方正さんへ
突然の手紙でさぞ驚かれていると思いますが、何も言わずに聞いてください。
ココリコがガキの使いの前説をやらせて頂いてすぐ、方正さんは僕を見て「キミ ガリガリやな!飯食ってんのか?」と言いました。
僕は「はい!大丈夫です」と答えましたが、実はそのころ会社に借金があり生活をするのもやっとで、正直お金に困っていました。
もちろん食事もろくにとっておらず、ロケ弁が一週間で一番豪華な食事でした。
でも僕はそれを方正さんには気付かれたくはなくお金には困っていない振りをしたのです。
しかし、方正さんはすべてお見通しでした。
「話し相手がおらんから付き合うてや」と方正さんらしい相手に気を遣わせない優しさに満ちた誘い文句で僕を食事に誘ってくれたのです。
当時の僕には絶対に手の届かない高級な食事を頂いた後、方正さんは食後の一服をしようとタバコを取り出しました。
すると方正さんが「あれ?ないな。ライターがないねん」と言い出しました。
僕が「これ使ってください!」と100円ライターを差し出すと「俺ヘビースモーカーやから火がないと困んねん。だからこのライター売ってや」
と100円ライターをポケットに入れ、なんと一万円札を僕に渡したのです。
僕が「いや、それは受け取れません」と言うと「俺スターやから金銭感覚がおかしいねん!」と無理矢理一万円を僕に受け取らせました。
お金のなかった僕には本当にありがたいお金でした。
それからというもの方正さんは食事に行くたびに必ずライターがないとおっしゃり、100円ライター代という肩書きのお小遣いをくれたのです。
僕はその優しい気持ちがうれしくてうれしくて仕方ありませんでした。
でも実はあのお金、僕はライター代の100円だけ使って、残りの9,900円は貯金をしていました。
合わせてウン十万円にもなるお金は方正さんの優しさの値段だと思い、今でも大切に銀行に保管しています。
落語家という素敵なお仕事を見つけた方正さん。
僕は方正さんの落語には方正さんの優しさが滲み出ていて大好きです。
ココリコ田中直樹
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方正さんへ
僕と方正さんが出会って19年、こうやって感謝の気持ちをちゃんとお伝えするのは初めてだと思います。
方正さんには様々な場面でお世話になりたくさんの感謝をしているのですが、今日は僕が最も感謝しているあの事を言いたいと思います。
これは2人だけの秘密だと方正さんに口止めされている事なのですが、実は僕と元妻の千秋との馴れ初めには方正さんが大きく関わっています。
それというのも、千秋は最初僕ではなく方正さんに想いを寄せていたのです。
方正さんにはその気はなかったようですが、千秋は毎週追いかける様に方正さんの食事の席に現れ、アプローチをしていました。
そして、その席にはいつも僕がおり、そんな姿を見ていたらいつの間にか千秋のことを好きになっていたのです。
ある日僕は怒られるのを覚悟で千秋への思いを方正さんに伝えました。
すると方正さんは「分かったわ」と一言だけ言い、後日千秋と2人きりでの食事をセッティングしてくれたのです。
そのおかげで僕は千秋と結婚ができ、一時ですが幸せな時間を過ごさせていただきました。
方正さん、あの時僕の想いを汲んでくれて本当にありがとうございます。
そしてもう1つ。芸人として悩みを相談していた僕に「遠藤はおもろい体型しているからブリーフ姿がええんちゃう?」
「なんか『ほっほほほー』みたいな擬音はええなぁ」とアドバイスをくれました。
そして誕生したのがみなさんもご存知の『ほほほい』です。実はあの『ほほほい』の生みの親は方正さんなのです。
しかし方正さんは千秋の事も『ほほほい』の事も誰にも言わず、遠藤章造という男を立ててくれました。
僕はそんな男気に本気で感謝しています。
落語家という素敵なお仕事を見つけた方正さん。
僕は方正さんの軽快で楽しい落語が大好きです。
ココリコ遠藤章造
山ちゃんへ
山ちゃんとはプライベートでは全く付き合いが無く仕事場でしか顔を合わせないのですが、実は山ちゃんに大変な恩があります。
それはダウンタウンが東京に進出するときのこと。
大阪でブレイクしていた僕らのもとに日本テレビから菅ちゃん達がやってきたのは約27年前。
それは「東京でレギュラー番組を持たないか?」というこの上ない話でした。
当然僕たちダウンタウンは全国区のスターになるための足掛かりになると大喜びでしたが、実は僕には1つ心に引っ掛かる事があったのです。
それは、象牙の密輸です。
松本も知らない事なのですが、当時僕はアフリカから象牙を密輸し高値で売りさばくという裏の仕事に手を出し、ボロ儲けをしていました。
「東京に行ったら密輸ができなくなる、どうしよう」僕は迷いに迷い、決められない日々を過ごしていました。
そんなモヤモヤとした気持ちでいたある日、僕がいつものように象牙の取引のため真夜中の神戸の港へやってくると
そこで待っていたのはブローカーではなく、なんと山ちゃんでした。
山ちゃんはいつもとは違う鬼のような形相で僕を睨みこう言ったのです。
「象牙とダウンタウン、どっちが大事なんですか!」
僕はその言葉に目が覚め、それ以来象牙に手を出すのをやめてダウンタウンとして東京進出。
そして始まったのがこの番組「ガキの使いやあらへんで」なのです。
あの時の山ちゃんの心の叫びがなければ僕は今も象牙の密輸をしていたかもしれません。
今のダウンタウンがあるのもガキの使いがあるのもすべて山ちゃんのおかげなのです。
落語家という素敵なお仕事を見つけた山ちゃん。
いつか浜田家一家そろって大好きな山ちゃんの落語を見に行きます。
ありがとう。
ダウンタウン浜田雅功
山崎へ
正直生きている間に山崎へ手紙を、しかも感謝状なんて物を書くとは思ってもいませんでした。
俺が山崎に感謝してる事があるとしたら、ダウンタウンが東京でブレイクしレギュラー番組10本という人気絶頂の中
誰も俺に意見するものがおらず、見渡せばイエスマンばっかり。
しかしそんな中、山崎だけは「松本さんアホちゃいますかぁ?」と
全く変わらぬ人懐っこい笑顔で近づいてきて、毎日おもしろい話を聞かせてくれました。
そんな山崎の変わらぬ態度にいつしか俺は「もしも弟がおったら こんな感じなんやろうなぁ」と
山崎を本当の弟のように思うようになったんです。
そしてもう1つ。これは感謝というか謝罪というか、どちらでもあるのですが
あれは確か5年前、山崎と夜の六本木を歩いていた時に俺ら2人は5、6人のチンピラに絡まれた事がありましたね。
その時、僕は足がすくみブルブルと震えていました。
ところが山崎は突然チンピラたちに飛びかかって「松本さん、逃げて下さい!」
と身をていして守ってくれたのです。あの時は逃げてしまってごめんなさい。
そしてその後、家に行った俺のもとにやって来て、山崎は顔を思いっきり腫らせているにも関わらず
「大丈夫ですよ」とまたいつもと変わらぬ人懐っこい笑顔で接してくれたのです。
あの日以来、俺は後輩に守られるのではなく後輩を守りたいと筋トレをはじめ
今ではすっかり筋肉芸人の仲間入りを果たしました。
もしもあの時山崎の勇気がなかったら僕はたぶん筋肉芸人にはなっていなかったと思います。
山崎、本当にありがとう。
落語家という素敵なお仕事を見つけた山崎。
人一倍努力家で勉強を怠らないキミは、いつかきっと真打になる日が来ると思います。
その時は一番の山崎ファンである俺だけに大好きな山崎の落語を聞かせて下さい。
それといつしか俺が芸人を辞める日が来ても、兄弟として一生一緒にいてくれや。
我が弟 月亭方正へ ダウンタウン松本人志
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