望月杏奈「心の雨が上がる時」 (16)
「百合子さん……どこ行ったんだろう…………?」
辺りを見渡しつつ、杏奈はそう呟いた。
ぐるりと見渡す景色。どのアングルにも古書店が入り込んでいて、雰囲気からして百合子さんが好きそうな店ばかり。
多分……どれかに百合子さんはいるんだろうな…………。杏奈のことも忘れちゃって、フラフラと引き寄せられたの……。
「はぁ……」
ため息一つ。控えめなそれは人ごみにすぐにかき消されてしまう。
今日は百合子さんとデー……お出かけ。百合子さんが古書店巡りをしに行くって言うから、連れて行ってもらったの。
だけど、百合子さんの本好きを舐めてた……かも。
『それは良いんだけど……。私、本に夢中で杏奈ちゃんはつまらないかもしれないよ?』
『大丈夫……。百合子さんが楽しんでるなら、杏奈も楽しいから…………』
って言ったのは、杏奈なんだけどね……。
少し目を離しただけでいなくなるなんて、思わなかった……かも。
とりあえず、ずっとその場に立ち尽くしてるのも辛いから杏奈は、近くにあった広場のベンチに腰をかけた。
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「ここなら目立つから、百合子さんも杏奈を見つけられるよね…………」
ふと、肩から力が抜ける。その勢いで空を眺める。鈍色の空。今にも空の我慢がはち切れて雨が降り出しそうだ。
折りたたみ傘は、持ってたような気がする。百合子さんはどうだろうか。
ふと、携帯に手を伸ばす。
百合子さんに連絡を――と思ったけど、多分今の百合子さんは気づいてくれないよね。
いつも、杏奈の想いは一方通行…………。
今日のお出かけをデートだと思ってるのは杏奈だけ……。百合子さんはただの、お出かけだと思ってる…………。
仕方ないことだけどね……。
杏奈の抱えてるこの気持ちの、何分の一を百合子さんは持っていてくれるのかな。
なんて、
「いけない、いけない……」
空の色が暗くて、考えることまで暗く染まってしまっていたようだった。
なんとなく、ゲーム機にも手が伸びなくて、考えは嫌な方向に進んで行く感じ。
今日の杏奈は、駄目な杏奈…………。百合子さんは……いつも通りの杏奈しか、受け入れてくれないから、駄目…………。
だけど、そんな風に明るくなろうとしても、湿気ったマッチに火が点かないみたいに上手くいかない。
そんな風にしてると、頰に冷たい感触。
ポツポツと、そんな音が増えていく。
「雨……?」
気づいて、杏奈は駆け出した。
杏奈は……適当な建物で雨宿り…………。
外を見てみると、激しい雨模様。とても傘無しで歩けそうにはなかった。
「折りたたみ傘、使わなきゃ…………」
ガサゴソ、自分の鞄に手を突っ込む。ゲーム機ばかりのその魔境を手探りで掻き分けて…………あれ。
今度は自分の目で確かめる……うん、間違いないね…………。
「持ってくるの、忘れちゃった……」
どうしよう。これじゃ、帰れない…………。
傘を買うしかないかな……。だけど、売ってそうな店はこの建物には無さそう…………。コンビニのはきっと、売り切れてる……よね。
とその時、杏奈の携帯が震えた。
手にとって見ると、液晶には『百合子さん』と刻まれていた。
「ん……百合子さん?」
『杏奈ちゃん、ごめん! 気づいたらはぐれちゃってた!』
うん、知ってる。
百合子さんは本当に本が大好きだもんね……仕方ないよ…………。
「気にしてない……よ? それより、雨が……」
『そうそう! どうしようかな、って』
合流するかしないかって話だよね……。
だけど今日の杏奈は、百合子さんと会っても……困らせるだけ…………。百合子さんが許容できないような、ぐるぐるして黒い感情が渦巻いて止まらない。
だから、答えは一つ……。
「百合子さん、傘持ってるよね……?」
『え、うん。持ってるけど』
良かった……これで後腐れないね…………。
じゃあ、と言って、
「今日はこれで、バイバイしよ……? 杏奈も傘あるから、大丈夫……」
『え、あ、杏奈ちゃ――――』
少しでも会話をすれば、百合子さんに見せたくない杏奈の部分が漏れ出しそうで、そんな想いが杏奈に電話を切らせた。
百合子さんには今度謝っておこう、そんなことを思って外を眺めると、やはり激しい雨が続いていた。
「帰ろう……」
ゲーム機は持っていたタオルで包んでいたから大丈夫、それが不幸中の幸いだった。
弱まる予感もない雨が、体を打つ。出来るだけ屋根の下を通るようにするけれど、体は濡れる一方だ。
靴に染み込んだ雨水が気持ち悪くて、一層駆け足になる。顔を伝う水滴が目に入ってきて邪魔くさい。
だけど、こうしていると少しだけ陰鬱な心の中が綺麗になるようで、どこか爽快感があった。
赤色を輝かせる信号機が目に入って足を止めた。だけど、雨粒の落下は止まらずに杏奈の体を濡らしていく。
本当は百合子さんと、一緒に楽しもうとしていたのに……。
「杏奈、何やってるんだろ……」
惨め。
体も心も冷え切って、足が動かなくなりそう……。
こんなつもりじゃなくて、でも、杏奈は…………。
強引に百合子さんについてきて、それで遊びに行ったら行ったで百合子さんを振り回しちゃって。
百合子さんに、謝らないと……。
止まない雨を浴び続けて、信号の変化に合わせて重い脚を動かす。視界がぼやけて、気になる。気力のダムが決壊したみたいに、今にでも歩くのをやめてしまいそうだった。
「――――杏奈ちゃん!」
意識の外側。はるか遠くから、呼ばれ慣れた声が聞こえた。
タオルでゴシゴシと、身体を拭かれていく。
子供扱いみたい…………って言ったら『今日の杏奈ちゃん、馬鹿だもん! 子供みたいなものだよ!』って言われた……。
ゴシゴシ、ふきふき。
「ありがとう、百合子さん……」
「もう! 私がいなかったらどうするつもりだったの?」
杏奈が傘持たずに信号で待っていると、傘をさした百合子さんが走ってきた。
そして、このまま帰るわけにも行かないから、と近くの商業ビルまで連れていかれた。
その後は、濡れた杏奈の体をゴシゴシ…………。
「これで良しっ」
「ありがとう……」
完全に乾くはずはないけれど、百合子さんのおかげで少し楽になったかも……。
百合子さんはむっと怒るのが半分、心配半分という表情で杏奈を見てる。そういう顔をさせたくなくて、避けてたのに…………。
外を見ると、やはり雨が降り続いている。杏奈の身体も乾くまでは時間が必要そうだった。
「杏奈ちゃん。嘘ついたよね」
杏奈も、百合子さんもなんとなく口を開きにくかったけれど。
湿った沈黙を破ったのは百合子さん。
「傘持ってるって言ってたのに」
「…………ごめんなさい」
理由を言うと、百合子さんが絶対に困るから言えない。ただ、杏奈には謝って誤魔化す選択肢しかなかった。
でも、百合子さんは満足しないよね…………。
「謝ってほしいんじゃなくて、杏奈ちゃん」
百合子さんが杏奈を心配してくれてる。嬉しいけど、その何倍も申し訳なくなる。
やっぱり、今日の杏奈はダメダメ……。
うじうじして、百合子さんを困らせて、びしょ濡れになって…………。
「…………分かった」
杏奈が何も話さないでいると、ふいに百合子さんはそう言った。杏奈の手を取って、そして片手には傘。
いつになく優しい表情を浮かべて百合子さんは口を開いた。
「帰ろう? 杏奈ちゃん」
一つの傘を二人で分け合って歩いていく。肩がたまに触れあうと、百合子さんも濡れちゃうんじゃないかって、悪く思う……。
会話は無かった。
それが有り難くて、でも気を使わせていることが本当に申し訳なかった。
杏奈は、駄目な娘…………。
そんな風に、駅まで近づいていく途中。また、赤い信号機が見つかって杏奈たちは足を止めた。
それが何かの、契機だったのかも……。
「何も言いたくない時って、あるよね。分かるから――でも、少しずつでも話してほしいな」
「…………百合子、さん」
百合子さんは、たまに暴走するけど、こういう時は他人のことが見えてる。
ドキッと、するくらいに。
そんな百合子さんだから、杏奈は好き……。
信号はまだ赤い。雨音だけが耳を覆っていた。
「杏奈、ね…………」
百合子さんに嫌われるんじゃないかって……怖くて、百合子さんの顔を見つめる。
目が合った。キラキラとした瞳。見慣れた瞳。不思議と、安心する……。
「迷惑になる、って、思って…………」
声が上ずりそうで、たどたどしく言葉を滑らせていく。
「今日、杏奈、暗くて、ドロドロしてて……。それに、百合子さんは本屋巡りで……充分楽しそうだったから…………」
こんなこと言われても百合子さんは困るだけだよね…………。そう分かってるのに、止まらなくて。
「今日の杏奈は、百合子さんには要らないって……思って…………」
信号が赤色から一転して、青色になった。
百合子さんが進む。杏奈も、それに引き寄せられていく。
気分が重くて、足元にいつもより水たまりが多いように感じる。一つ一つ避けていくには、多すぎる。
「迷惑なんかじゃないもん」
百合子さんが口を開いた。雨音を掻き分けて、その声は杏奈によく響く。
「杏奈ちゃん」
声色は真剣さと、……その、愛というか、そんな優しい成分で出来てるみたい。
百合子さんはこっちを向かないで前を向いて、そして続ける。
「本屋のことは……ごめんね? でもね、杏奈ちゃんといると楽しくて。余計に浮かれちゃってたんだ」
そうなんだ……。そう言われると嬉しいけど、それで蔑ろにされると思うと複雑かも…………。
だけど、それも百合子さんらしいかな……。
「要らなくなんかないよ。杏奈ちゃんがいると、楽しいもん」
……うん。
「だから、杏奈ちゃんが悩んでるなら、一番に私に相談して欲しい…………から、今はちょっと嬉しいかも」
えへへ、そう控えめに百合子さんは笑う。少しだけつられて、私も少し、笑ってしまう。
そんな、少し朗らかな空気が百合子さんを後押ししてるみたい。少なくとも、杏奈にはそう見えた。
「本当に、要らなくないよ。ずっと杏奈ちゃんにいて欲しいって、思うよ――――杏奈ちゃんが欲しいよ!」
「……へ?」
…………。
ついつい足を止めて、なんとなく百合子さんも止めて。
顔を見合わせて。
少し遅れて、二人一緒に顔を赤らめた。
「欲しい、って」
「ほ、ほ、欲しいっていうのはその。言い過ぎ? でもないと言うか、その……」
ううぅ、と百合子さん。
杏奈も恥ずかしくて、気まずくて、だけど嫌な雰囲気じゃなかった。
視線の向けどころを求めるように、傘の隙間から空を伺うと。
「わぁ…………綺麗」
「杏奈ちゃん? …………すごい」
百合子さんが傘を下ろす。気づくと雨はとっくに止んでいて、白い日差しが鈍色の雲を切り裂いていた。
天使の階段。
そう言うらしい――って、昔、百合子さんが教えてくれた……。
天使に誘われて、清らかで壮大な、そんな天空に連れて行ってくれるような輝き。
杏奈にとっては、天使は百合子さんかな……。杏奈がドロドロしてても、明るいところへ連れ出してくれるから…………。
でも、それだけじゃ、杏奈は満足できないかも……。
「百合子さん、行こっ?」
「あ、杏奈ちゃん? わっ、ええっ」
さっきまでとは反対に、杏奈が百合子さんの手を引いていこう。
杏奈にとっての天使が百合子さんなら、杏奈も、百合子さんにとっての天使になりたいから…………。
雨上がり、久しぶりに顔を出す陽が地面の水たまりで反射してキラキラと輝きをこぼす。
鈍色の空、気分を暗くする情景はとっくに塗り変わっていた。
百合子さんとなら……どんなところも輝いて見える。そんな風に、世界が見えてきて、先へ先へ進みたくなる。
そんな雨上がりのひと時だった。
おしり
あんゆりSSふえて
百合子な大胆発言いいねえ
乙です
>>1
望月杏奈(14) Vo/An
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七尾百合子(15) Vi/Pr
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