安部菜々「夢売る家畜」 (24)
地の文注意。
やや閲覧注意。
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アイドルってなんでしょうか。
ナナはずっとずっと考えていました。
ブラウン管の小さい画面に映る彼女らはナナにとってとても眩しいものに思えました。
薄汚れている現実世界に光を授ける天使たち。
今思うと美化しすぎかもしれません。
それでも、ナナにとっては、当時のナナにとっては。
本当にかけがえのない素敵な存在だったんです。
「すみません。安部には私の方からも言っておきますので」
「あぁ、いいよいいよ。ウサミンにはパワーがいるからね。そういう時だってあるさ」
「本当に申し訳ございません!」
今日はバラエティ番組の収録でした。
スタジオでVTRを見てそれについて感想を言い合う時のことです。
普段はワイプに抜かれていることを意識していろんな表情を作るのですが、最近全然うまくできなくて。
それを強く自覚したのは一週間前くらいの放送を見た時でした。
テレビ画面に映るナナの表情はどれも嘘っぽくて、ぎこちなくて、不自然でした。
ナナは嘘をついています。
仕事なら嘘の表情だって作らなきゃいけません。
それが……作れなくなってしまいました。
ペコペコと頭をさげるプロデューサーの背中を見ながら、ナナはぼんやりと考えていました。
この人に、こんなことをさせたかったはずじゃないのに。
ウサミンの看板は、いつからかナナに重くのしかかるようになっていました。
このプロダクションに拾ってもらって数年が経ちました。
敵情視察と生活費の工面の意味合いでウェイトレスとして面接を受けたのですが、
いつのまにかアイドルの面接へと変わっていました。
厳密に言うとプロデューサーさんに引き抜かれただけなので形ばかりの面接でしたが。
路上でセルフプロデュースしていた時や、他事務所の面接でアピールした時に散々笑われたナナのキャラに真剣に付き合ってくれたのが彼でした。
もともと選べる立場ではありませんでしたが、それでもこの人についていこうと決心したことは確かです。
ココロって、目に見えないからこそキレイだと思うんですが、この時ばかりははっきりと見えたんです。
この人は絶対に裏切らないっていうキモチと、ナナ自身が彼についていきたいって言うキモチが。
思えばそこからボタンは掛け違っていたのかもしれませんね。
自分自身の気持ちを見誤っていたんですから。
こんなことになるくらいなら、ナナは一生埋もれたままでよかったのかもしれません。
ナナは自分で自分の夢を踏みにじりました。
「はぁ……」
事務所でついた大きな溜息。ナナの視線は空のデスクにあります。
プロデューサーさんは今はご不在です。
嬉しいような、残念なような不思議なキモチ。
「あら、どうしたの菜々ちゃん。ため息なんてついて」
少し離れた場所で雑誌に目を通していた瑞樹ちゃんに声をかけられました。
瑞樹ちゃんは素敵な女性です。
いろいろなところに気が利くし、何より自分の魅せ方というものをわかっている気がします。
「プロ意識ってなんでしょうね……?」
「プロ意識?」
「はい。瑞樹ちゃんは女子アナ時代に何か教わりませんでしたか?」
「んー、そうねぇ。これといって何かお話を受けたことはないわ」
聞いていて思いました。たぶん彼女は当たり前のことを当たり前にこなしているだけなんです。
男性から好かれる女性が好かれ方を学ばないように、
仕事を徹底できる人はその方法を他人から学んだりしない。
その最低水準が人より高いだけで、特別何か心がけていなくてもそれができてしまう。
私だってどれだけバカにされようともウサミンでいることが正しいと思っているから貫いているはずなのに。
「まぁ悩みたくなる気持ちはわかるわ。最近、いろいろと”物騒”だから」
よく見ると瑞樹ちゃんが手に持っている雑誌には恋するアイドルたちにとっては毒々しい文言が飾られていました。
「私の場合は『結婚はまだかー』だなんてファンから揶揄されるから、菜々ちゃんの気持ちはわからないけど」
「な、なぜそれを……?」
「あら? 図星だったかしら?」
ペロリと舌を出す瑞樹ちゃんは小悪魔というよりも魔女に見えました。
「うぅぅ……卑怯です」
「ひっかかった菜々ちゃんが悪いんじゃない。私のせいじゃないわ」
「で、ですけど!」
「いろいろと気をつけてね」
それだけいうと、瑞樹ちゃんは仕事に行ってしまいました。
アイドルとしてのプロ意識。
パフォーマンスには手を抜かない。
それ以外にも何か求められているんでしょうか。
眼前の立ちふさがる答えに目を瞑って、ナナはしばらく考えるふりをしていました。
以前、面接に行った別のアイドルプロダクションでのお話です。
そのプロダクションのアイドルの方が俳優とのスキャンダルを起こして事務所が荒れている中、ナナは面接に行きました。
その時に聞こえてきた罵声や、見えてしまった光景が今でも脳裏に焼き付いています。
事務所の一室。土下座をしている男性の頭を踏みつけ、形だけの謝罪をしているアイドルを睨みつける社長の顔。
『お前は夢売る家畜なんだよ! 与えた夢には責任を取れ! 貫き通せない夢なら最初から見せるなっ!』
家畜という単語にアイドルの子は怒りを覚えたのでしょうか。
『私だって……私だって女です! 恋をすることってそんなに悪いことですか!?』
『女でいるならアイドルをやめろ。お前はいつからそんなに偉くなったんだ? 歌って踊れるだけの小娘に群がるほど他人は暇じゃない』
『お前の喜びの下にはお前を支持する人の努力があるんだ。お前はその信頼を最悪な形で裏切った』
社長さんの口調は高圧的でした。
言葉も選ばず、アイドルの子に対しても容赦がない。
聞く人が聞けば最低でしょう。
でも、それでも。
ナナはその言葉を当然だと思っていましたし、そのアイドルの子を軽蔑していたことも自覚していました。
アイドルだから可愛いのではなく、可愛いからアイドルになるのだと思っています。
自惚れているわけではなく、ナナも容姿には自信がありました。
それに世の男性方は若い女の子の方が好きです。
ナナが17歳を貫き通しているのにも、その理由があったことは否定できません。
たくさん恋愛したい気持ちを抑えて、アイドルたちは夢を売ることを強要されるのです。
全国からかき集められた可愛い女の子たちは誰一人として恋愛を許されていないのです。
そんなの当たり前です。
歌えば歌手には敵わず、踊ればダンサーには敵わない。
そうなると今度は夢を売るしかない。
その夢に、たくさんのお金が動いている。
「はぁ…………」
溜息がもう一つ。
あの日、ブラウン管に映ったアイドルたちもこんな悩みを抱えていたのでしょうか。
「菜々? 最近お前変だぞ?」
お仕事帰りのことです。
最近のナナの異変にプロデューサーさんが気づきました。
いつもなら楽しいはずの時間も、いまは胸を蝕む毒にすぎません。
「あは、あははは……。ちょっと疲れているだけで……」
「仕事の量減らすか?」
「い、いえ! 逆に増やして欲しいくらいです!」
嘘です。本当はこんな気持ちのまま仕事なんかしたくありません。
「嘘だろ」
「そうですよ! だからもっと…………え?」
車と一緒に時間も止まりました。
「どうした?」
優しい優しいプロデューサー。
アイドルに対して怒鳴ることはなく、ミスがあったら一緒に解決して、二人三脚で頑張ってきました。
王子様に憧れる少女の気持ちは今でもありますが、ナナは彼の懐の深さに魅力を感じています。
一人の人間としてではなく、異性として。
この人と家庭を築きたい。
この人のお嫁さんになりたい。
この人と一生を添い遂げたい。
夢売る家畜。なんてひどい言葉なんでしょうか。
ナナはあの日軽蔑したアイドルと全く同じ存在になり果てました。
ナナの歌にどれだけの価値があるのでしょうか。
ナナの踊りにどれだけの価値があるのでしょうか。
ナナは一体、何を売っているのでしょうか。
「プロデューサーさん……」
ナナは思い切って呼んでみます。
「プロデューサーさんは……その、なんでプロデューサーになったんですか?」
「そうだなぁ…………こんなこというと不愉快かもしれないが、俺は誰かのことをずっと見守っていたかったんだよ」
「……見守る?」
「そうだ。すでに出来上がったものじゃなくて、一から作り上げていく。その過程をずっと見守っていたかった」
「昔さ、大好きな漫画があったんだ。俺はその漫画を世界で一番好きだっていう自信があった」
「でも違うんだよ。確かに俺の好きは嘘じゃないんだけどさ、でもその作品を一番愛してるのは作者なんだろうなって気づいたんだ」
「なんかすごく、こう、胸が苦しくなったよ。『俺はどうあがいてもそこにはいけないんだ』って子供ながらに思ったんだよな」
「だから俺は俺が胸を張って愛せるようなものが欲しかった。独占欲かもしれないな」
「でも俺は絵が下手くそだし、小説だって書いたこともない。そうして悶々としてる時にたまたまテレビを見てたんだ」
「菜々よりもちょっと年下の子達かな。その子たちが楽しそうにテレビで踊ってて、それが俺にも眩しく見えたんだよな」
「だからこうしてプロデューサーになったのかもしれない。俺は俺のアイドルたちを一番に愛していたいし、それこそ昔の俺みたいに『世界で一番〇〇が好きだ!!』って言われるようなアイドルを育てたいのかもな」
過去と夢を語るプロデューサーさんはとても素敵で、その横顔はどこか見覚えがありました。
それが誰なのかナナは知っています。
いつも応援をくれるあの真っ直ぐな眼差し。
会場に鳴り響く地鳴りのような歓声。
共通点が多すぎて、ナナは自然とファンのみんなとプロデューサーさんを線で結んでいました。
「で、どうしたんだ? 悩みは解決…………しそうにないな」
「え……?」
「涙、拭けよ」
ポロポロと気づけば涙が溢れていました。
どうしましょう。
このままウサミンで切り抜けることもできます。
すこしだけすっきりしたナナにならそれくらいのことはできるんです。
でも、でも。
今ここで吐き出さなかったら一生溜め込んだままです。
ナナの胸の奥底で、腐臭を漂わせながらナナの笑顔を曇らせ続けます。
それが嫌で、そんな姿でファンのみんなの前に立ちたくなくて。
気づけばプロデューサーさんの胸に飛び込んでいました。
涙を流しながら男の人の胸に飛び込むなんて、それがどういうことを意味するのかわからない歳ではありません。
もちろんそれはプロデューサーさんにとっても同じで、彼の鼻から漏れる小さな吐息がナナの身体を震わせました。
呆れられたらどうしよう。
見捨てられたらどうしよう。
大好きなプロデューサーさんに。
ナナのことを拾ってくれた大事な大事なファンに。
そんな人に突き飛ばされたらどうしよう。
「菜々」
名前を呼んでもらっただけ。
それだけでも充分でした。
もらった勇気を握りしめて、言葉を塞がられる前に吐き出してしまいます。
「プロデューサーさんもう限界です菜々はあなたのことを愛しています」
不特定多数から浴びる脚光よりも、
一人の雄に愛されることを望んでしまいました。
ここにいるのはウサミンではなく、ただの一人の雌。
ファンのみんなの喜びよりも自分の悦びを取った雌。
「菜々のこともらってください菜々のこと愛してください菜々を…………お嫁さんにしてくださいっ!!!」
それは絶叫にも似た告白でした。
甘やかな愛の言葉というよりも、金切り声を上げているだけ。
ムードもへったくれもありません。
それでも彼は、優しく菜々を撫でていてくれました。
頭を、髪を、肩を、背中を。
全てを理解してくれていたようでした。
どこまでも懐の深い人です。
今はただ、何も言わずに菜々を受け止めてくれます。
二人を連れて夜の街へと消え去る車が、プロデューサーさんの覚悟を示していました。
一夜明けて翌朝。
モバPさんの家のベッドの上で目をさますと、隣にはすっかり冷え切ったシーツがありました。
もうお昼時。目が少し腫れぼったい。
彼と結ばれ、身体を許した、アイドル失格1日目。
モバPさんからのメッセージが携帯に届いていました。
『社長がこれからのことで話があるらしい。16時に事務所まで来てくれ』
愛しの彼からの連絡は淡白なものでした。
はだけた寝間着を正しながら、シャワーを浴びようとベッドを降りたその時。
「————痛っ」
股関節や太ももに鈍い痛みを感じます。
一人で目をさますことより、
隣で眠る彼がいないことより、
生々しい現実がそこに在りました。
「そっかぁ……」
口の中がしょっぱくて、お腹がひくひくと動き出します。
急ぎ足のマリッジブルーと途方もない喪失感が胸に広がりました。
約束の時間の10分前。
事務所に着くとちひろさんが「プロデューサーさんならもう社長室ですよ」と一言。
口から心臓が飛び出そうになりながらも、不思議と感情は形を成しませんでした。
どんな形になっていいのかわからない、遊び途中で放置された粘土のように不定形。
気がつくと扉の前です。
————夢売る家畜。
食用に適さない家畜は殺処分されるでしょう。
夢のない家畜もきっと処分されるでしょう。
この扉を開けようが開けまいが、菜々はもうナナとして表舞台に出ることはありません。
…………ごめんなさい。なんて偽善的な言葉なのでしょう。
誠意からでる謝罪ではなく許しを請うための言葉。
苛まれることから逃れるための儀式。
しかもそれはきっとナナの口から告げられることはありません。
なんて卑怯で、なんて冒涜的で、なんて身勝手な振る舞い。
それでも、菜々はあの人に添い遂げることを決めました。
例えその先がアウシュヴィッツへと続いていようと、
あなたとなら幸せになれると本能が告げています。
ごめんなさい。
夢の残骸に埋もれてください。
ごめんなさい。
菜々の幸せはあの人と共にありました。
ごめんなさい。
いつか言わせてもらえるなら、しっかりと言わせてください。
ごめんなさい。
ナナを愛してくれた全ての人に。
こうして夢売る家畜は処分され、素敵な人と結婚しましたとさ。
終わり
お疲れちゃんです。
以前凛でも書いたんですが、アイドルの恋愛について菜々に悩ませたかっただけです。
暴力的な言葉が多いので、気分を害されたら申し訳ないです。
以上です。
多分明日も来ます。
なんかあったらどうぞ。
前スレ忘れてました。よければどうぞ。
響子「旦那さんが凛ちゃんと浮気するエロ本を隠し持ってました……」
速水奏「…………むぅ」
明日はまゆと美優さんにする予定です
なるほど
単に自分が言葉の意味を勘違いしてただけですね。
それなら前作であってると思います。ありがとうございます
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