百合子「愚者の私に出来ること」 (15)

地の文があります、初投稿だから諸々大目に見てくだしあ

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 初めから答えなんて見えていたのに、それでも何かが変わることを私は期待していたのだろうか。

 後悔先に立たず。覆水盆に返らず。そんな風に、今の私みたいな思いをしてきたであろう人々が零したであろう言葉はことわざとして現代まで残っているというのに。

 賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ。かの鉄血宰相ビスマルクはそう言った。その言葉を証明するように今の私は、なるほどこれが後悔というもので、先人の言葉たちはいつだって真理を指し示していたんだなんて、精一杯に心の中で強がりながら肩をすぼめて、横に長く伸びた座席の隅っこに腰を下ろしている。

 がやがやと、どこに耳を傾けなくたって真夏の蝉時雨にも似た勢いで鼓膜をめがけて飛び込んでくる言葉の洪水がただ煩わしい。

 ちびちびと自分で持ってきたドリンクバーに口をつけながら、私はぼんやりとそんな思いを抱きながら自分の周囲にいる集団を、そして似たような一塊になって三月のファミレスに集っている集団をぐるりと一望してみる。心なしか、家族連れや私服を着ている人たちよりも、どこかの制服に身を包んだ人の方が多いようにも見えた。

――まあ、私もその一部なのだけど。

どうにも収まりの悪い胸元のリボンタイを正しながら、この酩酊にも似た盛り上がりに水を差さないようにそっと溜息を一つ。こんな時期に、しかも真っ昼間からファミレスにたむろしている制服の集団と言えば、何をしているかなんて答えは火を見るより明らかだ。

部活の送別会。

まあ、実際は名前が違ったり事情も色々違うのだろうけど、雑にひとくくりにしてしまえば大方そんなものだろう。

この時期になればどこの部活も三年生は現役を退いていて、それでも部活のことが忘れられない一部が一足先に迎えた春休みを利用して、遊びに来る感覚で顔を出すのが通例みたいなものだ。とりわけ運動部なんかはそれが顕著で、女バドは未だに部活に来ている三年生がいるのだと、どこかで小耳に挟んだことがある。

――じゃあ、私が籍を置いている美術部がどうかと聞かれると。

「先輩たちはもう受験終わったんですよね?」
「そもそも受かってるかわかんないよね」
「えー、だめじゃないですか、それじゃ」

 何が面白かったのか、そんな三年生と二年生のやりとりにどっ、と笑いが巻き起こる。

 その後、三年生は各々第一志望として受けていた高校の名前をつらつらと挙げていったけれど、誰もどれも似たようなラインナップで、面白みがあるかと言われれば正直なところ首をひねらざるを得ない。

 私の隣の席に座っている咲洲さんというらしい同級生が、この辺りでよく知られている模試の資料に書かれた偏差値一覧のど真ん中にある高校の名前を挙げる。

 ああ。

 こういう流れか、と、わかってはいたけどいざ自分の所にお鉢が回ってくれば、憂鬱にならざるを得ないわけで。

「じゃあじゃあ、百合子ちゃんはどう? やっぱ咲洲先輩みたいに中校受けた系です?」

 百合子。七尾百合子。私の名前だ。

 だけどその名前を呼んでいるのは、三年生じゃなくて、この美術部を取り仕切る二年生グループのリーダー格みたいな女子で、当然のごとく私の後輩に当たるわけで。

 彼女は中途半端に敬語こそ使っているけど、そこに私に対する敬意とは言わないまでも、何か心遣いのようなものがあるとは思えない。

 別に私は、上下関係に対して厳格なこだわりがあるとか、そんなことは決してない。むしろ、言ってしまえば体育会系気質なそういう風潮があまり好きではない方に属していると思う。だけど。それでも。

 後輩たちがその子に追従して、私の名前を呼び捨てる。百合子。両親から呼ばれたときのような温もりもなく。百合子ちゃん。友達に呼ばれたときのような優しさもなく。百合子さん。大好きな、一個下の妹みたいな子に呼ばれたときのような、胸の奥を温めた真綿で包まれるような温くも優しい、不思議な思いが湧くのでもなく。

 私は、平たく言ってしまえば、後輩から嘗められている。

 嘗められている、というのもなんだか乱暴で響きが良くない言葉だと思うのだけど、私が置かれている状況を示すのにこれ以上適した言葉もないはずだ。

 それは、私の顔つきがそうさせるのだろうか。それとも美術部に入った他の三年生と比べて背が低かったりするからなのだろうか。一年生の頃は、そうじゃなかった気がするけれど。

二年生になってから、何度考えても答えが出なくて、時には枕を濡らした問いが脳裏を掠める。他に入りたい部活もなくて、だけど何かしらの部に所属することを求められて入ったこの美術部は、最初から居心地のいいところではなかったけど、中学生活の終わりを迎えてみれば、最早牢獄にも等しいものに成り下がっていた。

「あ、そういえば百合子ちゃんアイドルやってるんだよね、そしたらやっぱり芸能系?」
「そうなんだ、初めて聞いた」

 言ってなかったから。

 なんて、そんな風に答えられるわけもないから、言ってなかったっけ、なんて、曖昧な言葉でお茶を濁す。一応、顧問の先生には伝えていたはずなんだけど、そもそも美術部を担当している先生は部活にそれほど熱意がなかったから、伝え忘れていたのかもしれない。

そうじゃなければ、面倒だから放っておいたのか。でも、どっちだっていい。結果は同じなのだから。
 
私の後悔というのは、この送別会という名前の井戸端会議に顔を出してしまったことだ。

 指摘されたように私は、ただでさえ元から出席率が低かったのに加えて、今年の初め頃にアイドルの道を歩んでからは八割九分幽霊部員になってしまっていた。一応、作品の提出が求められるコンクールの時期だけは制作作業と進捗の確認のために顔を出していたけれど、それもきっと両手の指で数えて足りるほどだろう。

 本来であれば、参加してもしなくても大して変わらないようなポジションが私の居場所で、それは事実として顔を出してみれば改めて、嫌というほど思い知らされた。

 後輩の子にもきっと、悪意はないんだと思う。

 悪意があればもっとひどい目に遭っているであろうことを、幸いと言うべきか私はすぐに想像できるし、一時期は危惧してもいたけれど、それは全くの杞憂に終わってくれた。むしろ、人見知りのする私に対して何かアプローチをかけることで輪に引き込んだりだとか、或いは部活の中でそういうポジションだといつの間にか決まっていた私をその通りに扱うことで、自分が美術部の一員であるということをアピールしたいのかもしれない。

 でも、どっちにしたって嫌なものは嫌だし、もしも前者なら大きなお世話だ。

 だけど私は知っている。それを声に出してしまえば、そんな温い曖昧さを大黒柱に据えていた美術部という関係性はいつしか陽射しに焼かれて消えていく霧のように脆く崩れてしまうことを。

 誰かが言った。人の心に土足で踏み込むなと。誰かが言った。人の心に踏みいるには、相応の資格がいると。

 だから私がスーパーのおもちゃ売り場で駄々をこねて泣きわめく子供みたいに、生の感情をむき出しにして拒絶を口にして迎えるであろう、不安定な戦いの未来よりも、曖昧で、私一人が誰に踏みいることもせず得られる安寧を選んだ。ただ、それだけの話。

「うーん、私も皆と同じかな。受かってればの話だけど」
「アイドルやめちゃうんですか?」
「そうじゃなくて……なんて言えばいいのかな、勉強したいことがあるの。もちろんアイドルはやめなくて」
「じゃあ、二足のわらじってやつですか? すごーい、なんだか格好いい」

 そんなお世辞を口にすると、私への興味を失ったのかその子はさっき私たちが挙げた高校を受けるには自分の成績が不安だという新しい話題を展開して、仲のいい三年生が気むずかしくてあまり生徒に好かれていない数学の先生の名前を挙げて、その人のせいだとぐうの音も出ないほどに批難してみたり、一年生の子にたった十五年や十四年で得られた人生訓じみたものを語ってみせる。

 私はたまに相槌を打つ程度だったけど、その相槌が私のものだと認識されていたかどうかも妖しい。まあ、ただでさえさっきみたいな事情もあれば、一年生からすれば顔も出してない先輩のことを覚えていろと言うのも酷な話だろう。

 それに、私はアイドルになったのだ。事務所や劇場の皆と同じ夢を一丸となって追いかける時間は楽しいなんて言葉じゃとても言い表せないほど充実していて、私の青春は、全てここにあったといっても過言じゃない。

 だから、この話はこれでおしまい。

 盛り上げ役の三年生が音頭を取って始まったプレゼント交換に、毒にも薬にもならない一本のシャープペンシルを託して、私は誰かからもらった小さな小箱をコートのポケットに入れて、そそくさと席を立った。

 割り勘の分は、既にその幹事役の子に託している。だから、なんの問題もない。

 三月だというのに、小雪を纏って吹き荒ぶ寒風が、暖房で火照った体に刺さって、じいんと鈍く痺れたような感覚を残して彼方へと過ぎ去っていく。この場にとどまることを知らないそれは、どこか時間の流れにも似ている。

 そうだ、全ては時間の流れに押し流されて過去に消えていく。あまりいい思い出のない中学生活だったけど、いつかきっと、こんな苦い思い出もあったよね、なんて笑い飛ばせる日が来るはずなんだ――

「……あの」
「は、ひゃいっ!?」

 一人でわき上がってくる感傷じみたものに浸っていると、不意に後ろから声がして私は、そんな素っ頓狂な返事と共に自分でも驚くほど大げさにのけぞってしまっていた。

 慌てて背後を振り返れば、どこか見覚えがあるようなないような顔をした女の子が、どこか緊張した面持ちで直立している姿がある。

 黒い毛糸の手袋に包まれた小さな手の中には、晴れの舞台に添えられるものらしく桜色で彩られ、金色のシールで封がされた封筒を抱えている。そして私は、そんな贈り物に心当たりがある。だって。

 だって、それは私が買ってきたシャープペンシルだから。そして、これを持っているということは、美術部の誰かであることには違いはないだろう。

「……七尾先輩の絵、好きでした」
「えっ……?」
「……コンクールのです、それじゃ、すみません」

 たっ、とブーツの踵を鳴らして、その子は脱兎のように街中へと姿を消していく。

 絵。何が。コンクールの。誰の。私の。それに、七尾先輩って。

 色々な感情が頭の中と胸の内側で好き勝手に暴れ回っていて、上手く答えが出てくれない。

「待って――っ」

 そこまで口にして私は、気付いてしまった。

 私は。

 私は、彼女を呼び止めるための言葉を、持ち合わせていない。彼女の名前を、知らないのだ。

 それどころか、顔だって覚えていはしなかった。

 一年生なのか、二年生なのかもわからない彼女の姿は私が逡巡している内に師走の街に溶けて消えてしまって、ただ呆然と口を半開きにして、伸ばしかけた手を下ろすこともせず固まったままの、端から見れば滑稽だとしか言えない私がここにいる。

 絵を好きだと言われたのは、初めてのことだった。

 元から私は絵を描くよりも本を読んでいることの方が好きで、美術部に入った理由だって他にないからという後ろ向きなものでしかなかった。

 それに、画力だってきっと底辺すれすれだろう。だけど、彼女はそんな私の絵を、確かに好きだと言ってくれた。

 一体あの子は、私の絵の何をそんなに気に入っていたのだろうか。デッサン。構成力。パース。色遣い、筆遣い。自分ではどれをとっても壊滅的で、とても人に見せられたものじゃないと思っていたけれど、あの子にとっては、違ったのだろうか。

 わからない。答えはもう、寒風に乗って何処へと消えてしまったのだから。

 足を動かせば、間に合っていただろうか。わからない。だけど、そうして追いかけたとしても私は、その子の誠意に対して応えられるようなものを持ち合わせてなどいない。

 それどころか、追い打ちをかけるように記憶の引き出しからこぼれ落ちた小さな欠片が、私に一つの出来事を思い起こさせる。

 前に、部の中でコンペティションじみたものをやったときのことだ。誰が提案したのか、或いはほぼ雑談の会場になっている部の現状を校長先生とか教頭先生に怒られたのか、顧問の先生が画力向上のためと称してそんなものを開いたのだ。

 そうじゃなければ、本当の本当に先生の気まぐれか。真意はわからないけど、とにかく部内の皆で一枚のモチーフを制限時間内に書き上げて一番出来が良かった作品を選ぶというその催しで、案の定私は同率最下位の一部だった。

 一票。それが私の絵に入った票の全てだ。

 もちろん、自分の絵に票を入れるほどうぬぼれてなんかいない。そのときは誰かが適当に書いたのか、そうでなければ並び順を数え間違えたのか程度にしか思っていなかったけれど、今考えてみればその一票は、あの子が入れてくれたかもしれなかったものなのだ。

「……ぁ……っ」

 涙が、止まらなかった。

 私は確かに、この美術部を棄てた。どんな事情があれ、自分の幸せのために、そうすることを選んだ。

 その選択自体を後悔するつもりはない。だけど。

 ――だけど、初めからここを牢獄だなんて決めつけていたことで、私は何か大事なものをとりこぼしてしまったんじゃないだろうか。

 いつしか風に舞う小雪も止んで、雲の隙間から春の気配を微かに感じさせる陽射しが、足下を照らしていく。

 そうしてうっすらと地面に積もった雪は、いつしか跡形もなく消えていく。落花が枝に還らないように、ただ不可逆の、この世にありふれた当たり前の一つとして。

 自分が人生を語るなど、きっとおこがましいという言葉でも足りないのだろう。

 だけど、それでも。

 それでも、これからをアイドルとして生きるのなら、私は二度と近くにあるものを見失わないように、指の隙間から零してしまわないように、生きていきたい。

 ただそれだけが、己の経験に学ぶことしか出来ない、愚者の私に出来ることなのだから。

短いけど終わりです、早速書式ガタガタになってるけどどうか許してくだしあ、HTML化依頼してきます

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