岡崎泰葉「ヴォカリーズ」 (24)
その夜、15歳の岡崎泰葉が望む事ははっきりしていた。
とにかく一刻も早くこの芸能関係者でごった返したパーティー会場を抜け出して、人目につかない暗い場所に行きたかったのだ。
そうしないと、感情を爆発させてしまいそうだったから。
『相変わらず可愛いね。あのころとちっとも変わらないな』
きっかけは、数年前お世話になったことのある大物監督さんのそんな言葉。
一瞬、息が詰まったような心地がした。
それはちっとも褒め言葉なんかじゃない。
それは『成長してない』という意味だった。
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岡崎泰葉はプロだ。
プロの子役でモデルでもある。
演技力では人後に落ちぬと自負している。
求められるものに応えるため、常に努力を欠かさなかった。
ただ、それは子役としての話だ。
岡崎泰葉の体格は小柄だ。
中学一年生並み、といっても過言ではない。
身長は去年あたりから、全く伸びなくなっていた。
顔立ちは―――はっきり『幼い』と言って差し支えない。
まるで、大人たちが求め、もてはやした『子役の泰葉』のまま時が止まっているかのようで―――鏡を見るたび、悪い冗談のようだ、と泰葉は思う。
子役としての岡崎泰葉が求められる間は、それで差し支えない。
だが、岡崎泰葉は15歳だ。
役者はいつまでも子役でいられるわけじゃない。
ある程度の年齢になれば娘として、女性として―――新しい演技と魅力を開拓し、ステップアップしていかなくてはならないのだ。
娘役にステップアップしていくべき泰葉にとって、幼い容姿はハンデとなる。
容貌は変えようがない。
小手先のメイクでどうにかなる話でも無い。
別の武器が必要だった。
だが、泰葉の長い芸暦、経験の中に、ステップアップするための『武器』は存在していなかった。
泰葉の経験は、大人がそうあれと言った子役としての枠の中にあったからだ。
いつまでも同じ姿の人形に、人は必ず飽きるものだ。
下からは新鮮な魅力に溢れた新しい子役たちが台頭してくる。
同年齢の子たちは娘役として新たな役に挑戦したり、方向を転換したりしている。
同じ場所で足踏みしている元・子役に、いつまでも席は残っていないのだ。
監督の言葉はそれを指摘したもので―――泰葉自身、それを痛感し、苦悩していた。
子役として大成功したものの、そこから脱却できず芸能界から去ったもの、成長に失敗して見向きもされなくなったものは数知れない。
成長しなくてはいけない。
大人にならなくてはいけない。
解っている。
そんなことは自分が一番よく解っている。
だが、どうすればいいのか、わからない。
岡崎泰葉はプロだけど。
努力し、工夫し、訓練を積み重ねて、要望に応えてきたつもりだけど。
今まで『こうあれ』と言われ、必死に応えててきたものがある日仇となってしまったらどうすればいいのだろう?
岡崎泰葉はプロである。
プロというのは、仕事の関係者や顧客の前では、決して生の感情を露にしたりしないものだと泰葉は思う。
客は自分の生の感情なんかに興味はない。
興味があるのは「成果」だけなのだから。
だから、いつもの泰葉なら監督の言葉にもにっこり笑って、『ご心配ありがとうございます。自分はその問題を認識していて、きちんと克服します』とでもごまかすことが出来ただろう。
だけどあいにく、泰葉はその日、疲れていた。
難しい仕事がいくつも続いていたし、ステップアップへの具体的なヒントは全く見えてこない。
そもそも、ニコニコ笑うのにも疲れていた。
だから―――
我慢できなくて。
嫌な言葉に背を向けて。
逃げてきたのだ。
腹の底のほうでながいこと渦を巻いていたものがあふれ出しそうになる。
目頭が熱い。
だが、あの場でぶちまけてしまうことは、プライドが許さなかった。
パーティー会場のある建物には中庭がある。
照明は落とされていて、暗い。
パーティーだってただの宴会じゃない。
泰葉も事務所に所属する芸能人として、まだまだ挨拶したり、したくもない雑談に興じてみせる必要がある。
だけど、ほんの数分、目立たない場所で涙や感情を始末してきたっていいはずだ。
人ごみを避けて、暗いほうへ、人の居ないほうへと泰葉は逃げていき―――
そして。
「―――っ」
逃げて行ったまさにその先で、ばったり少女に出くわした。
タイミングの悪いことこの上無しだ。
さあ泣こう、というタイミングを邪魔されて、思わず嫌な顔をしてしまう。
「…あ、す、すいみません…っ」
夜闇に映えるような白い肌に困り眉の少女は、泰葉の顔を見て反射的に謝罪する。
よほど不機嫌そうな顔をしていたのだろうか。
普段なら反省してすぐさま笑顔に切り替え、イメージを挽回する泰葉だが、激情に蓋をされた今は、そんな余裕がない。
ギッと音がするほど、少女を睨みつけてしまう。
色白で、どこか憂いをたたえた華奢な少女だった。
泰葉より少し背は高いが、多分年下だろう。
この会場にいるのであればどこかの事務所に所属している芸能人なのだろうけど―――知らない子だった。
磨けば光る素材に見えたが、泰葉には一目でその子が所属事務所に期待されていない子だと解った。
パーティーだって、ただの宴会じゃない。
芸能関係者が集まるパーティーは売り込みの場でもある。
だけど、その少女の格好はちぐはぐだ。
服とアクセサリーのコーディネートがばらばら。
メイクも夜の会場を意識したものじゃなくて、不十分。
多分目の前の少女が、自分なりに勉強し、精一杯考えたコーディネートなのだろう。
それはその少女の周りに、彼女をどう売るか、どう育てるかを考える大人が居ないのだということを示していた。
睨まれた少女はもう一度『ごめんなさい』と謝ってから、あっ、と小さく声をあげ、目を見開いた。
多分、自分の目の前にいるのが『岡崎泰葉』だと気がついたのだろう。
自分を知っている相手の前では、よけい泣けないではないか。
泰葉はさっと少女に背を向ける。
どこか別の、泣ける場所を探さなくては―――
…だが、時間切れだった。
―――泰葉、泰葉。
遠くから、泰葉の名を呼ぶ声が近づいてくる。
多分、自分が会場に居ないことに事務所の人が気付いたのだろう。
「…もどらなくちゃ」
自分に言い聞かせるように呟くと、泰葉は『いつのも岡崎泰葉』の表情を作りにかかる。
涙を押し込めて、感情に蓋をして―――
「―――♪」
えっ。
岡崎泰葉は驚いて、思わず振り返った。
何故って、唐突に背後の少女が歌いだしたからだ。
か細いけど、綺麗な声。
何か意味がある歌詞を持つ歌ではなくて―――たしかヴォカリーズ、と言ったと思う。
ただ、綺麗な母音だけが伸びやかに―――
いやいやいや。
ちょっと聞きほれそうになってから岡崎泰葉は混乱する。
この子は何故突然歌いだしたの。
何考えてるの。
もしかしてちょっとおかしいの?
動機が理解できない。
わけがわからない。
だけど振り返ると、少女はひどく真摯な顔で歌っていて、ふざけているようにはとても見えない。
そして、さらにわけのわからないことが起きる。
自分を探して近づいてきた、事務所の人の声が遠ざかっていくのだ。
「ええええ」
わけがわからなすぎて、自分でもあきれるぐらいマヌケな声を出してしまう泰葉。
それに気づいたのか、少女は歌を止めて。
「―――大丈夫です」
ちょっと困ったように、笑った。
「…私がここにいるとわかったら、誰も近づいてこないから。私のことをよく知ってる人、多いから―――」
「…あなた、もしかして…」
噂を、聞いたことがあった。
次から次に事務所を潰す、不幸の子がいるという噂。
抜けるように色が白くて、少し紫がかった瞳をしているって―――
泰葉はそれを誇張された、よくある噂の類だと思っていた。
芸能界というのはゲンを担ぐ上に噂に尾ひれが付きやすいものだから。
だけど少女は頷いて。
「はい。多分その『もしかして』が、私です」
などと応えるのだ。
「ご、ごめんね…」
寂しそうに笑う少女に気付いて、思わず謝罪する泰葉。
「いいんです、ほんとのことだから―――でも、あの」
少女は、今にも消えそうに笑ってから、くるっ、と背を向けた。
「―――その、私、歌ってますから」
「…えっ」
意図が理解できなくて、思わず問い返す泰葉。
「私が歌ってる間は、きっと誰も寄ってこないですから。歌っていれば、何も聞こえないですから―――」
それ以上なにも言わず、少女は再び歌いだした。
もう、泰葉を見もしない。
―――だから、その間に泣け、ということなのだろうか。
この子は自分が泣きに来たことに気付いたのだろうか。
おかしな子だ、と泰葉は思う。
泰葉は、少女について面白半分の噂以上のものは、知らない。
だけど、初対面のこの少女は自分のために歌うのだという。
私のことを、何も知らないのに、歌って周りから嫌がられるのだと言う。
自分は嫌われてるから誰も寄って来ない。
だからこれで安心なのだという。
おかしな子だ。
おかしな子だ。
でも、そのおかしさが決して不快ではなくて、泰葉は泣いた。
歌にかき消されるほど小さく嗚咽をあげて、ほんのしばらくの間―――。
―――――――――――――――
「…ふあ…?」
アイドル岡崎泰葉16歳は、事務所のソファでうたた寝から目覚めた。
夢を見ていた。
一年も前の夢。
アイドルになってこの事務所に来る前の夢。
―――いつの間にか、寝ていたんだ。
そう気付いて、泰葉ははにかむように笑う。
子役だったころ、事務所でこんなにリラックスしたことはなかったように思う。
でも、ずいぶん懐かしい夢だった。
少しの間歌を聞きながら泣いて。
お礼も言わずにあそこを離れて―――
アイドルに転進しよう、と決めたのはあれからしばらくしてからのことだっけ。
忙しくて、このごろは思い出すこともなかったけど―――
そこまで考えてから、岡崎泰葉はハテ、と首をかしげた。
私は本当に、夢から覚めているんだろうか。
何故って、夢の中で聞いたあの歌が、今もはっきり聞こえてる。
少し首をめぐらせる。
少し離れたテーブルで、台本に目を通しながら、白菊ほたるが小さく歌っていた。
「―――ほたるちゃん?」
「…おはようございます」
泰葉の声に、ほたるが丁寧に頷く。
泰葉は黙って、ほたるを見た。
そして、ああ、と頷いた。
ほたるは、ちょっと恥ずかしそうに、笑った。
「ねえ」
泰葉は笑って、身体を起した。
「その歌。もうちょっと聞かせてもらっていい?」
「―――はい」
それ以上、何か問うことも、答えることもない。
ただ、事務所に静かなヴォカリーズが流れて―――
(おしまい)
おしまいです。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
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