双葉杏「セーラー服をぬがさないで」 (25)
久し振りにSSを書いたので初投稿です。
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杏「おっつー……あれ、プロデューサーしかいないじゃん。きらりは?」
P「ハズレみたいな扱いをするな。見てないぞ。まだ学校じゃないのか?」
杏「そっか。まぁ待ってればその内来るかな。邪魔するよ」
ひょこひょこ歩いて来客用のソファに腰を下ろす双葉杏に、プロデューサーは目を剥いた。
その行動にではない。彼女の傍若無人さからすれば、この程度のことは日常茶飯事の朝飯前である。
プロデューサーが驚いたのはその出で立ちにだった。普段のスタイルとは全く異なったフォーマルな服装。
いわゆる学生服、それもブレザーを着用しているのは初めてのことだった。
P「その服……制服だろ? お前んとこって私服じゃなかったっけ?」
杏「ぶぶー。標準服でーす。とまぁ揚げ足取りはさておき……私服OKだけど、それとは別に制服もどきみたいなのがあるんだよ。今日は終業式だったからさ。節目の行事くらいは、ってね」
P「ふーん……はー……へぇー……」
杏「何その生返事……人の話ちゃんと聞いてる?」
P「聞いてる聞いてる。でも珍しいなって思ってさ。初めて見た」
杏「そうだっけ? まぁ言われてみたら式典の時って大体家に帰ってるな……なんかこう、肩が凝るんだよね」
P「フォーマルな服ってのは得てしてそういうもんだろ。しっかし……こうして見るとお前、高校生だったんだなぁ」
杏「こうして見なくても高校生だよ……なんだと思ってたの」
P「うーん……座敷童?」
杏「……プロデューサーの方がさ、杏のことひどい扱いしてることあるよね。まぁいいけど。高校生だから何?」
P「いや、ちょうど学園ドラマの役の募集が掛かっててさ。誰にしようかなーなんて思ってたんだけど……杏、やってみないか?」
杏「えー。仕事の話ー?」
P「そう言うなよ。当たれば大きいぞ? オーディション用の台本もあるし、目を通すくらいしてみろよ」
杏「気乗りしないなぁ……もっと適役がいるでしょ。杏に振ってどーすんのさ」
口ではそう言いつつも、プロデューサーに促されるがままに台本を手に取る杏。
パラパラとページをめくる。内容はおおよそオーソドックスな淡い恋物語のようだった。
学期末、転任する教師を呼び止める女生徒。いつまでも打ち明けられなかった思いを、勇気を出して口にする。
その気持ちは嬉しいと、しかし首を横に振る。教師と生徒という立場は、思いを受け入れるにはあまりにも高い障害だった。
そうでなくとも、明日にはここを発つ。離れた場所で想い合うより、身の丈に合った相手を探す方がいい。
そんな現実的な提案に、女生徒は目に涙をいっぱいに溜めて背を向けた。
駆け出す背中に思わず手を伸ばしたが、男の手は悲しいほどに短く星屑には届かない。
行き場を失くした手を固く握り、壁に拳を叩きつける。ただ空虚な音だけが廊下に響いていた。
杏「何これ」
P「そういうことを言うな……演技力を測るためのシナリオなんだから。王道だろ?」
杏「王道も過ぎれば陳腐だよねー」
P「だからそういうことを言うな。……オーディションではこの女生徒の役を演ってもらう。難しくないだろ?」
杏「え、なんでいつの間にか受けること前提になってるの……やらないよ。やってもどうせ落とされるでしょ」
P「そんなもんやってみなけりゃ分からんだろうが。お前の転換点になるかもしれないんだぞ」
杏「えーだってこんな陳腐……ん゛んっ、王道ストーリーつまらないじゃん」
P「なんならアドリブ入れてもいいと思うぞ。むしろそういう独自性を求められてるのかもしれない」
杏「めんどくさ……台本通りでいいでしょ」
P「相手役は俺がやってやるから。練習にもなるだろ」
杏「えっ。恥ずいんだけど」
P「役者が恥ずかしがってどうする。ほら」
プロデューサーが急かすように促すと、ためらいながらも杏は渋々といった様子で頷いた。
プロデューサーに迫られると、なんだかんだで拒めないのがこの双葉杏なのである。
☆
『……やっと見つけた』
小柄な少女は階段の踊り場で壁に手を突き、肩で呼吸をしながら額ににじむ汗をもう一方の手の甲で拭う。
視線の先にはどこかとぼけたような表情のスーツ姿の男がいた。小脇にはいくつかのファイルと、黒い表紙の紐で綴じられた名簿を抱えている。
『双葉か。そんなに急いでどうした? クラスのみんなともしばらく会えなくなるんだから、もっと教室でゆっくりしてても――』
『先生には、もう会えなくなるのに?』
先生と呼ばれた男の言葉が途切れる。首だけ向けていた姿勢を整え、改めて少女に向き直り彼は言った。
「……杏に先生って呼ばれるの、なんかいいな」
「ちょっと。やる気あんの? もうやめる?」
「あー待て待て、ええっと……『お別れ会はもう済んだだろ。まだ名残惜しいなんて言うのか? よりによってお前が?』
せせら笑って「先生」は言った。彼がそんな態度になるのも、普段の少女の言動を知っていれば致し方ない。
なにしろ、何かにつけ彼女は反発していたのだ。はねっ返りというような性格でもない。
それでも彼女が反発心を見せるのは、もしかして嫌われているからではないだろうかと悩んだ日もあった。今では、それも笑い話だが。
要は彼女は思春期で、彼女の反発しやすい手頃な大人の存在が自分であった。遅く来た反抗期のようなものだったのだ。
それはそれだけ身近に感じられていたということでもあって、教鞭を執る身としては喜ばしい話であった。
そう、思っていたのだが。
『……惜しいに、決まってんじゃん。どうせニブチンの頭だから分かってないんだろうけど……せめて、卒業するまでは一緒にいたかったよ』
『この土壇場になって……いや、土壇場だからか。ようやく素直になったってことか?』
『そうじゃなくてさ……』
はぁ、と少女は溜め息を吐く。呆れたとでも言うかのような態度に、男は訝しげに眉をひそめた。
しかし次の言葉で、ようやく彼は自分が「ニブチン」と言われた理由を真に理解したのだ。
『……先生のことが好きだったからだよ。ほんと、ここまで言わないと分からないなんて……あり得ないなぁ』
ぷいとそっぽを向く。白い肌にやけに目立つ、リンゴのように赤々と焼けた頬を代わりに正面に向けて。
男は間の抜けた顔でそこに立ち尽くしていた。彼女が何を言ったのか、すぐには飲み込めなかったからだ。
しかし過去の出来事や現在の状況、彼女の今までの態度等々を勘案すると、なるほど彼女の言葉に疑いの余地はないと論理的に理解する。
論理的に理解できたところで、感情がそれに追いつくかはまた別の話であるのだが。
『待て待て……待て待て待て。先生と生徒だぞ? 何歳離れてると思ってるんだ』
『先生こそ杏のこと、見た目だけで判断してない? 高校三年生だよ。言うほど離れてるわけじゃない』
『んなこと言ったって……いや、年齢の問題じゃなくてな、立場っつーもんがだな……』
『だって先生、この学校からいなくなるんでしょ? じゃあもう杏は先生の生徒じゃないもん。それなら問題なくない?』
『……そう、俺はこの学校からいなくなる。お前とももう会えなくなるかもしれない。離れていても、とか口では簡単に言えたって、現実はそう上手くいかない』
男が険しい表情を作ると、先ほどまで調子付いていた少女の表情もまた曇った。
理想をどれだけ口にしようと、現実はそれをはるかに超える重みで蹂躙する。それが分からない年齢でもなかった。
だから、と「先生」は言った。
『お前の気持ちは嬉しいけどさ。……大人しく、同級生を相手にしろよ。多分それが双葉にとっても幸せだ』
『人の幸せを勝手に決めないでよ! 先生を諦めろって!? それで……それでどうやって幸せになれるって言うんだよ!!』
『……あんまり、先生を困らせないでくれよ。お前だって分かってるんだろ?』
うつむいていた少女が顔を上げると、その目にはいっぱいの涙が溜まっていた。
彼の言葉をどうしても否定したくて、でもできなくて。どんなに考えてもいい方法なんか全然見つからない。
せめて、この身があと少しだけでも大人であったなら。あと一歳でも違ったなら、きっと先生の後を追いかけて行けたのに。
因果も何もなく、決してあり得ることのない仮定を、頭の中だけで子どものように振り回す。
『……じゃあ、さ。最後に……一回だけでいいから。……抱き締めて』
『は!? だってお前、こんなとこでもし誰かに見られたら……』
『誰にも見られなかったらいいの?』
『いや……そういうことじゃなくてだな……』
『……ふん。冗談だよ。今さら意地悪言わないからさ……ちょっとだけでいいから、夢、見させてよ』
少女は一歩前に踏み出す。対する男は一旦後ずさりしかけて、しかしその場に踏みとどまった。
はぁ、と溜め息を吐いた。両手を広げて、やや優しい面持ちで。彼女の身体を抱き留めるために、彼はそこで待っていた。
その腕の中に、身を投げ出すように少女は前へと進み寄り――身体を受け止める腕をすり抜け、顔と顔が不意に触れた。
「――――っ!? おまっ……!!」
『……へへん。どうせ離れ離れになるんなら、これくらい役得ってもんでしょ』
「いやそうじゃなくて……!」
「役。やーく。もっかい聞くけど、やる気ある?」
「……『馬鹿野郎。そこまでする奴がいるか』」
どんなに威勢のいい言葉を使っても、耳まで真っ赤にさせていてはまるで意味がない。
しかし彼女の意気を買って、プロデューサーは役に戻る。本音半分のセリフと共に。
『へん。まんまと騙されやがって。自分の服を見てみるんだな』
言われるがまま、男は視線を下に落とす。少女が身を引くと、糸がほつれてボタンの取れた無残なスーツの姿が目に入った。
『……おい。何をした』
『ふふん……油断大敵。先生の第二ボタン、バッチリ貰ったかんね』
目じりをキラキラを光らせながら、少女は右手に握った黒のボタンを見せびらかすように高く掲げる。
卒業式と言えば第二ボタン。象徴的な青春の一幕。確かにそんな固定観念はあったが、いや、しかし。
『お前な……本当にもぎり取る奴がいるか。いいから返しなさい』
『ボタンっくらい別のを付けなよ。これはもう杏んのだかんね。絶対返さないもーん』
『またガキみたいなことを……はぁ。最後の最後まで、迷惑ばっかり掛けさせられるよ』
彼女が頭上に掲げる右手へと手を伸ばそうとして、男は思い直した。
こんなに楽しそうな顔をしている彼女を見るのは久しぶりだったからだ。前に見たのはいったいどれくらいだろうか。
あるいは、それさえも分からないほど前から、自分の選択が彼女の表情を曇らせてしまっていたのかもしれない。
そう思ったら、ボタンの一つくらいを惜しむ気持ちにはなれなかった。
『……このボタンに誓うよ。杏、いつか必ず、先生のとこまで行くから。……もう会えなくなるだなんて、言わせないから』
高く掲げたボタンを胸の前まで下ろして、拳の中で固く握りしめる。
先ほど口にした言葉が、彼女の心には引っかかっていたらしい。半ば脅すためであったが、彼女には現実味を持って感じられたということか。
事実、それはあり得るのだ。彼女が諦めて、あるいは忘却して、その感情に区切りをつけたなら。きっともう、二度と会うことはないだろう。
だからこそ、彼女の誓いが、彼には胸に響いて聞こえた。
『だから――その時まで、ちゃーんと一人で待っててよ! すぐに迎えに行くからさ!』
それだけを叫ぶようにして、杏は彼に背を向けて走り出した。
後ろ姿に思わず手を伸ばそうとして、やっぱりよそうとただ見送る。
いつか、彼女が会いに来る時まで――手を伸ばすのはその時にしようと、彼も密かに決めたからだった。
☆
杏「…………」
P「…………」
杏「……なんか言えよ」
P「いや……なんつーか……よくやるね?」
杏「うるせー! やれって言ったのはプロデューサーじゃん!」
P「あそこまでやれとは言ったつもりなかったけどな……」
杏「うるさいうるさい! あー恥ずかし……真面目にやったらこれだもん。やっぱやるんじゃなかった。杏辞退するね」
P「待て待て! その……さすがに行きすぎなとこはあったけど……元々のシナリオを上手く改変してたし! 俺好みだった!」
杏「……そう? プロデューサー好みでも何の意味もなくない?」
P「何の意味も……なくはなくないけど。でも俺は好き」
杏「……そうかよ」
会話が途切れた。何か軽口で返されるものかとばかり思っていたプロデューサーは、すっかり対応に困ってしまう。
対する杏は特に動揺したような様子も見せず、立ち上がってスカートの裾を払うと、部屋を出ようと歩き出す。
思わずその背に声を掛けると、杏は首だけをプロデューサーの方へ向けて言った。
杏「……恥ずいんだよバカ。きらり探しに行ってくる」
バタン、と扉の閉まる音が事務所内に響く。
部屋に一人残されたプロデューサーは、背もたれに身体を預けるとたまらず肺に残った息を吐き出した。
P「はぁぁぁぁぁぁぁぁ…………なんなんだよあいつ…………明日からどんな顔して話せばいいってんだ」
情動の吐息がこぼれ出る。彼女の前で動揺こそしても、ここまでテンパっていることは知られたくなかった。
少し濡れた唇を人差し指でそっとなぞる。僅かにリップクリームの粘り気が指先に残った。
そこに今まで気軽に接していた少女の女性らしさをにわかに感じて、僅かに頬を赤らめる。
――いかん。何をしている。相手はあの双葉杏だぞ。そして自分はプロデューサーだ。
平常心平常心。今のこの感情はただの気の迷い。一日前の自分を思い出せ。
などと必死に考えているすぐ外で、壁にもたれかかった杏が顔を真っ赤にさせて全く同じことをしていることは知る由もなかった。
おわり。
進め乙女、もっと先へ。
そんなお話でした。
お疲れさまでした。
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