【バンドリ】湊友希那「水族館へ行こう」 (35)


※湊友希那「動物園へ行こう」と同じ世界の話です


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――湊家 友希那の部屋――

湊友希那(10月初め、寒露の朝)

友希那(とても暑かった夏も終わり、長月も台風と共に瞬く間に通り過ぎた)

友希那(すっかり秋めいた空に冷たくなった風)

友希那(それらに連日にわたってどこか芸術的な感性を煽られていた私は、ベッドで寝ぼけ眼をこすりながらふと遠くへ出かけたいような欲求を覚える)

友希那(今日は平日だけど、羽丘女子学園が創立記念日のため休みだ)

友希那(だからロゼリアの練習も紗夜と燐子に合わせて夕方から)

友希那(今は午前7時前。普段と何ら変わりない時間に目覚ましをセットして、その通りに起きてしまったから時間はたっぷりとある)

友希那(よし、それならちょっと遠くへ出かけよう)

友希那(そう思いカーテンを開けようとして、なんだかリサがカメラを構えているような予感がしたからその手を止める)

友希那(そしてちょうど2ヵ月ほど前に動物園に行ったことを思い出し、私はポツリと呟く)

友希那「そうだ、水族館へ行こう」


友希那(そうと決めたからには早速準備にとりかかろう)

友希那(今は10月。余命幾ばくもない秋を感じられる貴重な時期だ)

友希那(朝晩はやや冷え込むものの、陽射しがある時間は暖かい)

友希那(だから服装はいつも通りのもので大丈夫だろう)

友希那(今回はタオルやら何やらも必要なさそうだ。押し入れで埃かぶっている例のタオルと帽子は来年まで……いや、恐らくこの先ずっと日の目を見ることはないだろう)

友希那(バッグも小さなポーチにして、その中にハンカチやら何やらの細々したものだけ入れれば十分だ)

友希那(というか、極論を語ってしまえば最悪お金とスマートフォンさえあれば日本のどこへ行こうと何とでもなるのだ)

友希那(足りないものがあれば最悪現地で調達すればそれで済む。だからこういった遠出の準備においては物足りないくらいの持ち物がちょうどいい)

友希那(あれもこれもとバッグに詰めていたんじゃいざという時に必要なものがすぐに出せなくなるし、何より動くとき邪魔になるだろう)

友希那(備えあれば憂いなし、という言葉があるが、過ぎたるは猶及ばざるが如し、という言葉もあるのだ)

友希那(一番大切なのは『塩梅』)

友希那(そしてそれは私にとって『少し物足りないくらい』がいつもちょうどいい)

友希那(……流石にトコナッツパークへ行った時に水着を用意していなかったことは反省しているけど)


友希那(さておき、小さなポーチに最低限必要なものを詰めた私は洗面所へ向かう)

友希那(リビングからはスポーツニュースのキャスターの声が聞こえてくる。きっとお父さんがテレビを見ているのだろう。朝の挨拶はしないでさっさと通り過ぎよう)

友希那(8月16日のすこぶる張り切ったお父さんを見てから、私は某プロ野球球団が絡んでいる時はあの人を避けるようにしていた)

友希那(というか、あの球団が10連勝だか11連勝だかしていた時に非常にめんどくさい絡み方を毎日されたので、最近は徹底して無視するようにしていた)

友希那(もっと言えば『最近娘が冷たい……』と何故か美竹さんのお父さんにぼやいているところを見た、と青葉さんから聞いたから、もう今年は口を聞かなくていいとさえ思っている)

友希那(本当に年相応の落ち着きを持って欲しい。あなたはいくつなのかと問いたい)

友希那(そんなだからお母さんにお小遣いを減らされるんだ。その分私のお小遣いが増えたことには感謝しているけれど)

友希那(父の愚行はともあれ、私は洗面所に辿り着くと、手早く準備を済ませる)

友希那「さて……」

友希那(それから簡単な朝食をとり終えた私は、カーテンを閉じたままの部屋に戻ってどこへ行こうか思案する)


友希那(水族館。一口にそう言っても色々な場所にその施設はある)

友希那(東京都内の近くの場所、もしくは電車を乗り継いで行く県外の場所)

友希那(都内ならきっとお洒落で煌びやかな展示があることだろう)

友希那(けれど、それはちょっと今回の気分とは違う気がした)

友希那(私はこの僅かな秋という季節を肌で感じたいのだ。全室内型のお洒落な場所は時間帯によって風景が変われど、きっと季節で景観が変わることは少ないだろう)

友希那(それにせっかくの平日休みだ。こういう時にこそ遠出をするべきだろう)

友希那(それと、今回は前のように夏休みではないし、花咲川女子学園は普通の授業日のははずだ)

友希那(流石にこんな日に知り合いとまた顔を合わせるなんてことはないだろうけど、念には念を入れて前回よりも遠くに行くべきだろう)

友希那「……よし」

友希那(そんなことを考えながら、私は一つの水族館に目星をつける)

友希那(屋外型であり、なかなか歴史のある水族館。施設はどちらかというとマニア向け、というような口コミがあったけれど、イワトビペンギンがたくさんいるというところで全て相殺できる)

友希那(場所も電車とバスを乗り継いで約2時間ちょっと。いい塩梅だ、ここにしよう)

友希那(そう思い、スマートフォンをポーチに入れて、カーテンは開かないまま私は部屋を出た)


……………………


友希那(家の最寄り駅から品川駅まで出て、そこで電車を乗り換える)

友希那(その際、ネットを調べている時に、目的の駅までの電車賃とバス料金、加えてその周辺でお得に食事や施設を利用できるという切符があったので、それを自動券売機で購入する)

友希那(便利な時代になったものだ、なんて、昔のことは知らないけれど知った風な顔で頷いて、購入した切符を手にとった)

友希那(それから再び電車に揺られること1時間)

友希那(目的としていた三浦半島最南端の駅に私は到着した)

友希那(流石、平日の午前10時前だ。小ぢんまりとしたどこか懐かしい装いの駅には人もまばらである)

友希那(こんなところで知り合いに会う確率なんて、きっと三毛猫のオスが生まれるくらい珍し)

松原花音「ふぇぇ……ここどこぉ……?」

友希那「…………」

友希那(……なんだろう。何故だろう。そんなことを思った矢先、早速知った顔を見つけてしまった)

友希那(色々と言いたいことはある)

友希那(どうして花咲川女子学園の子が平日のこんな時間にここにいるのか、どうして私は行く先々で誰かしらの知り合いと出くわすのか、それなら三毛のオスの野良猫と巡り合えてもいいんじゃないか……とか)

友希那(けれども、普段親交はあまりないとは言え、知り合いは知り合いだ)

友希那(そんな同年代の女の子が今にも泣きそうな顔で不安そうにキョロキョロと辺りを見回している姿をスルーできるほど私の心は強くないし、流石にそれに話しかけるのを躊躇うほど人見知りでもない)

友希那(という訳で、私は内心で小さくため息を吐きつつ、松原さんに話しかけることにした)


友希那「あの、松原さん?」

花音「ふぇ!? あっ、ゆ、友希那ちゃん……?」

友希那「……ええ、どうも」

友希那(『友希那ちゃん』。そう私を呼ぶ人物は知り合いの中で何人いるだろう。リサの両親はともかくとして、同年代に限ると片手の指も余りそうなその呼ばれ方にちょっとだけくすぐったい気持ちになりつつ、私は松原さんに相づちを返す)

花音「ど、どうしてここに?」

友希那「それは私のセリフよ。羽丘は創立記念日だけど、あなたは学校じゃないの?」

花音「あ、えっと、花女は先週の土曜に公開授業があって……」

友希那「……なるほど。その振替で今日が休み、という訳ね」

花音「う、うん。だから……その、今日は1人でおでかけに挑戦してみようって思っててね……?」

友希那「迷ってしまったのはその顔を見れば分かるけど……本来の目的地は?」

花音「えっと……池袋の水族館……」

友希那「池袋って、ここと正反対じゃない」

花音「えっ? そうなの?」

友希那「…………」

友希那(本当の本当に分かっていなさそうな様子に肩とため息を落とす)

友希那(池袋は埼玉寄りで、ここは神奈川でもかなり南の方に位置する駅)

友希那(説明するまでもなく、東京から見て埼玉は北、神奈川は南だ)

友希那(……この子、放っておいたら大変なことになりそうね……)


花音「あの……実は私、ちょっと方向音痴で……」

友希那「ちょっとの域を越えてるでしょう」

友希那(と、喉元まで出かかった言葉を飲み込む。今ここでそんなことを言っても仕方がない)

友希那(ではどうしようか)

友希那(流石にここで「さよなら」と言ってしまっては、松原さんのことだから今度は那須塩原辺りまで行ってしまうのではないか、と思える。このまま見過ごすという選択肢はない)

友希那(けれど池袋まで送るわ、というのも少しおかしい気がする。彼女の家の最寄り駅まで、というのもおかしいだろう。そもそも送るという発想がおかしいけれど、乗り換えを教えただけではまた迷子になるのは目に見えていた)

友希那(であれば、取る手は1つしかなかった)

友希那「……松原さん」

花音「あ、うん、なに?」

友希那「水族館が目的地よね?」

花音「そ、そうだね……」

友希那「池袋ではないけれど、私は今日水族館に行くつもりでここまで来たの。だから、良かったら一緒に行かないかしら?」

花音「え、いいの?」

友希那「……ええ。たまには1人で、と思っていたけれど、あまり松原さんとこういったことをする機会もないもの」

友希那(それと目を離すとどこかへフラフラ飛んで行ってしまいそうで、気が気じゃないから)

花音「そ、それじゃあ……お言葉に甘えちゃってもいい?」

友希那「ええ」

花音「ありがとう、友希那ちゃん」

友希那(そう言って松原さんはふにゃりとはにかむ)

友希那(その笑顔と私をちゃん付けで呼ぶ声を聞いて、やっぱり私は少しくすぐったい気持ちになるのだった)


……………………


友希那(松原さんを先導して駅前のロータリーからバスに乗る)

友希那(そして彼女と隣り合わせて座った席で、今日私が水族館に1人で行こうと思った理由をそれっぽい理屈でごまかしているうちに、目的地へとバスは到着した)

友希那「ここが今日の目的地よ」

花音「すごいね、海が近くにあるんだ」

友希那「ええ。この近辺の海はとても穏やかみたいよ。まるで水面に油を流したような静けさが土地の名前の由来である……という一説もあるらしいわ」

花音「へぇ~。物知りなんだね、友希那ちゃん」

友希那「……まぁ」

友希那(先ほどネットで調べた完全に受け売りの知識であるけれど、少しあこに似た純粋な尊敬のまなざしを前にそれしか言えなくなる)

友希那(……何かこう、自分の首を自分で絞めているような気分だわ)

友希那(もしも『湊友希那は物知りである』なんて風評が広まったら……それに対応できるかしら。最悪、「興味があることしか覚える気はないの」で通せるかしら)

花音「友希那ちゃん? どうかしたの?」

友希那「いいえ、なんでも」

友希那(松原さんにキョトンとした顔で尋ねられ、脳内に浮かんだ馬鹿らしい考えを放り出すために首を振る)

友希那(今のこの私の思考こそ捕らぬ狸の皮算用と呼ばれるものだろう)

友希那「時間がもったいないし、行きましょうか」

花音「うん」


……………………


友希那(お土産屋さんを兼ねた入園ゲートで入場料金を支払い、私と松原さんは園内に入る)

友希那(ゲートを通り抜けてすぐ右手には有料コインロッカー、左手にはチケットと一緒に貰った園内マップを大きくした看板があった)

友希那(どこへ行くにしてもまずどんな場所にどんなものがあるのかを把握することが先だろう)

友希那(そう思い、とりあえず目を離した隙にフラフラとどこかへ行きそうだった松原さんを捕まえる)

花音「ご、ごめんね、友希那ちゃん……ちょっと気になるものがあって……」

友希那「いえ……気持ちは分かるから、気にしないで頂戴。それより園内ではぐれるくらいならすぐに合流できるでしょうし、私の方こそ急に肩を掴んでごめんなさい」

花音「う、ううん……」

友希那(……自分で言っておいてなんだけど、園内ではぐれたが最後、次に会うのは東京のどこかなんじゃないかという心配があった)

友希那(それはさておきとして、大きな園内マップと手元のマップに書かれた催し物のタイムスケジュールを見比べる)

友希那(時刻は10時20分。一番見たかったイワトビペンギンのお食事タイムは5分前に終わってしまっていた)

友希那(……まぁ、仕方ないわね。松原さんを放ってはおけなかったし)


花音「なんだか動物園みたいな水族館なんだね」

友希那「ええ。屋外型の場所だし、水族館的な展示は左手の建物の中にあるみたいよ」

花音「へぇ……」

友希那「今の時間だと……そうね、ちょうどイルカとアシカのパフォーマンスがもうすぐ始まるみたいだから、それを見に行かないかしら?」

花音「うん、分かった」

友希那(こくん、と何でもないように可愛らしく頷く松原さん。その仕草が嫌味にならないのがすごい)

友希那(そんなことを考えつつ、カワウソや目当てにしていたイワトビペンギンの飼育舎を横目に、松原さんがはぐれていないか10歩に1回ほど彼女の姿を確認しつつ先導して、園内の最奥左手の屋内劇場までたどり着く)

友希那(その施設の入り口をくぐると右手側にイルカやアシカが芸を仕込むまでの手順なんかが展示されていて、正面には地下に潜るような階段があった)

友希那(ちょっと急なそれを下っていくと、徐々に潮の香りに似たものが鼻孔をくすぐる)

友希那(階段の終着点に備え付けられたガラス張りの扉を抜けると、グッと水の匂いが強くなった)

友希那(そのまま足を進めていくと、これまた下方向に観客席が広がっていて、最前列の手すりの先には赤い暗幕がかかっていた。あの先にイルカとアシカがパフォーマンスをするプールがあるのだろう)


花音「すごい広いね……」

友希那「ええ。屋内型の劇場はここの名物らしいし、それだけお金をかけているんでしょう」

友希那(応えつつ、松原さんとともに劇場内を見回す)

友希那(平日朝方ということもあってか、この空間には人もまばらだった。最前列の席でさえ半分くらい空いていた)

友希那「あまり人もいないみたいだし、折角だから前の方に行きましょうか」

花音「うん」

友希那「……転ばないように気を付けて」

花音「だ、大丈夫だよ。心配してくれてありがとね、友希那ちゃん」

友希那「いえ……」

友希那(先ほどから子供扱いというかなんというか、とにかく松原さんに対して結構失礼な対応をしているような気がしてならなかったけど、彼女はそう言って柔らかく笑う)

友希那(……あまり私の身近にいないタイプの女の子だから、なんだか新鮮な反応ね)


……………………


友希那(イルカとアシカのショーは、この水族館が開園50周年を迎えたということで、更に50年後の水族館を舞台にした内容で行われていった)

友希那(昔はマスコットだったというおじいさんなペンギンの着ぐるみが語り部になって、それに合わせてイルカが迫力のあるジャンプをしたり、アシカが足し算を解いたり……)

友希那(そのどれもに「わぁ」と目を輝かせている松原さんがかなり印象的だった)

友希那(リサとは違う系統の『女の子している女の子』というのだろうか)

友希那(その楽しそうな反応と笑顔に、やっぱり私はなんだか新鮮な気持ちになっていた)

花音「すごかったね、イルカさんとアシカさん」

友希那「ええ。特にあの子たちが曲を演奏していたのが印象的だったわ」

花音「そうだね。アシカさんがオルガンを顎で弾いたり、イルカさんが鳴き声で合いの手を入れたり……ちょっとリズムがズレてたりしたけど、可愛かったなぁ」

友希那(ショーも終わり、屋内劇場を出た私たちは肩を並べて園内を歩いていた。左隣の松原さんは私の言葉を聞いて、またふにゃりと破顔する)

友希那「ああいうの、弦巻さんたちが好きそうね」

花音「うん。こころちゃんが聞いたら、『そうだ! 今度のライブは動物さんたちと一緒にやりましょう!』ってきっと言うと思うな」

友希那「……言いそうね」

友希那(ハローハッピーワールドのメンバーとはあまり親交がないけれど、普段の様子やライブステージから想像するに、弦巻さんがパッと笑顔を弾けさせる様子が目に浮かんだ)


花音「はぐみちゃんと薫さんもそれに乗って、美咲ちゃんが『やれやれ』ってため息を吐いて……ふふ、でもきっとすぐに真面目に準備をしてくれるんだろうな」

友希那「なんだか嬉しそうね、松原さん」

花音「え? そうかな?」

友希那「ええ。さっきからずっと頬が緩んでいるわ」

花音「そ、そっか……ハロハピのみんなのことを考えると楽しいからつい……ちょっと恥ずかしいな」

友希那「それだけバンドのメンバーのことを大切に思っている、ということじゃない。恥じる必要なんてないと思うけれど」

花音「……そう言ってもらえると嬉しいな、えへへ」

友希那(松原さんはまたも可愛らしく照れ笑いを浮かべる。あざとい、とも受け取られかねない種類の笑顔だ。それなのにこうも嫌味にもならずにその笑顔が似合ってしまうことに不思議な感覚がする)

友希那「ところで、松原さん」

花音「うん?」

友希那(その不思議な感覚についてはひとまず置いておくとして、私はずっと気になっていたことを彼女に尋ねることにした)


友希那「あの……マスコットがいるわよね、ハローハッピーワールド」

花音「ミッシェルのこと?」

友希那「ええ。ちょっと確認したいんだけど……」

花音「うん」

友希那「彼……あるいは彼女? は、猫なのかしら」

花音「えっ」

友希那「いえ、他意はないの。ただ、たまにCiRCLEの前にミッシェルの銅像が建っていることがあって……アレが万が一にでも猫だとしたら、私も今後の対応を考えなければいけないから」

花音「え、えっと……ミッシェルはクマ……だよ、確か……」

友希那「……そう。やっぱり猫じゃ……ないのね……」

友希那(……薄々感づいてはいた。けれど、その『もしも』をどうしても捨てきれなかった)

友希那(もしもミッシェルが猫だったら……あれだけ大きな猫がいるとしたら……全身でその感触を確かめたりしたかった。ライブハウスの控室で2人っきりになったのなら、何かと理由をつけて、じゃらしてみたかった)

友希那(けれどもやっぱり現実というのは残酷なもので、期待は簡単に裏切られるし願いというものはこうもあっけなく打ち砕かれる)

友希那(人生は諸行無常ね……)


花音「な、なんでそんな落ち込んで……」

友希那「気にしないで頂戴。分かっていたことだから」

花音「う、うん……。友希那ちゃん、猫が好きなの?」

友希那「……まぁ、人並みには」

花音「そうなんだ。なんだかちょっと意外だな」

友希那「あくまで人並みに、だから」

花音「ふふ、そうだね」

友希那「…………」

友希那(まるで幼子を愛でるような慈愛の視線。どうしてそんな温度高めの目で私を見てくるのだろうか、松原さんは)

友希那(その理由を考えて首を傾げながら歩いているうちに、私たちはカワウソの飼育舎の前を通りかかる)

花音「あ、カワウソさん……ふふ、重なってお昼寝してる」

友希那(と、私に向けていたのと同じような目で、松原さんは2匹で身体を重ねて眠っているカワウソを見つめる)

友希那「陽射しが暖かいのかしらね」

花音「そうかもしれないね。すごく気持ちよさそう」

友希那(可愛い、と小さく呟く彼女の隣で同じようにカワウソを眺めつつ、脳裏に蘇るのはあの夏の動物園でのこと)

友希那(よく遊んでよく喋って、そして電車で私にもたれてよく眠る後輩2人の姿だった)


友希那「……本当に戸山さんと北沢さんみたいね」

花音「え?」

友希那「いえ。ちょっと夏に動物園に行ったことを思い出して」

花音「あ、それってはぐみちゃんと香澄ちゃんとで行ったっていう?」

友希那「……よく知っているわね」

花音「うん、はぐみちゃんが嬉しそうに話してたから」

友希那「…………」

友希那(嬉しそうに、という部分は別に全然構わないけれど、はたしてどういう風に私が動物園に1人でいたと伝わっているのだろうか)

友希那(少し気になってしまったけど、それを聞くと墓穴を掘るような予感がしたから聞かないでおく)

花音「でも……そっか、確かにそうかも」

友希那「松原さん? どうかしたのかしら?」

花音「あ、ううん。友希那ちゃん、はぐみちゃんが言ってた通りだなって」

友希那「え?」

花音「『ステージとかだとすごく厳しそうだけど、一緒に遊ぶとすごく親切で優しいんだ。それに物知りなんだよー』……ってはぐみちゃんが言っててね?」

花音「確かにそうだなって思ったんだ」

友希那「……そう」

友希那(……そういう印象を抱いてくれるのは素直に喜ばしいとは思う。しかし、なんだろう。ハローハッピーワールド内での私に対する評価のハードルがどんどん上がっていっているような気がする)

友希那(すごく親切で優しくて物知り)

友希那(猫と音楽に関してなら物知りだと言われてもいいけれど、それ以外のことでそういう印象を抱かれると……これから私は『興味がない』で逃げられるのだろうか)


花音「あと、意外と可愛いところがあるなって思うな」

友希那「…………」

友希那(それこそ過分であり的外れな評価だろう。私はそう思い、一つ咳ばらいをしてから言葉を返す)

友希那「いえ、松原さんの方が、なんというか女の子らしくて可愛らしいと思うわよ」

花音「えっ、い、いや、私なんて全然そんなことないよ……」

友希那「そんなに謙遜することはないと思うわよ」

花音「そ、そんなことないです……」

友希那「そうかしら」

花音「そ、そうだよ。友希那ちゃんの方が可愛いと思うよ?」

友希那「そんなことないわ」

花音「そんなことあるよ」

友希那「ないと思うけれど」

花音「私はあると思うな……?」

友希那「…………」

花音「…………」

友希那(そんな下らない押し問答を繰り返しているうちに、なんだか可笑しくなって、私はフッと笑ってしまう。松原さんも同じように感じたのか、へにゃりと微笑んでいた)

友希那「変なやり取りね。違う場所も見に行きましょうか」

花音「うん、そうだね」


……………………


友希那(それから私たちは肩を並べて園内を練り歩く)

友希那(クラゲが好きだ、と言った松原さんの要望に合わせて『魚の国』と銘打たれた水族館的施設に行き、クラゲの展示が僅かなミズクラゲのみだったことに肩を落とす彼女を慰める)

友希那(それからその施設の2階に行き、大型回遊水槽での魚の餌付けガイドを眺めた)

友希那(魚の中にも雑食な種類がいるらしく、おやつにキャベツを与えているというのが面白かった)

友希那(本来は小魚用であるそのキャベツに、大きなエイがかじりついているのも面白かった)

友希那(魚の国を後にすると、今度は園内ほぼ中央に位置するペンギン島へと向かう)

友希那(計43羽のイワトビペンギンが生活する飼育舎で、老若男女のペンギンたちが泳ぎ回ったり日向ぼっこをしたり羽繕いをしている様を近くで眺められる施設だ)

友希那(人工的な岩場をぴょんぴょんするイワトビペンギンになんとも言えない愛おしさを感じつつ、松原さんにはまたもや聞きかじりのBLについての知識を語ってしまった)


友希那(BLとは「ブリーディングローン」の略で、小さな個体群で交配を繰り返すと血が濃くなりすぎてしまうから、同じ種類の動物を飼育している他の水族館と相互に動物を貸し借りして、外部から新規の血統を確保することや個体数の維持を目指すためのものだ)

友希那(動物園や水族館は、本来は博物館と同じ発想に基づく類似施設だ。可愛い動物や魚に癒してもらうことも目的の1つだけど、生物の種を絶やさないように保存する役目も担っているということを忘れてはいけない)

友希那(そんな口うるさいとも取れるご高説にも真面目な顔で頷いてくれる松原さんが少し眩しかった)

友希那(あと、また自分で自分の首を絞めたような気がしてならなかった)


……………………


友希那「ここは静かね……」

花音「そうだね……」

友希那(園内を一通り見て回り、一緒に早めのお昼ご飯を済ませた私たちは、園内最奥の建物の屋上展望台にまでやってきた)

友希那(平日で人も少ないということも相まって、眼下に広がる穏やかな海の潮騒まで聞こえてくる、とても静かな場所だった)

友希那(朝にはぐずっていた曇天の空も今は少し機嫌が良くなっていて、秋の太陽が雲間から顔を覗かせている。ぼんやりと佇むには絶好のロケーションとシチュエーションと言えるだろう)

友希那「…………」

花音「…………」

友希那(時おり吹き抜ける風に髪を靡かせながら、私と松原さんは手すりにもたれて無言で海を眺める)

友希那(この沈黙に気まずさは感じなかった。ただのんびりと、ぼんやりと、何を考えるでもなく、2人して凪いだ海に視線をたゆたわせることが心地よかった)

友希那(私はもちろんそうだけど、松原さんもそこまで口数が多い方でない。それに彼女はあくせくと必要以上に急ぐせっかちな性格でもない。むしろのんびり屋だと評されることが多いだろう)

友希那(隣で同じように海を眺める彼女のその雰囲気と静かな潮騒、そしてそよそよと髪を撫でていく初秋の風)

友希那(それらを目の前にして、そういえば秋を感じたくてここに来たんだった……と、今さら呑気に思い出すくらいに私の心は穏やかだった)


花音「友希那ちゃん、ありがとね」

友希那「……急にどうしたの?」

友希那(と、その沈黙を破って、視線を海に送ったまま松原さんが言葉を発する。私も同じように言葉を返す)

花音「その、迷子になってた私に声をかけてくれて……」

友希那「ああ……そういえばそうだったわね」

花音「忘れてたんだ」

友希那「ええ、ごめんなさい」

花音「意外とうっかりさんなんだね、友希那ちゃん」

友希那「まぁ、たまにはね」

友希那(互いを見ずに、海を見たままそんな軽口を交わし合う)

友希那(普段はあまり……というかほとんど関りのない人だったけれど、こうして偶然出会って偶然2人きりで過ごしてみて、漠然と感じていることがあった)

友希那(なんというか、波長的なものが松原さんとは合うのかもしれない。目の前に広がる凪いだ海のように穏やかな空気がやけに心地いい)

友希那(リサとも全然違うし、ロゼリアのメンバーと比べても、燐子と少し似ているけれど確実に違う静かで穏やかな雰囲気)

友希那(松原さんの持つそれは、きっと癒し系と言われるものだろう。その空気にすっかりほだされてしまっていた)

友希那(カワウソの飼育舎の近くで感じた『不思議な感覚』というのもきっとそういう類のものなんだろう。心が柔らかくほぐされるようなこの気持ちに似たものだ)


花音「たまには……って繋がりだとちょっと変かもしれないけど……たまには静かなところでのんびりするのも楽しいな」

友希那「ハローハッピーワールドのメンバーはみんな賑やかそうだものね」

花音「うん。それもすごく楽しいし、みんなと一緒にいれるのが嬉しい。でも、こうやって静かな空気でボーっとするのも好き……かな」

友希那「私もこういう空気が好きよ。まぁ……あこやリサの誘いで賑やかなところに行くのも決して悪くはないけれど」

花音「そうなんだ」

友希那「そうなのよ」

花音「ふふ、意外と気が合うのかもね、私たち」

友希那「ええ、そうね。私も同じようなことを考えていたわ」

友希那(それからまたしばらく、言葉もなく海を眺める)

友希那(中天を登り西の空へ傾こうかという太陽が私たちを照らして、短い影を作る)

友希那(不意に少し強い風が吹き抜けて、私の髪とその影をふわりと広げた。それを見て、ハタと思い出したことを口にする)


友希那「クラゲ」

花音「うん?」

友希那「そういえばあこに、私がクラゲに似ていると言われたことがあったのをふと思い出したわ」

花音「え、そうかな?」

友希那「あこのセンスは独特だから……私の髪型がドククラゲみたいでカッコいいって言っていたわね」

花音「うーん、言われてみれば……?」

友希那(と、松原さんは海から視線を外して私の髪をまじまじ見つめる)

友希那(少し照れくさいけど嫌な気はしなかったから、私は海を見つめたままジッとしていようと思った)

花音「……確かに風でフワッて広がったりするとちょっとクラゲっぽいかも……あ、ご、ごめんね、こんなジッと見つめちゃって」

友希那「別に構わないわよ」

花音「それにクラゲに似てるって言われてもあんまり嬉しくない……というか、人によっては嫌だよね……」

友希那「……そっちも別に気にしてないから。あこも松原さんも悪気はないって分かっているもの」

花音「そ、そっか。ありがとう」

友希那「ええ」


友希那(そして三度目の静寂が訪れる)

友希那(私は変わらず海をぼんやり眺めていて、松原さんは風が吹く度に揺れる私の髪へチラリと視線をやるようになった)

友希那(そうしてどれくらい経っただろうか。麗らかな陽射しに弱い眠気がやってきたところで、私はポーチに入れたスマートフォンを確認する)

友希那(リサからのメッセージ通知があったけど、それはひとまず無視して液晶画面のアナログ時計を見る。時計の針は13時をちょっと回ったところを指していた)

友希那(ここから家までは大体2時間半。ロゼリアの練習が17時からだから、そろそろ家路につかなくてはならないだろう)

友希那(穏やかな潮騒に後ろ髪引かれる思いがあるけれど、私はその誘惑を振り切って言葉を繰り出す)


友希那「松原さん。このあとロゼリアでスタジオがあるから、私はそろそろ帰ろうと思うんだけど」

花音「あ、そうなんだ。そうしたら私も一緒に帰らなきゃ」

友希那「その、こう言ってはなんだけど……いいの?」

花音「え、なにが?」

友希那「こんなに早い時間に帰ることになると、少しもったいないんじゃないかって……」

花音「ううん、大丈夫だよ」

友希那「……そう?」

花音「うん。私1人だったらずっと迷子のままお休みが過ぎちゃってたもん。もう十分すぎるくらい楽しめたし、帰りも私だけじゃ絶対迷子になるし……それに」

友希那「それに?」

花音「えへへ、こう言うとちょっと照れちゃうけど、友希那ちゃんと一緒にいるのって新鮮でなんだか楽しいから」

友希那「……そう」

友希那(柔らかく微笑む松原さん。それに小さく相づちを返す私も少し笑っていたと思う)

友希那(今回も今回で結局おひとり様にはなれなかったけど……今回も今回で、こうやってあまり親交のない人と何かをするのも、たまにはいいものね)

友希那(そんなことを穏やかな心の水面に浮かべつつ、私は松原さんとともに帰路につくのだった)


――――――――――
―――――――
――――
……


――後日 CiRCLE・カフェテリア――

今井リサ「ねぇねぇ友希那、創立記念日の日のことだけどさ……ずっと部屋のカーテン閉めたままだったよね?」

友希那「ええ。うっかり開けるのを忘れていたわ」

リサ「もー、ダメだよ。ちゃんと朝起きたらお日様の光を浴びないと」

友希那「そうね。邪悪な気配をリサの部屋から感じない時はちゃんと開けるようにするわ」

リサ「邪悪って……もしかして友希那、野球見に行くこと友希那のお父さんに話しちゃったの、まだ怒ってる……?」

友希那「別に」

リサ「うー、アレはしょうがなかったんだって……ゴメン」

友希那「気にしないでいいわよ。別に、本当に、これっぽっちも根に持ってなんていないから」

リサ「友希那がそういう時って絶対根に持ってる時じゃん……」

友希那「そんなことないわ。ホームランが出て、外野席で年甲斐もなくはしゃぐ自分の父親の姿がオーロラビジョンに映し出されたこととか、それを現地で友人や後輩に見られたこととか、別に全然気にすることじゃないもの」

リサ「だからゴメンってばぁ……」

友希那「……ふふ、冗談よ。ただ、今後はお父さんにああいうことは言わないで頂戴」

リサ「はーい……あんまり明け透けにしないようにしまーす……」

友希那「しっかり反省するように。……あら、あれは……」

リサ「ん? ……あっ、千聖と花音だね。おーい!」


白鷺千聖「あら……」

花音「友希那ちゃんにリサちゃん」

リサ「やっほー。2人もここでお茶?」

千聖「ええ。今日は涼しくていい天気だから。リサちゃんたちも?」

リサ「アタシたちはスタジオまでちょっと時間があるからって感じ。でも本当に天気もいいし、外でお茶するには絶好の日だよね~」

千聖「そうね。秋の風が気持ちいいから、きっと紅茶もいつも以上に美味しく感じるわ。ねぇ、花音。……花音?」

リサ「え……友希那?」

友希那「こんにちは、松原さん」

花音「うん、こんにちは。この前ぶりだね」

友希那「どうかしら、あれから少しは道を覚えられた?」

花音「うーん、やっぱりちょっとまだ……せっかく電車の中で道の覚え方とか教えてくれたのに、ごめんね?」

友希那「気にすることはないわ。最初は誰だってそうだもの。松原さんさえ良ければ、またどこかに一緒に行ってそういうことを教えるわよ」

花音「ほんと? えへへ、ありがとう、友希那ちゃん」

リサ「…………」

千聖「…………」


花音「あ、そうだ。この前の水族館なんだけど、近くに野良猫がたくさんいる島があるんだって」

友希那「ああ、三浦半島の先の……」

花音「うん。今度行くならそことかどうかな?」

友希那「そうね。一度通った場所で道の覚え方を覚えるのも効率がいいでしょうし……でも、松原さんはそれでいいのかしら?」

花音「私は……夕陽が綺麗だって聞いたから、それを見てみたいかな」

友希那「そう。ああ、そういえばあの近くに水中遊覧船なんていうのもあるみたいよ」

花音「へぇ……潜水艦みたいな感じなのかな?」

友希那「多分そういった感じのものね。水族館もいいけど、そういう自然の海の中で見る魚もいいかもしれないわ。……クラゲがいるかは分からないけど」

花音「でもクラゲは近くの水族館で見れるから、水はちょっと怖いけど……そういう船の中から海を見るっていうのも楽しそうだね」

友希那「それじゃあ次に行くときはその辺りね」

花音「うん。楽しみにしてるね」

リサ「…………」

千聖「…………」


リサ「……ねぇ、千聖。これ、どう思う」

千聖「……率直に言えば由々しき事態よ、リサちゃん」

リサ「だよね……」

千聖「ええ……」

リサ(アタシの知らないうちにあの友希那とこんなに仲良くなる人がいるなんて)

千聖(私の知らないところであの花音とこんなに仲良くなる人がいるなんて)

友希那「ふふ……」

花音「えへへ……」

リサ(あろうことか何かいい雰囲気で笑い合って……)

千聖(当人たちしか知りえない思い出を共有している……)

リサ&千聖(……これは、何があったか深く調べる必要がある(わ))

友希那「……? 何か急に寒気が……?」

花音「ゆ、友希那ちゃんも……?」


それから後、友希那さんが休日に1人で家を出るとそれを尾行する謎の影が散見されるようになるのはまた別の話。

かのちゃん先輩が迷子になる先々でどうしてか千聖さんに出会うことが非常に多くなるのもまた別の話。


おわり


前に書いた動物園は埼玉県の「埼玉県こども動物自然公園」
今回の水族館は神奈川県の「京急油壺マリンパーク」を舞台にしました。

動物園と水族館と友希那さんとかのちゃん先輩が好きな方、すいませんでした。

今日は新江ノ島水族館を舞台にしたイベントの楽曲「Jamboree!Journey!」がカップリングに入っている「ツナグ、ソラモヨウ」の発売日だしギリギリ許されないかなぁという気持ちです。


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