池袋晶葉「いつか未来の私へ」 (26)


――――

いつだったか、仕事を片付けてコーヒーを淹れていた時の話を思い出す。

「そういえば、――はどうしてプロデューサーになろうと思ったんだ?」

コーヒーを二つのカップに注ぎながら、彼女がぽつりと聞いた。

カップを受け取りながら、ぼんやりと考える。

「うまく説明できないけど、これだ、って思えたからかな」

「迷ったとき、こっちだって思ったのがプロデューサーの仕事だったんだ」

「そうか」

それっきりだったので、コーヒーに口を付ける。

彼女はしばらくカップを見つめた後に、スティックシュガーを入れてかき混ぜ始めた。



「じゃあ、晶葉はどうしてロボットを作ろうって思ったんだ?」

彼女はしばらく答えなかった。コーヒーを半分ほど飲んだところで、

「いつか話そう」

すまない、と小さくこぼした。




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・モバマスSSです。


――――

外回りを終えて事務所に戻る。

汗ばむような外気温と違って、事務所の中は心地良い。

「ただいま帰りました」

返事はまばらに返ってくる。

同僚や事務所のアイドル達は出回っていて、この時間帯は人が多くない。



机の上は工具と部品に占領されていた。

初めは口論にもなったものだが、今となってはいつものことだ。

「帰ったぞ、晶葉。机を返せ」

声を掛けたが、反応はない。

ロボを片手にうんうんと唸りつつ、机の上のドライバーへ手を伸ばした。

そのドライバーを、ひょいとつまみ上げる。



ぶつくさと言い出す彼女を促して、隣の席に座らせる。

元々は空き机だったが、何人かのアイドル達が私物を置くための収納スペースとして扱っている。

彼女もその一人で、机の上はほとんど専用の作業台だ。

その割には、なぜか俺の机で作業をしたがるのだが。



「そうだ、――。君に頼みがある」

「買い出しか?」

ロボット製作にはとにかく、材料や部品が必要となる。

このところは仕事やレッスンで忙しく、彼女の馴染みの店にもあまり行けていない。

「ああ、それもなんだが……一度、家にも寄ってほしい。昔のロボも、直せるものは改造して使おうと思ってな」

「分かった」

あんまり夜までやると、寮母さんに怒られるぞ。

そんなのはいつものことだ、と笑う。

「じゃあ、帰りに寄ってくか。レッスン行くぞ」



――――

レッスンも終わり、車を走らせる。

傾いた夕日が眩しくて、サンバイザーを倒した。

互いに会話もなく、流していたラジオはもうすぐ梅雨入りだとニュースを伝えている。



「……そういえば、誰かライブに呼びたい人はいるか?」

誕生日ライブは、決して規模の大きいものではない。

それでも、今まで彼女が経験したことのない舞台を用意した。

デビューから、もう何年も経った。今の彼女なら、いけるだろう。

「何席かなら用意できるが」

「……呼びたい人、か」

彼女はしばらく、黙った。

「事務所の誰かでも、友達でも……そういえば、晶葉のご両親は」

「すまない。ちょっと、考えさせてくれないか」

「……分かった」



その日は、それっきりだった。




彼女の自宅まで着くと、

「今日は、ここまででいい。寮には泊まると伝えておくよ」

「……晶葉、さっきは」

「気にするな、私の問題だからな」



また明日、と車を降りて歩いてゆく。

見送ることしか、できなかった。


――――

次の日は、普段と変わらない様子だった。

「もう大丈夫だ。私も休んではいられないからな」

「やっぱり、昨日の」

言葉は指で遮られる。

大丈夫だ、ともう一度念を押されて、黙ってしまった。



けれど、二日、三日と経つに連れて、彼女は調子を落としていった。

レッスン中もぼんやりと空を見つめていたり。

呼びかけても返事が返ってこないことが増えた。



ライブ当日まで、時間はない。

どうしたら良いのか。何が最善か。

それは誰にも分からない。

「申し訳ありません、今日のレッスンはお休みで……ええ、はい、ありがとうございます」

「……よし」

それでも。

彼女と向き合う他に、思い当たる道はない。



彼女は珍しく、俺の机ではなく作業用の机に座っていた。

ぼうっとしたように、手にしたロボットを見つめている。

今までに見たことのない、やや色あせの見えるロボットだった。

「晶葉」

「……ああ、すまない。レッスンの時間か?」

こちらに気付くと、そそくさと広げた工具や部品を工具箱に押し込み始める。

手付きはいつになくぎこちない。

「どうした?」

「……なんでもない。ほら、変に見えるか?」

すぐさま頷く。

彼女は観念したように、ため息を付いた。

「君に隠し通せることでもない、か」



彼女は手にしていたロボットを机の上に置く。

見るからに不格好な出来で、マジックで描かれた顔は年月が経って薄れている。

「こいつはな、私が作った初めてのロボなんだ」

「今になってよく見ると、じつに酷い出来だが……大切な思い出だよ」



ゆっくり、言葉をまとめるように彼女は間を置いて話し始める。

「聞いてくれるか、――」

「少し、話が長くなる」

「分かった」

彼女が、ようやく少しだけ笑ったのが見えた。




席を移して、コーヒーを淹れる。

差し出したカップを手にとって、彼女がぽつりぽつりと話し始める。

「……小さい頃に、父が小さなロボットをくれたんだ。初めてのプレゼントだった」



「当時から忙しい人でな、あまり構ってもらえなかった」

それでも父親らしくあろうとしたのだろうか。

幼いころの彼女は、もらったロボットを手放さなかったという。

「どうやったらこのロボを作れるか? もっとすごいものを作れるか?」

「そうして、私はロボを作り始めたんだ」

最初は紙や木で。

次第に、関節を作って曲げられるようにして。

いつしか、電池で動くものを作っていた。

「すごいだろう? 嬉しくなって、こいつを父にも見せたんだ」

「どうだったんだ?」

彼女は頷く。

「そりゃあもう、喜んでもらえたよ」



「だから、私はもっとロボを作った。いっぱい見せて、いっぱい喜んでほしかった。でも」

「忙しいから、後で。こればっかりだった」

ずっと仕事と研究ばかりで、彼女の父は家を空けていたらしい。

たまの休みに返ってきても、倒れるように寝ていたという。

「……だから、こう思ったんだ。もっとすごいロボを作らないと、父に見てすらもらえない」

「私は、もっとロボを、私自身を見てほしかった」

これが私の始まりなんだ、と彼女は言う。



「それからは、必死だったよ。どうしたらもっと動くか、新しい機能を作れるか……ずっと、研究の日々だった」

父の書斎から本や論文を引っ張り出して。

新しい雑誌を見つけては立ち読みして。

ロボット製作のために、彼女はあらゆる手を尽くした。

「あとは、君も知る通りの話だよ」

言葉に困って、コーヒーを一口すする。

冷め始めたコーヒーの酸味が、じわりと広がった。



「……そのロボット、どうするんだ」

「スクラップにして、部品を新たなロボに回す」

一瞬、息を飲む。

本当にそれで、いいのか。

思わず言葉が溢れ出る。



「……それでいいと、思っていたよ」

「でも、分解していたらこんなものを見つけてしまってな」

彼女が差し出したのは、丸まったメモ用紙だった。



急いで書いたように崩れた筆跡は、おそらく彼女の父のものだろう。

「足が稼働しない、腕の動きが肩だけ、塗装が甘い……?」

ひどいだろう、と彼女は笑う。

「初めてロボを作った娘に、こんな感想を残すんだ」

本当にひどい話だ、と彼女はこぼす。



「でも、褒め言葉も書いてあるぞ」

電池で動くロボットを作れている。

手描きの顔がかわいい。などなど。

メモの隅には、『よくできました』のスタンプが押されていた。

スタンプの下に付け加えたように、将来有望、とも。

「最初のこれきりだったけどな」



「……裏にも何か書いてあるな」

小さなメモに、鉛筆が走っていた。

「なんだ、何が書いて……ある……?」



いつかみらいのわたしへ



きょうははじめてのロボをおとうさんにみせた

とてもよろこんでくれた

うれしかった

もっとすごいロボをつくって

もっとよろこんでもらえますように




彼女はずっと手にしたメモをじっと見つめていた。

声を掛けようかと思ったその時、彼女が口を開く。

「いつか未来の私へ、か」

「君に頼みがある、――」

彼女の頬は少しだけ、赤みがかっていた。

彼女が何を思ったか。そのすべてを知ることはできない。

それでも。

何も分からないほど、知らない訳ではない。

「二人分、ライブのチケットを用意できるか?」

「任せろ」

いつも通りの、自信に満ちた笑顔が戻った。

ずっと、待ち望んでいた自信が、彼女に再び宿る。

「晶葉の頼みだからな。なんとかする」



「ありがとう、――。いつもすまない」

これくらい、今に始まったことではない。

普段の無茶に比べれば、簡単なことだ。

「招待状の文面でも考えるか?」

「……それもそうだな。考えておくよ」

もう一度だけ、彼女がありがとうと繰り返した。



――――

本番も一時間前となり、会場は慌ただしく準備に動いている。

控室を覗くと、衣装に着替えてロボットの最終調整を済ませている彼女がいた。

「大きい舞台だな……さ、流石に緊張するよ」

ドライバーを握ったその手は震えている。

「鋼のメンタル、じゃなかったのか?」

「そ、そうだけど、どんなことでも初体験はやはり、緊張してしまう」

握りしめたドライバーを離して、手を重ねる。



「大丈夫だ」

今日のために、彼女は練習を積み重ねた。

それを一番近くで見てきたのは、他ならぬ自分だ。

「優秀な助手がいるんだから、安心して失敗してこい」

「……そこは、もっと私を励ますところじゃないのか?」

へへん、と笑みが戻る。

「でも、大事な事は成功でも、失敗でもない。挑戦だ」

「そうだろう、――?」

その通りだ、と頷く。



「そうだ、――。ちゃんと両親にも話したよ」

「今日のライブ、見に来てくれるそうだ」

その言葉に胸を撫で下ろす。

「本当に、良かったな」

良かったよ、と彼女は頷く。

「今まで見てもらえなかった分、今日の私を見てくれると嬉しいな」

「見てくれるさ。大丈夫だ」



「でも、そう思えるようになったのは、こいつのおかげだよ」

テーブルの上に座るロボを指差す。

彼女が初めて作ったロボット。

塗装は塗り替えられ、手描きの顔は自信に満ちた表情に変わっている。

手足も自由に動くようになり、本番ではダンスを披露してくれるそうだ。



「こいつのおかげで、私もやっと気付かされたよ」

「アイドルを続けようと思った理由も、ロボを作り続けようと思った理由も同じだ、ってな」

少し恥ずかしそうに、彼女は笑う。

「誰かの笑顔のためだ」

「私の歌でも、ロボでも。ファンの皆、事務所の皆、そして誰よりも……君が喜んでくれる」

「それが私の原動力だったんだ」

昔の自分のおかげだな。

そうに違いない、と笑い合う。



「だが、私一人ではロボは作れてもライブはできない」

「だからこそ、――の力が必要なんだ」

任せろ、と拳を付き合わせる。

「大丈夫だ、晶葉。俺がここにいる」

「ああ。私達のライブを完成させよう!」



「……おっと、忘れるところだった」

「ライブのことばかり考えていたけど……今日、誕生日だろ。おめでとう」

鞄から包みを取り出し、開ける。

「これは……リボンか」

「ああ。衣装に合わせているけど、普段でも似合うだろう……これで、よし。どうだ」

椅子を鏡に向ける。

「……流石は――だな」

しばし惚れ惚れと鏡を見ていたが、急に我に返って、

「ちょっと恥ずかしいな。でも、ありがとう」

これで、ステージの上でも一人ではないな、と笑う。

流石にこちらも、少し恥ずかしくなって目を反らす。

「ああ、駄目だ、――。もっとよく見てくれ」

「その……今の私は、どうだ? かわいい?」



気恥ずかしさのあまりに頭を掻こうとして、止める。

「当たり前だろ。今の晶葉は……今じゃなくたって、いつだって可愛い」

「……ありがとう。もう、大丈夫」

ドアがノックされる。

もう少しだけ時間があっても、良かったのに。



――――

「……さあ。行くぞ、晶葉」

「ああ。アイドルとしての私を見せてあげよう……と、その前に」

彼女が軽く、俺の肩を押す。

「胸を張れ、――。君の自信が、私の勇気なんだ」



「さあ、開演だ!」

力強いハイタッチとともに、彼女がステージへと向かう。

「大丈夫だ、晶葉」

聞こえていたかは分からない。

それでも、彼女は後ろ手を振った。

私を信じろ、と聞こえるかのようだった。



ステージの幕が上がる。

ライトが灯る。

舞台の始まりだ。



「アー、アー、聞こえるかファン諸君。私の誕生日ライブへようこそ」


「今日のために作り上げたロボたちと、アイドルとしての真の私をお見せしよう!」


「舞台装置……起動!」


熱狂の中、一曲目がコールされる。



さあ、行け。


祈るように。願うように。


彼女を見送った。



――――――――

「……いつか過去の私へ」


「きっと予想もできないだろうが……未来の私は、アイドルをやっているよ」


「もちろんロボも作っている。でも、歌って踊って……信じられないだろう?」




「だが……君が思っていたよりも、ずっと。ここは楽しい世界だったよ」



以上で終わりです。
ありがとうございました。

晶葉ちゃん、誕生日おめでとう。

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