【ミリマス】彼女は感謝を伝えたい (20)
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睡眠不足は仕事の敵だ。頭の回転が鈍くなる、集中力が落ちていく、
判断力は低下するしお肌も荒れて良いコトは無い。つまらないミスだって増える。
だから適度な仮眠を取ることは決してサボりなんかじゃなく、むしろ業務上必要な行為だと言っていい。
特に自分の時間が持てなくて、タイトなスケジュールを強いられる
プロデューサー業なんかをしていると、慢性的な睡眠不足に頭を悩ますことになる。
その日だって、俺は大真面目に仕事をこなしてたワケなのだが。
「プロデューサーさん、また欠伸ですか?」
言われてグッと口を閉じる。少女はデスクから舞い落ちた書類を拾い上げて、
呆れたような視線を俺へと投げかける。――北沢志保。
今度プロデュースすることになったユニットメンバーのうちの一人が、
相談があるとやって来た午後の事務室だった。
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丁度、青羽の美咲ちゃんも事務所に出掛けている時で、
劇場事務室(ここ)に残っているのは俺一人。
つまりは志保と二人きり。
俺は恥ずかしいトコ見せちゃったな、とでも言うように自分の頭をひと掻きすると。
「おっと、見られてたかい?」
「大きくて、随分気持ちよさそうな欠伸でしたよ」
俺が弾みで落としてしまった書類を受け取ると、彼女はやれやれといった風に瞳を閉じ。
「ここが学校だったなら、チョークが飛んで来てたかも」
「今時いるのか? そんな先生」
「少なくとも、私のところにはまだいますよ。……それに」
志保が猫の手のように丸めた右手をスッを伸ばし、
俺の額にコツン、と曲げた指の中節を押しつけた。
「私なら投げます。こら、起きろって」
そうして意地悪そうな笑みをニヤリ。
何ともコワ可愛い先生である。
きっと彼女の注意を引くために、
居眠りしだす生徒が後を絶たないな、こりゃ。
「はは、志保なら容赦もしなさそうだ」
俺はわざとらしく身震いして見せると。
「それで、相談があるとか言ってただろう? ……いつものかい?」
「はい。話が早くて助かります」
志保の相談とは、ユニット活動におけるスケジュールの調整についてだった。
幼い弟の世話という大事な仕事のある彼女は、
時間の融通が利く個人レッスンを多く受けることになりがちで。
その為、こちらも志保のレッスンに合わせて他のメンバーの予定を組み込むことになり。
「だからなるべく、百合子と二人一組でレッスンを受けられるように調整する。
もちろん、全員揃っての練習は別にあるけど」
「百合子さんとですか?」
「メインはな。他の三人と組む日だってあるさ」
俺は笑って志保に答えたが、このことを事前に通告された百合子は死んだような顔をしていたっけ。
曰く、殺人的な練習量だとかなんだとか。
本を読む時間が無くなってしまうだとかなんだとか。
「二人ともダンスがまだまだ荒いからな。集中強化しようって――」
だがこの時、偉そうに講釈を垂れる俺を唐突な衝動が襲ったんだ。
堪え切れないその高波は容易く我慢の防波堤を乗り越えて、
まだ話の途中だというのに、俺は志保が見ている前で大きく口を開けてしまう。
……象の雄叫びのような大あくび。
これには彼女も呆れ顔、たちまちのうちに両腕を組み。
「プロデューサーさん……」
「わ、悪い、話の途中なのに」
だからチョークだけは勘弁してくれないか? そう訴えかけるような俺の視線が効いたのか、
志保は難しそうに眉をひそめ、考え込むように自分の顎へ手を当てると。
「寝てないんですか?」
「え?」
「眠れてないんですか? 最近。十分な睡眠は取ってますか?」
なんと心配してくれた。たったそれだけのコトなのだが、
彼女との間に確かな関係が築けているようでちょっと嬉しい。
「……まぁ、そこそこには」
「そこそこじゃなくて、具体的な時間を言ってください」
俺は案外に強く問い詰められ、思わずたじろぎ身を引いた。
十以上も年下な少女に気圧されるのはどうかと言う人もいるだろうが、
ここぞという時に見せる彼女の押しと圧の強さはそこらの大人にだって負けちゃいない。
おまけに彼女との付き合いがこれほど長くなり、互いに遠慮の要らない間柄になると、
普段のパワーバランスからして完全に逆転してしまってる。
……つまるところは舐められていると言ってもいいワケだが、
そこは一応、打ち解けるにつれて人を小馬鹿にする態度の増えた(本人は信頼の証だと言っていたが)
静香なんかとは違い、志保は志保なりの敬意を払ってくれてるようで。
面と向かって「情けないなぁ。私のプロデューサーなのに、
体調管理の一つも出来ないだなんて」と、たたっ切らない分彼女は優しい。
「……三日合わせて六時間?」
「ぐらいは寝てるんじゃないかな、多分」
とか何だと思ったのも束の間。途端、形の良い志保の眉が不機嫌そうにつり上がった。
……同じように俺を叱りつけても、途中で言い過ぎたかもしれないだなんてヘタれてしまう静香とは違い、
志保は最後まで叱り通すことができる娘だ。
後でキッチリフォローは入れて来るが、その分彼女は恐ろしい。
「本当に、自分の健康に無頓着な人ですね。少なすぎます、バカじゃないですか?」
「いや、でも、合間に仮眠は取ってるから、ホントはもうちょっと多いハズで――」
「信用できません、言い訳は聞きません、話にだってなりません!」
ませんませんの三連撃。
志保はバシンとデスクを叩き鳴らすと。
「そもそも、アイドルに要らない心配を掛けさせないでくださいよ」
「す、すまない」
「謝るより何よりまず先に……。
プロデューサーさんは、今すぐ行動に移るべきだと私思いますけど」
有無を言わせず捲し立てて一喝。
俺のことを椅子ごとひっくり返そうとしてるんじゃないか?
なんて疑ってしまうほどの志保の気迫は、いやはや、おっかないのなんの。
……幸い、仮眠自体はそろそろ取らなきゃヤバいと考え始めてたところでもあったから。
「わ、分かった。そうする、そうするよ」
「すぐですよ? 相談はまた後で改めてでいいですから」
「ああ、うん。ありがとう」
素直に彼女へ応えると、俺は一旦自分を落ち着けるために大きな大きなため息をついた。
「……また欠伸」
違う! ――まるで針のむしろに座らされているような気持ちで俺は椅子から立ち上がり、
厳しい監視の視線を感じながら事務室に置かれているソファの上に寝っ転がった。
それから腕を枕の代わりにして、丁度いい塩梅の姿勢を見つけると。
「ほら、これで構わないだろ? ……言いつけ通りちゃんと寝るさ」
「仮眠室まで行かないんですか?」
「良かったのか? 移動する時間で怒られるかと思って」
「なっ!? ……そ、そこまで鬼じゃありません!」
生憎、冗談だよとまでは言わせてくれないのだ。
これは彼女の言いつけ通り仮眠室まで行かないと、またまた酷く怒られるな。
……そう思った俺は慌てて体を起こしたが、
何が気に喰わないのか志保は厳しい表情のままつかつかとソファに近づいて来ると。
「な、なんだ?」
俺の言葉を聞く耳持たぬと受け流し、ポスン、とソファに腰を下ろす。
そうして、彼女は履いているスカートの乱れを手早く正し、両膝をぴちっと綺麗にくっつけたら
「……どうぞ」ぽんぽん、とその膝を俺に向かって叩いて見せたのだ!
――呆気に取られるって言葉を思い出す。
まさに今、この瞬間が使いどころだろう。
「どうぞって……えっ?」
「プロデューサーさんは仮眠室がお嫌いみたいですし、
私も相談がまだ終わってませんから。……どうぞ」
「……さっき後でも構わないって」
「その後が今です。……どうぞ!」
三度も続けばだいぶぶっきらぼうになったどうぞ。
それでも俺は、これから彼女がしようとしている行為……要は準備された膝枕に
「あ、どうもどうも」と頭を乗せる勇気を持ち合わせてなんかいない。
だがしかし、この勇気はどうも好奇心とスケベ心でも代用が効いてしまうらしい。
おまけに期間限定で、睡魔による割引だってしてるようだ。
「い、いいのか?」
だからと言って、なにを聞いてるんだ、俺は。
「……プロデューサーさんだったら、別に」
そして何を答えてるんだ、君は。
志保は恥ずかしいのかキュッと結んだ口を開くと。
「その、私だって……日頃のお礼がしたいんです。キチンと仕事を頂けること、
アイドルを続けていられること。……アナタに感謝、してますから」
再度、志保が膝を叩いた。その為だったらこのぐらい――そう言ってるような素振りだった。
丈の短い真っ黒なフリルスカートからスラリと伸びる二本の足。
白と黒のシックなコントラスト。
気づけば肘をソファについて、横になろうとしている俺の体。
「んっ」
ゆっくりと、遠慮がちに、それでも実に図々しく、
腿の上に掛けられていく重量を感じ取ったのか、志保がぴくりとその身を震わせた。
何てことの無いスカート生地がまるで高級シーツのように触れてる肌へと吸い付いて、
乗せている頬を滑らかな感触で惑わせる。他人の匂い、洗剤の匂い、後ろ髪にも何かが当たる。
痛いほどに澄まされた耳が捉えた少々荒っぽいそのリズムは、
彼女の呼吸で伸縮する腹部が押しやる感触だ。
自分の頭のすぐ後ろに、無防備な腹があるという現実は生々しい。
俺はやり場の無い両手をしっかと組むと、視線は先ほどまで座っていたデスクの方へと固定して、
とにかく"何も考えないこと"について全神経を集中させて黙考する。
精神統一、煩悩退散、沈思黙考というヤツだ――あ、いやいや最後のは嘘、これはダメ、それはダメだっ!
「プロデューサーさん」
「あ、ああ」
「寝心地、悪くありませんか?」
そう尋ねる志保の声というのも、緊張のせいか僅かに震えていた。
そりゃそうだろう。膝枕に慣れている中学生なんているものかよ。
……なんてことをチラリとでも考えてしまうと余計に背徳感が募っていく。
触れているのが頭だけとはいえ、その熱は脳みそへと直に伝わるのか、
他人の持つ温もりが全身を包むような錯覚を感じて興奮を覚えるのも事実。
俺は奇妙に唇を震わせて。
「悪くない……ぞ。柔らかくて、いい感じだ」
とはいえ、柔らかいは褒め言葉になるんだろうか?
しかし良い匂いがする、だと変態度は即座にレッドライン。
セクハラだと訴えられないことを祈るが、
そそもそもこの状況が既にセクハラのボーダーを軽く飛び越えた先の先に在り。
「……志保の方こそ重くないか?」
「平気です。弟のお陰で慣れてますから」
「あぁ、そう、それでなのか……」
瞬間、俺の心には幾ばくかの冷静さを取り戻してやましい炎が燃え盛った。
そうか、弟にしてるなら慣れてるよな。
そうか、弟はいつも志保に膝枕されてるのか……。
なんて、小さな納得の感情を包み込んだソレはある種の醜い嫉妬だと言えた。
そんなことを意識してしまったが最後、俺は言いようのない落ち着かなさに苛まれて。
「志保」
彼女の顔を一目見ようと頭の向きを動かす、が。
「きゃっ!? きゅ、急に動いちゃ!」
「す、すまない!」
「だからって戻るのも――っ!」
そうか、おっぱいって見上げるとこんな風に見えるんだな――などと阿保なことを考える暇も無かった。
頭の上から聞こえて来た鼻から抜けるような吐息。
驚いたせいで両腿の間に走るクレバス。
さっきまでよりも数段深く沈み込んで支えられた俺の頭と、
ずり落とされないよう反射的に伸ばした手が彼女のシャツの裾を掴む――って、ん?
「あ、アナタって人は本当に……!」
必死に感情を押し殺しています、そんな風な志保の声は激しく震えていた。
だが俺に、彼女の表情を窺うことはできない。
どころか目の前は完全に塞がれていた。
視界一杯に広がる白と黒のボーダーラインはいつも見ているシャツの柄だ。
彼女の匂いが今まで以上に強くなる。
少女の持つ熱が俺の顔面を熱くさせて、急激に早まった動悸の音が煩わしい。
「逆……でしょう。普通は、なのに、どうして……ホントに、もう……!」
恥じらうべきか怒るべきか? 顔は見えずとも迷っているのが手に取るように理解できた。
できるならすぐにでも謝りたいが、今は何を言っても火に油なんじゃないだろうか?
だが謝らないワケにもいかない。
言って、俺は体の向きを変えようと身をよじったのだが。
「動かないでください!」
志保の叫びがたちまち俺を石に変える。
若干涙声だった気がしないでもない彼女は慌てた様に俺の肩を掴むと。
「もうこれ以上、恥ずかしい思いはしたくないですから。そのままでいいです、寝てていいです」
「いや、この姿勢以上に恥ずかしいことは――」
「だから見られたくないんです、もう!」
怒ったようにそう言って、彼女は俺の後頭部をぎこちなく片手で抑えつけた。
むぎゅ、と柔らかなお腹が顔に押しつけられる。
思わずおおっ!? なんて喜べるほど俺も神経が太い男じゃない。
早速、視界を塞がれたことで戸惑い抗議の声を上げたのだが。
「だから、動かないでください……!」
今度という今度こそ本当に、激しい怒りを孕んだ警告を返されてしまった。
いくら恥ずかしがってるからと、こんな時に持ち前の意固地を発揮しなくてもいいだろうに……。
俺はまるで、罠に掛けられた獲物のようにこの場からの脱出を諦めると。
「分かった、大人しく眠るよ……」
「……はい、それでお願いします」
そうは答えたものの、中々に難しい注文だぞ、これは。
意識するなというのが無茶な話。
なにせ息を吸ったり吐いたりする度に、
俺は彼女の香りと熱を胸いっぱいに吸い込むことになるのだから――。
だが、体は身じろぎできなくとも、時間はお構いなしに流れていく。
例え数秒が数分、いや数十分に感じられるような長い体験でも、
時間だけは止まることなく進み、状況に変化を与えてくれるのだ。
……志保が動いた気配を感じられた。
まんじりともせずに浅い呼吸を繰り返してた俺の髪に、そっと掌が乗せられたことを知る。
「眠るには目を、つむらないと」
彼女の囁き声はもう、幾分かの落ち着きを取り戻していて。
まるで警戒する動物の機嫌でも取るように、志保はその手を柔らかく動かし俺を撫でる。
……すると不思議なことではあるものの、猫の毛並みにでも触れているようなその動きは、
ひと撫でごとに俺の体から硬さを取り除き、次第に忘れていた睡魔を思い出させるほどの心地良い安らぎを生み出した。
そのうちに、彼女の陰が作り出した暗がりは穏やかな微睡みへと俺の意識を誘って。
「……いつもお疲れ様です。ゆっくり休んでください」
自分の物だと分かる寝息に混じって、
そんな志保の声が聞こえて来たような気がしたが……
その時になると既にもう、俺はぎこちない優しさと緩やかな眠りにすっかり包まれていたのだった。
――それで、目覚め心地はどうだったかって? 正直悪くは無かったとも。
頭もスッキリ冴えてたし、深い眠りは俺に夢すら見せなかった。
おまけにソファから立ち上がった時に、
足が痺れていたのかフラフラする志保なんて珍しい物も見れたからね。
……ただ一つ、彼女を甘く見ていたことがあったとすれば。
「プロデューサー。志保のスマホの待ち受けがアナタの寝顔だったんですけど、これは?」
後日、鬼の形相をした静香にこっぴどくこき下ろされたことだろうな、うん。
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以上おしまい。膝枕っていいですよね
お読みいただきありがとうございました
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