モバP「雪の日に、特別な」 (15)
※このSSは、多数のウサミン星人の想像を基に書かれたものです
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菜々さんが事務所にいてくれると、とにかく助かってしまう。
彼女は年少から年長まで誰でも接しやすく、場の雰囲気を和ませてくれる上に、気配りもできる人だ。
留守を任せるには安心で、だからであろう、大寒波の押し寄せたこの日に彼女の送迎は一番最後になってしまった。
だがその頃には路面状態が大幅に悪化しており、雪道対策を施してない送迎車を出すことは不可能になっていた。
ウサミン星方面への定期便は運休。
ちひろさんも、今日は既に早上がりで不在。
ゆえに、私は菜々さんと二人きりで夜を明かすことになったのである。
幸いにして、事務所で寝泊まりすること自体は簡単だ。
仮眠室があるため寝床の心配はない。
ドーナツやクッキー、パウンドケーキなど、甘味に偏っていることに目を瞑れば食品も豊富にある。
着替えまでは用意がなかったが、一晩程度ならさほど支障はないだろう――菜々さんは少し気にするかもしれないが。
「法子ちゃんたちには感謝ですけど、せっかくですから何かあったかい物が欲しいですね……あ、ちょっと待っててください」
そう言って菜々さんが向かった先は給湯室。
取り出されたのは、麦茶のティーバッグであった。
菜々さんが持ち込んだもので、夏場は大好評だった品物である。
「お湯出しのタイプですから、冬場に飲んでも大丈夫なんです!」
ぱっちりとウィンクする菜々さんは、実に可愛らしく、そして頼もしい。
飲料の備えは他にもあるのだが、それらの選択肢は一瞬にして消し飛んだ。
同時に、私も一つささやかな秘密を菜々さんに打ち明けたくなった。
菜々さんに麦茶の用意と、余分にお湯を沸かしてもらうことを頼んでしばしの後。
オフィスの一角、普段はアイドルが読書や勉強、あるいはゲームなどに使っているテーブルセットが食卓となっていた。
湯呑み、それからお湯を注いでそろそろ三分経とうかというカップラーメンが、それぞれ二つずつ。
簡素ながらも、今この瞬間においては温かみが何よりのご馳走であろう。
響子やまゆ、それから菜々さん自身にも――つまるところ、日頃から手作り弁当を差し入れてくれるアイドルたちから控えるように言われていたインスタント食品。
隠し持っていたその秘蔵っ子を、解禁したために成立した食事である。
「緊急事態ですし、こういう時くらいは仕方ない……ですよね? 皆にも、内緒にしておきます」
菜々さんからトリート判定のお墨付きも頂いた。
「でも、食べ過ぎはノウッ!ですよ? Pさんも、ちゃんと美味しい物を食べないと、体調崩しちゃいますから!」
しっかりと、釘も刺されたが。
「こういう時のラーメンって、なんだかいつもより美味しく感じますねぇ……」
ほっこり、ほにゃっと蕩けた菜々さんの顔――私はこれをふにゃミンと呼んでいる――を見ることが出来ただけでも、
秘密を明かした甲斐があったと言うものだろう。
心も体も温まる。
この気候の中、事務所に一人きりであれば到底生まれなかったであろう余裕も生まれていた。
ふと窓外に視線をやるが、曇ったガラスから外の様子は見えない。
私の顔の動きを追ったの菜々さんは、立ち上がって窓ガラスへと近づくと、指先でそれを軽く擦った。
「少し、積もるかもしれませんね」
東京、それにウサミン星もで恐らく、大きな積雪は珍しいものだ。
数年後か、あるいはこの先ずっと、ここまで記録的な雪が降ることはないかもしれない。
温かさから出た余裕か、またはこの瞬間に記憶に残る何かを望んだか。
その両方からかもしれない。
私は、菜々さんを屋上での雪見へと誘った。
「寒いし、危ないですよ?」
柔らかな、正しい意見が帰ってきたが、それは拒絶ではなく。
"それでも"なのかという確認のように感じられた。
そして、私の考えは"それでも"だ。
こんな機会はもう二度とないかもしれないのだから。
だから、私はもう一度菜々さんに誘いをかけた。
「仕方ないですねぇ。ちょっとだけですよ?」
そうやって向けられた彼女の笑みが、はにかみと苦笑のどちらだったのか、私には判別がつかなかった。
屋上へと続く階段を登り切ってから、いつもよりも重みを増した扉を押し開くのは、腕力のある私の仕事だった。
扉を開いて最初に感じたのは、冷たい風の吹き込み。
思わず目を細めたところで、後方からは「ひゃ」と、可愛らしい声が聞こえた。
気温の差を強く感じつつ、二人一緒に屋上を覗き込む。
開いた瞳に飛び込んできたのは、白銀の庭だった。
事務所の屋上という限られた、よく知った、しかし今だけは未知の空間。
気付けば、菜々さんが屋上へと踏み出して、真新しい雪の上に小さな足跡を刻んでいた。
数歩を進んで、振り返り、招くように手を差し出す。
「Pさん! 見てください! 雪、もう結構積もってますよ!」
街の明かりと雪明かりに照らされて立つ菜々さんの姿は、ステージに立つアイドルそのものだ。
見惚れるに足る光景で――
「もうっ、Pさんもこっちに来てくださいよ! ナナ一人で味わうには、勿体ないです!」
しかし、戻ってきた菜々さんに手を取られて歩を進める。
今度は、足跡が二人分並んだ。
屋上に、小さな雪うさぎを二羽並ばせ終えたところで、菜々さんがくしゃみをした。
「ふぇっくしょい」と響いた音は、彼女に冷静さを取り戻させるきっかけとなったようだ。
「結局ナナの方がはしゃぎ過ぎちゃって……うう、お恥ずかしい限りです」
しょげた菜々さんに、はっきりと伝える。
菜々さんが楽しいと感じることはこれからも精一杯楽しんで欲しい、と。
「……はいっ! ありがとうございます、Pさん!」
返事をする菜々さんの顔には、輝きが戻っていた。
だが、それを反芻する前に、今度は私がくしゃみをした。
「そろそろ、戻りましょうか。風邪ひいちゃいけませんから」
締まらないものだ、と感じつつ、屋上の扉を開き、ビルの中へと戻る。
特別な舞台での出来事は終わり、後はもう無事に夜を明かすことを考えるだけでいい。
衣服に名残として残っていた雪を、階段の踊場でぱたぱたと払い落としていく。
「あ、Pさん。髪に、雪が残ってますよ」
どうやら、私の見えない場所にも名残はまだ残っていたらしい。
それを指摘した菜々さんは正面から私に向き合うと、躊躇いなくひょこっと手を伸ばしてそれを取り払ってくれた。
その折に、菜々さんの髪にも白いかけらが付着しているのが確認できた。
お返しに、それを私の手で丁寧に払い落とす。
屋上で心弾ませて遊んでいたせいもあったのだろう、あらゆる意味で距離感が狂っていた。
菜々さんの髪にこんな風に触れるなんて初めてだ、と私が実感を得てしまったタイミング。
そこで、見つめ合う形になっていた菜々さんが伏し目がちになった。
「ああ……えっと……これ……そう! 子供の頃! 子供の頃、近所の子と遊んだ後みたいな感じになっちゃいましたね!?」
菜々さんが、リミットオーバーした。
「昔は友達とじゃれあって、おニューの服を汚してお母さんに怒られちゃったりもして! あ、昔って言ってもそんなに昔じゃないですけどね!?」
私も急に恥ずかしさがこみ上げてくる。
心臓だけがはっきりと脈打つのを自覚するが、しかし体は当然冷えていた。
きっと、それは私だけではなかったのだろう。
「早くオフィスに戻って暖まりましょう。ナナ特製の麦茶もまた作っちゃいますね!」
そう言って、足早に階段を降りようとする菜々さんが、つるりと足を滑らせるのが見えた。
世界がスローモーションになる。
彼女に怪我などさせるものかと、とにかく手を伸ばした。
自分がどうなろうと構わないから守らねばと、全身が動いてくれた。
私自身どうしてこんなにも素早く動けたのか分からなかったが、結果的にそれは成功した。
まだ降り始めで、彼我の高さに差がなかったことも良かったのだろう。
自分自身をクッションにして、菜々さんを引き込みながら抱き止めることが出来たようだ。
下敷きになった私は腰をしたたかに打ち付けたが、彼女がそうなるよりは遥かに良い。
「Pさんっ! ごめんなさい、ナナのせいで! 大丈夫ですか、怪我してませんか!?」
状況を理解した菜々さんが、私の上から退いて、慌てつつもしっかりと問いかけてくる。
これだから、この人に留守を任せても安心、などと考えてしまうのだ。
菜々さんは、自分のピンチにおいては容易にパニックになるが、他人が危ない時には間違わない。
問題ないことを伝え、立ち上がる。
打ち身に起因する痛みはあったが、時間経過で治まるものだろう。
それに、謝らなくてはならないのは私の方だ。
私の不用意な誘いが、危うく担当アイドルに怪我をさせていたかもしれないのだ。
それを伝えたところ、謝罪合戦になってしまい、最終的に二人とも気を付けよう、ということで決着を見た。
今度は二人で一歩ずつ、ゆっくりと階段を降りていく。
しかしその最中、菜々さんの方から奇襲的な甘い囁きがもたらされた。
「また誘ってくださいね」と。
ああもう、これだからこの人は。
一体、私をどこまで魅了したら気が済むのだろうか?
東京で雪が降る事はもうないかもしれない。
けれど、間違いなく私はまた、菜々さんを誘うだろう。
雪でなくとも、誘うだろう。
以上で完結となります
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