千歌「海の声」 (71)

(問題文)

われは海の声を愛す。
潮青かるが見ゆるもよし見えざるもまたあしからじ、
遠くちかく、断えみ断えずみ、
その無限の声の不安おほきわが胸にかよふとき、
われはげに云いがたき、悲哀と慰藉とを覚えずんばあらず。

* * *

これは沼津にゆかりのある歌人、若山牧水の処女歌集「海の声」の序文からの引用です。
古文に由来する表現に注意しながら、現代語に訳してください。

(解答欄)

海の声ってマジでエモいよね。


2年1組 出席番号○○番 高海千歌

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―――――

曜「千歌ちゃん、この前の国語の小テスト、どうだった?」

千歌「わろし」

曜「そっか……うん、それは残念だ」

千歌「点数聞きたい?」

曜「うーん、あんまり聞きたくないかな」

千歌「0点」

曜「マジか」

千歌「私は一生懸命考えて、私なりに現代の若者にもビビッとくる訳にチャレンジしたんだよ」

曜「そうだね。千歌ちゃんなりに頑張ったんだよね」

千歌「しかし先生は私のチャレンジングな態度を評価してはくれないのです」

曜「それはひどい話だね。うん、千歌ちゃんの悔しい気持ちはよくわかるよ」

千歌「それもこれも日本の教育制度が悪いのだ」

曜「急に話が大きくなったね」

千歌「こんな学校……」

曜「どうする? やめる?」

千歌「やめない!」

曜「そうだよね。だって……」

千歌「私、この学校のこと愛してるから。トゥルー・ラヴだから」

曜「テストの点数だけ見ると片思いだけどね」

千歌「それでもいいんだ、愛さえあれば大丈夫なのだ」

曜「エモいなあ。知らんけど」

千歌「確かに何かこう、よくわかんないからエモいとしか言いようがないなー」

曜「HAHAHAHAHA!」

千歌「HAHAHAHAHA!」

曜「そうだ、千歌ちゃん、みかん食べる?」

千歌「うん食べる!」

曜「はい、あーん」

千歌「あーん!」

曜「どう、おいしい?」

千歌「おいしい!」

曜「幸せ?」

千歌「幸せ!」

曜「HAHAHAHAHA!」

千歌「HAHAHAHAHA!」

私の名前は高海千歌、浦の星女学院に通う高校二年生です。
アタマはあんまりよろしくありませんが、学校のことは大好きです。
言葉でうまく表すのが難しいのですが、ここからは、海の声が聞こえる気がするのです。
もしかしたら、若山何たらという人も、どこかで同じような海の声を聴いていたのかもしれません。知らんけど。

【夕方、自宅にて】

千歌「ただいまー」

美渡「おかえり、かわいいバカチカ」

千歌「バカチカってゆうな! 泣くぞ!」

私にはお姉ちゃんが二人います。
みと姉は私のことをバカだと言います。バカチカと呼ぶこともあります。
ひどい話です。この21世紀の文明の世において、かくのごとき野蛮がまかりとおってよいのでしょうか。私はよくないと思います。

志満「ふふふ、美渡、千歌を泣かせたらダメよ」

千歌「そうだそうだ、ダメなものはダメなのだ!」

志満「ところで千歌、最近、学校の成績のほうはどうなの?」

千歌「うん、それはその、あの、わるくはない気がせずんばあらず」

志満「お母さんが心配してたわよ」

しま姉は優しいので、そこまでアケッピロゲなことは言いません。
しかしながら、少なくとも私がかしこいとは思っていないようです。
残念な話です。私は褒められて伸びるタイプなので、お姉ちゃんたちは私のことをもっと可愛がるべきではないでしょうか。私はそう思うのです。

千歌「大丈夫、千歌は、やればできる子だから」

美渡「やれよ、じゃあ」

千歌「うるせーコノヤロー、泣かすぞ! ほんでもって私も泣くぞ!」

美渡「出た、千歌の逆ギレからのマジ泣きだ!」

志満「ふふふ、二人とも、ケンカしたらダメよ」

千歌「ふん、いいもん。私、散歩してくる」

志満「また海を見に行くの?」

千歌「そ」

美渡「毎日見に行って、飽きないの?」

千歌「飽きないよ。毎日、違う声が聞こえてくるから」

私は、海の声を愛しています。
どこからともなく聞こえてくる海の声に耳を澄ませていると、色んな思いが浮かんできます。

海に比べれば自分はチッポケだとも思って、そわそわすることもあります。
そんなときは、海の彼方から、悲しげな歌が聞こえてきます。

海の向こうにはどこまでも世界が広がってると思って、どきどきすることもあります。
そんなときは、海の彼方から、楽しげな歌が聞こえてきます。

そんな私の思いを、海は、ぜんぶ受け入れてくれる気がするのです。
いろんなふうに変わる海の声は、すべて、私の心の声の反響なのかもしれません。
だから海の声を歌にすれば、私の心の中にあるものが、そっくりそのまま伝えられるのかもしれません。

若山何たらという人も、そういうことがしたくて、海の声についての歌を作ったのだと思います。
その人がどこの海のを見たのかは知りませんが、私にとっての海は、この内浦の海です。
私みたいな普通怪獣には、ざんねんながら、上手な歌を作ることはできません。
でも、へたな歌でよければ、歌うことはできるのですよ。

―――――

まこと、われらがうら若き胸の海ほど世にも清らにまた時おかず波うてるものはあらざるべし

――若山牧水『海の声』「序」より

―――――

千歌(さてそんなわけで、今日も元気に海の声を聞きに来たのだ)

千歌(あ、桟橋に先客がいる! めずらしいこともあるもんだ)

千歌(しかも見慣れない桜色のワンピースの、大人っぽいお姉さん)

千歌(目を閉じて波の音に耳を澄ませている)

千歌(絵になるなあ、私とは大違いだ)

千歌(あっ、おもむろに釣竿を取り出した。釣りをしに来たのかな?)

千歌(ん? でも釣竿の先に付けてるの……楽譜だ)

千歌(そのまま、楽譜を海の中に浸した)

千歌(え? なにあの人、危ない人なの?)

千歌(放っておくと何を始めるか分からないタイプの人だ、心配だから話しかけてみよう)

千歌「ちょっとすいません」

??「えっ」

千歌「何をしてらっしゃるんですか」

??「海の声」

千歌「海の声?」

??「そうです。海の声を何とか音楽にしたいと思って」

千歌「それで楽譜を海の中に浸してるんですか?」

??「そうです。楽譜といっても、まだ何にも書いてない真っ白い五線譜ですけどね」

千歌「うーん、まだよく分かりません、あなたが何をしたいのか」

??「最初は海に飛び込もうと思ったんです」

千歌「ええ!?」

??「でも四月の海はとても冷たいから、さすがにそれは危ないかなって思ったんです」

千歌「まあそうですよね」

??「だから私、思ったんです。直に海中で海の歌を聴くことが叶わないなら、五線譜を海水に浸せばいいんだと」

千歌「はあ」

??「ほら、そしたら海の声のメロディーが、五線譜に転写されるかもしれないでしょ」

千歌「ははあ」

??「ふふふ、どうしてこんな簡単なこと、今まで誰も実行に移さなかったのかな」

千歌「無理だと思ったから、やらなかっただけだと思うんだけどなあ」

??「どうしてそう言えるの? やってみなければわからないでしょ? レッツチャレンジだよ!」

千歌「……素敵! 熱いハート!」

??「芸術と海を愛する心があれば、不可能なことなど何もない。私はそう思うの」

千歌「正直なところ初めは何言ってんだこいつと思ってましたけど、話を聞いてたら、チカもだんだんそう思えてきたよ!」

??「あら、あなたはチカさんっていうの?」

千歌「はいそうです! 私の名前は高海千歌といいます!」

??「よろしくね、千歌さん」

千歌「お姉さんは……見たところ女子大生さんみたいに見えますが、お名前は何ておっしゃるんですか?」

??「名前は……そうね、仮に、アクア桜内とでもしておきましょう」

千歌「アクア?」

アクア桜内「水と桜内のハーフなの。ニンフみたいなものね」

千歌「わー、何言ってるのかサッパリ分からないけど、でもなんかカッコいい!」

アクア桜内「えへへ」

千歌「水と人間のハーフだから海を愛してやまないのですね!」

アクア桜内「うん、そうなの。あなた、とてもかしこいのね」

千歌「ホントですか!? 私、かしこいって言われたの12年ぶりくらいです!」

アクア桜内「大丈夫よ、あなたは聡明だし、それに、海を愛する素敵な心をもってる」

千歌「ということは、もしかして私も水と高海のハーフだったのでしょうか」

アクア桜内「そうね、きっとあなたはアクア高海なのよ」

アクア高海「カッコいい……感無量です! 私今日からそう名乗ります!」

アクア桜内「それじゃあ一緒に海の声を奏でましょうか」

アクア高海「今日の海の声は、胸が高鳴るデュエットになりそうですね!」

アクア桜内「ふふふ、そうね」

アクア高海「どんなメロディーになるでしょうか?」

アクア桜内「ちょっと待っててね。そろそろ今日の海のメロディーが五線譜に転写される頃だと思うから」

アクア高海「早く、早く釣り上げてください!」

アクア桜内「ふふふ、焦らなくても大丈夫だよ。そーれ!」

アクア高海「わああ! 変な海藻ついてる!」

アクア桜内「わああ! 紙がカピカピになってる!」

アクア高海「ところで、五線譜真っ白なんですけど、アクア桜内さん」

アクア桜内「……カモメみたいなものね、海の青に染まらない」

―――――

白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ

海の声そらにまよへり春の日のその声のなかに白鳥の浮く

牧水

―――――

【翌日、学校にて】

曜「それで、その女子大生の……えーと、アクア内さん?」

千歌「アクア桜内さん、だよ。曜ちゃん」

曜「失敬。そのアクア桜内さんと一緒に、五線譜の塩漬けを作ったんだね」

千歌「まあそういうふうに言ってしまうとアレだけどね。でもロマンチックな体験だったんだよ」

曜「そのアクア桜内さんは、ご近所さんじゃないの?」

千歌「うん。初めて見たひとだから、きっと都会からの観光客さんだと思う。何かシックなワンピース着てたし」

曜「へー、シックってどういう感じ?」

千歌「よく知らんけど、大人っぽいっていう感じだね。最近覚えた言葉だから使ってみたくて」

曜「なるほど、よく知らんけど、大人の女性との出会いだったんだねー。いいなあ、千歌ちゃん」

千歌「ノンノン、私のことは今日からアクア高海と呼んでくれたまえ」

曜「すげーなあ千歌ちゃん、名前にカタカナが入ってるのって憧れるわー」

千歌「でも海を愛するひとは誰でもアクアの申し子なのだよ、曜ちゃん」

曜「ホント? 私も海で泳いだり船に乗ったりするの好きなんだけど、もしかして……」

千歌「そう。ユーはアクア渡辺なんだ」

曜「え、何それマジのガチでカッコいいんですけど……!」

千歌「ふふふ、そうでしょ」

曜「こうしちゃいられない、早速水泳部の顧問の先生に、登録名をアクア渡辺に変更してもらいに行かないと」

千歌「幸運を祈るよ」

曜「おりゃあああ、全速前進……あ、先生!」

先生「渡辺さん」

曜「アクア渡辺です。今日から私のことをそう呼んでください」

先生「わけのわからないことを言うのはやめて席についてください」

曜「まだホームルームの時間じゃないですけど」

先生「ちょっと予定を早めます。転校生を紹介しますので」

先生がそう言ったとたん、教室が色めき立ちました。

「転校生?」

「どうしてまたこんな田舎に?」

「先生、もっと早く言ってよね!」

そりゃそうです。ただでさえ生徒の数が減っているこの学校に転校生が来るなんて、一大事です。
そんなわけで、教室は一気に水を打ったように静まりかえり、私たちは転校生の登場を今か今かと待ち望みました。

先生「桜内さん、どうぞ」

千歌「さくらうちー?」

先生「高海さんちょっと落ち着いてください」

??「初めまして、桜内梨子です」

千歌「アクア桜内さん! アクア桜内さんじゃないですか! 女子大生じゃなかったんですか?」

梨子「あわわ」

曜「えっホントにアクア桜内さん? サインください! シックな感じの!」

梨子「あわわ」

先生「高海さん渡辺さん、静かにしてください。桜内さんが怯えていますよ」

梨子「……東京から来ました。よろしくお願いします」

アクア桜内……いや、桜内梨子さんは、おとなしくて控えめなお嬢さんでした。
アクア桜内と名乗ったのは、何というか、引っ越したばかりでテンションが上がっていたからのようです。
休み時間のあいだずっと、梨子ちゃんはクラスメートに囲まれて質問攻めに遭っていました。
放課後になって、ホウホウの体でバス停に向かう梨子ちゃんに、私と曜ちゃんは意を決して話しかけてみました。

千歌「おつかれさま、梨子ちゃん」

曜「みんな東京から来た転校生のことが珍しくて、つい色々と質問しちゃうんだよ。まあ私たちもだけど」

梨子「いいのよ。私も歓迎されて嬉しかった」

千歌「私たちも嬉しいよ、転校生の梨子ちゃんがこんなに素敵な女の子で」

梨子「そんなことないよ。みんな私のホントの姿を知らないだけ」

千歌「ホントの姿って……アクア桜内?」

梨子「忘れましょう、千歌ちゃん。そのことは」

千歌「忘れられるわけないよ……だってあのときの師匠、輝いてた」

梨子「師匠って言わないで、恥ずかしいから」

千歌「梨子ちゃんは、大人っぽくて控えめな性格だけど、でも心の中にはゲージュツに対する情熱がたぎってるんだよね」

梨子「ほんの出来心だったんです許してください何でもしますから」

千歌「何でも? じゃあ一緒に奏でよう、海の歌を」

梨子「うわあああああ」

曜「わああ、梨子ちゃん落ち着いて! 今こいつに謝らせますから! ほら千歌ちゃん、梨子ちゃんにごめんなさいしよう、ね?」

千歌「名前は……そうね、仮に、アクア桜内とでもしておきましょう」

梨子「うわあああああ」

曜「あっ梨子ちゃん千歌ちゃんを襲わないで、この子ちょっとお調子者だけど根はすごくいい子だから!」

【帰りのバスの中】

千歌「いやー奇遇ですなー梨子ちゃん、まさか帰りのバスの方向が一緒だとは」

梨子「そうね」

千歌「……怒ってる? 怒ってるならとりあえず泣いて謝るけど」

梨子「怒ってないよ。だから泣かなくても大丈夫」

千歌「ありがとう、梨子ちゃん優しい、愛してる! キスしてもいい?」

梨子「キスはしなくても大丈夫だよ。そういうことは本当に好きな人にしか言っちゃダメなの」

千歌「でも私の梨子ちゃんに対する愛はトゥルー・ラヴなの」

梨子「曜ちゃんにも同じこと言ってるんでしょ」

千歌「えええ、なんで知ってるのー!?」

梨子「だいたい分かるよ。あなたのトゥルー・ラヴが万人に向かってることくらい」

千歌「そうなの。ヒトだけじゃなくて学校にも海にも向かってるの」

梨子「結構なことね」

千歌「……あ、もしかしてヤキモチ妬いてる? それならとりあえずチューするけど」

梨子「妬いてないからチューしなくて大丈夫だよ。ていうかどんだけチューしたいの」

千歌「むむむ、残念だなあ。……あ、そうだ! 今日も釣りに行かない?」

梨子「いや、今日はちょっと疲れたから、家で休もうかなと」

千歌「もしかして疲れたのってチカのせい? もしそれなら……」

梨子「チューはしなくて大丈夫だよ。それに千歌ちゃんのせいじゃないの。転校初日だからちょっと気疲れしただけ」

千歌「そっか。じゃあ今日は家でゆっくり休んでね! それじゃあ私はここで降りるから……」

梨子「奇遇だね。実は私もここで降りるの」

千歌「あっこれ少女漫画で見たことある展開だ!」

梨子「はしゃがないの。ご近所さんかもしれないけど、何も家が隣というわけじゃあるまいし」

【自宅前にて】

千歌「隣だったね! 隣に新しい家が建ったから何となく予感はしてたけど」

梨子「……まあ隣だからといって、何も部屋が真向かいというわけじゃあるまいし」

【自室にて】

千歌「真向かいだったね!」

梨子「……」

千歌「チカ知ってるよ! 真向かいに引っ越してきた気になるあの子とベランダで会話してるうちに恋が芽生えるんだよね! あああちょっと待ってカーテン閉めないで!」

カーテンを閉めた窓の向かい側から、ぽろん、ぽろんとピアノの音が聞こえてきました。
とてもきれいだけど、どこか寂しくて、悲しげな音。
それを聴いたとき、私には、やっと分かりました。
ああそうか、梨子ちゃんは、ピアノで海の声を歌おうとして、ずっとそれを探しているんだ。

でも私には、お道化になる以外に、梨子ちゃんに何をしてあげたらいいか分かりませんでした。
ピアノの弾けない私には、ピアノが弾ける梨子ちゃんが何に迷っているのか、見当もつかなかったからです。
だから私は、カーテンの向こうのピアノの音が鳴り止んだあとに、一生懸命パチパチと拍手をしました。
するとカーテンがかすかに開いて、閉まった窓の向こうの梨子ちゃんが、にこりと微笑みました。

私は、それが嬉しくて嬉しくて、その日はよく眠れませんでした。

―――――

白昼さびし木の間に海の光る見て真白き君が額のうれひよ

風消えぬ吾もほほゑみぬ小夜の風聴きゐし君のほほゑむを見て

牧水

―――――

【翌日、学校にて】

千歌「というわけでね、何と何と、南都きれいな平城京だよ!」

曜「千歌ちゃんちょっと落ち着いて、いま平城京の話してないでしょ」

千歌「何と何と、梨子ちゃんは私の家の新しいお隣さんだったのだ!」

曜「えええマジか!」

千歌「こうして、ここ内浦に新たな都が生まれたのだ! そう、桜内&高海パラダイスという名の」

梨子「ちょっと千歌ちゃん、はしゃぎすぎよ……」

千歌「どうだすごいだろう渡辺隊員」

曜「おいおい、少女漫画みたいな展開だな……」

千歌「ふふふ、チカは日頃の行いとかが良いからなー。やっぱラヴ・ロマンスの女神に祝福されてるんだよね」

曜「いいなー私もお風呂上がりの梨子ちゃんとベランダでおしゃべりしたいなー」

梨子「カゼひくからやめたほうがいいと思うけど」

千歌「ロマンが分かってないなあ、アクア桜内なのに」

梨子「そんなこと言う子はチューしても許さないから」

曜「えっ、ふたりはもうそういう関係になってるの」

千歌「バレてしまったら仕方がないか……」

梨子「いやこれは言葉の綾というもので」

こうして、曜ちゃんと私は、怒られない程度に(時々やんわりと怒られたりもしましたが)梨子ちゃんにちょっかいを出しまくりました。
梨子ちゃんが何かに悩んでいるのは彼女のピアノの音から察していたのですが、それでもただの凡人の私には、できることなんてなかったからです。
だからせめて、ここ内浦での日常は、梨子ちゃんにとって楽しいものであってほしいと、そう願ったのです。

そんなある日のこと、いつものように私が海を眺めるために桟橋に行くと、先客がそこに腰掛けていました。
五線譜をぱらぱらとめくるその姿は、あの日見たままの……

千歌「こんにちは、ちょっとお隣よろしいですか」

梨子「もちろん」

千歌「もし人違いだったら申し訳ないんですけど、もしかしたらあの名作曲家のアクア桜内先生じゃありませんか」

梨子「いや千歌ちゃん、私は」

千歌「そうですよね? 私、先生のファンだったんです!」

梨子「ねえ千歌ちゃん、それはもう」

千歌「初めて釣りをしてる先生を見た頃からずっと、大・大・大ファンでした!」

アクア桜内「……ふふふ、見つかってしまっては仕方がないね、お嬢さん……いや、わが同志、アクア高海」

アクア高海「やっぱりそうだ! 再会できて嬉しいです!」

アクア桜内「今日も釣り、する? 五線譜を海に浸してみる?」

アクア高海「いや、その必要はないでしょ」

アクア桜内「……」

アクア高海「だってその五線譜、四月の頃みたいに真っ白じゃないから」

アクア桜内「……」

アクア高海「新しい曲、できたんだね。おめでとう」

アクア桜内「……まだ全然足りないけど」

アクア高海「それでも大きな進歩だと思うよ。シロートの私には見当もつかないけど、きっと、すごく苦労したんだよね」

アクア桜内「毎日、あなたとアクア渡辺が楽しい日々を過ごさせてくれたからね」

アクア高海「でも私、何にもしてあげられなかった」

アクア桜内「そんなことないよ。楽しい日々を過ごしていたら、私も、みんなを楽しい気持ちにさせられる曲が書きたいって思ったの」

アクア高海「そうなの?」

アクア桜内「そうよ。そしたら、新しい曲ができたの」

アクア高海「ふふふ。よかった」

アクア桜内「ねえ千歌ちゃん」

千歌「何かな、梨子ちゃん」

梨子「まだ未完成だけど、この曲、聴いてくれる?」

千歌「もちろん。それじゃあさっそく、今から梨子ちゃんの家に……」

梨子「ううん、ごめんね。まだ人前ではうまく弾けそうにないから……今日の夜に、カーテンを閉めたままで弾くから」

千歌「うん」

梨子「カーテンは閉めておくけど、窓は開けておくから」

千歌「うん」

梨子「千歌ちゃんに聞こえるように、がんばって弾くから」

千歌「ありがとう。でも、がんばらなくてもいいんだよ」

梨子「……」

千歌「きっとさ、今まで梨子ちゃんはがんばりすぎてきたんだよ」

梨子「……」

千歌「だから、がんばらなくてもいいからさ、楽しく弾いてよ」

梨子「うん」

千歌「そしたら私、いっぱい、いっぱい拍手するから」

梨子「うん」

千歌「それじゃあ、またね」

梨子「うん、またね」

その夜、カーテンの向こうから、すきとおったピアノの音が聞こえてきました。
小さな鈴みたいに微かな音ですが、それでも私は、たしかに、梨子ちゃんの心の中にある海の音を聴きました。

―――――

眼をとぢつ君樹によりて海を聴くその遠き音になにのひそむや

牧水

―――――

ピアノの音が止まったあとで、私は、ぱちぱちぱちと、窓の向こうに聞こえるように手を叩きました。
すると、携帯電話のほうから、メールの着信音がピロリロリンと鳴りました。
私がいそいそとメールを見ると、送り主はやっぱり梨子ちゃんでした。


* * *

From 梨子
To   千歌

ありがとう

* * *


だから私も、急いで返信しました。


* * *

From 千歌
To   梨子


ありがとう

* * *

すると、しばらくしてから、梨子ちゃんからの返信が届きました。


* * *

From 梨子
To   千歌


ねえ千歌ちゃん
私のお願い、もう一つだけ叶えてくれる?

* * *


私は、深呼吸をひとつしてから、短い返信を書きました。


* * *

From 千歌
To   梨子

私に叶えられる大きさのお願いならね

* * *


手に汗を握ったまま返信を待っていると、しばらくしてから着信音が鳴りました。


* * *

From 梨子
To   千歌

私の曲に、詞をつけてほしいの
凝った詞じゃなくてもいい
千歌ちゃんが聴いた海の声を、そのまま言葉にしてくれるだけでいいから

* * *

* * *

From 千歌
To   梨子

それは、私みたいな凡人には、ちょっと大きすぎるお願いかな

* * *


私は、そう返したあとで、そっと窓を閉めて、鍵をかけました。

* * *

From 梨子
To   千歌

そんなことない
私は、千歌ちゃんが作った詞がいいの

* * *


* * *

From 千歌
To   梨子

ねえ、梨子ちゃん
もしよかったら、スクールアイドル、やってみなよ
私知ってるんだ、幼馴染の果南ちゃんたちが最近メンバーを集めてるの
きっと作曲ができる人はなかなかいないから、重宝されると思うな(*^_^*)

* * *


* * *

From 梨子
To   千歌

千歌ちゃんが入るなら、私もついてくよ

* * *


* * *

From 千歌
To   梨子

あ、そうだ! 曜ちゃんも誘ってみたらどうかな?
生徒会長の妹さんのルビィちゃんっていう子が衣装担当みたいなんだけど、きっと一人では大変だからさ
ほら、曜ちゃんって私と違って何でもできるからさ、衣装作りでもダンスでも大活躍できると思うんだo(^▽^)o

* * *


* * *

From 梨子
To   千歌

でも、千歌ちゃんはどうするの?

* * *


* * *

From 千歌
To   梨子

そうだ! グループ名も今募集してるみたいだけど「アクア」っていうのはどうかな?
私、梨子ちゃんが初めて「アクア桜内」って名乗ったときは笑っちゃったけどさ、ホントはずっとイケてる名前だって思ってたんだよ
いい感じのアルファベット表記を考えて、私のほうから応募しておくね! もちろん匿名で!

* * *


* * *

From 梨子
To   千歌

ねえ千歌ちゃん
私がワガママ言ってるのは分かってる
でも私、千歌ちゃんと一緒じゃなきゃダメなの

* * *

* * *

From 千歌
To   梨子

ゆるして m(,_,)m ごめんちょ!

* * *

―――――

いづくにか少女泣くらむその眸のうれひ湛えて春の海凪ぐ

牧水

―――――

それから一週間ほどが過ぎました。
梨子ちゃんは、無事に曜ちゃんを誘って、果南ちゃん達が結成したAqoursに入ってくれました。
えへへ、Aqoursっていう名前、私が無い知恵を絞って考えたら、何と採用されたのです! すごいでしょ。

聞くところによると、メンバーはすでに8人集まって、地区予選に向けて準備を進めているとか。
ふふふ、さすがは私の見込んだ梨子ちゃんと曜ちゃんです。
きっと、スクールアイドルとして、ステージの上できらきらと輝いてくれることでしょう。

え、私?
私は、べつにいいのです。
私は、観客席でぱちぱちと拍手して、それでみんなが楽しそうな顔をしてるのが見られたら、それだけで幸せなのです。

それだけで、幸せなのです。

その日の夕方、私はいつものように授業の後ですぐに帰宅しました。
あの日からずっと海に散歩に行ってはいませんでしたが、今日は久しぶりに行ってみようかな。

志満「今日も早いのね」

千歌「そりゃそうでしょ、帰宅部なんだから……みと姉はまだ仕事?」

志満「うん」

千歌「そっか」

志満「今日は海の方に行くの?」

千歌「うん。ヒマだから」

志満「今日はどんな音が聞こえるのかな?」

千歌「楽しい歌だよ。アイドルソング思わず踊りだしたくなるような歌」

そのあと私は、桟橋に腰かけて、波の音にあわせて、こっそり自分で作った歌詞を口ずさみました。
私みたいな普通怪獣には、ざんねんながら、上手な歌を作ることはできません。
でも、へたな歌でよければ、歌うことはできるのですよ。

おかしいな。
楽しい歌詞をつけたつもりなのに、どうしてこんなに……

誰にでもその人なりの孤独があるように、凡人には凡人なりの孤独があります。
きっと海は広くて深いですから、私の心の奥底にあるものも、ぜんぶ映し出してくれるのでしょう。
海の声を歌にしたとき、私は、自分の心の中にある気持ちに初めて気がつきました。

「寂しいなあ」

するとそのとき、私の肩にポンと手が触れました。

梨子「お嬢さん、ステキでしたよ、あなたの歌……でももっと明るい歌も聴きたいな」

千歌「梨子ちゃん!」

梨子「私、ずっと待ってたの。千歌ちゃんがまたこの海岸に来てくれること」

ダイヤ「だからずっとここで練習してたんですよ、この一週間ほど」

千歌「ええー? なんかごめんなさーい!」

鞠莉「さて今日はどんな練習をしましょうか」

ルビィ「ええと、釣りの練習とかはどうでしょうか?」

千歌「釣りとスクールアイドルは関係ないよね?」

善子「名案よ、ルビィ! 釣竿には何をつける?」

花丸「おっ、こんなところにとっておきの私たち8人分の名前を書いた入部届が!」

果南「よーし、それじゃあ入部届を海に浸してみよう」

千歌「いやいや、そんなことしたらダイヤさんに怒られちゃうよ!」

ダイヤ「今日の私はソフトなダイヤなので怒りませんわ」

鞠莉「アメイジング!」

千歌「ソフトなダイヤって何ですか! 早く止めないと書類カピカピになりますよ?」

梨子「えいやあ、叫べ青春、桜内! いざ着水!!」

千歌「梨子ちゃん積極的になったなー、さすがアクア桜内だなー」

入部届を海水に浸すこと5分、見たところ、釣竿に動きは何もありません。

ルビィ「そろそろいいかな」

善子「海の魔翌力により入部届にメッセージが転写されたころね」

花丸「黄昏の理解者ずら」

千歌「一年生のみんなもノリがいいんだね、なんかごめんね」

梨子「えいっ、引き揚げよ」

千歌「わああ変な海藻ついてるう!」

ダイヤ「変な海藻はさておき、入部届に記載されたメンバーは?」

鞠莉「わーお! 何と不思議なことでしょう! 8人から9人に増えてるわ!」

果南「9人目の名前は……高海、千歌!」

千歌「えっマジで? どんな手品使ったの……って曜ちゃんかあ!」

海から上がってきたダイバー姿の曜ちゃんが、耐水性ボールペンを持ってポーズを決めました。

曜「シュコー、シュコー」

果南「家の酸素ボンベつけて潜ってもらってたの」

千歌「やっぱ曜ちゃんは器用だなあ……もう入部届フニャフニャだけど」

ダイヤ「認められますわあ」

千歌「認められるのですね」

曜「シュコー、シュコー」

果南「ほら曜も言ってるでしょ」

千歌「うん、シュコーシュコーって言ってるね」

梨子「さて、そういうわけだから、千歌ちゃん」

曜「シュコー、シュコー」

梨子「曜ちゃんと私、まだこの入部届、正式に提出してないの」

曜「シュコー」

千歌「……」

梨子「メールでも書いたけど、もう一度言わせて」

曜「シュコー!」

果南「曜、もう酸素ボンベ外しても大丈夫だよ」

曜「プハー」

梨子「千歌ちゃんと一緒じゃなきゃイヤなの」

曜「私たちは千歌ちゃんがいないと何もできないんだ!」

梨子「千歌ちゃんの詞が必要なの」

曜「この桟橋でずっと聴いてた歌、私たちにも、聴かせてよ」

私は、何だかもう胸がいっぱいになってしまって、こくこくと頷くことしかできませんでした。
二人の言葉を聞いたら、海から聞こえてくる声が、急に音色を変えて、私の胸の中に流れ込んできたのです。

もちろん、だからといって、今まで聞いていた海の声がウソになったわけではありません。
海の声には、私たちの心の中のすべてがあるのです。
悲哀も、慰藉も、寂しさも、寂しくなさも。

―――――

手をとりてわれらは立てり春の日のみどりの海の無限の岸に

牧水

―――――

【数週間後、教室にて】

先生「期末テスト始めるぞー」

曜「えーヤバイって国語とかマジで意味わかんないから」

千歌「きたきた! 作詞担当としては国語は得意科目という設定ですからなー、100点取っちゃうかもなー」

梨子「珍回答とか期待してないから、ちゃんと昨日教えた通りにするのよ!」

先生「ほらそこ、静かにしなさい! 小テストで出した問題もあるから落ち着いて解くように!」

―――――

(問1)

われは海の声を愛す。
潮青かるが見ゆるもよし見えざるもまたあしからじ、
遠くちかく、断えみ断えずみ、
その無限の声の不安おほきわが胸にかよふとき、
われはげに云いがたき、悲哀と慰藉とを覚えずんばあらず。

* * *

これは沼津にゆかりのある歌人、若山牧水の処女歌集「海の声」の序文からの引用です。
古文に由来する表現に注意しながら、現代語に訳してください。

(解答欄)

海の声を聞くことは、寂しくて、そして寂しくありません。
だから私、海の声を愛しています。


2年1組 出席番号○○番 アクア高海

―――――

【数日後】

先生「テスト返すぞー」

千歌「きたきた! どうしよっかなー、曜ちゃんはともかく梨子ちゃんに勝っちゃったらどうしよっかなー」

曜「私は負ける前提なの?」

先生「高海千歌!」

千歌「はいはーい! って何じゃこりゃあ0点じゃないですかあ!」

梨子「何をやらかしたらそんなことになるの!」

先生「解答も意訳しすぎてる感があるけど、そもそも名前が違うから」

千歌「とほほ……げに云いがたき悲哀なるかな」




をはり

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