曙「百年早い」 (23)
うだるような暑さが続いていた。天気予報によれば、先週から途切れることなく今日で十日目。四国の方ではとうとう渇水による節水令が出たというし、随分とまぁ自然現象も頑張るものだ。
ここ一週間ほど深海棲艦の出没情報は出ていなかった。あちらさんもこの酷暑には随分と堪えているのかもしれない。勿論単なる偶然の可能性は大いにあったが、これ幸いとばかりに艦娘たちは避暑地――海中へ飛び込んでいる。
艤装が灼熱していて背負えない、持てない、使えない。果ては膨張による誤作動の可能性がある。そう力説してくれたのは遊びたい盛りの駆逐艦たち。ご丁寧に連名で署名まで頂いた。
そんなわけがあるか。
入れ知恵をしたのは川内か、北上か。大穴で龍驤か最上あたりも候補に挙がる。まぁどうでもいいことだった。艦娘が動けば提督である俺の仕事も増える。汗だくで書類と向き合うほど、俺は仕事が好きではない。
嘘にはいい嘘と悪い嘘がある。俺は時折ひどく鈍感なきらいがあるらしいので、駆逐艦の嘘でさえ気づかないのだ。これはまいった。
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窓の外はすぐに海。全開にしているものの、目視できる木のそよぎほどには風が入ってくるように感じられなかった。首を振る扇風機も、こう室温が生ぬるくては、気休めにしかならない。
消波ブロックの上では麦藁帽を被った人物がのんびり釣竿から糸を垂らしている。顔はひさしに隠れて見えないが、シャツの背に「瑞雲」と書かれているので誰何は容易だ。
「……散歩にでも行くか」
部屋の中に籠っているよりかは、そちらのほうがいくぶんか健康的に思えた。
サンダルをつっかけ開襟をいつもよりボタン一つ分外す。帽子は目深にかぶって、冷蔵庫からミネラルウォーターを確保。
「ふぅ」
玄関の庇しが作る陰から一歩踏み出そうものなら、太陽が熱く俺を歓迎してくれる。そんなものはいらない。たまにはお前にだって休みをくれてやるというのに、強情を張るんじゃない。
悪態を内心でつきながら、陽炎の中に身を投じた。アスファルトは輻射熱が地獄のようだ。それでも海沿いに建っている我が鎮首府は、遮るものがなければ最高の海風を届けてくれる。
「あ、提督だ。なにやってんの」
七駆の四人。先頭を切るのはアイスの棒きれを咥えた曙。その後ろを、顔を火照らせながら小走りで潮、浮き輪を首からぶら下げ漣、ペットボトルのキャップを閉めながら朧と続く。
「なんもやってねぇよ。この暑さじゃ仕事をする気にならん」
「ふぅん。サボっても平気なの?」
「能率を重視した結果だ」
「ものは言いようね」
「ぼの、言いすぎっしょ」
けらけらと漣が笑った。
「ぼの?」
「曙ちゃんのことです。最近綽名をつけるのが流行ってます」
律儀に説明してくれる朧。曙が「ぼの」なら、残る三人は「なみ」「しお」「ぼろ」になるのだろうか。「ぼろ」はまずかろう、「ぼろ」は。
なんというか、非常に女子的で、俺はとことん参ってしまう。
「別にいいでしょ。じゃ、そういうことだから、行くから」
そっけない態度で曙が踵を返した。残る三人も、俺に適当に声をかけてその場を後にする。
なんの気なしに彼女らの後姿を見送っていたが、建物の角を曲がって消えていき、ついに見えなくなる。あの方向は宿舎だろうか。それともその先のコンビニまでいったろうか。
いまだに駆逐と喋るのは苦手だった。俺は軍人であって、教師ではない。人に何かを教える術など学んじゃいないし、ましてや子供とコミュニケーションをとるなんて。
きっと向こうもそう思っているに違いなかった。無愛想な四十の男が、自分たちを砲弾飛び交う前線に押し出すのだ。そこの気持ちに整理をつけられるほうがおかしい。
だから、さっきの曙の発言は、決して悪意が故のものではない。そう思うのは、やはり希望的観測かもしれない。俺がそうであるように、あちらも俺との距離を掴みかねているのではないか、なんていうのは。
二回り以上年下の、しかも少女だ。考えかたや好み、価値判断など、想像もつかない。
近くには背もたれのついていない簡易ベンチがあった。これ幸いと、俺はそれに横になる。
汗が額を伝ってこめかみを流れ、肌から離れていく感覚があった。
何もない中空を人差し指で二度、とんとんと叩く。わざとらしい起動音、「ぶぅん」。そんな空気が震える音とともに、極めて二次元的でデジタルなバーチャルディスプレイが、空間に浮かんだ。
IDとログインパスワードを入力。起動処理。空間をピンチアウトでウィンドウを拡大し、表示された艦娘のリストを眺める。
誰かが艦娘は科学とオカルトの融合だと言っていた。オカルト。霊魂。付喪神。降霊術。いくら眉に唾をつけて聞いたって、彼女たちが海を滑る事実は覆らない。
ただ、少女のきもちこそが、今の俺にとってはオカルトだった。
「なに見てんの」
声がかかった。太陽をちょうど遮っていて、逆光のためにまるで顔が見えない。
ウィンドウをフリックして退かし、ピンチインで最小化。そのまま閉じる。
「所属艦娘のリスト」
「なんで?」
「なんで、って……そりゃ俺はお前らの上司だしな」
「なんで?」
一瞬、ノーを突きつけられたのだと思った。心臓が跳ねて冷や汗が滲む。
しかしその恐怖はすぐに解けた。目の前の曙の表情は、険こそあるものの、まるで少女然としていたからだ。
「出撃やら、遠征やら、色々バランスを考えて組まなくちゃならんからな。ローテーション、っつって通じるか」
「うん。それくらいはね」
ばかにしないでよ、とでも言いたげな口ぶりだった。俺は当然のようにこいつらを子ども扱いしているが、本人たちにとっては死活問題というか、思春期特有の大人びたい心境なのだろう。
背伸びと承認欲求の肥大は誰にだってかかる麻疹のようなものだ。寧ろ微笑ましくすら思う。
「毎日出撃だと疲れるだろう。強い奴ばかり出したら、練度の低いやつらだけで固まる時がいつか来る。駆逐艦だけが固まってもしょうがないし、戦艦だけでもだめだ。空母六隻でもな。それに艦娘同士の相性もある」
「いろいろ考えてんのね」
「それくらいしかやれねぇからな。少なくともウチじゃ、邀撃はもっぱら艦娘が専門だから」
本土のほうではDDHなども出張っていると聞いたが、深海棲艦相手に効果は未知数だろう。本当に俺たちと同じ物理法則の中で生きているのかさえ怪しいのだから。
曙は理解したのか理解していないのか、ふぅんとまったく面白くなさそうに呟いた。
「ねぇ、折って」
差し出されたのはアイスだった。棒状のプラスティックの容器が二つくっついていて、それを折って中身を吸い出す、あれだ。
俺の地元ではパッキンアイスと呼んでいたが、艦娘たちはどうやらチューペットと呼んでいるらしかった。
「ほれ」
「ん」
折った二本を渡そうとするも、一本突き返される。
「あげる」
曙は半分の端を口の中で噛み、シャーベット状になった中身を絞り出す。しゃりしゃりと聞くだけで涼しくなる音が曙の口内から響いてきた。
手渡された半分に対して俺は所在なさげだ。色々な疑問が脳内を駆け巡って、そしてそのすべてに対して回答できないでいる。ただひとつ、アイスと触れている肌の冷たさだけが厳然たる事実だった。
アイスを見て、曙を見る。
「いいのか?」
「うん。全部はちょっと多いし」
じゃあなんで買ったんだ?
……そんな疑問を口にするより、まず言わなければならないことがあった。
「ありがとう」
「別に」
そっけない返事だった。視線を逸らされる。が、しゃりしゃりという音だけは響いている。
俺もあわせて先端を口に咥えた。噛んで、中身を絞り出す。
冷たさの塊が染み渡る。頭へ痛みを伴って、だがそれもまた、心地よい。
「他の三人は?」
「宿題が終わってないって。あ、朧と漣が。潮は、見てあげるって」
「お前は終わったのか。偉いな」
「偉くない」
しくじったか、と思った。無意識のうちに子ども扱いしてしまったようだ。
「あいつらとはいっつも一緒にいるな」
「そうしろって言ったのはあんたたちじゃない」
「……まぁ、推奨されているが」
事実だった。曙の場合は第七駆逐隊の所属だから、なるべくそうするようにと、俺のさらに上からお達しが降りてきている。勿論あくまで当人に負荷をかけない程度に、であるが。
憑代と付喪神の関係性からの苦肉の策だ。ただでさえ戦地に赴き、人ならざるものを見に宿すその負荷を、殊更に強くするわけにはいかない。俺たち提督が赴任するのはそのあたりの調整役としての意味合いもある。
調整役、ね。
思考に自嘲をかましてやった。年頃の女の園に放り込まれて、機微もわからない中年男性には、あまりにも荷が勝ちすぎる。曙一人にでさえ俺は適切な距離感を測れないでいるというのに。
「……別に、俺に相談しろというわけではないけど、無理をする必要はないぞ」
「そういうわけじゃない。みんな大切な友達よ」
「そうか」
よかった、と言葉が漏れそうになるのは我慢した。こちらの心配を悟られたくはなかった。それは大人の対応ではないように感じられたのだ。
見栄なのだろうか、よくわからない。
「潮はあたしと同じ中学校で、一個下。朧は隣の中学だけど、小学校は一緒だった。漣だけは私立の一貫性のとこ通ってるけど、部活の大会で顔だけは知ってた」
強く握っていたせいだろう、猛暑で溶けたアイスの中身が、少しだけ溢れてこぼれる。
「座るか?」
ベンチの隣を示してやると、驚くほどあっさりと曙は隣に座った。スカートを躾けながら座るという、ただそれだけの動作なのに、なんとなく曙も年頃の少女なのだなぁという感慨が襲ってくる。
おいおい父親気取りかよ。自分につっこみを入れるが、思ってしまったのだから仕方ないと開き直ってやった。
「……」
「……」
お互いに無言。蝉の鳴き声が耳にうるさく、陽光の照りつけるじりじりという擬音さえも聞こえてきそうな暑さ。
既にアイスは溶けきってしまった。俺はプラスティックの棒をさかさまにして、下に溜まっていた液体を全部口の中へと流れ込ませる。
うん、ぬるいな。
「……ねぇ」
「ん?」
「……」
無言だった。曙は空になった自らの手元へ視線を落としている。まさか捨ててきてほしいというわけでもあるまい。
なんだよ。気になるじゃないか。思っていても言えないのが俺の臆病さである。
と、そこでアラートがなった。意識に直接送り込まれる、控えめなサイレン。ありきたりなメーデー。
「出たか」
「うん。行く?」
最近静かだったのは、やはり避暑に盛んだったからではないらしい。俺は残念に思う反面、そうでなくては、とも思う。
敵はあくまで敵でなくてはだめだ。例えば俺たちと同じような外見や、文化や、言語を使われては、戦いに躊躇が生まれる。だから深海棲艦がこんな暑さをまるで気にせずに、あぁそうだ、こちらの都合など一切省みないことに、安堵さえ生まれるじゃないか。
銃口や砲塔の向く先が、同じ人類でないという幸せ。
俺は編成のウインドウを開き、曙を旗艦に、七駆の三人を放り込む。シフトを別窓で開いて今日の在籍を確認。……三隈と瑞鳳でいいか。敵の規模が大きいようであれば、再度対策を練ろう。
「頑張ってこい」
「うん」
やけに素直に曙は返事をし、ベンチから跳ねるように立ち上がった。
「頑張るに決まってるでしょ。……見ててよ」
「おう」
俺も立ち上がった。出撃に伴う報告書類の作成が待っている。艦娘が海上で戦うのならば、俺の戦いは机上。
建造にも改造にもとかく逐一書類は必須だ。組織が巨大になればなるほど、仕方がないことではあるが、面倒くさいと思う時がないわけではない。大本営と連絡がつかなければ、いっそ好き勝手、やりたい放題できるのだが。
冗談だった。本土との通信途絶は殆ど敗戦みたいなものだ。そんな時が来ないことを切に願うばかりである。
「曙」
「何よ。早くいかなきゃなんでしょ」
「アイス食べるか? 買ってきておいてやるよ」
「は?」
「奢ってもらいっぱなしは性にあわんからな」
今日の暑さは夜まで続くらしい。熱帯夜になりそうだ。
「別にいいって」
「そういうわけにもいかんのさ。俺は大人だからな」
そう言うと、曙は逡巡して、
「ハーゲンダッツ」
と言った。おお、なかなかに豪勢じゃないか。その心意気やよし。
「五つ」
……さすがにそこまでは想定していなかったが。
「よく食うな。腹、壊さんのか」
「は? 一人じゃ全部食べないけど?」
曙は俺から不自然に視線を逸らす。
「七駆のみんなと」
「あぁ」
なるほどな。
「……あんたは、いらないの?」
曙、朧、漣、潮。そして。
……なるほどな。
「いいのか?」
曙は首を目一杯俺から背けていて、その表情はちっともわからない。耳が赤いようにも思えるが、それがこの気温のせいである可能性は、十分にあった。
だが、どうせならば俺は楽天家でありたいと思って……何より心がにやけているから、いっそそれに従おうと思って。
「いいのっ! どうやってあんたと仲良くすればいいのかなんて、わかんないし!」
胸がぽかぽかしてきた。きっと俺も、耳が赤いはずだ。
それは誓って陽気のせいではなかった。
「行ってくる!」
声を荒げながら大股で曙が去っていく。
「頑張れー、ぼのー!」
俺は叫んでやった。
「クソ提督ッ、百年早い!」
叫び声が帰ってきた。
それは今まで聞いた中で、一番心が籠っているように思った。
おしまい
本編の息抜きに短編。
短編も年長者ばかりが続いたから駆逐。
本当は58といちゃいちゃする話だったのは内緒。
58の影も形もなくなってて草。
読んでくださってありがとうございました。
このSSまとめへのコメント
ぼのたんええ子や...