凛「腐った死体と夏の蝉」 (11)
制服のシャツがうざったいくらい汗ばむ猛暑が東京に押し寄せていた。
手をかざして見上げると、まるで今私の立つこの場所が夏の中心であるかのような晴れ晴れとした空が憎らしい顔でこちらを眺めていた。
天気予報士が言うには、今日は40度に近い真夏日らしい。
どうりでさっきから向かい側のホームに佇む人の列が陽炎のようにぐにゃぐにゃと歪んでいるわけだ。
私はもう一度額に滲んだ汗を拭い直して、熱を帯びた頬に手のひらを当てた。
“凛ちゃ~ん、お仕事お疲れです! 今日はとっても暑いので水分はしっかりとらないとダメですよ?
それじゃあ私はこれから家族でハワイに行ってくるので、お土産たのしみにしててくださいねっ”
気が付くと左手の中に収めていたスマホに卯月からのメッセージが届いていた。
文末には気の抜けた顔をしたイヌの絵文字が張り付けてあったので、私は片目を瞑りながらいそいそと返信の文面を考える。
“うん、ありがとう。卯月も旅行気を付けてね。……あと、その絵文字もしかしてハナコのつもり?”
“えへへ、ハナコちゃんですっ!”
ハナコの毛並みは茶色なんだけど、卯月が嬉しそうにしてるからわざわざ言う必要もないだろう。
つい先日、奈緒にプレゼントしてもらったプリキュアのスタンプを送った後、私は胸元のボタンをひとつ外して耳にかかった髪をかき上げた。
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卯月以外にも、夏休みを満喫してると連絡をよこしてくる友人は後を絶たなかった。
加蓮に至ってはわざわざ郵便で「デンマークは涼しいよ~」とポストカードを送りつけてくるくらいだ。
シンデレラプロジェクトを取り巻く様々なことがひと段落し、みなそれぞれに羽を伸ばしているのは分かる。
だけど、こうして真夏の都心で汗を垂らしながらも、雑誌の表紙を飾る写真の撮影に赴いている女の子がいるってことも知って欲しいと思う。
「……あれ、未央からもメッセージが届いてる」
卯月に続いて未央からの連絡に思わず私は声を漏らす。
画面を開くと麦わら帽子を被り満面の笑みを浮かべる女の子のアイコンが目に飛び込んできた。
未央は私と同じくプロデューサーの意向で夏休みに仕事を入れられて遊びに行けないと嘆いていたし、おおよそ軽い愚痴めいた内容が書かれているんだろう。
しかし、そんな私の予想に反して、未央からのメッセージは暑さで溶けそうになっていた私の頭に打ち水を浴びせた。
“ねえ、346プロの関係者が死んじゃったんだって。ニュース見た?”
◇
事務所の扉を開くと、ちょうど同じタイミングでちひろさんが書類を抱え慌てて飛び出ていくところだったので、お互いに体を後ろにのけぞりながら足を止めた。
ちひろさんは、挨拶もほどほどに「ちょっと急ぐので、お仕事がんばってくださいね」と笑みを浮かべ、そのままどこかへ足早に去っていった。
首を傾げながら部屋の中に足を踏み入れると、ソファに腰を掛けつつストローを咥えた李衣菜がひらひらとこちらに手を振っていた。
首にかけた蒼いヘッドフォンのコードはその動きに合わせるように宙で揺れていた。
「んー、凛ちゃんも今日に仕事はいってたんだ。お互い大変だよね、周りの皆は夏休みだっていうのにさあ」
「うん、未央と撮影がね。李衣菜はひとり?」
「えー。あー……いや、別にそういうわけでもないんだよね」
李衣菜が溜息を吐きながら人差し指を突き出した先には、頭に猫耳をつけた女の子が鏡の前に立ち、可愛らしいポージングを決める練習をしていた。
髪を後ろに束ねながら「ねえ李衣菜チャン、今日のイベントは結ったほうがいいかなあ?」と振り返ったところで、女の子はようやく私の存在に気付く。
「あっ、凛チャンいつの間に来てたのー?」
「ついさっきだよ。みくもいるってことは、今日はアスタリスクでイベントに参加するの?」
「そーいうこと。さっきからみくちゃん髪型が決まらないってうるさくってさあ。もう朝からつき合わされてる私の身にもなって欲しいくらいだよ。適当な無造作スタイルの方がロックぽくって良いって言ってるのにさー」
「もー、みくの質問に李衣菜チャンがちゃんとこたえてくれないからでしょー! そもそもロックっぽいとか、李衣菜チャンが言ってるのはただ身だしなみにだらしないだけにゃ!」
また始まった、と思いながら私も李衣菜の隣に腰を下ろす。
それにしても、ふたりがいつも通りの様相をしていたからかあまり意識していなかったけれど、部屋には私たち三人以外は誰もいない。
夏休みだから仕方ないと思うけど、いつもの喧騒に慣れてしまったせいか、さすがに少しばかり寂しさが込み上げてくる。
「そう言えば、未央はまだここに来てなかった? さっき連絡があって――」
そこまで話した私の頭にふとメッセージの内容がよぎった。
プロダクションの関係者が亡くなった、その微かな異変を私は確かに感じていた。
ふたりは話題にしようとはしないけれど、部屋に入る前に遭ったちひろさんの様子、あれはどう考えても……。
「未央ちゃんなら、さっきPチャンといっしょにどこかに行っちゃったよね」
「あー、そう言えばそうだっけ。少し前に出てったからそろそろ帰ってくるんじゃない?」
「プロデューサーと?」
実を言えば未央から連絡があった後、ここに来るまでの道中で私は“事件”について少なからず調べていた。
東京の郊外で事件が起きたという旨は大きく見出しで書かれていたし、今朝プロダクションの関係者が亡くなったということも確かだった。
しかし、それだけで終わらすには事件は不可解な箇所が見受けられたのもまた事実だった。
「あれっ? しぶりん、いつの間に事務所に来てたの?」
ずいぶんと聞きなれた声に目線を上げると、制服の上からピンク色のパーカーに身を包んだ未央がソファに座る私を見つめていた。
「ついさっきだよ。未央の方こそプロデューサーとどこに行ってたの?」
「あー、うん。それはちょっと、ね」
ばつの悪そうに頬を掻いた未央をこれ以上追及する気にもなれず、私は仕方なく口を閉ざす。
「それよりもしぶりん、私の送ったメッセージちゃんと読んでくれた?」
「もちろん。そのことについて私も話を聞きたかったんだ」
「なになに、ふたりして何の話?」
「みく達もお話にまぜてよー」
顔を見合わせた私たちを面白がってか、先ほどまで言い合いをしていた李衣菜とみくが目を光らせて体を寄せてきた。
そんな二人にもう一度、私たちが朝にしていた会話と事件についての説明をする。
「ふぅーん、そう言えば女子寮でもその話題はでてたっけ。みくは準備に忙しかったからそのまま出てきちゃったけど」
「みくちゃんって時事ネタとか疎そうだよねー、なんかそんなイメージ」
「失礼にゃ! これでもみくは学校の成績は李衣菜チャンなんかより全然いいんだからねっ!」
「まあまあ、お二人さん。夫婦喧嘩はそこらへんにして……」
「誰が夫婦にゃっ!」「誰が夫婦だっ!」
未央は再び喧嘩をはじまりそうになったところを止めようとしたけれど、
二人の怒りが収まりそうもなかったので、私から未央に質問を投げかけた。
「たぶんだけど、未央が朝から私にメッセージを送ってきたのって“アレ”が原因だよね」
「しぶりん、もしかしてニュースの内容どこかで見たの?」
「うん。すこしだけ」
「もー、そうやって二人で勝手に話をすすめないでほしいにゃ!」
みくが堪えきれないと言った様子で席から立ち上がると、腰に手を当ててむくれた顔で私と未央に不満をぶつけてきた。
そんなみくを眺めて未央がやれやれと首を振る。
「あのね、みくにゃん。今朝プロダクションの関係者が亡くなったっていうのはさっきも話したと思うけど、この事件にはちょっとおかしな点があったんだよ」
「おかしな点?」
「そう、その事件って言うのがさ」
「あっ、そういえば私も今朝そのニュース見たよ!」
未央がそこまで話したところで、隣に座っていた李衣菜はなにかを思い出したかのように手をあげた。
「――たしか、半分に切られてたんだよね。その人の体の、上半身と下半身がさ」
意気揚々と人差し指を突き立てた李衣菜は、その指先で自分のお腹をゆっくりと横になぞった。
つづく…
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