海未「幽明境が一になる」 (88)

絵里「――え、海未はお姉さんがいるの?」


海未「はい」

海未「あれ……言ってませんでしたっけ……」


海未「歳もかなり離れていて、今ではとっくに結婚してしまって家にはいませんが……」

凛「初めてきいた!!」

花陽「どんな人なんだろう」

真姫「海未を大きくした感じ?」

海未「いえ……」



穂乃果「海未ちゃんとは随分違うよねー?」

穂乃果「なんていうか……チャラいというか……ギャル?」

真姫「どういうこと?」

ことり「確かに……今思い出すと……」

絵里「どんな感じなの?」

ことり「髪の毛も茶色だったり金髪だったりアッシュ系だったり……色々変えてたような気がするんだけど……」

ことり「そうだったよね?」


海未「そう、ですね……」

絵里「今度会ってみたいかも」

海未「もう……いきなり無茶を言わ――」


プルルルルルルル

絵里「だれ?」

海未「あ、私みたいです」

海未(母さんから……?)

海未「失礼します」




海未「もしもし」


海未「――え……?」

海未「う、そ……」プルプル




穂乃果「どうしたのかな?」ヒソヒソ

海未「――嘘だと言ってください!!!!!」






シン…



穂乃果「海未……ちゃん……?」




海未「ほんとう……なんです、か?」

海未「は、い……はい」

海未「そん、な……」


海未「はい……」



海未「……では」



プツ

海未「……」


海未「…………」プルプルプルプル


穂乃果「海未ちゃん……?」


海未「…………」ポ-……


真姫「……どうしたの?」


海未「……」

穂乃果「海未ちゃん……?」

海未「……姉が」




穂乃果「お姉さんが?」









海未「――亡くなりました」



◇――――◇


 棺に入れられた姉は、即死だった、と聞きます。



 理由は単純なもの。交通事故でした。大型トラックのブレーキが故障していたらしいのです。ここ日本における年間の交通事故死というものは約4000件、1億三千万分の4000……それに姉さんは当たってしまったらしい。なんで、なんで、姉さんが。



 ぐちゃぐちゃになってしまった姉さんの死体を見ることは出来ず、顔を拝むことも出来ず、私は最後のお別れも、出来ませんでした。

 火葬場に立ち込める鈍色の煙が姉さんだったのかと思うと、誘われて入った喫茶店でまた会おうと言った姉の笑顔が、私の中でどんどんと色を濃くしていきます。

 やがてどろどろに溶けていく姉さんとの思い出をなんとか固めようと、そのまま残そうとしても最後は塵のようになってしまうのでしょうか? あんなに好きだった人でさえ、そうなってしまうのでしょうか?



 もう会えないという実感もないまま、葬儀からお通夜まで済ませた後のことでした。悲しみというのは、落ち着いてからやってくるものなのですね。

海未「……」

 
 ああ、セミの鳴き声がうるさい。

海未「……姉さん、どうしていってしまったのですか」

海未「どう、して」



 涙は、出ませんでした。

海未「おぇ……ふぅ、ふぅ……」

海未「また……」

 代わりの吐き気が断続的に襲ってくるのです。姉のことを思うと、もう会えないと思うと。

 小さい頃から私の相談に乗ってくれて、きさくに笑うあの人はもういない。



海未「――大好き、でした」



 蝉が鳴き続ける夏の始まりで、私は一つの終わりを体感したのでした。






◇――――◇


「海未」




海未「……」


海未「姉さん……?」




「海未」




海未「姉さん!!!」


「海未……海未に会いたいよ」


海未「え……」

海未「姉さん、私も……また、あなたにっ!!」







「――辛いよ、海未。ねえ助けて……助けて……?」


◇――――◇



海未「はあっ、はあっ……」

海未「はぁ……はぁ……夢」


海未「うぅ……おえぇ……」

海未「気持ち、悪い……」

海未「姉さん……」


 姉さんがこの世を去ってから、一ヶ月が経とうとしていました。八月になり、もう姉さんのことでみんなに何か話す、ということは無くなっています。


 そもそも姉さんの存在をよく知っているのは穂乃果とことりだけですから、他の人からしてみれば対した実感もないことでしょう。


 いつまでもひきずっていては、全ての物事に支障をきたしてしまう。

 私が部屋で泣き崩れていた時母からの叱咤の内容です。


 母はいつだって冷静でした。


 柔らかい物腰を崩さず、私に姉が亡くなったという電話をかけ、葬儀の手続きをし、お通夜も終わらせ、普段の日常となんら変わりない日々を過ごしているように思えたのです。


 それは大人だから? それとも家とは絶縁状態になってしまった姉さんのことなんてどうでもいいということ? そんな母に心底、怒りが湧いて来ました。憎みました。


 そういうところで、私はまだまだ子供なのでしょう。事故のことは仕方が無い、と割り切れるのに、母のその態度は許せませんでした。


 ――そして葬儀からしばらくがたった頃、お母様が自室ですすり泣くのを見て……私はどうしようもなく、なりました。ゆらゆらと揺れるロウソクはまるで母の心を示しているようでした、お母様も……辛かったのでしょう、あそこまで何気無く装っていたのにも、関わらず……。

 私はこの憎しみをどこへ向ければいい? この悲しみはどうすればいい?




 吐き気が酷い。姉さんのことを夢に見るだなんて初めてです。湧き上がってくるような感覚を抑え込みながら、和室に不釣り合いなベッドから身を起こし携帯電話を探ります。


海未「……んっと」

海未「穂乃果から……」


海未「ふふ……」


 幼い頃から太陽のような笑顔で私を支えてくれた彼女、今もその笑顔に助けられています。むしろ、穂乃果がいなかったら、今の私は……。



海未「ありがとうございます……穂乃果」



◇――――◆

一週間後


海未「……私が小さい頃のことですか?」

穂乃果「海未ちゃんが小さい頃のことかぁ」

穂乃果「こんなに石頭じゃなかったんだよ!!」


海未「なんですかそれは!?」


ことり「いつも泣きそうであうあう言ってて可愛かったね」

真姫「へえ?」

海未「ち、違うんです」

ことり「違くないよ」


真姫「ことりと穂乃果の方が先に出会ってるのね」

穂乃果「そうだよ」

穂乃果「海未ちゃんね幼稚園に来るの遅かったから」




凛「いつからそんなになっちゃったの?」

海未「そ、そんなにって……」


海未「私の稽古が始まったのが小学生の後半頃なので……多分そこからでしょうか」

ことり「確かにその辺りから礼儀作法にかなり厳しくなってたような……」

穂乃果「今の海未ちゃんの始まりなんだ……」

海未「小学生になったあたりから色々はじめてはいたんですが、本格的になったのはそのあたりです」

絵里「大変ね、遊ぶ暇なんてなかったんじゃない?」

海未「んー、まあ少しはありましたから」

海未「姉は私より随分と優秀だったと聞きます」

海未「でも――姉が勘当されたので……私は逃げ出すわけには行きませんでした」



にこ「そうなの……」」


海未「長女ということもあって、期待されていたんです。私の頃よりも遥かに厳しくて随分と苦労したようです、それに耐えきれなくて……と姉さんは言っていました」

海未「それこそ絵里が言ったように友達と遊ぶ暇もなく、稽古稽古稽古……と」


希「……それはグレても仕方なさそうやね、よく今日まで」

海未「少しは自分を褒めてもいいかも、しれませんね」

絵里「海未の家……すごいものね」

真姫「ここにいる誰よりもお嬢様よね」

穂乃果「真姫ちゃんだってすごいじゃん?」

真姫「伝統とか、家柄に関していうなら歯が立たないわ」

真姫「ウチのパパがね、是非園田さんの娘さんと話してみたいって言ってたもの」


凛「へーお嬢様だー!」

穂乃果「海未ちゃんのお家すっっごくおっきいんだよ!」

凛「行ってみたーい」

海未「今度来てみますか?」



凛「ほんと?」

海未「お稽古の体験でも――」

凛「それはいやー!」

海未「あら……そうですか」

ことり「海未ちゃんのお姉さん、見た目はギャルみたいだったけど、いい人だったよね」

穂乃果「うんっ、よくだきしめられてた気がする!」

海未「姉さんは穂乃果のことが大好きみたいでしたよ」

穂乃果「そっか……」

海未「……」


希「くす……妹と姉は似るんやねー」

海未「な……///」

絵里「海未ってなんだか妹って気がしないわよね?」

希「海未ちゃんが妹かぁ……」

穂乃果「……は」

希「もっと甘える?」

海未「何を言っているのですか」


穂乃果「私のこと、お姉ちゃんて呼んでみて!?」

海未「な……なぜ」

穂乃果「いいからっ」


海未「わ、私はお姉ちゃんとは言わないのですが……」

穂乃果「じゃあそれで!」

海未「ええ? ……ね、姉さん?」

穂乃果「ほわぁ……」


穂乃果「これからは私のこと姉さんて呼んで?」

海未「嫌ですっ!!」


真姫「こんなこと聞いていいのか、わからないんだけど、海未は生前のお姉さんのこと……好きだったの?」

真姫「――恨んだりとか……」


海未「っ……そうですね」

海未「最初は、恨みましたよ」

海未「なんで私がって、本当なら姉さんが継ぐべきはずだったのに……そのせいで穂乃果と遊べないこともありましたから。でも、姉さんが幸せならそれでいいって思えたので」

海未「家庭を持って幸せそうでした、家とはほぼ絶縁状態だったのですが、私とは月に一回は会ってくれていましたから」



真姫「……お姉さんもきっと、幸せだったでしょうね……」

海未「だも、いいのですが……

真姫「海未の家がそんなことになってるなんて全く思わなかったわ。大変なのね……」


海未「そうでもありませんよ」


絵里「写真とか、ないの?」

海未「ありますよ……えっと」ポチポチ


海未「これで、どうでしょうか」


ことり「プリクラかぁ……ふふ、なんかいいね」

にこ「珍しいわね」

にこ「おお……綺麗、かわいい」

絵里「落ち着いているお姉さんだったのね」

海未「はい、最近は。結婚もしていましたから、流石に」

希「海未ちゃんに似てるね、そう見ると」


海未「そうでしょうか?」

穂乃果「昔はギャルギャルしかったんだけど、遊んでる時に穂乃果のリボン破れた時とか、何度も何度も治してくれたりして……すっごく家庭的なこともしてくれたの!」

海未「姉さんは私と違って要領も良く、なんでも出来ましたから、穂乃果もよくお世話になっていましたね」

穂乃果「あはは……だからこのリボンもお姉さんの思いやりが詰まってます」

穂乃果「穂乃果も、お礼……言いたかったな」


絵里「……」

海未「私が穂乃果と一緒にスクールアイドルを始めるか迷っていた時も……背中を押してくれましたし――絶対やるだろうって確信していたみたいで」




海未「……すみません、しけた空気になってしまって」

絵里「いいのよ、あなただってこの数日だったでしょう? 無理しないでね」

海未「はい……」

海未「あの……前に言っていた私の家に来るという話ですが……近いうちにどうでしょう」


海未「少しは落ち着きましたし……それに、みんなと居た方が明るく過ごせる気がするので」

希「なるほど……迷惑じゃないなら、ええんやない?」



穂乃果「じゃあっ、今度みんなで海未ちゃんちいこーよー!!」


◇――――◇



ことり「海未ちゃん、前みたいに戻ってきたね」

穂乃果「うん」

穂乃果「気丈に振舞ってたみたいだけど、私達にはわかるもんね」

ことり「うん」


穂乃果「ねえねえ今度海未ちゃんの家にみんなでいくの、楽しみだねっ!」

穂乃果「もっと楽しいことしないと!」


ことり「夏休み中にはみんなでお泊りしたいねっ」

穂乃果「あとで話してみようか!」



◇――――◇


海未「私の家に、ですか?」



穂乃果「穂乃果だけ泊まりに行ってもいい?」


海未「穂乃果……」

海未「ごめんなさい、心配かけてしまったかもしれません」

穂乃果「心配したよ」

穂乃果「普段と全然違うんだもん」


穂乃果「穂乃果じゃ、なにもしてあげられないのかなって」

海未「そんなことありませんよ。あなたのおかげて私は普通にしていられるんです。姉がいなくなったことに普通なら、おかしくなっていたかもしれません」

穂乃果「大切な人だったんだね」

海未「はい……」



◇――――◇

「海未」



海未「……また」


「助けて?」


海未「どういう」


「助けて」


「私をここから」



海未「姉さん」


 白いもやがかかった空間。そこに私が良く知っている、人工的に作られた黒い髪をなびかせる姉がいました。

 顔はあの頃のまま、ただ、なにかが違う。現実では、ないということでしょう。これは夢、夢のなかで夢と認識出来る、明晰夢。


 私の中の姉さんを思う心がそれをみさせているのでしょうか。もう戻ってくることない、姉さんの幻想を追いかけているということでしょうか。

 無機質な表情を浮かべる姉さんは助けてとうわ言のように呟きます。私には、なにも出来ないというのに。


「助けて」

海未「姉さん」


「たすけて」



海未「……」



タスケテ



タスケテ


海未「やめてください……」



 何度も、何度も。一体、どうしてこんなことを。


海未「――やめてくださいっ!!!」



「……」


「"また"会いにくるね」



◇――――◇



海未「はあっ、はぁっ…………」


海未「はぁ……いまの、は……」



海未「姉さん……?」


穂乃果「んぅ……ぅみちゃん?」

海未「……ごめんなさい、起こしてしまいましたね」

穂乃果「なんじ?」


海未「2時頃です」

海未「ぅ、ぅ……まず、い」


穂乃果「?」


バッ


 胃の奥から何かがせりあがってくる感覚。吐き気だけではなく、今度は確かなものを感じた私は、すぐに立ち上がってトイレまで走りました。



海未「――おえっ……ぅぅ」ボタボタ

海未「一体、なんなんですか……」



 二日連続で夢に出てくるなんて……。助けてだなんて、無理に決まっているではないですか。あなたはもう――こっちにはいないのですよ……?


海未「ぅ……ひっぐ……」




穂乃果「海未ちゃん……?」

海未「……ごめんなさい」

穂乃果「気持ち悪いの?」

海未「……少し」


海未「心配をかけてしまいましたね。私は大丈夫です」

海未「口の中を洗ってきますから、先に寝ていてください」

穂乃果「うん、わかった!」


 ふりふりと尻尾のような髪の毛を揺らして、穂乃果は角を曲がっていきました。夢……一体……あれはなんだったのでしょうか。

 夜の闇に紛れる蝉の声、物好きな蝉も居たものです。あなたは異端児として、扱われているのでしょうか。これではゆっくりと眠れませんね。



◇――――◇


一週間後


海未「……はあ、はあ」

ことり「海未ちゃん、どうしたの?」


真姫「……すごいクマよ」

海未「なんでもありません……」

絵里「海未、最近変よ」

海未「変じゃありません」

にこ「そーんなにクマつくってー?」

にこ「あ、わかったー怖い夢でも見てるんでしょー」


海未「――うるさい」

にこ「……え?」

海未「いいじゃないですか、別に」

海未「助けなきゃ……助けなきゃ……」

穂乃果「……」

にこ「やっぱりなにかあるでしょ」

海未「……す、すみません、わたし」


にこ「……私達が今日泊りに行っても大丈夫なの?」

海未「え、ええ……」

絵里「無理しなくてもいいのよ?」

海未「みんなが来てくれるのは、嬉しいですから」


海未「……」


◇――――◇


絵里「すごい……」

凛「おっきいー!!」

海未「エアコンもなくてごめんなさい。私の部屋にはあるので」

 みんなが喜んでくれているようで、良かったです。今日はみんなと遊んでから私の家に来たので、きっとみんなも疲れていることでしょう。

 
 ――みんなと一緒なら、眠れるでしょうか?


 クラクラする視界をなんとか固定して、いつものように私の部屋に。いつもと違うところは、安心出来る仲間が一緒ということです。


海未「エアコンをつけるのでちゃんと締めて下さいね」

 部屋に入ってベッドが見えてきました。私の部屋は特になにもないので、みんなも少しだけ手持ち無沙汰なようです。



絵里「これ――綺麗なネックレスね……こんなの持っていたのね」スッ…

海未「ああ……姉さんからの貰い物で」

絵里「そうなの……」

ことり「わあ……綺麗な宝石」

真姫「これ、本物よね?」

海未「そう、みたいですね」


絵里「こんな綺麗なのつけているところ見たことないわよ?」

海未「なんだかもったいないといいますか……」

真姫「どう考えたってつけてあげない方がもったいないでしょ」

海未「それも重々承知の上なのですが」アハハ…

凛「わあ……」キラキラ…

海未「つけてみますか?」

凛「え、いいの」

海未「どうぞ」

凛「で、でも似合うかな……」

絵里「つけてみないとわからないでしょ?」

海未「そうですよ」スッ

凛「……あ、あはは、どうかな……」

海未「似合ってますよ」

真姫「ほんと、こんな綺麗なの持ってて」

海未「そうですね……時々持ち歩くようにします。形見になるわけ、ですからね……」

絵里「そうしてあげると、いいかもね」


海未「――ぁ」フラッ

穂乃果「わ」

 穂乃果の腕に抱かれる感触。あれ、なぜこんなことに? これからお風呂を沸かして、ご飯をみんなで作って、最後に花火をして――。

穂乃果「海未ちゃん!」

絵里「海未!?」


◇――――◇


「海未」



海未「ひっ……」


海未「ね、ねえさん……」


 人間らしい表情で、私のことを見つめる。初めてここで姉さんと会った時のような無機質さは今やどこにもない。にたにたと微笑み口が避けるくらい不気味な笑みを浮かべる。

 ――私はまたここへ来てしまったのですね。


「会いたかったわ」


海未「や、だ……許し、て……」フルフル…


 眼前に迫った姉はまたにこりと微笑み、私の頬にすぅと手を這わせる。

「許してだなんて、なにを言っているの?」

「あなたは私の妹」


海未「は、い」




「……なんで、生きてイ、るの」

海未「え……」


 鬼でした。

海未「ひっ、ぁ……」

 怒髪天を衝く勢いとはこのことでしょう。姉を取り巻く空気が一瞬にして変わり、私の首元に手を伸ばしてきました。避ける間も無く首をとられ、めきめきと締め付ける音に現実感なんていだけません。

 真っ白だった世界はやがて真っ赤に塗りつぶされ、そこはまるで地獄のようでした。そこに映える姉の白い服がひらひらと舞うのが、途切れゆく意識のなかに鮮明に刻みこまれたのです。



海未「あっ……ぐぅ」


「海未……海未」



海未「ねえ、さ………」








「――……アぁぁ゛ナタばかり、ズ、るいワぁ??」



◇――――◇


海未「っっ!!!!!!」



穂乃果「うわっ!?」


海未「はぁっ、はぁっ……」



真姫「……大丈夫?」

絵里「随分うなされていたわよ」

海未「私は……」


穂乃果「部屋に入ったとたんね、倒れちゃったの」

海未「迷惑を、おかけしたみたいですね」

穂乃果「ううんおばさんが全部世話してくれたから」

花陽「ご、ご飯もご馳走になったよ」

海未「そうなのですか……時間は」


真姫「もう十一時よ」

海未「私は四時間も眠っていたのですね……」

海未「みんなで花火をしようと言っていたのに」

希「仕方ないよ、また今度にしよう?」

絵里「そうね、海未がこんな状態じゃあね」

絵里「やっぱり寝てなかったんでしょう?」


海未「っ……」ゾクッ


 絵里の言うことは正しかったのです。ここ数日は眠れない日々というより、意図的に眠らないようにしていたせいで体調その他もろもろが全て悪い方向に向かっていました。

 眠れないわけではありません。


 私は――。


にこ「眠れないなら――」

海未「違うんです」

にこ「?」

海未「毎日眠くなるし、今すぐにでも眠りたいくらいです」

海未「――眠るのが、怖いんです」

穂乃果「……どうしたの?」

海未「姉が……」


海未「――眠ると毎回亡くなった姉が、出てくるんです」

穂乃果「夢ってこと?」

海未「おそらく……」

穂乃果「もしかして、その怖い夢のせいで穂乃果と一緒に寝た時飛び起きたの?」

海未「よく覚えていましたね」

海未「その夢をみるたび、体調が悪くなって……」


絵里「……まだ引きずってるってことじゃないかしら」

海未「怖いんです……姉はもういないはずなのに、確かにどこかにいて、私のことをいつでも見張っている気がしてっ!!」



凛「――う、海未ちゃん、それ……なに?」ガタガタ


海未「え……?」


穂乃果「っ!?」



真姫「これは……」




希「――手の跡……?」

海未「ど、どういうことですか?」


 みんなの視線が私の首元に集まりました、それをみた瞬間、一気に青ざめていくのがわかります。


海未「……」

 鏡に映る私の首元。


海未「なんですか、この……アザ……」

絵里「……手のアザ?」

海未「……」

 もし、かして……。


海未「ひっ……」ガタガタ


海未「姉さん、姉さんです……姉さんが……」

穂乃果「大丈夫!?」

絵里「……」

絵里「どういうこと?」

海未「見たんです、先ほど眠っている時……姉さんが夢に出てきてっ……」

海未「それで……私の首を思い切り締めてっ……ちょうど、この位置でした……」


希「……なにそれ」

海未「――私のせいです」

海未「姉さんは亡くなってしまったのに、私が、こんな……楽しく過ごしているからっ」

海未「姉さんばかりあんなにめにあっているというのに、私ばかり!!」

真姫「とりあえず落ち着いて」


海未「はぁっ……はあっ……」ガタガタガタガタ

穂乃果「海未ちゃん……大丈夫、大丈夫だから」

絵里「希なにか知らない?」

希「わからないよ、霊とかそういうのは……」

絵里「そうよね……」



スゥゥゥ




凛「……?」


花陽「どうしたの?」

凛「いや――この障子空いてたっけ?」



花陽「え?」

凛「急に風が……」


花陽「……」

絵里「ちょ、ちょっと……変なこと言わないでよ」

凛「でも凛、ちゃんと締めたよ? しかもさっきまでこんなふうに風なかったにゃ」


にこ「……や、やだ。ウソでしょ?」

ことり「気のせい、だと思うけど」

海未「……」

穂乃果「な、なんか……」

 アザの部分に手を当ててみる、まるで、姉さんの温もりが、そこにあるようでした。


バツッ

穂乃果「きゃーーーー!!!!」

絵里「いや、いやああああああ!!」ギュッ

ことり「うぇっ」



真姫「――停電ね」


にこ「……全く、停電なんかで驚いてるんじゃないわよ」

海未「ブレーカーを治さないと、ですね」


海未「確か……」



パチッ



海未「あ……」


絵里「つ、ついたの?」ブルブル

ことり「海未ちゃんのお母さんがつけてくれたのかもね」ナデナデ…



海未「――お母様がブレーカーを直したにしては……少し早すぎるような」

真姫「単純にブレーカーじゃなくて一瞬停電しただけじゃないの」



希「そうかもね」

海未「……」



海未「そろそろ良い時間になってきましたか」


海未「では広間に案内しますね」

海未「花火は、また今度にしましょう」

穂乃果「そうだね!」




◇――――◇


海未「……」ムクッ…

海未「眠れません……」

穂乃果「ん……」

海未「あぁ……起こしてしまいましたか」

穂乃果「ううん、へーきだよ」

穂乃果「眠れないの?」

海未「……はい」

穂乃果「……大丈夫?」

海未「すみません……本当に」

穂乃果「海未ちゃん……私がどうこう言えることじゃないかもしれないけど……海未ちゃんは、悪くないよ、海未ちゃんが罪悪感を感じる必要はない、と思う」

海未「……そうかもしれません」

海未「すみません穂乃果、言いにくいことを言わせてしまって」

穂乃果「ううん、そんなことない」

 穂乃果が柔らかく微笑みます。その笑顔を見ると、締め付けられていた心が、少しだけ緩むような……。


ザァアアアアアアアッッッ!!

穂乃果「雨……降ってるね」

海未「東京は夏の雨も多いですからね」

穂乃果「やだなあ、夏くらい晴れてほしいよ」

海未「涼しくなりますよ?」

穂乃果「それでも!」

穂乃果「でもなんかさ海未ちゃん……この部屋ちょっと暑くないかな?」

海未「……確かにそうかもしれません、エアコンはついていますけれど」

 あ、れ?


海未「……」


 エアコンから出る冷気がどこかに吸い寄せられているようでした。


海未「――障子が……空いてますね」

穂乃果「ほんとだ……」

穂乃果「眠る前閉めなかったっけ」

海未「ええ……」

穂乃果「……」

穂乃果「私……トイレ、行きたくなってきちゃった」ブルル…

穂乃果「な、なんかやだから……ついてきて海未ちゃん……」

海未「え、ええ……では行きましょうか」スッ…

海未(みんなよく眠っていますね……)

スタスタ…

穂乃果「あれ……雨が止んでる……」

海未「スコールだったのかもしれませんね」

海未「電気は……と」

カチッカチッ

海未「あれ?」

穂乃果「どうしたの?」

海未「つきません……」

穂乃果「また停電?」

海未「そうみたいです、先ほどまで雷もなっていましたから」

穂乃果「もー、なんか変だよぉ……」

海未「ブレーカーまで行きましょうか……」

穂乃果「まって……あの、漏れちゃう……」

海未「ええ? しかし、停電してるので……トイレに行っても……」

穂乃果「うぅ、そうだよね。我慢します……」

海未「ブレーカーはあっちにあります、行きましょう」

穂乃果「トイレと反対側ー……」

海未「我慢してください」

穂乃果「ふぁい……」

スタスタ…

スタスタ…

穂乃果「電気無いとさ……すっごく廊下が長く感じるよね」

 私の腕に手を回す穂乃果の声は少しだけ震えていました。確かに慣れている私でも、真夜中に電気無しというのは……。


 ひたひた、と、足音だけが響きます。

海未「ありました……あれ?」

 ブレーカーを確認すると。

海未「落ちて、ません……」

穂乃果「ええ? じゃこの停電は?」

海未「この辺り一帯が落ちているのかもしれません」

穂乃果「じゃあ電気は……」

海未「しばらくつかないでしょう」

穂乃果「えー……」


ギシッ…ギシッ


穂乃果「え……?」

海未「足音?」

海未「お母様でしょうか」

穂乃果「……」

ギシッ…ギシッ

海未「行きましょう穂乃果」

穂乃果「う、うん」ギュッ

海未「お母様?」

シン…

穂乃果「返事、ないよ?」

海未「……みんなの誰かでしょうか」

ギシィ…ギシィ…

 歩みを進める度、まるで私たちの足音と共鳴するようにその足音は角から聞こえてきます。

 角を曲がったらすぐに広間なので、みんなのうちのだれかかも、しれません。

海未「驚かそうとしてるならやめてください」

ギシィ…ギシィ…

穂乃果「う、海未ちゃん……」

海未「……」


ギシギシッ!!!!!ガタッッッ!!!!


穂乃果「ひゃぁっ!!!!」ギュッ

海未「っ……」

 な、なんですか!?

 いきなり鋭い足音と、なにかが崩れる音……。

シ-ン…

海未「ごく……」

穂乃果「や、やだ海未ちゃん……なんか変だよ……」

スタスタ…

海未「だれか、いるのですか」

海未「……ふざけるのはやめてください」

穂乃果「……ぅ」ブルブル…


海未「っ――」バッッ


シン…


海未「――なにも、いませんね」

穂乃果「なんだ……。足音も聞こえなくなっちゃった……」

海未「足音は、確かに聞こえました。離れていったとしても、離れていく足音が聞こえるはずです」

穂乃果「…………」


穂乃果「き、きっときのせいだよ、早く戻ろ……?」

海未「ええ……」

穂乃果「うぅ、もれ、そ」

海未「情けないことを言わないでください」

海未「ほら着きましたよ」

穂乃果「電気つかないから…扉開けてする……すぐそこに居て!」

海未「わ、わかりました……」

モゾモゾ

ジャ-…


穂乃果「ほあ……」

海未「……」


スタ…スタ…


海未「!?」

海未「……」

ギシィ……キィィ……


海未(角から……一体なんの音)

 先ほどまで叩きつけるように振り注いでいた雨は、示し合わせるかのように、止まっていました。

海未「ごく……」

穂乃果「すっきりしたー……海未ちゃん?」

海未「いえ……早くもどりましょう」


穂乃果「うん」


ギシィ……


穂乃果「ひ……また」

海未「だ、だれですか!」

ギシ……ヒタ.ヒタ…


穂乃果「や、やだ…………」

海未「私の後ろに隠れてください……」

穂乃果「っ……」ギュッ

海未(近い……くるっ)ドキドキッ…


真姫「――きゃっ」


海未「え……」

穂乃果「真姫ちゃん? なんだあ……」

真姫「……なんなのよ一体、用はなに?」

海未「え?」

真姫「え、じゃないわよ全く……。こっちは気持ちよく眠ってたっていうのに」

真姫「呼び出したんだからそれなりの用なんでしょうね」

海未「い、いえ真姫……なにを言っているのですか?」

真姫「はあ? あなたが呼んだんじゃない……私のことを起こして、こっちって」

海未「……え?」

穂乃果「海未ちゃん……ずっと私と居たよ?」

真姫「な、なに? 変なこと言うのやめてよ……こっちに来てくださいって言って、先に行っちゃったんじゃない……」

海未「……」

穂乃果「……」



真姫「ねぼけてた、のかしら」

海未「おそ、らく」

海未「戻りましょうか……」

真姫「……ええ」


スタスタ

真姫(なんだったのかしら……)


「――きゃぁあああああああ!!!!!」


海未「!?」

真姫「な、なに!?」

穂乃果「あっちの方だよ!」

タッタッタッッ

海未「どこに……ここ?」

穂乃果「多分」

海未「この部屋は……」

 姉さんの、仏壇がある部屋……。
 こんなところに……?

海未「ごく……」ガラッ…

海未「!!」

絵里「――っ……ぅ、ぁ」ガタガタガタ…

穂乃果「絵里ちゃん!?」

絵里「ぁ……ぅっ……」

真姫「あなた……こんなところでなにやってるのよ」

 穂乃果と真姫が声をかけるも、絵里は両腕で身体を抱いたまま、小刻みに全身を震わせて居ました。

 照明をつけると、白を通り越して青くなっている肌が照らされます。

 眼球がキョロキョロと忙しなく動き回り、焦点がぐちゃぐちゃになっている様子。私たちの呼びかけにはまるで答えられる状態では、ありませんでした。

海未「絵里、絵里……一体どうしたのですか?」

絵里「あ、や……やっ……ぁっ」

穂乃果「絵里、ちゃん?」

真姫「しっかりして、なにがあったの?」

絵里「てが、手が……あ、れ……」

穂乃果「手……? ――ひっっ」

真姫「なに、これ……」

 絵里の腕に、アザが出来ていました。大きな手に鷲掴みにされたような、そのままの、手形のような……赤黒いアザでした。

 それは私の首にあったものと酷似しているようにも、思えます。

絵里「な、なにこれ……っ」

穂乃果「あざ……これ、海未ちゃんのと……」

真姫「……」

絵里「みんな……あれ、わたし」

海未「なにがあったか、話せますか?」

絵里「え、ええ……」ハァハァ…

絵里「わたし、何かに呼ばれて……っ」

海未「呼ばれる?」

絵里「そう……肩を叩かれて……私の名前を呼ばれて……それで気がついたらここにいて……」

絵里「何があったか全然覚えてなくって、暗いの、怖いしすぐ戻ろうとしたんだけどっ……そうしたら、腕をいきなり何かに、掴まれてっ! 逃げようとしても、全然離れなくて……」

穂乃果「一体、どういう、こと」

海未「わかりません……真姫が呼ばれたというのも、何か関係が?」

真姫「……ごく」

絵里「……怖い、いや……」ガタガタ…

海未「とりあえず、みんなの部屋に戻りましょう……」

◇――――◇

海未「みんなよく眠っていますね……」

真姫「……あんなおっきな悲鳴があったのに」

海未「……」

絵里「……」

穂乃果「なんか、変だよ……」

海未「とりあえず、もう眠りましょう……みんなを起こすのも悪いですから」

穂乃果「そう、だね……」

海未「……」

真姫「絵里、あなた怖いんでしょ。一緒の布団で寝てもいいわよ」

絵里「ほ、ほんと?」

真姫「ま、まあね」

絵里「うぅ、ありがとう……」

真姫「それにしても……明日色々話した方がいいかも」

海未「そう、ですね……」

穂乃果「……」ギュッ…

海未「……」


◇――――◇

チュンチュン

穂乃果「ん……」

海未「眠れましたか?」

穂乃果「うん、一応」

真姫「あなたは?」

絵里「全然……」

真姫「まあ、そうよね……」

絵里「……夢じゃないのね」

真姫「ひどいアザ……」

絵里「……」ゾク…

海未「……」

海未「ほら、ことり、起きてください」ユサユサ

穂乃果「凛ちゃーん!」

ことり「ん……ぅ……」ムク…

凛「んー!! ……」

真姫「おはよう」

凛「んー……おはよー」

海未「よく眠っていましたね」

凛「うん……でもなんか……」


凛「――へんな夢を見てたから、あんまり眠った気がしなくて」


真姫「……変な夢?」

ことり「ことりも……」ゴシゴシ…


凛「あのね、なんか――」


絵里「っっっ――……ぅ……」ビクッッ
……

真姫「絵里?」

絵里「ぁ、ぅ……り、りん……くび、後ろの、く、び……」ガタガタ…

凛「え……」

穂乃果「ぁ……」



真姫「っっ……。――手の、アザ」



ことり「ひ……」

凛「え、え……?」

海未「ご、く……」

穂乃果「か、鏡、ほら……」


凛「――っっっ、な、なにこれっ!!」



凛「そういえば……ゆ、ゆめで……なにかに、追いかけられて、首を、掴まれたにゃ……も、もしかしてそれが」

ことり「っ……」


絵里「っ……わたし、と同じ」

ことり「絵里ちゃん、も?」

絵里「ほら」ガタガタ…

ことり「っぅ……」

穂乃果「なに、なんなのっっ!!」

ことり「……」ダラダラ…

海未「ことり?」

ことり「ハッ……ハッ……」

海未「ことり、どうしたんですか。落ち着いて」

ことり「や、やだ……」

真姫「ことり?」

ことり「や、だ、やだやだやだっ!!!」

海未「ことり!! ……どうしたんですか」

ことり「――ことりも、似たような、夢……見た」

真姫「え……」

ことり「何かに、呼ばれて……それで」

穂乃果「でも、アザないよ?」

ことり「っっ……掴まれたの、太もも、だから……」

穂乃果「ごく……」

ことり「あはは、脱いでみるね」

ことり「……」ドキドキ…スル

スル……ファサ…

海未「っ……」



ことり「ぅ……ぉえ……なに、これぇ……」




海未「手のアザ、ですが……ひきずったような、指が細く間延びしたような……ぅ」

穂乃果「きもち、わるい……なに、これ」

ことり「……」ガタガタ


海未「……他のみんなも起こしましょう……」


◇――――◇


海未「――つまり、みんな同時におかしな夢を見た、と」


海未「その中でも、呼ぶ声についていった人や、何かから追われて捕まった人……文字通り手に掴まれた感覚がある人が、その箇所にそのまま手形として残っている……」


にこ「……お、おかしいわよこんなのっ」

海未「……」

花陽「ど、どうして」

真姫「……わからない」

真姫「ただ、なんか色々……まずそうってことは分かる」

希「海未ちゃん、夢でお姉さんに会ったって言ってたよね? それで海未ちゃんは喉元にアザが出来た」

海未「……ね、姉さんがみんなを祟ったとでも言うのですか……」

希「っ、ごめん……」

穂乃果「何かの偶然てこと、ないかな」

真姫「偶然にしてはおかしすぎ」

絵里「……」ガタガタ…

真姫「そうだ、絵里だけおかしいわよ……」

花陽「?」

穂乃果「昨日停電してて怖かったから海未ちゃんにトイレに着いて来てもらったんだけど……そこで悲鳴が聞こえて……」


穂乃果「絵里ちゃんが一人でお姉さんの仏壇の部屋に……」

にこ「暗いところ怖いんじゃないの?」

絵里「こ、怖いわよっ、でも気がついたらそこにいて! 全然意識とかなくって!」

絵里「逃げようとしたら、腕を掴まれて……」サ-…

希「えりち……」ポンポン

海未「……少し落ち着かせてあげましょう。ほとんど眠れていないようですから」

希「その方がいいね」

絵里「うぅ……」

希「じゃあ一旦みんな家に帰って、また学校で練習!」

穂乃果「うんっ」


◇――――◇

二日後

絵里「……」

真姫「絵里、何か変よ?」

絵里「ごめんなさい、眠れなくて……」

海未「またですか?」

絵里「……え、ええ」

絵里「――変な夢を見るの……何かが来て、何かが呼んで……わたし、行きたくないのに、そっちへ、どんどん近づいてるっ……っ」

絵里「あれはなんなのよっ!!」

絵里「わたしどうなってるのっ!!!」

海未「落ち着いて……」

穂乃果「……ねえ、思ったんだけど、さ」

海未「はい……」

穂乃果「――絵里ちゃんのアザ……なんか、大きく、なって、ない?」

絵里「!?」

真姫「確か……ただの、手のアザだったわよね」

海未「アザが……肩の方まで、伸びて……」

絵里「ひっ……」

希「えりち、服、脱いでみて」

絵里「や、やだ……」フルフル

希「えりち」

絵里「いや、いや……」

真姫「……海未、抑えて」

海未「……すみません」ガシッ

絵里「や、いやっ」スルルッッ

ファサ……

穂乃果「っっ……ぅ、肩から胸の方まで……」

海未「明らかに大きくなってます……濃さは薄くなっているようですが、一体これは……」


真姫「――なんか、生きてる、みたい……」


絵里「……ごく、へ、へんなこと言わないでよ」

穂乃果「ことりちゃんと凛ちゃんも調子悪そうだったよ……」


希「コレ……本格的に、なにかに憑かれたとか、かも……」

海未「……」


◇――――◇

三日後 夜


海未「……失礼します」

亜里沙「ここのところずっとそうなんです……全然眠れてないみたいで、フラフラしてて……」

海未(絵里もみんなも、あの日以来……時々へんな夢を見るようになったと、言います)

海未(絵里はとうとう練習にも参加しなくなって……連絡もつかなくなりました)

海未(……一応返事には答えるとのことでしたが……)

海未「鍵はかかっているのですか?」

亜里沙「いえ」

海未「開けても?」

亜里沙「……大丈夫、です」

亜里沙「あの、今日はお姉ちゃんのそばに居てあげてください……」

海未「ええ……ゆっくり眠って欲しいですから」

海未「……絵里、入りますよ」

カチャ…

海未「絵里……」

絵里「ぁ……ぅ……ぃ……は」

海未「絵里、海未ですよ……」

絵里「海未……海未……」

海未「今日は泊まらせて貰おうかと思って居ます……そばで眠らせて貰ってもいいですか?」

絵里「……う、ん」ガタガタ…

海未「……」

亜里沙「ここ三日くらい……毎日夜になるとこうなんです……」

海未「そうですか……」

海未「絵里、夢の調子はどうですか?」

絵里「くるの……毎日、毎日……寝るたびに黒いのが、私の手を握って、こっち、こっちってっっ!!!!」

絵里「あはっ……ひ、ぃ……」

亜里沙「……」


海未「絵里……もう眠りましょう? 私がそばにいますから……」ナデナデ…


絵里「……う、ん」

海未「そういうことなので、亜里沙……」

亜里沙「お願いします……っ」


◇――――◇

 あの夜と同じ、土砂降りでした。

 横殴りに大粒の雫が、窓を叩きつけます。まるでこの世ならざる場所から、私たちを呼んでいるかのように。

 カーテンの隙間から雷光が差し込みました。陶器に例えるのは無粋と思えるくらい、白く透き通った肌。

 先ほどまで私に抱きつきながらうめき声を上げていた絵里は、今では静かな寝息を立てています。何かあっても良いように、今夜は眠らないつもりでいましたが……少しくらいなら大丈夫かもしれません。


 しかし。そう思った矢先でした。

絵里「……」ムク…スタスタ

海未(……トイレ、でしょうか)

 きぃ……と、小さな音を立てて扉を開けて部屋の外へ。

 何事もないとは思いつつ、見届けるため私もつられて鉄製のノブを回します。

 ばしゃばしゃ、ばしゃばしゃ。

 打ち付ける雨。

 ひた……ひた。

 絵里の足音が奇妙な程に響き渡っている。

海未(トイレではない……お水でしょうか)

 絵里の背中は、リビングを目指しているようでした。

……ひた、ひた。

 リビングに到着。

 ぴた。

 絵里は緩やかにでも確かに進めていた歩を止めました。

 私が後ろ手にリビングの扉を閉める音。しかし絵里は振り返りません。聞こえないはずない。いえ、絵里の状態ならば正常な判断は出来ないのかもしれません。

海未「絵里」

絵里「……」

 微動だにしない背。

 がしゃんっ!!

 ……外で割れるような音が聞こえました。

 雷が近くで、落ちたみたいですね。

 
海未「……電気、つけますね」

 なにかが、おかしい。

 次第に心に膨れていく不安。なにに対する不安かもわからないまま、それを拭い去るために、正面に手を――。


絵里「ッひっ……っかッぁ」


海未「え……」

 ――この世ならざる声が、聞こえた気がしました。

 声にならない呻きを発する絵里。両腕で頭をぐしゃぐしゃにかきむしり、ぶちぶちといった小さい音が、微かに聞こえました。

 床には一瞬雷光に照らされたブロンドの髪の毛。


 ――雨は、不自然なまでに止んでいた。


 ぶちぶちとその手で髪の毛を引きちぎりながら、絵里は頭をぐわんぐわんと動かしました。

海未「絵里!!」

 異常だ。

 絵里の手を掴んで、振り返らせる。


海未「――ひ……っ」


 もうそれは、絵里ではありませんでした。

 闇夜に煌めく鮮やかなブロンドの髪の毛、白磁のようなきめ細かい白い肌、高い鼻、長い睫毛、小さな唇。

 誰しもが羨む美貌を持った彼女。

絵里「ギ……が、っ……ぃ」


 しかし、その青かったはずの目は、白目になりかわり、微かに上に見えている青い瞳はギョロギョロと何かを探してのたうちまわっています。

 低く地鳴りのような声、ギョロギョロと泳ぐ白目、誰が見ても異常な光景が目の前で起こっていました。

 絵里の腕を掴んだ私の左腕を、万力の力で持って掴みかえす絵里。


絵里「っぅ……ぐっぁ、ひっィっ」

海未「っぅ……」


 逃げようと、重心を後ろにやっても、まるで動かない。

 冷静な判断はとうに出来なくなり、息を吸うのが苦しい。背中を伝う汗はどんどんと量を増していく。

海未「え、り」


海未「はっ……はっっっ」

 後ろに倒れこむ。それでもなお、絵里の腕は離れない。私を追うように前かがみに倒れこみ、目と鼻の先に、異形の白眼。

 声がでない。


絵里「……ぁ」

 もうだめだ。と、何がだめなのか殺されるのか何かされるのか、それすらもわからずに半ば諦めかけていた私の胸に……絵里が倒れこみました。

海未「……っ」


 万力だった腕は解けている。


 一瞬静まり返った空間に、途端に雨が降ってきたのか打ち付ける音が響いてきます。


バッ…

海未「でんき、でんき……」パチッ

海未「……ごく……」

 照明を点けて、絵里の姿を視界に捉えると……。そこには口から泡を吹きながら四肢を痙攣させている絵里の姿がありました。

海未「絵里!!!」


亜里沙「――ど、どうかしましたか!?」

海未「き、救急車です!! 亜里沙!」


亜里沙「え、おねえちゃ……ひっ……」


◇――――◇


次の日

海未「命に別状はない、と……それだけでした」

海未「脳もどこもかしこも健康だと言うのに、なぜか意識が戻らないと」

穂乃果「……」

希「えりち……」

にこ「なによ……一体どういうことなの!?」

にこ「絵里に……凛、こんな、こんな1日のうちにおかしくなるなんてどうかしてるわよっ!!!」

海未「……」


 そう、絵里だけではありませんでした。

 昨日は花陽が凛の家に泊まりに行ったとのことでしたが、私が経験したように凛も意識を失ったらしいのです。

海未「真姫と花陽が凛の病院へ行っています、私達もあとでいきましょう」
 
にこ「一体何がおきたの!?」


海未「――わかりませんっ!!!」


海未「……でも、亜里沙から聞きました。腕のアザは……胸、心臓の方まで広がっていたと」

にこ「なによ、それ……」

海未「一体なんだというのですか!! こんな、こんな!!」


海未「おかしいですよ!! なんで絵里が、なんであんなアザが!! なんで、なんでなんでなんでっ!!!」

穂乃果「海未ちゃんっ!!!」

海未「っ……」

穂乃果「落ち着こ……」

海未「すみ、ません……」


希「……あのさ、えりちがおかしくなってから色々聞いてみたり、調べてみたりしたんだけれど……心霊とか祟りとかそういう類に強いお寺があるんだって……みんなで行ってみない?」


にこ「……行かないより随分ましだと思う」

海未「そうですね……明日にでも行ってみましょう」


◇――――◇


病院


真姫「凛……どうして」


花陽「凛ちゃん……ぐす」

真姫「……ねえ、花陽」

真姫「凛は、何か言ってなかった?」

花陽「なにかって」

真姫「なんでもいいの、なんでもいいから……凛がこうなってしまった理由、私達が巻き込まれていることなんでもいいから解決しなくちゃいけないの!」

花陽「ぅ、でも」

真姫「口にするのが怖いのはわかる、でも……お願い」

花陽「……」



 えっと……その日はいつもみたいに凛ちゃんが私の家に来ていたの。練習終わりだからっていうことで、凛ちゃんは家でご飯を食べて着替えて来ていたの。


 その時まではね、本当にいつもと何も変わらない笑顔だった。絵里ちゃんほどではないにしろ、首筋のこととか怖がっていたはずなのに。


 思えば、それが最後の輝きだったのかも? なんて。ご、ごめん……わかってる、最後ってそういう意味じゃなくって。うん……うん。でもそうとしか思えなくて。元気になってくれたのかなって思ったけど。


 そう、それでね……泊まりに来るのは本当にいつものことなの。そこで眠る時にどんな感じなのかな? って聞こうとしたんだけれど。いざその時、テレビを二人で見ていて何気なく笑って、そろそろ遅い時間だから眠ろうかって電気を消した時。


 雷が鳴ったの。すぐ後に、すごい雨だねって、窓を叩くような音が部屋の中に響いてて。眠れるか不安だったんだよね、でも凛ちゃんとなら平気かなってそっちを、見たら。


 ――首筋を凛ちゃんが掻いていたの。

 かゆそうに。

 なんども、なんども。

 あつそうに、なんども、なんども。

 つよく、いたいたしく、なんども、なんども、なんども、爪を突き立て引き裂くみたいに。


 そう、うん、異常だった。

 掻いてるんじゃなくて、まるで――自分の首筋のアザを取り除こうとしているみたいに。

 血が出ていたの。


 ぽたり、ぽたり。凛ちゃんの細い指から腕にかけて、何度も強く掻きむしったせいで。

 そう、ここだよ……痛そうでしょ? これが傷の原因。

 なんで止めなかったのって……止めようとしたよ。でも、凛ちゃん――無表情なの。

 強く激しくなっていく搔きむしりと対照するみたいに目はどこか違う方を向いて、この世じゃないどこかを向いているみたいで……っていうのはイメージなんだけど。思えば窓の方だったかな……雨がうるさかった外の方。私もつられてそっちを見てみるとね、さっきまでの雨が嘘みたいに――不自然なほど静まり返っていて。
 


 その時なの……。うん、うん……へいき、はな、せるよ。だから真姫ちゃん、きいて、ね?


 り、凛ちゃんが、喉のあたりを搔きむしり始めたの。悲鳴をあげて、さっきの雨にも負けないような金切り声が部屋だけじゃなくていろんなところに響いているみたいで! 私までぐわんぐわん脳みそがゆさぶれるみたいな感覚になって。苦し紛れに、止めなきゃって思って……凛ちゃんの手止めようとしたけど。わたし、何もできなくて。

 凛ちゃんは、両手でがりがり、がりがり、血が滴りながら皮がむけ落ちて、それでも続けて。

 凛ちゃんね、言ってたんだ。

 あつい、あついって。目をぎょろぎょろ回して唾液が口の端から吹き出て、ひっ、ひっぃって。


 ――たすけて、たすけてって。

 悲鳴の中に、確かにそう聞こえたの。

 ……悲鳴が聞こえなくなると、ぼんやりしていた頭も覚醒してきて……倒れている凛ちゃんがいたの。肩を揺すって胸を叩いて、顔をさすって、なんとか反応がないか試していたのに何も反応はない。

 息はある、それだけわかって救急車を呼ぼうとしたの、でもね――



「――がよ、ち………ァ゛ぁ……」

 ぅ……そんなことを言いながら、突然起き上がった凛ちゃんに、私は壁際に押し付けられて首を絞められて、何がなんだかわからなくてがたがた震えちゃって。白目を向いて、がしがし掻きむしった手が私の首筋を掴んでひんやり冷たかったの。


 どうなるのかな……なんて考えている暇も無くて……気がついたら首筋の手は離れていて……今度こそ凛ちゃんは倒れこんでいたの。

 しんと静まり返っていた部屋が、雨の音で満たされてなんとなく安心したような気もする。

 それでね……救急車を呼んで、来るまでの間にお母さんや近所の人に聞いてみても誰一人凛ちゃんの声を聞いた人はいなくて。今まで聞いたことのないような禍々しい叫び声だったの。聞こえないはずないの!! あれはなんだったのっ、一体あれはっ……。

 大丈夫、落ち着いてるから……はぁ、はぁ。


 うん、凛ちゃんなんでそうなったのかわからないでしょ? でもね、一つわかることがあるんだ。凛ちゃんのアザが、一気に胸のところまで伸びてた。

 ベッドに入る前は首すじのところに薄くあっただけなの。でもほら、みて……凛ちゃんの……。

 でしょ? 


 あの瞬間、アザが伸びてたのかもしれない。凛ちゃんの命を狙って、何かが凛ちゃんを脅かそうとしていて。


 うん……しかもね、あのね……。






 私にもアザが出来たの。





真姫「え……!?」

花陽「気がつかなかったでしょ? 真姫ちゃんもみんなも私に意識向けてる暇なんて無かったと思うから。ほら……首のところ……うっっっすらだけど……」


真姫「ほん、とだ」


花陽「これ――凛ちゃんに絞められた時の跡だと、思うの」


真姫「……ごく」

真姫「ち、ちょっと待って……一旦休憩にしましょう? 飲み物でも買ってくる。みんなももう少しで来るだろうし」


花陽「うん……」


ガチャ……


花陽「はぁ……りんちゃん……なんで、なんで」




ポツポツ…


花陽「……?」


ザ---

花陽「あ、め……スコール……?」


◇――――◇


真姫「凛が絵里がどうしてああなったか……」

真姫「……アザがあったからというのは間違いない」

真姫「他にもなにか……」

真姫「花陽も疲れていたみたいだし、甘いものの方がいいかしら」

ポチッボトン

真姫「みんなはまだ?」ポチポチ…

ザ----ッッッ………

真姫「雨……最近多いわね……」


スタスタ……


真姫「全く……傘持ってきてないんだけど」

真姫「はぁ」

スタスタ

真姫「……」ガラ

バタッ

真姫「え」


花陽「」


真姫「――ひ…………は、はなよ?」

真姫「は……花陽、なんで……気絶してるの、ねえ、起き――」ユサユサ…

花陽「ア゛ぁ……っィ」ガシッ

真姫「ひぃっっっ」

花陽「」

真姫「は……は……なに、いまの」

真姫(白目で、あんなに)

真姫「はぁっ、はぁっ……」

海未「――真姫?」

真姫「ぁ、みん、な……」

穂乃果「花陽ちゃん!?!?」

真姫「先生、先生呼んで……」ガクガク…

海未「わ、わかりました!! 穂乃果お願いします!」

海未「一体どうしたというのですかっ!!」

真姫「わからないわよっ! とにかく、息はあるっ!」

にこ「よかった……」

希「っ……それ、花陽ちゃんの喉のあた、り……」

真姫「ひ……」

海未「ごく……」


海未「――なんですか、この、ドス黒いアザ……それに、掻きむしったような……」

にこ「また、アレだって、いうの!?」

にこ「花陽はアザなんてなかったじゃない!!」

にこ「どういうことなの!?」

海未「姉さんだ……また、また姉さんの祟りが……!!!」


穂乃果「先生呼んできたよ!!! どいてどいてっっ!!!」


◇――――◇

ザ---ッッッザ---ッッッッ


花陽「ご、く……」


バチッッ


花陽「へ、停電!?!?」

花陽「な、ななななんで!? でもでも病院での停電はすぐに予備電源が……」

花陽「……」


花陽「……」ドキドキ…



シ----ン…………

花陽「……ご、く」

花陽「あ、め……やんだ?」

花陽「こんな、一瞬で?」


ドクドク


花陽「な、に……首筋、あつ、い?」

花陽「あつい、あつい……あついっ」


花陽「はっ、はっ……なにこれ、なにこれ!?」

花陽「かがみ、かがみっ……」


ガシッッッ!!!!


花陽「ひっっっ」

花陽「あっ……ぁぁ……なにこれっ、手が手がっっ!!!」

 首筋の急激な暑さを確かめようとカバンに手を突っ込んだ時でした、それを阻むようにして地面から――手が生えてきていた。


 真っ黒で、ゆらゆらと、人の手でした。


 掴まれた個所は万力に掴み潰されたように感じ、また、灼熱の釜に入れられているようにも感じられた。

花陽「あ、つ……ぁっ゛゛゛」

花陽「やめて、ゆるじて、ゆるじてぇ」


 願いが通じたのかどうか、ふっとその手が離れた瞬間に私は震える四肢に力を込めて、扉の方へ。

 停電は復旧しない。

 静かすぎる。

 おかしい、おかしい。

 私はいまどこにいるの?

 ここは、現実、それとも?



 吹き出す汗をぬぐって、がちゃがちゃと扉に手をかける。

 引き戸、鍵なんか誰もかけてないんだから開かないはずがないの。でも。


花陽「あかないっ、あかないっ、なんで!?」

花陽「あいて、あいてよっ!!!!!」ガチャガチャッッッ


凛「――かよちん」


花陽「え」

 聞き慣れた声、パニックに陥りかけた私を救ってくれるかのような優しく甘い声。

花陽「凛ちゃん?」

 ベッドに眠っていた凛ちゃんは、その場にゆらりと起き上がっていて……ゆっくりとベッドから足を踏み出す。

 俯いていて、前髪がだらりと落ちていて表情は見えない。

凛「かよちんと、りん、ずっといっしょだよね」

花陽「う、ん」

花陽「目が覚めたの? 痛いところは!? くびとか」

凛「だから凛を無視して逃げようだなんて、おもったりしないよね」

花陽「え、あ」

凛「ちがうの」

花陽「そ、そうじゃなくてさっきのは」

凛「ちがうんだ」


 距離は一歩のところまで迫っていた。気がつけば扉に追い詰められるような形になっていて。

花陽「ど、どうし」

凛「チぃ゛がヴん゛だぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!!!」ガシッッッ


花陽「ひぃぃっっ」


花陽「あっ、がっ……」

凛「ぎ、ぎぎぎィ……っっ」


 それはもう凛ちゃんじゃありませんでした。

 目全部が黒く染まり、肌も焼け焦げたように黒く爛れ落ち、私の首を締め付ける。

 ばりんっっと、窓が割れました。

 そこから這うように、うねうねと大量の赤黒い腕が私目掛けて飛んできました。

 一本巻きついて。

 もう一本が巻きついて。

 何本も灼熱のそれが巻きついたところで意識が白む。

 最後に凛ちゃんがドロドロの黒い塊になって、私にのしかかってきてそこから――。


◇――――◇


海未「…………」

にこ「こうやって病院にいたって、何も変わらないでしょ」

海未「わかっています」

にこ「あなただけじゃないの、もうきっと私たちの問題にまでなってる。だから何か気になったことがあったら私たちにも相談して」

海未「はい……」

にこ「ね、元気だしなさい。明日、みんなで話し合ってみんなでお寺に行って、解決の方法が見つかるはずよ」

海未「だと、いいのですが」

にこ「そうって信じなきゃダメに決まってるでしょ」

にこ「私はもう帰るわね、また明日」

海未「ええ……さようなら」

にこ「穂乃果外で待ってるみたいよ。あんまり待たせないように」

――

穂乃果「大変なことに、なっちゃったね」

海未「ええ……」

海未「花陽の喉のアザ、朝見た時はあんなものなかったと思うくらいには薄かったようです。それが、あんなにどす黒く……胸を掴むように細くのびていく……気味が悪い……」

穂乃果「絵里ちゃんも花陽ちゃんも凛ちゃんも……みんなアザがあった。不思議なのは……誰もそのことに気がついていないこと……」

海未「監視カメラの映像では、花陽は自ら掻きむしって悲鳴の一つもあげずに倒れたと言います」

穂乃果「……きもちわるい」

穂乃果「一体なにが、起きてるの……」

海未「わかりません……でも、絶対、守りますから……」

穂乃果「海未ちゃん……」


◇――――◇


海未「全く穂乃果ったら……今日は大切な日なのに呑気に寝坊だなんて……」

ことり「……」フラ…

海未「ことり?」

ことり「あ、ううん……」

海未「顔が白いですよ……無理だけは」

ことり「一人でいるより、いいから……」

海未「……」


ドタドタドタッッ


穂乃果「やばいやばいっ!!! ごめんふたりとも!!!!」

海未「もう穂乃果!!」

穂乃果「うぅ、ごめんなさいっ!!」

海未「全くリボンもつけずに……ぼさぼさですよ」

穂乃果「時間なくて……」

海未「よく眠れたようですね……



穂乃果「ことりちゃんもおはよっ、大丈夫?」

ことり「うん」アハハ

海未「では行きましょうか」




雪穂「――お姉ちゃん部屋のエアコンついてるー!!!!!」


穂乃果「うわぁっ! ごめん雪穂消しておいてっ!!!!!」

ことり「あはは……」

海未「いくら暑いからって」


穂乃果「そういう時もあるよ!!」




雪穂「もう……」

雪穂「……あれ、暖房」


◇――――◇
部室



ことり「……そんなことが」

にこ「ことり、しっかりして?」

ことり「わたしだ、わたしだ……」




にこ「?」

ことり「次はわたしだ……次はわたしだ……次はわたしだ次はわたしだ次はわたしだ」ブツブツ

海未「ことり……」

海未「大丈夫ですよ……今日はみんなで除霊しに行きますから」

ことり「ことりのあざ、おっきくなってるの。胸に向かってどんどん。あの黒くてこわいの、近くにいるの」

海未「え」

ことり「呼んでるの……ことりのこと、こっち、こっちって……」

海未「……」

希「もう行こう? 早い方がいい気がする」

海未「……ええ」

穂乃果「ことりちゃん、歩ける?」


◇――――◇

お寺


穂乃果「それ、簡単に言うと……憑いてるってことですか?」

「おそらくは」

ことり「っ」

海未「ここでなんとかして貰うことは、出来ますか?」

「いえ……強い怨念は、払おうとすればするほど、憑いたから離れようとしません。今のまま払おうとしても、怨念が暴走する危険にも繋がりかねません」


海未「そんな……」

希「なんとかできないんですか?」


希「もう私たちの周りで、三人も意識を失って目を覚まさない子がいるんです!!」

「……園田さんと言いましたか」

海未「はい……」


「あなたのそのネックレス……危険な何かを感じます。そのネックレスに心当たりはありませんか?」

海未「これは……」


海未「――私の姉がくれたもので……」


海未「姉さんは……少し前に、亡くなって……その形見として」

「……」

海未「姉さんが……姉さんが?」


海未「――姉さんが私たちに何かしているというんですか!?」


海未「そんな、ふざけないでください!!! 姉さんはっ!!」


穂乃果「海未ちゃん……」

海未「はぁ……はぁ……」


「夢に出てきた、というのなら……関連はあるかもしれません」


にこ「でもそんな、ありえるんですか? 夢が影響を与えるだなんて……」


「強い怨念は、何が起こるか予測もつきません。世の中の摩訶不思議と言われる出来事全てが事象のうちに収まると言っても、過言ではありません」


にこ「……」

海未「どうすれば解決出来るんですか」

「怨念の元になっているものを、なんとかするしか……」

海未「姉は交通事故で亡くなりました……だとしたら、その現場にいけば何か変わりますか?」


「失礼ですが……お姉さんはどちらで」



海未「……静岡県です」


「お姉さんの怨念ではなく、お姉さんの強い想いが宿っているもの、別の怨念と結びついて……形見であるそのネックレスに宿ってしまっているのかもしれません……」


ことり「……」


海未「別の怨念……」


「そこまではわかりかねます。詳細を教えて頂ければ、違う寺を紹介することも可能かもしれません」



◇――――◇


静岡県 沼津市


にこ「いやまさか……静岡まで来ることになるなんてね……」

真姫「同感」

希「まあだけど……沖縄とかじゃなくてよかったやん?」

真姫「それはそうだけど」

花陽「沼津市……ここは何が有名なの?」

にこ「お魚らしいけど」

希「港だしねー」

穂乃果「食べたい!」

海未「こら、観光に来たんじゃありませんよ」

海未「目的地はここではなくて、南の内浦方面にあるそうです」

海未「……絵里と凛の意識が戻ったら、また来るのもいいかもしれませんね」


にこ「だったら近くの熱海の方がいい!」

真姫「……確かに」

海未「とにかく、バスに乗りましょう」



◇――――◇

海未「ここみたいですね……」

希「ひゃー、すっごい田舎だね」

穂乃果「こんなところ久しぶりに来たよー」

海未「ことり、平気ですか?」

ことり「う、ん……」

海未(ほとんど眠れていないようですね……)

海未(はるばるこんな田舎のお寺まで来たんです……何かわかると、いいんですが……)

トコトコ…

海未「あの……すみません、ここのお寺の方でしょうか?」

「……ずら?」

穂乃果「……いくつですかー?」


「お、おら……えと」アワアワ

「――何か御用でしょうか」


「爺ちゃん」ササッ…


海未(……男性のご老人。この方が――国木田さん?)


海未「ご紹介に預かっていると思うのですが……園田と申します」

国木田「ああ……お待ちしておりました、うちの孫がどうも」

花丸「……」ペコリ…ササ…

国木田「人見知りなもので……」

海未「私も小さな時はそうでした」

国木田「そうですか……ではお入りください」


◇――――◇


国木田「お姉さんは沼津市の辺りで亡くなられた、と」

海未「はい」


国木田「……南さんをはじめとする数人が火傷跡のようなアザ……」


ことり「……」

海未「何か、わかりましたか?」

国木田「心当たりが」


海未「本当ですか!?」


国木田「……沼津市は、あるところでは、祟りと怨念の街と呼ばれています」


海未「――え?」


国木田「その昔、人が大勢亡くなりました」

国木田「……現在の沼津駅の近くには沼津藩の城である沼津城がありました。今では跡形も無くなってしまっていて、所々に石碑が建っている程度ですが」

海未「沼津城……」

花陽「駅の近くあんなところに、お城が?


国木田「ええ、ここまで跡形も無く撤去された城は全国を見ても珍しいと言われています」


国木田「跡形も無くなってしまったのは撤去されたからですが……その昔、沼津城は災害に襲われました」


国木田「幕末に起きた安政東海地震。現在警戒されている南海トラフ地震のような、百年に一度と言われる超巨大地震が当時の沼津城を襲いました」


国木田「今よりさらに未熟な建築技術、土木をメインに採用した家屋は倒れ、城はことごとく損傷し、津波が押し寄せ、大規模な火事が起こりました……」


国木田「大量の人間が亡くなりました」

海未「……」


国木田「さらに1500年頃に起きた、千年に一度と言われる明応東海地震。今後二百年は人が住めないとまで言われるほど、悲惨なものであったようです」


国木田「この二つだけではなく、沼津市は幾度となく大地震に襲われ……人が亡くなって来ました」





国木田「人の死の元に死を重ねて、沼津市はそういった積もり積もった人の怨念が集まる場所ということです」

国木田「知らないだけで、こういった忌み地は全国に存在しています」


国木田「園田さんのご友人のような症状を、この沼津では何件か見たことがあります」

海未「……」


海未「その大地震の祟りだと、そういうことですか?」


国木田「……」コク…


国木田「園田さんのお姉様は、おそらく園田さんのことを想って亡くなったのでしょう」

国木田「現世の人間に会いたいと、現世に留まりたいと強く願う気持ちが……幽明境を一にする……。震災で亡くなった何世代もの、数多な想いとつながってしまった」

海未「……」


希「地震で亡くなった人たちの、祟り……」

国木田「祟り、と呼べるのかはわかりません」

国木田「死にたくないという純粋な想いでしょうから」

国木田「そのネックレス……形見だそうですね。形見に想いが強く残るというのはよくある話です」


海未「姉さんの意思……」

国木田「それか、そのお姉様の持ち物であったネックレスに触れた方にだけ強い怨念が降りかかるとも考えられます」

にこ「……確かに私は触ってない」

希「ウチも」

花陽「ことりちゃんは?」

ことり「触った……かも」


海未「しかし……それなら、私にはなんの被害もありません。どうして私の友達ばかりが」


国木田「……わかりません。それはお姉様の意思がそうさせているのだと思います」

海未「姉の意思……」


国木田「強い怪奇現象が起きたのは、雨の日ではありませんか?」


海未「雨……」

花陽「……そうです、雨の日です!!」


花陽「凛ちゃんがおかしくなったのも、海未ちゃんの家に泊まりに行った日も……」

真姫「……ええ、そうだった」


国木田「雨の日は幽と明の、現実の境が曖昧になると言われています。怨念や祟りにのって、お姉様の意思があなた方の意識により溶け込んだのかもしれません」


海未「……なるほど」


海未「雨が降り始めたら突然、雨がやんで……」


国木田「――繋がった瞬間、なのかもしれません」

真姫「その繋がったって時に、海未が絵里に襲われて凛が花陽を襲ってって考えたら。――この世じゃない場所でおきたことだから、他の人は誰も気がつかな買ったってことだとしたら」



海未「……肝心なことを訊かせてください。どうしたらこの怨念は、払えるのですか」

国木田「怨念の元になっているものと対話しなくてはならないでしょう。沼津の遺民達の怨念、そして、お姉様の意思」

海未「……」

国木田「今回のあなた方に降り注いだ祟りは、火傷ようなアザ、つまり地震によって起こった大火の祟り」

国木田「大火で亡くなった方々を、人々を祀ってある場所があります」

国木田「――大雨の日、危険は伴うかもしれませんがあの世とこの世の境が薄くなっている時……お姉様の意思と沼津の祟り、両方に触れることができるかも、しれません」


◇――――◇


ガタンゴトン…


海未「結局、解決は出来ませんでしたね……」

希「でも、原因がわかったんだからすごい進展。そうでしょ?」

海未「ええ……」

にこ「これからは静岡県の天気見てないとね」

海未「ええ……」

穂乃果「大丈夫?」

海未「……すみません、まさか姉さんが」

希「怨念とお姉さんの意思が結びついたってだけで、純粋なお姉さんの意思ってわけじゃない……だから気にしない方がいいと思う」

海未「そう、ですよね」

海未「ごめんなさいことり……怖い想いを、させてしまって」

ことり「ううん……」


◇――――◇

穂乃果の家


穂乃果「……」ギュッ…

海未「穂乃果……」

穂乃果「辛いよね」

海未「……いえ」

穂乃果「……そっか」

海未「すみません……」

穂乃果「どうして謝るの」

穂乃果「海未ちゃんは悪くないよ」

海未「……」


穂乃果「もう寝よう? 疲れてるでしょ」

海未「そう、ですね……」

海未「穂乃果はなんともありませんか?」

穂乃果「おかげさまで! ネックレスにも触ってないし……」

海未「よかった……」

穂乃果「絶対絵里ちゃんと凛ちゃんのこと、助けようね!!」

海未「ええ」



◇――――◇


 ばしゃばしゃ。ばしゃばしゃ。

 私がまどろみの世界から、現実の世界へ引き戻されたのは、深夜の2時を回った辺りでした。

 天気予報に覚えのない雨粒が、勢いよく窓に打ち付けられています。

 またあの日のような、大雨。おそらく、ゲリラ豪雨でしょう。


海未「雨……雨?」


 大雨の日。

 現実とあの世の境界が、薄くなる。

 怪奇現象が起きたのは、いずれも、大雨の日。

海未「ごく……」

 いえ、正確に言うならば。


シン……

海未「雨が、止んだ…………?」



 ――じゃあ、きょう、は?


穂乃果「はっ……ん、ぅ……」

海未「穂乃果?」

 私の腕に抱きついて、小さな寝息を立てていたはずの穂乃果。胸の付近を抑えて、なにやらもがき苦しむかのように、胸板を激しく上下させていました。

 大粒の汗が額に浮かんでいるのは、暑さのせいだけでは、なさそうです。

海未「穂乃果、穂乃果!!!」

穂乃果「んっ……ぅ、海未ちゃん……」

海未「大丈夫ですか……?」

穂乃果「う、ん……」

海未「夢を見ていたんですか?」

穂乃果「多分……」

穂乃果「よく覚えてない……」

穂乃果「でもなんか、すっごく……息苦しくて……」

海未「……」


穂乃果「――なんか、寒い」


海未「寒い……風邪かもしれません。熱をはかりましょう」

 怪奇現象とは、無関係……?

海未「それとアザがないか調べて見ましょう」

穂乃果「だ、大丈夫だよ」

海未「念のためです」

 照明をつけて、少し赤くなりながら下着姿になる穂乃果。

海未「……よかった、ないみたいですね」

穂乃果「だから言ったのに」

海未「いえ、雨が酷いので」

穂乃果「……ほんとだ」

穂乃果「ねえ待って……前の大雨の日に、絵里ちゃんと凛ちゃんが……」



海未「……」


ピピピピッ

海未「36.6……平熱ですね」


穂乃果「だから大丈夫だってば」

海未「そうですか……」


バシャバシャッッッ

海未「また雨が……」

海未「はっ――ことり」



海未「ことりが!!」

ブブブブブブ

海未「っ」ビクッ

 穂乃果の机の上に置いた、携帯のバイブレーションが響きました。

 こんな夜中に、電話?

海未「ことりから……」

穂乃果「え」

 まるで意図したかのようなタイミング。

 飲み込む唾液が重い。

 どこかから来る胸騒ぎ、それをかき消すように、私は携帯電話を手に取りました。

海未「――もしもし、ことりですか?」

「……」

 返事が、ない。

海未「ことり」

海未「ふざけているのなら、やめてください」


穂乃果「ごく……」

 10秒ほどの沈黙。

 ことりは、こんな風にふざける人ではない。ましてやこんな夜中、ということは、一体。

 悪い予感。堂々巡りする最悪の状況を思うと、口の中がからからに乾いてくる。

 そして。

 ぶつ。

海未「ことり、ことり!!」

 ことりとの通話が切れてしまう。

海未「どういう……」

穂乃果「なんにも出なかったの?」

 頷きながら、何気なく携帯電話の履歴を確認する。すると――。

海未「っ……」



 南ことり。
 南ことり。
 南ことり。
 南ことり。
 南ことり。
 南ことり。
 南ことり。
 南ことり。
 南ことり。
 南ことり。
 南ことり。
 南ことり。
 南ことり。
 南ことり。
 南ことり。
 南ことり。
 南ことり。
 南ことり。
 南ことり。
 南ことり。
 南ことり。
 南ことり。
 南ことり。
 南ことり。



海未「ぅ……」


穂乃果「? ――ひっ…………」

穂乃果「な、なに、これ……」

海未「はっ……はっ」

 着信履歴が、大量に、埋まっていました。私と穂乃果が眠ってから3時間程。
 ほとんど間髪入れずに、電話を入れていた、ということ?

 明らかに異常事態。

 そしてことりからのアクションは、電話だけでは、ないようでした。

海未「メール、も」



南ことり 23:22 ねえ海未ちゃん、なんだか怖いから……そっち行ってもいい?

南ことり 23:23 穂乃果ちゃんの家泊まってるんだよね? ことり、邪魔かもしれないけど……お願い

南ことり 23:23 雨降ってきた

南ことり 23:25 ねえ怖い

南ことり 23:27 なんかいる

南ことり 23:28 なにかに見られてる

南ことり 23:30 海未ちゃん怖い。こわい、やだ、やだやだやだ

南ことり 23:31 たすけてたすけて

南ことり 23:32 うごけないなんかいるなんかいるたすけえだめねあっほん



海未「はっ…………はっ」


 ことりのメールは、そこで終わっていました。それ以降は、先ほどの電話になっている、みたいです。

 ということは、ことりは私たちに助けを求めて、いた。

海未「……はっ、はっ」


海未「――姉さんだ……姉さんが、き、た………」ガクガク…


穂乃果「……海未ちゃん」

海未「ことりが、ことりが拐われた。ことりが、ことりが!!!」

海未「あ、ぁぁ……っ」


穂乃果「まだ絵里ちゃん達みたいになったって保証はないよ!! 行ってみようよっ、ことりちゃんの家!」

海未「そ、うですね」

海未「ことりはまだ、生きていますよね……」

海未「まだいつもみたいにしていますよね……」

海未「ああでもそうしたら、ことりのいえに行くのは迷惑な気が」


海未「ことり……」

穂乃果「っ、いいから行くのっ! 準備してっっ!!!」

◇――――◇

理事長室


理事長「そう……」

理事長「信じられない」

海未「……そう、だと思います」


 結果として、ことりは、絵里や凛と同じように病院に運ばれました。

 大雨の中穂乃果に手を引かれ、全力で走った先に待っていたのは、部屋で力なく倒れていることりでした。

 鬼気迫る表情であっただろう私たちを家に入れてくれた理事長も、その現場に居合わせていたため、後日である今日……事情を説明しました。

 案の定信じては貰えないようですが。無理もありません。

理事長「でも……それしか手がかりがないのなら……それに頼るしかない、わね」

海未「……」

理事長「私の方でも色々聞いてみるけれど……お願いね」

海未「はい」

海未「失礼します」

バタン

にこ「ことりまで……」

希「ことりちゃんはアザ、あったからね……」

真姫「ねえ、ちょっといいかしら」

真姫「……昨日ね、夢を見たの」

真姫「……熱くて、焼けるような熱さの中……何かが私のことを呼んだの」

真姫「……関係あるかはわからないけど、わたし、あの時変になった花陽に腕を掴まれてて」


海未「……真姫」



スル…



真姫「――私のことも、連れて行こうとしているみたい」


花陽「ひ……アザ」

海未「っ、な、なんなんですか一体!!!」

海未「どうしてっ、どうしてっ!!!」


希「……海未ちゃん」

希「明後日」

海未「……?」


希「――静岡県は大雨になるみたい」


海未「なるほど……」


真姫「なら、その大雨の中にネックレスを持って祟りを呼び寄せることができたら」




海未「――幽明境が一になる」



◇――――◇


 国木田さんに教えられた場所は、低い山の中にあるとのことでした。


 申し訳程度に整備された狭く暗い参道には、ぐしゅぐしゅに湿り切った木の葉が層を成しており、踏みしめる度に力の抜ける様な感触が伝います。


 ぽつぽつと降っていた雨、いえ、今も降っているのでしょうが、高く密集した木々に遮られて私たちの元にはほとんど届いていません。


 同時に、陽の光も、ほとんど差し込んで来ません。元々ここへ入る時には沈みかけていた陽ですから、もう夜になってしまっているのでしょう。

 今ここにある灯りは、握りしめた懐中電灯のみ。


 出来ることなら、朝から昼間にかけて行った方がいいとのことでした。低い山の割には厳しい道のりである、と国木田さんが言っていたからです。詳しい人が言うのならそうなのだろうと、思ってはいましたが……出直すわけにもいかず。今日解決してしまわねば、また犠牲が増えるだけと、脅迫されているようにも感じました。


 大雨は、夜から降ると、そういう予報でした。


 静岡県はとにかく雨が少ないことで有名ですが、今日降ってくれる、それだけで幸運ではあるのですが……。



にこ「ほんと、長靴履いてきて良かった……」

穂乃果「暗いね……」



海未「ええ、気をつけてください」

 この足場もそう。

 でも、本当に気をつけるべきことは、そうではないと、口にせずとも、みんな分かっていました。


 私の首には姉さんが遺してくれたネックレス。姉さんの想いがこもったネックレス。


 あの世とこの世の境界が薄くなる時、このネックレスを持っていることがどういうことか……。想いに引き寄せられるようにして、様々な危険なことが起こり得る……とだけ聞きました。正確なところは、起こってみるまでわからないのだと国木田さんは言うのです。


 ばしゃばしゃ。


海未「――雨が、強くなってきましたね」


 この先を少し行くと、小さな清流が見えてくるらしいのです。それを上流方面に行くと、大火慰霊の社が、見えてくる。


 清流に出てしまえば道はそこまで険しくなく、この申し訳程度の参道を抜けることが一番の試練だということらしいのです。


 木の葉に打ち付けた雨が、まとまって私たちに降り注いでいます。一つ一つが大きさを増したそれは、まるで滝のようにも感じられました。傘を持つ手に伝わる振動が激しい。

海未「……」


 小さな坂道を登って、そこには――。

海未「っ……!?」

海未「なん、ですか、これは……」


 血、血、血……。

 血の川……。

 清流と聞いていたはずの川。


海未「……」


 鮮やかな鮮血色に染め上げられているのが、眼前に飛び込んで来ました。

穂乃果「なに、これ……」

にこ「……川が、赤い」

海未「ご、く……」

 この世の雨は止んでいました。

 しかし。

海未「……っ、雨もっ!!」


 傷口からの鮮血がぽたりぽたりと落ちて来ているかのような、あの世の雨。


希「なにこれ……これが――祟り?」


海未「……おそらく」

海未「世紀末のようです……」ゴク…

真姫「あ、っぐ……ぅぅ」

海未「真姫!?」

 血が降り注いでいるような異様な光景の中、後方から真姫のうめき声。視線を返すと、アザがある方の腕を抑えて、膝から崩れ落ちていました。

希「真姫ちゃん!?」


真姫「――あ、つい……っぐ、ぁあ゛あ゛っっっ!!!!」


 泥濘む地面など気にせずに、のたうちまわる真姫。目は血走るほど見開き、口の端が切れてしまいそうなほど大きく開きながら、絶叫しています。


海未「真姫っ、真姫!!」


穂乃果「熱いのっ!? 真姫ちゃんっ」


 熱い、熱い……?

 そうか、これが……大火の祟り……。ここは怨念の集結する場所、影響が、大きいのかも。


希「――ひっ、じめんからて、手がっ!!」


海未「え……」


穂乃果「あっ……ひっ」


 希が、穂乃果が、にこが、花陽が……真姫以外の全員が言葉を失いました。

 この世のものとは思えない、光景が今まさに、目の前で起きていました。

 地面から焼け焦げたような赤黒い手がいくつも出現。ゆらゆらとどこかへ連れていこうとしているのか迷いなく、真姫に手を伸ばし、ぐにゅりと全身を掴んでいます。


 何も動けない。


 真姫はさらなる絶叫を響かせると、少しずつ少しずつ……地面へと堕ちていっているようでした。

 堕ちる。

>>58

 希が、穂乃果が、にこが、花陽が……真姫以外の全員が言葉を失いました。



 希が、穂乃果が、にこが……真姫以外の全員が言葉を失いました。

 そう、意味がわかりません、


 土があるはずのそこから現れた無数の手が、真姫を奈落へと――この世ではない場所へと連れ込もうとしている、らしいのです。


真姫「ぁ……あっ」


 身体の半分ほどが、"どこか"へ連れて行かれた真姫は半身だけになった、化け物のようでした。


真姫「ぁっ、やだ、まっ、はっはっ」


 上半身だけになった真姫は地面に縋り付くように浅く息を吐いています。


 小さく震える指先、焦点がぐるぐると動き回って、助けを求めて、腕を伸ばす。

 穂乃果が後ずさり。


 肩が浅く激しく揺れている。


海未「真姫っ!!」

 手を掴む。
 
 予想以上の力にがくんと前のめりになって、膝から崩れる。

真姫「う、み……」


 小さく漏れ出した言葉は、私の絶叫の中に蕩けました。

海未「真姫っ、真姫っ……まきいっ……っっ」


 真姫が奈落の底へ消えたと同時に、赤黒い手も一緒に消えてしまいました。驚くほど静かに、先ほどまでの光景が嘘のように……ただ泥濘むだけの土を両手で持って、思い切り掻きました。何も無くなってしまった、変哲の無い地面を。


 ぐにゃぐにゃになった泥が爪に入り込み、激しさを待つ紅の雨が髪の毛を伝って地面へと流れ落ちる。何度も何度も掻き分けて、次第に力が込められなくなっていきます」


海未「はっっ、はっっ!!」


希「……海未ちゃん」


海未「……」


希「きっともう、ウチらはこの世じゃない場所に、来てる。多分……ここは今までとは違う世界……国木田さんが言うように、何が起こるかわからない、世界」


海未「真姫は……真姫が」フルフル…


穂乃果「祓すしかないよ……祟りが私たちのこと、狙ってるんなら……」

穂乃果「きっと真姫ちゃんだって……みんなだって、戻ってくる」


海未「……それしか、ない、のですね」


にこ「しっかりして、あなたがお姉さんと話をしないとなんだから」

海未「ええ……」

海未「……行きましょう、奥に」


◇――――◇


 清流だったはずの、血色川のすぐ横を北上していきました。


 辺りは依然、おどろおどろしい。鮮血をそのままひっくり返したような鮮やかな川に、腐る寸前のどす黒い血を写したような空。奥にいけばいくほど木々はどす黒さを増し、新緑の安心感は、無くなって行きました。


 随分、歩いたような気がします。


 まるで、あの世へ向かっているようなそんな感覚が、より私たちの疲労を煽るのでしょう。


 また真姫が連れて行かれた時のような異常事態が起きるかもしれない、足元から横から、上から、あのどす黒く不気味な腕が絡みついてくるかもしれない。今を取り巻く状況全てに懐疑心が働いてしまう。


 そんな怪奇現象に対する過剰な警戒心とは裏腹に、私たちの歩を止めるようなことは一切起こっていませんでした。


海未「……」

にこ「ひっ……」

希「ただの草だよ」

にこ「変な形……」

海未「……!?」

穂乃果「誰かいる……」


希「……えりち?」


海未(あの金髪……)
 

海未「絵里!!」

絵里「……」


希「待ってっ!!」

海未「な、なんですか……」

希「冷静になって……えりちが、いるわけ……」

海未「っ……」


ことり「――そんなこと言わないで、希ちゃん?」

希「っ……」


ガシッ…ドロ…

希「ひっ……」


 ことりの姿をした何か……。
 希の腕をがっちりと掴み、ことりのような柔和な笑みを浮かべる顔が――崩れる。

 チーズを熱に当てたようにどろりと顔の半分がとろけるようにして音を立てながら地面にへばりつく。

 続けて肩が、腕が、希を掴んでいる手が。


希「い、いや――」


 ことりのような何かは完全に人の形を失い、どす黒い塊になって、希を包みこんだ。


 助けようと動き出す暇もなく、一瞬の出来事でした。希を包みこんだ黒い塊は、地面に吸い込まれるようにして姿を消しました。



にこ「は、なしなさいっ!!!」


 希の突然消失に、唖然としている最中でした。にこの悲鳴に、視線を瞬時に移すと……無機質な表情を浮かべる凛と真姫、のような何かが……にこの腕を掴んでいました。

 先ほどの希のことが、フラッシュバック。


海未「――やめっ」


 ぐにゅ……ぼと、ほど……。

 一瞬でした。

 にこはふたりに包み込まれて黒い塊になったあと、ぼとぼとと音を立てて……どこかへ堕ちていって、しまいました。


海未「あ、あ……ぁぁ……」


穂乃果「のぞ、みちゃ……にこ、ちゃん……」

穂乃果「いや、いや……」

海未「っっ……」


 視界の端で、鮮やかな金髪の髪の毛が、見えました。

 地面に向けていた視線を、横に。

 絵里のような何かから迫り来る腕を払いのけて、土を蹴る。

 ぐにゅりとした感触に、満足な加速は得られないものの、穂乃果の手を取って、走るのには十分でした。

海未「みんなが、みんなのことをなんとか出来るのは……もう、私たちしかいないんです!!!」

穂乃果「うみ、ちゃん……」

穂乃果「うん……行こう、絶対!!!」


◇――――◇

海未「はぁ……はぁ……」

穂乃果「ここが……慰霊の、社……」

 走り始めて少し、私の背ほどもない、小さな社が眼前に飛び込んできました。

穂乃果「小さい……」

 山の奥ということもあったのでしょう。川のすぐそばで、拓けているとは言い難い土地、大きな社を作るのは難しかったのかもしれません。

 しかし、小さいながらも神社の形を成しており、腐れかけた木材からは相当な年月が経っているのを簡単に読み取ることが出来た。

海未「……」


 空気が、重い。

 この辺りだけ、明らかに、異質な気配を感じます。

穂乃果「なんか、やな、感じ……」

トコトコ…


海未「……姉さん、いるんですか」

海未「私たちのこと……見ているんでしょう?」

海未「姉さん!!!!!」


 姉さんの形見のネックレスを、握りしめる。


海未「お願いです……私と話を――」

ピシャシュルルッッッ


海未「え」

穂乃果「――っっぅ!!!」


 微かな水の音。

 奇妙な程静かな音の中に、穂乃果の声にならない声が紛れ込む。

 気がつくと穂乃果は、無数の細い腕に全身が覆われていました。

 血色川より伸びているそれは真姫たちを連れ去ったものよりも細く、そして青白い。

 口に被せるように、そして手足に巻きつき、肩に腹に全身に広がっていく青白い異形。


 唯一覆われていない目、畏怖に染まりきったそこと視線がぶつかる。


海未「穂乃果!!」

 私が手を伸ばすと同時、目にも止まらぬ速さで、穂乃果は川の中へと消えていきました。


海未「ぁ、ああ……」

 穂乃果は、穂乃果は……助けて、と……言っていた。

 あの目、この場には私しか助けられる人はいなかった、それなのにっ!!


海未「ほのか……ほのか」



海未「――なんで……なんでみんななんですか」



海未「どうして私は連れて行かないんですか!!!!」

海未「私に恨みがあるなら!! 私だけを連れて行けばいいじゃないですか!!」

海未「わたしがにくいのでしょう! うらめしいのでしょう!! だったら、だったらどうして……どうしてぇ……」


海未「どうして、どうして……どうしてどうしてどうして!!!!」

海未「っぅ……うぅっ……」


「海未……」


海未「……」


「海未」


海未「……?」







絵里「――ソぉぉんなにイきたいなら連れて行って、ァげるゥ♡」








海未「っっ……っっっは」

 ブロンドが揺れる。


 後ろから万力で持って、押さえ付けられる。


 ぐにゅりと、この世ならざる音が鼓膜を通って脳へ伝達される。みんなが連れて行かれる光景が嫌でも残っている中で、私はこの状況をすぐに受け入れることが出来た。

 私は連れて行かれるんだろう。

 どこへ?


 わからない。


 けれど……もしそこにみんながいるのなら、それもいいのかも、しれない。



◇――――◇


海未「ん…………」

海未「う、ん……あ、れ」

海未「私は一体」

海未「!? ここは……一体……」キョロキョロ…

海未(人がたくさん……でも、みんな――着物を着ている?)

海未(家も……いえ、ここは商店街のような場所……? 呼び込みのようなものが)

海未(時代劇のような町屋……江戸時代の、よう)

海未(いえ、ここは……)


海未「江戸の時代……?」


ザワワ…


海未「み、見られている?」


海未(そうだ……もしここが江戸時代だとするならば、私のこの制服なんて……ただの不審な人物にしか)ゴク…


海未(でも、どういうことなのですか……)


海未(私は絵里のような何かに、引きずり込まれて……)

海未「……」


海未(とりあえずここはどこなのか、江戸時代なのか……聞いてみて)

海未「あ、あの」

海未(……逃げられてしまいました。そもそも、この人たちが何を話しているのかもほとんどわかりません……強烈な訛りとでもいえばいいのでしょうか……)

海未(これではどうすることも……)

「貴様」

海未「え、あ……」

海未(侍……!!)


「その身なり、何奴じゃ! 曲者、間者の類であるか? 申せ」


海未(か、刀に手が……っ)


海未「い、いえ誤解です! 私は怪しいものでは!!」


「……?」

海未(あまり伝わっていない、ようですね)

海未(まずい、です……)ダラダラ……



 周囲の視線が集まる。
 頂点に登っていない陽光が、手にかけられた鞘より覗く刃に反射した。


 切られる。

 鈍色の太刀筋が閃くのを、予見した時でした。

 ぐらり。

 膝がよろける。


海未「っ!?」


 どうして?

 立っていられない。

 そしてそれは、私だけではありませんでした。

 目の前の武士が、周りにいるたくさんの人たちが、困惑の声をあげる。


 ――地面が、揺れていた。

 地震。

 辺りの喧騒が、ぎしぎしと音を立てながら崩れる建物の音に掻き消された。

 続けて、悲鳴。

海未「っ」

 誰かが潰された。

 次々に家屋が倒壊する。

 まるで、紙のように。

 逃げ遅れた人たちが、次々潰されていく。


海未「ひ……」


 長く続いた揺れが落ち着くと……事態の深刻さが、まざまざと私の目に飛び込んで来ました。

 潰れた家屋に挟まり下半身が潰れてしまった子供、引っ張り出そうとする母親、地震の影響か火の手があがり、瞬く間に火の海が広がる。


海未「っ、ぁ……」


 そこは、その街は、一瞬にして地獄のような景色に変貌してしまっていた。


 再びの揺れ。

 断続的な地震が襲う中、私はなんとか地面を蹴った。

海未「大丈夫ですか!!」

 小さな子供が倒れてきた建物に、脚を挟めてしまっていました。


海未「いま助けますからっ」


 肌を突き刺すような寒さだったはずが、今ではじりじりと焼けるような熱さに汗が吹き出して来ます。火の海が、すぐそこまで迫っていました。

 子供の手を取って、引っ張りますがびくともしません。


海未「くっ……」


 子供に火の手が迫る。

 一向に助け出せないまま、目の前で、炎に包まれてしまいました。

海未「あ、ぁぁ……」


 耳をつんざくような絶叫。皮膚が灼け爛れながらのたうちまわるのを、見ていることしかできませんでした。

海未「ひっ……」


 黒く、黒く焼け焦げ爛れ切った手が、私の脚を力なく掴みました。

 これ、は……。



 ――みんなを、連れ去った……。

海未「……っ」


 強烈な既視感に、ぞわりと鳥肌が立つ。逃げなければ、ここにいたら私までもが炎に飲まれてしまう。そんな至近距離にいるというのに、それなのに……。



海未「はっ、はっ」

海未「祟り」


海未「こうやって、焼け焦げた人達の祟りが……私たちのことを、そういう、ことなのですね」


 子供の腕を静かに退けると、辺り一面に視線を向ける。


たすけて


たすけで

タスけて

タスケテ

タスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテ


海未「ぁ……ぁっ」
 

 あちこちで炎があがり、助からないであろう人々が、絶叫している。

 家屋の下から伸ばされる絶命寸前の、無数の腕が炎熱と共に揺れている。


 そうやって焼死した人たちが、最後まで助けを求めて手を伸ばしたその姿が……嫌という程焼きつきました。



 この人たちが、私たちのことをここに連れて来たのでしょうか。

「水を消せ!!!!」

「早くしろ!!!!」


「井戸の水を使え!!!!」

「井戸の水が、急激に減って!!!」


 唇を噛みしめる。

 助けようという人々が走り回り怒声をあげています。そんな中。



穂乃果「――海未ちゃん!!」

海未「ほ、穂乃果!?」


海未「無事だったのですか!?」


穂乃果「え、あ……うんっ。なんかついさっき、気がついたらここに居て!」

穂乃果「なんなのこれ!! こんな、こんなっ」


海未「――祟りの中心。そういえば、いいのかもしれません」


穂乃果「え……どういうこと……ここ、どこなの? 何が起こったの!?」

海未「とにかく、みんなもここに居るかもしれません! 探し出して――」


ドンッッッッッ


海未「!?」


 崩れている建物の向こう、海鳥達が飛んで来た方角より……地を響かせるような轟音が聞こえてきました。

 ――大砲の、音?



穂乃果「ぅ、ぁっ……海未ちゃ……」


海未「?」

 

海未「っぅ……」


 音に気を取られていた私の後ろを、指差します。

 振り返った時、そこには異形の赤黒い塊が大量に蠢いていました。人の形をした何かが、私たちに向けて手を伸ばしている。


「ぁ゛ぎィ……ヒ、ひ……」ヨロヨロ…

 呻き声をあげながら、足取りは遅く、しかし確実に迫ってくる。後ろは炎。

 逃げ場は無い。

海未「……」



海未「穂乃果、絶対、絶対……私の後ろに居てください」


海未「道を開けます」

穂乃果「な、なに言って……」

穂乃果「や、やだよ、穂乃果も」

海未「……」ダッ

穂乃果「海未ちゃん!!」


 突っ込む。

 肩からぶつかって、異形の者たちが群がるそこに脱出路を切り開く。

海未「早く!!」


 腕が、足が、強烈な熱で持って灼け爛れるのを感じる。


海未「あ゛゛あ゛ぁぁぁっ!!!!!」


 そしてまた、堕ちていく。


穂乃果「海未ちゃん!!!」

 穂乃果、私は……。


◇――――◇

「海未」

海未「……ん」

「海未」


海未「……」

海未「姉……さん?」



海未「――姉さん!!」


海未(ここは、夢で一度見た……白い、空間)

海未姉「……海未」

海未「……姉さん、本当に姉さん、なのですよね」

海未姉「……ええ」

海未「……不思議な気分です」


海未「未だにこれが現実なのか、夢なのか……わかりません」


海未「ここは、祟りの中心という解釈で良いのですか」

海未姉「ええ」


海未「姉さんに会えて、嬉しいです……でもっ聞きたいことがあります……あなたが、私の友達を……酷い目に遭わせたのですか」


海未姉「……」フルフル

海未「違うのですか?」

海未姉「……私は、ここで一人……泣いてただけ」

海未「……」


海未姉「最初は死んだってこともよくわからなかった。でも、ここにしばらくいるうちに……なんとなく私はあの時に死んだんだって、わかった」


海未姉「天国かと思った。天国にしては、何もないけれど」

海未姉「ある時、声が聞こえた」

海未「……」


海未姉「酷い、無念後悔怨念……死んだことを認められない人たちの声だった」


海未姉「そんな言葉を延々と一人で聞いていると……私も、なんて思っちゃったの」


海未姉「ほら、聞こえるでしょう? 色んな声が」


ァァアア゛ア゛アア゛

海未「……先ほどの、地震の時の」

海未「こんな悲鳴を、ずっと」

海未姉「……あなたには、あなたの友達には、とても悪いことをしたね」

海未姉「私がまだ死にたくないって、現世に留まりたいって感情が……そして、あなたに最後に会いたいって気持ちに……ここの祟りは力を与えてくれたわ」

海未姉「ダメだってことは……わかってた。私が会いたいと思えば思うたび……あなた達に対して、私の意思とは関係なく、祟りが形となって襲いかかったんだと思う」

海未姉「ごめんなさい……」

海未「……」

海未「みんなは、無事なのですか」

海未姉「……うん、きっとあなたが目が覚めたら、近くにいる」



海未「……よかっ、た」



海未姉「私は最後にあなたに会えて……これで私がここに留まる理由が――私と祟りとを結びつける力が……無くなる」

海未「……どうして、どうして……姉さんだったんですか!!!」

海未姉「……さあ、きっと偶然ね」

海未姉「私が思う以上に……現世に未練があったのかも」

海未「……」


海未姉「――あなたに、謝りたかった」


海未姉「好き勝手遊んで挙句の果てには勝手に出て行って、園田の名前をあなた一人に、背負わせた」

海未「そんな、こと……もう、気にしていません!!」

海未姉「……」


海未「姉さんが、私のことを本気で気にかけてくれていたのは……わかっていますっ!!」

海未「小さい頃は、恨んでいました……なんで私ばかりがって、私も他の子みたいに好きに遊びたかった」


海未「でも姉さんが……出て行って……結婚して幸せそうで、私はそれでいいって、素直に思えました」


海未姉「……出来すぎた妹ね」

海未「そうでもありません」

海未姉「もう私が気にかける必要はないみたいね、あなたは時々しか見れないテレビの箱の中の煌びやかな世界の人達みたいになりたかったんだもの」


海未姉「恥ずかしがり屋で引っ込み事案で、それがあなたの本質。だからきっと今していることは運命だったのね。いつか抱いた……その夢はいつも胸にあって、消えないはず、あなたは生きて、それを叶えるの」


海未「……恥ずかしいことを言わないでください」

海未姉「誰にも言ってない」


海未「当たり前です……そんな、こと姉さん以外に言えるわけ」


海未「またどこかへ連れて行ってください……また色んな話を聞かせてください……私の話も、たくさん聞いて……私が、私が全部全部話せるのは……姉さん、しか……」


海未姉「大丈夫、辛くなったら友達に話して? あなたにはとても大切な人がいるでしょう?」


海未「……っ」


海未姉「さあ――ここで、お別れね。あなたは戻るの、私の分まで……生きてね」


海未「っ……ねえさん」

ゴオォ…


海未「な、なんですかこれは……火が」


海未姉「さっき言ったでしょう? 私はあなたに会えたから……私と祟りとを結びつけるものは無くなった」


海未「じゃあ姉さんは」

海未姉「……」


海未「……っ。なるほど、だからお別れ」


海未「でも、私は幸せです。最後にこうやって、姉さんと話すことが、出来て」

ギュッ


海未「私、姉さんの妹で、幸せ、でしたっ……」


海未姉「甘えん坊は治らないわね」ヨシヨシ

海未「……」


海未姉「時間よ、行きなさい」


フワ…

海未「ぁ……」


海未「姉さん……」


ゴゴゴゴ…

海未(姉さんの周りを、亡者の怨念が……黒くて黒くてドス黒い……大量の手が……ああ、あれが人の想い……私たちがいま、生きている世界への、想い……)


海未「っっ」


海未「ありがとうございます!!」


海未「私は、私は……何度だって言います! 姉さんの妹で、姉さんと共にあれて――私はっ、幸せでした!!!」


海未「絶対、絶対……精一杯生きてみせます!! 姉さんの分も、そして、こうやって失意の中亡くなっていった方々の分も!!」

フワ

海未姉「……」


海未「さようなら……」

海未「ぅ……ぅっ」




海未姉「きっとこれから辛いことも苦しいことも、たくさんある。でも、でもね、私は」










海未姉「――いつでもあなたのそばで、見守っているから」





フワ…


◇――――◇

海未「……」



 合掌を終え、ゆっくりと瞼を持ち上げると、姉さんが眠っている墓石が再び目に入る。園田の墓に正式に入れられた姉さんの魂。一度は勘当された身でありながら、結果としては、許された形になるのかもしれない。


 姉さんがなくなってから少し。あの日泣いていた母さんの気持ちを汲み取ろうとすれば、姉さんがここに眠っているというのも納得出来る話でした。


 姉さんとの対話が、大火の祟りの中心であった日が酷く昔のように感じられました。


 まだ二週間と少ししか経っておらず、夏休みすらも終わっていない。


 幽明境を一にした摩訶不思議で奇々怪界な出来事、一夏の思い出としては、十分すぎる出来事ではありましたが。


 あの日、正常な姿を取り戻した清流の心地よい音で目が覚めました。陽光が木々の間から差し込み、風に揺られた木の葉がひらひらと舞う中、私のすぐそばであの場にいたみんなが眠っていました。


 夜はいつの間にか終わっていた。


 必死に穂乃果を希を真姫を、起こしました。労せずしてみんな意識を取り戻して、それぞれの言葉に耳を傾けると、揃って口にしたのは何も覚えていないということでした。


 何か黒い空間の中に、朧な意識で持って佇んでいた。


 それだけでした。つまり異形の何かに飲み込まれてから、目が覚めるまでの間をほとんど覚えていないというのです。


 しかし穂乃果だけは、私といた時間があったはずでした。



 失われた江戸時代の時間、私が飲み込まれてからすぐに、穂乃果は記憶を失っていました。

 穂乃果だけが私と同じく江戸時代へと連れて行かれたのだと思います。理由は、わかりませんが。


 程なくして真姫が声をあげました――アザが消えている、と。私も同様で。


 祟りは消えた?

 いえ、そうではないのでしょう。

 姉さんとの対話を終えて、私たちが祟りの対象から外れたというだけなのだと思います。



 しかし、ひとまずこれは一件落着であるとの見方は間違っていないようでした。携帯電話を見るとことり、絵里、凛、花陽からの連絡が入っていたからです。意識が戻ったようでした。


 吉報に胸を撫で下ろす私たち。

 みんな揃いも揃って、泥だらけでした。


 その足で帰ってしまうより先に、私たちは国木田さんの元へと、事の顛末を報告しに行きました。


 やはり、祟りは無くなっていない。私の予想が当たっていました。あの祟りは、晴らせるものではないのだということでした。これから先も、あそこで人が死に、死に続け、強い想いと結びついてしまったら、今回私たちに起こったようなことが起きてしまうのだと、国木田さんは言いました。

 忌み地は、全国に数多くある。


 有名な場所ならいざ知らず、存在事態を知られていない場所ばかりらしい。そう言った場所は今でも怨念が、そこかしこに漂っている。


 亡くなった無念が、それを忘れないで欲しいという純粋な想いが、そうさせているのでしょう。


 亡くなって言った人達のことを認識し続けられる強さがあれば……きっと、亡くなった人達の手向けになるのだと思います。

 ――姉さん。

 姉さんは今どう思っているのでしょう。



 あれだけの短期間では、姉さんの真意を知ることなど到底出来はしないこと、わかっているつもりです。

 何もかも私より出来たあなたのです、きっと私の考える範疇では捉えきれないことなどわかっています。

 だから、話したかったんですよ。いつまでだって、あなたと話していたかったんです。

穂乃果「……終わった?」


 傍らで、穂乃果が微笑みながら覗き込んで来ます。


 姉さんが居なくなってしまったように、そのままであり続けることなど、ないのですから。


海未「ええ」


 姉さんのお墓に来る時は一人でいいといつも言っているのに、穂乃果は付いてくるの一点張り。あの事件があってから最初の一回は、一人にして貰えましたが……それは正解でした。


 姉さんが亡くなった現実を受け入れられないまま過ごしていた私が前に進むには、ここで思い切り、泣いてしまう他なかったからです。そんな姿は、見せられませんから。


 姉さんに最後に会えて、幸せでした。


 悪い影響も、沢山ありました。ことりや絵里や凛や花陽、半分トラウマ化してしまったことはまだ少し時間がかかりそうです。身内のことでみんなに、迷惑をかけました。


 それでも、みんなは許してくれました。

 

 でも、私は姉さんとあの場で話せたから……こうやって、穏やかな気持ちで、お墓参りに来れるのだと思います。


海未「祟りはなくならない」


穂乃果「……」


海未「あの日あの時命を失った人達の想いは、いまでもあの忌み地に漂っているのでしょう。いまこの瞬間にもあの祟りによる被害者がでているのかも、しれません」


海未「私たちができることは少ないですが……それでも」


 ふと、私が今この瞬間、命を落としたとして……あっさりと受け入れることが出来るのでしょうか。


 死とは回帰であり、あるべきところに帰るという考え方もあります。


 では、私のあるべき場所。そこはどこ?

 私の記憶が訴えかけるのは、今生きている、ここだけ。

 青い空が広がって、人々の雑多な声が聞こえて、葉を踏みしめて、空気を吸い込んで、そして隣に穂乃果や、みんながいる。

 そんな今いる場所があるべき場所でないのだとしたら。……姉さんも被災者の皆様もあんな風になる必要はなかったはずなのに。

 それとも自身が認識できない魂が、死を受け入れるのか。

 答えの出ない問いを胸にかかえて。

 無常の風は時を選ばず、私達に吹き荒ぶ。最期の散り時にも、穏やかな心で迎えられるように。
 


海未「――行きましょうか」



穂乃果「うんっ」

穂乃果「一件落着だし……ね、ラブライブのことだってあるしみんなでがんばろーねっ!」

穂乃果「ラブライブでみんなに見られてっ! 海未ちゃんの夢も叶っちゃう!」クス…


海未「もうっそんなわけないでしょうっ」


 そうやって形見のネックレスを握りしめてみれば、いつでも姉さんが私のそばに居てくれる気がして。いつでも見ていてくれる気がして。

 からりと澄み切った、どこまでも広がる空。きっとあの空みたく、いつでも私のそばに居てくれているのですよね。


穂乃果「……早くいこ!」


海未「ええ」

 私と穂乃果の声が溶け込んでいく。


 雨の予報は、今後しばらくは無いらしいのです。


◇――――◇


千歌「んしょ……んしょ」


千歌「ふぁぁ……つかれだぁ……」

ダイヤ「だらしない声をあげませんの」

千歌「だってえ……」


千歌「これが慰霊の社……思っていたよりも小さいかも」

花丸「地域ごとにこういうのが細かくあるからこんなものだよ」

千歌「そうなんだ……」ナム…

千歌「よしっ、トレーニングも兼ねての慰霊だったわけだけど……沼津の方に寄っていこうよ!」

ダイヤ「遊びに来たわけではないと何度も」

ダイヤ「先代の犠牲に成り立っている今日であるということを理解せねば」

千歌「んー……わかってるつもりだけど」


花丸「少し前にね、ある所の女子高生が大火の祟りの影響を受けて、ウチの爺ちゃんのところに相談に来たらしいずら」

千歌「え、ほんとに祟りなんてあるの!?」

花丸「あるよ」

千歌「ぅ」

花丸「それはそれは大変なことだったらしいけれど……マルも正確には聞いてないし、驚かせただけかもしれないけれど、本当にあったってことだけは」


ダイヤ「なんにせよ……軽々しく扱うのはいけません」

千歌「そんな軽々しくなんて……」

花丸「じゃあ沼津に向かうバス停に行くあたり、そうだね……この清流を海側に下った場所にもう一つ社があるずらみんなと待ち合わせる間にそこにも行ってみよ」

千歌「もう一つ?」


花丸「そう、ここは大火の社で、この清流の下流にあるもう一つは」








ダイヤ「――津波の社」







花丸「流石ダイヤさん」

ダイヤ「当然ですわ」

千歌「じゃー早いところそこに行こ!!」ダッッ



ダイヤ「ちょっと千歌さん!! こんなところを走ったら――」








おわり。


見てくれた方はどうもありがとうございました。


良かったら前書いた↓もどうぞ。


千歌「うぅ……今日も千歌の"コレ"お願いします」ウルウル…ピラ…
千歌「うぅ……今日も千歌の"コレ"お願いします」ウルウル…ピラ… - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssr/1508742461/)

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