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「ゆーきって最近楽しそうだね」
同級生の乙倉悠貴の楽しそうな笑顔を見ていてふと漏らした言葉を、彼女は聞き逃さず相変わらず嬉しそうに笑った。
憎たらしいほどに可愛い笑顔で、同性に生まれてきたことを激しく後悔した。
こんなにも可愛い子が目の前にいると、どうしたって自分の凡庸さが浮かび上がってくる。劣等感は否めない。
……いや、私が普通の、何も取り柄がない、乙倉悠貴と同級生であり友人であるという以外に価値のない人間であることはこの際どうでもいいか。
劣等感なんてものを感じることを許されるようなレベルですらない、比較することすら烏滸がましい話だ。
「毎日楽しいよっ。学校も、部活も、お仕事も!」
悠貴の跳ねるような声は、聞いていて耳障りが良い。嫌みのない素直な感情と言った感じで、裏を感じさせない。
女子という生き物は往々にして嫌みを含み、言葉には常に含みを持たせた腹に一物を抱えた会話をするものだが、こと悠貴にはそれがないので、こちらとしても毒が抜けるというか、気が楽になる。
彼女の言葉には嘘は無く、だから言っているとおりそのまま、学校も部活も仕事も楽しいのだろう。それはとても良いことだ。曲がりなりにもその一端になれているのであれば、凄く嬉しい。
学校は悠貴がいなければつまらないし、部活なんてしていない、まして仕事なんてまだしたこともない私からすれば、乙倉悠貴という人間はもしかして聖人か何かではないかとすら感じる。
仕事──普通の中学生である私にはまだ遠い未来のようにしか思えない話なのだが、悠貴にとっては身近な存在だ。
何故なら、悠貴はアイドル。
普通の中学生ではない。
本来であれば私や、他の同級生どもでは話しかけることすら烏滸がましく、頭を垂れて崇拝すべき存在なのだ。
いや、これはさすがに少し、私という人間が悠貴に対して持つバイアスが大きくかかった見方ではあるのだけど。
「ゆーきは可愛いなー。ほれ、ハグしちゃる!」
「えへへ、やったな──って、ちょっとあのどこ触って、んっ、も、もうっ!」
……とりあえず、悠貴の身体をまさぐれるのは、女子特権ということで。
ぐへへ。
私が悠貴と仲良くなったきっかけなんてものは、ただ転校してきた彼女が指定された隣の席に私がいただけという、ともすれば運命とも言えなくもないが、しかしその実は単なる偶然で片付けてしまうほうがわかりやすい理由だった。
誰に対しても分け隔てなく気さくで明るい女の子の役割を演じていた私は、当然のようにクラスでもいわゆる勝ち組グループに所属をしていたし、学内カーストにおいてもやはり上層部にいた。
だから新たに同級生となる悠貴に話し掛けたのは、打算でしかなかった。
誰からの人目も引くほどの綺麗な顔をしたあの子を私の友人とすれば、間違いなくカーストにおける順位は不動のものになる──そんなくだらない理由だ。
まったく、かくも女子学生という生き物は息苦しい世界で生きているものだと思うけれど、とは言えこれがこの掃き溜めのように狭く閉ざされた世界で、怪我なく生きていくための処世術であるということを、私たちは幼き頃から教えられて生きてきたのだから仕方ない。
『へいてんこーせー! パンツは黄色かい?』
話し掛けたというか、スカートの中身を下から覗きこみながらのセクハラたった。今から思えば何をしているんだ。
気さくで明るい女の子という概念はともすれば下ネタ好きな男子に近しいのかもしれない。というのも、女子同士で人気者になろうと思えば女の子らしくしているよりも、どこか男子の要素を抱えているほうが立ち回りやすいからだ。
これは私の持論でしかないし、私はそうしているだけ、ということだけど。
女の子らしく可愛く振る舞うというのは、見方を変えれば男子に媚びて生きているように映りやすい。
飛び抜けた素材を持っていて、中身が完璧に可愛いの塊で出来た嫌味を感じさせないほどの美少女でもない限りは、女子という団体から排他される対象となるリスクを抱えなければいけない。
飛び抜けた素材を持った可愛いの塊。
まさしく悠貴のような人間である。
私のような打算で出来上がった人間が本来近づいてはいけないんだろう。
悠貴を形容するに当たってふさわしい言葉をいくつか思い浮かべてみたが、女神か天使、はたまた私を惑わす美少女小悪魔か。なんにしてもポジティブな意味合いのものしか浮かばない。
悠貴の傍に私のような人間がいていいはずはないのだが、しかし今さら私から悠貴を取り上げようだなんてことをされでもしたら、きっと私は発狂して中学生にしてグレてしまい警察のお世話になる人生を送ることになってしまう。
悠貴のいない人生など。
考えただけでもゾッとする。
打算で近づいていたはずなのに、いつの間にかこんなにも惚れ込んでいるのだから、悠貴という人間がどれほどに素晴らしく可愛くてかけがえのない、現人神のごとき存在なのかわかるはずだ。
控え目に言っても、私は悠貴のことが大好きだ。捉えようによっては悠貴を信仰していると言っても過言ではない。
悠貴が私といる時間をどのように思ってくれているのか考えると、複雑な気持ちになる。私と同じように思ってくれていると嬉しいけれど、そんなことはありえないのだとわかっているからだ。
私が悠貴に抱く想いは、きっと普通じゃない。
ある日のことだった。一日の授業が終わって、部活もやっていない私は同じく帰宅部である友人と下校しかけていた。
悠貴は陸上部に入っているから、学校が終わるとさっさと学校を抜け出す私とは一緒に下校することはない。それに部活がなくても悠貴はアイドルだから、テレビやライブの仕事の都合があるし、やっぱり一緒に帰るということは少ない。
そのことに関して、やっぱり少し残念に思うけれど、何事にも一生懸命な悠貴は凄いと思うし、応援したくなる。
だから今日も、私は悠貴とは別に自堕落な中学生らしく、だらだらと友人とお喋りをしながら帰宅しようとしていた。
いつもの校門が、見慣れない景色になっていた。
校門にスーツ姿の大人が立っていた。下校をする中学生がたくさん校門を通っていく中で、その姿はどうにも場にそぐわない。完全に浮いていた。
学校の先生もスーツを着ていることはあるけれど、誰も彼もがよれよれでくたびれていて、なんだか情けなく見えるのだけど、その大人は違った。パリッとした、まるで下ろし立ての新品のように綺麗なスーツだ。服装だけで判断をするなら、まともな大人の人だ。
中学校の校門で明らかに誰かを探している素振りだというのに、清潔感があるというだけでなんだか怪しさを感じさせない。
服装というのは人に与える印象の中でも特に強いものなのかもしれない。
私がその大人のことを考察していると後ろから誰かが走ってくる。鞄が揺れるときの擦れるような音と、靴が跳ねるときの叩くような音が力強く耳に障る。
風を切る音が私の横を過ぎていった。
駆け抜けて行った後ろ姿は、走る勢いで制服のスカートが大きく翻って膝裏どころか太腿まで露出してしまっている。
ああもう、と私は思った。
駆け抜けて行った、悠貴の姿に、なんて警戒心の薄い子なんだと焦っていた。
だけどそんな焦りは、あっという間に違う感情に塗りつぶされていった。
校門で立っていた、私が知らない大人に、今まで私が見たこともないような表情を見せている悠貴がいた。
うまく言葉にできない。笑顔なんだけど、私が知っているものではなくて。それはたぶん、悠貴の特別な表情だった。
私が知らなくて、あの大人だけにしか見せない、悠貴の表情だ。
ずきんと、喉の奥が痛くなった。それから、頭の中が脈を打つようにじんじんとする。息が荒くなっているような気がして、唾液をたっぷりと飲み込んだ。
今の私の顔はミドリムシよりも緑色になっているんじゃないかというくらいにざわざわと心が落ち着かなくて、胃から何かが込み上げてきそうになっていた。
愛想笑いを浮かべようとしたが浮かばない。冷たい汗が背中をだらだらと流れていって、全身の熱が無くなった。自分の体温がわからない。もしかしたら私は死んでしまったのかと思うくらい。
治まらない喉の奥の痛みと、ミミズが頭の中を這うような気持ち悪さが生きていることを思い出させてくれて、いっそこのまま気絶してしまいたいくらいだ。
初めて知る感覚だった。
……知りたくなかった感覚だった。
一緒に帰っている友人は、そんな私のことなんて全然気にもかけずに、のほほんと、今頃悠貴と大人の姿を見つけたのか目をきらきらとさせていた。
「わぁ~、かっこいい大人の人だぁ。お仕事のお迎えかなぁ? ゆうきちゃんの。大人って感じだねぇ。ねぇ?」
そうだねと頷くには、私のコンディションはあまりにも最悪だった。
その後のことをよく覚えていない。あのあとどうやって家に帰ったのかすら記憶の彼方に消え去っているほど朧気だ。
たぶん、中身のない、甘いスイーツみたいな会話をしていたような気がする。
気持ちとしてはスイーツどころかピーマンのように苦くて、トマトのように気色が悪かったというのに、取り繕うことだけはどうにも上手だったらしい。
日常的に役割を演じている私にとっては、自分の気持ちを誰かに見せないようにするなんて簡単なことだった。
なんて、実際のところはわからない。
記憶は既に思い出せないほどに霞んでいるし、ぽやぽやしているようで人のことをよく見ているあの子だから、敢えて触れてこなかっただけかもしれない。
吐き出す息はどす黒い、どぶのような色をしている気がした。感情を吐き出しているのか、魂が抜け出しているのか。
感情は澱んで濁っていた。
暗闇に囚われていた。
所詮、私は世界においてモブでしかないただの一般人A。だから、アイドルである悠貴とはまるで住む世界が違うこともわかっていたつもりだった。
ただ、悠貴の友達でいられるだけでも幸せなことだと理解していたのに。
悠貴のあの笑顔を見て、私は心身共にぐちゃぐちゃになってしまった。
口の中は鉄の味しかしないし、思い出す度に喉の奥から肺にかけてずきんずきんと痛みが駆け抜けていく。
痛いから、胸を掻き毟る。爪を立てて握る。別の痛みでごまかそうとして、だけどそれでも上書きされていった。
これは何を意味する痛みなのか。私は知っていた。
初めて経験したけれど。
たぶん、そういうことだ。
「ゆーきって最近楽しそうだね」
再放送のように私は先日の言葉を繰り返していた。だけど、その言葉はあの時のような楽しい気持ちではない。だって、悠貴の笑顔を見ていても、今はただ苦しくて、痛い。
だけど、私はただ、いつもの日常を演じることを努めて行う。いつものように私は悠貴の笑顔を見守り、満足をした振りをする。
たとえ、どれだけ苦しくて、痛くても。
私はこの気持ちを悠貴に悟られたくない。
無邪気で優しくて、純粋過ぎるから、こんな私の邪な想いなんて、知らなくても良い。
「それ、この間も言ってなかった?」
「そうだっけ、そうだったかも。だってゆーきってば、いつも楽しそうに笑ってるから、思わず同じような言葉が出ちゃうのかも」
「えへへ、そうかな。でも、そうかも。だって、やっぱりいつも楽しいもん」
「んふふ、まったくもう、そんな無邪気に笑っちゃって。ゆーきはかわいいなぁ。そんなゆーきの今日の下着は何色かなー?」
「も、もうっ、また。セクハラ厳禁っ!」
「ぐへへ、そないなこと言っても、身体は正直やでー」
「すっごく胡散臭い関西弁っ!」
平常心を装って、私はいつものように悠貴の下着をまさぐる。これが平常心と言うのは少し特殊な気は自分でもしているけれど、普段の接し方がこれなのだから仕方ない。
たぶんこれが、私たちの距離感。一方的に茶化してふざけることはできても、踏み込んだことをけっして話したりはしない。浅くて温くて、ただその時その時が楽しいだけ。
よくある学校のお友達。卒業したら遠くになって会わなくなるような、そんな関係性。
踏み込むことはできない。今の関係を壊したくないし、今の悠貴でいてほしいから。
今のまま、とびっきりの笑顔で、悠貴は輝いているべきなのだ。
そのためには、こんな私の想いは邪魔でしかない。私はただ、勝手に砕けて、勝手に終わって、消えていけばいい。悠貴の日常を象徴する、モブの一人であるべきだ。
あるべきだ。あるべきだ。あるべきだ。
繰り返して、自分に言い聞かせる。思えば思うほどに痛くて苦しいけれど、心臓を槍で突き刺された痛みは、もしかしてこういうものじゃないのかとすら思えるほどだけど。
それでも私は、悠貴の人生の汚点になりたくない。
……なんて、優等生なことを自分に必死に言い聞かせていないと、おかしくなりそうだ。時間も場所も考えずに無茶苦茶にしてやりたくなる。思考はぐるぐると絶え間なく動き続けて、落ち着かないで止まらない。
……はあ、まったく。まったく、もう。
「厄介な感情を自覚してしまったなぁ」
報われない感情を、今はまだ、迷いながら抱いていく。
優等生になるのも、無茶苦茶をするのも。
答えはまだ、出せそうにない。
おわり。
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