モバマスより城ヶ崎美嘉と莉嘉のSSです。
独自解釈、ファンタジー要素、一部アイドルの人外設定などありますためご注意ください。
(※わかりづらいのでスレタイにたぬき付けました)
前作です↓
鷹富士茄子「現在、未来、茄子ですよ~」
鷹富士茄子「現在、未来、茄子ですよ~」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1526315837/)
最初のです↓
小日向美穂「こひなたぬき」
小日向美穂「こひなたぬき」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1508431385/)
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1527526941
いつも飲んでる銘柄の缶コーヒーを買って、誰より早く事務所に入る。
思った通りあの人はもういて、昨日別れた時と同じ格好でデスクに向かっていた。
「おはよ、プロデューサー」
「ああ、おはよう美嘉。土曜なのに早いな」
「自主トレしとこうと思って。はいこれ差し入れ」
できるだけ自然な感じにコーヒーを差し出すと、彼は「ありがとう」と笑った。
「ねえ、ブラックって美味しいの?」
「ん? んー……そんなでもない」
「え。じゃ何でいつも飲んでるのそれ」
書類から目を離さないまま器用にプルタブを開ける、そんな横顔をアタシは見ている。
「気分の問題かな。飲むとなんか、やるかーって感じになるんだ。パブロフのなんとかってあるだろ、あれと似たようなもんだよ」
「スイッチが入るってこと?」
「そんな感じ。美嘉も何かそういうルーチンがあるんじゃないか?」
ある。
今がそれ。
自主トレをしに来たっていうのは、半分は方便だった。
レッスンルームを開けられるようになるまでもう少し時間がかかる。
それまでこうして二人で過ごすというのが、アタシにとっての一つのスイッチ。
他愛のない話でも別に良いんだ。
他の誰かが来たり何か始まる前に、一度こうしてアタシ一人に向けられた言葉が欲しいだけ。
「それ、何見てるの? 履歴書?」
「次のオーディションに来る子達の資料。ちなみに刺繍封筒だ。サンキューちっひ」
ちょっと見てみると結構分厚くてびっくりしちゃった。
「へぇ、来てるじゃん! この子達みんなプロデューサーが担当するの?」
「何人受かったか次第だな。誰がどこに配属されるかもわからないし、気の早い話だよ」
いよいよここも大所帯になってきたよね。
うちのプロダクションはかなり全体規模が大きくて、所属アイドルや企画の方向性ごとに幾つもの部署に分かれている。
この部署もなんだかんだで色んな子がやって来て、社内でも名が知られるようになってきた。
……色んな意味で。
「いやぁ思えば遠くへ来たもんだ」
人が増えたから、こうして二人っきりで話をする機会もめっきり減った。
でも、ま――
「なーに浸ってんの。まだまだこれからでしょ?」
「それもそうだな。これからも頼りにしてるから、フォロー頼むぞ、先輩」
頼りにしてる――
言葉と期待がお腹の底に落ちて、アタシは「ん」と喉を鳴らした。
……うん、おいしい。
「トーゼン! まかしときなって★」
「さて、今回の分はこれで最後……おっ、華のある子だ。いるもんだなぁやっぱり」
「かわいいんだ?」
「かなりな。えーなになに、城ヶ崎……ん?」
「は?」
プロデューサーは書面に顔を近付け、崩しの激しい文字をなんとか読み取ろうとする。
「城ヶ崎……えーと字が丸くて読みづらい、り……」
「ちょっと見せて!」
ずずいっと顔を寄せて、ほっぺたがくっつくのにも構わず履歴書をガン見した。
見覚えのある丸文字、あちこちに貼られてるシール、何より毎日見てる顔の写真――
「――り、莉嘉!!?」
〇
―― 後日 事務所
P「えー、ということで……」
P「先日のオーディションを見事パスして、うちの部署の配属となった、城ヶ崎莉嘉さんだ」
P「みんな、先輩として色々教えてやって欲しい」
莉嘉「やっほー☆ 城ヶ崎莉嘉だよー! みんなよろしくね~っ」
美穂「わぁ、かわいい……!」
美穂「……って、城ヶ崎?」
蘭子「城ヶ崎、とは――――」
莉嘉「おねーちゃーーーーんっ!! アタシもアイドルなれたよーーーーーーっ!!」ダキッ
美嘉「莉嘉! アンタ家じゃ何も……っ!」
芳乃「ほほー……やはりそうだったのですかー」
紗枝「そういえば、妹はんがおらはるって言うてはりましたもんなぁ」
周子「写真よく見せて貰ってたわ。いやー実物はえらい可愛いね」
莉嘉「あっ、小日向美穂ちゃん!?」
美穂「え!? あ、うん、そうだけど……」
莉嘉「わぁわぁ、ほんとだすっごく可愛いっ! ねぇねぇ狸ってホント!? 尻尾どこ!? カブトムシ好き!?」パタパタパタパタ
莉嘉「そっちは小早川紗枝ちゃん! あっ塩見周子ちゃんでしょ!? わーっ依田芳乃ちゃんだ! 神崎蘭子ちゃんもいるーっ!」チョロチョロチョロチョロ
美嘉「ちょっと莉嘉っ! あんまり騒がないの!」
〇
そんなこと一言も聞いてなかった。
アタシをびっくりさせようと思って、今までずっと内緒にしていたらしい。
今LINEでメッセージ送ったら、ママもパパも知ってたみたい。
まんまとしてやられたわけだ。
プロデューサーが運転する車の中で、アタシは肩をすくめてスマホを置いた。
「ちなみに100%実力だ。うちに配属されたのも完全に偶然」
「それはまあ、そうなんだろうけど」
「審査員はみんな褒めてたよ、筋がいいって。誰かさんを手本にしてたからじゃないか?」
当然。莉嘉はやればできる子だ。
それはいいんだけど、こっちとしてはあまりに急で、まだ心の切り替えができてないのが正直なところ。
莉嘉が、アイドル……。
アタシはその、同じ部署の先輩、か。
プロデューサーは車を運転しながら、何か言いたそうだった。
助手席から見る横顔はもうすっかり馴染みの光景で、だから小さな変化には結構敏感だったりする。
「なに? 莉嘉のこと?」
「細かいことだけどな。ほら、目とか髪の色」
ああ。
「違うのが気になる? どっちも生まれつきだよ、アタシのはママの遺伝だし」
「それじゃ妹さんの方は?」
「莉嘉もママの遺伝」
びっくりしてる。無理もないよね。
これ言うと大抵驚かれるから、つい笑ってしまう。
アタシ達は悪魔だ。
ママが純血でパパは人。
そういう種族の、ハーフってわけ。
―― 後日 事務所
「うぁ~、レッスン疲れたぁ~」
莉嘉はすっかりクタクタになって戻ってきた。胸にはもふもふのうさぎ。
うさぎはしゅたっと降り立ち、ポンッ! と戻って。
「お疲れさまですっ、莉嘉ちゃん」
「二人ともおかえり。智絵里ちゃん、莉嘉のやつ何か迷惑かけたりしなかった?」
「そんなことないです。莉嘉ちゃんすっごく頑張り屋さんで……私も引っ張ってもらっちゃいました」
「えへへ~、智絵里ちゃんにいろいろ教えてもらったんだ!」
そっか、智絵里ちゃんもすっかり先輩か。
莉嘉は事務所の何もかもが珍しいみたいで、入る度に目を輝かせていろんなものに興味を示した。
「あ! 志希ちゃんだ! ハスハスの!」
「にゃはは~。おまえもハスハスしてやろうか~」
「それでそっちはフレちゃん! フンフンの!」
「のんのん、フンフンフフ~ン♪ りぴーとあふたみー?」
「フンフンフフーン♪」
「オー♪ リカ、とっても上手ですね?」
「ありがとー! えっと、アーニャちゃんだよね!」
「はいはい大人しくする」
「ん゙にゅ」
鼻をつまんでソファの隣に座らせる。
この事務所は溜まり場みたいになっていて、手隙の子達がいつも思い思いに過ごしている。
莉嘉にはそれが新鮮でたまらないみたいだった。
……無理もないかもしれない。
テレビや雑誌でよく見る子達だし、アタシ自身、結構ここの話はよくしてたから。
「ふふ。大変ね、美嘉お姉ちゃん?」
「もー大変大変。ただでさえ家でも手のかかる子なんだから」
「きゃーっ☆」
アタシに頭をぐりぐりやられるのが莉嘉は好きだ。
奏の冷やかしもまあ、甘んじて受けるべきなのかも。
「あれ? てかPくんいないの?」
と、莉嘉は今更になって気付いた。
確かに今は事務所にいない時間だけど。
……てか、早速この子はプロデューサーのことを君付けで呼んでる。
懐っこいというか、なんというか……。プロデューサー本人が気にしてないっぽいからいいけど。
「プロデューサーなら外のスタジオじゃない?」
「なんで!?」
なんでって。
「確か美穂の撮影についてったんでしょ。だよね、ちひろさん?」
確認を取ると、ずっとここにいたちひろさんも頷いた。
莉嘉はなにやら難しい顔をしていた。
「え~っ、いつもお姉ちゃんと一緒にいるんじゃないの? それっておかしくない?」
それは……え?
なんかおかしいことあった?
こっちの方こそ釈然としないアタシを見上げ、莉嘉は当然のことのように――
「だって、Pくんってお姉ちゃんのカレシなんでしょ?」
!?
その時、事務所に居合わせたみんなの反応は十人十色だった。
固まる子、お茶をこぼしちゃう子、開いた口が塞がらない子、見開いた眼で凝視してくる子、
あらまぁみたいな顔の子、ニヤニヤしながら事の経緯を見守る子。
横っ面に「えぇ~あたし全然知らへんかった~そうな~ん?」的な視線が刺さる。
正気に戻って見返すと、周子が悪魔より悪魔的なニヤつきを浮かべていた。
言葉が出ない。考える前にぶんぶん首を振った。手まで振った。
莉嘉は爆弾が落ちた後のような空気と姉の様子に、ただただ無邪気に驚いた。
「違うの!!!??」
「違うに決まってんでしょ!!!!」
「だってお姉ちゃん家ではPくんの話ばっかりしてるしPくんのおべんと作ってるしPくんの電話来る30分くらい前からそわそわしてるし雑誌のデート特集見ながらPくんとならどうするかとか一人でぶつぶつ」
「莉~~嘉~~っ!!」
「むぐぐーっ!」
口を押さえて抱き上げる。そのままダッシュで室外へ。火事場のバカ力。
そんな姉妹を、事務所のみんなは言葉もなく見送っていた。
―― 廊下
「あ、アンタまさかずっとそんな勘違いしてたの!?」
「だって絶対そうだと思ったもん」
「もん、じゃなくて……はあもう、後で誤解とかなきゃ……」
本人があの場にいなくて良かった……あと美穂も。
莉嘉は遅まきながら「やっちゃった」ことを理解したみたいで、上目におずおず見上げてくる。
「えと……ごめんね?」
「いいよ、ちゃんと言ってないアタシも悪かったんだし」
「お姉ちゃんなら、狙ったオトコは絶対ゲットするって思ってたから……」
「ゔ」
ラジオで相談コーナーも持ってる、恋愛強者のカリスマギャル――
というのが表向きのイメージであって、もちろんどんな相談にもいつだってホンキで向き合うけど、
実際そういう経験が豊富なのかと言われれば……まあ、その。
「ママ言ってたじゃん。いいオトコを見つけたら、逃がさないでケーヤクしちゃいなさいって」
「むむ……」
「アンタ簡単に言うけどね、契約ってのはそうほうほいするものじゃないの」
「契約!」
「でもでも、それがオトナになるには大事だってママ言ってたじゃん。ぱわー? みたいなのが強まるって」
「悪魔の魔力(パゥワ)!」
「そんなの別に…………って、誰かいるの?」
どうも一人多いっぽい。
見ると物陰に銀色の縦ロールが。
「……蘭子ちゃん?」
「あっ、蘭子ちゃんだー! 聞いてたの?」
物陰からおずおず顔を出す蘭子ちゃん。
確かに、こういう話題は好きっぽいけど……。
「そ、そのぅ……契約、とは?」
……あ、めっちゃワクワクしてる。
契約……っていうのは……なんていうか。
一人の悪魔が一人の人間と契約を交わすと、なんかいろいろ捗るらしい。
デビルビームが出せるとか、デビルアローが超音波とかデビルイヤーは地獄耳とか、
別にそういう何か凄いことになるわけじゃないんだけど。
全体的に快適で体にもいい……らしい。ママ曰く。老後も安心みたいな。
別にしないとダメなわけじゃなくて、契約者がいない悪魔もいっぱいいる。
あくまで相手がいればというか、結果にコミットというか、保険みたいなそんなポジション。
――でも、コレと思った人がいたら迷わず契約しちゃいなさい。
――ママは今、パパと一緒でメッッッチャ幸せだから。
ママはそう言った。
あと食生活面でも捗るとか。
と、世間話ついでに話してみる。そんなに大したことないんだよーって。
アタシだって契約どうこうなんて考えもしてないわけだし、今も全然健康だし。
話し終えた辺りで蘭子ちゃんは何故か赤くなった。
「そ……其は……すなわち……」
「え。な、何? なんか変なことあった?」
蘭子ちゃんはスケッチブックで顔を隠して上目にこっちを見た。
「……けっこん、ってこと、ですか?」
ぶ。
「そうそうそうそう!! ぜったいそーゆー意味だってアタシも思ってたの!!」
莉嘉が前のめりに迫って蘭子ちゃんがびっくりした。
「ふわぁ!?」
「お姉ちゃんぜったいPくんとケーヤクするんだってアタシ思っててだってお姉ちゃんPくんのこと好」
「莉嘉ーーーーーっ!!」
「むごぐぐぐぐ!!」
塞いだ。よし! 聞かなかったことにしよう!
莉嘉は何も言わなかった! だからこの話はおしまい!!
「…………美嘉、ちゃん…………」
………………とはいかないっぽい。
蘭子ちゃんは困り顔だった。
真っ赤な顔で、だけど本人なりに色々考えているみたいだった。
アタシにはそういう感情がわかる。
人の感情の機微が。
「っとね、蘭子ちゃん……」
「…………常ならざるもの達の戯れ」
「つまりその、アタシは……」
「…………極星はただ一つ」
このやり取りでなんとなくわかった。
蘭子ちゃんは知ってる。
てことは、アタシもほんとのところを言わないといけない。
「――あー、うん。いっか言っても」
「…………ん」
「アタシもプロデューサーが好きなんだよね。……えと、恋って意味で」
「美穂と同じ。知ってるんでしょ、蘭子ちゃんも?」
◆◆◆◆◆
誰にだって気付かせない。
アタシの本当のアタシ――とか、なんか。
今更この事務所でそんなこと気にする必要も無いし。
多分たくさんの人が勘違いしてると思うんだけど、悪魔ってそんなに特別じゃない。
単に狸や狐や河童や何かと同じ、「そういう種族」っていうだけの話なんだ。
特別悪いことはしないし、地獄やあの世に住んでるわけでもない。
生まれも育ちも埼玉の、ちょっと変わった姉妹というだけ。
じゃあ悪魔って何なんだって話になるけど、起源については諸説ある。
簡単に説明するなら「はぐれ者たち」というか。
悪魔という言葉の示す範囲が広すぎて、あえて一括りにするならそうとしか言いようがない。
人の数だけ文化があって、文化の数だけ神様はいる。
アタシは神様の実物を見たことなんて無いけど、彼らの敷いた神話体系から外れてしまう種族は確かにいた。
文化とか宗教とか、そういう正しいっぽい分類から外れた「まつろわぬもの」を、総じて悪魔と呼んだんだって。
もっともアタシもそんな詳しくはないんだけど……とにかくざっくりそんな感じの流れで、一定の悪魔が日本に居付いて。
人間と交わったり、血が混ざったりあれやこれやで命脈を保ってきたそうなの。
彼らの祖先がどこから来たのかは、きっともう誰にもわからないんだと思う。資料にだって残ってないし。
まあどっちにしろ昔の話で、アタシは大して気にしてない。
自分のルーツが縄文人か弥生人かとか気にもしないでしょ? それと同じ。
昔から、周りと違うことをマイナスに思ったことはない。
ママはそれはもう鮮やかに真っ赤な髪の悪魔で、特に男女の恋愛に関しては一家言あった。
それが日本のある男性と恋に落ちて、夫婦になった。
アタシのピンクブロンドの髪は生まれつきで、ママの髪色が人の血で薄まってこうなったらしい。
だけど日本で暮らす上で真っ赤っかな髪ってどうしても目立って、だからママは人っぽく化けることもできた。
その人間モードっていうのが、綺麗なブロンドヘアーのヨーロッパ系外国人ってワケ。
莉嘉の金髪はこっちを受け継いだみたい。てことで、城ヶ崎姉妹は二人とも地毛なんだ。
アタシも莉嘉も両親が大好きで、ママから受け継いだこの髪は誇りだった。
周りはそうは思わなかったみたいだけど。
簡単な話で、学校の規則とか周りの目みたいなことね。
学校の先生は訝しげだし、クラスメイトは異物を見る目を隠そうともしなかった。
もちろん、覚悟の上だった。
みんな違ってみんないい、みたいなお題目はしかし、わかりやすい異物を前にすればあっさり崩れ去る。
アタシは城ヶ崎美嘉という名前より先に「ピンク色のやつ」「髪の変なやつ」「何組の不良」みたいなレッテルで覚えられてた。
でも、別に苦じゃなかった。
見た目であれこれ言われるんなら、普段の態度で黙らせればいいだけだ。
友達だってできた。見た目で及び腰だった子も、ちゃんと話せばアタシのことをわかってくれた。
もちろん「悪魔のハーフです」っていうのは言えなかったにしても……。
アタシは自分なりに、真面目に小学生時代を生きてきたつもりだ。
だけど、莉嘉はもうちょっとだけ不器用だったみたいで。
「うっ、うぅ゙っ、お゙ね゙ぇ゙ぢゃ~ん゙……」
アタシが小5の頃、小1になったばっかの莉嘉が泣きながら帰ってきた。
それが一つのターニングポイントだった。
「莉嘉!? アンタどうしたの、すりむいてるじゃん!」
「男子とけんかしてきた……」
耳を疑った。喧嘩? なんで?
莉嘉はお転婆なとこあるけど、そんな荒っぽいことするような子じゃない筈なのに。
「おまえの髪は変だって、フリョーだって……。親のキョーイクが悪いんだって……」
ぐずぐず泣きながら、莉嘉は一生懸命話してくれる。
相手はなんにも知らない子供で、適当な戯言だ。そんなのよくわかってる。
「おまえのねーちゃんも、ピンク色のフリョーの頭だって……アタシ、がまんできなくて……」
莉嘉のことが愛しくてたまらなくなった。
ぐしゅぐしゅ泣く妹の傷を消毒して、綺麗な金髪の頭を優しく抱きしめて、決意した。
結局、はぐれ者扱いは人間社会でだって同じだ。
もー怒った。
そんなに言うなら逆転の発想だ。
黒く染めるだの隠すだの、そんなふざけたこと二度と言わせないようにしてやる。
この髪がそんなに変なら、それが一番輝くやり方を選んでやる。
バシッと盛って、ファッションもそれっぽくして、自慢の髪を主役にしてやるんだ。
頭の中でぐるぐる考えて一番しっくり来たのが、いわゆるギャルのファッションだった。
派手できらびやかで、ラフなようでいて計算されてる。これならきっとアタシらに合う。
「わーっ! お姉ちゃんすごい! かっこいいーっ!」
最初はなんにも無かったから、家にあったバッジとかビーズとかシールでデコってみた。
いざ見せてみたら、泣き顔だった莉嘉の顔が一気に晴れて嬉しかった。
それが、城ヶ崎美嘉のギャルの第一歩だった。
もちろんファッションで偏見持たれるのってイヤだったから、勉強はちゃんとした。
アタシの評判を落とすのはママや莉嘉を貶めることと同じだから。
努力して、自分を磨いて、それを自信にするんだ。
「ヘン」じゃなくて「かっこいい」ってまず思わせるんだ。
そういう背中を、莉嘉に見せていたいから。
努力が実って、アタシは人間社会でもそれなりのポジションにつけたと思う。
偏見のない友達だってたくさんできたし、わかってくれる先生にも恵まれた。
それで高校に上がった辺りで、雑誌とかのファッションモデルをすることになっていた。
学生と二足のわらじって奴?
「この夏は青のコーデで決まり――だって! お姉ちゃんすっごいキマってるじゃん!」
「へへへ、でしょー★」
雑誌を広げて莉嘉が目を輝かせる。
この子はもう、髪の色で誰かと喧嘩することは無くなった。むしろ自慢するようになって、
それはすごく嬉しいことだけど、セットでアタシのことまでよく話すみたいでちょっと面映ゆい。
正直、今でも偏見の目で見てくる人はいる。
だけどそういう目に馬鹿正直に取り合う必要は無いってわかった。
行動で示すんだ。
自分のスタンスを、自分のやり方でばしっと打ち立てる。
アタシらにとってはそれがギャル。いいじゃん、カッコいいじゃん。
本気でカッコ付けてけばいいんだ。それが指針になるんだから。
……と言いつつ、実はまだ克服できてない問題があった。
こっちは表に出すことじゃなく、個人の問題として片付けるしかないんだけど。
飛ぶのが下手なの。
莉嘉よりも悪魔の血が濃いアタシは、ママからそっちのパーツを受け継いでもいた。
角と、尻尾。それから翼。
生活する上で普通に隠すことはできるんだけど、それって結構窮屈だったりする。
だからたまに人のいないとこで全部ばっと出すことがある。
気分的には、長時間座った後でぐぐーっと伸びをする感じに近い。
そこで運動がてら、ぱぱっと羽ばたいて……ってことができればいいんだけど。
アタシはとにかく、羽ばたくっていうことがてんでダメダメだった。
仕方ないってママは言う。
格好いいよってパパは言う。
飛べなくて困ることがあるかと言われれば、別に全然だった。
移動手段なんかありふれてるし、現代日本で誰かが空飛んでたらすぐ人に見つかって大騒ぎだ。
そういう風に身体機能を封印して、悪魔は人間に紛れてきた。
でも、アタシは飛べない自分が不甲斐なかった。
髪の色と同じで、この翼もママから受け継いだ大切なものだ。
莉嘉だって家で広げる度にかっこいいって大はしゃぎしてくれる。
そんな中で、実際には満足に飛べませんでしたなんて笑い話にもならないと思う。
アタシはアタシの翼を誇りたい。
誰かに披露する機会が無くても、ママから貰ったものなんだぞって自慢できる翼でありたい。
ということで。
誰にも内緒で、こっそり自主トレしてたことがある。
それが運命の分かれ道だった。
家から三駅のところにある、大きめの自然公園を練習場にしていた。
メジャーなランニングコースから外れた森に広場があって、そこは夕方から夜にかけて人が全然いない時間が訪れる。
その時間を利用してトレーニングしてたんだけど、これがまあ上手くいかない。
ひっくり返ったり転んだり、体が持ち上がらなかったり、風に翻弄されたり。
でも諦めるのだけは絶対イヤだったから、自分が納得できるよう必死に飛ぶ練習をしてた。
あの日も宵の口に一人で練習していた。
既に何度か墜落して、汗だくになってよし次だって空を睨んだところで――
がさっ、と茂みが動いた。
弾かれたように振り返ると、目が合った。
スーツ姿の年上のお兄さんがいた。
見られたんだ。
…………やっっっっば。
流石に頭が真っ白になった。
この時間にここに来る人は誰もいなかったから、まさにイレギュラー。
「み…………見た?」
なんて、バカみたいなことしか言えなくて。
だけどそれが、新しい世界への扉だった。
◆◆◆◆◆
「――――ちゃん」
「美嘉ちゃんっ」
あ。
呼びかける声に我に返った。いけないいけない、集中してなかった……。
なんか昔を思い出すこと増えたなぁ。莉嘉が事務所に入ったからかな。
「ごめんね響子ちゃん。次どうするんだったっけ?」
「おにぎり、握ってくれますか? 具はそっちのタッパーに入ってますからっ」
エプロン姿の響子ちゃんは、うちのキッチンでてきぱき作業を進めている。
もう見慣れた光景だった。料理好き同士として、彼女は何度かアタシと共同作業をしに来ている。
おにぎりにスコッチエッグ、タコさんウインナーにミニオムレツ……。
色とりどりのおかずが並ぶ食卓に、下から伸びる手が一つ。
「こーらっ、莉嘉ちゃん。つまみ食いはだめだよ?」
「ぅぁ~、バレたぁ……」
「ちゃんと莉嘉ちゃんの分も用意してるからね。でもまずは、これを完成させなくちゃ♪」
響子ちゃんに見咎められた莉嘉が、すごすごリビングに帰っていく。
実家に弟や妹がたくさんいるだけあって、こういう時の彼女の対応は完璧だった。
さて、では何を作っているのかといえば……。
「プロデューサーさん、喜んでくれるかなぁ」
「決まってんじゃん★ つか、アタシと響子ちゃんのお弁当で喜ばないとかありえないし!」
いつの頃からか、プロデューサーのお弁当を作る日っていうのが週三くらいで設けられてた。
まあほっといたら牛丼やハンバーガーやスタドリばっかでお腹を満たす人だから、必要なことだよね。
「だけどびっくりだったよねー、莉嘉のこと」
「莉嘉ちゃんの?」
「だってさ、いきなりアイドルになるんだもん。アタシにも隠してだよ?」
「あ、あぁ~……」
「ほんとお姉ちゃんの予想をいっつも越えてくんだから……。響子ちゃんも驚いたでしょ?」
「そ、ソウデスネー。ビックリデスー」
めっちゃ目が泳いでた。
ん? と思ってリビングの方を見ると、莉嘉が響子ちゃんに「しーっ! しーっ!」ってやってた。
……響子ちゃんは前から何度かうちにお弁当作りに来てて、莉嘉やパパママとも顔馴染みだ。
「……ははぁん。莉嘉から聞いてたけど、口止めされてた、と」
「な、な、ナンノコトデショウカ~……?」
「莉嘉ー?」
「あっアタシ知んないもん! 響子ちゃんにお気に入りのシールあげたりなんてしてないしっ!」
そういえば莉嘉のシール帳からSランクお気に入りシールが一個消えてた気がする。
……まったく、響子ちゃんまでグルだったなんて。
「ごめんなさい。莉嘉ちゃんの大事な決断だったから……」
「響子ちゃんは悪くないの! アタシがシールでバイシュウしてクチドメしたのが悪いのっ!」
余ったおかずをおやつ代わりにつまみながらの二人の弁明。
ま、いいけど。悪いことしてるわけじゃないんだし。
「うーん、アタシおなか空いちゃったなー。卵焼きもう一つ欲しいなー」
「ははーっ。お納めください、お姉ちゃん様!」
「よろしい、許す★」
やっぱり響子ちゃんの卵焼きはおいしい。
甘めの味付けだから、しょっぱめで作るアタシともうまいこと住み分けができている。
……プロデューサーはどっちが好きなんだろ?
「だけど、なんだか不思議な気分です」
と、響子ちゃんがしみじみ呟く。
「不思議って?」
「ほら私、お料理が好きじゃないですか。寮でもみんなにご飯を作ったりしてて」
実際、寮組の羨ましいとこだったりする。
毎日響子ちゃんの料理が食べられるとか、それなんてご褒美? って感じじゃん。
この子と結婚できる男の人は幸せなんだろうなー。
「それで、誰が何を好きなのかとか覚えてたりして……ふふっ。
人間もそうじゃない子も、みんなハンバーグは好きなんだなぁって」
「あはは。寮にも色々いるもんねー」
「でも、たまに考えるんです。私の料理でカバーしきれるのかな、とか」
「? どういう意味?」
「えっと……勝手な想像なんですけど、人じゃない子には他のもっと好きなものがあるかもって。
たぬきさんはたぬきさんのもっと好きなものがあって、私はまだそれを知らないのかも……とか」
いつも一生懸命で、特にお料理とか家事のことにはいつもマジな響子ちゃんらしい考えだ。
……って言っても、人外がみんなそんなに特別なものを食べてるわけじゃないと思う。
アタシが知ってるたぬきは実際、馬刺しとか辛子蓮根とか、和菓子とか好きだったりするし。
ん~……まあ、でも。
「確かに、あるかもね。あ、普段のご飯が不満ってことじゃなくてね?」
「美嘉ちゃんにも……えと、悪魔さんにも、そういうのがあるんですか?」
「そんな大したことじゃないよ? けっこーアバウトなことだし」
「聞きたいですっ」
やる気たっぷりで身を乗り出す響子ちゃん。
気持ちは嬉しいけど、こればっかりはお料理できるものじゃない。
カタチの無いものだから。
アタシは左胸――心臓の辺りをトンッと指差して言った。
「人の心、なんてね★」
◆◆◆◆◆
まんざら嘘じゃない。
アタシ達にとって、一番カロリーの高い栄養源は「欲望」。
もっと言えば悪魔にかける欲求、期待、願望、とまあそういう類のやつ。
人々の欲望を糧にしているとは、よく言ったもので。
一般的なイメージとしてある「人をそそのかす悪魔」は、そういう風にして栄養を摂取してたってことなんだと思う。
体を作る上で普通にご飯も食べるし、人間社会に適応した悪魔はそれで十分に生きていける。
だからこっちの栄養は、なんていうか魂的なものっていうか、もっと根っこの部分での精気に関わっていた。
それにしたって個人差で好みはあるんだけどね。
向けられる欲望の種類で、その味も変わる。
直球な物欲とか金銭欲なんかは、強さに応じて味が濃くなるとか。
特に悪魔の女の子が好きだと言われるのは……まあなんていうかその……ヨコシマなやつ。
もっと言っちゃえばえっちなやつ。集めやすいしね。悪魔は美人が多いし。
そっち方面を吸い取るのに特化した種族もいて、そういう子はサキュバスっていうんだって。
でもアタシは正直、好きな味じゃなかった。なんかこってりギトギトしてて。
っていう話をママにしたら、「子供舌ねぇ」って言われちゃった。
そんなことないと思う。
アタシの好みは「期待」と「憧れ」の味。
爽やかで喉越しがよくって、ほんのり甘くて清らかな味。
夏の暑い日に、よーく冷えたサイダーを一気飲みする感じって言えばわかるかな。
モデルをやっていると、そうした感情がびしばし集まってくるのを肌で感じた。
ファンでいてくれる女の子とか、ブランドの人達とか……。
それがやり甲斐になった。
もともとママ譲りのこの姿を認めさせてやるって気持ちで始めたファッションだけど、
自分自身もっと高くまで上り詰めたいと思うようになった。
そんな時、新しい選択肢が示されることとなる。
アイドルだ。
公園での一幕に話を戻そう。
翼を見たお兄さんは(っていうかつまりプロデューサーなんだけど)、意外なほど平然としていた。
あえて何も聞こうとせず、ナイショにするってことにあっさり同意して逆にこっちがびっくりした。
「城ヶ崎美嘉さんだろ? 有名なギャル系のモデルさんだ」
「……って、知ってるの?」
「仕事柄ね。うちの会社のモデル部門でも何度か仕事してるよな」
もらった名刺のプロダクション名には確かに見覚えがあった。確かに何度かお世話になったことがある。
結構大きなとこで、最近アイドル事業も始めたそうだ。
「……うーん。一緒にどうだと言いたいとこなんだが、君はモデルが絶好調だしなぁ」
「いや……ていうか……引かないの?」
「なんで?」
なんでって。
「だって、アタシこんなだよ? ハリボテじゃないんだよ、これ」
ぎこちなく翼を動かす。尻尾もうねうね。角だってある。
今にして思えばどうしてそんな試すようなこと言ったのかわからない。
本当に心から不思議だったのかもしれない。
「雑誌に載ってる姿もいいけど、こっちもキマってるよな」
「だから、なんでそんな平然と!」
「綺麗じゃないか。引く必要あるか?」
お前らの髪はフリョーだとか。
親のキョーイクが悪かったとか。
校則違反だから黒くしろとか、そんなチャラついたファッションがなんだとか、
そういう昔言われたことが何故かその時になって頭の中を駆け巡って。
全部、ぱっと消えた。
「うん。やっぱりカッコいい」
目の前の人は平然と、嘘一つなくアタシを褒めた。
「――ってか、なんでこんなとこいるの?」
「ん? ああ、連れの石ころ探しに付き合ってたらはぐれちゃって……」
「――――そなたーー? そなたーーーーーーー」
「あ、いたいた呼んでる。じゃ俺行くから! お互い頑張ろうな!」
……行っちゃった。
一人その場に取り残されて、しばらく名刺を見下ろしていた。
〇
後日、アタシは彼のいる事務所へ向かっていた。
モデル部門へ行くことは何度かあったから、ビルの構造はある程度わかってはいたけど……。
「新規のアイドル部門……か」
見慣れないフロアへ踏み込んで、何度か迷いそうになりながら進んで。
どうにかこうにか、ささやかな規模の一事務所に辿り着けた。
「失礼しまーす」
覗き込んだ部屋の中には、三人の先客がいた。
一人は和服を着込んだ、日本人形みたいにちんまり可愛らしい子。
一人は夜みたいな黒髪と満月みたいな金の瞳が綺麗な、おっとりした雰囲気のお姉さん。
中でも最後の一人に見覚えがあって――
「た、高垣楓……さん!? えっ本物初めて見た……!」
モデルやってる以上ジャンルが違っても知らないわけがない。
高垣楓といったらこっちの業界じゃ有名で……ってか背ぇ高っ! 足も長っ!
折れそうなくらい細くて、けど存在感があって、なんていうかオーラっていうか――
「――ってごめんなさい、アタシじろじろ見ちゃって……!」
「あら、あなたは……確か城ヶ崎美嘉ちゃんだったかしら?」
「はっはい! 城ヶ崎です! あれ? でも高垣さんがここにいるってことは……」
「ほほー」
「あら~」
と、もう二人がいつの間にかすぐ近くにいた。
「わっびっくりした」
「何か御用でしてー?」
「あ。ええっと、ここのお兄さんに会いに……てか、アイドルの事務所でいいんだよね?」
「そうですよ~。まだささやかですけど、ね?」
「美嘉ちゃんも、Pさんに声をかけられたんでしょう?」
楓さんがモデル部門から去ったという話はあちこちで聞いていた。
完全引退するとか実家の和歌山に帰るとか色々囁かれてて、実態はなんとアイドル部門への転向。
彼女を引き抜くとか、あのお兄さんって本当はかなりのやり手……? なんて思ったり。
「それにしても~……」
アタシの目を覗き込んで、おっとりお姉さんは両目を線にして笑う。
「悪魔って久しぶりに見ます。あの人、不思議な子を惹き付けるのかしら?」
…………え?
バレた?
顔見ただけで?
「縁は等しく繋ぎ導くものでしてー。人ならざるものにも、また然りとー」
着物の子も当然のように頷いて、置いてかれるのは本人のアタシだけ。
え、え、ちょっと待って、どういうこと? 二人とも何者?
「おっ、来てくれたのか!」
書類やオフィス用具でいっぱいのダンボールを抱えて、プロデューサーが戻ってきた。
隣には小柄な、これまた年上のお姉さんがいて、彼女はどうやら事務員のようだった。
「あ……うん」
「モデル業のついでとか? ちょっと待っててな今お茶出すから。楓さん、茶葉まだありましたっけ?」
「そういえば先日世にも珍しい緑茶焼酎というものを見つけまして」
「酒じゃねーよ! 持ち込むんじゃありませんそんなの!」
アタシはといえば。
「茄子ちゃん、茄子ちゃん。私叱られてしまいました……」
「あら~、怖かったですねぇ。よしよし~♪」
「そなたーそなたー。お茶請けにはおせんべいがよろしきかとー」
「芳乃はひたすらせんべいばっか食べるからなぁ。まるでハムスターのように」
「小動物ではありませぬー」
右から左から交わされるやり取りを、ぽかんとしたまま聞いていた。
「おせんべいとお茶っ葉でしたら、昨日買い足してたのが棚にありますよ?」
「よっしゃ! ちひろさん有能!」
「よっ、千両事務員♪」
「目に優しい色~♪」
「ありがたやーありがたやー」
「あ、そうですか? うふふなんだか照れますねぇ、ちひろさん天使だなんて……」
「いやそこまでは言ってない」
……いや、ていうか。
楓さん、こんな楽しそうな顔もするんだ。
そこで初めてみんなの名前を聞いた。
プロデューサーと千川ちひろさんはお茶を淹れに行って、依田芳乃ちゃんはおせんべいを取りに行った。
「あの、高垣さん」
「はい? あ、楓でいいですよ」
前からひっそり聞きたかったことを、今聞こう。
「楓さんは、その……アイドルになってみて、楽しい?」
「ええ、とっても」
彼女は即答して微笑んだ。
雑誌や看板に載っている、怜悧で美しいあの表情とはまた違う、日向のような雰囲気があった。
「美嘉ちゃん。遠いところから、よく来てくれました」
アタシの両手を取って、鷹冨士茄子さんはにっこり笑む。
見ているだけで安心する笑みに、なぜだかママを思い出した。
「いや、アタシんちはそんなに遠くじゃ……」
「『ここ』はなんでも受け入れる場所です。あなたにもあなたの家族にも、変わらぬ幸がありますよう」
なんだか、芸能事務所に来た客人にかける言葉というだけでなく――
もっと広くてもっと長い、アタシの背景にある色んなものへの激励のようにも思えた。
今の自分には満足している。
その上で、もっともっと先に進みたいという希望がある。
その可能性があるとすれば。もっとずっと色々な「心」の集まる場所があるとすれば。
お茶が来た時に覚悟を決めて、熱いそれをぐぐーっと飲み干して言った。
「アタシにも、アイドルやらせてくれない?」
その日をもって、カリスマJKモデルの城ヶ崎美嘉はアイドルになった。
〇
やるからにはもちろん本気も本気。
写真の撮影とかはともかく、歌やダンスは初挑戦だった。
もちろん望むところ! って感じだけど、大変だったり緊張することはやっぱりあって。
ここだけの話、ギャルが果たしてアイドルとして受け入れられるかとか、ちょっと不安になることもあった。
三人の先輩は路線もファン層も全然違って、逆にそれほどバリエーション豊かならアリかもしれないとか。
だからこそギャルのイメージを背負ってる以上、ハンパなことじゃ彼女たちに並び立てないと思ったりして。
そんなこんな色々考えがちな時には、決まって莉嘉のことを思い出した。
〇
「アイドル!? お姉ちゃんアイドルになるの!? わーーーっすごい!! 新しいカノーセーじゃん!!」
「レッスンってどんなことするの!? ぼいとれ? ……すてっぷ?
わっ回った! すごいすごい! もっかいもっかい!」
「ねーねー写真撮ったの見せて見せてー! わっ、かっこいい! マジお姉ちゃんって感じ!
でも、洗剤の写真なんでしょ? なんで洗剤持ってないのー?」
「お仕事決まったの!? アタシも見に行くー! あ、グッズとかもあるんでしょ?
アタシめっちゃ買ってめっちゃデコるんだー! え!? まだ出ない!? なんでえーっ!?」
莉嘉はいっつもキラキラした目で仕事の話を聞く。
その顔を見ていると、最初に自分をデコった時のことを思い出す。
カッコいいお姉ちゃんであり続けること。
そうした意識が、力になった。
〇
でもやっぱり初めて舞台に立つって時はヤバかった。
何度も深呼吸をして、楓さんや芳乃ちゃんや茄子さんの励ましを受けて。
自分なりのルーチンで気持ちをステージに集中させて、それでも。
「お、ここにいたのか」
非常階段の踊り場に立っているアタシを、プロデューサーはあっという間に見つけた。
「プロデューサー? ごめんごめん、すぐ戻るから」
「そっか。出番もうすぐだから、気を抜かないでな」
「モチ! ひょっとして心配してた? 優しーじゃん★」
「美嘉」
「なにー? 打ち上げの話?」
「美嘉はさ、凄いアイドルになるよ」
「え? ……って、どしたの急に。照れるじゃんっ」
「もともと素質があるし、ルックスも完璧。その上本人も努力家とくる」
「ちょ、ちょっとちょっと……」
「その向上心がある限り、もっとずっと高いとこまで行ける。今日がその最初の一歩だ」
「……」
「だから、何があっても大丈夫。お客さんみんなが美嘉を待ってる。もちろん俺もな」
「……!」
こくん、と喉が無意識に喉が鳴った。
サイダーみたいなあの味が、極上の爽やかさで体に入り込んだ。
緊張してるのなんかとっくにお見通しだったんだ。
その上でこの人は本当の本当に、心の底からアタシに期待してくれている。
それが実感としてわかった途端、不安は嘘みたいに消えた。
「……アタシ、どこまで行けると思う?」
「美嘉が行きたいとこまでかな」
「あははっ! それじゃ高すぎて、プロデューサー振り落とされちゃうかもねっ★」
困るなそれは――と眉尻を下げるプロデューサーと二人して笑い合った。
お呼びがかかったのは、それからほんの数分後だった。
「それじゃ、行ってくるね」
「おう。楽しんで来い」
飛び上がるには助走が要る。
背中に隠した翼を、その時だけは何故か窮屈に思わなかった。
〇
――歓声が鳴りやまない。
――光の残像がまぶたの裏に残っている。
ステージからはけた後、汗も拭かずに走り出した。
このままどこまででも駆けてしまえるような気がした。
かなり長い距離を走った気がするけど、意外にもプロデューサーは舞台袖すぐのとこにいた。
「どうだった?」
「すっっっ……ごく、楽しかった!!」
「だろ?」
彼は子供みたいな顔で笑い、汗で冷えてきたアタシの肩にジャケットをかけた。
〇
その後、都内のお店で打ち上げがあった。
うちの部署だけのささやかなパーティー。その頃はまだちひろさんも含めて六人だったから、
こっそり入ってこっそり乾杯ってことも簡単にできた。
アタシと芳乃ちゃんはソフトドリンクだけど、楓さんのペースがもー凄くって。
合わせてグイグイ飲む茄子さんも凄くて、ちひろさんも結構面白いことになってた。
夜も遅くなり、アタシと芳乃ちゃんは二次会の前にプロデューサーに送って貰った。
二次会からは自分も飲まされるとのことで、お酒が入る前からちょっと顔が青かったけど。
芳乃ちゃんは最近新しく建ったという寮に入っている。まだ一人だ。
大変な筈なのに苦にもせず、いずれ来る新しい住民の為に毎日せっせと掃き掃除をしているらしい。
って言っても、結構頻繁に大人四人が様子見に来るから、寂しいなんてことは全然ないみたい。
警備員さんもいるし。
玄関先で手を振る芳乃ちゃんに見送られ、アタシはわざわざ埼玉の家まで送ってもらうことになっちゃった。
「ドライブがてらな。……二次会への時間稼ぎもあるが」
車中でたくさん話した。
今日のステージのこと。
長くはないけど、今までのこと。
そんな話の流れで、プロデューサーはふとこんなことを言う。
「最初さ、アイドルのこと嫌いだったんだよ、俺」
え。
「昔ちょっとな。勝手な一人相撲だし、まあ要はバカがやさぐれてただけなんだが」
もう癒えた古傷をなぞるような声色には、一つの嘘も無かった。
きっとその痛みも思い出に変わっているんだろう。
「ある人の歌を聞いてさ」
ハンドルを握りながら、プロデューサーは楽しそうだった。
指がゆるやかなリズムを刻んでいた。いつか聞いたという歌のものだろうか。
「一発だった。夢中だったよ。ひねくれた考えなんて全部吹き飛んだ。本物ってこういうものかって」
「本物……」
「歌手とかの道もあったかもしれないとは思う。でも、アイドルじゃなきゃいけなかった。理由があるんだ。
ともあれ、そこからはもうまっしぐらで今に至るわけよ」
言い終えて、今更のように苦笑する。
「こんなこと話すのは美嘉が初めてだ。なんでだろうな、話しやすいのかな?
……まあ忘れてくれ。おっさんの自分語りなんてマトモに聞くもんじゃないわ」
だけど考えてしまう。
その話が本当なら、業界にはこの人を魅了した「誰か」がいるってことになる。
誰なんだろう。同じ事務所のアイドルだろうか。それとも別の?
「じゃあ、アタシはどうだった? 今日の、アタシのステージは……」
気付けば勝手にそう聞いていた。
こっちは駆け出し。そんなことはよくわかってる。
だけど彼の語る「本物」に対抗心を燃やす自分がいた。
目、逸らせなかった? 釘付けになった? ……夢中に、なれた?
質問を受け止めた時、彼の目がはっきり輝いた。
楽しそうで、憧れがあって、ほんの少しだけ誇らしげで。
その眼はきっと、夜景の光に今日のステージを幻視していたんだと思う。
「まばたきもできなかったよ」
ほら。
またそうやって、子供みたいに笑う。
その横顔を見つめたまま、アタシこそ今、まばたきができない。
〇
ステージの成功もあってか、アイドル業の滑り出しは凄くいいものになった。
カリスマJKモデルの華麗なる転身――なーんて雑誌に書かれたりして。
色んな心がアタシに集まってくる。
中にはモデル時代からファンでいてくれてる子の味もあって、それが何より嬉しかった。
子供舌って言われた好みの味は、けど今のスタイルにばっちり合っていて。
――――なんだけど、ある時から新しい悩みができた。
〇
「……また大きくなってる」
部屋にこっそりメジャーを持ち出して呻く。
体重はセーフラインを守ってるし、腰はばっちりくびれてるから太ったとかじゃない。
見間違いかと思って目盛りをガン見してみると、やっぱり……。
「はちじゅう、さん……し…………うっっっわ」
ただでさえ少なめに申告したっていうのに、これ以上はヤバい。
流石にプロフィールも更新しなきゃかな……。
いやでもそれだと結構がっつり数字変わるし、モデル時代からのイメージもあるし。
それなら少しずつ更新して徐々に今の数値に合わせていくとか?
いやいや、徐々に作戦だとコレが更にアレした時に追いつくかどうかって話で……か、考えたくない。
どっちにしろ、正直にプロデューサーに相談するべきかも……。
うーんと唸りながら振り向くと、部屋のドアがちょっと開いてた。
「あっ」
「あっ」
莉嘉。
目が合った。
「…………ママーーーっ!! おねーちゃんのおっぱいまたおっきくなってるーーーーーっ!!!」
「ちょっ莉嘉っ!」
それ、栄養状態が良くなったのよ。
――とママは言ったのだけど、全然ピンとこなかった。
「……栄養ったって、アタシ昔から好き嫌いとかしなかったじゃん。
今も体絞ったりはしてるけど、必要な分はちゃんと食べてるし」
「普通のご飯じゃなくてアッチの方よ。前よりたっぷり食べてるでしょ?」
「言い方!」
……つまりまあ、悪魔の栄養源の話をしているんだろう。
確かに前よりたくさんの心が集まる環境にいる。自分でもはっきりわかるくらい体調がいいし。
でも、ここまではっきり体が育つなんてこと今まで……。
「違う違う、量もそうだけど質。凄いのいるでしょ一人」
「……は?」
最初は、言ってる意味がよくわからなかった。
〇
いまいちピンと来ないまま次の仕事が入って、その日は雑誌の撮影だった。
モデル業ももちろん続ける。どっちかの為にどっちかを諦めるほどドライなアタシじゃないし★
で、その日は昔からお世話になってるティーン雑誌のお仕事。
しばらくぶりの人と会えたりもしたし、正直アタシは結構得意だった。
ちょっと言い方ヘンだけど、故郷に錦を飾れた気分っていうか。
こっちのお仕事なら、いつもと逆にアタシがプロデューサーをリードできたし。
とにかく、城ヶ崎美嘉はこっちの道も捨てたりしない! ってことを知らしめる為にも、
その日の撮影にはかなりの気合が入ってた。
結果はカンペキ。過去最高じゃない? ってくらい良いのが撮れて、スタッフさんも大満足。
アタシもみんなにお披露目するのが待ち遠しくて、ふとプロデューサーが気になった。
彼はスタッフさんと色々打ち合わせしながら、どちらかといえば見学に徹していた。
アタシが見つけた時にはスチルを見ていて、どうだ! みたいな気分になった。
「へっへー♪ どう、よく撮れてるっしょ?」
「うん……これは、おう……」
「あ~、なになに変な顔して。ひょっとしてちょっと刺激が強かったかな~?」
軽い気持ちでからかい半分。
プロデューサーは顔を上げて、素直な感想を述べる。
「正直……凄いな。流石だ。見惚れてたよ」
こくんっ。
「……けぷっ」
「ん?」
最初、何が起こったか自分でもわからなかった。
何か……急に、おっきなものが、おなか一杯に……。
「んっく。ごっ、……くん」
「……美嘉? どうした?」
「ぁ……あ? い、いやいや大丈夫! なんでもないよ!?」
「いや、なんかいきなり口いっぱいにマシュマロ突っ込まれたような顔してたけど」
「それはホラ、さっきのお昼ご飯がお腹の中でこうアレしちゃって、ね?」
「お前さっきは撮影前だからってウ〇ダーで済ませ」
「増殖したの! それが!!」
「えぇえ……そんなことある……!?」
とにかく力業で乗り切ってその場を離れた。
顔を隠しながらスタジオの裏手に出て、誰もいないことを確かめた。
一発でおなか一杯になった。
うそ、うそうそうそ。信じらんない。マジで?
だって一回褒めて貰っただけじゃん。
その場にしゃがみこんで両手で顔を覆った。頬が自分でもわかるくらい熱かった。
しかも、とても鏡なんか見られないくらいニヤついてた。
嬉しい。嬉しい、嬉しい、嬉しい嬉しいうれしいうれしい。
〇
ママの言ったことの意味がやっとわかった。
心の栄養価は、相手との距離感によっても変わる。
近ければ近いほど、思い入れが強ければ強いほどおいしくて栄養もあり、
血を分けた家族とか心の通じ合った仲間とかがその代表例。
わけても特別な対象があって、アタシは今の今までその味を知らなかった。
好きなひと。
もう駄目だ。もう誤魔化せない。いつからそうだったのかさえわからない。
アタシはあの人のことが好き。初めてこんな気持ちになったくらい、好き。
〇
そこで最初の方にあった「契約」の話が出てくる。
実質的な結婚っていうのは間違ってないと思う。
ママはそれでパパを見つけて、契約して一緒になって今に至る。
これによる具体的な効果は、栄養補給の効率化と永久化。
魂と魂が繋がって、その太いラインで安定した供給が見込めるし、
どんな類の感情や欲望であっても最高においしく頂けるそうな。
もちろん束縛されるのを嫌い、契約者を持たず色々とっかえひっかえの悪魔もいる。
でもママはパパと添い遂げることを選んだ。
そんなわけなのでうちの両親は見ていて恥ずかしくなるくらいラブラブなの。
アタシはパパもママも大好きだから、いつかこんな風になれたらいいな……とは思っていた。
ぼんやりと、だけど。実際にどうなるかなんてまだ先の話だと思ってたし。
だけど期せずして「その人」が見つかって。
なんやかんやあって、付き合いもそれなりに長くなって――――
◆◆◆◆◆
で、現在(いま)。
莉嘉はみんなと一緒にお仕事を楽しんでいる。
アタシを追っかけてここまで来たのは嬉しいけど、最初は同時に心配もあった。
でもこの分じゃ、お姉ちゃんが気を揉むようなことはなさそう。
と内心ほっとするのも束の間。
〇
一緒の現場の帰り道、莉嘉は車の中で今日の仕事の感想をめちゃくちゃ話してきた。
後部座席に二人並んで座って、その元気さに呆れ半分感心半分で聞いてたら、
不意に莉嘉が「PくんPくん」と運転中のプロデューサーに声をかけた。
「Pくんってカノジョいるの?」
ちょ!!!
「彼女? またいきなりだな」
「えへへ~、ちょっと気になって☆ ででで、どうなのどうなの?」
「ふふふ……どっちだと思う?」
「いないと思う!」
「おまっ、そんな即答でおま……いないけど……そうだよいないよ」
あ、彼女いないんだ…………
…………って安心してる場合じゃなくて、莉嘉の頭をガッと掴んで耳元で、
(ちょっと莉嘉! アンタいきなりなんてこと聞いてんの!)
(Pくんカノジョいないんだって! 良かったねお姉ちゃん!)
(良かったね、じゃないでしょ! アンタはもう~っ!)
(あいたたたたお姉ちゃん痛い痛いギブギブ!)
「……あのーお二人とも、何話してるか知らないけどプロレスはほどほどにな?」
〇
どうもなんだか莉嘉がおかしい。
アタシとプロデューサーの関係をやけに気にしてる。
最初アタシ達が恋人同士だと勘違いしてたこともあってか、それが妙にしつこい。
一体どういうつもりでいるんだろう。
「莉嘉ちゃん? あー、美嘉ちゃんとプロデューサーさんがお似合いだと思うか一回聞かれたかな」
「きゅーぴっとはんみたいで、なんやかいらしゅうてなぁ~」
「そうなんだ……」
「プロデューサーと接点のあるアイドル聞かれたよー」
「せ、接点ってどういう……」
「にゃはは! シキちゃんよくわかんないからてきとーに答えちゃった~♪」
「プロデューサーさんのことどう思ってるか聞かれてさ。急だったからびっくりしたよ」
「そんなことまで……。それで奈緒はなんて?」
「それは…………ま、まあ別にいいだろ? いいよな! はいこの話おしまいっ!」
う~~~ん……。
〇
いくらなんでも目に余る。
アタシは莉嘉を部屋に呼び出して、思うところを聞いてみることにした。
「だってお姉ちゃん、Pくんとケーヤクしたいんでしょ?」
つまりこうだ。
莉嘉はなんとかして、アタシとプロデューサーをくっつけようとしてる。
だけど、それを嬉しいとは思えなかった。
「……あのね。だとしても、それが全部じゃないでしょ?
アタシがアイドルやってるのはその為じゃないし、アンタだって同じ。プロなんだよ?」
「……でもPくんのこと好きなコ結構いるじゃん」
「う!? いや、結構……ってほど多くは……ないでしょ」
……あんま考えないようにしてるけど。
流石にやりすぎたと自覚しているのか、莉嘉はいたずらを見咎められた時みたいに俯いていた。
「アタシ、お姉ちゃんのこと応援しようと思って……。だってPくんもけっこーいいオトコだし、
ギリのお兄ちゃんになるのとかアリだし、ママもパパもきっといいって言うし」
「それがやりすぎだって言ってんの。だいたい莉嘉が決めることじゃないでしょ?」
「……だって……」
「いい加減にしなっ」
ぴしゃりと叱りつけると、莉嘉はびくっと肩を竦ませた。
「アイドルが遊びじゃないってのは知ってるよね?
そりゃあ楽しんだり、自分が興味あることを突き詰めるのはすっごく大事なことだよ。
でもアタシの事情は違うでしょ? こっちに首突っ込んでも莉嘉の為にはならないもん」
「それは……」
「アンタはこんなことする為だけにうちに来たの? 違うでしょ?
もう莉嘉にだってファンはいるんだよ。だったらその子達の方を向かなきゃいけないじゃん」
「……でも……」
「でも、じゃないの。やんなきゃいけないこと見失っちゃダメでしょ。
頑張るのは誰の為かってちゃんと考えよ?」
「…………誰の為………」
「そ。アタシのことはいいから、莉嘉はとにかく自分のことを――」
「――お姉ちゃんはっ!」
莉嘉がいきなり声を荒げて、虚を衝かれた。
ぽかんとしたまま見返すと、莉嘉はなんと目に涙すら溜めていた。
「お姉ちゃんは、幸せになるんだもん!」
「え……ちょ、ちょっと莉嘉? アンタ急に何……」
「なるのっ! ぜーったい幸せになるんだもん! どんなにライバルがいたって関係ないもん!」
莉嘉は一気にまくし立てた。
爆発させる感情はアタシも知らないものだった。
「髪の色とか悪魔とか、そういうのぜんぶ受け入れてくれるカレシと一緒になって!
いっぱいいーっぱい愛されて、いっちばん幸せになんなきゃダメなんだもんっ!!」
そこまで言い切って、莉嘉は泣いた。
崩れちゃう妹の表情を見ながら、アタシはこの子が何を思うのかを察した。
「お姉ちゃんは、すごくて、かっこよくて……」
莉嘉は、あとからあとから零れる涙と共に、きっと積年だった思いをやっと漏らした。
「アタシの為に、ずぅっとがんばってくれてたんだもん……」
誰の為に頑張るのか、とか。
そういうことを一番意識してたのは、本当はこの子だったのかもしれない。
たった6年くらい前のことなのに、もうずっと昔のように感じた。
あの日からずっと、莉嘉はアタシの背中を見てくれていた。
「莉嘉」
「ん……」
「莉ー嘉っ」
「んぅーっ」
拒んでいるのかいないのか、むずがるみたいに首を振る莉嘉。
それがすごく愛おしくなって、生まれつきの綺麗な金髪を抱き寄せる。
「ありがとね、莉嘉。アンタの気持ちよくわかったよ」
胸元に熱いものが染み込むのを感じた。
「でもね? アタシらアイドルだしさ。やっぱり、一番はそれなんだよ。
だってそうじゃなきゃ、声かけてくれたあの人に申し訳ないもん」
莉嘉は黙って聞いていた。
表情はわからない。細い手が背中に回って、アタシを抱きしめ返してくれた。
「それにさ。そういう勝負って、やっぱし正々堂々じゃなきゃダメじゃん。アタシだけの力で、ね?」
莉嘉の肩が小さく跳ねた。
見上げる目は、まんまるに見開かれている。
「なんて顔してんの。アタシ諦めるって言った? アイドルもモデルもやって、あの人も射止める!
城ヶ崎美嘉のゴールはそれだけ! その為には、アタシのペースとルートがあるってわけよ」
「……おねえちゃ……」
「だいじょーぶ。アンタが大好きな、カリスマJKのお姉ちゃんだよ? 最後は絶対勝つって★」
濡れた瞳に光が戻っていく。
それもやっぱりママ譲りの、憧れるほど綺麗なエメラルドグリーンの光彩。
涙を流れるままに任せて、莉嘉は満面の笑みを返した。
「――お姉ちゃん、やっぱりめっちゃカッコいいっ!」
うん。
やっぱり、アタシの妹はめっちゃ可愛い!
〇
――ね。久しぶりに、いつものに付き合ってくれない?
と切り出すと、二つ返事で承諾してくれた。
部署が大きくなって忙しくなっても、「いつもの」で通じるのが嬉しかった。
プロデューサーは手帳をチェックして、都合のいい日時を割り出しながら、
「久しぶりに練習か?」
「うん。あと、見せたいコがいるからさ★」
家から三駅の自然公園には、時間によって誰も来ない広場がある。
そこに立つのは三人。アタシとプロデューサーと、それから莉嘉。
あれから何度も練習した。だけど今日は久しぶりで、少し緊張していた。
「行くね」
二人に宣言して、アタシは翼を広げる。
飛べない悪魔がいた。
それじゃカッコ悪いからって、もがいて羽ばたき続けた。
翼をばたつかせたり、自分を磨いたり、いっぱいご飯を食べたりして。
その過程は、きっとかなりカッコ悪かったと思うけど。今は――
「わーーーーーーーーっ!!」
地上ではしゃぐ莉嘉の声がこっちにまで届いた。
返事をするように翼を翻らせた。
莉嘉は笑っていた。
人間の血が濃いあのコに翼はなくて、だけど広げた両手はそれにも負けないくらい広かった。
宙返り、きりもみ回転、思いっきりインメルマン・ターン。
合わせて莉嘉が走る走る、回る回る、笑う笑う。
天と地で自然にテンポを合わせて姉妹が踊る。
そしてアタシの大好きな人が、笑いながらそれを見ている。
それにしたって地上十数メートルが限界で、こんなの全然低いと思う。
雲だってまだあんなにも遠いんだ。
だけどいつか届くと思った。高みを目指すことは怖くなかった。
莉嘉達が待っていてくれるのがわかるもん。
……うん。
アタシはもっと先へ進める。
その為には、まだまだもっとたくさん食べなくちゃ。
〇
その日から、ちょっとした心境の変化があった。
ていうか、ちゃんと筋通しとこうって思った感じかな。
「美嘉ちゃん、話って何?」
指定の時間ぴったりに、社内カフェのテラス席まで美穂が来た。
挨拶と雑談もそこそこに、お互いのコーヒーが熱いうちにアタシは切り出す。
「アタシね。プロデューサーのことが好き」
「……それって」
「うん。多分、思ってる通りの意味で」
コーヒーをかき混ぜる美穂の手は止まって、だけど表情は落ち着いて見えた。
驚かれるかなとか、最悪怖がられたり怒られたりするかなと思ってた。
けど違った。
美穂は、へにゃっといつもの感じで笑った。
「――そっか。嬉しいなぁ」
「…………嫌じゃないんだ?」
「うん……うまく言えないけど。私、美嘉ちゃんのことも大好きだから。
大好きな美嘉ちゃんが、同じひとを好きになったのって嬉しいんだ」
……あははっ。
いつの間にか入っていた肩の力が、すーっと抜けていくのを感じる。
えへへあはは、となんかちょっと間抜けな感じで笑い合う時間があった。
「そーんなノンキなこと言ってていいの? アタシ、本気だよ?」
「うん。私も本気」
「アタシの方があの人との付き合い長いよ?」
「そんなの追い越してみせるもんっ」
強いなぁ、やっぱり。
嬉しくなってまた笑った。
この子が同じ事務所にいて良かったと心から思う。
コーヒーカップはまだ熱かった。示し合わせるでもなく、アタシらはそれでかちんと乾杯をした。
〇
―― 後日 事務所
莉嘉「じーーーーーーっ」
美嘉「はいプロデューサー、今日もお弁当作ってきたから」
P「おっマジか。いやぁありがたい、今月ちょっとピンチでな……」
美嘉「どーせスタドリとかで済ますつもりだったんでしょ? ちゃんと栄養摂んなきゃダメじゃん?」
P「うぐぐ耳が痛い……ともあれ、ありがたく貰」
美穂「あ、あのっ!」
P「美穂……?」
美穂「じ、実はその、私もお弁当作ってきたんですけどっ!!」
美嘉「!」
美穂「響子ちゃんに教わって……も、もし良かったら、食べてほしいなぁなんて!」
P「しかし、弁当はもう……」
美嘉「プロデューサー?」
美穂「プロデューサーさん……!」
P「」
P「あーおなかすいたなー! 今なら二人分食える気がするなー!! あっ超うまそうな弁当が二つ!!!」
莉嘉「じーーーーーーーーーーっっ」
響子「うぅ、二人ともがんばってとしか言えない……!」ナムナム
周子「おぉ~……今日はまた激しい……」
蘭子「聖戦(ジハード)!!」
莉嘉「だいじょーぶだし! お姉ちゃんは強いもん!」
周子「おっ言うねぇ。ところであのラブコメを見てみ、どう思う?」
美嘉「ねぇねぇ、この卵焼きアタシの自信作なの! 食べてみてよっ★」
美穂「私もそのっ、がんばってミニハンバーグ作ったんです! あの、あ、あ、あーん!」
美嘉「あっ美穂それズルい!」
P「ウマイ……ウマイ……」マンプク
莉嘉「んとねー。なんか、お腹いっぱいって感じ!」
周子「おーおーよう言うてくれた、莉嘉ちゃんはあたしらみんなの代弁者だわ。お姉さん羊羹あげちゃう」
莉嘉「わーいありがとー!」
楓「今日も平和ですねぇ」ズズズ
芳乃「まこと善き哉ー」ポリポリ
茄子「本当ですね~……あらっ茶柱♪」シャキーン
~おしまい~
〇オマケ
―― 後日 事務所
P「やばいやばい、会議に遅れちまう」タタタ
P「――うおっ!?」
??「きゃっ」
ドシーン
P「っと!? うわごめん、大丈夫!? ケガ無いか!?」
??「いたた……」
P「あ~、荷物散らばっちゃったな……」
??「ぁ……いえ、大丈夫ですから……」
P「そうもいかないだろ。せめてバッグの中身を拾うくらいさせてくれ」ササッ
??「そうですか……? なら……一緒にお願いしますね」
P「あんま見ないけど、新しいアイドルの子とか?」ヒロイヒロイ
??「いえ、モデル部門に用事が……。いつもは仙台にいるんですけど」アツメアツメ
P「仙台から? そりゃ大変だ、日帰りで?」
??「違いますよぉ、マネージャーさんがホテルを取ってくれてて……」
P「そっか。――っと、これで全部かなとりあえず」
??「ごめんなさい、手伝わせてしまって」
P「いやいや、こっちこそごめん。どうぞ」カオアゲ
??「ありがとうござ――――」カオアゲ
まゆ「――――見つけた」
P「…………はい?」
~つづく~
以上となります。長々とお付き合いありがとうございました。
依頼出しておきます。
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