・フィアンマさんとツンデレなヴェントさんがいちゃいちゃするスレ
・序盤は記憶有り
・一度エタったスレの立て直しです
・基本は会話文進行。時々地の文が入ります
・キャラ崩壊注意
・エログロがあるかもしれないです
・時間軸不明。平行世界
・雑談希望予想お気軽にどうぞ
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酷い雨の中。
弟を喪い、数年経って尚心の癒えぬ私は、歩いていた。
傘を差す気力もなく。泣きたい思いを懸命に堪えて。
「……、…」
修道服が濡れていた。
それすらも、気にならない。
今日は、あの子の墓に花束を添えに行っていた。
私のせいで、あの子は死んだ。
「………」
生まれてこなければ良かった。
今となっては、そう思う。
私が居なければ、あの子はきっとまだ生きていた。
黒いフードで、顔を隠す。
そのフードも濡れていて、気分が悪かった。
「…めん、ね…」
悪いお姉ちゃんで、ごめんね。
守ってあげられなくて、ごめんね。
ごめんね……。
不意に、目元が熱くなる。
きっと何年経っても、何十年経っても、私は私を許せない。
ぐし、と手の甲で目元を擦る。
ごしごしとこすっても、更に熱くなるだけ。
苦しい。思わず、咳き込んだ。
何もかも放り出して泣いたって、きっと誰も来ない。
ここはバチカンの、つまりは普通の街中だが、この大雨だ、私以外に人気は無い。
泣いている内に気分が悪くなり、思わず座り込んだ。
あの日、目を覚まして見た弟の亡骸を思いだし、発狂しそうになる。
「っ、……」
せめて、教会までは行かなければ。
思うのに、さほど疲れていないクセに、脚が思ったように動いてくれない。
地面へみっともなく手をついて泣いていると、不意に雨が止んだ。
いいや、防がれた。
のろのろと、本当に怠かったのだが、無理矢理に顔を上げる。
気恥ずかしいという思いよりも、どこかに行って欲しいという身勝手な願いの方が強かった。
私の前に立っていたのは、細身の青年だった。
血飛沫らしきシミの見える、黒い傘を差している。
「……、私に、」
構わないで。
言おうとした矢先、清潔そうなハンカチが差し出された。
あまりにもそっと手渡されたので、思わず受け取ってしまう。
彼はそのまま、私の隣を通り過ぎる。
「あ、」
声を出して、引きとめようとした。
泣いていたせいで声が掠れ、発声に齟齬が生じる。
掠れた声はどこにも届かず、雨音にかき消され。
そうこうしている間に、彼は姿を消した。
ふらふらと立ち上がり、周囲を見てみるも、見当たらない。
「……、…?」
バチカンは、私の庭のようなものだ。
住んで、もう二年になる。
だというのに、見当たらないというのは妙だ。
全力ダッシュしたとしても、後ろ姿位は見える筈。
首を傾げ、ハンカチを見下ろす。
雨で濡れているものの、清潔そうな赤いハンカチだった。
男性用でも女性用でもないのか、華美さも地味さも無い。
「………」
次に会った時には、返さなければ。
思いつつ、ポケットへとしまいこんだ。
悪夢を見た。
酷い内容だった。
世界中から拒絶される夢だった。
元より愛され易い性格だなどとは思っていなかったが。
自尊心を踏みにじられる、最低最悪の夢。
その不快感から逃れるべく、外へ出た。
土砂降りの雨の中、人気はほぼゼロに近く、心地よかった。
「………」
涼しい雨の匂いとは心を落ち着かせてくれるもので。
嫌な夢の内容も、みるみる内に薄らいでいった。
ふと。
ローマ正教の採用している正式な修道服を着用している女を見かけた。
地面へ両の手をつき、声を堪え堪え、泣きじゃくっている。
かける言葉は浮かばなかった。初対面なのだから、あるはずもない。
ただ、それを素通りするには、なけなしの良心とやらが痛んで。
「…、」
「……、私に、」
顔を上げた女の顔は、酷いものだった。
整っている顔が、哀しみと憎しみと涙に塗れ、歪んでいた。
どうすればいいかわからず、ぐい、とハンカチを押し付けた。
女が受け取ったのを確認して、通り過ぎる。
ズキズキと痛んでいた良心は、すぐさま治まった。
一歩踏み出し。
『聖なる右』を用い、平行移動した。
聖ピエトロ大聖堂は、本日も静謐を保っている。
良い事だ、と思った。騒然としているのは好かない。
「おや、お帰りなさい」
左方のテッラと目が合う。
ああ、と適当に返事をして、仕事部屋へ戻る。
仕事中に居眠りをしたから、あんな悪夢を見たのかもしれない。
「………」
現在状況についての報告書類。
これらをまとめ、整理し、片付ければ仕事は終わりだ。
別に今日中にやらなくても一向に問題無いのだが。
「……」
本棚に手をかける。
メモが挟まっていた。
一般資料に、どうやら不備があるようだ。
図書館に行かなければならないと思うと、億劫になる。
「まあ、仕方あるまい」
妥協して、本を片付けた。
雨は、まだまだ、乱暴に降り続けている。
ハンカチを返そうにも。
彼の身元はまったくもって不明であり、検討もつかない。
「……、…」
困った。
貰うというのは、少し申し訳なさのようなものがある。
ましてや、新品に近い綺麗なハンカチでは。
同じものを買って返すべく、給金を叩いて同じものを購入した。
恐ろしい値段だったので、彼は存外金持ちなのかもしれない。
その割には修道服を纏っていたような、そんな覚えがあるのだけれど。
正確には修道服に似たデザインの、赤い服だったかもしれない。
どこかの制服だろうか。だとすれば学生なのだろうか。
ぐるぐると思考する彼女に、年輩のシスターが声をかけた。
「———ちゃん、悪いんだけれど」
「はい?」
彼女はとても優しく穏やかで、とても良くしてくれる人だ。
はい、と手渡された紙袋の中には、数冊の本がある。
恐らく中身は交通費だろう、財布も一緒に入っていた。
「余ったらご飯を食べてきていいわ」
「…、…ありがとうございます」
行ってきます、と受け取り。
彼女は外に出て、図書館を目指し、歩き始めた。
今日は午後に雨が降る。
フィアンマがそんな情報を手に入れたのは、何も神の如き者の特性に沿った預言ではない。
ただ単に、天気予報を伝えるラジオから流れる声を聴いただけだ。
彼は魔術サイドに所属しながらも、決して科学を嫌っている訳ではない。
それは彼が科学サイドに対して嫌な記憶が無いからかもしれないし、上に立つ者として公然とした思考なのかもしれない。
何はともあれそのような情報を聴いたフィアンマは、傘を手に外へ出る。
昨日も使用したものと同じ傘だ。これは彼の私物だが、彼が購入したものではない。
間違って大量発注したんだ、という店員から"幸運にも"プレゼントされ。
うっかり盗まれ、待っていたら盗んだ人間が事故に遭い。
僅かに血飛沫を付着させ、"幸運にも"壊れず、手元へ戻ってきたものだ。
いわば、彼の幸運体質の象徴ともいえよう。
自分の幸運の代償として他者が不幸になることは既にわかっている。
何度も経験してきたことは、今更泣いて怖がったり、悔やむ事でもない。
図書館へは、無事到着した。
財布の中身は存外多く、それだけ信頼されているのだと思うと嬉しくなる。
自分の事は基本的に嫌いだが、それとこれとは別問題だ。
「…お願いします」
司書に紙袋ごと手渡し。
番号合わせ等があるのか、司書はいそいそと作業する。
一昔前は手書きで処理していたのだが、最近はコピー機やパソコンを導入したらしい。
科学が憎くてたまらない自分としては、目を逸らすほかない。
「……、あ」
赤い髪が、目に入った。
彼は本棚の並びを見ており、幾つもの本を小脇に抱えている。
欠伸を噛み殺し、本を手に、テーブルへ。
椅子に腰掛けて悠々と読む姿は、知的な雰囲気を漂わせていた。
「処理終わりましたよ。ごゆっくりどうぞ」
「どうも」
紙袋を返される。
受け取って畳み、財布をしまい、彼に近づく。
本の内容に熱中しているのか、私には気づかない。
声をかけても、無視された。一点集中しているようだ。
仕方がないので、向かい側の席に座る。
流石に肩を揺さぶってまで集中を切れさせる真似はしない。
「…………ん」
ぱたん。
本を閉じ、彼の瞳が私を捉える。
言葉に迷った様子で、しばらく黙っていた。
私もどう話しかけたものかはかりかね、黙る。
「…お前は、昨日の」
それだけ言って。
彼は、本を閉じて積む。
一気に読んで一気に片付けるタイプらしい。
せっかちなのか、面倒臭がりなのか。
「あの、」
買っておいた新品のハンカチを差し出す。
ブランド名も何もかも、同様のものだ。
「昨日はありがとうございました」
放っておいて欲しかったが、それはエゴだ。
自分の感情を押し付けてはいけない。
彼はハンカチを受け取り、私を見る。
「高かっただろう」
端的な言葉に。
頷く事も首を横に振る事もままならず。
困った顔をする私に、彼は小さく笑った。
流れに流されて、レストランまで来てしまった。
丁度昼時だったので、断りきれなかったところもある。
緊張する理由のない彼は、淡々と食事をしていた。
「失恋か何か、か」
もぐ、とイカを口に含み。
金色の視線が、私の方に向けられた。
別に、失恋や、目立って悲しい事があった訳ではない。
慢性的に抱えている辛さが、絶望が、時折こうして顔を覗かせるだけだ。
「そういう訳でもないんですケドね、」
「……敬語でなくて構わん」
畏まった話し方は好かない、と彼はぼやく。
何がしかの高い地位にでもいるのだろうか。
チーズのたっぷり乗ったピザをひと切れ食べ、敬語はやめる、と頷いた。
傘の件を聞きたいような、聞いてはいけないような。
会話が弾むでもなく、酷く気まずい訳でもなく、食事が終わる。
外に出ると、雨が降っていた。
「げっ……」
思わず、嫌な声が出た。
今日の午後に雨が降るなど、知らなかった。
天気予報を聴いていればわかっていたのだろうが、科学は嫌いだ。
舌打ちをしそうになって、隣に他人が居るので、堪える。
対して、傘を開いた彼は、私を見やった。
「…お前の家はここから遠いのか」
「…電車に乗るから、まあまあってところカナ?」
なら、駅まで送る。
そんな申し出に首を横に振るも、彼は歩き出してしまう。
仕方がないので焦って傘下へと入った。
『おねえちゃん、あいあいがさしよー』
『どこでそんなコト覚えてきたの…はぁ』
誰かと一緒に傘に入っていると、弟のことを思い出す。
いいや、私の生活のほとんどは弟に関連づいているものだ。
食事を作るのも、起きるのも、寝るのも、何もかも。
弟は、私の生きがいだった。これからも、成人するまでは一緒だと思っていた。
弟に反抗期が来たら、どうしよう。
そんなことを考えては、取っ組み合いとか必要なのかな、と思ったりして。
結局、想像していた何もかもは、私の存在によって不可能になった。
「……悩みがあるのなら、誰かに相談した方が良い」
隣から、そんなことを言われて。
ちらりとそちらを見やれば、憂鬱そうな青年の顔。
「…別に、悩んで、相談してもどうしようもないコトだから」
死者は蘇らない。
『神の子』が存在していない限り。
「食事、ありがとう」
礼を言って、駅へ。
電車に乗るのは嫌だが、我慢するしかない。
目を閉じてあの子の事を考えていればすぐに終わる。
彼は私が改札口へ行ったのを見届け、踵を返す。
その背中が孤独なものに見えて、思わず呼び止めそうになった。
「……また、会えれば良いが」
そんなことをぼやいて、彼は姿を消してしまう。
幻想のような人。
思いながらフードを整え直し、教会へ急ぐ。
幸運にも、教会へ戻るまでに少し濡れただけで済んだ。
少し肌寒い。上着を着た方が良いだろうか。
「戻りました」
「お帰りなさい」
のんびりと、年輩シスターが彼女を出迎える。
勧められるまま椅子に腰掛け、差し出されたココアを啜る。
甘い味とカカオの柔らかな匂いが、冷えた身体を温めた。
「そうそう、近々、あなたは教会を移るかもしれないわ」
「え?」
思わずきょとんとする私に、シスターはほんわかといつもの優しい笑みと共に言う。
「ここより大きい場所だから、もしかすると男性が居るかもしれないけれどね」
それも、きっと良い経験になるから。
そうですか、と返事をしておく。
教会を移るだなんて、本当に久しぶりだ。
荷物をまとめ。
一週間後、私は、別の教会へと移ってきた。
「シスター・エウラーリア」
呼ばれ、返事をする。
私の名前は、聖女であるメリダのエウラリアに基づいている。
別に、名前に対してこだわりは持っていない。
何と呼ばれようと私は私という一人の人間であり。
弟を殺してしまった、大罪人に過ぎないのだから。
通された部屋には、十数人のシスター。
それから、数人の神父が居た。
正確には司教であったり、見習いであったりと様々なのだが。
自己紹介をして。
荷物を部屋の適所へと片付ける。
これで引越しは完了だ。
「……何だこれは」
ずっしりと積まれた書類に、フィアンマは眉をひそめた。
左方のテッラは少々面倒そうに、申し訳なさそうに言う。
「いえ、ローマ正教信者の、罪を犯した者の"書類処理"をしていたらこうなりましてねー」
つまり、情報捏造だ。
左方のテッラは異教徒を家畜扱いする典型的なローマ正教徒なのだが、反対に同胞には甘い。
優しいのではなく、とかく甘く、情けをかけるのだ。
なので、犯罪者といえど同胞を庇ってやりたい、という思いから、余計なことをしたのだろう。
フィアンマは書類を紙袋へと押し込む。
「……届けてくる」
ローマ正教のピラミッド構造内に存在しない暗部にして、ローマ教皇の相談役。
『神の右席』。
その中でも、右方のフィアンマは座位が『右方』だけあって地位が最も高い。
それ故に管理者的な側面が強く、常に退屈しているのだ。
結果として、このように事務処理などに追われる事で暇を潰している。
良い暇つぶしの材料だ、とフィアンマは書類を手に外へ出る。
しばらく降り続いていた雨。
今日はそれまでと打って変わって、快晴だった。
書庫の掃除を任された。
新入りというのは、どこでも掃除役が基本だ。
土地面積が広いだけあって、取り揃えられている書物も多い。
「…ん?」
吸い寄せられるように。
視線の先が、ピタリと固定された。
目を逸らしたい思いと、読んでみたい思いが拮抗する。
「……、…」
少し位ならバレないはずだ。
そっと手に取り、開いてみる。
難解な文字の数々が並んでいた。
読んでいる内に頭が痛くなってくる。
座り込みながら、それでも私は読むのをやめはしなかった。
吐き気が催し、それでも文字列を辿るのをやめられない。
『神の火』。
『天罰』。
『原罪』。
聖書で読んだ単語が並んでいた。
ただ、解釈のような図解などが描かれていて。
直接脳へぶち込まれるように、知識が私の中に蓄積されていく。
ガチャ、というドアの開く音が聞こえた。
誰かの視線を感じるも、顔を上げられない。
もうすぐで読み終わる。もうすぐで、全部理解出来る。
「…魔術師でもない人間に写本を収めている場所の掃除をさせるとはな」
男の声が聞こえた後に。
すっ、と本を取り上げられた。
返してと叫ぶ前に、体の軸がブレ、尻餅をついた。
「ッ、」
「……これがどういう代物か、知っているのか?」
現れた青年は、一週間前に会った人だった。
ローマ正教徒だったのだろう、つまりは同胞ということか。
彼は私から取り上げた本を本棚へと押し込む。
それから、自分の本来の用事であろう書類のフォルダをしまう。
「どういう、代物か…?」
「……」
視線が合う。
冷えた眼光に、怯みそうになって、堪える。
「あれは———魔道書の、写本だ」
「写、本……?」
私が魔術について学び始めたのは、その夜からだった。
魔道書。
魔術の使用方法が記された書物のことだ。
『原典』(オリジン)とその写本、偽書が存在する。
著者や地脈の魔力を使い、本そのものが小型の魔法陣と化しているため、破壊や干渉を受け付けない。
有名な魔術師が記したものは、干渉を感知すると自動的にその実行犯に対し迎撃術式を発動させる。
仮に何らかの手段で破壊できたとしても、力ある原典なら壊されようと幾らでも復元する…とのこと。
そのため迂闊に手が出せず、封印されるのがせいぜい。
異世界の法則が綴られており、毒に耐えるだけの準備をしてから目を通さなければならない。
魔道書は不安定だと自壊してしまうため、その暴走に巻き込まれて死亡した人間も多いらしく。
故に、魔術を使うには大きな覚悟が必要であり、目的が必要となる。
その目的、或いは信念は、魔術師各人が持つ『魔法名』に表現されているようだ。
「…大きな覚悟と目的、ね」
ぽつりと呟く。
私がそれを設定するならば、それはやはり。
『科学への復讐』
この一言に尽きる。
ふと、時計に目を向ける。
魔術について学びたいと言い、部屋に呼んだのに、すっかり考え込んでしまった。
時刻は午後七時半。
フィアンマと名乗った青年はというと。
「………」
寝ていた。
机の上に腕を置き、その両腕を枕にして。
すぅ、と一定の寝息が、呑気に部屋へ響いている。
「……オイ」
男が女相手に警戒する可能性は低いとしても。
さほど仲良くない人間の前で、退屈とはいえ居眠りはいかがなものか。
揺さぶってみたものの、まったく起きる様子が見えない。
「起きろコラ」
「………」
むにゃ。
起きる気配はまるで感じられない。
とりあえず、一時間待ってみる事にした。
二時間後。
フィアンマは目を覚ました。
起き上がる事すらせずに、私を見る。
「…で、何から学びたいんだ」
「とりあえず、基礎から」
「……四大属性の話からで良いのか」
眠そうに、彼はノートを取り出して。
ペンでさらさらと文字列を綴っていく。
魔術を扱う為に知っておくべき最低限の知識の数々らしいが、随分と多い。
全て書き終えてペンを置くと、おもむろにフィアンマは立ち上がった。
「ひとまず、それを全て覚えておけ」
「今晩中に?」
「そうだな。明日にまた来る」
言葉を返し、フィアンマは部屋から出て行った。
「………」
残されたノートを開く。
几帳面な字で、びっしりと文章が綴られている。
これら全てを覚えれば、基礎知識については申し分ないのだろう。
努力しよう、と思う。
願わくば、絶対的な力と、科学サイドへの復讐を。
右方のフィアンマは、自宅へ帰ってきた。
彼は聖職者だが、どこかの教会に住んではいない。
勿論聖ピエトロ大聖堂などに宿泊することもあるが、それは希な事で。
余程急な仕事がない限り。そして、暇つぶしを求めない限り。
フィアンマはベッドへ横たわり、天井を見上げた。
少し寝てしまったが、まだ眠気は残っている。
「……、」
ごろん、と寝返りをうつ。
手を伸ばし、写真立てを掴んだ。
そこに写っているのは、自分と、もう一人。
笑顔を浮かべた、幸せそうな写真。
「………」
しばらく写真を眺めた後、元の場所に戻し。
フィアンマは目を閉じ、眠りに就くこととした。
青年は、目を覚ました。
寝入ったのは午後十時。
そして現在時刻は何時かというと。
「……、…午後…四時…?」
十七時間も眠っていたようだ。
確かにここ最近徹夜をしたことはあったが、それにしても寝すぎである。
これは怠慢に相当してしまうだろうかと思いながら、フィアンマは起き上がる。
ずっと同じ体勢で眠っていた為、背中やら腰やらが痛い。
ついでに言うと頭も痛い。体調は最悪だ。
「……」
ふらふらと起き上がり、入浴する。
多少は頭がスッキリした。
香水を身に着け、そこで、昨日の修道女に自らが放った言葉を思い出す。
「……行くか」
今日も特にやるべきことはない。
フィアンマは外へ出て、昨日の教会へと向かった。
「…明日にまた来るって、いつ来んのよ」
午後六時。
シスター・エウラーリアはイライラとしていた。
元から短気というのもあるが、それだけではなく。
フィアンマの訪問時間が、予想していた常識内の時間でなかったことについて怒っているのだ。
魔術を教えてもらう身分で不満を覚えるのはいけないことなのだろうが、腹が立つものは仕方がない。
「…いや、でも」
魔術師とは何たるか、を知った。
そして、どれ位偉くて強いかは知らないが、彼は魔術師だ。
彼には彼の都合があり、境遇があり、もしかしたら。
もしかすると、戦闘に巻き込まれたり、殺されているかも。
そんなことを思考して、彼女は黙り込んだ。
沈黙して、強くノートを抱きしめる。
彼女は弟に対しての贖罪の想いからもわかるように、愛情深い性格だ。
愛情深いということは、慈悲深い、或いは心優しいということでもある。
故に、人が死ぬということは、なるべく考えたくはない。
「……」
早く来い。
ぽつりとぼやいて、彼女は目を伏せる。
一方。
フィアンマは、教会へ行く道の途中で寄り道をしていた。
食事をし、外へ出て、野良猫に目を惹かれた結果である。
真っ黒な毛並みと、黒い瞳を持つ愛らしい黒猫。
イタリアでは、黒猫は不吉の象徴だ。
黒猫だというだけで、年間6万匹もの猫が迷信を信じる市民によって殺害されている程に。
魔女裁判の時代、猫の飼い主は悪魔崇拝主義者または魔女の証拠とされた。
猫は生まれながら邪悪とみられ、裁判において人間と共に罰せられ、焼き殺された。
黒猫はその色のゆえ暗闇に他人の目に見えずに隠れ留まる能力を持ち、魔女のパートナーにふさわしいと考えられていたからである。
しかし、だからこそむしろ、フィアンマはこういった不吉の象徴を愛おしく思う。
自分が、幸運過ぎるからだ。
不吉なものは全部黒なのだろうか、と様々な伝承を思い返して。
「にゃあ」
「……、…」
拾って帰るべきか。
放り置けば、恐らく迷信を信じる人間に殺されるだろう。
だが、この猫を死ぬまで面倒を看られる自信もない。
未来の見通しのつかないことをするのは、嫌だった。
「…まあ、頑張って生き延びるんだな」
ごろごろと喉を鳴らす猫の頭を撫で回し、フィアンマはしゃがんだ状態から立ち上がる。
そうして今度こそ、教会へ向かい、歩き始めた。
結局、フィアンマが教会へたどり着いたのは午後八時のことだった。
エウラーリアの部屋を訪ね、中へと入る。
ノートを握ったままの彼女に、キッと睨まれた。
「遅い」
「…色々とあってな」
「約束はしていなかったとはいえ、常識ってモンを考えなさいよ」
「……」
「……」
確かに自分は悪かったかもしれないが自分の立場を考えろ、と窘めかけて。
フィアンマは、彼女の瞳が僅かに潤んでいた事に気がついた。
その色は、怒りの余り、というものではなく、心配の色合いが濃いものだった。
沈黙し、彼は気まずそうに視線を彷徨わせる。
ノートの内容。
彼女は魔術師がどのようなものか、きちんと覚えたのだろう。
そして強力な魔術師は他者から狙われやすい、ということも。
口を噤む彼を見やり、彼女はため息と共に切り出した。
「…で、教えてくれるんじゃなかったっけ?」
「ああ。…初歩から学ぶか」
フィアンマは魔術師であって、魔導師ではない。
だが、右席にその身を置きながらも、例外的に通常魔術を使用出来る。
スムーズとは言い難いものの、他人に魔術を教える事は難しい事でもなかった。
魔術師には、通常、それぞれの得意分野というものがある。
勿論四大元素、願わくば五大元素であるエーテルも使えれば好ましいが、なかなかに難しい。
仮に様々なカテゴリーを飛び越えて様々な術式を行使出来る人物が居たなら、それは魔術師ではない。
魔神。
そう、呼ばれるものになる。
その為、目下のところ、基礎を学んだ彼女は専攻を考える事にしたのだった。
「…、風」
「風か」
四大属性は、土、火、風、水の四つ。
その中でも、彼女は風を選択した。
全てやってみて、学んでみて、適性を感じたのだ。
彼女はセンスとやる気があった為だろう、飲み込みは早く。
地頭が良いのか、彼女は基礎知識を元に、自分の手で術式を作り上げていく。
魔術師になるのは早いかもしれないな、とぼんやりと思う。
彼女の目的によっては、いずれ対立する日が来るかもしれない。
憂鬱な未来を想い、フィアンマはため息を吐きだした。
夜遅くまで、エウラーリアに魔術を教え。
そうしてフィアンマは、ようやく家に帰ってきた。
午前様となってしまったが、さほど疲れてはいない。
彼の生活は不規則そのもので、故に徹夜や昏睡が度々生じる。
その度に生活習慣を改めようかと思っては、職務上やはり不規則なのだった。
「……」
彼はシャワーを浴び、ベッドに横たわる。
そして日課のように、写真立てへと手を伸ばした。
「……、」
そこには、幼い自分と、先代のローマ教皇が写っている。
彼は生まれながらの孤児であり。
当時は枢機卿の一人であった先代ローマ教皇に拾われ、育てられた。
父性の象徴に選ばれるような性格の彼は、義父としてはとても厳しく。
優しくされてこなかった人間は、誰にも優しく出来ない。
優しくしようと頑張ったところで、きっとうまくいかない。
そして、こんな人間を誰かが愛する訳もない。
フィアンマは自分の事をそう判断し、誰を愛することもなく、毎日を怠惰に過ごしていた。
それから、三ヶ月もの時間が経過して。
驚異的な特性が判明したエウラーリアは。
シスターとしての身分をほとんど捨て、魔術師となり。
魔法名を誰に明かす事もないまま、ローマ正教最暗部の『神の右席』へその身を置くこととなった。
前方の風<ヴェント>
それが、今の彼女の名前であり、職業名。
最暗部だけあって、人を殺す必要だって出てくる。
だが、彼女が何かを恐ることはなかった。
何故なら、弟という大切なモノを失って以来、喪うもの等何もないから。
暴力を手に入れ、組織の力を手にいれ。
機を狙って科学サイドを潰せるなら、何でもいい。
新しい生きがいを昏い方向で見つけた彼女には、それしかなかった。
的外れの復讐。
自分に対しての憎悪を晴らす為の、復讐。
空っぽだった自分に力をくれたフィアンマに、彼女は感謝していた。
そして。
それと同時に。
現在進行形で。
「オイコラ」
「んー…?」
呆れていた。
フィアンマ「………」ウトウト
ヴェント「日中から寝てんじゃないわよ」
フィアンマ「寝てないだろう」ウトウト
ヴェント「今にも寝そうに見えるケド?」
フィアンマ「ははは」
ヴェント「笑って誤魔化すな」
フィアンマ「眠いものは眠いんだ」
ヴェント「病気の類じゃないの?」
フィアンマ「いやあ、頭が良すぎると眠くて困るな」
ヴェント「……」
フィアンマ「冗談だよ。単なる疲れだ」
ヴェント「体にガタがきてるとか?」
フィアンマ「そういう年齢でもない筈なのだが」
ヴェント「…今何歳?」
フィアンマ「何歳だと思う?」
ヴェント「……88」
フィアンマ「当たらずとも遠からず、といったところかな」スヤ
ヴェント(嘘つけ)
フィアンマ「…で」
ヴェント「何?」
フィアンマ「何故俺様の家に住む事になったんだ?」
ヴェント「…身分がない以上教会や修道院にはいられない。
金は入ってくるが、ホテルじゃ底をつくかもしれない」
フィアンマ「なるほど」
ヴェント「聖職者同士なら間違いもないでしょうよ」
フィアンマ「だろうな」ウン
ヴェント(そこまでキッパリと言い切るなよ)
フィアンマ「…まあ、適当に使え。俺様は寝る。あまり汚すなよ」
ヴェント「汚さないわよ」ハァ
フィアンマ「……」
ヴェント「…もう寝てんの?」
フィアンマ「……」スヤスヤ
ヴェント「………」
ヴェント(毛布、かけておいてやるか)
ヴェント「……」
フィアンマ「……」スー
ヴェント「…何時間寝るつもりだ…」
フィアンマ「……」ムニャ
ヴェント「…毎晩、必ず夜位に来てたのは寝てたせい…?」
フィアンマ「……」
ヴェント「…まさかね。…まさか」
フィアンマ「……む」ムクリ
ヴェント「目ぇ覚めた?」
フィアンマ「……ん…」
のろのろ。
ゆっくり持ち上げられた腕。
別に筋骨隆々ではない。普通の成人男性の腕だ。
彼は眠気半分に手を伸ばし、彼女の裾を掴む。
ぐいと引き寄せ、そのまま抱きしめた。
何の悪気も、意図もなく、抱き枕と暖を求めて。
「ちょ、ッ」
「……」
再び目を閉じ、彼はそのまま寝入ってしまう。
ヴェントの鼻腔を、あの日貸されたハンカチと同じ香りが柔らかくくすぐった。
「…ん」
心地良い。
そんなことを思ってしまい、ヴェントは抵抗をやめた。
別に添い寝したところで何がどうという訳でもない。
(そう、いえば)
弟に、よく添い寝してあげてたっけ。
思い出して、彼女は小さく笑みを浮かべる。
勿論、目の前の男は年上で、弟と重ねるまでもなく別人だ。
けれど、誰かと一緒に寝る感覚は、誰が相手でも変わらない。
「………おやすみ」
ぽつりと呟く。
誰かとこうして並んで寝るのは、何年ぶりだろう。
少なくとも、こうして抱きしめ合って眠るのは。
まだまだあるんですがとりあえずここまでで。
最後まで決めてあるので今度は大丈夫です。
後々記憶喪失になったフィアンマさんの初期口調設定に悩んでます。
上条さんとかどうやって自分の口調を習得したんだろうか…。
投下。
フィアンマ「……」パチ
ヴェント「……」スー
フィアンマ「」ビクッ
ヴェント「……」スヤ
フィアンマ(眠っている間に抱き枕にしてしまったのか)フム
ヴェント「……」ムニャ
フィアンマ「……」モゾ
ヴェント「…ん」パチ
ヴェント(…良い匂いがする)スン
ヴェント「…朝食?」
フィアンマ「いかにも」
ヴェント「…何作ってんの?」
フィアンマ「最初は目玉焼きの筈だったのだが」
ヴェント「…筈だった?」
フィアンマ「気付けばフレンチトーストになっていた」
ヴェント「どういう料理の仕方してんのよ」
フィアンマ「行き当たりばったりだ」フフン
ヴェント「誇って言うなバカ。…ま、美味しそうだケド」
フィアンマ「お前の分はない」
ヴェント「……」ムゥ
フィアンマ「嘘だよ。…在庫が少なかったから、量は少なくなるが」
ヴェント「少しでいい。朝食なんて馬鹿みたいに食うモンでもないし」
フィアンマ「朝食は一日の食事の中でも最も大事らしいがね」
ヴェント「脳関係の科学話ならお断りする」
フィアンマ「しないさ。…人を虐げる趣味はない」
ヴェント「意外」
フィアンマ「そうか?」
ヴェント「気づいてないだろうケド、アンタなかなかに嫌味っぽいわよ」
フィアンマ「んー。性格だ。死なない限り治らん」
ヴェント「部屋掃除?」
フィアンマ「お前が来たからな」
ヴェント「人を汚いもの扱いか…」
フィアンマ「そうではない。人が増えるなら掃除をして気持ちを入れ替えるべきだろう」
ヴェント「…そ」
フィアンマ「」ガチャ
黒猫「にゃーん」
フィアンマ「」パタン
ヴェント「…換気は?」
フィアンマ「予想外の来客が居たからやめようと思う」
ヴェント「は?」
フィアンマ「……」
ヴェント「…来客ならあげなさいよ」
フィアンマ「人ではないんだ」
ヴェント「獣?」
フィアンマ「そうだな」
ヴェント「…犬猫?」
フィアンマ「……」コク
ヴェント「……いやいや、上げなさいよ」
黒猫「にゃー」
フィアンマ「頑張って生きろと言っただろう」
ヴェント(言って分かるアタマ持ってねえだろ猫じゃ)
黒猫「うなー」
フィアンマ「…此処にこられても俺様は飼ってやれん」
黒猫「にー」ゴロゴロ
フィアンマ「だから…」
黒猫「みゃあ」
フィアンマ「……」ナデナデ
ヴェント(…『右方のフィアンマ』といっても、結局は普通の人間ね。
……ま、泣いてる女に気まぐれでハンカチ押し付けるようなヤツだし。
仕事以外では結構甘い性格してる…のか)フム
フィアンマ「……里親を捜してやる。お前もそれが狙いだったんだろう?」
ヴェント(猫に糞真面目に話してるのは天然と評価すればいいワケ…?)
黒猫「みー」ゴロンゴロン
ヴェント「あっさり里親見つかったわね」
フィアンマ「猫だからな」
ヴェント「黒猫だから貰い手なんかいないと思ってたケド」
フィアンマ「全員が全員、迷信を信仰している訳ではないだろう」
ヴェント「まあね。…アンタは?」
フィアンマ「何がだ?」
ヴェント「黒猫は不吉の象徴…つまり、迷信」
フィアンマ「信じているよ。正確には信じたいといったところか」
ヴェント「なら何で餌付けを?」
フィアンマ「不運になりたいからな」
ヴェント「不運に?」
フィアンマ「生まれつき幸運なものでな。『聖人』とはパターンが違うが」
ヴェント「幸運で何が不満?」
フィアンマ「んー。…いつでも、無傷で生き残る事が不満だ」
ヴェント「……、」
フィアンマ「俺様が生きていて、何かしらの事件に遭う度。
俺様の代わりに誰かが死に、傷つく。今更一一気にしてはいられないが。
……それでも、まあ、自分が生きているせいで誰かが苦しむのは気分が良いものではないよ」
ヴェント「…なら、あの猫飼えば良かったじゃない」
フィアンマ「生憎動物の飼育は向いていない性格をしていてな」フフ
ヴェント「そういえば」
フィアンマ「ん?」
ヴェント「煙草は吸わないのね」
フィアンマ「火種ならマッチで充分だろう」
ヴェント「だろうケド。ただ、炎魔術扱うヤツは大体タバコ吸ってるから」
フィアンマ「身体機能の低下を招くだけだ。好かん」
ヴェント「ふーん」
フィアンマ「これ以上身体機能が低下すると不味いしな」
ヴェント「…そんなにガタきてんの?」
フィアンマ「そうでもないのだが」
ヴェント「だが?」
フィアンマ「時々行き倒れることはある」
ヴェント「」
フィアンマ「外に出ないからだろうな」
ヴェント「出ればいいだけだろ」
フィアンマ「ほぼ必ず交通事故に出くわすからな。面倒だ」
ヴェント「……」
ヴェント「日中は何して時間潰してんの?」
フィアンマ「読書、魔術研究、…昼寝か?」
ヴェント「私に聞かれても」
フィアンマ「まあそんなところだ」
ヴェント「なるほど」
フィアンマ「一日15時間睡眠が理想なものでな」
ヴェント「長い」
フィアンマ「いつもは三時間程度に留めているよ」
ヴェント「短い。…極端過ぎる」ハァ
フィアンマ「時々反動で一日昏睡状態にあったりするな」ウン
ヴェント「ちゃんと寝なさいよ。程よく、…七時間位」
フィアンマ「七時間も寝たら後八時間程寝たい気分にならないか?」
ヴェント「普通はならない」キッパリ
フィアンマ「……」ムー
ヴェント「昼食は?」
フィアンマ「んー。キャベツだ」
ヴェント「何か作るなら手伝うケド」
フィアンマ「手伝うようなことは無いと思うが…」
ヴェント「キャベツで何作るのよ」
フィアンマ「包丁で切って鍋で煮る」
ヴェント「何と?」
フィアンマ「湯で、キャベツを。一玉」
ヴェント「……それが昼食?」
フィアンマ「? そうだよ」
ヴェント「ダイエット中の女かテメェは」
フィアンマ「痩身願望は無いぞ」
ヴェント「男の料理にしちゃ豪快且つ残念過ぎるし。キャベツのみって、兎じゃないんだから」
フィアンマ「兎はロメインレタスの方が良いな。キャベツはガスを溜めるからあまり与え過ぎないほうが」
ヴェント「いいから。そういう真面目な話したかったワケじゃないから!」
フィアンマ「………」
ヴェント「…何?」
フィアンマ「いや、他人の料理風景を眺めるのは楽しいだろう」
ヴェント(弟も似たようなコト言ってたっけ。…男って皆そうなの?)マキマキ
フィアンマ「……」ジー
ヴェント「…見てるなら手伝いなさいよ」
フィアンマ「手先が不器用なんだ」
ヴェント「嘘言うな」
フィアンマ「料理下手なんだよ」
ヴェント「…やる気ないだけでしょうが」
フィアンマ「否定はしない」ウン
ヴェント「……」
何だかんだで、ヴェントにとって、フィアンマは魔術を教えてくれた恩人だ。
なので、あまり強くは言えない。
仕方がないので、彼女はそれ以上文句を言わずにロールキャベツを作っていく。
柔らかな春キャベツでしっかりと包み、爪楊枝を突き刺して留める。
その上で熱を通す為に、包丁で切込を入れようとして。
「あ、」
「…、」
うっかり、指を切った。
正確には、切れたのはフィアンマの指だ。
ヴェントの指が包丁の当たる直前、彼の左手が介入したのだ。
よく切れる包丁の先端は彼の指の腹に直撃し、傷がついた。
じわじわと鮮血が滲み出し、ぴりりとした微妙な痛みがフィアンマの指に走る。
「…いきなり手を出すなっての。……何で、アンタが怪我してんのよ」
はー。
ため息をつくも、彼女自身、何故彼が手を出したかわかっている。
自分の手が切れてしまわないように、痛みを顧みずに手を出してくれたこと位。
自分を庇って、誰かが傷つく。
それは一人の人間として守られる嬉しさに浸れると共に。
彼女自身の、嫌な過去を思い起こさせる事でもある。
少しだけ、泣きそうになる。
ヴェントは一旦調理の手を止め、救急箱を探した。
科学に頼るのは嫌だったが、彼を放っておきたくはなかった。
「この程度なら自分で治せる。心配するな」
「心配なんてし・て・な・い。自惚れんな」
言いつつ、絆創膏と消毒液を引っ張り出して。
存外手早く治療を済ませるヴェントに、フィアンマは少しだけ驚いて、それから笑みを浮かべた。
「……感謝する」
「……礼なんか要らないから、次から手ぇ出すんじゃないわよ」
ゴミを捨て、そっぽを向き、手を洗い。
再び調理を再開しながら、彼女はぼそりと、聞こえないように言った。
「………、…アリガト」
残念ながら、その声は青年の耳に届いてしまった訳だが。
一気に投下し過ぎると速さが大変なことになる(=鯖に負担)なのでここまで。
>>61
「心でしょ」
と冗談はおいといてなんとなく覚えていて使ってみたんじゃないかな?
体で覚えていたみたいな感じ
とりあえず乙
>>84
なるほど…。
まあ上条さんの口調はごくごく一般的ですしね…。
投下。
フィアンマ「素直ではないな」
ヴェント「ばッ、」
フィアンマ「まあ、扱う術式の性質から考えて人に嫌われるような態度、言動の方が都合が良いだろうが」
ヴェント「……」
フィアンマ「…どうかしたか?」
ヴェント「別に。…傷ついたって意味かと思っただけ」
フィアンマ「俺様は言葉では傷つかんよ。…一部例外はあるがね」
ヴェント「例外?」
フィアンマ「自分の信念をコケにされれば、多少は傷つくだろう」
ヴェント「…そ。じゃ、アンタに悪意を持たせたい時はそうする」
フィアンマ「傷つくことと悪意を向けるのはイコールではない」
ヴェント「……変な考え方」
フィアンマ「そうか? 嫌いと苦手が直結しないことと同じだよ」
ヴェント(普通は直結すると思うケドね)
ヴェント「白黒はっきりつけたいのか、グレーゾーンで生きたいのかアンタの好みがわかんないんだケド」
フィアンマ「どちらも必要だろう。要は使い分けの問題だ」
ヴェント「…ふーん」
フィアンマ「さて、いただくとしようか」
ヴェント「……お祈りは?」
フィアンマ「面倒だから省略する」
ヴェント「ローマ正教陰のトップがそんなんでいいと思ってんの?」
フィアンマ「何なら"右手の奇跡"で聖書に『お祈りは必要無い』と筆記しても良いんだぞ?」
ヴェント「職権乱用禁止」
フィアンマ「冗談だ、冗談」
ヴェント「はー…」
フィアンマ「……」モグモグ
ヴェント「……」チラ
フィアンマ「…まあまあだな」
ヴェント「まあまあなら世辞でも美味いって言えよ」
フィアンマ「正直な性格なんだ。嘘をつけない」
ヴェント「………」
フィアンマ「…必要な時にしか吐かない」フー
ヴェント「出かけんの?」
フィアンマ「買い出しだ。お前も来るか?」
ヴェント「…、…アンタが嫌じゃないならね」
フィアンマ「嫌な人間を誘うと思うか?」
ヴェント「………行く」
ヴェント「ほとんどサービス品とオマケね」
フィアンマ「金を使う事はあまりないな。幸運故だよ」
ヴェント「常人からしたら羨ましいモンだ」
フィアンマ「当事者からすれば、さほど嬉しくはないさ」
ヴェント「重くないワケ?」
フィアンマ「この程度は持てないと困る」
ヴェント「……交代で持つ。貸せ」
フィアンマ「……」
少しだけ考え込んで。
彼は、袋の持ち手の半分を、彼女に渡した。
ヴェントは戸惑いつつも、それを受け取る。
ずっしりとした重みは、二本の腕、二人の力によって一人当たりのそれは軽減された。
「…、」
不意に、指先が掠る。
男慣れしていなければ、多少は動揺するもので。
視線を適当な方向へ逸らし、ヴェントは一度だけ深呼吸する。
彼の指は細いが、自分とはまた違う細さだ。
きちんと成長した後の、成人男性の、すらりとした指。
弟と重ねずとも、色々と思うところや感じるものはある。
「……」
ちら、と視線を向けた。
フィアンマは何か考え事をしているのか、夕陽に照らされつつ真面目な表情を浮かべている。
整った顔立ちは、表情が特に無い時こそよく目立つ。
冷たく感じられる程に整った顔、その瞳には、悲哀のようなものが窺えた。
「………フィアンマ」
「んー?」
彼の顔が、こちらを向いた。
ヴェントはゆっくりと呼吸し、ずっと気になっていたことを問いかける。
「アンタの、魔法名は?」
彼は、悩む素振りを見せずに名乗った。
「俺様の魔法名は—————」
ヴェント「ただいま」
フィアンマ「お帰り、で良いのか」
ヴェント「でしょうね」
フィアンマ「買ってきたものは片付けておく。お前は好きに…勉強でもしていろ」
ヴェント「そうする」
フィアンマ「……」ヨイショ
ヴェント「そういや、誰かから手紙来てたケド?」
フィアンマ「んん? 手紙?」
ヴェント「ソレ」
フィアンマ「これか」パサリ
ヴェント(お礼させてください…お茶…何、女?)
フィアンマ「……」フム
ヴェント(……幸せそうなツラしやがって)イラッ
楽しそうな表情で(ヴェントの偏見だ)、彼は手紙を読んでいる。
何やら彼は善行をして、そのお礼がしたいという内容のものだった。
字体や便箋の甘い匂いから察するに、恐らく女だろう。
というよりも、言葉遣いから考えてほぼ女で間違い無い。
腹が立つ。
何だか無性に、腹 が 立 つ。
「………」
深い理由など無い。
自分にそう言い聞かせ、ヴェントは本棚から一冊の本を抜き出す。
その本棚には『ハムレット』や『人魚姫』といった救いの無い物語ばかりが納まっている。
彼の趣味なのだろう、と彼女は勝手に判断している。
「…ふ、」
くすくす、という愉快そうな笑い声。
自分以外にそれが向けられている事に苛立ちを覚えながら、彼女は本を読む。
(ムカつくケド、私の『天罰術式』には勝てない)
暴力では勝るから。
そんなことを心中で吐き捨て、彼女は本に没頭する。
読書に費やしたはずの時間の七割は、意識がフィアンマにとられて終わりだったが。
人魚姫は、王子様を殺せませんでした。
愛する人を傷つける位なら、自分が消えた方が良い。
そう思った彼女は、自ら身を引きました。
お姉様が美しい髪と引き換えに魔女から受け取った短刀を握り直し。
王子の部屋から抜け出ると、そのまま海の中へと飛び込みます。
彼女の体は泡となり、空気の精となって、天国へ昇っていきました。
しかし、王子や他の人々は人魚姫が空気の精となって天国へ昇っていった事は、誰一人も気付きませんでした。
人魚姫を読み終え。
ヴェントは本をパタリと閉じ、本棚へとしまう。
同時にフィアンマはポケットへ携帯電話をしまいこみ。
「…暗いな。夕食にするか」
「ん。…で、何作んの?」
「ポトフだ」
「何でも鍋にぶち込んで丸ごと煮込めば良いと思ってるだろ、絶対」
「そんなことはないぞ。…切るのが面倒なだけだ」
「物臭過ぎるでしょうが」
ツッコミを入れつつ、ヴェントは椅子から立ち上がり。
そしていそいそと調理準備を始めた。
「夜の分は一人でやる」
そう告げたのは、昼間に怪我をさせてしまった罪滅ぼしといったところか。
フィアンマもそれはわかっているのか、特に何も言わずに頷く。
ポトフね、と再度確認し、彼女は丁寧に野菜の皮を剥き始める。
料理は得意だった。
母から習い、弟の好きなものをいつも作ってあげていた。
弟が死んでから、両親との関係もぎこちなくなって。
勿論、両親が自分を慰めようとしてくれていることはわかっていた。
だが、自分は弟を殺し、生き残った人間で。
両親にとっては何も変わらず実の娘であっても、自分が穢れている気がして。
家から逃げ出し、飛び出し、修道院へと足を踏み入れた。
何度も懺悔をして、何度も謝罪をして、生活を始めて。
優しくされる度に罪悪感を覚えては、弟が生きていた頃のことを想い。
いい加減弟とのことに多少なりとも心理的にケリをつけなければとは、思っているのに。
「痛っ」
余計なことを考えていたら、指先を切った。
じわじわと、赤い鮮血が滲みだしていく。
「っつ……」
B型の、Rh-。
この希少な血液が、あの日、自分ではなく弟に行っていたら。
自分は死んで、生き残るべきあの子が、今日を過ごしていた。
自分は生きているだけで、呼吸をしているだけで、大罪人なのだ。
一生かかっても、この罪は消えない。
自分は、大切で大事で愛おしかった愛する家族を殺した、人殺しなのだから。
「……ッ、」
ぽた。
ぽたぽた。
血液が、透明な体液で薄まる。滲む。
痛みで涙が溢れた訳ではないが故に、止まらない。
堪えなければいけないと思うも、止まらなくて。
包丁を一旦まな板に置き、彼女は溢れ出す涙を手の甲で拭った。
生きているのが辛い。けれど、自殺をする勇気も無い。
科学サイドに復讐をしたところで何も残らないことはわかっている。
「わ、たし、」
あの子の命を喰ったんだ。
「うう、…」
思わずしゃがみこむ。
憂鬱と指先の痛みと血液の赤が、脳内を支配していた。
しゃくりあげ、恥も外聞も気にせずに泣きじゃくる。
「ヴェント」
違う"赤"が。
その指が、彼女の目元を拭った。
同じようにしゃがみこみ、目線を合わせる。
「痛むのか」
「ち、がう。指なんか、」
「そうではなく。過去の過ちで、心が痛むのかと、聞いているんだ」
その問いかけに、彼女の心臓が握りつぶされたかのようにズキリと強く痛んだ。
後悔という名の鈍痛は、いつまでたっても消えないまま。
懺悔しても何をしても、たとえ誰から許されても、一生消えない心の傷。
迷いのある腕が、彼女を抱き寄せた。
ヴェントの整った顔は、フィアンマの胸元へ押し付けられる。
溢れ出す涙が彼の服を濃くしていったが、気にならなかった。
フィアンマは、彼女の過去を知っている。
彼女は口にしなかったが、身元について、書類が来た。
そこに綴られていた経歴や過去から、フィアンマは彼女の心の傷を推定している。
そしてその予想された深度は、適切なものだった。
「……」
安易な慰めの言葉はかけない。
自分がそうされても、嬉しくないからだ。
だから、何も言わずに、彼は彼女を抱きしめたまま沈黙する。
その沈黙という優しさに、彼女の涙は一層誘われた。
「私が、いなければ」
言っても仕方のない文句。
人体の違いと医療技術に向けた敵意と、自分自身に向いている殺意。
「あの子は死ななかった。私が死ねば良かった。
どうして、死ぬべき人間が生きて、生きるべきあの子が死んだの」
かつてフィアンマも幸運故に周囲の人々が死んで同じ疑問を持ち、悩んだ事がある。
誰も縋る相手が居なかったから、自分で無理やり結論を出したものだ。
「神がそれを選んだからだろう」
「…神、様が?」
「お前の弟の意思を、主が尊重した。…それ以外に理由があるか?」
おねえちゃんをたすけて。
その一言を聞いて悩み、医者は結果的にヴェントを救う選択をした。
血液量が充分足りていれば、絶対に弟の方も救っていたことだろう。
絶体絶命の状況下で、弟は自らの愛する姉を救うように願った。
そしてその願いを医者は聞き入れ、ヴェントの命が助かった。
神が医者と弟の意思を無慈悲に取り下げれば、ヴェントも死んでいた。
姉弟揃って助からず、二人の両親が死ぬ程悲しみに暮れただろう。
「お前は、今生きていることを誇って良い」
それは。
お前の命は。
お前の弟が死の直前の苦しみの中で勝ち取ったものだ。
慰めるというよりは諭すように、彼はそう言った。
「それに」
加えて。
彼は、彼女の髪を優しく撫でて言葉を付け足した。
「…自分の命より姉を優先出来るような、優しい心の持ち主なら。
ローマ正教を信仰していなかったにせよ、いずれは楽園に招かれる」
フィアンマ自身は、ローマ正教などどうでも良いと思っている。
その教義も、組織も、何もかも。
そもそも、こんなクソッたれの世界に何を思うでもない。
だが、利用出来るものは何でも利用するようにしている。
だから、教義を引き合いに出して彼女の心が少しでも慰められるのなら、そうする。
「お前は悪く無い。弟は、頑張ってお前を救った」
生きていることに罪悪感を覚える必要はない。
何度もそう囁かれ、ヴェントは無言で頷いた。
求めていた言葉よりも上位のそれを、もらった気がした。
弟を殺してしまったという恐怖に怯えなくていい。
弟が救ってくれたこの命を大切に、誇りに思うべきだ。
「……が、とう」
掠れ掠れの声の謝罪に、フィアンマは首を横に振る。
彼は今まで、誰かに手を差し伸べられたことがない。
誰かに助けてもらったり、誰かにすがったことがない。
周囲を利用して利己的に生きてきた。
だから、誰かに優しくしたいと、人一倍思っている。
そんな自分の自己満足から発露しているこの行動に礼を言われるのは場違いだ、という想いがあった。
そういった彼の生き様が、いつも誰かを救っているとも知らないままに。
ヴェント「…作るって言ったのに悪いわね」
フィアンマ「人には無性に感情が揺れ動く時がある。仕方あるまい」
ヴェント「……」
フィアンマ「……」ヨイショ
ヴェント「……結構、優しいのね」
フィアンマ「…どうかな。自己中心的なだけだよ」
ヴェント「一人称から考えれば違いない」クク
フィアンマ「……」ムスー
ヴェント「冗談だよ、冗談。…アンタ、親兄弟は?」
フィアンマ「気づいた時には居なかったな」
ヴェント「…そ」
フィアンマ「だから、"これだけは守りたい"と心から思ったものが、今まで無いんだ」
ヴェント「……、」
フィアンマ「だから、本当の幸福も、本当の絶望というものも知らん。
知らなくて良いとも思っているがね。俺様を愛し、俺様から愛された人間は不幸になる」
ヴェント「必ずしもそうと決まってるワケじゃない」
フィアンマ「お前に何がわかる」
ヴェント「ッ、」
フィアンマ「……、…。……別に怒っている訳じゃ、ないんだ。
…一時間後には出来ているから、休んでいて良いぞ」
ヴェント「……そうする」
それから、一週間後。
フィアンマの家に、一人の来客があった。
彼女は、彼に手紙を送った人物。
金のふわふわの猫毛を長く伸ばした、スタイルの良い女学生。
「お久しぶりです」
「ああ、久しいな。その後、問題無いか」
彼女はスカートの端を指で撫で、緊張した様子を見せる。
対して、フィアンマはそんな彼女を微笑ましそうに見つめていて。
何だか腹が立つ、とヴェントは思った。
そのムカつきの原因が嫉妬と呼ばれる大罪だということには、気づけない。
「……あの、」
上条は、フィアンマの服袖を引き。
首を傾げた彼の耳元へ、背伸びしてひそひそと問いかける。
「……もしかして恋人さん、ですか」
「いいや、同居人だ。気にしなくていい」
「…そう、ですか」
ひそひそ話をして安堵の表情を浮かべる少女と、笑みを見せるフィアンマ。
何やら仲睦まじいその光景は、ヴェントの神経をいちいち逆撫でする。
「……という訳で少し出かけてこようと思うのだが」
「勝手に行けば」
「…そうするつもりだがね。留守は任せたぞ」
刺々しいヴェントに首を傾げ。
フィアンマは、上条を伴って外へ出て行った。
一人残されたヴェントは、一層強く募る苛立ちに思わず舌打ちをするのだった。
物心がついた時。
親兄弟は居なかった。
教会の中で、庇護を受けながら生きていた。
生きていたといっても、それはただ呼吸するだけの日々。
誰かに特別愛されることはなく。
食事や入浴といった、文化人として生きていくだけの権利だけは与えられていて。
自主的に何かをしなければ、何も与えられない状況だった。
だからといって、自分が不幸だったとは思わない。
産まれる前に死亡した子供や、ストリートチルドレンとして生きるよりは幸福であったとは思う。
現在の自分の状況で不幸だなどと言えば、それらの恵まれなかった人間への冒涜になってしまう。
表面的な幸せを啜って呼吸を繰り返す怠惰な日々。
『……』
周囲の大人が、金銭や権力に躍らされているのを見ていた。
その状況から、人間は金や力、暴力で動くことを知った。
どのようにすれば人を騙す事が出来るのかも、よくわかった。
世間一般でいうところの愛情や優しさは何一つ見えなくて。
悪意という言葉の本当の意味ばかりを知らしめられていた。
そうこうしている間に、魔術に触れて。
専攻をどうするか考えた時、火を扱うことに決めた。
火を扱えれば、冬場に追い出されても寒い思いをしなくて済む。
そんな、くだらない理由で学び始めた。
やがて炎魔術を専攻として究めていく内に、『神の如き者』の適性が判明し。
まだ20にもならない内に、『右方のフィアンマ』の座へその身を置いた。
元より自分の名前にこだわりなど無かったから、それからはずっとフィアンマと名乗っている。
誰にも愛されなかった人間が、誰かを愛せる訳がない。
そして、世界を救える程の力と類まれなる幸運を持つ自分は、人を不幸にする存在だ。
だから、これまで誰かを大切だと思ったことはない。
ずっと傍にいて欲しいと人間に対して思ったこともない。
それでいいと思っている。その方が良いと、わかっている。
いつか、きっと愛せる誰かが現れてくれるだろう。
そして願わくば、自分と同じように生を共にしてくれるだろう。
けれど。
自分を愛する誰か<ヒロイン>は、現れない。
少女を家へ送り届け。
フィアンマは、無事に自宅へと帰ってきた。
何となく良い匂いがする。牛乳の匂いのようだった。
「…ただいま」
鍵を開けて中に入る。
当然といえば当然なのだが、料理をしていたのはヴェントである。
「お帰り」
つっけんどんに出迎え、彼女は調理を続ける。
作っているのはミルクシチューらしい。
確かに野菜や鶏肉は余っていた。
ルーは恐らく買い出しにでも行ってきたのだろう。
フィアンマは彼女に近寄り、鍋の中を見る。
長時間煮込んでいたのだろうか、野菜はやや溶けていた。
「……あのガキは」
「ん? ああ、あの子供ならもう家に戻ったが」
「そ」
冷たく返事をして、パンを切る姿は拗ねているように見え。
自分は何かしただろうか、とフィアンマは眉を潜めた。
「……何を怒っているのかさっぱりわからんのだが」
「別に怒ってないケド」
「なら良いが」
小さく頬を膨らませつつ、ヴェントはパンを切り終えて。
それから、自分の優位性を確認するかのように、もう一度だけ言った。
やや怒声染みていたが、その程度で怯える相手でもない。
「お帰り!」
「…? …ただいま」
何だかよくわからないまま、フィアンマももう一度挨拶をするのだった。
ここまで。
ヴェントさんのシチュールウは小麦粉と牛乳から出来た完全手作りです。
先に申し出るのを忘れていましたが、>>1の注意書き内容がガラリと変わっているようにこのSSに上嬢さんは出ません。
というよりも、収拾をつけるために出さないことにしました。完全に>>1の技量不足です。申し訳ないです……。
投下。
時間を少しばかり遡る。
少女を送り届けた、その帰り道。
フィアンマは、偶然とあるものを拾った。
簡単に言ってしまえば、福引券だ。
ご丁寧にも束になっており。
「…落としたぞ」
落とし主は、中年の女性だった。
彼女は振り返って受け取るも、思い出したように言う。
「これから用事があってね。お兄さん、代わりに引いてくれないかしら?」
「いやしかし、」
「今日までだもの、これ」
買い物をしていたら溜まっただけなので、景品には興味がない。
だから引いてくれと促され、仕方なしにフィアンマは券を受け取った。
いつもの幸運だった。仕方のないことだ。珍しく不幸を生み出さない内容というだけである。
そんな訳で、引いた。
結果は"いつものように"最高のそれ。
つまりは、一等だった。
「おめでとうございます」
祝いの言葉と共に渡されたのは、チケット。
ペアチケットだった。それも、とあるテーマパークの。
「ただいま」
そうして。
右方のフィアンマは、無事に自宅へと帰ってきた。
懐には、先程貰ったペアチケットが仕舞われている。
そして彼は、それを一人で使い潰すつもりはなかった。
「お帰り」
出迎えは特に無かった。
単調な挨拶を返した彼女は、調理をしていた。
もっぱら、夜ご飯を作るのは彼女の仕事となっている。
その代わりに朝はフィアンマが作っているのだが。
ちなみに昼食はお互い外食で済ませる事が多かったりする。
「今日はラッキーデイだ」
「今日も、の間違いでしょ。…何かあったワケ?」
「……まあ、とあるものをもらった」
彼は懐から、長方形の封筒を取り出す。
ヴェントは彼からそれを受け取り、促されるままに中身を見た。
そして彼の予想通り、あからさまに嫌な顔をした。
「遊園地のペアチケット、か」
かつて、弟と行った学園都市の遊園地ではない。
イタリアの、このフィアンマの家からそう遠く無い場所にあるそれだ。
しかしながら、遊園地には変わりない。
ヴェントとしては嫌な思い出しかなく、当然、表情に出た。
「…ま、イイんじゃないの?」
アンタが行く分には。
別にフィアンマまで自分のトラウマに巻き込むつもりのないヴェントは、そっけなく言って。
チケットを封筒に戻して返そうとした手を、握られた。
その優しい握り方にビクリとし、次いで固まって。
ヴェントは、彼の表情を窺った。
「お前を誘う為に持って帰ってきた」
「な、」
「拒否権は無い」
「……ふざけるな。遊園地だけは行かない」
ギリ、と歯軋りをする。
ジェットコースターが暴走して、訪れた身体中の痛み。
目の前が真っ白になり、目が覚めれば弟が死んでいた哀しみ。
もう二度とあんなことはないのだとしても、連想させられるのすら嫌だった。
自分の心的外傷を把握して誘うとは悪趣味だ、と罵倒しようとして。
彼の視線が、存外真剣であったことに気がついた。
「……何よ」
「ジェットコースターに乗れとは言わん。
ただ、遊園地を訪れ、お前の心的外傷の荒療治をしたい」
「余計なお世話」
「自覚はあるが。…どうしても、ダメか」
じ、と見つめてくる明るい色合いの瞳。
ヴェントは基本的に、フィアンマの言葉は頷きたいと考えている。
魔術を教えてもらったからであり、住まわせてもらっているからであり。
理由は多々あれど、彼に対してはツンと見せかけて素直なのである。
「………本当に、ジェットコースターは乗らないからね」
条件付きの、渋々の承諾だった。
それから一週間程経過して。
ヴェントとフィアンマは、遊園地へとやって来た。
定番のアトラクションと、少しのイロモノ。
大きい訳でも小さい訳でもない、一般的な遊園地である。
ペアチケットは窓口で一日フリーパスと引き換えられる。
そのパスさえあれば、後は一日中遊園地を満喫出来るということだ。
すんなりと引換を終え。
早速尻込みしているヴェントを見、フィアンマは首を傾げた。
「さて、どうするか」
「帰りたい」
「それは却下する」
「大体遊園地ではしゃぐような歳でもないでしょうよ、お互い」
「それを言ってはおしまいだろう」
「大体、推定アラサーの男がはしゃいでたらキモイだけだし」
「…俺様を罵倒して帰る方向に持っていこうとしても無駄だぞ。
そもそもはしゃいでいない以上何のダメージも受けないが」
「ぐ……っ」
浅はかな考えを看破され、ヴェントは口ごもり。
それから、誤魔化すように食べ物を食べたいと口にした。
遊園地値段と書いて、ぼったくりと読む。
さほど良い材料を使用しているとは思えないワッフルをかじり。
ヴェントとフィアンマは遊園地内のカフェでおやつをしつつ。
コーヒーカップで遊ぶカップルや、家族の様子を眺めていた。
「……、」
彼女の頭に浮かぶのは、弟との記憶。
『おねえちゃん、こーひーかっぷのろっ!』
『あんまりぐるぐるしないでね?』
『やだー』
楽しそうにはしゃぐ、幼い姉弟の姿が、かつての自分と弟に重なる。
最初から最後まで楽しく遊んで、疲れて帰る筈だった。
弟を背負って帰ろうと考えていた自分は余力を残しつつ。
それでも、とても楽しかった覚えがある。懐かしい、思い出。
「……あれに乗るか」
「は?」
「何だ、あれにも心的外傷があるのか?」
「無いケド」
「なら問題無いな」
ワッフルを食べ終えるなり、フィアンマはきっぱりと言い。
立ち上がると、彼女を手招いて歩き出す。
流石に遊園地で一人取り残されるのは辛いので、ヴェントも後を追った。
運が良く、或いは最高に悪く。
少なくともヴェントが気まずい思いをする程度には。
今回カップに乗る予定の客は、カップばかりルである。
「……、」
「…どうかしたか?」
「いや、別に。…アンタ、遊園地ならあのガキと来た方が良かったんじゃないの?」
「ガキ? …ああ、あれか」
「……私なんかと来ても楽しくない事位、予想はついていたはずだケド?」
つっけんどんに言い放つ彼女に。
フィアンマは首を傾げて笑みすら浮かべて言葉を返す。
「楽しいが」
「…は?」
「だから、楽しいと言っている」
「……アンタの感覚は理解出来ない」
「よく言われるよ」
「私の嫌がる姿が愉快って話?」
「まさか。…ただ、お前と話していると楽しいという話だ」
「……まさかとは思うケド、口説いてる?」
「そう思うか?」
お互い適当な調子で会話をしている内に、順番がやって来て。
開口一番、ヴェントはフィアンマを見つめて言った。
「あんまり過激に回すのはやめてくれると嬉しいんだケドなー…?」
「んー。断る」
のんきな調子で返事をして、彼は中央の円盤へ手をかけた。
グロッキー。
前方のヴェントの状態を表現するには、この一言で事足りる。
何となく思いつきで回しまくったフィアンマが加害者であった。
存外に華奢な背中を摩ってやりつつ、彼は悪びれた様子もなく肩を竦めた。
「この程度で酔うのならば戦闘は期待出来んな」
「う、っさ、い、バカ、アホ……」
幼稚な暴言を吐き、げほげほとヴェントはむせる。
フィアンマは左手ではなく、右手で数度、彼女の背中を撫でる。
何か、文字に沿ってなぞるような動き。
彼が手を離す頃には、気分がすっかり良くなっていた。
あのグロッキーな感覚は、吐き気は、全くない。
「……何今の」
「"奇跡"だよ」
つまらなそうに言って、フィアンマは空を見やる。
まだまだ陽は高いが、午後三時頃だろう。
「…夜まで居たくはない」
気分は良くなったものの、やはり遊園地は嫌いだ。
そう言わんばかりにぼやく彼女は、視線を移し。
カップルが楽しそうに連れたって向かう観覧車へ目を向けた。
「……アレ」
「ん?」
「アレなら、乗ってやってもイイ」
ほんの僅か、顔を赤くして、彼女は言う。
先程歩いて行ったカップルに、無意識に自分とフィアンマの姿を重ねていた。
年上の彼氏、年下の彼女。
手を繋いで、楽しそうに笑い合いながら歩いて行っていた。
あんな風に。
そんな言葉の先が頭に浮かびかけて、ヴェントは唇を噛み、首を横に振る。
自分は一体何を考えているのだろうか。
フィアンマは同居人であって、少し親切にしてもらっただけで。
魔術を教えてもらって、弟の件に苦しみを覚えないよう優しくしてもらって。
ただそれだけだ。
ただそれだけなのに、それだけ、では片付けられないものがそこにはある。
あるのだが、それを認めてしまうとすごく不味いような気がする。
「観覧車か」
フィアンマも彼女と同じものを見やり、構わないと、頷く。
順番が回ってくるのは、存外に早く。
観覧車に乗り込み、向かい合って座り。
ヴェントは、観覧車の窓外に見えるジェットコースターに嫌な顔をした。
窓の外の景色から視線を向かい側へ向ければ、フィアンマがぼんやりと外を見ていた。
彼自身も言っていたように、はしゃいでいる様子もない。
荒療治をしたい、と言っていた。自分の為に連れてきてくれたのだ。
自分が嫌がっても、罵倒されても、帰ろうとは言い出さない。
嫌がらせではなく。自分が気分が悪くなれば癒してくれた。
それは確かな優しさだと思うのだが、彼は一向に認めようとはしない。
「……アンタ、さ」
「ん?」
「魔法名、教えてくれたじゃない?」
「ああ、そうだな」
「……やるの?」
彼の魔法名。
rappresaglia094(報いる者)。
歪んでいるものを正す。
弱者の報われる暖かい世界にする。
きっと、世界を救う。
そんなことを言っていた。
ヴェントの問いかけに、フィアンマは少しだけ考えて。
「…そうだな。その予定ではある」
誰も悲しまない世界になったらいい、と彼はぼやいた。
その考えには賛同だ、とヴェントはひっそりと思う。
「さて、帰るか」
観覧車に乗り続け。
二回乗った結果、時間はだいぶ過ぎ去っていた。
気づけば陽は暮れきっていて。
帰ろうと告げたフィアンマは、ゆっくりと歩く。
彼自身は疲れていないだろうが、ヴェントの歩調を慮ってのことだ。
気遣いはきちんとあるのに、傲慢さがそれをかき消しているな、とヴェントは思う。
「……フィアンマ」
「んー?」
「気分が悪い。アンタのせい」
「先程治してやっただろう」
「気が済まない」
胸の中に燻る何かの正体には、うっすらと気づいている。
見て見ぬフリが、いつまでも続く訳もないと、知っている。
「手」
「手?」
「右手、貸しなさいよ」
「俺様の右手は取り外し式ではないのだが」
「冗談はイイから、さっさとしろ」
渋々、といった様子で右手が出された。
気分が悪いというのは嘘だ。
どちらかといえば、遊園地に来た割には、良い気分だ。
コイツといると、自分を責めないで済む。
「……、」
差し出された右手を握る。
男の手とは思えない程細く、白く、形の良い右手だ。
神様が腕によりをかけて作った彫刻だと言われても疑わない。
フィアンマは少しだけ考える素振りを見せて。
それから、私の右手を握り返した。指を絡ませて。
「……お前と手を繋ぐのは悪くないな」
「…そ」
フィアンマの表情は穏やかで、少し、幸せそうに見えた。
偏見かもしれない。勘違いだろうとは思う。
けれど。
その表情が他人の気分を良くするものであったことは、間違い無い。
そんな男だった、はずだ。
笑って、手を差し伸べて。
人を庇って傷ついたり。
傲慢に見えて、とても繊細で。
人を救うことに長けた男だったはずだった。
誰かの為に笑って。
誰かの嘆きに同調して。
慰めて、いたわって、思いやって。
そういったことが出来るヤツだったはずなのに。
どうしてこんなことをするようになったのか。
きっかけはあったはずだった。
家に帰ってくるのが遅くなったりして。
不穏な動きは沢山あったのに、彼女面をすまいと詮索しなかった。
今思えば、それこそが自分の過ちだったのかもしれない。
もっと彼について知るべきだった。
だって、私は。
「……」
無言で攻撃を放つ。
幻想殺しと正面切って笑っていたフィアンマは、僅かに首を横に振って回避した。
「懐かしい顔だ」
『お前は、今生きていることを誇って良い』
そう励まし、諭してくれた唇が、嘲るように言葉を紡ぐ。
「別に、そこいらのガキやこの国に肩入れする義理は無いんだケドさ。
アンタがこれ以上ローマ正教を引っ掻き回すの、見てらんないのよねぇ」
『俺様が生きていて、何かしらの事件に遭う度。
俺様の代わりに誰かが死に、傷つく。今更一一気にしてはいられないが。
……それでも、まあ、自分が生きているせいで誰かが苦しむのは気分が良いものではないよ』
寂しそうな笑顔が頭に浮かぶ。
世界を救うと決めた時、この男は何を考えていたんだろう。
罪悪感か。あるいは、贖罪の意図なのか。
「お得意の『天罰術式』は使えないと報告は受けているが?」
「その程度で終わるとでも終わってるワケ?」
冷たい声は、思い出の中と重ならない。
似ても似つかないその声が、哀しい。
ここで、どうか留まって欲しい。
そうしたら、匿って逃げるだけの力は振り絞るから。
だから。
ここまで。
エタった時点までの分+追加分終わったので、これからは通常ペース・量の投下に戻ります。
乙。もう原作のそんなところまで進んでしまうのか…
始まり早々に後数回で終わりだけは……
>>145
大丈夫です、そんなにすぐには終わりません…
(どちらかというとそろそろ終わるのはフロイラインマの方です)
投下。
ただ、誰かを幸せにしたかった。
ただ、誰かに優しく出来れば良いと思った。
どれだけ努力したところで、自分に理想には届かない。
誰かの笑顔を作る事など出来ない。
これだけの莫大な才能をもってして、人一人幸せに出来ない。
俺様がどれだけ頑張っても、誰も幸せにはならない。
手を差し伸べた。
一人の女を暗部にまで堕落させた。
ほんの少しの親切は、いつも誰かの不幸に繋がる。
救う力で誰かを不幸にしか出来ないのなら、いっそこんなものなければ良かったのに。
『……アンタ、さ』
『ん?』
『魔法名、教えてくれたじゃない?』
『ああ、そうだな』
『……やるの?』
自分が闇へ堕としてしまった彼女の境遇を痛い程知った。
救ってやりたいと思ったが、今の不完全な自分では彼女の弟を蘇生することは出来ない。
出会った時期が遅すぎたことはわかっている。
きっと自分が何をしたところで、もう二度と前方のヴェントは救われない。
自分がどんな言葉をかけても、慰めても。
励ましても、守っても、変わらない。
ならば、自分がやることは簡単だった。
罪悪感に駆られた人間が何をすべきかなど、考えるまでもなかった。
世界を救える程の力を適切に出力出来たならば。
それはきっと、彼女を救うことの出来る力に通ずる。
『神上』にさえなってしまえば、死者を蘇らせる"本物の"奇跡だって扱えるだろう。
そこまですれば、彼女を救ったことになるに違い無い。
彼女は笑ってくれるだろう。幸せになってくれるだろう。
『…そうだな。その予定ではある』
理不尽も不条理も格差も無い、優しい世界を作ったなら。
加えて、そこに自分が居なければ、"皆"幸福になれるはずだ。
どうして、こんなにも彼女にしあわせでいて欲しいのか。
これもまた、自問自答するまでもなかった。
俺様は—————あの女が、好きだった。
時刻は0時を過ぎた。
既に日付は変わっているにも関わらず、フィアンマは帰ってこない。
何か忙しい仕事でもあったかと思い返すが、無かったはずだ。
もしかすると『奥』で眠っているのかもしれない。
そんな結論に至ったヴェントは、いつもの装束を手にしようとして。
『……何だ。まだ起きていたのか』
『…アンタそんなに真面目に仕事するヤツだったっけ?』
『んー? 少し野暮用があってな。それだけだよ』
疲れた様子のフィアンマが帰ってきた。
水の入ったコップを差し出すと、受け取って一気に飲み干す。
本当に疲れているのか、シャワーは明日入るから寝る、とまで宣言した。
『…フィアンマ、』
『ん?』
何をしていたのか。
問いかけようとして。
彼のあまりにも疲弊した表情に口をつぐむ。
それを幸いとばかり、フィアンマは寝室へと姿を消した。
冷たい雪の上に横たわったまま、痛む舌の感触に苛立つ。
裂けてはいない。力の加わり具合を考えてくれたのだ。
手加減された、という思いはある。
邪魔だから殺す、というのは簡単だったはずだ。
「……、」
彼の事を、他の他人よりは理解出来ていると思っていた。
惨めにも、愚かにも、思い込んでしまっていた。
身体が持ち上げられ、担架へと乗せられる。
体中痛んでいるが、不思議と死の危険までは感じなかった。
人の居ない方向へ飛ばして間接的に殺す事だって出来ただろう。
だが、フィアンマはそうはしなかった。
自分に対しての殺意など微塵も無かった。
『氷の帆船にしても、直撃した時は辛うじて消えかかった防御術式の恩恵を得ていただろうが』
違う。
防御術式が施されているのを確認した上で、攻撃したのだ。
彼の視界は常人程度のそれだが、察知能力は軽く人並み外れている。
「……、…」
何も、変わってなどいなかった。
彼は彼のまま、何一つ変化してなどいなかった。
誰かの為に笑い。
誰かの嘆きと罪を背負い。
泣いている女につい手を差し伸べてしまうような男のまま、変わっていない。
だというのに。
自分は彼と戦ってしまった。
彼は最初から最後まで笑っていた。
だが、本当に楽しい時程、彼は笑わない。
嬉しい時ほど、笑わないで、しあわせそうに目を細める。
笑うのは、自分の辛さを隠すため。
嘲るのは、自分を守るため。
「……別に。アイツがこれ以上ローマ正教をメチャクチャにするのが気に入らなかっただけ。
アンタ達の味方をしたつもりもない。勘違いすんじゃないわよ」
彼の敵に回ってしまったのは事実。
彼を悲しませたのも、また事実。
そして特別な力を持たぬ自分に、彼を止める術はない。
止められるのは、言われるまま治療を手伝うこの子供だけだろう。
冷たく言い放つと、幻想殺しは困ったように、柔らかい笑みを浮かべた。
それはいつだったか、フィアンマが浮かべていた笑顔に似ていた気がした。
勝てなかった。
救えなかった。
挙句の果てに、幻想殺しの手によって脱出させられた。
「………、」
この世界はかくも醜く。
これから先の人生が疲弊どころではすまないであろうこともわかっていて。
ここで自殺してしまった方が確実に楽だとわかっていながらも、一歩目を踏み出した。
あの男が命懸けて救った世界を、泥に捨てようとは思わなかった。
たとえ冷たい汚泥を啜ってでも、生きて、世界を見ようと思う。
自分が誤っていたのかもしれない。少なくとも、多少なりともあの男は正しいだろう。
「……ふ、」
思わず、笑ってしまいそうになる。
幸せにしたいと願った女と戦って、その結果がこれだ。
自分はやはり、誰もしあわせに出来ず、救えず、恨まれて生きるのが似合いなのだ。
ふと。
感じた何かの気配に、振り向く。
そこには、一人の"人間"が居た。
『君は、少々見聞きし過ぎた』
男にも女にも子供にも老人にも見える、不可解な人間。
聖人にも罪人にも見える人間———アレイスター=クロウリーは、静かにそう言った。
『聖なる右』は上条当麻との戦いで消費されきってしまっている。
手持ちの術式で対抗しようにも、恐らく通用しないだろう。
「……俺様も、そんな顔をしていたのかもしれないな」
取り込んだ右腕で、少しは『聖なる右』が行使出来るだろうか。
ピリピリとした殺意を感じ取りながら、彼は右手を水平に掲げる。
対して、多くの伝説を創り出した無慈悲なる魔術師は、手にしている杖のようなものを振った。
如何に『聖なる右』といえど、かの魔術師の一撃とは拮抗することなどままならない。
強い一撃はフィアンマの身体を貫き、彼を小さな雪山の向こう側へ転がしていった。
最期の瞬間、彼はたった一人の事を考えていた。
部下として命令を下し、敵対した、愛する女の事だった。
彼女が、どこかで。
自分も知らないどこかでも。
笑って、泣いて、怒って。
もう二度と絶望せずに、いつか誰かと幸福になれればいい。
弟を蘇らせられなかったことは残念だけれど。
誰かが、優しい言葉で、行動で、きっと彼女の心を救ってくれたなら。
この祈りはきっと届かないだろうと思いつつも。
救世主になり損ねた大罪人は、激痛を抱きしめて、眠った。
「……ちょっと予定が狂ったね」
「見捨てない辺りはアンタらしいがね」
金髪の二人の男女が、どこからともなく現れた。
倒れるフィアンマに近寄り、男は困った顔をした。
血まみれで意識を失った彼を、抱え上げる。
多少の治癒を施すと、そのまま歩き、意識を覚醒させた。
無理矢理に意識を覚醒させられた青年は、ぼんやりとした表情で首を傾げる。
「……ここ、は。…どこ、ですか?」
その言葉に、男女は顔を見合わせ。
やっぱり困った顔をして、どうするか決めたのだった。
今回はここまで。
見た目には合ってるのに敬語のフィアンマさんにすごく違和感。
乙。やっぱ>>1の文は綺麗だよな。使ってる言葉とかがいい
魔神(≒)と下女はどうするのか
キャラ崩壊回です。
>>163
ありがとうございます。
投下。
手順記憶、一般家事などに関するものは存在する。
エピソード記憶、全ての喪失を確認。
意味記憶、一般常識程度のものは存在する様子。
魔術知識。
その一切の喪失を確認。
魔神になり損ねた男———オッレルスがフィアンマと話して得られた情報は、これで全てだ。
彼の年齢も生い立ちも、彼自身が忘れているのだから調べようが無い訳で。
本来、彼が記憶を持っていれば、少なくとも魔術を扱える状態であれば、勢力に引き込むつもりだった。
もちろん身辺警護をするつもりもあったのだが、協力して欲しいことがあった。
だが、こうなってしまっては彼は単なる無力な青年である。
聖人やワルキューレなどといった身体能力を持っていればまだしも。
少々特殊な体質とはいえ、それは物理的な強さには通じない。
そして、一般人を戦闘に巻き込むような趣味を、オッレルスは持っていなかった。
矢継ぎ早にされる質問に答えていたら、やや失望された。
よくわからないまま言われるままついてきたところ、病院へ入れられた。
記憶喪失だ、と医者から告げられたものの、実感が無い。
記憶を喪うような病気にでもかかっているのかと問えば、そういうことではないと言われ。
用意された白い個室で、フィアンマは窓の外を見ていた。
「……」
青空。
何も思い出せない。
金髪の青年から、"フィアンマ"という名前だけ教えてもらった。
どういう関係なのかはわからないが、入院費を出してくれているらしい。
家族にしてはあまり親しい様子が見られないような気がする。
「……?」
ベッドから降りる。
フィアンマは備え付けの洗面台、鏡を見つめた。
赤い髪。
患者服。
金に近い瞳。
白い肌。
何となく人種や性別は自分の身体を見れば判別はつく。
が、そこまでだ。
わかるのはそれだけで、もっと多くの知るべきことはわからない。
「……」
大人しくベッドに戻る。
やけに腹部が痛いのは、内臓が痛めつけられているからであると医者に言われた。
記憶を喪う、内臓が傷つく———自分の職業はボクサーか何かか、とフィアンマは思い。
だが、それにしては身体が鍛えられていない、と思い返す。
ベッドに座り、自分の手を見つめてみた。やっぱり、何もわからなかった。
ロシアから出て。
アックアと少しだけ行動を共にした後、ヴェントはイタリアへ戻ってきた。
体はまだ少し痛みを発している。
嫌だとは思うものの、自力では治せないレベルの痛みなので、病院を訪れた。
大きな病院の為、迷路のような作りになってしまっている。
二階に行って採血、三階に行って診断結果を聞く。
加えて、未だ科学を嫌うヴェントにとって、エレベーターやらエスカレーターやらは大敵だ。
故に、彼女はいちいち階段を昇ったり降ったりする必要があった。
「は、ぁ」
息切れ。
疲れがのしかかり、だるくなってくる。
全ての検査も話し合いも終わり、薬が出された。
嫌だとは思うものの、これだけは避けて通れない。
「……少し休もうカナ?」
呟きをそのまま行動目標に掲げ、彼女は上に上がる。
一般患者の入院している病室もある六階には広場がある。
広場と呼ぶには小さいスペースだが、冷たい飲み物の販売を行っていた。
自動販売機による販売ではないので、ヴェントにとって最適な休憩スペースだった。
備え付けられているパステルカラーの椅子へ腰掛ける。
紙コップに入った、購入したばかりの紅茶を啜った。
ほんの僅かに砂糖の入った甘さ控えめのレモンティー。
階段の昇降運動を繰り返した彼女の渇いた体に、すんなりとそれは染み込んでいった。
「はー……」
一気に飲み干し、息を吐き出す。
息切れはだいぶ落ち着いたが、もう少し休憩してから外に出ようと思う。
「……」
幻想殺しの少年は北極海に沈んだと聞いている。
フィアンマが運命を共にしたとは思えない。
あの両者の性格から考えて、傷の浅い方が深い方を逃がしただろう。
結局のところ、彼は世界を救えなかった。
恐らく、殺されただろう。
敵に情けをかけてしまうタイプの幻想殺しには、殺せない。
だが、その幻想殺しの味方や、フィアンマのせいで割を喰った連中は喜んで彼を殺すだろう。
生きていたにせよ、拷問か何かにかけられるというのは避けられない。
「…ふ」
敵に回った自分が、何を感傷に浸っているのか。
彼は自分から離れ、自分は彼と敵対し、全ては終わった。
ならば、もう彼のことは忘れなくてはならない。
そう思うのに。
『じゃあ採血しますねー』
『……ど、どうしても?』
『どうしてもですよ』
『………、』
『はいはい、逃げないでくださーい』
看護師の声と、男の声が聞こえた。
そろそろと視線を向けてしまう。
だって、ああ、この声を、知っている。
ずっとずっと、そばで聞いてきたのだから。
看護師が出てきた病室の番号プレートを見つめる。
名前の部分には、フィアンマと綴られていた。
大部屋ではなく、個室だった。
「…、……」
受付で、見舞い客用のバッヂを受け取る。
これで数時間滞在する権利は獲得出来た。
すぅ、と深く息を吸い込む。
ガラにもなく緊張しているのだ。この自分が。
「……」
コンコンコン。
三回程ノックをして、静かに待つ。
どうぞ、という控えめな声が聞こえてから、開けた。
「……フィアンマ」
「……、」
ベッドに、細身の青年が腰掛けていた。
採血をしたからだろう、絆創膏の上から針の傷を指先で押さえたまま。
「……」
彼は動揺した様子を見せた後。
「病室を、間違えていないか」
困ったようにそう言った。
嫌味でも何でもなく。
「……もしかして、俺の知り合い…?」
「ッ、」
聞きなれぬ一人称。
見慣れぬ弱気。
何を考えるでもなく。
正確には、考える冷静ささえ持てないまま。
前方のヴェントは手を伸ばし。
躊躇なく、フィアンマの頬を打った。
「い、」
体重を乗せて平手打ちされた為、勢いが強かったらしい。
痛々しい音を立て、彼の体は一度ベッドに沈んだ。
「……な、何で…」
何故打つのだ、と非難めいた、やや怯えた視線。
ヴェントは手を引っ込め、フィアンマを見下ろす。
うまく言葉にならない。色々と言いたい事があった。
しかし、何となくわかってしまう。
彼は、自分を覚えていない。
「前方のヴェント。…覚えてない?」
「……風?」
不思議そうな表情で首を傾げながら、フィアンマは起き上がって再び座る。
手足や頭には包帯が巻かれていて、患者服の下も恐らくガーゼなどがあることだろう。
人は、強いダメージを受けた時に記憶を喪う事がある。
医術に長けているとはいえない、ヴェントでも、それ位はわかる。
「……何も、覚えていないんだ」
ぽつりと呟かれた言葉が、ヴェントの頭でリフレインし続けた。
今回はここまで。
根暗な記憶喪失ンマさん。
次回から日常回です。
ネタ募集中。
投下。
思い出すのは、フィアンマとの生活だった。
下らないことの積み重ねがどれだけ幸福だったかを改めて知る。
弟を喪ってわかっていたはずなのに、忘れていた。
日常と呼べるつまらない平穏がどれだけ満ち足りたものなのかを。
「………だ、大丈夫か?」
心配された。
視線を向ければ、少し頼りない感じがあるものの、以前の彼と見目の変わらぬ彼が居る。
ヴェントは見舞い客用のパイプイスを手に取り、組み立て、座る。
向かい合って座り、少々の気まずさに、フィアンマは未だ痺れの残る頬を摩った。
「……アンタの一人称は、『俺様』だった」
「……そうか」
余程偉そうなヤツだったらしい、とフィアンマは以前の自分に首を傾げた。
まったく思い出せないものの、真似をして生きていくつもりはあるのだ。
フィアンマは、目の前の女性を少し観察してみた。
黄色に近いハニーブラウンの髪。
瞳は透き通った青色。
体は細く、色は白い。
どこか病弱なイメージを抱かないでもない。
「……美人だな」
「なッ、」
唐突な発言に、ヴェントは動揺して黙り込む。
そんな彼女の様子に穏やかに笑って、フィアンマも再び黙った。
ほどよく冷房の効いた個室は、涼しい。
時期は冬なのだが、病院とは暑い建物だ。
女性には冷えるだろうかと思うも、動くには彼女にどいてもらう必要がある。
話すきっかけさえ頭に浮かばないまま、フィアンマはヴェントの発言を待った。
静かすぎる病室に、女の声が控えめにハウリングした。
「アンタは、覚えていないんだろうケド」
もっと早く言っていれば、こんなことにはならなかったのだが。
彼女はそれに気づかないまま、それでも、無駄な一言を告げる。
「私は、……アンタに、救われた」
「………」
よくわからないという表情を浮かべるフィアンマに、彼女は軽く笑った。
覚えていないのはわかる。でも、言わなければならない気がした。
「アンタに、生きていることを誇れって言われて、前を向けた。
アンタと暮らして、これから先、前を向けるって思った。
死ぬ事と償いのことしか考えられなかった私に、多くの道をくれた。
……………から。…………だから、ね」
握り締めた拳が、震える。
彼女は、思いとは裏腹に涙を流していた。
「————アンタのことが、すきだった」
抱きしめられ。
青年は、困惑のままに視線を彷徨わせた。
一緒に暮らしていた?
生きていることを誇れ?
何の話かはさっぱりわからない。
だが、胸の内側、"心"とでも呼べる部分が、手を勝手に動かした。
手の平で、彼女の髪を撫でる。
丁寧に背中を摩って。
言葉が出てこないのは、彼女を識らないからだ。
以前の自分がどのような男だったのかは、知らない。
が、一人称からして、きっと傲岸不遜な男だったのだろうと思う。
ならば、少しでも"彼"の真似をするべきだ。
それが、何となく、目の前の彼女の笑顔に繋がる気がする。
「……泣くな」
偉そうに言ってみた。
彼女は、ムカつく、と言いながら、少しばかり幸福そうに笑っていた。
ヴェントはやがて病室から出た。
洗面所で顔を洗ったため、泣いた様子はみられない。
「…あん?」
ドアを出たところで。
金髪の青年と目が合った。
彼は少々考える素振りを見せて。
「…前方のヴェント、で合っているかな」
「だったら?」
「いや、恨みがあるとか、そういう訳じゃないんだ」
「……」
「…右方のフィアンマ。彼の記憶を取り戻して欲しい」
「何の為に」
「協力して欲しい事がある」
彼の話す内容は明瞭だった。
魔術サイド代表として台頭してくる魔神の打倒。
原因はフィアンマにあった。
記憶があれば、彼は協力することだろう。
「……嫌だと言ったら?」
「実力行使で、とは言わないよ。でもまあ、彼の意思次第だろう」
それは暗に、記憶さえ戻れば協力してくれるという自信があるようだった。
ヴェントは舌打ちし、背を向ける。
硬い靴音に、挑発的な言葉を混ぜて。
「記憶が戻ったとしても、テメェの計画になんか関わらせない」
自分以外の人間が傷つくのは辛いと、無理やり痛々しく笑っていた彼を。
もう二度と、戦乱になど巻き込みたくはなかった。
たとえ、記憶が二度と元に戻らないとしても。
二度と自分のことを思い出してくれなくても。
それでもいい。
一緒に、また思い出を作れれば、それで。
フィアンマは、程なくして退院した。
何処に住めば良いのだと悩み悩み荷物を詰める。
一つのバッグに少ない着替えが納まったところで、ドアが開いた。
「…ヴェントか」
「何、ガッカリ?」
「いいや、そういう訳ではないよ」
彼女は手を伸ばし、彼の手首を掴む。
もう反対の手で彼のバッグを攫ってしまうと、そのまま歩き出した。
手続きは既に済んでいるので、後は病院から立ち去るだけだ。
「何処に行くつもりだ、」
「家」
きっぱりと言い切り、彼女は歩いて行く。
自分より少し小さい手は、温かく。
記憶はないのに、何だか懐かしい、とフィアンマは目を細めた。
今回はここまで。
(危ない危ない、ホモになるところだった)
俺様系ほのぼの青年フィアンマさんの第二の人生、始まり始まり。
乙。本来男がやるべき事をやる男前ポジヴェントさんきゃわわ。
ネタなら、
ヴェントさんが作ったパスタ系料理を二人でつまみながら推理モノドラマを見ていて、フィアンマさんが途中で一見スジの通った推理をヴェントに聞かせ始める→ドラマ終盤で見当違いどころか明後日の方向な推理だった事に気づき笑い合う
毎朝キチッとフィアンマさんの分もご飯作ってシャワー浴びてメイクアップ→ビシッとキメて仕事に出掛ける男前ヴェントさん→ごはん食べながら「…あれ?何かこれ俺様ヒモ…?」な気分になって家事こなし多少豪勢な晩飯作って仕事帰りのヴェントさんを迎えるフィアンマさん→食後ヴェントさんの肩揉み
記憶と経験がないフィアンマさんは超薄着なラフ姿ヴェントさんが普通に一緒に寝ようとしてくる事に驚きながらドキマギ→寝てる最中に寝相悪いヴェントさんに抱きつかれ息が当たる、足でカニ挟みされる、etcで一晩中生殺し状況なフィアンマさん
一緒にお風呂(水着等はなし)。威風堂々と一緒に入ってくるヴェントさんに驚愕を隠しきれないフィアンマさん
迷子になるといけないから、と手を繋いで買い物いく二人→しっくりしすぎて家に帰るまでずーーっと繋ぎっぱなしだった(そういや回りの人達にめっちゃ見られてた)
乙です。
ネタなら子どもに懐かれるフィアンマと子どもに怖がられるヴェント。
でもフィアンマがフォローして二人で子ども達と遊ぶ。
ナンパされたヴェントを抱き寄せて俺の女発言。
その後何で言ったか自分でも不思議に思ったり恥ずかしくなったり
彼女は科学が大嫌いらしい。
フィアンマがヴェントと暮らしてわかったのは、ひとまずそれだった。
建物内、エレベーターに乗ろうとすれば強引に手を引っ張られ。
エスカレーターを利用しようとすればやっぱり手を引っ張られて。
向かう先はいつも非常階段。一緒に行動するだけで身体が鍛えられそうだった。
だから彼女は細いのだろうか、とフィアンマは首を傾げ。
自分も大概じゃないか、とやや貧相な体にため息を吐き出して。
「何ため息ついてんの。ほら、持つ持つ」
「何を、って、」
ほら、と押し付けられる紙袋。
中には林檎やら小麦粉やらの食糧品。
ずっしりと重い。が、ふらついては恥ずかしい。
「これで問題ナシ、と」
随分と大量の食料を買い込んでいるようだ。
長らく"家"にまったく帰っていなかったのだから、当たり前なのだが。
「腹は?」
「…減っているが」
「じゃあ帰ったらすぐ昼飯にするか…」
軽く言って、彼女はフィアンマ以上に重い袋を抱えて歩き出す。
足取りはしっかりとしているが、細い腕には荷重の負担がかかっている。
以前のフィアンマなら、恐らく何か思っても、何も言わなかっただろう。
それはそれなりに生きた人生が築いてしまった無駄なプライドや何かというもので。
が、今の彼にそんなものは存在しない。
魔術<きょうき>を忘れた彼は、いたって普通の好青年だ。
だから。
「持つよ」
言って、荷物をそっと奪う。
奪う、といっても請け負ってしまう形だ。
自然過ぎる動作に、ヴェントは数度目を瞬かせ。
「…それ位持てるんだケド? 見くびってんの?」
「女に重い物を持たせるのは気が引ける」
それ本気で言ってるならクサい、と馬鹿にしようとして。
フィアンマの瞳が澄んでいることに気がつき、彼女はぷいっと顔を逸らしてしまった。
「んじゃ、適当に作るから座ってて」
有無を言わせずそう告げて、彼女はキッチンに立つ。
料理経験(正確には記憶)がない自分が隣にいては、かえって邪魔だろう。
手伝いは諦め、フィアンマはソファーに腰掛けると共にスイッチへ興味を示す。
目の前にはハイビジョンテレビ。恐らくそのリモコンだろう。
「……」
もしかして、自分は金持ちだったのだろうか。
ふと思い、フィアンマは首を傾げる。
見渡した部屋、置かれている家具の類はそれなりに値の張りそうなものばかり。
先程クローゼットも覗いてみたが、服もお値段の高そうなものが多かった。
かといって彼女が養われていたような様子は見られない。
「……?」
とすると、妻ではないのだろう。
まだ恋人なのだろうか。お互い少年少女でもないのに。
思考を巡らせるのにも飽き、フィアンマはリモコンをいじってみた。
電源が入り、適当にチャンネルを回し、推理モノの宣伝で止める。
何もかもが新鮮に感じられるのは、やはり記憶喪失だからだろう。
「何、テレビ?」
若干嫌そうな声が聞こえた。
「…推理モノは嫌いか?」
「そういう訳じゃないケド」
言葉を濁す。
彼女は暫し言葉に迷った後、大皿をテーブルに置いた。
ラザニアのようだ。焼き上げに時間がかかっていたのだろう。
目の前に食器が並べられ、水の入ったコップも置かれた。
「自力で食え…るか。入院中は自分でしてただろうしね」
「手順記憶はある。問題ない」
テレビ画面の中では、登場人物達が真面目な顔をして話し合っている。
どうして被害者が殺されたのか、という話だった。
記憶を喪っても食べ方は変わらないのか、フィアンマは緩やかに食事をしている。
ヴェントも同じ大皿から少しずつ食べつつテレビを見つめていた。
彼と出会う前の自分なら、徹底的に科学を排除している生活を好んだ。
けれど、彼と暮らして、自分を認めてもらい、前向きに生きようと思い始めた時から。
テレビに対しての嫌悪感は激減したし、後悔で泣く日も同じく減った。
「……痴情のもつれ、というやつか」
「…は?」
「いや、あれだよ」
ドラマの話、とフィアンマは告げ。
「女の方が別れない男に痺れを切らして殺したのではないのか、とそう思ってな」
まったく動揺していないのがかえって怪しい、と彼は言う。
確かにそうかもしれないな、とヴェントも思った。
彼はそのまま推理を続け、口にする。言いながらも適宜食事は続け。
頭の良さは健在らしい。推理は納得しやすい内容であったものの。
「……狂言殺人か」
「……そうくるとは思わなかったな」
物語終盤でのどんでん返し過ぎる急展開。
ギャグ要素の入った狂言殺人告白。
推理の内容は合致しておらず、明後日の方向で進んでいたようだ。
ヴェントとフィアンマは顔を見合わせて笑い。
それから、食べ終わった皿を洗うことにした。
夜。
寝室が別であることに安堵しながら(彼の精神はもはや一般人レベル)、フィアンマはベッドに入る。
彼はもはや聖職者ではない。普通の男性なのだ。故に、女性と同じ部屋で眠るのは好ましくない。
「……ん」
目を瞑る。
毛布で身体を温めれば、徐々に眠気が忍び寄ってくる。
心地の良い感覚に身を任せ、フィアンマはゆっくりと息を吐きだした。
正直にいって彼女は他人だ。一緒に居るとやや落ち着かない。
落ち着かない理由は記憶がないが故の親近感の無さ以外にも、、彼女が美人であることも関係しているだろう。
「さて、と」
ガチャリ。
ドアが開くと共に、そんな声が聞こえた。
思わず目を開けて見やれば、そこには女性の姿がある。
すごく薄着なヴェントに他ならなかった。
「もうちょっと詰めて」
「いや、その、」
「イイから」
ぐいぐいと押される。
仕方がないので、彼女に背中を向けて再び目を閉じた。
こうなってしまってはもう、なるべく早く眠るに限る。
「…オヤスミ」
「……ああ。おやすみ」
電灯が、消える。
真っ暗な部屋の中。
寝よう寝ようと思えば思う程、かえって眠れなくなる。
観念して目を開けたところで、ヴェントの脚がフィアンマの脚を抱き寄せた。
所謂カニ挟みの横向きバージョンといったところである。
当然密着されてしまい、距離は近くなり、フィアンマの心拍数を早める原因となる。
「……」
起こさないように。
少しだけ身動いて離れてもらおうと頑張ってみる。
が、彼の努力虚しく、彼女は更に強めに抱きついた。
「……、」
うなじに甘い息があたっている。
起こすには気が引けるため、どうにもならない。
このまま一晩中眠れないかもしれない、とフィアンマは思う。
「ん、ぅ」
彼女の細い腕が、自分の身体を抱きしめた。
意識してしまうと色々とヤバイ気がするので無心になる努力をしてはいるが、感じる。
背中に当たる、二つの柔らかな感触が、明らかにある。
「〜〜〜っ!!」
髪と同じ程に、とまでは言わずとも。
フィアンマは思春期の少年のように顔を真っ赤にして、目の前の毛布を抱きしめた。
もぞもぞと顔を埋める事で、現実から逃避しようと一生懸命試みる。
何をどうやっても、今夜は眠れそうにはなかった。
今回はここまで。
私事連絡ですが今日はフロイラインマはお休みです。
乙です
ネタとして、野良の黒猫をフィアンマが拾って世話をする。というのはどうでしょうか
他には、記憶を失う前に起きたことと似たようなことが起きて、少し記憶を思い出しかけたフィアンマに対し、ヴェントが必死で話を逸らして誤魔化そうとして、それを訝しむフィアンマとか
乙。流石や フロイラインマはなしか…無念
予想以上によかったんで思春期フィアンマさんがもっとみたいれす(^q^)
翌朝。
ヴェントはアックア伝いに入った仕事を達成するため、着替えていた。
やや起きるのが遅かったフィアンマは、眠たそうにヴェントを見て。
ついで着替え途中だった彼女から即座に目を逸らした。
「……仕事か?」
「まぁね」
魔術がどうだの、という話はしない。
彼の様子を見る限り、魔術についても覚えていないことがわかるからだ。
だから、彼には家にいて欲しい。危険な目には遭わないでいて欲しい。
「…さて」
着替える前に、既に食事は作ってある。
シャワーも軽く浴びたし、着替えはもうすぐ終わる。
メイクをすれば完了だ。必要なことは何もない。
「ああそうそう、飯なら用意してあるから」
「……わかった」
返事の覇気の無さから"眠いのか"と勝手に判断するヴェント。
実際には近くで女性が着替えていることに対する動揺なのだが。
「じゃ、行ってきます」
「……ああ、行ってらっしゃい」
『行ってこい』じゃない辺り、やっぱり前の彼とは違って。
それでもいい、とヴェントは思う。思い出なんて、何度だって作り直せばいいのだ。
そう、自分に言い聞かせて。
パタン、という軽い音を立てて閉まったドア。
丁寧に鍵を締め、フィアンマは席につく。
ぐしぐしと瞼を擦り、跳ねた髪を指先で正し。
「……」
ふと思う。
思ってしまう。
あれ、これって俺様ガチのヒモじゃね? と。
だらだらと流れる冷や汗。
いや、記憶喪失なのだから無職は仕方ないとして。
働いている彼女にここまで用意をさせてしまったのは問題だ。
外で働けないのならばせめて、家で働かなければならないだろう。
「……まだ取り返しはつく」
そう、そうだ。
彼女はさり際、今日は遅くならないと言っていた。
だから夕飯の用意を一生懸命頑張ればきっと挽回出来る。
そうとなればまずはレシピを決めよう、と本を手にとって。
「……んー」
手に取る本全てが童話なのはどういうことなのだ、とフィアンマは思う。
術式研究用の本だったということを、彼は知らない。識らない。
雑魚。雑魚。雑魚。
つまらない敵———的だった、とヴェントは思う。
本調子でない自分でさえ、倒すのは簡単だった。
「…殺さなくなったのは、……」
恐らく、彼の影響だろう。
今は家に居るであろう、過去には右方の座についていた、一人の青年。
「………」
結局、好きだと言えたのは、"彼"が死んでからだった。
もっと早く言うべきだったのだ。彼が記憶を亡くす前に。
もちろん、今のフィアンマのことだって嫌いではない。
少しからかい甲斐があって、照れ屋で、のんびりとしていて。
嫌いじゃない。でも、時々物足りないような、そんな気分になる。
「………」
彼の味方にならなかったのは自分のクセに。
都合が良すぎる、とヴェントは首を横に振った。
「さて、帰りますか」
のんびりと伸びをする。
気持ちを切り替えることには、もう、慣れてしまった。
「お帰り」
「ん、タダイマ」
応えて。
彼女は食卓を見たり、思わず口笛を吹く。
「ナニこのご馳走。何かのお祝い?」
「いや、……特に意味は無い」
もごもごと答える彼は何やら居心地が悪そうだ。
何かあったのだろうか、とあくまで思い当たる節の無いヴェントは首を傾げ。
とりあえず食べよう、と席に着いた。
テーブルの上には肉と野菜がごろつくホワイトシチューにチーズの入ったフランスパン。
ペンネが入った具だくさんのミネストローネと、赤葡萄ジュース。
「…っていうか何でジュースなワケ?」
そこはワインだろう、と突っ込むヴェント。
対して、フィアンマは予想外な反応を返した。
視線を彷徨わせ、ぼそぼそと言う。
「……万が一酔っ払うと、困る」
「…困る? 何が」
「…色々と、だよ」
「色々とって?」
「……良いから食べろ」
要するに"過ち"があるとマズイという意味なのだが、彼女には気づいてもらえない。
食後。
肩を揉む、という提案に、ヴェントは甘えることにした。
いかに術式で補強していようと、大槌はそれなりに重い。
「ん、……」
肩を揉む度に、かすれ気味の声。
それが何だか淫猥に感じて、フィアンマは顔を逸らす。
そんな彼を見上げ、ヴェントはぼーっとしていた。
「……フィアンマ」
「……何だ」
「…何か隠し事してる?」
「していないが」
「嘘はバレるわよ?」
「……していないさ」
「…ふーん?」
「……」
「…じゃあ今何考えてる?」
「なにも」
「動揺しか見えないんだケド」
「………」
こそこそ、と彼は小声で呟く。
はっきり言えよ、と眉を寄せながらも、ヴェントはその言葉を聞いた。
『綺麗だし優しいから、俺様の妻だったら良かったのにな、って』
ぷしゅう。
そんな音を立てかねない程に、彼女の白い肌は赤くなっていた。
「ばッ、何、なにいっ、」
「な、無かったことにしろ」
しどろもどろに言葉を交わし。
今のはナシ、ということで今ここに謎の隠蔽条約が結ばれたのだった。
そんな訳で夕食後のくつろぎタイムは終了。
後はお風呂に入って眠るだけだ。
フィアンマはもこもことスポンジを泡立てながら、ややうとついていた。
「う……」
これはいけない、とぶんぶん首を横に振る。
その度に濡れた髪から水しぶきが舞った。
「お邪魔しまーす」
「な、」
威風堂々。
何の迷いも遠慮もなしに、彼女が入ってきた。
しかも何ということだ、水着もタオルもない。
何となしにニヤニヤ…否、ニタニタとしている雰囲気は感じる。
「………」
が、出ていけと言えないヘタレさんのフィアンマである。
自分の裸を見られて恥ずかしいという発想はほぼ無い。
別に自分の体に自信がある訳ではないのだが。
それより何より、彼女を直視してしまうとやばい。
「……急に入ってくるな」
「だから声かけたでしょうが」
ノックしてすぐに部屋に入るお母さんか、とフィアンマは思う。
もっとも彼に母親など居なかった訳だが。
「……イイ反応。体洗ってあげよっか?」
「いらん」
一刻も早く上がりたい、とフィアンマはスポンジを握り締め、髪の毛で顔、特に目元を隠した。
鼻血が出たり、屹立してしまわなかったのは彼の自制心の強さのお陰だろう。
記憶のあるなしに関わらず、微妙に生真面目な男である。
今回はここまで。
(もうこいつら結婚しないかな)
思い出して欲しいから強引にでも接触して前ンマさんを追いかけるけれど、やっぱり思い出して欲しくないヴェントさん。
投下。
「遠慮しなくてもイイのに」
くすくすと笑って。
ヴェントはスポンジを泡立てる。
自然由来のボディソープだからどうにか許せる。
それ以前は薬草を煎じたもので身体を洗っていたな、とヴェントは思い返し。
「…上がる」
「ストップ」
烏の行水を終えて逃げようとするフィアンマの手を、ヴェントは掴む。
「……もう少し、」
ここにいて。
意図せず、切なそうな声が出る。
———強引にこうして接触することで。無意識下。"彼"の痕跡を乞う。
面倒そうな声や嫌そうな声が"以前"の万物へ億劫そうな態度と重なるから、願ってしまう。
今の彼にそんなことはわからない。
わからないけれど彼女を見やり、フィアンマは少しだけ口ごもって。
「…後ろを向け」
考えた結果、彼女の背中をスポンジでこすることにしたのだった。
その行動が、やはり"彼"ではないのだと思い知らされて、彼女は苦く笑う。
自己犠牲をやりきれない身勝手な自分は、きっと聖女にはなれない。
それから、一週間後。
普通に自炊をしていれば、冷蔵庫も戸棚も空っぽになる。
買い出しをしよう、と二人で外へ出た。
「……」
ヴェントは、無言で手を出す。
掴め、とばかりに、やや乱暴に。
フィアンマは彼女の華奢な手を見やり。
首を傾げ、思考を巡らせ、そっと握った。
「……迷子になったら困る」
言い訳のように言い放って、彼女は歩き出す。
コツ、コツ、という硬い靴音。
フィアンマは手を握ったまま、そっと指を絡めてみる。
拒絶は、されなかった。する理由など、微塵もなかった。
(……しっくりくる)
ヴェントはそう思って、視線を不安定にさまよわせる。
何を考えているのだ。彼は"彼"ではないのに。
人目がこちらを向くも、そこに敵意はない。
それがかえって気恥ずかしくて、彼女は歩く速度を早めた。
「おい、速すぎるだろう、」
「この程度ついてきなさいよ」
「何を怒っているんだ?」
「怒ってない。…怒ってない!」
行き帰りの間、ずっと手を繋ぎっぱなしだった、とヴェントは思い返す。
別に恥ずかしい事ではない、と自分に一生懸命言い聞かせてみる。
「あ」
「何」
「いや、買い忘れを発見しただけだ」
買ってくる、と彼は勝手に外へ出ようとする。
慌てて引き止め、ヴェントは彼を睨む。
「私が行く」
「別に俺様でも、」
「イイから」
「……」
じゃあ一緒に行こう、と彼は彼女を手を引く。
ヴェントは手を引かれ、先程とは真逆のペースで歩くのだった。
疲れた。
買い物に二回も出かけるというのは非効率過ぎる。
二人は公園のベンチでゆっくりと休む。
と、そこにボールが転がってきた。
「ごめんなさいっ」
少年が駆けてくる。
フィアンマはその小さめのボールを拾い上げ、穏やかな笑みと共に差し出した。
「これか?」
「ありがとうお兄さ、」
受け取り、子供の表情が固まる。
ヴェントを見、怯えて後ずさった。
「…ふん」
機嫌が悪そうに、彼女はむすくれる。
フィアンマは視線を二人へ交互に向けて。
「疲れが出ているから怯えているだけだろう」
「敵意なら慣れっこだからフォローしなくていい」
つっけんどんに言い放つヴェントに少しだけ困って。
フィアンマは少年を見る。
少年はというと振り返り、夕方だからと帰ってしまった友人達に手を振っていた。
少年はまだ帰りたくないのか、帰れない理由があるのか、何をしようかと考えあぐねている。
「なに? おにいさん」
「一緒に遊ぼうか。こっちのお姉さんも一緒に」
「私は、」
「う、………いいよ!」
子供は少しだけ躊躇して、それから承諾した。
自分を巻き込むなと言わんばかりの彼女を巻き添えにし、フィアンマは少年と遊んであげることにした。
帰り道。
ヴェントは少年と遊んだことを思い出していた。
弟にどことなく似ていたような気がするのは、おそらく偏見というヤツだろう。
年下の少年を見ればすぐに弟と重ねてしまうのは、悪い癖だ。
こればかりは治らない悪癖だろうな、と彼女はぼんやりと思う。
「弟でもいたのか?」
「…まあね」
家につく。
フィアンマの問いかけに苦いものを感じながら、彼女はこくりと頷く。
確かにいたが、遠まわしに自分が殺した。不運に奪われた。
かつての彼の慰めによって根本的な罪悪感は薄らいだにせよ、良い記憶には決してならない。
「……すまない」
「何謝ってんのよ、急に」
「努力はしているのだが、未だに何も思い出せない」
目を伏せる彼は、言っている通り努力をしているようだ。
考えるより先に、ヴェントは彼を止める。
「しなくていい。思い出さなくていい」
「だが、」
「いいから」
思い出せば、辛くなる。
思い出せば、あの男の計画に参加してしまう。
そうしたら、自分と一緒には居てくれない。
「…思い出さなくていい。ここにいれば、それでいい。
……だから。……何も、おもいださないで。おねがい」
今回はここまで。
後でもう一回投下します。
彼女の表情と言葉を思いつつ、フィアンマはシャワーを浴びる。
髪を洗い、ゆっくりと息を吐きだした。
思い出してあげた方が、おそらくは彼女の為だろうに。
思い出さなくていい、思い出さない方が良い、と彼女は自分を止めようとする。
「……」
もしかして。
自分は、犯罪者なのか。
ふと思い、手を止める。
ざあざあと流れゆくぬるま湯が、冷や汗を流していく。
時折外で感じる視線は、もしかして復讐を試みる人間によるものなのではないのか。
彼女はそれから自分を助ける為に、一緒にいるのではないのか。
『仕事』。
自分は、彼女の仕事を知らない。
心なしか鉄臭いような、血のような臭いがしたような気がする。
自分の為に彼女が誰かを傷つけているのなら、それは良くないことだ、と思う。
「………」
だが、だからといってどうすれば良いのか。
自分には何も出来ないのだから、口を閉ざす他に選択肢はない。
「オヤスミ」
「ああ、おやすみ」
今日は一緒に寝ないらしい。
彼女は彼女の寝室に消えた。
記憶を取り戻そうとする度、彼女は何か苦しんでいるような顔になる。
「……」
兄妹の可能性。
彼女が自分を好きでいることは理解出来る。
だが、結ばれていないということは結ばれてはいけないからかもしれない。
だとすれば、その事実を自分が思い出すのは非常にまずい。
「…いや、しかし」
自分と彼女は似ていない。
籍に関する書類を眺めてみても、そんな証拠はどこにもない。
「……」
わからない。
謎が深まるものの、問い詰める勇気もない。
今日はもう寝てしまおう、とフィアンマはベッドに入った。
ヴェントが眠っている間に、外に出た。
少し、一人になって頭を冷やしたかった。
「にゃあ」
「……、…」
そこには、黒猫が居た。
ちょこん、と路地裏でお座りをしている。
ぴちゃぴちゃと前足を舐め、フィアンマを見上げていた。
真っ黒な毛並みと、黒い瞳を持つ愛らしい黒猫。
「にー」
拾って帰るべきか。
放り置けば、飢え死ぬか、或いは保健所行きか。
だが、この猫を死ぬまできちんと面倒を看られる自信はあまりない。
だけれども。
「おいで」
ごろごろと喉を鳴らす猫の頭を撫で回し、フィアンマは猫を抱き上げる。
お腹を撫でて寝かせ、そのまま家へ向かって歩いた。
「ただいま」
「何処行ってたワケ?」
「少し散歩に、」
「事故にでも遭ったらどうす、」
ヴェントの出迎えは刺々しかった。
それだけ心配させてしまったのだろうと思いながらも、フィアンマは猫を見せて。
「飼おうと思うのだが」
「………」
ヴェントは、黙った。
フィアンマには、彼女が何を思って、僅かに泣きそうになっているのか、わからない。
「猫は嫌いか?」
「…別に、嫌いじゃないケド」
好きにすれば、と言って、彼女は部屋に閉じこもってしまう。
フィアンマは黒猫と見つめ合い、不思議そうに首を傾げた。
首を傾げたままに、黒猫を風呂に入れる。
元気がない。もしかすると病気かもしれない。
それでも死ぬまで面倒は看てあげよう、とフィアンマは思う。
「んみみ、にゃあっ」
「引っ掻くな」
いたたた、と目を細め、世話をする。
黒猫はやがて諦めたのか、ぐったりと身体を洗われた。
「……」
身体を丁寧にタオルで拭いてやる。
解放してやると、猫は気まぐれにてくてくと歩き。
唐突に机に飛び乗ると、ぺしぺしと箱を叩いた。
自分の姿が映るのが面白かったのかもしれない。
箱はパタンと倒れ、中からこぼれ、床に舞い落ちたのは。
二枚のチケットの半券。
「…ッ、」
チケットを目にして、それがどういったものか理解した瞬間。
フィアンマは酷い頭痛に襲われ、その場に座り込む。
黒猫は彼を見やり、飛び降りると慰めるように彼の手を舐めた。
ズキズキと痛む頭を右手で押さえる。
『……何今の』
『"奇跡"だよ』
そんな会話を思い出したような気がした。
思わず唸ってしまう程に頭が痛くて、吐き気がする。
「う、ぐ」
ガチャリ。
ドアが開いた。
ヴェントは大人気なかった自分を反省して、フィアンマに謝ろうかと思ったものの。
床に座り込み、頭を押さえて唸る彼に、思考が一気に飛んだ。
「ッ、フィアンマ!」
「ヴェン、ト」
彼は浅い息を繰り返し、彼女を見やる。
「もう、すこしで」
手を伸ばす。
彼女の頬に、フィアンマの手のひらが触れた。
「思い出せ、そうなんだ」
「いや、だ」
ヴェントは知らず知らず、呟いていた。
ぐしゃぐしゃに顔を歪めて、泣きそうになりながら、彼を抱きしめる。
「何も、思い出さないで」
覚えていなければ、罪は無かったことになる。
罪を無かったことにしてあげたい。
彼が自分にそうしてくれたように。
実際はどうであれ、世界を救う為に戦争を起こした、その重罪を、無かったことにしてあげたい。
思い出して欲しいけれど。ヴェント、と傲慢に言い放ち、抱きしめ返して欲しいけれど。
ダメだ。それでは彼を救えない。彼を不幸にしてまで幸せになりたくない。
「ヴェント……?」
「アンタは、全部忘れてる方が、イイ。…良いに、決まってる」
魔術なんて識らないままでいい。
多くの人を傷つけたことなんて、知らないままでいい。
必死に自分と彼に言い聞かせて、ヴェントは彼の背中を摩る。
頭痛で眩み、白黒に点滅する視界で、フィアンマはぼんやりとした表情で、察する。
「やはり、俺様は何か、取り返しのつかない悪いことをしたんだな…?」
今回はここまで。
上条、美琴、フィアンマがスレタイに入っているスレがたっていたら>>1の半年のあれです。
そろそろ終盤戦。
投下。
違う、と。
咄嗟に否定する。
否定の言葉を何度も彼女が繰り返す度、フィアンマはその事実を確信する。
何かを一生懸命我慢する彼女の頭を、撫でた。
「アンタは、悪くない」
「ヴェント、」
「悪いのは科学世界。……それだけ」
アンタは、悪くない。
繰り返す彼女を見つめる。
彼女に涙は似合わないな、とフィアンマは率直に思う。
彼女には泣いて欲しくないと思うのは、以前の自分がそうさせているのか。
自分が何をしたかは知らない。
だけれど、これだけはわかる。
自分は彼女を幸福にしたかった。
恐らく、救ってあげたかったのだと、思う。
「……フィアンマは悪くない」
子供が、宝物を取り上げられまいと必死に隠すような態度だった。
彼女が擁護してくれる度、胸が苦しくなる。
「ヴェント、もういい」
「っ、」
「まだ、全ては思い出せていないが、何となくわかった」
猫を撫でる。
ごろごろと喉を鳴らす猫を見たところで、頭痛は消えた。
「お前が言う通り、なんだろう」
肯定は、口先だけ。
自分が悪人だと知り、内心、フィアンマは愕然としていた。
数日後。
治療と看護の甲斐なく、病に冒されていた猫は死んだ。
最後に看取る役目を務められたことは、幸運だったとフィアンマは思う。
死体を埋める為に土を掘る後ろ姿を、ヴェントは見つめていた。
彼の本質は変わらない。頭の回転の良さも、ああしたわかり辛い思いやりも。
「……ええと」
彼は聖書へ手を伸ばす。
ペラペラ、と捲り、その一ページを丁寧に読み上げる。
死者を送ってやるためには必要な儀式だった。
(そのうち、全部)
思い出してしまうのだろうな、とヴェントは思う。
彼の目を覆い、耳を塞ぎ。
何も言わなかったとしても、いつか思い出してしまうのだろう。
思い出さないにせよ、置かれている情報から感じ取ってしまう。
思い出さない事が彼の幸福に繋がるというのは、自分の思い込みなのかもしれない。
『実力行使で、とは言わないよ。でもまあ、彼の意思次第だろう』
並々ならぬ雰囲気をまとった青年を、思い出す。
彼が何者なのかは詳しく知らない。が、強者の部類だろう。
埋葬を終え。
ヴェントが気がつくといなくなっていたことに気がつき、フィアンマは首を傾げた。
『仕事』なら行ってきます程度は言ってくれるのに。
「……」
追わずに家で大人しく待っていようか。
そう思うも、空を見やれば雲が黒く染まっている。
「…ふむ」
傘立てを見てみた。
持って行っていない。
衝動的に出かけてしまったのだろう。
このままでは濡れてしまうな、とフィアンマは思う。
結果として。
彼は傘を手に、彼女を追いかけることにした。
ヴェントは一人、路地裏を彷徨っていた。
考えすぎた結果、思考がグルグルとして不安で仕方ない。
「おーい」
下卑た男の声が聞こえた。
振り向けば、数人の男が立っている。
「ちょっといい?」
フィアンマが辿りついた時。
ヴェントは数人の男に囲まれ、性的な臭いを帯びるナンパ被害に遭っていた。
彼女の瞳は熱病にでもかかっているかのように澱んでいる。
体調が悪いのか、思考力が欠けているように感じられた。
「……」
自分は非力だ。
筋肉などほとんどないし、特別な力も持っていない。
後者の方は彼自身が気付けていないだけだが、それは余談である。
「おい」
「あん?」
声をかける。
自分の手には傘しかないし、勝てるかどうかは不明だ。
だが、彼女の手を引いて逃げる位は出来るはずだ、と思う。
「退け。その女は俺様のものだ」
「…フィアンマ?」
動揺した声音。
屈強そうな男に囲まれても、フィアンマは怯まなかった。
やることは簡単で、明確だったからだ。
傘の布部分を掴み、持ち手の部分を男達の頭にぶつける。
嫌に硬質な音がして、一人が気絶する。
その状況に激昂した男がおお振りの動きで殴りかかってくるのを、身を低めて避けた。
「ッ、」
もう一本の傘の方は、持ち手を持つ。
刀剣の要領で、鋭く尖った底の部分を男の目に突き刺した。
ぐちゃり、と嫌な感触。フィアンマは目を背けずに男を突き飛ばす。
痛みに悶える身体を踏みつけて乗り越え、ヴェントの手を掴んだ。
「行くぞ」
「な、」
彼女の手を掴んだままに走り出す。
後ろから追いかけてくる気配はなかった。
グロテスクな光景を見た人間は呆然とするかパニックに陥るものだ。
今でも手に残る眼球をえぐった感触に、フィアンマは眉を寄せる。
「何してんの、アンタ」
「お前は俺様のものだ。所有物を穢されるのは腹が立つ」
ほとんど無意識で話している彼の口調に、ヴェントは不覚にも安堵する。
何だか、以前の彼が助けに来てくれたような気がして。
ヒロイン願望などないつもりでいても、彼女も一人の女だった。
どうにか距離を離す。
軽く息切れしながら、フィアンマはヴェントの手を離す。
すぅ、はぁ、と数度深呼吸をして息切れをどうにかしようと努力する。
「貧弱」
「仕方、ない、だろう」
ぜぇ、ぜぇ、と息切れを繰り返す。
げほげほとむせ、深呼吸をすれば、それは収まった。
ぽつり
ぽつり、と。
雨が降り出した。
ヴェントとフィアンマの服を濡らしたその水滴は、徐々にその数を増やしていく。
彼女を濡らさない為に来たのに傘を二本犠牲にした挙句二人揃って濡れるとは間抜け過ぎる、と彼は思った。
ヴェントも同じことを思ったのか、小さく笑って。
それでも仕方ない、諦めて二人でどこかで雨宿りしつつ帰ろうか、と一歩目を踏み出そうとして。
「見つけたぞ、右方のフィアンマ。神を愚弄せし大罪人が」
今回はここまで。
乙。もう終盤戦なのか…もうフィアンマさん記憶とりもどさなくていいんじゃないかな
半年の奴楽しみだわ
シブの>>1の奴、会員じゃないと読めねー奴以外は読んできた。どれも美麗な文でよかったわ(小並み感)ねーちんとかトルティヌスがスレ立てまでいかなかったのが残念すぎる…
>>278
ありがとうございます。
本当はスレやりたかったんですがモチベというかインスピレーションが足りず…
投下。
ヴェントは、素早く振り返った。
そこに立つのは、十数人もの男達。
彼らは各々手に聖書や杖といった武器を持っている。
誘い込まれた。
足りなかった警戒に舌打ちし、ヴェントは状況を理解すべく視線を走らせる。
路地裏のたくさんの箇所に、白いチョークで多くの魔術記号が綴られていた。
簡単なルーンから、複雑な術式を執行するための魔法陣まで。
言うなれば、点火さえすれば大爆発を起こす爆弾のようなものだ。
「…チッ。フィアンマ、今来た道を引き返した表通りに出て逃げろ」
ヴェントの言葉に、フィアンマは戸惑う。
何も覚えていない彼にとって、チョークで記された文字の意味などわからない。
「ヴェント、だがそれでは」
「いいから!!」
怒声に背中を押されるも、フィアンマは彼女を置いていけなかった。置いていきたくなかった。
自分に力がないのだとしても、女一人を残して自分だけ逃げて生き延びるのは嫌だった。
「アンタがここにいる方が足手まといだから行けって言ってんの」
それは半分真実で、半分虚偽だっただろう。
彼女に直接背中を押され、フィアンマは仕方なしに逃げ出す。
「ふむ。あの様子では記憶喪失という情報は嘘ではなかったようだな」
「チームBはヤツを追え」
「させて、たまるかッ」
ヴェントは虚空から大槌を取り出し、振るう。
風の弾丸を受け、男達は僅かに回避して。
「貴様の戦闘方法、対策は既に練ってあるのだよ」
不敵に笑って、路地裏に記された記号の一つに魔力を流す。
四方八方から飛んでくる炎や氷の弾丸。
それらを一振りで壊し、反撃をしようとして。
「あ……」
彼女は、自分の腹部を見た。
槍が貫通していた。
多くの攻撃を払わせる段階で、一人が彼女の背後に回っていたのだ。
『神の子』の処刑を再現する槍を再現した模造品。
偶像崇拝の理論によって、その破壊力は徹底的なものとなる。
びちゃびちゃ、と血液を吐きだし、彼女はその場に座り込んだ。
物理的に毒か何かでも塗ってあったのか、体がうまく動いてくれない。
「我々の狙いは貴様ではない」
言って、男達の残りはフィアンマを追おうとする。
ヴェントは大槌をガムシャラに振るう。
「テメェらの相手は、私だ」
「ふむ」
つまらなそうな相槌。
床から湧き出した茨が、彼女の脚を掴み、握り絞った。
刺が突き刺さり、血液が撒き散らされ、肉を貫かれる痛みに彼女は絶叫する。
「ま、」
待て、と言いたかった。
今の彼には何の力も、罪もない。
なのに、魔術を、強者の武器を向けないでくれ、と言いたかった。
だけれど、声が出てこない。もう、動けない。
痺れ毒の副作用により、彼女の意識は徐々に薄れていった。
走っても走っても、表通りに出られない。
フィアンマは壁に手をつき、息切れしながら困惑していた。
それは人払いの応用による無限迷宮が構築されているから、なのだが、彼は気づかない。
入ってしまうのは容易でも、出ることは酷く難しい。
少なくとも魔術によるハッキングでも仕掛けない限りは、不可能だ。
「っはぁ、は……」
「居たぞ。さて、どう殺してくれようか」
「ッッ、」
フィアンマは振り返り、後ずさる。
手には何もない。素手で勝てるとも思えない。
「第三次世界大戦における戦犯———右方のフィアンマ。
貴様が罪を悔い、この場で死ぬ事が出来れば主は貴様を拾い上げてくださるだろう」
「つ、み? …第三次…世界、大戦?」
「ああ、貴様は記憶喪失だったか。ならば教えてやろう」
男の唇から紡がれる言葉は、どこか遠い国の出来事のように感じられた。
自分が魔術師というもので。
第三次世界大戦を起こした首謀者、戦犯で。
多くの人を殺し、最暗部に所属していた人間で。
彼女は、同じく神の右席に所属していた同僚であったこと。
フィアンマは愕然とする。
いくつかは虚偽だったとしても、いくつかは真実だろう。
「そんな、はずが」
だって、自分は悪い事が嫌いだ。
人が傷つくのが苦手だ。戦争なんてもっての他だと、そう思う。
人の本質は変わらないと聞く。以前の自分だって、きっと同じ考え方だったはずだ。
「嘘だ、」
否定する。
自分がそんなことをする訳がないと。
だが、事実。
事実から目を背けてばかりでは、人は生きていけない。
「楽に殺すというのも癪だ」
「っあ」
ナイフが飛んでくる。
咄嗟に左手で払うも、僅かに手の平が裂けた。
痛みに泣きそうになりながら、力の入らない身体を心理的に鼓舞する。
逃げなければ、と、その場から走り出した。
体力はほとんど尽き果て、逃れられる気はしなかったが、逃げない訳にはいかない。
「誰か、助け」
言いかけて。
自分は戦犯なのだという認識が先に立ち、助けてもらえるはずがないのだと理解する。
逃げ惑っている内に、とうとう元の場所へと戻ってきてしまった。
「かひゅ、」
「………」
そこには、女性が倒れていた。
ぼんやりとした表情で、指先一つ動かす事も出来ずに。
体中から血液を垂れ流し、自分の血だまりの中に身体を沈めている女だった。
前方のヴェント。
元『神の右席』の一人。
そして。
今も昔も、フィアンマが唯一愛情というものを向ける事の出来た女性。
「……ヴェント?」
映画みたいに。
あまりにも現実離れした光景に、フィアンマは首を傾げる。
人一人にこんなに大量の血が詰まっているのか、といっそ感心する程、血だまりは広がっていく。
「諦めろ」
のろのろと、振り返る。
杖を向けた男が、うっすらと笑っている。
それは、悪人を断罪する正義を履行する人間の笑みだった。
フィアンマは彼の表情から、再びヴェントへ視線を移す。
彼女は、何も悪くない。
自分を真実から遠ざけ、守ろうとしてくれただけだ。
本当は、自分の事を思い出して欲しくても。
我慢して、我慢して、無かったことにしてでも。
自分が何も知らず生きていけるよう、生活を支える事を選んだ。
何も悪くないことをしている彼女が傷つけられ、自分はほぼ無傷。
こんなのは、あまりにも理不尽過ぎる。
「……」
フィアンマは、無言で拳を握り締めた。
数度深呼吸をする。
ざりざりと、ノイズのかかった記憶が、何となしに脳を占拠していた。
その中には魔術の『毒』が含まれている。
忌避すべきだとは思っていても、フィアンマはその記憶に手を伸ばした。
彼女の願いを裏切ってでも、彼女を守る術を得る事を選んだ。
「……この程度の力量しか持ち合わせんのなら。
………………………俺様の前に立ち塞がるな」
絶対的な暴力の足跡は、常に血塗られている。
血液と内臓の嫌な臭いがするその場所で、青年は手を動かしていた。
丁寧に陣を綴り、ヴェントの体に触れ、槍が貫通してしまった傷口を癒す。
「フィアン…マ…?」
掠れた声で問いかけ、女が目を覚ました。
手を血に染め、顔を返り血に染め、フィアンマは黙々と回復術式を組んでいた。
「何…で」
「……お前がどう思っていたのかは知らんが。
俺様には罪があった。いつか、思い出すべきだった」
彼の表情は『無』だった。
が、瞳には失望に似た色が転がっていた。
最後の術式を執行し終え、彼はやはり無表情で死体の後始末をする。
ヴェントはふらつきながら立ち上がり、フィアンマに近寄る。
彼は一度記憶喪失になった。故に、自らの記憶をどこか遠く感じる。
それでもわかってしまったことに、失望していた。
どんな理由があったにせよ、世界を救う為に戦争を起こしたことを。
疎むべき過去を思い返し、彼は空を見上げる。
「……フィアンマ」
「何だ」
「全部、思い出したってコトで、合ってる?」
「ああ、そうだな」
「そ」
自分の努力は泡となって消えてしまったのか、とヴェントは儚い笑みを浮かべた。
人魚姫と同じ。自分は、彼の為に何もしてあげることが出来なかった。
「……一応口に出しておくが」
「何」
「ありがとう」
「……」
フィアンマとヴェントは家に戻り、風呂で身を清めた。
会話は以前よりずっとずっと少ない。
元の関係性に戻ったからだ。
「……一つ、教えて欲しいコトがあるんだケド」
「……何だ?」
聞き返し、フィアンマはソファーに座ったままぼんやりとする。
「アンタ、何であんなコトしようと思ったワケ?」
あんなこと。
第三次世界大戦と、世界の救済計画のことだろう。
フィアンマは小さく笑って。
「お前に言うと、お前に罪を被せる事になりそうなのだが」
「いいわよ、それ位」
一緒に罪を背負うのなら、構わないと。
彼女はフィアンマの手を握って、うつむいた。
「…お前の弟を蘇らせようと思った。お前の幸福を、完全な形にしてやりたかった。
お前の笑顔が欲しくて、…幸せになって欲しくて。だが、不完全な奇跡で死者を蘇らせることは出来ない。
だからこそ、世界を救える程の力を手に入れる必要があった。失敗した挙句の体たらくが"これ"だったが」
「フィアンマ……」
「お前を救えなかったと、ずっと思っていた。…その劣等感に似た申し訳なさも理由といえばそうか。
すまなかったな。…迷惑をかけた」
「別に迷惑ならたたき出してる」
「そうか」
「……私は」
「俺様が好きだった、か」
過去形が嫌に気に入らない。
ヴェントは彼の手を握ったまま付け加える。
「今も、だ」
「……そうか」
相槌を打って、フィアンマは彼女の手を握り返す。
「俺様も、ずっとずっと、お前の事が好きだったよ。———今も」
今回はここまで。
次回はちょっとえっち回(予定)です。
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