ハギヨシ「お疲れさまです。咲先生」 (18)

ケータイとインターフォンを何度鳴らしてみても応答がない。

ならばとハギヨシは家主にもらった合鍵を取り出し中へと入るが、

すぐに住居人の姿は見つからなかった。

リビングを抜け、この部屋の主である咲の書斎へと向かう。

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数回ノックしてからドアを開ければ、瞬間強すぎる甘い匂いにくらりとした。

ハギヨシ(全く。本数を減らせと言っているのに……)

ため息を零して顔を上げ、デスクの上のノートパソコンに向かう咲を見つける。

ここまで侵入されているのに全く気が付かない咲に近づいていき、

後ろからふわりと抱きしめた。

咲「あ……、ハギヨシさん?」

振り返り、その人物が顔見知りであることに咲は虚をつかれている。

パソコンと向き合うときにかけているメガネがズレ、大きな瞳が露わになる。

口には黒いフィルターの煙草を咥えており、

今にも灰が落ちそうになっているのをハギヨシが奪い、

吸い殻だらけの灰皿に押し付けた。

ハギヨシ「咲は強盗に入られたら犯人の顔を見ることなく殺されてしまうタイプですね」

その言葉に咲が少しばかりむっとした顔をしたが、

あながち間違っていないと思っているのか反論はない。

ハギヨシ「それはまあ、後でたっぷり説教するとして。咲先生、原稿は当然上がっていますよね?」

冷え切ったハギヨシの笑顔に咲はうっ、と言葉に詰まり肩を揺らす。

咲「い、今見直しを……」

ハギヨシ「ほう、ではその見直しはあとどれほどで終わりますか? 締切りはとうに過ぎているのですが」

ハギヨシ「私が出張にいっているからといって気を抜いて気が付いたら締切り前で」

ハギヨシ「慌てて原稿に取りかかったら遅れてしまって見直しもまだだったなんてことになっている」

ハギヨシ「なんてことはもちろんありませんでしょう?」

咲「い、え、あの、その……」

ハギヨシ「三十分」

咲「は、い?」

ハギヨシ「三十分待ちます。その間に食事を用意しておきますから。何も食べてないんでしょう?」

ハギヨシ「早く終わらせて私との時間も作ってください」

咲「ハギヨシさん……」

咲から手を放す前に栗色の柔らかい髪を撫で、ハギヨシは書斎を後にした。

担当作家であると同時に愛しい恋人の食事を用意するために。

咲の仕事部屋でもある書斎ほどではないにしろ、彼女の部屋は全体的に甘い匂いがする。

ブラックデビル・チョコレート。

咲が吸っている煙草の銘柄だ。

彼女が喫煙者になったのは、作家としての仕事が軌道に乗ってきたときであった。

どうしてこんな強烈に甘い香りのする煙草を選んだのかと聞けば、

フィルターまで甘いんです、とキラキラとした表情で答えになってないことを返された。

始めこそむせ返るような香りに抵抗があったが、

今となってはこの匂いが咲を連想させる匂いになって落ち着ける。

慣れとは恐ろしいものだ。

咲のために用意した食事が出来上がり、テーブルに並べる。

今日のメニューはコンソメスープとレタスをたっぷり使った照り焼きチキンのサンドウィッチだ。

小食の咲にいかに効率よく野菜と肉を食べさせるか、とハギヨシが真剣に考えたものである。

そこに、咲がふらふらとやってきた。

どうやら三十分きっかりで原稿を仕上げたらしい。

ハギヨシ「お疲れ様です、咲先生」

イスに腰掛けたタイミングで、カフェオレの入ったカップを差し出す。

咲「……ありがとうございます」

そう言ってカップを受け取った咲の顔は不満そうである。

ハギヨシ「なにをむくれているんですか?咲先生」

咲「……その呼び方は原稿の遅れた私に対する嫌味ですか?」

ハギヨシ「さあ、どうでしょう。何か不満でも?」

咲「もういいです。いただきます!」

メガネを外すのも忘れているのか、

ムッとした表情のまま咲はサンドウィッチを頬張った。

流石にやりすぎたかとハギヨシは苦笑し、咲の隣へと腰かけ手を伸ばす。

掛けたままのメガネを外してやり、髪を優しく撫でる。

咲はハギヨシにちらりと視線を向けたのち、

今度はうつむいて「ごめんなさい、やつあたりです」と小さく言った。

ハギヨシ「いえ。私も咲に意地悪しすぎました。すみません」

そう囁いて顔を覗き込めば。

その頬が薄紅色に染まる。

そんな咲が可愛くて、堪らず小ぶりの唇にキスを落とした。



久しぶりの恋人とのキスは、やはり甘い香りがした。

ハギヨシが不在なのをいいことに、原稿を後回しにして

ため込んでいた小説を読みまくっていたのが今回の原稿が遅れた原因らしい。

素直に謝った咲にハギヨシは苦笑いし、

今回だけ特別に許してあげますと言った。

ハギヨシ「ただし。今日は私が満足するまで付き合ってもらいますから」

咲「っ……わかりました……」

顔を真っ赤に染めた咲に笑みを浮かべながら、

ハギヨシは咲の太股へと手を滑らせた。

角度を変え、体位を変え、

何度も何度も交わって。

やがて眠りに落ちた。

意識が途切れるとき、ハギヨシの鼻を掠めたのは

チョコレートの香りだった。

咲とハギヨシが付き合い始めたのは、咲が高校2年の時。

友人の衣を通じて出会い、互いに惹かれあって、いつの間にか恋人同士になっていた。

そんな二人が付き合い始めたばかりの頃。

衣からお祝いにとチョコレートをもらったことがある。

それを咲が口に含んでいたのを、ハギヨシが味見といって唇を合わせた。

それが二人のファーストキス。

ハギヨシ「咲の煙草のフレーバーがチョコレートなのは、初めての味が忘れられないから……でしょうか?」

咲「……はい」

恥ずかしそうに頬を染める咲を引き寄せ、ハギヨシは愛する恋人の髪に顔を寄せる。

今でも続く、甘い甘い初恋の香りがした。


カン

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