【オリジナル百合】私の中和 (92)
書き溜めはほぼないのでのんびりやっていきます
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山の稜線のなだらかなところを縫うように舗装された道が、三十分は続いていた。
父親は車を運転しながら、
「酔わないか?」
何気なしに私にそう聞いた。
私はうなずきを返すけれど、お昼にとコンビニで買ったおにぎりには手を付けられずにいる。
私の生まれ育った地が都会だったことを嫌でも思い知らされた。
峠を二つ超えた先に引っ越すのだが、一つ目の峠を登るところでここまでつらくなるとは予想外だった。
外の景色は一様に緑で、聞こえるものといえば、セミの鳴き声ぐらいで、
それがまた暑さを思い起こさせて気分がさらに悪くなる。
車の前にも後ろにも、車両は見当たらない。
父親の転勤。
家族を持っていることを考慮されて、なお業績不振を認められたことでの、地方転勤だった。
父より年下の、大学時代の後輩でもある母親が父親に文句を言えるはずもなく、
まだ十七歳の私は社会を知らないのでそもそも業績が悪いといわれてもよくわからない。
父親は必死で会社に抗弁した。
数年後にまた、東京に戻すという条件を不承不承飲み、転勤は確定した。
ちょっとした地方旅行にしては、数年は滞在期間が長すぎた。
けれど、東京勤務は限界に来ていたのだろうと思う。
毎晩のように山のようなストレスを抱えて帰ってくる父親。
とくに彼が、夜帰って酒で自らを慰め、母親などに泣き言を言うさまは見ていられなかった。
威厳とか、そういうものの欠落を感じたからではない。
毎晩のように自分を殴ってしまう私は、血のつながりを感じてしまうからだ。
「お父さん、眠くならない?」
「ああ、大丈夫」
心配性の母親が、助手席から父親にそう声をかけた。
ふと眠くなるといけないから、としきりにガムをかむことをすすめていた。
上司に対し何とか転勤を避けたいと言い続けていた時の父親は特に荒れていた。
でも業績が悪いですよね、あなたにそんな文句を言う資格があるのですか?
とでも返されたのだろう。
胃薬を日本酒で流し込んでいたほどだった。
――心の療養だと思って、行こうよ。
母親はそう言ってなだめ、最終的には彼女に助けられたように、父親は彼女に泣きついて感謝した。
その様を見てもなお、父に嫌悪感を抱かないのは自分でも不思議だった。
今日はここまでです
お待たせしました。再開します。
最近、心の療養というのは、父親だけでなく私にも向けた言葉であったかもしれない。
そう考えることが時々ある。
考えすぎ、と自分でも思うが、それでもあの息苦しさは嫌になる。
一つ目の峠を越えたところは盆地だった。
私の顔色を見て父親は笑い、コンビニに車を止めて少し休憩することになった。
しばらく外の風に当たると楽になって、ようやくスマートフォンの画面を見る。
唯奈(ゆいな)から、メッセージが届いている。
いつでもまた、東京に遊びにおいで。
彼女に会うというだけであれば、私は一向にかまわない。
正直、今すぐにでも会いたい気分だ。
ただ、東京に戻りたくはない。
前回は寝落ち失礼しました。
再開します。
高校というところは非常に息苦しく、普段集団で行動するがゆえに二人で遊ぶということがなかなか難しい。
誰かと遊ぶと、噂が立つ。
どうして私も誘ってくれなかったの、同じグループの友達にそういわれて面倒なことになったのは一度や二度ではない。
みんなが仲良く、などありえないし、ある一人と顔を突き合わせて話したいことだってある。
けれど周りは、群れること以外を知らないのだ。
あるいはそうやって群れること自体を渇望しているのかもしれない。
そういった人々が集まったのが東京だ。
私たちは群れを欲しがった親の血を受け継いだ子。
唯奈に返すメッセージを、少し考えた。
長文を書いてすべて消し、結局、また遊ぼう、としか送れなかった。
一つ目の峠に比べて、二つ目はややなだらかだった。
山道のアップダウンに、体が慣れてしまったからそう感じるだけかもしれない。
退屈な舗装に、がけ崩れ対策のコンクリートの模様などをぼーっと眺めて、おにぎりを食べた。
峠のてっぺんを超えると、建物の群れが俯瞰できた。
その奥にある、暑い日差しを白く照り返しているそれは、東京で見るそれとは段違いに立派で、また勇壮で優雅だった。
ここからでも、その荒々しい潮騒、またそれに同調するかのような海鳥の啼き声、
また浜風の吹きすさび、などが聞こえてくるようで、胸が高鳴って仕方がなかった。
「綺麗ね」
母がそう漏らすのに、私は全力で同調した。
山道の退屈から一気に解き放たれる感覚が背筋を駆けていき、
それだけで、私をこの町でずっと暮らしていくことになってもいい、という気にさせた。
この海に私の血を垂らせばあっという間に、波がそれを包み込み、赤色が溶けて消えていくに違いない。
どうしようもないことを、車の中でだらだら考えていたものだ。
もしこのドライブを日記にしたためるのであれば、書くことはただ、海が綺麗だったということだけだろう。
初めて自然に恋をした。
冷房をかけて窓を締め切っていた車のドアを開けたときに鼻についた潮のにおいに、どうしようもなく男らしさを感じた。
本当に海が近くに来たのだ、と胸が高鳴った。
十七年ほど東京というコンクリートの街で過ごしてきた私には、刺激が強すぎるかもしれない。
それで、いまマンションの窓からそちらを向けば海は見えるのだが、意識してみないようにしていた。
どうしようもないくらいやばい。言葉を失う。
私は冷静になり切れていない頭で考える。
初恋というのはえてして実らないし、後々振り返ったときに、
なぜあんなに夢中だったのだろうと不思議に思うと聞く。
初恋は永遠に「初恋」という記憶になるものだという。
そんなのは、知らない。
第一、海は逃げない。
初恋を終わらせる権利は私にしかないのだ。
それなら、私は一生この海を好きでいるつもりだ。
二学期が始まるまで、毎日少しずつ楽しもうと思った。
マンションに引っ越し業者がやってきた。
荷物を運び入れている間、邪魔になるからということで、私は支度する間もなく家を追い出された。
午後一時だった。
さっきおにぎりを食べたから、お腹が空いているわけでもないし、
そもそもどの辺りに料理屋があるのかも分からない。
適当に町を見て回ろうと考えるも、私を潮のにおいが誘惑した。
行ってしまおうか、海に。
ここから防波堤を超えて、海まで五分もかからない。
でもでも――お化粧もおしゃれも何もしていないし。
などと考えて、マンションの表の道を何度も往復した。
「何してんの」
そう、誰かがいたら、私にそのように声をかけるはずだった。
――今声をかけられた気がする。
慌ててそちらを振り向くと、私と同じマンションから出てきたらしい男子が立っていた。
歳のほどは、中学生くらいだろうか。
「何してんの」
「いやーちょっと、どこ行こうかなーって」
「案内しようか? この町。引っ越してきたんでしょ」
声の掛け方は非常に自然だった。
顔も薄い感じで整っていて、正直モテるほうだろう。
いろんな女子と遊んでいるタイプだろうか。
けれど、着ている服は英字プリントのよくわからないTシャツ
――しかも長袖で、袖と身ごろの記事の色が違う――に、
まくると裾からチェックの柄が見えるタイプのチノパンと、はっきり言ってダサかった。
「いや、結構です。そうだ海の風にでもあたってこようかな」
そう言って私は彼に踵を返し、歩き始める。
「奇遇だね。俺も海を見たくて家出てきたんだよねー」
たちの悪い人だと思った。
「東京です」
ほー、都会の人か! と彼は目を輝かせた。
「渋谷とか、新宿とか?」
「そんなところに中流家庭は住めません。郊外です」
「東京か、そうかそうか」
人の話を聞いていないな、と思ったが、そもそも話を聞いてほしいわけではなかったから、突っ込みを入れないでおいた。
「なんでこんなところ、引っ越してきたの」
「父の仕事の都合で」
私が視線をやったその時、誰かに驚かされたように、彼は急に後ろを振り返った。
「やべえ、姉御だ。じゃあ俺逃げるから! バイバイ!」
姉御、と呼ばれた女性が少しずつ近づいてきていた。
隣を見るともう彼はいない。
音もたてず、どこかに忍び込んだのだろう。
手際の良さは常習犯のそれを思わせた。
「ごめんなさいね」
女性は私に深く頭を下げた。
「頭を上げてください。大丈夫ですから」
「人に迷惑をかけることしかしないんです、うちの弟は。本当に、ごめんなさいね」
>>2
【修正】
稜線て境界線やんか……
×山の稜線のなだらかなところを――
○山並みの勾配がなだらかなところを――
気を取り直して、再開します。
女性は顔を上げた。
弟には似ず、まるでモデルさんのように際立った鼻と、
澄んだ瞳の持ち主だった。
とっくに成人しているだろうと思った。
「あなたも、あの子と一緒に住んでいるんですよね! 私、同じマンションに引っ越してきたので、よろしくお願いします」
「あ、松野さんなの? よろしくね」
急に私の名前を呼ばれて、思わず背筋を正してしまう。
「松野澄香です。よろしくお願いします」
ひとまず名乗っておく。
名前を呼ばれるのは、あまり得意ではないので、教えたくないのだが。
「山本怜美だよ。よろしくね!」
にこりと言われて少し委縮する。
こんなに綺麗な人に微笑みかけられると、誰でも緊張するだろう。
男の人だけではない。
「そうだ、歓迎会しましょって、そういう話出てたのうちで。明日にでもおうちおいでよ、みんな歓迎するから!」
強引なところは、弟さんと変わりなさそうで、私はなんだか笑ってしまった。
>>25
細かいけど記事じゃなくて生地?
再開します。
「ありがとうございます。今日は海に行きたいんです」
「あぁー、そうだったの! 場所は分かる? 案内してあげようか?」
「お忙しいでしょうし結構ですよ」
「あら、私なら暇よ! あの馬鹿弟にかまっていられるくらいには」
目鼻立ちが上品にまとまっているのでどうも近づきがたかったが、そう言われてすごく親しみがわいた。
私は彼女が黙って歩き始めるのに、歩調を合わせた。
防波堤が目の前に見えるまで、歩いて三分もかからなかったように思う。
怜美さんに分からないように、私は唾をのんで、手串で髪の乱れを直した。
いよいよ眼前に、それが広がるのだと思うと、本当に緊張した。
心臓にすべての意識がもっていかれて、海に集中できないかもしれない。
もう少し落ち着いてから――そういった葛藤を全く察してくれない怜美さんは、
「おーい、この階段をのぼるんだよ」
と、私をせかす。私は震える足で砂がまぶされた階段を一段踏み外して、何してるの、と彼女に笑われた。
階段を上り切らないうちに、私が想いを寄せる自然が見えた。
私は思わず、顔を両手で覆ってしまった。
指の隙間から、そちらを見る。
白い波を立てたしなやかな海が、砂浜に押し寄せてきていた。
風に乗って流れてくる潮のにおいが、むっとした暑さに混じって、何とも男らしさを感じさせて素敵だった。
「感動した?」
「……」
海の魅力にすっかりのぼせ上がってしまって、声が出せないでいた。
海がこんなに――かっこいいなんて。
「初めて海を見た、みたいな顔だねえ。東京で海、見たことあるでしょ?」
私は両手をおそるおそるおろして、海がなかなか直視できないので怜美さんのほうを向きながら、
「東京都の、東京湾しか見たことがありません。澱んだ緑の海しか」
「あー、なるほどね」
「多摩のほうに住んでいたものですから」
「へー。――ここの海、ホントいいでしょ。この砂浜からの眺め、結構好きなんだよね私も」
ふっふーん、と胸をそらせて上機嫌そうに鼻を鳴らす怜美さん。
そのポーズが、形のいい大きな胸元を強調した。
腰に手を当てたまま、サンダルでザクザクと砂浜を海のほうへ歩いて行った。
私も、おずおずとついていく。
「何もない街だけど、海だけは自慢できるよ。こんなにきれいな砂浜と、こんなにきれいな海……ここで、あなたは暮らすのよ」
浜風に髪をなびかせながら、怜美さん。
「……はい!」
なんて偉そうだけどね、とはにかみ気味に笑ってみせた怜美さんは、
急にしおらしく、可愛らしくなった。
きりっとできて、ふにゃっと笑えて、女性の魅力てんこ盛りな人だ。
「東京から来たんなら――、○○峠からの海の眺めとか、きれいじゃない?
「分かるんですか!? ちょうどそっちから私たち、やって来て」
「まあ、昔私も同じように来て、綺麗だと思ったから」
私は、懐古に浸る表情を浮かべる怜美さんの視線の先――青い海のほうに目をやった。
あたりには、ぽつぽつと人がいるようだった。
海辺にクラゲが打ち上げられていて、海水浴をしている人はいなかったが。
すぐに気恥ずかしくなって、怜美さんのほうを向き直る。
「怜美さんも東京から来たんですか?」
「んー、まあ昔ね」
あまりその話をしたくはなさそうだったので、海の話題をすることにした。
「それにしてもすごい美しいですよ! 海の魅力に一瞬で取りつかれて。なぜか海のことを考えるとドキドキして、さっきから緊張しっぱなしで」
ついつい言葉に熱が入ってしまったことに気付いた時には、
怜美さんの瞳から憂いのような色が消え、にやにや笑いを浮かべていた。
「まるで、恋してるみたいだね!」
私は、立っていられるかどうか怪しかった。
顔は真っ赤になっているだろうし、足がふらふらして仕方がない。
そしてその後、
「うん。自然に恋をする……素敵だね」
怜美さんは急にしんみりと、形のいい薄唇をぷるりと震わせて言った。
「私もね、たまに、洗い流してほしいことがあって一人で海を眺めに来るよ」
真剣な表情のまま、怜美さんは続けて、
「私っていう意識が、少しだけでもいいから、海に溶けてなくなってはくれないかなって、思うんだ。
そうしたら、どれだけ楽に暮らせるかって。私も海に恋してるのかもね。海に、私は抱きしめてもらいたいんだ……」
少しずつ、彼女の唇が歪んでくるのを、私は見て取った。
「怜美さん……悩み事?」
「って、初対面の人にする話じゃなかった! しかもいきなり恋のライバル宣言しちゃってごめんなさい!
忘れていいよ! そろそろ帰ろう、明日歓迎会するから!」
「覚えてたんですね」
さざ波の音が、私の後ろ髪を引いたが、マンションに向かっていく怜美さんは私を無理やり帰途につかせた。
怜美さんはこちらに顔を向けなかった。泣いていたかもしれない。
「ただいま……」
マンションの部屋に戻ると、引っ越し業者はおろか、母親の気配すらない。
リビングのソファで寝転がっている父親を起こすのもかわいそうなので、私は母の帰りを待つことにした。
母親はやや困惑した様子で土産物のカラ袋をもって帰って来た。
「山本さんのところ、にぎやかでね。お上品なお母さんと、それから綺麗な女の子、それ元気な男の子」
「へー」
あの二人のことだとすぐに気づく。
「差し入れに渡した東京ばな奈、すっごく気に入ってくれたわ」
「よかったじゃん」
「東京だと、近所の挨拶なんて物騒でできないものね。楽しかったわ」
挨拶をしに行っただけで、楽しかったとまで言わしめるほど、きょうだいは騒いでいたのだろうか。
楽しい家庭だろうな、と思った。
ひとりっ子の私には、分からないことだ。
「さて、そろそろ俺は帰ろうか」
いつの間にか起きだしていた父親が、くるくると車のキーのストラップを回して言った。
私たちは車に乗ってまた峠を越え帰っていく父親を見送るために外に出た。
まだ午後四時だった。
辺りは明るく、まだまだ太陽が赤みがかる気配はない。
残務処理、というのだろうか。
私と母親をアパートにおいて、もう少しだけ東京で頑張るために帰るというのは、どういう気分だろうと考えた。
ひとりで東京の、おびただしい人の群れに帰っていく父親が、どうにも頼りなく見えた。
ひょろりとしていてもともと力がなさそうではあるが、家族を置いて行く背中に、まるで活力を感じなかった。
「さて、晩御飯の支度をしなくちゃね。山本さん親切でね、近くの安いスーパーまで教えてくれて」
「よかったね」
外に出たその足で母親が買い出しに行ったのち、私は部屋に戻る。完全にひとりになった。
ひとりになって、自分に与えられた部屋の段ボールから少しずつ荷物を取り出し、部屋の雑貨類の配置を考えながら、ふいに押し寄せる感情と戦っていた。
父親が家に帰ったのち、することを想像すると、どうしても思いついてしまう。
よせばいいのに、車の中で父親に同情したこと。
自分を痛めつけることは、楽しい。
自分に殴られている自分が無力で滑稽で、そうして何の取りえもない自分を強く思い知ることがたまらない快感をもたらした。
自らが非力な人間であることが、気持ちよかった。
そこで私は――自分を殴るためにこぶしを握っていたことにようやく気付く。
それは――その行為は、私にとって許せなかった。
海に対して無様なあざだらけの体を見せることは、失礼に値すると思った。
気持ちを抑え、私はふと思い出してスマートフォンを見る。
唯奈からのメッセージが届いていた。
『学校変わって、環境が変わって、澄香がそれについていけないことはもう予測済み(笑)
だから、いつでも頼ってね。学校でうまくやっていく方法なら、私に任せて。どうしてもなじめなかったら、会お。いつでも待ってるからね!』
私は唯奈と会ったころを思い出していた。
中学校では、人とのつながりがあまりにいやで不登校になった。
全員が、思春期に入る時期。
誰が誰を好きだとか、嫌いだとか、そういった話がとにかく苦手だった。
何より、誰の素行が悪いという『噂』に踊らされて、なにも知らない第三者もその人を避けるというのが許せなかった。
私は中一の冬から不登校になり、そのまま中三を迎えた。
中二の終わりごろ、私を学校に引きずり出したのが、唯奈だった。
唯奈は学級委員長を務めており、正義感が強い子だった。
私がずっと学校に来ないのを、何とかしたかったのか、二学期のはじめごろからたまにうちのインターホンを鳴らしてきた。
唯奈は周りを巻き込む力があるわりに、存在感が薄かった。
私が好きなファンタジー映画を、趣味でもないのに一緒に見に来てくれ、それでも的確な感想を述べる子だった。
私が好む答えを知っていたのかもしれない。
唯奈に生来宿っている洞察力には、よく驚かされた。
彼女との思い出に、しばらく浸った。
高校でも男女から人気のある唯奈のことだ、私一人おさらばしたところで、彼女は寂しがることはないだろう。
仲は、かなり良かったけど。
そう信じたいけど。
中三の一学期に、急に投稿しだした私をかばってくれた唯奈。
同じ高校に合格しようと、不登校の遅れを取り戻すために毎週勉強会を開いてくれた唯奈。
私は唯奈にたくさんの感謝をしなければならない。
それをせずに、東京を去ってしまったことは心残りだ。
けれど。
唯奈が私に送ってくるメッセージには、悲しい雰囲気はない。
私が一方的に、恩義を感じているだけかもしれなかった。
彼女はただ、中三でも引き続き与えられた学級委員の仕事をしただけ。
クラス全員が楽しい環境を作っただけ。
寂しい気持ちを共有できないのであれば、私も嘆くことはしない。
いつの間にやら日が赤くなっていて、窓にはっきりと自分の姿が映るようになった。
私は唯奈を一番の友達と思っている。けれど、唯奈にとってはそうではないはずだ。
だって私は、かわいくない。
そんなにきれいじゃないから。
『ありがとう、でも、できるだけ一人で頑張ってみる』
私は窓から海の写真を取り、画像を送信しておいた。
そこで考え事を切り上げることにする。
これ以上は、憂鬱のドツボにはまっていくだけだ。
海を眺めながら物憂げな表情を見せた怜美さんが脳裏によぎる。
そう、ああいう美人さんにこそ、物思いはよく似合う。
部屋の整理の続きを始める。しばらく夢中になってやっていると、母親が晩御飯の支度ができたと呼びに来た。
私は素直に応じ、魚の刺身などをおいしく食べた。
部屋の模様替えに夢中になっていたので、寝たのは真夜中だった。
それで、目が覚めたのは十一時半。
リビングに行くと、母親の姿はなかった。
朝食を取ろうと菓子パンの棚をあさっていると、インターホンが鳴った。
「おーい! うちに遊びにおいでよ」
玄関先を移すカメラには、昨日見た顔があった。
相変わらずダサい服装。
夏なのに、どうしていつも伸びきった長袖を着ているのか不思議だった。
「お母さんも、うちに来てるからさ! 来いよ。お土産ありがとな、バナナみたいなのうまかった!」
「あ……その」
「あっ、ここにいた! 勝手にインターホン鳴らしちゃ失礼でしょう!」
怜美さんの声も響いてきたので、私はやっとそれを信用した。
「小学生のガキ扱いするんじゃねえ」
「そうでした、翔太は小学生よりたちが悪いわ、全く普段から……」
私はきょうだいげんかが始まると面倒なので、
「今母がお邪魔してるんですか? どうもすみません」
「いや、いいのいいの! うちのお母さんも強引なところがあるから」
寝間着から着替え、身支度をして、私は家を出た。
二人にちやほやとされながら、やや古臭い廊下を通り、203号室に足を運んだ。
私たち家族の部屋は、201。隣の隣だった。
「お邪魔します」
玄関から入ると、リビングのドアが開け放たれていて、母親が怜美さんのお母さんらしき人と紅茶を楽しんでいるのが見えた。
前回は申し訳ありません。
再開させていただきます。
「いらっしゃい」
怜美さんのお母さんがカップを口元に運ぶ手を止めて、上品に微笑んだ。
そこから玄関まで歩いてきて私を迎え入れる動作も優雅で、気品があった。
顔は、怜美さんと翔太君とでは、どちらかというと翔太君に似ている。
翔太君に、おっとりした雰囲気が引き継がれなかったのが面白い。
来客用のスリッパに履き替えた私は、リビングに招かれた。
「澄香ちゃんね。何もないですけど、まあゆっくりしていってください」
「そんな、丁寧にしてもらわなくても」
「な、うちのおかん、丁寧すぎるよな。だいたい、土産受け取って、そこでバイバイでいいのに」
「こら、翔太」
怜美さんが弟をにらみつけた。
しぶしぶうなずく翔太君。
彼女らの力関係は一目瞭然だった。
やんちゃそうな弟が逆らわないのは、面白いが不思議だった。
怜美さんに何か弱みでも握られているのかもしれない。
「お母さんたちはお話があるでしょうから、澄香ちゃん、私の部屋に連れていっていいですか?」
いいわよ、とやはり上品な声で、お母さんが言った。
私の母親も、特段品がなく見えることはないが、所作はどこか子供っぽい。
私はそれを受け継いで、童顔だった。
大人になりたい。
「こっち」
リビングの隣の洋室が、怜美さんの部屋だった。
机の上もきれいに整っていて、本棚には何やら難しそうな本が並んでいる
――そして、衣装かけにかかったそれが目について、そこに集中してしまう。
「怜美さん、S高校の卒業生だったんですね」
私が九月から転校する高校の制服がかけられている。
自然に出た一言だった。
すると怜美さんは表情をみるみるうちに曇らせ、目を泳がせる。
よくわからないが、事情があるのかもしれない。
「ごめんなさい、なにか気に障ったなら……」
「ううん……澄香ちゃん」
冷たい声で、怜美さん。私は息をのんで、鋭い言葉を覚悟した。
「私ってそんなに老けて見えるかな? まだ私高三よ、ばか」
ころりと表情を変えて怜美さんはそう言い、キョトンとしている私の様子に大笑いした。
「あはは。澄香ちゃん面白い! お腹痛いわ。大人っぽいと思ってくれてありがと」
「じゃあ、怜美先輩なんですね」
「そういうこと! 昨日自己紹介しなかった私も悪いけどね……先輩か! いい響き」
「じゃあこれから怜美先輩って呼びますね!」
部屋を眺めると、確かに勉強机の上は、受験生らしく参考書だらけだし、よく見ると大学の過去問なども机に置いてある。
「K大学、受けるんですか。すごく頭いいんですね」
そんなことないない、と怜美さんは謙遜するが、K大学はこの近辺で最難関の国立大。
机の上にもプリントやノートがたくさんあって、かなり勉強をしているのだろう。
怜美先輩に、しばらく高校生活について教えてもらった。
田舎の小さな学校だから、大きな事件も起こらないし、平和だという。
うちの学校では妊娠して中退した人や、放火をした人がいた、と言ったら、
怜美先輩は笑って、そんなことを起こす人はいない、と断定した。新生活への不安が少し和らいだ。
「お昼ご飯、お母さんがごちそうするって言ってて。それまでゆっくりしよう。ゲームでもして遊ぶ?」
「それは悪いですよ。先輩の受験勉強の邪魔はしちゃだめだし」
「ありがとうね。でも、もうやることないから」
「あはは。夏休みも終わってないのに、勝利宣言ですか? しかもK大」
怜美先輩が目を伏せると、まつげの長さが際立つ。
その様子は、私の脳裏のイメージ――海を前にした憂いの表情と重なって見えた。
「いろいろあって、引っ越しは二回してるの。小さいころに……ここに来たのは小学生の時」
目の焦点が、徐々に定まらなくなってきていた。まるで我を忘れているかのように。
「それ以上、言わなくてもいいです」
虚をつかれたようにはっと息をのむ怜美先輩。
「どうして?」
「辛そうだから」
他サイトで公開とかしていたらこっちをすっかり忘れてしまっており、申し訳が立ちません。
ごらんになっている方がいらっしゃるかわかりませんが、続きを投下させていただきます。
「どうしてそれがわかるの?」
「詳しいことは分かりません。けれど、先輩、寂しい顔をしてます。できれば言いたくないことを無理して言おうとしているような……そんな気がします」
「それは、辛いけど……辛くても、私は話したいの。私は話したくなった」
私としては、話をしてほしかった。
けれど話すために頭であれこれ考える、その間に昔の記憶が押し寄せてきて、怜美先輩の辛い気持ちに拍車がかかるだろう。
私は返事を返さずにいた。
「澄香ちゃんは、分かってくれそうだって、昨日も思って。
なぜだかわからないけど話したくなって、ちょっと意味深なこと言ってみた。
けどやっぱり迷惑かなと思って、やめたの。
澄香ちゃんは引っ越しでこっちに来て、その辛い気持ちをちょっとでも分かってくれるかなって期待しちゃったんだ。
事情も環境も違うのに、バカだね」
このSSまとめへのコメント
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