黛冬優子「ノーガードって打ち鳴らせ」 (21)

地の文アリのシャニマスssです。

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 目が覚めるような歌声が、ふゆたちの耳に飛び込んできた。ライバルと呼ぶべき、ふゆの知らないアイドルの声。気を取られるだけの力を持ったそれが、ふゆの身体に電撃のような緊張を走らせる。

「え、あの子らの歌、激ヤバじゃん……?」

 衣装を身にまとい、落ち着かない様子で隣に立つ和泉愛依は「すっご」と感嘆の声をもらした。悔しいけど、同感。かつかつかつかつ、自分の足元で靴音が響く。そのかすかな音に、ふゆも焦っていることを自覚する。

「最悪。これの後に出番とか……!」

「ここじゃよく聞こえないっすね。もっと近く行ってくるっす」

「やめなさいっての、あさひっ……」

 舞台袖ギリギリまで顔を出そうとする芹沢あさひの首根っこを掴んだ。
 そんな落ち着きのないとこを審査員にでも見られてみろ、それだけで減点モノだ。
 ため息をつく。合格した新人アイドルはW.I.N.G.出場がほぼ確定し、箔がつくとも言われるオーディション。
 流行や審査員の影響力を考慮して、ふゆたちは歌によるアピールを武器に挑もうとしていた。
 そこに、これだ。今歌ってる子たちは多分、ふゆたちより上手い。

「ふ、冬優子ちゃぁん……うちら、大丈夫、だよね?」

「そのために考えてるっ……! アピール、ダンス中心に切り替えた方がいいかも」

「う……やっぱそうなる系? ショージキ、ちょっと自信ないけど……やるしかない、よね」

 声を震わせながらも覚悟を決めたらしい愛依だけど、その姿がむしろ、ふゆがやろうとしていることのリスクを冷静に突きつける。
 無理じゃない。でも、ボーカルレッスンを中心に調整してきたふゆたちに、ぶっつけ本番でうまくやれる保証はないのだ。
 だから、これはどっちがマシかの選択になるってこと。それを決めるために、もうひとつ愛依に問う。

「あの子たちより上手く歌う自信、ある?」

「……キツい、かも」

「そうよね、ふゆも自信ない。……気持ちで負けてんのよ。認めたくないけど」

 力不足を認めるのは不本意だけど、負け戦に挑むわけにはいかない。必要な打算、そのはずだ。
 もっとも、その決断を下すためには大きな壁が残っていた。

「あさひ、聞いてた?」

「…………」

 ふゆに首根っこを掴まれたまま静止する、あさひを納得させられるだろうか。
 声をかけながらその身体を揺する。反応しない。

「あさひ、話があるの。戻ってきな、さいっ」

「……!」

 ぐるりと無理矢理にその身体をこちらへと向けさせる。ぴくんと反応したような気がした。
 あさひの軽い身体は、こういう時だけは助かる。
 あのめちゃくちゃなフットワークの助けになっているのだと思うとシャクだけど。

「……今の感じ。そっか、あの声、もしかして……」

「あさひ? ちょっとでいいから聞きなさい。この後のふゆたちの出番だけど……」

「前の子たちより、上手く歌えばいいんすよね」

 平坦な、心ここにあらずとばかりの声。
 ふゆたちの会話を聞いていたのかわからないけど、そこには有無を言わせない迫力があった。
 覗き込んだ瞳は吸い込まれそうなほど無垢で、ぞっとする。
 確信した。どう言い聞かせようと今のあさひは絶対に言うことを聞かない。
 これからこいつの本能任せの行動に、ふゆたちは巻き込まれるのだ。

「ごめん愛依、予定変更はナシ。あさひに合わせるわよ」

「う、うんっ。……いつものうちららしく、っしょ?」

 思いきり緊張してるのが見え見えなのに、そうこなくちゃって言いたげな笑みを浮かべる愛依が理解できなくてなんかムカつく。
 アドリブとか、苦手なくせに。

「いつもであってたまるかっての」

「…………出番っす」

 そろそろお決まりになってしまった恨み言と、我関せずなあさひの声が重なった。
 目を閉じて、開くと同時に笑顔を作るけど、上手く笑えているかは自信がない。
 あさひから一拍遅れて歩き出した愛依の所作は、固いようでアイドル和泉愛依のキャラに合っていた。少しうらやましい。
 エントリーナンバーで呼ばれ、音楽が流れ始めた。
 本当に勝てるのか、という不安は、一瞬で吹き飛ばされることになる。

 ふゆたちの中心に立つあさひが、振り付けのほとんどを無視してマイクを強く握り込んでいた。

 やっぱりか。
 そう納得してしまうことにもトゲっぽいものを覚えながら、半歩大きくステップを踏む。
 正直、転ばない自信はない。だけどこうしなくっちゃ、全体的に動きが小さいという印象は避けられない。
 本来なら一番キレのある踊りを見せつけるのがあさひだ。その不在の影響を、誰が無視できるだろう。

 アイドルというよりはバンドのメインボーカルのような佇まいで紡がれた声に、いつもと違う色を感じる。
 何かを試そうとしているのは明白だった。……それに賭けろっていうの、あんたは。

「っ……!」

 バランスを崩しかけて、なんとかごまかす。
 カバーしてくれた愛依の方が危ない身のこなしをしているのを見て、今度はふゆが声量を上げて視線を誘導する。
 歌に集中する余裕なんてなかった。ただ必死に、このパフォーマンスを最大限見れるものにするために動き続ける。
 水際でアピールを続けて、曲がサビへと差し掛かった、その直後。

「────」

 あさひの歌声が、爆ぜる。
 それはまさしく爆発としか言いようのない威力で、会場すべてをまたたく間に飲み込んだ。
 ふゆや愛依の歌と踊りすらもろともに。審査員の注意が一点に引きつけられるのがはっきりとわかった。

 まっすぐで、高らかで、ひたすらに強いその声は、ああ確かについさっき聞いた歌にどこか似ていた。
 冗談みたいだ。同じ歌を聞いていたはずなのに、このわずかな時間でこんなにも隔てられる。
 あさひは曲の最後まで脇目を振ることも知らずに歌い上げた。

 そしてふゆたちストレイライトは、そのオーディションに合格する。

「みんな、おめでとう。いい結果で終われてよかった」

「やー、マジでよかった! うち、心臓バックバクだったもん」

「そっすね、うまくいったっす!」

 プロデューサーが笑み混じりに勝利を祝う。
 能天気にそれを受け取る愛依と、結果を聞く前から腹が立つほくほく顔を浮かべていたあさひ、そして、ふゆに向けて。

「他になにか言うことはないわけ?」

「……冬優子は、ずいぶん機嫌が悪いみたいだな」

 そういう気が利かないセリフは求めてない。
 プロデューサーが気づいてないとは思えないけど、言うつもりがないならふゆが言うだけだ。

「あさひ、あんた自分が危なっかしいマネしたって自覚はある?」

「? 歌でアピールするって、みんなで決めたっすよね?」

 きょとんとして、なんにもわかってない答えを当然のように返してくる。
 理屈が通っているように見える分余計にタチが悪い。

「歌以外のアピールをおろそかにしろとは言ってない」

「……そっすね! 冬優子ちゃんと愛依ちゃんがフォローしてくれたんすよね。ありがとっす!」

「あんたねぇ……」

 不可抗力的に両手に力がこもる。「まあまあまあ!」と愛依が間に入ってきた。

「ほら、勝ったから結果オーライじゃん? W.I.N.G.にも出れるかもっしょ? アゲてこアゲてこ!」

 結果オーライ、その言葉も何度聞いたことか。あさひが何かやらかしたとき、八割くらいの確率で誰かが言う言葉だ。
 たいていは、愛依かプロデューサーが。そろそろ矛を収めさせる効力を失う頃だろう。

 そういう問題じゃない、そう言おうとしたそのとき、あさひがぽつりと口を開く。

「それに、ああしたから一番いいパフォーマンスができたと思うっす」

 その言葉が、ふゆから反論する力を奪い去った。
 代わりに口になんてできないいくつもの言葉が胸の奥で膨れ上がる。
 その言いようはどこまでも傍若無人で、あまりにも正しい。ふゆのやり方は勝ちを掴めたとしても、一番にはなれなかった。
 一番いいパフォーマンスのため。臆面なくそう言い切って、しかもその通りにできてしまうあさひが……。

 その先の言葉を誰にも見せるつもりのない奥底でだけ呟く。
 この話が終わったら、ふゆはプロデューサーに一つの提案を持ちかけることに決めた。



「ふぃ〜、おつかれぇ。今日もしんどかった〜。トレーナーさん、マジ鬼!」

 ダンスレッスンが終わり、レッスントレーナーが去るやいなや愛依がそんな悲鳴をあげる。
 扉で隔てられているとはいえ、ここまで開口一番だと聞こえているんじゃないだろうか。

 愛依はあそこが難しかったとか、どこそこのフリがマジカッコいいからバシッと決めたいとか、レッスンの感想を次々口にする。
 適当な相槌をうちながら、ふゆたちの会話、愛依がつないで引っ張ってるなとぼんやり思った。
 ふゆにあそこまで絶え間なく話題を提供できるとは思わないし、あさひは気分屋だ。

「で、この後どーする? うち的には甘いもの食べてから帰りたいカンジなんだけど……」

「悪いけどふゆはパス。残ってレッスンしてく」

 ふゆの答えに愛依は「そっかー……」とがっかりした様子で返した。
 今日はあさひに付き合ってもらってほしい。できるだけ、一人になりたかった。

「じゃあ、わたしも残るっす!」

 それなのに、あさひは空気を読まない。
 そんなのをこいつに期待するだけムダだから、口に出してはっきりと拒否してやらなくちゃいけない。

「ふゆは一人になりたいの」

「一人にならいつでもなれるっすよ? 今じゃなくてもいいはずっす」

「今、一人で、レッスンがしたいの」

 有無を言わせないように一言一言を強調した。
 愛依にも「こいつ持って帰んなさいよ」と念を送る。
 愛依はふゆの視線に気づいてか、得意げにウィンクした。逆に嫌な予感。

「じゃあうちはお邪魔虫っぽいし退散するわ〜。二人とも、ごゆっくり!」

 ツッコむ暇もあさひを押し付ける暇もなく愛依は行ってしまった。
 気を利かせたつもりだろうけど、ただの迷惑……というか墓穴だ。

 ため息をつく。あさひはもう話が決まったことにしているらしい。
 ふゆなんてお構いなしに、今日やった曲とは違う曲のダンスを頭から踊り始めていた。

 なんとなしに眺める。通しで踊るのかと思ったら、途中でぴたりと止まって首をひねった。
 ああ、ここふゆも引っかかったなとほおが緩みそうになって、慌てて首を振る。
 あさひは映像を巻き戻して再生しなおすように同じフリを繰り返す。
 そして何度か試したのちにぱっと明るい表情を浮かべ、次の瞬間には明らかに上達したステップを披露する。

 なんか、見てて飽きない。
 だけど同時に、あさひの成長の過程をまじまじと見ることになって気が滅入った。
 覚えるの、ふゆより圧倒的に早いし。

「冬優子ちゃん、じーっと見てどうかしたんすか? レッスンは?」

 眺めていたのがバレたらしい。
 集中してるように見えて、こういうことに限ってムダによく気づく。
 ばつが悪くなって「るっさいわね」とぶつくさこぼした。

「あ、そうだ冬優子ちゃん」

 別に大した関心ごとじゃなかったのか、あさひはふらっと話題を変える。食い下がられるような話題でもなかった。
「なによ」と返す。軽い調子だったから、またくだらないことだろうと思いながら。

「なんでオーディション、一人で受けることにしたんすか?」

 だけどこいつは、前置きなしでこういうことを聞いてくるのだ。

 あんたがそれを言うの。声を荒げそうになった。
 でもこの怒りはあさひが生んだものであっても、あさひのせいじゃない。八つ当たりはしたくなかった。

 ふゆはストレイライトとしてじゃなく、黛冬優子としてオーディションを受けたいと、プロデューサーに申し出た。
 ふゆがアイドルを続けてきた理由がこの手からすり抜けたことに気づいたから。
 もう一度、取り戻したいから。

 ふゆの怒りは、不甲斐ないふゆ自身のためにあるのだ。あさひになんてくれてやらない。

「あんたには、わかんないわよ」

「えー、そんなことないっすよ! 聞いてみなきゃわかんないっす」

 そこは食い下がるのか。
 教える教えないで押し問答になることを覚悟しながら、そのくせ言葉は口をついて出てきた。

「欲しいものはね、ふゆの手で手に入れたいの。わかる?」

 もしかしたら、話してみたかったのかもしれない。

 みんなに好かれるアイドルになりたくて、色々と試すのが楽しかった。
 笑顔を浮かべて狙い通りに相手を見とれさせて、よっしゃって思うのが快感だった。
 仕事を終えるたびに充実感がふゆを満たした。
 どれも、ふゆの試行錯誤の成果だった。

「だから、あんたのせいなのよ」

「わたし? どういうことっすか?」

「あんたと一緒にいると、ふゆが自分の足で歩いてるのか、あんたに無理やり引っ張られてるのか、わからなくなる」

 ストレイライトになってからは、どうだろう。
 あさひは好き勝手するし、愛依はそれに乗っかる。だから考えることが余計に増えていく。それはいい。

 いつしかふゆはあさひの手綱を握る立場から、リードごと振り回される側に変わっていた。
 ストレイライトの人気と知名度は上がっていく。
でもそこに、ふゆの貢献は感じない。

「……」

 質問攻めは止まり、熟考するモードに入ったのが見てとれる。
 こうなった時のあさひに対して、待つ以外の対処法を知らない。話なんて耳に入っていないだろうし。

 ふゆは、あさひにどう答えてほしいんだろう。
 いっそ何も理解されず、別の存在であると突きつけてほしいのかも。
 その方が、諦めがつく。

「……冬優子ちゃん? それだけっすか? もう少し詳しく聞かせて欲しいんすけど」

 急に声をかけられて我に帰る。
 あさひの目がまっすぐにふゆを見据えていることに気づいて、ひとつせき払いをした。

「……え、あ、そう。……そうね、ならたとえ話。あさひ、さっきから通しで踊ってないでしょ。なんで?」

「なーんか、違うなぁって思って」

「納得いってないからやり直してる、ってとこ? ……ふぅん。さっき突っかかってたの、このステップでしょ」

 あさひが練習していたステップをなぞる。ここで失敗でもしたら格好がつかないけど、身体は問題なく覚えこませた動きを再現してくれた。

「そうっすそうっす! ……へぇ、冬優子ちゃんはそう踊るんすね、なら……」

 あさひは再び何か考え込む様子を見せた。
 その視線は、今度はふゆを向いていない。ふゆは手を叩いて、あさひの意識を引き戻した。

「……ここ、ふゆのパートでしょ。そもそもあさひは踊れる必要ないじゃない」

「そう……っすかね。やってみてわかったんすけど、冬優子ちゃんのパートがとんとんくるすたっ、だから、その後のわたしのパート、とととんぱぱぱっ、のぱぱぱの部分をもっとぴたっ、とした方がいいと思うんすよ」

 擬音を交えて、軽くフリを再現するようにしながらあさひは熱っぽくふゆに訴えてくる。
 自分のした発見を伝えたくて仕方がないと言わんばかりに。
 残念ながら、ふゆにはよくわからない。

「……ま、それと似たようなものよ。あんたがやったこと、ふゆにはできないことが「ストレイライトの持ち味」になってるのが気にくわないの。だから、ふゆにできることを見直したくなった」

「そんだけ」と話を終える。
 あさひは再び考え込んだ。少し待ってもその表情は曇るばかりで、納得に至る気配はない。
 ふゆの心が冷めていくのを感じる。やっぱりこんな自分語りなんて、するもんじゃない。

 あさひは首を振りながら顔を上げて、ふゆを見た。

「じゃあなんで、一人でレッスンなんてムダなことするんすか」

「な……!?」

 投げつけられたのは、疑問の形をした……これはもう罵倒と言っていいだろう。
 ナチュラルに失礼、あさひの得意技だ。

「わたしは今、冬優子ちゃんの踊りを見て、引っかかってたとこがするっと抜けたんすよ。一人でやってたら、もっと時間かかったと思うっす」

 ……そういうこと。あさひの言わんとすることを理解して、思考をぱちりと切り替える。
 自分にできることを見直したい。それは、嘘だ。
 あんたなんか羨ましくないっていう見栄。そうじゃないだろう。

「欲しいものがあったら、手を伸ばして、届かないなら跳ねてでも何を使ってでも掴むっす。いいんすか? わたしはここにいるっすよ?」

 挑発的な笑みを浮かべて誘ってくるあさひ。
 手本になってやる、そう言いたいんでしょ。

「……生意気、上等じゃない。あさひ、今日は夜まで返さないから覚悟しなさい!」

 あさひの目が輝く。
 ほんとこいつは、こんなに嬉しそうな顔をして……!
 ワケわかんない。あさひの感性なんか、逆立ちしたってわかるとは思えない。

「わかったっす! 冬優子ちゃんこそ、夜まで体力もつっすか?」

「人にものを教えるなんて、あんたとは最も縁がない行為でしょ。頭、爆発しないといいわね」

 だけどこいつの技術と上達への姿勢だけは、参考にしてやらないこともない。
 それくらいの譲歩は、したっていいだろう。



「んじゃ、そういうことでヨロシク~!」

 あさひとの自主レッスンの翌日。
 筋肉痛なんてものを久しぶりに感じながら事務所にやってくると、愛依とプロデューサーが何かしらの話を終えたところのようだった。
 こっちに気づいた愛依が満面の笑みで手を振ってくる。

「お、冬優子ちゃんじゃん! おはよ!」

「おはよう。何の話してたの?」

「んっとね……。あ、冬優子ちゃんは何だと思う?」

 勿体つけられてしまった。
 急な問いはどこか、はぐらかすような色を感じさせた。
 あいさつの延長線でちょっと世間話とはいかなそうだ。

「なにそれ。オフでも貰ったとか?」

「ではないかなぁ」

 プロデューサーと話しそうなこと、思いついて当てずっぽうで言ってみた。
 それが当たるとは思っていなかったけど、案の定だ。
 考えてみても、それ以外はあまり想像がつかなかった。

「じゃあ、ヒント! 冬優子ちゃんと関係あるけど、冬優子ちゃんと関係ないこと!」

「余計わかんないわよ。ヒントになってないじゃない」

 唇をとがらせるふゆを見て、愛依は「それもそっか」と納得した様子を見せる。
「じゃ普通に言っちゃうわ」なんて前置きして、一度止めようとした話の続きをする。

「冬優子ちゃんがオーディション受ける日に来た仕事のオファー、うちとあさひちゃんの二人で受けることにしたんだ」

「……内容は?」

「遊園地のイベント。トークとアクション、だって」

 それはまた、結構な挑戦だ。
 アクションはいい。あさひがいて地味になる心配はいらないだろう……前のオーディションみたいなことがなければ。
 鬼門はトークの方だ。特に、愛依にとっては。

「ま、まあ台本もあるし、ちゃんと覚えればどうにかなるっしょ!」

 顔に出ていたのか、愛依がおおげさに笑う。でも、その姿勢も長くはもたなかった。
 遊園地でイベントとなれば、ターゲットには小さい子もいる。
 そういう舞台は、退屈させないためにコール&レスポンスがところどころ入ったりするものだ。
 緊張を逆手に取ってクールキャラを演じる愛依には、かなりしんどいだろう。

「ほんと、ふゆに相談もせず決めて……。なんでまた、それ受けちゃうのよ」

「や、冬優子ちゃんがそれ言う?」

「う」と声が出る。そうだった。
 ふゆだって勝手に一人でオーディションを受けた側だ。愛依のしたことをとやかく言える立場ではない、けど。

「大丈夫なの?」

 これだけは、問わなきゃいけない。色んなものをひっくるめて。

「じゃなきゃ受けないって」

「あんたは無理して受けそう」

 というか、そんなふうに眉下げて笑ってる時点でバレバレなんだけど。
「アハハ」と笑って、その笑顔を崩して。

「ま……ちょっとくらい無理したいじゃん?」

 それを真剣なカオで言われると、なんというか弱い。
 その裏側に、ストレイライトのメンバーとしての自分について考える愛依の姿とか、そーゆうものを見てしまうから。
 ちょっとくらい失敗してもけろっとしてる、あの愛依にもそんな夜があったりするのだろうか。そんなこと、聞けるわけないけど。

「度胸だけはあるのよねぇ……」

「ひっど! だけじゃないっしょ! 他にもイロイロあるって、たぶん!」

「じゃ、あさひがメチャクチャやってもちゃんと止めなさいよ」

「……ガンバリマス」

「素直でよろしい」と口にして、それがあんまりにも自分のことを棚上げしているものだからおかしくって笑ってしまう。
 ふゆにとって素直でよろしいことなんてどこにもないのに。
 だってほら、急に、勝手に笑い出すから愛依が目をまんまるにしてきょとんと間抜け面を浮かべてる。
 でもその顔すらもおかしくて。

「ちょ、冬優子ちゃん! なんでそんな笑うの~~!!?」

 事務所中に響いたであろう困惑の叫びをよそに、ふゆはひとしきり、盛大に笑った。
 で、笑いすぎてどこかヘンになっていたんだと思う。

「そういえば、ありがと愛依。昨日あさひと二人にしてくれて」

「へ……?」

 さっき以上のきょとん、にふゆは一瞬で失言を悟った。
 そこから1秒、思考はここ数週間の中でも最速で回っていたことだろう。
 議題はいかにこの失態をごまかすか、そこに何口走ってんのよとか油断しすぎとかその手の後悔が添えられた。

「……じゃ、ふゆは用事あるから」

 導き出した結論は逃げの一手。なんでもないようにそっけなくこの場を離れて、追及する時間を与えない。
 使い古された手だけど、その分効果も大きいというものだ。

 廊下につながる扉に手をかけ、小さく安堵の息をつく。
 しかし手首をひねる前にドアノブのほうが回って、とっさに手を離した。

「っと……」

「あ、冬優子ちゃんおはようっす! 愛依ちゃんも! 二人とも変な顔してるっすけど、なにかおもしろいことでもあったんすか!?」

 ぴしりと表情筋が固まる音が聞こえた気がした。変な顔っていうのは、さてはこのうまく動いてくれない顔のことか。
 ぐいぐいと事務所に入ろうとするあさひに押されるように後ずさる。

「あさひちゃん、マジナイスタイミング! あのさ、冬優子ちゃんがさっ」

「愛依いぃぃ!!」

 余計なことを言われる前に愛依に詰め寄る。今度はふゆの声が事務所に響いて、あさひが笑っていた。



 W.I.N.G.の最終審査が終わるまでの、残り少ない数週間。
 ふゆたちがユニットとして過ごす時間はいつも以上に少なかった。
 ふゆの意志がどうこうという以上に、あさひを名指しした仕事のオファーが増えたからだ。

 驚きはなかったけど、悔しかったし、せいせいしたし、勿体ないとも思った。
 どれもレッスンに力を注ぐ糧になった。

 そうやって、ふゆは今一人で控室に座っている。
 衣装を着て、メイクも済ませた臨戦態勢……そして、手持ち無沙汰だった。
 オーディション前に時間を持て余すなんて初めてで、何をしていいか逆にわからない。

 プロデューサーはあさひと愛依のお守りでこっちにいない。
 テーブルの上に投げ出した携帯を手にとって遊ばせていると、チャットアプリの通知がひとつふたつと増えていった。
 アプリを開く。愛依からだ。

『冬優子ちゃん冬優子ちゃん! 遊園地、激コミなんだけど! やばいよ~!!』

『そっちはどう? どんなカンジ?』

 顔文字マシマシの文章を要約すると、そんなような内容。
 目を回している愛依が簡単に想像できた。

『静かなもんよ。オーディション会場だし、騒がしい誰かさんもいないし』

『キンチョーしてない? ウチらが盛り上げるから!』

 余計な世話を焼いてくるから、『お前が言うな』と書かれたスタンプを送って携帯をテーブルに戻す。
 次の瞬間、ガタガタガタガタッ!! と恐ろしい勢いで携帯が震えた。
 あさひと愛依によって同じスタンプで爆撃されていた。うるさいっての。

「集中とか、台無しじゃない」

 ぼそっと呟いた。
 ぼんやりとチャット越しで二人と駄弁っているうちに、出番が近いことを告げられた。
「呼ばれた」「行ってくる」とだけチャットを入れて、携帯の電源を落とす。

 立ち上がる。これから勝負に挑むには、悪くない気分だ。

「……まあ、この時期でこの規模のオーディションなら、納得のレベルよね」

 一人、二人と番号を呼ばれてパフォーマンスを披露するアイドルたち。
 素人目に見たら「どれも良かった」なんて感想が出てきてしまいそうなくらいには、誰も彼も仕上がっていた。
 ぽつりと呟いた言葉も、半分はただの虚勢でしかない。
 想定の範囲内ですよ、なんて。ふゆがそれを軽々超えられるとまでは言えないが。

 まあでも、もう半分を思えばひるんでもいられない。
 この場にいる誰よりも、うちのユニットの問題児の方がよっぽど恐ろしいのだ。

 ふゆの番号を呼ばれた。「はぁい」と甘い声で返す。改めて、笑顔を作る。
 アイドルが浮かべる笑顔も、声も、ちょっと甘すぎるくらいでちょうどいい。

「黛冬優子ですっ。ふゆ、きっとみなさんの心に残る歌をお届けします。だから……」

 堂々と歩いて、一つ礼をする。
 ふゆはみんなのアイドルだ。信じてるのは自分じゃなくて、みんなが自分を好きになってくれること。
 そういう笑顔を曇りなく見せつける。

「聞き逃しちゃダメですからね!」

 だって、好きになってもらうために考えまくったんだから。

 イントロに合わせてポーズを決める。
 本番の舞台に立ってようやく実感する。一人の舞台は、広い。
 練習通り仕上げたダンスを踊っていても、どこか物足りないような気がしてしまう。

 1フレーズ目を歌い始めたタイミングで、審査員の一人が「おっ」って顔をした。
 チャンスと見て身体の向きを調整し、声を届けることを意識する。ターゲットは、もちろんそこの彼。
 一通り歌い上げたらターンに合わせて、次はフリが激しくなるとこちらを見る目が厳しくなる女の人に狙いをつける。

 予定通りのパフォーマンスをなぞるだけならソラでできなきゃ話にならない。
 意識は全部、ふゆを見ている審査員に向ける。反応を見て好みを探る。ベースを崩さない範囲で調整をかける。
 そうやって、少しずつ好感度を稼いでいく。

 滑り出しは順調、全員の意識を引けた感覚がある。それも予定より早く。
 だけど、だからこそ焦りが生まれる。一人一人に別々の好みがあるなら、それが全部重なるなんてありえない。
 全員がふゆを見ている今、できることには限度があった。
 優先順位を決める。まずは、歌をしっかり聞きたそうなあの人から。

「今のとこ、もっとバシッとキメてほしいな。ちょっとブレてる!」

 別の審査員から叱責が飛ぶ。
 どうもクール系好みで、ポージングのキレを重視してるらしい。そういうの、愛依の分野なんだけど……!

「ダンス、さっきより縮こまっちゃってるんじゃない?さっき良かったよ、あれ見たいなぁ」

 また別の審査員からも要望がくる。
 彼女はダイナミックな動きがご所望だ。けど、序盤飛ばしすぎたかも。
 ちょっとそこまでしてあげる体力的な余裕がなくなってきた。

 ああ、そうか。
 ふゆがやらかした失策に気づく。同時に内心ムカついてきた。
 容赦がない審査員たちに対してでもなく、自分の体力の限界にでもない。
 ふゆのやり方は、そもそも一人で成り立たせるものじゃなかった。

 あそこにあさひがいれば、とか、今のアピールを愛依がやってれば、とか、そういうことばかり頭に浮かぶ。
 ふゆは、ふゆの力で歩みを進めている実感が欲しかったからここにいる。
 だってのに、いざ一人になってみたらこれだ。
 出せるのはせいぜい及第点。ふゆの最高速は、結局のところあいつらと一緒にいなくちゃ出やしないのだ。

 ……そんなこと、今更気づいても遅いっての!
 今できるのは結局、ふゆ一人の手で届くものを、やれるだけ掴み取ることだけ。
 だったらふゆの実力ってやつ、見せつけてやる。
 反骨心を燃やし尽くして、妥協なんて抜きで歌い、踊る。
 身体の節々がムチャすんなって言ってる気もするけど、知ったことか。

 審査員全員に向けてレスを送り、笑顔と声を振りまき、大きく跳ね回る。
 予定にないアレンジがダンスに加わっていく。
 時間にしたら、わずか30秒弱。
 そこに今まで培ったもの、あさひから盗んだもの、全部詰め込んでやった。

「っ……! はぁ、はぁッ……!」

 こんな、息も絶え絶えでぼろぼろな姿、アイドルのふゆらしくはないだろう。
 だけど今、もし余力なんてものが残っていたら、ふゆはふゆを許せなかったと思うのだ。

 だからこの胸にある熱さのことを、達成感と名付けてあげてもいいだろう。



 オーディションを終えて、特に予定はなかったけれど事務所に顔を出すことにした。
 チャットアプリにはオーディション直前にふゆが送ったメッセージに『うちらも行ってくる』『っす!』とだけ返されていた。

 電車を降りた頃にはもう日も傾いて、街がオレンジに染め上げられている。
 西日がまぶしいから手で遮ると、その手はいつもよりずっと赤く見えた。
 夕焼けの中を歩くだけで少し青春っぽい気分になるんだから人間って単純だ。

 事務所までたどり着いて、階段を登る。そして、扉を開く。

「……あ」

 そこには予想とほぼほぼ違わぬ光景が広がっていた。

「お疲れ。あさひ、愛依」

 ソファでうとうとしているあさひと、その隣で雑誌を眺めていた愛依。
 なんとなく、いるだろうなと思った。二人の視線がふゆに集まる。

「おっつー。オーディション、終わったんだよね?」

「ん。そっちも仕事終わり?」

「そうっす。それで、帰ってきたんす」

 疲れのせいか、それ以外のことのせいか、ふゆたちの会話は緩慢だった。
 少なくともふゆは疲れていたし、二人の話を聞きたいような、聞きたくないような、どっちつかずの心持ちだった。
 その後に、ふゆの番がくるだろうから。

 先に聞かれるよりは、こっちから聞いた方がいいか。そう結論を出して口を開く。

「で。仕事の結果、どうだった?」

「んー……まあ、失敗ではない、かなぁ」

「煮え切らないのね」

「や、怒られたりとか、ヘンな空気になったわけじゃ、ないと思うんだケド……」

「偉い人に、笑った顔で『次は三人揃ってお願いしたいな』って言われたっす」

 よほど含みのある言い方をされたんだろう。
 寝ぼけ眼をこすって、眠気も抜けたはずのあさひが、まだもやもやするって顔をしてる。

「冬優子ちゃん、いつまで一人でやるんすか?」

「あら、寂しくなった?」

 軽い調子で返してみたら、思ったより重い沈黙が数秒続いた。

「たまに……わたしは同じことしてるのに、まわりがヘンなことがあるんすよ。今日は、特にそれが大きくて。それって冬優子ちゃんがいないから。三人じゃないからなのかなって」

「うちも寂しいよ~! 冬優子ちゃん、超頼りになるし。うちなりにやるだけやったけど、やっぱり三人が一番じゃん? って、うちはそう思った!」

「ほんと、しょうがないわね」

 やっぱりふゆがいなくちゃ駄目だ。
 しょうがない二人の前で、ほおが勝手に笑顔を作ろうとするのも、しょうがない。

「今回のことでわかった、ふゆにも二人が必要なの。大事な時期に待たせたわね」

「……!」

 瞳の光が息を吹き返す。
 それでいいのよ、ギラギラしてなきゃストレイライトじゃない。
 ……まあ? ふゆ抜きでも成り立つなんて言わせるつもりはないけど?

「……二人とも、ただいま」

「おかえり、冬優子ちゃん!」
「おかえりっす、冬優子ちゃん!」

 たまにはふゆからただいまを言うくらいには、殊勝になってみてもいい。

「……それで、冬優子ちゃんのオーディションはどうだったんすか?」

「え? んー……内緒」

「えぇーっ!? なんでっすかー!」

 だって別に、どっちだっていいでしょ。



「おぉー……! すごいっす! 人がいっぱいっす! これ全部、あそこにいる人なんすよね!」

「はいはい、騒がないの。もうすぐ本番なんだから、ちょっとくらい落ち着きなさい」

 興奮を抑えきれないあさひをなだめるの、今日何度目だろう。
 早朝に事務所で会ったときからずっと、あさひはワクワクを隠しきれていなかった……というより、隠そうとしていなかった。

 ふゆたちのW.I.N.G.出演は危なげなく決まった。
 三人で最後の調整をして、リハで三階席まであるようなハコの大きさに本気でビビって、寝付けない夜を過ごした。
 始まる前から平静でいられないあれそれに見舞われて、それでも普段どおりを装っている。

 モニターに映った会場の様子はとにかく盛況で、それでもこれが静かな熱気であることを伺わせた。
 人、人、人。数えたら何千何万は軽くいくだろう。
 新人とはいえトップクラスのアイドルが集まる舞台は、一番を決める戦いであるとともに、一種のフェスとしての顔も持ち合わせている。
 例年チケットの倍率は高く、かなりのキャパを誇る会場でさえあっさりと埋めてしまえるのだとか。

「ひゃー……マジ、もう緊張してきた……」

「モニター越しで慣らしておきなさい。気休めでも、心の準備がないよりはマシでしょ」

 答えて、小さく深呼吸をする。二人の視線がふゆに集まっていた。

「……何?」

「いやぁ、落ち着いてるなーって」

「冬優子ちゃんはなにかないんすか?」

「何かって何よ」

 まさかふゆに「緊張する……!」とか言ってほしいわけじゃないでしょうね。ガラじゃない。

「あ、でも冬優子ちゃんは出番のすぐ前の方がぶつぶつ言ってること多いっすね」

「確かに~。でもそれ、冬優子ちゃんに言うのはNGだかんね」

「……そ、れ、じゃ、あ、今のうちに真面目な話するから、よく聞きなさい」

 そうこなくっちゃと笑う二人。
 上手く乗せられたような気もするけど、気のせいってことにしておく。

「ストレイライトは、今日、このW.I.N.G.で一番のパフォーマンスをするわ」

「っす!」

「もち、トーゼンっしょ!」

 気持ちいい返事に頷いて、ふゆは強気に笑みを深める。

「で、ふゆがストレイライトの中で一番のパフォーマンスをするの」

「……おお?」

「いいっすね! わくわくするっす!」

 次に口を開いたのが、澄んだ瞳に強くギラついた色を宿すあさひ。

「できない目標を立てるのは、やめたほうがいいと思うっすけど」

「言うじゃない。追い詰められたネズミになったこともないくせに」

「ちょちょ、うちを無視されると困るんだけど!」

 出遅れた愛依が大慌てで話に割り込む。
 さっきまでガチガチになりかけだったってのに、いい顔してた。

「一番うしろにいると、二人の走り方がちゃんと見えんの。油断してたら、ガブッ! だからね!」

「ふゆはたまにあんたの走り方も見てるけど」

「あれぇ!?」

 まったくもって締まらない。舞台裏のふゆたちはいつだってそうだ。
 だから結局、大事なことはステージに立って叫ぶしかない。

 それでも、これから始まる歌、視界に広がる景色を予感させるには十分過ぎた。

 光が爆ぜ、音がうねり、歌が突き抜ける。それがどこまでも続く。
 W.I.N.G.はそういう場所だった。

「ありがとうございましたーっ!」

 遠巻きに声が聞こえる。ストレイライトの出番を告げる声。
 向き合って拳を突き合わせたふゆたちは、顔を上げる。不安はない。

「わたしは負けない。わたしたちは誰にも負けない。わたしたちは……」

「ストレイライトッ!!」

 電子音に彩られたイントロと歓声の中、昇降式の床に乗り、迷光がステージの中心に姿を現した。

「ここからは、ストレイライトの時間ッ……!」

「みなさぁん、盛り上がる準備なんて、いつでもOKですよねぇー!?」

「一曲目、アゲていくっすよ! 『Wondering Dream Chaser』!!」

 返ってきた声の、その圧力が肌にビリビリくる。
 視界は一面の赤。純然たる熱量は、それ故に容赦がない。
 今からこれを支配する……がぜん、燃えてくるってものだ。

 三方に別れるようにステップを踏む。
 お互いの姿は見えないけど、観客の熱はこれでもかってくらい伝わってくる。
 あさひが一番近くにいる席、愛依の動きが見えやすい席、それぞれの反応を伺えば、大まかにステージの状況を把握できる。
 あとは歌声だけを頼りにやるだけだ。

 あさひが歌い踊ると赤い波が生まれた。
 その動きに合わせるように、あるいは見入り、聞き入るように。
 ふゆのパートに入っても、何割かはあさひの踊りから意識が逸れない。やっぱり、えげつない。

 だとしても、今はスピードさえ出ていればいい。
 たとえここが誰かの後ろでも構わない。だってふゆは。

「──諦めない、絶対」

 詩とリンクさせて感情を引き上げる。
 サビに入って、三人が再びステージの真ん中に集まる。
 ようやく二人の動きが視界に入った。観客から見ても同じ。誰か一人を見るならあさひを選ぶかもしれない。
 でも、三人揃ったときに誰に目を引かれるか、ならいくらでもやりようがある。

 それぞれのパート、ブレスのタイミング、細かなフリと立ち位置の違い、それにステージライトの角度まで。
 ふゆを引き立てうるすべての要素に目を光らせて、それでも見ているみんなに向けた笑顔は忘れない。
 集中力をフル稼働させている感覚には麻薬めいた中毒性がある。

 一人が前に出れば二人は時に譲り、時に張り合う。
 言葉を交わしてなんていないのに相手の意図はすぐにわかるし、ふゆが動いたら二人もそこから最善手を返してくる確信があった。

「目、離させない……!」

 動いたのは、愛依。
 自身のパートの直前に入るポーズに合わせ、小さく、しかしはっきりと呟く。
 ぴんと伸ばした左腕の、人差し指の先がメインモニターを映すカメラを指し示す。
 悲鳴にも似た歓声が強く響く。

 ここは、続いておくが吉だ。
 レーザービームの中心に立って微笑を浮かべる。満面の笑みでも強気すぎてもいけない。
 愛依のひたむきさ、熱さと相反するように、愛嬌7割、自信3割くらいの塩梅で。

「ふゆを、見て」

 再び声が空気を揺らして、あさひがにやりと笑うのが見えた。
 いいわ、美味しいとこは譲ってあげる。
 直後、あさひのダンスに大きくアレンジが加えられる。
 これまでのアピールと、観客の反応と、それらが全部あさひのためにあったみたいにぴたりと吸い寄せられる。

「まだまだ、楽しむっすよ!」

 観客に向けて高らかに宣言する。
 ふゆも愛依も、大きく頷いた。
 あさひを先頭にして、思いっきり加速する。ストレイライトの最高速を更新し続けて、今までで一番大きな舞台を駆け抜けた。

 曲が終わり、最後のキメで静止する。
 全身を揺さぶる歓声は、照明が落ちると同時にふっとどこか遠く感じる。
 ポーズを崩し、マイクを持たない腕を下ろす。

「『Transcending The World』」

 ゆっくりと、一揃いになって動く。
 一曲目であったまりきった会場を、さらに爆発させるのにうってつけの曲。
 静と動を切り替えながら、それでも少しずつボルテージを上げていく。

 声を振り絞り、歌を轟かせる。リズムを刻む声に合わせ機敏にステップを踏む。そして、機会を伺う。

 サビに入って観客を大きく煽った。
 誰も彼もが大きく叫ぶ。ケタ違いの声量に、鳥肌が立つ。
 こんなものを受けて、あさひが燃えないはずがない。

「っはははは!! すごい、みんなすごい声っす! まだいけるっすか、わたしはいけるっす! だからもっと来るっすよ!」

 メチャクチャなMCに、ふゆもにやりと口角が上がるのを感じた。
 この曲を歌っている間は、誰も体面なんて気にしなくていい。
 だってみんな等しくバカになって、狂って、周りなんて見てられなくするんだから。

 怖いもの知らずに、ふゆを守ってきた殻を今だけは脱ぎ捨てよう。
 それが許される……いや、それこそがふさわしい!
 笑顔を浮かべることよりも、高らかに声を張り上げることがふゆを魅せる一番の手だった。

 二度目のサビ。熱狂はさらに強まって、ファンタジスタは制御不能になる。
 あさひはフリも立ち位置も全部無視してステージの最前ギリギリまで駆けた。

「もっと声、聞かせろおおーーっ!!! あっはははははは!!」

 叫び、歌いながらステージを端から端まで駆け抜ける。
 明らかなスタンドプレー。フォーメーションなんてあったもんじゃない。

 ……だけど、それを待ってた。
 来てくれた。会場全部が大バカに支配される瞬間。
 あんたが作ったそれを、ふゆを引き立てる最高の演出にしてあげる。

 あさひ、あんたはずっと一番前を突き進んできた。
 自由に走り抜けて、道を作り上げていく。
 草を踏み分け、石を蹴っ飛ばしながら……後ろなんて振り返りもしないで。

 でも、だからね。あんたは知らないのよ。
 ふゆたちがあんたの喉元に突き立てようとしてきた牙が、どれくらい鋭く研がれてきたかなんて。


「みなさぁーんっ! ふゆにぃ、たっくさん声援をくださぁーい!! まだそんなに声、出るんでしょッ!!」

 計算し尽くした角度。
 あさひがどこかでこういう行動に出ること、ふゆは信じていた。
 でもスタッフさんが、カメラマンさんが全部あんたについてこれるだなんて大間違い。
 あさひに当たる予定のスポットライト、そしてあさひを映す予定のメインモニターの映像はがら空きになるはずだった。

 それを見過ごす? フォローに回る?
 冗談じゃない。ふゆは、その隙を見逃さないのよ!

 完璧な笑顔、ウィンク、両手にマイクを握ったいじらしいポーズ、そして最上級の甘さを含ませた、だけどステージに轟く咆哮を上回るだけの声。
 それら全部をカメラに抜かせてコールを求める。
 あさひが作ったフルスロットルを、ふゆへのコールにして、奪い去る。

 ふゆの名前が、ステージ全部に轟いた。

 見たか、見たかっ。
 私は見た。これがずっと求めてた景色。
 そうだ、今。このステージの中心で、最前線は、黛冬優子の立つ場所だ!

「声、聞こえるっ! マジ、ハンパないよ、みんな……! うち、後悔させない……魅せるからッ! 目ぇ離さないで!!」

 直後、耳に飛び込んでくる名前に一瞬目を見開き、笑う。

 ズルいったらありゃしない。
 愛依の熱さ、ただ必死に紡いだだけの言葉が、愛依が努力を重ねて作り上げてきたキャラクターと交わって、意味を持つ。光り輝く。
 そこに計算なんてないのだ。

 気づいたら駆け出していた。
 すぐそこにファンのみんなが見える、あさひと横並びの位置。ずっと追いかけてきた、コイツに向けた視線が愛依と交差する。
 考えてることは、同じ。

 追いついたわよ、あさひ!!
 追いついたっしょ、あさひちゃん!!

「……! っ……!! わたし、このステージが今までの人生で一番楽しい!! みんなにとってもそうして見せるっす! だから冬優子ちゃん、愛依ちゃん、みんなっ!」

 その言葉を届かせたい相手へ、ひとつひとつ全身を向けながらあさひは声を張り上げる。
 一瞬だけ覗き込んだ瞳には、見たことのないほどのきらめきが瞬いていた。

「さあ、叫べっ!!!!」

『Fly away!!!!』

 左手で引っ掴んだマイクを右手でも握りしめる。三人が、自然とその姿勢を取っている。

『Set me free!!!!』

 だって、アオリなんてもう必要ない。ダンスなんて踊ってる余裕がない。
 あさひが、ふゆが、愛依が、みんなが、魂をかけて叫ぶだけでいい!

『Fly away!!!!』

 声が、会場のすべてだった。溶けあってひとつになる。響き渡る。
 こんなにも、簡単なことが。

『Set me free!!!!』

 どうしようもなく、楽しかった。


「みんな、ありがとっす」
「ありがとう……ございましたっ」
「……ありがと」

 最後にぽつり、三つの声が重なって、ストレイライトのステージは終わりを告げた。



「いやぁ、終わったね~……」

「なにしみじみしてんのよ。こっから忙しくなるってのに」

 普段はぴんとしている姿勢も、今日ばかりは猫背ぎみにして愛依が言う。
 ふゆも正直上の空ではあった。家にたどり着いたら、ずーっと自分の部屋でぼうっとしている未来が見える。

 W.I.N.G.の全行程が終わり、ふゆたちは三人で事務所から駅への道を歩いている。
 日はとっくに沈んでいるし、プロデューサーからも車で送っていこうかと提案があったけど、今日は遠慮した。
 ゆっくり、自分の足で帰りたい気分だった。

「でもさ、やっぱW.I.N.G.ってうちらにとってもでっかい目標、みたいなとこあったじゃん?」

「ま、そうね」

「これからどうなるのか、ぜんっぜん想像つかないんだよね。仕事、ガンガン来るとか?」

「面白いことができるなら、わたしは何でもいいっすけど」

「……勝ったんだから、もうちょっと自覚持ちなさいよ」

 口に出して実感しようとするくらい、ふわふわしているのはふゆも同じだけど。

 ストレイライトは一番を取った。
 その後のことを、ふゆはよく覚えていない。ステージが鮮烈すぎたせいだろうか。
 表彰とか、取材とか、あって然るべきイベントもこなしたことしか記憶に残っていなかった。
 ふゆのイメージが変わってたらマズいから、無難に乗り切ったのだとは思う。

 あさひは「うーん……」と首をひねる。言葉を探る様子を見せて、口を開いた。

「結局、わたしたちの中だと誰が一番だったんすかね?」

 どうでもいい内容だったら適当に答えるところだけど、こればかりはさすがに無視できない。
 今気にすることなの? とも思うけど、今以外のいつ、この話を蒸し返せるかと問われると答えが出なかった。

「……そんなの、まだわかんないわよ。仕事のオファーとか、ファンレターとか、自然と差がつくんじゃない?」

「ほかの人がどう思ってるかは、どうでもいいっす。冬優子ちゃんと、愛依ちゃんはどう思うっすか?」

「どう、って……」

 ふゆたちのステージを、思い返す。特大の歓声と、それに負けないように全力で叫んだ記憶が浮かぶ。

「そりゃ、ふゆが一番でしょ」

「うちも、うちがMVP、ってカンジだと思う」

「……そうなんすよねぇ」

 あさひが頭を抱えだした。
 満場一致にならないことは想像がついていたから、そこについては突っ込まない。
 ふゆが一番だったでしょ、なんて言っても仕方がないことは重々承知だ。

「わたしも、わたしが一番だったと思うんす。でも、冬優子ちゃんからしたら冬優子ちゃんが一番で、愛依ちゃんもそう。バラバラなのに、全部間違ってない気がするんす」

 なんだ、思ったより真っ当な悩みじゃないか。愛依と目を見合わせる。
 生ぬるい温度の視線で微笑んでいたものだから、思わずくすりと吹き出した。

「なんで笑うっすかー」

「だって……ねぇ、冬優子ちゃん?」

「ええ。当然じゃない。全部間違ってないもの」

「んー……?」

「ふゆにとっては、ふゆが一番ってのが正しいの。だってそう思ったってだけでしょ?」

「みんな違ってみんないい、ってコト!」

 ふゆはふゆの中でさえ、あさひが一番だって思ったりもした。
 今はそうじゃない。とりあえずは、それだけでいいだろう。

「なんか、よくわかんないっすね! ……だから」

 あっけらかんと言い切って笑う。その瞳は、夜空の星を反射してきらめいていた。

「わかるまで、よろしくお願いするっす!」

 どうにも、まだまだ長い付き合いになりそうだ。

以上、お読みいただきありがとうございました。
少しでもお楽しみいただけていれば幸いです。

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