杉坂海「オンショアをつかまえて」 (117)

・モバマスのSS

・地の文あり

・ある程度書けたら順次投稿

・少し長めになる予定

それでは始めて行きます

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1.ビーチの出会い

ボードを持ち、セイルを持って、ウチは海に入る。
本当なら、まだ海に入るの早い時期。ウェットスーツとシューズ越しとはいえ、冷たい海水が身に沁みる。
まぁこの感覚も、ウチは好きなんだけど。

「よいしょ、っと……!」

ボードを海に浮かべ、セイルを支える。
時間はまだまだ早朝だけれど、風は西よりのオンショア。
強すぎず、適度に波も立っていて……うん、いいカンジ。これは、早起きした甲斐があったかな。
回りを見てみれば、ウチと同じようなウィンドサーファーが、次々と海へ出て行く。

「よしっ……それじゃあウチも行くとするかな!」

ホントは良くないのだけれど……一瞬片手を放して、ぱんっと頬を叩いて気合を入れた。
そうしてから、もう一度セイルをしっかり掴んで、後ろの足をボードに乗せて引き寄せる。
決してボードを蹴り出さないようにしながら、反り上がるように体を上げて、前の足をそっとボードに乗せた。
そして――

「セイルで風を……掴む!」

ボードに乗った瞬間、ぐっとセイルが力を受けるのを感じる。
その力に体を支えてもらえるようにしながら、風を掴んで、推進力に変えていく。
風を掴んで、風を切って、波を切って、大海原を進む。
まだまだ風は冷たい時間帯だけれど、すぐに熱くなっていく体には寧ろ丁度いい。
波と波の間でターンすれば、飛沫が飛び散り、朝日に照らされて宝石みたいにキラキラ輝く。
そんな飛沫は思いっきり顔に掛かるけれど、そんなことはまったく気にならない。
冷たい飛沫は心地よくて、風を受けて、風を切って進むのは気持ち良くて。

ああ、もうこの瞬間が本当に、心の底から!

「―――最ッ高!」

そう叫んだ瞬間、一際大きい波が砕けて、ウチの方へと襲い掛かる。
けれどそれに負けじと風に乗って、海を滑って飛沫の中を走り抜けた。
ああ、気持ちいい……本当に気持ちいい!
こうやって風に乗り、海を滑るたび、思い知らされる。
ウチは――杉坂海は、ウィンドサーフィンがたまらなく大好きなんだって。



それから一時間ほど風に乗って海を滑り、ウチは浜へと上がっていた。
レイルジャイブもだいぶ出来るようになってきたし、いい感じかな。まあ、倒れたりもしたけれど……ウォータースタートの練習にもなったし。
途中、風がオフショア気味になったので少し心焦ったけど、戻る頃にはまたオンショアになってて一安心だった。
まだウチの技量じゃ、オフショアの時に上手く戻れる自信がないからなぁ。
まぁその辺は今後の課題ってことにして、とりあえず、ボードとセイルを艇庫に仕舞って、シャワーを浴びようかな。
もうそろそろ行かないと、短大の授業も間に合わないしね。
朝ご飯はどこで食べようかな――なんて、考えていたその時。

「いやー、ウィンドサーフィンしてるところ見てたんだけど、キミ上手いねぇ!」

パチパチパチと拍手しながら、近づいてくる男の人がいた。
何だろう、と思ってそちらにちゃんと視線を向けてみたけれど……。

「……はぁ、どうも」

その瞬間、思わず身構えてしまった。
いやだって、正直これはウチじゃなくても身構えると思う。
歳の頃は、きっとウチよりも少し年上。20代半ばか後半くらいかな。
日焼けして色黒な肌に、赤茶けた髪。おまけになんだか軽いノリ。歯が白いのもやけに目立つ。なんかサメの歯のネックレスしてるし。
ウェットは着てるから、サーファーかウィンドサーファーなんだろうけど……なんというか、だからこそ余計というか。

うん。一言でいって、チャラい。

ウチがそんな風に身構えてるのを知ってか知らずか、その男は親しげな調子で続ける。それも少しずつ近づきながら。

「途中コケても、すんなりウォータースタートしてたし、かなり上手いよね。もう結構長いの?」
「んー……まぁ、一応」

一応、山口にいたころからやってたから、歴はそれなりに長いことにはなる。
けど、いきなりそんなこと聞いてくるなんて何が……っていうか距離近っ!
な、なんか急にぐいっと近づいてきてるし!
何、都会の人ってこんなにパーソナルスペース近いわけ!?

「やっぱそうだよね。いやー、あんま上手いんで驚いたよ」

「あの、そう言ってもらえるのは嬉しいんですけど……何か、」

「あ、ゴメンゴメン。キミが滑ってるところ、ホント綺麗だったからさぁ! 思わず見惚れちゃってさぁ。そんで声かけたんだ」

「んなっ」

――綺麗とかそんなこと、普通いきなり言う!?
驚きのあまり、思わず答えに詰まってしまう。
これはアレなんだろうか。ウワサに聞くナンパってやつ? いや違うんだろうけど、でもなんでよりによってウチ?
いやでも、ウチみたいにガサツなだけの女に声かけた所で、この人に何も得はないし……ああ、もう!

「あの、その……ウチ、これから学校なんで! 失礼します!」

「あ、ちょっと――」

何か言いかけてた気もするけれど、それを気にしている余裕はなかった。
もう、内心はひっちゃかめっちゃか。いきなりあんな事言われるなんて……!
ばっと頭を下げて、手早く荷物を纏めてボードとセイルを担ぐ。
顔は熱いし、もうなんだかワケがわかんない。

「……やっぱ都会、怖いわぁ」

思わず、そんな呟きが漏れていた。



「……ってことがあってさぁ。もうビックリしちゃったよ」

一限が始まる前、朝ご飯用に作ってあったおにぎりを、中庭のベンチでほおばりながら、今朝あったことを友達に話していた。
こっちに――鎌倉に移ってからできた友達だけれど、なんだか妙に馬が合ったんだよね、これが。
専攻してる学科は違うけど、スポーツ好きってとこも同じだしね。

「へぇー。ていうか、また朝からやりにいってたの?」

「まぁね! 今は少し余裕あるし、出来るうちは行くつもり」

「講義前なのに元気だよねぇ、海」

「いや、そっちだってランニングとかしてるじゃん?」

かわいらしい外見からは想像できないけれど、この子は毎朝ランニングするのが日課になってるらしい。
ウチからすれば、たまにウィンドサーフィンするより毎日ランニングのほうが、よっぽどすごいと思うんだけど。
でも、そんなウチの言葉に、うーん、なんて首をかしげている。

「してることはしてるけど、健康のためみたいなものだし……ウィンドサーフィンとは全然違うよ、やっぱり」

「うーん、ウチはそんなに違わないと思うんだけど。ま、好きだからこそ、ってねっ!」

この短大を選んだのだって、学びたいことが学べるのはもちろん、東京近郊最高のゲレンデ、逗子海岸や材木座海岸が近いからなワケだしね。
わざわざ艇庫も借りてるし、それなら思いっきりやらないとそれだけ損、ってね!
でも、朝も思ったけど……ウチ、本当にウィンドサーフィン好きなんだなぁ。
なんて、そんなことを考えていると。

「まぁでも、その人が言ってることもわかる気はするかな」

「え?」

「ほら、一度ウィンドサーフィンやってるところ、見せてもらったじゃない?」

「ああー、ここに入りたての頃だっけ?」

「そうそう」

一度、ウィンドサーフィンをやってるところを見てみたい、というから連れて行ったことがあったっけ、そういえば。
まだそんなに前じゃないのに、なんだか懐かしいなぁ。

「あの時の海、キレイだったもん。なんていうかさ、溌剌としてて、キラキラしててさ!」

「!?」

「ちょ、海、大丈夫!?」

思いがけない言葉に、ちょうど頬張ったおにぎりでむせてしまう。

「ゲホ、ゴホッ……み、みず……!」

「これ!? はい!」

「……はぁ。死ぬかと思った」

とりあえず事なきを得はしたけれど……うーん。
彼女の言葉は、嬉しいと思う反面、納得はいかない。

「輝いてるって……ウチ、そんな柄じゃないと思うけど」

「そうかな?」

「そうだって! こんなガサツな女を掴まえて、輝いてるとかさぁ……」

ウチは、『女の子』らしさなんてものとは、無縁だったからなぁ。自分でも、綺麗とか可愛いとか、そういうタイプじゃないと思うし。
むしろウチとしては、目の前にいる彼女のほうがよほどかわいいしキレイだと思う。
すらっとしてて、引き締まってて、私服もいっつも可愛いし……。正直、ちょっと羨ましい。
けど彼女は、そんなウチの言葉に思案顔を浮かべる。

「んー、海はいっつもそう言うけど、そんなことないと思うけどなぁ」

「そうかねぇ」

「まぁ、男勝りだなー、とは思うけどさ。でも、そこがいいっていうか」

「ウチの場合、下が男どもばっかだったからねぇ。よりにもよって元気いっぱいの煩いのばっかだったし」

そういえば、アイツら、ウチがこっちに出てきてから悪さしてないかな。
一応、一番上の弟がしっかりしてるから大丈夫だとは思うけど……。
ああ、考え出したらなんだか不安になってきた。今度電話して聞かないと、いろいろ。

「あはは、本当に私のところとはまるっきり逆だなぁ」

「ん、ああ。そういえば女ばっかって言ってたっけ?」

「うん。まぁ、上二人は熱血でちょっと暑苦しいけどねー」

なんて、そんなことを話しながら時計を見てみれば、もういい時間だった。

「っと、そろそろ行かないとだね」

「あ、ホントだ。私は専門の講義だから1号館だけど……」

「ウチは教養だから3号館。方向逆だね」

「じゃあ、お昼にここかな。また後でね、海」

「ん、また後でっ、慶!」

軽く手を振り合って、それぞれの教室へと向かう。
んー、今日の数学はどこやるって言ってたっけ。あんまり難しいとこじゃないといいんだけど……。
なんて、そんな事を思いながら、ふと脳裏に響いた気がしたのは、あの男の人の言葉。

『キミが滑ってるところ、ホント綺麗だったからさぁ!』

ホント、なんであんなことを初対面の人に言えるんだろう。
それとも都会の人は、みんなそうなんだろうか。ウチの常識からすれば、ちょっと信じられない。
けれど、そんなことを思う反面……思い出す度に、なんだか頬が熱くなってしまうのも、また事実だった。



それから、数日後の休日。
ウチは、ウィンドサーフィンをやろうと思い立って、いつものゲレンデに来ていた。
今日は晴れてるし、風もそこそこ出てるし、絶好のウィンドサーフィン日和。
でも、艇庫とビーチが近いから、ほんとに便利だなぁ。
ここを教えてくれた父さんには、感謝しないとね!
そんな事を考えながら、ウェットを着て、シューズを履いて、更衣室を出る。
そうしたら。

「お、キミ、やっぱりここの艇庫だったんだ」

そんな声を掛けられて振り返ってみれば。

「……あ。あの時の」

「おっ、俺のこと覚えてる?」

ウチが覚えている素振りを見せたら、嬉しそうにニコニコとそう言う。相変わらずの軽そうな笑顔で。
……うん、なんかちょっとイラっと来る。ウチはいろいろ気にしてたっていうのに。
だから、完全な八つ当たりだけど、少し意地悪をしようと思って、ウチは。

「あの時の、いきなり声掛けてきたチャラい人」

ウチの言葉に、その男はガックっと、思いっきり脱力する。
よし、一矢報いた! 心の中でガッツポーズ。
……って、なんでウチは、こんなことしてるんだろ。
まぁいっか!



「いやー、あの時はホントごめんね。急に声かけちゃってさ」

「いえ、もう気にしないでください。ちょっとびっくりしましたけど」

「はは、そう言ってもらえると助かるかなぁ」

少しの後、ウチとチャラい人――お兄さんは、海岸で話をしていた。
ウチはウィンドサーフィンの機材を持って、お兄さんはサーフボードを持って。
そう、つまるところは。

「お兄さん、サーファーだったんですね」
「そ。ほら、あそこの艇庫、ウィンドサーフィンとSUPだけじゃなくて、サーフボードも保管してくれるから」
「ああ、そういえば」

ウチはいつも立ち入らないから忘れかけてたけど、そういえばボードも保管してたっけ。
ん、あれ? でも。

「あの時のお兄さん、濡れてなかったし、ボードも持ってなかったような……?」
「よく見てるなぁ」

なんか気になって何度も思い出してしまったからです。
なんて、さすがにいえるわけもなかった。

「ほら、あの時、朝からオンショアだったじゃん? それで早々に切り上げて、知り合いと駄弁ってたんだよね」

「ああ、なるほど。サーフィンはオフショアのがいいんでしたっけ」

「そ、面ツルならいうコト無しってね」

ウィンドサーフィンはオンショアやサイドショア。サーフィンはオフショア。
同じ「サーフィン」でも、実は求める風が違ったりする。
まぁ、荒れてる方がいいって、オンショアを好むサーファーもいるらしいけど。

「んでさ、駄弁りながら海を見てたら、最高、なんて叫びながら風に乗ってるキミがいてさ」

「え゛っ」

「ん?」

「あれ、浜まで聞こえてました……?」

「うん、割とバッチリ」

あああああ。
ついテンションが上がって叫んじゃったけど、浜まで聞こえてたとか……!
挨拶してたオジサンたちが妙に暖かい視線だった理由がようやくわかった!
は、恥ずかしい……!

「まぁ、それで気を惹かれて見てたらさ、なんだかキラキラ輝いててさ」

「ちょ」

この人は、まだウチに追いうちをかけるつもりだろうか。

「いやその、輝いてるとか、そういうの、恥ずかしいですから……」

「なんで? 本当の事だよ?」

「いや、だから……ああ、もう!」

この人、話通じない!
こうやって話して、なんとなく悪い人じゃないってのはわかったけど!

「うーん、ホントの事なんだけどなぁ」

「いやもう、それはわかりましたから……」

こういう話は、ホントに慣れない。
そりゃ、ウチだって輝いてるとか言われて嬉しくないわけじゃないけど、恥ずかしさが先に立つし……。
それにどうしても、ウチなんか、って思いは拭えない。
そんなウチの様子に気づいているのかいないのか。
お兄さんは、気軽な調子で続ける。

「ま、そんなワケでキミの事が気になってね。そういえば、ウィンドサーフィンは長いんだっけ?」

「はい。子どもの頃、父さんに教えてもらって以来だから……うーん、7、8年になるかな」

「でも、結構お金かかる趣味じゃない? ウィンドサーフィン。よく続けてるねぇ」

「実は、ボードとかその辺は、全部父さんのお下がりなんで。まぁ古くなったところかは、少しずつ買い替えてますけど」

「あー、なるほどね」

お兄さんの言うとおり、ウィンドサーフィンは結構お金がかかる。新品で揃えようと思ったら、それこそ20万は堅いし。
たとえボードがあっても、艇庫借りるのだってそれなりの出費だし、ウェットだって、安いわけじゃない。
それこそ、お兄さんのやってるサーフィンよりはだいぶお金がかかることは確かだろう。
正直、学生にはすぎた趣味かもしれない。きっと、そう考える人もいると思う。

けど――それでも。

「好き……だから」

「ん?」

「海の上を滑るのが……風を切るのが、波を切るのが。もう、全部、好きだからさっ!」

思い出すのは、初めてウィンドサーフィンをやった、あの時の感覚。
風をセイルで捕まえて、ふわりと滑るように海の上を進むあの感覚に、きっとウチは魅了されたんだと思う。
セイルとボードを通じて、海と、風と、自然と繋がっているような……あの感覚に!

「……ふぅん。なるほど。そっか、そういうところなのかな、うん」

「ん? お兄さん、何か言った?」

「いやいや、なんでもないよ。それよりどうする? 風向き、変わってきたけど」

言われてみれば、確かに南からのクロスオンショアになってきた。
これなら――うん、まぁ行けるかな。

「ウチは行こうと思うけど、お兄さんはどうする?」

「こっちも行くかなー。これくらいならまぁ、許容範囲でしょ」

「よし、それじゃあ……って、あ」

「ん、どうしたの?」

「いや、その、敬語……!」

気づいたら、いつの間にか敬語がとれてしまってた。
ウィンドサーフィンの話でテンションが上がって、思わず……!あああ、やっちゃった!
内心、ウチは結構焦ってしまったのだけれど……お兄さんは、からからと笑う。

「いやいや、気にしないで良いよ。俺もこんなカンジだしさ。マリンスポーツ仲間、ってことで」

「そう……ですか?」

「いやいや、気にしないでいいって。それにキミ、敬語じゃない方が似合ってるし。いい意味でね」

いい意味でって……一体どういうことだろう。
まぁ、でも。

「……ん。それじゃ、お言葉に甘えて」

そう言ってくれるなら、そうさせてもらおうかな。お兄さんには、そう思わせてくれる雰囲気があった。
ウチは勢いよく浜辺から立ち上がってからくるりと振り向くと、少し屈んでお兄さんへと手を差し出した。

「さ、行こっか!」

一瞬、お兄さんは呆気にとられたような表情を見せたけれど、すぐに笑顔でウチの手を取る。
見かけによらず、意外と大きくて、がっしりしたその手を掴んで、ぐいっと引き寄せる。
それに合わせてお兄さんは立ち上がって、そして。

「よっしゃ、行こう!」

そう言ったお兄さんの目は、とてもキラキラとしていて。
ああ、きっとこの人は海に……波や風に魅せられた人なんだなと、すっと理解した。
ならウチと同じだと、そう思った。



――これが、ウチと「お兄さん」の出会い。
この時は、いいマリンスポーツ好きの仲間が出来たと、それくらいに思っていた。
そう。
この時は、まだ。

今日はここまで。
また書けたら続きを投稿します。

少しだけ単語について。一般的じゃない言葉もでてきたので。

・オンショア、オフショア
 オンショアは海から陸に吹く風、オフショアは陸から海に吹く風のこと。

・ボード、セイル
 言わずもがなウィンドサーフィンの道具。
 セイルは本来リグというけれど、分かりやすいのでセイルで統一。

・レイルジャイブ
 基本的なターンの一種。海がやると多分カッコイイ。

・ビーチスタート、ウォータースタート
 それぞれビーチから、海の中から、ボードに乗ってウィンドサーフィンを始めること。
 ウォータースタートは足のつかないところから始めるので割と難しい。
 海はそれが出来る中級者くらいを想定してます。

こんな感じです。
それではまた。

海さん誕生日おめでとう。 
まだ完結しないけど続き投稿していきます

2.海と夢とお兄さん


お兄さんとの出会いから、だいたい3週間ほどが経った。
だいぶ暖かくなってきて、日によっては暑い日もあるくらいだ。
ウェットスーツも、少し前にシーガルからスプリングに変えたし。痛い出費だったけど。
まぁそんなこんなで、ウチは相変わらずなワケで――

「え、海、今日も行ってきたの?」

「うん。いやー、いい風が吹くって予報だっからさ!」

「本当にウィンドサーフィン好きなんだねぇ、海」

「まあねっ!」

「よくやるなぁ」

いつものごとく、講義前に慶と話していたら、そんな風に呆れられてしまった。
まぁここのところ隔日くらいで行ってるし、そう言われても仕方ないんだけど。

「でも海、講義とか大丈夫なの?」

「ん? ちゃんと出てるけど」

「それは知ってるけど、でも、眠くなったりとか」

「んー、昼前になると偶にあるけど……まぁ大丈夫かな?」

「う、うらやましい……」

そういえば、慶はランニングとかする割に、朝弱いって言ってたっけ。朝つらそうな時、たまにあるし。
でも、そうは言うけど。

「んー、ウチは普通だと思うけどなぁ」

「いやいや、それは絶対ないって……と、まぁそれはともかく、だよ」

ぱんっ、と手を打ち合わせて、慶がこちらににんんまりとしいた笑みを向ける。
……な、なんかイヤな予感がするんだけど。

「な、何?」

「いやー。海としては、件の『お兄さん』とはどうなのかなー、と思ってさ」

や、やっぱりそういう話!
確かに、お兄さんとはあれ以来、偶に会うし、話すようにもなった。
年上だけど、いい友達みたいな存在になっていると思う。
それは、確かに慶にも話したりしていたんだけど……。

「いやだから、前にも言ったけどお兄さんとはそういうんじゃないんだって」

「またまたー」

「またまたじゃなくて……あー、もう!」

と、そこで、ちょうどよくチャイムが鳴る。
……って、ちょうど良くない!始業チャイムだコレ!

「やばっ、話しすぎた! 慶、走るよ!」

「了解!」

ウチらは急いで荷物をまとめて、ダッシュでそれぞれの教室へと向かった。
今日の講義は先生来るの遅いし間に合う……筈!
とりあえず小テストもやらないって言ってたし、なんとかなるだろう。
――なんて、講義のことを頭で考えている一方で。
ウチは、頭の片隅でお兄さんのことを思い浮かべていた。
ちょっとチャラいところはあるけど、フレンドリーな話しやすい人。
ウチの、貴重なマリンスポーツ仲間。
お互いのことなんてロクに知らない、それだけの関係。
けど……それでも。

「お兄さん……明日は、いるかな」

思わずそんな呟きが漏れるくらいには、気になっているのかも知れなかった。



果たして、翌日。
ウチはやっぱり、いつものゲレンデへと来ていた。
まぁ今日は休日で短大もないし、いつもと違って気軽なモンだよね。
弁当も持ってきてるし、今日は昼過ぎまでのんびりやるかな!
こういうことできるのも、きっと学生の特権だろうし……ね。

「……っと。今はヤメヤメ」

余計な方向に行きかけた思考を、頭を振って軌道修正。
色々考えなきゃいけないことはあるけど、今はそういうことを考えないで、精一杯楽しもう。
ウィンドサーフィンはそういう時間って、決めてるから。

「さて、と」

浜に置いておいたボードとセイルを持ち上げて、ウチは海へと向かう。
海が海に向かう……なんて、あのアイドルの人みたいだなぁ、これじゃ。
風はサイドショアで、少し強め。
んー、ちょっと荒れそうだけど……これならまぁ、大丈夫だと思う。
まぁ、危ないと思ったらすぐ上がるようにはしようと決める。
いつだったかのドラマみたいに、波に飲まれて行方不明、なんて勘弁だし。

「んー、まだちょっと冷たいかなぁ」

足を浸した海水は、春先より随分ましとはいえまだかなり冷たい。
まぁ、泳ぐわけでもないし、ウチ的にはこれくらいで全然OKではあるけども。
と、その時、ふと人影が目に入る。

「……あれ?」

それは1人のサーファーで、丁度海からあがろうとしているところのようだった。
日に焼けたような茶髪、最近見慣れた青いボードと黒のウェット。
それは、よく見なくても。

「お兄さん?」

「や、海ちゃん」

やっぱり、お兄さんだった。
波のせいか髪はびっしょりで顔に張り付いていて……うん、なんだかちょっとワカメっぽいかも。

「今日はもう上がり?」

「いや、そういうわけじゃないんだけどね。風がサイドよりになってきたし、ついでにちょっと休憩」

「そっか。見た感じ今は荒れてないけど、どう?」

「うん、波もイイ感じだし、ウィンドサーフィンにもいいんじゃない?」

「お、やった。こりゃ楽しみだなぁ」

やってることは違くても、こうやって海のことについて、気軽に話せる人がいるのは、何だか楽しい。
勿論、ウィンドサーフィンは1人だって楽しいけれど、それを共有できる人がいれば、そこにはきっと、また違った楽しさがある。
お兄さんと出会って、こうして話すようになって、それを実感していた。
と、そこまで考えて。ふと違和感を覚えた。一瞬何故かと思ったけれど、その正体にすぐに気づく。


「そういえばお兄さん、いつもに比べて遅いね。仕事大丈夫なの?」

いつも、お兄さんは仕事の前の早朝に来ることが多いと言っていたし、実際そんな感じだった。
けど、今日はいつもよりかなり遅めの時間。
正直、多分お兄さんはいないと思っていたんだけど……。

「あぁ、今日は珍しく全休でさ。社長にも偶には余暇を満喫しろっていわれちゃってねー」

「へぇー。普段は土日も休みってわけじゃないって言ってよね、前」

「そ、ちょっと特殊なシゴトだし。まぁ、そんなもんで、今日は偶の休みだし、サーフィン楽しむかなって」

「ふーん」

……そうすると。
ちょっと、思いついたことがあった。

「お兄さん、まだ上がらないんだよね」

「ん? そのつもりだよ。昼過ぎまではやってようかなとは思ってる」

「ん、それじゃあお昼もここ?」

「そ。ほら、あそこの弁当屋、あるじゃん。うさぎマークの。あそこに買いに行くつもり」

「ああー」

その弁当屋は、結構昔からある、海水浴客やサーファー御用達のお弁当屋さんらしい。
ウチも、何回か使った事があるけど、確かに結構おいしかった。
……じゃなくて!

「ん? それがどうかした、海ちゃん」

「ん、あー、いやさ。ウチも今日、短大無くて、昼までいるからさ」

「お、そうなんだ。いいなぁ学生は。懐かしい」

「まぁ、そんなわけでさ。よかったら一緒にお昼、どうかなと思って」

思い切って言ってみたはいいけど……ちょっと、急すぎたかな。
なんて、思いはしたのだけれど。

「お、イイね。海ちゃんも一緒に買いに行く?」

うん、アッサリとオーケーだった。
……改めて考えてみれば、割と軽いノリのこの人がOKしない方が想像できないかも。
うん。なんかちょっとためらったウチがバカみたいだ。

「いや、ウチは弁当あるから。それじゃ昼ぐらいに、浜で食べる?」

「オッケー、そうしようか」

「了解。それじゃウチ、ちょっと行って来るから」

「行ってらっしゃーい」

お兄さんの声を背に受けて、ウチはボードに足を掛ける。
少し粘つくような潮風に、燦燦と輝く太陽、ひやりとする海水。
いつも、こうやっていざ海に出る直前、自然を感じるだけでワクワクする。
けれど、今日はそのワクワクに、少しだけ……ほんの少しだけ。
いつもと違うドキドキが混ざっている気がして……。

「ああ、もう……ったく、慶がヘンなこと言うせいだよ、コレ」

ウチらしくない変化の責任を、心の中で慶へと押し付けて、ウチは海へと繰り出した。



「海ちゃん、お待たせー」

「ん、お帰り」

それから暫く、波と風に乗って、ウチは浜へと上がった。
その後、お弁当を買いに行ったお兄さんを暫く待ってたのだけど、どうやらようやく帰って来たらしい。

「結構かかったけど、混んでた?」

「まぁね。今日は休日だし、そこそこサーファーも来てるじゃん?」

「あー、確かに。あそこ、値段の割に美味しいもんねぇ、混むのも仕方ないかぁ」

「そういうコト。あ、それとこれお茶ね」

そう言って、急にひょい、とお兄さんがペットボトルを投げて寄越す。

「おっ、と! もう、急だなぁ」

「はは、ナイスキャッチ、ってね」

「まったく……でもありがとね! あー、お金、上がってからでもいい?」

それくらいは礼儀――だと思ったんだけど。
ウチがそう言うと、お兄さんは苦笑しながら首を振る。

「いやいや、これくらい気にしないでよ。社会人だしさ、これでも」

「いや、でも」

「ホント、大したもんじゃないしさ。待たせちゃったお詫びってことで、ね?」

「……ん。そういうことなら、お言葉に甘えようかなっ」

「そうしてそうして。ところで……海ちゃん」

それじゃあ食べやすいとこに移動しようかな、と思ったのだけど。
いつになく、真剣な表情でお兄さんがこちらを見ていた。
……ど、どうしたんだろ。

「……何?」

「いやさぁ、それ、いいの?」

「それって……ああ、ウェットのこと?」

「まぁ、そう」

お兄さんがこちらを指さしても、一瞬何のことかわからなかったけど、すぐに察した。
今ウチは、ウェットの上だけをはだけている状態になってる。浜に上がった状態じゃ、スプリングとはいえ流石に暑いしね。
けどそれは、逆に言えば今、ウチの上半身は水着――ビキニのトップスだけの状態になっている、というコト。
お兄さんはどうやら、それを気にしてるらしい。
……そういうの気にしない人かと思ってたけど、意外と純情なのかねぇ?
ともあれ。

「これ、水着だし。ウチに限らず、サーファーとかウィンドサーファーなんて、こんなもんじゃない?」

「いやまぁ、そうだけどさ」

実際ビーチを見渡してみれば、何人かそういう女性サーファーが見える。
ウチだって、全く気にしないというわけじゃないけど。そもそも海に来てるわけだし。
そんなこと気にしてたら、ウィンドサーフィンなんてやってられない、ってね!

「そういうわけで、ウチは気にしないからさ! とにかく食べようよっ」

「ま、海ちゃんがいいならいいか。俺としては眼福だしね!」

「……やっぱちゃんと着ようかな」

「あ、ウソウソ。冗談だってば」

前言撤回。やっぱお兄さん、印象通りの人だわ。

……まぁ、でも。

こうやって軽口を叩き合えるくらいには、いつの間にか仲良くなっていた。
なんというか……妙に気が合うというか、波長が合うというか。
ホント、人と人の出会いって、不思議なもんだと、そう思わずにはいられなかった。



それから暫くの間、ウチとお兄さんは他愛もない話に興じながら、お昼ご飯を楽しんだ。
ウィンドサーフィンやサーフィンのこと、他の趣味のこと、友達のこと、普段のこと……その他諸々。
そういえばこんなに話したのは初めてのことだったかもしれないけれど、不思議と会話が途切れることは無かった。
そんな、ウチとお兄さんの会話もひと段落したころ、お兄さんがぱんっ、と小気味よく手を打ち合わせた。

「ふぅ、御馳走様っと」

お弁当に視線を向けてみれば、確かにいつのまにやら空になっていた。
あれ、大盛りって言ってたと思うんだけど……その辺は、流石に男の人ってことなのかなぁ。

「量、結構あった気がするけど早いねぇ、食べるの」

「そうかな? これくらい普通だと思うけど……正直、ちょっと足りないくらいだし」

なんて言って、ゴミを纏めながら笑うお兄さん。
うーん、お兄さんが特別大食いなんだろうか。あんまり比較対象を知らないからなんとも言えないけれど。
でも、それなら。

「足りないなら、このおにぎり食べる?」

「え、いいの?」

「うん。まぁ、ウチが適当に作ったやつで悪いけどさっ」

ちょっと多かったと思ってたし丁度いいかなと、何の気なしにウチがそう言うと。
お兄さんは、驚いたように眼を丸くしていた。
……あれ? ウチ何か変なこと言った?

「海ちゃん、それ手作りなの?」

「そうだよ。弁当は全部。まっ、野菜炒めも、昨日の余りもの使っただけだけどね」

「へぇー! 俺は全然やらないから感心しちゃうなぁ。海ちゃん、料理好きなんだ?」

なんだ、驚いてたのはそういうことかぁ。心の中で、思わず胸をなで下ろす。
でもそっか、料理かぁ。うん、それは、確かに嫌いじゃない。
嫌いじゃないけれど、それが理由ではなくて……

「ウチの場合は、独り暮らしだしさ。これくらいはやらないとねっ」

結局のところ、独り暮らしの人間にはありがちな理由だったりする。
今は買うだけでも十分済むけど……趣味で結構お金使ってるわけだし、これくらいは節約しないとね。
でも、バイトに入る回数、増やした方がいいかなぁ。
そんなことを考えていたのだけれど、お兄さんはといえば、また目を丸くして、驚いたような声を挙げていた。

「そっか、一人暮らしなんだね、海ちゃん」

「あ、言ってなかったか。ウチ、デザインの勉強したくて、1人でこっち出て来たからさ。今は独り暮らし」

そういえば、言ってなかったかもしれない。
大分話すようになったから、なんだか言ったような気になってたなぁ。

「ほー、勉強のために一人で、かぁ。短大っていうのは聞いてたけど、デザインなんだ」

「そ。主に服飾とか、小物とか、そっちの方。地元で専門も考えたんだけど、こっちにいい短大があったからさ」

いいゲレンデが近いから、というのも大きな理由の一つなんだけれど……。
まぁ、それはナイショっていうことで。だってそれじゃあ、遊ぶためみたいで鎌倉に来たみたいでなんだか、ねぇ?

「ははぁ、しっかりやりたいこと考えてるワケだ。遊び呆けてた俺の学生時代とは大違いだなぁ」

「あはは、そんな大層なモンじゃないけどね。やりたいこと、やってるだけの話だしさっ!」

「俺からしたら、それがまず立派だけどねぇ……そうだ、モノはついでに、1つ聞いてもいいかな?」

「うん? 別にいいけど……何?」

お兄さんがわざわざそんなことを断るなんて、珍しい。
一体どんな質問だろう、そう思ったのだけれど。

「いやさ。海ちゃんはなんで、デザインをやろうと思ったのかなって」

問われたのは、意外にもとても単純なこと。
けれど……ウチはそう問われて、会話の合間合間に動かしていた箸が完全に止まってしまった。

「どうして、かぁ」

昔から、ウチは綺麗な服や、バッグや、そういうものを考えて絵にしたり、形にするのが好きだった。
それは、成長してからも変わらなかった。弟達がお下がりで着回す服を、簡単にアレンジしてあげたりなんかしていたっけ。
そしていざ進学先を選ぶ段になって、好きだからこそ勉強したいし、自分の職にしたい。そう思ったのは確かだと思う。

「……そう、好きだった。好きだった、けど」

けど……その『好き』は、一体どこから来たんだろう?
なんとなく、お兄さんが求めている答えは、そういうコトのような気がした。
なんでそれが分かったのかは、分からなかったけれど。

「……」

ふっと、記憶の海へと身を沈める。
いったい、この『好き』という気持ちの原点はどこにあるんだろう。それを、自分でも探ってみたくなったから。
深いところへ、もっと深いところへ……ウチ自身の中に潜っていくようにしながら、自分の記憶を探る。

「……あ」

そうしているうちに、ふっ、と浮かんでくる光景があった。
それは、実家にいた時……子供の頃の光景。
騒がしいばかりの弟達の面倒を見ながら、ふと目にした、あの、キラキラとした――。

「……ウチはさ。長女なんだけど、下に弟が沢山いてさ。いっつも面倒見てたんだよね」

「うん」

上手く言葉にできるかどうかは、自信が無い。
ウチだって、たった今それの輪郭に触れただけなのだから。
でも一度考え始め、口に出してみれば、それは不思議と止まらなかった。
きっと堰を切った、っていうのは、こういう時に使うのかな。

「上の子の宿命ってヤツなのかもしれないけどさ、親の目はどうしても下に向くし、ウチのことは、どうしたって後回しだった」

今度は無言で、お兄さんは頷く。
少し遠い目をしているし、ひょっとしたら似た経験があるのかな。

「ウチはウチで弟達の面倒見るのは嫌じゃなかったし、大変だけど楽しかったよ。でもその分、可愛い服着てる余裕とかなくてさ」

ウチの弟共はもうヤンチャな連中ばっかりで、日中は働いている両親に代わってウチがずっと面倒を見ていた。
だからその分、お洒落なんかしたことは無かったし、偶に服を買ってもらっても、動きやすいものを優先させていた。

「だから、かな……いつからか、自分で服とかのデザインを考えてた。考えるくらいは自由だったから。そんな時、見たんだよね」

「見た? 何を?」

「偶然付けたテレビでね、音楽祭みたいのがやってたんだ。多分、結構大仰なヤツ」

「何とか賞を決める、みたいな?」

「あー、そう、多分そんなカンジ」

今となっては、どんな番組かなんて詳しいことは覚えていない。
でもその光景だけは、改めて思い出そうとしてみれば、はっきりと思い出せた。

「司会の芸能人とか、出演者の歌手とかバンドとか、アイドルとか! みんな煌びやかな、綺麗な衣装を着ててさぁ……!」

綺麗な衣装をきた出演者たちは、キラキラと光り輝いていて、綺麗で。
だからきっとそんな光景に、ウチは心を奪われたんだと思う。

「きっとそれからじゃないかな。今までよりも服の絵を描いたりするようになったのは。あんな風に、人をより輝かせられるような衣装を作れたら、凄いステキだなってさ!」

「ん、そっか。それが、海ちゃんがデザインやってる理由なんだ」

いつもとはどこか違う、落ち着いた調子と、優しい目、それでいて真剣な目で、お兄さんがそう言う。
そんな眼差しが、なんだか意外だとそう思った瞬間、今自分がどんな状態なのかを思い出して、すっと現実に引き戻された。
……どうしよう、なんか調子に乗って夢とか話しちゃって急に恥ずかしくなってきた……!

「あ、あははは。なんかゴメンねっ! 急にこんな話してさっ!」

「いやいや、貴重な話が聞かせてくれてありがと。海ちゃんの目、なんかキラキラしててイイ感じだったよ」

「ちょ、もう! そういうのやめてってば!」

あいかわらず、お兄さんはそういうコトを言う。
でもなんとなく、今は恥ずかしがってるウチを気遣ってワザと言っているんだろうことがわかった。
うん、やっぱり、お兄さんって、けっこう気が利く人かもしれない。
……なんか悔しいから、絶対に口にはしないけど。

「うん、でも、そっか。『アイドル』もかー……。ねぇ、海ちゃん」

「ん?」

「最後にもう1つだけ、聞いていい?」

「……また変な事じゃないよね」

「はは、違う違う。たださ、海ちゃんはそういう衣装、着る側になりたいとは思わなかったのかなって」

それは、ちょっと予想外の質問だった。今まで考えた事もなかった、という意味で。
でも、ある意味当然の質問だったのかもしれない。
確かに同年代の子でも、アイドルとか、女優とか、そういう人に憧れている子は多かった。
でもウチは、それよりもああいう衣装をどうやったら作れるかとか、そんなことばかり気にしていたと思う。
だから、その質問に答えるとしたら。

「そうだねぇ……勿論、全く憧れたことがないって言ったら、嘘になると思う」

無言で頷いて、先を促すお兄さん。

「でも、こういう綺麗な、人を輝かせられる衣装を作りたいって思いの方が強かったかな」

「そっか」

「うん。それに、ああいう綺麗な衣装、ウチには勿体ない気がしたしさっ」

衣装ならば作れるし、素敵に人を輝かせる手伝いをすることは、きっとできる。
けれど、自らが輝く側になることは、どこか想像できなくて……まるで、遠くのことを見ているような気持だった気がする。
そんな思いがあったから、ウチはあんまり、憧れたりしなかったのかもしれない。

と、その時だった。
昼ごはんを買いに行くついでにとってきていたのだろう、お兄さんのスマホが震えていた。

「と、ゴメン海ちゃん、ちょっと電話」

「どうぞ、気にしないで!」

ゴメン、ともう一度手で示してから、お兄さんは立ち上がって少し離れたところで話し始める。
なんだか深刻な様子だし、仕事のお話なのかな。
でも正直、電話がかかってきて助かったと、胸をなでおろしているウチ自身がいた。
……あれ以上喋っていると、きっと余計なことまで、口走ってしまいそうな気がしたから。
その後、暫く経って電話を終えたのか、お兄さんがこちらへと戻って来た。


「ゴメン海ちゃん、仕事でトラブルみたい。急遽でなきゃいけなくなった」

「ん、そっか。もともと待ち合わせとかじゃなくて偶々会っただけだしさ、気にしないでよ」

「いやー、話してた途中だったしさ。ホントゴメンね!」

「いいっていいって」

「そう言ってくれると助かるなぁ」

そう言いながらも、お兄さんは手早くゴミを纏めて、ボードをひょいっと抱える。
どうやら、本当に急ぎみたい。詳しいことはよくは知らないけど、なんだか大変な職業なんだなぁ。

「それじゃ、俺はこれで。またね!」

「うん。お兄さんも、仕事頑張って」

「ありがと。あ、それと海ちゃん」

「ん?」

それまで、軽そうな……けれど、優しい笑みを浮かべていたお兄さんが、すっとその笑みを消す。
代わりに浮かんだのは、真剣な、オトナの表情で。
見た事のないその表情に、どきりと胸が跳ねる。

「俺はさ。『勿体ない』なんて、そんなことないと思う。海ちゃんはきっと、自らが輝ける人だよ」

「え」

ウチが何か言葉を返す前に、お兄さんはじゃあね、と手を振りながら歩き去ってしまう。
追いかけることは簡単だった。なにせ、使っている艇庫は同じなのだから。
けれど、そうすることはできなかった。

「あ……」

ふと、下に視線を向けてみれば、手の中にあったのは、お兄さんに渡そうとしたおにぎり。
そういえば、お兄さんにあげようかと思ったけど、そこから話が逸れたんだっけ。
食べようと思えば、今食べてしまうことはできたけれど……。

「……おにぎり、余っちゃったなぁ」

不思議と、そんな気持ちにはなれなかった。

――結局、その後。
それまで多少波がありつつも穏やかだった海は、急に波が強くなってきてしまった。
回りのウィンドサーファーに倣って、ウチも撤退の準備に入る。
けれど器具の片づけをして、着替えをして、帰り道の途中でさえも。
お兄さんの言葉が、何故か耳から離れなかった。

今日はここまで。
また書けたら、続きを投稿していこうと思います。
本当は海さんの誕生日に完結したかったけど、うん、無理でした。
これからもお付き合い頂けたら嬉しいです。

それでは。海さん、誕生日おめでとう!

2ヶ月ぶりに再開。初めて見る方も、是非読んで頂けたら嬉しいです。
それでは始めて行きます。

3.『プロデューサー』

あれから、数日が経った。
あの日以来、何度か海に出てはいたけれど、お兄さんと会うことは無かった。きっと忙しいんだろう。そう思うことにした。
会えなくて残念なような……ほっとするような。そんな、不思議な気分を味わったのは、これが初めてのことかもしれない。
そんなものだから、なんだか胸の中がモヤっとしていて。

「……はぁ」

「海、ここんとこ溜息多いねぇ」

こんなふうに、どうやら溜息が増えてしまっているらしかった。

「……溜息そんなに多い?」

「うん。けっこうしてるよ」

「そっかぁ」

これは、あんまりよくない傾向かなぁ。
学業や、課題には影響は出てないけれど、あんまり人前で溜息し続けてるのも、よくないし。
まぁ、原因はなんとなくわかっているんだけれれども……。

「すっきりしないならさ、ウィンドサーフィン行って来れば?」

「そう思って行ってるんだけど、なんかすっきりしないんだよなぁ。気持ち良くはあるんだけどさ」

いつものようにウィンドサーフィンをすれば、いつも通りの爽快感はある。
けれど、普段ならばそれですっきりと、細かい悩み事なんか吹っ飛んでしまうはずなのに、そうはいかなかった。
思わず、カフェのテーブルにぐでーっと臥せってしまう。

「あーあ。なんなんだろうなぁ、コレ」

「いつも元気な海が、珍しいこともあるもんだねぇ。もしかして恋煩いとか?」

「恋煩い、ねぇ」

その言葉で、ぱっと頭に思い浮かぶのはお兄さんの顔。
……恋、恋かぁ。
こればっかりは、正直なところわからない。今までは、弟達の世話ばっかでそんな余裕なかったし。
わからないけれど、でも、そういうのとはなんとなく違う……気がする。別にこう、胸が苦しくなったりしないし。
ただあの時のお兄さんの言葉が、なんとなく残っている気がしたのは、事実で。

「こりゃ重症かなぁ、海」

「うん。かも」

「……それじゃあさ、いつも行かないとこ、行ってみたら?」

「いつも行かないところ?」

はて、どこだろう。
いつも行くところといえば、海、バイト先の数店舗、短大、たまに江ノ島……それくらいだけど。

「海ってさ、どうせいつもウィンドサーフィンばっかりでしょ?」

「どうせって……まぁ、その通りだけど」

うん、悔しいくらいに。

「それならさ、偶にはお寺とか、山の方回ってみたら?」

「……お寺かぁ」

「そ。折角鎌倉近辺に住んでるんだしさ」

言われてみれば、今までお寺なんて殆ど行ってないかもしれない。
精々、かの有名な鶴岡八幡宮と、高徳院の大仏を見に行ったくらいだ。


「それにほら、今の時期なら、そろそろ紫陽花もいいじゃない?」

「あー。そういえば、鎌倉って紫陽花が有名なんだっけ」

「うん、場所は幾つか限られるけどね。だからさ、偶にはそういうところ見に行くのもいいんじゃない?」

「ふーん。それもいいかなぁ」

確かに、いつも海ばっかり見ているというのも、味気ない気はする。いや、好きではあるんだけど。
いつもと違うことをしてみれば、気分転換にはなる、のかね。やっぱ。

「……ん、そうだね。折角だから、慶の言うとおり色々巡ってみるよ」

「そっか。それじゃ折角だし、おすすめの場所、後で送るね」

「了解! ありがとねっ」

そんな会話を交わして、私達は喫茶店を後にして、それぞれのバイト先へと向かう。
……うん。次の休日は、どこに行ってみようかな。
そう思っただけで、もやっとした心が、少し弾んだ。



慶とそんな会話を交わしてから、2日後の休日。
本当だったらバイトが入っていたのだけれど、向うの都合で急に無くなってしまった。
ぽっかり空いてしまった休日。本当なら、課題でも進めるのがいいのかもしれないけれど、なんだかそんな気分にもなれなかった。
そこで早速、慶の序言に従ってお寺にでも行ってみようと、サイクリングに繰り出したんだけど……。

「……あれぇ?」

スマホで地図を見ながら、首を捻る。
これ……うん。思いっきり、道に迷ったね!

「……江ノ島が見えてきたけども、家が近いわけでもないしなぁ」

そんなことを思わずぼやいてしまうくらいには、割と困っていた。
こっちは住んでるところから大分離れてるし、普段来ないし、道もよくわからない。
ていうかウチ、こんなに地図を読めないんだってことが割とショックかもしれない……。

「慶から教えてもらったお寺、近い筈なんだけどなぁ……」

慶から、花がきれいで、上まで登れば眺めも最高というお寺を教えてもらったのだけれど……うーん。
なんだか悔しくてしばらく、スマホと睨めっこしたけれど、結局。

「ま、いっか!」

手帳型ケースをパチンと閉じて、バッグに仕舞う。
確かに迷ったのは不覚だけれど、まぁこれも、散歩やサイクリングの醍醐味ってヤツかもしれない。
そもそも今日は気分転換なわけだし、こういうのもまた一興、ってね!
そんな風に決めて、ウチは自転車から降りて、手で押しながら歩く。
さっきまでは漕いでいたから風が気持ちよかったけれど、これはこれで日差しが気持ちいいし、街並みが見られるのも楽しい。
時折立ち止まって、電柱にとまるトンビを写真に撮ったりしながら、歩くこと数分。

「……ん? これ、電車の音?」

そう遠くない場所から、ガタンゴトンと、穏やかな電車の音が聞こえてきた。
こっちに大きな路線は通ってなかったと思うし……ひょっとして江ノ電かな?
何となく気が向いて、ウチはそちらへと足を運ぶことにした。
すると。

「おお……!」

見えてきたのは、江ノ電の線路と、線路脇に咲く紫陽花、そしてこじんまりとした神社だった。
丁度江ノ電が通って行き、紫陽花を揺らす。紫色の鮮やかな紫陽花が、緑色の車体によく映える。
電車と紫陽花、それに神社……普通ならまじりあわない要素かもしれないけれど、この場所では不思議とピッタリだった。

「ちょっと寄って行くかな」

そう呟いて、自転車を押したまま境内へと向かう。
一応鳥居をくぐる前、境内の端にきちんと自転車を止めておく。

「うわぁ……!」

入ってみて、改めて見回してみて、思わず感嘆の息が漏れる。
江ノ電と紫陽花もとても綺麗だ。けれど、小さな境内を覆うように、大きな気が枝を伸ばしていて、まるで天然の天蓋みたくなっていた。
木漏れ日が綺麗で、涼やかな風が吹き抜ける境内は……なんだか、とても神秘的だった。まるで、ここだけ別の世界みたいだ。
ウチは、そんな境内の端、目立たないあたりにに腰かけて、そんな風と江ノ電の音、そして風景を楽しむことにした。

「……うん、やっぱり、路に迷ってよかったかも」

目を瞑って、涼やかな風を浴びる。
木の葉が揺れて、偶に日差しが当たるけれど、それすらも気持ちいい。
そんな風に、ウィンドサーフィンとは全く違う形で自然を楽しんでいたら……。

「――……」

いつの間にか、すうっと眠りに落ちていた。



「……ん」

一際強い風に吹かれて目を開けてみれば、影の位置が変わっていた。どうやら、けっこう寝ちゃっていたらしい。
くあ、と大きく欠伸をしてから手首を返して時計を見てみれば、夕方とはいかないまでも、大分時間が経っていた。
うーん、正直不用心だったカンジは、否めないかなぁ。
……でも気持ち良かったし、まぁいっか。
不思議と、気分的にも少しすっきりしてるし。

「よいしょ、っと」

立ち上がって、勢いよく体を伸ばす。変な体制で寝てしまっていたから、少し体が痛い。
不覚にも寝てしまったけど……うん、いいトコ見つけられたかも。是非ってお寺教えてくれた慶には、ちょっと悪いかな。

「さて、帰ろっかな」

だいぶ時間も過ぎてしまったし、駅前の八百屋で買い物でもして帰るかな、なんて思っていたのだけれど。

「下見の最後はここ?」

「そう、この神社。ほら、あっちに鳥居と線路、紫陽花があるじゃん?」

「あー。そっか、今回は『鎌倉あじさい巡り』だもんね」

「そういうこと」

人も絶えていた筈の境内。けれど、鳥居とは別の入り口の方から、そんな声が聞こえてきた。
声だけでもわかる、跳ねるような快活そうな女性の声と……どこか聞き慣れた声。
ていうか、この声って。

「おー。あれって江ノ電の線路? へー、電車が来たら、なんかいい雰囲気になりそうだね!」

「だろ? ていうか悪いね、下見なのに美世に運転させちゃって。俺の地元なのに」

「いやいや、私は車の運転好きだし。鎌倉も、一度運転してみたかったからさ」

「そう? まぁ、俺は美世とのドライブデートって感じで役得だったからいいけどね」

「あーハイハイソウデスネ」

「扱い悪っ。そこは照れるとこだろー?」

「自業自得でしょう?」

陽気な声に、少し調子のイイ感じのやり取り。
まさかと思って、声のする方を振り向いてみれば。
そこに居たのは、ボブカットの快活そうな女の人と、そして。

「……お兄さん?」

「ん? あれ、海ちゃん!」

きっちりとしたスーツ姿で、赤茶けた髪をきちっと整えた、男の人。
それは、いつも海で見る姿とは全く別人に見えるお兄さんだった。
ウチのことに気づいたお兄さんは、綺麗なお姉さんに軽く断って、こちらへと小走りで寄ってきた。
……ていうか、あのお姉さん、どこかで見たことあるような。気のせいかな。

「いやー、まさかこんなところで会うなんて。奇遇だね!」

「それはウチの台詞。ていうかなんか、全然別人みたいだね、お兄さん」

「ま、今は一応仕事中だから」

「……女の子侍らせて?」

ちらりと見てみれば、綺麗なお姉さんは、こちらを興味深そうに見ながらゆっくり歩いている。
やっぱり見た事ある気がするんだけど……兎も角、なんだかそれが無性に腹が立つ気がする。
ウチはあんなに気を揉んだのに。

「いやー、侍らせてるわけじゃないよ? これも一応仕事だからさ。撮影の下見」

「撮影……? って、あ!」

その言葉で、ようやく繋がった。
あの人、どこかで見た事あると思ったけど、やっぱり!

「ひょっとして、原田美世!? あのアイドルの!」

「あ、私の事知ってるんだ! なんか嬉しいなぁ」

近づいてきた女性――アイドルの原田美世さんが、はにかむようにして笑う。
うわ、可愛いなぁ……。思わず、そんなことを思ってしまう。

「へぇ、海ちゃん、美世のこと知ってるんだ。ちょっと意外な気もするけど」

「ああ……ウチ、書店でバイトしてるから。車雑誌の表紙とかでね」

「なるほど。道理で」

「……って、そうじゃなくて! あの、どうしてお兄さんが、アイドルと一緒にいるの?」

ウチが恐る恐る聞くと、お兄さんは、ああ、と手を打って、懐から小さなケースを取り出す。
そして、そのケースから取り出したのは、小さな紙――名刺だった。

「海ちゃんには言ってなかったけど、実はこういう者なんだよね」

そこに書かれていたのは、お兄さんの名前。
そして。

「シンデレラガール事務所、プロデューサー……? って、あの芸能事務所!?」

「そ。恥ずかしながらね」

またナンパ? なんてお兄さんに聞く原田さんの横で。
ウチは、割と予想外の事実に、目を白黒させていた。



「はい、海ちゃん」

「ん、ありがと」

自販機でお茶を買ってきてくれたお兄さんが、ウチの隣に腰を下ろす。
原田さんは気を利かせてくれたのか、境内を興味深そうに見て回っていた。

「……そっかぁ、お兄さん、芸能関係の人だったんだね」

「隠してたわけじゃないんだけどさ。なんかゴメンね」

「ん。気にしないで。ホント、驚いただけだからさ」

でも言われてみれば、妙に納得できる気もした。
普通ではないと言っていた仕事、それに、少し軽いけれど喋りやすい雰囲気。
なんというか……イメージの中の、『業界人』と、妙に一致していた。

「……」

「……」

ちょっと予想外の場所での出会いに、ウチもお兄さんも、何を喋ればいいか分からなくて、押し黙ってしまう。
けれどそれは、ほんの少しの間のことだった。
どちらからともなく、笑いが漏れる。

「へへっ……なんか、おかしいね」

「そうだね。いつものビーチでなら、いくらだって話せるのに」

「ホントだよ」

お兄さんが買ってきてくれたお茶をあけて、口に含む。
結構暑かったら、冷たい麦茶がなんだか気持ちいい。


「……ん。今日は仕事なんだ?」

「そう。数日後から、何回かに分けて鎌倉で撮影があってね、その下見」

「原田さんの?」

「と、他数名。大槻唯とか三船美優、脇山珠美に五十嵐響子……知らない? あ、これ、一応オフレコね」

「うん、それはいいけど……うわー、全員知ってるなぁ。お兄さん、凄い人だったんだねぇ」

そんな有名人と一緒に働いてるような人だなんて、思いもしなかった。
ウチは割と本心から言ったんだけど、お兄さんはいやいや、とかぶりを振る。

「俺が凄いんじゃないよ。凄いのは皆だから。俺は、その手伝いをしてるだけ」
「……っ」

ふと、お兄さんが真剣な表情を見せる。
前も、一度だけ見た表情。あの時と同じく、その表情にどきりとした。

「皆、色々な魅力を持ってる。けど、それをどう引き出すか。どう魅せるか。それを考えるのが俺の役目って感じかな」

「ふーん……」

「正直、大役だけどさ。凄くやりがいがあるよ」

真剣な眼差しで、真面目に自分の仕事について語るお兄さんの姿は、いつものお兄さんとは、正直あまり重ならない。
けれど、真面目で、真剣で……その姿はちょっと、かっこいいとすら思った。

そんなことを、思っていたのだけれど。

「……この際だから言うけどさ」

「うん? 何、お兄さん」

「実は俺、海ちゃんのこと、最初見た時から、スカウトするつもりだったんだよね」

一拍おいて、その言葉の意味を理解して。

「……え? は、はぁ!?」

驚きのあまり、思わず立ち上がってしまう。
いやだって、ウチをスカウトって……! 何で!?

「海ちゃん、座って座って」

「あ、うん……いやでも、ウチをスカウトって……何で?」

「前に言ったこと、覚えてない?」

「……?」

なんだっただろう、と記憶を探る。
そしてそれは、案外すぐに思い当った。

「『キラキラ輝いてて』……?」

「そう。そういうこと」

それはもう、今となってはなんだか懐かしくすらあることだった。確か、二回目にお兄さんと話した時のこと。
まだ、それほど前のことでもないのになぁ。

「あの時の海ちゃん、外見の話とかだけじゃなくてさ、本当に綺麗だった。だから、きっとアイドルになれると思ってね」

「……でもお兄さん。そんなコト、一度も」

「うん。まぁ、それは不覚なんだけど。マリンスポーツの話したりしてる内にさ、なんだか……うーん」

「ん?」

「いや、やっぱこれはなしで。ちょっと大人げないし」

「……そう? ならいいけど」

お兄さんがそんなことを言うのも珍しいけど、まぁ、言いにくいこともあるのかな。

「まぁ、そんなわけでさ。海ちゃんに声かけたのは、そんな目的もあってのことだったワケ」

「そっか」

「……軽蔑した?」

「え、何で?」

何でそんなことを言うんだろう。
ウチは、別にそんなこと思っていないのに。

「だって、ここ暫くで仲良くはなれたと思ってるけどさ……最初はある意味、下心満載だったわけだし」

それは、確かにお兄さんの言うとおりかもしれない。
……うーん、でも。

「……いや正直、お兄さんは別の『下心』があると最初は思ってたから、それに比べれば」

「あ、さいですか……いやまぁ、軽蔑されてないならいいんだけどさ、うん……」

真面目な雰囲気が解けて、軽く項垂れるお兄さん。
……さっきの原田さんとのやり取りといい、いつもこんな感じなのかな?
やっぱりお兄さんはお兄さんなんだななんて、ちょっとだけ安心した。

「まぁ、そんなわけでさ。海ちゃん」

「は、はい」

気を取り直したように顔を挙げたお兄さんが、真剣な表情に戻る。
思わず、ウチも背筋が伸びる。


「もう全部喋っちゃったからさ。改めて言うよ」

「う、うん」

「アイドル、やってみない? 海ちゃんの『輝き』、皆に伝えさせてくれないかな」

今までと比べても、一際真剣な瞳に、さっきよりも更に胸が跳ねる。
どきどきとしてしまうくらい、お兄さんの瞳は真剣だった。
でも……何故だろう。
その瞳に見つめられると、すうっと、余計な考えが削ぎ落されていく気がした。
だから、かもしれない。
自分でも意外なほど、すんなりと言葉が口から出た。

「……そうだねぇ。まずはありがとう、お兄さん。ウチみたいなガサツで可愛げのない女に、そこまで言ってくれて」

「……」

「この前逢った時も、言ってくれたよね。ウチは輝ける人だってさ」

「うん。言った」

「あんな事言われたの、初めてでさ。ウチ、正直戸惑っちゃった。この人はなんで、そんなこと言うんだろう、って」

それが、きっと胸のつかえの正体だったんだと思う。
でもお兄さんの意図が分かって、すうっと、そのつかえがとれた気がした。
だからこそ。
だからこそ、ウチは。

「でも、ゴメン」

「……理由、聞いてもいい?」

「うん。本当にさ、プロデューサーがそう言ってくれたのは嬉しかったよ。ウチのこと、認めてくれた気がして」

いつも弟達の世話をして、自分のことは二の次。親も、周りも、弟達が第一になる。
弟達の世話するのは楽しかったけれど……きっとウチ自身の心の中に、何か燻るモノがあったのが事実だと思う。
ウチのことを見てほしい。弟のことだけじゃなく、ウチのことも。そんな気持ちが。
だから、だろうか。お兄さんのあの言葉は、そんなウチの心に、不思議と沁みた。
あの言葉に戸惑ったし、初めてのことだから、その理由が分からなかったのかもしれない。
けど。

「けどさ。前も言ったみたいに……ウチはやっぱり、自分が輝くよりも、人を輝かせるモノを、作りたいから」

「……あぁ」

「ウチのデザインした服で、バッグで、アクセサリーで! その人の魅力をもっと引き出せたら素敵だなって、思うからさ」

プロデューサーの言葉が嬉しかったのも、本当の気持ち。
そしてこれも、ウチ自身の偽らざる気持ちだった。

「だから、ゴメン。今は、その勉強をしっかりしたいんだ」

お兄さんの目を見て、ウチはしっかりとそう言う。
お兄さんは、真剣に言ってくれた。だから真剣に答えないといけないと思うから。
暫くの沈黙の後。お兄さんは、ぱん、と膝を打って立ち上がった。

「ん、そっか。それなら仕方ない、か。あーあ、振られちゃったなぁ……俺、ちょっと泣きそうかも」

「ちょ、お兄さん! 言い方!」

「いやまぁ、振られたのは事実だし」

そんなやり取りをして、ウチらは顔を見合わせて笑う。
断ったウチと、断られたお兄さん。
それこそ本当に告白の場面みたいだけど、大方のそういう場面とは違って、なんだか晴れやかな気持ちだった。
ウチだけじゃなく、きっとお兄さんも。


「……さ、それじゃあ俺は帰るかな」

ひとしきり笑いあったあと、お兄さんはそう言う。
言われてみれば日は更に傾いて、もう1時間もすれば夜、という時間になっていた。

「ん。それじゃあね、お兄さん」

「うん。それじゃあまた、海岸でね」

「……いいの?」

「そりゃ勿論。貴重な海遊びの仲間だしね」

「……へへっ! うん、それじゃあ、また海岸でね!」

そう言って、ウチとお兄さんは別れる。
来る前と違って、心はどこか晴れやかで気持ちいい。
……うん。慶の意図とは違ったんだろうけど、やっぱりいつもと違う所に行ってみてよかったかな。
晴れやかな気持ちで自転車を漕ぎながら……それでも、少しだけ残念な気持ちがあるのも、否定できなかった。



「……よかったの、プロデューサー?」

「まぁ、仕方ないよ。振られちゃったからなぁ」

「ふーん」

「それにさ」

「ん?」

「きっとああやって、夢に真っ直ぐで一生懸命な所が、海ちゃんの魅力だと思うからさ」

「そっか」

「それに、諦めたわけじゃないしね」

「……まぁ、ほどほどにね」

今日はここまで。あれよあれよというまに2ヶ月空いてしまいました。
もう読んでいる人も、少ないかもしれないけれど……それでも完結させたいので、頑張ります。

ちなみに、今回の投稿分の「お寺」や「神社」は全部モチーフとなった場所があります。
特に神社の方は分かる人はわかる……かも?

それでは。また書けたら投稿します。

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