地の文形式 P視点 短編
一ノ瀬志希について独自設定・独自解釈あり
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志希が数日事務所に姿を表さなくなるのはよくあることだ。
それは軽く失踪しているのだったり、香水作りで篭っているのだったりする。
せめて連絡はしてほしいと常々言ってはいるが、どこ吹く風だ。
結局、アイドル生活に致命的なことはしないだろうという信頼(あるいは願望)のもとに黙認している。
とはいっても、こちらからの連絡に何の返事もよこさない状態が3日も続いたら、こうやって志希の元へ向かうことにしている。
「死なれていても困るからな…」
そんな呟きを漏らすと、枯れ葉が顔に降ってきた。たしなめられているようで思わず苦笑いする。
志希の今の住まいは、事務所から30分ほど歩いたところにある。
彼女が日本に帰ってきたときに買い付けたという、築35年の中古住宅。
本来ならリフォームが必要なくらいだが、どうせ長く住む気もないからと雨漏りすら放置されている。
そしてもっぱらガレージでアヤシイ科学実験にいそしんでいるというわけだ。
志希は今何をやっているのだろうか。そう考えながら歩いていると志希の家のある通りまで来ていた。
金木犀の甘い香りが漂っている。あたりを見渡してみたがそれらしき木は見当たらなかった。
まあどこかにあるのだろう。そう思って、志希の家まで歩く。そうすると次第にその匂いが強くなっていった。
志希の家には一応庭があった。しかし樹木が植わっていただろうか?
あったとしても花をつけていない金木犀を見分けることは出来なかっただろうが。
そうして志希の家の前まで来ると、まるで金木犀の木を目の前にしているかのように強い香りになっていた。
これは怪しくなってきたぞ?そう心の中でつぶやくと、一応インターホンを押してみる。
少し待ってみたが、思った通り志希は出なかった。
入るぞーと誰にともなく声をかけると、鍵のかかっていない門を入り、そのままガレージに向かう。
見るとガレージの窓は細く開いていて、どうやらそこから金木犀の香りが漂ってくるようだ。
カレージの扉をノックする。これにも志希は無反応だ。
ため息をつくと、志希から預かっている鍵で扉を開けた。
瞬間襲ってくる金木犀の香り。思わず顔を覆った。そして片手で鼻と口をふさぎながらもう片方の腕を大きく振りあおいだ。
そうして目に入ったのは金木犀の花がまき散らされたガレージとその中心に横たわる志希の姿だった。
やや呆然となったが、気を取り直して志希を起こすために彼女の元へ近づく。
花びらを踏みつけるたびに金木犀の香りがふわっとたちのぼった。
「志希ー。起きろー」
声をかけてみるが起きる気配はない。志希の頭のわきにひざまずいて軽く肩を揺さぶる。ひらひらと花びらがこぼれた。
まさか死んでいたりはしないだろうな。先ほどの冗談が頭をよぎって首がすくんだ。
この香りの中で一ノ瀬志希が安眠できるものか?というか自分でもどうだろうか…。
いやな考えを頭から振り払って注意深く志希を観察する。すると、非常にゆっくりとではあるが呼吸をしている様子がうかがえた。
ひとまず安心する。しかしどうしたものだろう。
そう思いを巡らしながらガレージの中を見渡すと、机の上に置かれた小瓶が目に留まった。
近くに行って小瓶を手に取って見ると中には白い錠剤がいくつか入っている。
ひらりとその下に置かれていたと思しいメモが落ちた。拾ってみると、
『志希ちゃん特製 眠り薬:効能12時間 服用日時 〇〇/××/△△ 23:30』
と志希の字で書いてあった。日付の書き方は西洋風で、昨日のものだった。時計を確認すると現在11時を回ったところ。
「あと30分で起きる…のか?」
その呟きに答える者は誰もいなかった。
続きは今日のうちに
ふいに与えられた30分という時間の空白。仕事をするでもなく休むでもなく、ただ時が流れるのを待つ。
こんな時間は久しくなかった。特に志希を担当するようになってからは、常に志希のことが頭の中にあった。
彼女に持ってくる仕事のことから彼女がいつかやめるといいださないかということまで、絶えず頭の中を駆け巡っていた。
しかし今こうして寝ている志希を見ていると、そういった心労からは無縁でいられた。
もっとも、志希が起きたら何をするつもりだったのか聞くことになるだろうし、それがまた頭痛のタネになるかもしれないが。
そうしてぼんやりと志希を眺めながら過ごしていると、いつの間にか30分は過ぎていた。
すると、志希の身体がもそもそと動き始め、一度ぐっと緊張した後、仰向けになって弛緩した。
数秒そうした後、首だけをこちらに向けてパチリと目を開けた。
「おはよう、志希」
目があった志希に朝の挨拶をする。
志希は数度瞬きをした後、体を起こそうかどうか迷うようなそぶりを見せた。
そして、大きなあくびをしながら体を起こし、一度大きな伸びをする。志希の身体から金木犀の花びらがこぼれる。
「ん~~、んふぅー。んーと、あぁ!おはよ~、プロデューサー」
そういいながら私の腕時計に目を向ける。そうしてにんまりと笑みを浮かべた。
「どうやら~、志希ちゃんの実験は大成功だったみたいだねー!ぱちぱちぱちー」
そう言って拍手しながらこちらを見つめてくる。こちらも拍手するとにゃはっと笑った。
「その眠り薬は素晴らしい効果みたいだな?」
「ふっふっふー。やっぱ気になるー?」
「まあ12時間は長いとは思うが、思った時間眠れるというのはそれだけですごい発明だと思うよ」
そう言うと志希はきょとんとした顔つきになった。そして立ち上がると机のもとに行き、薬瓶を手に取った。
そして私に見せつけるように腕を差し出す。そしてこう言い放った。
「これはねー、12時間眠るクスリじゃなくて、12時間目覚めないクスリだよ」
「12時間…目覚めない…?」
「そう、12時間はゆすられてもたたかれてもサイレンが鳴っても地震があっても火事になってもミサイルが落ちてもレイプされても
死んでも目覚めない、死んだように眠る。そんなクスリ」
言葉と一緒に近づきながら目の前に突き付けられた薬瓶、そしてそれを通して見えるぐにゃりとゆがんだ志希の姿。
それらを前にしながら、私はようやく言葉を絞り出す。
「じゃあ、実験成功って言ったのは」
「あたしが目覚めることなく12時間を過ごしたとわかったから」
「それじゃあ、志希が今起きたのは」
「全くの偶然。なんてことはなくってー」
そういうといきなり薬瓶を投げ出して顔を胸元に押し付けてくる。
「キミの匂いがしたからだよ」
カラカラと転がった薬瓶は金木犀の花弁の山に受け止められ、音もなく止まった。
私はそれを見つめながら志希が顔をうずめるのを呆然と受け止めていた。
髪をなでると志希の香りと金木犀の香りが混ざりあってたちのぼる。
志希が金木犀の匂いに塗りつぶされ消えてしまわないかと不安になって、思わずぎゅっと抱きしめた。
どれくらいそうしていただろうか。パッと志希が離れると、薬瓶を拾ってきて私に手渡した。
「はいこれ、任せた!」
「任せるってお前、志希」
「処分するでもよし、やっぱりあたしに持たせてくでもよし!キミの決定に従おう!」
「そうはいってもな…」
「それとも使ってみる?キミの体格だと…8時間ってとこかにゃー」
「いや、それは遠慮するよ。8時間寝られるのがそもそもいつになるか…」
「にゃははーブラックー。…じゃあ、よろしくね」
そう言うとガレージの扉へ向かう。
「どこに行くんだ?」
「シャワー浴びてくる―。いやー改めてかいでもすごい匂いだねー、この花」
「そう言えばこの金木犀、いったいどっから持ってきたんだ」
「ナイショー。ついでにこれ掃いて捨てといて―。箒と塵取りとゴミ袋はそこにあるからー」
「…プロデューサー使いが荒いことで」
「立ってるものはプロデューサーでも使えってさー♪」
そう言うと志希は鼻歌を歌いながら去っていった。私は一つ大きなため息をつくと、花を片付け始めた。
ガレージ一面の金木犀の花がすべてごみ袋に収まるには30分ほどを要した。
そうして花が詰まった袋を縛る前に、薬瓶の中の薬を捨てた。
袋を縛り上下に振ると、もう薬がどこにあるのかはわからなくなった。
これは捨て去るべきものだ。その思いが志希に伝わるといいが。
そう考えながら空の薬瓶を元あった机の上に戻すと志希が帰ってきた
志希は一度ガレージを見渡し、空の薬瓶と花の詰まったゴミ袋に目を止めてこくこくと頷いてみせた。
そしてひとしきり匂いを嗅ぎながらガレージの奥までいって、換気扇をつけて戻ってくる。
「いこっか、プロデューサー」
「……ああ」
ゴミ袋を拾い上げ、志希とともにガレージを出る。
「燃えるゴミの日はいつだかわかるか?」
「さあ?気にしたことないし」
「どっかで見たの覚えてたりしないか?」
「んーーとねー、月曜木曜?」
「そうすると、明後日までどこかにおいとくしかないな」
「じゃーねー、あそこにおいといてー」
そう言って志希が指さした先にはポリバケツがいくつか並べてあった。そのわきにゴミ袋を置きに行く。
「自分でちゃんと捨てろよ?」
「ゼンショしまーす」
志希はかがんで袋を見つめている。そして一度ポスンとたたき、立ち上がった。
志希の家を出て二人で歩く。来た時に感じたあの金木犀の香りはすっかり薄まっていた。
そのまま通りを過ぎようとしたとき、志希が歩みを止めた。
「夢にキミが出てきたんだよ」
「夢?」
「あの薬で眠っている時は本来夢なんか見ないんだ。それすらできないほどの深い眠りだから。
でも、その効果が切れたとき夢を見た。キミがあたしを呼んでいる夢を」
「……」
「金木犀の香りが漂う中で、それをかき消すほど強くキミの匂いを感じた。キミの存在を感じた。
そしてキミにひかれていったらあたしは目が覚めた」
「もし、私がいなかったら」
「永遠に目覚めなかったかも?あそこはもしかしたら生と死のはざまだったのかもね」
川岸でも何でもなかったけどね。そうつぶやくと志希は数歩駆け出し、そして振り返った。
「キミは、あたしがどこへ行っても見つけてくれる?」
私は志希のもとにゆっくりと歩いて行った。そして志希の両手を取って告げる。
「もちろんだ」
「……ありがと」
志希はそう言って手を繋ぎかえ、私の手を握ったまま歩き出した。
志希に歩幅を合わせて、一緒に事務所へ向かう。
ともに歩く時間ができるだけ長いように願いながら。
以上になります。
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