美希「自分探しの旅に行ってくるの!」千早「付き添って来ます」 (32)


 星井美希は悩んでいた。

 ソファーに寝そべり、ぼうっと天井を眺める。
 普段この体勢を取る時は基本的に目を瞑っているから、何だか新鮮な気がした。あ、あそこ傷があるの。
 いつだったか、ふと頭に浮かんだ疑問。単純なものだったけれど、珍しく一瞬で答えが出てこなくて、それからずっと纏わりつかれているような感覚がある。
 プロデューサーに相談すれば解決することだと、それぐらいのことは分かっていた。いつも優しくて頼りになるあの人なら、きっと彼女にとって良い未来を示してくれることだろう。
 今までずっと、そうしてくれたように。

 でも。
 美希は、自分で悩むことを選んだ。


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 明確な理由があったわけではない。
 ただ、直感的に、相談しない方が良いと判断したのだった。そういう直感を、彼女は何よりも大事にしていた。

「美希?」

 どうして天井に傷がつくのだろう、とどうでも良いことに思考が逸れた時だった。
 視界いっぱいに、美希の大好きな顔と声が入って来た。

「千早さん?」
「ごめんなさい、おやすみの邪魔をしちゃったかしら」
「ううん。美希、今はお昼寝するつもりじゃないの」
「寝ているのかと思ったのだけれど。まぶたがぱっちりと開いているようだったから」


 珍しいことに。千早が楽しそうに言う。
 珍しいかな。美希は不思議そうに言う。
 珍しいわね。千早が笑う。
 そうかも。だから、美希も笑った。


┌───────────────────────────────────────────┐

│           茜ちゃんだよー                     カフェうどん              
│                   プリン美味しかったよ!            15:00~   ←なんやそれ
│                                           ↑          参加するわ
│ ミキ、自分探しの旅に行ってくるの!.       定          参加致します           
│                               期                               
│   ↑ 付き添って来ます 千早          計           静香ちゃんのうどんだー!!
│        私も行きたかったな~   .      測                              
│                       .        ま        お茶とお饂飩、和の心を感じます  
│            うふ、目標達成!お先ね!.  で                              
│ 莉緒さん久々に飲みに行きましょうよー ↑   13     私も参加してよろしいでしょうか……  
│   焼肉なんてどうかしら?  ↑           日       ↑つむりん来んの!?いぇーい! 
│お付き合いします!  ↑                  それじゃあとっておきのトッピングをうげええ 
│    うふふ、お店探しておきますね~       安心して下さい。うどんに変なものは入れさせません

│                                                  桃子も行ってみようかな
└───────────────────────────────────────────┘



 梅雨明けの空に申し訳程度の雲が浮かんでいた。少し、風が強い。
 それぞれの長い髪をふうわりふわりと揺らしながら、二人、並んで歩いていた。
 駅までの道は、そう長くない。慣れ親しんだ風景が、でも、今は何だか違って見える気がした。

「ちゃんと説明しなくて良かったの? まったくもって、私が言えたことではないのだけれど」
「うーん、何だかもやもやってしてて、多分、ミキ、うまく言えないなって」

 そう、と呟く千早の顔を美希は覗き見る。

「千早さんこそ、本当に良かったの?」

 この真面目な、尊敬すべき先輩がレッスンをサボるなんて。そんな千早を見るのはこれが初めてだった。

「ちょうど私も自分探しをしようと思っていたの」
「あは、嘘なの」

 ばれちゃった、と千早は肩をすくめる。
 ばればれなの、と美希は楽しそうに。


 ☆


 そうだ。旅に出よう。
 千早と顔を合わせてしばらく、不意にソファーから立ち上がった美希は、ホワイトボードにメッセージを残すことにした。
 目的が定まったわけではない。行き先が決まっているわけでもない。
 思いつきだった。でも、一度思いついてしまったそれは、美希にとって、とても魅力的で、必然すら感じる行動だった。
 今日この後に仕事の予定が組まれているわけではないけれど、本当は、プロデューサーや小鳥に、あるいは家族にでも一言相談すべきだったのだろう。アイドルとして、一人の女の子として、その程度の自覚は持っている。
 でも、理由を聞かれたり心配されたり、そういうことが面倒であると同時、申し訳なさを感じるのだった。

 思いついたままに行動する。それがミキなの。

 そう、自分に言い聞かせて。



   ミキ、自分探しの旅に行ってくるの!


「千早さん、止めないで欲しいの」きゅっきゅとマーカーを動かしながら、美希は言う。
「そう」と、千早は答えた。「それ、貸して」
「? はい、なの」


   付き添って来ます 千早


 美希の手からマーカーを受け取り、千早はそう文字を残した。

「……え?」と、美希。
「……うん?」と、千早は返す。
「その、千早さん……?」
「なにかしら」
「……付き添いって?」
「そのままの意味よ」少し、悪戯っぽく、千早は続ける。「私も、美希について行くってこと」

 驚きに、美希の時間が止まる。
 無理のないことだっただろう。何せ、それを言い出したのは彼女の敬愛するあの如月千早だった。


「……で、でも、千早さん、今日この後レッスンだって」
「自主レッスンだから構わないわ」

 と、千早。時間を押さえてくれたプロデューサーには申し訳ないけれど。小さく呟く。

「……ミキ、どこに行くかとか、何をするかとか、何も決めてないよ?」

 不安そうに言う美希に、千早はくすりと笑った。

「らしくないわよ、美希」

 その言葉に、美希は息を呑んだ。

「星井美希は、そういう女の子でしょ? 私なんて、振り回すぐらいで、丁度いいじゃない」


 くふ、ふふふふ!

 美希は笑った。
 抑え切れず、漏れ出すような笑いだった。

「もう! それじゃ、ミキ、ものすごくワガママな子みたいなの!」
「……まぁ、否定はできないわね」
「千早さんヒドイの!」

 言いながら、美希は自身の高揚を感じていた。
 どこに行こう。
 何をしよう。
 それに、千早さんも一緒だなんて!
 ワクワクが奥の方から溢れて来て、ドキドキが内側に染み込んで行くような、胸がぎゅーっとなる感覚。

 それは、久しく忘れていた、楽しいの衝動。


 ☆


「どこに行こっか?」
「どこに行きたい?」
「うーん……」

 事務所最寄り駅。
 券売機の少し後ろに立って、上部に大きく掲載された路線図を眺める。

「そういえば」と、千早が呟くように言った。「こうして路線図をちゃんと見るのって、久しぶりな気がするわ」
「ミキ、もしかしたら初めてかも」

 不思議な感じね。
 不思議な感じなの。
 そんな、特に意味の無い会話が、どうしようもなく楽しかった。

「美希の携帯はどう?」
「うるさいから電源切っちゃっおうかなって。あは」
「それが正解かもしれないわね。私もさっきからずっと振動が止まらなくて」
「切っちゃう?」
「切っちゃいましょう。最低限のメッセージはプロデューサーに送ったから。大丈夫よ、きっと」
「……なんて送ったの?」

 見る?
 見たいの。



 To:プロデューサー


 お疲れ様です。千早です。

 美希と一緒にいます。
 少し遠くでレッスンして来ます。
 心配しないで下さい。

 申し訳ありません。


「あはっ」
 美希は吹き出すように笑った。
「遠くでレッスンだなんて、千早さんもよく言うの」
「嘘では無いわ。全ての経験が、歌に繋がる。私は765プロでそう学んだもの」
「……ホントに、今この瞬間もレッスンだと思ってる?」
「まさか」

 二人、顔を合わせて、笑い出す。
 くふ、くふふふふ。
 くす、くすくす。

「あは、おかしいの! ミキ、千早さんはもっとマジメって思ってた!」
「たまには羽目を外してみたくもなるわ。私だって」

 言って、千早は携帯電話の電源を落とした。
 それを見て、美希も、電源を落とす。
 たったそれだけのことで、驚くぐらいの解放感を覚える。

 ミキは、今、自由なの!

 意味も無く、わーっと叫び出したくなる。
 道行く全ての人とハイタッチを交わしたくなる。
 歌って、踊りたくなる――


「……?」

 どうしてだろう。
 せっかく飛び出して来たのに、それじゃ、事務所にいるのと変わらないの。

「? 美希? どうかした?」
「ううん」と、美希は頭を振った。「なんでもないの」
「そう。……それで、どこに行きましょうか」
「うーん、自分探しっていうと……海?」
「……確かに、そういう時は海のイメージがあるわね」

 それじゃあ、海にするの!
 海にしましょうか。
 路線図を指差しながら、あの辺、この辺、と相談をする。とりあえずの向かう方向を決めて、後は電車の中でのんびりと考えようということになった。
 普段目には入っていても手に取ることの無かった駅の観光パンフレットをいくつか頂いて、携帯電話を開かなくてもこれで大丈夫ね、と笑い合う。


「あっ」

 と、千早が気が付いたように声を上げたのは、いよいよ電光掲示板で自分たちの乗る電車を探そうという時だった。

「どうしたの?」
「お昼」左手でお腹を押さえながら千早は言った。「どうしましょうか。美希も、まだよね?」
「うん」言われて気付いたようで、両の手をお腹に当てて美希は力無く漏らした。「そういえば、ミキ、お腹減ったかも」
「着いた先……は、ちょっと遅くなり過ぎるかしら。その辺でさっと食べてから行くか、それとも、お弁当でも買って……」
「お弁当!」

 食いつくように美希が反応した。

「駅弁! 駅弁なの! 美希、駅弁がいいの! それで、電車の中で食べるの!」

 目を爛々と輝かせながら言う美希に、千早はくすりと笑って答えた。

「ふふ、じゃあ、ちょっと贅沢して、グリーン車に乗りましょうか」
「はいなの! 千早さん、駅弁買いに行こ! 駅弁!」
「ええ」

 千早の返事を聞くなり、その手を取って、足早に売店へと向かう。
 えっきべん、えっきべん、ふっふふっふふ~ん♪
 口ずさむ美希に、千早も、笑みを浮かべずにはいられなかった。


 ☆


 整備された海辺の道は、静かな光に溢れていた。空の青と海の青と雲の白と街路樹の緑が、心地よい音楽を奏でているようだった。
 全身で風を感じるべく、両腕を開いて、美希はゆらゆらと揺れるようにして歩いていた。
 その後ろを、千早がついて歩く。前から聴こえてくる鼻歌に、世界一贅沢な散歩をしている気分になる。
 だというのに、時々、不安そうに後ろを振り返る美希が、千早にはとても愛おしく思えた。
 美希が立ち止まれば、千早も立ち止まる。特に理由を聞くこともない。
 再び歩き出せば、それについて行く。
 どこに向かって、何をするのか。その全てを、千早は美希に委ねていた。


 美希の思ったように動くといいわ。私は勝手について行くから。
 千早さん、それで楽しい? という美希に、あなたと一緒にいるだけで楽しいわ、と千早の返し。
 そういうの、ちょっとずるいって思うな。
 美希の呟きが、千早に届いたのかどうかは、分からなかったけれど。


 自分探し、自分探し。
 しばらく下を向いて歩いてはみたのだけれど、どうやらそれは道に落ちているわけではなさそうだった。
 空を見上げる。
 あの雲みたいに、ぷかぷか浮いてたりするのかな。
 美希は思う。だったら、探し当てるまではできても、捕まえるのがちょっと大変かも。

「あの雲」

 と、後ろから、声が聞こえた。

「何だか、猫みたいな形ね」
 ほらあれ、と横に来た千早が遠くを指差す。
「あ、分かるの。あそこにぴょこんって耳が乗ってて、尻尾がうにょーって。お昼寝中かな?」
「ふふ」と、千早は笑った。「そういわれると、美希にも見えてくるわね」
「むー。ミキ、お昼寝ばっかりじゃないの」
「ほら、美希って猫みたいな所もあるし」
「そうなの?」
「そうなのよ」


 猫、猫。
 考えてみると、悪くない気がした。

「千早さん、美希が猫だったらお世話してくれる?」
「多分、溺愛すると思うわ」
「あはっ」美希は小さく漏らすように言った。「それじゃ、猫になるのも、いいかもしれないの」

「駄目よ」

 千早の返答は、早く、短いものだった。
「え?」
「駄目よ」と、千早は繰り返した。「美希には、まだしばらくアイドルを続けてもらわないと」
「……そう?」と、美希は、下から覗き見るように。
「ええ」

 千早は強く頷いた。

「あなたが何に悩んでいるのかは分からないけれど」

 驚きに目を見開く美希に構わず、千早は続けた。

「私は、アイドル星井美希のファンだから。美希がステージで楽しそうに笑う所を、見ていたいわ」


 ☆


「ミキね、どうしてアイドルやってたんだっけ、って」

 海の見える公園。奥の方のベンチに座った。
 別にシンコクな話ではないの、と美希は前置きをした。

「お仕事も増えて、後輩の子たちもできて、みんないい子で、毎日楽しくて、多分これってジュージツしてるって感じなの」

 ずっと前は、ただただ事務所でのんびり時間を過ごしていた。
 少し前は、キラキラ輝くために毎日必死に動いていた。
 昨日は、テレビの収録の後に、後輩のライブを見に行った。


「でも、ふと思ったの。ミキは、なんでアイドルをやってるんだろう。キラキラ輝くため? ドキドキしてワクワクするため? プロデューサーに見てもらうため?」

 きっと、それは美希にとって間違いなく「アイドルの理由」だった。
 でも。

「最近ね、そういうの、昔みたいに強く思わなくなっちゃって」

 欲求が無くなったわけではない。
 キラキラしたい。
 ドキドキワクワクしたい。
 プロデューサーに見てもらいたい。
 それは、今でも変わらず胸の中にある気持ち。
 ただ、かつてのような自分でも抑えきれない衝動が無くなったのも、確かなことだった。

「アイドルを辞めたいとか、そういうことじゃないの。でも、ミキ、何だかもやもやしちゃって」

 それだけ。
 言うと、美希は、んー、と両手を空に掲げるように伸びをする。
 大変な悩みではない、というアピールのようだった。
 カモメが気持ち良さそうに空を泳いでいる。猫とカモメだとどちらが悩みは少ないのだろうか。


「美希は」と、千早は美希を見つめて言った。「歌うの、楽しい?」
「? うん、楽しいって思う」
「ダンスは、楽しい?」
「もちろんなの」

 千早が、ふうわりと笑った。

「じゃあ、それでいいんじゃない?」


「え?」
「楽しいから歌う。楽しいから踊る」

 千早は、目を瞑って、胸に両手を当てる。
 そうしてから、大切なものを送り出すように。

「楽しいから、アイドルをやっている」


「私はね、美希」と、千早。「本当は、歌手になりたかったの。ううん、今でも憧れる気持ちはあるわ」
 でも、と続ける。
「今、私はアイドルが楽しい。美希がいて、春香がいて、みんながいて、後輩もたくさん増えて、毎日がお祭りみたい」
 だから。
「私は、これからもアイドルを続ける。楽しいって思える限り」


 歌うためにアイドルになった。
 それは、間違いのないことで、今でも彼女の大きな部分を占めている。
 だけれど、いつからか、アイドルそのものを楽しいと思うようになっていた。
 既に一人立ちできる程度の知名度を得た千早が、それでも歌手にならずにアイドルであり続けるのは、ただ、そういうことだった。


「ほら、美希。聴こえてきたわ」
「?」
「この場所はね、アイドルの……正確には、アイドルを目指す女の子の聖地なの」

 耳を澄ますと、小さく歌声が聴こえて来た。

「行ってみましょう」

 千早に手を引かれるようにして、美希はベンチから立ち上がった。
 千早の言葉がぐるぐると回っている。
 楽しいから、アイドルをやっている。
 単純で、でも、だから、とても分かりやすい。


 噴水の裏側で、まだ小さな女の子が歌っていた。

 美希の歌だった。

 きゅっ、と、胸が締め付けられるような気がした。
 音程は不安定で、声量もまだまだ心もとない。歌詞の意味さえ、きっと理解してはいないのだろう。
 だけど、とても楽しそうに歌う女の子の姿に、美希は、泣きそうな程の感情の動きを覚えた。


「ミキの歌」と、美希が言う。「こんなところにまで、伝わってるんだね」
「そうね」と、千早が言う。「アイドル星井美希が、また次のアイドルを生み出すのでしょう」
「千早さん」
「なーに?」
「アイドルってスゴイね」
「ええ」
「ねぇね、千早さん」悪戯を思いついたように、美希は言った。「あの子のとこ、行って来ていーい?」
「ふふ」おかしそうに、千早は。「言ったわよね? 美希は思ったように動くといいって。私は、勝手について行くから」
「あはっ!」

 美希が、走り出す。
 千早は、ゆっくりとそれを追いかけて行った。


 ☆


「ミキ、多分、楽しいに慣れちゃってたんだね」
 帰りの電車の中で、美希はそう話し出した。
「毎日楽しいのが当たり前で、キラキラの中にいるから、分からなくなっちゃったのかも」
「だとすれば」千早は答える。「それは、プロデューサーのせいね」
「えっ? プロデューサーは、別に悪くないって思うな」

 美希のフォローを、千早は切って捨てる。

「毎日楽しいのに美希がワクワクを感じられないのなら、新しい楽しいを提供すればいいのよ」
「新しい楽しい?」
「そう。例えば……」
「例えば?」
「美希と私でユニットを組んでみるとか」
「あ、それ楽しそうなの!」


「もしくは……そうね」

 にやり、と千早は笑う。

「逆に、美希と私で、真剣に勝負する、とか。どうせなら、後輩の子たちも巻き込んでユニットの勝負でもいいかもしれないわね」

 ぞく、と小さく身体が震える。
 ワクワクが奥の方から溢れて来て、
 ドキドキが内側に染み込んで行くような、
 胸がぎゅーっとなる感覚。

 星井美希の、それが、楽しいの衝動。






「ふふ。でもその前に、まずはプロデューサーと、あと律子に連絡しないとね」
「ミキ、プロデューサーに連絡するから、律子、さんは任せたの」
「いえ、私がプロデューサーに連絡を入れるわ。きっと律子は美希のことをとても心配しているはずだから」
「……千早さんでも、そこは譲れないの」
「……勝負ね」
「……勝負なの!」

以上です。
お付き合いいただき、ありがとうございました。

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