橘ありす「人生の墓場へようこそ」 (52)

モバマスSSです。
地の分を含むのでご注意ください。
更新不定期。
(たぶん)長くならない。

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   《モバP「長年の相棒って言葉、絆で固く結ばれてるみたいでいいよな」》



 ◇

暖かな、というよりはもはや攻撃的にまで見えるような。

燦燦と降り注ぐ太陽光。
季節は六月頭にして、すでに冷房フル稼働なくして我が身の明日はないような状態。

「儂も、もはやここまでか」

外を出歩く気すら起きない。
この現代の乾いた砂漠は俺の身体には余りにも厳しい環境だ。

「若いのになに言ってんですか。というか、儂とかとってつけたような老人アピールは安易だと思います」

一人、黄昏ながら忌まわしき太陽に焼かれる地上を眺めていると不機嫌そうな声が投げつけられた。

「……ありすか」

声の主へと視線を向ける。

タブレットを抱えるようにして持っていた綺麗な黒髪を背中で纏めた小さな女の子。
と、そんな姿が一瞬瞼に浮かんで、まばたきと同時に掻き消えた。

掻き消えた幻の先。
そこに居るのは、握っているシャープペンシルのペン先を人差し指と中指で弄ぶ、これまた少女。

事務所の中央にある丸机の上に広げられたテキストに向き合っていた彼女は胡乱げな視線をこちらに寄越してくる。

「……現役女子高生に若さを諭されるの納得いかないんだけど」

「事実ですし」

一瞬垣間見えた、かつての幻影よりもすらっと背丈を伸ばし、表情を柔らかくした少女。
高校生になった、橘ありすの姿がそこに在る。

   《橘ありす「男女間で純粋な友情は成立しないので長年の相棒って言葉は実質嫁といっても問題ないですよね」》



 ◇

憎々し気に窓ガラス越しに目下のコンクリートジャングルを見下ろす姿に思わず苦笑いが零れた。
今も昔も、ころころと感情の賽の目を指先で転がすように変化させる姿は見ていて飽きません。

「……現役女子高生に若さを諭されるの納得いかないんだが」
「事実ですし」

なるべく素っ気なく。
私は意識して言葉を返す。

たった二人きりのちいさな、ちいさな事務所。
ちいさいにもほどがあるこの場所が、この場所こそがいまもむかしも、私のほとんどを占めていた。

ふと、向けられている視線に気づきます。
穏やかな、静かな瞳でした。

最近になって向けられることの多いこの視線。
理由は実は分かっていました。



そう遠くない先、最盛期を超した"橘ありす”という偶像の樹木はその歴史に静かにその幕を下す。

そう決めた時から、少しずつ二人で準備はしてきました。
プロデューサーと相談して少しずつ仕事を減らし、継続で頂いていたお仕事に打ち込み、そしていずれそれを最後に私はこの姿から姿を消す。

―――そして、私は、なるのだ。なって、しまうのだ。





―――――プロデューサーのお嫁さんに……!



思わず、拳をシャープペンごと強く握っていたこと気づいた私は慌てて力を緩めた。

しかし、思い返せば、長く険しい道のりでした。
小さな頃から抱えていたこの胸を焦がす思慕の情。

幼いころに待てるか、と聞いてあの穏やかな瞳で頷いてくれたあの表情は未だに脳に焼き付いています。

もうすぐ、もう間もなく、私は約束を果たせる。
心臓がとくんとくんと脈打っているのが自分でも分かる。

脈打つ心臓に突き動かされるように唇が声を紡いだ。

「もうすぐですね」

彼にも、長いこと待たせてしまいました。
それでも浮名一つ流さず、私を想っていてくれたのでしょう。
……誇らしいです。

プロデューサーは少しだけきょとんとした表情を浮かべてから、「あぁ」と、ようやく思い至ったのか表情を変えた。

真剣な表情が私を見据える。
少しでも誠意が真っすぐに伝わるように、そんな彼の気持ちが伝わってきます。

……でも、ちょ、ちょっとそんなふうに見られると、やっ、そのっ。

「しっかり準備はしてるから」
「そっ、そうですか」

準備、なんて……そ、そんな……。
ど、どれだけ……。





どれだけ私のことだ、大好きなんですかねっ……!かねっ……!
しょうがない人ですねっ!うぇっ、へへへ……!

一旦ここまで。
おやすみ。

   《モバP「二人きりの事務所」》



 ◇

図体だけ大人になったような。
そんな言葉を仲のいい同業者や親類にたまに掛けられることがある。
無論、咎める意味でだ。

言外に「大人になれよ」と言われていることは分かっているのだが、残念ながら未だ割り切ることが出来ていない気がする。
多分、要領が悪いのだ。
やるべきことは分かっているのに、気が進まないとか、やりたくないというか、そんな感じ。

そう、まるきり夏休みの宿題を投げ出す子供の理論だ。

だけれど、変わらなければいけない時は、きっとすぐそこに来ていた。



それは、枯れ葉が散るようにゆっくりと灯を小さくしていた。
かつてつむじ風のように世間を駆け抜けていった女の子は、世間から姿を消そうとしている。



幾つかの幸運と沢山の必然の元、くるくると。
廻り続けて、少なくない人々の目を惹き続けた女の子は至極あっさりと引退を決めた。



ピクリとも手ごたえを感じない時期もあり、目が回る忙しさにコネを使って信用出来るヘルプ要因を希《こいねが》うハメになった時もある。

この事務所には二人しかいない。
まぁ、自分に出来ない手続きとか外の人に任せてることもあるけど……。

つまりはなにがあっても、唯一の大人である、俺の責任。
そして、俺は結局、最後まで彼女一人で手一杯であった。

本当ならば、この頃には新たなアイドルを抱えて、育成に専念していなければいけないのだろう。

だけれど、まぁ。
結局のところ、どこまでいっても「大人になれよ」ということなのだろう。

どうにも俺は、情が移りすぎるというか、向いていないようで。
そういう気にもなれなかった。
資質のなさが、致命的にもほどがある。

なまじ滅茶苦茶スケールダウンしたスネオくんみたいな恵まれた環境と少しばかりの良縁に恵まれたばかりに半端に上手くいってしまった。
というか、本当の意味で上手くやったのはありすの方なのだろうが。

忙しいながらにも。

学生としての橘ありすの時間も。
アイドルとしての橘ありすとしての時間も。

どちらも損なうことなくまっとうしつつある。

だからこそだろう。

「しっかり準備はしてるから」

どうせ切り替えられないのならば、最後の最後まで全力で力を尽くそう。
そう俺に思わせるのは彼女の人徳なのだろう。

「そっ、そうですか」

ありすは、少しだけ照れたように俺から視線を逸らした。
そして、手持ち無沙汰なのかこつ、こつ、とシャープペンシルの尻でテキストを優しく叩いた。

「期待、しちゃいますね?」

再びこちらに光を浴びた硝子玉のような綺麗な瞳が向けられる。
頬にうっすらと紅色を湛えて、久しく見ていないような子供の笑みを浮かべた女の子。

俺は静かに頷いた。
その表情にどこか懐かしいものを感じながら。

   《橘ありす『二人きりの事務所ってもう実質これ同棲生活と言っても差支えないですよね』》



 ◇

正直に言えば驚いていました。
まさか、あそこまでプロデューサーが真剣に考えてくれていたなんて。

いえ、まぁ、……当然なのかもしれません。

これが、大人ってことなのかもしれません。
というか、私だってちょっと前まで小さなお子様だったわけです。

ちょっと下手をロリコン扱いされるこのご時世です。
もしかすると、その誹りすら受けることを覚悟してまで、紳士的に私を見守っていてくれたプロデューサー。

これが、真実の愛ってやつなのでしょうか。
すごい、なんか少女マンガみたいな響きですっ、真実の愛。
本当の愛はここにあったんですよっ!

ほ、ほんとにっ、ど、どれだけわたしのこと大好きなんですかねっ!ほんとにもうっ、困っちゃうじゃないですかぁっ!

「期待、しちゃいますね?」

あーっ、あぁ゛ーっ!

しょうがない、しょうがないですよね。
もう、私が面倒見ちゃうしかないですよね。うひ、ふへへ。

無意識に口元が緩んでいたのか、口の端から涎が零れ落ちそうになる。
慌てて、私は口元に掌をやってそれを乱暴に拭いかけて、気づく。

そう、気づいてしまう。
流石に想い人の前で涎を拭うというのは――ナシだ。乙女的にというか、それ以前に人間的にです。



瞬間的に、呼吸を止める。――集中。
―――意識して血を昇らせる。

一瞬だけ眩暈のような、くらくらする感覚。
顔全体に火照りを感じる。
きっと視覚的に見ても頬や耳のあたりまで赤みを見て取れるようになっているでしょう。

「そ、そんなにじっと顔見ないでくださいっ!」

私は、籠った熱と一緒に一つ言葉を吐き出す。
その言葉を聞いて、微笑ましいものを見るような、そんな微かな笑みを浮かべてプロデューサーは口を開いた。

「顔見られたくらいで照れるって子供かよ」

「放っておいてください」

そして、恥ずかしさから、プロデューサーの視線を遮るように私は顔を隠すかのように掌をやる――ふりをして、しれっと口元の涎を拭った。



―――よし。私の乙女は救われました。

あっつい。とける。
一旦ここまで。

橘さんなのに、拭い切れぬ駄サンタ感

   《モバP「出来れば、気のいいお兄さんくらいには思われてたらいいな」》



 ◇

いやいや、とするように。
俺の視線を遮るように紅潮する頬を掌を広げる。

その仕草もまぁ、愛らしいというか、なんというか。
ふとした瞬間に、流石はアイドルだな、と思い知らされる。

――じゅるる。と。
一瞬だけそんな不思議な音が耳に届いた気がした。

うっかり引っ掛けて、デスクからなにか落っことしでもしたのかと、机の下を覗き込むが、特になにかがあるわけでもなく。

「……気のせいか」

まぁ、そんなこともあるだろう。

一つ嘆息。
それと同時になぜかありすのほうも「ふぅ」と溜息を吐いていた。
不思議と重なった些細な仕草に妙な親近感を覚える。
これが、気が合うというやつなのだろうか。

しかし、十以上歳の離れた女の子相手にこんな言葉を使うのも本人から嫌がられてしまうかもしれない。

まるで思春期の娘を抱える父親のような思考。
これまた、全国のお父さんがたになにを知った気になっているんだ若造が、と怒られそうで。

結局のところどっちつかずな微妙な自分の立ち位置に渋い気持ちになって。

なんとなく、俺は机の端に乗せていた紙パックの飲料から飛び出したストローに口を付けた。

   《橘ありす「法的に結婚出来る年齢と倫理的に結婚が許される年齢が違うのって納得いかなくないですか?
    その点、未成年でも問題なく結べる婚約って本当に優秀で流石、小説、漫画とか様々な媒体で長年……あっ、もうちょっと喋る枠」》



 ◇

「なんだか珍しいもの飲んでますね」

ふと、気づいてプロデューサーに声を掛ける。

「……そう?」

彼ははて?と言わんばかりに首を傾げる。
のんびりと紙パックの中身を啜る仕草は特別面白いものでもないはずなのに、妙に面白いものに見える。

一瞬、心の中の乙女が「私がさっき涎を啜った音より静かに飲んでるじゃないですか」と、一瞬声をあげたのを黙らせる。バレてない出来事は存在しなかったも同義なのです。

『低脂肪』。
我々のような栄養管理に重きを置かなければいけない人種にとっての恩赦の言葉の刻まれたハンドサイズの牛乳のパック。
それから口を離してから、プロデューサーは口を離した。

「いや、なんか子供の頃は当たり前に飲んでて、大人になって飲まなくなると身体が消化しなくなるって聞いてさ、なんかさ……勿体ない気がして」

「勿体ないってなにがですか」

少しだけ困ったような顔して、それから神妙な顔つきでプロデューサーは再び口を開いた。

「……こう、消化酵素的な……胃……腸……腸内細菌……?いや、まぁ、どこで牛乳消化吸収してるんだか知らないんだけどさ」

時々、プロデューサーがひどく可愛らしく見えることがある。

これはあれ。あれなのです。
多分、惚れた弱みってやつなのです。

夕方くらいにまた書けたら(希望)。
>>14
ほんのりとかがっつり残念要素のある子大好きなんですよね。
あと、これ書くかひじりん(好感度カンスト)書くかよしのん(好感度カンスト)書くか正直悩んだ。

   《モバP「めっちゃいい子だよねこの子」》



 ◇

お偉いさんの言う、「キミもいい歳なんだから、家庭を持ったらどうだい?」って類の言葉ほど胡散臭い言葉もないような気がする。

というか、持とうと思って持てるもんなのそういうの。
こう、そういう活動してるの万が一、うちの橘お嬢様に知られたら「うわっ、こいつめっちゃガツガツしてるんだけど、こっわ」とか思われない?

いや、むしろ全くそういう素振り見せないほうが不自然で怖い感じなのだろうか。

仲のよさ、という面でそう、悪くない感じなんじゃないかな、とひっそりとは思ってはいる。
と、いうのも仕事の都合上交流のある人たちを見ていると比較的に、といった感じではあるのだが。

結局のところ中高生の女の子といい歳したお兄さんなので、尋ねにくいこともある。

ありすへと視線を向ける。
昔と比べれば、すらっと背丈も伸びて、顔立ちから幼さが消えた。

―――勿体ない。
一瞬だけ、そんな感情が浮かんだのを、慌てて振り払う。

ここではないどこか、普段から都合よく威を借りまくっているでかいところでデビューして、沢山の仲間たちに囲まれて夢を追い続ける。
そんな未来もありえた、いや、これからだって出来得ることだ。

橘ありすは未だ枯れていないのだから。

思わず、口が開いた。

「一個だけ聞きたいんだけど、さ」

「なんですか?」

「俺でよかったのか?」

ありすは、唐突な質問に瞳を丸くする。
そして、少しの間だけ思案する素振りをして、柔らかく微笑んだ。

「あなたがよかったんです」

正直、少しだけ泣きそうになった。
めっちゃいい子だよねこの子。

「……飲めない癖に外の自販機でブラックのコーヒー買って来てたようなお子様が成長したんだな」

「なッ!? あっ、……そ、そういうことは忘れてくださいっ!」

「今だから打ち明けるけど俺は恰好付けるためと外向きの時だけ平然とコーヒー飲んでたけど本当はコーヒー苦くて大っ嫌いだから」

「はぁっ!? 当時そのことで、すっごい私のことバカにしてたじゃないですか!」

「俺も若かったよね」

「若さアピールは免罪符じゃないです!……というか、なんで今更そんなこと打ち明けるんですか」

やや、ぶすっとした表情で吐き捨てるようにありすは言う。

「知っておいてほしかったんだよ。なんとなく」

「……へ?」

「もう少しだからほら、俺の汚点っぽいことも晒しておこうかなって」

思わず言葉が零れ落ちた。
長い付き合いの終わり、その最後を静かに感じつつあるからこそだろうか。

「…………もう少し、そうですね。くふ、もう少しですもんね」

なぜか、俺を見上げるありすの視線に熱っぽいものが混じったように感じた。

俺一人で抱えている女々しい感傷なのでは。
と、そうも思ってもいたのだが、そうでもなさそうで、思わず俺も頬が緩んでしまった。

ここまで。一個しか出来なかったーん……
なんかもう、いろいろありがとうございます。

   《橘ありす「今、こいつクールタチバナというより脳内ピンクタチバナだろって言ったの誰ですか。正直に名乗り出てください」》



 ◇

―――――そんな。

雷が堕ちてきたような衝撃でした。
まるで、脳から突き抜けて、踵のあたりまで駆け抜けていったような。

無意識に私は生唾を飲み込みます。

プロデューサーの言葉が鐘の音のように幾重にも重なって脳内に響くのがはっきりと分かります。


知っておいてほしかったんだよ。なんとなく           ※原文ママ

――俺のことをもっと知ってくれ                ※恣意的解釈

――― 一生を共にするキミには俺のすべてを知ってほしい    ※逆難聴系主人公

―――――俺はキミのすべてを知りたい!            ※幻聴


思わず、口を開こうとしてふと、それに気づく。

演技なんかじゃなく、かぁっ、と頭に血が昇ってくる。
顔全体が火傷したみたいな熱を感じる。

よもや、そこまで……なんて。
冗談めかした言葉で、誤魔化したくなるような
そこまでなりふり構わない愛情表現をされてしまうとは思いませんでした。

つ、釣った魚にこんなにたくさん餌あげちゃって、……ど、どうする……どうしたいんですかねっ!もうっ!

「…………もう少し、そうですね。くふ、もう少しですもんね」

ふと、緊張からなのかひどく喉が渇いていることに気づきます。
ふらふら、と夜の街頭に虫が引き寄せられるように、私はプロデューサーのデスクに迷いのない足取りで歩みだした。

   《モバP「キミの往く先に幸あれと祈る」》



 ◇

人生には幾つもの区切りがある。
それはなにかとの、誰かとの出会いだったり、学業的な区切りだったり、就職だったり。

きっと、これは俺にとってもありすにとっても一つの大きな区切りになるのだろう。

終わりを言葉にしてしまったからだろうか。

顔を赤くして、熱を持った視線は、未だこちらに向けられている。
その胸の中で攪拌されているだろうたくさんの感情を表しているのか、薄っすらと涙すら湛えているようにすら見えるそれ。

ずん、ずん、と足元を慣らすようにして、ありすはこちらへと歩いてくる。

そして、俺のデスクの上、散らばる文具を払うようにしてスペースを空けて、そこにどっかりと座り込んだ。
そう、平然と机の上に腰かけやがりましたよ。この子。

一瞬、思考が止まる。
ありすは、続いて俺の飲んでいた牛乳のパックを掴み上げて、ぎゅうっっと吸い込む。
勢いよくひしゃげる紙パック。
恐ろしい勢いで吸い出されていく白濁液。

こつん、と机の上に投げ出されるように転がる紙パック。
当然、すでに中身など残っているはずもなく。

「喉、乾いてたんです」

「だったら好きなの冷蔵庫から取ってきなさい。あと、行儀が悪い」

「……放っておいたらぬるくなっちゃうじゃないですか。ぬるくなったら美味しくないから私が処理してあげたんです」

―――ここまで挑戦的な感情を露わにしてくるのも珍しい。

そう思ってみてみれば、ありすはなにかを期待するようにじっとこちらを見てくる。
なにかを求められていた。

―――はて? 一体なにを?

正直、なにも浮かびはしない。

俺のその無言の姿勢に少しだけ、眉をひそめてから、ありすは口を開こうとして――。

「……もっと―――」

――言い淀んで、言葉を止めた。
そして、少しの思い悩む仕草を見せてから、再び口を開いた。

「もっと、餌をくれてもいいです……よ?」

餌。えさ。エサ……?
エサってなんだ。なんなの?お腹すいたの……?

どうしよう、なんか作ったほうがいい……?いや、そんなのより、なんか出前でも取った方がいいのかな。

取っ散らかった思考を必死で束ねていると、ふと、彼女が子供の時も時々誰でも分かるようなミスをぽろりと零して、俺をわざと困らせて反応を伺っていたこと思い出した。

あの頃は態度も固くて、警戒心全開のハムスターのようだった。
その癖、構われないとヘソを曲げてスネるのだから、あの頃から可愛かったな、とも思うのだが。

あの頃はどうしたのだったか、――そう。
握りこぶしの先で……こう、こつんっ、って感じで優しく小突いたんだっけ。

「こらっ」

懐かしくなって同じように小突いてやる。
いつものように子供扱いするな、と怒られるかと思えば、ありすははっとした様子で目をぱちくりさせる。

「……そうでしたね。まだはやい。もうちょっとですもんね」

そして、深呼吸をひとつ。

「プロデューサーのせいですからねっ!」

なぜなのか。

俺は少しだけたそがれた気持ちでデスクの上でくしゃくしゃになって転がっている牛乳パックを見やり、指の先でそれを小突いた。

べこべこになっているせいで、無軌道に転がる牛乳パックのように、年頃のキミの心も無軌道なのだろうか。

一旦ここまで。
肉食系なおんなのこすき。

>>28
わたしです

   《橘ありす「あれこれ考えるより先に迷わず私の手をとるべきです」》



 ◇

あなたが私を使うんじゃなくて、私があなたを使うんです。


……なんて。
こつん、と額に感じた衝撃で一瞬だけ過去の私が蘇る。

今の私よりずっと背丈の小さな女の子。
半眼で、不機嫌そうにむっつりとした顔をして。

思わず苦笑いが零れる。

少しだけ懐かしい気分です。
まぁ、普通に黒歴史なんですけどね!

当時の年齢を考えても、我ながらすんごいことを言っていたような。
……いや、本当に、よく嫌われませんでしたよねこれ。

時々、思い出したみたいに絡んできて"テスト”だなんだと難癖をつける。
そんな小生意気な子供によくもまぁ……、と。

口元を小さく笑みの形にして、目を細めているプロデューサーも恐らくは同じことを思い出しているのでしょう。

いえ、まぁ、言ってしまえば私の"テスト”とやらは、結局、途中からあれやこれやと、好きな人にちょっかいを出してかまって貰いたいが為の口実と化してしまった訳ですが。

自分のことなんですけど、なんで子供ってあつらえたみたいにみんなおんなじことするんでしょうね……。

投下ひとつだけ。

>>31
橘ありす「へ? ピンクはヒロインの色だから似合うと思った、ですか?
      ……なんですか。最初からそういってください」

   モバP「リザルト」



 ◇

つつがなく、といっていいのだろうか。
ちろちろ、と蝋の尽きかけた蝋燭に灯っていた炎が掻き消えるように静かに。

ありすは最後の現場を終えた。
かなり昔から、それこそ彼女が小学生の頃からあれこれ手掛けていた、規模こそ小さなラジオトークの番組ではあったが、それゆえに思い入れのある番組だった。

入念に準備を進めていただけあって、終わるときは静かで。

当然、波風が立たなかったわけではないけれど、波乱万丈というほどでもない。

例えるならば、『一時期すごく話題になったタレント』といったあたりか。
この結果が失敗だったのか、成功だったのか。

俺にはなんともいえない。

――まだ上にいけたはずだ。
そんな風に今更になってそんなことを思うこともある。

だけれど、それだけの時間をかけて、彼女は子供から大人に。
気づいた時には大学受験を終え、今となっては橘ありすは大学生になっていた。

   橘ありす「リザルト」



 ◇

私は、少しだけ強欲だ。
こんなことを言うと軽蔑されてしまうかもしれないけど、自己顕示欲だって少なからずありますし。

歌うことも好き。
踊ることが好き。
喋ることも好き。

そして、プロデューサーが大好きだ。

それに学生生活だって私にとってはみんなが言うほど嫌いなものじゃない。
ユニットを組んだ同じアイドルの友人だっているし、どうでもいいことを話して盛り上がる学校の友人だっている。

ぜんぶ、ぜんぶ、ぜんぶ、と掌を伸ばして。
私は抱えられるだけぜんぶ、大事なものぜんぶを抱え込んだ。

だから、最後の時にどんな顔をするか、決めていたんです。

普段あんまりしないような、にたりって感じで笑いながら、プロデューサーに言ってやるんです。



「どうですか。 私もなかなかやるものだったでしょう?」



なんて。
それがきっと、一番今の私らしいと思うから。

ここまで。
次回、タチバナさんのクールが弾ける(予定)。

それと、あとちょいで多分完結になります。

   《モバP「記憶のタイムカプセルはたいてい地雷と表裏一体」》



 ◇

「なかなか面白いものだと思いませんか? 私ももう大学生ですし、あとちょっとでお酒だって飲めるようになるんですよ」

「……実はこっそり舐めるぐらいはしてたりするんじゃないか?」

「そういうつまんないことで最後にケチつけられたくないですから。私はそういうの徹底してるんです」

「流石、しっかりしてらっしゃる」

事務所の丸テーブルの上には大量の近所で買い集めてきた総菜やら菓子やらがぶちまけられている。

まるで学生同士のような二人だけのちょっとしたお疲れ様の労い。
……では、あるのだが。小規模なものでもこの物量はなかなかのもので、余った大量の食品は多分俺があれこれ手を尽くして悪くしながら保存しながら消費することになるだろう。

ちょくちょくこういったことをするようになってから思い知ったのだが、お菓子とかに入ってるシリカゲルの乾燥剤とかとっとくと本当に便利。

たった二人だけでこれなのだから、パーティーやら行事やらでの世界的な食糧廃棄も増える一方なのだろうな、なんて。
どうでもいいことに少しだけ思考を巡らせる。

「……というか、私のプロデューサーなんですからそんな面倒ごと引き寄せるようなことを言わないでください」

「ごめんごめん」

なげやりな言葉での謝罪をとばしながら。




いくら大人が俺だけといっても、昔から酒類は事務所には置かないように気を付けているのだが、今日くらいは、と買い込んできた缶ビールを一口、煽る。

実のところ、お酒は強くもないし、そもそもの話、あまり好きでもない。
味覚が子供、と昔からありすからは散々にからかわれているのだが、こればかりはどうにもならなかった。
わざわざ他人に言うことでもないし、恰好のいいことでもないので、そのことを知っているのは両親とありすくらいだろうか。

舌が痺れるような苦みと渋みが脳みそにじわじわと浸透してくるような不快感。

―――なんだかな。

アルコールのせいなのか、なんなのか。
胃の中からせりあがってくるような仄暗い感情。

結局、最後に俺はひとりぼっちになるのか、なんて。
ひどく女々しい感情に喉元を締め上げられているような気がする。
情けなくて、申し訳なくて、純粋にダサい。

分かっている。
慣れないアルコールに逃げて、今だけは、と忘れていたいだけなのだ。

それでも、求めている効果は発揮してくれているのか、いい具合に思考の枷は緩んでいるし、どうにか黒い胸のうちを明かすことなく喋れている気がする。

「ほら、昔はたまに大人になったら結婚してくれる、みたいなこと言ってたじゃん」

些細な思い出話に華を咲かせて、それでおしまい。それでいいじゃないか。

「ふぇっ!?」

ちびちびと、紙コップに注がれたオレンジジュースに口をつけて飲んでいたありすがひどく動揺した声をあげる。

最後くらいは、なんて内心思いながら。
とっておきの記憶を開帳してやる。

「『あぁ、これが小学校に赴任してきたちょっと人気のある若い信任教師の気分かぁ』……なんて。当時はいつかありすが大人になったときにこの話を話してイジってやろうかな、なんてさ」

「…………は?」

「子供相手とはいえ、なかなかどうして、俺も捨てたものでもないんじゃないか、って気になったもんだよ。はは」

「……………………へぇ」

『わ、笑わないでくださいっ!』って感じで、不機嫌そうに、少しだけ照れたような顔をみせてくれれば、きっとそれ以上はない。

そんな風に考えながら俺は改めて、ありすへと視線を向けた。

胸に渦巻く感情の泥をなんともないように振り払って、笑え。せめて、今だけは。



願わくば。最後くらいは。
キミの往く先に幸あれと祈る、俺でありたい。

   《橘ありす「それは考えてみれば当然で、必然で。だけれど私の障害足りえません」》



 ◇

子供だからだ。
子供の言うことだ。
子供のすることだ。

そんな言葉が嫌い。嫌いだ。大嫌いでした。

「『あぁ、これが小学校に赴任してきたちょっと人気のある若い信任教師の気分かぁ』……なんて。当時はいつかありすが大人になったときにこの話を話してイジってやろうかな、なんてさ」

「…………は?」

だからこそ、私の頭が一瞬フリーズしたのは当然で、必然で。

だけれど、問題なのは、大人になった今の私にはプロデューサーの理屈も理解出来てしまうことでした。

もう少しだけ、私が幼ければ、喚き散らしたかもしれないですけど。
……今は、そうじゃない。

「子供相手とはいえ、なかなかどうして、俺も捨てたものでもないんじゃないか、って気になったもんだよ。はは」

ビールの缶を握って、プロデューサーがアルコールが回っているのか、ぎこちない笑みを浮かべている。

「……………………へぇ」

こちとら、子供のころからいつだって真剣なのです。

大事なもの、抱え込んだなかで、一番大切なもの。

それが零れ落ちたなら。
何度だって手を伸ばして拾い上げればいいだけの簡単な話でした。



そして―――なによりも。

“ただの橘ありす”を縛るものなんて、ただのひとつもありはしないのですから。

「プロデューサー」

私は持っていた紙コップをテーブルに置いて、テーブルの反対側に座るプロデューサーの元へと歩きだした。

「私は――」

ですから、おとなしくあきらめて――。

「私は昔も今もあなたのことが大好きです」

「へっ? あぁ、もちろん俺も―――」

「勿論、男性として好きって意味で言ってます」

「…………へ? ……えっ?」

――私のものになってください。

腰掛けたままのプロデューサーの肩に私は片手づづ乗せる。
動揺に彷徨うプロデューサーの瞳を私はまっすぐに見つめる。

そして、羞恥心を捻じ伏せるように。
私は勢いよく、彼の唇に口付けた。

からん、からん、と。
そんな音がして、プロデューサーの持っていたビールの缶がその掌から零れ落ちて、小麦色の液体がテーブルに広がっていくのが視界の端に映った。

どくん、どくんと私の心臓が勢いよく跳ねるのが自然と分かりました。

もう、勢い任せの行動に頭の中はまっしろです。
理性がトンでいる間に唇と唇は離れていて、気づけば私はプロデューサーと見つめあってました。

なにを話そうとしたのか、ほぼ無意識に口を開いてから、ようやく気づきました。
刺激物質じみた苦みが舌を通して口一杯に広がる感覚。

テーブルの上からカーペットにぽたぽたと零れ落ちている小麦色の雫。
その残滓がプロデューサーを通して伝わってきたのは明確でした。

「…………うぇ。にがっ。まずぅっ…………わたし、はじめてだったのに……」

……はじめて。生まれてから覚えている限りはじめてのキスだったのに。
どうしてこんなことになってしまうんでしょうか。

「……ぷっ、……はははは」

「なっ……!? はぁっ!?」

一世一代。一世一代の私の告白ですよ。
だというのに……! この人ときたら笑っていました。

「わ、笑わないでくださいっ!」

――私だって、怒るときは怒るんですよ!

「……受け入れてくれるまで一生付き纏ってやりますから」

荒れ狂う感情の波を飲み込んで、精一杯の不機嫌を表情に乗せてから、プロデューサーを睨む。

「一生ですよっ、いっしょうっ!」

睨む私は見て、プロデューサーは先ほどとは少しだけ違う、見たことのない類の笑みを見せた。

困ったような、だけれど少しだけ嬉しそうにも見えるような。
今の私にはその表情がどんな感情を顕しているいるのかは、わかりませんでした。

だけど、私を涙すら浮かぶほど笑いものにしていたのか、私は気づきませんでしたけど、プロデューサーが目元に浮かんでいたらしい涙を拭っているのは分かりました。

“参ったなぁ”なんて小さく囁くプロデューサーを私はジトっとした目で睨み続けました。
……いや、女の子の告白を参った、参ったってなんですかっ!

とはいえ、拒絶の意思は感じません。
だったらそれは、私にとっての肯定とそう変わりませんでした。
それだけの自信が、私にはありました。





 ◇





「ちなみに、私が十二歳の時から立ててた計画だと今から半年以内に同棲生活に移行して、その一年後には式を挙げる予定です。なので、遅くても今から半年以内に同棲に移れるくらいに急いで私のことを愛してもらいます」

プロデューサーの表情が初めて引き攣った。





          橘ありす「人生の墓場へようこそ」 END

これにて完結。
ここまで読んで頂いた皆さんに感謝感謝。
手をひいていたあの子にいまは手をひかれて、って感じのが書きたかった(書けたかは不明)
では、またどこかで。

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