周子「きつねうどん」 (38)
どんぎつねのCMを5月に見ました。
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1534167756
『1番好きなものは、最後に食べるんです』
何の気なしにつけた事務所のテレビで、ちょうどインスタント麺のコマーシャルが始まったところだった。
ドラマや映画でお馴染みの、眼鏡をかけた俳優さん。
机を挟んで相対している、綺麗な女優さん。
彼女の頭とお尻で、茶色いケモノ耳としっぽがふりふり。
場面の切り替わりのたびに、憤ったり喜んだり、くるくると変わる表情にあわせて動いている。
ふーん。
なかなかよくできてるなあ、と思わず見入ってしまっていた。
1番好きなものは、最後に食べるんです。かあ。
分かる。
あたしも、ショートケーキのイチゴは最後に……。
いや、最初に食べちゃうな。うん。
それはともかく、とっても購買意欲をそそられるCMだなあと唸ってしまう。
だって、思わず食べたくなってしまったもの、インスタント麺。
プロデューサーさんは、朝からずっと留守。
ちひろさんも、30分くらい前に外出していった。
今日の事務所は、あたし1人でお留守番だ。
来客もないし、電話も鳴らない。
暇を持て余しすぎて、アイスのようにとろけてしまいそう。
はやく帰ってこないかなー、プロデューサーさん。
ソファで足をばたつかせながら、机に投げ出されていたファッション誌にもう1度手を伸ばす。
何度読んだか分からない、流行のコーデ、小物、下着……。
……飽きたわー。
「暇やなー」
もちろん誰も応えてくれない。
静かに唸り続けているクーラー、眠ったままのパソコン、時折さやさやと音を立てるブラインド、無表情で立ち尽くしている観葉植物。
TVは車の販促へと移り変わっていた。
表通りを行き交っているはずの人や車はどこへやら、窓の外のいつもの喧騒は、嘘みたいに聞こえてこない。
代わりに耳に届くのは蝉の合唱と、真っ白な街が酷暑に耐えられずじりじりとあげている悲鳴ばかりだ。
無為な時間に耐えかねて、蝉の鳴き声を数え始めた。
1匹、2匹。あ、また鳴き出した。3匹目。
連日の暑さに流石の彼らも堪えているのか、今日は何だか覇気がない。
みんみんみん。
みみみん。
みみみん。
「そんとき空から、けったいな光が降りてきはったんですわー」
ぽつりと他のアイドルの歌声を真似る。
もちろん合いの手は入らない。
代わりに、計っていたかのように勢いよくベルの音が鳴り始めて、あたしの左肩は思わずソファからずり落ちた。
「なに? なんや?」
慌てて周囲を見回す。
あたしの携帯電話じゃない。
プロデューサーさんの机の電話機でもない。ちひろさんのところのでもない……。
鳴っているのは、ホワイトボードの横に置かれた電話機だった。
ちょっと古い型で、事務所の中で、これにだけナンバーディスプレイがついていない。
あれ? これには仕事の電話は架かってこない、って以前にちひろさんが言っていたような……?
「はい、もしもし?」
白色の受話器を取って、1拍を置いてから応答する。
『あ、もしもし? 周子ちゃん?』
スピーカー越しに、少しくぐもった聞き慣れた声がした。
「ちひろさん?」
『急にごめんなさいね。いま事務所に1人? プロデューサーさん、帰ってきてる?』
「まだー」
あちゃあやっぱり、と電話の向こうでちひろさんが頭を抱えている。
『今日プロデューサーさんね、お昼には事務所に戻ってくるって聞いてたんだけれど。私、お昼頼むの忘れて外に出ちゃったのよ』
「あ、じゃああたしやるよ。任せて」
『ごめんなさいね、お願いできる? メニュー表はその電話機の下のところにあるから。青いファイルね』
「はーい。ちひろさんの分も?」
『私は済ませて戻るから気にしないで。周子ちゃんもお昼どうするか決まってないなら、好きなの一緒に頼んでいいですからね。お金は給湯器の横に置いてある貯金箱から払ってちょうだい』
「ほいほーい」
回線が切れる音がする。
あたしも受話器を置いてから、ちひろさんの言葉を反芻する。
少しばかり考えてから、あたしはくるりと身体の向きを変えた。
電話機の2つ下の段に置かれているメニュー表の代わりに、ホワイトボードの端に吊り下げられている事務所の合い鍵に手を伸ばす。
冷房を消して、窓の戸締まりを指さし確認。
電気を消して、下駄箱から靴を取る。
プロデューサーさんと、お昼かあ。
ちゃりんちゃりん、と指で回した鍵がご機嫌な音を立てる。
ふふ。今日のお昼ご飯は、このしゅーこちゃんに任せてもらいましょう。
○
「ただいまー」
息を呑むような熱気を背負って、汗水流しながら疲れた声が帰ってきた。
「お帰りー」
「あれ、周子1人か? ちひろさんは?」
「お昼前くらいに出てって、まだ戻ってきてないよ。お昼も済ませてから帰ってくるって」
そうかああー、とプロデューサーさんは天井に開いた送風口に向かって大きく口を開けている。
突然目の前に現れた熱源に負けまいと、冷房が吐き出す息も心なしか勢いを増しているよう。
「周子はお昼どうするんだ? どっか食べに行くか?」
ぐっ。
思わずあたしの喉が鳴る。
とても素敵なお誘いだ、大いに心が揺れ動く。
けれども今日は我慢、我慢。
プロデューサーさんの昼食は、しゅーこちゃんプロデュースなんですから。
「ここで食べへん? 外はめーっちゃ暑いしさ」
「お、なんか頼んであるのか? もしかして、周子の手作りか?」
おお、言うねえプロデューサーさん。
それは今度のお楽しみ。
ていうか、作ってきたら食べてくれんのん?
「今日はねえー」
机の上を指さす。
「……」
プロデューサーさんの視線が、あたしの指先を追っていく。
そこにあるのは、赤と緑のパッケージ。
「カップ麺?」
「うん」
プロデューサーさんの口がぽかんと開いた。
「……き○ねとた○きかあー」
「暑いのにねー」
「暑いのになあー」
2人して、顔を見合わせてため息をつく。
あかんかったかな……?
プロデューサーの顔を見上げる。
誤魔化しというか、照れ隠しというか。
にへらと笑ったあたしを見て、プロデューサーさんの目尻も緩んだ。
「……まあ、たまにはいいかあー」
ほう、と安堵に胸をなで下ろす。
そうそう、たまにはいいもんでしょ、しゅーこちゃんプロデュース。
○
「あちちあちち。ね、プロデューサーさんはどっち食べる?」
給湯室からよろよろと戻ってきたあたしの塞がった両手から、プロデューサーさんが慌てて噐を受け取ってくれた。
机の上でほかほかと立つ湯気が、2つ。
提案しておいてなんだけれど、ただでさえ高い体温が、器を見ているだけで更にちょっと上がった気がする。
「え、俺が選んでいいのか?」
「うん。どっちがいい? 赤? 緑? どっちが好き?」
「どっちが好きかって聞かれると悩むなぁ……」
随分と真剣な顔をして、プロデューサーさんは唸り始めた。
そういえば、いつもはカップ焼きそばばかりだったな、と記憶を手繰る。
もしかしてプロデューサーさんって、熱いのあんまり得意じゃないのかな。
「じゃあ……。きつね貰っていいか?」
よし。
心の中で、まずはガッツポーズ。
そりゃああたしをプロデュースしてるんだから、きつねが好きじゃないと困りますとも。
「アイドルと2人で、冷房の効いた部屋で昼飯にカップ麺かあ」
「おきらい?」
「いやあ、俺はいいんだけど。インスタント好きだしさ」
「残業中に食べるのほどほどにしとかんと、体重いつまで経っても減らへんよ、プロデューサーさん」
「……なんで知ってるんだ。ちひろさんが喋ったな」
ぱきん、と2人分の箸が揃って鳴る。
「そういえば、関東と関西で味が違うらしいな。これ」
「えっ、そうなん? 今度帰省するときに買ってこようっと」
「俺の分も頼むわ。1度でいいから食べ比べしてみたいんだよな」
口を尖らせながら箸をつけようとするプロデューサーさんに気付かれないように、上目でこっそり様子を伺う。
湯気を吹き飛ばす、吐息の繰り返しの後に。
プロデューサーさんの箸が、真っ先に油揚げを掴んだ。
「ちょっ」
慌てて止めようとしたけれど、とても間に合わない。
白い歯が見えた。
プロデューサーさんの口が、がぶりと油揚げに食らいつく。
「あー!」
思わず大声を上げて身を乗り出す。
プロデューサーさんが、目を見開いて箸を止めた。
「な、なんだ?」
「だって、プロデューサーさんが……」
きつねが嫌いじゃないのに。
緑より赤を選んだのに。
「なんでお揚げを先に食べるんよお!」
「は? なに言ってんだ?」
「だ、だって……」
こちらを見つめているプロデューサーさんの表情は、まさに狐に摘まれたよう。
「なんでったってなぁ……」
その視線が、あたしと手元の油揚げとの間を交互に行き来している。
「油揚げ、最初に食べないか? 1番好きだし」
「……えっ?」
「いや、なんで先に食うんだって言うからさ」
プロデューサーさんは困ったようにお揚げを離した。
代わりにつるつると音が鳴る。
白い麺が、重力に逆らってプロデューサーさんの口元に消えていく。
あたしの口角が、にへらと上がる。
最初に食べる。
1番好きだから。
……あたしと一緒やね。
「んふふー」
「なんだよ今度は」
怪訝そうな顔。
あたしはそれには応えない。
よく分からない、と首を捻りながらもプロデューサーさんは適当に納得したようだ。
そりゃそうだろう、あたし今、めっちゃ上機嫌な顔をしてるはずだし。
「ね、プロデューサーさん。お揚げちょっとちょうだい?」
「なんだ、やっぱりこっちの方が良かったのか」
「そりゃね。きつねだし? こんこーん」
あたしには耳も尻尾も生えていないけれど、おかげさまで今もぶんぶん揺れているだろうそれを隠さなくて済む。
CMのようにお尻を気にしなくていいのはとてもありがたい。
あんな形で感情を露わにするだなんて、ちょっと恥ずかしすぎて耐えられない。
天ぷらを半分に割る。
汁を吸ったそれは、へにゃりと力なく裂けた。
「はい、プロデューサーさん。トレードー」
赤い方の容器に天ぷらを放り入れる。
「トレードって、俺の食いさしなんだけど」
「いいよー。全然気にしなーい」
そうか、とプロデューサーさんの箸が器用に動く。
おそばの上に、ぽてりと油揚げ。おいでやす。
ああ、なんて贅沢な!
「……まあ、たまにはこういうのもいいかもな」
「あたしも誘ってくれるんなら、残業中でも食べていいと思うよ?」
「じゃあ、減量も周子につきあってもらうかー」
つるつる、ずるずる。
2人で麺を啜る。
「ふふ、一緒にレッスン、いこっか」
1番好きなものは、最後に食べるんです。
あたしも起用してほしいって売り込んでみようかしら。
まずはあのCMをプロデューサーさんに見て貰わないといけない。
それから、きつねの格好をしたあたしを。
嬉しいとき、照れくさいとき、すました顔をしながら、ぶんぶん動く耳としっぽを庇うあたしを。
うーん……。やっぱり、ちょっと恥ずかしいかな。
おしまいです。
たった今まで、赤いき〇ねと緑のた〇きはど〇兵衛の仲間だと思ってました。許して!
冒頭のCMがなんのこっちゃ、という方は『どんぎつね 一番好きなもの篇』をぜひご覧ください。
周子は可愛いなあ(挨拶
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