【バンドリ安価】湊友希那「ロゼリアのレベルアップを計る」 (209)


――ファミレス――

湊友希那「という訳で、コレを用意してきたわ」ドン

氷川紗夜「…………」

今井リサ「…………」

宇田川あこ「…………」

白金燐子「…………」


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リサ「え、ごめんもう1回言ってくれない?」

友希那「いいわよ。ロゼリアのレベルアップを計るために、くじ引きボックスを用意してきたわ」

紗夜「……湊さん、それとこれとにどういう関係があるんですか」

友希那「簡単なことよ。人は気付かないうちに自分の限界を決めて、視野が狭まってしまうものなの。だからコレを用意したの」

紗夜「はぁ……?」

燐子(この前見たスポーツドキュメンタリー番組と……同じこと言ってる……)

あこ「どういうことですか、友希那さん?」

友希那「今回のテーマは挑戦よ。今までやったことがないものにも挑戦をして、新しい音楽の可能性を開拓するのが目的」

友希那「あなたたち、いつの間にかに自分という枠の中で凝り固まっていないかしら?」

友希那「1つのことを深く掘り下げて取り組んでいくのも大切なことだけど、そのために色々な経験を積むことだってとても大切なのよ」

リサ「一理ある……のかなぁ?」

燐子(この前見た経済ドキュメンタリー番組と……同じこと言ってる……)

友希那「だからね、他のバンドから色んな趣味や習慣、挑戦してもらいたいことの案を紙に書いてもらって集めたの。それがこの箱の中に入っているわ」

紗夜「つまり、その箱の中から引いて出てきたものに挑戦、あるいは取り組んでみる……ということですか」

友希那「その通りよ。流石紗夜ね、理解が早くて助かるわ」


燐子「ど、どんな内容のものが……入ってるんですか……?」

友希那「知らないわ」

燐子「え……」

友希那「みんなが知らないのに私だけ知っていたらフェアじゃないでしょう? だから、集った案の内容は一切見ずにこの箱の中に入れてあるの」

友希那「ただ、私も何枚かはこの中に入れたから、それの内容だけは分かるわね」

リサ「変なとこで律儀だなぁ、友希那……」

紗夜「まともなものならいいんですが……あまりに変な案だった場合はどうするんですか」

友希那「もちろん、やってもらうわよ。無いとは思うけど、人道的、道徳的にアウトな案じゃない限りは」

紗夜「……そうですか」

あこ「へぇー、なんか楽しそう!」

リサ「まぁ、そうだね。せっかく友希那が作ってくれたんだし、楽しむくらいがいいかもね」

友希那「ええ。音楽とは音を楽しむことだもの。前向きに取り組んでこそ意味があるのよ」

紗夜「分かりました。では、その箱から紙を引けばいいんですね?」

友希那「そうね。それで、そこに書いてあることに1週間取り組んでもらうから」

燐子「いっ、1週間も……?」

友希那「せっかくの夏休みだもの。貴重な時間は有効に使いましょう」

あこ「すぐに出来て終わっちゃうものが出たらどうするんですか?」

友希那「その時は……」

友希那「…………」

友希那「臨機応変よ」

リサ「それ、聞こえはいいけど行き当たりばったりってことだよね……」

友希那「これも頂点に狂い咲くために必要なことなの」


友希那「さぁ、最初は誰が引くかしら?」

あこ「はいはーい! あこが引きたいです!」

友希那「ふふ、流石あこね。それじゃあ1枚引いて頂戴」

あこ「はーい! 何が出るかなぁ?」ガサゴソ

燐子(こう言っちゃうとなんだけど……トップバッターだけは嫌だったから良かった……)

紗夜(宇田川さんには申し訳ないけれど、これでどんな内容のものが入っているかがある程度分かりそうね)

あこ「はい、これ!」

リサ「なんて内容のものが出たの?」

あこ「えーっと……↓1」


<クッキーづくり>

あこ「クッキーづくりだって!」

紗夜「早速音楽と関係のないことが出てきたわね……」

燐子「でも……思ったよりまともそうで安心しました……」

あこ「クッキー、クッキーかぁ」

リサ「大丈夫? 作り方とか教えようか?」

あこ「ううん! 今回は挑戦がテーマなんでしょ? だからあこ、自分の力だけでやってみる!」

友希那「流石ね、あこ。私の意図を汲んでくれて嬉しいわ」

あこ「えへへ、友希那さんに褒められちゃった」

紗夜「1週間続けるということは、毎日クッキーを作るんですか?」

友希那「……そうね。そういうことになるのかしら」

あこ「分かりました!」

燐子「頑張ってね、あこちゃん」

あこ「うん!」


友希那「さて、次は誰の番かしら」

燐子「そ、それじゃあわたしが……」

リサ「燐子が自分からって、ちょっと珍しいね」

燐子「やっぱり……自分から動かないと、変われないかなって……」

燐子「さ、流石に一番最初はまだ無理、ですけど……」

友希那「ふふ、素晴らしい心がけね、燐子」

友希那「さぁ、引きなさい」

燐子「は、はい……!」ガサゴソ

燐子「えっと……これで……↓1」


<竹細工>

燐子「え……」

あこ「竹細工?」

リサ「竹細工って、あれ? 細い竹を編んで籠とか作る……」

紗夜「……恐らくそれだと」

燐子「これに……挑戦するんですか……?」

友希那「もちろんよ。大丈夫、あなたならきっと出来るわ」

燐子「でもどうすれば……」

友希那「それを考えるのも含めて挑戦よ」

燐子「わ、分かりました……やってみます……その、出来るか分かりませんけど……」

友希那「ええ。これもロゼリアの、ひいては燐子のためだから。応援しているわ」

紗夜(……クッキーづくりにしろ竹細工にしろ、音楽とまったく関係ない気がしますが)


友希那「さぁ、次はリサかしら、それとも紗夜?」

あこ「友希那さんは引かないんですか?」

友希那「私は最後よ。みんなが何に挑戦するのか見届ける義務があるから」

リサ「いや、先に引いたって見届けられるじゃん……」

紗夜「今井さん、どうしますか?」

リサ「あー……アタシはどっちでもいーから、紗夜に任せるよ」

紗夜「分かりました。では私が」

リサ「ん、オッケー」

友希那「分かったわ。それじゃあ、はい」

紗夜「ええ。では……」ガサゴソ

紗夜「……これにしましょう↓1」


<ナンパ>

紗夜「…………」

紗夜「…………」

紗夜「……は?」

あこ「ナンパ?」

燐子「ナ、ナンパって……あの……?」

リサ「多分……?」

友希那「……その、頑張って、紗夜」

紗夜「ちょ、ちょっと待ってください! これは倫理的に駄目なものではありませんか!?」

友希那「ごめんなさい。私から言えるのは……それを書いた人を恨んで、ということだけよ」

友希那「大丈夫、きっとそれも……何かしらの形で紗夜の糧になる……ハズよ?」

紗夜「どうして宇田川さんや白金さんの時と違ってそんな疑わしい口ぶりなんですか!」

リサ「ま、まぁまぁ紗夜、落ち着いて……」

燐子(良かった……先に引いておいて本当に良かった……!)

あこ(ナンパってなんだろ? あとでおねーちゃんに聞いてみよーっと)

友希那「紗夜。残念だけど……もう決まってしまったことだから」

友希那「同情はするけれど、ロゼリアの一員として、全力で取り組んで頂戴ね」

紗夜「くっ……そう言われたら……」

紗夜(こんなふざけた内容のものを書いたのは一体誰なのよ)

紗夜(……というか、コレ、よく見ると見慣れた字のような気がするわね……)

紗夜「まさか、日菜……?」

リサ「その、紗夜? 力になれるか分からないけど、手伝おうか?」

紗夜「本当ですか?」

友希那「ダメよ、リサ。これも挑戦なの。私たちが今出来るのは見守ることだけ」

リサ「うっ、やっぱダメ?」

友希那「ダメ」

紗夜「……分かりました。とても、とても不本意ではありますが、精一杯、取り組ませて頂きます」

リサ(うわー……本当に苦虫噛み潰したような顔で嫌々言ってるなぁ……)


友希那「さぁ、それじゃあ次はリサね」

リサ「ん……紗夜の後だとちょっと怖いけど……」

友希那「どうぞ、リサ」

リサ「はーい……」ガサゴソ

紗夜「今井さんも私と同じものかそれ以上のものを引けばいいのに」ボソ

リサ「紗夜ー? 聞こえてるぞー?」

紗夜「それが今の私の偽らざる気持ちです。何か問題でも?」

リサ「ついに開き直っちゃったよ……。えーっと、アタシはコレで↓1」


<フルマラソン>

リサ「え」

燐子「フルマラソン……」

リサ「え、フルマラソンって42.195km走るアレ……?」

友希那「それね」

燐子(良かった……本当に、早く引いておいて良かった……!!)

あこ「あ、そういえばはぐみが……」

北沢はぐみ『来週の日曜日、商店街主催のマラソン大会があるんだ! あこちんもどう? まだ参加者募集中だよ!』

あこ「……って言ってたよ。はぐみも参加してちゃんとフルで走るんだって」

リサ「な、なんで真夏にマラソン大会!? 流石にそれはキツイって!」

紗夜「大丈夫ですよ、今井さん」

リサ「え、さ、紗夜……?」

紗夜「サポートは任せてください。今日の帰りにでも北沢さんのところへ行って今井さんが参加する旨を伝えておきますから」

リサ「え、ちょ」

紗夜「ですから今井さんは安心してマラソン大会に備えてください。大丈夫ですよ、ちょうど1週間も期間があるんですから、きっと今井さんなら完走できますよ。ふふ、うふふふ……」

リサ「笑い方! 笑い方がなんかすごくいやらしいよ! 紗夜、そんなキャラじゃないでしょ!?」

紗夜「これが臨機応変というものです」

友希那「決まったわね。それじゃあリサはその大会に出場するということで。せっかくだから上位入賞も……」

リサ「タンマタンマ! それは絶対無理! 完走だけにさせて!」

友希那「……仕方ないわね」


紗夜「さて、それじゃあ最後は湊さんですね」

友希那「そうね」

燐子「段々と……変わったものが出てきていますね……」

紗夜「その理屈で言うと、湊さんはリーダーらしく最も大変な挑戦を強いられるということですね。……とても楽しみです」

友希那「紗夜? 何か言ったかしら?」

紗夜「いいえ、何も。さぁどうぞ、湊さん」

友希那「分かったわ。それじゃあ……これね↓1」


<鉄骨渡り>

友希那「……? なにかしら、これ?」

リサ「さぁ……?」

紗夜「はて……?」

あこ「んー……?」

燐子「そ、それは非常に危険なので止めましょう……!」

友希那「そうなの?」

燐子「は、はい……命を落としかねないので……」

紗夜「そんなに危険なものなの?」

リサ「誰が入れたんだろ?」

燐子「多分……漫画が好きな人が……ふざけて、だと思います……」

友希那「ちなみにどんなものなの?」

燐子「え? えっと……簡単に言うと……綱渡り……です」

友希那「綱渡りって、サーカスでやるような?」

燐子「はい……簡単に言うと、そういうものです」

あこ「確かに高いところってちょっと怖いし、危ないね」

燐子(それもあるけど……もしこの鉄骨渡りがあの鉄骨渡りなら……また違った怖さが……)

友希那「けど、コレを引いた以上私も後には引けないわ。どこかに綱渡りが出来る場所がないかしら」

紗夜「流石ですね、湊さん。それでこそロゼリアのリーダーです」

燐子「えぇ……っと……」

燐子(出来る限り安全に体験する方法……そ、そういえば、弦巻さんが……)

燐子「じゃ、じゃあ、あの……弦巻さんのお家に……」


……………………


――弦巻邸――

弦巻こころ「ようこそ、燐子!」

燐子「あの、急にロゼリアのみんなで押しかけて……ごめんなさい、弦巻さん……」

こころ「いいえ! あたしも何か楽しいことがないかしら、って思っていたからちょうど良かったわ!」

友希那「……弦巻さんのお宅、本当に大きいわね」

紗夜「ええ……」

燐子「それで、その……さっき伝えたアレは……」

こころ「ええ、あるわよ! こっちね!」


――弦巻邸 特設アスレチック――

リサ「え、なにこれ……ロッククライミングに、サーカスで見るような空中ブランコとか色々ある……」

友希那「綱渡りもちゃんとあるわね」

紗夜「ええ……それも、学校の屋上くらいの高さのものが」

あこ「わー、すっごーい! これどうしたの、こころ?」

こころ「薫が高所恐怖症だって言うから、それを楽しんで治すために作ったのよ!」

リサ「薫のためにって……」

紗夜「色々と桁違いですね……」

こころ「でも薫、空中ブランコだけでぐったりしてしまっていたわね。綱渡りなんてすっごく楽しいのに!」

こころ「それで、今日は友希那が綱渡りをしたいのよね?」

友希那「ええ。ちょっと挑戦しなければいけなくなったの」

こころ「分かったわ! ここなら好きに使って平気よ!」

友希那「ありがとう、弦巻さん」

燐子「ありがとうございます……弦巻さん……」

こころ「いいえ!」

友希那「それじゃあ早速挑戦ね」


――綱渡り スタート地点――

友希那(さて。アレを引いた手前……なんて下では言ったけど……)

――ヒュゥゥ...

友希那「昇ってみると……結構高いわね」

友希那(綱も足をキチンと乗せられるくらいに太いけど、実際に目の前にすると心もとないわ)

友希那(……キチンと命綱はある)

友希那(スタート地点とゴール地点、その屋根同士を繋ぐようにして、太いワイヤーが張ってある)

友希那(それに伸縮性のあるバンジー紐が括りつけられていた)

友希那(そしてその紐のもう片方側は、着せられたチョッキにこれでもかというほど強固に括りつけられている)

こころ「バンジージャンプも楽しめるようにしてみたの!」

友希那(と、笑顔だった弦巻さんの顔が思い起こされる)

友希那「…………」

友希那(正直に白状すると、こわい)

友希那(もしファミレスに戻れるのなら、『綱渡りくらい猫なら簡単に出来るわね』なんて呑気に考えていた自分を叱りたい)

友希那(猫の運動能力を甘く見るなと叱りたい)

あこ「友希那さーん! 頑張って下さーい!」

リサ「だ、大丈夫かな、友希那……」

紗夜「命綱もついていますし、きっと平気ですよ」

燐子「……押せ……押せっ……」

あこ「りんりん? 何か言った?」

燐子「う、ううん、なんでもないよ……?」


友希那(下からはみんなの声が聞こえる)

友希那(……あんなことを言った手前、後戻りをするという選択はない……わね)

友希那「やるしかない……」

友希那(私は覚悟を決めて、『そういえば今日、私はスカートを履いていたな』なんて今さらな現実逃避ともとれることを考えながら、綱に右足を踏み出した)

――ギシ

友希那「きゃっ……」

友希那(途端にギシリと綱が揺れる。想像以上に沈み込む)

友希那「これ絶対に無理でしょ……」

友希那(ゴール地点までは恐らく20メートルほど……だけど、無理だ)

友希那(一歩踏み出して、片足を綱に乗せるだけでも精一杯なのだ)

友希那(無理に決まってる)


こころ「みんなあそこで止まっちゃうのよね。楽しいのにどうしてかしら?」

リサ「いや、そう思うのはこころだけじゃ……」

こころ「そうかしら? はぐみも真ん中くらいまでは『ぱーっ!』って走っていったわよ? そのあと落ちてしまったけど」

友希那「ぱーっと走る……」

友希那(弦巻さんの言葉を聞いて天啓が降りてくる)

友希那(そうだ。慎重になるからバランスを崩すのだ)

友希那(下を見るから必要以上に怖がってしまうのだ)

友希那(時には大胆に攻めることも人生に必要だわ。パッとやってパッと終わらせれば、案外簡単なことだったと後から思えるはずよ)

友希那(だから、ここは……)

友希那「思い切って……走る……!」

あこ「あ、友希那さん!」

燐子「そ、それは愚策じゃ……」

友希那(いや、何事も度胸と思い切りが肝心だ)

友希那(気合を入れて、ただ前だけを見て、私は左足を前にただ繰り出す)

友希那(ギシ、という感覚が左足にあった。それだけだ。そう思おう)

友希那(そして次は右足を前へ、右足が綱を踏めば、ただ左足を前へ)

友希那(平常心。それが大切だ)

友希那「言うなれば、今の私は猫よ……」

友希那「悠々と塀の上を走る猫!」

リサ「よ、よく分かんないけどすごい! ズンズン進んでる!」

紗夜「……走る、という割には腰も引けてますし、遅い足取りですが……」

こころ「友希那、すごいわ! だけどそれ、真ん中を過ぎると……」


友希那(いける、いける! 下を見ないように、ただ前だけを見据えて大胆に!)

友希那(考えてみれば、これも音楽に通じるものだ)

友希那(そう、これがきっと私にとって一番大切なものなんだ。自分を信じ、仲間を信じ、ただひたむきになること)

友希那(そうすれば目の前にある高い壁だって簡単に越え)

――ビュウゥゥ!

友希那「え――わっ!?」

友希那(思考が逸れた瞬間だった)

友希那(不意に右側から強い横風が吹き、私の身体を左へ流す)

友希那(あまりに突然なことだった)

友希那(気付いた時には先ほどまであった綱を踏む感覚がなく、フワリを内臓が浮くような感覚がして……)

友希那「きゃ、きゃあああぁぁぁ!!」

友希那(私は真っ逆さまにバンジージャンプを決行していたのだった)


……………………


こころ「はぐみとおんなじ場所で落ちたわね!」

友希那「はぁ、はぁ……踏み外した瞬間、生きた心地がしなかったわ」

リサ「ちょ、大丈夫、友希那っ?」

友希那「平気よ……ちょっとさっき食べたものが返ってきそうなだけで……」

リサ「それ平気じゃないでしょ!」

あこ「友希那さん、綺麗に落ちましたね」

こころ「実はあの綱渡り、真ん中あたりに差し掛かると風が吹くようになっているの! ほら、あの柱が大きな送風機になっているのよ!」

友希那(弦巻さんが指さす方を見ると、確かにその柱の横面が開き、風を送り出す仕掛けになっているようだった)

こころ「はぐみもそのせいで落っこちちゃったのよね!」

友希那「な、何故それを最初に……言ってくれないのかしら……」

こころ「だってその方が面白いじゃない!」

友希那「私は……死ぬかと思ったわよ……」

燐子「け、怪我とかは……大丈夫ですか……?」

友希那「大丈夫よ……内臓が浮く感覚がまだ残ってるだけで……うぅ……」

こころ「怪我の心配なら平気よ! 怪我をしてしまったんじゃ笑顔になんてなれないもの!」

こころ「安全面は黒服の人たちがしっかり考えて作ってくれたってお父様が言っていたわ!」

紗夜「なら良かった。湊さん、立てますか?」

友希那「ええ……ありがとう、紗夜」

紗夜「では、もう1回コレをどうぞ」

  つ【くじ引きボックス】と


友希那「……え?」

リサ「ちょ、ちょっと、紗夜?」

紗夜「鉄骨渡り、失敗ですよね? それにすぐ終わるものは臨機応変、と言ったじゃないですか」

紗夜「でしたらもう一度引くべきでしょう」

リサ(これ、絶対挑戦内容がナンパだったの根に持ってるよ……)

友希那「ま、待って、確かにあなたの言うことも一理あると思うけど、それとこれとはちょっと違うんじゃ……」

紗夜「分かりました。ではやるかどうかは置いておいて、とりあえず引きましょうか」

友希那「い、いえ、紗夜の性格からして引いたからには必ずやるべきだと押し通すでしょう……?」

友希那「あこと燐子からも何か……」


あこ「あははは! 空中ブランコ楽しー!」

こころ「やるわね、あこ! あたしも負けないわよ!」

燐子「2人とも、あんまりはしゃぎすぎて……落ちないようにね……?」


友希那(こっちを無視して完全に遊んでる……!?)

リサ「あー、まぁ、引くだけ引いてみたら? 紗夜もそれで気が済むかもだし」

友希那「リ、リサまで……」

紗夜「流石今井さんです。話が分かりますね」

紗夜「さぁ、湊さん。早く引いてください。さぁ。さぁ……!」

友希那「う……わ、分かったわ……」

友希那(言い出したのは私だし……仕方ないわ)

友希那(ここは大人しく言うことを聞きましょう……)

友希那「それじゃあ……これで↓1」


<カフェで一日限定バイト>

友希那「……今度はまともね。でも急にバイトだなんて」

紗夜「あ、こんにちは、つぐみさん。ええ、突然すみません。実は湊さんが1日バイトをしたいと言っていまして……」

友希那「さ、紗夜!?」

リサ「行動早っ、もう電話してる!」

紗夜「いえいえ。ええ。それでは水曜日ですね。分かりました。伝えておきます。いえ。ありがとうございます。それでは……」ピッ

紗夜「では湊さん。水曜日に羽沢珈琲店でバイトを入れましたので、頑張って下さいね」

友希那「…………」

紗夜「今回のテーマは挑戦ですよね? 大丈夫ですよ、つぐみさんなら優しく手取り足取り教えてくれますから」

紗夜「それともアレですか? 水曜の1日だけじゃなく、他の日も何かしたいですか?」

友希那「……分かったわ、分かったからそのくじ引きボックスは置いて頂戴」

紗夜「湊さんならそう言ってくれると信じていました」

リサ「友希那、大丈夫?」

友希那「私が蒔いた種だもの……仕方ないわ」

友希那「やるからには迷惑をかけられないし、全力でやりきって見せるわ」

リサ(うーん……友希那が接客業って想像も出来ないけど……大丈夫かなぁ?)


……………………


――帰り道――

友希那「それじゃあ、今日から1週間は練習も休みにしてあるから、各自、決めたことに取り組むように」

友希那「あこはクッキーづくり」

あこ「はーい!」

友希那「燐子は竹細工」

燐子「は、はい……」

友希那「紗夜はナンパ」

紗夜「……ええ」

友希那「リサはちょうど1週間後のマラソン大会ね」

リサ「うん、まぁ……頑張るよ」

紗夜「湊さんもしっかり働いてくださいね。もしもつぐみさんを悲しませるようなことがあれば……例え湊さんが相手でも容赦はしませんから」

友希那「大丈夫よ。やるからにはしっかりやるわ。紗夜もしっかりナンパするのよ」

紗夜「ええ……分かっています」

リサ(しっかりナンパするのよ、って字面がメチャクチャだなぁ……)

あこ「えへへ、どんなクッキー作ろっかなぁー♪」

燐子「竹細工……そういう教室とかあるのかな……?」

リサ(あこと燐子はなんだかんだ楽しそうだなぁ。いいなー)

リサ「はぁ……マラソンかぁ……まぁダンスとテニスの延長だと思えば……」

リサ(いやでも素人がフルはダメでしょ……流石に花咲川の商店街主催じゃそんなに走らないだろーけどさ……)

リサ(とりあえず明日、はぐみに話を聞きに行こう……)


――――――――――――



【月曜日】


――宇田川家 台所――

あこ「クッキーづくりかぁ。とりあえず作り方調べて見なくちゃ」

あこ「ネットで検索してみよっと」

あこ「必要なものは……バター、卵、砂糖、薄力粉に塩……え、お塩も必要なんだ!」

あこ「あーでもお塩はちょっとでいいみたいだから……よし、まずはお塩以外の材料買いに行こ!」

あこ「それとクッキー用の型抜きも買わなくちゃ。これは100均で揃いそうだなぁ」

あこ「んー……でも、お砂糖とかはちょっと嵩張っちゃうかも……」

宇田川巴「おはよー、あこ」

あこ「あ、おねーちゃん! おはよ!」

巴「どうしたんだ、朝から台所に立って?」

あこ「うん、実はね、ロゼリアの練習でクッキーづくりすることになったんだ」

巴「え、バンドの練習でクッキー?」

あこ「そうなんだ。昨日友希那さんがね、色んなことに挑戦だーって言って、くじを用意してきたの」

巴「あー……そういやアタシたちもなんか書いてくれって頼まれたなぁ」

巴「そんでクッキーづくりか」

あこ「うん! 完成したらおねーちゃんにもあげるね!」

巴「はは、そりゃ楽しみだ。アタシを看病してくれた時の料理、美味しかったしな。期待して待ってるよ」


あこ「あ、そうだ! ……あー、でも……うーん……」

巴「ん? どうしたんだ、あこ?」

あこ「うん、えっとね? クッキーづくりに必要な材料を一緒に買いに行って欲しいんだけど……」

巴「なんだ、そのくらいだったらいつだって手伝うぞ」

あこ「でもでも、今回のテーマは挑戦だから……やっぱりあこだけで準備から全部始めないとダメかなって……」

巴「あこ……」

巴(なんて立派な考えを持ってるんだ……流石アタシの妹だぜ)

巴(でもアタシもこの前のことがあるから何かしてやりたいんだよなぁ。んー……よし)

巴「あこの気持ちは分かったよ」

あこ「うん……ごめんね、おねーちゃん」

巴「いやいや。そしたらさ、あこ。クッキーづくりするところ悪いけど、アタシの買い物に付き合ってくれないか?」

あこ「え?」

巴「いやなー? ちょっとショッピングモールの本屋にさ、気になってる写真集があるから、それを見に行きたいんだよ」

巴「1人で行くのもちょっと寂しいし、あこが一緒に行ってくれるならアタシも嬉しいなー、って思ってさ」

あこ「おねーちゃん……」

巴「やっぱ、ダメか?」

あこ「ううん! そしたらおねーちゃんの買い物に付き合うよ! あこもクッキーの材料買わないといけないからちょうどいいし!」

巴「ははっ、ありがとな、あこ」

あこ「あこの方こそだよ! えへへ、おねーちゃんとお買い物~♪」

巴「やっぱりあこは可愛いなぁ~」


……………………


――白金家 燐子の部屋――

燐子「竹細工……調べてみたけど……」

燐子「独学でやるのは……ちょっと大変そうだなぁ……」

燐子「やっぱり、そういう教室に通わないと……」

燐子「で、でも……知らない人ばっかりの場所に1人でって……」

燐子「うぅ……想像しただけでも……怖い……」

燐子(……だけど、変わるためには……必要なこと、なんだよね……)

燐子(竹細工の本を買って……独学でも頑張れば出来るかもしれない、けど……)

燐子(挑戦って……そういうこと、だよね……)

燐子「なら……勇気を出して……竹細工教室に行こうっ……」

燐子「そ、そうと決まれば……勇気が萎まないうちに、探さなきゃ……!」

燐子(『竹細工教室』と『花咲川』で検索してみよう……)

燐子「……あ、意外と近くにあるんだ……」

燐子「商店街の外れ……」

燐子「よ、よし……わたしも、頑張らなきゃ……!」


――商店街の外れ――

燐子「ここ……だよね……?」

燐子(マップアプリで表示した住所と一致するし……きっとそう……だよね……)

燐子(趣き深い、っていうのか……ちょっと古い、っていうのか……絶妙に判断に迷う小さな平屋……)

燐子(でも外観は綺麗に手入れがされてるから……今も使われてそう……)

燐子(それによく見ると……横開きの玄関の扉の隅に『竹細工教室』って看板が……)

燐子「間違いない……よね……」

燐子「すー……はー……」

燐子「…………」

燐子「よ、よし……! い、行きます……!」

――コンコン、ガラガラ...

燐子「こ、こんにちは……! あの、わた、わたし……っ!?」

「…………」

燐子(扉を開けると、目の前には畳張りの広間がありました)

燐子(広さは12畳ほどでしょうか。入り口から見て右の奥に、竹細工の材料となる竹ひごや竹そのものが種々様々な太さや長さで束になって置かれていました)

燐子(左手側の奥には1メートル幅ほどの飾り棚があって、そこに竹で編まれたダルマさんや色んな動物が鎮座されています)


燐子「…………」

燐子(それはいいのです。ここは竹細工教室なのですから。問題があるのは、その広間の真ん中で竹籠を手にしている方です)

燐子(陽に少し焼けた浅黒い健康的な肌。切れ長の瞳。短く刈り上げられた黒髪の頭部には商店街のロゴが入った手ぬぐいが巻いてあります。それらはそこまでは気になりません)

燐子(ただ、着用されていらっしゃる作務衣がはち切れんばかりの筋骨隆々で壮年なマッチョさんなのだけはどうしても気になってしまいます)

燐子(わたしは何をされてしまうのでしょうか。そんな変な思考が脳裏に巡ります)

燐子(あられもない想像が言葉の奔流となってとめどなく頭を巡ります)

燐子(NFOをプレイしている時以外でこんなにも饒舌な思考を持つことがあるんなんて思いもよりませんでした)

燐子「…………」

マッチョさん「…………」

燐子「あ、あの、えっと……」

「おや、あなたは……」

燐子「きゃぁっ!」

燐子(急に後ろから声をかけられてわたしは素っ頓狂な声を上げてしまいました)

燐子(びっくりして声の方へ振り返ると、そこには見知った顔がありました)

若宮イヴ「あ、やっぱりリンコさんです!」

燐子「え、え……!? わ、若宮さん……!?」

イヴ「はい! どうもこんにちは!」

燐子「あ、は、はい……こんにちは……」


……………………


――氷川家 紗夜の部屋――

紗夜「…………」

紗夜「うーん……」

紗夜「……うーん……」

――コンコンガチャ

氷川日菜「おねーちゃーん! おっはよー!」

紗夜「……ええ、おはよう日菜」

日菜「あれ、なんかテンション低いね? どうしたの?」

紗夜「……色々あるのよ」

日菜「ふーん? あ、その<ナンパ>って書いてある紙……」

紗夜「あ、これは……」

日菜「友希那ちゃんに頼まれてあたしが書いたやつだ! えへへ、おねーちゃんがそれ引いたんだ!」

紗夜「…………」

日菜「ん、どしたのおねーちゃん? なんかこう、視線の温度が大分下がったよ? そんな目で見られたらゾクゾクしちゃうよー?」

紗夜「日菜、ちょっとこっちへいらっしゃい」

日菜「うん、いいよ。なーに、おねーちゃ」

紗夜「喰らいなさい」

日菜「え、痛っ、痛たたた! なんであたし急にグリグリ攻撃されてるの!?」

紗夜「私の精神的な苦痛はこれの比ではないわ」グリグリ

日菜「ちょ、待って待って本当に痛いってばおねーちゃーん!」


―しばらくして―

紗夜「ふぅ、今日のところはこれくらいにしておきましょう」

日菜「うえーん……おねーちゃんが無理矢理痛いことしてきたぁ……」

紗夜「語弊がある言い方はやめなさい」

日菜「でもなんだか途中からキモチよくなって……」

紗夜「やめなさい」

日菜「はーい。じゃあ、おねーちゃんってばナンパしなきゃいけなくなっちゃったんだね」

紗夜「ええ。あなたのせいでね」

日菜「あたしのせいじゃないよ~。まさかそれをおねーちゃんが引くだなんてちょっとしか思ってなかったもん」

紗夜「ちょっとは思っていたのね」

日菜「うん! きっと面白いことになるな~って!」

紗夜「どうやらお仕置きが足りていないようね」

日菜「わ、ごめんごめん、冗談だって!」

紗夜「まったく……あなたのせいでどれだけ私は悩んでいると……」

日菜「あ、それじゃあさ? お詫びって言ったらなんだけど、おねーちゃんのナンパ手伝ってあげるよ!」

紗夜「それは今回の趣旨に……」

日菜「そんなこと言っちゃって~、おねーちゃん1人じゃ絶対にナンパなんて無理だよ~」

紗夜「……まぁ、確かにそうね」

日菜「でしょー? だからさ、あたしが薫くんに『ナンパの仕方を教えて』って頼んであげるよ!」


紗夜「瀬田さんに?」

日菜「うん! 薫くん、すごいんだよ~。学校で声かけられたら面白いことばっか言ってさ、みーんなにキャーキャー言わせちゃうんだもん」

紗夜「……けど、それは女性向けのものじゃない。男性にかけるものではないでしょう」

日菜「え? ナンパって可愛い女の子に『お茶しな~い?』って声かけるものでしょ?」

紗夜「え?」

日菜「あれ~? 千聖ちゃんはそう言ってたけどなぁー」

紗夜「…………」

紗夜(日菜ったら、ナンパという言葉そのものを勘違いしていたのね……)

紗夜(まぁ……その方が私としてもありがたいわ)

紗夜「いいえ。白鷺さんの言う通りよ」

紗夜「日菜、悪いけれど、瀬田さんにナンパについてご教授頂けないか、聞いてもらってもいいかしら」

日菜「うん、いーよ!」

紗夜「ありがとう。助かるわ」

日菜「えへへ、じゃあお詫びに今度デートしよーよ、デート!」

紗夜「気が向いたらね」

日菜「もー、おねーちゃんのいけず~。……まぁいいや、あとで脅せば」

紗夜「日菜? 何か言ったかしら?」

日菜「ううん! それじゃあちょっと聞いてみるね!」

紗夜「ええ」


……………………


――商店街 北沢精肉店――

リサ「さってと……アポなしで来ちゃったけど、はぐみはいるかなぁ?」

はぐみ「いらっしゃいいらっしゃい! 今日は豚肉が安いよー!」

リサ「おっ、いたいた。良かったぁ~」

はぐみ「あ、リサさん! いらっしゃいませ!」

リサ「こんにちは、はぐみ。今日はお店番なの?」

はぐみ「うん! 夕方前くらいまでだけどね! リサさんはお昼ご飯の材料買いに来たの? それなら豚さんがおすすめだよ!」

リサ「あー、ごめんね。買い物じゃないんだ。ちょっとマラソン大会について聞きたくてさ」

はぐみ「マラソン大会? もしかしてリサさんも出たいの?」

リサ「うん、まぁ……そんな感じ?」

はぐみ「ホント!? やったー!」

リサ「ちょ、そんなに喜ぶこと?」

はぐみ「うん! だって、みーんな参加してくれないんだもん。こころんは乗り気だったけど、お家の都合でその日は忙しいみたいだし……」

はぐみ「えへへ、でもリサさんが一緒なら楽しそうだね!」

リサ「そっかそっか、それならよかったよ。あ、それでその大会のことを聞きたいんだけど……後にした方がいいかな?」

はぐみ「ううん、多分ヘーキ! とーちゃーん! ちょっと店番変わってー!」

はぐみ父「おーぅ、すぐ行くからちょいと待ってなー!」

はぐみ「うん、ヘーキみたいだね!」

リサ「なんかごめんね、急かしちゃって」

はぐみ「ううん! もう少し待っててね!」

リサ「あ、それじゃあコロッケ1つ貰おうかな? はぐみん家の、すっごく美味しいし」

はぐみ「はーい、毎度あり!」


……………………


――北沢家 はぐみの部屋――

リサ「それでさ、マラソン大会のことなんだけどさ」

はぐみ「うん」

リサ「距離ってどれくらい走るの?」

はぐみ「フルだよ!」

リサ「……フルって、もしかして42.195キロ……?」

はぐみ「そうだよ!」

リサ「……マジ?」

はぐみ「マジマジ! えっとね、商店街からぐる~って街を回っていくと、大体10kmちょっとになるんだ! だから、それを4周!」

リサ「……マジかぁ」

はぐみ「うん!」

リサ「あのさ、初心者がフルマラソンって……完走できると思う?」

はぐみ「え、うーん……半年くらい練習したり、普段部活でずっと身体を動かしてれば……多分?」

リサ「……オッケー、まず無理だってことが分かったよ。……どーしよ」

はぐみ「あ、でも大丈夫だよ、リサさん!」

リサ「え?」

はぐみ「はぐみはフルで走るけどね、慣れてない人の為に半分だけ走るハーフマラソンっていうのもあるんだ!」

リサ「半分だけってことは……街を2周するってこと?」

はぐみ「うん! それにね、普通はマラソン大会ってね、フルマラソンとハーフマラソンで制限時間が違うんだ」

リサ「うん」

はぐみ「だけど花咲川のマラソン大会は、フルマラソンもハーフマラソンも制限時間が一緒なんだ! だからハーフでも5時間以内にゴールすれば完走なんだよ!」

リサ「へぇ、そうなんだ」

はぐみ「そうなんだ! だからね、マラソンが初めてならハーフマラソンの方にエントリーすればいいんだよ!」


リサ「そっかー、それならアタシでも……あーでも、それでいいのかなぁ……?」

はぐみ「はぐみはいいと思うよ! 無理して完走できないより、しっかりコツコツと頑張れることを頑張る方が楽しいもん!」

はぐみ「それに怪我しちゃったら大変だもんね!」

リサ「……確かにそうかもしれないね」

はぐみ「でしょでしょ!」

リサ「うん、それじゃあアタシ、今回はハーフマラソンの方に挑戦してみるよ」

リサ「参加の手続きとかってどうすればいいのかな?」

はぐみ「はぐみが父ちゃんに言っておくからヘーキだよ!」

リサ「そっか。それじゃあ、悪いけどお願いしちゃうね」

はぐみ「うん!」

リサ「よっし、そうと決まれば、アタシもちゃんと身体動かしとかないと……」

はぐみ「リサさん、普段は運動とかってしてるの?」

リサ「一応ダンス部とテニス部やってるよ~。……とは言っても、最近はロゼリア優先だからほぼ幽霊部員だけど」

はぐみ「んー、それじゃあはぐみと一緒に練習しない?」

リサ「え、いいの? 初心者のアタシとじゃはぐみの練習にならないんじゃない?」

はぐみ「大丈夫だよ! はぐみ、ソフトボールでもたっくさん走ってるもん!」

はぐみ「それにリサさんと一緒の方がずっと楽しいもんね!」

リサ「ふふ、そっか。それじゃあお言葉に甘えちゃおうかな?」

はぐみ「うん! ドーンと任せてね!」

リサ「ありがとね、はぐみ」

はぐみ「どういたしまして!」


……………………

ハッピーバースデーリサ姉
去年の限定水着リサ姉が欲しいです

面白い
前バンドリのss書いてた?

>>49
ありがとうございます
ちょこちょこバンドリSSは書いてますよ


――湊家 友希那の部屋――

友希那「さて……カフェでのバイト、ね」

友希那「そんなに難しいことをやるとは思わないけれど、やるからには何事にも全力を注ぐのが私たちのやり方」

友希那「それに羽沢さんに迷惑をかける訳にはいかないし、そんなことになったら紗夜に何をされるか分かったものじゃないわ」

友希那「……ここは多少なりとも、カフェのアルバイトについて調べておく必要があるわね」

友希那「こんな時のためのスマートフォンだもの」

友希那「早速……カフェ、それから……うん?」

友希那「…………」

友希那「猫カフェ、ね」

友希那(検索候補に出てきてしまったから目に付いたけど、正直猫カフェってどうなのかしら)

友希那(猫というのは孤高の野良の気高さこそが至高)

友希那(カフェという空間で世界が完結している猫たちは何かが違うと思って今まで見てこなかったけれど……)

友希那「まぁ、これも挑戦かしらね。アルバイトのことが何か分かるかもしれないし」

友希那「猫カフェで検索、っと」

友希那「……ふむ」

友希那「……ふむふむ」

友希那「…………」

友希那「ふふ……可愛いわね」

友希那「へぇ、長毛種ばかりのお店もあるのね」

友希那「メインクーン、ラグドール、アメリカンカール、クリリアンボブテイルまでいるの……?」

友希那「随分と高級そうなお店ね。他には……えっ、ニャバクラの動画……?」

友希那「…………」

友希那「……けしからないわね。こんな高級な猫ちゃんが、帰ろうとすると足元にまとわりついて帰らせてくれないなんて」

友希那「これは深く調べていく必要があるわ」


……………………


――竹細工教室――

燐子「そ、それじゃあ……この方がここの先生で……」

イヴ「はい! お師匠です!」

マッチョさん改めお師匠「…………」ペコリ

燐子「あ、ど、どうも……」

イヴ「お師匠はカモクな職人さんです! 言葉ではなくワザで語る、これぞ職人芸ですね!」

お師匠「…………」ポリポリ

燐子(居心地悪そうに頬を掻いてる……)

燐子(多分、だけど……この人……わたしと同じ性格なのかな……?)

燐子「それで、その……若宮さんはどうしてここへ……?」

イヴ「日本の文化を学ぼうと思っていたら、偶然ここを見つけたんです!」

イヴ「竹細工、とてもセンサイで美しいです! 私もやってみたいと思って、この前お師匠に弟子入りしたんですよ!」

燐子「な、なるほど……」

イヴ「リンコさんもですか?」

燐子「え、えと……わたしは……その……」

お師匠「…………」ジー

燐子(お、お師匠さんがすごくこっちを見てる……!)

燐子(悪い人じゃないのは……なんとなく分かるけど……でも睨まれてるみたいでやっぱり怖い……)

イヴ「どうかしましたか?」

燐子「え、えっと、お師匠さん? がすごくこっちを見てて……」

イヴ「あ、お師匠、緊張されてるんですか?」

お師匠「…………」フイッ

イヴ「これが日本のオクユカシサ、というものですね!」

燐子(筋骨隆々の男の人に……そこまで奥ゆかしさは感じないよ……?)


イヴ「リンコさんが理由を仰らないのもそういうことですね?」

燐子「え、えっと……」

イヴ「大丈夫です! 私は理解しました! さぁさぁリンコさん、一緒に頑張っていきましょう!」

燐子「……は、はい……」

イヴ「ブシドー!」

お師匠「……ブシドー」

燐子(あ、今日初めて喋った……すごいバリトンボイスで……ブシドー、って……)

燐子(やっぱり悪い人じゃない、よね……?)

イヴ「ではお師匠、本日もよろしくお願いします!」

お師匠「よろしく……お願いします」

燐子「あ、えと……よろしくお願いします……?」


……………………


――氷川家 リビング――

日菜「あ、薫くんからメッセージ来たよ」

紗夜「瀬田さんはなんて?」

日菜「んっと……今日は先約があるから出来ないけど、明日なら大丈夫……だって!」

紗夜「そう。では明日、瀬田さんに教えてもらうことにしましょう」

日菜「うん! それじゃあそういう風にメッセージ送っとくね!」

紗夜「……というか、もう私から瀬田さんに連絡をすればいいんじゃないかしら」

紗夜「最初は普段面識のある日菜からの方がいいと思ったけど、もうあなたを介する必要はないわよね」

日菜「そ、そんな……おねーちゃん、ヒドイ……! あれだけ痛いことしておいて、用済みになったらすぐに捨てちゃうなんて……!」

日菜「おねーちゃんのために痛いのすっごく我慢して、おねーちゃんの望み通りにしてあげたのに……ぐすん」

紗夜「だからあなたは言葉をちゃんと選びなさい……」

日菜「あーあ、このままだとあたし……リサちーとか友希那ちゃんにぃ? 学校でうっかりこのこと話しちゃうかもなぁ……」

紗夜「……分かったわよ。ありがとう、日菜。あなたのおかげでスムーズに挑戦が達成できそうよ」

日菜「えへへ~。でももう一声欲しいなぁ~? じゃないと今度はあこちゃんに言っちゃうかも……」

紗夜「やめなさい……純粋な宇田川さんに余計なことを言うのだけはやめなさい……」

日菜「んー、どうしよっかなぁ~?」

紗夜「分かった、分かったから……今日はあなたのワガママに付き合ってあげるから」

日菜「わーい、おねーちゃん大好き~!」

紗夜「はぁ……まぁ、手伝って貰ったことは確かだものね……仕方ないわ」

日菜「じゃあじゃあ、まずはお買い物行こっ! それから外で一緒にランチして、それからそれから……」

紗夜「はいはい。逃げたりしないから、もう少し落ち着きなさい」


――――――――――――


【火曜日】

――宇田川家――

あこ「昨日はつい1日中おねーちゃんとお出かけしちゃった……」

あこ「でもちゃんと材料は買えたから、今日から本格的にクッキー作らなくっちゃ!」

あこ「えっと、バターは室温になってるよね。目安は……指がスッと埋まるくらい?」

あこ「どれどれ……」

バター<グニャア...

あこ「わー、なんか変な感覚。もっかいやってみよ」

バター<グニャアッ...!

あこ「……ちょっと癖になりそう」

バター<グニャア~...!

あこ「っとと、遊んでちゃダメだよね」

あこ「えーっと、昨日読んだ記事だと事前の準備が大事って書いてあったよね」

あこ「材料の確認……お砂糖よし、お塩よし、卵は溶いてある、薄力粉もふるいにかけてある……」

あこ「うん、オッケーだね!」

あこ「そしたらこのバターをボウルに入れて……ホイッパー? ああ、あのリサ姉がエプロン着けながら持ってそうなやつ!」

あこ「えーっと……あったあった! これでバターをぐちゃぐちゃってやってクリーム状にする、っと。その途中に2回に分けてお砂糖を投入……」

あこ「よーし、えいや!」グチョ

あこ「そいや!」グチャグチャ

あこ「…………」グリグリ

あこ「……ぐーっちゃぐーちゃぐーちゃぐ~っちゃ~♪」グリグリグリグリ

あこ「あ、そろそろお砂糖入れた方がいいかな」サーッ


……………………


――竹細工教室――

燐子「な、なるほど……じゃあこの竹細工教室はほとんど趣味みたいなもので……」

イヴ「はい! お師匠の本職は竹取さんらしいです!」

燐子「だから参加費も安いんですね……」

イヴ「ですが、しっかりと教えてくれますよ!」

燐子「そう、ですね……昨日もとても丁寧に、竹の種類や……編み方の基本を教えてくれました……」

燐子(ただ……わたしと同じかそれ以上に……口数は少なかったな……)

イヴ「えへへ……」

燐子「……? 若宮さん、どうかしたんですか……?」

イヴ「あ、はい。ちょっと部活見学の時を思い出していました」

燐子「部活見学……氷川さんと一緒に回った……?」

イヴ「はい! またこうしてリンコさんと一緒に何かに打ち込める、と思うと、嬉しいんです」

イヴ「私がこの教室を見つけてからまだちょっとしか経っていませんけど、ずっと私とお師匠以外の人は来ませんでしたし……」

燐子「そ、そうなんですか?」

イヴ「ええ、そうなんです。だからちょっとだけ寂しかったんです」

イヴ「でも今日からはリンコさんが一緒ですから! イッキトウセンのリンコさんがいれば百人力です!」

燐子「い、一騎当千……わ、わたしはそんな大層な人間じゃ……」

イヴ「ご謙遜なさらないでください! えへへ、今日もよろしくお願いしますね」

燐子「は、はい……よろしくお願いします……」

燐子(でも……わたしも若宮さんが一緒にいてくれると心強くて……なんだかちょっと楽しいな……)

――ガラ

お師匠「……おはようございます」ペコリ

イヴ「あ、お師匠! おはようございます!」

燐子「お、おはようございますっ……」

燐子(……まだお師匠さんはちょっと怖いけど……)


……………………


――商店街――

紗夜「……そろそろ約束の時間ね」

瀬田薫「やぁ、紗夜ちゃん」

紗夜「あ、どうも。こんにちは、瀬田さん」

薫「こんにちは。すまない、待たせてしまったようだね」

紗夜「いえ。お願いをする立場で瀬田さんを待たせる訳にはいきませんから、少し早く来ていたんです。気にしないで下さい」

薫「ふふ、それだけ私との逢瀬を待ちわびていた、ということかな? ああ、私はなんて罪な人間なんだ……」

紗夜「…………」

紗夜(分かってはいたけれど、やっぱり瀬田さんは独特な感性を持っているのね)

薫「それで、今日は……可愛い子猫ちゃんをお茶に誘う練習、だったね」

紗夜「ええ。休日に申し訳ありませんが、ご教授をお願いします」

薫「いいや、謝る必要なんてないさ。私を求めるお姫様の声があれば、例え私は世界の果てにだって行くのだから……」

紗夜「は、はぁ……」

薫「それに紗夜ちゃんとこうして何かをするのは、大型会場でライブをやった時以来じゃないか」
 ※もっと!ガルパライフ 第61話「ギター組in東京」

薫「ふふ……子猫ちゃんとの逢瀬を待ちわびていたのは、むしろ私の方だったかもしれないね」

紗夜「……なるほど」

紗夜(次から次へと歯の浮くようなセリフの数々を恥ずかしげもなく決め顔で喋る……)

紗夜(これがプロのナンパ師というものなのね)

薫「紗夜ちゃんも思い出してくれたかい、あの儚い時間を……」

紗夜「いえ、特には」


紗夜「それよりもお誘いの手ほどきをお願いします」

薫「釣れないお姫様だね。だがそれもいいさ」

紗夜「はぁ」

薫「では……おや、ちょうど知った顔があそこにいるね」

紗夜「あれは……牛込さんですか」

薫「ああ、りみちゃんだ。彼女をお茶に誘ってみよう。さぁ、紗夜ちゃんもついてきてくれ」

紗夜「分かりました」


牛込りみ「うぅ、あっつい~……。どこか涼しいところで休憩したいなぁ……」

薫「やぁ、りみちゃん」

りみ「あ、薫さん。こんにちは」

薫「ああ、こんにちは」

紗夜「こんにちは、牛込さん」

りみ「こんにちは。紗夜先輩も一緒なんですね」

紗夜「ええ、まぁ」

薫「りみちゃんはどうしたんだい?」

りみ「私はちょっと、お母さんにおつかいを頼まれたんです」

薫「それでこの炎天下の中を歩いて来たんだね。大丈夫かい? さっきから少し俯きがちだったけれど……」

りみ「えと、大丈夫です。ちょっと暑いなって思ってただけで……」

薫「本当かい? ちょっと顔を見せてごらん、りみちゃん……」ズイッ

りみ「えっ、えっ!?」

紗夜(相手の顔に自分の顔を近づけて囁く……なるほど)

薫「自分では気付かないうちに体力がなくなっていることもあるからね……私が見てあげるよ」

りみ「か、薫さん……その、近い、です……」

薫「目を逸らさないで。大丈夫。ほら……私に子猫ちゃんの可愛い顔を見せてごらん……?」

りみ「う、うぅ……」

紗夜(行動はやや強引に、けれど言葉は相手を気遣うように優しく……なるほど)


薫「やっぱり顔が赤いね。このまま歩いていては倒れてしまうんじゃないかい?」

りみ「それは……薫さんが近くて……」

薫「おっと、失礼したね。りみちゃんがあまりに可憐だから吸い寄せられてしまったよ」

りみ「そ、そんなこと……」

薫「君のような可憐なお姫様がもし倒れでもしたら……そう思うだけで私は心苦しいんだ」

薫「それにもしりみちゃんの調子が悪くなったら、お母様もきっと悲しむだろう?」

りみ「お母さんが……」

紗夜(時に優しく、時に両親を盾にして良心を呵責……なるほど)

薫「だから、急ぎの用じゃなければ、私をりみちゃんの休憩の話し相手にさせてくれないかい?」

薫「ほら、あそこの喫茶店。あそこの珈琲と紅茶はとても美味しいと千聖が言っていたんだ。あそこならきっと涼しいよ」

薫「1人で入るには勇気がいるだろうし……どうだろう。一緒に少し涼んでいかないかい?」

りみ「え、えっと……それじゃあ少しだけ……」

薫「ありがとう、りみちゃん」

紗夜(あとは勢いで丸め込む……と)

紗夜「……見事なナンパね」

紗夜(けど、私にこれは絶対無理だわ)


……………………


――公園――

リサ「おーい、はぐみー!」

はぐみ「あ、リサさん! おはよー!」

リサ「うん、おはよっ。ごめんね、少し遅れちゃって」

はぐみ「ううん! はぐみも今来たとこだよ!」

リサ「そっかそっか。なら良かったよ」

はぐみ「あ、リサさん、そのシューズ……」

リサ「うん。昨日はぐみに言われた通り、スポーツショップに行って買ってきたんだ」

リサ「いやー、すごいね。靴変えるだけですっごく歩きやすくなったよ」

はぐみ「でしょー! ちゃんと店員さんに話して、しっかり自分に合ったシューズを履くのがマラソンの第一歩なんだよ!」

はぐみ「それに、ちゃんと自分に合ったやつじゃないと怪我しやすくなっちゃうからね!」

リサ「だね~。早速アドバイスしてくれてありがと、はぐみ」

はぐみ「ううん!」

リサ「それじゃあ今日はよろしくね」

はぐみ「うん!」

リサ「そしたらまず何をやればいい?」

はぐみ「まずはね、準備体操! スポーツは準備体操に始まり整理運動に終わるんだよ!」

リサ「整理運動……あ、運動後のストレッチみたいな?」

はぐみ「そう、それ!」

リサ「ん、りょーかい。それじゃあまずは準備体操だね」

はぐみ「うん! しっかりやらないと、身体がキチンと動いてくれないからね」

リサ「オッケー。よーし、頑張るぞー」

はぐみ「おー!」


―しばらくして―

はぐみ「最後はゆっくり深呼吸して……」

リサ「すー……はー……」

はぐみ「スー……ハァー……」

はぐみ「……はい、準備体操おしまい!」

リサ「やー、こんなにしっかり準備体操したのって小学校以来かも」

リサ「なんだか身体がちょい軽くなったような気がするよ」

はぐみ「ダンスとかテニスする時はしないの?」

リサ「んー、一応するはするんだけど……流れ作業っていうか、バッチリやるってことがないんだよね……」

リサ「でもキチンとやればちゃんと効果があるんだし、これからはしっかりやらなくっちゃね」

はぐみ「うん!」

リサ「次はどうすればいいかな?」

はぐみ「準備体操のあとはウォーキング!」

はぐみ「ソフトボールでもね、いきなり思いっきりボールを投げると、肩と肘がすごく痛くなっちゃうんだ」

はぐみ「だからキャッチボールも近い距離からやって、ちょっとずつ距離を離していくんだよ」

リサ「へぇ~」

はぐみ「マラソンもいきなり思いっきり走っちゃったら怪我しちゃうから、最初は歩くところから始めるんだ!」

リサ「なるほどね」

はぐみ「それじゃあ行こっか、リサさん!」

リサ「はーい。よろしくね、はぐみ先生っ」


……………………


――都内某所 猫カフェ前――

友希那「……ついに来てしまったわ」

友希那(猫カフェについて調べていたら、とうとう興味が抑えきれなくなってしまった)

友希那(そもそも猫カフェは私の持つ美学に反すると思って避けていたのだけれど……)

友希那(いや、でも何事も食わず嫌いはよくないわ。何かを評価するのであれば、実際にそれに触れてみなければ正当な判断は下せないハズよ)

友希那(それにこれは……言ってみれば職場体験)

友希那(ネットで調べるよりも、実際にカフェで店員さんの動きを見て学ぶ方がずっと身になるわ)

友希那(だから、決して、カフェのアルバイトについて知ろうとしていたことをうっかり忘れていた訳ではない)

友希那(昨日終日猫カフェの動画巡りをしていたのもそういうことだから)

友希那(その辺りは勘違いしないで欲しい)

友希那「よし」

友希那(誰にするでもない言い訳を心の中で唱えたあと、私は猫カフェの扉を開く)

友希那「……あら、お出迎えかしら」

友希那(そして一番に目に付いたのは受付カウンターの上に大人しくお座りしている猫ちゃん)

友希那(私が声をかけると、やや気だるそうな声で鳴き返してくれた)

スタッフ「いらっしゃいませー」

友希那(それからすぐに、人間のスタッフさんが声をかけてきた)

友希那「すみません、初めてなんですけど」

スタッフ「あ、はい。ご来店ありがとうございます。猫カフェのルールなどは……」

友希那「その辺りについては昨日調べてきたので……まずは手の消毒ですよね」

スタッフ「ええ、ありがとうございます。当店の料金は退店時の清算ですので……」

友希那(スタッフさんと話をしている間も、カウンターに座る猫ちゃんはあくびをしては私を見たり、スタッフさんを見たり、何もない空間をぼんやりと見つめていた)

友希那(なるほど……これが接客というものなのね)


……………………


――宇田川家――

あこ「んっと、バターにお砂糖と卵と薄力粉、それにお塩をひとつまみ入れたクッキー生地……」

あこ「冷蔵庫で30分くらい寝かせるって書いてあったけど、そろそろいいかな?」ガチャ

あこ「わー、ひんやりしてる……これがあのクッキーになるんだ」

あこ「次の工程は……めん棒で生地を叩いて柔らかくして、薄く伸ばす、っと」

あこ「えっと、めん棒めん棒……あれ、無い?」

あこ「お鍋の棚……にも無い」

あこ「うーん……どうしよう……」

あこ「何かめん棒の代わりになるもの……あっ」

あこ「ドラムスティック……細いけどいけるかな?」

あこ「代わりになりそうなのって他に無いし……確かまだ使ってない新品のが部屋にあったはず……」

あこ「……でもドラムスティックをお料理に使っちゃっていいのかな……。友希那さんと紗夜さんに見られたらすごく怒られそうな気がするけど……」

あこ「うーん、でも他に代わりになるものが……」

あこ「…………」

あこ「……よし、とりあえず使ってみよう!」

あこ「さあやちゃんも『めん棒をスティックに持ち替えて……』って言ってたし、きっと平気だよね!」

あこ「そうと決まればスティック持ってこよっと!」


―スティック回収後―

あこ「よーし、これで生地を叩いて柔らかくしよう!」

あこ「せーの、」

あこ「はいっ、はいっ、はいっ!」タンタンタタタン

あこ「そりゃっ、うりゃー!」タタタタタタタン

あこ「……なんだか楽しくなってきちゃった!」タンタンタンタン

あこ「ふふふ……我の闇の剣はクッキーに飢えておる……」タンタンタタタン

あこ「今宵の生贄は……貴様だぁ~!」タタタタタンタンタタタンタン

巴「あこ? 何してんだ?」

あこ「クッキーづくり!」タンタンタタタンタンタタタン

巴「ん、そっか。そういやそうだったなぁ」

巴(……でもクッキーってあんな風に作るもんだっけ?)

あこ「漆黒の聖堕天使が纏いしこの闇の力で……えっと、シュババーン! ってなるがいい!」タタタンタンタタタンタンタタンタンタタタン

巴「まぁ、あこが楽しそうだし……いっか」


……………………


――羽沢珈琲店――

薫「――という風に、こころが美咲をベッドへと押し倒すことになったのさ」

りみ「へぇ……美咲ちゃん、大変そうだなぁ……」

紗夜「個室に2人っきりでいて押し倒す……瀬田さんの話を聞かずにその場面を目撃したら、私なら風紀の乱れだと注意していますね」

薫「ふふ……シェイクスピアもこう言っている。『恋は盲目で、恋人たちは恋人が犯す小さな失敗が見えなくなる』と。つまりそういうことさ」

りみ「薫さんって博識ですよね。こういう時にパッと格言が出るのってすごいなぁ」

紗夜「言葉を覚えているだけ、というような気もしますが……」

薫「は、はは……なに、想像の翼はみんなが自由に広げられるんだ。私に対する印象は子猫ちゃん1人1人のものなのさ……」

りみ「あっ、もうこんな時間……そろそろおつかいに行かなくちゃ」

薫「おや、気が付いたら随分と時が過ぎていたね。ふふ、りみちゃんと一緒だったからかな……楽しい時間というものは早く過ぎ去ってしまうものだ」

りみ「そ、そんなことないですよ……えへへ」

紗夜(……別れ際まで気障なことを言うんですね。牛込さんもいつの間にか満更じゃなさそうな表情をしているわ)

紗夜(これがプロの女たらし……)

りみ「えっと、お茶に誘ってくれてありがとうございました。実は私、さっきまで暑くてフラフラしてたから……やっぱり休んでよかったかもしれないです」

薫「いいや、こちらこそ。楽しい時間をありがとう。りみちゃんを手伝えないのが残念だけど……」

りみ「い、いえいえ! それじゃあ私は行きますね。さようなら、薫さん、紗夜先輩」

紗夜「はい。気を付けてくださいね?」

薫「もし辛くなったらいつでも連絡をして欲しい。何をおいてもりみちゃんの元へ駆けつけるよ」

りみ「はい、ありがとうございます。それじゃあ……」

紗夜「ええ、また」

薫「一刻の別れだ……また会おう、りみちゃん」

りみ「はい」

――カランコロン...

薫「…………」

紗夜「……行ってしまいましたね」

薫「ああ。ふふ、りみちゃんはいつでも可憐な子猫ちゃんだね」


薫「さて、参考になったかい? お姫様をお茶に誘うというのを私なりに実演して見せたが」

紗夜「一言で言えば、見事なお手前だったと思います」

薫「そうかい?」

紗夜「はい。もしも瀬田さんが男性であれば、女性の敵だとしてしょっぴいていたと思います」

薫「ふふ……それだけ私の美しさが罪という訳だね。ああ、儚い……」

紗夜「しかし、参考になったかと言えば微妙ですね」

薫「おや、そうなのかい?」

紗夜「はい。瀬田さんなら息をするように気障な言葉を吐いたって様になりますが、私がそんなことをしてもただ滑稽なだけでしょう」

紗夜「そういったお誘いの仕方は私には似合わないわ」

紗夜(まぁ、そもそもナンパなんていう行動自体が私にそぐわないんだけど)

薫「なるほど。確かに行動だけを見ればそうかもしれないね。だけど、紗夜ちゃん」

紗夜「はい?」

薫「一番大切なのは言葉や行動じゃない。気持ちだよ」

紗夜「気持ち、ですか」

薫「そう。私が一番に思っているのは、目の前の子猫ちゃんを楽しませること」

薫「もしもある少女が悩みを抱えて憂鬱な気分でいたとしても、私と話しているひと時だけはそのことを忘れられるように……いつでもそう願って振舞っているのさ」

薫「一番大切なのは、そういった気持ちだ」

紗夜「…………」

薫「例えば、今日みたいにりみちゃんが辛そうな顔をしていたとしたら」

薫「それをどうしてあげれば笑顔に変えられるだろうか、朗らかな顔になってくれるだろうか……私はそれを考えて行動していたに過ぎないよ」

紗夜「……なるほど」

薫「それに、私は私であり、紗夜ちゃんは紗夜ちゃんだ」

薫「君にしかない良いところがたくさんあるじゃないか」

薫「今日だって陽射しのあたる暑い席には率先して自分が座って、りみちゃんを出来るだけ涼しい席へ座らせてあげていた」

薫「私にはそこまでの気遣いが出来ていなかったよ」

紗夜「……よく見ていますね。ですが、それはただの偶然ですよ」

薫「ふふ、ではそういうことにしておこうか」


紗夜「ええ。私はそんなに出来た人間ではありませんので」

薫「そうか。だけど紗夜ちゃんがそう言うのなら、私はこう言おう。『君は素晴らしい人間だ』と」

紗夜「そんなことはありませんよ」

薫「一言では君にそう思わせるのは無理かもしれないね」

薫「それだったら何万文字、何十万行を用いて私は『君は素晴らしい人間だ』と言おう」

薫「1日、2日で分かってもらえないのなら、10年かけて君を説き伏せよう」

紗夜「意外としつこいですね、瀬田さんは。……ですが、そうまでされたら流石に私もその言葉を信じるかもしれません」

薫「これは全くの例え話だけど、私がやっていることはつまりそういうことさ」

紗夜「なんとなくですが、瀬田さんの伝えたいことが分かったような気がします」

薫「それなら何よりだ。では、私からの最後のアドバイスは……そうだね、紗夜ちゃんは世界に1人しかいない、ということだ」

紗夜「はぁ……?」

薫「紗夜ちゃんは紗夜ちゃんだけの心を持って、独自のフィロソフィーに基づいて行動している」

薫「紗夜ちゃんは誰かのコピーでもないし、誰かをコピーしなければいけないということもない」

薫「私には私なりの行動があるように……君は君の、君だからこその行動をすればいいのさ」

紗夜「……そうですね。確かにその通りです」

薫「少し口うるさくなってしまったね。すまない」

紗夜「いいえ。おかげでいい方向に進めそうです」

紗夜(確かに瀬田さんの言う通りだ。私は私が出来ることをやればいいんだ)

紗夜(まぁ、今回やることはナンパなんだけど……でも、これも力加減というものを深く知るためには大切なことなのかもしれない)

紗夜(そう思うと、無理難題を突き付けられた時から肩に圧しかかっていたものが少しだけ軽くなったような気がするわ)


薫「……やっと明るい顔になってくれたね、紗夜ちゃん」

紗夜「え?」

薫「ふふ、待ち合わせ場所で落ち合った時から、ほとんどずっと眉間に皺が寄っていたよ」

薫「そんな君が、私の言葉で少しでも和やかな表情をしてくれた」

薫「それだけで今日という日が訪れたことに大きな意味があったよ」

紗夜「どこまでも気障なんですね、あなたは」

薫「これも罪な美しさを持って生まれた者の宿命……私はこの罪と一生寄り添って生きていくのさ……ふふ、儚い……」

紗夜(そういうところがなければ最後まで決まるのに……)

紗夜「……まぁそれが瀬田さんらしさ、というものなのかしらね」

薫「何か言ったかい?」

紗夜「いえ、なんでもありません。そろそろ私たちも出ましょうか」

薫「そうだね。ではお会計は……」

紗夜「済ませてあります」

薫「え?」

紗夜「では、いきましょうか」

薫「あ、ああ……しかし、紗夜ちゃん」

紗夜「なにか?」

薫「……いや、なんでもないよ。ありがとう。ごちそうになったよ」

紗夜「いえ」

薫「今度は私がごちそうしよう」

紗夜「いいえ、結構です。ここは今日のお礼ですから」

薫「そ、そうかい……」

紗夜「ええ。お気になさらずに」

薫(義理堅いというのか、なんというのか……)

薫(しかしなんだろう、この胸に生まれた感情は)

薫(どちらかというと私はいつもする側だから、何だか胸がくすぐったいというか……不思議な気持ちだよ、紗夜ちゃん……)


……………………


――宇田川家――

あこ「叩いて柔らかくしたクッキー生地を平たく伸ばして、型抜きで抜いたやつをオーブンに入れて、大体10分ちょっと……」

あこ「もうそろそろ焼けたかなぁ?」

あこ「んーしょっと……おお!」

あこ「わー、ちゃんとクッキーになってる!」

あこ「すごいなぁ、本当にバターとお砂糖からよく見るクッキーになるんだ」

あこ「なんかお菓子作りって結構楽しいかも。リサ姉と紗夜さんがたくさん作って来てくれるのもちょっと分かるなぁ~」

あこ「それじゃあ早速味見……したいけど、まだ熱いよね。キチンと冷まさないと」

巴「お、いい匂いがするな。クッキー出来たのか、あこ?」

あこ「あ、おねーちゃん! うん、焼きたてだよ!」

巴「そっかそっか。どれどれ……おお、すごいな。お店で並んでる物とほとんど一緒だ」

あこ「えへへ、ありがと。でもちゃんと美味しく出来てるかちょっと不安だなぁ……」

巴「大丈夫だよ、あこが作ったんならマズいものなんて出来っこないって!」

あこ「うーん、だといいんだけど」

巴「よーし、そしたらおねーちゃんが味見して……」

あこ「あ、おねーちゃんっ! まだ冷まさないと――」

巴「あっつ!! うわ、めっちゃくちゃ熱いなこれ!?」

あこ「もー、あこが注意する前に食べようとして……ちゃんと人の話聞かないとダメだよー?」

巴「あ、あはは……わりぃわりぃ……」

あこ「完成したらおねーちゃんの部屋に持ってくから、大人しく待っててね?」

巴「はいよー」

あこ「まったく……」

巴「いや、反省してるって。そんなジトーって見つめてこないでくれよ」

あこ「……なんだか今日はあこがおねーちゃんみたいだね」

巴「確かに……そうだな。うーん、あこも本当に立派になったよなぁ」

あこ「あ、今のおねーちゃん、親戚のおばさんみたい」

巴「な、なにおぅ、アタシはそこまで老けてねーぞ! そんなことを言うのはこの口か~!」

あこ「あはは! ごめんって、冗談だよ~!」


……………………


――猫カフェ――

友希那「にゃーんちゃん、ほらほら」ナデナデ

猫<ニャー、ゴロゴロ...

友希那「そう。あなたはここを撫でられるのが好きなのね」

猫<フニャー

友希那「ふふ……サービス精神旺盛な甘えんぼさんに、ツンツンしてる俺様系、ずっと眠りこけているのんびり屋さん……それぞれがそれぞれ好きなように過ごしている」

友希那「私は猫カフェというものを勘違いしていたわ」

友希那「ここでも猫は猫らしく、それぞれの猫の哲学に沿って猫であり続けているのね」

友希那「やっぱり食わず嫌いは良くないわ。どこにいようと猫ちゃんは猫ちゃん」

友希那「幸せそうに、自由気ままでいるのなら場所なんて関係ないのね」

友希那「いい勉強になったわ。ここへやってきて良かった」

猫<ナゥー

友希那「あら、ごめんなさい。手が止まっていたわね。ほら……」ワシワシ

猫<ニャーン...ゴロゴロゴロ...

友希那「ふふふ……可愛いわね……」


――――――――――――


【水曜日】

――羽沢珈琲店――

羽沢つぐみ「今日はよろしくお願いします、友希那先輩」

友希那「ええ、こちらこそ。それと、急なお願いになってしまってごめんなさい」

つぐみ「いえいえ。ちょうど他のアルバイトの人が夏季休暇だったのでこっちも助かります」

友希那「そう。それならよかった」

つぐみ「友希那先輩はこういうところでバイトしたことはありますか?」

友希那「いいえ。こういうところとかそういう以前に、バイトをすること自体が初めてね」

つぐみ「分かりました。分からないことがあったらなんでも聞いてくださいね」

友希那「ええ、ありがとう。一応だけど、私も個人的に喫茶店の仕事について調べてきたわ。髪の毛もこうやって結ばないといけないのよね?」

つぐみ「あ、はい。そのポニーテールなら大丈夫です」

友希那「よかった。なるべく迷惑をかけないように頑張るわね」

つぐみ「はい。じゃあまず、やってもらうことを簡単に説明しますね?」

友希那「分かったわ」

つぐみ「最初はまずお皿洗いですね。お客さんが使った食器や、調理に使ったものを洗ってもらいます」

友希那「あら、そうなの?」

つぐみ「はい。流石にいきなりオーダーを取ったりレジを打ったりって言うのは難しいと思いますから」

つぐみ「喫茶店の雰囲気に慣れてきたら、注文された料理や飲み物を配膳してもらうと思いますけど、やるのはそれくらいまでになると思います」

友希那「了解したわ。まずはお皿洗いね」


つぐみ「お皿洗いはお家でもしたことありますよね?」

友希那「ええ。リサがあまり包丁を握らせてくれないから、あの子がご飯を作りに来てくれた時は大抵私が後片付けをしているわ」

つぐみ「へー、リサ先輩って友希那先輩のお家にご飯作りに行くんですね」

友希那「家が隣同士の幼馴染だもの。とは言っても週に1回くらいだから、そんなに回数は多くないんだけれど」

つぐみ(……十分多いような気がするけどなぁ)

友希那「羽沢さんはそういったことはないの?」

つぐみ「うーん、みんなウチのお店に来てくれることはありますけど……手料理を振舞いに行くっていうのはあんまり、ですね」

友希那「そうなのね。羽沢さんはお菓子作りも上手だと聞いたから、日頃からアフターグロウの子たちに振舞っているのかと思っていたわ」

つぐみ「いえいえ、そんな……私なんて全然ですよ」

友希那「謙遜する必要はないわよ。あなたの武勇伝は紗夜から耳にタコが出来るほど聞いているもの」

つぐみ「ぶ、武勇伝……?」

友希那「ええ」

つぐみ(紗夜さん……普段ロゼリアのみなさんに私のことをなんて言ってるんだろ……)

友希那「気になるかしら?」

つぐみ「え、えーっと、気にならないと言ったら嘘になりますけど……でも、ここで勝手に聞いちゃうのもちょっと悪い気がするので……」

友希那「…………」

つぐみ「あれ、どうしたんですか、友希那先輩?」

友希那「紗夜の言った通り、すごく周りを気遣うのね。なるほど、じゃああの嘘だと思ったアレやコレも実話なのかしら……末恐ろしいわね、羽沢さん……」

友希那「『つぐみさんはとんでもないものを盗んでいきました』なんて言ってたけど……なるほど……」

つぐみ「え、えっ……!?」

友希那「そろそろオープンの時間ね。それじゃあ私は厨房の方へ行けばいいかしら」

つぐみ「あ、は、はい、お願いします」


……………………


友希那(羽沢珈琲店がオープンしてから、羽沢さんのお母さんに指示された通りに食器を洗い続けている)カチャカチャ

友希那(単調かつ簡単な作業であるけれど、気は抜けない)

友希那(うっかり手が滑ってお皿を割ってしまうのはもってのほかだし、洗い残しのある食器をお客さんに出す訳にもいかないだろう)ジャー

友希那(『労働とはお金を対価に責任を全うすることだ』と、いつか見た経済ドキュメンタリー番組の中で、どこかの社長さんが言っていた)

友希那(つまり猫カフェの猫ちゃんと同じだろう)キュッ、キュッ

友希那(あの子たちも悠々自適な生活の対価として、それぞれがそれぞれの猫の哲学を貫いているのだ)

友希那(時に甘えたり、時に釣れない態度で焦らしてきたり、そもそも私の存在など意に介さず眠っていたりして……カフェに売っているおやつを手にしたら鮮やかな変わり身を見せてすり寄ってくる)カチャカチャカチャ

友希那(そんな姿でお客さんを癒し、元気を与えてくれるのがあの子たちの責任だ)ゴシゴシ

友希那(ふふ……思い出すだけで笑ってしまいそうになる――)ツルッ

友希那「っ!? っ、っ……ふぅ、危ないところだったわね……」

友希那(頬が緩むのと同時に気持ちまで緩んでしまったみたいね。危うく高そうなコーヒーカップを落とすところだったわ)

友希那(額ににわかに冷や汗が滲む)

友希那(いけない。こんなことでは、身を持って働くということを私に教えてくれたあの猫ちゃんたちに顔向けできないわ)

友希那(そして羽沢さんにも迷惑をかけることになるし、紗夜に想像も出来ない何かをされてしまう。落ち着きましょう。一度深呼吸ね)

友希那「すー、はー……」

友希那(気合を入れなおさないと。今の私はあそこで働いていた猫ちゃんと同じ……)


友希那「……そう、今の私はいわば猫そのもの。薫り高く、未来永劫咲き誇るのよ」

つぐみ「友希那先輩、いま平気ですか?」

友希那「あら羽沢さん。大丈夫よ。別にコーヒーカップを落としそうになんてなってないわよ。平気よ。なんて言ったって猫だもの」

つぐみ「え?」

友希那「……なんでもないわ。どうかしたかしら?」

つぐみ「あ、はい。ちょうど今の時間帯はお客さんも少ないので、そろそろ配膳してみませんか?」

友希那(言われてチラリと時計を見ると、10時を半ばほど回っていた。集中していたからか、思ったよりも時間が過ぎているわね)

友希那「ええ、やってみるわ」

つぐみ「はい。それじゃあこの紅茶とクッキーのセットを5番のテーブルに……あ、5番テーブルって分かります?」

友希那「大丈夫、何回か来ているから分かっているわ。5、と書かれた札のある席よね?」

つぐみ「そうです。そのテーブルにこちらをお願いします」

友希那「分かったわ」

友希那(頷いて、手をしっかり洗って消毒してから、厨房のテーブルに置かれた紅茶のカップとクッキーが盛りつけられたお皿を手にする)

友希那(そこでふと、いつかに紗夜とした一連のやり取りを思い出す)

紗夜『つぐみさんは珈琲を配膳する時、必ずカップの持ち手側とスプーンの柄を右にして出すんです。それが一般的なマナーですからね、流石つぐみさんです。ですが、私の時には持ち手を左側にするんですよ。どうしてか分かりますか? そもそも珈琲というのはまずブラックで飲むのが正しい飲み方であって(中略)私はそう飲みますからね。つまりそれだけつぐみさんが私に対して深い理解を示していてくれているということであって、まさに(以下略)』

友希那(……詳しくは分からないけれど、紅茶も同じよね。その辺りを意識してお客さんに出しましょう)

友希那(そう思い、厨房からフロアに足を運ぶ)


友希那(5番テーブル。確か入り口からすぐの場所だったような記憶がある)

友希那(それを頼りに足を動かすと、やはりその記憶は正しかったようだ)

友希那(不慣れではあるけれど丁寧さを意識して、私は声を出す)

友希那「お待たせしました。紅茶とクッキーのセッ……ト……」

あこ「あ、こんにちは、友希那さん!」

友希那「……誰かと思ったらあこじゃない。どうしたの?」

あこ「えへへ、クッキーづくりの参考にって思って、ここのクッキーを食べに来たんですよ!」

友希那「そう。しっかり挑戦してくれているみたいで安心したわ」

友希那(言いつつ、手に持ったままだったカップとクッキーをテーブルに置く。……意外とソーサーごとだと置きにくいのね)

あこ「友希那さんはどうですか?」

友希那「私は見ての通りよ。とても貴重な体験をさせてもらっているわ」

あこ「あー確かに! 友希那さんのエプロン姿ってなんだか新鮮ですね!」

友希那「……まず目に付くのがそこなの?」

友希那(でも確かに……私が真っ白なエプロンをつけるだなんて、普段のイメージとは離れているわね)

友希那(……今更だけど、どこかおかしかったりしないかしら)

あこ「はい! とっても似合ってますよ!」

友希那「そう……ありがとう」

友希那(あこは無垢な笑顔でそう言ってくれる。この子がそう言ってくれるなら……いや、でももしかしたらいつものよく分からない呪文のようなイメージなのかもしれないわね……)

あこ「友希那さんは何時までバイトなんですか?」

友希那「予定では午後4時までね」

あこ「そうなんですね。頑張って下さい!」

友希那「ありがとう。あこもしっかりね」

あこ「分かりました! リサ姉や紗夜さんに負けないクッキーを作るため、ここでしっかり研究します!」

友希那「ええ。では、どうぞごゆっくり」

あこ「はーい!」


友希那(あこの元気な返事を聞いて厨房へと引き返す)

つぐみ「あ、おかえりなさい。どうでしたか?」

友希那(すると、少し心配そうな顔をしていた羽沢さんがすぐに目についた)

友希那「ええ、無事にこなせたわ。羽沢さん、あこからの注文だって分かって私に行かせてくれたのね。気を遣ってくれてありがとう」

つぐみ「いえいえ……」

つぐみ「でも、最初だと緊張するかなって思ったんですけど、やっぱり友希那先輩はすごいですね。堂々としてたので、私、余計なお節介しちゃったかなって思っちゃいました」

友希那「そんなことないわ。あなたが紗夜に接客をしてくれたからこそ、私は落ち着いて配膳出来たのよ」

つぐみ「え、どうしてここで紗夜さんの名前が……?」

友希那「ところで羽沢さん」

つぐみ「は、はい」

友希那「このエプロン、私がつけててもおかしくないわよね?」

つぐみ「え? えっと、とっても可愛いなって私は思いますけど。ポニーテールもエプロンによく合ってますし」

友希那「……そう。ありがとう」

友希那(可愛い。とっても可愛い。それは私の普段のイメージと大分違う気がするけど……)

友希那「まぁ、いいのかしら?」

つぐみ「えっと、はい、多分……?」


……………………


つぐみ「それじゃあ友希那先輩、次はこれを8番にお願いします」

友希那「ええ、分かったわ」

友希那(あこに配膳をしてから約30分)

友希那(その間に6組のお客さんへの配膳を任されて、段々と食器の置き方や持ったまま歩くことのコツが分かってきたような気がするわ)

友希那(だけどこういう時こそ気を引き締めなければならない)

友希那(さっきみたいについうっかりコーヒーカップを……なんてお客さんの前でやったら大惨事ね)

友希那(何があっても動じないようにしなければ。例えるなら……そう、猫カフェでカウンターに鎮座していたあの子みたいに)

友希那(……ふふ、お行儀よくお座りしている姿……とても愛らしかったわね)

友希那「っと、いけない。また思考がそれかけたわ」

つぐみ「友希那先輩? どうかしましたか?」

友希那「いいえ、なんでもないわ。8番テーブルよね? すぐに持っていくわ」

友希那(羽沢さんにそう返して、厨房を出る)

友希那(今回は珈琲だけ。これくらいなら今の私にはなんてことないわ……と思うと危ないのよね)

友希那(丁寧に持っていきましょう。8番は……あそこね)

友希那「お待たせしました。珈琲をお持ち……」

燐子「あ……友希那さん……ど、どうも、こんにちは……」

友希那「……こんにちは。今度は燐子が来たのね」


燐子「今度は……?」

友希那「さっきまであこがいたのよ。クッキーの研究がしたいから、ここのものを食べに来ていたの」

燐子「そうだったんですね……」

友希那「燐子はどうしたの?」

燐子「わたしは……この本を読みに……」

友希那「『できる 竹細工入門』……なるほど、燐子らしいわね」

燐子「はい……お師匠さんに勧められたので……」

友希那「お師匠さん?」

燐子「えっと……わたし、今、竹細工の教室に通っていて……」

燐子「そこの先生のことを……若宮さんが『お師匠』と呼んでいるので……わたしもそう呼んでいるんです」

友希那「そうなの。若宮さんが一緒みたいだけど、燐子が自分からそういうところに通うなんて珍しいわね」

燐子「その、これも挑戦……だと思ったので……勇気を出しました」

友希那「それはいいことね。今日はその教室には行かないの?」

燐子「水曜日はお休みなんです……。それで、せっかくなら友希那さんがバイトをしているここで……本を読もうかな、って……」

友希那「なるほど。……あら、ごめんなさい。すっかり話し込んでしまったわ」

燐子「いえ……」

友希那「珈琲、ここに置いておくわ。どうぞごゆっくり」

燐子「はい……友希那さんも……頑張って下さいね……」

友希那「ええ、ありがとう」


友希那(燐子に小さく礼をして、私は厨房へ引き返す。するとあこの時と同じように羽沢さんがすぐに目についた)

つぐみ「今日は知り合いの方がたくさん来ますね」

友希那「いつもはこんなに来ないのかしら?」

つぐみ「はい、そこまでは。ふふ、この分だと紗夜さんとリサ先輩も来そうですね」

友希那「まぁ、そうね。紗夜は分からないけど、リサはほぼ確実に来るわね」

つぐみ「あ……そう、なんですね」

友希那(……? 私、何か変なことを言ったかしら?)


……………………


――商店街――

紗夜(さて……昨日の瀬田さんのアドバイスを元に、私もしっかり自分のやるべきことをやらなければいけないわね)

紗夜「とりあえず商店街に来たものの……どうしましょうか」

紗夜(流石にいきなり知らない人に、というのは無理ね。それはハードルが高すぎるわ)

紗夜(誰か知り合いが偶然通りかかってくれればいいのだけど……)

紗夜「……あら、あれは……↓1」

(※ロゼリア、薫、りみ、つぐみ、はぐみ、日菜以外の誰かでお願いします)

なんで紗夜→つぐみの時だけつぐみさん呼びなんだろ

>>88
自分の場合は妄想が捗るからです
アプリだとつぐみさん呼びは商店街でのエリア会話で1度だけですから、恐らく羽沢さん呼びが正式なんだと思います
でも妄想が捗るので自分の場合は概ねつぐみさん呼びです。ごめんなさい(´・ω・)


ミッシェル「…………」

紗夜「……ミッシェル、ね。ということは奥沢さんかしら……」

紗夜(なにかフラフラしながら歩いているけれど……大丈夫かしら。ちょっと声をかけてみましょう)

紗夜「あの……」

ミッシェル「あ、はい……」

紗夜「ええと、ミッシェル……奥沢さん、ですか?」

ミッシェル「そうですよー……。どうも、氷川先輩」

紗夜「ええ、こんにちは。どうしたんですか、キグルミで商店街に来るなんて?」

ミッシェル「あー、なんて言いますか……新しいミッシェルの実験? に付き合わされているって感じですね……」

紗夜「実験?」

ミッシェル「ええ。ミッシェルはこころのお付きの人たち……あたしたちは黒服って呼んでるんですけど、その人たちがですね……」

黒服『奥沢様。新しいミッシェルを開発しましたので、試着をお願いします。今回のテーマはドラマ性です。この格好で街を少し歩いてみてください』

ミッシェル「……とだけ言って、あたしにこれを着せてきたんです」

紗夜「ドラマ性……私はあまり近くで見る機会がありませんが、特にいつものミッシェルと変わりないような気がしますね……」

ミッシェル「ですよね、あたしもそう思ってたんですけど……」

紗夜「けど?」

ミッシェル「これ、なんか知らないんですけど脱げないんです……」

紗夜「え?」

ミッシェル「脱げないんですよ、どうやっても……。だからかれこれ1時間くらいずっとこのままなんです……」

ミッシェル「こころの家に行こうにも今日は家族と一緒に出かけちゃってるみたいで……それでこの格好で入れる場所なんてそうそうないですし……」

紗夜「1時間もその格好で外に? 大丈夫なんですか、奥沢さん」

ミッシェル「正直かなりキツいです……とにかく暑いですし……なんだか頭もちょっとボーっとしてて……」

紗夜(本当に辛そうな声ね……私のことは置いておいて、どうにかしなくては……)

紗夜「とりあえず涼しい場所へ行きましょう。……けれど、ミッシェルのまま室内に入れる場所は……CiRCLEなら、まりなさんに話を通せば平気かしらね」

ミッシェル「あー、確かに……なんで思いつかなかったんだろ……」

紗夜「奥沢さん、私の肩を貸します。ゆっくりでいいので行きましょう」

ミッシェル「ありがとうございます……氷川先輩が見つけてくれて良かったぁ……」


……………………


――CiRCLE スタジオ――

紗夜(まりなさんに事情を話すと、すぐにミッシェルを室内に入れてくれた)

紗夜(ただ、今日はグリッターグリーンのライブがあって人が多いから、ラウンジにミッシェルは居られないようだった)

紗夜(なので、まりなさんは空いているスタジオに私とミッシェルを案内してくれた)

紗夜「大丈夫ですか、奥沢さん」

ミッシェル「ええ、はい……ちょっとマシになりました」

紗夜「ラウンジでスポーツドリンクを買ってきましたけど……それを脱がないと飲めませんよね」

ミッシェル「ですね……」

紗夜「どうすれば脱げるのかしら……」

ミッシェル「多分力づくじゃ無理なんだと思います……。あたしもミッシェルになってからかなり力持ちになりましたけど、ほんと、ビクともしなかったんで」

紗夜「……ということは、何か脱がすための手順があるはずね」

ミッシェル「ええ、恐らくは」

紗夜「キグルミのどこかに仕掛けでもあるのかしら」

紗夜(呟きつつ、壁にもたれて座っているミッシェルをくまなく観察する)

ミッシェル「氷川先輩って、優しいですね」

紗夜「え?」

ミッシェル「ああいえ、なんというか……学校やロゼリアだとすごく厳しい人だって印象があったので」

紗夜「それは時と場合によります。学校の風紀を乱すことは許しませんし、音楽に対して生半可な気持ちになるのも許されませんから」

紗夜(……まぁ、その音楽のためにナンパなんかする羽目になっているのだけど……)

紗夜「ですが、困っている人がいるのなら……ましてやそれが後輩とあれば、放っておけません。それを助けようと思うのは当たり前のことです」

ミッシェル「ありがとうございます……氷川先輩が偶然商店街にいてくれて助かりました……。もうホント、なんてお礼をすればいいのか……」

紗夜「気にしないで。疲れているでしょう、休むことに専念していてください」

ミッシェル「はい……」

紗夜(私の言葉を聞いて、ミッシェルはさらに深く壁にもたれる)

紗夜(相当体力を消耗しているみたいね……早くなんとかしてあげないと)


紗夜「……それにしても、意外と手触りがいいのね」

紗夜「体毛もこんなにモフモフしていて……着ている洋服も上等な生地で出来ているわ。流石、弦巻財閥ね……」

紗夜「……あら?」

紗夜(と、ミッシェルの背中に何かの文字が縫い込まれているのが目に付いた。壁にもたれているからよく見えないけど、何かの英文……かしら)

紗夜「奥沢さん、お疲れのところすみませんが、少し体を起こして貰えますか?」

ミッシェル「あ、はい。よっこらせ……っと」

紗夜(ミッシェルが壁から離れる。それで縫い込まれた文字の全文が見えた)

紗夜(“La Belle et la Bete”)

紗夜(それからその隣に“Snow White and the Seven Dwarfs”)

紗夜「フランス語と英語、かしら」

紗夜(両方ともどこかで見た覚えがある。確か……片方は映画の原題で、もう片方はある話の原題だ)

紗夜「ドラマ性って……そういうことなのかしら……」

ミッシェル「あの、氷川先輩? 何かあったんですか?」

紗夜「ええ、まぁ……恐らくコレを脱ぐための答えが」

ミッシェル「本当ですか? よかったぁ、やっとミッシェルが脱げる……」

紗夜(奥沢さんは心の底から安心したような声を出す。それを聞いてしまうと、やはり、私がどうにかしてあげないと……という気持ちが胸中に浮かぶ)

紗夜「けど……」

紗夜(2つの話の結末を思い浮かべる。本来の姿に戻るために話の中の登場人物がとった行動は……愛の言葉を伝えることと口づけだった)


紗夜「…………」

ミッシェル「それで、氷川先輩。どうすればいいんですか?」

紗夜「そう……ね」

紗夜(……色々と思うところはある)

紗夜(けれど、これは後輩のためだ。言ってしまえば不可抗力であり、奥沢さんを助けるためには仕方のないことだ)

紗夜(それに考えてみればこれもナンパの一環だと言えなくはないだろうか。いや言えるはずだ。大丈夫、きっと大丈夫のはず)

紗夜(加えて相手は決して奥沢さんではない。ミッシェルだ。フワフワの毛並みを身にまとった商店街のマスコットだ。大丈夫。それに人命救助だ。これはノーカン……ノーカウントだ。誰がなんといおうがセーフなのだ)

紗夜「……よし」

紗夜(理論武装は万全。あとは私が踏ん切りをつけるだけだ)

紗夜「奥沢さん」

ミッシェル「はい?」

紗夜「奥沢さんの顔って、ミッシェルのどの辺にありますか?」




ミッシェル「え、あたしの顔ですか……」

ミッシェル(いきなりどうしたんだろう、氷川先輩)

ミッシェル(……まぁ、氷川先輩に限って無駄なことなんてするはずないし、これもミッシェルを脱ぐのに必要なのかな?)

ミッシェル「えっと、覗き穴が口の横のあたりにあるので……大体ミッシェルの顎のあたり、ですかね」

紗夜「そう。そこにあるのね」

ミッシェル「はい。でもそれがどう――」ドン

ミッシェル(言いかけたところで、氷川先輩の顔がグッと近くに来る。そしてあたしの逃げ場をなくすように、先輩の両手があたしを挟んで壁につけられる)

ミッシェル「え、ひ、氷川先輩……?」

紗夜「…………」

ミッシェル(戸惑いながら呼びかけるも、氷川先輩はただ無言でジッとあたしを見つめるだけだった)

ミッシェル(そう、どうしてか、あたしの顔の位置を正確に把握しているかのように、バッチリと目が合っている)

ミッシェル(整った顔立ち。いつも凛々しい目元。それが少しだけ、まるであたしを安心させるかのように優しく綻ぶ)

紗夜「大丈夫です。これはミッシェルにすることですから……奥沢さんは気にしないでくださいね……?」

ミッシェル「あの……」

ミッシェル(紡がれた言葉はいつも学校やライブハウスで聞くものよりずっと温かな響きをもっていた。それにまた戸惑ってしまう。氷川先輩はどうするつもりなんだろう。あたしは何をされてしまうんだろう)


紗夜「ミッシェル……私はあなたを、愛しています」

ミッシェル「え――」

紗夜「ん……」

ミッシェル(唐突な甘い言葉。それがスルリと耳から入り込んで、茹だった脳をくすぐる。そして何かを言おうとしたあたしの口へ……ミッシェルを挟んで、氷川先輩の唇が重なる)

ミッシェル(『カチッ』と、首元で何かが外れる音がした)

ミッシェル(それから氷川先輩の顔が離れる)

ミッシェル(何が起こったのか理解できない。ただ、あたしの熱を持った頭は寝ぼけたことだけを反芻する)

ミッシェル(瞳を閉じた氷川先輩の顔がとても綺麗だったこととか、長い睫毛が微かに震えていたこと、ミッシェル越しに合わさった先輩の唇の柔らかさだとか……)

ミッシェル(それらが頭の中を何周も巡りに巡り、あたしの顔が今日一番の熱を帯びたところで、そっとミッシェルの頭を氷川先輩が持ち上げた)

奥沢美咲「…………」

紗夜「おはようございます、奥沢さん」

美咲(そして氷川先輩はそう言って、優しくあたしに微笑みかけるのだった)



美咲「…………」

紗夜(……反応がない上に、顔がかなり赤くなっているわね……)

紗夜(大丈夫かしら。熱中症になっていなければいいんだけど)

美咲「…………」

紗夜「奥沢さん? 大丈夫ですか?」

美咲「へっ!? あ、あああ、はい、だい、大丈夫です、よ……」

紗夜「そう。けど、かなり顔が赤くなっているわね」

美咲「そ、それは暑さのせいっていうか、その、氷川先輩が……」

紗夜「……?」

美咲「え、ええっと、なんでも……ないです……」

紗夜「そう。では、コレをどうぞ。汗をたくさんかいたでしょう。水分補給をしてください」

美咲「あ、はい……」

紗夜(奥沢さんは頷いて、おっかなびっくり私の手からスポーツドリンクを受け取る)

紗夜(……どうしたのかしら。さっきと大分様子が違うみたいだけど)

美咲「…………」チラ

紗夜(どうしてかこちらの様子をチラチラうかがっているし……まぁ、暑さで少し朦朧としているのかもしれないわね)


紗夜(それよりこれね。ミッシェルの頭部……)

紗夜「……やっぱり、この中にスイッチのようなものがありそうね」

紗夜(傍らに置いたミッシェルヘッドを手に取り、先ほど口づけたあたりをまさぐってみると、掌に柔らかい弾力を感じる)

紗夜(内側も同じように手で触ってみると、そちらにも同じような感触を見つけた)

美咲「あ、あわわ……キスしたところを手で……」

紗夜(恐らくだけど……愛の言葉をマイクか何かで拾って、このスイッチに両側から衝撃が加わるとロックが外れる……というような仕組みになっているのね)

紗夜(ドラマ性……美女と野獣に白雪姫……誰も背中の文字に気付かなかったらどうするつもりだったのかしら)

紗夜(というか、こういう仕組みなら口づけじゃなくて手で押すだけでもよかったわね……)

美咲「あ、あのっ、氷川先輩っ?」

紗夜「はい、なんでしょうか」

美咲「えっと、その、さっきのアレは……」

紗夜「……アレはミッシェル相手のものです」

美咲「え?」

紗夜「ミッシェルにしたものです。なのでノーカウントです」

美咲「え、え?」

紗夜「それより、これを見てください。このスイッチが……」

美咲「…………」

紗夜「……という仕組みになっているようですね。どうして弦巻財閥はこんなものを作ったのかしら」

美咲「そ、それじゃあアレはあたしを助けるためだってことで……」

紗夜「はい。それ以上でも以下でもありませんので、奥沢さんも気にしないでください」

美咲「えっと……はい……夢に見そうですけど……はい……」


紗夜「けど、奥沢さんも大変ですね。弦巻さんに押し倒されたり、こんなものを被らされたり」

美咲「えっ!? な、なんでこころに押し倒されたこと……!?」

紗夜「先日、瀬田さんから話を伺いました。そのことに関して私からはとやかく言いません」

美咲「ち、違います! アレは不可抗力だったんですって! ああしないと部屋から出られなくて……」

紗夜「大丈夫です。その辺りの話も瀬田さんが教えてくれました」

美咲「ほ、本当に違うんですよ……? その、変な勘違いはしないでくださいね……?」

紗夜「まぁ……そうですね。今回のこれも不可抗力でしたし、それと同じことかもしれないわね」

美咲「あ……そっか……」

美咲「…………」

美咲「え、なんであたし、今ちょっとがっかりしたの……?」

紗夜「奥沢さん?」

美咲「なっ、なんでもないです! その、氷川先輩……ありがとうございました」

紗夜「いいえ。困っている人を助けるのは当然のことですからね」

紗夜「それより、身体の方は大丈夫ですか?」

美咲「えーっと……まだ少し変な熱が残ってるというか、なんというか……」

紗夜「そう……仕方ないわね。奥沢さんが良くなるまで付き添いましょう」

美咲「で、でもそれはちょっと悪いですよ……」

紗夜「乗りかかった舟です。最後まで付き合いますよ。それに、1人でミッシェルを返しに行くのも大変でしょう?」

紗夜(本当は湊さんのところへ冷やかしにいこうと思っていたけれど……流石に今の奥沢さんを放っておくわけにもいかないわ)

美咲「…………」

美咲「そう、ですね。それじゃあ申し訳ないんですけど……もう少しだけ、その、傍にいてくれますか……?」

紗夜「ええ」

美咲「……本当は黒服の人がミッシェルの回収に来てくれるけど」

紗夜「なにか言いましたか?」

美咲「いえ……なんでもないです」

紗夜「そうですか。それでは、下も脱いでしまいましょう」

美咲「っ!? あ、ああ……ミッシェルのことですよね……はは……」

紗夜(……奥沢さん、やっぱりまだ様子がおかしいわね。意識がはっきりするまで看ていましょう)


……………………


――羽沢珈琲店――

友希那(配膳、食器洗い、それからお客さんが帰ったあとの後片付けもするようになって、集中して働いていたらもう15時を回っていた)

友希那(お昼ご飯に賄いを貰ったのがついさっきのように思えるくらい、時間が早く流れていた)

友希那(今日のバイトもあと1時間。ここまで大きな失敗もなくやってこれたし、残りもしっかりやりましょう)

つぐみ「友希那先輩、アイスティーのセットを10番にお願いします」

友希那「了解よ」

友希那(羽沢さんの言葉に頷く。もう慣れたものだ。アイスティーの入ったグラスとチーズケーキの乗ったお皿を手に、指定された席へ向かう)

友希那「……あら、リサ」

リサ「やっほー友希那~」

友希那「やっぱり来たわね」

友希那(午前中は席に座る人の顔を見る余裕もなかったけど、今となっては通りすがる席のお客さんの表情まで確認できる余裕があった)

友希那(少しだけ呆れたような口調でそう言って、グラスとお皿をテーブルに置く)

リサ「しっかり働けてるみたいで安心したよ~」

友希那「それはどういう意味かしら?」

リサ「あはは、ごめんごめん、気にしないで」

友希那「まったく……私だってやれば出来るのよ」

リサ「そうだね。それにそのエプロンと髪型……新鮮だけどすごく似合ってるよ、友希那」

友希那「そう。ありがとう。羽沢さんとあこにも同じことを言われたわ」

リサ「今度のライブ、そういうのでやってみる?」

友希那「遠慮しておくわ。あまりにもロゼリアのイメージとかけ離れているもの」

リサ「そっか、残念だなぁ」

友希那(さして残念と思っていなさそうな口ぶりでそう言って、リサはアイスティーに口をつけ、一息に3分の1ほどを飲み干した)


友希那「……そんなに喉が渇いていたの?」

リサ「ん? あー、ほら、アタシの挑戦ってマラソンじゃん?」

友希那「そうね」

リサ「んでさ、はぐみのとこにマラソン大会の出場申し込みいったらね、はぐみが練習に付き合ってくれるって言ってくれてね」

友希那「へぇ、北沢さんが。確かにあの子、走るのが好きそうね」

リサ「そうそう、そのイメージ通りだったよ。それで今日もはぐみと一緒に練習してきたんだ~。だから、ちょっとね」

友希那「そうなのね」

リサ「うん。あ、それでさ……アタシの挑戦、フルマラソンだったじゃん?」

友希那「ええ」

リサ「あれさ、フルマラソンは初心者じゃ半年くらい練習しないとって言われちゃって……ハーフマラソンにしちゃったんだけど、ヘーキかな?」

友希那「…………」

友希那(リサは申し訳なさそうに、上目遣いでこちらを窺う。それに少しだけ考えたあと、私は口を開く)

友希那「いいと思うわよ」

リサ「ほんと!? よかったぁ、ダメだって言われたらどうしようかと思ったよ~」

友希那「まぁ……無理をしてロゼリアの活動に支障が出てしまっては、元も子もないもの」

リサ「そっか。ありがと、友希那」

友希那「いいえ。まぁ紗夜がなんて言うかは分からないけれど」

リサ「あー確かに……『ハーフマラソン? 結構。それでは上位入賞くらいはして当然ですよね?』とか言われるかな……」

友希那「……くじを引いた時の様子を考えると、恐らく言うわね」

リサ「だよねぇ……でも、あは。なんかその姿がすっごく簡単に想像できておかしいなぁ」

友希那「ふふ、そうね」


リサ「友希那はどう? バイト、もうすぐ終わりでしょ?」

友希那「私は……ええ、得るものは確実にあったわね」

友希那(猫に対する理解と、猫カフェに対する理解と、働くということを猫を通して学んだことと、あとは何でもない日常の1コマからも学ぶことがあるのではないか、ということ)

友希那(この前のプールと同じね。ここへお客さんとしてやってきたあこと燐子の横顔を見ることで、あの子たちの普段の様子を垣間見れたような気がするわ)

友希那(ロゼリアの仲間としての顔ではなく、従業員とお客さんという中での表情)

友希那(何が得られたか、とはしっかりとした言葉で残せないかもしれないけど、それでも何かしらの糧として、それを私の中に残せたような気がしている)

リサ「そっかそっか。みんなも苦労してるのかなぁ」

友希那「どうかしらね。あこはいつも通り楽しそうだったし、燐子も若宮さんと一緒に竹細工教室に通っているみたいで、それもいい経験になっていると思うわ」

友希那「紗夜はここへは来なかったから分からないけれど、あの子のことだもの。きっと真面目に取り組んでいるに違いないわ」

リサ「へぇ……よっし、アタシも頑張んなきゃね」

友希那「ええ。日曜日、応援に行くわ」

リサ「ありがと。友希那にカッコ悪いとこ見せない様にしっかり練習するよ」

リサ「……あっと、つい話し込んじゃったね。バイト中にごめん」

友希那「いいえ。今の時間帯はそんなに忙しくないみたいだから平気よ」

リサ「ん、そっか。友希那、4時までだったよね?」

友希那「ええそうよ」

リサ「それじゃあここで待ってるから、終わったら一緒に帰ろーよ」

友希那「了解よ。それじゃあ、どうぞごゆっくり」

リサ「うん!」


友希那(リサに一礼してから厨房へ引き返す。すると、羽沢さんと羽沢さんのお父さんが何かを話しているようだった)

つぐみ「……うーん、どうしよう……」

友希那「羽沢さん? 何かあったのかしら?」

つぐみ「あ、友希那先輩。いえ、そんなに大したことじゃなくて、ちょっと明日のシフトがですね……」

友希那「……なるほど、他のアルバイトの方が風邪を引いて欠員が出た、と」

つぐみ「そうなんですよ。だから友希那先輩は気にしないでくださいね」

友希那「……それって、私が入ればどうにかなるかしら?」

つぐみ「え?」

友希那「アルバイトの欠員が出たのよね? それなら、そこへ私が入れば解決できるんじゃないかしら」

つぐみ「そうですね……そうすれば全然問題なくなるんですけど……でも」

友希那「それなら、もう1日だけアルバイトをさせてくれないかしら。迷惑なようならいいんだけど……」

つぐみ「い、いえいえ、迷惑だなんて! むしろ助かっちゃうんですけど、友希那先輩は平気なんですか?」

友希那「大丈夫よ。今週は日曜日以外に特に用事はないもの」

つぐみ「それじゃあ……お願いしちゃってもいいですか?」

友希那「ええ、任せて頂戴」

つぐみ「ありがとうございます、友希那先輩」

友希那(私の言葉に羽沢さんは笑顔でお礼をする)

友希那(……私自身としても、自分からこんな提案をすることが少し意外だった)

友希那(けれどまぁ、こういう経験も決して悪くはないものだというのはもう分かっている。こういう時くらいはいいだろう)

友希那(羽沢さんには紗夜もお世話になっているみたいだし、たまには私だって後輩にいい顔をしてみせたいし、猫カフェを巡るためにはそれなりの資金が必要な訳だし)

友希那(ふふ……今度はどんなカフェに行ってみようかしらね)

友希那(そんなことを思いながら、私は残りの1時間を過ごすのだった)


――――――――――――

>>89
なるほどいいですね
因みに細かいようですが美咲は紗夜先輩呼びですね
何故か日菜は日菜さん呼びだけど

>>107
oh...
申し訳ないです、ご指摘ありがとうございます
ちょっと吊ってきます(;´・ω・)


【木曜日】

――白金家 燐子の部屋――

燐子(竹細工……若宮さんと一緒に習って……まだちょっとだけ、だけど……)

燐子(竹ひごを編んで……曲げるだけで籠が作れたり……そういった細々した作業がすごく楽しい……)

燐子(竹ひごを曲げるためには……ちょっと力が必要で大変だけど……)

燐子(でも……昨日読んだ本には……竹細工のアクセサリーっていうのもあったから……ロゼリアでも和風の衣装を作るのもいいかも……)

燐子「……最初はどうなるんだろって思ったけど……やっぱり何事も挑戦してみるのが……大切なんだ」

スマホ<ピロリン

燐子「……あれ? 若宮さんからメッセージが……」

燐子「えっと……」

イヴ『おはようございます、燐子さん! お師匠からの連絡です! 今日は動きやすく、長袖長ズボンの格好で教室に来てほしい、とのことです!』

燐子「動きやすい格好……? 確かに……小さなものを作るのにも力がいるし……なにか大きいものでも作るのかな……」

燐子(とりあえず……若宮さんに返信しなくちゃ……)

燐子『分かりました。連絡ありがとうございます。今日もよろしくお願いしますね、若宮さん』

燐子「……動きやすい格好……何かあったかな……?」


……………………


――竹細工教室――

イヴ「おはようございます、リンコさん!」

燐子「うん……おはようございます、若宮さん……」

イヴ「今日はどんなことをするんでしょうね? 動きやすい格好、ということは、何か激しい竹細工に挑戦するんでしょうか?」

燐子「激しい竹細工……大きな竹を割ったり、等身大のミッシェルを作ったり……?」

イヴ「あ、竹で出来た大きなミッシェルさんは可愛いですね! ちょっと作ってみたいです!」

燐子「すごく大変そうだけど……それより、若宮さん……」

イヴ「はい?」

燐子「その……どうして忍び装束なんですか……?」

イヴ「動きやすい長袖長ズボンと言われたので、これがピッタリだと思ったんです!」

燐子「全身真っ黒の服だけど……暑くないんですか……?」

イヴ「実は少し……ですが、これも修行の内です! シントウメッキャクすれば火もまた涼し、の精神ですね!」

燐子(ちょっと違うと思うけど……若宮さんが楽しそうだし、いいのかな……?)

――ガラッ

お師匠「……おはようございます」ペコリ

イヴ「おはようございます、お師匠!」

燐子「お、おはようございます……」


イヴ「お師匠、言われた通り動きやすい格好で来ました!」

お師匠「……忍者スタイル……」

イヴ「はい! ブシドーを極めるためには、影に暗躍するニンジャのことも知らなくてはいけませんから!」

燐子「そう、かな……?」

イヴ「ところで、どうして動きやすい格好なんですか? やはり等身大ミッシェルさんの作成をするんですか?」

お師匠「ミッシェル……商店街のマスコット……それもいいかもしれない……」

燐子「え、えっと……本当は何をするつもりなんですか……?」

お師匠「……竹取」

燐子「え?」

お師匠「竹細工は……竹あってのもの……」

お師匠「竹を知ってこそ、竹細工は完成します……」

お師匠「だから……山へ」

燐子「山へって……竹を取りに……?」

お師匠「…………」コクン

イヴ「なるほど! 敵を知り、己をしれば百戦危うからず、ということですね!」

燐子「だ、だから動きやすい格好……」

イヴ「山へはどうやって行くんですか?」

お師匠「トラックを借りてきたので……それで」

イヴ「分かりました!」

燐子「…………」

燐子(山……完全にわたしとは縁遠いアウトドア……)

燐子(……で、でも、これも挑戦……です……)

燐子「わ、分かりました……!」

お師匠「それでは……表にトラックを停めてあるので……」


……………………


――トラック車内――

イヴ「トラックって初めて乗りました!」

燐子「わたしも……初めて……」

お師匠「一応……ワイドの平トラックを借りてきましたので……」

イヴ「ワイド、ですか?」

お師匠「標準的なトラックの幅が広いもので……その分キャビン……運転席も広く作られています」

お師匠「だから3人掛けでもあまり狭くなく……乗り心地は悪いけれど、それは仕方ないので……」

燐子「……前の席に3人も座れるんですね……」

お師匠「トラックは基本そう、ですね……」

イヴ「そうなんですね」

燐子「あの、若宮さん……真ん中に座ってもらっちゃってますけど、大丈夫ですか……?」

燐子(いくらワイドって言っても……お師匠さんの肩幅が広いから狭いんじゃ……)

イヴ「大丈夫ですよ! お師匠の運転が近くで見れて、なんだか楽しいです!」

イヴ「シフト操作、というんですよね。その手さばきも鮮やかです!」

お師匠「…………」フイ

燐子(あ、顔を逸らした……もしかして照れてるのかな……)


燐子「そういえば……あの……山って、どの辺りまで行くんですか……?」

お師匠「……東京の少し外れまで……」

お師匠「そこに自分の実家があって……竹林のある山を所有しているので……」

イヴ「お師匠、山をお持ちなんですか?」

お師匠「……先祖代々所有している土地で……あまり管理もされていないけれど、一応は……」

燐子「す、すごいですね……」

お師匠「そんなことは……」

イヴ「ご謙遜なさらないで下さい! お師匠は職人だけでなく、山のヌシ様でもあったんですね! それはとてもすごいと思います!」

お師匠「…………」ポリポリ

燐子(なんとも言えない表情で頬をかいてる……やっぱり照れてるんだ……)

イヴ「お師匠の山に竹取さんとしての手さばき、とても楽しみです!」


……………………


――山中の竹林――

燐子(高速道路に乗って都心から離れ、緑の多くなった場所で下道に降りました)

燐子(それから少し狭い山道を走って、お師匠さんは少し拓けた砂利道にトラックを停めました)

燐子(目の前には竹の茂った林があります)

お師匠「ここが……いつも竹を取る竹林」

燐子(お師匠さんに続いてトラックを降りると、竹の青い匂いが風に運ばれてきます)

イヴ「すごいですね! カグヤヒメが居そうです! さながらお師匠は竹取のオキナですね!」

お師匠「……自分はまだ翁というほど歳は……」

燐子「輝夜姫……金閣寺の一枚天井……」

イヴ「おや、どうかしましたか?」

お師匠「いや……」

燐子「なんでもないです……」

イヴ「そうですか。それで、お師匠。これからどうするんですか?」

お師匠「……自分が竹を切って……2人は、竹の枝打ちを……」

イヴ「エダウチ、ですか?」

お師匠「ええ……枝を取り払ってもらいます……。鉈を使うので……作業手袋と、それから安全長靴……あと、帽子も持ってきてあるのでそれを身につけてもらって……」

お師匠「……あ、どれも新品を用意したから気にせずに……」

燐子(新品を用意してもらったっていう方が気になるけど……)

お師匠「まずは自分が一連の作業を見せるので……」

イヴ「分かりました! お師匠のお手並み拝見、ですね!」


……………………


燐子(お師匠さんの手際は非常に良かったです)

燐子(専用のノコギリを使って、サッと竹を伐採すると、トラックを置いた方面へ竹を倒します)

燐子(そしてその竹を4分割にすると、1人で拓けた砂利道にまで持ち出して、竹に付いた枝葉を鉈でトントンと打ち切っていきます)

お師匠「これで……ひとまずは完了……」

燐子(ものの10分ほどで、先ほどまで枝葉を茂らせて空に伸びていた長い竹が、裸になって地面に寝転がった姿になっていました)

イヴ「わぁ、鮮やかなお手並みです、お師匠!」

お師匠「……慣れているので」

燐子「いつも……1人でこうやって採取してるんですか……?」

お師匠「ええ、まぁ」

燐子「な、なるほど……だからそんなに筋骨隆々に……」

お師匠「あ、いや……」

イヴ「生活の中で己をケンサンする……見事なブシドー精神ですね!」

お師匠「…………」

お師匠(……筋トレが趣味だと……言い出せなくなってしまった……)

イヴ「私たちはエダウチ、でしたね。お師匠のようにナタでトントンとすればいいんですね?」

お師匠「……ええ。怪我には気を付けて……」

燐子「わ、分かりました……」

お師匠「では……竹を切って持ってきます」


……………………


――公園――

はぐみ「それじゃあ今日は、実際のマラソンの走り方について練習するね!」

リサ「はーい。今日もよろしくね、はぐみ」

はぐみ「うん!」

リサ「それで、走り方っていうと……昨日教えてくれた『5メートル先を見て、猫背にならない』っていうやつみたいな?」

はぐみ「ううん、今日はね、ペース配分と休憩の仕方!」

リサ「ペース配分はなんとなく分かるけど……休憩の仕方って?」

はぐみ「んっとね、マラソン大会だと、5キロごとに給水所があるんだ」

リサ「あー、走りながら水飲んだりしてるアレ?」

はぐみ「そう、ソレ!」

はぐみ「たくさん走るとお腹も減っちゃうし、何にも補給しないで走ってるとすぐにヘロヘロになっちゃうんだ」

はぐみ「だからね、給水所での休憩の仕方!」

リサ「ふむふむ」

はぐみ「さっき走りながらって言ってたけどね、アレは本気でタイムを目指してる人がやるんだ」

リサ「そうなの?」

はぐみ「うん、休憩してる時間がもったいないからね。でも完走が目的なら、ゆっくり歩きながら補給したり、邪魔にならない場所で立ち止まったっていいんだよ」

リサ「へぇー」

はぐみ「それにね、給水所ってすっごい混むんだ。バラバラに走ってるけど、そこだけはみんなが寄るから」

リサ「あー、確かにそうだよね」


はぐみ「だから給水所の近くまで来たら、慌てないこと! 『急がないと!』って焦っちゃうとすっごく疲れちゃうから、『せっかくだしちょっと休憩しよう』くらいの気持ちでゆっくりすること大切だと思うよ!」

リサ「なるほど。確かに混んでる場所で急いだって仕方ないもんね」

はぐみ「うん! それと、お腹が減ると走れなくなっちゃうから、途中でおにぎりとかバナナを食べるのも大切だよ」

リサ「そういうのも給水所にあるの?」

はぐみ「あるよ~。商店街が協賛だからね、はぐみのお店のコロッケもあるよ」

リサ「マラソンでコロッケはちょっと……どうだろ……?」

はぐみ「マラソン大会用の特製コロッケだから美味しいよ!」

リサ「いや、美味しいのは知ってるんだけどさ……走りながらだとちょっとアタシにはキツいかも」

リサ「コロッケは走り終わってからゆっくり味わって食べたいかなぁ……」

はぐみ「そっかぁ。んっと、それ以外のオススメだと……ジェルだね」

リサ「ジェル?」

はぐみ「ゼリーみたいな飲み物だよ!」

リサ「あー、コンビニの栄養ドリンクコーナーにあるみたいな?」

はぐみ「それだね! ハーフマラソンならそれをちょっと飲むだけでもヘーキだと思うな!」

はぐみ「でもそういうのは用意されてないから、自分で用意してポーチとかに入れてこないといけないんだよね」

リサ「なるほどなるほど……でもその方が動きながらでも飲みやすいし、アタシはそっちの方がいいかも」

はぐみ「そっか! それじゃあはぐみのマラソンポーチ、貸してあげるよ!」

リサ「え、いいの?」

はぐみ「うん! 何個か持ってるからね! 走る用のしっかりしたのじゃないとマラソン中邪魔になっちゃうし!」

はぐみ「だからジェルも軽くて小さいやつがいいと思うよ。薬局とかにいけば色んな種類があるから選んでみて!」

リサ「うん、分かった。色々ありがとね、はぐみ」

はぐみ「どういたしまして!」


はぐみ「それじゃあ次はペース配分についてだね」

リサ「そっちはなんとなく分かるなぁ。出来るだけ同じペースで走った方がいいんだよね?」

はぐみ「そうなんだけど……完走が目標なら、最初はゆっくりして、あとから頑張る方がいいと思うな」

リサ「そうなの?」

はぐみ「うん。あのね、周りにたくさんの人が走ってるとね、それについていきたくなって速く走ろうとしちゃうんだ」

はぐみ「それで『同じペースで走らなきゃ!』って思っちゃうと、前半だけですっごく疲れちゃうから、最初はゆっくりゆっくりって走った方がいいと思う」

リサ「確かに言われてみれば……」

はぐみ「力が残ってるなら後からもっと頑張って走ればいいんだし、ゴールするまでの全部のことをちゃんと考えて走る方がタイムもよくなると思うんだ」

リサ「なるほどね~。んー、考えてみると、ベースと似たような感じかな?」

リサ「ペースを乱さず、周りに釣られず……って。リズム隊がリズム乱してちゃ、バンドとしてまとまんないし」

はぐみ「あ、そうかもしれないね!」

リサ「まぁ、とは言ってもロゼリアだと紗夜が一番正確なリズムで音を出してるんだけどさ……」

はぐみ「ハロハピは……みんなでどっかーんってして、かのちゃん先輩がふぇぇってしてるかな?」

リサ「あはは、すごい想像できるなぁ、その光景」

リサ「それじゃあ今日はそういうペースを意識して走る練習、かな?」

はぐみ「うん、そうだね! 最初はゆっくり、あとからバビューン! っていう練習!」

リサ「オッケー!」

はぐみ「じゃあ行こっか、リサさん!」


……………………


――商店街――

紗夜「さて……昨日は人命救助を優先してしまったから、今日こそは本来の目的を達成させましょう」

紗夜(そしてナンパなんてふざけたことはさっさと終わらせてしまいたいわ)

紗夜「また昨日のように誰か知った顔がいればいいんだけれど……」

紗夜「…………」キョロキョロ

紗夜「……まぁ、そうそういないわよね」

紗夜「どうしようかしら……」

「あの……」

紗夜(呟きつつ考えていると、後ろから声をかけられた。振り返るとそこには……)

↓1
(※ロゼリア、薫、イヴ、はぐみ、つぐみ、日菜以外の誰かでおねがいします)


美咲「あ、やっぱり紗夜先輩だ」

紗夜「奥沢さん……どうも、こんにちは」

美咲「ええ、こんにちは。また会いましたね」

紗夜「そうね。体調はどうですか?」

美咲「おかげさまで……まぁ、ちょっと寝不足ですけど」

紗夜「夏休みだからといってあまり夜更かしをしていてはいけませんよ」

美咲「……紗夜先輩のせいなんだけどね、寝れなかったの……」

紗夜「私がどうかしましたか?」

美咲「い、いえいえ、なんでもないです」

美咲「そういえば昨日も商店街にいましたけど、何をしていたんですか?」

紗夜「私は……」

紗夜「…………」

美咲「あ、ごめんなさい、あんまり知られたくないことでしたか?」

紗夜「……いえ。そうね……有り体に言ってしまうと、ナンパね……」

美咲「へ?」

紗夜「ロゼリアのレベルアップを計ると湊さんが言い出して、その為にやることのくじを引いたらナンパをしろと出たのよ……」

美咲「あー……それはなんというか、災難ですね」

紗夜「ええ……けれど、引いたからにはしっかりやらなくてはいけないので」

紗夜「湊さんも弦巻さんのお宅で綱渡りしましたし」

美咲「こころの家でって……あのアスレチックですか?」

紗夜「ええ。中央の辺りで落ちましたが」

美咲「いやー、あれは初見殺しにもほどがありますからね。というか、むしろよく真ん中までいけましたね、湊さん」

紗夜「何やら『私は猫だ』と言いながらズンズン進んでいってましたね」

美咲(……ロゼリアってあたしが思ってるより、なんていうかこう……ハチャメチャなのかな……)


紗夜「すみません。少し話し込んでしまいましたね」

美咲「あ、いえ、あたしは特になんの用事もなかったので……」

紗夜「そうでしたか」

美咲「ええ、はい」

美咲「…………」

紗夜「奥沢さん? どうかしましたか?」

美咲「あの、紗夜先輩……ナンパをするんですよね?」

紗夜「……ええ、まぁ」

美咲「その相手って……あたしじゃダメ……ですか?」

紗夜「え?」

美咲「あ、その、変な意味じゃないですよっ? ほら、昨日助けてもらいましたし?」

美咲「昨日はあたしのせいで紗夜先輩がナンパできなかったっていうなら申し訳ないですし……だから、えっと……」

美咲「あたしで良ければ……その、一緒に……」

紗夜「ありがとうございます、奥沢さん。ですが……」

美咲「やっぱりダメ、ですかね……?」

紗夜「……いえ。その、色々とややこしいのですが、ナンパをするのは私の方からでないといけないと思いますので……」

紗夜「あまり状況に流されてばかりいては他のメンバーに顔向けできません。なので……すみません、私に少し意地を張らせてください」

美咲「じゃ、じゃあ……」

紗夜「はい。奥沢さん、もしもお時間があるようなら、少し付き合ってくれませんか?」

美咲「は、はいっ、付き合います!」

紗夜「ありがとうございます。それでは……少し休めるところへ行きましょうか」


……………………


――竹林――

燐子(お師匠さんが切ってくる竹。わたしと若宮さんは、その枝打ち作業を続けていきます)

燐子(最初は難しくて……なかなか枝が取れず、取れてもその表面がささくれ立ってしまったりと、大変な作業でした)

燐子(だけど何度か続けていくうちに、流石にお師匠さんと同じくらい、とは言い難いけど……私も若宮さんもそれなりに綺麗に枝が取れるようになりました)

イヴ「ふふ、なんだか楽しいですね」

燐子「うん……最初は大変だったけど……綺麗に取れると達成感があって……」

イヴ「やっぱりリンコさんは手捌きが丁寧ですね。私が切るよりも、とっても綺麗に出来ています」

燐子「でも力がなくて時間がかかりますから……若宮さんの方がすごく早く出来てて、すごいなって思います……」

イヴ「いえいえ、そんなことないです! リンコさんの方がすごいです!」

燐子「う、ううん……若宮さんの方が……」

お師匠「……これで最後」ドサッ

燐子(そんな譲り合いをしていると、お師匠がまた竹を持ってきました)

イヴ「あ、お師匠! これで最後、ということは、竹のエダウチはもうおしまいですか?」

お師匠「…………」コクリ


燐子「そんなに数が多くないんですね……」

お師匠「……本来は、冬に伐採するので……今日はちょっと補充をするだけ……ですから」

イヴ「そうなんですね! それでは、これもバッサリ枝を打ってしまいましょう!」

燐子「うん……そうだね……」

燐子(若宮さんの言葉に頷いて、鉈で枝を払っていきます)

イヴ「えいっ、とぉっ!」タンタン、タンタン

燐子(……やっぱり若宮さん、早いなぁ)

燐子「わたしはわたしのペースで……」タン、タン、タン

お師匠「2人とも……結構なお手前で……」

イヴ「これもお師匠の教えのタマモノです!」

お師匠「…………」ポリポリ

燐子「これで終わり、ですね」

イヴ「この後はどうするんですか?」

お師匠「次は、竹をトラックに積んで……実家で加工します」


……………………


燐子(お師匠さんは竹林でトラックに竹を積んで、それを手際よくロープで固定しました)

燐子(わたしと若宮さんも積むのを手伝いましたけど……竹、とっても重くて……あまりお役には立てませんでした)

燐子(それでもお師匠さんはわたしたちにお礼を言って、トラックを走らせます)

燐子(そして大体20分ほど、でしょうか)

燐子(山や川が近い、のどかな景観の中に立つ庭付きの一軒家にトラックは辿り着きます)

燐子(とても広々とした庭の一角に、何か工場のような建物がありました)

燐子(お師匠さんはそこへトラックを後ろ付けにします)

お師匠「ここで……竹の油抜きをします……」

イヴ「へぇ、そうなんですね」

お師匠「ええ……油抜きをして、3週間ほど天日干しをして……竹細工の材料として切り分けます……」

燐子「3週間も……」

イヴ「私たちに何かできることはありますか?」

お師匠「では……採ってきた竹を洗いましょう」

燐子「分かりました……」

イヴ「了解しました!」


お師匠「ちょっと待っててください……」

燐子(お師匠さんはそう言って工場の中に入っていき、鉄製の土台のようなものを2つ持って出てきました)

お師匠「ここへ竹を乗せて……柔らかいタワシで水洗いします……」

イヴ「お水ですね。水道は……」

お師匠「そこにあるので……タワシも置いてあります。ホースとシャワーヘッドを繋げてあるので……」

燐子「はい……持ってきますね」

お師匠「お願いします……自分は竹を下ろすので……」

燐子(お師匠さんはそう言って、テキパキと荷台から下ろした竹を土台の上に置いて行きます)

燐子(わたしと若宮さんは水道からホースとタワシを持ってきました)

お師匠「では……汚れを落とそうと強くこするのではなく、水でタワシを滑らせるように優しく洗ってください……」

イヴ「分かりました!」

燐子「はい……」


―竹を洗い終わって―

燐子(お師匠さんの言う通り、優しくタワシでこするだけでも竹の表面は綺麗になりました)

燐子(それはいいのですが……そうなると、わたしたちが最初に枝打ちをした部分の拙さがより一層目立ってしまいました……)

イヴ「うーん、やっぱり最初にやった部分はちょっと……」

燐子「うん……」

お師匠「…………」

燐子「お師匠さん……これだとやっぱり、竹細工には使えませんか……?」

お師匠「いえ……籠や飾り物だけが竹細工ではありませんので……」

お師匠「こういった竹でも……例えば、半分に割って……流しそうめんなどに使えます」

燐子「あ……そうなんですね……よかった」

イヴ「ナガシソウメン?」

燐子「えっと……半分に割った竹を繋げて……そこにそうめんと水を流して食べるんです」

イヴ「そうめんにそんな食べ方があるんですね!」

燐子「うん……最近はあんまり見ないけど……夏の風物詩、かな……」

イヴ「そうなんですね! 是非ともやってみたいです!」


お師匠「……やりますか……?」

燐子「え?」

イヴ「いいんですか?」

お師匠「ええ……せっかく自分たちで採った竹ですから……自分で使う方がいいでしょう」

お師匠「そうしたら……枝打ちが上手くいかなかった竹はこのまま持って帰って……流しそうめん用にみなさんで加工しましょう」

お師匠「竹の加工も体験出来て……一石二鳥です」

イヴ「わぁ、ありがとうございます、お師匠!」

お師匠「いえ……」

燐子「す、すみません……わたしたちが失敗しちゃったのに……」

お師匠「……失敗は必ずしも悪いことではないので」

お師匠「挑戦をして失敗したとしても……何か得るものがあったのなら……それでいいと自分は思います」

燐子「…………」

お師匠「……あの……自分、何かおかしなことを……言ってしまいましたか……?」

燐子「い、いえ……」

お師匠「……よかった……」ホッ

イヴ「楽しみですね、流しそうめん!」

お師匠「……ええ。では……この先は自分しか出来ないので……2人は休んでいてください」

燐子「分かりました……」

イヴ「ガッテンショウチ!」


……………………


――ファーストフード店――

紗夜「――という訳で、ロゼリアのメンバーはそれぞれがそれぞれのことに挑戦しているんです」

美咲「へぇ……なんていうか、すごいですね。音楽のために色んなことに挑戦して……」

紗夜「たまに湊さんは思い付きで突拍子もないことを始めますから。ただ、それはロゼリアを想ってのことだとは分かっていますので、私も強く反対することはありませんね」

美咲「湊さんってすごくしっかりしてそうですもんね」

紗夜「……そうですね」

紗夜(……猫を前にすると人が変わることや、あれで意外と抜けているところがあるのは言わないでいた方がいいかしらね)

美咲「それにリサさんに燐子先輩もいるし……」

美咲「はぁぁ……周りがみんなしっかりしてて、紗夜先輩が羨ましいです」

紗夜「そうかしら」

美咲「そうですよ。ハロハピは大変ですから……」

紗夜「まぁ……そうね。私もあのメンバーに囲まれて何かをしろと言われたら戸惑います。特に弦巻さんの扱いが大変そうだわ」

美咲「ええ、大変ですよ……本当、唐突にとんでもないこと言い出しますから……」

紗夜「でも……ふふ」

美咲「どうかしましたか、紗夜先輩?」

紗夜「いえ、すみません。随分楽しそうな表情で喋るんだな、と思って」

美咲「あ……」

紗夜「口では色々言っているけれど、ハローハッピーワールドのことが好きなんですね」

美咲「いや……その……」

紗夜「照れる必要なんてないと思いますよ。仲が良いに越したことはないでしょう」

美咲「それでも照れくさいものは照れくさいですって……」

紗夜「ふふ、そうですか」

美咲「うぅ……なんだこれ、すごく恥ずかしいんだけど……」


丸山彩「お待たせしましたー! 揚げたてのポテト、お持ちしましたっ」

紗夜「ありがとうございます、丸山さん」

美咲「どうも、彩先輩……」

彩「ううん! それにしても……」

紗夜「……? どうかしましたか?」

彩「あ、うん、紗夜ちゃんと美咲ちゃんが2人でいるの、ちょっと珍しいなって」

紗夜「まぁ……色々な縁がありましたので」

美咲「……やばい、昨日のアレを思い出しそう」

彩「昨日のアレ?」

美咲「あー……いや、なんでもないです」

紗夜「簡単に言うと人命救助かしらね」

彩「ふーん? でも、ちょっと羨ましいなぁ」

紗夜「何がですか?」

彩「普段あんまりお喋りしない人と一緒に何かすること。なんだか新しい自分を発見できそうだし、楽しそうだなって」

紗夜「新しい自分……そういうものかしら……」

彩「うーん、私はそう思うけどなぁ」


美咲「……あー、あたしはそれ、なんとなく分かります」

彩「本当?」

美咲「はい。なんていうか……いつもハロハピのみんなに――というかほとんどこころが原因ですけど、まぁとにかく色々と振り回されて……それで家でも妹の面倒見ますし」

美咲「だからこう、しっかり者の紗夜先輩と一緒にいると……なんでしょうね。気が緩むっていうか、つい甘えたくなるっていうか……」

彩「…………」

紗夜「…………」

美咲「……あれ? なんかあたし今、とんでもないこと口走ったような……」

紗夜「私に甘えたいんですか?」

美咲「やっぱり口走ってた!?」

紗夜「まぁ……節度を守って頂ければ私は気にしませんが……」

美咲「さっ、紗夜先輩、今の無しで! 無かったことにしてください!」

紗夜「は、はぁ……」

彩「いつもしっかりしてる美咲ちゃんもやっぱり年下なんだなぁ~。ふふっ、可愛い」

美咲「あ、彩先輩もからかわないでくださいよ!」

彩「ねぇねぇ紗夜ちゃん。せっかくだから、日菜ちゃんに接するみたいにしてあげたらどうかな?」

紗夜「日菜に接するように……それも挑戦かしらね……」

美咲「ちょっ、ちょっと!? 彩先輩、余計なことは言わないでいいですから!」


紗夜「では、コホン。……美咲」

美咲「は、はいっ!? え、本気でやるんですか!?」

紗夜「あまり大きな声は出さないの。他のお客さんに迷惑でしょう?」

美咲「あ……はい……」

紗夜「まったく……元気なのはいいけど、場所は選んで頂戴」

美咲「え、えっと……はい、なんかすいません……」

紗夜(……奥沢さん、シュンとしてしまったわね……。日菜ならここから『ごめんごめーん!』と反省してない口ぶりで謝ってきて、何も変わらず次の話題を振ってくるのだけど……)

紗夜(でも……可能性は低いけれど、日菜ももしかしたら本当は少し落ち込んでいるのかもしれないわね)

紗夜(宇田川さんが提案してくる音楽以外のことも大抵はぶっきらぼうに断ってしまっているし……)

紗夜(もう少しあの子にも、周りの友人たちにも……私は優しく接するべきかもしれないわ)

紗夜「その、少し言い過ぎたかもしれないわね。ごめんなさい」

美咲「あ、い、いえ……」

紗夜「……別にあなたのことが嫌いとか、そういう訳じゃないのよ」

美咲「え?」

紗夜「あなたにはいつでも元気でいて欲しいと思っているし、いつも甘えてくるのを鬱陶しいとは思っていないわ」

紗夜「ただ……少しだけ周りのことを考えてくれれば、それでいいのよ」

紗夜「分かってくれるかしら?」

美咲「……えと」

美咲「…………」

美咲「……うん……ごめんなさい」

紗夜「いいえ、分かってくれたならもういいのよ。あなたはちゃんと、やれば出来る子なんだって私は知っているから」

美咲「うん……おねーちゃん……」


彩「おー……すごいおねーちゃんオーラ……」

紗夜「……これくらいでいいかしらね」

彩「うん。美咲ちゃんもすっかり妹の顔になってるもん」

美咲「……はっ!? あたしは今なにを……!?」

彩「いいなぁ、紗夜ちゃんの厳しくも優しいおねーちゃんオーラ……私にもそういう威厳が欲しいなぁ……」

紗夜「そんな大層なものじゃありませんよ。私からすれば、丸山さんの親しみやすい姉というイメージの方がとても魅力的に見えますから」

彩「そ、そう? えへへ……」

巴「彩さーん! 話ししてないで早くカウンターに戻ってきてくださーい!」

彩「あっ、ご、ごめんね巴ちゃん!」

彩「それじゃあ2人とも、ゆっくりしていってね。あ、美咲ちゃん、おねーちゃんが欲しいなら私だっていつでも――」

上原ひまり「彩さん早く~! このままだと花音さんがぁ~!!」

松原花音「えっとオレンジジュースとフライドポテトとハンバーガーとナゲットとフライドサラダとチーズジュースがマスタードソースでテイクオフだったよね、えへへ、なんとかなりそうでよかったぁえへへへへ……」バタバタ

彩「は、はーいっ、すぐ戻ります! 花音ちゃんごめーん!」タッタッタ...

紗夜「……やっぱり丸山さんのああいうところは私には無いものね」

美咲「…………」

紗夜「奥沢さん? 先ほどから何やら頭を抱えていますが、どうかされましたか?」

美咲「いえ……ついさっきの記憶をどうにか消せないかなと……気にしないでください……」

紗夜「はぁ……?」

美咲「ああぁぁ……これまた夜寝れなくなるやつだよ……先輩をおねーちゃんなんて呼ぶって……いや正直悪くはなかったけどさぁ、でも限度ってものが……」ブツブツ

紗夜(……疲れているのかしらね。そっと見守りましょう)


――――――――――――


【金曜日】

――竹細工教室 裏庭――

燐子(竹を取った翌日の教室。今日は平屋の裏庭で、竹を流しそうめん用に加工することになりました)

お師匠「……このように……竹に割れ目を入れて……鉈と金づちで少しずつ割っていきます……」トントントン

イヴ「ふむふむ……」

お師匠「ある程度鉈が進むと……こうして、手でも……」パキパキパキ

燐子「……綺麗に真っ二つに割れるんですね……」

イヴ「これがハチクの勢い、というものですね!」

お師匠「はい……三國時代終焉の諺ですね……」

燐子「これをわたしたちも……?」

お師匠「ええ……少し力は必要かもしれませんが……根気よく叩けばいずれ割れます……」

イヴ「分かりました!」

お師匠「刃物を扱うので……昨日同様、必ず作業手袋を着用して……怪我をしないように……鉈から目を離さないでください……」

燐子「わ、分かりました……」

お師匠「……それと……」

イヴ「はい?」

お師匠「…………」

燐子「あの……何かありましたか……?」


お師匠「いえ……その、もしお友達も参加されたいなら、呼んで頂いても平気ですので……」

イヴ「本当ですか? そうしたら私、パスパレのみなさんに声をかけてみますね!」

お師匠「はい……」

燐子「あの、でも、ご迷惑になるんじゃ……」

お師匠「大丈夫……です」

お師匠「仕事の関係で……大人数用の調理鍋などもありますから……」

お師匠「それに……お中元で頂いたそうめんが山のようにありまして……消化に手伝ってほしいので……」

燐子「わ、分かりました……そういうことであれば……」

お師匠「はい……」

燐子(わたしもロゼリアのみんなを誘ってみよう……)

燐子(そういえば……わたしからみんなを遊びというか、こういうことに誘うのって……あんまりなかったっけ……)

燐子(……どういう風にメッセージを送ればいいんだろう?)

イヴ「リンコさん、何かお悩みですか?」

燐子「あ、えっと……ロゼリアのみんなを誘おうと思うんですけど……なんてメッセージを送ればいいのかなって……」

イヴ「それなら簡単です! 『明日、流しそうめんをやりましょう!』と送ればいいと思います!」

燐子「いきなりなのにそれだけでいいのかな……もっと何か言葉を足した方が……」

イヴ「シンプルイズベスト、直截簡明というじゃないですか。パスパレのみなさんと私のように、ロゼリアのみなさんとリンコさんも、きっとそれだけで分かり合えます!」

燐子「……そう、ですね……その通りです……」

燐子「みんなにそう……メッセージを送ってみます……」


……………………


――宇田川家 キッチン――

あこ「純粋なクッキーの味じゃあリサ姉と紗夜さんには敵わない」

あこ「そう思って色んなクッキー作り過ぎちゃった……」


――水曜日のあこちゃん――

あこ「つぐちんに教えてもらった簡単アレンジクッキー!」

あこ「普通のプレーンクッキーにチョコソースでラッピング!」

あこ「顔を描いたり出来て目でも楽しめる一品だよ!」

巴「クッキーにチョコかぁ。あっまいなーコレ」サクサク

巴「お、このクッキーに描いてるのってもしかしてアタシか?」

あこ「うん! 上手に描けてるでしょー?」

巴「ああ、流石あこだな。何でも出来る天才だ!」

あこ「えへへ~」

―4時間後―

あこ「ちょっこれいと♪ ちょっこれいと♪ チョコレートは、モリナガ♪ ……あれ、なんか違う気が……」

あこ「んーまぁいっか。そんなチョコを溶かして小さな円形に固めたものを、これまた小さなバンズっぽいプレーンクッキーで挟んだクッキーチョコハンバーガー!」

あこ「本物を意識してクッキーに少しゴマを入れてみたよ!」

巴「おー、なんかこんだけハンバーガーが並んでるとバイトしてるみたいだ」ポリポリ

巴「お、ゴマの風味がなかなかいいな」

あこ「分量にかなり気を遣いました!」

巴「流石あこだな。将来いいお嫁さんになるぞ!」

あこ「えへへ~」


――木曜日のあこちゃん――

あこ「ココアはやっぱりメイ・ジ♪ ……あれ、どっちがどっちだっけ……」

あこ「それはともかくとして、やっぱり奇をてらわずに王道! 闇の魔力をグワーンと注ぎ込んだ、深淵のココアクッキー!」

あこ「砂糖控えめの大人の味だよ!」

巴「最近甘いものばっかり食べてたからなぁ。たまにはビターなのもいいな」ボリボリ

巴「……!? これだけやけに苦いな……」

あこ「わらわの全力全開の闇の魔力……それを一身に受けたクッキーが混じっているのだ……」

巴「あー、これだけインスタントコーヒー混ぜてあんのか」

あこ「うん! おねーちゃんバイト前だし、そういうのの方がシャッキリするかなって」

巴「あこ……なんていい子なんだ……おねーちゃんは嬉しいぞ……!」

あこ「バイト頑張ってね、おねーちゃん!」

巴「ああ! あこに元気貰ったからな、全開で頑張ってくるぜ!」

あこ「行ってらっしゃーい!」

―7時間後―

あこ「βカロテン、カリウム、食物繊維……身体にいいものたくさん入ってます!」

あこ「人参嫌いなお子様にも! キャロットクッキー!」

あこ「ピーナッツも加えて歯ごたえ抜群だよ!」

巴「あー、なんか優しい味がする……疲れた身体に染み渡るぜ……」モグモグ

巴「今日は忙しかったからなぁ……花音さんなんてテイクオフしそうだったし……」

あこ「いつもお疲れ様、おねーちゃん。あんまり無理しちゃダメだよ?」

巴「あ、あこ……本当にこんないい子に育って……おねーちゃんは嬉しいぞぉ!」ナデナデナデ

あこ「あはは! くすぐったいよーおねーちゃん~」


……………………


あこ「おねーちゃんにも食べてもらったけど、それでも余ったクッキーが冷蔵庫にたくさん……」

あこ「うーん、本当はロゼリアのみんなに食べてもらいたいんだけど……みんな、自分の挑戦に忙しいよね……」

スマホ<ブブッ

あこ「あれ、メッセージが……りんりんからだ!」

あこ「珍しいなぁ、りんりんからロゼリアのグループトークに発信するなんて!」

あこ「なになに……流しそうめん……?」


……………………


――羽沢珈琲店――

紗夜「また会いましたね」

美咲「ええ。奇遇ですね」

紗夜「3日連続で商店街で顔を合わせるなんて、そんな偶然もあるものですね」

美咲「……そうですね」

つぐみ「あ、いらっしゃいませ、紗夜さん。それに美咲ちゃんも」

紗夜「ええ。こんにちは、つぐみさん」

美咲「どうも」

紗夜「湊さんはどうでしたか? ご迷惑をおかけしませんでしたか? もし何かしでかしたようなら遠慮なく言ってくださいね。私の方からもキツく言っておきますので」

つぐみ「い、いえいえ……むしろすごく助けてもらいました。昨日も人が足りなくなって、そしたら友希那先輩の方から手伝ってくれるって言ってくれましたし……」

紗夜「湊さんから……?」

つぐみ「はい。お言葉に甘えて頼らせてもらっちゃいました」

紗夜「そう……」

紗夜(……私もつぐみさんに頼られたいわね)

つぐみ「それにしても……紗夜さんと美咲ちゃんが一緒って、なんだか珍しいですね」

美咲「あー、彩先輩にも同じこと言われたなぁ」

つぐみ「どうしたんですか?」

紗夜「まぁ……人命救助と色々な縁が重なったんですよ」

つぐみ「人命救助?」

美咲「深くは聞かないで、羽沢さん……」

つぐみ「え、う、うん……」


つぐみ「あ、そうだ。注文をお聞きしますね?」

紗夜「私はいつもので」

つぐみ「はい」

美咲「……いつもので通じるんだ……」

つぐみ「美咲ちゃんはどうします?」

美咲「あたしは……紗夜先輩と同じので」

つぐみ「はい、ケーキセットですね。では少々お待ちください」

紗夜「奥沢さん、メニューも見ずに決めてしまって良かったんですか?」

美咲「大丈夫です。多分」

紗夜「多分とは……」

美咲「いえ、ちょっとこう、何か意地のようなものがあたしの中に生まれただけなので……気にしないでください」

紗夜「はぁ……?」


―しばらくして―

つぐみ「お待たせしました、珈琲とケーキのセットです」

紗夜「ありがとうございます、つぐみさん」

美咲「どうもです」

つぐみ「前、失礼しますね」カチャ、カチャ...

美咲「……あれ」

紗夜「どうかしましたか、奥沢さん?」

美咲「あ、いえ……」

つぐみ「そういえば紗夜さん。友希那先輩がちょっと寂しがってましたよ」

紗夜「湊さんが?」

つぐみ「はい。一昨日、ロゼリアのメンバーで紗夜さんだけがいらっしゃらなかったので」

紗夜「……そうだったの」

美咲「う……なんかごめんなさい、紗夜先輩」

紗夜「いいえ、奥沢さんのせいではありませんよ。あのまま放っておくことなんて出来ませんでしたし、気にしないでください」

つぐみ「私もちょっと寂しかったなぁ……なんて」

紗夜「…………」

美咲「……あの、紗夜先輩? ちょっとあたしを見る目が鋭くなってません?」

紗夜「気のせいでしょう」

「すいませーん」

つぐみ「あ、はーい! ただいまお伺いしまーす!」

つぐみ「それじゃあ2人とも、どうぞごゆっくり」

紗夜「ええ」

美咲「はい」


紗夜「さて、それでは珈琲を頂きましょうか」

美咲「ええ。……あ」

紗夜「……? どうかしましたか?」

美咲「えっと……」

紗夜「……ミルク、先に使いますか?」

美咲「あー、いえ、平気です……」

紗夜「そうですか」

美咲「……カップの持ち手の向きがあたしと違ったのってそういうことか……」

美咲「いつもの注文も好みの飲み方も全部知ってるよ、ってことね……」

美咲「…………」

紗夜「奥沢さん? 先ほどから様子が変ですが、大丈夫ですか?」

美咲「いえ、大丈夫です。ちょっと今、自分の中の理性と願望が戦ってるんで」

紗夜「……そうですか」

紗夜(理性と願望……?)

美咲「…………」

紗夜「…………」

美咲「あの、紗夜先輩」

紗夜「はい?」

美咲「あたしも先輩のこと、紗夜さんって呼んでもいいですか」

紗夜「別に構いませんが……」

美咲「じゃあ今度からそう呼びますね、紗夜さん」

紗夜「ええ」

紗夜(……一昨日からどうにも様子が変ね、奥沢さん)

スマホ<ピピッ

紗夜「おや……白金さんからのメッセージ? 珍しいわね」

紗夜(……とは私もあまり言えたことではないかしら)

紗夜「内容は……流しそうめん?」


……………………


――公園――

はぐみ「それじゃあ今日は軽めに、ってことで、これくらいでおしまい!」

リサ「うん、了解だよ。今日もありがとうございました、はぐみ先生」

はぐみ「どういたしまして!」

リサ「はー、もう明後日かぁ……ちゃんと完走できるかなぁ」

はぐみ「きっと大丈夫だよ、やることはぜーんぶやったんだもん!」

リサ「ん、そうだね……せっかくはぐみがこんなに手伝ってくれたんだもん、しっかり頑張らなくっちゃね!」

はぐみ「そうそう! 元気があれば何でも出来るって言うしね!」

リサ「うん、元気出して頑張るよ!」

スマホ<ピロピロ

リサ「あれ、メッセージ……燐子から?」

リサ「なになに……明日、流しそうめんやりませんか……」

はぐみ「どうしたの?」

リサ「あ、うん。燐子がね、明日流しそうめんやらないかって」

はぐみ「へー! すっごく楽しそうだね!」

リサ「うーん、楽しそうは楽しそうだけど……大会前にそうめんかぁ。それで力出るかなぁ?」

はぐみ「出ると思うよ!」

リサ「え、そう?」

はぐみ「うん! マラソン前にはおうどんを食べるって人も多いし、そういう麺類って結構エネルギーになるんだ!」

リサ「へー、そうなんだ」

はぐみ「あ、でも食べ過ぎはもちろん駄目だよ! お腹痛くなっちゃったら走るどころじゃなくなっちゃうからね」

リサ「うん、分かったよ。それじゃあ燐子のお誘いにオーケーしようかな」


リサ「明日は走らないで、ストレッチとかして身体を休ませるんだよね?」

はぐみ「そうだよ。本当はもっと前から休ませた方がいいんだけど……」

リサ「急だったからね。走り方とかそういうの、教わらないといけなかったからしょうがないよ」

はぐみ「うん……でも、はぐみがもっと教えるの上手なら……」

リサ「なーに言ってんの。はぐみは教えるのすっごく上手だったよ」

はぐみ「でもでも、基本のことを教え終わるの、こんなギリギリになっちゃったよ……?」

リサ「それはアタシの体力っていうか、知識がなかったせいだって」

リサ「むしろすっごく丁寧に教えてもらえたから、大会当日もしっかり練習で覚えたことを生かせそうだよ」

リサ「だからありがとう、はぐみ。はぐみが一緒に練習してくれたから、アタシもちゃんと頑張ろうって思えるんだ」

リサ「明日は一緒に練習出来ないけどさ、明後日、頑張ろうね!」

はぐみ「リサさん……うん!」

はぐみ「よーし、はぐみは上位を目指して、リサさんは完走を目指して、頑張ろー!」

リサ「おー!」


……………………


――猫カフェ――

友希那「にゃーんちゃん、にゃーんちゃん」

猫<ウニャァ

友希那「ふふ……あなたたちのおかげで大きなミスもなく、バイトをこなすことが出来たわ」

友希那「今日はそのお礼よ……ほら、ここのカフェのおやつ……1人で買える限界まで買ったのよ」

猫たち<ニャーニャー!

友希那「こーら、そんなに慌てないの。たくさんあるからゆっくり……」

スマホ<ニャーン

友希那「あら? 燐子からのメッセージね」

猫<ニャー?

友希那「…………」

スマホ<ニャーン

友希那「……そう、流しそうめんね。みんな参加するのね」

猫<ナーォ

友希那「…………」

友希那「よし、私はあとで返しましょう」

友希那「猫だって恩返しをする時代だもの、人間の私がそれをおざなりになんて出来るハズがないわ」

友希那「きっとみんなも取り込み中だって理解してくれるでしょう」

猫<ウニャー?

友希那「はいはい、おやつね。今あげるから……こらこら、私の身体を昇ってこないの。もう、仕方のない子たちね……ふふ」


――――――――――――


【土曜日】


――竹細工教室 裏庭――

燐子「えっと……こちらで流しそうめんをやります……」

リサ「へー、商店街にこんな教室があったんだね~」

燐子「わたしも……調べるまで知りませんでした……」

紗夜「意外と広いわね」

あこ「ですね! バレーとか出来そう!」

友希那「……猫の竹細工もあるのね」

リサ「ん? どうかした、友希那?」

友希那「いえ、別に」

お師匠「……あの、白金さん」ヌッ

友希那「!?」

紗夜「!?」

リサ「わっ!?」

あこ「おー!」

お師匠「っ!?」ビクッ


燐子「あ、お師匠さん……どうかしましたか……?」

お師匠「あ……いえ、竹を設置するのを……手伝って貰おうと……」

燐子「分かりました……」

お師匠「では……お手数ですがこちらへ……」

燐子「はい……。すいません、ちょっと行ってきますね……」

友希那「え、ええ……」

あこ「すごいですね、お師匠さん! ムッキムキだ!」

お師匠「……どうも」ペコリ

友希那「…………」

紗夜「……行ってしまいましたね」

リサ「なんていうか……燐子、大丈夫なのかな……こう、色々と」

友希那「竹細工を楽しんでいるようだったし……恐らくは……」

紗夜「どうしてあの人まで驚いていたんでしょうか……」

あこ「すごい筋肉でしたね! NFOの戦士みたいでカッコいいなぁ~!」

リサ「あ、あはは、あこはいつも通りだね……」


――ガラッ

イヴ「こちらが裏庭です! 今日はここで流しそうめんを敢行します!」

紗夜「あら……若宮さん?」

イヴ「あ、ロゼリアのみなさん! どうも、こんにちは!」

友希那「ええ、こんにちは。そういえば、燐子が若宮さんと一緒にやってるって言っていたわね」

日菜「ロゼリアのみなさんってことは……あ、やっぱりおねーちゃんもいる! やっほーおねーちゃん!」

紗夜「日菜まで……」

彩「お、お邪魔しまーす」

リサ「パスパレのみんなも誘われたんだ?」

彩「うん、イヴちゃんに」

日菜「千聖ちゃんと麻弥ちゃんは仕事で来れないんだけどね~。それにしても水臭いなぁおねーちゃんってば。一緒に来たかったなぁ~」

紗夜「あなたが誘われているのを知らなかったからしょうがないでしょう」

イヴ「おや? リンコさんの姿が見えませんが……」

あこ「りんりんはね、お師匠さんと一緒に準備してるみたいだよ」

イヴ「そうなんですね! それでは私もお手伝いをしなくては!」

彩「お師匠さん?」

イヴ「竹細工のお師匠様です! お師匠はすごいです、口ではなく技で語る、まさに日ノ本の職人さんです!」

日菜「へー、どんな人なんだろ?」


お師匠「……おや、若宮さん」ヌッ

彩「きゃっ!?」

日菜「わーっ、マッチョさんだ!」

お師匠「っ!?」ビクッ

イヴ「あ、お師匠! 担いでいるのは昨日の竹ですね? 私も運ぶのをお手伝いします!」

お師匠「あ……は、はい、お願いします……」

彩「…………」

日菜「すごい筋肉だね、お師匠さん!」

お師匠「……ありがとうございます……。では、若宮さんもこちらへ……」

イヴ「はい!」

日菜「あれ、どしたの彩ちゃん、変な顔で固まって?」

彩「え、えっと、何ていうか……すごく大きな人でびっくりしたっていうか……日菜ちゃんはびっくりしなかった?」

日菜「全然?」

彩「……私の反応の方がおかしいのかな」

リサ「うーん……彩の反応の方が正しいと思うなぁ」

紗夜「悪い人ではないのだろうというの分かりますが……」

友希那「……失礼だというのは承知しているけれど、初対面で驚かない人の方が少ないんじゃないかしら」

彩「だよね……よかった……」


―しばらくして―

イヴ「わー、これが流しそうめんなんですね! 水の流れが涼しげで、風流です!」

日菜「あっはは~! 彩ちゃん、後ろにいたらぜーんぶあたしが食べちゃうよ~!」

彩「え、え~!?」

紗夜「はぁ……日菜、そんなに前の方で独り占めしないの」

日菜「はーい」

あこ「ふっふっふ……我が闇のスティックで、白き……えーっと」

燐子「聖なる糸……がいいんじゃないかな……」

あこ「おー、いいね! 我が闇のスティックで、白き聖なる糸を絡めとってくれようぞ!」

友希那「……やっぱりパスパレの3人がいるとにぎやかね」

リサ「だねぇ」

友希那「せっかく集まったんだしみんなの進捗状況でも確認しようと思っていたけれど、そんな空気でもないわね」

リサ「まー今はいいじゃん。友希那も一緒に楽しもうよ」

友希那「そうね」

日菜「秘技、そうめん掬い!」シュバ

イヴ「流石ヒナさん、ワザマエです! 私も負けません!」シュババ

あこ「むむ、わらわの闇の力も負けてられぬ!」シュバババ

彩「ど、どうして3人とも私の前で取り合うの~!?」

紗夜「勝負じゃないでしょうに……」

友希那「……やっぱりもう少し落ち着いてから混ざるわ」

リサ「あはは……」


燐子「…………」

お師匠「白金さんは……混ざらないのですか……?」

燐子「わたしは……もう少しここでみんなを見てようかなって……思います……」

お師匠「そうですか……では、一緒にそうめんを流しますか……?」

燐子「はい、そうします……」

お師匠「こちらの菜箸を使ってください……」

燐子「はい……」

お師匠「…………」

燐子「……なんだか……不思議、です……」

お師匠「何が……ですか……?」

燐子「あの竹は……わたしと若宮さんが、枝打ちに失敗してしまったものです……」

燐子「だけど……こうやってみんなを楽しませることが出来ていて……それが不思議で、それと……嬉しいです」

燐子「お師匠さんが言った通り……失敗はしましたけど……得るものがあったので……挑戦してよかったなって……思います」

お師匠「それなら何より……です……」

日菜「ふっふーん! そんな箸捌きじゃ、あたしからそうめんは奪えないよ!」

あこ「くっ、このままでは……こうなったら……りんりーん、助けてー!」

燐子「うん……分かったよ、あこちゃん……。それじゃあ……ちょっと行ってきますね……」

お師匠「はい……ご武運を」

彩「燐子ちゃんまで来るの!? 私、始まってからまだ一口も食べられてないのに!?」

イヴ「アヤさん、こういう時こそブシドーです!」

彩「みんなが全部取っちゃうからブシドーでも無理だよぉ!」


紗夜「まったく日菜ったら……返事だけで言うことを聞かないんだから」

リサ「紗夜と一緒に遊べるからテンション上がってるんじゃない?」

紗夜「だからと言って、ああしてほとんどそうめんを独占するのは……」

友希那「いいじゃない。あんなに食べていたら、きっとすぐにお腹いっぱいになるわ」

紗夜「……まぁ、そうです――」グゥゥ...

友希那「…………」

リサ「…………」

紗夜「…………」

友希那「……私たちを気にすることはないわよ?」

リサ「ほら、せっかくだしヒナと一緒に食べてきなって」

紗夜「……そうですね妹の暴挙を止めるのも姉の使命ですから少し行ってきます」

友希那「ええ、行ってらっしゃい」

リサ「気をつけてね~」


<ヒナ、イイカゲンヒトリジメスルノハヤメナサイ

<ソレジャアオネーチャンノブンモトッテアゲルネ!

<サ、サヨチャンマデキチャッタラ、マスマスワタシノブンガ...!


友希那「……紗夜、顔を赤くしていたわね」

リサ「ね。珍しいもの見れたね」


……………………


―食後―

燐子「すいません……後片付け、手伝って貰って……」

紗夜「いいえ。私たちはごちそうになった立場なのですから、片付けくらい手伝うのは当然です」

あこ「そーだよ、りんりん!」

リサ「そーそー。むしろこれくらいしか出来なくてゴメンねって感じだし」

燐子「ありがとうございます……」

友希那「それにしてもリサったら、今日は結構食べていたわね」

リサ「あー、まぁね。明日はエネルギー使うからさ、少し多めに食べとこって思って」

友希那「リサは明日が本番だものね。どう? しっかり完走できそうかしら」

リサ「やることはやったよ。はぐみにも色々教えてもらったし、走りきってみせるよ」

紗夜「ええ、その意気です。今井さんなら大丈夫ですよ。私だってナンパなんて無茶なものに挑戦したのだから」

友希那「そういえば、紗夜はどんな風にナンパしたの?」

紗夜「……まぁ、日菜経由で瀬田さんに連絡を取って、色々教えてもらいました」

リサ「確かに薫以上の適任はいなさそうだねぇ」

紗夜「あとは人命救助と、それから奥沢さんと2日間一緒に過ごしましたね」

燐子「人命救助……?」

紗夜「人命救助です。それ以外の何物でもありませんでした」


日菜「へー。美咲ちゃんと何してたの?」ニュッ

紗夜「っ!?」ビクッ

あこ「わっ、ひなちん!」

紗夜「……気配を消して後ろから近付いてこないの。びっくりするじゃない」

日菜「あははー、ごめんごめん。それで?」

紗夜「それでって?」

日菜「美咲ちゃんと何してたのか気になるなぁ~って」

紗夜「別に特別なことは何もしてないわよ。ただ一緒にお茶をしただけで」

彩「え? でも紗夜ちゃん、美咲ちゃんに『おねーちゃん』って呼ばれてたよね?」

日菜「は?」

紗夜「丸山さん、いつからそこに……」

彩「あ、ごめんね? 日菜ちゃんに用があって。ねぇ、日菜ちゃ――」

日菜「ちょっとおねーちゃん! どーいうことなのそれ!」

彩「え、あの、日菜ちゃん……?」

紗夜「どういうこともなにも、挑戦だったのよ」

日菜「意味わかんない! やだー! おねーちゃんはあたしだけのおねーちゃんなの!!」

紗夜「別に奥沢さんを本当に妹にするとかそういう話じゃないわよ」

日菜「そういう問題じゃないの! あたしとも一緒にお茶しよーよぉおねーちゃーん! ねぇねぇ~!」

紗夜「もう、そんなに駄々をこねないの」

日菜「やだ! やだやだやだ~!!」

紗夜「はぁ……まったくこの子は……」

彩「……なんていうか、ごめんね?」

紗夜「いえ……やったのは私の方ですから……」

日菜「おねーちゃんから姉萌えプレイしてたの!? あたしのことは全然構ってくれないのに!? あたしじゃおねーちゃんのこと満足させられないの!?」

紗夜「言葉はキチンと選びなさいとこの前も言ったでしょう」


友希那「……姉妹喧嘩っていうのかしらね、これは」

リサ「ヒナが紗夜に構ってもらいたいだけじゃないかなぁ……」

あこ「りんりーん、どうしてさっきからあこの耳塞いでるの?」

燐子「うん……色々あるんだ……ごめんね、あこちゃん」

あこ「わー、何喋ってるのか全然分かんないやー」

友希那「紗夜は置いておくとして……あこはどうかしら」

あこ「はい? なんですか、友希那さん?」

友希那「……丸山さん。申し訳ないんだけど、紗夜と日菜をあっちに連れて行ってもらえるかしら」

彩「あ、うん。元からそのつもりだったから平気だよ。……日菜ちゃん、イヴちゃんが呼んでるよ。紗夜ちゃんと一緒でいいからちょっといい?」

日菜「分かった、あっちでゆっくり話そうおねーちゃんっ!」

紗夜「ちょ、どうして私まで……」

友希那「もういいわよ、燐子」

燐子「はい……」スッ

あこ「おお……風の音が聞こえる……黒い風が、また泣き始めた……」

燐子「……~♪」ハナウタ

あこ「よかろう、かかって来い……。死のかくごが出来たのならな!」

燐子「テーテーテテーテレレレー♪」ハミング

友希那「……なんの話なの?」

燐子「あ……ごめんなさい……つい……」

あこ「魔王さまとカエルがカッコいい~って話です!」

燐子「戦闘に入るまでの……一連のセリフとBGMがいいんです……」

友希那「…………」

友希那「……そう」

リサ(あ、理解を諦めた時の顔だ)


あこ「それでどうしたんですか、友希那さん?」

友希那「あこの挑戦の方はどうかしら?」

あこ「はい! ばっちりクッキー作ってます!」

あこ「それでおねーちゃんに味見してもらって、あ、そうだ! いっぱい作り過ぎちゃったから持ってきてるんですよ! えーっと……」ゴソゴソ

あこ「あったあった! じゃーん、コレです!」

リサ「おー、綺麗に作れてるじゃん!」

燐子「お店に売ってるクッキーみたいだね……」

あこ「でしょでしょ! えへへ~、あこの闇の魔力をスティックに込めて、いっぱい叩いたからね~!」

リサ「スティック?」

あこ「そう! めん棒がお家になくて、新しいドラムスティックで作ったんだ!」

リサ「へ~」

友希那「…………」

あこ「あ、やっぱりスティックでお菓子作りはダメでした……?」

友希那「いえ、いいと思うわよ」

あこ「よ、よかったぁ……友希那さんと紗夜さんには怒られるんじゃないかなってちょっとだけ思ってた……」

友希那(昔の私なら確実に怒ってたわね)

リサ(昔の友希那なら絶対怒ってたろうなぁ)

友希那「何が音楽にいい影響を与えるかはやってみないと分からないもの。あこがそれで何か得るものがあったのなら、それでいいのよ」

あこ「はい! リサ姉と紗夜さんがお菓子作って来てくれる気持ちが分かって、それに生地を叩いてたらなんだかリズム感が良くなった気がしてます!」

友希那「そう。なら、その経験は無駄ではないわ。よく頑張ったわね、あこ」

あこ「えへへ、ありがとうございます!」

燐子「よかったね、あこちゃん……」

あこ「うん!」


友希那「それじゃあ次は燐子ね」

燐子「は、はい……!」

友希那「……でも、燐子はもうこの場でやってることを見せてもらったし、それでいいかしらね」

燐子「そう……ですか?」

友希那「ええ。人見知りのあなたがこういう教室に参加して……それに山へ竹を採りに行ったんでしょう?」

友希那「加えて私たちをこういう場所に誘ってくれたし、積極的に挑戦しようっていう気持ちが十分に見てとれるわ」

友希那「よく頑張ったわね、燐子」

燐子「はい……ありがとうございます……」

燐子「最初はちょっと……怖かったですけど……一歩を踏み出してみたら……素晴らしい体験が出来て……」

燐子「やっぱり……挑戦って大事なんだなって、すごく思いました……」

友希那「ふふ、流石ね」


リサ「そういう友希那はどうだったの?」

友希那「私も貴重な体験が出来たわ。最初こそ接客業なんて勝手が全然分からなかったけど、色々と調べて経験して、自分の世界を広げることが出来たわ」

友希那「今までは食わず嫌いというか、知りもしないで避けていたこと(猫カフェ)もちゃんと調べてみれば素敵なものだったし、働くということの責任を(猫たちに)教えてもらったわ」

友希那「アルバイトは社会経験とはよく言うけれど、その言葉の意味を(猫カフェで)身を持って知ることが出来た」

友希那「これは間違いなく人生においてプラスだったし、この(猫カフェでの)経験を作曲や歌の表現にも生かせるハズよ」キリッ

リサ「おー」

燐子「流石ですね……友希那さん……」

あこ「あこもバイトしてみたいなぁ」

燐子「あこちゃんは……もうちょっと待たないとね……」

リサ「高校生になったらアタシと一緒にコンビニでやる?」

あこ「リサ姉と一緒も捨てがたいけど……やっぱりおねーちゃんと一緒がいいな」

リサ「あはは、振られちゃった」

あこ「ごめんね、リサ姉」

リサ「いやいや。流石に巴には敵わないよ」

燐子「わたしも羽沢さんのお家で……うう、でもやっぱり接客業はまだ……」

友希那「燐子もあこもしっかりやっているし、紗夜もやることはやっているでしょう」

友希那「リサは明日が本番だから、頑張ってね。この前話した通り、応援に行くわ」

あこ「あこもリサ姉応援しに行くよ!」

燐子「わたしも……行きます……」


<ソレジャアライシュウハアタシトデートダヨデート! ジャナキャユルサナインダカラネ!

<ハァ...ワカッタワヨ、ツキアウワ


友希那「……きっと紗夜も来てくれるわ」

リサ「みんな、ありがと。みっともないとこ見せないように、しっかり頑張るね」


――――――――――――


【日曜日】


――商店街――

リサ「ふぅー……今日もいい天気だなぁ」

はぐみ「おーい、リサさーん!」

リサ「おっ、おはよーはぐみ」

はぐみ「おはよー! 今日は晴れてよかったね!」

リサ「んー、でもあんまり晴れてると暑くて大変そうだなぁ……まぁー雨が降るよりはいいけどさ」

はぐみ「あ、そうそう! これがリサさんの分のマラソンポーチだよ!」

リサ「お、ありがとう。オレンジ色でけっこう可愛いデザインだね」

はぐみ「えへへ、昔使ってたお気に入りなんだ」

リサ「そんなに大切なやつ、借りちゃっていいの?」

はぐみ「うん! 押し入れにずっと入ってるより、リサさんと一緒に走れる方がポーチも嬉しいと思うから!」

リサ「……そっか。それじゃあありがたく使わせてもらうね」

はぐみ「どうぞ!」

リサ「えーっと、普通にウェストポーチみたいにつければいいのかな?」

はぐみ「うん。マジックテープでしっかり止めてね!」

リサ「ん、りょーかい」

はぐみ「持ってきたジェルは一番大きなとこに入れて……それと、秘密兵器を小さなポケットに入れといたよ」

リサ「え、秘密兵器?」

はぐみ「うん! 秘密だからね。今は見ないで、もうダメだって時かゴールしてから使ってね!」

リサ「よく分かんないけど分かったよ。何から何までありがとね、はぐみ」

はぐみ「ううん!」

リサ「さってと、スタートまではまだ時間があるね」

はぐみ「うん。そしたらまず……」

リサ「準備体操だね」

はぐみ「うん!」


……………………


――スタート地点――

リサ「うひゃー、意外と参加者多いんだね」

はぐみ「夏はあんまりマラソン大会がないからね。色んなところから参加者が来るんだ」

リサ「へー……ん? あれは……」

はぐみ「あ、ロゼリアのみんなだね!」

友希那「リサ、応援に来たわよ」

紗夜「今井さんなら完走くらい余裕でしょう。怪我だけは気を付けてくださいね」

あこ「頑張れ、リサ姉!」

燐子「頑張ってください……」

リサ「うん、ありがと! 精一杯やってくるよ!」

はぐみ「いいなぁ、リサさん……」

リサ「はぐみだって、ほらあそこ」

はぐみ「え?」

花音「は、はぐみちゃーん!」

美咲「こんな暑い中マラソンって大丈夫なのかな……」

薫「ふふ……はぐみならきっと大丈夫さ」

はぐみ「わっ、みんな応援に来てくれたの!?」

花音「うん。流石に一緒には走れないけど、応援くらいならって思って……」

美咲「釈迦に説法かもだけど、今日も暑いし気をつけてね」

薫「来れなかったこころとミッシェルの分まで私たちが応援するよ」

はぐみ「うん、ありがと! よーしっ、一番目指して頑張るぞー!」

リサ「アタシも完走目指して頑張るぞー!」

『間もなくスタートです。出場者の方は集まって下さい』

はぐみ「もう始まるね。それじゃあ、はぐみは前の方に行ってくる!」

リサ「アタシは後ろの方で、ペースを崩さないように行くよ」

はぐみ「一緒に頑張ろうね!」

リサ「うん!」


……………………


リサ(はぐみは列の前の方に行っちゃったし、ここからはアタシひとりで頑張んないとね)

リサ(えーっと、スタートしたらまずは焦らずに走ること、それと給水所の場所はスタート地点のこことちょうど街を半周したあたり……)

リサ(あーヤバい、ちょっと緊張してきた)

『スタートの時刻になりました』

はぐみ父「準備はいいですかー! それでは位置について、よーい……」

――パァン!

リサ(スターターピストルの音と一緒に周りの人たちが「わっ」と一斉に走り出す)

リサ(みんな、思ったよりも早いペースで走り出してるな……)

リサ「けど、慌てない慌てない……」タッタッタ...

リサ(確かに周りのペースに釣られそうになるけど、はぐみとの練習で教わった「最初はゆっくり、あとからバビューン!」だね)

リサ(昨日は練習しないで休んでたから身体も軽いし、ベースを弾く時みたいに、ペースを崩さず行かなくちゃ)

リサ「はぐみは……わっ、すごい。もうあんな遠くに」

リサ(先頭集団の方へ視線を巡らせると、はぐみの姿はその中でも前の方にあって、明るい色のショートヘアーが軽やかに揺れていた)

リサ(やっぱ走るのが好きなだけあって速いなぁ)

リサ「すー……ふー……」

リサ(どことなく置いてけぼりにされてる気がしちゃうけど、はぐみははぐみでアタシはアタシ)

リサ(ゆっくり呼吸をして気持ちを落ち着かせて、完走目指して行こう!)



燐子「今井さん……結構後ろの方ですね……」

あこ「大丈夫かな……」

紗夜「目標は上位入賞ではなく完走ですからね。ペース配分を考えているんでしょう」

友希那「ええ、きっとそうよ」


美咲「うわー、はぐみすごい速い……」

花音「体力、持つのかな……大丈夫かな……」

薫「案ずることはないさ、花音。はぐみはマラソンのスペシャリストだからね」


……………………


――タッタッタ...

リサ(真夏の太陽光がアスファルトを照りつけて、道路に陽炎が揺らめいている)

リサ(その揺らぎを踏みしめては蹴りだして、アタシはただ前へ進む)

リサ(スタートしてからどのくらい経ったろうか。どのくらい走っただろうか)

リサ(時間は分からないけれど、見慣れた街の景色からなら大体どのくらい走ったか分かりそうだ)

リサ(いつものんびり歩く商店街を抜けて、花咲川女子学園に続く道)

リサ(確かここまで歩くと20分くらいだったはずだから、距離にすると……あー、どのくらいだろ。やっぱ分かんないや)

リサ(そんなことを考えながら、ペースを乱さないように足を動かす)

リサ(最初は大きく固まって走っていた参加者たちも、段々とバラけていった)

リサ(アタシの近くには4人。それぞれが規則正しく腕を振って走っている)

リサ(アタシもそれに倣って、はぐみに教えてもらったことを頭で反芻しながら走る)

リサ(目線は5メートルくらい先にして猫背にならないように、まだ序盤だから抑えめに走る、それから休憩所では慌てずゆっくりする……)

リサ(駆けるリズムに合わせて頭の中で何度も繰り返す)

リサ(そうしているうちに、近くを走っていた4人のうちの2人を段々と後方に離していった)

リサ(あの人たちがペースを落としたのか、それとも、今もまだ近くを走る2人のペースが上がったのか)

リサ(分からないけど、とにかくアタシはアタシの思うリズムで走れば平気のはず)

リサ(ああ、それにしても暑い。真夏の太陽は本当に容赦がない)

リサ(額から噴き出る汗が眉にかかって、アタシはそれをピッと指で払った)


― 一方その頃 ―

はぐみ「うりゃー!」タタタタ...

お師匠「……!」ダッダッダッダ!

はぐみ(竹屋さん、今日も速いなー! あんなにおっきな身体なのに!)

お師匠(北沢さんの娘さん……やはり今回も速い……)

はぐみ(この前は負けちゃったけど、今日は絶対に勝つ!)

お師匠(大人げないとは思うけれど……今回も負けません……!)

はぐみ「負けないぞー!」

お師匠「私もです……!」


リサ(暑い。暑い。喉が渇いた)

リサ(足元からせり上がってくる照り返しの熱気が身体中にまとわりつく)

リサ(ペースは崩していない、はず)

リサ(近くを走っている2人とは全然はぐれないし、大丈夫なはず)

リサ(でもあっついものは暑い!!)

リサ「はぁ、はぁ……!」

リサ(ちょっと前までは頭の中でベースを奏でてリズムを取る余裕があったけど、今はそんなものはない)

リサ(肩で呼吸をする、とまではいかないけど、徐々に徐々に息遣いが早く荒くなってきてる)

リサ「はぁ……っと!」

リサ(顔がかなり下を向いていたのに気付いて、ハッとして身体を起こす)

リサ(少しだけ腰のあたりが楽になったような気がした。気がしただけかもだけど)

リサ(スタートからどれくらい経ったんだろう)

リサ(ペースを乱さないことばっかり考えてて、時間に関しては皆目見当もつかない)

リサ(せめて給水所が見えてくれば分かるのに……)

リサ「はぁ、はぁ……?」

リサ(そんなことを思ったところで、左前方に商店街の名前が書かれた組み立て式の白テントと、人がたくさん集まっているのが見えた)

リサ(給水所だ、と一拍おいてから理解すると、深い息が一度漏れた)

リサ(給水所は5キロに1回。ということは、これで4分の1を走り終えたということだ)


リサ「はぁ……はぁー……」

リサ(ペースをゆっくり落としていく)

リサ(はぐみの言葉が頭の中に蘇る。給水所では慌てずに、ゆっくり休憩するくらいの気持ちでいた方がいい……って)

リサ「慌てる……余裕も……ない……ってば……」

リサ(早歩きとほとんど変わらない速度までペースを落としたところで給水所の前に辿り着く)

リサ(ここまで一緒に走ってきた2人はアタシよりかは速い足並みで紙コップを受け取って、それをすぐに口にしていた)

リサ(アタシもそれに倣って、白テントの真下に設けられた長方形のテーブルから紙コップを手にする)

リサ「っ、っ……ふはぁ……」

リサ(アンダンテのリズムで足を進めながら、紙コップに入った水をゆっくりと飲み干した)

リサ(キンキンに冷えてる、とは言えない温度の水だったけれど、身体が内側からゆっくり冷やされた)

リサ(太陽の光に茹だった思考も少しだけ冷静になった)

リサ「すー、はー……」

リサ(深呼吸しつつ、腿を少し大きく上げて歩く。はぐみとの練習を頭に呼び起こす)

リサ「……釣られてたなぁー」

リサ(1週間という短い期間の練習だったけれど、それでもなんとなく身体が「ゆっくり走る」ペースを覚えていた)

リサ(そのペースは、スタート地点からここまで走ったものと比べるとずっとゆっくりで、アタシが合わせるべきはあの時離れた2人だったんだと今さら気付く)

リサ(完走が目標だ、とは言っているけれど、それでもやっぱり順位が上がると嬉しいものだ。一緒に走ってた人を引き離して、知らない間にテンションが上がって、もっとイケるって足を動かしていたらしい)

リサ「……よっし、頑張ろっ」

リサ(空になった紙コップを備えられた大きなゴミ袋に捨てて、アタシはもう一度ペース配分を頭に入れて、再び地面を蹴った)


― 一方その頃 ―

紗夜「奥沢さんたちも北沢さんの応援に来ていたんですね」

美咲「ええ、はい」

あこ「それにしても暑い……」

燐子「こんな中マラソンなんて……わたしがコレを引いていたら……死んでたかも……」

友希那「あら、先頭集団が戻ってきたみたいね」

花音「あ、本当だ。はぐみちゃん、いるかな?」

薫「きっといるさ。はぐみはスピードスターだからね」

美咲「あ、はぐみ見つけ――」

はぐみ「おおー!」タタタタタタ

お師匠「……っ!」ドドドドド

美咲「――た……って、もう通り過ぎた!?」

燐子「あれ……北沢さんと競り合ってたの……お師匠さんじゃ……」

友希那「…………」

紗夜「湊さん? どうかしましたか?」

友希那「……いえ」


リサ(ペース配分)

リサ(ペース配分)

リサ(リズム。アダージョ、アレグロ・モデラート、ア・テンポ)

リサ(このテンポで走って、ダ・カーポ、繰り返す、初めから繰り返す)

リサ(季節は巡る、春はあけぼの、ソメイヨシノ、さくら、懐かしい夢)

リサ(……何考えてんだろ)

リサ(頭の中に浮かぶ言葉は単調なものばかりで、あちらこちらへフラフラと、まるでサーカスの曲芸師が渡る綱のように寄る辺なく揺れ惑う)

リサ(走るペースは再確認したけれど、それでも足を動かし続けることで身体にかかる負担はどんどん積み重なる)

リサ(綱渡りといえば友希那が落っこちた時の悲鳴ちょっと可愛かったなー……なんて)

リサ(身体にかかった負担はだんだんと正常な思考能力も削いでいって、考える内容をあらぬ方向へ捻じ曲げる)

リサ(それでも足は止めない。そういう風にプログラムされた機械のようにただ前へ進み続ける)

リサ(どれくらい走っただろう、どれくらい時間が経っただろう)

リサ(それを考えることさえ今は出来そうにない)


リサ「はっ、はっ、はっ……」

リサ(浅い呼吸を忙しなく繰り返す)

リサ(そうしていると、スタート地点の給水所が見えてきた)

あこ「リサ姉~!」

リサ(その近くにいたあこがアタシにぶんぶんと両手を振った)

燐子「い、今井さん、頑張って下さい……!」

紗夜「ここで折り返しよ。もう半分、頑張って」

リサ(隣に並ぶ紗夜と燐子も声援をくれた)

リサ(それらに笑顔を浮かべようとしたけど、あんまり上手くいかなかったような気がしたから、アタシはヒラヒラと右手を振り返した)

リサ(2回目の給水所。折り返し。1度目のダ・カーポ)

リサ(もう1度ここからだ)

リサ(ペースを落として、アタシはテーブルに置かれた紙コップを手にした)


燐子「今井さん……すごく苦しそうでしたね……」

あこ「リサ姉……大丈夫かな……」

紗夜「……大丈夫よ。今井さんは強いもの」

紗夜(自分の挑戦内容にかまけて少しキツく当たり過ぎたわね……反省しないと……)

燐子「…………」キョロキョロ

あこ「どうしたの、りんりん?」

燐子「友希那さん……まだ戻ってこないなって……」

紗夜「そういえば……飲み物を買いに行くって言ったっきりね」


― 一方その頃 ―

はぐみ「はぁ、はぁ……」タタタタ

お師匠「ふっ……ふっ……」ダダダダ

はぐみ「はぁ、息が、上がってるよ? ちゃんとそこで給水、した方がいいと思うよ?」

お師匠「ふぅ、そちらこそ……少し休んで……いかれては……?」

はぐみ「はぐみは、まだ、ヘーキだよっ!」

お師匠「私も……まだ、まだっ……!」


リサ(給水して、ただ足を動かす)

リサ(アスファルトを踏みつけて前へ前へ)

リサ(今日2回目の景色が通り過ぎる)

リサ「はぁ、はぁ、はぁ……!」

リサ(息が苦しい。苦しくて苦しくてしょうがない)

リサ(頭も回らない。脳裏に浮かぶのは変な自問自答だけ)

リサ(アタシは何のために走ってるのか、どうして走ってるのか)

リサ(なんでこんなキツイ思いしてんのかって、ただそれだけ)

リサ(足を止めたい。疲れた)

リサ(ゴールはどこなのか、って、さっき通り過ぎたばっかだ)

リサ(遠い。遠すぎる。もう一度、もう一度って、この距離を走らなくちゃいけないのか)

リサ(途方もない。頭の中に浮かぶゴールは蜃気楼だ)

リサ(アスファルトに伸びるアタシの影さえ蒸発しそうな炎天下に揺らめく、触れることの出来ない蜃気楼だ)


リサ「ああ、もう、何考えて、んのさ……」

リサ(頭を振った。頬にしたる汗が飛び散った)

リサ(もう一度背筋を伸ばす。腰のあたりで衣擦れがあって、はぐみに借りたポーチの存在を今さら思い出した)

リサ(そうだ、エネルギーを補給しないと)

リサ(走るペースを緩めて、ポーチをお腹の方へ回す。そして入れておいたジェルを取り出して、口をつける)

リサ(息が詰まって上手に飲めないけど、少しずつ、少しずつ飲み下していく)

リサ(そもそもこれってこういう風に飲むんだろうか、給水の時に飲めばよかったんじゃないだろうか……と今になって思うけれど、もう遅い)

リサ(四苦八苦しながら飲み切って、空になった容器をポーチにしまう)

リサ(少しだけ元気が出たような気がした)


リサ(けれど少し走っているうちに、その元気も全部、汗と一緒に流れ出てしまったような気がした)

リサ(もうゴールしたい。ここをゴールにしてしまいたい)

リサ(そう思ってやまない)

リサ(ほとんど惰性のように足を動かし続けていると、前方に給水所が見えた)

リサ(距離にすれば300メートルとかそんなものだろうか)

リサ(だけどその距離すら遥か彼方に思えてしまう)

リサ(それならばスタート地点は、ゴールとなる場所へはあとどれだけ足を動かせばいいんだ)

リサ(思い浮かべた距離は途方もなくて、アタシから気力を奪っていく)

リサ(アタシはひとりで何をやってるんだ)

リサ(もうダメだ、もうダメだ……と、ネガティブなことばかりを胸中で繰り返した)

リサ(そうしているうちに給水所へ辿り着いた)

リサ(ペースが落ちていく。重たい足がますます重たくなっていく)

リサ(もう諦めてしまえばいい)

リサ(とうとう思い浮かんだのはそんなギブアップの言葉で、どんどん気持ちが萎んでいく。頭が重くて俯いてしまう)


友希那「リサ」

リサ「えっ……?」

リサ(けど、その声を聞いて、ふっと顔が持ちあがった)

友希那「あともう少しよ。頑張って」

リサ(視線の先、白テントの下。スタート地点にいるはずの友希那が、紙コップを持って立っていた)

リサ「え、え……なんで、友希那がここに……」

友希那「この辺りが一番大変だと思ったからよ」

リサ(言いつつ、もうほとんど歩く速さと変わらないアタシに友希那は歩調を合わせる)

友希那「あっちにはみんながいるわ。だから私はこっちへ来たの。運営の人に『友達に飲み物を渡したい』って言ったら快く了承してもらえたわ」

リサ(「はい、これ」……と友希那が差し出す紙コップを受け取る)

友希那「さっき買ってきたばかりのスポーツドリンクが入っているわ。さぁ、飲んで」

リサ「……うん」

リサ(乱れた息を整えながら頷いて、コップに口をつける。口の中に冷たさとほのかな甘さが広がって、それを一息に飲み込んだ)

リサ「っはぁ……」

友希那「大丈夫? ……いえ、リサなら大丈夫よね」

リサ「……うん。友希那のおかげで元気出た」

友希那「それならよかった。さぁ、あともうちょっとよ。最後まで頑張って」

リサ「うんっ!」

リサ(不思議だった。さっきまではあんなに萎れていた気力が、友希那の応援だけで一気に大きくなった)

リサ(アタシは友希那に頷きかえして、大きく息を吸ってから吐き出す)

リサ(そしてアスファルトを強く蹴りだした)


友希那「……こっちに来ておいてよかった。あんなに苦しそうなリサ、初めて見たわ」

友希那(でも、しっかり元気になってくれてよかった)

友希那(人に頼らず自分の力で挑戦すること……なんて先週言ったけれど、これくらいなら紗夜も大目に見てくれるでしょう)

友希那(あとはゴール地点でリサを待って……)

友希那「…………」

友希那「あ」

友希那(……マズイ、いま気付いたけれど……どうやってリサより先にあっちへ戻ればいいのかしら……)

友希那(ゴールの瞬間にリーダーかつ発案者の私がいないって、絶対に締まらないわよね……)

友希那(走って? いや、リサより早く戻れる自信がないわ。行きはリサよりも早く出たから歩いてでも間に合ったけれど……)

友希那「……どうしよう」


リサ(友希那に応援してもらってからしばらく走って、ふと思い出したことがあった)

リサ(ポーチの小さなポケットに入った、はぐみ曰く『秘密兵器』)

リサ(もうダメだって時は過ぎちゃったけど……ちょっとだけ、見てみよう)

リサ(そう思って、ポーチの小さなポケットを開ける。そこにはトランプくらいの大きさの厚紙が2枚入っていた)

リサ(それに付箋が貼ってあって、『もうダメ用』『ゴール用』とそれぞれ書いてあった)

リサ(アタシは『もうダメ用』の付箋を引っ張って、厚紙を取り出す。そして紙面に目を通す)

『リサさん、ファイトー!!』

リサ(そこには元気一杯の大きな文字で、そう書かれていた)

リサ「ふっ、ふふ……」

リサ(それを見て、相変わらず息が苦しいけれど、思わずアタシは笑ってしまった)

リサ(あーそうだ。そういえばみんなで曲作って歌ったっけな。その張本人がそれを忘れてるんだから世話ないなぁ)

リサ(『ひとりで何やってるんだ』って、本当にバカなことを考えていたものだ)

リサ(友希那が応援してくれて、あこと燐子と紗夜も応援してくれて、はぐみがこんなにもアタシをサポートしてくれる。それならアタシは全然……)

リサ「……ひとりじゃないんだから」

リサ(呟いた言葉がアタシの背中を押す。気力はもうゲージを振り切るレベルで満タンだ)

リサ(あこが、燐子が、紗夜が、そしてなにより友希那が絶対に待ってくれているゴールを想像する)

リサ(それは決して蜃気楼や幻なんかじゃなくて、確かな輪郭を持った現実として、何があったって絶対に辿り着ける目的地として、明確に思い描ける)

リサ(もう少しで、あと少しでそこへ辿り着けるんだ。やってやる、最後まで頑張り抜いてやるんだ)

リサ(アタシの足は、ただその風景を目指してまっすぐに突き進んでいった)


――ゴール地点――

紗夜「ハーフマラソンに参加してる人たちが着々とゴールしてるわね……」

燐子「はい……今井さんももうそろそろでしょうか……」

あこ「んー……あっ!」

リサ「はぁ、はぁ、はぁ……!」

リサ(見えた……あそこがゴールだ……)

あこ「リサ姉来た! リサ姉~!!」ブンブン

燐子「やっぱり苦しそう……が、頑張って下さい……!」

紗夜「今井さん! もう少しです、頑張って!」

リサ(あこが大きく手を振って、燐子がキュッと祈るように両手を組んで、紗夜が珍しく大声を出して……)

リサ(ああ、やっぱりだ。アタシが思った通りの風景だ)

リサ(『もう少し、あと少し』で、やっとここまで来れた)

リサ(『もうダメだ』を乗り切れたんだ)

リサ(アスファルトから立ち上る陽炎がゴールを揺らす)

リサ(けどあれは蜃気楼なんかじゃない。しっかり触れられる現実だ)

リサ(あんなに遠かったのに足を踏み出すたび近づけるんだ)

リサ「はぁ、はぁ……!」

リサ(足が重たい。身体が重たい。それでも前へ進む)

リサ(もうすぐそこなんだ)

リサ(一歩、二歩、三歩……交互に足を踏み出して、挫けそうになったけど、これでやっと……)

リサ「はぁ、ゴール……だっ!」

リサ(アタシは最後の一歩をしっかり踏みしめた)

リサ(ゴールしたんだ。完走できたんだ)

リサ(そう思うと身体から力が抜けた。ペースを歩くくらいのものに落とした足がふらついた、けど)

友希那「完走おめでとう、リサ」

リサ「はぁ、はぁ……うん……超、頑張った……」

リサ(タオルを手にした友希那が出迎えてくれたから、アタシは笑顔を浮かべることが出来るのだった)


……………………


リサ(花咲川マラソン大会は、その後も滞りなく進行していき、参加者全員がゴールした)

リサ(ハーフマラソンに参加した人数は58人いて、アタシはその中で29位だった)

はぐみ「初めてなのに真ん中なんてすごいよ!」

リサ(……と、大会後にはぐみが嬉しそうに褒めてくれて、アタシも嬉しかった)

リサ(はぐみといえば、『ゴール用』と書かれた厚紙には、こう書かれてあった)

『おめでとう、リサさん! はぐみも頑張るよ!』

リサ(「はぐみはフルだから、リサさんにすぐにおめでとうって伝えるために用意したんだ」と、これまた嬉しそうに言う姿に、アタシもやっぱり嬉しくなった)

リサ(そのはぐみはフルマラソン参加者71人中、9位だったらしい)

リサ(アタシの2倍走ってその順位って凄すぎると素直に思った。あと、その後ろで燐子のお師匠さんが「負けた……」と落ち込んでいたのがやたら印象に残っている)

リサ(そして今は帰り道。西に傾き出した太陽を背に、ロゼリアの5人で並んで、アタシは友希那に少し肩を貸してもらって歩いている)

あこ「そういえば友希那さん、途中からどこに行ってたんですか?」

リサ(そんな中、ふと思い出したようにあこが友希那にそう尋ねた)


友希那「ああ、ちょっとリサの応援に行っていたのよ」

燐子「応援……?」

あこ「応援って、あこたちもしてましたよ?」

友希那「あのマラソン大会にはもう1ヶ所給水所があるって聞いたから、私はそっちの方でリサを応援したの」

友希那「半分を過ぎてあともう少しという時が一番辛い思ったし、スタート地点の方にはみんながいたもの」

あこ「そうだったんですね!」

リサ「あの時は本当に助かったよ」

リサ「正直、あそこで友希那に応援してもらえなかったらギブアップしてたかも、ってくらいキツかったんだよね」

友希那「それなら何よりだわ」

友希那(ゴール地点に戻る手段をまったく考えていなかった時は私もどうなることかと思ったけれど……給水所のテントに羽沢さんのお父さんがいて助かったわ)

友希那(車で送ってもらえなかったら確実に間に合っていなかったわね)


紗夜「…………」

燐子「あの……氷川さん……?」

紗夜「え? あ、何かしら?」

燐子「いえ……さっきからずっと黙っていたので……どこか具合でも悪いんじゃないかなって……」

リサ「そういえばそうだね。大丈夫?」

紗夜「……いえ、身体の具合はどこも悪くありません」

リサ「ほんと? 今日は暑かったし、調子がおかしいならすぐに言ってね?」

紗夜「それはどちらかというと私の台詞だと思うけれど……いえ、そうではなくて、その、今井さん」

リサ「ん?」

紗夜「……ごめんなさい」

リサ「え? えーっと……それ、何に対しての謝罪?」

紗夜「先週に挑戦することを決めた時から、私は自分の挑戦に不満を抱いて、あなたにも少しキツく当たってしまっていたわ」

紗夜「それで……この猛暑の中、すごく苦しそうに走っている今井さんを見て、自分の狭量さを実感したのよ」

紗夜「だから、軽々しくフルマラソンで走るべきだとか、そういうことを言ってしまってごめんなさい」

リサ「…………」

紗夜「…………」


リサ「え、もしかしてさっきからずっとそんなこと考えてたの?」

紗夜「……ええ。自分の小ささが不甲斐なくて、今井さんに申し訳がなくて」

リサ「ふっ、はは!」

紗夜「なっ、どうして笑うのよ?」

リサ「あーごめんごめん。やっぱり紗夜は真面目だなーって思って」

リサ「そんなこと、アタシは全然気にしてないよ。むしろこんな暑い中応援に来てくれて嬉しかったし……それに」

紗夜「……それに?」

リサ「走りながら、ゴールする時のことをずっと考えてたんだ。みんなが待っててくれるんだって」

リサ「きっとあこはぶんぶん両手を振って、燐子は祈るみたいにしてて、紗夜はまっすぐに応援してくれて、友希那が出迎えてくれるだろうなー……っていう感じにさ」

リサ「そう思ったからアタシは最後まで頑張れたし、実際にそうだった」

リサ「アタシが頑張れたのはみんなの応援と、この1週間ずっと練習に付き合ってくれたはぐみのおかげだよ。だから、今日は本当にありがとうね、紗夜」

紗夜「今井さん……」

リサ「もちろん紗夜だけじゃなくって、あこも燐子も、友希那も」

燐子「はい……」

あこ「えへへ、リサ姉に元気があげられたならよかったよ!」

友希那「……そうね」


友希那(よかった……本当に、あそこに羽沢さんのお父さんがいてよかった……)

友希那(リサのゴールに間に合わなかったら締まらないとかそういうレベルじゃないくらいに私の立つ瀬がなかったわ……)

あこ「友希那さん、なんかいっぱい汗かいてません?」

リサ「わ、ホントだ。大丈夫、友希那?」

友希那「え、ええ、大丈夫よ、万事滞りなく平常よ」

友希那「それより、私のことはともかくとして、これでみんなの挑戦が終わったわね」

紗夜「そうですね。最初はどうなることかと思いましたけど」

友希那「そうしたら、明日も練習は休みにしてこの1週間の反省会にしましょう」

友希那「体験して学んだことを振り返ることで、その経験は確かなものとなって自分の中に蓄積されるのだから」

あこ「わっかりましたー! 場所はどこにするんですか? いつものファミレスですか?」

友希那「……いえ、場所は――」


――――――――――――


【翌日】

――今井家 リサの部屋――

リサ「うぅ……身体中痛い……」

友希那「やっぱりこうなったわね」

リサ「大丈夫だと思ったんだけどねー……イタタ……」

紗夜「あれだけ走ったのだから、筋肉痛になって当然でしょう」

あこ「大丈夫? 湿布貼ったりお薬塗ろっか?」

リサ「それはさっき友希那にやってもらったから大丈夫だよ。それよりお茶出さなくっちゃ……」

燐子「今井さんは……大人しく寝ててください……」

あこ「そうだよー、今日は絶対安静だよ!」

友希那「あこの言う通りよ。そもそも反省会をここでやるのは、リサが無理しないか見張るためでもあるんだから」

友希那「お茶は私が用意してくるわ。リサの家なら勝手は分かっているし」

リサ「……友希那に任せるの、ちょっと不安なんだけどなー」

友希那「何か言ったかしら」

リサ「ううん、何も。えーっと、それじゃあお願いしていい? 今日はお母さん出掛けてるから……」

友希那「ええ、任せて」

燐子「あ……それじゃあわたしが……一緒に行きますね……」

リサ「うん。お願いね、燐子」

友希那「リサ? 燐子? どういうつもりかしら?」

リサ「あー……ほら、5人分の用意だと友希那だけじゃ大変じゃん?」

燐子「そうです……2人でやった方が早く終わりますから……」

友希那「……それもそうね。それじゃあリサ、少しキッチンを借りるわよ」

リサ「うん、お願いね」

燐子「じゃあ……行きましょうか、友希那さん……」

友希那「ええ」

――ガチャ、パタン

紗夜「……日頃の行いって大事ね」

リサ「あはは……」


……………………


友希那「さて、お茶も用意したし、そろそろ反省会を始めましょうか」

リサ「はーい」

あこ「はーい!」

紗夜「はい」

燐子「はい……」

友希那「じゃあ……くじを引いた順でいいかしらね。まずはあこから」

あこ「はい! クッキー作り、すごく楽しかったです!」

友希那「……まぁ、予想していた通りの答えね。他には何かあったかしら?」

あこ「あとは流しそうめんの時に話した通りです!」

あこ「クッキーを作ってる時にね、ロゼリアのみんなが美味しいって言ってくれるかなーとか、あこのクッキーでみんなが笑顔になってくれたら嬉しいなって思うとすごく楽しくて、きっとリサ姉と紗夜さんもこういう気持ちなんだなって思いました!」

リサ「うんうん、分かるよその気持ち」

紗夜「私は別に……いえ、そうね。宇田川さんの言う通りかしらね」

あこ「えへへ、これからはあこもクッキーとか作ってくるね!」

リサ「よーし、それじゃあ今度一緒に作ろっか」

あこ「うん!」


友希那「なるほど。あこはクッキー作りを通して、みんなに対する気持ちを再確認できた、というところかしら」

あこ「そんな感じです! あ、そうだ、今日もクッキー持ってきたんだ! みんなで食べましょう!」

燐子「あ……あこちゃん、クッキーを出すなら……これに……」サッ

友希那「それは……」

燐子「お師匠さんに教えてもらって……若宮さんと一緒に作った……竹で編んだお皿、です……」

あこ「え、これりんりんが作ったの!?」

燐子「うん……少し形が歪んじゃったけど……」

リサ(え、歪んでるかな、これ?)

紗夜(綺麗な円のお皿になっていると思うけれど……)

友希那「すごいわね、お店に並んでても不思議じゃないわよ」

燐子「そんなこと……ないです……。お師匠さんに比べたら全然で……」

リサ「いやいや、本職の人と比べられる時点で十分すごいって」

紗夜「ええ、その通りよ」

燐子「そう、ですか……? ありがとうございます……」


友希那「燐子が作ったのは流しそうめんの竹だけじゃなかったのね」

燐子「はい……あの竹は……わたしと若宮さんが枝打ちに失敗したものを利用したので……」

燐子「失敗してしまったものでも……ああやって……みんなを楽しませることが出来たのが不思議で……なんだか嬉しかったです……」

友希那「燐子もこの1週間で得るものがあった、という訳ね」

燐子「はい……貴重な体験が出来ました……。ロゼリアの衣装も……たまには和風にするのもいいなって思えましたし……勇気を出してよかったです……」

あこ「りんりん、直接クッキーのせていいの?」

燐子「あ……そのままだと衛生的にダメだから……クッキングシート、敷くね……」

リサ「それも持ってきたんだ?」

燐子「はい……あこちゃんならきっとクッキーを作って……持ってくるだろうなって思ったので……」

あこ「えへへ、りんりんとあこの協力奥義だね!」

燐子「そうだね……。はい、敷き終わったから……出していいよ、あこちゃん……」

あこ「りょうかーい! よいしょーっと」

友希那「ありがとう、あこ。せっかくだし食べながら話をしましょうか」

紗夜「ええ。頂きます、宇田川さん」

あこ「はーいっ、どうぞ召し上がれ!」


友希那「それで紗夜はどうだった? ナンパをしてみて」

紗夜「……ナンパをしてみて、なんていう風に言われると少し言い辛いのですが、もう少し素直になろうと思いましたね」

友希那「素直に?」

紗夜「はい。奥沢さんと話をしている時に、あることが心に引っかかりまして……」

紗夜「私はこういう性分だから、つい言い方がキツくなってしまって、それで誰かを傷付けているんじゃないか……と。自分を見つめ直してみると、そういう場面がいくつも思い浮かびました」

リサ「ああ、だから昨日あんな風に謝ってきたんだ」

紗夜「ええ。自分で発した言葉には責任が伴うということ改めて実感したわ」

紗夜「だからもう少し素直に、相手のことを慮れるようになろうと思いました。……音楽にはあまり関係ないことかもしれませんが」

友希那「そんなことはないわよ、紗夜」

友希那「私たちの演奏は確かな技術を主体にしたものだけど、だからといってただ正確に音を奏でるだけじゃ、機械と何も変わらないわ」

友希那「内面の充実は音楽の表現の幅を広げることに繋がると、私はそう信じている」

友希那「だからあなたがナンパで培ったその経験は決して無駄ではないわ」

紗夜「……そう言って頂けると私の苦労も浮かばれます。ありがとうございます、湊さん」

リサ(ナンパで培った経験って字面も結構アレだなぁ……)

燐子(本当に……わたしが氷川さんのくじを引かなくてよかった……)

あこ(1つだけ混ぜた闇の魔力マックスの大きいクッキー、誰が食べるかなぁ)


友希那「次はリサね」

リサ「はーい……って言っても、アタシはほとんど昨日に言った通りなんだよね」

リサ「走ってる時はひとりぼっちの気がして挫けそうだったけどさ、はぐみがすごいサポートしてくれたし、みんなも応援してくれて、『アタシはひとりじゃないんだな』ってすごい実感出来たよ」

リサ「だからこれからも何か困難があってもめげずに頑張れそうだなって思ったし、誰かが挫けそうなら真っ先に駆け寄って助けてあげたいって思った……かな」

あこ「あこはいつもリサ姉に助けられてるよ! 寝ぐせ直してくれたり、宿題の分かんないとこ教えてくれたり、お菓子作って来てくれたり!」

リサ「あはは、ありがと、あこ」

あこ「あこの方こそ! いつもありがとね、リサ姉!」

紗夜(……素直になるってこういうことよね。宇田川さんがとてもいいお手本だわ)

燐子「わたしも……今井さんにはいつも……お世話になってばかりです……」

紗夜「私も同感です」

友希那「そうね。リサはもう少し自分勝手でもいいと思うわよ」

リサ「いやいや、自分勝手って」

友希那「あなたはいつも私たちを気遣ってくれるから、それくらいでちょうどいいってことよ」

リサ「……そっか」

リサ(でもそう言われると、アタシがみんなの助けになってるってことだから……うーん、もっと助けてあげたいし何かしてあげたいって思っちゃうんだよなぁ……)

友希那(ああ、あの顔……絶対に『そう言われるともっと助けたくなる』みたいなこと考えてるわね)ジトー

リサ(あ、考えてること友希那にバレたな、これ)

友希那「はぁ……まったく、リサはしょうがないわね」

リサ「あー……まぁ、アタシもそういう性分だからさ」

紗夜(今、確実に2人の間でしか伝わらないアイコンタクトがあったわね)

燐子(幼馴染って……みんな目と目で会話が出来るのかな……)

あこ(あ、友希那さんが闇のクッキー取った)


友希那「リサのことは置いておくとして……最後は私ね」

紗夜「どうでしたか、羽沢珈琲店でのバイトは」

友希那「そうね、とても貴重な経験だったわ」

友希那「私は今までアルバイトもしたことがないし、文化祭とかでもあまりクラスの出し物に参加していなかった。だから接客業なんて勝手が分からなかったけれど、実際にやってみると色々な発見があったわ」

あこ(なかなか食べないなぁ、友希那さん)

友希那「紗夜は来なかったけれど、私がバイトの日にはみんなが来てくれた。そこで見たあなたたちの顔は、ロゼリアで見るものと違っていた」

友希那「従業員とお客さんという立場であなたたちを見て、みんなへの理解がより深まったような感覚がしたわ」

友希那「さっき紗夜に言った通り、私は内面の充実は音楽の表現の幅を広げることに繋がると思っている」

友希那「今後の作曲にも、私の歌にも、この経験は十分に生かせるはずよ」

紗夜「流石湊さんですね。つぐみさんもとても良くしてもらったと言っていたし、やることをしっかりやったみたいですね」

友希那「リーダーとして当然よ。それに、羽沢さんのお父さんには……いえ、この話はいいわね」

紗夜「……言いかけてやめるのはあまり感心しませんが」

友希那「他愛のない話よ。気にしないでちょうだい」

紗夜(……気になる。つぐみさんのお父さんと何があったのだろうか)

友希那(危ないわ。マラソンの時のことを言ってしまったら私のリーダーとしての威厳があっという間に崩壊してしまうところだった)

紗夜(まさか『羽沢珈琲店に永久就職しないか?』という提案を受けたとか……いえ、流石にそれはないはず……でももしかしたら……そうだとしたら私はどうすれば……?)

燐子(氷川さんが……ものすごい真面目な顔で何か考え事してる……)

あこ(まだ食べないなー友希那さん)


友希那「さて、これでみんなの報告も終わりね」

リサ「だね。もう真面目な話はいいんじゃない?」

友希那「……そうね。みんな、改めて……1週間お疲れさま」

燐子「はい……」

あこ「はーい!」

紗夜「…………」

友希那「この1週間でロゼリアは間違いなくレベルアップしたはずよ。今回学んだことを、次のライブで見せてちょうだい」

友希那「……だけど、今日のところはそんな話は抜きね。リサが無理しないよう見張りながら、こうしてあこが作って来てくれたクッキーを食べて、」サクッ

あこ(あ、とうとう食べた!)

友希那「たまにはのんびり――けふっ!?」


リサ「えっ、急にどうしたの友希那!?」

友希那「な、ごほっ、ごほっ! に、にが、にが……けほっ!」

リサ「ちょ、お茶飲んでお茶!」

友希那「っ、っ……!!」ゴクゴク

リサ「うわぁ、友希那がメチャクチャ涙目に……」

リサ(……普段とギャップがあってちょっと可愛い)

紗夜「…………」

あこ「ふっふっふ……そのクッキーは聖堕天使あこの全ての闇の魔力を込めた逸品……魔界より生まれし暗黒の力を味わうがいい!」

燐子「あ、あこちゃん……」

あこ「えへへ~、その1個だけ、インスタントコーヒーを大量に入れた苦々クッキーにしてたんだよ! どう、りんりん? あこのセリフカッコよかった?」

燐子「そ、それどころじゃないと……思うよ……?」


友希那「……あこ」ユラリ...

あこ「……あ、あれ? 友希那さん、顔がとーっても怖くなってますよ……?」

友希那「よくも、よくもやってくれたわね……覚悟しなさい!」ダッ

あこ「わー!? ご、ごめんなさーい!!」

リサ「ちょ、友希那! 苦いの嫌いなのは知ってるけど部屋の中で暴れないでって!」

紗夜「…………」

燐子「そんなに……苦いのかな……」サクッ

燐子「っ……!?」

リサ「え、え? 燐子、友希那の食べかけ食べたの!?」

燐子「に、にが……」

リサ「燐子まで両手で口押さえて涙目……そんなにヤバいの、これ……!?」

紗夜「…………」


友希那「待ちなさい、あこっ!」

あこ「ひぇ~!」

リサ「アタシもちょっと食べてみよ……」サクッ

リサ「…………」

リサ「え? そんなに苦いかな、これ?」

紗夜「…………」

あこ「紗夜さーん、助けてー!」サッ

紗夜「……え?」

友希那「紗夜……大人しくあこをこっちに渡しなさい……」

紗夜「え……!?」

紗夜(……宇田川さんが私の背に隠れていて、湊さんが涙目で目の前に立っていて、白金さんが両手で口を押さえて俯いていて、今井さんが首を傾げながらクッキーを食べている……)

紗夜(私がつぐみさんのことを考えているうちに一体何が……?)


友希那「そう……紗夜もそちら側なのね……」

あこ「紗夜さん、あこは信じてました!」

紗夜「え、あの、状況がよく分からないのですが……」

友希那「そっちがその気なら……リサ、そのクッキーをこっちに」

リサ「あ、うん」

友希那「さぁ紗夜、これを食べなさい」

紗夜「食べかけのクッキーじゃないですか。これがなにか……」サクッ

紗夜「……うぇっ!?」

友希那「苦い? 苦いわよね? その悪魔のクッキーを作ったのがあなたの後ろにいる困ったさんなのよ」

紗夜「の、飲みものを……」

友希那「あこと交換よ」

紗夜「どうぞ……」サッ

あこ「まさかの裏切りですか!?」

友希那「リサがお茶を出してくれるわ。私はちょっとあこと個人的な話をするわね」

紗夜「ごゆっくり……」


友希那「さぁ……覚悟はいいかしら、聖堕天使さん?」

あこ「……い、痛くしないでくださいね?」

友希那「無理ね」

紗夜「今井さん……私にも、お茶を……」

リサ「はーい、どーぞ。……そんな苦いかなぁ、あのクッキー」

紗夜「ありがとう……」ゴクゴク

燐子「…………」フルフル

リサ「あ、燐子もお茶?」

燐子「…………」コクコク

リサ「はい、お茶」

燐子「…………」ペコペコ

リサ「……苦いなら口に入れたままにしないで、すぐに飲み込んじゃえばいいのに」

燐子「……っ、はぁ……無理、です……苦すぎて……咀嚼することを……脳が拒みました……」

紗夜「本当よ……。あれが苦くないって、今井さんの舌は一体どうなっているの……」

リサ「どうもなってないと思うけどなぁ」


あこ「い、いたたたた!! 友希那さんっ、それ以上グリグリされるとあこの頭が割れちゃいますよ!?」

友希那「大丈夫よ、人間の身体は丈夫に出来ているもの。それにあの苦みに比べれば……うっ、思い出すだけで……」グリグリ

あこ「ごめんなさい、もうしませんっ、もうしませんからぁ!!」

紗夜「……さっきまで真面目な話をしていたのに、すごい賑やかになったわね」

燐子「あのクッキーのせいですね……間違いなく……」

リサ「まー、なんていうか……これもロゼリアらしい……のかな?」


◇ロゼリアのレベルアップを計った結果◇


宇田川あこ

ロゼリアのメンバーに対する理解度があがった

リズム感がなんとなくあがった

お菓子作り【レベル1】をおぼえた

イタズラをおぼえた


白金燐子

手先の器用さがあがった

勇気があがった

服飾の幅が広がった

マッチョな男性への免疫力があがった


氷川紗夜

素直さがあがった

ナンパをおぼえた

無自覚ジゴロ【レベル1】をおぼえた

日菜に弱みを握られた


今井リサ

体力が大きくあがった

精神力が大きくあがった

優しさがあがった

苦味無効をおぼえた


湊友希那

猫への理解度があがった

猫カフェへの理解度が大きくあがった

ロゼリアのメンバーに弱点(苦いの嫌い)がバレた

カリスマが崩壊した



おわり


前に書いたバンドリ安価SSが全然安価SSしてなかったのでリベンジのつもりで書き始めた結果がごらんの有様です。土曜日以降の話で矛盾などがあったら本当にごめんなさい。

そんな話でしたが、最後までお付き合いいただきまして誠にありがとうございました。


HTML化依頼出してきます。

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