えるかも」

男「残念ながらNGだ」

叢雲「あらら、何処の事務所に電話すればいいのかしら」

男「あー、しーちゃんのとこにでも頼むよ。情報扱いだろうしな」

叢雲「彼女の説得は私じゃ無理そうねぇ」

男「手強いぞあいつは。じゃ俺は緋色の所行ってくるよ」

叢雲「はいはーい」

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…誘われてるのかしら。

されげなく部屋を撮ろうとしたけれどしっかりNGされたし、所属なんかを期待して聞いてみたけれどはぐらかされた。

かと思えばこうして部屋に私だけを残して行ってしまった。

写真でも動画でも取り放題、なのだけれど。

叢雲「ムカつくわね」

誘い受けの罠にしか見えない。この状況で賭けをする理由は、流石に無いわね。

叢雲「あ~ぁ」パタン

どうにも遣る方無くなってベットに寝転んでみた。

ん、司令官と同じ匂いがする。なんで?

あーシャンプーとか司令官の買い置きの渡したからか。

叢雲「…同じね」

今まで司令官の匂いと思っていたけれど、つまるところシャンプーやらの匂いでしかなかったというわけか。

なんか癪だわ。知らなきゃ良かった。

そういえば加齢臭なるものがあるらしいけれど流石にそういったものはなさそうね。

司令官もいつか臭くなるのかしら。

今まで、司令官のものだと思っていたアレやコレやは、大半が鎮守府において人間が司令官しかいないから勘違いしていただけで、人間にとっては極々普通の事なのかもしれない。

叢雲「…」スーハー

それは少し、嫌だわ。


緋色『ぁ、あのー』

叢雲「ん?」

振り向くと入口に不思議そうな顔をした緋色と怪訝な面持ちの課長がいた。


あれ?私今これこの姿勢というか状況というか他人の部屋のベットで俯せで枕に顔突っ込んでてそしてそのえっと


叢雲『…課長』ムクリ

男『アッハイ』

叢雲『休憩終わったから帰る』

男『アッハイ』

叢雲『じゃ』

男『アッハイ』


扉をそっと閉めて全速力でその場を離れた。

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緋色『…叢雲、何してたのかしら?』

男『さーなんだろうなー』

よく分からんが深く突っ込んではいけないと本能が叫んでいる。

男『とりあえず、叢雲も帰っちゃったし一度部屋に戻るか。朝食が来たら緋色の部屋に行くよ』

緋色『はーい』タタタ

元気よく部屋に戻ってゆく。寝起きが悪いということはないようだ。

男「…でどうだった?」

「なーんもなし」

秋雲の声が箱から流れる。

男「何も?」

秋雲「写真も取らないしこっちを観察したり触ったりもなーんもなし」

男「そんなもんか。警戒しすぎたか?」

秋雲「どうかねぇ。でもなんか悶えてクンカクンカスーハーしてたよ」

男「いやその辺は、いいよ」

秋雲「見る?小型カメラだけどバッチリ映ってるわよ」

男「いいって。次会う時やりにくいからいいって」

秋雲「あーほら見て見て思いっきり枕に」
男「やめろマジで!」

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提督「ふぁ~…ぁ。ん?」

叢雲『…』モゾ

提督「おはよ、叢雲」

叢雲『おはよ…』

提督「どうしたのさ、こんな日の明るいうちから添い寝なんて。誰かに見つかるよ」

叢雲『精神衛生上必要な事だったのよ』

提督「それはそれでどんな状況なんだい」

叢雲『気にしなくていいわよ。もう大丈夫だから、ほら仕事よ仕事』

提督「はいはい」

司令官から見えないようにそっと胸に手を当てる。

間違いようがない。この鼓動だけは、唯一無二だ。

他の誰でもない司令官の。

叢雲は無自覚に依存度が高いタイプ

一時期のSS速報の不安定さからこちらでの更新は半ば諦めていたのですが、他所に移るにせよ一度書き始めたものは終わらせなければなと。
遅くなりましたが可能な限りは続けていきたいと思います。

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男「今日か」

目が覚めた。

朝の鎮守府はいつも通り静かで、ザワついていた。

この雰囲気には覚えがある。

あれから数日。

今日は作戦の決行日だ。

ヒトロクマルマル。

叢雲は部屋には来ない。

男「秋雲」

秋雲「はいはい起きてますよーっと」

箱から秋雲の元気な声が聞こえる。

男「どうだ?」

秋雲「面白いニュースがあるわよ」

箱の画面が起動する。そこにはテレビの速報が流れていた。

男「こいつは確か、中央のトップだったか」

秋雲「他にも軍のお偉方が何人か」

男「このタイミングで会見ってことは」

秋雲「作戦の発表だろうね。大々的にさ」

妙だな。

普通この程度の規模の作戦をこんな大々的に発表したりしないはずだ。

男「今しーちゃんに連絡取れると思うか?」

秋雲「忙しそうだしなぁ。多分連絡自体は取れると思うけど、どうする?」

男「いや、やめとくか」

秋雲「それがいいと思うよ」

もう政界には関係のない身だ。気にしても仕方ないだろう。

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男『おはよう』

緋色『…おはよ』

男『どうした?』

緋色『いよいよ今日なのね』

男『あぁ。何か思うところがあるか?』

緋色『重いわ、とても』

男『それは、俺にも何となくわかるよ』

緋色『私もいつか、向こうに立っているんでしょうね』

そう言って港の方を見る。

男『嫌か?』

緋色『ううん。でもやっぱり重いわ』

男『大丈夫だよ』

緋色『えぇ』

外は晴れ渡っていたが、鎮守府の空気は大雨の中外に出なくてはならない時のような気の滅入る重さがあった。

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飛龍『いやぁ朝会だるかったァ』ノビー

作戦前の集まりの後、飛龍が朝食を運んできてくれた。

男『仮にも作戦中なのに早々にこんなところでくつろぐなよ…』

飛龍『私真面目な空気は壊したくなるタイプだからさぁ、我慢するの大変なのよ。あ、海の上は別ね!』

緋色『え、飛龍さん真面目な時あるんですか?』

飛龍『あるよ!?』

正直緋色の疑問はもっともだと思う。

飛龍『そんなこと言ってるとせっかくのプレゼントあげないわよ~』

緋色『プレゼント?』

飛龍『そ!ちょっとまっててね~』

そう言うとわざわざ部屋の外に隠していたらしい箱を持ってきた。

男『朝食と別にこんなもの持ってきてたのか』

緋色『何かしら!』

飛龍『そこはお楽しみよ。ほら開けて開けて』

片手で持てる程度のそこそこな大きさの箱を緋色が丁寧に開ける。

プレゼントとは言うがお店で買うような丁寧な包装の物とは程遠い、無骨な感じの箱だ。一体なんなんだろうか。

男『え?』

緋色『これって…』

飛龍『そう!単装砲よ!』

男『12cm単装砲、だよな』

ネズミ色の四角い箱から伸びる砲塔。見間違えることは無い。

飛龍『んーかな?正直私はよくわかんない』

緋色『わあ凄い!本物?』スチャ

男『待て待て!いいのかこんな物騒な物普通に持ってて!』

飛龍『大丈夫大丈夫。偽物だから』

緋色『そうなの?』

飛龍『夕張と明石が緋色の訓練用にって作ったんだって』

男『なるほどな。ビックリした…』

飛龍『でもタダのレプリカってわけじゃないわよ~。なんせあの二人が作ったものだからね』ニヒヒ

男『なんだよその不穏な感じは』

飛龍『ちょっと構えてみて』

緋色『えっと、こうかしら』

左手で単装砲を持ち右手で側面を支える形で胸の前に構える。

飛龍『そうそう。じゃ私が合図したらトリガー引いてみて』

飛龍が緋色の後ろに回り込み、単装砲のセーフティーレバーらしきものを外す。

飛龍『てぇー!』
緋色『はい!』

トリガー。本来単装砲には存在しない部分だ。そこは練習用のレプリカ故だろう。

そのトリガーを緋色が引くと

緋色『キャッ!?』

ガイン、という妙な金属音と共に単装砲が上に跳ね上がった。

そのまま緋色の顎か鼻辺りに直撃しそうだった単装砲を飛龍が後ろから素早く押さえつける。

緋色『び、びっくりしたぁ…』

腰が抜けた緋色を支えながら飛龍が再びセーフティーレバーをかける。

飛龍『ふふ、どうだった?』

緋色『思ったよりも大きかったわ』

男『俺もだ。なんというか…』

例え小さくてもそれは軍艦に搭載されていた兵器。ちゃちな拳銃なんかとは別物だと理解していたつもりだった。

それでも軽々とこれらを操る艦娘を見て、それほどたいしたものじゃないと思っていたのも事実だった。

飛龍『普段は私達が腕力にもの言わせて押さえつけてるものだからさ、課長さんなんか撃ったら骨の一本二本は覚悟しなきゃよこれ』

男『肝に銘じておこう…それ中身はどうなってるんだ?』

飛龍『中身は知~らないっ。でもなんかアレしてこれして上手いこと本物みたいな反動にしたんだって。あの二人の暇つぶし品だから無駄に凝ってるわよ』

緋色『このレバーが安全装置?』

飛龍『詳しい使い方は中の仕様書見てってさ』

男『ちゃんと仕様書まで作ってあるのか』

箱の中を見てみると中に小さな紙が入っていた。どうやら一枚の紙を折り畳んで冊子風にしたものらしい。

ご丁寧に表紙や中身には図以外に手順を分かりやすくするためのイラストがいくつか添えられている。

男『秋雲だなこれ』

飛龍『え、凄い、なんでわかったの?』

男『そりゃあ…なんとなくな』

緋色『前にイラストが得意って言ってたけれど、とても綺麗ねこれ』

男『だな』

単装砲のイラストはどの角度の絵も実に正確に描かれている。

それとは逆に添えられている夕張や明石のイラストは二頭身程の人形のようなディテールで、ポーズや表情のバリエーションに富んでいた。

きっとどちらも描いていて楽しかったのだろう。

飛龍『ちょくちょくこういう仕事やってるのよあの娘。新聞とか掲示板とか、あと艤装にペイントとかね!』

緋色『へぇ~』

男『ん?艤装に無断で描くのって禁止じゃなかったか?』

装備は軍の所有物であり、その扱いは極めて厳格に定められているはずだ。

飛龍『おぉやっぱ詳しい。でもほら、魚雷とかは一度使ったら終わりでバレないからってさ』

男『そう来たか』

緋色『でもそれってなんだか勿体なくないかしら』

飛龍『験担ぎってやつよ。駆逐艦の間では恒例になってるわ。当たりますようにって』

男『当たるのか?』

飛龍『当たる』

緋色『おぉ!』

飛龍『と思って発射するからでしょうね。そういう心持ちが大切だから、効果は確かにあるわ』

男『理にはかなってるわけだ』

緋色『飛龍さんもペイントしてもらったりした事はあるの?』

飛龍『私はないのよねぇ。ほら空母って甲板と艦載機が装備なわけだけど、どっちも色とか書いてある文字なんかで見分けたりするからそういうのやると危ないのよ』

緋色『色?』

飛龍『あり?まだ未履修?』

男『レクチャー頼んでもいいか先生?』

飛龍『ラジャっ!』サッ

よく分からないポーズをとったかと思うと飛龍の左腕に今まで無かった飛行甲板があらわれた。

飛龍『私達はさ、艦載機を飛ばすのは弓だけど着艦はここなわけ。でも空母が複数いるとどの甲板に降りればいいかわからなくなるでしょ?だから目印とかがあって、コロコロペイントとかしてると艦載機達が分からなくなっちゃうのよ』

神風『うーん?』

男『…例えば飛龍と蒼龍が並んでたとして、分からなくなるものなのか?』

飛龍『んっとね~、見た目は問題ないんだけど、んん、難しいな。例えるなら電波ね。私が橙色で蒼龍が青色の電波。これに余計な要素を足しちゃうと電波が変わっちゃって混線しちゃうーみたいな?』

緋色『ラジオのダイヤル調整みたいなものかしら』

飛龍『おぉそれいいわね。それでいきましょう!』

男『結構繊細なんだな。正直もっと自由に操れるものだと』

飛龍『艦娘は基本的に内に秘めてる力を放出するものだけれど、私達空母は放ったそれを繋ぎ止めて操らなきゃいけないもの。それも幾つもね。だから潜水艦に並んで特殊なのよ』

緋色『潜水艦…』

飛龍『潜水っ娘達とはまだ会ったことないんだっけ』

男『あぁ』

流石に潜水艦という線は無さそうなので特に接触の機会を作ってはいなかった。

飛龍『そのうち分かってくるわ。私達にも色んなのがいるってね』

男『そういえば、飛龍はこの後どうするんだ?』

飛龍『午前中はここにいるつもり。コレの撃ち方とか教えられるし。午後はちょっと野暮用が』

男『了解。なら緋色へのレクチャーは任せるよ』

緋色『よろしくお願いします!』

飛龍『まっかせなさぁい』

緋色『こう?』

飛龍『もうちょっと横で、そうそう。結構上に跳ねるから』

2人共楽しそうだった。

ふと、小学生くらいの時に上級生から輪ゴム鉄砲の打ち方を教わったのを思い出した。

こんな楽しそうに撃ち方を教わってていいのだろうか。深海棲艦を、命を軽く消し飛ばせるモノを。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

飛龍「そういうとこ、やっぱ気になる?」

午後になり緋色へのレクチャーを終え帰ろうとする飛龍に、その話をしてみた。

飛龍「私も最初は特に疑問には思わなかったわ。というか今も疑問に思ってはないけどね」

そう言いながら右手で銃の形をつくって俺に向ける。

飛龍「こういうのが当たり前だからさ、私達。怖いとか、そういうのはない。それが人とズレた感覚だってのは分かるけどね」

男「そういうものか」

飛龍「この国は武器を持つ感覚に疎いからね。善し悪しは別としてさ。だから」

左眼を瞑り、人差し指の狙いを定める。

飛龍「バァン」

男「…」

飛龍「こーゆーとこも含めてさ、だからきっとここに壁があるんでしょうねぇ」

コンコンと扉を叩くように俺との間をノックする。

男「壁なら壊せるさ」

飛龍「お、カックィ。期待してるからね~、それじゃっ!」タッタッタッ

廊下を駆けてく飛龍にそれ以上何も言えなかった。追うことも、手を伸ばすことも。

きっとそれが壁なのだろう。

男「ま、確かにビビってたら戦場でやってけないもんな」

そういう意味じゃ緋色が武器に対して抵抗がないのはとりあえず良しとすべきなのかもしれない。

男「武器、か」

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

男「武器だ」

秋雲「え、なに急に、どしたの」

すぐさま部屋に戻り秋雲に話しかけた。

男「艦娘にはそれぞれその艦に合った武器があるだろ?」

秋雲「あ~そういう事。確かにね」

俗に言うフィット装備。生前からの馴染み深さやその艦の性能に沿った装備が本来のスペック以上の性能を発揮できるというやつだ。

男「でもそれだけじゃない。例えば初期装備なんかもそういう馴染みのある装備と言えるだろ?」

秋雲「初期装備ねぇ。私はそこら辺わかんないにゃぁ」

男「秋雲という艦娘は12.7連装砲だったよな」

秋雲「そそ。でも同口径の連装砲にも色々あっからね~。私のは亀って呼ばれてたやつ。陽炎とかは像だったかな」

男「同じ口径でも色々種類があるからな。だから逆にそこから特定できるんじゃないかって」

秋雲「ふむふむ。記憶にはなくても身体に染み付いてるクセみたいなのって艦娘にはあるしね。実際に触ってみたら思い出す可能性はありよりのあり」

男「何より他に糸口もないしなぁ」

秋雲「でもどうすんの?実際に緋色ちゃんに装備持たせるってわけにもいかないし、何より今作戦中だしょ」

男「装備の方は夕張達がレプリカを渡してくれてな。反動まで再現した凄いやつ」

秋雲「流石ねぇあの拘り技術者ズ」

男「作戦中は無理でも、今後のことを考えて話してはおこうかと思ってな。後秋雲は装備についてもう一度今の視点で調べ直してくれ」

秋雲「オーキードーキー。夕張達にはなんて?」

男「今メッセージで送ったところだ。作戦が落ち着いたら何かしら反応をぉわっ!」

手元の端末から慣れない音が鳴る。

秋雲「連絡?」

男「お、おう」

秋雲「…夕張?」

男「…ぽいな」

はえぇよ。

男『もしもし』
明石『面白そうなこと言うじゃないですかあ!』

スピーカー機能をオンにしたんじゃないかという程に大きな声が部屋に響いた。

秋雲「…」
男「…」

画面の秋雲と無言で見つめ合う。

うん、このテンションには覚えがある。

男『あれ、この連絡先夕張じゃなかったっけ』

明石『あーこれ工廠共通アカなんですよ。つっし、秋津洲とか他にも数名いますよ』

アカウント名、メロン海峡なのにか。あ海峡って明石海峡か?分かりにくいわ。

男『待て待て、そっちは作戦中なんだろう?』

明石『皆が出撃やら作戦会議してる時は暇なんですよ。暇なんです』

二回言った。

男『あーつまり?』

明石『今すぐウチに来てください!』

工廠をウチと呼ぶその楽しそうな声は、何処の明石も変わらないな。

男『残念だが叢雲から一応軟禁を言い渡されていてな』

明石『…ではちょっと待ってて下さい』

通話を切らずに、端末を何処かに置いたような音がした。

秋雲「どうよ」

男「おい、声聞こえたらどうすんだよ」ヒソヒソ

秋雲「へーきっしょ」アハハ
男「…」
秋雲「ゴメンナサィ」

明石『あ、オッケーだそうです』

男『え?あ、なんて?』

明石『内線で聞いてきました!というわけで今すぐ来ちゃってください!』

男『いいのか?本当にか?』

明石『そ、そんなに疑わなくても…あーでも緋色ちゃんは絶対に部屋から出さないように~と』

男『分かった、向かうよ』

明石『お待ちしてま~す』ピッ


秋雲「行くの?」

男「のようだ」

秋雲「なら二人によろしく言っといてネ」

男「言えるわけないだろ」

誰にも、言う訳にはいかない。

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叢雲から釘を刺されたので緋色には暫く部屋を空けることを伝える必要がある。

しかしなんでOK出したんだろうか叢雲。

男『緋色』ガチャ

緋色『あ』

男『え』

そこにはいつも通り机に座りプリントや本を広げる緋色の姿はなく、実に楽しそうに単装砲を構える艦娘の姿があった。

緋色『え、えっとぉ…』サァ

一瞬青くなって

緋色『これはそのぉ!』カァ

赤くなって

男『これはその?』

緋色『ほ、本能です!』バァン

開き直った。

余計な知恵付けやがって。

男『楽しいか?』

緋色『ごめんなさい!』

男『いや、違うんだ。サボっていたのはこの際いい』

緋色『いいの!?』

男『あ、うん』

つい許してしまうのは甘いのだろうか。でも見た目でいえば小中学生に当たる娘を怒るって中々難しいと思う。

男『そういうのじゃなくて、単純にそれを持ってみてどう思ったか知りたくてな』

緋色『楽しい、というより憧れかしら?私も早く一人前にならなきゃって』

男『なるほど。よし、なら勉強さぼっちゃダメだな』

緋色『うぅ…』

男『それと暫く出かけてくるから、部屋で待っててくれ』

緋色『はーい』

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工廠は鎮守府の中心からは少し離れているが港に近い。だから近くに行くといつも艦娘達の声や音がした。

今はとても静かだ。

なんとなく海沿いを通りながら工廠に向かう、その途中だった。

男「…え」

伊401『』スヤァ
伊19『』スヤァ
伊14『』スヤァ

男「……え?」

そろそろ夏かぁと思える程にはじわりと肌に刺さるようになってきた太陽がさんさんと降り注ぐ港のコンクリートのその上。

打ち上げられたアザラシか、はたまた釣り上げられたマグロか、とにかくそんな感じで三人の潜水艦が川の字に並んで横たわっていた。

周りには何も無く日向ぼっこだと言われればそうとしか思えないような状況ではあるのだが。

男「…」

微動だにしない三人に何か声をかけるのは不味い気がしたのでそのままゆっくりと工廠に向かった。

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明石『あ~天日干し中ですね』

男『天日干して』

明石『陸離れの話は前に聞いてましたよね?』

男『あぁ』

明石『潜水艦達は水上艦よりも長く、またさらに地上と切り離されますから、個体によっては帰投後ああして日光とか地上の感触、重力に慣らさないといけないんですよ』

男『そんなものまであるのか』

宇宙飛行士が地上に戻った時なんかはリハビリが大変だという話があるが、それと同じようなものか。

明石『あの三人は特に重症でして。多分海と親和性がありすぎるんでしょうねぇ。ホントに何しても起きませんよ、あの状態だと』

男『まるで試したことあるような口ぶりだが』

明石『試したことあるんで』ドヤァ

男『…』

深くは聞くまい。

明石『それで、装備の種類でしたよね。まずは今と同じ単装砲で試していきましょうか?』

男『あのレプリカは、たしかハンマーってやつだろ』

明石『俗称の方を知ってるとは中々通ですねぇ。単装砲だと後はブリキ、?(オモテ)なんかがありますね。12.7連装砲だとA型、像、亀、ブラシ、箱等々色々ですし、でもハンマーで違和感なく使えてるのならブリキ辺からの方が馴染みやすい?そっちの方が作るのも早いし、あーでもでも連装砲の方も試したいからそれならブラシとかいっちゃう?後は反動かぁ、連装砲となるとぉ、いや敢えて逆にする?しちゃう?』ブツブツ

おっとこれはもう話してるんじゃなくて思考が漏れてるだけの状態だな。完全にスイッチが入ってしまっている。

どうしようか。考え中なら邪魔しない方がいいんだろうが…

明石『よし!』パンッ
男『うぉ!?』ビクッ

明石『暫く中で考えるんで他の話しませんか?』

そう言って自身のこめかみをコンコンと叩く。

艦娘お得意の並列思考か。

明石『ちなみに課長さんは何か要望あります?』

男『そちらに任せるよ。餅は餅屋だ』

明石『最っ高のご要望です』フフ

男『そういえば夕張は?』

明石『出撃があるみたいなので提督と話してると思いますよ』

男『ほぉ』

工作艦という特殊な艦首の明石と違って夕張は軽巡だ。当然出撃もあるわけか。

明石『そうだ、せっかくだし外の潜水艦達見に行きます?』

男『見に行くって、何かあるのか?』

明石『えぇえぇ、きっと面白いものが見れますよ』

正直かなり興味がある。ここは断る理由もないか。

男『よし行こう』

明石『では!』

明石がすぐ側にあった何の変哲もないバケツを掴んで外へ向かう。

何する気だよ…

ギリギリイベント突破できた提督

同じ連装砲でも見た目はかなり種類がありますよね。
そもそも連装砲なんかを手に持って撃ったらどういう方向に反動が働くのでしょうか。
実物の知識はないのでそこら辺は適当こいてます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

伊401『』スヤァ
伊19『』スヤァ
伊14『』スヤァ

男『酷い絵面だ…』

並べられているのが港じゃなければ微笑ましい昼寝風景なのだが、やはりここだと魚市場にしか見えない。

明石『この状態だと殆ど何しても起きませんよこの娘達』

男『そんなに眠りが深いのか』

明石『眠り、という表現は適切じゃないでしょうね。では何が適切かというと上手い言い回しが出て来ないのですけれどね』

男『今どれ位ここで寝てるんだ?』

明石『大体四時間くらいですかね。平均で八時間くらいはこうしてますよ』

男『凄いな…ほんとどういう状態なんだ』

明石『例えば、ほい』グイ
男『うぉ!?』

明石が伊14の瞼を開ける。右の瞳に真上から日差しが差し込むが確かに反応する気配はない。

明石『起きないんですよね~これでも』

男『怖いから瞼閉じてあげて』

明石『課長さんも何かします?しおいちゃんならスク水脱がすくらいでも起きませんよ』

男『やったの?それ試したの?』

明石『あはは、それはともかくとして今回見せたかったのはですねぇ』

明石が一体何をしたのか何を置いてもまずたしかめるべき事な気もするが。

明石『ちょっと待っててください』

そう言って海の方へ行き海水をバケツに汲んでくる。

男『かけるのか?』

明石『そりゃもう盛大にっ!』バシャッ

打ち水感覚でバケツ1杯の、バケツいっぱいの水を三人にぶちまける。

日に焼かれた状態にいきなり海水というのはかなりの衝撃のはずだがそれで三人は微動打にしなかった。

だらしなく口を開けて眠る伊14の口にも海水がいくらか入るが少しも反応はない。少し細すぎる気もする身体に海水が走る。

伊19の、その、胸に思いっきり海水が直撃するがこちらも無反応だ。スク水は新品のように水を弾き、光を反射させながら滴り落ちる。

伊401も、

男『ん?』

妙だ。気のせいかとも思ってもう一度じっくりと観察する。

他の2人と変わらずこちらも反応はない。

生まれつきの特徴とも言える程よく焼けた華奢でいて力強い手足や呼吸に合わせて上下するお腹や隣と比べるととても控えめな胸囲も変わらず海水が滴り落ちる。

いや、落ちていない。

弾かれ染み込むでもない海水は確かに動いてはいるが、それは明らかに重力に従っていなかった。

男『足先に向かってないか、これ?』

明石『今はしおいちゃんだけ見たいですね。ほか二人は結構慣れてきてるみたいです』

男『どういう事だこれ』

明石『課長さん、この娘達が海中で動く時、どうやってると思います?』

男『どうやってってそりゃ、泳ぐ?』

クロール?平泳ぎか?いやいや、そもそもそんな人間みたいなやり方で海中を動けるのか?

明石『私達海上の船と同じですよ。この娘達の場合はほぼ全身に推進力みたいな物が働くんです』

男『推進力?』

明石『厳密には全然違うんですけれど。つまりこの海水の動きみたいにって事です。海の中ではこんな水滴じゃなくて周りの水をどんどん掻き分けてるんですよ』

男『マジか…』

伊401の太腿に触れてみた。

軟らかい。

日光で焼けた身体は思ったよりも熱い。

身体を下に下にナメクジのように動く水滴が俺の指先にくっついた。

水滴のついた指をそっと持ち上げると、途中で重力に負けた水滴が再び太腿に落ちて、また足先を目指して進行を始めた。

男『な、なんも分からん…起きてる事象一つ一つは子供でもわかる事なのに、こうして目にすると頭がおかしくなりそうだ』

明石『分かったら苦労しませんって。ちなみにこの海中モードの時はまだ陸に上がれてない証拠です。彼女達にとっての地上は、私達で言う海中か、あるいは宇宙空間に当たるのかもしれませんね』

男『つまり伊401、しおいはまだ海で泳いでる途中のつもりなのか』

明石『多分そんな感じです』

男『こんなふうに、泳ぐのか』

明石『さっきみたいに目に対する反応がないのもそれが理由です。海中じゃ目なんてなんの意味もないですから、潜水モードだと刺激を受け付けてないんですよ』

男『そりゃそうか。海なんて少し潜れば真っ暗だしな』

明石『ち な み に 、牛乳とかお酒とか醤油とかだとこうはなりません!』

男『試したってそれか!?』

明石『水はいけるんですけどねぇ。死海レベルで濃い塩水とか。あ、なんとプールの水はダメだったんですよ!ローションも!』

男『それちゃんと本人に許可取ってんだろうな…』

伊14『ぅわあしょっぱ!!』カバッ
男『!?』

明石『あら、おはようございます』

伊14『暑い!眩しい!あれなんか濡れてる?』

目が覚めて口の中に入った海水に反応したらしい。

伊14『あー!明石さんまたなんかかけたでしょぉ』

明石『今日はただの海水よ』

伊14『本当にぃ?おしっことかとかじゃないよね…提督もさぁ見てないで止めてよね~』ペッペッ

尿をかけかねないと思われてるあたりがまた。

男『ん?』

明石『あら?』

伊14『へ?あり?提督じゃない?えっとー、カチョーさんだカチョーさん。あれぇっかしいなぁ』

どうやら俺を提督と間違えたようだ。

間違えた?どうやって?

明石『…まあ鎮守府で男性って言えば提督位でしたもんね』

伊14『違う違う。浮上前だから薄らとだったけど、明るかったからさ。てっきり提督かと』

意味はよく分からないがどうにも起きる前から何かを認識していたらしい。しかし目は見えていないのに明るいとはなんだ?

男『…』チラリ

明石『?』

明石と顔を見合せる。向こうもさっぱりらしく分からないとジェスチャーを返してきた。

伊14『は!今ならお昼間に合う!?』

明石『そうですねぇ。ギリギリ行ける?かな?』

伊14『こうしちゃいられない!っとと』フラフラ

男『お、大丈夫なのか?』

伊14『へーきへーき慣れてっから!』

まだ少し身体がふらついてはいたが転ぶこと無く建物へ戻っていく。

男『不思議な体験だった…』

明石『私も少し予想外でした。それとアイデアまとまったので工廠に戻りますね』

男『アイデア?あーそうか単装砲の件で来てたんだったな。なら俺も緋色の所に戻るか』

ずっと並列して考えていたんだったな。

男『実際どうだろうか。装備で記憶が戻るってのは』

明石『艤装の一部ですからね。フィットなんてのがあるように装備と艦娘の繋がりはそれなりに深いものがあります。記憶を戻すきっかけとしては、文字通りいい衝撃になる可能性はあると思いますよ』

男『期待したいところだな』

正直他は手詰まりだ。

明石『それと、たまにはウチにも顔出してくださいよ。今日みたいに面白いものが見れるかもしれませんし』

男『興味が無いと言ったら嘘だが、あまり無闇に関わるべきじゃないだろ?』

明石『叢雲がそう言ったからですか?』

男『それもある、が俺も同意見だ』

明石『貴方のような外部の人間との接触は私達にとって良くも悪くも色々な影響がありますからねぇ』

男『あぁ、だから』

明石『だから私は良い方を見たいです。勿論立場のある叢雲や貴方が悪い方を気にするのも分かります。でも鎮守府にとって変化というのはそれだけで価値があると思うんですよ』

男『それは工作艦としての意見か?』

明石『それもあります、けど私個人の意見でもあります』

男『…ま、たまには顔を出すよ。叢雲に怒られない程度に』

明石『おお!それではまたのご来店お待ちしております』

するべきでは無い約束をしてしまった気がする。

でも嬉しかった。

俺と関わる事が何か良いきっかけになるかもしれない。自分で考えると自惚れや願望でしかないが、こうして艦娘から言われることに舞い上がっている自分がいた。

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男『戻ったぞ~』ガチャ

緋色『!』ビクッ

男『?』

緋色『お、おかえりなさぃ…』

部屋の角でこちらに背を向けたまま蚊の鳴くような声を出す緋色。

男『何やってんだ?』

緋色『そのぉ…あのぉ…』

泣きそうな声を絞り出す緋色の真後ろまで近づいてみる。

何かを隠そうとしているようだがこの小さな身体では限度がある。

男『壁、穴空いてないかそれ』

緋色『つ、机がぶつかって?』

男『お前の肩の高さだぞそれ』

緋色『あぅ…』

男『それにこの色…』

ペットボトルのキャップ位の凹みにはネズミ色の跡が残っていた。机じゃこんな色はつかない。

となると。

男『何回撃った』

緋色『た、たくさん…』

部屋の隅に申し訳なさそうに置いてある12cm単装砲のレプリカを見る。確かに角がひとつ少しばかり禿げている。

男『怪我は?』

緋色『おでこに一回当たったわ…でも怪我はないわよ!』

男『ならまあ良、くはないが』

緋色『ゴメンナサィ』

男『明日は飛龍に頼んで多めに訓練してもらうか』

緋色『ホントっ!?』

男『目を輝かせるんじゃない』ポン

緋色『ぁう』

勉強を教えたり、ご飯を食べたり、そういう生活で忘れていた。

緋色にとってこういう事こそ日常なんだ。

今この時、水平線の向こうで戦っているその姿こそ艦娘なんだ。

男『お互い慣れていかなきゃな』

緋色『お互い?』

男『とりあえず壁の事を叢雲に話そう』

緋色『え゛』

男『俺も謝るから』

緋色『ぅん』

この後めちゃくちゃ怒られた。

秋刀魚スコア99

艦娘がどうやって浮いていてどうして進めるのか、というのは人によって様々に解釈があって好きです。
とりわけ潜水艦は独特な解釈が多く見受けられる印象ですね。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

男『なあ飛龍』

飛龍『ん~?』モグモグ

男『こうして毎朝、毎日来てくれるのはありがたいんだがな』

携帯画面「次は今週のお天気予報です」

緋色『ん、見て見てこれ』

飛龍『なになに?』

男『食べながら携帯を弄るんじゃありません』

緋色『はーい』

男『でな、飛龍』

飛龍『はいな』

男『毎日ここに入り浸り過ぎなのでは』

飛龍『あ、台風だ』

緋色『台風』

男『台風?』

緋色『四号だって』

飛龍『いつの間に四人も生まれてんだって話しよね』

緋色『こっち来るみたいね』

飛龍『こりゃあちょっと忙しくなるわよ』

緋色『どうして?』

飛龍『艦娘ってのは雑多に言えば本来の姿から百分の一とか二百分の一スケールになってるわけだけど、当然それだけ小さくなると色々影響があるわけ。はい緋色!』

緋色『えっと、戦闘距離、航続距離が短くなる。索敵の難易度が上がる。後は、海に弱くなる』

飛龍『正解!偉い!』

緋色『よし!』

飛龍『船は海に強いってイメージがあると思うけれど、実際はどうにかしがみついてる位なもので、自然がちょっと本気出したらあっという間に海の藻屑だものねぇ』

男『現代の船であっても嵐は脅威そのものだものな』

飛龍『極端な話デカけりゃデカいほど強いわけ。コスト無視するなら』

緋色『私達はヒト一人分の大きさだものね』

飛龍『波は怖いわよぉ。荒れた海なんて大口開けて襲いかかる化物同然だもの』

男『つまり』

飛龍『台風が来たらお休み!』

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作戦の一時中断、になるそうだ。

さらに鎮守府でも台風対策をしなくてはならない。

勿論海沿いの建物だ。そこら辺元々対策はあるのだろうが、それでも準備は必要なのだろう。

叢雲『で、問題はこの建物なのよ』

長屋とか呼ばれてる俺と緋色のいる建物に叢雲がやってきた。

叢雲『以前は全く使ってなかったから窓とか全部板打ち付けてお化け屋敷みたいにしていたのだけれどね』

飛龍『中々迫力ある見た目してたよね~』

叢雲『で、今回それらをとっぱらっちゃったから、改めて台風対策しなきゃいけないわけ』

男『見るからに頑強さとは程遠い見た目してるものなここ』

緋色『具体的にはどうするの?』

叢雲『板貼るしかないわね。部屋の窓はシャッターがついているけれど、廊下の窓は塞ぐ他ないわ』

男『結構な仕事量になりそうだな』

叢雲『予報通りなら三日は時間があるもの。どうにかなるわ』

叢雲『というわけで飛龍よろしく』

飛龍『一人!?流石に私だけはちょっとキツくない?』

叢雲『と言ってもこっちも人員はあまり割けないし』

男『叢雲の方も忙しいのか?』

叢雲『鎮守府自体は別にいいのだけれど、作戦用に運んだ補給物資とか奪い返した海域の守りとかで外に出なきゃいけない人員が多いのよ』

飛龍『んー蒼龍空いてる?』

叢雲『他の空母はちょっと、あ、そうでもないか…うーん、行けるわね』

飛龍『別に無理にとは言わないわよ?』

叢雲『いえ。嵐となると基地航空隊も避難させなきゃいけなくなるし、そうなると後で基地に行く予定だった空母はこっちで待機になるわ』

飛龍『あそっか。なら蒼龍借りてくね』

緋色『ねえ私は?私はどうする?』

叢雲『勿論働いてもらうわよ。えっと、ここの板張りって誰がやってたかしら?』

飛龍『えっと、そーだ鈴谷だ鈴谷』

叢雲『そういえば得意だったわねこういうの』

飛龍『よっし早速呼ぼう』

叢雲『まずは板を取りに行ってもらわなきゃ』

男『ここの窓全部となると結構な量だよな』

緋色『どうやって貼るの?』

叢雲『釘とかで固定して』

男『壁に釘さしてもいいのか?』

飛龍『もしもし鈴谷?今暇?そうでもない?OKちょっと長屋来てくんない?そうそう。そこら辺は大丈夫。後ついでに蒼龍連れて来て~。うんうん。じゃ後で』

叢雲『なんて?』

飛龍『暇だったから来るって』

叢雲『港の荷物運び手伝ってるはずなのだけれどね…』

飛龍『おっと、今の私から聞いたって言わないでね』

叢雲『まあいいわ。私は戻るから、あとは任せてもいいわよね』

飛龍『了解。なんかあったら連絡するから。板は小屋のでいいんだよね』

叢雲『ええ、それじゃ』

男『小屋ってのは何だ』

飛龍『物置よ。装備とか保管してるのとは別のちゃっちぃの』

緋色『何が入ってるの?』

飛龍『掛軸とか、クリスマスツリーとか門松、射的台鬼の面雪だるま連装砲、後なんだっけなぁ。ま色々あるわね』

緋色『え、え?』

男『なんだその空間…』

飛龍『たまに動く浮き輪とかカワウソみたいなよく分かんない着ぐるみもあったり』

緋色『そ、そこに今から行くの…?』

男『普通に怖いんだがそれ』

飛龍『あはは、別に何も無いわよ。動いた所で死ぬわけじゃなしに』

そりゃ深海棲艦と比べりゃそうなのだろうが、そう言われると何も言い返せない。

鈴谷『呼ばれて飛び出てチーッス。鈴谷宅急便で~す』

飛龍『おー早い』

鈴谷『こちらお届け物』

蒼龍『ど、ども』

鈴谷『っと、そういえばはじめましてね。私鈴谷。ヨロシクね』

緋色『鈴谷、ね。ええ、こちらこそよろしくお願いします』

飛龍『よしよし早速取り掛かろう』

鈴谷『そもそもこれ何の集まり?』

飛龍『台風対策にまた板貼るんだって』

鈴谷『あーね』

飛龍『前やってたの鈴谷だよね?』

鈴谷『モチ!DIYならまっかせて!』

緋色『でぃーあいわい?』

鈴谷『日曜大工ってやつよ。えっとDは、大工…んー、日曜大工ってやつね』

正解はDo It Yourselfである。

蒼龍『私はなんで?』

飛龍『雑用?』

蒼龍『そんな役割!?』

飛龍『ウソウソ。じゃ私と飛龍と課長さんで小屋に荷物取りね!鈴谷と緋色はどうやって張ってくか相談しといて』

鈴谷『うぃーッス』

緋色『はーい』

蒼龍『そっかー台風対策だったのねぇ』

飛龍『懐かしいよね。前あそこで肝試しとかやったじゃん』

蒼龍『あったあった!ボヤ騒ぎになったやつ!』

男『ボヤ?一体何やったんだ…』

蒼龍『それがねえ』ニヤニヤ

蒼龍は俺相手でもよく話すやつだ。こうして並ぶと飛龍よりもお喋りかもしれない。

これが素なんだろうが、そういう蒼龍が見れるのはこうして周りに飛龍以外がいない時だけだ。

普段は空気を読んで俺とはあまり話さないようにしてるのだろう。先の鈴谷なんかは目も合わせてくれなかった。

蒼龍『あ、ほらほらアレが小屋』

男『思ったより小屋だな』

飛龍『元は何の建物だったのかな』

蒼龍『あそこにはねぇ板とか以外にも人を喰うと噂のカワウソみたいな着ぐるみがあったりして』

男『それはさっき聞いた』

飛龍『私が言った』

蒼龍『えーずる~い』

飛龍『早い者勝ち~』

蒼龍『そうだ!課長さん着てみる?』

男『俺が!?』

蒼龍『大丈夫誰にも言わないから!』

男『さっきの噂を抜きにしても普通に臭そうだし遠慮しとくよ…』

飛龍『おっと鍵持ってきてなかった』

蒼龍『鍵かかってたっけここ?』

飛龍『え、なかったっけ?』

男『とりあえず開けてみるか?』

蒼龍『てい』ガラ

飛龍『開いたし』

男『セキュリティ的にどうなんだ』

蒼龍『まあ取られて困るものもないし』

飛龍『さて必要なのは板と釘ね』

蒼龍『電気電気~あった』カチ

男『中は意外と広いんだな』

飛龍『ちなみにあれが着ぐるみ』

男『うわ怖!なんて吊り下げて保管してるんだよ』

蒼龍『その方が雰囲気出るからって』

男『雰囲気出してどうする…』

飛龍『板、というか木材は結構あるわね』

蒼龍『保管状態もヨシ』

男『あとはどう運ぶかだな』

飛龍『どっか台車とかなかったっけ』

蒼龍『入口の横に2つあったわよ』

飛龍『流石に往復は避けられないかぁ』

蒼龍『重さはともかくこう大きいと私達持てないものねぇ』

艦娘の弱点だな。オリジナルと遜色ない馬力や火力はあってもその積載量は見た目通りだ。

1トンのダンベルは軽々持ち上げられるだろうが、軽自動車1台となるとバランスが取れず運ぶのは難しいだろう。

男『道具もここにあるのか?金槌とか』

飛龍『あー忘れてた!』

蒼龍『道具なら工廠かな』

飛龍『私ちょっと取ってくるから板台車に積んどいて』

蒼龍『オッケー』

蒼龍『じゃ始めましょっか』

男『しかしこれはまた重労働だな』

大小様々な板が煩雑に積み上げられている。安全性とかをまるで考慮していない。

蒼龍『まず上半分くらいガバッといきますか』ガシッ

男『え?おいいくら何でもそれは!』

艦娘からしたら重量的には問題ないのだろうが、こんな山積みの資材をぞんざいに持ち上げようものなら

蒼龍『あ』グラッ
男『ゲェッ!』

当然崩れる。




蒼龍『うぎゃっ!!』

身が縮こまる騒音と共に蒼龍の悲鳴が聞こえた。

男「おい!大丈夫か!?」

資材に下半身を飲まれて倒れ込んだ蒼龍に駆け寄る。

蒼龍『ったー…ん?なんて?』

男「あ、いや…『大丈夫かって』」

咄嗟の事でつい普通に喋ってしまっていたようだ。こんな言葉ですら、本来彼女達には届かない。

蒼龍『あーそっかそっか、うん!大丈夫大丈夫ほら、その…艦娘、だしね』

一瞬、彼女は目を逸らした。

実際平気なのだろう。彼女達がたかが崩れた木材の山で怪我を負う程ヤワなわけが無い。この雑な管理体制もそういう意識から来るものか。

男『…その、』
加賀『なんの音』

言葉が遮られる。慌てて振り向くと

男『あっ』

小屋の入口に立っていたのは、一航戦の加賀だった。

その瞳には凡人たる俺にも十二分に伝わる程の殺気があった。

蒼龍『げっ』

加賀『げっ、とは何よ二航戦』

蒼龍『たははー』

加賀『それに、何をしているの。人間』

男『いや、その』

蒼龍『板!板を取りに来たんですよ!長屋に台風対策するために!ほら撫子ちゃんとこの』

加賀『なでし、あぁ例の赤子ね。なるほど』

蒼龍『板をこうガバッと取ろうとしたら、見ての通りで』

加賀『把握したわ。それで、』
飛龍『道具一式借りてきったぅわお!!かっがさん!!』

加賀の後ろから今度は飛龍がやって来た。

加賀『相変わらずね、貴方達は』ハァ

飛龍『たははー。あれ?でもなんでここに?』

加賀『たまたま近くにいたら大きな音がしたからよ』

飛龍『大きな音?うわ、わー土砂崩れだ。大丈夫だった?』

蒼龍『へーきへーき』

男『俺も、一応な』

飛龍『ならいっか』

加賀『次からは気をつけなさい、二航戦』

飛蒼『『はーい』』

加賀『それに、アナタも、ね』

男『ああ、分かってるよ』

氷のような目で俺を一瞥し去っていく。

男『ふぅーー』ドサッ

蒼龍『大丈夫?』

男『死ぬかと思った』

飛龍『加賀さん怖いからなー。むしろよく耐えた、エライっ!』

男『死んだ方がマシなレベルだありゃ』

蒼龍『さてと、板運んじゃおうか』

飛龍『じゃあ、台車は私達やるから課長はこれお願い』

男『わかった』

力仕事をせっせとこなす少女2人を眺める道具箱を持った俺。どうにも居心地の悪い気分だがこれが一番効率的である。

飛龍『加賀さんね、強いから。空母代表みたいな感じでよくお偉いさんとかに会ってたりするの。だからかな、結構、いやかなーーーり人間嫌いみたいで』

男『それは、まあ分かるかな』

飛龍『赤城さんとかその辺全く気にしてなかったりするし、私もこんなんだから、余計に気を張るっていうかさ。そんな感じ』

蒼龍『飛龍は気にしなさすぎるのよ』

男『だろうな』

飛龍『ありゃ後でご機嫌取っとかないとかなぁ』

男『管理職は大変だな』

飛龍『私はそんなんじゃないって。加賀さんは、そうねぇ。手の焼けるお姉ちゃんって感じ』

蒼龍『アレで結構可愛いところも、っとこれは言ったら怒られるかな』

飛龍『だねー。秘密秘密』

男『それでいいさ』

それを知るのは、同じ艦娘か提督である彼の特権なのだろう。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

板張りの作業はかなりスムーズに進んだ。鈴谷が妙に手際がいい。指示通りに進めるだけで半分も終わった。

緋色『どうしてそんなに上手なの?』

鈴谷『鈴谷、元々手を動かすの好きでさ。なんとなーく暇潰しに初めて見たら趣味になっちったわけ』

とかなんとか。

そんな訳で残りは明日にまわし今日の作業は日が沈む前に終了となった。

しかし、俺は作業中も作業後もずっと集中出来なかった。

脳に焼き付いて離れない。

あの目が、ずっと見つめてくる。

加賀の目、じゃあない。そうじゃない。

蒼龍のあの目だ。

言葉が届かないという現実を前にしたあの目。

寂しそうで、悲しそうで。

普段意識してない現実を突き付けられた、絶望にも近いような、そんな目。

人とは違う。人ではない。人にはなれない。人でいられない。人間じゃない。

きっとみんなそれをわかっていて、その上で見ないふりをしている。

"艦娘だしね"

一体その言葉にはどんな意味がある。

明石は人と関わる事は良い面も悪い面もあると言っていたが、やはり俺は

男「やはり関わるべきじゃないように思えたよ」

秋雲「はぁーーーーーーくっっっっさ!!」

男「は?」

秋雲「くっさいわぁマジくっさいわー。何それ、高二病?今どきそんなの流行んないって。なんてんだろ、シンジ君タイプの主人公?古い古いって」

画面越しに物凄く馬鹿にされた。しかもまるで虫けらでも見るような目で。

秋雲「今どきはもっと熱く燃えるヒーロー的なのが流行りなわけ。暗くてうじうじした話とかそんなんリアルで溢れてるじゃんありふれてるじゃん?タダでさえ戦争中なんだから」

俺は、なんだ、これ、説教されてるのか?

秋雲「大体課長がどうこうできる問題じゃないじゃん。そりゃ自分が原因だっていうなら別だけどそうじゃないし」

男「でも、」
秋雲「デモも一揆もないのだってもへちまもないの。そんなのチラシの裏か便所にでも吐き捨てといてよね。私まで辛気臭くなるし」

男「すまん」

秋雲「あー?なんて?聞こえないなー」

男「悪かった!謝る」

秋雲「そーそー、それでよし。お人好しなのはいいけどさ、それで自分を追い込んでちゃ意味ないんだからね」

男「肝に免じておくよ」

秋雲「ま、そのお人好しに助けられた私が言っても説得力ないか」

男「秋雲」

秋雲「なに」

男「ありがとな」

秋雲「…ふっふ~ん♪そういうのをもっと言うべきなのよ。もっと私を敬いなさぁい」

男「あぁそうだな。感謝してるよ、秋雲」

秋雲「お、おぅ、うん…//」

男「秋雲?」

秋雲「なんかこう改まって言われると恥ずかしいなぁって」

男「お前が煽ったんだろうが」

秋雲「えへへ。ではおやすみ!」

逃げるように画面を消す秋雲。それでも声は聞こえてるはずだ。

男「おう、おやすみ」

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

同日、【某事務所】

しーちゃん「はぁぁぁ…」


時雨「…おはよう」

しーちゃん「あ、おはようございます」

時雨「部屋入ってきたのにも気づかない程の溜め息って相当だよ」

しーちゃん「そんなに大きかったですか…?」

時雨「幸せ逃げるよー」

しーちゃん「この程度で逃す幸せならいらないですよ。あと今日はそこのデスク使えますよ」

時雨「明石さんいないの?」

しーちゃん「出張です」

時雨「ふぅん。いやいいよこっちので。あの人の使った後ってデスクトップゴチャゴチャしてるし」

しーちゃん「弄ると怒られますもんねぇ」

時雨「殆ど専用だもんねこれ」

北上「おはよーさん」ガチャ

時雨「おはよ」

しーちゃん「おはようございます」ハァ

北上「おっと、幸せ逃げちゃうよしーちゃん」

しーちゃん「それさっき聞きました」

時雨「それさっき言った」

北上「え、マジかぁ」

しーちゃん「ガス抜きみたいなものなので気にしないでください」

北上「事務所にそんなもん撒かないでよ」

時雨「北上はここ使う?」

北上「明石さんいないの?ラッキー」

時雨「躊躇なく使うよねぇ」

北上「動作軽い方が嬉しいし」

時雨「ところで今回の溜め息の原因は?」

しーちゃん「こちらの要求に応える気はまるで無いのにそうは言いたくないからとりあえず返しとくかと送られてくる無意味なメールに辟易してるんです」

北上「あーね」

時雨「北上聞く気ないでしょ」

北上「その手の話はわかんないもん。大体私らでどうこうできる事でもないっしょ」

時雨「それは、どう?」

しーちゃん「現状交渉事の代表に艦娘を出す訳にはいきませんからねぇ。私なら戸籍ありますし。偽名ですけど」

北上「ほらー」

時雨「偽名って、一応そっちが正式な名前なんでしょ」

しーちゃん「偽名ですよ。そもそも自分でつけたものですし」

時雨「だから本名はしーちゃん?」

しーちゃん「えぇ。しーちゃんです」

北上「大切な名前かぁ。なんかいいねぇしびれるねぇ」

時雨「でもしーちゃんはどうかと思う」

北上「それはそう」

しーちゃん「ちょっと」

金剛「Good morning!!」バァァン

時雨「おはよう」
北上「God morgen」
時雨「え、なんて?」

金剛「あら、しーちゃんは?」

時雨「ん」クイッ


しーちゃん「…」ハァ


金剛「Hey,しーちゃん!そんなんだと幸せが逃げちゃいマスよ~」グイグイ

しーちゃん「あ~金剛さんおはようございます」

時雨「ちなみにそれさっきも言った」

金剛「oh」

北上「ちなみに私も言った」

金剛「wtf」

しーちゃん「ぇーん助けて金剛さ~ん」ダキッ

金剛「おーよしよし、頑張ってマスネ~」

時雨「僕らの時と反応が違いすぎない?」

北上「包容力かっこ物理が違うんでしょ」

時雨「確かに」

北上「デカいは正義だねぇ」

時雨「僕だって北上よりはあるのになぁ」

北上「あ?」

時雨「ん?」

金剛「ところでなんでこんなになってるんデス?」ヨシヨシ

しーちゃん「出張やなんです」

北上「どいつもこいつも舐め腐った目で見てくるしね」

時雨「この前もほぼセクハラなこと言われてたもんね」

しーちゃん「選挙前ですし、あんなのでも仲良くしておかないと損ですからね…砲撃でも当たってくれればいいのに」

金剛「おっとこれは重症ネー」

北上「いいぞー言ったれ言ったれ」

時雨「クソジジイ共は全員墓場行きだー」

金剛「そこ煽らない。ちなみに次はどこ行く予定なんデス?」

しーちゃん「えーっと、あら」

金剛「?」

北上「お、あれはなんか企んでる顔だ」

時雨「逃げておこうか?」

しーちゃん「ちょっとやる気が出てきました」

金剛「…ははぁん、しーちゃんも物好きデスネー」

北上「えーなになに教えてよ~」

しーちゃん「今日の仕事ぶりで決めます」

北上「じゃあいいや」

時雨「えぇ…」

金剛「では出張決定デスか?」

しーちゃん「決定ですね~。では北上さんと時雨さんでジャンケン」

北上「え、なんで!?」

しーちゃん「勝った方が私の付き添いです」

時雨「えーなら負けた方じゃない?」

北上「罰ゲームじゃんか」

しーちゃん「そんなに嫌ですか?」

北上「嫌だ」

時雨「ずっとそばに立ってつまんない話聞くだけだもんね」

北上「というかなんで金剛さんは抜きなのさ」

金剛「私はscheduleが埋まっているのデース!」

時雨「なら仕方ない」

北上「というか何時行くの?」

しーちゃん「もうちょっと先ですね。今は作戦中でしょうし、台風も来てますから」

時雨「作戦中って、また鎮守府行くの?」

北上「鎮守府の方がマシか。いや鬼ヶ島んとことかだとヤダな、アイツら怖いし」

しーちゃん「鎮守府はついでです。本命はこの間挨拶した議員さんの所」

北上「あーアイツか。ならまあ、ギリギリセーフかな」

時雨「何がセーフなの?」

北上「こうギリギリ殺意を抑えられる感じ」

時雨「護衛失格すぎる」

北上「そっかぁじゃあ仕方ない時雨に譲ろう」

時雨「うわズルい。じゃあ僕も殺意と嫌悪マシマシで」

金剛「ハイハイさっさとどっちか決めてくだサーイ」

北上「よしメジャーだ。胸が小さいヤツがお供だ」ガタッ

時雨「よし来た。後負けた方はバストサイズ晒す事」ガタッ

北上「上等」



しーちゃん「仕事放り出されても困るんですけどね…」

金剛「体良く逃げられましたネ」

しーちゃん「ふふ、あの二人もすっかり仲悪くなりましたね」

金剛「しーちゃんNO、言い方がNOデス。言いたいことは分かりマスけど」

しーちゃん「…バストかぁ。私課で一番小さい自信ありますね」

金剛「しーちゃんはそのままでいいんデスヨー」ヨシヨシ

しーちゃん「あ、そういえばそろそろ制服が届くんでした」

金剛「New uniformデスか?何のEventに使う物デース?」

しーちゃん「イベント用では無いですよ。ただちょうどいい機会なので、ふふ」

金剛「おっと、悪い顔ネー」

そろそろイベントやらねば

人間大の大きさで嵐は無理なのではという話。
何より高さが足りないので索敵の難しさが一番船と差が出そうだなと。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

提督「ようやく一段落ついたね」

叢雲「まだまだ課題は山積みだけれどね」

長屋の板張りは無事終わったとの報告を受け、ひとまず鎮守府の台風対策は終わった。

でも肝心なのはこの先。

提督「あと一時間で会議かぁ…」

叢雲「憂鬱そうね」

提督「あそこの提督怖いから」

叢雲「それは、否定しないけれど」

悪天候による作戦の一時中断。でも問題は海が静まったあと。

両軍とも嵐が過ぎるまで海には出れない。少し前まで制海権を争っていたあの海上には今荒れ狂う波と風しかいない。

つまりそれらが過ぎ去ったあと、どれだけ素早く部隊を展開できるかによって制海権が大きく揺れ動く。

叢雲「予報なら25時間後には航行可能なレベルまで波は収まるようね」

提督「でも台風は気まぐれだから。この先どんな進路を取ったとしても迅速に作戦を進められるように他鎮守府と連携を密にする必要がある」

叢雲「なら会議にはでなくっちゃね」

提督「…叢雲代理で出ない?」

叢雲「いいけど、どの道後が怖いわよ」

提督「だよねぇ」

ガタンッと窓が揺れた。

提督「大分風が強くなってきたね」

叢雲「煩くなるわよ。シャッター閉めたらどう?」

提督「いいよ。空が見えなくなる」

叢雲「台風の事なら正確な情報がリアルタイムで送られてくるじゃない」

提督「目で見るのも大事だよ。気分的な問題かもだけど」

叢雲「気分ねぇ」

黒に覆われ始めた空を見上げる。

空が見えないというのは船にとって実に恐ろしい事だ。

下は常に水面という僅かな境界を隔てた、全てを飲み込む深い深い海。

こうして空に蓋をされるとまるで閉じ込められたかのように感じる。

海という脅威から逃れられないような、なんていうのも実に気分的な問題だけれど。

叢雲「会議の方は任せるわ。私は最終確認してくるから」

提督「確認なら今し方終えたじゃないか」

叢雲「だから三度目は私がやるのよ」

提督「はいはい、任せたよ秘書艦殿」

叢雲「任されたわ、司令官」

執務室を後にする。

最終確認と言っても別に司令官を信用していないとかでは無い。

あくまで私が心配性という話。

秋雲『あ゛、っと叢雲じゃ~んお疲れちゃ~ん』

叢雲『何よあ゛って』

秋雲『気にしな~い気にしな~い。用意は終わったの?』

叢雲『えぇ、殆どね。そっちこそ倉庫の片付け終わったの?収納は出来たけど散らかったままとかはなしよ』

秋雲『そこは大丈夫大丈夫。んじゃ!』

叢雲『ストップ』

秋雲『ん゛!?』ビクッ

叢雲『そっちには執務室くらいしかないわよ。まさか資料室に用があるわけじゃないでしょう?』

秋雲『いやぁちょっと提督とお話がしたいな~って』

叢雲『生憎これから作戦会議があるのよ。話なら私が聞いてあげるわ、ほら』

秋雲『え、えっ…とね』

叢雲『ん?』ニッコリ

秋雲『すんませんでしたあ!!』ドゲザッ

叢雲『ええ!?ちょ、ちょっと待って早い!それは早い!何よ何やらかしたの!今それは怖いからやめて!!』

秋雲『やらかし、てはないんだけどね。私が犯人でもないし』

あっさり土下座を決めたかと思うと直ぐに立ち上がってくる。なんで慣れてるのよこの娘は…

秋雲『倉庫の整理してたじゃん私達』

叢雲『そうね』

秋雲『そしたらさあ、奥の方からホコリ被った海外の艦載機出てきてさ』

叢雲『海外の…あぁそういえばあったわねそれ』

秋雲『そもそもアレなんであるの?』

叢雲『数年前から海外艦の運用が本格的に始まったでしょ?だから国外の規格の装備を扱えるようにって上から事ある毎に配備されるのよ』

秋雲『へぇそんな事情だったんだ』

叢雲『ただウチは海外の空母は未着任って事もあって艦載機に関してはあまり触れてなくて。技術屋の二人も、飛ぶヤツはよく分からんって興味無さそうだったし』

秋雲『なるへそ。でそれを今回私、というか赤城さんと翔鶴さんが見つけちゃってね』

叢雲『それで』

秋雲『見て触れてじゃ物足りず提督に飛行許可貰ってきてって無茶振りが私に』

叢雲『いや断りなさいよ…』

秋雲『いやぁ飛んでるのを見て描きたいなって気持ちがあるにはあったからねぇ』

叢雲『まったく、空母ってのは本当に艦載機好きよねえ。あの真面目な赤城や翔鶴ですらそうなんだもの。一体どういう気持ちなのかしら』

秋雲『我が子のようなってのが一番近いんじゃない?』

叢雲『我が子、我が子ねぇ』

秋雲『ま、私達にゃわからん話でしょ』

叢雲『そういうものかしら』

秋雲『私達はさ、砲塔から機銃、魚雷まで、その一つ一つに妖精さんがいるじゃん。点検装填発射、あらゆる工程につまりは人の手が必要なわけだし』

叢雲『それは艦載機も同じじゃない?』

秋雲『でも私達、つまり駆逐艦や軽巡重巡、戦艦なんかは砲塔を自分の手から離さないでしょ?』

叢雲『砲塔を、あぁそういう事』

言われてみればそうだ。

そもそも攻撃機のコンセプトというか、根本的な考えは攻撃の届かない所へどう攻撃するか。

艦載機なんて括りで忘れがちだけどやってる事は機銃や魚雷発射管を凧に括り付けて飛ばしてるのと同じ事だ。

より遠くへ、見えない、届かない位置への攻撃。

秋雲『放つって点で皆は砲弾や魚雷なんかと艦載機を同じ物だと考えがちだけど、実際はそっちなんだよね』

叢雲『そう考えると見方が変わるわね。長年使ってきた装備には愛着もあるもの。それを飛ばすとなると』

秋雲『艦載機のバリエーションの豊かさも拘りの一つになるんだろうけど、それ以上に未帰還って可能性があるのが決定的だろうね』

叢雲『壊れた砲塔や魚雷発射管と、撃ち落とされて海に消えた艦載機とじゃ比べようがないでしょうね』

右腕を見る。

こうして少し意識を向けるだけでいつも身に付けている魚雷発射管の感覚をありありと思い出せる。

壊れる事もある。投棄することもある。それは身体の一部を捨てる様な感覚だと思う。

でももしそれを空に放ち、帰りを待つとしたら。

それは確かに人で言う我が子という概念に近いのかもしれない。

秋雲『例えば猫、じゃなくてもいいか。犬でも魚でも植物でも。なんか育てるとしてさ、名前を付けるとしたら何にする?』

叢雲『名前?何よ急に』

秋雲『いいからいいから』

叢雲『…叢雲?』

秋雲『分かりにくいよそれ』

叢雲『それもそうね、叢雲二号…叢雲改とか?』

秋雲『そういう感覚の違いなんじゃないかなって。我が子っていう考え方が分からないの』

叢雲『??』

秋雲『だって子供なら名前つけるでしょ?』

叢雲『名前…』

名前なら私にもある。

私の大好きな名前が。

きっと誰かの願いの籠った名前が。

それと同じ事をするのが、我が子という感覚なら、名前は、名前をつけるとしたら。

叢雲『んんー…』

秋雲『あはは、すっごい顔してるよ叢雲』

叢雲『アンタは分かるっていうの?』

秋雲『私はほら、オリジナルとか描いてると名前付けたり愛着湧いたりってのは何となく分かってくるかな』

叢雲『?』

イラストの話、なのかしら。

秋雲『多分さ、船は海っていう隔絶された空間で、その船内だけで自己完結しなきゃいけない物だからさ、人みたいに自分以外との繋がりを感じるのに慣れてないんだよ』

叢雲『それは、悪い事だと思う?』

秋雲『そこまでは言ってないけど、というかそれは流石にテーマが重い』

叢雲『ごめん、ちょっと意地悪だったわ』

秋雲『気にしてないよ』

叢雲『貴方、意外と色々考えてるのね』

秋雲『今すごい馬鹿にされなかった私?』

叢雲『気のせいよ』

秋雲『さいで、それじゃ』

叢雲『あぁ待って、最後にもう一つ』

秋雲『なに?』

叢雲『飛ばすのはダメって伝えてきなさい』
秋雲『チクショウ誤魔化せたと思ったのに!』

叢雲『んなわけないでしょうが』

秋雲『ちぇ~わかりましたよぉ』

叢雲『言っても聞かなそうなら私に言ってちょうだい。工廠にいるから』

秋雲『最後の確認ってやつ?大変だねぇ』

叢雲『大切でしょ?』

秋雲『そりゃね。いつぞやみたいに停電とかやだしね』

叢雲『…停電』

秋雲『叢雲?』

叢雲『いえ、なんでも、ないわ』

秋雲『あっそ』

叢雲「停電」

そういえばそんなこともあった。

叢雲「嫌な事考えてるわね、私」

それでもそれは必要なことだと私は判断した。

司令官はきっとそうは思わないでしょうけど、

私は違う。

anknouwnは暴かれなければならない。

見えた船影が敵なのか、味方なのか。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

叢雲『へい工作犯いる~?』

工廠の扉を開け呼びかける。

台風対策であちこちに置いていた道具や設備を全て格納したため、室内は普段よりも窮屈になっている。

声の通りも悪くなっているだろうしもう一度呼びかけるべきかしら。

明石『お呼びで?』ヒョイッ

叢雲『…なんでもまた全裸なのよアンタは』

明石『ちょっと埃ついてほしくない作業だったので』

叢雲『理由はわかるけどそれ他に対策ないの?』

明石『ないわけじゃないですけどぉ、手間もお金もかかりますよ?』

叢雲『なら仕方ないわね』

明石『流石秘書艦話が分かる。それで今日はどのようなご用件で?』

叢雲『用ってのはその、夕張のほうでね』

明石『ん、あれ?もしかしてさっきの工作班じゃなくて工作犯のほう?』

叢雲『音じゃわからないけれど多分あってるわよ』

明石『うわ~また悪だくみですか?最近色々やってますもんね』

叢雲『加わってみる?』

明石『正直興味はありありですけど、ちょっとねぇ』

明石は基本的にルール外の出来事を好まない。

本人的には非常に興味があるのだが信条としてなるべく関わるまいとしている。

夕張のようにあれこれしでかすよりは有難いけれど。

夕張『ただま~、あれ叢雲?どうしたの?』

叢雲『そっちこそ、何か抱えてるのよそれ』

夕張『浮き輪さん型観測機二号よ!』

叢雲『あぁ海上k『浮き輪さん型観測機二号』…そうそれ』

夕張『回収し忘れてたからちょっと沖合に出て取ってきちゃった』

叢雲『は?アンタまた勝手に出撃したの!?』

夕張『やだなぁ今回は兵装実験とかじゃなくてただ回収しただけだってば』

叢雲『それもアウトだっつってんのよおバカ!』

明石『まぁまぁ、それより夕張に話があるって』

夕張『私?』

叢雲『えぇ。ちょっと停電対策をね』

夕張『あーあったわねぇそんな事も。でもなんで今更?』

明石『停電なんてあったの?』

夕張『そっか明石が来る前か』

叢雲『あったのよ昔。ひどい嵐の時にね』

夕張『山の送電線がね』

明石『うわぁ最悪だそれ』

送電線が切れた、というわけではなかった。

強風で枝が奇跡的なくらい見事に電線をからめとり、システムが問題ありと判断して電力供給を絶ったというのが真実。

夕張『まだ覚えてるわ。あの嵐の中木によじ登って枝切り取ったの』

叢雲『幸い断線までは至らなかったからあとはシステム復旧をこちらでするだけで済んだけれど、そうでなかったと思うとぞっとするわ』

明石『ちなみに現在その対策は』

夕叢『『ない』』

明石『デスヨネー』

島国であるが故に周辺海域の奪還後問題となったのはその守りだった。

結果として各地に鎮守府が急ピッチで建てられたけれど、

粗製乱造、とまではいかないまでも設備は十分とは言えなかった。

仕方ないのはわかっているけれど。

叢雲『別に台風対策無しってわけじゃないのよ。前回のが色々ミラクルだっただけで』

夕張『だから今日までそのままなのよねぇ。やるからには大規模な工事だからこっちとしてもあまりやりたくはないし』

明石『そうよねぇ、送電線の改修をするなら…うわ考えただけで嫌になってきた』

夕張『でしょ~』

明石『で、それが今回の悪だくみなの?』

夕張『え、悪だくみなのこれ?』


叢雲『…そうね、悪いけど今回は明石にも加わってもらおうかしら』

明石『え゛』
夕張『っしゃ!』

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

明石『…』

夕張『…』

明石『…』

夕張『マジすか』

叢雲『マジよ』

二人の顔が流石に険しくなる。

とはいえこれは予想済み。

私だってこれはまずいと思ってる。

叢雲『でも小手先の手段じゃ何も得られそうにないの。リスクを負ってでもやる価値はあるわ』

明石『で、でも、敵ってわけじゃないんですよね?』

叢雲『敵なら排除できる。でも現状敵なのかさえ分からない。だから危険なのよ』

明石『それは、提督のためって事ですよね』

叢雲『鎮守府の、艦隊全体のためよ』

夕張『ま、議論の余地はないんじゃない?』

明石『夕張はいいの?』

夕張『さあ』

明石『さあって…』

夕張『けれど、叢雲はやれというんでしょ?』

叢雲『あら、いやな言い方するわね』

夕張『私はその辺割り切ってるので。だから確認させて』

叢雲『いいわ、二人とも。やってちょうだい』

旗艦として艦隊を指揮する時と同じ。

必要だと思った事を選択していく。

慎重に、だけど迅速に。

迷ってはいけない。

判断はその瞬間に求められる。

目の前の船影は次の瞬間こちらに攻撃してくる敵かもしれない。

あるいは傷を負い助けを求めてる味方かもしれない。

私は、艦隊の為にどう判断を下すべきなのか。

明石『台風は明日の午後からよね』

夕張『間に合う事には間に合う、けどな~、テスト出来ないのは怖いかな』

叢雲『可能な限りフォローするわ。必要なものがあったら言って』

夕明『『休暇』』

叢雲『…善処する』

カワイイヤッターバレンタイン神風

当日秘書艦にしていたのは瑞鳳ですけれど。
毎年恒例ののチョコも気付けばそこそこの数になってきました。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


昔から寝つきは良いほうだ。親から赤子の時夜泣きがなさ過ぎて不気味だったとか言われるくらいには。

出張の多い仕事柄、枕を選ばず眠れるこの体は非常にありがたいものだった。

とはいえ、限度がある。

男「うるさい」

絶えず窓に大粒の水滴が着弾し続けている。

カンザスに戻れなくなるんじゃないかと思える程の大風が長屋を揺らし、残った大地を飲み込まんと海が唸りをあげている。

つまり五月蠅い。

夕食時には大雨程度だったがすっかり台風に飲まれたらしい。

時刻は夜九時。そろそろ就寝準備に入る時間だが、今日はこの轟音の中でどう寝るかを考える必要もありそうだ。

秋雲「すんごい音ね」

上唇にペンタブを載せて至極どうでもよさげにそんなことを言ってくる。

この仕草をしている時はだいたい原稿の進みが芳しくない時だ。

男「そこは静かで羨ましいよ」

秋雲「今すぐそっちがマイク切ってくれたら静かになるんだけどねぇ」

男「俺が切ってもそっちで音拾ってるだろ」

秋雲「そんなにずっと聞き耳立ててるわけないじゃ~ん」

男「ほんとか?」

秋雲「へ?」

男「 今 の 言 葉 は 本 当 か ? 」

秋雲「ひ、暇な時は、別、かなぁ」

男「だと思ったよ。別にいいけどな」

秋雲「ならそんな聞き方しなくてもいいじゃんかあ!」

男「いやお前文句言える立場じゃないからな?」

くだらない会話と報告を交えながら一日の業務を終える。

後はさっさと寝て、寝る努力をするか。

その前にトイレに行こうと廊下へ出る。

男「あれ?まだ起きてるのか」

緋色の部屋から明かりが漏れていた。

いつもならもう寝ている時刻だが、流石にうるさくて寝られなかったか。

男『緋色~起きてるか?』トントン

少し気になったのでドアをノックし声をかけた。

普通の声量だったがこの騒音の中ならもし寝ている場合は起こさずに済むだろう。

などと呑気に構えていたのだが、

言い終わる直前で中で物音がした。

この嵐の中でもはっきり聞こえる程大きな、何かそれなりの重量の物が転がり落ちたような音が。

男『緋色!?』

壁か何かが吹っ飛んだんじゃあるまいかと思い急いで鍵を開け扉を開いた。

すると

緋色『ッ!』ギュゥ

ピンクの物体が凄い勢いで俺に抱き着いてきた。

男『ど、どうした?』

あまりの勢いに二歩後ろに下がってしまう。

コアラの子供のように腰にひしと抱き着いてきた緋色の頭にそっと手を置く。

僅かに震えている。

怯えている?

男『嵐、怖かったか?』

しまった、口に出すべきじゃなかったか。

こういう時原因なんかを本人に聞くとそれを思い起こして余計にパニックになると聞いたことがある。

緋色『怖い、でも嵐じゃないの。それに近い何かが、迫ってくるみたいで、明かりが消せないの…』

男『そうか、そうか。どうしたい?』

緋色『えっと、その…しばらく一緒にいたい、かな…』

周りの音で掻き消えそうなほど小さな声でそう言った。

男『分かった。俺もちょうど寝れなくてな』

原因の究明は後回しだ。今はまず緋色を落ち着かせることを考えよう。

男『あーだが、その、いったんトイレ行ってもいいか?』

緋色『え?え、えぇ。いいわよ』

腰から手を放し、しかし一度も俺から離れずそのまま右手をぎゅっと掴んだ。

え、このままトイレの中までついてくる気じゃないよな?

かといって今離れてくれ等と言うと不安に押しつぶされそうな雰囲気もあるし、どうしたものか。

男『叢雲に頼んで一緒に寝てもらうか?』

緋色『い、嫌よ!そんなことしなくても私一人で、一人でも…』

少しでも明るくしようと茶化してみたが、一人という言葉を口にした途端不安になったようだ。

男『だが、艦娘になるならこれくらいの事で怯えていられないぞ』

緋色『!』

男『俺だって戦場に立った事があるわけじゃないから偉そうな事は言えないが、想像はつく』

昔見た演習を思い出す。

陸地にまで響く砲撃音。吹き上がる水しぶき。どれもそこにいるだけで圧倒されそうなものばかりだった。

緋色『そうよね。皆、そうやって戦っているのよね』

右手をつかむ緋色の手から力が抜ける。

男『それに俺だっていつまでもここにいるわけにはいかないだろ?』

緋色『え?』

男『お前が艦娘として海に立てるのを見送るのが俺の仕事だからな』

実際は少し違うが、俺自身がそうしたいという嘘偽りない本音でもある。

緋色『そっか…』

緋色がいよいよ俺の手を放しかけた、


その時だった。



男「!?」

フッと世界が消え去った。

明かりが消えた、と認識するのに少し時間がかかるほど一瞬で暗闇に覆われた。

慌てて周りを見渡すが暗闇に慣れていない目はもはや真横の壁すら認識できていない。

直前まで目に焼きついていた景色がぼんやりと幻覚のように周りを覆っている。

視覚が奪われたせいか雨音がよりいっそう大きくなったように感じた。

男「…」

停電、か。

真っ先に思い当たる原因は台風よりも深海棲艦の攻撃だ。

嵐で動けないとみせかけての鎮守府襲撃、なんて事があるとしたら。

身体が強ばる。

逃げるか?だとしたら何処に?

廊下に立ち止まったまま思考が堂々巡りを始める。

しかし、そんなことをしている間に何も起こらなかった。

仮にも軍の基地だ。不測の事態であればそれ相応の対応をとるはず。

未だにサイレンやらがならないということは単なる停電とみていいだろう。

男「ふぅ…」

腰の護身用拳銃にかけていた左手を離し緊張感をほぐす。

そこでようやく、右手が妙に締め付けられていることに気づいた。

男『…緋色?』

『………』ギュゥ

男『イタタタ待て待て折れる絞られる一旦落ち着け!な?』

パッ、と。明かりが廊下を照らす。

電力が戻ったのか?

急な光度の差についていけずに目が眩む。

徐々にハッキリとしてきた視界に映ったのは、体を縮こませ俺の右腕に必死にしがみつく緋色だった。

男『お、おい?』

『…』

震えている。だが先程の比じゃない。

そんなに怖かったのだろうか。

男『もう明かりは戻ったぞ。あまり俺とベッタリしているところは誰かに見られたくないんだろ?』

軽口を叩きながら緋色の頭に手を軽くポンと置く。

『!?』ビクッ
男『うおっ!』

猫のようにビクンと体が反応した。驚かせるつもりはなかったのだが。

『…課長?』

男『お、おう。どうし』

どうした急に、まで言えなかった。

それほどに衝撃的だった。

腕にしがみついたままこちらを見上げた緋色の、あまりにも血の気の引いた顔は。

男『おい!緋色?お前…何が』

混乱して言葉出てこない。何を、何をすればいい、なんて言えばいい。

左手を緋色の肩に乗せ軽く揺する。

『いや…その、私…私?………』

男『?』

そう言いながら今度は一気に血の気が戻り、いや戻るどころではない。

緋色どころか顔を真っ赤にし目には涙を浮かべ始めた。

もはや全くもって状況を理解出来なくなったがとりあえず彼女を安心させようと抱き抱えようとしてみる。

すると

『待って!!』バッ
男『うお?』

思いっきり突き飛ばされた、とはいえ緋色の思いっきりなどそう大したものでは無いのだが。

少しよろけてニ三歩下がる。

男『???』

分からない。何も分からない。声すらも出せない。

ただ、

『違うの…違うのよ…私じゃない…私こんなの知らない…違うの…違うのよぉ…』

俯きながらブツブツと呟き続ける。

腰が抜けたのか内股のまま、とうとうその場にへたりこんでしまった。

男『…』

限界だ。お互いに。

男『スマン』

一体もう何が何だか一切合切全く全然微塵に皆無にこれっぽっちもほんの少しも分かりゃしないが、

ともかくここに居るのはまずい。一度部屋に戻るべきだとようやくそれだけが思いついた。

お姫様だっこで緋色を持ち上げる。

糸が切れたようにぐったりとした身体は普段よりも重く感じられた。

男『…』
『…』

目を合わせようとはしない彼女の顔は、やはりどういうわけか赤いままだ。

まあ今はいい。

落とさないようにまだ小刻みに震えている肩と濡れた足の部分をしっかりと手で固定し、

濡れた、

濡れた?

男『濡れてる?』

今濡れる要素があったか?

だが左手には確かに緋色の袴が濡れている感触があった。

脹脛まである桜の花びらを纏っているかのようなそれをよく見ると、下のほうに向かって確かに濡れた跡がある。

雨漏り、ではない。

むしろ温かくて

男『緋色…?』

『……』

男『えっと…』

『』ビクッ

目が、ようやく合った。

そして

『うぇぇぇぇぇん!!』ガシッ
男『うぉっ』

ガッチリと俺の胸にしがみつくとそのまま上からも大量の水を漏らし始めた。

男『…』

これ、誰かに見られたらヤバいなぁ。

半ばフリーズした思考でなんとか緋色を部屋に運んだ。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

男『気分はどうだいお姫様』

『最悪よ、バカ…』

男『そりゃよかった』

『よーくーなーいー!』

ベットに腰掛けたまま足をバタバタする。

頬を膨らませてこちらを睨みつけるその顔はまだほんのり赤い。

泣き尽くした跡と羞恥心が入り交じっているのだろう。

男『身体の方は本当に大丈夫なんだろうな?』

『平気よ。今は』

そう言って着替えたばかりのパジャマのズボンをギュッと握りしめる。

普段は袴を履いているためわかり辛いがこうして洋服のパジャマを身につけていると意外にもスラリと長い足がよく映える。

まあ先程漏らしたわけだが。

この細長い足に、

男『いかんいかん』フルフル

『どうしたの?』

男『何でもないよ』

艦娘、しかもこんな子供相手に何を考えている。

男『しかしこれどうするか』

大きめのビニール袋に詰め込んだ袴と下着、タオルを持ち上げる。

そういや廊下もまだ拭いていなかったな。どうしよ。殆ど布に吸われてるはずだしほっといてもバレないかな。

『どうするって、洗うんでしょ?』

男『そうだけど。どう洗うかなって』

『いつも通りじゃないの?』

男『そうすると皆に漏らしたってバレるぞ』

流石に濡れたまま洗濯カゴにぶち込むわけにはいかない。事前にこれがどう言ったものか説明がいる。

ばらすなって言ってもどうせ噂は広まるだろう。

『』

また顔が沸騰している。艦娘って血管破裂したりしないだろうなと心配してしまう。

男『俺が洗うか』

洗濯なんてろくにしたことはないが。袴って普通に手洗いでいいのかな。

一応確認のために緋色をチラと見る。

『…うん』コクリ

OKらしい。まだ温度が下がりきってないのか顔は赤いままだ。

「ちょっと!いるの?」コンコン

男『叢雲か』

緋色の事ですっかり忘れていたが停電あったんだよな。心配で様子を見に来たのだろうか。

男『すまん、少し出てくる』

緋色『待って!』

男『?』

緋色『い、言わないで、よね?』

男『あー』

言わない、という選択肢はない。仕事的にも緋色のためにもだ。

だが

男『もちろんだよ』

心苦しいがここは嘘をつくほかない。

男『悪い、遅れた』ガチャ

叢雲『あら、そっちだったの』

嵐のせいで分からなかったが叢雲は俺の部屋をノックしていたようだ。まあそりゃそうか。

叢雲『てことは端末はこっちの部屋に置きっぱなしで携帯していないってところかしら?』

男『端末?あ!もしかして連絡あったのか…?』

叢雲『当たり前でしょ!こういう時に電波飛ばす施設さえ残っていれば連絡取れるのが強みなんだから』

男『申し訳ない。本当に…』

叢雲『で、お姫様は無事なわけ?』

男『あー、うん。何事もなかったよ』

言葉ではそう言いつつ手で俺の部屋を指さす。

叢雲『あらそ、重畳ね。とりあえず端末確認してもらうわよ』

本当に察しがいいし、行動が早い。秋雲ならここで余計な一言を挟むところだ。

そういえば秋雲大丈夫かな。

男「なるほど、緊急時はこういう連絡が来るわけか」

端末を確認すると管理者からの連絡が来ていた。

叢雲「安否と状況は選択肢でさっと選べるようになってるわ。緊急の場合のみ直接私や司令官に連絡がいくの」

男「本当に申し訳ない…」

叢雲「いいわよ。今回はただの停電だったし。非常用電源がちゃんと生きてることが分かって良かったくらいよ」

男「電力のほうは大丈夫なのか?」

叢雲「システムの問題だったからすぐ復旧するわ」

男「そりゃよかった」

叢雲「大変なのはここからだけれどね…トラブルはトラブル、上に報告書出さなきゃだから」

男「作戦中なのにか」

叢雲「なのによ」

男「つまりわざわざここに来たのは」

叢雲「半分現実逃避」

男「どうりで」

叢雲「でもう半分がこれ」

男「それは?」

叢雲「スピーカー。今回は平気だったけれど緊急時は放送が流れるのよ。でもここにはスピーカーを設置していなかったから」

男「停電でも平気なのか?」

叢雲「緊急時の対策だから別になってるわ。それにこれは予備というか、応急処置だから乾電池式」

男「防災グッズってわけだ」

叢雲「まさにね。裏は太陽光パネルだし横にはライトもあるわよ」

男「無駄、とは言わないが妙に多機能だな」

叢雲「あって困るものじゃないでしょう?そうね、部屋の窓に近い所に置いておいてちょうだい」

男「わかったよ。ありがとう」

叢雲「さて、それでそっちは何があったの」

男「それが…」

事実だけを淡々と話した。

推測は交えず、何があったかだけを。

叢雲「…それ本当に大丈夫なの?」

男「一応は」

叢雲「ま、ここで判断はできないわね。それで、袴の洗い方だったわね」

男「ああ、知ってるか?」

叢雲「私達の服って半ば艤装の一部みたいなものだし適当でも大丈夫よ」

男「そんなのでいいのか」

叢雲「洗剤突っ込んだ水でもみ洗いしとけば平気。燃えたり破けたりってわけじゃないんだから」

男「そりゃそうか。いつもは服ってどうやって直しているんだ?」

叢雲「艤装と同じ要領で修復してもらってるわ」

男「艤装の一部か。とりあえず袴は風呂の時にでも洗っておくよ」

叢雲「それがいいわね。問題は、原因のほうね。何か思い当る節は?」

男「真っ先に思い浮かぶのは、トラウマだよな」

叢雲「そうね」

トラウマ、PTSD、etc…

艦娘はその船の当時の記録あっての存在だ。

船の辿った経緯は千差万別だが基本的に戦争の、兵器の歴史だ。

勝利や敗北に関わらずそこには悲惨で残酷な部分が必ずある。

そういったものを記憶として明確に覚えているかは個体差があるが、それが原因で特定の艤装、艦種、海域、天候、時間等にトラウマを持つ艦娘は少なくない。

叢雲「嵐や雷、夜なんかにトラウマを持つ娘は何人かいるわ。そういったものに恐怖を覚えるという感覚も分かる。でも私達は艦娘よ。恐いからといって立ち竦むような事はないわ」

男「皆折り合いはつけてるってことか」

叢雲「存在からしてヒトよりも精神的にタフだとは思うわ。あるいは鈍いのか。それに結局のところこの身体で体験したものではないもの。どこか他人事な部分があるのは否めないわ」

男「だとするとやはり」

叢雲「えぇ、緋色のその反応は異常よ」

異常。予想はしていたがこう断言されてしまうと不安が増す。

男「まだ艦娘として完全に覚醒していないから耐性がない、というのはどうだ」

叢雲「前例がないから断言はできないけれど可能性としてはそれくらいしか思い当らないわね」

男「その方面で探るしかないか。気は進まないが」

叢雲「パンドラの箱を開けないって選択肢はないの?」

男「箱じゃなくて卵の殻だよ。割らなくちゃ、生まれてこられないだろ」

叢雲「かもしれないわね。なんにせよ明日までこの天気は続くわ。緋色の事、頼んだわよ」

男「もちろんだよ」

叢雲「じゃ、私もそろそろ戻るわ」

男「ありがとう」

叢雲「これも仕事よ」

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━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

してやった。

今すぐ飛び上がりたい衝動を抑えながら廊下を歩く。

我ながら随分と子供じみた思考だと呆れてしまうけれど、そう悪いものではなかった。

今のところあのスピーカーを怪しんでいる素振りはなかった。

後はどんな情報を得られるか、だ。

叢雲「ただいま」

提督「寝たい」

叢雲「どんな返し方よ」

司令官が机に突っ伏してた。

提督「こんな時に停電とかないよ…被害は最小限だったけど、上に報告しなきゃだし、作戦に支障がないか確認しなきゃだし、後、いいや思い出したくない」

叢雲「」

あ、やばい。胸が痛い。

もちろん最小限に留めたし作業も今日中には終わる算段ではあるけど、仕事が増えた事実はどうしようもない。

叢雲「大丈夫よ。私がいるじゃない。報告については夕張達が終わり次第私のほうでやっておくから、残りもサクッとやっちゃいましょ。それとも休憩しておく?」

土下座するか泣いて許しを乞いたら、私がやりましたって言っても怒らないかしら。

なんてちょっと考えちゃう。

そもそも司令官が怒る姿が想像できないのよね。それはそれで見てみたいとも思う。

提督「何より、結局ただの停電で、深海棲艦とかじゃないっていうので気が抜けてるってのが辛い」

机に突っ伏しながらため息をつく。気どころか魂まで抜けてしまいそう。

前にドラマで見た妻の手術が無事成功した夫の表情がこんな感じだったわね。

叢雲「ンンッ!!」
提督「え!何!?」

何かしら、凄くこう、グッとくるものがある。と同時に罪悪感で思い切り自分を殴りつけたくなる衝動に駆られる。

よくわからない板挟みで頭がどうにかなりそう。

叢雲「司令官!」ガシッ

提督「うぉっ!何?」

叢雲「もう休んでていいから!あとは私がやっておくから、今はゆっくり寝ておきなさい」

提督「なにその急なやさしさ、怖い」

叢雲「」

提督「そっちこそ大丈夫?」

叢雲「…」

提督「叢雲?」

叢雲「冗談よ」

提督「え」

叢雲「ほら働け」

提督「叢雲さん?」

叢雲「私夕張に状況聞いてくるから」

提督「あ、うん」

とりあえず司令官を突き放し部屋を後にする。

期待外れの司令官の反応は私を冷静にさせるには十分だった。

叢雲「あーもう」

乱れた呼吸を抑えながら工廠に向かう。

叢雲『どう?調子は』

夕張『バッチグーです!』

盗聴器。それをスピーカーの中に仕込んである。

今度こそ、だ。

無線式のスピーカーという建前上何か電波が飛んでいても誤魔化しが効く。

夕張『今はまた部屋を出て緋色ちゃんの部屋に行ってるみたいですね。向こうの部屋にも置いてきたらどうです?』

叢雲『それは流石に悪いわよ。あの娘の事まで盗み聞くのはちょっと』

夕張『そこは悪いって思うんだ』

叢雲『何よ、私の事なんだと思ってるわけ』

夕張『冗談です。それとシステムの方ですけど』

叢雲『進展あった?』

夕張『これがもう全然さっぱり。想定通りではあるんですけどね』

目的はあの男の通信の手段、その相手を探る事。

こちらに隠している以上そうするだけの理由があるということ。

秋雲の存在も含めて怪しい箇所が多すぎる。

叢雲『そんなに難攻不落なの?』

夕張『湾岸要塞を落とすくらいキツイ』

叢雲『なるほど』

停電による再起動の隙にシステムの通信記録とかを覗ければすべて解決だったけれど、それは望みすぎよね。

夕張『だから後は、箱のほうに期待かな』

あの長屋に有線は通っていない。予測通りあの男が無線で鎮守府の回線に潜り込み通信を行っているとしたら。

夕張『システムから直接探すのは無理だったけれど、盗聴で何時通信をしてるかを割り出してそれを元に探れば、ワンチャンあるかも』

叢雲『色々機能を詰め込みすぎな気もするけど、電池でもつのアレ?』

夕張『そこは大丈夫ですよ。やってること自体はそう大したことじゃないので』

叢雲『ならいいけど』

夕張『一応これの見方教えておきますね。管理システムから開発の仮想サーバに入ってここに置いてある私のフォルダを開いて、これをクリックで』

叢雲『何このドキッ!覗き見ステップって名前』

夕張『これなら間違っても提督は開かないだろうなって』

なるほどそれは正しい。

叢雲『で、開いた画面のこの波打ってるのは?』

夕張『音声ですね。これだけ音拾ってるってことは部屋に戻ったのかしら』

叢雲『音声出してみて』

夕張『さっそく聞いちゃいます?』

叢雲『向こうもちょっとトラブルがあったみたいで、後で話すけど他言無用だからね』

夕張『あいさ。では聞いてる間私は復旧のほうやってますね』

叢雲『まだかかる?』

夕張『再起動自体はいつでもいけますよ。今は確認待ちです。システム課からの』

叢雲『ならもう少しかかるか。丁度いいといえば丁度いいわね』

夕張がPCの消音を切り音声が流れだす。

叢雲『雑音凄くない?』

夕張『あーこの嵐ですものねぇ。ちょっとお待ちを』

鎮守府でも1,2を争う広さを持つこの工廠でも先程からずっと嵐のせいでぐわんぐわんと呻き声が木霊しているくらいだものね。

電波の都合で窓付近に置くように言ったのは失敗だったかしら。

夕張『よし。これでいい感じじゃないでしょうか』

叢雲『あら、急にクリアに』

夕張『最近の技術はすごいですよね。簡単にノイズ除去できますし』

叢雲『これなら問題ないわ』

夕張『起動時にはまた声掛けますから』

叢雲『ええお願い』

緋色の事も気になるし、夕張から連絡が来るまで聞いていようと、そのくらいの感覚だった。

起動音が聞こえた。

どうやらあの箱を起動させたようだ。

「秋雲、無事か?」

叢雲『……は?』

夕張『どうしました?』

「いやぁビックリした。停電?」
「正解。そっちは大丈夫なのか?」
「幸いなんともなし。特になにもしてなかったし」
「それは重畳」

夕張『丁度お話し中でしたか。私じゃ何言ってるかわかんないですけど』

叢雲『…なんで、話せているの?』

夕張『なんで?』

叢雲『今、この鎮守府は有線されているメインシステム以外は完全にスタンドアローンのはずでしょ!』

夕張『えっと、あれ?なんで、かしらね…』カチカチ

夕張が画面を切り替える。

システムは確かにまだ再起動していない。

叢雲『こちらからは観測できない通信方法の可能性は』

夕張『そんなまさか、とは思うけど…でも可能性自体はいくらでもあるわ。情報部やらとつながりがあるのなら尚の事。でもそんなの私達の手には負えない、追えないわよ…』

私はそういった技術面に関して決して詳しいわけではない。それでもそのような手段が一調査員を名乗る彼に与えられているとは考えにくい。

なら一体何者だというの…

夕張『ど、どうする?』

叢雲『復旧を進めてちょうだい。これ以上は、今は無理でしょうから』

流石にこれ以上は手間を割くわけにはいかない。まずもって作戦の成功が第一だ。

想定外の結果が出てしまった以上一度保留にするほかない。

だけど、はたして私にどうこうできる相手なのかしら。

秋雲「やば、駆逐艦のお漏らしとかご褒美じゃんか」

男「んなわけあるか。あんなに焦ったのは久々だよ。人生で三番目くらいに焦った」

秋雲「一番と二番は?」

男「お前と、しーちゃんの時だな」

秋雲「つまり三番目の女か。そうやってハーレムを目指していくわけねぇ。っかし全員幼い見た目なのはこれ如何に」

男「おいやめろ。世間的にマズ過ぎる」

秋雲「で、見たの?ロリの下半身」

男「だから言い方をだなあ!あとそれについてはもう思い出させないでくれ」

秋雲「oh…お漏らしお着換えプレイとかあまりにも高度」

男「第一以前風呂の時に裸は見てしまったが、俺に幼女趣味はないと分かっただろ」

秋雲「いやいや裸であるべき風呂と本来隠されているはずの下半身を脱がして見るとじゃシチュエーションが違うでしょ!エロスだよエロス!」

男「知らねぇよ…」

秋雲「それに緋色ちゃんって別に幼女ってほど幼くはないじゃん?ちっこいけど割と成熟してるというか。ロリ扱いは失礼かな」

男「それはまぁ、そうだな」

秋雲「あー同意したあ!この娘はロリじゃない、ちゃんと女性なんだど思う機会があったってことだあ!」

男「今のはそういう意味の同意じゃねぇよ!」

秋雲「それとも駆逐艦の裸なんて見慣れてると?」

男「慣れるようなことがあってたまるか」

秋雲「じゃぁ秋雲さんと緋色ちゃんの二人だけかなぁ、裸見たの」

男「…そうだな」

秋雲「あれ、え?なにその顔!もしかしてそれ以外にも見てる!?彼女とかいないくせに?何時だ何処で見た!」

男「毎回一言二言余計なんだよお前は!」

夕張『盛り上がってるみたいだけど、何の話してるの二人?』

叢雲『なんかすっごいくだらない話…』

夕張『へー。仲、良さそうね』

叢雲『…そうね』

司令官が誰かと話している時のような楽しげな会話。

叢雲『仕事に戻るわ』

PCの音量を消し席を離れる。

これ以上聞きたくなかった。何故だかわからないけれど、そう感じた。

秋雲「一体誰の裸みたのさ!この前の薄雲ちゃんか!」

男「あの娘はすぐに名前思い出してたろ!」

秋雲「…しーちゃんか」

男「チガイマス」

秋雲「わー絶対そうだあ!少女趣味!変態!」

男「お前が言うな。それに、そんな生易しい体験じゃなかったよ」

秋雲「ふぅん。その辺の話、全然話してくれないもんねぇ」

男「俺自身話したくないってのもあるけど、しーちゃんの話を勝手にするわけにもいかないからな」

秋雲「いつかは聞かせてよね」

男「約束はできないぞ」

秋雲「善処する気はあるみたいだし許してあげましょ~う」

男「なんで上から目線なんだよ」

秋雲「そうだ。肝心の緋色ちゃんは?」

男「泣き疲れたのかすぐベッドに横になったよ。恐がって寝れないよりかはよかったかもな」

秋雲「明日はどうするつもり」

男「しばらくは付きっきりでいるほかないだろうな」

秋雲「ならちゃあんと気を付けておくことね」

男「わかってるよ。わかってる」

秋雲「ならよろしい。おやすみ」

男「おやすみ」

イベントもやるエルデンリングもやる

そういえば神風の漏らすとこ書きたくて始めたんですよねこれ
ごめんね神風

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男「これほどさっさと意識を落としてしまいたいと思うこともそうないだろうな」

寝たい、というわけではない。もうなんなら頭殴られて気絶とかでもいい。

思考を強制的に止めたかった。

こうしている今も先程までの攻防が延々と頭の中で思い起こされるからだ。

あの後緋色を抱きかかえて部屋に戻って気づいた。

ここで着替えるわけにもいかないと。

結局元の場所まで戻ってそのまま風呂の脱衣所まで運んだ。

未だに俺の胸元にしがみついて泣き声を押し殺している彼女に、濡れた服を脱ぐために立つ、というのはまだ無理だろう。

だからといって床に寝かせるわけにもいかない。ので仕方なくタオルを一枚敷いてゆっくりと体を寝かせた。

幾分落ち着いてはきたようだが、顔をすっかり両腕の裾で覆い表情を一切見せてくれない。

完全に脱力しタオルの上に仰向けで嗚咽を上げ続けている。

こうして足をまっすぐ伸ばしていると股の下から濡れた跡が広がっているのがはっきりと分かる。

もうこの時点で助けを呼んで逃げ出したい気持ちでいっぱいなんだがそうもいかない。

男『緋色』

反応は、ない。

男『このままってわけにもいかないだろう。一度脱いで、濡れた所だけでも風呂で洗わなきゃ』

まだ反応はない。

こういうのは放っておくと細菌とかが危ないから早く洗うべき、なのかもしれんが艦娘にそんな心配は無用だ。

だからまぁこのままでも害はない。極論だが。

でもそれは流石になぁ。

男『まだ、その…動くのが難しいなら、俺が着替えを手伝うってのは、どうだ』

反応は…

緋色『…』

男『…』

緋色『』コクリ

そこは反応なしであって欲しかったなぁ!

落ち着け。逆にさっさと脱がしてしまえば諦めて風呂に入ってくれるんじゃないか?

少なくとも現状維持よりははるかに良い。まずは行動あるのみだ、うん。

まず袴を脱がして、

袴ってどうやって脱がすんだこれ。

帯?まず帯を解いて、そのまま脱がしていいのかこれ?

不用意に足元のほうを引っ張って破けたりしても怖いので腰のほうから少しづつ下げて、

いやこのままだとパンツ丸見えなのでは!?

寝ている女児を脱がして下着を見ようとしている成人男性以外の何物でもないのでは!?

凄いな、なんか死にたくなってきた。

というかどの道下着も脱がなきゃなんだよな。俺がやるの?嘘だろ?

緋色『ッ!』ビクッ
男『す、すまん』

もう少しで下着が見えてしまうという位置まで下げたあたりで俺の手が袴の横にある隙間から緋色の太腿に触れてしまったようだ。

ダメだ止まったら終わりだ。

改めて袴をぎゅっと掴みそのまま下までおろした。

よし、濡れた袴をどうするかは後で考えよう。

残るは、

男『…』

下半身白い下着のみの緋色。

思わず両手で顔を覆う。

もう無理いっぱいいっぱいです。

間違いなく人生で一番の窮地。

緋色『もう、大丈夫だから』

男『へ?』

いつの間にか緋色は上半身を起こして座っていた。

泣き腫らした真っ赤な顔は随分な有様だったが、先程と比べれば随分ましだろう。

そしてそのまま

緋色『ンショ』

座ったまま下着に手をかけ、そのまま脚の先に濡れた白い布を滑らしていく。

海の上を力強く走る普段袴とブーツで隠れた二本の脚はピンと伸ばされ、間に張られた下着も併せて帆掲げるマストを髣髴とさせる。

男『ってそうじゃねえ!!』クルッ

あまりに自然に、流れるように行われたせいで顔を背けるのが遅れる。

もはや今更かもしれないが完全に色々と丸見えだった。が開き直るわけにもいかないので座ったまま緋色に背を向ける。

緋色『え、違うの?洗うんでしょ?』

男『それはそうなんだがな、そうなんだけどな、違くてな』

緋色『…課長さんも一緒に入る?』スルスル

男『何故!?』

緋色『だって、その…汚しちゃったじゃなぃ…』スルリ

男『そこは別に、それに緋色の着替えも取ってこなきゃならないし、それに』

緋色『私とじゃ嫌?』ギュッ

後ろから抱き着かれた。

背中の感触と、目の前に回された肌色の腕ではっきりとわかる。

素っ裸だこれ。

さっきまでと違い胸元に回された腕はとても弱弱しいものだったが、さっきまでとは比べ物にならない引力のようなものを感じる。

そのまま海中に引きずり込まれるんじゃないかと思う程の、渦潮のような。

それは、以前にも一度、いや二度目だ。感じた事のあるものだった。

男『叢雲に殺されると思うからなしで』

緋色『…それは怖いわね』

とりあえずその後風呂に入れて着替えさせて、どうにかなった。

男「明日いつもと同じように接する自信がない」

天井を見つめながらベットで呟く。

寝れないのは嵐のせいにしておきたい。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

夕張『すんごいの録れちゃった』

明石『どったの』

夕張『エロ同人の導入みたいなの録れちゃった』

明石『何の話?』

夕張『お風呂に仕掛けてたほうの盗聴器でね』

明石『あーそういう話かぁ。既に仕掛けてたのかぁ』

夕張『これ叢雲に渡すのはちょっと気が引けるなぁ』

明石『なになに気になるじゃ~ん』

夕張『聞く?思いっきり盗聴だけど』

明石『ん~、聞いてみてどうだった?』

夕張『思わずムラっと来ちゃった』グヘヘ

明石『聞く!』

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

夕張『どうだった?』

明石『これはもう実質SEXでしょ』ツー

夕張『鼻血鼻血』

叢雲『復旧お疲れ~…何してんの?』

夕張『ちょっとR18同人音声を嗜んでました』

明石『ティッシュ取ってティッシュ』

叢雲『あぁ、そう。じゃそういうことで』

夕張『お疲れ様~』

明石『……いいの?言わなくて』

夕張『一応叢雲もいつでも聞くことはできるから。めぼしい内容がさっぱり録れないから仕掛けた事忘れてるみたいだけど』

明石『逆に夕張はチェックしてたんだ』

夕張『いつかこんな展開が録れるんじゃないかと期待しててね。匂いがしたのよ匂いが』

明石『お、おぉ…凄いわね?』

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翌朝、嵐は去った。

穏やかな海と照り付ける太陽という絵に描いたような台風一過。

しかしながら俺の心情は決して穏やかとは言えなかった。

緋色『課長さん?』

男『なんでもない、次行こうか』

緋色『うん』

いつものように緋色の部屋で勉強、なのだが一点決定的に違う箇所がある。

緋色が俺の隣に座っている。それもほとんど密着状態で。

これまでは対面で行っていた。もちろん隣に座る場合もあったが基本は対面だ。

別に何か決めたわけでもないが自然とそうしていた。

はたして今日は今まで通りそうなるのか心配だったのだが、まさか逆とは。

男『なぁ、流石に引っ付きすぎじゃないか?』

緋色『嫌、だったかしら?』

男『そういうわけじゃないが…』

緋色『だったら平気よ!』

男『あーうん、そうだな』

変にギクシャクしてしまう事を考えたら別に問題はないか。

まだ昨日の恐怖が残ってるとかそういうのかもしれないし。

違和感はあるが午前中はそんな感じでいつも通りの勉強会を行った。

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男「…」

正午前。長屋のトイレから出てふと足を止める。

ここまでくると鎮守府の騒がしさが聞こえてくる。

無事嵐は去り一刻を争う中作戦は行われている。

見てみたい、という気持ちとその逆の気持ちが自分の中で同質量で存在していた。

後で飛龍が昼飯を持って来た時にでも少し聞いてみようか。

『あ、丁度良かった~』

部屋に戻ろうとしたところ、後ろから声がした。

男『瑞鳳?』

この声は瑞鳳だ。以前にも聞いた特徴的なこの声を間違えるとは思えない。

何故ここに?昼飯係か?

疑問を浮かべながら振り返って、そして、ギョッとした。

瑞鳳『やっほ』

日の光をよく反射する白とそれに負けない明るい赤の服。その左半分がどす黒い赤で染まっていた。

何故と考えるまでもない。明らかな血の色だった。

その衝撃的な見た目で気づかなかったが、よく見ると左肩の部分が破けている。

黒くくすんだ独特の破け方。被弾した、ということなのだろうか。

瑞鳳『どうしたの?』

男『どうしたって、それは…』

なんてことはない風に、まるでドッキリのためのただのメイクだとでもいうように瑞鳳はこちらに近づいてくる。

だがそんなことはない。人間なら大怪我だ。艦娘なら、どうなんだろうかこれは。

こうして普通にしているあたりそう大したものじゃない、のか?

瑞鳳『すっごく怖い顔してるよ』スッ

瑞鳳が俺の顔に手を伸ばしてくる。

すっかり固まった血の跡が残る左腕を伸ばして。

飛龍『いたぁぁ!!!』ダダダ

男『え?』
瑞鳳『あ』

飛龍が声をあげながらものすごい剣幕でこちらに走ってきた。

飛龍『ちょぉっとこの娘仮てくから!』ヒョイ
瑞鳳『にゃっ』

親猫のように瑞鳳首根っこをつかんで持ち上げる。

飛龍『あとこれお弁当ね!じゃ!』ビュン

男『お、おう、ありが』

最後まで言う前に瑞鳳を引っ張って走り去ってしまった。

何だったんだあれは。

男『昼飯届いたぞ~』

緋色『何かあったの?飛龍さんの凄い声がしてたけど』

男『あれここまで聞こえていたのか。ん~何があったのか俺もいまいちわかってないんだよな』

前にも似たような事があったっけ。飛龍のやつ本当に俺がとって食われると思ってるんじゃないだろうな。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

叢雲『何、あれは』

入居ドック前で艦隊の被害状況を記録してると妙なのがいた。

隅の方で正座させられている瑞鳳と仁王立ちで何かを聞いている飛龍だった。

気になるには気になるけれど、この忙しい時に関わり合いになりたくないというのも本音だった。

長波『あれなら私知ってるぞ』

叢雲『え、なんで』

長波『今加賀さん入渠中だろ?私さっき加賀さんのとこに装備運んでったんだよ。そしたら飛龍に瑞鳳を捕まえるように伝えてちょうだいって言われて、その通りにしたらああなった』

叢雲『えぇ…結局何一つわからない…』

長波『うん、私も分からん』

どうしようかしら。無視しとくか。

加賀『準備できました。いつでも出撃可能です』

長波『お、噂をすればなんとやら』

叢雲『丁度良かったわ。今貴方の話をしていたのよ』

加賀『私の?』

長波『正確にはアレの』チョイチョイ

加賀『アレ、あぁ…やはりでしたか』

叢雲『何があったの?』

加賀『瑞鳳は小破だったので入渠待ちで待機ということになった時、その、良くない感じがしたのよ』

長波『良くない』
叢雲『感じ?』

加賀『だから飛龍に伝えてもらったのよ。長屋のほうに探しに行くように』

長波『うん、ちゃんと伝えた』

加賀『先程は助かったわ。ありがとう』

長波『いいっていいって。でもせっかくだしご褒美とかねだってもいいかなって』

加賀『ちゃっかりしてるわね。考えておくわ。作戦後のお楽しみです』

あぁ、なるほど。長波は長屋という単語に重要性を感じなかったわけか。

無理もない。

叢雲『ならあっちの話は私が聞くべきね。あまり気は進まないけど…』

加賀『お願いします。あの娘、本当に何するかわからないもの』

長波『瑞鳳さんが?』

叢雲『大したことじゃないわ。気にしないで』

長波『ふぅん。まそう言うんならいいけどね』

何かを察したらしく素直に引き下がる長波。この立ち振る舞いを姉妹にもう少し分けてあげて欲しい。

叢雲『で、何があったわけ』

瑞鳳『あ、叢雲』
飛龍『む゛ら゛く゛も゛~』

正座しながらも普段のテンションで挨拶してくる瑞鳳と仁王立ちしながらも半泣きで助けを乞う目をしてくる飛龍。

普通逆でしょ反応が。

叢雲『はいはい、飛龍は戻っていいわよ』

飛龍『よっしゃ後は任せた!』

元気じゃん。物凄い速さで加賀を追っていく。

叢雲『で、何があったわけ』

瑞鳳『何か怒られた』

飛龍の言葉はみじんも伝わっていないようだった。

叢雲『とりあえずドックが開いたから入渠してきてちょうだい。話はそこで』

瑞鳳『はーい』

小破ではあるが瑞鳳は連戦。ここで一度ドックで休憩して編成は千代田と交代になる。

ドックに着くまでにスケジュールを組み立てる。

うん、十分程度なら余裕がある。

叢雲『彼に会いに行ってたんですって?』

瑞鳳『うん、丁度いいと思って。あ、ありがと』

ドック内で艤装を取り外す瑞鳳に手を貸しながら質問を続ける。

元々瑞鳳はあの男に妙に固執しているところがあった。

それは艦隊の皆が多かれ少なかれ持っている好奇心とは違うという確信がある。

叢雲『一体どうしてそこまで気になるのよ』

私は、ある程度の証拠をもって彼を怪しいと踏んでいる。

でも瑞鳳は違う。

この娘はもっと感覚的で、それでいてもしかしたら、

叢雲『貴方も彼を怪しいと思ってるの?』

瑞鳳『怪しい?なんでなんで?何か悪い事でもしてたの?』

あら?そういうことではない?

叢雲『違うわよ。ただ貴方がどうにも彼に固執しているように見えるから』

瑞鳳『気になったのよ。あんまり私達の事直視してくれてないみたいだったから、こうしたら見てくれるかなって』

叢雲『ま、普通そんな姿急に見せたら凝視するわよね。でどうだった?』

瑞鳳『微妙な感じだった。方向性が違うのかなぁ』

叢雲『なんにせよあまり勝手にいかないように。次は注意じゃ済まさないわよ』

瑞鳳『はーい』

ちょいちょいと頬をつつかれる。

いつの間にか肩に載っていた妖精達が私に向かって手をバッテンにしていた。

少し意識を深くして耳を済ませる。

妖精:作業します故

妖精:異物混入は許されませぬ

叢雲『ごめんなさい。今出るわ』

修理作業中は立ち入り厳禁。丁度いい時間だし今はこれが限界ね。

それにしても一体何が原因で瑞鳳の興味を引いているのかしら。

個人的に加賀や瑞鳳の感覚は馬鹿にできないと思っている。

私が気付いていない何かがあるのかしら。

気は進まないけれど、やはり盗聴を続けて

叢雲『あーダメダメ。今は作戦に集中!』

港を見ると修理を終えた艦隊が出撃したところだった。

伊勢『叢雲~支援艦隊準備出来たよ。もう集まってる』

叢雲『今行くわ』

作戦は順調だ。今は余計なことに現を抜かさず、目の前のことを片付けていこう。

私達のやるべき事は、あの水平線の先にある。

この先これ以上の露出イベントは発生しません、多分

艦これ9周年だそうですね。
自分はアニメから入ったくちなのでかれこれ7年になります。
書き始めたのは5年くらいですかね。
考える程時間って怖いですね。
神風のパンツで忘れましょう。

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嵐が去ってから一週間が経った。

執務室の窓からは呆れるほど何もない青空が見える。

長いようで短い一週間。

そして今、友軍艦隊からの連絡を受けた司令官が実に嬉しそうな顔で私に内容を報告してくれた。

待ち望んでいた、

その一瞬が訪れた。

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緋色『あら?』

男『なにか騒がしいな』

緋色を膝の上に乗せ二人で作戦記録書を読んでいた所、鎮守府が妙な騒がしさを見せ始めた。

作戦中に何かあったのか?しかしそれにしてはなんというか、緊張感がないような気が。

男『まさか』

緋色『何か心当たりがあるの?』

あるにはあるが、確証がない。そんな事を言うべきじゃないだろう。

そう考えている内に廊下から激しい足音が聞こえてきた。

また飛龍、いや?それにしては足音がやけに軽い。

『ていっ!』バンッ

緋色『キャッ!?』
男『えっ?』

ドアが勢いよく開かれる、のはもう見慣れた光景なのだが、問題はその扉を開けた人物の方だった。

男『叢雲?』

およそこういった行為とは無縁としか思えない彼女が目の前にいた。

叢雲『…フゥ』

そのままの状態で何故か一度深呼吸をする。

そしてベールのような薄い青空の髪を振り払って顔を上げた。

必死に抑えようとして、それでも零れる笑みに揺れながら、誇らしげに。

叢雲『作戦完了よ!!!』

緋色『ホント!?凄いじゃない!!流石!』

叢雲『ま、主力部隊はウチじゃなくて別の鎮守府だけれどね。それでも私達の大勝利に変わりはないわ』

男『鎮守府の騒ぎはそれが原因か。おめでとう』

叢雲『ふふん』

お嬢様はたいへん誇らしげである。

男『ん?て事はその知らせは今来たんだよな』

叢雲『ええそうよ』

男『…こういう言い方はアレだが、なんでいの一番にここに来たんだ?』

緋色『…確かに?』

叢雲『…え?』

今度は驚くほど間の抜けた表情を見せる。

こうも続け様に普段しない表情を見せてくれるのはとても面白いのだが、今は疑問の方が上だった。

叢雲『なんで、って』

固まってしまった叢雲のポケットからバイブ音がした。どうやら連絡が来たらしい。

叢雲『ごめん、もう行くわ』

男『お、おう』

緋色『行ってらっしゃ~い』

そそくさと扉を閉めて去ってしまった。

緋色『?』

緋色と顔を見合わせる。一体どうしたんだろうか。

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鎮守府の廊下を、執務室に向かって歩く。

吹雪『お疲れ~叢雲!』

敷波『港行こうよ、もうすぐ蒼龍さんたち帰って来るって』

天津風『ちょっと!次私達の番でしょ!』

秋雲『作戦終わったんならもういいっしょ!』

皆がそれぞれの部屋や持ち場から出てきて集まりだしている。

連合艦隊の第一第二、支援艦隊の第三第四。

周辺海域の警戒、奪取した海域の防衛、基地航空隊の整備等々。

艦隊の半数以上が鎮守府を出ているけれど、それでもまだ鎮守府に残る艦娘は多い。

川内『はーい注目~。一班は帰投航路の警戒行くからね~』

阿武隈『三班四班も準備しておいてくださ~い』

決戦ともなると駆逐艦、軽巡は殆ど鎮守府で待機となる。

その役割はむしろ作戦後の海上警備や物資の輸送になるのでここからが本番ともいえる。

予め作戦終了後の段取りは出来ている。

出撃予定のある者や野次馬達は港へ向かっているようだ。

最上『結局出番来なかったな~』

那智『いい事じゃないか』

最上『でもこの後輸送任務だよ。戦ってた方が楽かなぁ』

重巡は数の少なさに対して出番が多い、が今回は二人余ってしまった。

隼鷹『ヒャッハーお酒だお酒!間宮さんとこにつまみの発注だー!』

伊勢『待って待って!打ち上げ何時やるか確認しないと!』

誰が決めたわけでもないけど、こういう時打ち上げは空母や戦艦クラスがこぞって企画する。

といっても酒とその場所を用意するくらいなのだけれど。

互いが互いに今日までの苦労と努力を知っている。

互いが互いにそれを労う。

明石『お疲れ様叢雲』ガラガラ

大仰な装置を載せたカートを押しながら明石が工廠の方から歩いてくる。

お馴染みのカラオケ機器を食堂に向けて運んでいるようだ。

この後帰投した皆の修理等があるので早いところ持ち場に戻って欲しいけど、今はいいか。

『お疲れ~』

限界ギリギリまで出撃した者もいれば、特に出番のなかった者もいる。

でも誰も気に留めずお疲れと言う。

私達は個々ではあるが、この勝利は鎮守府全体のものであると皆が理解している。

提督「お疲れ、叢雲」

執務室に着く前に司令官と会った。

叢雲『あら、何処に行くの?』

提督「もうすぐ第四艦隊が帰ってくるから迎えにね」

叢雲『りょ~かい。私は執務室で待ってるわ。お疲れ様』

執務室に入り扉を閉める。

いつも誰かしらが出入りしているここも、今はガランとしている。

叢雲「あぁ、そっか」

静けさに包まれて私はふと理解した。

褒められたかったんだ。

活躍すれば皆褒めてくれる。それは嬉しい。

勿論司令官も褒めてくれる。とても嬉しい。

でもそうじゃない。

私達は本質的に人々を脅威から守るのが役目だ。

鎮守府にいると忘れがちだけれど、そのためにここを、海を守っている。

艦隊の皆も、司令官も、いわば一緒に走る仲間だ。

だから私は、そんな私達を後ろから見ている誰かに褒めて欲しかったんだ。

あの人とあの少女の言葉が、古傷の様にじわりと体の芯に突き刺さってくる。

叢雲「あぁもう」カァァ

身体が急激に熱を帯びていくのを感じる。

肩が上がり、手足が強ばり、顔が火照る。

そんなことを無意識に考え、いの一番に彼らに伝えに行った事がとても恥ずかしかった。

そして同じくらい、その結果に、二人の言葉に、嬉しいと感じた。

ただ戦ってるんじゃない。私達の戦いは、意味があるんだ。

不思議な感覚だった。

これがどういった感情なのか、私はそれを表す言葉を持ち合わせてはいなかった。

飛龍『え、なになにその顔。ヤバ、え、ちょ、写メ!写メ撮っていい?撮るよ?』パシャ

叢雲『』

給湯室からひょっこり顔を出した飛龍が流れるような動作でシャッターをきる。

しかも複数。

飛龍『うわーこれヤバいって。激レア。売れるわこれ。トーク画面にしよ』パシャパシャ

叢雲『…なにしてんの』

飛龍『何って、ちょぉっと提督のお酒をあー待って待って待てストップ!待って!?ごめん!消す消す!消すから!!槍はダメ!NO!槍はしまっtあー構えない!構えないでええ!?』

とか言いつつも冷静に司令官秘蔵のお酒を自分の身代わりにしようと前に突き出す。

叢雲『はぁ、まあいいわ。ほらサッサと行きなさい』

飛龍『あり、いいの?』

叢雲『お酒の事は管轄外よ。司令官に何言われても知らないからね』

飛龍『わーいやったー。サンキュッ』

叢雲『写真は消せ』

飛龍『アッハイスイマセン』

叢雲『目の前で消せ』

飛龍『ハイ』

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男『凄まじい騒がしさだな』

緋色『課長さんは行かないの?』

男『俺は何もしていないからな。あの場は、今回頑張った皆の場所だ』

お昼前に叢雲が飛び込んできてから半日。日が沈みかけてきた夕方。

どうやら事後処理が大方終わったらしく鎮守府では宴が始まっていた。

カラオケなんかもあるらしく憚る事なく大音量を垂れ流している。

周りが海と山だけというのはこういう時便利だ。

男『こりゃ一晩中続くかもな。夜どうするか』

緋色『どうして?』

男『こう五月蝿いと夜寝にくいだろ?ま、今日は我慢だな』

緋色『そっか、眠るのも大変なのね』

男『大変ってことも無いさ、多分な』

男『さて。少し早いがおやすみ』

緋色『おやすみなさい』

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秋雲「うわうるさ。誰よゲッダン歌ってるの」

宴が続く中秋雲といつもの報告会を行う。今は九時半。かれこれ四時間近く騒いでいるがよく続くもんだ。

男「そんなタイトルだったかこの曲?」

秋雲「あー気にしないで。で作戦の詳細だけどこんな感じね」

画面に今回の合同作戦の資料が表示される。

正直半分くらいしか理解はできないが。

男「無事完了って事みたいだな」

秋雲「というより予想以上に上手くいった形ね。初動と嵐が去った後の対応が完璧だったのが理由」

男「努力の賜物ってわけだ」

秋雲「世間への発表は明日かしらね」

男「そうか?いつもはもう少し遅いと思ってたが」

秋雲「時期が時期だからねぇ。なるはやで大々的にやるんじゃない?」

時期?なんかあったか?

秋雲「なんにせよこれでようやく緋色ちゃんの訓練再開ね」

男「そうだな。無駄、と言うのはどうかとは思うが時間を食ってしまったからな。少し急がないと」

秋雲「そういや今日も緋色ちゃんはべったり?」

男「まぁ、うん」

秋雲「なんなんだろうねぇ。真面目な話漏らしたところ見られてそれって意味不じゃん」

男「そうなんだよなぁ。正直不気味ですらある」

秋雲「大事なところも見られてるし」

男「それはもういいって」

秋雲「よくはないでしょうがぁ!ってそもそも艦娘にその手の羞恥心というか倫理観求める方が変かもだけどさ。よくよく考えたら生殖能力ないんだし大事なところでもないのかな?」

男「艦娘の大事なところねえ。航行能力、いや浮力の方が船としては大切なのか?」

秋雲「さぁてね。今度しーちゃんに聞いてみる?そういう意識調査とかしてそうじゃんあの人」

男「…お前はどうなんだ?」

秋雲「え~~~それ聞いちゃう~~??」ニヤリ

うっわ凄いうぜぇ顔。

秋雲「な~んて、私の場合どっちにしたって過去形だけどさ」

男「そうだな」

秋雲「…」

おっとこれはさらに何か面白い事を思い付いた顔だ。そしてこいつにとっての面白い事というのは往々にして俺にとって面白くない事だ。

秋雲「なんなら今確認してみるぅ?」ニヤニヤ

男「そうか、頼む」

秋雲「…え?」

やられてばかりなのも業腹なので少し反撃してみる。

本当に実行したとして、それはそれでどうするつもりなのかというのも正直気になる。

秋雲「…」

男「…」

秋雲「あ、加賀岬だー」

目を泳がせながら露骨に話題を変える。

その少し赤くなった顔を弄ってやりたいところだが、自分自身が今冷静な表情を保てている自信がなかった。

男「皆歌上手いよなー」

両者痛み分けとなった。

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男「そろそろ寝るか」

秋雲「おっと、ちょっと喋りすぎちったかな」

男「今日はいいだろう。ん?」
秋雲「あり?」

聞き慣れない着信音が部屋に響いた。

男「こっちか」

秋雲「あー鎮守府用の端末か」

男「…」

秋雲「誰から誰から?」

男「提督から」

秋雲「ほほう」

秋雲の顔が真剣なものに変わる。

男「なんで今」

いや、そういえばさっきから例のどんちゃん騒ぎが聞こえない。

宴会は終わったのか?

だとしてもこのタイミングで電話をかけてくる意味はやはり分からない。

男「もしもし」

スピーカーに切りかえ電話に出る。

「あぁよかった。もう寝ているかとも思ったのだけれど、遅くに申し訳ない」

男「それは構わないが、一体どうしたんです」

「もし迷惑じゃなければ少し話せませんか?執務室で。いいお酒もありますし」

男「…わかりました、今から向かいます」ピッ

秋雲「随分と急だね」

男「作戦が終わるまで待っていた、ってことか?だとしてもこんな時間に呼び出す必要はなさそうだが」

秋雲「ん~見当がつかんね」

男「行ってみるほかないか」

秋雲「気を付けてね」

男「そういうのじゃないことを祈るよ」

長屋を出る。

すっかり沈んだ日の光は満天の星空を照らし、地上はそこから僅かに零れ落ちた明かりで辛うじて形を保っていた。

さっきまでの喧騒の反動かいつもより鎮守府は静まり返っている。

比喩じゃなく本当に。

というか建物真っ暗じゃん。どうやって執務室まで行こう。明かり付けたら怒られるかな?

男「ん?」

唯一明かりがついているところがあった。

その明かりはゆっくりと動き、長屋に通じる扉を開けた。

男『貴方は』

『どうも。初めまして、になりますね』

その明かりはぺこりとお辞儀をした。

男『鳳翔、だよな』

鳳翔『はい。軽空母鳳翔です。提督から貴方の案内をするようにと』

瑞鳳程ではないが軽空母の中でもかなり小柄な彼女が懐中電灯を片手に立っていた。

男『助かった…どうやって向かおうかと悩んでいた所だったんだ』

鳳翔『どうぞこちらに。足元にお気を付けください』

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鳳翔『失礼します、提督。お客様のご到着です』コンコン

「どうぞ」

鳳翔が丁寧に扉を開ける。

提督「こんばんは」

提督は奥の仕事机ではなく手前のソファに座っていた。

目の前のテーブルにはお酒やつまみなどが並んでいる。

提督「鳳翔さんもありがとう」

鳳翔「私が言い出したことですから」フフ

あれ?さっき提督に言われて迎えに来たと言っていたが。

男「というか話せるのか、鳳翔も」

鳳翔「はい。ひぃちゃんから教わったんです。先程は他の方が近くにいたので控えていました」

ひぃちゃん?

男「…飛龍?」

鳳翔「正解。流石ですね」

男「流石って」

意外とお茶目だなこの人。

提督「どうぞ、遠慮せずかけてください」

提督の向かいのソファに座る。

一見するとただの飲み会のような風景だ。

夜の密会でさえなければ、だが。

男「それで、一体どういったご用件で」

提督「いやぁちょっと愚痴を聞いてもらおうかと思いまして」ハハハ

男「…はい?」

既にいくらか酔っているらしい。

冗談、だよな?

鳳翔「あ、課長さんも何か食べますか?卵とイカと、オクラ枝豆なんかがありますけれど。卵焼きくらいであれば作りますよ?」

給湯室から鳳翔が顔を出す。その部屋コンロとかまであるのか。

男「え、えっと、じゃぁ卵焼きで」

鳳翔「少々お待ちください」

何このゆるい感じ。マジで飲み会?

提督「あ、何飲みます?ワインとかはないですけど」

男「じゃぁ、これで」

机にあった適当な酎ハイを手に取る。

提督「それでは、乾杯」

男「か、乾杯」

提督が手にしたグラスを一気に飲み干す。随分な飲みっぷりだが。

男「てっきりお酒は宴会でたらふく飲んでいるものと」

提督「飲むには飲みますけどね。ほんの少しですよ。彼女たちに合わせていたら肝臓がいくつあっても足りませんから」

男「確かに…」

艦娘はアルコールで酔わない。強いとか弱いという領域ですらない。

提督「だからこうして宴会の後にささやかに楽しむのが趣味なんですよ。宴会は宴会で、皆の事を見ているだけでお腹いっぱいですから」

男「それはまた、贅沢な話だ」

鳳翔「お待たせしました。卵焼きです」

男「どうも」

鳳翔「それでは私も失礼します」ヨイショ

男「あれ?」

鳳翔「はい?」

男「いや、提督の隣でなくていいのかなと」

ちょこんと俺の横に座る。その落ち着いた雰囲気を除けば本当に子供に思える程小さい。

鳳翔「先約がいますからね。それに貴方の話を聞きたいですし」

男「俺の?」

提督「鳳翔さんの提案なんですよ。貴方を呼ぼうというのは」

鳳翔「提督が課長さんの事を気にしていたようだったので、だったら呼んでしまえばいいと思っただけですよ」

男「それでわざわざ」

提督「ここでは僕は常に提督ですからね。それは別にいいんですけど、どうしてもただの人間と飲む機会が欲しいと思う時があるんですよ」

男「それが俺なんかでいいのか?」

提督「例えば組織の人間としての愚痴なんかを話す相手が欲しくてね」

男「あぁ、それなら色々ある」

提督「でしょう?」

嬉しそうな表情で提督が再びグラスをこちらに傾ける。

俺もゆっくりと缶を差し出しグラスにこつんと押し当てた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

提督「民間の組織を手下か何かと勘違いしてるんだよねぇ。軋轢によるしわ寄せは殆ど実際に関わる僕らに来るってのに」

男「そうなんだよなぁ。そりゃ有事なんだし協力を拒むことはしないだろうが、それを当然とか思ってやがる」

提督「自分達は命令だけ降ろして報告には何から何まで上に上げろってんだから殿様が過ぎる」

男「そのくせ欲しいもの以外は読まずに責任丸ごとポイ。胃に入れるだけ山羊の方がまだマシだ」

提督「そして山羊役だけが僕らに回ってくる」

鳳翔「山羊?」

男「あぁgoatか」

鳳翔「あ、スケープゴート」

提督「そう」

男「美味い。鳳翔さんの卵焼きくらい」

鳳翔「おかわりをご所望ですか?」フフ

男「それはまたの機会に」

提督「鳳翔さん自分で色々作るのにつまみはいつもスナックですよね」

鳳翔「作れるからこそ、こういう作れない味が好きなのかもしれませんね」

提督「説得力あるなぁ」

鳳翔「お酒もなくなってきましたし、私もそろそろ戻りますね」

提督「酒ならまだありますよ。飛龍に隠してたとっておきのが。えっと確か給湯室に」

たらふく飲んだ割にはそこそこな足取りで隣の小部屋に向かう提督。

それを無視して鳳翔さんはお皿を片付け始めた。

男「もういいんですか?」

鳳翔「普段は見れない貴重な提督を見せてもらいましたから。役得というやつですね」フフ

男「悪い人ですね。お皿も持って帰るんですか?」

鳳翔「食堂に置いておけば明日の当番の娘が洗ってくれますから」

結構強かだなこの人。

鳳翔「それに、これ以上独り占めしたら怒られちゃいますし」

男「怒られる?」

鳳翔「それでは、おやすみなさい」

男「えぇ、おやすみなさい」

そそくさと部屋を出て行ってしまった。

怒られるっていったい何の話だろうか。

時計を見るととっくに日付を回っていた。

俺もそろそろ戻るべきか。

提督は、まだ給湯室で何か探しているようだ。

妙に物音がうるさい。一体どこにしまったんだか。

叢雲『ちょぉっとぉ。五月蠅いわよ~』

男「え」

執務室の奥。給湯室の反対側。つまり提督の寝室へつながる扉がゆっくりと開いた。

いかにも起き抜けといった具合の声を発しながら叢雲が真っ暗な部屋から出てくる。

そこまではいい。いいんだが、

男「む、叢雲さん?」

叢雲『ん~?』

いつもの流水のような髪は今さっきまで寝ていましたと言わんばかりにふわりと癖がついているし、

見慣れた制服ではなく青白いワンピースのような寝間着。しかもその一着だけ、に見える。

少なくともぱっと見は他に何か着用しているように見えないという非常に際どい恰好。

さっき鳳翔さんが言っていたのはこいつの事か!

というかこれ知ってたなら先言えよ!あの人茶目っ気が過ぎないか流石に!?

提督「酒ない…なんで…あ叢雲、おはよう」

叢雲『…?』

本来この部屋には提督一人しかいない、という先入観から俺に話しかけていたらしい叢雲が本物の提督を認識したようだ。

叢雲『?』

寝ぼけた頭がフリーズする。と、同時に眠気が徐々に覚め思考が加速していく。

叢雲『』

目が大きく開く。とりあえず状況は理解したようだ、がさてここからどうするのか。

叢雲『ッ~!?』

色々と吹き出しそうなのを堪え徐々に赤くなりながらもゆっくりと元の部屋に戻り戸を閉める。

男「どうすんだこれ…」

帰ろうか。それはそれで後が怖いけど。

提督「アレ、なんで戻るの」

男「え、あ、おい」

提督「お~い叢雲~」ガチャ
男「待っ!」

当然のように扉を開ける。

どう考えても地雷原でタップダンスするレベルの愚行。

あまりによどみない動作に静止は間に合わなかった。

叢雲『バカアァ!!!』
提督「グェッ」

扉の中からすっ飛んできた叢雲の頭部ユニットが提督のみぞおちに深々と突き刺さる。

提督「」

静かに床に転がる阿保を見つつ、とりあえず残っていた缶に口を付けた。

男「表情豊かだな、叢雲は」

提督「ん…?」

腹部をさすりながらどうにかソファに戻った提督に問うてみる。

提督「元々感情豊かな方ではあったけど、ここまで色々な反応を見せるのは君が来てからだよ」

男「俺が?」

提督「良い刺激になってるんだと思う。彼女達にはそういうのが必要なんだ」

男「良い刺激、なのかね」

提督「皆最初から個としての人格を有しているし、ある程度知識や記憶もある。でもそれは船としての部分だ。人としては生まれて数年の子供と同じ。感情というものとの付き合いはとても浅いんだ」

男「子供か。言いえて妙だな」

提督「それが彼女達にとって良い事なのかどうかはわからないけれどね。それでも僕はもっと人と触れ合ってほしいと思ってるんだ」

男「色々考えているんだな。まるで父親だ」

提督「余計なお世話かもしれないけど」

男「結果的にどうなるかはともかく、考えることは大事だよ」

静かに扉の開く音がした。

男「お」
提督「あ」

叢雲「死にたい…」

普段の服装に戻った叢雲が提督の横に座り両手でジュース缶を握りしめながら項垂れている。

提督「さっきまで鳳翔さんもいたんだけど、ついさっき戻ったみたいで。あ、彼を呼んだのも鳳翔さんの提案でね」

叢雲「あの野郎…」

まさかのあの野郎呼ばわりである。多分間違ってないけど。

男「そもそも叢雲はその、寝てたのか?」

提督「流石に作戦中はずっと気が張りっぱなしだからね。いつも宴会後はスイッチが切れたみたいに寝てるんだ」

男「なるほどそれで」

エネルギー残量10%以下といった感じに見える。

叢雲「死にたい…」

提督「さてせっかく揃ったんだしやはりアレが欲しいな」

落ち込む叢雲をガンスル―する提督。

再び席を立ち給湯室に酒を探しに行く。そんなに大事なのだろうか。

叢雲「…なんでいんのよ」

恨みがましそうな目で俺を睨みつけてくる。

男「今あいつが言ってた通りだよ」

叢雲「せっかく二人きりになれるところだったのに」

男「邪魔だったか?」

叢雲「えぇそうよ邪魔よこの上なく邪魔よ」グビッ

開き直ったのかムスッとした顔でブドウジュースを飲み込む。

男「鳳翔さんは普段は見れない提督が見れるとか言ってたが、お前もそのくちか」

叢雲「鳳翔が?ふぅん。知ってる?彼女結構強敵よ」

男「それはなんとなくわかった」

叢雲「…ねぇ、さっきの私の恰好、どうだった」

男「…どう答えたら生きて帰れる」

叢雲「私の事なんだと思ってるのよ」

男「ん~メンヘラ?」

叢雲「…貴方酔ってる?」

男「そこそこは」

叢雲「お酒って嫌ね。酔うってのは、私にはよくわからないわ」

再びジュースを飲む。今度は一口だけ。

男「艦娘ってのは雰囲気に酔うそうだな」

叢雲「そうね。アルコールの影響は受けないもの。逆に言えばこうしてジュースを飲むだけで私達には十分」

男「酔ってる?」

叢雲「少し」

男「…さっきの格好だが、奇麗だったよ。流石に少し驚いたが」

叢雲「ムラっとした?」

男「例えしててもはいとは言えないだろそれ」

叢雲「あらぁ否定しないの?」

男「断固として否定する」

このダル絡みは秋雲を思い出す。艦娘ってこういうの多いんだろうか。

叢雲「人間の男女って不思議よね。司令官に触れながら寝るととても心地良いけれど、それは多分私が艦娘だから感じられるものなのよ」

男「それは人間でも同じ気もするけど、人になりたいのか?」

叢雲「さぁ、わからないわ」

俯いて手元の缶を見つめる小さな少女の表情は、俺には窺い知れなかった。

叢雲「わからないわよ」

男「わからない、か。俺も自分が分からなかったことがあるよ」

叢雲「あら、今はわかってるのかしら?」

男「さてどうだかな」

ガシャンと大きな音がする。また給湯室からだ。

男「あいつまだ探してんのか」

叢雲「何やってるの」

男「なんかいい酒が取ってあるとか」

叢雲「あぁ。司令官~、それ飛龍が持ってったわよ~」

提督「え゛」

給湯室から断末魔が聞こえた。

叢雲「そういえば、貴方達随分と仲良くなったわね」

男「ん、そうか?」

叢雲「そうよ」

提督「話してみれば、僕ら結構立場が似通ってるからね」

男「中間管理職か?」

提督「そんなところさ」

叢雲「ふぅん」

眠さからなのか、さっきのことが尾を引いているのか。

随分とおとなしい叢雲はいつもと違いすぎてなんだかやりにくい。

提督「仕方ない。アレを出すしか」

今度は寝室のほうへ向かう。

男「なんでそんなに隠してあるんだ…」

叢雲「勝手に持ってくやつが多いのよ」

男「提督はやめろって言わないのか?」

叢雲「予算で買ってるから強く言えないのよ」

男「注意されるべきはあいつのほうかよ」

叢雲「調査だけじゃなく監査までやる気?」

男「あんな面倒な仕事誰がやるか」

叢雲「同感」スッ

叢雲が席を立つ。そしてそのまま向かい側、俺の隣に座る。

男「さっきまで鳳翔さんが座ってたよ」

叢雲「なんて言ってた?」

男「俺の話を聞きたいとかなんとか」

叢雲「そういうことよ」

男「そういうものなのか」

叢雲「そういうものよ」

男「え」

何の脈絡もなく至極当然のように村雲が静かに俺の右肩に寄りかかってくる。

男「どうした?」

叢雲「対して違わないわね。アンタも司令官も」

男「同じくらいの体格だしな」

叢雲「そうじゃなくて、それもあるけど」

男「じゃあなんだ」

叢雲「…同じ人間なんだなって」

男「そりゃあまぁ」

提督「あったよあった」ガチャ

叢雲「!」バッ

凄まじい速度で俺から離れる叢雲。

そこは見られたくないのか。

提督「あれ、叢雲もそっち側?」

叢雲「今日は私もお客人よ」

提督「なら改めて乾杯といこう」

久々に楽しい時間だった。

最後にこんな時間を過ごしたのは、いつだったろうか。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

男「…ん」

身体が重い。なんだこれは。瞼を開けると、瞼?

部屋が暗い。明かりは消えている。

だが真っ暗ではない。窓の外から、カーテンから指しているのは日差しか?

寝ていた?寝たのか?いつ?

金剛『〇〇〇〇』

男「」

目の前に金剛がいた。しかも流れるように口汚い英語をぶつけられたような気がする。

男「えっと、ここは」

金剛『話すならその喋り方はNGデスよ、酔っ払いさん』

男『…これは失敬』

段々と頭が起きてくる。

どうやら金剛は目の前のソファで座ったまま仲良く眠っている提督と叢雲に毛布を掛けているようだった。

いつの間にかみんな寝て

寝て?

男『ひょっとしてとっくに日が昇ってる?』

金剛『残念ながらまだMorningネ。その様子だとかなり遅くまで飲んでたみたいだけど』

男『あぁ、いつ寝たかわからないくらいには…』

金剛『そう』

冷たい対応だった。

いや、金剛は俺に対してかなり警戒的なタイプだ。今すぐに追い出されないだけマシなのかもしれない。

男『手伝おうか?』

机の上に散乱した飲み会の跡をテキパキと片付ける金剛に思わず声をかける。

金剛『No Problem.お客様はじっとしててくだサーイ』

そう言ってまとめたゴミや容器を器用に調理場へもっていく。

…なんか、思ったより対応が柔らかい?

じっとしてろと言われてしまったので目の前の二人を眺める。

提督のほうは口を半開きにして随分とだらしない寝顔をしている。

叢雲のほうはまるで人形のように静かに、微動だにせず提督に寄りかかって寝ている。

提督の左腕の中に潜り込み、左胸に耳を押し当てるような形で。

じっと見れば、鼓動に合わせて叢雲の身体が小刻みに揺れていた。

金剛『素敵な寝顔ネ』

男『俺もこんなだらしない寝顔してたりしたか?』

金剛『さぁてどうでしょうかネ~』ニヤリ

不安だ。

金剛『…二人のこんな表情見たのは初めてデース』

男『普段はこんなに飲まないのか』

金剛『そうじゃなくて…はぁ、嫉妬しちゃいマース』

男『嫉妬?なんで』

金剛『乙女にあまりあれこれ聞くものじゃないデスよ~』

あからさまにはぐらかされた。

いつもより話しやすい雰囲気のせいでつい色々聞いてしまいそうになるが、確かに分をわきまえるべきか。

金剛『Heyカチョー。昨日の今日なので鎮守府はお休みmodeデスが、それでもこの時間には出撃や遠征に行く娘もそこそこいマース』

男『は、はい』

いきなり真面目な顔で話が始まるのでつい身が強張る。

金剛『つまりこのまま長屋に戻ろうとすれば誰かとEncountする可能性が大デース』

男『む、そういう話か』

確かにそれはまずいな。

それなりに交流が増えたとはいえ艦隊の俺に対する警戒度はまだ高いだろう。

それをまさか提督の部屋から朝帰りする所を見られでもしたら、瑞鶴なんか即爆撃してきそうだ。

金剛『ということで、私がちょっとした裏道を案内してあげマス』

男『それはありがたいが、いいのか?』

金剛『不満ですカ?』

男『まさか』

提督ではないが、戦艦金剛の頼もしさくらいは知っているつもりだ。

男『そうと決まれば早めに』

ソファから立ち上がろうと凝り固まった体を少し伸ばしていると

金剛『ちょっとじっとしててくだサーイ』
男『へ?』ヒョイッ

持ち上げられた。

両脇をがっしりつかまれ幼児でも持ち上げるかのように軽々と。

流石艦娘。

男『え、あの、金剛さん?』

眼下の金剛は俺のことをじっと見つめている。

かと思うとそっと俺を地面に降ろした。

男『???』

金剛『ホラ、行きますヨー』

まるで何もなかったかのように執務室を後にする。

なんだったんだ、とは今度は聞かないことにした。

外はすっかり明るくなっていた。まだ少し肌寒い朝の気温が寝ぼけていた体に刺さる。

男『外にも階段があったのか』

執務室を出て、来た方向とは逆に行くと外へ通じる扉があった。

非常階段なのだろうか。確かにここなら多少はエンカウントし難いだろうが、

そこまで案内が必要なルートとも思えない。

金剛『課長は提督より少しHeavyネ』

男『一応脂肪じゃなくて筋肉のはずだ。というかさっきのでそんなことまでわかるのか』

金剛『なんとなくデスヨ。ただなんとなく、提督と同じ人間なんだなぁって』

男『それ、似たようなことを昨晩叢雲も言ってた気がする』

金剛『叢雲も?ふぅん、そう』

前を歩く金剛の表情は俺からは見えなかった。

金剛『私達は皆囚われのPrincessデスからネ。外のことはどれも物珍しんですヨ』

茶化すような口調でそんなことを言う。

金剛『貴方はさしずめ王子様ってところデスネ』

男『俺があ?』

心にもないことを、そう思ったがどうやら違うようだった。

金剛『彼女を助けたいんでしょ?』クルッ

金剛が足を止め振り返る。

俺をまっすぐ見つめるその瞳は、確かに軍艦の眼だった。

男『あぁ』

それだけは確かだった。

金剛『なら、私も協力しマース!』

一転、普段のテンションに戻って歩き始めた。

男『そりゃありがたいが、協力って具体的に何をだ』

金剛『私こう見えても鎮守府の中ではかなり影響力のあるほうなんデース』

むしろ金剛の影響力が低い例を知りたいくらいだが。

金剛『だから艦隊の皆と貴方との間にある壁を私がBleakしてあげマス!』

男『…いいのか?』

金剛『貴方を認めると、そう言っているつもりデス。多分叢雲も同じようなことを考えていると思いますヨ』

男『でも、ほかの皆がどう思っているかは別だろう』

金剛『勿論全員がとはいかないでしょうケド、瑞鶴とか』

男『だろうな…』

金剛『でもそうでない娘のほうが多いネ。壁といっても、殆ど薄氷のようなものデース。興味はあるのにギリギリで保っている最後の一線ってやつネ。小突けばすぐヨ』

男『金剛がそう言うなら、多分そうなんだろうな』

金剛『頼みましたよ。あの娘のこと』

男『約束はできないが、やれるだけのことはやるよ』

金剛『ならOKネ。さて、Navigateはここまで』

見れば長屋はすぐ目の前だった。建物の外側を通っできただけにしては幸運な事にエンカウントはしなかった。

男『ありがとう』

金剛『こちらこそ』

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

男「はぁ…」

秋雲「あー帰ってきたぁ、って何その顔」

男「普通に二日酔いだこれ。軽い奴だけど」

秋雲「え、なに、普通に飲んでたの昨日?」

男「うん」

秋雲「なにそれ怖い」

男「詳しくは、また今度な」バタッ

布団に倒れこむ。

二日酔い自体は確かに軽いものだったが、座ったまま寝てたことによる体への負担がすごい。

思い切り体を伸ばせることがこんなにも気持ちいいとは。

秋雲「そろそろ緋色ちゃん起きるけど」

男「…そうだった」

秋雲「どうすんの」

男「…午前は休暇にするか」

秋雲「なんて横暴な…」

男「うるせー」ゴロン

仰向けになり少し目を閉じる。

金剛が言っていたことがまだ頭に残っている。

男「囚われの姫か」

自分達を、あるいは緋色の事を指しているのだろう。

しかし、その言葉に俺は昔のしーちゃんの事を思い出していた。

まだしーちゃんと呼ぶ前の彼女を。

秋雲「何耽ってんの緋色ちゃん起きるって言ったじゃん。昔の女でも思い出した?」

男「そういう関係じゃねぇって」

秋雲「え、何々ホントに誰か思い出してたの!?誰々!?」

男「…」

メンドクセェ…緋色起こしに行こうかな。

秋雲「で、飲み会で収穫はあったわけ?」

男「…久々に友達ができたよ」

秋雲「へぇ、良かったじゃん」

男「だな」

それだけは間違いない。

絶賛イベント攻略中(E3-3甲)

弊鎮守府では艦娘は人間の構造を模しているだけで生命としての機能は有していない存在となっております。
いくら飲んでも平気っていいですよね。
バカみたいに熱くても平気なのも。
残念ながら我々は人間なので皆さん熱さには気をつけましょう。

金剛『さぁて折角なので提督の寝顔を~』ガチャ

叢雲『あら、悪いけどシャッターチャンスはなしよ』

金剛『げっ』

執務室に戻ってきた金剛を出迎える。

司令官はまだソファまで寝こけているけれど、この寝顔をおいそれと渡すつもりは無い。

それに

金剛『起きてましたカ…』

叢雲『アレだけ騒がしかったらねぇ』

トントンと自分の頭を指さす。

金剛『uh…』

叢雲『許可なく鎮守府内で艤装を使った通信を行ってはいけない。わかってるでしょ』

金剛『正直バレないかなぁって』

叢雲『アンタそういうとこ結構適当よね…』

艤装には船の機能が概ね詰まっている。

船として浮く力、進む力は勿論、砲撃雷撃、装甲や電探、それに通信機能。

海上でわざわざ端末を使用してメッセージを打つなんて事はしない。通信は全て艤装の、つまり頭の中で行う。

叢雲『で、一体何話してたの』

金剛『比叡達に、外階段から長屋にかけて人払いをしてってお願いを』

叢雲『何故』

金剛『聞いてたんじゃないんデスか』

叢雲『ここでの会話くらいはね』

金剛『あの人に協力しようと思ったからデス』

叢雲『意外な理由ね』

金剛『そうデスカ~?個人的には悪くないと思ってますけど。叢雲だってそうでショ?Faseにそう描いてありマース』

叢雲『寝顔に?』

金剛『Cuteでしたヨ』

叢雲『…そりゃどーも』

金剛『…ちなみに最初の方って本当にsleepしてマシタ?』

叢雲『絶ッ対誰にも言わないでよ、お願いだから』

金剛『モチのロンネ!』イェイ

不安な回答だけど金剛ならば大丈夫でしょう。多分。

金剛『私や比叡達が協力したと知れば、皆さんこれまでのようになんとな~く距離を置くのではなく自分の判断で立ち位置を決めるようになる、と私は踏んでいマース』

叢雲『それでわざわざ連絡を。まぁ悪くはないんじゃない。嫌いじゃないわよそういうの』

金剛『それはよかったデス』

叢雲『それはそれとして無許可で通信の罰として宴会の片付けしてきなさい』

金剛『それはよくないデース…』

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

金剛は言っていた。

俺と個々の艦娘との間にある壁を壊してやる、と。

彼女ならきっとできるのだろう。

期待はしていた。していたが、

飛龍『いっぱいいるけどいい?』

蒼龍『ども』
葛城『ども』

男『急すぎるだろ』

元々叢雲と話してはいた。

ここしばらく緋色の状態は安定していたし、記憶の糸口が全くつかめない以上他の艦娘ともっと接触を計った方がいいと。

駆逐艦、軽巡洋艦以外との接触はほぼしてないからな。

願ったり叶ったりな状況ではあるんだろうけど。

葛城『わぁかっわいぃ~!』グリグリ

緋色『ちょっと!くっつきすぎくっつきすぎだからぁ!』

飛龍『やはり緋色ちゃんの魔力には勝てなかったか』

蒼龍『ヘアセット持って来たから後で髪いじらせて~』

男『あんまり羽交い絞めにしてやるなよ』

緋色『いえ、飛龍さんほどじゃないし大丈夫よ』

葛城『…今どこ見て言った?』

飛龍『緋色ちゃん意外とあるもんねぇ』

蒼龍『葛城よりあるんじゃない?』

葛城『酷い!流石にそんなこと』フニ
緋色『ヒャッ?』

葛城『…意外とある』

男『…』

地獄かここは。

この空気の中で昼飯食わなきゃいけないのか俺。

まさか金剛と話して半日も経たずにこんな状況になるとは。

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葛城『ぶっちゃけ警戒する理由って軍関係者って所なのよね』

金剛が言っていた話をするとそんな答えが返ってきた。

飛龍『あ~ね』

男『やっぱそういうものなのか』

蒼龍『9割はろくでなしってイメージ。で残りの1割がやたらと良い人。そこに0.1%位の変人を少々』

飛龍『料理か!隠し味は?』

蒼龍『え、え?えと、愛情?』

飛龍『くぅ~見たかねこのピュアリティ』

俺に振るな。

男『俺はどっちだった?』

葛城『どっちでも。なんか一般人って感じ。一般人知らないけど』

男『喜ぶべきなんだろうか』

蒼龍『提督に近いよね雰囲気は』

緋色『そんなに怖い人多いの?』

飛龍『怖くはないけど、嫌な奴~って感じ』

葛城『大丈夫大丈夫。私達が守ってあげるから~』ナデナデ

緋色『ん~…葛城はなんだか頼りないわ』
葛城『ん、え?え、と、えぇ…』
飛龍『ブフッ!」
蒼龍『ッーー!」バンバン
葛城『そんなに笑わないでくださいよぉ!』

男『飯冷めるぞ』

蒼龍『じゃそろそろ戻ろっか』

男『緋色は航行訓練だな』

緋色『う、うん…』

男『久々で緊張するか?』

緋色『え、えぇ、そうよ!ちょっとね』

葛城『私達もついてこっか?』

飛龍『空母は他の艦とはわけが違うんだしあんまりアドバイスも出来ないんじゃない?』

蒼龍『はいはい大人しく戻りましょうねぇ』

葛城『ちぇ~』

緋色『私も、行ってきます』

男『おう、行ってらっしゃい』

記憶の方はまったくだが鎮守府には大分慣れてきているように思える。

こうして皆と接触していればそれだけ早く溶け込めるだろう。

それだけでも十分な成果だ。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

男『お、いたいた』

緋色を見送って小一時間程して、叢雲から連絡があった。港に練習を見に来てほしいと。

久々だし上手くいっていないのかなと、そんな風に思っていた。

男『って、なんだその恰好』

緋色『えへへ』

男『何故その恰好』

体操服。しかもブルマー。

緋色『練習中に濡れちゃって…服は夕張さんに借りたの』

男『なんでこんなもん持ってるんだよ』

夕張『いずれ滅ぶ貴重な装備だと見込んでたくさん確保してあるのよ』

男『滅びるべきはその思考だ』

夕張『感想は?』

男『何かあったのか?』

変態からのインタビューはとりあえずスルー。

緋色『なんだかうまく出来なくて、海にドボンって』

男『それって大丈夫なのか?』

緋色『訓練用の艤装に浮がついてるから。びしょ濡れはどうしようもなかったけれど』

男『そうか…久々だもんな。焦る必要はないさ。ゆっくりやればいい』

緋色『そう、そうよね!うん!』

男『あ、そういや叢雲は?』

夕張『あっちあっち、工廠のほう』

男『一体何の用なんだ?ブルマーみせたいわけじゃあるまいに』

夕張『それは、向こうで叢雲に聞いてきて…』

夕張の表情が妙に暗い。なんなんだ?

順調だったとはいえしばらくのブランクがあったんだ。

上手くいかないのは仕方ないだろう。

そういうもんだ。そう思って疑っていなかった。

叢雲「あの娘、大丈夫なの?」

男「え」

工廠の日陰の下で、間髪を入れず叢雲にそう言われた。

男「緋色の件、だよな」

叢雲「私はこういった場合の知識がないから判断はできない。だから貴方に聞くしかない」

男「でも、しばらく間があったからブランクとかで」

叢雲「生まれたばかり、あるいは改装なんかで航行がうまく出来ないって場合はあるわ。だから訓練用の艤装もある。でもそういうのは少し歯車がずれているだけですぐにできるようになるわ」

男「でも緋色は特殊なケースだろ。何も思い出せないんだから」

叢雲「そうね。だから私も判断に困ってるのよ。でも、ねぇ、航行がうまく出来ないってどういうものだと思ってる?」

男「どうって、うまく進めないとか、転ぶとか」

叢雲「上手く進めないってことはある。改装でバランスなんかが変わって波を受けたり曲がったりが今まで通りにできなかったりね」

男「お、おう」

叢雲「でも転ぶってことはないわよ」

男「ない?」

叢雲「貴方の想像している転ぶってサーファーがバランスを崩して海に落ちるようなことでしょ?」

男「あぁ、そうだけど」

叢雲「そんなのおかしいじゃない」

男「待て待て、全然意味が分からん」

叢雲「確かにこれは私達ならではの感覚なのかもしれない。けど考えても見てよ。私達は艦よ。名前が分からないとしても船は船。それがただ海に浮かぶことも出来ないなんてありえないのよ」

男「!?」

叢雲「航行訓練ってのは人間でいえば歩行訓練かしらね。でもそれってまずもって自分で立っていることが前提でしょう?」

男「じゃぁ、緋色が転んだってのは…」

叢雲「人なら、例えば骨折とかでまず立つ訓練ってこともあるのかもしれないけど、私達にとって浮くってのは呼吸と同じようなことよ」

脳裏にあの時の光景が蘇る。

叢雲「前提がおかしいのよ」

嫌な記憶程よく覚えているものだ。

叢雲「浮けないって、それだけ異常なことよ。出来るとか出来ないじゃなく、存在としての根本からおかしいのよ」

多分最も恐れていた状態。

叢雲「だからこう尋ねるしかないのよ。大丈夫なのかって」

秋雲の時と同じだ。

叢雲「ちょっと!」

工廠を飛び出し港の緋色に駆け寄る。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

課長が急に駆けだした。

港で一応艤装のチェックを行っている夕張と緋色に向かって。

その表所は険しいなんてものじゃなかった。

血相を変えて、それこそ血の気が引いていると言うべきかもしれない。

慌ててそれを追いかける。

男『緋色!』

緋色『わっビックリした。どうしたの?』

男『その脚!脚は、大丈夫なのか?その、感覚とか…』

緋色『脚?えぇ、別に捻ったりはしていないと思うけど…』

夕張『えぇ、特にそういった異常は見られませんけど』

男『そう、か』

少し安心したのか徐々に落ち着いていく。

夕張『?』

夕張と目が合う。

彼女も不思議に思っているようだ。

こんなことは初めてだ。

私も夕張も。

だからこそ妙だ。

脚の感覚とやらを聞いた。

まるでこの現象に心当たりがあるかのように。

叢雲『…』

何を知ってるの?

いえそれよりも、何故それを言わないのか。

緋色の事が心配なのは間違いない、と思う。

なればこそ私達に隠している何かが一体何なのか、何故なのかが分からない。

叢雲『とりあえず今日はこの辺にしときましょう。緋色も、お風呂入ってらっしゃい』

緋色『はぁい』

叢雲『服は後で洗って持ってくわ』

男『あぁ、助かる』

叢雲『夕張』

課長が長屋に戻るのを見届けてから夕張に話をする。

夕張『はいはい?』

叢雲『仕掛けたやつ、まだ機能してるわよね』

夕張『え゛、そりゃ勿論、してるけど』

叢雲『今すぐ聞きに行くわよ』

夕張『…了解』

確信がある。きっと課長は彼女に連絡する。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

部屋に戻り電源を入れ画面を開く。

秋雲「んぁ?もー夜ぅ?」

男「昼間だアホ」

秋雲「うっわほんとだ、何々何の用?」

男「緋色の件だ」

秋雲「…何があったの」

秋雲「ふぅん。なるなる」

男「どう思う」

秋雲「課長は私の時と同じだって思ったんでしょ?」

男「あぁ」

秋雲「どうだろうね。モデルケースが私だけだし、今回の件もまだ詳しい原因がわかってないし。ただ感覚っていうか、ただの勘だけど私の時とは少し違う気もするかなって」

男「なんでだ?」

秋雲「勘だよ?でも、艦って沈もうが陸に打ち上げられようが真っ二つになろうが、艦は艦でしょ」

男「叢雲とは逆の見解だな」

秋雲「現役バリバリの叢雲とは感覚が違うのは仕方ないっしょ。本人にとっては沈んだりしたらそれで終わりなんだから」

男「立場の違いか。確かに、俺が叢雲って艦に乗っていたらそうだろうな。でも第三者であるならたとえ水底だろうとそれは叢雲って艦に変わりないと思う、か」

秋雲「そんなわけで秋雲さんとしては、まあ予断を許さない状態ではあると思うけど同じには思えないわけ」

男「参考になったよ。助かる」

秋雲「ほんとにぃ?あんまり抱え込まないでよ」

男「本当だよ。随分楽になった」

秋雲「ならよし、とは思わないのでしーちゃんに連絡しときました」

男「は?」

秋雲「返事もう返ってきてんだよね。はっやーい」

男「はあ?」

秋雲「お、近日こっちに来るってさ」

男「…は?」

秋雲「マジか」

男「マジか」

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

叢雲『…マジか』

夕張『なんて?』

叢雲『しーちゃんが近々こっち来るって』

夕張『マジか』

叢雲『いえ、ひとまずそれはいいわ。本来私達は知らないはずの情報だし。聞かなかったことにしましょう』

夕張『あーそっか。知ってたらバレちゃうものね』

叢雲『問題は緋色の状態が秋雲と似ているって話よ』

夕張『転んだところが?』

叢雲『そういうニュアンスではなかったけれど、少なくとも確信できる点が一つあるわ』

夕張『えっと…秋雲も元は緋色ちゃんみたいに名無しの艦娘だったって事?』

叢雲『恐らくね。そしてその過程で今回のような事があった』

夕張『で結果として課長さんの部下?しかもどっかから通信って。他の鎮守府にいるとか?』

叢雲『それは少し考えにくいわね。聞く限りいつでも連絡とれるみたいだし、事務所みたいなところにいる風だけど』

夕張『でも基本的に艦娘って鎮守府以外での所持って認められてないわよね』

叢雲『しーちゃんのところみたいな例があるから考えられなくはないわ。それに上層部と繋がりがあるならどうにでもできるって前にも言ったじゃない』

夕張『うわぁ一気にきな臭くなってきたわね』

叢雲『ただ…』

夕張『ただ?』

叢雲『やっぱり緋色を助けたいって姿勢に嘘はなさそうなのよね。根本的にお人よしよ彼』

夕張『それはわかる。ロリコンね』

叢雲『そこには一応同意しないでおくわ』

課長の話を信じるならこれまで数度名無しの艦娘に会っていることになる。

そして緋色のようなケースは初めてだとも。

名前の判明した艦娘は当然その艦隊にそのまま所属しているはず。

現に緋色も艦隊に溶け込めるようにしようとしている。

なのに秋雲だけ部下?どうして、何処に?

同じケースってどういうこと?

課長を怪しいとは思わない。ただただ不思議で、謎だ。

叢雲『しばらくは様子見するしかないわね』

夕張『情報が少なすぎるものねぇ。とりあえずは緋色ちゃんなんとかしないと』

叢雲『艤装はどうだった?』

夕張『オールグリーン。なーんにもなし。むしろ出力は上がってたくらい』

叢雲『そう…名前が見つからないと、どうなるのかしらね』

夕張『さぁ。本来なるはずだった誰かになれないのかもしれないわね』

叢雲『そうね』

それだけじゃない。

もしかしたら、艦娘ですらなくなってしまうのかもしれない。

少なくとも私は"叢雲"でなくなったら自分を保てる自身はない。

気がつけば夏も終わりそうで

艦娘ってどうやって浮いてるんでしょうみたいな話。
海上では十数メートルの波なんて当たり前ですけれど、
艦娘はどう対処しているんでしょうね。
あまり上手い考えは出てきませんでした。

久々乙 多分だけど、鎮守府を出るくらいまでは飛沫で濡れたりしながら航行してるけど、戦術目標の海域自体が現実の『海』じゃなくて
『海』という名の異界であるし、アニメとかでもそうだけど浮いてるんじゃなくて『飛んでる』んじゃないかと

>>750
この考え方好きです

緋色は誰とでも仲良くなれた。

最初のころの人見知りはどこへやら。

あれから数日、毎日初対面の艦娘に会いながらもすぐに打ち解けた。

緋色『よろしくお願いします。赤城』

赤城『えぇ、よろしくお願いします』

飛龍『相変わらず最初は呼び捨てよね』ヒソヒソ

男『分かっていてもちょっとびっくりするよな』ヒソヒソ

慣れてくるとさん付けだったりちゃん付だったりになるんだが、なぜか最初は呼び捨てになる。

まだ艦娘という意識の薄い彼女からすれば駆逐艦も正規空母も等しく艦娘という括りでしかないということなのだろうか。

まあ実際難しい所ではあるよな。

船という意味では皆俺よりはるかに昔に生きていた年上と言えるし、

艦娘としては少なくともここの鎮守府じゃ俺より年上の艦娘はいないだろうし。

噂じゃ大戦初期から現役のままでいる百歳近い艦娘もいるらしいが。

何にせよ呼び方は相手の容姿や雰囲気次第になるものな。

だけどそんな事は問題じゃない。

緋色は作戦終了からずっと航行がうまくいかないままだった。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

叢雲「どうも浮けないってわけじゃないみたいなのよね」

男「というと?」

二日間、航行不能の原因を探ろうと訓練に付き合ってくれた叢雲が言った。

叢雲「本当に艦娘としての力がないなら、それこそあなたと同じで足を海面につけた途端ドボンでしょ?」

男「そりゃそうか。浮力自体はあると」

叢雲「浮いている以上艦娘としての特性がなくなってるわけじゃないと思うのよ。ただ航行だけがうまくいかない。ただそれが制御できてない。発散している、いえ反転してる?何とも言い難いけど」

男「そんな事ってあるのか?」

叢雲「人間だって怪我や病気で上手く走れない事はあっても勝手に変な方向に走り出しちゃうなんて事にはならないでしょ。わけが分からないわよ」

こと技術の話となると俺には判断のしようがないが、叢雲がそういうのなら本当に分からないのだろう。

男『海が怖いか?』

訓練終わりの緋色にそう聞いてみた。

緋色『怖くはないわ。そりゃ、夜の海はちょっと怖いけど、それだけよ』

確かに航行訓練自体を嫌がったりはしなかった。だから余計に分からない。

明石に頼んでいた様々な種類の単装砲、連装砲レプリカでの練習も特に変わらなく続けていた。

それでも彼女は一向に変わらなかった。

変わらないだけならまだいいかもしれない。

何時アレが起きるかわからない。

自分では何もできない現状が歯がゆくて仕方なかった。

緋色『ごめんなさい』

男『どうした急に』

緋色『私、その、落ちこぼれでしょう?』

男『うーん、そうだな』

緋色『はっきり言われた!?』

男『事実だしな』

緋色『うぅ…』

男『でも謝る事じゃない。皆が皆優秀ってことはないんだ。やる気があるなら手は貸すよ」

緋色『本当?』

男『本当だよ。緋色は頑張ってるじゃないか』

緋色『えぇ、そうね。頑張ってる。頑張ってるわ』

そうだ。緋色は積極的に訓練をしている。本人の意思の問題とは思えない。

なら一体何が原因なんだろうか。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

提督「おぉこれが例のレプリカか」

男『気をつけろよ。迂闊に撃つと眼鏡割れるぞ』

提督「そんなに反動強いのかい?」

緋色『すっごいわよ。私何度もおでこ打ったもの』

作戦終了以降、提督もよく緋色と顔を合わせるようになった。

暇なんだそうだ。それもどうかとおもうが。

緋色『司令官はどれか好きなのある?』

提督「砲の違いとかはよく分からないんだよねぇ。強いて言えば大口径が好きだね」

金剛『私の35.6㎝砲撃ってみますカ?』

提督「全身の骨粉々になりそうだね」

緋色『私も!私も撃ってみたい!』

男『乗せるだけで沈みそうだな』

提督「ははは、重いものね金剛は」

金剛『テートクゥ…』

提督「え」

緋色『今のはデリカシーがないと思います』

提督「あれ」

男『ノーコメントで』

特別なことなど何もないように思えた。

鎮守府にいる普通の艦娘のように皆と過ごしている。

そう思えた。

でもこれは半分、あるいはそれ以下だ。

彼女たちにとって海こそが居場所であり、そこに緋色はまだ一歩も踏み入れていないのだ。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

そんなある日、唐突に執務室に呼ばれた。

男「え」

いつの間にかすっかり慣れてしまった執務室の扉を開けると、そこには二人の人物がいた。

机を挟んで置かれた二つのソファに向かい合うようにして。

提督「やぁ」

しーちゃん「ども」


男「…え?」

男「何故いる」

提督「僕もそれを何度も聞いてるんだけど、答えてくれなくてね…」

しーちゃん「まあまあ、とりあえず座っちゃってください」

男「…」

言いたいことは色々あるが確かにこのままでは埒が明かない。

俺は提督の隣に
しーちゃん「え!」
男「え?」
提督「ん?」

しーちゃん「え、そっち座るんですか?」

男「え、ダメなのか?」

しーちゃん「課長さんは私側の人だと思っていたのに!」ガックリ

男「この状況下で相対するべきはどう考えてもお前だよ」

提督「ははは」

反応に困った提督から乾いた笑いが漏れた。

しーちゃん「そうそう、どうですか今日の私」

男「ん?」

言われて改めてしーちゃんを見る。

別に何も、

男「あ、夏服か」

暑い時期に会うのは別段これが初めてという訳では無いが、思い出してみるとこれまで彼女が夏服を身につけていることは無かった。

しーちゃん「一応制服ですからね、いつもの。なのであれ一種類で済ましていたんですけれど、いい機会があったので夏服作っちゃいました」

提督「へぇ、制服だったのか」

しーちゃん「ロゴ入りなんですよ~。ほら、これも。ちょっと分かりにくいですけど」

男「いいんじゃないか。他の娘も喜ぶだろ」

しーちゃん「いえ、これ着るのは私だけです」

男「は?」

しーちゃん「艦娘は扱いが違いますからね。後皆自由にしてもらってますから」

提督「それ制服の必要性ないのでは」

しーちゃん「一応ですよ一応。それに予算使って好きにデザインできますからね。役得役得」

男「職権乱用もいいとこじゃねぇか…」

別に今回に限ったことじゃないが。

しーちゃん「で!どうですかこれ?」

男「流行とかオシャレはよく分からんが、似合ってると思うぞ。元々短髪でサッパリしたイメージがあるし、髪色も合わせて、上手く言えんが夏らしくていいと思う」

始めてみるのにそんな気がしないのは街中で見かける学生のような格好だからだろう。

こいつが着ていると全く違和感がない。言わないけど。

子ども扱いするなとか文句を言われそうだし。

しーちゃん「…こういうとこ意外としっかりしてますよねこの人」

提督「それ僕に振るのかい?」

しーちゃん「まあいいでしょう。本題は以上です」

男「待て、本題と言ったか?今本題と言ったか?」

しーちゃん「これ課長さんにもお土産です。おまんじゅう」

男「ついで感覚で鎮守府入れるのはお前くらいだよ…」

提督「おいしかったよそれ」

男「もう食べてんのかよ」

しーちゃん「ご安心を。話したいことが無いわけじゃありません。ほら、もう少しで選挙あるじゃないですか」

提督「あぁ、そういう話かい」

男「つっても別に何処にって程関心はないんだよなぁ。そりゃ投票は行くけどさ」

しーちゃん「いやそんな凡俗の民草みたいな話題がしたい訳ではなくてですね」

男「お前は何処ぞの王様か何かか」

いや、よく考えたら今この場にいる二人って一応どちらも組織の長なんだよな。王様というのは別に間違いということもないか。

しーちゃん「なのでその確認というか、今回は使者みたいなものですね私」

提督「僕の方は変わらずだよ」

しーちゃん「規制派から何か来たりしてます?」

提督「全く。こんな小さな鎮守府に用はないだろうしね」

しーちゃん「今回ばかりはそんなこともないと思いますよ~」

男「待ってくれ、何の話だ」

しーちゃん「…課長さん一応元政界関係者でしょう。どれだけ艦娘に現を抜かしていたらそんなに鈍くなるんですか」

男「言い方…」

提督「政界関係者?」

男「えっと、これ言っていいのか?」

しーちゃん「いいんじゃないですか?元ですし」

男「別にそんな大した話じゃない。政治家の下っ端をやってたってだけの話だ」

提督「へぇ。それがまたどうして今の仕事に、なんてのは僕も同じか。艦娘に関わる人は妙な縁が多いからね」

男「そんなところだよ」

しーちゃん「…あれ?なにやら随分と親しい感じになりましたね」

提督「ちょっとした飲み仲間になりまして」

男「似た立場だもんな」

しーちゃん「へぇ、いいですねぇ。そういうのは大事ですよ。そういうのは」

男「それはいいって。で一体何の話なんだ」

しーちゃん「軍といえど国民の理解が必要な時代です。幸運にも近海の戦況は徐々に落ち着いてきており、不幸にも国民は非常事態が続いている状況を忘れつつあります」

提督「船の護衛ですら民間からは大袈裟だなんて声が出始めているくらいなんだ」

しーちゃん「そんな中世論の中心は艦娘に人権は必要か、という点で盛り上がってるんですよ」

男「そういや前にあk、部下からそんな話を聞いたな」

しーちゃん「政治家もここぞとばかりに色々な意見を出していますが、なにせ世論も三つ巴四つ巴と意見が大いに割れてますからねぇ。この観点で何処に票が集まるか誰も読めない状況なんですよ」

提督「軍としても国民の支持は欲しい。けどどういったスタンスが正しいかわからない状況なんだ。それに元々艦娘の扱いをどうするべきかは内部でも意見が割れていた。今回の事でそれが表面化しているんだ」

しーちゃん「ざっくり人権派と兵器派で派閥ができてまして。私は元帥殿から派閥の鎮守府に使者としてお使いに来てるんです」

男「この間の作戦。やけに世間にへの発表が早かったのは政治的アピール込だったってことか」

しーちゃん「そんな感じです」

提督「面倒な話だよねぇ」

男「でも艦娘の扱いについてこうして議論が起きるのはお前としては望むところじゃないのか?」

しーちゃん「さてどうでしょうね。私としては彼女たちの行く先は彼女たち自身に決めて欲しいというのが望みですから」

提督「嬉しくはないんですか?」

しーちゃん「結局のところ外野が好きかって言ってるだけじゃないですか。悪いとまでは言わないですけど」

男「そんな面倒な話になっているのなら、あそこから離れて正解だったかもな」

しーちゃん「課長さんはどこからかお誘いとか来ていないんですか?」

男「幸運なことにこっちの世界じゃ知り合いが少なくてな」

しーちゃん「ぼっち」

男「隙を見ては刺してくるのやめろ」

提督「貴方のいる三課はこういう時政治的なアピールに向いているのでは?」

しーちゃん「向いてますよ。ただ私達はあくまで軍の広報です。軍内で意見が割れている以上どちらかに偏った広報はできません。こっちの立場が危うくなるので」

男「何もしないと?」

しーちゃん「まさか。でも色々と工夫しないといけない立場なんですよ」

提督「大変ですね」

しーちゃん「そりゃもう、私も彼女達も戦場が海でないだけで戦いに変わりはないですからね」

提督「なるほど」

しーちゃん「さて、そろそろお暇しますかね」

提督「もうですか?」

しーちゃん「ついでに寄っただけですから」

男「だからついでで鎮守府来るなよ…」

しーちゃん「あ、せっかくなので緋色ちゃんに会ってもいいですか?」

提督「僕は構いませんけれど」

男「問題ないよ」

しーちゃん「では。またふらっと来ることもあると思うのでその時はよろしくお願いします」

提督「できれば事前に連絡くださいね」

しーちゃん「失礼しまーす」

社会人として当然の提案を流れるようにスルーして部屋を出ていきやがった。

苦笑する提督を部屋に残し俺もしーちゃんの後を追う。

しーちゃん「今緋色ちゃんは?」

男「部屋にいるよ」

しーちゃん「では一度男さんのお部屋にお邪魔しても?」

男「あぁ」

緋色の部屋の一歩手前。早くも二か月近く滞在していることになる俺の部屋の扉を開ける。

しーちゃん「おぉ相変わらず異様な光景ですねこれ」

男「目立つからなぁ」

部屋の中央に鎮座する黒い物体は異様と言われればそ通りでしかない。

しーちゃん「あ、秋雲さん喋っても大丈夫ですよ」

秋雲「マジ?しっかししーちゃん相変わらず行動が早いねぇ」

しーちゃん「元々ここには来る予定だったのでタイミングが良かったんですよ」

男「それで、なんの話だ」

しーちゃん「緋色ちゃん、あまり状態が良くないとか」

男「かもしれないって話だよ」

秋雲「それは十分に危険な状態ってことでしょ」

しーちゃん「この件について私はあまり言及できる事はありません。お二人の方が詳しいですからね」

男「でももし、緋色が"緋色"になってしまうとしたら?」

しーちゃん「さて、状況が違うのでなんとも」

秋雲「ん?どゆこと?」

しーちゃん「現状最悪なのは秋雲さんと同じパターンになる事でしょう。でも現状維持も問題です。もし他に名無しの、例えば戦艦クラスなんかが現れたら優先度はそちらの方が高いですからね」

男「その場合緋色は」

しーちゃん「研究対象として何処かに、というのがオチでしょうね」

秋雲「それはそれでサイアクだね」

しーちゃん「そもそもそうならないため、名無しの艦娘を保護するというのが課長さんの役割でもありますから」

秋雲「え!そうなの!?」

男「まぁ、一応な。鎮守府に所属できない名無しは管理するルールがなかった。だから連中好き勝手出来たんだよ。勿論それも決して無駄なことじゃないんだろうが、やっぱり艦娘は艦娘であるべきだ」

しーちゃん「佐世保のおじさまと元帥のバックアップで調査員なるものができたんですよ」

秋雲「えー私初めて聞いたんですけどぉ!」

男「別にいいじゃねぇか」

秋雲「良くなぁい!そういう話全然してくれないじゃんかぁ。佐世保のってあの狸爺でしょ?何時そんな大物と知り合ったのよ」

しーちゃん「ひょっとして私の話もしてないんですか?」

男「…うん」

秋雲「秘密なんじゃないのそれ?」

しーちゃん「私は別にいいですよ?」

秋雲「うわ課長の一存かよぉ!」

しーちゃん「あ、話すときは男さんが話してくださいね。私からは言いませんから」

秋雲「ほらほら~白状しちまったほうが楽になるぜぇ」

男「その話は後だ後!しーちゃん、お前のところで緋色を預かるってのはできないのか」

しーちゃん「最終的な手段としては、まあアリではありますね。あまりお勧めはしませんけど」

男「なぜ」

しーちゃん「彼女の場合も上手くいくなんてのは希望的観測が過ぎるからですよ」

男「…そりゃそうか」

しーちゃん「さて、そろそろ帰ります」

男「あれ、緋色には会ってかないのか?」

しーちゃん「あれは建前ですよ。私は健康診断のお姉さんですから、そうホイホイ会いに来ちゃダメじゃないですか」

男「どの口が言ってるんだか」

しーちゃん「運転の北上さんも待たせてますし、あら?」

秋雲「どったの?」

しーちゃん「北上さんからヘルプが」

男「ヘルプ?」

端末で何か連絡が来たようだ。

しーちゃん「そうだ。これ提督さんに渡し忘れてしまったのでお願いします」

男「なんのファイルだこれ」

しーちゃん「大したものじゃありませんよ」

男「わかった。後で持っていっておくよ」

しーちゃん「今お願いします、なう」

男「今!?」

しーちゃん「ほらほら」

男「わかったわかった、またな」

しーちゃん「えぇ、お互い息災で。秋雲さんも、久々に直接会えてよかったです」

秋雲「今度はゆっくり時間を取ってくれると嬉しんだけどね~」

しーちゃん「こう見えて多忙ですからね私」フンス

男「余計なことっばっかしてるからだろ」

男「そういや今回は何できたんだ?例のトラックか?」

しーちゃん「まさか、アレですよアレ」

男「んー、え、うわフィアットだ」

しーちゃん「えっとなんでしたっけ、あばると?ってやつです」

男「お前のとこにまともな車両はないのか」

しーちゃん「アレは私じゃなくて北上さんのですよぉ。車はよくわからないので」

男「自費か?」

しーちゃん「半分は経費で出来ています」

男「お前なぁ、ん?」

車の方をよく見ると叢雲がいるようだった。

どうやら運転席の北上と話しているらしい。

男「これが理由か」

しーちゃん「ええ。できれば男さんはいない方がよさそうだなと」

男「了解、またな」

しーちゃん「はい」

小さく手を振るしーちゃんはやはり学生にしか見えない。

男「学生か」

再び提督室に向かいながら考える。

艦娘はそういった世界を知らない。

今後も、きっと知ることはできないんだろうな。

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しーちゃん「お久しぶりです」

叢雲「久しぶりね」

私達は基本的に変わらない。

改装等で見た目や性能が大きく変わることはあるけれど、

それはどちらかと言えば進化であり、

こうして夏服に身を包み髪形を変えた彼女を見て感じる変化とは別のものだ。

最もそんな人間らしさとは裏腹に目の前のしーちゃんをやはり微塵も人間とは思えないのだけれど。

北上「し~ちゃ~ん助けてぇ…この小姑がぁ」

叢雲「誰が小姑よ!」

しーちゃん「一体何の用ですか小姑さん」

叢雲「ちょっと」

運転手と少し話していただけなのにこの仕打ち。

しーちゃん「立ち話もなんですし車入ります?私達にはちょうどいい大きさですよ」

叢雲「遠慮しておくわ。それとも貴方にはこの暑さは応えるのかしら?」

しーちゃん「もうすぐ夏ですからねぇ。幸い暑さには強いほうなので大丈夫です」

叢雲「あらそう」

確かにまだ暑いといえるかは意見の分かれる気温だ。

こうしていても汗一つかかない彼女は確かに暑がりというわけではないらしい。

あるいは、生き物じゃないのか。

叢雲「よかったの?課長と別れて」

しーちゃん「てっきり私と話がしたいのかと思ってましたけど」

北上「おっとこれオフレコな感じ?私引っ込んどくね~。巻き込むなよ?」

しっかりと念押しして北上が車の窓を閉め音楽をかけ始める。

凄い激しい曲。ロックってやつかしら。

叢雲「首都圏の勢力図はどうなってるの」

しーちゃん「幹事長の更迭から半年、随分とキレイになりましたよ」

叢雲「早いわね」

しーちゃん「元から準備していたみたい、ですか?」

叢雲「そうは言ってないわよ。それとも心当たりでもあるの?」

しーちゃん「まさか。首都圏は元帥というイコンがあるのでそう難しい話じゃありませんよ。だから問題なのは地方ですね」

叢雲「ここは?」

しーちゃん「ご安心を。鬼ヶ島の提督を筆頭にまとまりがありますから。問題なのは太平洋の方ですかね」

深海棲艦の脅威が近い所程鎮守府の影響は大きくなる。

港やその近隣、あるいは県そのものと深く関わりを持つことになる。

しーちゃん「まさに一国一城。その長が提督という才能だけで選ばれた人間なんだから大変ですよ」

叢雲「でしょうね。そういった話は私もいくらか聞いてるわ」

本来なら提督という一本柱で成り立つ鎮守府の仕組みを見直すべきなのでしょうけど、

戦線に影響が出ては元も子もないとその辺はほったらかしになっていた。

しーちゃん「ま、そちらはまた別の話です。この鎮守府は大丈夫ですよ。貴方の提督も」

叢雲「なら、いいわ」

それなら問題ない。それならば、国や軍の事など私にとっては細かい些事でしかない。

しーちゃん「他には何かあります?」

叢雲「本題の方が」

しーちゃん「先程までのは?」

叢雲「世間話よ」

しーちゃん「ふふ、そうですね」

叢雲「緋色の事、貴方はどう考えてるの」

しーちゃん「私に対してどういう印象を持っているかはわかりませんけれど、この件に関して私ができることは何もないですよ。本当にね」

叢雲「でも、無関係というわけでもないんでしょう?」

しーちゃん「私にできるのは、そうですね。事後処理くらいです」

事後。嫌な言葉ね。

しーちゃん「緋色ちゃん、皆さんとは仲良くやっているそうじゃないですか」

叢雲「それはまぁそうね」

しーちゃん「だったら、そういうのもアリなんじゃないかって私は思うんですよ」

叢雲「緋色のままでいることになっても?」

しーちゃん「ええ」

叢雲「でもそれは緋色のままでいられたら、でしょう」

以前少し考えた事。

名前を見つけることが私達の存在の証明になると課長は言っていた。

それが見つからず、緋色という仮の名で代用したとして、それで足りるのか。

足りなかったら、どうなるのか。

しーちゃん「…課長さんから何か聞きました?」

叢雲「え」

驚いた。

しーちゃんからの質問にではない。

その質問をする彼女の顔が、心底以外で驚いたという表情だったからだ。

しーちゃん「おっと失言失言」ガチャ

素早くドアを開け車に乗り込むしーちゃん。

止めるのはそう難しくはないけれど、止めたところで話してくれるとは思えない。

叢雲「ねぇ」

しーちゃん「なんでしょうか」

叢雲「何が一番大切なことだと思う?」

しーちゃん「ん~そうですねぇ」

彼女は少し考えこみ、ゆっくりと眼鏡を外した。

その行動の意味はさっぱり分からないけれど、彼女にとってそれが何か大きく意味を持つことであると、そういう確信があった。

しーちゃん「目的じゃないですかね」

そう言って車のドアを閉める。

叢雲「目的…」

フィアットがゆっくりと進みだす。

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男「で、これがそのだしに使われたファイルだ」

提督「ラブレターかな」

男「あいつからのラブレターなら下手な脅迫文より怖いぜ」

提督「ならそうでない事を祈ろう」

男「叢雲が気になるか?」

提督「そうだね。色々と考えすぎるきらいがあるからね」

男「言ってやればいいじゃないか」

提督「なんて言うんだい」

男「…考えすぎだーって」

提督「彼女が自分で決めた事だよ。僕がどうこう言うことじゃないさ」

男「でも心配だ」

提督「そうなんだよねぇ」アハハ

男「ややこしい関係だな」

提督「そう見えるかい?」

男「客観的には」

提督「提督としてじゃないんだ。船はほら、船長が舵を取らなければ流されるだけだろう?でも彼女は自分で目的を決めて動いてる。僕は個人としてそれを応援したいんだ」

男「あぁそうか。それならわかるよ」

随分と自由で勝手になった夏服の少女を思い浮かべた。

男「よくわかる」

あいつは誰に言われるまでもなく自分で目的を持って動いている。

それはきっとすごい事だし、応援したい。

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男「待たせたな」

しーちゃんが来たその日の晩。改めて秋雲と話をした。

秋雲「そのセリフ、もっと伝説の傭兵みたいに言って」

男「は?」

秋雲「うん、ごめん。気にしないで」

咳ばらいを一つしていつもの茶化すような雰囲気を止める。

秋雲「まったくよ。何年待ったと思う?」

男「3年か?」

秋雲「そ、3年。短い?」

男「3年を短いといえる程歳は食ってないつもりだよ」

秋雲「私にとっては生まれてから今日までよ」

男「そりゃあ、長いな」

秋雲「そう?あっという間だったかも」

男「そうか、ならそうなんだろうな」

秋雲「で、まさか事ここに及んでまだ話さないとか言わないでしょうね」

男「流石にな。さてどこから話したもんか」

秋雲「あーっと!その前に一つ」

男「?」

秋雲「これ秋雲さん的にはかなり重要な事なんだけどさ、その話するのって私が初めてだったりする?」

試験の合格発表を前にする学生のような恐れと不安を抱いた表情でそんな事を聞いてきた。

男「んー当事者を除けばそうなるかな」

一体何がそんなに気になるのかさっぱりわからないので一切偽らずに答えてみる。

秋雲「ならよしっ!」

今度は原稿が無事に終わった時と同じくらいやり切った表情に変わる。

男「なんだそりゃ」

秋雲「なんでもな~い」

なんでもない事はないんだろうが、まあ今は別にいい。

男「さてどこから話そうか」

秋雲「once upon a timeってのはどう」

男「そこまで昔じゃないよ。5年くらい前か」

忘れられないなりに忘れようとしていた当時の事を少しずつ思い出しながら言葉にする。

三ゲージバーゲンセールが悪い

書き溜めてはいましたが書き込むタイミングがですね…
いつの間にかいつ海も始まってしまって、
相も変わらず秋刀魚を集めたり。
一瞬でしたがアニメ瑞鳳が見れたので悔いは無いです。

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男「待たせたな」

しーちゃんが来たその日の晩。改めて秋雲と話をした。

秋雲「そのセリフ、もっと伝説の傭兵みたいに言って」

男「は?」

ヨウヘイ?誰だそれ?

秋雲「うん、ごめん。気にしないで」

咳ばらいを一つしていつもの茶化すような雰囲気を止める。

秋雲「まったくよ。何年待ったと思う?」

秋雲はよく笑う。

大きく口を開けて笑う。あるいは白い歯を見せながらニヤリと笑う。

だからこうして口角を少し上げて優しく笑う秋雲は中々珍しい。

男「3年か?」

秋雲「そ、3年。短い?」

男「3年を短いといえる程歳は食ってないつもりだよ」

秋雲「私にとっては生まれてから今日までよ」

男「そりゃあ、長いな」

秋雲「そう?案外あっという間だったかも」

なんてことはないというその表情がはたして本心かどうかは俺にはわからなかった。

男「ならそうなんだろうな」

それでも秋雲がそういうのならきっとその通りなんだろう。

秋雲「で、まさか事ここに及んでまだ話さないとか言わないでしょうね」ズイ

画面いっぱいに秋雲の顔が広がる。勿論そんなつもりはないがその圧に少したじろいでしまう。

男「流石にな。さてどこから話したもんか」

秋雲「あーっと!その前に一つ」

男「?」

急に真面目なトーンからいつもの声に戻る。

画面から目をそらし、締め切りを過ぎた言い訳をしようという時と同じおずおずとした感じで話し出す。

秋雲「これ秋雲さん的にはかなぁり重要な事なんだけどさ、その話するのって私が初めてだったりする?」

試験の合格発表を前にする学生のような恐れと不安を抱いた表情でそんな事を聞いてきた。

男「んー当事者を除けばそうなるかな」

一体何がそんなに気になるのかさっぱりわからないので一切偽らずに答えてみる。

秋雲「ならよしっ!」

一転して今度は原稿が無事に終わった時と同じくらいやり切った表情に変わる。

男「なんだそりゃ」

秋雲「なんでもな~い」

なんでもない事はないんだろうが、まあ今は別にいい。

男「さてどこから話そうか」

秋雲「once upon a timeってのはどう」

男「そこまで昔じゃないよ。5年くらい前か」

忘れられないなりに忘れようとしていた当時の事を少しずつ思い出しながら言葉にする。

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男「調査員?」

「と言うようなもの、だ。まだ正式な名前も決まってはいない。だが今後間違いなく必要となる重要な仕事だ」

上司の、いわゆるお偉いさんにそう言われた。

勉強していい学校に通い、エリートコースを真っ直ぐ順調に進み、あとは金を貰って余生を楽しむだけの人間。

俺も同じだった。選ばれたエリート。幸福な人生。

毎日着るのが少し憚られる高いスーツと胸につけるバッチはその証みたいなものだった。

男「ふむ」

まだ未開拓の重要な役職か。これはチャンスかもしれない。

男「分かりました。しかしなぜその話が私に?」

そう。結局のところ俺はこれまで艦娘とほとんど関わってこなかった。いや、関われなかった。

なのに艦娘の調査とは。

「お前、妖精が見えるんだろ?」

男「あぁ。ええ、そうですよ。一応、ですが」

あくまで一応だ。才能はあったが弱すぎた。

もう少し才能が強ければ今頃は提督になれていただろう。

男「それが何か関係あるんですか?」

「ん?なんだ知らなかったのか。てっきり自分で情報を得ているものだと」

必要な情報は求められる前に己で手に入れる。どんな手段を用いても。

それがここで教わった事だ。

情報戦に負けたものは落とされる。

男「艦娘の事は専門外でして」

なんて、かつて諦めざるをえなかった夢に触れたくなかっただけだ。

「なら丁度いい。それも含めて説明してやる」

エレベーターに乗る。

重役しか使えないという暗黙の了解がある建物奥にあるエレベーター。

駕籠と呼ばれているのを聞いたことがある。

「次からはお前もこれを使うことになる」

そう言うと胸元からカードを取り出し、エレベーターの階層ボタンの下の何もない場所にかざす。

するとドアが閉まり階層ボタンに存在しない地下へ向けて動き出した。

男「なんというか、あまり穏やかじゃないですね。遺言状でも残しといた方がいいですか?」

「はは、問題ないさ。お前の口が清掃員のババア共のように軽くさえなければな」

男「ははは」

笑えねえ。

地下には思っていたよりも大きい空間が広がっていた。

パッと見ただけでもたくさんの部屋が並んでいる。

奥に伸びる廊下からみてそこそこの広さらしいが人の気配はない。

不気味な雰囲気に反して全体的に白く明るい地下室は、しかし何故だか妙に不安を抱かせる。

資料室、空き部屋、何かの器具が並ぶ保管室のような部屋。

そういえば大学にあった研究練なんかがこんな感じだったなと思い出しながら上司の後をついて行く。

そしてモニターやマイク、その他俺には理解の及ばない様々な機械の置かれた部屋の隣の部屋に、一人の少女が座っていた。

分厚い壁の中、少女はその机と椅子二つしかない狭く白い部屋で椅子に座りじっとしていた。

部屋は廊下からも隣の部屋からも窓で見えるようになっている。

取調室。いや、海外の映画で見た覚えがある。

超能力者かなにかを収容した、実験室か。

「入ってみろ」

男「え、自分がですか?」

チラと少女を見る。

危険はなさそうに見えるが、目に見える何かならきっとこんな所には入れられまい。

男「命の保証は?」

「それは問題ない。今のところは、な。取り扱い次第だよ。言われたとおりにすれば大丈夫だ」

そう言って小型の無線機を渡してきた。

「耳に入れとけ。指示はこちらがする。お前はこちらの指示に対してYESかNOで答えろ」

指でYESとNOのサインを作る。

なるほど、相手には聞かれたくないと。

男「アレは、艦娘なんですか?」

「そうだ。いや、まだそうとは言えないのかもしれないな」

男「まだ…」

「だがまあ、人間ではないよ」

人間ではない。それこそ映画やドラマでしか聞かない台詞だった。

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男「さてと」

椅子を引き少女と向き合う形で座る。

白いTシャツと黒の短パンという運動部の学生がするような簡素な服装。身長もまさに学生といった程度か。

肩の高さで揃えられた茶色っぽい髪。突然の来訪者に対して一切変化のない無表情と黄緑色の不思議な目。

そういった容姿と、それに関係なく直感からわかる。

人じゃない。

取り調べ、なんて言い方をせず二者面談の気持ちでいこう。

無線から聞こえる指示に従って最初の言葉をかける。

男「はじめまして。私は男というんだ。君は?」

柔らかい感じでごくごく普通に自己紹介をする。

何が返ってくるのだろうと、最悪ダッシュで出口に行けるようにと身を固めつつ少女を見つめる。

すると少女は以外にも少し驚いた表情になり、振り絞るように話し始めた。

少女「??・??サ??ッ?ソコ??ョ?ォ?」






男「は?」

英語はできるほうだ。

と言ってもあくまで紙の上だけでいざ会話しろと言われれば恐らく無理だろうが。

それでもまぁ聞き取るくらいは多分できると思う。

だがそういう類の話ではなかった。

街中で全く知らない言語が聞こえてきても、普通○○語っぽいなとか、そういう感想を抱くものだ。

違いはあれど同じ人類の使う言葉。根っこの部分は同じなのだ。

言語。そう認識する。

少なくとも野良猫やカラスの鳴き声と同じに捉えるものはいまい。

でもこれは違う。

目の前の少女から発せられたそれは、まるでノイズのようで、

少なくともそれを言語であると認識できなかった。

「何か聞こえたか?」

耳に入れた無線機から声がした。

少女に見えないようにYESのハンドサインを作る。

「何と言っていたかわかるか?」

NO

「…触れてみる気はあるか?」

…NOだ

「部屋を出ろ」

短い面談だった。

だが椅子から立とうとして気づいた。

脚が少し震えていた。

男「またな」

黙って出るのは何となく後ろめたかったので無責任にもまたなどと声をかけてしまった。

再び無表情に戻った少女の緑色の双眸は、そんな俺をじっと見つめたままだった。

男「アレは、なんですか」

誰も答えられない質問だと分かっていてもそう聞かざるを得なかった。

「残念だがこれ以上の情報を開示はできない」

そう言って例のエレベーターのカードキーを取り出す。

「知りたいのならコレを受け取るしかない。勿論受け取れば引き返すことは出来ないが」

初めてだ。

人生の分岐点、と言えば例えば受験や就職なんかを思い浮かべる。

でもそれらは結果が周りに左右されるものばかりだ。

無論自分の実力も大事だが肝心な部分は結局他人に決められてしまう。

だけどこれは、目の前のこの分岐点は、自分で決めるものだ。

全ては自分の判断に委ねられている。責任も結果も、全て。

どちらに舵を切るにせよ100%自己責任だ。

男「何故自分なんですか、と問うてもいいでしょうか」

「駄目だ、と言うところだが、まぁいいか。無論理由は色々あるが、こうして私自身が鍵を差し出す理由はお前に見込みがあると思ったからだ。

 お前は優秀だよ。でも何か違和感があった。だからこの話を聞いたとき、お前には他にいるべき場所があると思ったんだ」

この人はこれまで俺に良くしてくれた。恩師と言ってもいいだろう。

だからその言葉はよくよく響いた。

昔諦めた、ずっと意識しないようにしていた憧れを思い出す。

艦娘。

もし許されるのなら、俺は彼女達に触れたい。

男「わかりました」

しっかりと鍵を握りしめる。

「だと思ったよ」

始めてみる恩師のその少し嬉しそうでどこか寂し気な表情は今でも覚えている。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

男「全然わからん」

地下の研究施設。

その共有スペースらしい部屋の無駄に座り心地の良い長ソファに座り机に突っ伏す。

そこで俺は映画やドラマでしか見た事ないような書類の山に囲まれていた。

今まで行われてきた彼女に関わる研究結果の書類だ。

これが兎に角わからん。

そもそも俺は研究職じゃない。

その上レポート内容は物理とか科学とか生物とか様々な分野での研究内容がまとめられている。

生物は履修した事があるから辛うじて上っ面を理解はできるが他はダメだ。

というかそもそもレポートとして読み辛すぎる。

ハッキリ言ってメモかそれ以下なものも多い。

結局一通り目を通して分かったのは彼女に関して何もわかっていないと言うことだった。

男「動かないな」

彼女は昨日と同じく部屋の中で椅子に座ったまま微動だにしていなかった。

知識として知ってはいたが改めて認識する。

艦娘はその個体の維持に食事も睡眠も必要としない。

少なくともその点でいえば彼女は艦娘らしい。

男「しっかしこんだけ専門家が調べつくした後に素人の俺がどうしろってんだ」

「おやおや、ドラマの撮影現場かいここは」

男「!?」ガバッ

突然降ってきた女性の声に跳ね起きる。

相変わらず広さのわりに人の気配のない施設で、てっきり自分以外の人間はいないものと思っていた。

顔を上げるとそこには、

男「…えっと、初めまして」

「初めまして。君もコーヒーはいるかい?」

腰まで伸びた長い髪、手にはどうやらコーヒー入りらしい白いカップを持ち、そして何より、

黒い。黒い、白衣?いやそれはもう白衣ではないが材質やデザインはどう考えても黒く塗りつぶした白衣だ。そんなものあるのか?

身長は俺と同じくらいだろうか。女性としては背の高いほうに見える。

年齢は、年上なのは間違いないがどうだろうか。30代と言うには妙に貫禄があるが40代と言うには若く見える。

僅かに茶色の混ざった長い黒髪と黒衣の組み合わせでとにかく黒い。

教授「私は教授というものだ。君もそう呼ぶといい。先輩でもいいぞ」

男「ど、どうも。俺は」

教授「あぁ君はいい。十二分に知っている」

男「そう、ですか」

教授「ブラックでいいか?」

男「え?あ、はい」

教授「そうか」

俺が返答するとカップを机に置き何処かに行ってしまった。

何なんだあの人。ここの研究者、でいいんだよな?

そういやこの施設に関する情報一切貰ってないな俺。

教授「ほれ」

思いのほか早く戻ってきた教授が目の前にコーヒーを置く。

缶の。

男「…」

新人いびり?

教授「ツッコミどころだぞ」

なるほど、自覚のない新人いじめだなこれ。

教授「そうだ。せっかくだしここを案内してやろう」

男「え」

急だな。後コーヒーの話はもういいんですか。

教授「秘密主義は結構だがC2の連中施設に案内板やパンフレットを用意しないからな。私も初めて来た時は苦労したものだ」

男「なるほど。正直右も左も分からず困っていたので助かります」

でもパンフレットは流石にないと思う。

教授「ならば付いて来い。そんなものを読んでいるよりは有意義な時間にしてやろう」

教授は以外にも面倒見の良い人だった。

一通り施設を案内してくれた。

その後給湯室に何があるかとかおいしいコーヒーの入れ方を妙に熱心に教えられた。

ここに入り浸るなら給湯室が最も重要な施設になる、とかなんとか。

そのままの流れで俺が諦めていた書類に関しても解説をしてくれた。

研究者というより大学の教授を思い出す。

教授「10点だな。勿論100点満点中だ。もっと修行しろ」

教授の指示、というか命令の元俺が淹れたコーヒーを飲みそう言い放った。

男「自分で飲む分にはこれで十分おいしいんですが」

教授「私はこれでは満足できない」

俺にコーヒー作らせる気かこの人。

教授「少し前に私よりコーヒーを淹れるのがうまいやつがいたんだがね」

男「そういえばどうしてここは人が少ないんですか」

教授「少ないんじゃない。君と私の二人だけだ。大規模な組織改編があってな。ここにいた連中も皆他の施設に移ってしまった」

男「教授は何故まだここに?」

教授「この施設を独り占めできるからな。気分がいい」

なるほど。

教授「冗談だ」

納得しちまったじゃねぇか。

教授「アレがいるからな」

そう言って壁を指をさす。

ここからでは見えないがその指が何を指しているかは分かる。

彼女だ。

教授「C21YB0204。アレがここに来てからまる1年だ。結局何もわからなかったが」

管理番号だそうだ。色々と細かい区分けがあるそうだが、最後の04は同じような個体の4番目ということらしい。

教授「滑稽な話だ。名だたる研究者達が皆匙を投げた」

男「でも改めて凄い話ですよね。こんな非科学的な存在を皆がこぞって研究するんですから」

教授「ん~?それは違うな」

男「違う?」


教授「朝の占いが良かった。故に今日は宝くじが当たる気がする。これは科学的か?」

男「それは非科学的でしょう」

教授「だろうな。ならリンゴは地面に落ちる。故に地面には何か物を引っ張る力がある、というのが科学的と言えるだろう」

急になんだ?妙に回りくどい言い方をする。

教授「ではタイムマシンはどうだ?あるいは15世紀頃における地動説だ。どちらも当時は突拍子もない妄言だった。

当然だろう。今立っている地面が自分ごと高速で回転しているなど私だって頭がおかしいと思うだろう」

男「それは…」

地動説は理屈が通っている。科学的、と言えるのだろう。

タイムマシンは、ブラックホールがどうとか光より高速で動けないとかそんな話を聞いたことがある。

でも結局は実現は不可能だみたいなオチだった気がする。

だから、だから非科学的?実現できないから?

教授「他にもニュースで聞いたことはないか?ある数学の問題が証明された。ある理論否定された。ある説が提唱された。

ではどうだ。証明されなければそれは非科学的か?否定されたらそれは非科学的か?証拠のないただの説では非科学的か?」

男「それは、違います」

教授「科学とはルールだよ。そこには何か法則があり、その通りにすれば誰でも再現ができる方程式。それを求めること。何かルールがあるはずだと調べることが科学なんだ。

子供の命だけを奪う洞窟だって、空気より比重の重い有毒ガスが充満していたという科学だったりするんだ。

艦娘なんていう存在が観測された以上、人身御供で雨が降るなんて神様チックな話ですら科学的に証明できてしまうかもしれない」

人類は火を得て、燃料による動力を経て、今や電子世界が当たり前になっている。

もしかしたらその次は艦娘のような、今はまだ不思議な力としか言いようのないソレを操る時代が来るのかもしれない。

教授「非科学的なものこそ科学として研究すべきなんだよ。

そしてそれは科学的かどうかを調べるためじゃない。人類の科学として取り込むためなんだ」

男「教授も研究者なんですね」

教授「おい待て、今までなんだと思っていた」

男「でもならなおさら素人の自分に何ができますかね」

教授「かのメンデルだって本来は司祭だぞ。大事なのは発想だ。それに君は声が聞こえるんだろう?」

男「聞こえてはいますけど、声と言うか音と言うか」

艦娘の声を聞くことができる人間は少ない。

だからその貴重な人材は基本的に提督となる。なにせ相手は海全体にいる。提督は何人でも欲しいそうだ。

そんなわけでこんな成果が保証されていない研究に貴重な提督を配属はできない、だから中途半端とはいえ一応聞くことができる俺が呼ばれたと、そういうことらしい。

教授「好きにすればいいさ。なんなら首を撥ねてもいいぞ。それだけのことが君には許されている」

男「そんな物騒な」

だけど教授は冗談とは言わなかった。

ここはそういう場所なんだと、ようやく理解した。

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次の日。俺は行動を開始した。

男「本当に音は出ていないんだな」

レポートを眺める。

彼女の声についてのものだ。

声。つまり音は波なわけだが艦娘の発する声にはその波がないらしい。

あるいは観測できていないのか。

男「聞こえてはいるんだけどなぁ。でも波がないなら鼓膜じゃ聞き取れない。どこで聞いてるんだ俺」

あるいは解剖されるべきは俺の方なのかもしれない。

…嫌な想像しちゃったな。

男「どう思う?」

目線をレポートから向かい側に座る彼女に移す。

「…」

彼女は相変わらず黙ったまま不思議そうに俺を見ている。

ひょっとしたら喋ってるのかもしれないが。

場所も変わらず例の取調室の中。

何をするにも取っ掛かりがないので俺はとりあえず彼女と一緒に過ごしてみることにした。

男「でも俺の言ってることはわかるんだよな?」

こくりと小さく頷く。

これも不思議だ。

艦娘側も普通の人間の言葉をうまく聞き取れないらしい。

これはどうやら訓練で聞き取れるようにはなるらしいが。

目の前の彼女もそうだとレポートにはある。筆談のみが可能だと。

なのに俺の声は聞こえているようだ。

やっぱ解剖すべきは俺なんじゃ…

男「そうだ。こっちから一方的に話すってのも嫌だろ?筆談用に紙とペンがいるな」

とりあえず手元にあった手のひらサイズのメモ帳とペンを渡す。

男「明日ホワイトボードとか買って来るか、ん?」

早速何やらメモ帳に書き込んでいる。会話の意思はあるようだ。

そう長くない文章の書かれたメモ用紙がそっと渡される。

【書くのは面倒なのでタブレットでお願いします】

男「…あぁ、うん」

意外とはっきり主張してくる娘だった。

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男「眠くならないってどんな感じなんだい?」

【眠くならないが分からないように、私にも眠いが分かりません】

男「そりゃそうか」

タブレットに素早く文字が入力されていく。

流石に研究施設。タブレットやらの機材は置いてあった。

【でも睡眠が必要なのは不便そうです】

男「まあな。睡眠が不要になれば一日6,7時間も増えると考えるとその通りだな。食事も不要なんだろ?」

【こうしてじっとしている分には。艦娘として活動するには燃料が必要なようですが】

男「そう考えるととても生き物とは思えないよなぁ。心臓の鼓動もないんだし」

【確かめてみます?】

男「んーそうだな。レポートだけじゃなくて実感として知るってのも大事かもな」

席を立って彼女の前に行く。

彼女もタブレットを置いてからこちらを向き奇麗な姿勢で待つ。

男「では失礼して」

床に膝をつき小柄な体に高さを合わせそっと心臓近くに右耳を押し当てる。

うん、確かに鼓動はないな。

『…なんで直接』

男「え」

「?」

慌てて体を話し顔を合わせる。

向こうもきょとんしていた。

男「今喋った?」

「!」

男「なんで直接、って」

「   」

少し顔を赤くしながら何かを発する。でも先程と違いいつものノイズにしか聞こえない。

【聞こえちゃいました?】

諦めて少し残念そうにタブレットに文字を打つ。

男「聞こえ、たな。なんでだ?」

身体の接触、いや耳か?

【一ついいでしょうか】

面倒な文字入力なのにわざわざ前置きをしてきた。なんだろう。

【いきなり人の胸に顔を押し当てるのはどうかと思います】

男「…ごめん」

凄い冷たい目で怒られた。

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色々検証した結果、お互い頭が接触した状態が最もクリーンに声が聞こえると判明した。

男「でもこれ会話し難いな」

『男さんは身長が高すぎます。もっと私に合わせてください』

男「縮めと?」

『はい』

男「無茶苦茶言うな」

だが取調室で椅子を並べ左右で頭を突き合わせての会話は確かにキツイ。

俺は寝違えそうなくらい首を傾けなきゃだし、彼女も首が伸びそうなくらい背筋を伸ばしている。

男「まぁ実験としては十分だし、基本はやっぱタブレットで」

そうして寄り添いあうと表現するにはお互いに負荷の大きい姿勢を止めようとした。

すると見た目からは考えられないくらい強い力で引っ張られた。

『文字入力は面倒です。このままでお願いします』

男「えぇ…」

これまで会話らしい会話がなかったからなのか、単純に会話が好きなのか、あるいは両方か。

ともかくお喋りがしたいらしい。

いやでもこの態勢はやっぱきついなぁ。

『あ』

男「ん?あ」

取調室の窓の外に教授がいた。

たまたま通りかかったのか、いつもの黒衣とコーヒー入りのカップを片手にこちらをじっと見ていた。

そして外にある会話用のマイクのスイッチを入れた。

教授「何してるんだ君ら」

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教授「へぇ面白い。頭かぁ、それはまた。ふふ、見込み以上だね」

男「でもいいんですか?この娘外に出しても」

教授「別に元から出しちゃダメってことはないよ。びくついてる連中が出そうとしなかっただけさ。

馬鹿だよねぇ、気持ちはわかるけど。

あぁちなみにこの娘のNGはただ一つ。存在が部外者にばれる事。それ以外ならどうとでも」

共有スペースにある例のやたらと座り心地の良い長ソファ。

そこに三人並んで腰かけていた。

体重差から深く沈む俺と軽くしか沈まない彼女で頭の高さが程よく並べることができた。

確かにここでなら楽に会話できる。

男「教授は違うんですか。他の連中ってのとは」

教授「理解にも色々な種類がある。猫を理解するにも、殺して解剖する、野放しで観察する、施設で検査するとかとかだ。

でも私なら一緒に暮らすね。そしてどれも正解だ。方向性の違いだよ」

『実際この人くらいでしたよ。私と会話をしようとしたのは』

男「へぇ、あれ?この人の声は聞こえてるのか?」

『はい』

男「え」

教授「聞こえてるのかい?私の声」

男「そのようですけど」

教授「おいおい一体いつからだい。観葉植物に話しかけるOL気分で毎日接していたというのに」

『最初からですね』

男「最初からだそうですよ」

教授「なんと。しかし何故反応しなかったんだ」

『最初は私も返答してましたけど、こっちの声は聞こえていないようだったので諦めていました。

 声が届くのが一方的なだけなら筆談でもいいと思って』

男「自分の声は聞こえていないようだから諦めたと」

教授「なんてことだ。この程度の事にも今日に至るまで気づかないままとは。こうなると自分を解剖台に送るほかないな」

俺にも飛び火するからやめてほしい。

男「そんなに話しかけていたんですか?貴方だけが会話を試みてきたと言っていますが」

教授「ははは、だろうね。最も私もこちらの声は聞こえていないと思って諦めてしまったがね。あの時のコーヒーはおいしかったかい?」

『苦すぎでした』

男「あー、えっと、口に合わなかったと」

教授「それは残念」

不思議な光景だろうな。

二人に挟まれながらそう思った。

言葉はアレだが、言ってしまえば実験体と研究者が並んで腰かけて話しているのだから。

教授「そうだ。私もそれ試していいかい?」

「…」コクリ

少し不満げながらも承諾された。

教授「よし」

教授が移動し俺に頭を預けて動かない彼女に頭を押し当てる。

教授「…」

『…』

教授「…だめかぁ。ま、仕方ない」

男「…オイ」

仕方ないも何もこいつは一言も発していない。

『だってもし通じてしまったらこの人何するかわからないじゃないですか』

男「…」

それは何かわかる。

『でも折角に機会なので一つ質問があります』

男「質問があるそうですよ」

教授「お、なんだい」

『その黒い白衣一体何なんですか』

あ、やっぱこれ黒い白衣って認識なんだ。だよな。

男「その黒い白衣はなんなのか、だそうです。自分も気になってましたけど」

教授「これかい?研究者なら白衣だろうと昔は普通のを着てたんだがね、コーヒーのシミが目立つから黒にしたんだ」

『え、それ意味ないのでは』

男「白衣って薬品とかこぼしても目立つための白なのに目立たなくしちゃったんですか…」

教授「え、そうなの?」

男「研究職の白衣はそういう理由だったかと」

教授「そうだったのかぁ。でもシミがなぁ」

『そもそもこの人どういう分野の専門家なんでしょう』

男「教授の専門分野って何なんですか。その反応から薬品とかを扱う類ではないとは思いますが」

教授「それは秘密だよ。白衣よりミステリアスを纏っていた方がかっこいいだろう?」

『実はここの管理人とかだったりしませんかねこの人』

男「気持ちはわかる」

教授「おや、彼女はなんて」

『秘密でお願いします』

男「秘密です」

教授「おっとこれはしてやられた」

はははと事も無げに笑う教授。

この人ホントに教授を名乗るだけのただの面白お姉さんなんじゃあるまいな。

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そんな感じで研究とは名ばかりの緩い生活が始まった。

男「おはよう」

朝エレベーターを降りると彼女が出迎えてくれる。

そっと俺の胸に額を当て

『おはようございます』

そう言ってスッと離れていく。

少し消え入りそうな声だが短い会話ならこの程度の接触でも可能だった。

朝食は共有スペースで食べることにしている。

少しでも同じ環境にいることで何かわかるかもしれないと考えたからだ。

教授「やぁやぁ待っていたよ」

男「え、これ教授が作ったんですか」

大きな皿にこれでもかとフレンチトーストが乗せられている。

銀色のおしゃれなシロップの容器。簡素な装飾の真っ白なお皿に銀のフォークとナイフ。

レストランの朝食としか思えない光景だ。

教授「フレンチトーストは得意料理なんだ。ほらお掛け。コーヒーでいいかい」

男「お願いします」

教授「君もかい?」

「」ブンブン

激しめの否定。

教授「ではミルクか」

「」コクリ

恐い、とは言っていたが基本的に二人の仲は良好に見える。

「「いただきます」」

男「美味しい」

教授「何よりだ」

『なんでこんな無駄に美味しいんでしょう』

左側に座る彼女は小さな口にしっかりとトーストを頬張りながら頭を押し付けてくる。

お互いに食べにくいと思うのだが会話したくて仕方ないようだ。

教授「お気に召したかい?」

男「そのようです」

彼女は話す度に俺にくっつく必要があるので聞こえなくても何か言っていることは伝わってしまう。

男「料理好きなんですか?」

教授「好きと言うのは違うかな。美味しいものは好きだがね。

   閃きのきっかけとして別の作業をしようと考えてな、手近なのが料理だったんだ。繰り返すうちに色々出来るようになってしまった」

男「なんだか伝記に乗ってそうなエピソードですね」

教授「もし味を聞かれた時は是非褒め称えてくれたまえ」

男「変人であることもしっかり答えておきますよ」

『コーヒーは微妙なのにどうしてこんなに美味しいんでしょう』

男「…俺に言わせる気かそれ?」

『ご自由に』

教授「なんと?」

男「秘密です」

教授「うーん歯がゆいなこれは」

気づいたら次のイベントが来てる

リアルが落ち着いてきたので少しずつ更新していきます。
漏らす神風が書きたかっただけなのに凄い長くなってる…

このSSまとめへのコメント

1 :  MilitaryGirl   2022年04月20日 (水) 20:06:16   ID: S:K3ccnS

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