前作「先輩プロデューサーが過労で倒れた」の完結編です。
日野茜、荒木比奈、上条春菜、関裕美、白菊ほたるの話を主に書きます。
もうしばらくお付き合いくださいませ。
前作はこちら。
「先輩プロデューサーが過労で倒れた」
【デレマス】「先輩プロデューサーが過労で倒れた」 - SSまとめ速報
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駅の改札を出ると、荒木比奈は自分の腕時計を確かめた。
待ち合わせの時間にはまだすこし余裕がある。
比奈はあたりを眺めてみる。都心からそれなりの時間電車に揺られてきた初めての場所だったが、かなり拓けた街のようだ。
駅もそこそこに大きく、改札の中にもいくらかの店舗が入っている。
駅舎からはペデストリアンデッキを通して、南北それぞれの商業施設にアクセスできるようになっている。
デッキの下に見えるバスターミナルもかなりの規模だ。
「思ってたより大きな街だったんスね……」
比奈は誰へともなく言って、スマートフォンに地図を表示させてから、南側デッキのほうへと歩いていく。
デッキに立つと、穏やかな西日が目に飛び込み、比奈は目を細めた。
帽子を深めに被りなおして、デッキの欄干に背を預け、比奈はスマートフォンで周辺の情報を確認していく。
「フムフム……北側は繁華街っスね……カラオケボックス、居酒屋……リア充向けって感じっス。アタシのいる南側は……、大学、ホール……むっ、この書店、かなりの大型っスね……場所は……」
比奈はスマートフォンから顔をあげて街を眺める。それから、目を見開いた。
「あっちのビル、アニメショップが入ってるっス……! それだけじゃない、レンタルと古本もあるっス!」
比奈は腕組をすると、満足気な顔をしてひとつ頷いた。
「すごく、いい街じゃないっスか……!」
力強く言ってから、比奈はふたたび時計を見る。
待ち合わせの時間に余裕があるとは言え、さすがにショッピングに興じるほどの時間はない。
比奈は後ろ髪引かれる思いを断ち切って、駅舎の中へと戻った。
待ち合わせ時間までは十分弱。
比奈は人から見つけられやすいところに立とうとして、プロデューサーから自分がアイドルとして活動していることを自覚するように言われたことを思い出し、目立たないように駅舎内の壁際に沿って立った。
「駆け出しっスし、オーラとかないんで、大丈夫だとは思うっスけど」
小さくつぶやいて、スマートフォンに視線を落とす。
画面はメッセージの着信を知らせていた。
送信者は安部菜々。メッセージには『いま、早苗さんがそちらに向かってます! そろそろ着く頃だと思いますよ!』と、ウサギの絵文字付きで書かれていた。
「おまたせー、比奈ちゃんよね?」
比奈が顔をあげると、そこにはキャップを被った片桐早苗が立っていた。
「あ、片桐早苗さん……スか?」
「そう! はじめまして!」
「はじめましてっス」
比奈はぺこりと頭を下げた。
片桐早苗は同じ美城プロダクションのアイドルの一人だ。トランジスタグラマーなプロポーションに、頼りがいがあるが、はじけているときは一人でもとことんまで暴走するような、ギャップのあるキャラクターで人気がある。
今日は安部菜々の自宅で、オフまたは仕事上がりのアイドルを集めてパーティーが企画されていた。
比奈と早苗はそこに招かれており、菜々の自宅を訪れたことがない比奈を、早苗が誘導することになっている。
「それじゃあ、挨拶はこのくらいにして、いきましょっか! せっかくのオフ、満喫しましょ!」
早苗は比奈の背中を軽く叩いて歩き出す。
「はいっス」比奈は早苗のあとについて歩く。「……それにしてもアタシ、ホームパーティーなんてリア充っぽいこと初めてで……出てから気づいたんスけど、こんなカッコでよかったのか……」
比奈はいつものジャージ姿で、両手を広げた。
「ホームパーティー!?」早苗は驚いたように言って、ぷっと吹きだす。「誰が言ってたのそれ、ただの宅呑みよ、宅呑み!」
「そうなんスか? 瑞樹さんがホームパーティーって」
「瑞樹ちゃんか、もー、しょうがないわねー」早苗は言って、けらけらと笑った。「あ、途中で買い出し頼まれてるから、荷物持ち手伝ってねー。もう全然堅苦しいものじゃないんだから、気楽にいきましょ、ほら、あたしだってなんてことない私服でしょ」
「……はぁ」
比奈は拍子抜けしたように返事をした。
早苗のボディコンは比奈にとってはカジュアルな服装の分類に入らなかったが、比奈はそれを口に出すことなく飲みこんだ。
「お豆腐と、しらたき……長ネギはあるって言ってたわね……」
道中のスーパーマーケット、早苗はスマートフォンの画面に表示したメモを見ながら、比奈の押すカートの買い物カゴに次々に食材を放り込んでいく。
「お肉、何グラムくらいいるかしら……うーん……よし、アイドルらしく思い切って少なめにして、そのぶんちょっといいおつまみ買うわ!」
早苗はそう言ってすき焼き用牛肉のパックを買い物カゴに放り込んだ。
「アイドルらしくお肉少なめにしたのに、おつまみ増しちゃったら意味ないんじゃないスかね……」
「いいのいいの、細かいことは言いっこなしよ! あ、こっち二割引じゃない! こっちにするわ」
早苗は割引シールのついたパックと、買い物カゴの中のパックを交換した。
比奈は乱雑に放り込まれたカゴの中の食材を並べなおしながら、早苗の買い物をじっと見ていた。
比奈自身もアイドルとして活動することによって、当然ながら、世の中のアイドルにもオフのときがあると自分の身をもって知った。
それでも、ステージの上ではあんなに輝いているアイドルが、いま目の前でスーパーマーケットの買い物に悩んでいるギャップには新鮮な違和感があった。
一方の早苗はそんな比奈の心境を知る由もなく、チーズの棚の前でどれを買おうか悩んでいる。
「よーし、つぎはドリンクねー!」
やや高級志向のカマンベールチーズを買い物カゴに加えて、早苗は意気込んでアルコール飲料のコーナーへと闊歩していく。と。
「あ、重くない?」早苗は比奈のほうを振り返った。「あたし、カート押そうか?」
「大丈夫っス」
比奈は首を振った。
「そう? あたし、こう見えて元警官で黒帯も持ってるのよ。年上とか芸歴とかで遠慮しないでね?」
「……了解っス」
比奈は早苗の元警官という肩書に驚きを隠せなかったが、いまはそれ以上尋ねないことにした。
「よーし、じゃんじゃん行くわよー!」
アルコール飲料コーナーにたどり着いた早苗は、カートの買い物カゴにつぎつぎ缶ビールのパッケージを入れていく。
「ちょっ、ちょっとちょっと早苗さん!」
あわてて比奈が早苗に声をかけると、早苗は動きを止め、きょとんとした顔で比奈を見た。
「なに?」
「ちょっと、入れすぎじゃないっスか?」
「そう? いっつもこのくらいよ?」
「いっつもって……」
比奈は詰みこまれたビールの本数を数える。
五百ミリリットルのロング缶の六本のパッケージがカゴに二つ。さらに早苗の右手に一つ。
「でも、これ以上は確かに重たくて大変よね。このくらいにしておきましょうか」
早苗はその手のパッケージもカゴの中に入れると、にっこりと微笑んだ。
比奈はなにも言わずに、ずっしりと重くなったカートを押した。
「ごめんねー、重くない?」
「大丈夫っス。それより早苗さんのほうこそ、そんなにたくさん、重いんじゃ……」
「あたしは大丈夫よー、このくらいなら!」
早苗は白い歯を見せて笑う。
二人は買い物を済ませたあと、菜々の自宅までの道中を歩いていた。早苗は比奈の二倍近い重さの荷物を持っている。
「でも、さすがに悪いっス……」
「いーのいーの、たくさん呑むひとがたくさん運ぶから! それに今日は、比奈ちゃんはじめての参加でしょ? ゲスト扱いよ!」
「そうスか……すいません」
ずんずん歩いて行く早苗の後ろについて、比奈も歩く。歩きながら、早苗の姿を見ていた。
現役のアイドルが、スーパーの買い物袋を提げて住宅街を闊歩している。
再びの日常と非日常が混じる違和感に戸惑いながら、比奈よりも背丈が小さいはずの早苗の後ろ姿は、比奈にとっては自分よりも大きいものに感じられていた。
スーパーから十分程度歩いた、閑静な住宅街の中に、菜々の自宅はあった。
「ここ、スか……」
比奈はその建物を見て、呟いた。
小さな……あまりにも小さな、アパート。
アイドルになりたてのあの日に見た、ファンに囲まれて、ライブではサイリウムの光に包まれる安部菜々――アイドルの住まいとは、とても思えなかった。
「そうよー、二階なの……よいしょっ!」
早苗は大量の荷物を持って、階段を上がっていく。比奈もその後ろに続いた。
「戻ったわよー!」
ドアベルを鳴らして壁ごしに声をあげる早苗。
ドアの向こうから足音が近づいてきて、玄関の扉が開いた。
「おかえりなさいませー!」
菜々が顔を出した。
「連れてきたわよー」
「ありがとうございます、比奈ちゃん、いらっしゃい!」
菜々はにっこりと笑う。そのスマイルはあの日見たアイドルのときのそれだが、服装は当然私服、トレーナーにジーンズ姿だ。
「お招き感謝っス。おじゃまするっス」
比奈は早苗に続いて中へと入る。
「ウサミン星へようこそー」
「ああっ、早苗さん、それはナナのセリフ……あ、比奈ちゃん、くつろいでくださいね」
「あ、ハイ」
比奈は部屋を見渡す。四畳半のワンルーム。中央に丸いちゃぶ台。布団は窓の近くに綺麗に畳まれている。
家具や小物は全体にホワイトや淡いピンクでまとめられていた。
一角にやや年代物の大きなタンスがひとつ。備え付けか、実家から持ってきたものか。
それで、菜々の住まいは全部だった。
「菜々ちゃーん、ドリンクは冷蔵庫にいれちゃうわよー」
「はーい、あ、お野菜とお肉はこっちにくださーい」
菜々はエプロンをつけて、早苗から食材を受け取っている。
「比奈ちゃんの持ってくれてた袋もこっちにちょうだい」
「あ、ハイ、アタシも仕込みとか、手伝うっスよ」
「あー、いいんですよー!」菜々は比奈に向かって手を振る。「今日ははじめてでお客さんってことで、気を遣わないでくださーい」
「でも……」
菜々に買い物袋を渡した比奈がその場に立ち尽くしていると、菜々は座布団をちゃぶ台の周りに並べ、比奈の両肩に手をかけて、座布団に座らせる。
「お気持ちだけでじゅうぶんです! それにほら、キッチンが小さいので……二人は立てないんです」
言われて、比奈はキッチンをみる。
言われれば確かに、二人がそこに立てば、逆に使いづらくなってしまいそうな広さしかなかった。
「あたしが言うのはちょっと変かもしれないけど、ほんとに気を遣わなくていいのよー?」早苗が缶ビールとペットボトルのお茶をちゃぶ台の上に置く。「じゃあ、さっそく乾杯しましょ!」
「えっ、もうっスか? ほかの皆さんは……」
「瑞樹さんも楓さんも、お仕事が終わってからで、楓さんはかなり遅くなるみたいですよ」
菜々が言う。
「ね? 瑞樹ちゃんの予定だとそろそろってきいてるけど、この業界じゃスケジュールが押すこともざらだから、こういうときはお互いに待たないってことにしてるのよ。菜々ちゃん、コップは戸棚?」
「あ、今日はお客さんが多いので、こっちにしてください」
菜々はビニール袋から取り出したプラスチックのクリアカップと油性ペンを早苗に渡す。
早苗はクリアカップを三つちゃぶ台に並べてから、自分の分のクリアカップに油性ペンでさらさらとなにかを書き入れた。
「あ、そういうルールなんスね」
「見分けをつけるためよ」
早苗は油性ペンを菜々に回すと、缶ビールのプルタブを起こす。
プシュと小気味いい音がして、早苗はフゥー、と嬉しそうな声をあげながら、黄金色のビールをカップに注いだ。
比奈は早苗のクリアカップを見る。クリアカップには滑らかな筆致で『片桐早苗』と書かれていた。
ファンには垂涎もののアイドルの直筆サインが、百円ショップで買ったであろうクリアカップに気軽に書き入れられている光景は、ふたたび比奈に新鮮な違和感をもたらした。
油性ペンが比奈の手元へとやってきた。比奈は二人にならって、クリアカップに自分のサインを入れる。
しばらく前に考えた、アイドルとして活動する比奈としてのサインだった。
「へぇー、かわいいですね!」
キャラクターのイラストがあしらわれた比奈のサインを見て、菜々が感心したように言う。
「へへ……まだ描きなれないっスけど」
「そのうちサラサラ書けるようになるわよー」早苗はお茶のペットボトルのふたをひねる。「菜々ちゃんはお茶よね。比奈ちゃんは?」
「あ、アタシもお茶で……菜々さんは呑まないんすね」
「なに言ってるのよ比奈ちゃん、十七歳にお酒呑ませたら即タイホよ、タイホ!」早苗は真剣な顔でそう言い、比奈のカップにお茶を注ぐ。「はーい、どうぞー、それじゃ……」
三人はカップを手に持つ。
「おっつかれー!」
「おつかれさまでーす!」
「おつかれさまっス」
こつ、とプラスチックのカップを合わせて、三人は乾杯した。
早苗は注いだビールの半分ほどを一口で呑むと、心底幸せそうに「ぷっはー!」と息をついた。
そのとき、菜々の部屋のチャイムが鳴った。
「あ、はーい!」
菜々が玄関へ走っていく。ドアスコープを覗いてから扉を開けると「おじゃまします」と言いながら、瑞樹が入ってきた。
「こんばんはー、あら、比奈ちゃんも来てくれたのね、ふふ、今夜は楽しみましょうねー!」
「あはは、お手柔らかに……お先にいただいてるっス」
比奈は瑞樹に向かって会釈をする。
「やっほー、いまはじめたとこよー、乾杯しちゃったけど」
「あら、じゃあもう一回しなきゃよねー?」
瑞樹は言いながら、細長い紙袋から淡いグリーンの瓶を取り出す。
口のところを紫の包み紙と赤い紐で丁寧に包んだ、高級そうな日本酒の瓶だった。
「ちょっと、なにそれ!」
早苗が身を乗り出す。
「うふふ、今日の仕事先のディレクターが差し入れてくれたの。滋賀のすっごくいいお酒よ!」
瑞樹は瓶を顔のあたりまで持ち上げると、ぱちんとウインクした。
「まぁまぁ瑞樹さんも、まずは手を洗ってから、もう一回乾杯しましょう!」
菜々が座布団を薦める。瑞樹は「はーい」と少女のように言い、洗面台へと向かった。
瑞樹は戻ってくると、ジャケットと荷物を置いて、座布団に正座する。
そうして、二度目の乾杯が行われた。
「ふー、美味しかったわー! もう、ロケだと高級なお弁当の前でもアイドルで居なくちゃいけないから、やっぱり誰にも気兼ねしないで食べれるのが一番よね!」
瑞樹はおおかた空になったすき焼きの鍋を前に満足気に言い、ビールを自分のカップに注ぐ。
当初は瑞樹や早苗のカップが空くと比奈が気を遣って注ごうとしていたのだが、瑞樹が気を遣わなくていいと断った。
比奈はそれでもはじめのうちは酌をしていたが、やがて考えを改めた。
注げば注いだだけ二人が呑んでしまうからだ。
時刻は二十一時を回っていた。カーテンの隙間から見える外はすっかり暗くなっている。
一方で早苗と瑞樹は酔いが回るほどにますます明るくなっていた。
「ねぇ、比奈ちゃんはどう? アイドル、デビューしてみて」
瑞樹は比奈にそう言うと、カマンベールチーズのかけらをつまみ上げて、あーん、と声を出して口に放り込み、幸せそうに味わう。
「なんなのその質問、面接じゃないんだから、もうー」
早苗はそう言ってけらけら笑う。
もはやなんでも面白く聞こえるらしい。赤い顔をして、座布団の上でゆらゆらゆれていた。
「どう……っスか」比奈はカップを両手で持って、しばし考える。「……プロダクションのアイドルの皆さん、思ったより優しくて……意外だったっス」
「意外、ですか?」
すき焼きの鍋とカセットコンロを片付け、ちゃぶ台を布巾で拭いていた菜々が比奈のほうを見る。
比奈はうなずいた。
「アタシ……もっと、アイドル同士はピリピリしてるんじゃないかって思ってたっス。その、アイドルはお互いに……その……」
「ライバルとか、敵同士ってことかしら?」
口ごもった比奈の代わりに、瑞樹が続けた。
比奈は少し迷ってから、小さく「そうっス」と肯定する。
「ふぅーん?」瑞樹は興味深そうに微笑む。「どうかしらね、菜々ちゃん?」
「はっ、ええっ!? いや、ウサミン星は平和主義なので、ナナはそんな、敵だなんて」
菜々は急にふられてしどろもどろになる。
「そんなふうに考えたら疲れちゃうわよー?」
早苗はミックスナッツの缶からマカダミアナッツを選んで口に放り込む。
「でも、比奈ちゃんの言うことも一理あるわよね。お仕事のパイが増えないなら、アイドルが増えれば増えるほど、私たちはお仕事をもらうのが大変になるわ。でも……」瑞樹はちゃぶ台に頬杖をついて、カーテンのかかった窓のほうを見つめる。「誰かを、てーい! って蹴落としても、私のところに仕事が来るっていうわけでもないのよね」
「そーねぇ、たしかにそうだわ」
早苗はうなずきながら、空になったカップに缶ビールを注ごうとする。
缶の残りが少なかったらしく、数センチも注げずに空になってしまった。
菜々が冷蔵庫から新しい缶を取り出し、早苗に手渡す。
比奈は真剣な眼で瑞樹を見ていた。瑞樹は続ける。
「適材適所、って言うでしょ? 同じアイドルでも、私と比奈ちゃんのアピールポイントはきっと違うわ。だから争うより、自分のいいところを伸ばしながら支え合うほうが私はいいと思うの。もちろん、競合したところは本気の勝負よ? オーディションで比奈ちゃんと一緒になったら、全力でぶつかるわ!」
瑞樹は強い目で比奈に微笑みかける。
それから、ふっと表情を崩す。
「それでもし落選しても、自分の力が足りなかったって考えるの。自分以外の誰かがいなければ、自分が勝てたなんてふうには考えたくない……でもね? アイドルとして……いいえ、アイドルだけじゃない、私はアイドルになる前には局アナをやっていたんだけれど、そのときも、お仕事をたくさんもらえるかどうかは結局……人となりだったわ。アイドルとしてどんなに美しくて、歌が上手くて、お仕事ができても、スタッフや共演者のみんなが一緒にお仕事をしたいと思えるような人じゃないと、どこかで続かなくなってしまうの」
瑞樹の話に、いつのまにか菜々も早苗も、真剣な表情で聞き入っていた。
「『人格だよ。』……ってコトっスか」
「そういうこと! だから、みんなで仲良くお仕事して、楽しくワイワイやるほうがいいのよ! ストレス溜めないほうが、お肌にだってだんぜんいいわ!」
瑞樹は一転して明るく言う。
「……ありがたいお話だったっス。なんだか、ほっとしたっス」
比奈も表情を崩して微笑む。
「なぁにぃー? ひょっとして今日来たときに先輩からシメられると思ってた? もー、そんなわけないでしょー! むしろ悩みとかあったらあたしたちがなんだって聞いちゃうんだから!」
早苗は比奈と腕を組む。
「あ、ずるーい早苗ちゃん、ミズキも混ぜなさーい!」
瑞樹が早苗と反対側の比奈の腕をとった。
「あ、あはは……菜々さん、どうしましょう」
「うんうん、微笑ましくてナナは眼福ですよ!」
比奈が困った顔で助けを求めるが、菜々は嬉しそうに頷くだけだった。
「でも、実際にアイドルをやってて、困ったり迷ったりしたこと、あった?」
瑞樹が比奈に尋ねると、比奈はふっと、ちゃぶ台の上に視線を落とす。
「アタシは」比奈はひとつ呼吸してから続ける。「アタシがいま、アイドルをしてるっていう事実が、まだ実感できてないっス」
すこしのあいだ沈黙が流れて、比奈は続けた。
「アタシはスカウトされてアイドルをすることになったんスけど、その前に、オーディションに応募して、落選してるっス。応募したのは仲間うちの罰ゲームみたいなもので、応募書類も写真も、合格なんて全然狙ってない、適当に作ったものだったっス。けど、落選の薄い封筒が届いたとき、正直アタシはすこしだけ、ショックだったっス」
比奈は座布団に正座する。瑞樹と早苗は比奈に捕まっていた手を離し、両側から比奈を見つめていた。
「なんででしょう。物語のヒロインになり損ねたからっスかね……いまだに、ショックだった理由はわかんないっス。そんなときに、いまのプロデューサーにスカウトされて、そのときは勇気が出なくて断ろうとして、茜ちゃんに背中を押されて、アイドルになったっスけど……落選からワンチャンもらって、物語のヒロインになるチャンスをつかめたはずなのに、今もどうして、アタシなんかがアイドルになれるって思われたのか……」
比奈は困ったような顔で頭を掻く。
「プロデューサーの話だと、アタシを拾い上げようとしてくれた人は、過労で療養中らしくて、今のプロデューサーはそれを引き継いだ立場っス。だからアタシは今も、どうしてアタシをアイドルにしようと思ってくれたのか、アタシのなにがいいって思ってくれたのか、聞くこともできてなくて」
比奈は三人を順に見る。
「一緒に活動してる皆は、一生懸命で、キラキラしてるっス。一方でアタシは、ユニットの中じゃ一番年上なのに、まだアイドルやってる理由も見つけられてないままで……それが悩みっス……情けないっスね、へへ」
「そっかぁー、年上は辛いわよねー」
「ええ、わかるわ」
早苗と瑞樹がうんうんとうなずく。
「ライブに出ればわかるかと思ってたっス。はじめて出たライブはすっごく熱くて、ドキドキしたっスよ。でも……まだ、アタシはどうすればいいか、わからなくて……だから先輩方に聞いてみたいっス。アイドルになるのに、迷ったり悩んだりしたのか、どうして、アイドルになろうって思ったのか」
「どうして、ですか……」
つぶやいたのは菜々だった。真剣な表情で、比奈を見つめ返している。
空気がほんのすこし重たくなった。
「んーっ!」
瑞樹が明るい声で伸びをする。それで、場の雰囲気を破った。
「ねえ、ちょっと、表にでてみない?」
瑞樹は玄関を指さす。
「外……っスか?」
比奈が言うと、瑞樹は大きくうなずいた。
四人は菜々の部屋の玄関からアパートの共用廊下に出る。
外はすっかり暗く、秋へと近づく空気が四人の頬をくすぐった。
「過ごしやすい季節になってきたわねー」
早苗が言いながら、共用廊下の欄干にもたれかかる。
酔いの回った顔でしなだれる早苗の姿に、比奈は同性ながら強い色気を感じた。
「夜も遅いので、声は小さめにお願いしますね」
菜々があたりの家々を見回して、釘を刺した。
「みんな、ほら、見て」早苗と同じように、欄干に体重を預けた瑞樹が言う。「星がすごく綺麗よ」
夏から秋に変わりゆく夜の空は、綺麗に晴れて、月と星々が輝いていた。
「ほんとっス。月もきれいで、いい天気っスね」
四人はしばし、無言で星空を眺める。
ドラマのワンシーンみたいだと、比奈は思った。
「アイドルに転向するときね」瑞樹が空を見ながら言う。「もちろん悩んだわ。歳のこともそうだけど、転向して本当にやっていけるのか、私は安易な選択をしようとしてるんじゃないかって。人生を棒に振るかもしれないって、怖いとも思った。そのときも、夜空を見上げてたわ」
瑞樹はふふ、とおかしそうに笑ってから、続ける。
「そしたらね、急に吹っ切れたの。宇宙から見下ろしたら、私なんてすごくちっぽけな存在じゃない? 果てしない宇宙の片隅にこの地球はあって、地球には途方もない数の命があって、そんななかのちっぽけな一人にすぎない私が悩んだって、大したことじゃないって。それなら、私は私のやりたいって思ったことに突き進んでみたほうがいいって、思えたのよ」
「あー、なんだか、瑞樹ちゃんらしいわねー」早苗は菜々の部屋から持って出た自分のカップを口に運ぶ。「でも、あたしも同じかな。スカウトされて、警官かアイドルか悩んだけど、自分の人生だから、やってみようって思ったわ。悩むってことは、悩むだけの魅力があるってことじゃない?」
そうして、早苗はカップに残ったビールをぐいと煽ると、にっと笑った。
「理由なんて、自分が納得するためのものにすぎないのかもしれないわ。やってみたいと思ったから、やってみる。私はそうするわ。比奈ちゃんも、せっかくアイドルになったなら、納得がいくまでやってみたらいいんじゃないかしら?」
瑞樹に言われて、比奈は少し考えてから、穏やかな顔で空を見上げる。
「……そうっスね。アタシは……理由を探そうとしすぎてたのかもしれないっス。やってみたい気持ちは確かなんスから、やってみるのがいいかもしれないっスね。なんだか、巻き込まれ系の主人公みたいっスけど」
言って、比奈はへへ、と笑った。
「ううっ、素敵ですね。ナナは感動してしまいました、なんだか最近涙もろくて……」
菜々が目じりを拭いながら嬉しそうに言う。
「十七歳で涙もろいのは、早いんじゃないの?」悪戯心たっぷりに瑞樹が言う。「ねぇ奈々ちゃん、そういえば、ウサミン星ってどっち?」
「えっ!?」菜々は狼狽する。「えっと、あのっ」
「あら、みなさんお揃いで、どうしたんですか?」
階下から声がして、四人はそちらを見る。
ワンピース姿の高垣楓が四人を見上げていた。
「楓ちゃん、待ちくたびれたわよー!」
早苗が手を振る。
「夕涼みで青春してたの。お疲れさま」
「お疲れさまです、楓さん」
「お疲れさまっス」
「ありがとうございます、お待たせしました。青春ですか? どんなお話をしていたのか、気になりますね」
楓は階段を上がってくる。
「青春もいいけど、夜はこれから! 乾杯して呑みなおすわよー!」
早苗がカップを持っていないほうの拳を振り上げる。
「も、もうだいぶ夜も遅いっスけど……みなさん、大丈夫なんスか?」
「あら、みんな明日はオフでしょ? 今夜は朝まで、じゃないの?」
瑞樹は頬に指を当てて微笑む。
「菜々さんは……」
「ナナは大丈夫ですよー、お布団は一つしかありませんけど」
「もちろん強制はしないわよ、都合がよければね。楓ちゃんは大丈夫?」
「ええもちろん、そうなると思っていました。あたりまえ、です」
楓は得意げに、ポーチからあたりめのパックを取り出して見せた。
比奈は深くひとつ息をついて、覚悟を決める。
「わかったっス。先輩たちにお供させていただくっスよ」
「いいじゃない、さぁ、戻って乾杯しましょ!」
そうして、五人は菜々の部屋の中へと戻って行った。
それからしばらく宴は続いた。
瑞樹はアンチエイジングと言って少女のように振る舞い、早苗は自分の担当プロデューサーを電話で呼び出そうとして断られ、楓のダジャレは冴えわたっていた。
深夜二時を回ったころになって、仕事で疲れていたであろう楓と瑞樹、そして早苗と、力尽きた者から順々に畳の上に横になり、寝息を立てはじめた。
最後には、アルコールを摂っていない菜々と比奈が残った。
菜々は眠る楓たちにそっとブランケットをかけながら、比奈に言う。
「お疲れ様でした。今日は楽しめましたか?」
「はい。誘ってもらって、ほんとによかったっス」
「よかった、比奈ちゃんが楽しめたなら、ナナもとっても嬉しいですよ」
菜々はにっこり笑う。
「そういえば……菜々さんは、どうして、アイドルになったっスか?」
比奈に問われて、早苗にブランケットをかける菜々の手が一瞬止まった。
それから、菜々は丁寧に早苗にブランケットをかけたあと、比奈のほうに向かって正座する。
その姿に、比奈も自然と背筋が伸びるような気がした。
「ナナは、ずっとずっとアイドルに憧れていました。……今も、ずっと……」
穏やかな顔で菜々は言い、そこで一点、表情を崩す。
「だから、夢をかなえるため、ウサミン星からニンジンの馬車に乗って、地球にやってきたんです。トップアイドルへの道はまだまだ途中、です! キャハ!」
菜々はそう言ってあざとくピースをして、それからまたもとの穏やかな顔に戻った。
「そろそろ、私たちも休みましょうか」
「……そうっスね。今日はほんとうに、色々おせわになったっス」
比奈はぺこりと頭を下げる。
「いいんですよ、これで比奈ちゃんもウサミン星の仲間です。またなんでも、相談してくださいね!」
菜々は嬉しそうに言って、微笑んだ。
「ん……」
比奈はうっすらと瞼をひらく。
ぼやけた顔であたりを見回して、自分が菜々の部屋に居たことを思い出した。
窓の外はまだ薄暗い。
左手に握っていたスマートフォンで時間を見る。朝の五時前だった。
慣れない環境で眠りが浅かったのかもしれないと比奈は思う。
畳の上に直接横になっていたせいだろうか、身体が固まっているように感じ、比奈は一度身体を起こす。
伸びをしながら、部屋の中を見渡し、比奈はつぶやく。
「……すごい光景っスね」
安部菜々、片桐早苗、川島瑞樹、そして高垣楓。
四畳半のそこかしこに、活躍中のアイドルたちが雑魚寝している。
アイドルにならなければ、いやアイドルになっても、そうそう見れるシーンではない。
比奈は寝息を立てている菜々の姿をじっと見つめた。
思い出す。菜々は「今も、ずっと」と言っていた。きっと、そのあとには「夢見ている」という言葉が続く。
菜々は今もトップアイドルを夢見ているのだ。
アイドルになることが終わりじゃない。アイドルを続けることが、トップアイドルを夢見つづけることが、アイドルとしての輝きになる。
果てしない道。
四畳半のアパート生活でも。夢と一緒なら、突き進んでいける。
「きっと、漫画と同じっスね。描いても描いても、どこかたどり着けなくて、もっと描きたくなるっス。理屈じゃなくて、やりたいと思う自分自身が大事なんスね。『夢を追って後悔するなら納得できる。夢を追わなかったことに後悔したくない』スね」
比奈はみんなを起こさないように口の中で小さくささやく。
「どこまで行けるかわからないけど、瑞樹さんの言う通りっス。どんなになっても、この広い宇宙の中の、ちっぽけな自分の人生」
比奈は深く息をついて、それから、ちゃぶ台の上に残っていた自分のプラカップに描いたキャラクターに、そっと指で触れた。
「アタシにどこまでできるのか、行けるところまで、行ってみましょー。……一緒っスよ」比奈は微笑む。「でも今は……『敢えて寝る』っスね」
そうして、比奈は再び、畳に横になった。
第七話『今夜、宇宙の片隅で』
・・・END
俺は安部菜々の自宅を訪れていた。
朝一番に片桐早苗を担当している同僚プロデューサーから連絡が入っていた。
早苗が菜々の家で深酒をしており、荒木比奈も同席している宴会のようだから、様子を見てきてくれとのことだ。
自分で行けと突っぱねたのだが、今日の俺の仕事のルートが菜々の自宅と近いことまで把握されており、別のプロデューサーに心配されたとなれば、早苗も多少は行動を改めるだろうという思惑があるらしい。
結局、後日の何らかの見返りを約束させて、俺は承諾した。
菜々の部屋のベルを鳴らすと、ドアスコープの向こうの光が消え、それからチェーンロックが開かれる音がした。
玄関のドアが開いて、比奈があくび混じりに顔を出す。
「ふ、あぁ……おはようっス、プロデューサー。どうしたっスか? わざわざこんなところまで」
「仕事の途中だよ。片桐早苗の担当プロデューサーに様子を見てきてくれと言われたんだ。みんなは?」
「まだ寝てるっス」
比奈は部屋の奥をちらりと見る。
俺は自分の時計を見た。朝の九時半。
まだ寝ているということは、昨夜は相当遅くまで盛り上がっていたということか。
「入っても大丈夫か?」
「大丈夫だと思うッスけど、すごい状態っスよ」
俺は比奈のあとに続いて部屋にあがる。
たしかに、すごい状態だった。
部屋の隅に大量の缶ビールの空き缶、中央のちゃぶ台には片付けられていないままのプラカップとツマミの袋、ちゃぶ台を囲うように眠っているアイドルたち。
高垣楓に至っては日本酒の瓶を胸に抱いて幸せそうに寝息を立てている。
およそアイドルが見せていい画ではない。
その光景を目にした俺の口から出た感想は、五感に忠実に従ったものだった。
「……酒くさいな」
「ふふ、青春の匂いっすよ」
そう言って笑う比奈。
俺はその表情に違和感を覚えた。
「なにかあったのか? すっきりした顔してるぞ」
「そうっスか?」
比奈は俺のほうを見る。それから、にっと笑って言った。
「修業回が終わったんスよ、きっと」
次回は7月7日を予定しています。
後編はこんな感じでPの視点ではないパートもございます、多少読みづらくなりますがご容赦ください。
それでは、もうしばらくお付き合いいただければ幸いです。
コントロールルームとレコーディングブースとを隔てるガラス窓の向こう、ブースの中にいる関裕美の表情は明らかに曇っていた。
となりにいるディレクターがこちらを気に掛けるような目線を送ってくる。
ブースの中の荒木比奈がさっき送ってきた視点も、裕美のことを伝えようと思ったからだろう。
さて、どうしたものか。
俺は小さく唸った。
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一時間程度前。
「それじゃ、今日はよろしくちゃーん、唯と気楽におしゃべりしてくれればいいからねー」
大槻唯はそう言ってひらひらと手を振った。
「よろしくおねがいします!」
茜たち五人の声が重なる。
今日は五人そろってのラジオ出演だった。
複合商業ビルのレコード店内に設置されたFM局のスタジオで、大槻唯がパーソナリティーを務めるラジオ番組でユニット活動の告知を行うことになっている。
収録前の最終打ち合わせを終えて、あとは放送開始時間を待つのみとなっていた。
茜と比奈は初めて訪れた収録スタジオに興味津々だ。
「私、初めてスタジオに入りました! こんなふうになってたんですね!」
「FM局、外からみたことはあっても、内側に入るのはさすがに経験ないっスね……見られながらの収録……緊張するっス」
比奈はスタジオと店舗を隔てる窓を眺めて言った。窓にはまだカーテンがかけられている。
収録スタジオには大きなデスクがあり、出演者はデスクを囲むようにして着席する。
店舗内からは窓を通してスタジオ収録の様子を観覧することができるようになっていた。
「公開収録、だったんだ……」
すこし不安そうな声をあげたのは関裕美だった。
「資料にはたしか、そう書いてあったと思います」
ほたるが返事をした。裕美を気遣うような目で見ている。
「そっか。見落としてたかな、私」
「あとでこの窓の向こう、お客さんでいっぱいになるよー、土曜のお昼だしねー」唯が言う。「とりま、打ち合わせはこんなもんっしょ。いーよね、ディレクターちゃん?」
唯が尋ねると、番組ディレクターが頷いて一歩前に出る。
「十分前にはスタジオ入ってください。みなさん初めてのかたもいるみたいで、緊張すると思いますけど、唯に任せとけば心配ありませんので、気楽におしゃべりする感じで楽しんでください」
「じゃ、控室でリラックスしててくれ」
俺は五人に退室を促す。五人はぞろぞろとスタジオから出て行った。
スタジオの扉が閉まり、俺はディレクターに向きなおる。
「今日はよろしくお願いします。大所帯でみなさん大変じゃないかと」
「そこは唯が捌くので心配ないと思います。デキるパーソナリティーですよ」
「へっへー、まかせてー!」
唯はにぱっと笑う。
大槻唯、美城プロダクションの注目株。
圧倒的なトークスキルで、どんなタイプの人間を相手にしても物おじせず、相手と自分をきっちり立たせて場をまとめることができる。
本人の軽い物言いと外見では想像しがたいほどの天性の才能を秘めたアイドルだ。
「心強いです」
俺は正直に言う。
ユニットとしての活動を開始しているとはいえ、茜と比奈はラジオ収録そのものが初めてだ。
実力のあるパーソナリティーに導かれて場数を踏めるなら願ってもない機会と言える。
「PA担当さんに……おそらく茜は興奮すると、さっきの機材チェックのときよりも声がかなりデカくなるんで、それだけ先に伝えさせてもらって」
「はは、日野さんのマイクだけちょっとレベル落としてるって言ってましたよ」
ディレクターはそう言ってコントロールルームでミキサー卓の席についているPA担当を見た。
そのとき、スタジオの扉が開く。
入ってきたのは裕美だった。緊張した表情をしている。
「どうした?」
俺は裕美に声をかけた。
「スタジオの様子、もうすこし見ておきたくて」
俺はディレクターのほうを見る。ディレクターが頷いたので、了承と見なした。
「……窓、大きいね。ちょっとびっくり。お客さん、いっぱい来るのかな」
「普段はどうです?」
俺が尋ねると、唯が裕美のとなりに歩いてくる。
「けっこー来るよ? 時間がいいってのもあるけど、二十人くらい? すっごいゲストのときは、お店いっぱいなっちゃって大変だったよねーディレクターちゃん?」
「そうだなぁ……、それはさすがに大御所だったんで特殊ですけど、唯のファンとかも来るんで、空っぽってことはないっすよ、安心してください」
ディレクターはそう言って笑った。
俺は裕美のほうを見る。裕美は集客が少ないことを気にしているのではない。おそらくは逆だ。
裕美は、ギャラリーに見られることに不安を抱いているんだ。
裕美と接していて分かったことがいくつかある。最も大きなものは実力が高いということだ。
裕美のレッスンへの取り組みは人一倍真面目だ。
ダンス、ボーカル、ヴィジュアルとも、努力に裏打ちされた裕美のパフォーマンスは安定している。
一方で、裕美は裕美自身が単独で見られるような場面で精神的に弱い。
ライブや今日のラジオの収録のように、人に見られながら話す場面があるとき。
裕美一人が注目を浴びるような場面で、裕美は目に見えて不安そうにする。
つまり、自分に自信が持てていないのだ。
実力はあるのだから気にする必要はないのだが、こればかりは本人の心の問題だ。本人が乗り越える以外に解決策がない。
「特殊な環境だよな。こっちの声は相手に伝わるけど、窓の向こうの声はこっちには聞こえないって」
俺は裕美に話しかける。
裕美は胸の前でぎゅっと拳を握り締めていた。
眉間に力が入っている。裕美の不安のサインだ。
さてどうするか、と考えていると、俺よりも先に唯が裕美の前に出た。
「なーんか、不安そうじゃん?」
唯は裕美の眉間をつん、と指で軽く押す。
「楽しも楽しもー、力入ってたら、かわいー顔が台無しだよー?」
そう言って、唯は裕美の目を覗き込むように見つめた。
「あ……」
裕美は小さく声をあげて、ようやく、眉間に入っていた力を抜いた。
「うん! そっちのほうがいいっしょ?」
唯は裕美の肩をぽんぽんと叩く。
「……顔、こわばってたね。ありがと」
裕美が微笑んだ。
「キンチョーしてる? だいじょーぶだよ、これ、唯のラジオだから。どーんとぶつかってこーい!」
唯はそうして笑ったが、ほんの一瞬、ぎらりとした強い表情を見せた。
それで、俺は直感する。
大槻唯。本人が意識しているかどうかは知らないが、おそらくは今よりもずっと高いところを見据えている。
ラジオの看板番組を持つことだって立派なことだ。だが、唯はそれだけで満足していない。
だから、こんなにも余裕で、裕美を受け入れることができる。
唯にとってはいまの位置は、当然通り過ぎるべき過程のひとつにすぎないのだ。
それなら――、と俺は思う。唯がそう言うのなら、裕美には、大いにぶつかってきてもらおう。
俺は引っ込むことにし、裕美と唯を残してコントロールルームへ下がる。
入れ替わりに、茜たち四人がレコーディングブースへと入っていった。
スタジオ内の緊張感がにわかに高まる。
ほどなくして、オンエアの時間が訪れた。
ここからは、俺は見守っているしかできない。
けれど、不思議と俺は不安には思わなかった。
先輩が選んだアイドルたちだということもあるし、何より、裕美も含めて、このユニットは、そんなに弱くはないと確信していた。
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「……ってなわけで、今日のゲストは以上の五人のみなさんでお送りするよー。てゆーか、ウケるよねー、ユニットの名前、まだ未定なんでしょ? ゆいもユニット活動したことあるけど、フツー名前決めてから活動じゃん?」
「それはいろいろあったんですよ。ね、茜ちゃん?」
春菜が茜に振る。
「そうですっ!」ブースの中にも関わらず茜は立ち上がり、身を乗り出す。「いろいろ! あったんです!」
……一秒沈黙。
「って、それ説明しないと意味ないっしょー!」唯がけらけら笑う。「ま、アイドルにヒミツはつきものだよねーってことで! ユニット名は気になるトコだけどー、じゃーさっそく、そんな茜ちゃんから行ってみよーか、じゃじゃーん!」
効果音が入る。コーナーの合図だ。
「はいっ! ゲストのアガる曲を教えてもらって、それかけちゃお、みんなで聴いちゃおってコーナーだよー。じゃあ茜ちゃん、おしえておしえてー?」
唯は言いながら、左手で茜の手元の資料を示してウインクする。
資料には進行に問題がないように、あらかじめ話す予定の内容を箇条書きにしてある。
俺はコントロールルームに置かれているモニターを見た。
モニターにはレコード店内の様子が映されている。
公開放送のブースには、人だかりができ始めていた。
「はいっ!」
茜は資料を両手で持って立ち上がる。
「ちょっ、待って待ってぇ!」唯も椅子の音を響かせて立ち上がる。「茜ちゃん立たなくていいし! ゆいのラジオで初めてだよ、立ったの! それじゃ授業で朗読するヒトみたいだよ、ちょーウケるね! いいね、そのままやっちゃって!」
「はいっ! 私はよく河川敷で走り込みをしているんですけれど、そのときにいつも口ずさんでいる曲を紹介します! お笑いタレントさんの歌うすこし古い曲なんですけど、とっても前向きな詩で、すっごく元気が出るんですよ! みなさんもぜひ、聴いて元気になってください!」
「オッケー、じゃあ茜ちゃんのアガる曲、行ってみましょー、どぞー!」
唯のキューを受けて、曲が始まる。
曲が始まったのを確認して、唯はカフボックスのレバーをオフにした。それに全員が追従する。
「茜ちゃん、良かったよー、座って?」
「はいっ! 緊張しました!」
茜は椅子に座ると、ほうっと息をつく。
「だいじょぶ! お客さんもだいぶウケてるよー? ほら!」唯はブースの外を示す。「茜ちゃん、手ふったげて?」
言われた通りに、茜は笑顔でブースの外に向かって手を振った。観覧者の何人かが茜に手を振り返す。
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「順調ですね。日野さん、緊張してるって言ってましたけど、初めてでも落ち着いてるじゃないですか」
コントロールルームの中、ディレクターが言う。
「いやあ、唯と番組の力が大きいですよ。さっき立ち上がったのだって、きっちりフォローしてもらいました……っと」
俺は身を乗り出す。
裕美の表情がこわばっていた。背筋も少しだけ丸まってしまっている。
ラジオはまだ曲を流している最中だ。
俺は裕美の緊張の原因を探り――すぐにそれにたどり着いた。
ブースの外、レコード店内から観覧しているギャラリーのうち、制服姿の女子三人組が、ブースの中を見ながら談笑している。
三人のうちの一人が、額を指さして仲間と盛り上がっていた。
裕美は卓上の資料に視線を落として、ときどき、店内とを隔てる窓のほうを気にしていた。
裕美のとなりに座っている荒木比奈が、俺のほうを見る――
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――そして、時間は現在に戻る。
不安を残したまま曲は終わり、裕美を除く全員がカフボックスのレバーをオンにする。
比奈がすぐに裕美の肩を叩き、裕美は慌てて自分もカフボックスを操作した。
「んー! ほんとにすっごくいい詩だったね! こーんなかんじで、みんなのレコメン曲流してアゲアゲで行くから、よろしくちゃーん! それじゃ、今日はゲストいっぱいだから、どんどんいくよー、つぎ、ほたるちゃんよろー!」
「あ、はい。私の好きな曲は……」
ほたるが自分のエピソードと、想い出の曲を紹介していく。
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「……関さん、大丈夫ですかね?」
俺のとなりのディレクターが心配そうに尋ねた。
俺はブースの中の関裕美の表情をうかがう。
「曲のあいだにキャストに連絡もできますけど」
PAがブースから視線を外さずに行った。
「そうですね……」
俺は考える。
裕美を引っ込めるのも、俺が外まで出て行って裕美の緊張の元たる客をブースから離すのも簡単なことだ。
だが、それでは裕美は前に進めない。
疑心暗鬼を生ず。
ブースの中からは、ギャラリーの表情は見えても、声は聞こえない。
あの制服女子三人組がどんな話をしているかもわからない。
裕美に対して好意的なのか、逆に悪意があって額のことをバカにしているのかも、答え合わせは不可能だ。
答えはない。悩んで解決できる問題ではない。
だから裕美自身が、前に進むしかない。
俺は茜たち四人と、唯の表情を見る。
全員、笑顔ではあるが、表情は真剣だ。
俺も覚悟を決める。
「そちらが大丈夫であれば、まだ続行させてください。ほんとうにまずいときには、ストップをかけます」
「了解です」
「たぶん――あいつらはもう、弱くはないですから」
言いながら、俺は二度目の視線を送ってきた比奈に対して、目で合図を送った。
比奈が俺の意図を汲んだかどうかはわからないが、ひとつ頷く。
――それと同時に、比奈の向こうに見えている唯が、俺を見て、にっと笑った。
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「んんー、とーっても、しっとりしたムーディーな曲だったねー。 このスタジオ、ゴーカなホテルのレストランになったかと思っちゃった! ほたるちゃん、オトナじゃーん!」
ほたるのリクエスト曲が終わり、唯はほたるに向かって目を細める。
「すいません……ラジオの雰囲気、大丈夫でしたか……?」
ほたるは恥ずかしそうに笑いながら、唯に尋ねた。唯は大きく頷く。
「ぜんぜんオッケーだよー! アゲアゲな曲もいいけどー、ゆいはスローな曲も大好きだし、リクエストしてくれるゲストさんやリスナーさんもいっぱいいるし! 憧れちゃうよねー、低い声のダンディなおじさまにエスコートされちゃってさー、あまーくささやかれちゃいたいよねー、ぎゅって手なんか握られちゃったりして?」
言いながら、唯は手を繋ぐ身振りをする。
それから、ぱちんとウインクした。
それで、ほたるはなにかに気づいたように小さく口を開いた。
ほたるは椅子の下でそっと手を伸ばし、隣に座る裕美の手に、自分の手のひらを乗せた。
机の上の資料をじっと見ていた裕美が、はっとしたようにほたるを見た。
ほたるは穏やかに、裕美に向かって微笑む。
「じゃ、スタジオのアイドルのみんながすっかりしっとりいーオンナになったとこでー、つぎは春菜ちゃん! アゲ曲の紹介の前にー、ね、春菜ちゃんは、自信失っちゃったり、アガらないときって、ある?」
「ええと……もちろん、ありました」
春菜は資料を手元に置く。
もともと大枠しか決められてないとはいえ、このことは台本にはない。唯の判断だろう。春菜なら対応できると睨んだか。
春菜は裕美のほうを見てから、話し始める。
「私、眼鏡が大好きで、だけど、それが伝わらなかったり、眼鏡の私が否定されるかもしれないことが怖くて……」
「ね、ね『ありました』ってことは、いまはだいじょーぶなん?」
「ううん、いまでも、ときどき迷うことはあります。でも、前より強くなれました。教えてもらったんです。自信がないままじゃダメだって。眼鏡は私に前を向かせてくれる、でも前を向くのは私自身です。私が眼鏡を大好きなことを、私が信じてあげなきゃいけないんだって」
「そっかぁー」唯は感慨深げに頷く。「でもわかるよー。ゆいもこんな感じだと、ふまじめとか、ナメてるとか、かるーく見られちゃうこともあってさー。でも、ゆいがいっちゃんイケてるのはゆいが一番楽しくやってるときだから! やっぱ、ゆいも春菜ちゃんも、自分らしくやってるのがいちばん最高で、みんなを楽しませられるってことだよね!」
唯は無邪気に笑う。茜たちも大きく頷いた。裕美は顔をあげ、真剣に春菜と唯のほうを見ている。
「そんな春菜ちゃんのアゲ曲は、どんなときにきいてるー?」
春菜は眼鏡の位置を正し、ひとつ呼吸をしてから話し始める。
「私は、自分が元気を出したいときに聞いてます! 私のあこがれのアイドルの曲なんです。アイドルをしていると……ううん、アイドルだけじゃなくて、みんな毎日を生きていると色んな不安があると思うんです。この曲は、女の子がなかなか自分に自信が持てないけれど、でも大好きな人への強くて純真な気持ちが溢れちゃうって詩で、前向きな気持ちをたくさんたくさん、同じ言葉をなんどもなんども繰り返して、いっしょうけんめいに前に前にって歌ってるんです。とっても力をくれる歌なんですよ!」
「よし、じゃー春菜ちゃんのリクエスト、いってみよー、ミュージックスタートー!」
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「くっくっ、これだから、ラジオってほんと、最高っすよね」
ブースの中、PAが嬉しそうに卓を操作する。
「まったく」ディレクターが頷いた。「ゲストも良ければ、なおさらね」
「いやあ、実力のあるパーソナリティと信頼のスタッフあってこそ、ですよ」俺も負けじと褒める。「けど、もう一歩……裕美には、自分の答えを見つけてもらわなきゃいけない」
俺はブースの中の裕美を見つめた。
「行け、裕美」
俺はつぶやく。
声はレコーディングブースには聞こえていないはずだった。
それなのに、裕美ははっとしたようにこちらを見た。
裕美が俺を見て、なにかを感じ取ったように、俺には思えた。
----------
曲がはじまり、六人はマイクを切る。
「みんな、ありがとう」最初に口を開いたのは裕美だった。「私、ほんとにみんなに助けられてるね。唯さんも。……もっと笑顔、がんばらなきゃ」
「ゆいは楽しくおしゃべりしてるだけだよー、裕美ちゃんも、せっかくだし楽しんでっちゃって!」
唯は裕美に向かって投げキッスする。それで、裕美の表情が和らいだ。
「裕美ちゃん」
比奈は自分の手元の資料を裕美に示す。
そこにはいつのまにか、裕美の似顔絵が描かれていた。
しかめっ面の裕美と、笑顔の裕美。
デフォルメされた自分の姿を、裕美は見つめる。
「私、こんな顔してた? ……やっぱり、笑顔のほうがいいよね」
弱々しく笑う裕美に、比奈は穏やかな表情で首を横に振る。
「笑顔になろうと無理をすることはないと思うっスよ。どっちも裕美ちゃんで、どっちも魅力的っス。それに、漫画やアニメでも、ずっと笑顔だけのキャラって、かえってブキミなもんっスよ」
言いながら、比奈は持っていたペンで裕美の手をなぞる。
ペンにはキャップが着いたままなので、なにを書いたのかまでは、俺からは遠くてわからない。
「そうですっ!」茜が身を乗り出すようにして続く。「アイドルだっていっつも笑顔だけじゃあじゃないはずです、悲しいときも嬉しいときもあって、自然な裕美ちゃんがいちばんですよ!」
「お芝居のレッスンしているときの裕美ちゃん、いっつも表情豊かで、すごいなって思ってます」
ほたるは言いながら、小首をかしげて微笑んだ。
「いろんな、表情……そっか、私、無理して笑顔でいようって思ってたんだ……哀しいときも嬉しいときも、自然に。楽しいときに笑うのも、私のままでいいんだよね」
裕美はほたるの目を見つめて言い、頷いた。
ほたるは裕美がもう大丈夫だと思ったのだろう、裕美の手に添えていた自分の手をそっと離す。
裕美は姿勢を正して、目の前を穏やかな顔で見つめて、ふっと微笑んだ。
「曲あけます、準備してください」
PAの合図がかかる。六人はお互いに頷き合うと、カフボックスのレバーに手をかけた。
唯が裕美を見つめる。
「もしまだだったら、ゆいがつなぐよ?」
裕美は唯を見つめ返す。
「ううん、大丈夫」
裕美は言う。自然な笑顔だった。
曲がフェードアウトしていく。六人はマイクを入れた。
「ああーっ、ここでおしまいでしたか……」唯より早く、春菜が残念そうに言う。「この曲、一番最後まで聴くと、歌詞に眼鏡って出てくるんですよ! みなさん、ぜひ聞いてくださいね!」
「あはは、ってことで、眼鏡ちょーラブな春菜ちゃんのアゲ曲でっしたー! 続きましては、裕美ちゃん! なんだけどー、そのまえに、ゆいぜったい裕美ちゃんに聞こって思ってたことがあったんだー! 裕美ちゃんのそのアクセ、めっちゃカワイイよね! プリティーなおでこのとこ、ヘアクリップと、首もとのネックレス! ずっと気になってたんだー!」
おでこ、と言われ、裕美はぴくりと肩を跳ねさせた。
裕美は窓からギャラリーをちらりと見る。俺も見た。さっきの女子学生たちはまだ、そこにいる。
裕美はもう一度唯をへ向き直る。
それから、自然な笑顔を見せた。
「ありがとう。これはね、私がつくったの。私、アクセサリー作りが趣味なんだ」
「えっマジ!? すっごーい! だってほら、公開収録見てるみんなは見えるよね、すっごいかわいいの! ね、もっと見せてあげてよ! ラジオで聴いてるひとはねー、ね、あとでサイトに写真、のっけていい?」
「うん、大丈夫」
裕美は言いながら、外のギャラリーにアクセサリーが見えやすいように姿勢を整え、ギャラリーに向かって手を振った。
照明を受けて、裕美がつけている、傘のような白と赤の花を水晶にとじこめたようなアクセサリーがきらめいた。
「どーやって作ってるの? ゆいにもできる?」
「これはね、この中心の部分はレジンで……」
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それから少しのあいだ、裕美は唯と手作りアクセサリーのトークを続けた。
レコーディングブースの窓の向こうの店内では、主に若い女性のギャラリーが興味深そうに二人のトークに聞き入っている。
その中には、さきほどの女子学生たちも混じっていた。
「もう、大丈夫そうですね」
ディレクターが俺に笑いかける。
「ええ」俺はブースの中を見る。茜と比奈と春菜が、こちらを見て親指を立てていた。「答えに、たどり着いたみたいです」
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「それじゃ、裕美ちゃんの曲、いってみよー!」
トークのあと、唯は裕美にリクエスト曲のタイトルをコールさせた。
曲が始まり、六人はカフボックスをオフにする。
「ちょーアガったね! ほらあっち、ディレクターちゃんも、みんなのプロデューサーちゃんも、めっちゃいー顔してるよ?」
唯はコントロールルームのほうを示す。
裕美とほたるがこちらを向いて、ふたりとも幸せそうに微笑んでいた。俺は手を振って応える。
そのあと、ラジオは最後に比奈のリクエスト曲を流した。
比奈がリクエストしたのは魔法少女モノのアニメの主題歌だった。
事前に聞いていたリクエストの理由は作画やストーリーが素晴らしいから、と俺は記憶していたが、比奈は「魔法少女モノは女の子が仲間との絆の力で強くなって、変身するのが醍醐味っス」と説明していた。
エンディングに茜たち五人のユニット活動を再度告知して、番組は終わった。
公開収録の恒例ということで、窓の向こうのギャラリーたちも含めて出演者で写真を撮った。
約束通り、裕美のアクセサリーのアップも撮影する。それらの写真は番組ウェブサイトにアップロードされるとのことだった。
「おつかれちゃーん! めちゃ楽しかったよー!」
唯は本番中と変わらぬテンションで、控室の五人をねぎらった。
「そいえばねー、今日のラジオはゲストたくさんでおたよりの時間取れなかったんだけど、番組におたよりいっぱい届いてたって! あとでうちのディレクターちゃんから送っとくね?」
「あっ、俺。はいはい、おくっときますよ」ディレクターがやれやれといった顔をする。「プロデューサーさんのアドレスでいいですか?」
「お手数かけますが、お願いします」
俺は頭を下げる。
「んで、みんな宛のもあったから、すぐ教えたくなっちゃって!」
唯は折りたたまれた紙を拡げる。
プリントアウトされたメッセージの文面だろう。
「いっこ紹介するね?『唯さん、ゲストのみなさん、こんにちは。先日、ゲストのみなさんをライブで初めて見ました。あの日以来、みなさんのうちの誰かが出る番組が気になってしまい、できるだけみるようにしています。今日の放送も、楽しく聞かせてもらってます。みなさん、がんばってください!』だってさ! ほら、ほかにもたーくさんだよ!」
言って、唯はプリントアウトされたメッセージを茜に渡す。
茜に渡された紙を、ほかの四人は両側から覗き込むように見る。
「私たちのこと、見てくれているひと、居たんですね。……うれしい」
ほたるがそっと目を伏せた。比奈がその髪を優しく撫ぜる。
「ちょっと、アイドルやってるって、実感してきたっス。おもったより、嬉しいもんっスね」
真剣な表情でメッセージを読み耽る五人だったが、ふと裕美が四人から離れて、俺のところに歩いてくる。
「プロデューサーさん」裕美はぺこりと頭を下げる。「ありがとう。さっき、ラジオが流れてるとき、背中、押してくれたよね。声は聞こえなかったけど……そんな気がしたの」
「そうか? 応援は確かにしてた。けど俺は何もしなかったぞ。裕美が自分の力でたどり着いたんだよ」
「ううん」裕美は首を横に振る。「私一人じゃない。みんなが居てくれたから……茜ちゃん、比奈さん、春菜ちゃん、ほたるちゃん……それに唯さんと、プロデューサーさん、スタッフさん。たくさん助けてもらってるよ」
裕美はいまだメッセージを読み耽る四人のほうを見る。
「私、ギャラリーの人に笑われてるんじゃないかって、怖かった。でも、あとで写真とったとき、みんな素敵な笑顔をしてた。私が勘違いしてただけ。私が私に自信を持てないだけだったんだ。いまは、ぜんぜん違って見える。前を向くだけで、こんなに世界って、きらきらして見えるようになるんだね」
「そうだな」
「応援してくれてる人達もいるってわかった。たくさんの人に笑顔をもらったから、今度は私が、誰かに笑顔をあげられるようになりたい。きっと、それでいいんだよね」
「ああ……十分だ。そういえば」俺は一つ残った疑問を尋ねてみることにする。「さっき、ブースの中で、比奈は裕美の手になんて書いてたんだ?」
「さっき?」裕美は一瞬考え、ああ、と思い出したように言って、俺に掌を見せる。「『No.1アイドル』だって。偉そうにするほとじゃないけど、自分がナンバーワンって自信を持つくらいでちょうどいいって、励ましてもらったの。……私、このユニットに参加できてよかった。これからも、頑張るからね」
裕美はそう言って、四人のところに戻っていった。
その後ろ姿に、迷いや恐れはもう、見えない。
第八話『それが答えだ!』
・・・END
そうして、俺のデスクに置いているフォトフレームには、新しい写真が増えた。
唯を含めた六人全員が、楽しそうに笑う写真。
その後ろで、ギャラリーも全員楽しそうにしている。
この日以降の裕美の写真は、更なる魅力で溢れていくことになる。
次回は7月14日を、ほたる回を予定しています。
狙ったわけではないのですが5th幕張前日に唯登場といういい記念になりました。
Radio Happy楽しみだなー!
すいません酒盛りしてました今から更新します。
控室の中。テーブルに座ったほたるはじっと、原稿を読み続けている。
丁寧に、何度も、何度も。唇が小さく動いていた。
ときおり、原稿から視線を外して、不安そうな顔をして息をつき、また原稿の確認に戻る。
俺はそれを、ほたるの対角に位置する席に座って見ていた。
待合室の中では、アナログの時計の針の音だけが響いている。
今日はほたる単独の仕事だった。都内の繁華街で開催されているジャズフェスティバルのナレーションの仕事だ。
ジャズフェスティバルでは街中の飲食店や公園、商業施設などの様々な場所をステージとして、同時多発的にジャズライブが開催される。
ほたるがナレーションを担当するのは、商業施設屋上にあるビアガーデンに設置されたステージで、それなりのキャパシティを持ってはいるが、それでも多くのステージのうちのひとつにすぎない。
すなわち、緊張するような仕事ではない。
個人名やバンド名を間違えないようにするのは当然だが、紛らわしい名称や、気を遣うような難しい出演者もいない。
「ほたる」
俺が声をかけると、ほたるは顔をあげて、俺のほうを見た。
顔が暗い。唇をきゅっと結んで、不安そうにしている。
「ステージ、見てみないか。ナレーションはテントからで、客からも死角になるそうだが、実際に見たほうがイメージできて、不安がまぎれるかもしれないぞ」
「……そうですね、そうしてみます。ごめんなさい……」
「いや……」
謝る必要はないと言おうとして、俺はその言葉を飲みこむ。
きっと、ほたるはそういう言葉が欲しいわけではないと思った。
最上階に設置されている控室を出て、階段を上り屋上へ。
まだ開店前、飲食をする客のいないビアガーデンは椅子とテーブルだけが並んでいて、物寂しい雰囲気だった。
正面にステージが見える。ステージ横には大型のイベント用テントが張られていて、舞台袖とナレーション用の席を兼ねているようだ。
「行ってみよう」
ほたるとともにテントの中へ。パイプ椅子と長机がいくつか置かれており、長机のうちのひとつに音響設備がセッティングされている。
スタンドマイクが置かれた座席があった。ここにほたるが座ることになるのだろう。
「座ってみるか?」
ほたるに促してみるが、ほたるは首を横に振る。
「……機材を壊してしまうと、迷惑がかかりますから……」
俺は肩をすくめた。
「そうか。大丈夫だとは思うけどな……ほたる、根を詰めすぎて固くなるのもよくない。フェスティバルだしな。天気もいいし、すこし風に当たってから戻ったらどうだ」
「そうですね……」
ほたるはほんの少しだけ弱々しい笑顔を見せて、屋上ビアガーデンの中央へ歩いて行く。それから不安そうな顔で空を見上げた。
「……なかなか症状が重いな……」
ほたるに聴こえないように、俺はつぶやいた。
ユニットをプロデュースするにあたって、すでにプロダクションに所属しているアイドルについては事前にできるだけのことを調べた。
ほたるについて得られたのは、白菊ほたるというアイドルは、自分に運がないと思っている、ということだった。
美城プロダクションより前にほたるが所属していた事務所は殆どが倒産しており、過去出演したイベントには天候、事故などの原因で中止、内容の変更が散見される。
ほたるは、それを自分の不運のせいだと考えている。
これは非常に根の深い話だ。なぜなら、実際にほたるが不運の持ち主であるかどうかということは実証不可能だからだ。
そんなものは評価によってどうにでも考えることができる。
ちなみに俺はここまで数か月ほたるに接していて、ほたるが原因でなにかの不利益を被ったとは考えていない。
一方で、運、という言葉にほかの業界よりも重きがおかれるのもまた芸能界だ。
なにがヒットするかの予想が困難な芸能界においては、運も実力のうち、という言葉が非常によく流通する。
「少し風が強いですね」
ほたるが自分の髪を押さえて言う。陽光に照らされ、誰もいない屋上にぽつんとたたずむロングスカート姿のほたるは非常に絵になっているのだが、どうにもイメージがネガティブだ。
まるで荒廃した世界にひとりぼっちで残されているみたいに見える。
ほたるにはきちんと実力がある。自分自身の気持ちに折り合いがつけば、化けることができるはずだ。
だが、それをさせるには、ほたる自身が作ってしまっている壁が厚すぎる。
「天気は大丈夫でしょうか」
「大丈夫だろう、降水確率は気にするようなものじゃなかったし、台風予報も確認したが、コースはかなり離れていたからな」
「そうですか……」
ほたるはそれでも、不安そうに空を見た。
「よし、確認はこんなものか。ほたるはほかに見たいところはあるか?」
「いえ、大丈夫です」
「じゃあ……とりあえず、控室に戻るか……っと」
俺がそう言ったとき、スーツのポケットの中でスマートフォンが鳴りだした。俺は画面の表示を見る。茜の番号だった。
「応援に来ましたっ!」
茜、比奈、春菜、裕美の四人が控室に入ってくる。
開演時間まであと三十分程度。茜たちはオフの日なので、単純にほたるを激励したあとにイベントを楽しむつもりだろう。
「……どうした?」
俺は思わず四人に尋ねる。入ってきた茜の顔は見るからに不機嫌そうで、春菜、裕美もどこかぎこちない表情をしている。
比奈に目線を送ると、苦笑いを返された。
「なんでもありませんっ!」
茜は言うが、顔は笑ってない。よくも悪くも嘘をつけないのが茜だ。
「……私、ですか?」
ほたるはぽつりと言う。
「あっ! いやっ、その、ええと、ほたるちゃんは、そのっ!」
茜が明らかに動揺したので、ほたるは申し訳なさそうに目を伏せる。
茜の後ろで比奈たちがそれぞれに「あちゃあ」といった顔をした。
繰り返すが、よくも悪くも嘘をつけないのが茜だ。
「なにがあった?」
俺は尋ねる。隠せないなら問題の中身をきいたほうがいい。
「……ここに来るまでに、ほたるちゃんがナレーションとして出演していることを不安に思っているって話がきこえてきたっス」
比奈はほたるのほうを気遣うように見て言った。
「なるほどな」俺は隣にいるほたるの背を軽く叩く。「気にするな」
「大丈夫です、いつものことですから。……すいません」
「ほたるちゃんっ!」
茜が半ば叫ぶように言った。そのくらい、ほたるの表情は色を失っていた。
「大丈夫ですよ」
ほたるは微笑む。微笑むけれど、力はなくて、本当に何もかもが空っぽで、どうしようもなく、どうにもできない微笑みだった。
俺も喉が詰まるような気持ちになった。いったい、なにがあったら、こんな表情をするようになってしまうのか。
茜が低くうめく。
「……みんな、とりあえず座ってくれ」
俺は控室の椅子をすすめる。四脚しかないので、茜と俺以外の四人が用意された椅子についた。
重たい沈黙が流れる。
俺はひとつ息をついた。
ほたるが作っている壁は厚い。それでも、ほたるはまだ折れていない。だからこそ、アイドルでいようとし続けている。
それなら、まだどこかに突破口があるはずだ。
やがて、ほたるが口を開いた。
「ほんとうに、いつものことなんです。私、不幸にみまわれることが多くて、これまでも所属事務所が倒産したり、身の回りのひとが事故にあったり、病気になったり……イベントも、なにかトラブルがあったり、皆さんに迷惑をかけてしまって……」
「私たちには、特にそういうことはないみたいですけど……」
春菜が言う。ほかの三人も頷いた。
けれど、ほたるは首を振る。
「皆さんが私とこのまま一緒に活動していれば、悪いことが起こるかもしれない……ううん、きっと起こります」
春菜は小さく唸って、口をつぐんだ。
「そんなことばっかりだから、出演者やスタッフさんが私が居ると不安になるのも、しょうがないんです。私が不幸だから……ごめんなさい」
話を聞いていた裕美が眉間にしわを寄せた。
「思い込みとかじゃないのかな」
裕美が尋ねる。ほたるは応えない。
「アタシも思い込みだと思うっスよ、アタシなんて一回落選してからの拾い上げでここにいるんスから、むしろほたるちゃんと一緒にアイドルできて、ラッキーってことにならないスかね?」
「それは、比奈さん自身の力ですよ、私なんかじゃ、とても」
と、ほたるが言ったときだった。
時計の音以外は無音の控室にタ、タ、と何かを叩くような音が聞こえて、俺たちは音のしたほうをみる。
窓に、水滴のあと。
「雨……?」
俺は窓から空を見る。さっき屋上に上がったときとは正反対に、空にはぶ厚い暗い雲が立ち込めていた。
風は先ほどよりも強くなり、すぐに大粒の雨が窓を打ち始める。
「天気予報では雨の心配なんてないって言ってたのに……」
裕美が立ち上がり、窓のところまで歩いてくる。
俺はスマートフォンで天気予報を確認する。
勢力を増した台風が急激に進路を変えたと速報があり、都内が暴風圏内に入っていた。
「やっぱり……ごめんなさい……」
ほたるはそう言って、座ったままで頭を下げた。
四人は、なにも言わなかった。
俺はもうひとつ、溜息をついた。
ほたるの不幸を思い込みに過ぎないと説明することはできる。
たとえば所属事務所が倒産したという話だが、中小企業なら五年で八十五パーセント近くが倒産する。
ましてや芸能界は先の読めない業界だ。普段の生活であまり倒産の言葉に触れることはないかもしれないが、実際には次々に会社が生まれ、消えていく。
俺が美城プロダクションに所属する前の事務所も、今はもうない。
問題なのは、ほたるに関わった人々がほたると不幸を結び付け、それをほたるが受け入れてしまっているという点だ。
禍福は糾える縄の如しと言うが、ほたるに起こったことが幸運なのか、それとも不幸なのかはほたると周りの人々の評価次第だ。
悪いことはもっと悪いことの回避の結果だと喜ぶことができるかもしれないし、同じように幸運を嘆くことだってできる。
前の事務所が倒産していなければ、今の事務所に所属してはいなかっただろう。幸不幸は相対的な問題で、絶対的に評価できるものではない。
それでも人々は、そしてほたるは自分に起こったセンセーショナルなことだけをクローズアップしてほたる自身と結び続ける。
例えば、晴れ男の芸能人がいたとしよう。
移動先が晴れであったり、移動したとたんにその場所の天候が崩れれば、人々は喜んでその情報を拡散する。
けれども、それは確率論で語られることは決してない。晴れ男が出会った雨は無視される。
そうやって、晴れのエピソードだけが積み重なり、晴れ男は晴れ男として作られ続けていく。
それが本人をキャラクター付けるプラスの要素になら喜んで便乗すればいい。しかしほたるの場合はどうだろうか。
少なくとも、俺の目のまえに座るほたるはずっと、空っぽな顔をしている。
まずは場の空気を変えることが必要だと、俺は判断した。
「あー……茜、みんなの分のドリンクをなにか買ってきてくれないか」
俺は茜に千円札を渡す。
「わかりました!」
茜は控室の扉を開け、出ていこうとする――と。
「なんで急に降りだしてんだよ、意味わかんねぇな」
「あれだろ、ほら、不幸アイドルの……」
外の会話が部屋の中に聴こえてきた。
「おい、聴こえるぞ、ドアが……」
「やべ」
声は遠ざかっていく。
茜はドアの前に立ち尽くしていた。
間が悪すぎる。俺は思わず片手で顔を覆った。
まさか、本当にほたるの不幸が原因なのか――? と、一瞬疑い、すぐにその考えを頭から追い出した。
ほたるはずっと、机の上のなにもないところを見つめている。
「っと、すいませーん、出演者のかたと、プロデューサーさん……」
別の声が聞こえて、俺はドアのほうを見た。
茜がドアの前から離れる。開いたままのドアの前には会場の男性スタッフが立っていた。
「すいません、見てのとおりの天気で、ちょっと開演を見合わせています、どうなるかわからないですが、ひとまず待機していただいて……続報、またお伝えしますんで」
「わかりました」
俺が返事をすると、男性スタッフは去っていった。
茜が扉を閉める。
窓の外はまだ強い雨風が続いていた。
沈黙。
俺がもう一度茜にドリンクの買い出しを指示しようかと考えていたときだった。
ほたるが、ぽつり、と話し始める。
「わたし、大丈夫ですよ……すみません、ずっとこうなので、もう、慣れてしまいました」
ほたるはそういって笑顔を見せる。
「ほたるちゃん……」
春菜がかすれた声でつぶやいた。
「頑張っても、どうにもならないこともあります。……でも、アイドルは、やりたくて……でも」言いながら、ほたるは迷うように視線を泳がせる。「みなさんに、迷惑がかかってしまったら……私のせいで、ユニットに、なにか悪いことが起こったら……」
俺たちが黙っていると、茜がゆっくりと一歩、ほたるのほうに歩いた。
ほたるは、笑顔のままで、俺たちのほうを見て言う。
「やっぱり私、このユニットから、いな――」
「ほたるちゃんっ!」
ほたるの声を、茜の叫ぶような声がかき消した。
茜はほたるほうへずんずんと歩いて行く。
その途中で一度俺に向きなおり、さっき俺の渡した千円札を差し出してくる。
俺がそれを受け取ると、茜はほたるの横に立った。
「私は、ほたるちゃんと一緒にやりたいです!」
茜はまじめな顔で、きっぱりと言う。
「私も、ほたるちゃんとユニットやりたいですよ!」
春菜が続いた。比奈と裕美も大きく頷く。
ほたるは困ったように笑った。
「ありがとうございます、でも……こんなふうに」ほたるは窓の外を示す。「ステージ自体が、私のせいでだめになってしまうこともあるんです。私は、皆さんに羽ばたいてほしい」
「ほたるちゃんにも羽ばたいてほしいんだ」
裕美がすぐに切り返す。ほたるは少し、たじろいだ。
「そうですっ! ほたるちゃん、みんな同じ気持ちですよ!」
茜が笑顔になる。
「で、でも……」
ほたるは不安そうに俺と四人の顔を見渡して、それから視線を落とす。
まだ、壁が崩せないか。俺がそう思っていた矢先、茜がほたるの手を取った。
「やれますよ! 不幸になんて負けなけいくらい熱くなれば、ステージだってできます!」
茜はまっすぐほたるの目を見た。
ほたるは、きょとんとして茜を見ている。
「みんな! 行きましょう! ほたるちゃん、立ってください!」
茜はほたるの手を引く。
比奈、春菜、裕美は一瞬戸惑った顔を見せたが、すぐにお互い頷き合うと、立ち上がった。
「え、皆さん、なにを……?」
戸惑うほたるを連れて、五人は部屋を出る。
俺はそのあとを追いかけようとして……その前に、スマートフォンを操作して電話をかける。
先ほど打ち合わせをした男性スタッフだ。数回のコールで応答があった。
「あ、すいません、美城プロダクションの……ええ、そうです、ええ。すいません、急遽出演者用の服を調達していただきたくて……費用はこちらで出します、確か、下のフロアにショップがあったと思って……はい、それでサイズは……」
一分ほどで電話を終えて、俺はほたるたちを追った。
屋上へ向かう階段の前に、ほたるは立っていた。
階段の途中には茜が立って、ほたるに向かって手を差し伸べている。
ほたるは追いついた俺のほうを見る。
ほたるは迷っているようだった。
右手は握り締めて、胸の前に。
左手は不安そうにスカートの裾を掴んでいる。
「プロデューサーさん、私……」
「ほたる、茜たちと向き合ってみてくれ」
ほたるは小さく口を開閉させて、それからゆっくりと茜のほうへ向き直る。
俺はその後ろに立った。
「ほたるちゃん!」茜は微笑む。「ほたるちゃんは不幸なんかじゃありません! もし不幸なら、不幸ごとキラキラすればいいんです! 私たちだって一緒ですから! 行きましょう!」
俺はほたるの背をそっと押す。
ほたるは迷うような足取りで、それでも少しずつ、茜のほうへ歩いていく。
階段をのぼり、ほたるは差し出された茜の手を、おずおずとにぎった。
茜はそれをぎゅっと握ると、強くひとつ頷いて、ほたるを引いた。
ほたるは茜に引かれて、茜と一緒に階段を上る。
「私はほたるちゃんと一緒に居て、困ったことなんてありません! ううん、楽しいことばっかりでした! だから、ほたるちゃんも私たちと一緒に居たいと思ってくれたら、嬉しいです!」
茜はほんのすこし頬を染めて、ほたるに言う。
「……ありがとう、ございます」
ほたるは恥ずかしそうに笑った。
階段を上ると、その途中には春菜が立っていて、茜のときと同じように、ほたるに手を差し出している。
「ほたるちゃん」春菜は言いながら、もう片方の手で眼鏡のテンプルをつまむ。「私も、自分に自信がなくて、怖かったときがありました。怖いっていう気持ちに身を預けるのって、簡単なんです。でも、それじゃだめなんだって、不安に立ち向かっていかなきゃって今は思えます。私を支えてくれる人達にも、眼鏡にも、失礼になってしまいますから。……そう教えてもらったんです。ほたるちゃんも、立ち向かってください。大丈夫です、私たちも一緒に、立ち向かいますから!」
茜はほたるとつないでいた手を離し、ほたるの背を軽く押す。
ほたるは階段をのぼり、春菜の手をとった。
二人は階段を上っていく。
「怖いと思ってるときって、怖いものが普段より大きく見えるみたいなんです。レンズのくもりが取れて、怖がらずに見られるようになったら、そんなに怖がらなくてもいいんだって思えるようになりましたよ。だから、きっとほたるちゃんも大丈夫です」
春菜は微笑む。
「もしも一人で不安なら、眼鏡どうぞ。私たちが、ほたるちゃんの眼鏡になりますから」
階段を上ると、踊り場には比奈が立っていて、ほたるに手を差し出している。
「春菜さん……」ほたるは春菜の顔を見て、それから比奈のほうを見る。「比奈さん」
「ほたるちゃん」比奈は穏やかに微笑む。「アタシはほたるちゃんがいないユニットなんて考えられないっス。そういうコンセプトだからとかじゃなくて、アタシは五人のうち誰が欠けても嫌っス。そんなところまできてしまったっス」
春菜はほたるとつないでいた手を離し、ほたるの背を軽く押す。
ほたるは階段をのぼり、踊り場に居る比奈の手をとった。
二人は階段を上っていく。
「物語の主人公には困難がつきもので、それを乗り越えてこそ輝くっス。アタシたちは五人でひとつのユニットなんスから、ちょっとの不幸くらいチームワークで乗り越えるっスよ。一蓮托生っス」
屋上へ向かう階段を上がると、その途中には裕美が立っていて、ほたるに手を差し出している。
「ああ……」
ほたるは裕美を見上げて、泣きそうな声をあげる。
比奈は頭を掻く。
「筋書きをくれる腕のいいプロデューサーもついてるッス。もっと気楽に、乗っかっていいと思うっスよ」
比奈はほたるとつないでいた手を離し、ほたるの背を軽く押す。
ほたるは階段をのぼる。
裕美はほたるの両肩に手を置き、ほたるを見つめ、それから背中に手を回して、優しく抱きしめた。
しばらくそうしてから、裕美はほたるから身体を離して、ほたるの手をとった。
二人は階段をのぼっていく。
「ほたるちゃん、このまえのラジオのとき、手を握ってくれてありがとう。私、あのとき、ほんとうにうれしかったよ。だから、お返ししたいと思ってたんだ」
屋上の扉の前に二人は立つ。その後ろに俺たちが追い付いていた。
「つぎは、ほたるちゃんの番」
裕美は屋上ビアガーデンの扉を開ける。
扉の向こうは暴風雨だった。
椅子は風で飛ばないように片付けられ、固定されたテーブルだけが残っている。当然、人の姿はない。
「裕美ちゃん、やっぱり……」
ほたるは荒れ狂う空を見て言う。唇は震えている。
しかし、裕美は首を横に振った。それから、睨むように空を見る。
「ほたるちゃん、ちょっとだけ、無茶かもしれない。でも、きっと今なんだよ。私たちがついてるから、あとはほたるちゃんが勇気を出して」
裕美はほたるから手を離し、一歩前に出る。強い雨と風が容赦なく裕美に襲い掛かった。
「裕美ちゃん」
心配そうに裕美を呼んだほたるの横を、茜、比奈、春菜が通り過ぎて、裕美と同じくほたるの前に出た。
「ほたるちゃん!」雨の中で茜が笑う。「勇気があれば、大丈夫です!」
「勇気……」
ほたるは小さくつぶやく。
それから、目をぎゅっと閉じ、肩をすぼめて、なにかをじっと考えているようだった。
茜たち四人は雨でずぶぬれになっている。
やがて、ほたるは目をあけると、そっと一歩、茜たちのほうに歩み出す。
「ほたるちゃん!」
春菜が嬉しそうに言った。
「さあ! ステージへ行きましょう!」
茜が言うと、春菜、茜、ほたる、裕美、比奈の順に横一列になり、手を繋いで行進するように、誰もいないビアガーデンを五人で闊歩していった。
恫喝するかのように、雷雲が轟音を響かせる。
それでも五人は止まらない。
五人はステージの上に立つ。
俺はそれを、ビアガーデンへと出る扉のところから見ていた。
ほたるを除く四人は、凛とした表情でステージから無人のビアガーデンを見据える。
ほたるだけが、まだ不安そうにしていた。
空は真っ黒い雲がぐねぐねとうごめいている。
強風が吹いて、横殴りの雨が五人を責めた。
「ほたるちゃん! 勇気をだしてください!」茜が叫ぶ。「五人で、一緒にやりましょう! 不幸なんて、みんなで吹き飛ばすんです!」
ほたるは悲痛な顔をしていた。頬を流れていく水滴は雨のようにも、涙のようにも見えた。
「大丈夫っスよ、ほたるちゃん。きっとアタシだって、ほたるちゃんに迷惑かけてることがあるし、これからもかけちゃうこと、あるっス。お互い様っスよ」
比奈が歯を見せて笑った。
「そう、だから!」春菜は眼鏡についた雨粒を拭うこともせず、叫ぶ。「ほたるちゃんの声を、聴かせてください!」
「ほたるちゃん、私のつぎは、ほたるちゃんの番だよ! 聴かせて、ほたるちゃんの声、ほたるちゃんの、ほんとうの気持ち!」
裕美が言う。
ほたるは、大きく息を吸って、吐き、目を閉じて頭を垂れる。
祈っているみたいだと、俺は思った。
そのまま、十秒ほど。
それから、ほたるが顔をあげた。
「おっ」
俺は声を出していた。
ほたるが、笑っていたように見えたからだ。
そのとき、風だけが一瞬止まった。
ほたるは目を開く。一瞬だけ視線を泳がせて、それでも決意を秘めた目をして、大きな声で空に向かって、空気を震わせて叫んだ。
「私、みなさんと一緒に、やりたいです! キラキラしたいです! やめたくない! 不幸でも、不幸かも、しれないですけど、それでも! みなさんといっしょにユニットをやりたい!」
ほたるは叫びきり、茜たち四人はぱっと顔を輝かせた。
その直後だった。
雨は急に弱まり、空から逃げ去るように流れて行った雲のあいだから、太陽がのぞく。
まぶしさに思わず目を細めたときには、雨は止んでいた。
「は……」
俺の口から間抜けな声が漏れた。
「すごいっ! すごいですよ! 奇跡です!」茜が大きな声で叫び、跳ねる。「ほたるちゃんが起こした、奇跡です!」
「はいっ! こんな、こんなことって!」
ほたるは信じられないといった顔をしている。
五人は抱き合って、笑い泣いていた。
「ははは……」
その光景を遠目に見ながら、つられて俺も笑う。
たしかに、奇跡のような光景だった。
もちろん、奇跡だって合理的な説明をつけることはできる。
急激に進路を変え、加速した台風は、この会場近くをかすめて飛び去って行った。
暴風雨は一時的なもので、もともと長く続くようなものではなかった。
それだけの話ではある。
だけど、こういう奇跡は、奇跡として素直に受け取るべきってもんだろう。
ほたるが起こした、ほたるたちのための奇跡として。
「壁は崩れたか。雨降って地固まるってところかな」
俺は喜びあっている五人を見ながらつぶやいた。
ほたるの頬は、雨と涙とできらきら輝いていた。
----------
「ほたる、そのままじゃ風邪ひくぞ。会場のスタッフに依頼して控室に着替えを用意してもらった。フェスティバルは押しで決行だそうだから、始まる前に着替えてくれ」
「はい、ありがとうございます」
雨の上がったビアガーデンで、ずぶ濡れのほたるは頭を下げる。さっきまでとは違って、どこかすっきりした顔をしていた。
「プロデューサー、アタシたちの分は……」
同じくずぶ濡れの比奈が尋ねるが、俺は笑って首を振る。
「ない。オフのお前たちにまで用意する理由がないだろ?」
「まぁ、そうっスけど」
比奈は不満げな顔をする。
ちなみに、ほたるの分も予想外の出費なので、経理担当が首を縦に振らなければ俺の自腹になる可能性があるのだが、五人の前では口に出さないことにした。
「お前たちも風邪ひくとよくないからな。せっかく来たとこ残念ではあるが、体調管理はしっかりしろ。近くにいくつか銭湯がある。そこの入浴代くらいなら出してやるぞ」
「うーん、残念ですけど、プロデューサーの言う通りです。仕方ないですね。ほたるちゃんの最初の声だけ聴いていきましょうか」
春菜が言うと、茜、比奈、裕美が頷いた。
----------
それからほどなくして、ジャズフェスティバルのビアガーデン会場公演は、当初より予定を遅らせて開催された。
「大変長らくお待たせいたしました。ジャズフェスティバル、ビアガーデン会場、公演開始いたします」
雨の上がった会場には、ほたるのアナウンスの声が響き渡る。
その声は明るく、迷いはもう見えない。
一組目のバンドの演奏が始まり、ほたるはマイクのスイッチを切る。それから、胸に手を当てて、ふぅ、と深く息をついた。
「緊張してるか?」
俺はほたるに尋ねる。
「はい。……不安なんです」ほたるは困ったように笑う。「こんなに幸せに思えることって、いままでなかったんです。楽しいって思ってもいいなんて、なんだかまだ慣れなくて。……アイドルになることを、あきらめないで、よかった」
ほたるは目を細めた。
「……そうだな」
俺も目を細める。ほたるは、あきらめなかったから、届いた。
「いつかきっと、この幸せを皆にも届けられるように、頑張ります。お返ししなくちゃ……勇気、幸せ、想い出、たくさん、大切なものをもらったから」
そう言って、ほたるは俺に笑いかけた。
ほたるはもう、大丈夫だろう。
第九話『合い言葉は勇気』
・・・END
後日のプロデューサールーム。
俺は黙ってキーボードを打ち続ける。
デスクに置かれたフォトフレームは、茜たちの写真のスライドショーが流れている。
この写真も、だいぶ増えた。
俺は手を止め、フォトフレームを一瞥する。
そのとき、プロデューサールームの扉が開く。
入ってきたのは、見知った顔。いや、さすがに少し痩せたか。
「よっ」
久しぶりに聴いた、軽快な声。
俺は椅子から立ち上がり、笑顔を返す。
「おかえりなさい、先輩」
友人の崇敬な水木聖來Pは言っていました。次の総選挙はもう始まっていると。
次回は21日の更新を予定しています。日付超えないように気をつけます。
フィナーレに向けて、もう少々お付き合いくださいませ。
プロデューサールームの中はおおかた片付け終えた。
改めて眺めてみれば、俺には広すぎる、過大な部屋とデスクだったと思う。
デスクのモニターの横には、茜たちを撮った写真をスライドショーで流し続けるフォトフレーム。
俺はそれをしばし見つめてから、パソコンのメールソフトを立ち上げる。
下書きボックスに保存されたメールを開いた。すでに文面は完成している。
あとは宛先を入力して送信するのみ。
俺は茜、比奈、春菜、裕美、ほたるのアドレスを入力して、ひとつ呼吸をしてから送信ボタンを押す。
あまりにもあっけなく、メールは送信された。
サマーフェスが終わってから心に決めていたことがある。
俺はあいつら五人をできる限り高いところまで連れて行く。そのためなら手段を選ばない。
プロダクションでもトップクラスの敏腕プロデューサーである先輩が戻ってきたいま、とるべき選択肢はひとつ。
俺が居なくなること。そうすれば、もとの通りに先輩が茜達五人をプロデュースすることになる。
それがいちばん、あいつらが輝ける確率を高くする。
なぜなら、先輩は敏腕だから。
なにもおかしなことじゃない。
先輩プロデューサーが過労で倒れた。
それを俺が引き継いだ時から、この結果になることは決まっていた。
俺はパソコンとフォトフレームの電源を落とす。
鞄にフォトフレームをしまうかどうか一瞬悩んで、結局置いていくことにして、卓上に伏せて置いた。
財布と手帳以外に大して荷物も入っていないビジネスバッグを乱暴に担いで、俺はプロデューサールームの照明を消すと、部屋を後にした。
そんなに複雑な計画ではない。
先輩の復帰に合わせ、俺の親が急病になったことにして、介護のために休暇をとる。
そのあいだのユニットの対応を一時的なものとして先輩に預ける。
もともと、先輩が立てたスケジュールに俺が肉付けしたのだから、先輩が担当するのがいちばんスムーズだ。
あとはそのままずるずる休暇を引き延ばして、フェードアウトするだけだ。
俺が必要なくなった頃に正式な退職願をだして、借家の荷物の引き上げをすればいい。
五人に送ったメールも、急に実家に戻る必要が出たから、不在のあいだの対応をもともとのプロデューサーである先輩に頼んでいるという内容だ。
同じ内容で上司と先輩にも連絡済み。
実家の住所は美城プロダクションの誰にも知らせていないから、追跡することもできない。
俺のプロデューサーとしての経歴は、こうしてひっそりと幕を閉じる。
----------
「プロデューサー!」
ロビーを歩いていると、背中に声がかかった。
「……比奈か」
俺は後ろを振り向く。ジャージ姿の比奈がこちらに走ってきていた。
比奈にレッスンの予定はなかったはずだ。 というか、比奈にレッスンの予定が入っていない日を選んだ。
ほかの四人は日中、学校があるから、プロダクションから出ていく俺と鉢合わせすることはない。
比奈にレッスンの予定がないにもかかわらずここにいるということは、自主的なレッスンか。
タイミングが悪い。
「メール、見たっス。……行っちゃうんスか」
比奈は真剣な眼をして俺の前に立つ。
「あー、まぁ、ちょっと、メールの通りでな、親が――」
「どのくらいで帰ってくるっスか?」
比奈は俺の言葉を遮るように言う。
「病状見てからだな」
「……戻ってこないつもりっスね?」
「……いや、そんなつもりじゃ……」
「あのとき」比奈はうつむく。「サマーフェスのとき、アタシたちのユニットのこと、ちゃんと責任取ってくれるって言ってたじゃないっスか、あれは……嘘だったんスか?」
比奈の声は、すこし震えているように聞こえた。
「そんなことはないさ。責任を取る」
「じゃあ」
「大丈夫だ。先輩は敏腕だからな。必ずお前たちを輝かせてくれる」
「そうじゃないっス!」比奈はうつむいたまま若干語勢を強め、首を横に振る。「そうじゃないっスよプロデューサー……プロデューサーは、それでいいんスか……?」
「……お前たちが活躍するのがいちばんだよ」
「茜ちゃんも春菜ちゃんも裕美ちゃんもほたるちゃんも、プロデューサーは、置いていっちゃうんスか」
「……」
「そんなの、責任取るって言わないっス……このままじゃアタシ、ほんとうに共犯者になっちゃうっスよ……みんなになんて説明したらいいか」
「……」
「お休みから戻ってくる人が敏腕だから任せるって、プロデューサーはアタシたちと最後までやりたいと思ってはくれないんスか」
「……俺は、お前たちが高いところまで行けるほうを選ぶ」
「ほんとに、そう思ってるんスか」
「……ああ」
「……」
「お前たちなら……お前たちと先輩ならできるって確信してるよ」
「アタシ、まだあのとき借りた五千円返してないっス」
「ああ、あれな」思い出して、俺は笑う。スカウトのときの買い出しで立て替えていた五千円だ。「……いいよ、出世祝いの先払いだ」
「……」
比奈はうつむいたまま、小さく肩を震わせていた。
俺は黙って、比奈に背を向けて、歩き出す。
「プロデューサーは、嘘をついてるっス」
俺の背中に向かって比奈が低い声で言う。俺は足を止めた。
「言ったでしょう。アタシ、マンガ描いてるくらいっスから、人間観察力は高いんスよ……プロデューサー、アタシと話してるあいだ、一回もアタシのこと見てないっス」
最後のほうは、ほとんどかすれ声だった。
これ以上はだめだと俺は思った。
「比奈、お前たちが思っている以上に芸能界は厳しい。だから一番近道を行け。それが、お前たちにとって一番いいことなんだ。……またな。比奈」
俺は比奈に背中を向けたまま言い、歩き出した。比奈はもう、俺を引き留めなかった。
----------
「……と、ここだな」
窓側に取った新幹線の指定席。荷物を棚に乗せて、俺は席につく。
平日の昼間、乗客はまばらだった。
想像していたよりも、実感がないと思っていた。もうすこし気分が沈むかと思っていた。
自分で自分の感情に蓋をしているのかもしれないと思う。
もともと、感情に蓋をするのは得意だったしな、と心中で自分を皮肉った。
座席のリクライニングシートを少し倒す。長い息をついた。
俺としては、少なくとも合理的な選択であったと思う。
茜、比奈、春菜、裕美、ほたるの五人が活躍するためなら、俺一人の感情は抑制する。
そうして、俺よりも優れたプロデューサーに渡す。それが、俺ができる最良のプロデュースだ。
発車ベルが鳴って、ドアが閉まった。新幹線がゆっくりと走り出す。
売店で買っておいた缶ビールのプルタブを起こす。小気味いい音が響いた。
ビールを喉に流し込む。
こんなに味のしないビールを飲んだのははじめてだった。
----------
茜は自室のベッドの上で、スマートフォンの画面を見つめて眉間にしわを寄せていた。
プロデューサーから、実家の都合でしばらくお休みするという連絡をもらってからまる二日間、ユニットのメンバーのあいだではグループメッセージのやり取りが続いていた。
最初、みんな一様にプロデューサーのことを心配していた。茜も同じ気持ちだった。
茜にとってすこし嬉しかったのは、ほたるがプロデューサーに起こったことを自分の不幸のせいだと落ち込んだりすることがなかったことだった。
プロデューサーのいないあいだ、頑張って活動を続けようと最初にみんなをはげましてくれたのはほたるで、ほたるがそう言うならとみんなが奮起した。
いいユニットに参加することができたと、茜は素直に嬉しく感じていた。
それから話題は、プロデューサーが不在の間を引き継ぐことになっているという、新しいプロデューサー――今までのプロデューサーにとっての先輩プロデューサー――のことに移っていった。
『これまでも数々のユニットをプロデュースしてきたすごく実力のあるプロデューサーらしいっスから、お任せしちゃって大丈夫だと思うっス。病み上がりなのはちょっと心配っスけど』
比奈から茜を含む四人へのグループメッセージが届く。
『新しいプロデューサーからのメールには心配しないでいいって書いてありましたけど、やっぱり最初のほうは私たちもあまり負担をかけないようにしたほうがいいですよね』
すぐに、春菜からのメッセージが返ってくる。
茜は仰向けになったまま、むー、と唸った。
「どうしてまだ私にだけ、その新しいプロデューサーさんからのメールが、こないんでしょう……」
茜はスマートフォンの画面を見ながらつぶやいた。
茜以外の四人には、すでに先輩プロデューサーからの挨拶と、引継をしたこと、顔合わせの日程を伝えるメールが届いていた。
ユニットのメンバーでメッセージのやり取りをしているあいだに、茜にだけその連絡がきていないことがわかった。
四人は茜に、メールアドレスを間違えたんじゃないのかとか、なにかのエラーじゃないか、送り忘れなど可能性をあげて、気にする事はないと励ましてくれていた。
茜はそれに同意をしつつ、どこかで不安がぬぐえずにいた。
もともと、茜たち五人のユニットは、これから引き継ぐ先輩プロデューサーが企画したもので、先輩プロデューサーが過労で倒れたことによって、今は実家に戻っているプロデューサーが急遽担当することになったと聞かされていた。
当初のメンバーは、春菜、裕美、ほたると、スカウト予定だった比奈、それに当時未定だった新メンバーを加えての五人で、その新メンバーが茜ということだった。
つまり、茜だけは、これから引き継ぐ先輩プロデューサーが想定していなかったメンバーということになる。
そのことを思い出したときから、茜の心に不安が生まれた。
もし――もし、先輩プロデューサーが、茜のことを気に入らなかったのだとしたら。詳しいことは茜には想像も及ばなかったが、もともとのコンセプトや、想定していたユニットのカラーが先輩プロデューサーの意向に合わなくて、それで連絡がもらえていないのだとしたら。
茜だけ、みんなと一緒にアイドルを続けることが、できなくなるかもしれない――
そう考えて、茜は自分の胸のあたりに手を当てた。不安で鼓動が早くなっている。
「なんだか、不思議ですね」
茜はぼんやりと天井を見つめて呟いた。
数か月前まで、アイドルになるなんて考えたこともなかった。
人前に出て歌ったり踊ったりするなんて、やってみたいかどうかすら考えたこともなかった。
それがいつのまにか、スカウトを受けて、アイドルとして活動することになって、レッスンや仕事を繰り返し、ライブに出て、今はこれからもアイドルをやりたいと思っている。
「私、こんなにアイドルやりたかったんですね……」
皮肉にも、アイドルを続ける道が危ういかもしれないという想像を通して、茜はそれを実感していた。
一人の時に、一度考えが沈みだすと、悪いほうへ、悪いほうへとずぶずぶ引きずられていく。
みんなと一緒にユニットができなくなるかもしれない。そもそもアイドル自体続けられなくなるかもしれない。
いや、本当は自分はアイドルなんかじゃなくて、アイドルであると勘違いしていただけなのかもしれない――
茜はスマートフォンを置いてベッドから体を起こし、悪い想像を追い出そうと頭をぶんぶん左右に振った。
それから、気合を入れようと、両手で自分の頬を軽く叩く。
「悪いように考えちゃいけませんね! しっかりしましょう! ボンバー!」
茜は右手を振り上げ自分を鼓舞して、練習中のユニット曲を口ずさみながら、振りを確認する。
しかしそれは長くは続かず、茜は部屋の真ん中に立ったまま肩を落とした。
「プロデューサー、早く戻ってきてください……」
茜はスマートフォンのメールボックスを開いた。
実家に帰ったプロデューサーからユニットのメンバーに届いた、最後のメールを開く。もう何度読み返したかわからなかった。
メールには一時的に実家に帰ると書かれている。
だけど、茜には、なぜだかプロデューサーがもう戻ってこないんじゃないかという不安があった。
スマートフォンがメッセージの着信を振動で知らせる。比奈からだった。
『まー、明日は新しいプロデューサーとの顔合わせっス、色々不安っスけど、みんなしっかり打ち合わせしてこれからに臨みましょう』
茜はその文面を見て、そのとおりだと思う一方で、比奈が少しドライなようにも感じた。
けれども、すぐにそれは茜の不安がそう思わせるのだと考え直した。
茜はもう一度、歯を食いしばって、さっきより強く両側の頬をはたいた。
----------
「それじゃー、いろいろバタバタして悪いんだけど、とりあえずユニットのプロデュースはアイツが戻ってくるまでのあいだボクが引き継ぐから、みんなよろしくね」
すこし軽い感じの声で、先輩プロデューサーはそう挨拶した。
プロデューサールームに集まっていた比奈、春菜、裕美、ほたるの四人はそれぞれに「よろしくおねがいします」と言いながら頭を下げた。
茜は学校ですこし遅れるという連絡が入っていて、まだ到着していない。
比奈はプロデューサールームを見渡した。
もともと、実家に帰ったプロデューサーの私物は多くはなかったが、部屋の中は綺麗に片付いていて、プロデューサーがここにいた痕跡が消えてしまっている。
「手口、鮮やかっスね」
比奈は誰にも聞こえないようにつぶやいて、溜息をついた。
「病み上がりってのもあるんだけど、入院してるあいだは仕事のことはシャットアウトしろってんで、この数か月間のプロダクションのこともこのユニットのこともぜんぜん教えてもらってなくってね。みんなにはちょっと迷惑かけるけど、できるだけ早く追いつくよ。アイツはボクがもともと立ててたスケジュールにだいたい沿ったかたちで進めてくれてたみたいだから、ちゃんと把握するまでそんなに時間はもらわないで済むと思う。改めて、メンバーは……」
先輩プロデューサーは四人を見渡す。
「っ、あの、プロデューサー」
比奈は先輩プロデューサーのことを『プロデューサー』と呼ぶことに若干の違和感を覚えながら、片手をあげる。
「まだ、茜ちゃんが到着してないっス」
先輩プロデューサーは笑顔で頷いた。
「荒木比奈さんだよね。参加してくれてありがとう。アイツ、ちゃんとスカウトにも行ってくれたんだな。ほんとはボクがスカウトにいくはずだったんだけど、倒れちゃったからさ。ごめんねー」
「あ、その……」
比奈はいろいろな想いをいっぺんに飲みこんだ。
比奈にとっては、目の前にいる人物は、本来書類選考で落選になっていたはずの比奈に魅力を見出し拾い上げた人物である。
しかし同時に、この人物が戻ってきたことによって、比奈を実際にスカウトしに来た人物は会社を去ることを決めた。
どちらも比奈の人生を左右した大切な人物。
もし先輩プロデューサーが戻らなければ、という想像が不謹慎だということも理解している。
比奈は自分の気持ちに折り合いがつけられないまま、口を閉じた。
「それで……」先輩プロデューサーが困ったような顔で頭を掻く。「その、いま言ってた茜って子なんだけど……それ、誰なのかな?」
「えっ?」春菜が驚きの声をあげる。「誰って、日野茜ちゃんですよ、このユニットのメンバーの……ね?」
春菜はほかの三人のほうを見る。比奈、裕美、ほたるはそれぞれ春菜に頷いて、先輩プロデューサーを見る。
「うーん、まだ全部資料観れたわけじゃないし、茜って子の名前は報告書にちょいちょい出てくるんだけど……」先輩プロデューサーは腕組をした。「日野茜って名前の子、そもそも美城プロダクションにはいないんだよね」
先輩プロデューサーの言葉を理解できず、全員が固まる。
「ちょっと、それって、どういうこと!?」
直後に、裕美が大きな声をあげた。
----------
茜は美城プロダクションの廊下を早歩きで進んでいた。
学校の授業が終わり、いくつかの用事を終えてから到着したので、集合時刻に少し遅れてしまっている。
茜の胸にはずっと不安が残ったままだった。結局、先輩プロデューサーからの連絡はないまま。
今日の顔合わせも、比奈から時間と場所を教えてもらっている。
それでも、顔合わせの場、プロデューサールームに行けば、大切な仲間たち、ユニットのメンバーがいる。だから、大丈夫。
茜は自分にそう言い聞かせていた。
廊下の角を曲がると、プロデューサールームの扉が見えた。
茜は入館証のストラップを持った右手をぎゅっと握る。
何度も訪れたプロデューサールーム。茜をスカウトしてくれた人は、いまはあの部屋には、いない。
扉の前に立って、茜は胸に手を置いて、呼吸を整える。
それから、右手をドアノブに伸ばした。
そのときだった。
「ちょっと、それって、どういうこと!?」
部屋の中から裕美の大きな声が聞こえてきた。
茜はドアノブに手をかけたまま、その場に固まる。
「えーと、だから……」
茜の知らない人の声が聞こえた。
おそらく、この声の持ち主が先輩プロデューサーなのだろうと茜は想像する。
茜はドアの内側に聞き耳を立てた。
「その日野茜って子は、プロダクションの所属アイドルのデータベースには登録されていないんだよ。美城プロダクションには、日野茜って名前のアイドルは、在籍していない」
「――っ!」
茜は息を呑んだ。心臓を潰されたような気がした。呑んだ息が吐きだせない。
身体が震えているような気がした。心のなかに残っていた不安が一気に広がって、頭から足の先まで真っ黒に覆いつくす。
茜はドアノブを掴んでいた右手を、そろそろと離した。カチャ、とごく小さな音がする。
その音を立ててしまったことに茜は怯えた。
次の瞬間には、茜はその場から逃げ出していた。手から入館証のストラップが滑り落ちる。
茜は入館証を落としたことに気づいたが、戻ることはしなかった。
なにが起こっているのかわからなかった。
茜はただただ恐怖にとらわれ、廊下の角を曲がり、階段を駆け下りて美城プロダクションを飛び出していた。
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「……なにか、音がした気がするっス。茜ちゃんでしょうか」
比奈はプロデューサールームの扉を開けて、廊下の左右を眺めた。
誰かが角を曲がって、去っていくのが見えた。
顔も体の大部分も見えなかったが、一瞬だけ目に映った足と革靴から、比奈はそれが茜だと予想した。
「茜ちゃん!」
比奈は部屋から飛び出し、小走りに廊下の角まで向かう。だが、そこにはもう人の姿はなかった。
比奈は首を傾げた。見間違いだったのかもしれないと思い、プロデューサールームに戻ろうとし――足元に、なにかが落ちていることに気づく。
入館証だった。そこには確かに、日野茜と元気な文字で書かれている。
「……茜ちゃん……!」
比奈はそれを拾い上げると、プロデューサールームに戻った。
話の途中で部屋から出て、また戻ってきた比奈を、春菜、裕美、ほたる、先輩プロデューサーの四人が不思議そうな顔で迎える。
「……茜ちゃんの入館証、そこに落ちてたっス。アタシたちの話をドアのところで聴いて、登録されてないって知ったとしたら……驚いて、いなくなっちゃったのかもしれないっス」
「そんな……」
ほたるが青ざめる。
「追いかけたほうがいいんじゃないかな」
裕美が言うが、先輩プロデューサーが一歩前に出た。
「ちょっと、待って……それ、見せてもらっていいかな」
比奈はうなづくと、入館証を手渡した。
「これは……」先輩プロデューサーは首をかしげる。「アルバイト証?」
「はぁ、はぁ、はぁっ!」
茜は走り続けていた。
美城プロダクションを飛び出して、大通りを一キロ近く疾走していた。
夕方の大通りは人も多く、ぶつからないように気をつけなければいけなかった。
それでも走り続けた。茜は怖いと思っていた。いま走るのをやめたら、そのまま押しつぶされてしまう。
先輩プロデューサーには自分のことを認めてもらえなかったのかもしれない。
そもそも、自分はユニットのコンセプトに合っていなかったのかもしれない。
もしかすると、自分はアイドルだと思い込んでいただけったのかもしれない。
ずっとずっと、自分の勘違い、思い上がりだったのかもしれない。
恐怖に呑まれて、茜の頭の中をたくさんの考えがぐるぐる巡っていった。
走りながら、茜は驚いていた。思った以上に、疲労を訴えてこない自分自身の身体に。
こんなに長く、早いスピードで走り続けているのに、まだ余裕がある。
たくさんレッスンをして、体力がついたからだ。――アイドルをするために。
体育会系の茜にとって、基礎体力が向上することはうれしいことのはずなのに、今はそれさえも茜の心を黒く塗りつぶそうとするものとして襲い掛かってくる。
「あっ!」
瞬間、雑念にとらわれた茜の足がもつれ、茜はアスファルトの歩道に転んだ。
膝と右の肩を地面にぶつける。通学鞄が転がっていった。
「う、う……!」
茜は痛みを感じながら、身体が傷ついていないか心配した。
活発によく動く茜は、いつもプロデューサーから言われていた。
顔はもちろん、肌が見えるところに傷をつけないように気をつけろと。
目立った傷がついていないことにほっとして、それからすぐに、もうその心配に意味がないかもしれないことを思い出す。
「ううっ……」
茜の視界がにじんだ。
それでも茜は立ち上がる。腕で両目を乱暴にぬぐって、大股で地面を歩いて転がった鞄を拾い、また走り出す。
止まってしまったら、なにかに飲みこまれてしまうと思っていた。
それから茜はさらに走り続け、河川敷までたどり着いていた。プロデューサーと出会い、スカウトを受けた河川敷に。
秋の日は早く、河川敷は夕日を受けてオレンジに染まっていた。
ついに走り続ける体力も尽き、茜はスピードを落とす。
エネルギーを使い果たしたのと一緒に、茜の中の暗い考えもどこかに霧散していた。
とぼとぼと芝生の上を歩きながら、茜は涙をこぼして自分を笑った。
「あはは、逃げて、きて、しまいました」
茜は肩で息をしながら、今度は、どうして逃げてしまったんだろうと不思議に思っていた。
ユニットのみんなと出会ってから数か月は、ドキドキとワクワクの連続だった。
なにもかもがはじめて体験することばかりで、毎日が輝いていた。
数か月のあいだに、みんなはどんどん強く、かっこよく、きれいに、可愛くなっていった。
比奈も、春菜も、裕美も、ほたるも。
……プロデューサーも、最初に会ったときよりも頼れるようになったと思う。
自分はどうだったろうかと、茜は考えた。考えて、涙がこぼれた。
自分には強さが足りなかったから、逃げ出してしまったんだ。
「……もっと、強くならなくちゃいけなかったですね」
茜はお気に入りの真っ赤なポロシャツの胸元をぎゅっと握って、はぁっと熱い息を吐いた。
強くなりたいと思った。
けれど、ほんの少し、そう願うのが遅かった。
プロデューサーにスカウトしてもらって、こんなにアイドルをやりたいと思っているのに、目の前に、その道はもうなくなってしまっている。
どうしてこんなふうに思うようになったのか、茜自身にとっても、不思議だった。
「アイドル、もっと、やりたかったです……」
茜はそう口に出して、ついに歩みを止める。
それから空を見て、大粒の涙をぼろぼろ流した。
「うわあああああああああああああああああん!」
茜の大きな泣き声は、秋の空へと吸い込まれて行った。
第十話『こんな私に誰がした』
・・・END
次回は7月28日、23時から更新したいと思います。
次回が最後の更新となります。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
あたたかいレス、誠にありがとうございました。
あともう少し、お付き合いくださいませ。
乙
ハッピーエンドだって信じてるけどしんどい
最後の投下すごく楽しみに待ってます
パイセンがチャラいなww
ほたるSSRが実装になって五人全員SSRにする夢が出来ました。ありがとう。まだ比奈しかいない。
明日は予告通り23時から更新いたします。
もしお時間に余裕がありましたら、これまでのお話をざっと振り返っていただけるとよりお楽しみいただけると思います。
比奈、春菜、裕美、ほたるの四人はそれぞれ、美城プロダクションから走り去った茜に連絡を試みた。
しかし結局応答はなく、四人は不安を抱えながらその日を終える。
翌日の日中、比奈はプロデューサールームを訪れていた。
先輩プロデューサーは比奈を快く招き入れる。
応接セットのテーブルの上には一枚の書類が置かれていた。
「見てよ、それ」先輩プロデューサーは比奈に書類を示す。「人事に聞いたら見つかったんだ、日野茜さんの書類。アイツ、なぜか茜さんをアルバイトとして登録していたみたいなんだよね。ドラマのエキストラとか、ほんとに単発で終わっちゃうような仕事ならその扱いもわかるんだけど……アルバイトだと美城のデータベースには登録しないから、それでボクは茜さんを見つけることができなかったんだ」
比奈は応接セットのテーブルの上に置かれた書類を見る。茜の登録書類だった。
「アタシは正式に登録されてたんスか?」
比奈の問いに、先輩プロデューサーは頷く。
「たぶん、比奈さんはボクがもともとスカウトする予定だったから、アイツもそのまま正規の所属アイドルとして登録したんだろうね。茜さんのほうはアイツがスカウトしたから、ボクの意向を確認しようとしたのかも。もともと、このユニットはボクが立ててた企画だったからなぁ」
先輩プロデューサーは溜息をつく。
「そのことなんスけど」
比奈は、茜の書類を机に置いて、姿勢を正して真剣な表情で先輩プロデューサーを見つめる。
「今日は、お願いがあって来たっス」
----------
年代物のレジを乗せた年代物の机、年代物の椅子、年代物の酒屋。……実家。
俺は頬杖をついて、店内から外を眺めていた。
幼少の頃から代わり映えしない景色、ただ俺の背が伸びるにつれて視点だけが、あの頃よりも高くなっている。
高くなりきったあとは、視界が少しずつ古くなっていくだけだ。
最寄りの新幹線の駅からさらに在来線、バスと乗り継ぎ、都心の借家から片道およそ七時間。
時の止まったような地元に、俺は帰ってきていた。
しばらく仕事を休むと言って急に帰ってきた俺を、両親は特に疑問を呈するでもなく受け入れてくれた。
仕事を辞めて店を継ぐ話はそのうちするつもりだった。
そのまま、何事もなく二日間が過ぎた。
次の日の昼間、お袋が買い物に行くからと俺に店番を命じ、出かけて約二時間。
こうしてずっと店の中から外をぼーっと眺めていた。親父は近所に将棋を指しに出かけている。
外は殆ど人も車も通らない。犬や猫のほうが多く通り過ぎるくらいだった。
都会とは時間の流れ方がまるで違う。
この景色が嫌になる前に、なにか趣味か副業を見つけたほうがいいな、と俺はぼんやり考えていた。
何もしないでいると、このままこの店と一緒に一気に歳をとりそうだと思った。
スマートフォンを取りだし、真っ暗なままの画面を見て、すぐにまたしまう。
この場所に座ってからもうこの動作を五回ほど繰り返していた。
スマートフォンをチェックするのは手癖になっている。取り出しては電源をオフにしていたことを思い出し、またしまう。ずっとこんな調子だった。
店番をしていても客が来るわけでもない。
この店の主な収入は年末年始をはじめとした祝い事の注文のほかは飲食店のタンクの補充だ。
俺は居間に戻り、朝刊を取ってくる。番組表を眺めた。番組編成は都会とは大きく違う。
ぼんやりと考えていた。茜たちの出演するような番組は見れるだろうか。
関東ローカル局の番組は難しいだろう。ネット配信でやっていればいいのだが。
――と、そこまでを考えて、俺は新聞を畳んで置いた。
プロダクションから物理的な距離は置いた。精神的な距離も置いて、それに慣れたほうがいい。
俺はもうプロデューサーではない。茜たちのことを考えられる立場ではない。……考えてはいけない。
――茜ちゃんも春菜ちゃんも裕美ちゃんもほたるちゃんも、プロデューサーは、置いていっちゃうんスか――
比奈の言葉が頭に蘇る。茜たちを置いて行った。
それは決してネガティブな感情からではないが、置いて行ったことは確かだ。
比奈は俺の思惑をみんなに明かすだろうか。あいつらに、嫌われるだろうか。
……嫌われるだろう。それを覚悟してやったことだ。俺は溜息をついた。
覚悟してやったはずなのに、俺の頭からは五人の顔が消えない。
……仕方がない。これでよかったんだ。
何度頭の中で繰り返したかわからない言葉を、もう一度自分に言い聞かせた。
「はー、つかれた」
店先から声が聞こえて、机に突っ伏していた俺は体を起こして姿勢を正す。お袋だった。
客ではないとわかり、俺は姿勢を崩し、頬杖をつく。
「ただいまー」
お袋は買い物袋――花柄のエコバッグを店先のボックスの中に降ろす。
お袋は財布以外は持たずに出て行ったと思ったが、あんなバッグ持っていただろうか、と俺はぼんやり考えていた。
「なーに、辛気臭い顔して。せっかく休んだんだからもう少し明るい顔しなさいよ」
お袋は俺のほうへと歩いてくる。
「……たまに帰った実家でくらい気を抜いてたっていいだろ、ほっといてくれよ」
俺は言ったが、お袋は俺の顔を覗き込む。
「あんた、なんか悩みでもあるんじゃないの?」
「……ほっといてくれ」
同じ言葉を繰り返して、否定はしていなかった自分に気づく。
「隠したって判るのよ? あんたの母親なんだから。それでね? いいものがあるのよ。さっき駅前で、買い物袋がやぶけちゃってねー、困ってたところを通りすがった人に助けてもらったの。そのとき、一緒にこんなのもらったのよ」
「……は……?」
お袋が目のまえに差し出してきたものを見て、俺は間抜けな声を漏らした。
自分の顔が頬杖から零れかける。
「は……はは……」
俺の口から笑いが漏れた。
まさか、こんなことがあるなんて、いったい誰が想像するだろうか?
「ほらこれ、悩みを解決してくれるお人形なんですって」
お袋は得意げに言う。
俺の目のまえに差し出されたものは、曇ったような銀色の先割れスプーン。
スプーンの先と柄の間の部分に、てるてる坊主のように端のほつれたハンカチが巻かれ、ハンカチが外れないよう、細い紐で縛って固定してある。
「名前も聞いたんだけど……なんていったかしら……そう、タイの……ワラ人形?」
「……さいきっく・わらしべ人形……」
俺の声は震えた。
「そう、たしかそんな名前ね!」お袋は空いている方の手のひらで腰を打つ。「あんた知ってるの? 都会で流行ってるのかしら。困ってる人の悩みが解決したら、つぎの誰かに渡すんですって。あたしの悩みは解決したから、それ、あんたにあげるわ」
差し出された人形を、俺は受け取る。
手が震えた。
間違いなかった。
スプーンの先に油性ペンで書かれた顔はほとんど剥げ落ち、結んでいた紐は別のものに代わっている。
だけれどそれは間違いなく、あの日、ショッピングモールで茜と堀裕子、それと迷子の子供が一緒に念を送り、迷子の子供の手に渡った、裕子のスプーンで作られた人形だった。
「ははははは……」
俺は人形を握り締めて、もう片方の手で腹を抱えて笑い続けた。
ここまでくれば、誰も追いかけて来れないだろうと思っていた。
距離を離せば、嫌でも縁は切れてしまうだろうと。
それがどうだ。縁は切れないどころか、こんなところまで追いかけてきた。
時に信じられないような奇跡だって起こしてみせる。それが、アイドル。
「はー……」ひとしきり笑い終えて、俺は立ち上がる。「ありがとう、お袋」
ありがとう、茜。裕子。迷子の子ども。そして人形をここまで継ぎ続けた、心優しき人達。
「俺さ、帰るわ」
「……え、今からかい?」
お袋は目を丸くする。俺は頷いた。
「ああ、親父によろしく」俺は居間に戻り、自分の荷物が入ったリュックサックのジッパーを開くと、乱暴に放り込んでいたスーツを引っ張り出す。「大事な仕事が、あるんだ」
「……そう」お袋は、俺の背に穏やかに声をかける。「がんばんなさいよ」
しわくちゃのスーツを着て、さいきっく・わらしべ人形を片手に握りしめたまま、俺は実家からバス停に向かって走りだす。
新幹線の終発には間に合わないだろうが、今からならターミナル駅までは行けるはずだ。今夜はそこで一泊して、翌朝の新幹線で戻ればいい。
春菜の言葉を思い出す。
――がんばります。眼鏡に恥じないために。いつか、眼鏡のフレームとレンズの向こうに、ファンのみなさんでいっぱいの、きらきらした、私の……私だけの景色を見ることができるように――
俺は強く地面を蹴った。春菜だけの景色を、見せてやらなきゃいけない。
比奈の言葉を思い出す。
――ま、そんなに心配はしてないんスけどね。プロデューサーはたぶん、そこまで無責任にも悪人にもなれないヒトっスから――
俺は腕を振った。比奈には、最初からすべて見抜かれていた。
裕美の言葉を思い出す。
――私が私に自信を持てないだけだったんだ。いまは、ぜんぜん違って見える。前を向くだけで、こんなに世界って、きらきらして見えるようになるんだね――
俺はもっとスピードが出るように、上体をもっと前へと傾ける。
俺の世界は、裕美たちのおかげで輝いて見えるようになったんだ。
ほたるの言葉を思い出す。
――いつかきっと、この幸せをみんなにも届けられるように、頑張ります。お返ししなくちゃ……勇気、幸せ、想い出、たくさん、大切なものをもらったから――
俺は走る。
俺も、たくさん大切なものをもらっている。ほたるの出した勇気に足るものを、俺はまだ返しきれてない。
茜の言葉を思い出す。
――ライブ! すごく熱くて! すごく楽しかったです! ぜんぶ、私をスカウトしてくれたプロデューサーのおかげです、ありがとうございました!――
俺は走り続ける。
まだここからだ。もっと、もっと熱くなってもらう。もっと高いところへ行ってもらう。
世界が全部繋がっているように思えた。
早く帰ろう。
俺は、あいつらのプロデューサーなんだから。
翌日午前。俺はプロデューサールームの扉を勢いよく開けた。
朝早くだというのに、プロデューサールームには先輩と、比奈、春菜、裕美、ほたるが揃っている。
茜だけがその場に居なかった。
「おはようございます! 不在にしてすみませんでした!」
俺が挨拶をすると、全員が目を丸くした。
「プロデューサー!? どうしたんですか!?」
「すまない、いろいろ説明しなきゃいけないのはわかってる。……けど、ちょっと待ってくれ」
駆け寄ってきた春菜を、俺は片手を出して制した。
先に、一番大事なことの筋を通しておきたかった。
「先輩!」俺は先輩プロデューサーの前に立つ。「すいませんでした!」
「あー、いいからさ、顔あげて」
先輩は頭を下げた俺に軽い口調で言った。
「比奈さんから大体の事情はきいたよ。親御さんの容態は、心配しなくていいんだよね?」
「はい」
「そっか、良かった」
先輩は穏やかに微笑む。
このやりとりを聞いている春菜、裕美、ほたるが顔に疑問を浮かべていないところを見ると、俺が親の介護と言って実家に帰ったのは先輩にユニットのプロデュースを引き継いでもらうための嘘だということを、比奈からすでに知らされているのだろう。
「先輩」
俺は先輩の目を見つめる。先輩は射貫くような目で俺を見つめ返した。
俺の心の底がひるんだ。だけど、もう小細工はしない。
しないと決めた。
「このユニットのプロデューサー……俺に、最後まで続けさせてください。もともと先輩が企画したユニットだし、先輩みたいにはできないかもしれない、けど……俺は、こいつらのプロデューサーをやりたい。絶対、こいつらを最高のユニットにします!」
俺は一礼して、ふたたび先輩を見据える。
先輩はしばらくのあいだ、俺のことを見定めるかのように、真剣な眼で見ていた。
それから、ふっと表情を崩して、俺のほうへ近づく。
すれちがうようにして、先輩は右手で俺の右肩をぽんと叩いた。
「あたりまえだろ? ボクは病気で抜けた身なんだから、そもそもボクがどうこう言える立場じゃない。お前がここまで育てたユニットだよ。最後まで面倒を見るんだ」
「はい!」
「残してくれてた記録や資料を読んだ。それから比奈さんたちユニットメンバーからもきいたよ。立派な仕事っぷりだ。ほんとによくやってくれていたと思う。ボクの企画したユニット、プロデュースは、お前に任せる。よろしく頼んだよ。……『プロデューサー』」
「はいっ!」
二度目の返事は、声が上ずった。
「ま、ちょうどそのお願いを、ユニットのみんなからも聞いてたところなんだけどねー」
先輩は比奈たちを見渡す。
比奈は少し恥ずかしそうに笑い、春菜、裕美、ほたるはほっとしたような顔をしていた。
「彼女たちに言われたんだ。ユニットのプロデュースは、引き続きいままでのプロデューサーにやってもらいたいってね。そのとき、お前がボクにプロデュースを引き継がせて辞めるつもりだっていう話も、比奈さんから聞いたんだ」
「みんな……」俺は比奈たちのほうに向きなおる。「心配かけてすまなかった」
「おかえりなさい」
ほたるが目じりに涙を光らせて言う。
「心配したんだからね。でも帰ってきてくれてよかった」
裕美が微笑んだ。
「アタシの目に狂いはなかったってことにしとくっスよ」
比奈がやれやれといった顔で言った。
「生みの親より育ての親。これだけユニットのメンバーに慕われてるんじゃ、ボクの出る幕なんて最初っからなかったって感じだよね」
先輩は悪戯っぽい目と口調で言った。
「そうすると、あとは……」春菜は言いながら比奈と目を合わせて、頷き合う。「茜ちゃんのこと、ですよね」
「茜? ……なにかあったのか?」
俺が尋ねると、その場にいた全員が真剣な表情になった。
先輩が手を挙げて、話し始める。
「発端はボクだね。ボクがユニットのプロデュースを引き継ぐにあたって、最初にメンバーのみんなに連絡をしたときに、茜さんへの連絡が漏れていたんだ。記録を見て、ユニットに茜さんが加わっていたことを知って連絡先を探したけど、茜さんは美城のデータベースに登録されていなくて、見つけることができなかった。あとから、アルバイトとして登録されてたから、データベースでは検索できないことがわかったんだけどね。そもそも、なんでアルバイトで登録したの?」
「あ、そうか……」
俺は茜をアルバイトで登録していたことを思い出す。
あのときは、先輩が帰ってきたときに正式登録するかどうか決めればいいと思っていた。
先輩の復帰が遅くなったことで、すっかり頭から抜け落ちてしまっていた。
先輩は続ける。
「結局顔合わせの日まで茜さんには連絡をすることができなかったんだ。それでもユニットメンバーが顔合わせの日程を伝えてくれたみたいだから、そのときに挨拶をすればいいと思っていたんだけど……この部屋で茜さんがデータベースに登録されていない、という話をしているところを、部屋の外にいた茜さんに聞かれてしまったみたいでさ。それで、茜さんは自分がユニットから外されたと誤解して、居なくなってしまったみたいなんだよね」
「居なく……? 連絡はとれていないんですか?」
俺が言うと、比奈たちユニットメンバーはみんな首を横に振った。
「茜ちゃんのアルバイト証がこの部屋の前の廊下に落ちてたっス。それからみんなで連絡を取ろうとしたんスけど、ケータイの電源も切っちゃってるらしくて、どうしたものか……」
「……なるほどな」
俺は後ろ頭を掻いた。
「プロデューサー、どうしましょう」
春菜に聞かれて、俺はしばらく考え、頷く。
「戻って早々で悪いが、ちょっと出かけてくる」
「へっ?」比奈が間の抜けた声をあげた。「どこ行くんすか?」
「決まってるだろ、茜を探してくる」
「茜ちゃんを……って、ちょっと、プロデューサー!?」
俺は戸惑う表情の先輩と四人を尻目に、プロデューサールームを後にした。
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プロダクションを出た俺は、さっそく茜の電話番号に発信してみた。応答はない。
二度目のコールも留守電への接続になってしまい、俺は電話での接触を諦める。
プロダクションの前で暫く考えたあと、俺は街中を河川敷へと向かうことにした。
茜が河川敷に来る、ということに、確信があったわけではなかった。
しかし、茜は家に閉じこもって冷静に考えるようなタイプではない。
それなら、きっと普段の生活で使う場所を探すのがいい。
今日は休日だから、学校に行くとは思えない。
それなら走り込みのコースになっている、あの河川敷で待つのがいいだろう。
俺が走った河川敷へ向かう道は、まだ未熟だった数か月前の俺が辿った道だった。
急にプロデューサーをやることになって、やる気なく形だけのスカウトを行っていたあの頃の。
もしも――もしも、あのとき茜に出会わなかったら、きっと今も俺は、あの頃のまま、適当に仕事をしていただろう。
それはそれで楽な人生なんだろうが、もうその頃に戻りたいという気はしなかった。
プロデュースすることの愉しみを、知ってしまったから。
河川敷に到着した俺は、記憶をたどり、以前にも通った芝生をのぼって土手の上の遊歩道に立つ。
午前の涼しい時間。散歩する人々や、自転車に乗る子ども、眼下に見えるグラウンドではサッカーの試合が行われている。
俺の不安な心中とは裏腹に、さわやかな光景だった。
俺は遊歩道の遠くを見て――俺の心臓が大きくひとつ鳴った。
土手の向こうから、近づいてくる人物。真っ赤なポロシャツを着ている。
ツイている。これも、いまも胸元のポケットに入っているさいきっく・わらしべ人形のご利益だろうか?
堀裕子。ひょっとすると、本物のエスパーなのかもしれない。
走ってくる赤いポロシャツの少女――茜は、俺の姿を認めると、そこで急激にスピードを落とし、クールダウンのためか、ゆっくりと歩いてこちらに近づいてきた。
「茜!」
俺は茜に向かって手を振る。
しかし、茜は俺から十五メートルほどの距離をあけて、止まった。
「茜……?」
俺の姿を見て、茜は辛そうに笑って、目を細める。
「プロデューサー……かえって、きてくれたんですね」
「ああ!」俺は茜の表情と開いた距離を疑問に思いながらも声をかける。「茜、みんな心配してるぞ、美城プロダクションに戻ってこい!」
俺の呼びかけに、茜はぎゅっと目をつぶって、両手を降ろしたまま握り締めて、首を横に振った。
俺は茜のほうに一歩、歩み寄る。
「……茜? どうしたんだ、ユニットのことなら」
「来ないでください!」
遮るように茜に言われて、俺は立ちどまった。
茜は両手で顔を覆って、また首を横に振る。
「私、行けないです! ……行けません!」
茜は悲痛な声をあげた。泣いているみたいだった。
俺はその場に立ちすくんだ。
俺と茜のあいだの十五メートルが、やけに遠く感じられた。
ジョギング中の若い男性が、怪訝そうな顔をして俺たちの横を走り抜けていく。
「茜」穏やかな声になるよう努めて、俺は言う。「茜はユニットから外れたりはしない。茜が美城のデータベースに登録されていないのは、俺の連絡ミスだったんだよ。だから、茜が気にする事じゃない。正式な登録のし直しをする。だから、みんなのところに戻ろう」
茜は黙って俺の話を聞き、やがてゆっくりと顔を覆っていた両手を降ろした。
茜は涙でくしゃくしゃになった顔で、しかしやはり首を横に振る。
「違うんです、プロデューサー。私、逃げちゃったんです。みんな私のことも心配してくれてたのに、私が弱くて、みんなのことを信じきれなくて、それでみんなの前から逃げちゃったんですよ」
茜は力なく微笑む。右の頬を、涙が流れていった。
「怖かったんです。私は……私には、元気なことくらいしかとりえがありません。だから、私がアイドルじゃなくなったって聞いたとき、私、みんなといっしょに居る資格がなくなっちゃったって思っちゃったんです。みんな、強くて、かっこよくて、きれいで、キラキラしてて……私は、アイドルじゃなくなったら、みんなと並んで立てないんじゃないかって。それで、怖くて」
「そんなことは……」
「そんなこと、皆は気にしたりしないって、私もわかってます。でも、元気が取り柄で、何でも素直に信じて、バカ正直に突っ走る私が、私がみんなのことを信じられなくて、それで怖がって逃げちゃうなんて、そんなこと絶対にしちゃいけなかったんです! アイドルじゃなくなって、元気もまっすぐさもなくなっちゃったら……私には……みんなに合わせる顔がないんです……」
茜の声の最後のほうは、ほとんど掻き消えるように弱々しくなった。
俺は立ち尽くして、茜を見つめた。
ようやく、事態を理解できた。茜はユニットから外されたことをショックに思っているのではない。
自分と戦っているんだ。
アイドルであることが危ぶまれたときに自分がしてしまった行動と、これまで保ってきた自分とのギャップに苦しんでいる。
アイドルという称号も、仲間も『日野茜』が獲てきたものだ。
しかし『日野茜』が『日野茜』でなくなってしまったら、そもそもの前提が崩れる。
どんなアイドルでも、いやアイドルでなくても、誰にでも起こりうる、自分自身と向き合う、嫌でも向き合わされる機会。
これはピンチでもあり、チャンスでもある。もし乗り越えれば、茜はさらに大きく、強い輝きを持てるだろう。
でももし、くじけてしまったら、自分が自分であることをやめてしまったら、そこで途絶えてしまう。
俺の幼なじみが、そうなってしまったように。
俺は目を細めた。こんなとき先輩ならどうするか――と、一瞬考えて、俺はすぐにその考えを頭の外に追い出した。
俺は俺のやり方で、茜をサポートする。もう、なにもしないで、大切な人が喪われるのは嫌だ。
俺はひとつ深呼吸をして、背中に土手の下り坂を背負うかたちで、遊歩道の端に立つ。
「茜」
俺が声をかけると、茜がこちらを見た。
「俺にタックルしてこい」
「……えっ?」脈絡のないことを言われて、茜は困惑した表情になる。「で、でも」
「ここがどこだか、覚えてるか?」
俺は茜に微笑みかける。
茜はあたりを見回して――泣きそうな顔で頷いた。
そう、ここは俺が初めて茜と出会い、そして茜をスカウトした場所。
アイドルとしての茜が始まった場所だ。
そして、プロデューサーとしての俺が始まった場所でもある。
「あの時のことを、思い出したいんだ」
「で、でも! 危ないですよ!」
「大丈夫、受け身はちゃんと取る」
「……」
茜は迷ったような顔をする。俺はもう一押しすることにした。
「頼むよ」
「……わかりました」
「全力で来いよ」
「はーッ、はーッ、はーーーーー……」
茜は深く、深く息をつく。俺は直立して茜を待った。
茜は目を閉じ、祈るように天を仰ぐ。そして――
「……ボンバーーーーッ!」
茜は空に向かって叫ぶ。
この声だ。鼓膜を破られそうなほど、強くて大きくて元気な声。
あのときより、さらに声量が大きくなったんじゃないだろうか。
レッスンの成果だと、俺はうれしくなった。
直後、茜は俺とのあいだ、約十五メートルの距離を疾走し、その全体重をかけて俺にタックルした。
衝撃。
小柄で体重の軽い茜とはいえ、人一人が全力でぶつかってくれば、衝撃は相当なものだ。
重心を落として身構えることすらしていなかった俺は、そのまま斜め後ろ方向へとバランスを崩す。
俺は土手をごろごろと転げ落ちた。視界の上下左右が激しく入れ替わって、地面に身体のいろんなところをぶつける。
もちろん、頭は両腕でガードしている。二度目なら慣れたものだ。
転がっているあいだ、たくさんの想い出がフラッシュバックする。
茜との出会い、比奈との出会い、春菜、裕美、ほたるとのたくさんの想い出。
どれも、愛おしいものばかりだ。
土手の下で体はとまり、俺は河川敷の芝生に両手を投げ出して、大の字に寝転がった。
「プロデューサー! 大丈夫でしたか!?」
声のする方を仰ぎ見る。あの日は夕日で逆光だった。今は昼前、太陽が反対側の位置だ。茜の顔がよく見える。
「はー……ああ、大丈夫だ。ケガもしてない」
「スーツ、汚れませんでしたか!」
茜は土手を降りて、俺のところまで走ってくると、膝をついて、寝転がる俺の顔を覗き込んだ。
「ああ、濡れてもいない。それに、どうせこの前適当にスーツケースにしまってシワだらけだし、そろそろ――」
そこまで言うと、茜ははっとした顔をした。
「……クリーニングに出そうと思っていた、ですか?」
「ああ、その通りだ。……ははっ」
俺は笑う。それでようやく、茜も微笑んだ。
「懐かしいですね」
「俺もそう思う。でも、たった数か月前のことなんだよ。すごくいろんなことがあったな。茜がアイドルになって、皆でいろんな仕事して……濃かったよな、この数か月」
「はい」
「……楽しかった」
「……はい」
茜は穏やかに肯定する。
「……茜たちに、言ってなかったことがあるんだ」俺は茜を見た。茜は不思議そうにしている。「俺、茜たちのプロデューサーやるって言っといて、ずっと自分から逃げてたんだよ。幼なじみとの小さいころの約束が果たせなくてさ。幼なじみとはもう会えなくなって、それがトラウマになった。ずっと適当に、自分から逃げたまま生きてた。お前たちのプロデュースも、最後に先輩に任せて逃げようとしてたんだ。怖かったんだよな、昔に俺自身がした喪失を繰り返すのが」
「そんな、プロデューサーは私たちをすごくサポートしてくれています!」
「そう思うか? でも実際は、実家に逃げ帰って、結果、茜にも辛い思いさせてさ。茜はみんなに合わせる顔がないって言ってたけど、俺のほうがずっとダメだったんだよ。みんなに本当の顔を見せずに仕事してたんだからな。でも……実家に引きこもってたら、こいつに、再会した」
俺は胸のポケットから、さいきっく・わらしべ人形を取り出す。茜があっと驚きの声をあげた。
「これ、ユッコちゃんの!」
「信じられないよな。お袋がもらってきた。そのとき思ったんだよ。最後までお前たちのプロデュースをしたいって。実家に帰って、こんな奇跡に出会うまでそんな自分の気持ちにすら向き合えなかったんだからな。笑えるよ、自分の弱さに」
俺は茜にさいきっく・わらしべ人形を握らせる。
「俺もみんなにも、茜にも合わせる顔はないけど、頑張るよ。失敗した分はこれから取り返す。茜はどうだ、アイドル、続けたいか?」
「私……」
茜はさいきっく・わらしべ人形を握り締めて、涙を流した。
熱い雫が俺の顔にかかる。
茜はふうう、と震えた熱い息を吐いて、それから目を見開く。
「私、アイドル、やりたいです! みんなといっしょに! 沢山迷惑をかけてしまいました! でも、やっぱりみんなと一緒にやりたいんです、こんどこそ、元気な私で、最後まで!」
俺は目を閉じて、茜の言葉を心に刻んだ。
「ああ。それで十分だと思う」俺は体を起こして、茜の前に立つ。「みんなに申し訳ないと思った分は、二人ともこれから挽回しようぜ。辞めるのはいつでもできる。でも、辞めてしまったら、取り戻したいものも二度と取り戻せないんだ」
言って、俺はポケットから名刺入れを取り出し、茜に名刺を差し出す。
「日野茜さん。貴女を、スカウトします。アイドル、やりましょう」
俺が差し出した名刺を、茜は目に涙を溜めて、けれども、晴れやかな笑顔で受け取った。
「はいっ!」
河川敷に、茜の大きな声が響いた。
第十一話『君といた未来のために』
・・・END
「一体何がどーなったら、そんなボロボロになれるんスか」
茜を連れてプロデューサールームに戻った俺を見て、比奈が呆れたような声で言った。
たしかに、もともとしわくちゃだったスーツで土手を転がったものだから、枯草がまとわりついて、俺は事故にでもあったかのような悲惨な姿になっている。
「でも、茜ちゃんが帰ってきてくれて、よかったです!」
春菜が嬉しそうに言うと、裕美、ほたるも大きく頷いた。
「へへへ……ご迷惑とご心配をおかけしました」
茜は恥ずかしそうに頭を掻くと、丁寧に礼をした。
裕美とほたるが駆け寄り、茜に抱き着く。
「ま、一件落着、かな? あとは新曲のリリースだね。みんな、頑張って。応援してるよ」
先輩が穏やかな顔で微笑んだ。
「はいっ!」
俺たち六人は、そろって大きな声で返事をする。
----------
翌週のための準備を終えた俺は、美城プロダクションのエントランスから外に出た。
夕日がまぶしく差し込んできて、目を細める。
――と、プロダクションの前に、なにやら迷っているような表情の女性を見つけた。
細身にショートヘアで、年のころは比奈よりすこし上だろうか。
「美城プロダクションになにかご用事ですか?」
俺は女性に話しかける。
「あ、えっと……用事っていうか、ちょっと悩んでいることがあって」
「プロダクションにご用事なら、中に受付がありますが……」
「えっと、その……」
そのまま、女性は口ごもって、視線を落とした。
俺は困った。事情が見えないが、見ず知らずの人物にこのまま付き合い続けることもできない。
どうしたものか――そのとき、俺の頭にひらめきが浮かんだ。
「なにか、お悩みですかね。もしお悩みのようなら、いいものがあります」
俺はポケットからさいきっく・わらしべ人形を取り出す。手渡すと、女性は目を丸くした。
「……なんですか、これ?」
「悩みを解決してくれるという人形です。俺の悩みは解決してもらいましたから、あなたにお渡しします。もしあなたの悩みが解決したら、また次の誰かに渡してあげてください。では、申し訳ないですが、これで」
「あ、はい、あの、ありがとうございます」
女性の返事を聞いて、俺はその場を後にする。
女性は不思議そうに、さいきっく・わらしべ人形を見つめていた。
願わくば、彼女の悩みが解決されますように。
ここまで長い間お付き合いいただき、誠にありがとうございました。
次が最終話です。23:35から投稿いたします。
――上条春菜さんは、どういう経緯で今回のユニットに参加することになったんですか?
「私は、新しいユニットをやるから、と呼ばれて参加することになりました! プロダクションの偉い人のお眼鏡に叶ったってところでしょうか!」
言いながら、春菜は得意顔で眼鏡のテンプルをつまんでみせる。
「今回のユニットは、初めてアイドルとして活動する人もいて、活動期間も長めに取られていましたし、最初はいろんな不安があったんですけど、今はとっても楽しく活動しています! 一緒に活動したみんなもどんどん素敵になっていって、私自身もなんだか、すごく成長できたって実感していて、その……」春菜は少し恥ずかしそうにする。「とっても、いい仲間になれたって、思っています!」
――荒木比奈さんは、このユニットがアイドルとしてのデビューとなるそうですね。
「そうっス。周りはみんなアタシより年下っスけど、アイドルとしてはみんな先輩っスから、最初は肩身が狭いっていうんでしょうか、はやくしっかりしなくちゃって思ってたんスけど……すぐに、気にならなくなったっス。ってああ、もちろんテキトーにやるとかそういうことじゃないっスよ? 気負わず頑張ればいいって思えるようになったってことっス」
比奈はゆるく微笑む。その表情に緊張は感じられない。
――どうして、アイドルをやることになったんですか?
「えーと……この業界に興味はなかったんスけど、友達が勝手に応募したのがきっかけっス。えへへ、虚実入り混じってるっスけど、これ言ってみたかったんっスよね。そーいうことにしといてくださいっス。え、ダメ? あはは……引きこもってたところを、スカウトしてもらったッス。日向に出てきたからには頑張るっスよ」
――白菊ほたるさんは、この活動でなにか、得られたものはありましたか?
「得られたもの……ほんとうに、数え切れないくらいたくさん、大切なものをいただきました」
ほたるは胸元でぎゅっと拳を握る。
「これまでアイドルとして活動していて、いろんな大変なこと、辛いことがありました。けれど、手を差し伸べてくれる人達が、仲間たちがいて……きっと、これまでの辛いことはぜんぶ、これからのために必要なことだったんだって思えるようになったんです。辛いことが十あっても、幸せなことを百、ううん、もっともっと、私を支えて下さっているファンのみなさんに差し上げられたらいいなって、いまは思っています」
――あっ!? ……すいません、機材のトラブルが発生していて、撮れてなかったみたいです……
「ああ、やっぱり……すいません、こちらこそ……でも、大丈夫です。もう一度、お願いします」
そう言って、ほたるは微笑んだ。
――関裕美さんは、最初、このユニットに参加することになったとき、どう感じましたか?
「最初は、不安だった……知らない人と関わるのも苦手だし、人前に出ないお仕事のほうがやりたいって思っていたから。きっと、スタッフさんやメンバーのみんなにも、幻滅されちゃうだろうって、思ってた」
裕美は昔を懐かしむみたいに、空中を見つめていた。
「今は、あの時はどうしてあんなに不安に思ってたんだろうって、不思議に思ってるの。ううん、いまでも不安に思うことはたくさんあるけど……ええと、不安でも、大丈夫って思えるようになったのかな。不安なことは悪いことじゃなくて、できるようになる一歩前なんだって。それに、支えてくれる人達もいっぱいいるし、頑張れる……頑張らなきゃ、頑張りたいって思えるようになった、かな」
裕美ははにかむ。
「このユニットをやれてよかったって思ってる。だから、応援してくれる皆にもその気持ちが届くといいな」
――日野茜さんは、
「はいっ!」
――おおっと、すごく元気ですね。日野茜さんもこのユニットがアイドルとしてのデビューになるそうですね。なにがデビューのきっかけだったんですか?
「私も、スカウトしていただきました! 最初に声をかけてもらったときは驚いて、逃げ出してしまいました。家に帰って、落ち着いて考えたら、ちょっとやってみたいなって思って、それで参加してみることにしたんです! それからは毎日が楽しくって、きらきらしていて! レッスンも、お仕事も、ぜんぶ初めてのことばっかりで、とっても充実していました!」
――ユニットのみなさんとはどうですか?
「とっても素敵な仲間に巡りあえました! 本当に感謝しています!」
茜は姿勢を正し、凛とした表情で答えた。それから表情を崩す。
「ユニットのみんなも、それからプロダクションのみんなも、本当に友達がたくさん増えて、毎日が楽しいんです! そんな私の、私たちの楽しい、嬉しいっていう気持ちを、みなさんに届けられたらいいなと思っています! 新曲、応援、よろしくおねがいします!」
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「はあーっ、緊張しました!」
茜はスタジオから出ると、ほっと胸をなでおろす。先に撮影を終えた比奈たちが茜をねぎらった。
「よし、ばたばたしてすまないが、次はストアイベントだ、表のマイクロバスに乗ってくれ」
俺は時計を見ながら五人に指示をする。
今日はついに、五人のユニットの曲が発売される日だった。
収録は概ね順調に終わり、事前の告知でも反応は上々。
先輩のアシスタントをしていた時期の経験からすれば、準備しただけの成果が出ている、といったところだろう。
今日は複数の店舗でサイン会、そのうち一つではインストアライブ。ライブはネット配信も行われる。
今は配信のための映像素材としてメンバーのコメントを収録していたところだった。
「それじゃ、ありがとうございました、あとはよろしくおねがいします!」
残っているスタッフに挨拶をして、俺もスタジオを飛び出す。
「みんな忘れ物ないな? よし、すんません、出発してください」
俺はマイクロバスの助手席に乗り込むと、ドライバーに言いながら扉を閉めた。
マイクロバスが走り出す。
「いやー、忙しすぎてこれからライブって実感がないっスね……本番、大丈夫でしょーか」
「サマーフェスのときみたいに大きな会場というわけじゃないですから、お客さんとの距離も近いですし」
「近いほうが逆に緊張しそうっス……」
春菜と比奈が談笑している。
その後ろの席では茜とほたるが真剣な眼で歌詞カードを見つめていて、さらに隣の席では裕美が刷り上がったCDを手に取り、感慨深そうな目で見つめていた。
「はい、今日はこちらの五人に来ていただいています、美城プロダクションの新しいアイドルユニットの皆さんです! 本日ユニットソングがリリースということで、記念すべきレコ発、インストアライブ! ということになりましたー! 聴いたところによると、本当に今日までユニット名も秘密だったんですって?」
インストアライブ会場。司会の女性にマイクを向けられ、春菜が困ったように笑う。
「あはは、ええと、ちょっと成り行きみたいな感じなんですけど、私たちのユニット名、なかなか決まらなくて……ギリギリでようやく、メンバーのみんなでこれしかないねって言って決まったんですけど、いろんなところで未定って言っちゃったから、もうこうなったら発売日まで秘密にしておこう! ってことになったんです」
「なるほど! それなら、せっかくですからユニット名も、私からお伝えするより、みなさんから発表していただいたほうがいいですよね! それでは、さっそく曲からいっちゃいましょうか! 歌っていただきましょう! お願いします!」
「はい!」
五人はそろって椅子から立ち上がり、ステージに立つ。
茜がマイクを握る。
「ユニットが結成されてから、色んなことがありました! 楽しいこと、大変だったこと、ぜんぶ、この五人で分かち合ってきました! この五人だからできたこと、乗り越えられたこと、たくさん、たくさんあります! 私たちの曲を、どうぞ、聴いてください! 私たちは!」
茜は、大きく息を吸い込む。
―――――――――――――――――――
最終話『FIVE』
―――――――――――――――――――
「お客さん、みんな楽しそうにしてくれてたね」
移動するマイクロバスの中、裕美は嬉しそうに微笑んだ。
「本当に。でも、緊張しました……無事に終わって、良かったです」
ほたるがほっと息をつき、ペットボトルの水を口にする。
「ここからはサイン会だ。次の会場でイベント開始前に軽食が取れるから、腹が減ってるだろうがもう少し辛抱してくれ」
俺が言うと、はーい、と五人の返事が返ってくる。
「茜ちゃんのMC、ハキハキしててすごくよかったっスよ」
「そうですか? ありがとうございます」
比奈が褒めると、茜は恥ずかしそうに頭を掻いた。
「でも、なんだか……『五人』って言うのがちょっと変な感じでした。ずっと、プロデューサーさんも……プロデューサーさんだけじゃなくて、今日のドライバーさんもそうですし、トレーナーさん、スタッフさん、プロダクションのアイドルの皆……いろんな人たちに支えられてきましたから、五人って言ったけど、もっとたくさんだなって」
「私もデビューしたての時に、同じことを思いました」春菜が会話に入る。「ふだん私たちが観ていたアイドルの姿は、ほんとうにたくさんの人の手で支えられてるんだって」
比奈が大きく頷く。
「漫画も、原作と作画で分かれたりしますし、仮に一人で両方やってても、本にしてくれる印刷所さんや、読んでくれる人が居ないと成り立たないっス。アタシたちアイドルも、アタシたちだけじゃなくてプロデューサー、スタッフさん、ファンの皆さん、みんなで物語を作ってるんスね」
「そう思ってくれてるだけで十分だ。裏方は裏方で、見えてなくたってプライドもってやってるからな」
助手席に座った俺は、前を見たまま言って、それから一瞬だけ、となりのドライバーに目を向け――目が合った。
お互いに笑って頷き合い、また前を向く。
晴れた空が眩しかった。
シートに体重を預け、俺もペットボトルの水で喉を潤す。
ここまで、とにかくすべてが激動だった。
それでもなんとか、五人をCDデビューまで連れてくることができた。
肩の荷が下りた、とはさすがにまだ言えないが、ここまでこれたことに、充実感を感じるくらいは許されてもいいだろう。
比奈の言ったように、アイドルは一人ではできない。
同時に、プロデューサーも、一人ではできなかった。
茜も、比奈も、春菜も、裕美も、ほたるも、そして俺も。
たくさんの人々に支えられて、いまここに立っている。
自然と、俺は感謝していた。
先輩プロデューサーに。茜たち、ユニットの五人に。両親に。これまで関わってきたすべての人に、感謝したかった。
ゆっくり恩返しをしていこう。そう考えながら、俺はペットボトルをドリンクホルダーに戻す。
「よーっし! 次のお仕事もがんばりましょう!」
「おおーっ!」
茜が大きな声で言うと、比奈、春菜、裕美、ほたるがときの声をあげる。
マイクロバスは、次の目的地に向けて走っていった。
五人の活躍は、続いていく。
----------
季節はめぐり、冬がやってきた。
年末のウィンターフェスで、五人のユニットとしての活動はピリオドを迎える。
ウィンターフェスの舞台袖で出番を待つ五人の顔には、それぞれにさわやかな充足感が見て取れた。
俺はそれを少し離れたところから眺める。
茜と比奈は、新曲リリースから今日まででいくつものステージを経験し、もう新人アイドルだった夏の頃のような緊張は見られない。
春菜、裕美、ほたるも、夏に比べて一段と魅力を増している。
その頼もしい姿を見ながら、ふと、俺は自分の心に寂しさのようなものが去来していることを自覚する。
「……どうしたんですか?」
声をかけられてとなりを見ると、千川ちひろさんが俺の顔を覗き込んで不思議そうにしていた。
「なんだか、昔を懐かしむような、そんな顔をしていましたよ?」
そう言って、ちひろさんは笑う。
きっと、俺の思っていたことを判っているのだろう。
「このユニットの活動も、これで終わりと思うと……少し、寂しいですね」
「プロデューサーとしては初仕事でしたものね。親心みたいなものでしょうか? ……お疲れ様でした、プロデューサーさん」
「ありがとうございます」
「よくやってくれたよ、おつかれさま」壮年の社員がこちらに近づいてくる。「けれど、これからだ。これからも、彼女たちの道は続いていく。彼女たちの物語は終わりじゃない。けれど、プロデューサーの作った道があるからこそ、彼女たちは走り続けられるんだ。ここまで、ありがとう」
「はい」
俺は舞台袖の五人を見る。もうすぐ前の曲が終わり、五人の出番だ。
「さあ、送りだしてやってくれよ」
壮年社員に促され、俺は五人のところへ歩いていく。
「プロデューサー!」
茜がぱっと顔を輝かせた。
「ついにここまで来たな。俺からはもう何も言うことはない」そう言いながら、俺は心の内で五人に向けてありがとうを唱える。「全力で楽しんでこい」
俺が言うと、茜は右手を前に出し、そこに五人が手のひらを重ねる。
「全身全霊、全力でやりましょう! ファイヤー!」
「さすがにもう、リア充じゃないなんていえないっスね。やりきりましょー」
「今日の眼鏡は特別です! いつも特別ですけど、特別中の特別なんですよ!」
「この五人でやれてよかった! そう思うの、心から!」
「幸せです……本当に!」
舞台袖のスタッフが片手を挙げる。
「よし、時間だ。行ってこい!」
俺の声で、五人の手のひらはぐっと沈み。
「おおーっ!」
そして、高く掲げられた。
曲のイントロが始まる。
スピーカーの音が胸を打つ。
ステージのライトが明滅し、客席のライトは茜達の色になる。
そして、五人は茜の掛け声に乗って光の海、歓声の波の内、輝くステージへと飛び出していく。
俺はその姿を見つめていた。
涙は流さない。きっと二度とは訪れないこの瞬間を、涙でぼかして観るなんて、勿体ないことをするわけには行かない。
俺は五人の一挙手一投足を、一生忘れないように瞼に焼き付けた。
----------
そしてさらに季節はめぐり、また次の春がやってきた。
「おい、寝るな、起きろ、おい」
「んがっ……」
声をかけながら何度か肩を叩いて、俺のとなりで船を漕いでいた同僚はようやく目を覚ました。
午後一番、どうしても集中力に欠け眠くなるのは、理解はできる。というか、身に覚えがある。
眠たげに目をこする同僚に、俺は自分の過去の姿を重ねて苦笑いした。
俺はプロダクションの全体会議に出席していた。
美城プロダクションの社内は新しいセメスターを目前に迎え、にわかに騒がしくなっている。
いくつかの新企画、人事異動が発表され、いまはどうにも表情の読みづらい社員がかなり大規模な新プロジェクトについての発表をしていた。
それからもいくつかの発表、連絡が続き、最後に役員から檄が飛び、会議は終了した。
俺は配布された資料をクリアファイルにまとめると、人事異動で新たにプロデューサーになった同僚と、その同僚にドリンクを渡している千川ちひろさんを見て、微笑ましく思いながら大会議室を後にした。
----------
プロデューサールームに戻った俺は、デスクに置いてあるデジタルフォトフレームの電源を入れると、コーヒーを一口飲んで、パソコンの画面に向き合う。
茜、比奈、春菜、裕美、ほたるの五人は、それぞれの新しい道を歩んでいる。
比奈と春菜は、川島瑞樹らとの新しいユニットでの活動を始めた。
瑞樹が多忙なため、なかなか全員が揃うことがないようだが、ユニットとしてはうまく回っているらしい。
裕美とほたるも、新たなメンバーと次のステップへと進んだ。
先日の仕事で同じ現場になったときには、驚くほど成長した姿を見せてもらった。
出会った頃に感じた危うさは、二人からはもう感じられなかった。
そして、茜は。
「おはようございますっ!」
プロデューサールームの扉が開き、元気な声が飛び込んでくる。
トレードマークの赤いポロシャツを着ている、見慣れた姿の茜だった。
「おはよう、相変わらず早いな」
俺は茜に声をかける。
茜は「はいっ」といつものように元気に言うと、応接用のチェアに座る。
「茜、連絡してあった今日のスケジュールだが、ひとつ変更がある」
「え? そうなんですか?」
茜は意外そうにこちらを見る。
「ふふ」
俺はめいっぱい期待させるように意味深に笑ってみせてから、パソコンを操作する。
プリンターが動いて、A4サイズの紙を一枚吐きだした。
俺はそれを取り、茜に向かって突き出してやる。
「おめでとう。この前受けてた、怪獣映画のヒロインのオーディション、通ったぞ」
茜は俺の突き出した書類を見て。
俺の目を見て。
もう一度書類を見つめ、それから顔をぱっと輝かせた。
「ほんとうですか!」
「ああ。今朝にオーディション通過の連絡が来た。ってことで、この打ち合わせを入れた新しいスケジュールがこれだ」俺は茜に変更されたスケジュールのプリントアウトを渡した。「これから忙しくなるぞ。覚悟しておけよ」
「はいっ!」茜の瞳に、炎のような闘志が灯る。「ううー、燃えてきました! ちょっと、気合を入れるために走り込みを!」
「これから仕事だ、我慢しろ」
言って、俺は笑う。
「次の夏のフェスにもソロの出番がある。かなりのハードなスケジュールだが、体調には十分気をつけろよ。俺もできるだけサポートする」
「頑張りますっ! やりますよっ!」茜は腰を落とし、両手を握り締めて、それから天を衝くように拳を突き上げる。「ボンバーーーーッ!」
プロデューサールームに、窓が割れるんじゃないかと思うほどの元気な声が響いた。
茜もまた、新しい道を全力で突き進んでいる。
日野茜。
荒木比奈。
上条春菜。
関裕美。
白菊ほたる。
彼女たちの活躍は、これからも続いていく。
一つの物語が終わっても、また次の物語へ。
アイドルたちは、これからも力強く、輝いていく。
「先輩プロデューサーが過労で倒れた」
~喪失Pと五人のアイドル~
・・・END
以上です。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
これからもこの五人と、登場した素晴らしきアイドルたちをどうぞよろしくお願いいたします。
なんとか最後まで終えることができました。
HTML化依頼しましたが、もしご感想や作中の不明点、そのほかご質問等ありましたらスレに書いていただければ可能な限りお返事させていただきます。
ほたるのSSRひけんかったけど
このSSはいい王道でした乙
乙
蘭子のSSR出なくて荒んでた心が浄化されたわ
結局あの女性はわくわくさん?
>>83
ありがとうございます! 自分もほたるのSSRは引けてないのでいつか……いつか……!
>>84
ありがとうございます。「あの女性」は11話タイトル後にPから人形を受取った女性でしょうか。
この女性については今のところ謎のままにさせていただきます。
あんまりしっかり予定立ててないですが、また作品を投下するときのために入れたパートです。
お疲れ様でした!
本当に真摯な作品で、心打たれてしまいました。
次回作も楽しみにしてます(`・ω・´)ゞ
乙です
とても自分の好みにあったssでした
また新たなssの構想が出来たら投稿してください
>>86
ありがとうございます! 書き切れてほっとしています!
また何らかの形で!
>>87
ありがとうございます! むしろ「こういうのが読みたい」みたいなのがあると、想像が掻き立てられて次回が早いかもです!
夢破れて消えたPの幼馴染は今どうなっているのだろうか
嫌な想像が浮かぶ
>>89
まだ20代前半ですし、きっと大丈夫だと思います。
プロデューサーが究極的に「いい人」だったのは、彼の周りの人物が「いい人」だったからで、
幼馴染もきっと立ち直って、別の道を元気に歩んでいる事でしょう。
もしくは、メールのやりとりが途絶えただけで、連絡自体はつくので、プロデューサーが何か接触しているかもしれませんね。
そういえば、どのくらいの方がどこに気づいたかわかりませんが、
作中に色々引用、オマージュ、もろもろ入れましたのでお気づきの方はニヤっとしていただけたかと思います。
このSSまとめへのコメント
このSSまとめにはまだコメントがありません