本田未央「Re:サンセットノスタルジー」 (165)
つないだ両手は、汗でしっとりと湿っていた。
イベントの舞台袖。眩いスポットに上がる直前。
登場のBGMが、かかり出していた。
何度経験しても、この瞬間は緊張する。胸の高鳴りが体を伝って直接鼓膜を揺らす。誰にも気付かれないようにゆっくり唾を飲む。
客席からの熱気。お客さんたちが待ち望んでいるのを感じる。
その期待に応えられるだろうか。本当に、少しだけその不安がよぎる。
だけどそれは表には出さない。
変わりに、両手を強く握り返した。
「二人とも」
声をかけると、両側から私の顔を覗いてきた。
ぱっちりと開いた大きな瞳と、強い意志を感じさせる釣り目がちな瞳。
私は二人に頷いた。
「さあ、行くよ」
二人がそれぞれに返事を返してきた。とっても力強く、心強く。
高いヒールの靴で一歩前に踏み出し、私たちはお客さんの前に飛び出した。
お客さんの歓声が上がる。
精いっぱいの笑みを浮かべ、両手を高く振りながら私は言った。
「みなさーん。私達、ニュージェネレーションでーす!!!」
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心地よい汗は拭うのすら恋しかったけど、乙女がいつまでも汗だくなのはよろしくない。
スタッフさんから受け取ったタオルで、額をつたっていた汗をふきとった。
お礼を言って、タオルをスタッフさんに返す。
「お疲れ様。よかったですよ」
女性スタッフさんの言葉に、私は自然と笑みが零れた。
「えへへ、ありがとうございます」
気分はすっきり。頬にはまだ熱気が残っていた。
甘い熱気だ。アイドルにならなければ、きっと一生感じられなかった心に染みる喜び。
顔を上に向け、私は目をつぶってその余韻に浸る。頬が緩んでしまう。
透き通るようなエメラルド色の海に浮かんで、まばゆい太陽を全身に浴びたって、きっとこの気持ち良さには敵わない。
「みーおーちゃん」
耳をくすぐった声に、私は目を開けた。
島村卯月。しまむーだ。彼女にしか咲かせられない満開の笑顔が私の顔を覗き込んでいた。
私と一緒に舞台に立っていたから、顔には火照りと疲労があったけど、しまむーの輝きは色あせるどころか、何倍にも輝いていた。
「お疲れ様です。今日もとっても良かったですよ」
「いやいや、しまむーだって。流石ですなー、登場直後のドジっ子アピールで、お客さんの心をがっつり掴むとは
桃色だったしまむーの頬が、真っ赤なリンゴ色に染まり変わった。
名乗り出た直後、しまむーは舞台上で盛大につまずいたのだ。今のように顔を赤くしたしまむーにお客さんは大受けだった。
「先に言って欲しかったなー。そしたら、私も一緒に可愛くこけられたのにー」
「あれはワザとじゃなくてですね。その、えっと……」
「未央。卯月を困らせないで」
わたわたするしまむーの後ろから、黒いストレートの長髪の少女が言った。
汗を拭きながら飲み物を飲んでいるだけなのに。こう、凄く様になっている。
渋谷凛こと、しぶりんだ。
この三人がニュージェネレーション、通称ニュージェネのメンバーだった。
「いやあ、ゴメンゴメン。しまむーが可愛過ぎてついさー」
「卯月も気を付けてよね。足でも捻ってたらミニライブ、台無しになってたかもしれないんだよ。怪我しなかったから良かったけど」
「ゴメンなさい……」
かなり気にしていたのか。しょんぼりしてしまったしまむーに、しぶりんがあからさまに動揺した。
「えっと、いや。怒ってる訳じゃないんだけど。そんな落ち込まないでよ」
「心配してるんだよね。しまむーが怪我したらしぶりん、夜も眠れなくなっちゃうもん」
「そこまでじゃないけど……でもまあ、そういうこと」
「だけど、顔真っ赤にしたしまむーは可愛かったよね?」
「うん、可愛かった」
「ちょっと、二人ともー!?」
頷き合った私としぶりんに、照れ隠しみたいにしまむーが怒った。
開かれていた控え室の扉から、プロデューサーが顔を覗かせた。片手にはスマホが握られている。誰かと電話中らしい。
「お喋りもいいけど、未央は早く着替えろよ」
「あれ、プロデューサー。労いの言葉もなし?」
「さっき言ったろ。未央はこの後にラジオ収録あるんだから、急いでくれ」
「わかったよ、もー」
プロデューサーはすぐに電話へ戻った。たくさんのアイドルのプロデュースをしているだけあって、いつも忙しそうだ。
そんなプロデューサーに、これ以上迷惑をかける訳にはいかないか。
着替えた私は、一足先に控え室を後にした。
片づけをしているスタッフの合間を縫って会場を出る。
四月も中旬なのに、沁みるような寒さが身をとらえた。
冬が名残惜しそうに居座っていた。
日は落ち始め、街灯に照らされた街路樹の桜の木の下を人々が足早に歩いている。
桜はまだ花咲いており、ビル群の景色を艶やかに飾っていた。
風に木々がそよぐ。
桜吹雪が春の都心に舞い上がった。
プロデューサーは車でラジオ局まで送ってくれると、別の現場に向かった。
「階は分かるよな?」
「もっちろん」
私は一人でラジオ局に入ると、エレベーターで収録のある階へ向かった。
エレベーターを出たすぐ目の前に、局の番組ポスターが並んで張られていた。
柔らかな頬笑みがポスターの中から私に向けられている。
高森藍子。あーちゃんのラジオのポスターだ。
今日はそのラジオのゲストだった。
ウェーブのかかった深い栗色の髪を後ろで結んで、ゆったりとした服でリラックスした笑みを浮かべている。
ポスターも可愛いが、本物の方がもっと可愛い。
でも私の眼は、その隣のポスターに向けられていた。
穏やかなあーちゃんのポスターとはま逆。
『新番組!』と謳われたポスターでは、三人の少女が思い思いのポーズで立っていて、ともかく元気いっぱいという感じだ。
その中央で大きく両手を広げる子。
後ろで髪を結んでいるのはあーちゃんと一緒だけど、髪は黒くウェーブもかかっていない。耳の前に垂らした髪は短め。
なによりも、その弾ける笑みはあーちゃんとは全然違っていた。
「あ、未央ちゃん!」
声に振り返ると、まさにその少女が立っていた。
矢口美羽。みうみうだ。
ポスター同様の満面な笑みを浮かべていたけど、今は髪の毛をお団子に結んでいる。
みうみうは一人ではなかった。同じポスターに映った眼鏡の少女が並んでいた。
「お、出たなニューウェーブ!」
「そっちこそ、ニュージェネレーション!」
笑いながら言いあったのは土屋亜子ことつっちー。
ニューウェーブというアイドルユニットをメインで活動している子だった。ユニット名がニュージェネと似ているから、会うたびに互いにからかい合ったりしていた。
私はポスターに目を向ける。
「うまくいってるらしいね『ブエナ・スエルテ』」
それはみうみうとつっちー、それに喜多日菜子こと日菜子ちんの三人で最近組んだユニットだった。
評判は上々のようで、この春からラジオの看板番組も始まったと聞いていた。
みうみうがぶいっとピースサインを作る。
「えへへ、そうなんだー。さっき収録があったんだけど、たくさんおハガキ貰ってさ。もー嬉しくて!」
「『ハラハラして耳が離せません』って言うのは、喜んでええのかな?」
苦笑しているつっちーに私は頷く。
「いいのいいの。どんなことだろうとファンの心さえ掴めればね」
ともかく、聞いてみようと思わせるのが大事なのだ。
その点、みうみうと日菜子ちんのペアはこう、刺激的だ。
二人は良くも悪くも突っ走ってしまう性質の子だから。
ラジオで暴走する姿が目に、もとい耳に容易く浮かんだ。
私の想像は、つっちーの反応から間違いではないのが伝わってきた。
「美羽ちゃんと日菜子ちゃん相手にするアタシの苦労も考えて欲しいわ」
つっちーは苦笑しながら息をつく。
「そう? 楽しそうじゃん」
「なんなら未央ちゃん、変わってみる?」
「それは遠慮しようかな」
「えー、遠慮しないでよ?!」
みうみうがびっくりしたように肩を落としたけど、すぐに開き直って。
「でも一回ぐらい変わってみるのも面白くない? どっきり企画でニューウェーブとニュージェネレーションを間違えちゃった、的な!」
「はいはい、いつかね」
「亜子ちゃん釣れない!」
ドヤったみうみうをあっさり流した。流石のつっちーだ。
やがて日菜子ちんもやってきて、三人はエレベーターに乗り込んだ。
扉が閉まる前に、みうみうが小さく手を振ってきた。
「じゃあね、未央ちゃん」
私はあーちゃんの控え室へ向かう。中を覗き込むと、あーちゃんがなにかを読んでいた。
台本ではない。雑誌のようだ。
振り返ったあーちゃんは、嬉しそうに微笑んだ。
「未央ちゃん、お疲れさま」
やっぱり実物が一番可愛い。
「あーちゃん。今日はよろしくね」
「うん、こちらこそ。未央ちゃんがゲストに来るの、楽しみにしてたんだ」
「私もだよー」
あーちゃんとは、もう一人、日野茜こと茜ちんを加えた三人で『ポジティブパッション』というユニットで活動している。
そうでなくてもプライベートで会うことは多いが、こうして個人番組にゲストで来るのは、いつもと違うわくわくがあった。
私はあーちゃんが閉じた雑誌の表紙に目を落とす。二十代向けのファッション雑誌のようだ。
あーちゃんがふだん読むような雑誌ではなかった。
「ふうん。『貴方の「カッコいい」を見つけよう』ねー」
表紙に書かれていた煽り文句を声に出して読む。
「あーちゃんそう言うの目指してたり?」
「えっ? ああこれ。そんなんじゃないって」
あーちゃんは雑誌を手に取るとぱらぱらとページをめくった。中央付近のページを私に見せるように開く。
私は眼を丸くした。
そこには、ピアノに背を預けて立っている一人の女性が写っていた。
長くて滑らかな髪の毛に、整った顔立ち。何気ないように首をかしげている立ち姿は自然であるのに、ピアノに乗せた指先一つとってもキレイに決まっていた。
そう感じるのは、カメラマンの腕だけが良いからだけではないだろう。
彼女自身の努力の賜物だ。
そのキレイさにちょっと嫉妬を覚えて、でもその嫉妬が不愉快なものでないのは、彼女をよく知っているからか。
松山久美子。くみちーだった。
「これ、くみちーじゃん」
「そう、久美子さんから今度雑誌に連載が乗るって教えてもらったの」
「くみちーと仲良かったっけ?」
「前にイベントで一緒になってから、少しだけ。このカフェ、久美子さんに連れていってもらったことあるんだ」
「へえ」
「素敵なカフェなの。オリエンタルな感じでね」
雑誌を受け取った私は、書かれていた文章を軽く目を通す。これが初回らしい。
次のページには雨の中、カフェでゆったりと過ごしてるくみちーが写っていた。
『雨だからこそ、自分とじっくり向き合える』。
それから、雨の日のおしゃれなんかを色々書いてあった。くみちーらしい記事だ。
最近はこういうモデルの仕事も増えているようだった。
くみちーの仕事を、あーちゃんのお陰で見つけられたのは嬉しかった。二人が仲良くやっているという話も。でも。
(あーちゃんに教えて、私には教えてくれなかったんだ)
「今度一緒にどうかなって……未央ちゃん?」
「えっ、なに?」
私は顔をあげてあーちゃんを見る。あーちゃんは首を傾げていた。
「どうかしたの。なんだか、ボーっとして」
「え、いや。そんなことないって……このカフェでしょ。いいよね。今度一緒行こうよ!」
ぎこちなく笑った私を、あーちゃんは不思議そうに見つめていたけど。
「変な未央ちゃん」
そう、優しく綻んだ。
収録は気楽な雰囲気で進んでいった。
番組には何回もゲストに出ていたし、ラジオのディレクターや放送作家さんとは他の番組でも顔を合わせる人たちだった。
砕けた感じで、でも崩し過ぎないで。だけどやっぱり喋り過ぎちゃって、収録は少し押していた。
リスナーからのメールコーナーのことだった。
今月のテーマは、春らしく『初心』。
交互にメールを読むことにしており、次は私の番。
放送作家さんから受けとったメールに目を通した。
「続いては、PN・『春よ去るな』さん。
『藍子ちゃん、ゲストの未央ちゃんこんにちは』、
はい、こんにちはー。
『お二人とも今では押すに押されぬ人気アイドルで、ファンの皆さんからたくさんお便りを貰っていると思います』。
いやいや……
『それで質問なのですが、今でも最初に貰ったお便りのことなどは覚えているでしょうか。また、そのお便りは現在も持っているでしょうか?』。
だって」
「お便りですか」
「あーちゃん覚えてる?」
「もちろん覚えてるよ。それにこの番組の最初に読んだメールも」
「へえ。どんなの?」
「えっと、どっち? 普通に貰ったのか、このラジオか――」
「ラジオが気になるかな」
「ラジオはね、嬉しかった。ラジオのレギュラーはこれが初めてで、すっごく緊張してたからさ」
「初めてのが今も続いてるって凄いよね」
「いや、そんな……えっと、それでメールなんてくるのかなって不安だったから、お便りがきてるって聞いた時。すっごく、すっごく嬉しかったの」
「どんな内容だったの」
「まずは番組スタートおめでとうってあって。それから質問があったの」
「どんなの?」
「『好きなお寿司のネタはなんですか』って」
「ちょっと待って。作家さんなんで最初にそれ選んだの? 最初の手紙の内容がお寿司のネタって……え? 『本田さんは?』。作家さん誤魔化しててない?」
「聞きたいな私も。未央ちゃんは覚えてる? 最初の手紙」
「覚えてるに決まってるじゃん。手紙は今でもちゃんと持ってるし。『応援しています。活動を頑張ってください』って。アイドルになったばっかで、あの頃はさ……」
「あの頃は、なに?」
「そのー……デビューした頃は、色々苦労したって話」
夕食はいらないというと、お母さんは不満そうな顔をした。
ご飯はあーちゃんと食べて帰ると連絡していたのに、お茶ぐらいだと勘違いしていたらしい。
唐翌揚げは明日のお弁当のおかずになるだろう。
部屋に入ると私はベッドに腰をかける。窓の外はすっかり暗い。居間からはテレビと両親の笑い声が聞こえてきた。
私も自室のテレビの電源を入れる。地方局の番組でユッキーが下町案内をしているのが映し出された。
テレビをBGMに部屋着に着替える。ぼんやりとテレビを観ていたが、テレビラックの小物入れに視線を落とした。
その引き出しを開ける。中には封筒が二つ入っていた。淡い水色の封筒と、どこにでもある茶封筒。
水色の封筒は、初めてのファンレターだった。
前はこの引き出しをファンレター入れに使っていた。喜ばしいことに、その引き出しでは入りきらなくなって別の大きな箱に移したけど、これだけはここから移す気にはなれなかった。
貰った時は嬉しかった。読んでは閉まって、また開いては読んでを繰り返した。
そんな頃を思い出し、頬が綻ぶ。
でも、いつしかそんな事はしなくなった。
慣れというのもあるだろう。今でもファンレターを貰うのは嬉しいし、ちゃんと目も通す。
だけど初めてというのはやはり特別で、だからここから移さなかった。
でも、ここに入れたままの理由はそれだけじゃない。
気がつけば、私の顔からは笑みが消えていた。
茶封筒に手を伸ばして、中身を取り出す。
入っていたのは一枚の写真だった。
三人で映っている写真だ。
ニュージェネとも、ポジパとも違う。
裏にはその当時に考えたばかりの各人のサインと共に、ある言葉が添えられていた。
『三人で、星を目指して』
私と、くみちーとみうみう。
サンセットノスタルジーの写真だった。
私がアイドルになったばかりの頃、会社自体も試行錯誤を繰り返していた。
様々なアイドルの可能性を探していると、プロデューサーからは聞かされた。
その一環で、沢山のアイドルとユニットを組んだりした。それは今でも変わらないけど、前はもっと頻繁だった。
その中で、みうみうとくみちーと組んだのがサンセットノスタルジー。サンノスだった。
年もバラバラで、ユニットでは私が真ん中。偶然にも私も三人兄弟の真ん中だから、立場は一緒だ。
ユニットは、けっこううまくいっていたと思う。
私にとって初めての専用衣装も、このユニットで作ってもらったものだ。
オレンジとクリーム色の意匠は、夕焼けとその空に浮かぶ雲の色のよう。
体のラインに合わせた、ちょっとセクシー衣装だった。
その衣装を着て何度かミニイベントも行った。
初めて貰ったファンレターも、サンノス活動の時のものだった。
サインも一緒に考えた。初のイベントの前、ファミレスで何時間もこもって、あーでもないこーでもないと言いあって。実際は殆ど雑談をしていただけで、最後に無理やり決めたサインも、おふざけが過ぎてボツになった。
写真に書いたサインと寄せ書きは、そのイベントの後だと思う。
初めてのイベントの成功を祝って。
そしてこれからの私たちの発展を願って。
でも、気がつけばサンノスでの活動はなくなっていた。
ニュージェネレーションに、私の活動がシフトしたのもあると思う。
くみちーやみうみうも、それぞれの場所で活躍するようになっていった。
サンセットノスタルジーの活動が減って、二人と会う機会も減った。
完全に疎遠となったわけではない。
会えば話もするし、みうみうとはよくメールのやりとりがあった。
もちろんくみちーとも。
『雑誌に載ってたお店、昨日行ってきたよー!』
朝。登校中にふと思い立ち、くみちーにメッセージを送った。
学校についてから確認すると返信が来ていた。
『雑誌って連載のこと? 見てくれたんだ!』
『あーちゃんから聞いたの。教えてくれないなんて水臭いぞ~』
『ゴメンゴメン。藍子にはレッスンが一緒になった時に話したんだ』
返信を書いている時に、またメッセージが送られてきた。
『誰と行ったの。まさかデート?』
『あーちゃんとだよ』
『やっぱりデートじゃん』
『なになに、妬いてるの?』
チャイムと同時に、先生が教室にやってきた。私はスマホをしまった。
一限目を終えて、スマホを確認する。新しいメッセージが三つ。一つは茜ちん。残り二つがくみちーだ。
『なに言ってんのよ、馬鹿』
その五分後のメッセージ。
『妬いてる訳じゃないけど、今度一緒に遊び行かない? 予定が合えばだけど』
もちろん。と私は返信した。
だから、別に寂しいとかは思わない。
ずっと昔、お母さんが言ったことがあった。
私が幼稚園のときだ。
もう何年もあってない友達がいると聞いたとき、幼かった私には信じられなくて、それって友達なの? と尋ねたことがあった。
当然よ。とお母さんは答えた。
だから私も言い切れる。
今でも二人は大事な仲間で、友達だ。
お母さんと比べたら遙かに頻繁に会っているし、やりとりだってしているのだから。
それでもふと、考えることがある。
あの衣装は今どこにあるのか。
ダンボールに入れられ、棚にしまい込まれている衣装を、たまに想像することがあった。
もっとも、考えたところでどうということはない。
ニュージェネにポジパ、他にもソロのお仕事に学業。
日々は慌ただしく過ぎていく。
八月には、会社の大型合同ライブも決まっていた。
「ライブ、楽しみですね!」
五月の初め、ある温かな陽気の日。
早くも夏を呼び込みそうな、熱気あふれる元気な声が室内に響き渡った。
日野茜、茜ちんだ。
ちょうど今日、私たちポジパも正式にライブに出ることを言い渡されたのだ。
私と茜ちん、そしてあーちゃんの三人は事務所でお茶を楽しんでいた。
茜ちんが向かいのソファーで。私とあーちゃんは並んで座っていた。
もっとも、元から私達三人の名前は発表されていたし、なんとなく予想はしてたけど。
それでもプロデューサーから言われれば、身は引き締まるものだ。
「ほんとだね。どんなステージになるのかな」
あーちゃんも同じ気持らしい。私の横で浮かぶ優しい笑みに、私も釣られて頬が緩む。
「そりゃあもう。私達らしいイケイケなパッション溢れる感じだろうねえ」
「そうです!! パッションでボンバーでファイヤーな感じです!」
「ファイヤーな感じかー」
「ファイヤーですよ! 火柱どんどんあげましょう!」
「えっ、本当の火を使うの?」
目を丸くするあーちゃん。私も頬を引きつらせた。
茜ちんは元気いっぱいだけど、たまに思考が突っ走る。
「あはは……そこはまあ、要相談だね。でも元気いっぱいな感じになるのは間違いなし」
「二人の全力についてけれるように、私もレッスン頑張らなきゃ」
「いいですねー! ならば藍子ちゃん、今から河原に走りに行きましょうか!」
「いや、それは……この後インタビューあるから遠慮しとこうかな」
「そうですか……お仕事ならば仕方ありませんね」
腕を組んだ茜ちんは納得するように頷いた。思考はいつも全力だけど、けっこうブレーキの利きもよい。
そんな茜ちんに対して、あーちゃんは一見のんびりしている。正反対のようで、実際に正反対だけど、これでなかなかバランスのよいのだ。まさしく静と動という感じ。
走りすぎる茜ちんをあーちゃんが加減して、のんびり過ぎるあーちゃんを茜ちんが引っ張ってる。
お互いに足りてない部分を補いあってるとも言えるかも。
私は、二人の間を行ったり来たり。引っ張ったり引っ張られたりだ。
「だから今度、ね」
そう言ったあーちゃんに、茜ちんは元気よく返事をした。
扉が開かれる。穏やかな表情の女性が入ってきた。若くてアイドルみたいだけど、アイドルではなく事務員さん。
プロデューサーのアシスタントをしているちひろさんだ。
「よかった、三人ともまだ事務所にいたのね」
「どうかしたんですか?」
私が尋ねると、ちひろさんは胸元で抱えていたファイルから一枚の紙を取り出した。
「はい、これ」
「これは?」
「夏のライブの件でね。その時に色々なコラボを予定してるんだけど、その案をアイドルの皆さんからも募っているの」
ちひろさんは説明しながら、茜ちんとあーちゃんにも紙を渡した。
「つまり、私たちがコラボしたい相手を指名できる。ってことですか?」
あーちゃんは紙に軽く目を通してから、確認した。
「言えば絶対に叶う。なんてことはないですけど」
「へえ……」
「本当なら、さっきプロデューサーさんが渡すはずだったんですけど、忘れてたみたいで」
「ああ、プロデューサーも疲れてるのかなー」
まだまだ若いのに、心なしか白髪が増えてるように思えた。若白髪というのか。
「もし、なにかやりたいことがあったら私かプロデューサーに言ってくださいね。別に強制って訳じゃないですけど。なにかあれば、ね」
あーちゃんの仕事の時間に合わせて、私達は夕方頃に部屋を出た。
大きな窓から差し込む輝きが、廊下をみかん色に染めていた。
日は長くなり始めていたけど、まだ短い。
「新しい企画かあ」
あーちゃんは紙を手に持ったまま、廊下を歩いていた。
「こういうの、ちょっと面白そう」
「あーちゃん、なにかやってみたいこととかあるの?」
「うーん。そうだねえ」
視線を宙に彷徨わせたまま、少し歩みが遅くなる。私達はその速さに自然と揃えた。
どんな相手の名前が出るのか、興味深く待ってたけど。
「決まってることで、今の私は精一杯かな」
あーちゃんは微笑みながら、小さく首を振った。
謙遜でも遠慮でもなく、きっと本音だろう。
ライブでやるのはポジパだけじゃない。ソロの曲や全体曲など、それぞれで色々と決まっている。
私だって、ポジパより先にニュージェネが決まっていた。
そして、ライブだけに集中する訳にもいかない。普段の仕事だってこなさなければならないのだから。
「二人と違って、ちょっと体力も自信がないしね」
「そんなことはありませんよ! 足りないなら頑張ればよいですから!」
そう言った茜ちんに、あーちゃんは素直に頷いた。
「うん。だからその頑張りを、ポジパの舞台に向けたいと思ってさ」
「なるほど。それならそれでも良いと思います! 頑張り方は様々ですからね!」
二人のまっすぐ過ぎる会話に、私もつい笑ってしまう。
「茜ちんはなにかあるの?」
「私ですか? 今は特にありません!」
「ないんかーい!」
「ふふっ、茜ちゃんらしい」
優しく微笑んだあーちゃんの視線が、私に向けられた。
「未央ちゃんは?」
「私は……うーん」
思わず唸ってしまう。いざ言われてみると、急には思いつかないものだ。
色々やってみたいことはあるような気がするけど、すぐにどれとも出てこなかった。
「そうだねー……」
ふと、窓からの風景が目に入った。
ビルの合間から眩く、オレンジ色の太陽。
夕暮れの景色。
不意に、あの写真が脳裏によぎった。
写真の裏に書かれた三つのサイン。
その中央の言葉。
『三人で、星を目指して』
「どうしたのですか、未央ちゃん?」
気付けば、私は歩みを止めていた。
少し先であーちゃんが、それから茜ちんがこちらを振り向いた。
「……ゴメン、二人とも先に帰ってて。ちょっと忘れものしちゃってさ。とりに戻るよ」
「待ってよっか?」
「いいって。あーちゃんはお仕事でしょ。じゃあまた明日!」
呆然としている二人を尻目に、私は踵を返した。
煌く黄昏の陽光に照らされながら、私は廊下を進んでいく。
廊下にはあたしの駆ける音だけが響いていた。
胸の高鳴りは、駆け足のせいなんかじゃない。
全速力には程遠いのに、呼吸が苦しくなる。
ある部屋の前で、あたしは立ち止まった。
ネームプレートにはプロデューサーの名前が掲げられている。
胸の鼓動は止むどころか、ますます強くなっていた。
あたしは一度、二度と深呼吸をして息を整える。
まだ鼓動は早いけど、さっきよりは落ち着いた。
なんだか初舞台の時を思い出した。あの時も、舞台を上がる前に扉を開けた。
あの時は、扉を開けたのは誰だっただろうか。よく思い出せない。。
みうみうか、くみちーか。
それとも私か。
ドアノブに手を伸ばし、扉を開いた。
思わず驚いてしまった。
プロデューサーも同じだ。どうやら丁度部屋を出るところだったらしい。
扉の前ではち合わせる形になった。
「どうしたんだ未央」
「あのさ、ほら。あの企画のこと」
普通に話そうと思ったのに、私の声は少しうわずっていた。なんだか嫌になってしまう。
もしかしたら、あーちゃん達と別れた時もうわずっていたのかも。
プロデューサーは目を細めたが、察しがついたようですぐ頷いた。
「ああ、ライブの奴か。ちひろさん、紙は渡さなかったのか?」
「そうじゃなくてさ。あれって、なんでもいいんだよね?」
「? まあな。基本的には」
「昔にやったユニットでも?」
「昔のユニット?」
眉をひそめたプロデューサーを見上げて、私は言った。
「サンセットノスタルジー。もう一度できないかな」
それはあの写真の裏に書かれた言葉。
私たちの忘れものにもう一度、手を伸ばすため。
窓の外に映る景色は青く染まり出し、星が一つ瞬いていた。
待ち合わせたのは、事務所の最寄り駅だった。
学校帰りの私は、駅前の雑踏の中にその姿を探した。
彼女がいたのは駅の近くの銅像の前だ。
向こうはすでに私に気付いていたようで、こちらに手を振っていた。私は彼女の元に駆け寄る。
「お待たせ、くみちー」
「やっほー、未央」
松山久美子、くみちーだ。
くみちーは鎖骨ほどまで出ている口の広いブラウスの上から、ノ―カラージャケットを着て、下は細いデニムのパンツ。いつもより砕けた服装だった。
「今日はカジュアルな感じだね」
「こういう私もありだと思わない?」
「もちろん」
カジュアルでも、だらしなくならないでちゃんと決まっていた。
「似合ってるよ。凄く」
「そう? ありがと」
私が褒めると、照れる仕草も見せずくみちーはニッとはにかんだ。
「未央も似合ってるわよ、その恰好」
「ありがとうだけど、今さら褒める?」
学校帰りなのだから、学生服にいつものパーカーだ。
くみちーも見慣れた姿なのだか。
「あら、褒めたのに嬉しくないの?」
今度はおどけるように笑ってみせた。どうも、私をからかってるらしい。
こう見えて、くみちーは結構お茶目だ。
「いやいや、全くもって光栄でございます。久美子様に褒めて頂けるとは。未央ちゃん、感動で涙が零れそうです」
「うんうん。苦しゅうない苦しゅうない」
そう言ってから、どちらともなく笑い出した。
笑いが波のように引くと、くみちーが言った。
「久しぶりだね」
「うん、久しぶり」
連絡をとりあっていたし、お互いの活動は見ていたはずだ。
言うほど久しぶりという気はしないけど、こうやって会うのは久しぶり。
だから、やっぱり久しぶりでいいのだと思う。
私たちは駅の近くにあったチェーンの喫茶店に入った。
カウンターでアイスコーヒーを注文して、空いている席に座って近状報告をし合った。
「そうそう、あの雑誌の連載、なんかいい感じだよね」
「読んでくれたんだっけ?」
「うん」
「自分が読んだことのある雑誌に連載が載るなんて、思ってなかったよ」
くみちーは苦笑していた。自分でも信じられないという風に。
「それもアイドルとしてなんてね」
「そっか、くみちーってモデル志望だったもんね」
「まあね。モデルの方は落ちちゃったけど」
私はくみちーの姿が見やすいように少し椅子を引いた。
アイスコーヒーを飲みながら首を傾げるくみちーの姿を、指で作ったフレームで切り取る。
「どうしたの?」
「いや、もったいないことをしたなーって思っただけ。今のくみちーなら、トップモデル間違いなしだよ」
「調子いいこと言って。褒めてもなにも出ないわよ」
呆れるようの笑いながら、くみちーは頬杖を掻いた。
「でも、落ちて良かったかも。落ちた時は悔しかったけど、だからアイドルになれたし。アイドルの方が、色んなことを沢山経験できて、だからもっとキレイになれたからさ」
「いろんな経験っていうのは……空を飛んだりとか?」
くみちーは以前、番組の企画で人力飛行機を作ったことがあった。
「もちろんそれもね。それにやっぱりライブとかさ……未央は想像できた? 歌って踊る自分の姿を」
「私は最初からアイドル志望でしたから」
「ああ、それもそっか」
アイドルオーディションを受ける子は、アイドル志望だからオーディションを受ける。当然だ。
そう言う意味で、くみちーはちょっと変わっていた。
少なくとも、最初はアイドルオーディションなんて受ける気がなかったのだから。
「ライブと言えば」
と、くみちーは言った。
「夏のライブ。未央も出るんだよね?」
「とーぜん。くみちーもでしょ?」
「とーぜん」
その答えは知っていた。ポスターに名前が出ていたのを見かけていたから。
くみちーも、私の名前には気付いていただろう。
「未央はニュージェネは当然として……後はポジパ?」
「それは企業秘密です」
「同じ会社じゃん」
別に教えてもいいのだけど、なんだか黙ってた方が面白く思えて、私は笑って誤魔化した。
「くみちーは?」
「私はビューティーアリュールで。あとは……おいおいね」
「お互い大変ですな」
「まあ、アイドルですから。でも忙しいのはプロデューサーもね。昨日も夜遅くまで残ってたし」
なにげなく口にした言葉が、私はちょっとひっかかった。
「へえ。なんでくみちーは知ってるの?」
「なにが?」
「遅くまで残ってたこと。まさかプロデューサーが仕事終わるまで待ってたとか?」
「違うわよ、もう」
否定しながらも、ちょっとだけ頬を赤くした。
「えっと……自主練習してたの。ステップ、うまくいかないところがあって」
誤解を解くため仕方なし、とでもいうようだった。いつまでやってたか尋ねると、本当に遅い時間まで残っていた。
「で、帰る時に覗いたらプロデューサーまだいたんだ」
「ふーん」
自主練習をしていたのは嘘じゃないだろう。くみちーは負けず嫌いで努力家だ。
一人居残りレッスンをしていてもおかしくない。
けど、レッスンルームとプロデューサーの部屋は離れている。
顔を出しにいく理由はないし、言い方からして、プロデューサーが居るかどうかも分からないのに行ったようだ。
野暮な詮索はやめておこう。
「無理し過ぎないでよ。くみちー、たまに頑張りすぎるんだから」
「平気よ。今日は休みって分かってたし」
「それに」と、ちょっと馬鹿にしたように笑んでみせた。
「未央にだけは言われたくないわね」
そんなことはない。とは言い返せなかったので、私は苦笑を返して話を戻した。
「プロデューサーはその後も残ってたの?」
「うんうん。もう帰るって言ったから途中まで車で送ってもらったわ。遠回りになるから、いいって言ったのに」
呆れるように言いながら、口元は少し緩んでいた。
車で送ってもらったのだから、話す時間はたっぷりあったはずだ。
色々な話をしたんじゃないのか。
「……なにか話したりした?」
「別に? 普通よ。最近の仕事のこととか」
「私のこととかは?」
「少しは話題に出たけど……なにかあったの?」
意図を分からないようで、くみちーは首をかしげる。
私は、ずっと気になっていたことを口にした。
「例えば……サンノスのこととかは?」
すぐさま私は後悔した。
「サンノス……?」
くみちーの反応は、知りもしない人の名前を聞いた時のようにぼんやりしていたから。
そんな不安は、あっという間に払しょくされた。
「まさかサンノス、ライブに出れるの?!」
前のめりになったくみちーに、私は面喰ってしまった。
思わずのけ反った私を、くみちーの瞳はしっかりとらえていて。
私は、頬が緩んでしまった。
「ちょっと。なに笑ってるのよ」
「いやあ、なんていうか……ホッとしたからかな?」
「どういうこと?」
「あはは、ちょっと待って。順を追って説明するから」
私はまずサンノスの企画をプロデューサーに提案したことを言った。
「なるほど……私、全然思いつかなかったな」
感心したように言ったくみちーだったけど、すぐに首をひねる。
「でも、そんな話が出てるんなら、プロデューサーも一言いってくれれば良かったのに」
「プロデューサーも期待させちゃダメだと思ってるんじゃない?」
「どういうこと?」
くみちーの綺麗な眉間に、皺が寄った。
提案した直後だった。
プロデューサーは短く唸ってから部屋の中へ戻っていった。
机の上に坐りながら、両手を合わせて思案しているプロデューサーに、私はちょっと驚いた。
プロデューサーはサンセットノスタルジーの時から私たちのプロデューサーだった。
私同様に、思い入れがあると思っていた。
だから、肯定してくれると考えていたけど。
無理だよ。
返ってきたのは純粋すぎる否定だった。
呆気にとられ、失望がじんわりと心を染めた。
そんな。となんとか言葉を捻り出した私に、プロデューサーは事務的に述べた。
「まず、この企画はあくまで新しい組み合わせを探すためにやることだ。基本的には提案が新しいユニットだけだ」
「なにそれ!」
私がプロデューサーの口調を真似ながら言うと、くみちーが声を荒げた。
何人かのお客さんが、私達に目を向けてきた。
「プロデューサーが、嫌って言ったの?」
「そう言ったわけじゃ……」
「無理って言ったんでしょ。それって嫌ってことじゃい」
「だからだから。コンセプトから外れてるってだけだし。あくまで事務的にというかさ。無理っていったけど、一応考えてはみるともいったし」
「一応、でしょ?」
「まあ……うん」
痛いところをついてくる。
確かに、素気ないプロデューサーの態度は諦めろと言っているように私の耳に響いた。
楽観的に考えすぎていたのだ。
あそこまでプロデューサーに冷たく突き放されたのは初めてで、だから不安だった。
これでくみちーも乗り気でないなら、一人よがりなのではと考えてしまって。
そうじゃないと分かってホッとしたけど、よく考えれば事態が好転したわけもない。
私はコーヒーを口にした。
「プロデューサーが、そう言うなんて」
目を伏せたくみちーが、物憂げに呟いた。
それから口元に手を当て、色々な想いを巡らせているように眼を細める。
プロデューサーに拒絶されたことが、くみちーもショックだったようだ。
「でもほら、可能性はゼロじゃないんだからさ」
気休めで口にした言葉など、まるで聞いていなかった。
「……私、納得いかない」
そう言うと、くみちーは席を立った。
「行くわよ、未央」
「ちょっと待って。行くってどこに?」
「事務所。プロデューサーに理由を聞いてくる」
決意を込めたくみちーの言葉に、私は呆気に取られた。
「理由って……それは今回の企画が、あくまで新しいユニットを目的としてて」
「未央はそんな説明で納得してるの?」
「……そういうもんなのかなって」
だってそうではないか。プロデューサーが言ったならば、そういうものだと納得するしかない。
でも、くみちーは違った。
「私は納得できないわ。新しいユニットがなんなの? サンノスだって魅力的なユニットだよ。そりゃあ、活動は長い間してないけど……」
くみちーは視線を逸らした。
けど、すぐに向き直った瞳には、強い意思が籠っていた。
「それでも、魅力は負けてない。負けてなかった。私たちだから見せられる輝きがあった。私は信じてる。サンノスの輝きを、私たちの輝きを信じてる」
くみちーの言葉に、胸の奥がかっと熱くなった。
「それにさ。サンノスどうこうを除いても、その対応って……おかしいよ」
「プロデューサーの対応が?」
私は首をひねる。くみちーはなにがひっかかったらしい。私は特におかしいとは思わなかったけど。
「……未央って、私がアイドルオーディションに受かったときのこと、知ってるよね」
「まあ」
くみちーはそもそも、アイドルのオーディションなんか受ける気がなかった。
最初はモデル部門のオーディションを受けたのだ。
ところが、そのオーディションに落ちてしまった。でも諦めがつかないで歩いていると、アイドルオーディションを発見した。
「普通さ、他のオーディションに落ちたからって飛び込みでオーディションを受けて。そんな子を合格させるかな?」
それをやった本人の口からいうのもなんだが、まあそうだ。オーディションとは、書類審査の後に集団面談がある。
ところが、くみちーは書類審査をすっぽかして、オーディションに乗り込んだのだ。
そしてくみちーは合格した。
合格を告げたのは、プロデューサーだった。
「私、凄い無茶したよね。それは今でもそう思う。でも、そんな無茶な私を、プロデューサーは受け入れてくれた」
静かに、思い出を噛みしめるようにくみちーは言った。
「プロデューサーはいろんな可能性を探してくれるものでしょ? どんな無茶でも、私たちをちゃんと考えて、信じてくれる……なのに、まず無理なんて言うかしら?」
「それは……」
確かにそうだ。
ストレートな拒絶がショックで気付かなかったが、よく考えれば少し変だ。
私の提案はコンセプトからずれていたかもしれない。
でも提案は単なる提案。会議にかける前に、企画の一つをあそこまではばっさりと切り捨てるのはいくらなんでも妙だ。
「だから思うの。もしかしたら、なにか理由があるんじゃないかって。理由があるなら、それを聞きたいじゃない?」
私は自分からしか状況を考えていなかったのかもしれない。
だから、プロデューサーに拒否された時点で、考えるのをやめていた。
でも、拒否した理由が別にあったのではないか。
業務的ではない、プロデューサーという立場から見た理由が。
もしそんなものがあるなら、私も知りたかった。
席を立つと、くみちーに頷いた。
「行こう。プロデューサーに、理由を聞きに」
幸いにも、集合場所は事務所の最寄駅だ。
私とくみちーがつく頃には夕焼けがうっすらと空を染め始めていた。
プロデューサー室に向かおうとしたけど、その必要はなかった。
ちょうど入口のエントランスでプロデューサーの姿を見かけたから。
仕事の連絡を確認しているのか。スマホに目を落としながら歩いてきた。
「プロデューサー」
声を掛けたくみちーに、プロデューサーは顔をあげた。
「久美子、それに未央。どうしたんだ」
「話があるの」
「悪い今は急いでるんだ。また今度に――」
「大事な話なの」
そのまま通りぬけようとしたプロデューサーの足が止まった。私とくみちーの顔を伺ってから、スマホで時間を確認していた。
「お茶する時間はないからな」
「分かってる」
茶化すように言ったプロデューサーに、私は薄い笑みを返した。
「それでなんだ。話って」
「サンノスのこと」
くみちーが切り出すと、プロデューサーの顔から感情がさっと抜けた。
「今話せることはないぞ。企画会議は来週の予定だ」
プロデューサーは言った。私に話した時のような、あくまで業務的な口調で。
「でもプロデューサーは期待できないと思ってる」
きみちーきっぱり言いきった。
「そうでしょ?」
「……ああ」
「どうして?」
「それは……」
プロデューサーは言葉を濁す。
「無理じゃないと思うさ」
「私が提案したとき、プロデューサーはっきり無理って言ったじゃん」
「あのときは、そりゃ……」
プロデューサーは撤回するわけでもなく、否定もしない。煮え切らない態度に、私は少し腹が立った。
「なんで無理って言ったの。なんで無理って決めつけたの」
「決めつけたわけじゃない。今回の企画は新しいユニットを探すためのもので――」
「そういうのは聞きたくないよ」
くみちーがプロデューサーに詰め寄る。
「私達が納得すると思ったの? 企画書に書かれた言葉を並べれば素直に引き下がるって」
「……」
「そんな訳ないでしょ。貴方はみんなのプロデューサーなんだから。私たちを納得させてよ。未央にあんなことを言った理由を、教えて」
「ねえ、プロデューサー」
私はつとめて静かに口を開いた。
「理由があるんでしょ? どうして無理って言ったのか。だって、ちょっとした提案を頭から否定するなんて、プロデューサーらしくないもん。その理由を聞きたいんだ、私」
嘘いつわりのない、私の思いだった。事務所にくる道中で考えたことだ。
私たちアイドルとプロデューサーは、同じ場所にいるようで、少し違う場所にいる。
その少しの距離が、見えている世界を一変させる。
私の世界を、私からしか見ていなかった。でもくみちーに言われて気付けた。
同じ景色を見ていても、私とプロデューサーでは見え方が違うことに。
きっとそれが、断った理由に繋がっているはずだ。
だから、それを教えてほしかった。
「……この後な、美羽の番組を見に行くんだ」
「? みうみうの」
「ブエナ・スエテルが出演する。社内でも評判良くてな、ちょっと頑張ってもらわなきゃならんかもしれん」
みうみうの話題が出たことに困惑した。みうみうもサンノスの一員だ。でも、それが今のとどう関係があるのか。
くみちーも言葉の意味をつかみかねているようだった。
「……それがどうかしたの、プロデューサー?」
「久美子も、昨日は遅くまでレッスンしてただろ」
「そうだけど」
「一昨日は雑誌の写真撮影。その前はビューティーアリュールでコスメイベント、その前はバラエティにも出演してる」
「ちょっと、プロデューサー?」
くみちーの問いには答えず、プロデューサーは私に目を向けた。
「未央は一昨日は友紀や李衣菜とラジオがあったろ? それにポジパの新曲にニュージェネもだってある。みんな大忙しさ」
なんとなく、プロデューサーの言いたいことが見えてきた。
「忙しいから……時間がないから無理って?」
だから今さらサンノスの為に時間を割けないといいたいのか。
でも、プロデューサーは首を横に振った。
「優先度の問題だ。お前らがサンノスを大事に思う気持ちは嬉しい。でも、今あえてやってほしいことじゃないんだ。
今の『お前達らしさ』には、合ってないんだ」
少し考えてから、私は言った。
「……イメージの問題ってこと?」
プロデューサーは首肯した。
イメージがアイドルという職業で、どれだけ大事なのかは分かっている。
それは分かりやすさであったり、神秘性であってり、親しみやすさであったり。
作りだすのは難しく、崩れるのは簡単だ。
つまり、今の私たちのイメージに、サンノスは合わないといいたいのか。
プロデューサーは続ける。
「俺たちはお前たちを預かってる義務がある。お前たちを輝かせる義務がな。やらせたいことは、全部やらせたい。でも、そういかないこともある……分かってくれ」
言ってから、プロデューサーはちらりと腕時計を確認した。
「悪い、ホントに時間がやばいんだ。ここで――」
「ちょっと、待ってよ」
歩み出そうとしたプロデューサーの腕を、くみちーが掴んだ。
「なんだよ」
「私たちじゃ……」
くみちーは言葉を途切った。その後を続けるのがためらっているようで。
それでも、くみちーは口を開いた。
「サンノスじゃ輝けないって言いたいの、プロデューサー?」
その返答に、耳を疑った。
「……理解されない輝きもある」
そんな言葉をプロデューサーから聞くとは、思ってもいなかったから。
最初から、理解されないのが当然のような言葉。挑む前から諦めている。
そう聞こえた。
くみちーも一緒だったようだ。呆然としたくみちーと私から、プロデューサーは気まずそうに視線を離した。
ゆっくり腕を動かし、くみちーの手から滑り抜ける。
「じゃあ、行くよ」
プロデューサーは背を向けて歩き出した。時間がないことを思い出したのか、建物を出る直前には小走りになっていた。
まるで、私たちから逃げているようにも見えた。
「……た」
聞き取れないような小さな言葉を、くみちーが漏らす。くみちーはプロデューサーの消えた方に目を向けたまま固まっていた。
顔はなんだか険しい。
「くみちー……?」
「あったまきた! なにそれ!」
ロビー全体に響き渡るような声に、私は目を白黒させた。
「ちょ、ちょ、ちょ。くみちー落ち着いて……?!」
「落ち着けですって!? あんな言い方ある?!」
「分かるけど、うるさいから?!」
通りがかった社員さんや受付のお姉さんがぽかんと口をあけていた。
くみちーもそれに気付いてくれたようだ。
バツの悪そうな顔をしてから、わざとらしく咳払い。
それから、くみちーは憮然と口を開いた。声のボリュームを落として。
「決めたわ、未央」
「なにを?」
「なにがなんでも、やるわよ。サンセットノスタルジー」
「え、でも」
「聞いたでしょ、プロデューサーの言葉。サンノスじゃ輝けない? イメージと合わない? 全部勝手に決め付けて。そんなのって……ないよ」
くみちーが震えながら拳を握り締めていた。
「未央は悔しくないの?」
「悔しいに決まってるよ、でも……」
くみちーの気持ちは、私も十分に理解できる。
私だって、やりたいからプロデューサーに提案したのだ。
「だからって、どうすればいいの。事務所だっていろいろ都合があるし」
「プロデューサーに思い知らせるのよ。サンノスの輝きを。私たちから目が離せなくなるぐらい、輝けるってことを証明するの」
くみちーの答えはシンプルで、力強い。
ただ問題はあった。
その方法だ。
「どうやって思い知らせつもりなの?」
「プロデューサーをぎゃふんと言わすの!」
自信たっぷりに言いきったくみちーを、私は見つめていたけど。
「だから……どうやって?」
「ぎゃ、ぎゃふんはぎゃふんよ」
つまり、特に考えはないらしい。
ちょっと呆れてしまったけど、なにもしないよりはよいかもしれない。
ボーっと立ち止まっているより、少しでもジタバタした方が、きっと思いは伝わる。
「うん、そうだね。考えよう。プロデューサーをぎゃふんと言わす手を、さ」
だから、私はそう答えた。
くみちーと別れた後、レッスンをしてから家に帰った。テレビを見ながらご飯を食べて、それからお風呂に入った。
温かなお風呂の中で、くみちーと約束したこと考える。
「ぎゃふんと言わす手ねー」
言葉にするのは簡単だが、なかなか難しい問題だった。
正直、プロデューサーから言い分を聞かされ、私は少しすっきりしていた。
私たちがここまでこれたのは、自分だけの力だなんて思っていない。プロデューサーや、事務所の努力があったからこそ。
プロデューサーの口ぶりからして、サンノスがどうでもいいから、そう言った訳でないのは伝わっていた。
いろいろな戦略があって、今のサンノスは既に外れてしまっている、ということだろう。
一度外してしまったものは、よほどのことがない限り戻すことはない。
外した状態でうまくいっているならば、尚更だ。
くみちーだって、きっとそれは分かっている。
分かっているけど、やっぱり納得できない。
私も一緒だ。
(でも、最初からそう言ってくれれば良かったのに)
そこも、ちょっと納得できないところだった。
ちゃんとした理由があったなら、私が提案した時点で、はっきり言って欲しかった。
しかも諦めさせるためだろうか。別れ際のプロデューサーの言葉は、褒められたものではなかった。
だからこそ、くみちーに同意した。
プロデューサーをぎゃふんと言わしたかったから。
サンノスの輝きを、見せつけるために。
「でもねー」
気持ちは焦れど、その案が浮かぶものではない。
足を伸ばしてゆっくり考えるほど、ウチのお風呂は広くなかった。
膝をちょっと丸めて、意味もなく足を湯船から出してみたり。
「いっそお色気で……?」
私やくみちーはもちろん、実はみうみうだってよいものを持っている。
それを武器にしない手はないだろう。周りに止められそうな予感がするが。
くみちーはみうみうにも連絡すると言っていた。
私も少しみうみうと話したかった。後で、電話かメールでもしよう。
お風呂から出ると、食べようと思っていたプリンがなくなっていた。帰りにコンビニで買って来たものだ。
考えごとには甘いものが必要だというのに。
「お母さん、私のプリンは?」
「プリン? 知らないわよ」
となれば、思いつくのは弟だった。
「ちょっと。私のプリン食べた?」
部屋を覗き込む。弟はスマホで動画を見ていたけど、私が来たのに気付いて慌てて画面を机にうつぶせて置いた。
「勝手に入ってくんなよ、姉ちゃん」
「私のプリンは?」
「はあ? プリンなんか知らねえよ」
「嘘ついたら承知しないぞ」
「そんな嘘ついてどうすんだよ。冷蔵庫の奥に入ってるんじゃねえの」
「かなあ」
そう言って去ろうと思ったけど。
「……変なの見るのも、程々にしろよなー」
弟だって、そういうのに興味を持つのもおかしくない。男子だもの。
ニヤついた私に、弟は顔を赤くした。
「はあ。そんなんじゃねえよ!」
「またまた。男の子だねー」
「ちげえよ。ほら!」
伏せていた画面を私に向けてくる。動画に直接コメントが流れる有名な動画サイトだった。
確かにエロサイトではない。うちの会社も、何個か動画サイト内にチャンネルを持っていた。
「って言うかその動画、うちの会社の番組じゃん」
見覚えのあるセットだった。月替わりでうちのアイドルが出演している番組だ。
生放送番組で、放送時間はもう過ぎていたが、この動画サイトは次の放送まで自由に見直せるようになっていた。
よく見ると、停止した画面に映っていた三人は見覚えのある三人。
『ブエナ・スエルテ』だ。
今月はこの三人らしい。プロデューサーが言っていた番組とは、このことだったのか。
「なに、あんたブエナ・スエルテのファンなの?」
「そう言う訳じゃねえけど。ダチに見ろって言われたんだよ。美羽ちゃんも出てるし、まあ見ようかなって」
押しはみうみうか。弟ながらなかなか見る目がある。
(今度、サインぐらい貰って来てやろうかな)
かわいい弟の為に、少しくらい労を取るのも悪くはない。
なんてことを考えながら、私はスマホを弟に返した。
「っていうか姉ちゃん。この話マジなの?」
「なにが」
「ほら。姉貴が美羽ちゃんと活動してた奴」
「サンノスのこと?」
なんでその話題が出るのか。私は不思議に思った。
「そう、それ。夏のライブに出るの?」
「はっ?」
私は眼を丸くした。
私がサンノスの件を提案したことは家族には話していない。
というかプロデューサーとくみちー以外には話してないし、そもそも一回目の企画会議は来週と聞いてる。
出れるか分からないからこそ、私は湯船にのぼせそうになるまで頭をひねっていたのだ。
「それは、どうだろうなー。こう言うのって、家族でも言える話じゃないし……」
「でも。ほら」
弟は動画の再生バーを少し戻してまた画面を見せてくる。
画面には画面に流れるコメントの奥では、みうみうが話していた。
『実はですね……サンセットノスタルジーが、夏のライブで復活するかもなんです!』
「うえっ?」
間抜けな声が出てしまった。
画面には驚きのコメントが大量に流れていたが、それ以上の????が私の頭を流れていた。
(私の知らない間に決まってた? いやいや、だから企画会議もまだだし。もしかしたら密かに上の人が復活の企画をしていて、それをみうみうだけが知っていて……ってそんな訳がないよね)
様々な状況を鑑みてみると、簡単な答えが導き出されるわけで。
このセリフ、完全にみうみうの暴走である。
色々まずいんじゃないのだろうか。
お風呂で温まっていた体から血の気が引いて、一気に涼しくなった。
私は自分の部屋に駆け込んでスマホに手を伸ばす。
着信通知も後回しにメールを打とうかと思ったけど、面倒になって電話した。
その電話に、すぐさまみうみうが出た。
「あ、未央ちゃん」
みうみうの声には苦笑やら泣きそうやらなんとも言えない苦い響きがあった。
挨拶もそこそこにあたしは要件を切り出した。
「ちょっとちょっと、なんであんなこと番組で言っちゃったの!?」
「言っちゃった!」
「聞いちゃったよ! そしてびっくりしちゃったよ!?」
「サ、サプライズ成功!」
心臓に悪いサプライズだ。しかもサプライズした側の声は震えてるし。
「サプライズって言うより……不意打ちって感じだね」
「不意打ちかー……久美子さんと同じ感想だ……」
「くみちーからも電話あったの?」
「うん、番組中にプロデューサーの方に」
どうやらくみちーは生で視聴していたようだ。そりゃあすぐさま電話もする。
私だって、生放送中に観ていたら、みうみうに掛けてからプロデューサーに掛け直す。
たぶん、私のスマホにあった着信はくみちーからだったのだろう。
「プロデューサー、怒ったでしょ?」
「うん。すっっっっごく怒ってた」
「だろうねえ……」
当然だ。アイドルが決まってもいないことを決まったというのは、コンプライアンス的に色々アウトだろうし。
監督責任はプロデューサーにむけられるだろう。
頭を抱えながら必死に言い訳を述べたあと、上司から散々雷を頂くことになるはずだ。
プロデューサーの内心は十分に察せられた。
でもみうみうには言わなかった。
現時点でも、ちょっと後悔の念が浮かんでいたから。
これでプロデューサーが怒られるなんて言うのは追い打ちになってしまう。それはなんだか心苦しかった。
みうみうだって分かっているかもしれない。分かってるなら、なおさら私から言わなくていいだろう。
だから代わりに、私は質問を繰り返した。
「なんで言っちゃったの。番組で、しかも生放送だし」
「だって、わたしもやりたかったから!」
叫ぶようなみうみうの強い言葉に、私は声を詰まらせる。
「サンセットノスタルジーで、舞台に立ちたかったから。未央ちゃんもそうだから、プロデューサーに企画を提案したんでしょ?
その話を久美子さんから電話で聞いて、わたしすごくうれしかったの。で、ぎゃふんと言わせる手を考えてって言われてね、だから……」
「みうみう……」
健気な声で言われてしまえば、それ以上私もなにも言えなかった。
なによりも、その気持ちが心に響いてしまって。
(ただ、なんというか……ちょっと大胆すぎだなー……)
凄いのだけど、もうちょっと考えてほしいというか。
プロデューサーどころか、私達までぎゃふんと言わせる一手だった。
奇襲効果はてきめんだ、多方向に。
「あ、ちょっと待って」
みうみうの声が遠くなった。誰かと話している。
少しして電話口から聞こえてきたのは、プロデューサーの声だった。
「未央か?」
「プロデューサー。その、なんとうか……」
「やられたね、全く。お前らには」
プロデューサーの声にも疲れの響きがあった。
「お前らというか、みうみう一人というか……」
「ぎゃふんと言わせようとしたんだろ。その点じゃ大成功さ」
「……で、どうなのかな」
「なにが」
「ぶっちゃけ、みうみうの発言の影響は?」
「知らないよ」
内心ドキドキして聞いたが、返ってきたのは素気ないというか、雑な返事だった。
「なるようにしかならないさ」
投げやりな言葉だ。悪いのはこっちだが、流石に気に触った。
「ねえ、ちょっと酷くない? その言い方さ。そりゃあ勝手にやっかもだけど……」
「……そうだな、すまない」
疲れたようにプロデューサーは息をついた。
私は眉をひそめる。なんだか様子が変だ。みうみう以上に元気がない。
もしかしたら、もう誰かしらからお怒りの電話をもらったのかも。
「私も……ゴメン」
そう思うと、自然と言葉が漏れた。責任の一端は私にもあるから。
「いや、いいさ。実際に影響はまだ分からないが、個人的な意見を言わせてもらえれば、不用意な発言はよくない。叶うか分からないことを言って、ファンをぬか喜びさせるのはな」
「だけど、ファンのみんなだって反応は悪くないんじゃない? ほら、動画見たけど、結構喜んでるコメント多かったし」
動画サイトのコメントには、期待したくなる程度には肯定的な意見が並んでいた。
でもプロデューサーは冷静だった。
「一応は、だけどな。ああいうのはノリで肯定コメントを出すけど、実際はどれくらい喜んでるかは分からないって」
「まあ……かも」
そういう記憶は私にもある。特に興味がなくても、その場の雰囲気で同調して、後で少しだけ後悔したりとかもなくもない。匿名性の高いネットの場ならなおさらだ。
「まあやっちゃったもんは仕方ない。もうネットニュースにもなっちまったし」
「マジ?」
「ともかく、どうなるかは分からない。それだけは肝に銘じておけ。あんま無茶な行動だけは勘弁してくれよ」
疲れたように言ってから、プロデューサーは電話をみうみうに戻した。
「あのさ。やっぱり未央ちゃんも、怒ってる?」
みうみうが不安げに聞いてきた。そんなことを聞くというのは、自分の行動に自信がないからだろう。
自信がないなら、やらなければいいのに。
私は呆れて、少し笑ってしまった。
まるでサンノスを提案したときの私と一緒だ。
「……みうみう」
私は深く深く息をついた。電話の向こうにも聞こえるように、大げさに。
「ナイスアシストに決まってるよ、みうみう!」
「未央ちゃん……」
電話口から安堵が漏れる。私は落ち着かせるよう、つとめて穏やかに言った。
「ただ、もうもうちょっと相談してね。だってこれって、私達の問題なんだから」
それから少し話をして、私は電話を切った。
息をつく。
さて、これがどういうことなるか。
思わぬ展開に驚いたが、こうなっては仕方がない。
みうみうの行動が、凶とでるか吉と出るか。
一末の期待と不安を抱きながら、ベッドに倒れ込む。
そんなとき、お母さんが部屋に覗き込んだ。
「お父さん白状したわよ。プリン、食べたって」
プリンのことなど、すっかり忘れていた。
翌日、学校での反応は大したものではなかった。
ニュースを見て、やるんだと聞いてくる子はいた。
まだ分からないと素直に伝えると、へえと曖昧に唸っただけだった。そんなものだろう。
問題は事務所の方だった。
放課後、事務所にむかう私は少しだけ気が重かった。
この件に対して、どんな反応をされるのか。それが不安だった。
みうみうとの電話の直後、私はくみちーにも電話をかけた。
くみちーは意外にも冷静というか、淡白な反応だった。
びっくりし過ぎて、呆気にとられていたのだろうか。
くみちーだってそんな反応だ。
この電撃的発表は、事務所の仲間にどう受け入れられているのか。
何人かからは驚きや応援のメッセージが送られてきていた。
まだ未定だと返信すると、今度は困惑や驚愕が返ってきた。
気になるのは、メッセージを送ってこなかった子たちだ。
ニュージェネとポジパのメンバーも、みんな後者だった。
人ごみのなか、気付けば一人ため息が漏れていた。
そんな私の背中を、誰かがポンと叩く。
少しだけ、どきりとした。
しぶりんだ。
「おはよ、未央」
しぶりんはイヤホンを外しながら私と並んで歩きだした。
「しぶりん今日レッスンあったっけ?」
「うんうん、卯月と事務所で待ち合わせてるの。今日は卯月、朝から仕事だったし」
「どっか行くの?」
「美術館。貰い物で余ったチケットがあったから誘ったんだ」
「私も誘ってよー」
「未央、絵なんて興味あるの?」
「もちろん。ダヴィンチにロダン、ミケランジェロにミセス・バーネット!」
「最後のは小説家じゃない?」
しぶりんは呆れるように笑ったけど、
「ねえ未央。サンセットノスタルジーの話ってホント?」
やはりその話題はでるだろう。
私は少し気まずくなったが、つとめて明るく笑って見せた。
「ああ、やっぱり知ってた?」
「ニュースになってたもん、知ってるよ」
「知ってたなら、メッセージでも送ってくれれば良かったのに」
「どうして? 会った時に聞けばいいでしょ」
もっともだ。それから私は、かいつまんで事情を説明した。
「美羽、凄いことしたね」
しぶりんは目を瞬かせていた。感心と驚きがごっちゃになっているようだった。
「いやあ、これには未央ちゃんもびっくりですよ」
「でも、未央もサンノスをまたやりたいんでしょ?」
その藍みがかった瞳が、心の内を覗かんとするように私を射抜いた。
私は、静かに頷く。
「うん」
「ふうん」
本当になんでもないように、しぶりんは微笑んだ。
「だったら、私は応援するよ」
「……ありがとう、しぶりん」
エントランスにはまだしまむーはいなかった。
私はしぶりんと別れを告げて事務所の中を進んでいく。
しぶりんの態度に、ホッとしていた。
同じユニットのメンバーから、肯定的な言葉を貰えたから、気が楽になった。
先ほどより軽くなった足取りで廊下を歩いていく。
更衣室の前だった。
「あっ」
眼鏡をつけた一人の少女が、ベンチに腰かけてドリンクを飲んでいた。つっちーだ。どうやらレッスン終わりのようだ。
「やっほー、ニューウェーブ」
「あ……未央ちゃん」
なんだか変だった。普段のように軽口を返してくれない。それどころか、表情がこわばったようにも見えた。
つっちーはぼんやりと私を見てたけど、やがていつものように笑顔を浮かべた。
少しだけ、胸がざわついた。
「もう、昨日はびっくりしたでー」
「あはは、サンノスのこと……だよね?」
驚くのは当然だった。つっちーはみうみうと一緒に番組に出ていたのだ。あの後、改めて動画を見たが、みうみうの発言した瞬間、隣に座っていたつっちーの驚きようといったらなかった。
「ほんまあんなこと言うなら、前もって相談してて欲しかったわー。未央ちゃんは知ってたん?」
「いやいや、まさか。知ってたら流石に止めてるって」
「じゃあ美羽ちゃん言うとおりなんだ」
「みうみうはなんて?」
「自分一人でやったって。美羽ちゃんはいい子やけど、たまにぶっ飛んだことするから心臓に悪いわ」
つっちーは胸元に手を当てて、大げさに息をついた。
「いやいや全く」
「ほんまさ。美羽ちゃん、いい子だもん」
気がつけばつっちーの顔から笑顔が消えていた。真剣な瞳が私を捉えて離さなかった。
「未央ちゃん、美羽ちゃんを利用とかしてないよね?」
「へ?」
私は呆気にとられる。全く理解出来なかった。
言葉の意味は分かる。ただその言葉が意味する事柄が、私とみうみうとの関係にまるで当てはまらなかった。
少なくとも私の中では。
「えっと、利用って……?」
「美羽ちゃん、いい子だからさ。本当は未央ちゃん達がやりたいことの為に、美羽ちゃんを巻き込んでるとかないん?」
「ちょ、ちょっと待ってよ。なんでそうなるの?」
つっちーの言葉に頭がいよいよ混線してきた。必死に解きほぐしながら、選びだした言葉を口へなんとか引っ張り出した。
「昨日のことだったら、みうみうが勝手にやったことだし」
「でも、ぎゃふんと言わせたかったんちゃうん。Pちゃんのこと」
それはたぶん、くみちーがみうみうに話したのだろう。プロデューサーをぎゃふんと言わせたいと。そしてそれがみうみうからつっちーに伝わった。そういえば、プロデューサーもぎゃふんと言っていたと今さら気付いた。
そしてあの行動をみうみうはとった。
みうみうは確かに、サンセットノスタルジーで舞台に立ちたいと言った。
だけど、それにはどこか私達の押し付けがあったのではないか。
少なくとも、つっちーはそう感じているらしい。
「アタシな、美羽ちゃんのことめっちゃいい子やと思ってる。だからもし、未央ちゃん達が美羽ちゃんを利用しようとしてるなら、アタシ……許せへんよ」
「私がみうみうを利用する訳なんかないでしょ?」
「本当にそうって言いきれるん?」
「当り前でしょ」
それだけははっきりと伝えたかった。
私だって、みうみうがいい子なのは十分に承知していた。利用するなんて、そんな思いはどこにもなかった。
というか、利用するにしてもあんな突飛な真似はとらせないだろう。普通。
更衣室の扉が開く。中から垂れ目がちな少女が現れた。
全体的にふんわりとした雰囲気をしている彼女は、日菜子ちんだ。
「お待たせしました……おやおや? 未央さんもご一緒でしたか」
「あ、お疲れ。日菜子ちん」
日菜子ちんは私と亜子ちゃんを交互に目を向ける。それからだらしなく頬が緩んだ。
「ふむふむ……このなんとも言えない空気……許されない恋の匂いを感じますね」
「なんでそうなるねん!」
つっちーも無視してむふふと笑った日菜子ちんは、両頬に手を添えて視線を宙に彷徨わせた。
「それか、大事な人を奪い合う二人……妄想がとまりませんねえ……」
日菜子ちんは乙女なロマンチストですぐに妄想に浸ってしまう。
突っ走るという意味では、茜ちんと同じタイプの子だった。
呆れるようにつっちーが息をついた。
「もう、アホ言っとらんと早く行こ。美羽ちゃんも待ってるよ」
「みうみうもいるの?」
「そうです。日菜子達でお茶会なのですよ~。乙女の秘密の花園です……」
「ファミレスが乙女の花園なんて聞いたことないで」
立ち上がったつっちーは、未だ妄想の世界に浸っていた日菜子ちんの腕を掴む。
「ああ……強引なのも悪くないですね……」
「だーかーらー!」
そのまま日菜子ちんを、つっちーは引っ張っていく。
「それから、未央ちゃん」
去り際に、つっちーは振り返った。
「ほんま、頼むよ」
頼むというのはみうみうのことで、でもそれはいい意味での「頼む」ではない。
無茶をさせないでほしい、ということだろう。
そう言われてもと思っても、私はなにも言い返すことはできなかった。
つっちーが角を曲がって視界から消えた直後だった。
「お疲れさまです、亜子ちゃん!」
元気な声が陰から聞こえてきた。姿を見なくても誰なのか分かるボーナスクイズだ。
姿を現したのは、正解。茜ちん。
そしてあーちゃんだった。
茜ちんは私に気付くと、元気に声をだす。
「お疲れさまです、未央ちゃん!」
「あ、お疲れさま。茜ちん、あーちゃん」
「お疲れさま」
駆け寄ってきた茜ちんは、私の様子を察して「ふむ?」と首をかしげた。
「なにかあったのですか、未央ちゃん?」
「え、いや。なんでもないって」
そんな茜ちんと違って、あーちゃんはマイペースに歩いてきた。
今日はこの三人でのレッスンだった。
更衣室に入って着替えを始める。
茜ちんはテキパキと着替えた。背は一番小さいけど、胸はけっこう大きかったりする。
着替えを終え、ロッカーのなかに置いた鞄を整理していた茜ちんの隣では、白いブラウスをあーちゃんが脱いでいた。控え目な胸を、これまた控え目なピンクのインナーが包んでいた。
「そう言えば、そうですよ!」
スマホを見ていた茜ちんが、思い出したように要領の得ない言葉を叫んだ。
「サンセットノスタルジー復活とは、本当なのですか!?」
茜ちんはスマホの画面を見せてくる。昨日の発言に関するネットのニュースだ。私もその記事には目を通していた。
「まだ確定じゃないし、どうなるか分からないけど」
言いながら、私は目端であーちゃんを捉えた。あーちゃんは胸元に運動用のシャツを抱えたまま僅かに顔を俯けていて、表情は見えなかった。
「確定ではないのに、公表してしまったのですか?」
「あれはみうみうの独断というか」
「おお……それはなかなか度胸があるというか……いいのですか?」
「よくはないかな。プロデューサー怒ってたっぽいし」
「それはいけませんね……突破力は大事ですが。監督の言うことを聞かないと、ところによっては干されてしまいますから」
茜ちんは腕を組みながら悩ましげに眉を寄せた。
「あのプロデューサーに限ってそれはないと思うけど」
「しかし、決まっていないならなぜあんな公表を?」
「決まってないから、かな。ほら、今度のライブの際のコラボを募ってる話あるでしょ。その企画で、プロデューサーにサンノスのことを提案したんだ。それの後押しをなればいいって思ったみたい」
「なるほど」
私の説明に、納得するように頷いていた茜ちんだけど、その首が横に傾いた。
「はて。では誰がサンノスのことを提案したんですか?」
当たり前の疑問だった。
「それは――」
「未央ちゃんだよね」
袖を通したシャツの伸ばしながら、あーちゃんが言った。
私は驚いてあーちゃんを見た。
あーちゃんは私なんて気にしていないように、淡々と準備を進めていた。
「ほう、未央ちゃんがですか! それは本当なのですか?」
「そうだけど……あーちゃん、くみちーから聞いたの?」
当たり前だがニュースを見ても私が提案者であることなどは一言も出ていない。あーちゃんが知っているならば、くみちーから聞いたかと思ったが。
「うんうん。ただ、そうかなーって思っただけ」
そう、あーちゃんは笑った。
「やっぱり、そうだったんだ」
その笑顔は、いつものあーちゃんのはずだったのに、いつもと違うように思えた。
「藍子ちゃん?」
同じものを茜ちんも感じたのか、あーちゃんを不思議そうに見つめていた。
「待たせてごめんね。ほら、早くレッスンに行こっ」
そう促したあーちゃんは、先に更衣室を出ていった。
ストレッチの間も、あーちゃんはいつものようにふるまっているのに、どこか距離を感じた。
言葉にならないぎこちなさが漂ったまま準備を続けていたが、レッスンが始まればそんなものは消し飛んだ。
なにもかもが滞りなく進んで、だからこそ胸のざわつきは広がっていった。
レッスンもあっという間に終わり、私達は更衣室へ戻ってきた。
スマホにはメッセージが入っていた。しまむーからラテアートの写真、美嘉ねえから予定確認。
そしてメールがみうみうから。
『今、事務所にいるの? なら会いに行っていい?』
どうやら、つっちー達から聞いたらしい。つっちーとのやりとりが頭にひっかかったが、昨日のこともある。
近いうちに会おうとは約束していたが、具体的な日取りは決まっていなかった。
私は了承のメールを送った。
「未央ちゃん、藍子ちゃん。これからご飯を食べに行きませんか!」
既に着替えを終えていた茜ちんが、鞄を肩にかけながら聞いてきた。
少し乱れた髪型を気にしていたあーちゃんは、手を止めて頷いた。
「いいよ。私は」
「ゴメン、私パス。この後ちょっと用事入っちゃって」
「そうですか。それは残念です」
素直にがっかりしてから、茜ちんは襟元を確認。鞄をかけ直した。
「では私は喉が渇いたので先に出ていますね。自販機の前で待ってますので!」
「うん、わかったよ」
「では」と元気に言ってから茜ちんは更衣室を後にした。
残されたのは私とあーちゃんだけ。
二人きりになるように、茜ちんが気を使ってくれたのか。
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
どちらにせよちゃんと話すチャンスだ。
黙々と着替えるあーちゃんに、私は尋ねた。
「……ねえ、あーちゃん。怒ってる?」
「どうしたの、いきなり」
手を止めたあーちゃんは、私に不思議そうに首をかしげた。
「いや、なんか朝から様子がおかしくないかなって……思って」
「怒るなんてことないよ。それに、なんで怒ったと思ったの?」
「それは……」
私は上手く答えられなかった。こっちから聞いておきながら、あまりにも情けない。
結局、あーちゃんから切り出されてしまった。
「サンセットノスタルジーのこと?」
「……かな。やっぱり」
私だって予想はついていた。なのに、いざ言おうと思うと口がいうことを聞かなかった。
あーちゃんは微笑んだ。
「なんで怒ってると思ったの? 私達に秘密で進めてたから?」
「秘密って訳じゃ……第一、まだ企画段階だしどうなるか」
「でも、企画を提案したのは未央ちゃんでしょ?」
「だから、その……」
謝ろうかと思ったが、言葉は喉でつかえる。
そもそも、なにを謝るというのか。悪いことをしたわけではないのに。
悪いことをしたと、私は思ってしまっているのか。
言いあぐねた結果、できあがった会話の空白は沈黙が埋めることになった。
「あの時だよね」
沈黙を退かしたのは、あーちゃんだった。
「忘れものって言った時。あの時に言いに行ったんだよね」
驚きのあまり言葉を失う。そこまで見抜かれていたなんて。私の反応を見て、あーちゃんは笑んだ。
その仕草は、ひどく寂しそうで胸が痛くなった。
「私ね、別にいいと思うよ。未央ちゃんのやりたいことを私が止める権利はないし……でもさ、未央ちゃんはそんなに抱えることができるの? ニュージェネもあって、ポジパもあって……」
「あーちゃん……」
「私は、ポジパだけで精いっぱいだよ」
静かに呟いたあーちゃんの瞳は私を捉えていた。
瞳に瞬いた悲しげな煌きに、息が詰まった。
それもつかの間。視線を逸らしたあーちゃんは、小さく俯くと荷物を抱えた。
「じゃあね、未央ちゃん」
去り際に言った時には、私と目を合わせようともしなかった。
私は事務所のソファーに坐りながら、夕暮れの景色を眺めていた。
遠くで鳥が隊を組んで飛んでいった。あれはなんの鳥なのだろうか。分からないが、太陽を背にシルエットを作る鳥たちに目を奪われていた。
部屋には私一人だった。
自販機で買ったドリンクを傾ける。サイダーの甘さが炭酸と一緒に口の中をべっちゃりと塗りつぶした。
(そう言えば、美嘉ねえにまだ連絡返してないや)
でも、返信する気にもならなかった。私はソファーに沈み、眼をつぶった。
更衣室でのあーちゃんの顔が頭に浮かぶ。
(あれはないでしょ……私)
もっとうまいやり方があったはずだ。ちゃんと説明すれば、あーちゃんだって分かってくれたと思う。
ただ、そのもっとうまいやり方というのが、全然思いつかなかった。
思いついたとしても、既にあとの祭りだけど。
自己嫌悪が蛇みたいに思考に巻きついてくる。考えをめぐらせようとするたび、ゆっくりと締め上げてきた。
こう言う時は、変に考えない方がいい。短いなりのアイドル人生で学んだことだ。
レッスンで疲れた体が合わさって、私はゆっくりと意識が遠のいていった。
「うりゃ!」
そんな意識が、即座に覚醒した。
背後から誰かが覆いかぶさってきたのだ。
びっくりして顔を上げると、まんまるな眼が私を見下ろしている。
みうみうだった。
奇襲に成功したからか、満足げに眉を吊り上げていた。
「ふっふっふ、隙だらけだよ未央ちゃん!」
「みうみう、ほっぺ揉まないで」
しかしみうみうは頬から手を離さない。手のひらで押すようにもみ続けた。
「未央ちゃんお疲れでしょ? 寝てたみたいだし、ここは癒し手の美羽の癒す手で癒してあげるね」
「言葉被り過ぎてよく分かんないことになってるから」
私もみうみうの頬に手を伸ばす。手のひらではなくつまんで引っ張った。
「よく分かんないことは言うのはこの口かな~?」
「みおひゃんいひゃいいひゃい」
「あはは」
頬を弄るのをやめて坐りなおした私の首に、ほっぺを赤くしたみうみうが後ろからギュッと抱きついた。すぐ横にある顔は笑顔から一転、落ち込んだ表情を浮かべている。
「もー、未央ちゃん。プロデューサーに怒られたよー」
耳元でみうみうが囁くように言った。
「可哀そうに。ほら泣かない泣かない」
ナデナデすると、みうみうの頭はなすがままに左右に揺れた。
「さっきはさー」
「うん?」
「亜子ちゃんにも呆れられちゃったんだー」
「ファミレスで会ってたんだっけ?」
「そうなの」
去り際のつっちーの顔が、頭の中をよぎった。
「……ねえ、みうみう。本当にサンノスでライブに立ちたいと思ってる?」
撫でるのを止めて私は尋ねた。みうみうは不思議そうに私の顔を覗き込んだ。
「どうしてそんなこと聞くの?」
「いやあ、押し付けちゃったかなって思って」
みうみうはいい子で、まっすぐだ。ちょっと暴走気味なくらい。
つっちーに言ったとおり、私は決してみうみうを利用しようなんか考えていなかったし、これからもそうしたいとは思わなかった。
でも、その行動を取らせた一因が私にあるのは間違いない。
もしそれが、私の為にやったことならば。
その返答は、力強い抱擁だった。
「立ちたいに決まってるでしょ」
とっても力強く、ちょっと首が締まって苦しいほどだ。
「だからあんなことやってプロデューサーに怒られたんだよー」
「思い出したらまた落ち込んできた」そう言ってがっくりとうなだれ、巻きつく力も弱まって息が楽になった。
「本当に?」
「もう、しつこいよ未央ちゃん。昨日も言ったけど、わたしもやりたいの!」
怒っているようにも、拗ねているようにも聞こえる口調だった。
みうみうはそういう子だった。
皆を笑顔にするのが好きで、でもそれは自分がしたいからしている。
誰かに言われたらといって、素直に従うタイプじゃない。
なにかをやるにしても、自分で納得してからやる。結果はともかくだけど。
私はまたみうみうの頭をなでた。さっきよりも優しく。
「ゴメン、変なこと聞いてさ」
「いいけどさー……」
美羽はしょんぼりした様子で私の肩にぐったりと顎を乗せてくる。
「やらなかった方が、よかったかな?」
「ちょっとー。さっきまでの元気はどうしたの?」
コロコロと表情が変わるのは可愛いが、気分もコロコロと変わり過ぎだ。
「やっといてなんなんだけど……もしかしたら、わたしのせいでサンノスがライブに出るの、難しくとかならないかな?」
実際に的を射た悩みだった。可能性の公表がプロデューサーの背中を押すことになるとは決まっていない。逆の可能性だってある。その行為を嫌って、サンノスの出演を拒む方向に進んでもおかしくなかった。
それでも、私は微笑んだ。
「電話でいったじゃん。みうみうのやったのは、チョーナイスアシストだから」
「だったら良いけど……」
みうみうは眼を細めた。まだ気になることがあるようだ。
「なになに、私のこと信じられないの?」
「そうじゃなくてさ……その」
なにか言いづらそうに人差し指を私の前で合わせていた。どうもおかしい。
後悔は後悔だが、先ほどとは毛色が違った雰囲気だ。
「どうかしたの?」
「……えっとね。久美子さんとプロデューサー、わたしのせいで喧嘩しちゃったかも」
「はあ?」
思ってもない方向だった。
「えっと、喧嘩? どうして」
「本当に喧嘩してる訳じゃあないかもだけどさ。わたしが放送で言った後に、久美子さんからプロデューサーに電話がかかってきたっていったでしょ。その電話の後にプロデューサー落ち込んでたみたいで」
あの時のプロデューサーの態度を思い出す。あきらかに声に元気がなかった。
てっきり、偉い人に怒られたのかと思ったけど。
そう言えば、直後にくみちーに電話をかけたときもそうだ。
くみちーも素気ないというか、心ここにあらずだった。
二人の態度は、喧嘩してしまったせいということだったのか。
「どうして喧嘩したの?」
「それは分かんないよ。わたしは生放送中だったし、電話の時はプロデューサー、スタジオの外に出てからさ。ただ、後でスタッフさんから喧嘩してたみたいって聞いたの」
はあ、とみうみうはため息を漏らした。
「二人が喧嘩したのも、やっぱりわたしのせいかな」
「それは、たぶん違うと思うけど」
原因を聞いてはみたが、大方の予想は出来ていた。確かにみうみうの一件はきっかけだったかもしれない。でもそれ以前から、くみちーはサンノスの件でプロデューサーに不満を募らせていた。
それが予期せぬ形で爆発してしまったのだろう。
だが、みうみうの起こした行動は、多分みうみうが考えるより周囲に影響を与えている。
(つっちーや……あーちゃんとか)
つっちーから頼むと言われたことを思い出した。
だからという訳ではないけど、一応言っておいた方がいいだろう。
「みうみうや」
「どうしたのですかな、未央ちゃん?」
「お主のせいではないが、今回のような独断は今後、控えていただきたいものですなー。せめて未央ちゃんか久美子ちゃんに相談をするべきでありますよ」
「ははあ、肝に銘じておきます」
ふかぶかと頭を垂れたみうみうに、私はうむうむと頷く。
「ところで、みうみうよ。もう一つ良いか?」
「なんでございましょうか」
「いい加減、離れてくれないかな?」
「離れたくないと申したら、如何いたしますかね!」
「喋り辛いから。普通に座って」
みうみうは私の向かいに腰かけた。
「ともかく、今回はみうみうの落ち度はまるでない。おっけー?」
「おっけー」
「しかし今後、なにかしらサンノスのことで行動するなら、前もって相談すること。おっけー?」
「おっけー!」
みうみは背筋を伸ばし、びしっと大袈裟に敬礼した。
敬礼した手を、今度は背筋よく上げた。
「それで未央ちゃんさん。さっそく提案があるんだけど!」
「なにかな?」
「まずは一回、三人で集まってみませんかね!」
「ほうほう。その意図は?」
「三人で集まりたいから!」
「おっけー、採用!」
私はびしっとみうみうを指さす。みうみうも乗りに乗って「やったー」と思いっきり喜んでみせた。
早速くみちーにメッセージを送った。内容は、少し悩んで結局みうみうの言ったまま。
『三人で集まりたいから集まらない?』
ともかく、色々な話も三人でいるときで、ということに。
時間もまだ早かったので、私とみうみうは少し遊ぶことにした。
「今年の夏用の薄着、まだ買ってないからさ」
「みうみう、けっこう服のセンスいいもんね」
「えへへー、そうかな?」
「そのセンスがギャグに生かされないのが、未央ちゃん不思議でならないよ」
「それはね、ファッション雑誌にギャグに関するコラムが載ってないからだよ!」
「当り前だよね、それ」
駅近くの繁華街のお店に入って、お互いに試着し合ってみたりした。
買う気はなかったけど、何点か気にいってしまい、けっきょく買ってしまった。
気がつけば、すっかりいい時間になっていた。
解散することにして、電車に乗り込む。
途中まで私とみうみうは同じ方向だ。
しばらく取り留めのない会話をしていたけど、いつしか私とみうみうの視線は車窓に向けられていた。
まばゆい夕焼けの景色。
でも、他に景色を見ている人はいない。
みんな本やスマホを見ている。
「ねえ、未央ちゃん」
私は車窓から、みうみうに視線を移す。みうみうの横顔は穏やかに、あどけなく。
夕焼けの眩しさに、少しだけ目を細めて。
「サンノス、うまくいくかな」
私はすぐに答えられなかった。みうみうは、独り言みたいに続けた。
「わたしやりたいな、サンノス。またみんなで、舞台に立ちたいよ」
「……私もだよ」
私たちの交わした言葉は、電車の揺れる音にかき消され、誰にも届くことはなかった。
くみちーからの連絡は、その日の夜にあった。勿論という返事のあと、何度かみうみうも含めてやりとりをした結果、集合はその二日後で決まった。
その約束の日、私は知らされた住所へ向かった。
休日の昼下がり。
暖かな陽気で、歩くとちょっと汗がにじむ。庭先にみえる緑は陽に照らされ、生き生きと色づいている。
歩道に植えられたつつじが、美しい赤紫の花を咲かせていた。
閑静な住宅地に佇むある一軒家だった。
チャイムを鳴らすと、インターホンから声が聞こえてきた。
『どちら様ですか』
「くみちー? 私、未央だよ」
『ちょっと待ってて』
少しして、扉が開かれる。
姿を現したくみちーは自宅だからラフな格好だけど、それでもだらしなくなっていない。
くみちーに導かれて家の中に入る。しまむーの家と同じくらいの一軒家だった。
居間には家族写真やいくつかの古びた表彰状が飾られていた。
くみちーの他に人の気配はない。聞くと、両親は外出中とのことだ。
そんな風景と共に、美味しそうな匂いが漂っていた。
「まずはご飯にしよっか。お昼、まさか食べてきてないでしょうね」
「もっちろん」
今日、くみちーの家で集まると決めたのは、なにを隠そうくみちー自身の提案だった。
その際に、昼食も一緒にとくみちーはいった。
「今度ね、料理番組に出るの」
と、くみちー。
「練習も兼ねて、私が美味しい料理を振舞ってあげる」
「ほう、くみちーの手作りですかな。それは喜んでだよ」
「絶対おいしく作ってあげるから、期待しててよ」
どうやら約束の時間に合わせて料理の下ごしらえを終えていたらしい。
「わいわいお話しながら作るかと思ってたのにー」
「本題は私の料理じゃないでしょ? 椅子に座って待ってて。テレビでも見てさ」
その通りだ。集まる目的は話し合いの結果、今後の作戦について、と名目上なっていた。
くみちーはダイニングキッチンに向かうと、仕上げに入った。
私はその間に、室内を見渡す。
なんとなく、眼に着いた表彰状を改めてみる。どれもピアノに関連するもののようだ。
くみちーの実家はピアノの教室をやっていた。くみちーの腕前もかなりのもので、ライブで弾き語りをしたこともあった。
「凄いね表彰状。くみちーのもあるの?」
「全部お母さんのよ」
くみちーは気恥ずかしそうに笑った。
「お父さんの趣味で飾ってあるの。お母さんは見せびらかすみたいで嫌がってるけど。だからお母さん、家にお客さん呼びたがらないの」
準備の手を止めないで、くみちーが答えた。なにかお肉を焼いているようだった。香ばしい匂いと、じゅーじゅーと焼ける音が聞こえていた。
「くみちーのはなんで飾ってないの」
「私、コンクールとか出てないから。表彰状とか持ってないんだ」
「ふうん」
「まあ、出たとしても賞が貰えたとは思えないけど」
「そんなことないよ。くみちーが出場したら、絶対優勝だったって」
「適当に言って」
呆れるようにくみちーが言った。
「でもそうね。もっと出れば良かったわ。賞なんか貰わなくてもさ。誰かに聞いてもらうのは、楽しいことだもの」
「なら、後で未央ちゃんに一曲聞かせてはいただけないかね?」
よく考えれば、実際にしっかりと聞いた覚えはなかった。
私の提案にくみちーにまんざらでもない様子。
「もちろん。喜んで」
やがて、お盆に載せてくみちーがこちらに戻ってきた。
献立はハンバーグとサラダにコーンスープだ。
ハンバーグの上にはケチャップがついており、ケチャップは一つの絵を描いていた。
「この絵って……」
「そう、私の師匠直伝のイラストよ」
見覚えのあって独特の味わいのある絵だった。耳があってなにか動物のようだが、なんの動物か分からない奴である。
しまむーにも写メで見せてもらったことがある。五十嵐響子、きょーちゃんの絵だ。
「くみちー、きょーちゃんから料理を教わったの?」
「そっ。料理と言えば響子ちゃんでしょ? 響子ちゃんに敬意を払って、あの子の絵を描かせていただきました」
「ってことは、このハンバーグにはくみちーのハートがギュっと詰め込まれちゃってる感じ?」
「そう、ちっちゃなハートがね。ありがたく頂きなさい」
私はハンバーグを口に運ぶ。
「どうかな?」
「うん、おいしいよ!」
お世辞は抜きであった。それを聞くと、くみちーは安堵を漏らした。
「よかった。胡椒を入れ過ぎちゃったかなって思って」
たしかに少し辛味が強い気がするが、気にするほどではなかった。
確認するように、くみちーは自分の分を食べる。
「まあ、及第点かな」
くみちーは満足げに微笑んだ。
食事を終えると、くみちーがコーヒーを淹れてくれた。
「いやあ。美味しかった美味しかった」
「ふふっ。なら良かった」
「みうみうも来れたら良かったのに」
「本当ね」
くみちーは呆れるように呟いた。
「予定を間違えるなんて、そそっかしいにも程があるって、全く」
この集まりの発案者とも言えるみうみうだったが、昨日になって来れないといいだしたのだ。
「加奈ちゃんとの撮影……入ってたんだった」
どうやらイレギュラーな予定であって、すっかり忘れていたらしい。カナカナからの連絡で思い出したとのこと。だから結局、私とくみちーだけで集まることになっていた。
「そそっかしいと言うか……せっかくコーンスープにしたのにさ」
「カナカナを見習って、しっかりメモしてて欲しいね」
というより、スケジュール管理はアイドルの基本なのだが。
普段のプロデューサーならばその辺りのフォローも抜かりないのだが、今のプロデューサーはちょっと心もとなかった。仕事に関してはしっかりとこなしている。
ただ、少し気がきかなくなったというか。
なんだかボーっとしている。昨日事務所に行った時、ちひろさんが漏らした言葉だった。
「そう言えばくみちー、プロデューサーと喧嘩したって本当?」
その原因であろう出来事について聞くと、くみちーはバツの悪そうに視線を逸らした。
「それは……その……だって、プロデューサーが分からず屋だったから」
「どうして」
「もうちょっと考えろなんて言うのよ。だからさ……」
物憂げな表情をしていたが。
「今はプロデューサーのことはどうでもいいでしょ。それより私のピアノ、聞きたいんでしょ?」
くみちーは家の奥に案内してくれた。他より重い扉をくぐると、広いスペース。
壁の脇には椅子が並んでいて、中央には一台のピアノが置かれていた。奥には外につながる別の扉がついていた。
どうやら、ここでピアノを教えているらしい。
カバーを開け、赤いフェルトの布を取ると、ミルクのように真っ白な鍵盤が姿を現した。
「なに弾こうかな……」
椅子に坐りながら、くみちーが呟く。
「くみちーのお勧めは?」
「お勧めか……それなら」
くみちーは細く柔らかな指を鍵盤に添えて。
自分のリズムを思い出すかのように、その体全身で大きく息を吸ってから、指が軽やかに音を刻み出した。
ピアノの音で聞くのは初めてだけど、とっても聞き覚えのある曲。
「お願いシンデレラ」
くみちーは、自慢げに微笑んだ。
指は滑らかに、そして力強く音色を生み出していく。
サビを終えたところで、余韻を残すように鍵盤を押さえてから、じれったそうに指を離した。
「どう?」
「凄いよくみちー!」
拍手をした私に、照れくさそうな笑みを浮かべた。
「良く弾けるね。アドリブってやつ?」
「まさか。暇な時に練習してたの」
「他にも色々弾けたり?」
「もちろん」
次に弾いたのは響子ちゃんのソロ曲だ。サビの部分だけ弾いてみせてくれた。
「それから……これもね」
そして、指が奏でだした。跳ねるような出だしに、私は嬉しくなる。
私の歌、『ミツボシ』だった。
元気いっぱいなんだけど、どこか穏やか。
ピアノだからそう聞こえるのか、くみちーがそう弾いているのか。
体が自然とテンポを取り出す。
それを予期していたかのように、くみちーが私に振り向いた。
誘うような表情。私も笑みを返した。
メロディーに合わせ、私は歌い出した。ピアノの音色はいつもよりゆったりテンポ。
私も気軽に歌う。散歩中、ちょっと口笛を吹くように。
それが初めてだなんて思えないほど二人の呼吸はぴったりで、サビまで歌いあげた。
今度はくみちーが私に拍手をしてくれる。
答えるように両手を上げてから、壁際の椅子を客席に見たて、くみちーを紹介。そして私も拍手を送った。
それからなんだかおかしくなって、二人で笑い合った。
「舞台、三人で立てるといいね」
くみちーの言葉に、私は頷いた。
「立てるよ、絶対。私たちなら」
でも、自分で歌っていてなんだが、今のはなかなか良かったのではないか。
ひらめきが頭に浮かんだ。
「そうだよ、今みたいにさ。アレンジしてみたらどうかな?」
「アレンジ?」
「そう。例えば、舞台にピアノを持ってって、くみちーのピアノの伴奏で曲を歌うの。しっとり大人な感じでさ」
私たちはあの頃のように三人で舞台に立ちたい。
でも、なにもかもがあの頃のままである理由はない。
私たちだって変わっているのだから、サンノスのありようが変わっても問題はない。
「それいいかも!」
くみちーも感心するように言った。
「それなら早速よ。未央、スマホ」
「スマホ?」
「プロデューサーに電話よ」
「ホントに早速だね」
言うが早いかとは、まさにこのことだ。
「思い立ったら吉日よ。未央のスマホってテレビ電話ってできる?」
「つまり……演奏をみせるってことだね。電話越しに」
「そういうこと」
電話越しに演奏を聴かせることはできるが、映像があった方が何倍も効果的にアピールできるだろう。
あいにく私のスマホでは出来なかった。くみちーのスマホでも出来なかったが、タブレットのアプリではできるらしい。電話をしてからそのアプリで映像を送ることにした。
くみちーがタブレットを取りに行っている間に、私はプロデューサーに電話をかける。
しかし、呼び出し音が鳴り響くばかりで電話に出る気配がない。くみちーが戻ってきた時に、留守電に切り替わった。
「プロデューサー、なんて?」
電話を切った私に、くみちーが聞いてきた。
「それが電話に出なくてさ。仕事中かな」
「そっか、それはそうだよね」
世間は休日でも、プロデューサーが休日とは限らない。
仕事だとしても、事務所ではなく他の仕事現場に行っている可能性もあった。
「どうする、くみちー?」
「……ともかく動画だけ録画しとこ。後のことはその後に」
タブレットで、私とくみちーは動画の撮影をした。
何度か撮り直しをして、よさそうなものを保存したころには、かなりの時間がたっていた。
スマホを見ると、プロデューサーから折り返しの電話が入っていた。撮影に夢中で気付かなかった。
また電話をかけ直す。やはりプロデューサーは電話に出ない。
「タイミング合わないわね」
くみちーは腕を組んで考えていたが。
「それなら、ちひろさんに電話してみて」
「ちひろさんに?」
「ちひろさんならプロデューサーの場所、分かるでしょ。もし事務所にいるならすぐにでも乗り込めるし」
「乗り込むって……今日行くの?!」
ちょっとびっくりしたが、くみちーはきっぱりと答えた。
「そうよ。気持ちは熱いうちに伝えなきゃ。それには会うのが一番でしょ?」
「それに」と、くみちーは続けた。
「美羽には負けてられないじゃない? 私たちも少しはちゃんと行動しなきゃね」
ちひろさんに電話をすると、プロデューサーも事務所にいることが分かった。
幸い、しばらくは事務所にいるらしい。
タブレットをくみちーのバックに入れて、私達は事務所へ向かった。
最寄りの駅についたころには、日は微かに傾き始めている。
間もなく、夕暮れの時間だった。
急かす気持ちが、私達の歩みを普段より早くさせていた。
事務所に着くと、少しだけ汗ばんだことに気がついた。
プロデューサーの部屋に向かったが、そこにプロデューサーはいなかった。もう帰ってしまったのか。
スマホが鳴った。プロデューサーからだった。
「プロデューサー?」
「どうしたんだ未央、さっきも電話があったけど」
「今から会えないかな?」
「会うって……電話じゃ駄目なのか?」
「駄目。今すぐ。プロデューサーはどこにいる?」
「事務所だけど――」
「私達も今、事務所にいるかさ」
「はあ?」
「プロデューサーの部屋の前で待ってるから」
よっぽど驚いたのか。プロデューサーはしばらく黙っていたけど。
「……分かったよ」
そう言って電話を切った
耳からスマホを離すと、くみちーが聞いてきた。
「どう?」
「来るって」
「……そっか」
少しして、プロデューサーが廊下の角から姿を現した、
こちらを見て、一瞬プロデューサーは硬直した。
視線は私ではなく、くみちーに向けられている。
それから、なんでもないように言った。
「美羽はいないのか?」
「みうみうは仕事でしょ」
私が答えると、いま思い出したかのように頷いた。
「ああそっか、今日は加奈と仕事だったな」
「しっかりしてよね、プロデューサー」
茶化すように笑ってみたけど、プロデューサーは笑わなかった。
「それで話って言ってたけど……中でいいか?」
プロデューサーは自分の部屋を指し示す。
「うん」
三人で部屋に入る。背景に広がる風景は、いよいよオレンジを強くしていた。
「それで、私達から提案なんだけど」
「その前に、俺からお前達に話がある」
私の言葉を遮るように、プロデューサーは口を開いた。
「話って……サンノスのこと?」
プロデューサーは頷いた。
かしこまった態度に、私はなんだか嫌な予感がした。
「どうせなら美羽もいた方が……いや、いいか」
「気になる言い方しないでよ、プロデューサー。美羽がなんなの」
くみちーの口調は刺々しい。最初から喧嘩腰だ。
「ちょっとくみちー、落ち着いてって」
「落ち着いてるわよ」
「いいんだ、未央」
プロデューサーは力なくいった。
「言い方が悪かった。三人に関わることなんだから、美羽もいた方がいいと思ったんだ」
「だろ?」と確認すようにくみちーに目を向けた。
くみちーは気まずそうに視線を逸らした。肩腕を落ち着かなさそうにさすっている。
「それで……なに」
くみちーの言葉に、プロデューサーははっと我に返った。
「あ、ああ。そうだな」
プロデューサーはすぐに答えなかった。落ち着かなそうに指を重ねていたけど。
「さっきまで会議があった。ライブの企画会議」
「えっ?」
私は唖然とした。
「ちょっと待ってよ、会議って来週じゃ」
確かにそう言っていた。くみちーも驚きの声をあげた。
「そうよ。そう言ってたじゃない」
「想定より提案が多くてな、複数に分けることになったんだ。一次と二次って形に」
「待ってよ、ってことはじゃあ」
「ああ、未央の案ももう会議にかけられた」
どきりとした。
「……どうなったの」
私の問いにプロデューサーはあくまで淡々と答えた。
「結論から言えば、企画は通らなかった」
体からすっと力が抜けた。
嫌な予感はしていた。
それでも、もしかしたらとどこかで期待していたのに。
「そんな……」
「ただし、落ちた訳でもない」
「? どういこと」
プロデューサーの続けた言葉に、私は眉をひそめた。
「保留って形になったんだ。意見が割れて。先日の一件もあったしな」
先日の一件とは、みうみうの生放送での発言だろう。
みうみうを気にしたのも、その話題に触れるからというのもあったのかもしれない。
「正直言えば、あの行為自体はかなり反感を買ってる。出過ぎた真似だって言う人もな」
「でも!」
机に身を乗り出しそうだったくみちーを、プロデューサーは手で制した。
「ああ、行為自体は反感を買ってるけど、マイナスに働いたばかりじゃない。少なくとも美羽がああした理由は伝わってる。その情熱については、みんな納得してるんだ」
「なら、なんで」
「……前に話した理由と一緒さ」
「私たちのイメージの都合ってこと?」
プロデューサーは頷いた。なんだか投げやりに。
「そうさ。今さらサンセットノスタルジーなんか出して、どうするんだってことさ」
吐き捨てるように言ったプロデューサーに私は耳を疑う。
「今さらですって?」
呆然としてた私の横で、くみちーは眉間にしわを寄せていた。
「ああ。もうお前たちには色んな活動も、色んなユニットもある。三人とも人気が出て、どんどん忙しくなってる。
今さらサンセットノスタルジーを引っ張り出してきてもお荷物だとさ」
プロデューサーの言葉に、私はショックを受けて。
それ以上に当惑した。
プロデューサーが疲れているようにみえて。
まるで自棄になっているみたいだった。
「お荷物ってなに……!?」
くみちーは大きく目を見開くと、プロデューサーに詰め寄った。
「勝手に決め付けないでよ!」
「ちょっとちょっと!?」
今にも掴みかかりそうな剣幕のくみちーを、私は必死に抑える。
「他のユニットがなんなの!? サンノスはサンノスだけなのに! プロデューサーだって分かってるんじゃないの!?
……分かってたんじゃ!」
「分かってるさ。だがそれがなんだ。そんなもん誰も知ったこっちゃない」
「なんですって!」
「落ち着いて、ねえ!」
「未央はやりたくないの?!」
「やりたいけど!」
私はくみちーを壁ぎわまで連れていく。くみちーはまっすぐとプロデューサーを睨んでいた。
息を荒げながら、悔しそうに。キレイな眼に涙をためて。
「信じてたのに、プロデューサーのこと」
くみちーの体から力が抜ける。歯を食いしばりながら、壁によりかかった。
くみちーはプロデューサーを信頼していた。
信頼していたから、あんなことを言って欲しくなかった。
それは私もだ。
「プロデューサーも、その言い方はないんじゃない?」
私はくみちーの肩に片手を置きながら振り返った。
プロデューサーは反対側の窓に寄りかかって、眼をつぶって頭を抑えていた。
何度か頭を振ってから、重たそうに顔を上げる。
瞳は鈍い輝きを放っていた。
「いいか。俺には義務がある。お前達を預かってる義務が。俺にはお前たちを成功させる義務があるし、あると思ってなきゃいけない。もちろん会社にもな。その為の売り方があるんだ。道筋さ。うまくいってるときに、その道筋を外させる訳にはいかない。やりたいことが全部できるわけじゃないんだ」
「それをなんとかするのがプロデューサーじゃないの?」
私の口調は、少しきつくなっていた。
「そうなんだけどな……実力不足かな」
皮肉げに、プロデューサーは呟いた。
「俺だけで、決められる問題じゃないんだ」
プロデューサーは窓の外に向ける。
ビルの山々の間から覗く夕日を、見ているかのようだった。
はっとなった。
私はとんでもない勘違いをしていたのではないか。
てっきり、プロデューサーが乗り気でないとばかり思っていた。だが、そうでないとしたら。
それまでの結果がこれまでの態度であったとしたら。
「もしかしてプロデューサー、サンノスの企画、何度か出してたりしてたの……?」
プロデューサーは驚いたように振り返った。
「いやあ、それはどうかな――」
誤魔化すように微笑んでみせたけど、小さく首を振った。
「隠すのもあれか……ああ、何度かは」
「うそ……」
信じられないようにくみちーが呟いた。
「ホントだよ。イベントの折とかにな。でも、全部だめだった」
「え……なんで言ってくれなかったの……?」
「企画を出してた事か? 言ってどうする。叶わないのに期待させるのは、いいことじゃないだろ」
聞き覚えのある言葉だった。みうみうの生放送事件の時に、私に言ったことだ。プロデューサーはそのスタンスを、ファンだけではなく私たちにも貫いていたのだ。
そうなると、最初に私に無理と言い放った理由も分かった。あそこまではっきりとした拒絶。それも、『ダメ』でもなければ『できない』でもない。
無理という言葉の意味。
私はアイドルだからとか、プロデューサーだからとか難しく考えてしまっていた。
なんてことはない。それはプロデューサーという一個人として言ったのだ。
何度も、何度も企画を出しては拒否されて。
無理という言葉は、プロデューサーの心のうちそのものだった。
「だから、今回も期待させたくなかったんだ。通らない可能性の方が、遙かに高いからな」
「だがまあ」と、プロデューサーは続けた。
「そうだな。なんとかするのがプロデューサーの仕事だもんな。後一週間ぐらいだけど、精一杯やってみるさ」
部屋を出る時、プロデューサーは私たちに謝ってきた。
黙っていたこと。あんな言い方をしてしまったこと。
プロデューサー失格だ。自嘲するようなプロデューサーに私は首を振った。
そんなことないよ。そう返すのが精いっぱいだった。
廊下を私たちは歩いていく。
夕焼けが全ての陰影をくっきりと映し出し、私たちの存在をこれでもかと浮かび上がらせていた。
不意にくみちーが足を止めた。
振り返ると、弱々しく俯けた顔には憂いが浮かんでいた。肩からかけたバックの紐を、怯えるように掴んでいた。
「……私、最悪だよね」
「そんなことないよ」
無意識に、プロデューサーへいった言葉をそのまま口に出していた。
だってそうではないか。二人とも想いは同じだった。それが微妙にすれ違っていただけなのだから。
「そんなことあるわよ」
でも、くみちーは受け入れなかった。
「あんな一方的に言って。私、まだまだ子供だ……」
痛ましくなるような響きに、心がきゅっとなった。慰めの言葉を探したけど、けっきょく口をつぐんだ。
くみちーに必要なのは、そんな言葉でないように思えて。
「プロデューサーに、謝ってくる」
顔をあげたくみちーは、怯えるように表情が強張っていた。
それでも、その瞳にはしっかりと決意が浮かんでいた。
「うん、そうだね」
私も行こうか一瞬悩んだけど、止めておいた。その代わりにくみちーに言った。
「せっかく撮った動画、見せてなかったもんね。ちゃんと見せてあげてよ」
「分かったわ……ありがと」
早足に戻るくみちーの背中を、私は見送った。
くみちーの長い髪が夕日に反射ししながら、宙でキレイに踊る姿に、私は目を細めた。
くみちーとプロデューサーは仲直りをしたらしい。
くみちーはそう言っていたし、事務所内でもくみちーがプロデューサーと話しているのを何度か見かけていた。二人とも、柔らかく笑いあっていた。
サンノスの企画の件を、くみちーは合間をぬって手伝っているらしい。
みうみうも同様だ。
私も一度だけ、レッスンの合間に顔を覗かせたことがあった。
部屋に入ると、ちょうどプロデューサーがパソコンと睨めっこをしていた。
プロデューサーの横では、みうみうも画面を見て首をひねっていた。
「あ、未央ちゃん」
みうみうはパッと顔をあげた。
「プロデューサーの邪魔しちゃダメだぞー、みうみう」
「邪魔じゃないって。口を挟みにきたの!」
人によっては邪魔だと思う類の奴だ。
でもプロデューサーにとってはそうでもないらしい。
「未央も見るか?」
「いいの?」
「お前もサンノスだろ」
私はまわり込んで、パソコンの画面を見る。説明文とともに、いくつかの衣装のラフイラストが乗っていた。
「へえ、衣装を変えるの?」
「ああ。久美子と撮った動画あったろ、あれで思いついたんだ。あえてイメージをがらっと変えるのもありかなって。それで、知り合いのデザイナーに頭下げて、急ぎでいくつか描いてもらったんだ」
プロデューサーからマウスを譲ってもらい、画面をスクロールしていく。
お姫様風のものもあれば、かつてのサンノスの衣装みたいにタイトでセクシーなのもある。
さらに、それらの複数のカラーバリエーションが乗っていた。
「この白いのってかっこいいと思わない?」
みうみうが指さしたのは、タイトな衣装の白いバージョンのものだ。
「カッコいいけど……ちょっと地味かも」
「まああくまでラフだから。その後に色々修正をするさ」
私が見やすいように椅子を後ろに引いていたプロデューサーは、腕を組んで短く唸った。
「イメージを変えるのはいいけど、分かりやすい追加コンセプトが欲しいんだよな」
「ウサギとかは?」
と、みうみう。
「みうさぎにくみさぎ、みおさぎのトリプルウサギ!」
「未央はなんかあるか?」
完全スルーだった。
「プロデューサー!?」
大袈裟にショックを受けてる真似をしたみうみう横目に、私は首をひねる。
「星空とかはどう?」
「……それ、自分の曲から持ってきただろ」
「うっ、バレた?」
この前、ミツボシをくみちーと歌ったこともあって、頭によぎったのだ。
ただ、そのままじゃあれなので、咄嗟に空を追加してみたけど。
「星空」
と、声をあげたのはみうみうだった。
「いいじゃないですか、プロデューサー。素敵ですよ星空って!」
「そうだな……悪いモチーフじゃないのかも」
最初は興味を示さないようだったけど、吟味するうちに意見が変わったようだ。
プロデューサーは一人頷いてた。頭の中では既に色々なイメージがめぐっているようだ。
「それなら部長も納得してくれるかも」
ポロリと漏れた言葉が、私は気になった。
「部長?」
「あ、ああ。部長が、あんまりサンノスに乗り気じゃないんでね」
「部長さんって、どんな人でしたっけ?」
部長ということは、プロデューサーの上司となる人だから私たちも顔を合わせているはず。
忘れてしまうなんて、みうみうもうっかりしているというか。
なんて思ったけど。
「あれ? どんな人だろ」
私も全く顔が浮かばなかった。
「仕方ないさ。部長はアイドルとは顔を合わせないようにしてるからな」
「そうなんですか?」
「ああ、悪い人じゃないんだがな……リアリストというか、捻てるというか。私情をはさみたくないのさ」
上に立つということは、アイドルの活動に対して、厳しい決断を下さなければならないこともある。
そういうときには、アイドルと顔見知りではない方がいいと考えてるタイプか。
それって、逃げてるようにも思えた。
私たちと向き合っていないんじゃないか。
椅子に座って、書類の上の数字だけを見て。利益になるか、ならないか。
この子はお金になる。この子はお金にならない。
私たちの頑張りなんか気にもしないで、管理しているのだろうか。
理屈は分かるけど、なんだか嫌な感じだった。
ノックの音が聞こえて、返事も待たずに扉が開いた。
「Pチャン、入るよー」
やってきたのはつっちーと日菜子ちんだ。
「美羽ちゃん居るでしょ――」
つっちーの元気な声は、私と目が合った時に弱まった。
小さく口を開けて気まずそうに私を見ていたけど。
「……でたな、ニュージェネレーション」
ちょっとぎこちなく笑顔を浮かべた。
「そっちこそ、ニューウェーブ」
「あれ、どうかしたの二人とも?」
「ほらー、やっぱり」
みうみうの反応を見たつっちーは日菜子ちんの方に訴えるように向いた。
「忘れとったやろ。美羽ちゃん」
「おやおや、これはいけませんねえ」
八の字眉毛で笑いながら、残念そうに日菜子ちんは首を振った。
そんな二人の態度に、「えっ? えっ?」とみうみうは困惑していた。
「な、なにかあったっけ?」
「これはなにかなー」
つっちーは斜めにかけたポーチからチケットを取り出した。
淡いピンク色のそれには、『無料券』と書かれている。
「あっ。今日だっけ?!」
「やっぱり忘れとったか」
はあ、とつっちーは首を振りながら息をついた。
全く状況が読みこめない。
「なんの券なの、それ?」
「亜子ちゃんが福引で当てた券なのですよ」
日菜子ちんが説明した。両手を腰に当ててつっちーは胸を張った。
「そうやでー。せっかく三人で行こうって思ったのに、みうみうは酷い子やでまったく」
「えっと、あれー。明日じゃなかったっけ?」
「明日はアタシが出かけるから無理になったって伝えたはずやで」
「そうだっけ?!」
みうみうは携帯電話を取り出してメールを確認しているようだった。
そんな様子を見ながら、つっちーは広げたチケットを扇にして仰いでいた。
「あーあー。そんな薄情な子やったなんてな。悲しいわぁ」
つっちーはチケットで顔を隠す。なんだか様子が変である。
日菜子ちんも本気で怒っている様子はない。
「え、ちょっと待ってよ。そんなメール……やっぱり……」
「……ふふっ」
と、つっちーが堪え切れなくなったように笑い声をあげた。
ポカンとするみうみう。
日菜子ちんが言った。
「冗談ですよ、美羽ちゃん」
やっぱりそうか。二人の態度から、なんとなく予想できていた。
「えー!?」
みうみうは眼を開いた。
「ひどーい。この前予定間違えそうになったの、気にしてるの知ってるでしょー!」
「だからやって。そっちのドッキリに比べたらカワイイもんやろ」
「うっ……」
「なあ?」
つっちーがにんまり笑ってくる。それは当然、生放送の一件だろう。
あれは完全に独断で、つっちーや日菜子ちんも知らなかった。あれに比べればこんなものはドッキリにもならない。
私も苦笑しながら肩をすくめて。
「あれは私も驚かされた側だからね」
と、一応弁解しておいた。
「だからまあ」
つっちーは言った。
「これでおあいこ。ってことやらかね。美羽ちゃん」
気恥かしそうに頬を染めている。なるほど。その一件に対する、つっちーなりのけじめのつけ方なのだろうか。
私はおかしくて少し笑んでしまった。そんな私に気付くと、つっちーは目を丸くしてから視線を逸らした。大げさに息をつく。
「もー、ホントかなわんね。美羽ちゃんには。もうちょい落ちついたらどう? ギャグを減らすとか?」
「えー、この前のはゴメンだけどー! それだけは勘弁して」
やいのやいのといいあっている二人に、なんだか安堵した。
「実はですねー」
気付くと、日菜子ちんが私の傍までやってきて、口元を片手で隠しながら小声で言う。
「あの券、福引で当てたなんて嘘なんですよ」
「そうなの?」
「きつく当たり過ぎたかも……などと気にしていたんです。不器用なりに謝ろうとするのも、なかなかよいものですねー」
日菜子ちんはいつものように笑っているけど、それは普段より少しだけ優しく見えた。
「ちょっとそこ、なにひそひそ話してるん?」
「むふふ……秘密は乙女の特権ですので」
「アタシも乙女なんですけどー」
「分かってますよ……だからこそ……むふふ」
「もう。ほら、ええ加減に行こよ」
つっちーは二人に手真似で出ていくように促した。
みうみうと日菜子ちんが出ていっても、つっちーはすぐには動かなかった。
私は首をかしげていると、つっちーが私の方に振り返る。
なんだか険しい表情。一体どうしたのか。そう思っている私に近づいてきた。
「あのな」
そこで言葉をとぎる。
気になったのか、プロデューサーを一瞥した。プロデューサーはこちらを見ていたけど、パソコンの画面に顔を戻した。
つっちーは、小声で言った。
「その……この前はゴメン。あんな言い方して」
どうやら、謝りたい相手はみうみうだけではなかったらしい。
「いいって。みうみうのこと、心配してくれてたんだもんね」
「……ホンマ。叶わんわ」
独り言のように呟いた。
「サンノスもええけど、ブエナ・ステルテも負けんから。だから……頑張って企画、通してよね」
「もちろん」
「じゃあ」と言ってつっちーも部屋を後にした。扉が閉まるまで、廊下で騒ぐ三人の声が聞こえてきた。
「騒がしい奴ら」
微笑みながら言ったプロデューサーに、私も同意をしておいた。
少ししてから、私もプロデューサーの部屋を出た。
一人で廊下を歩きながら、スマホとにらめっこしていた。
あーちゃんにメッセージを送ろう。そう思ったのだ。
別に喧嘩をしているわけではない。
ちゃんとレッスンはこなしてるし、合間には雑談だってする。
ただ、そんなやりとりが全部、そらぞらしく感じて。
頭をひねって、文章を書いてみて。
送信ボタンに触れかけて。
しかし、押せなかった。
なにをこんなに悩んでいるのだろうか。
そらぞらしく感じるのも、私の考えに過ぎない。
少し距離を感じるのも、会話が前より続かなくなったも、全部自分の勘違いだろう、きっとそうだ。
それでも訳も分からず情けなくなって、私は一人息をついた。
その日は、朝から落ち着かなかった。
スマホが振動するたびに私は画面を見て、遊びの誘いだったりメルマガだったり登録したまま解除の仕方が分からなくなった星座占いだったりを見ては肩を落とした。
授業中も身が入らなくて、カチカチとシャーペンの芯を出して何本か無駄にした。
黒板を書き写そうと思っても、何度も中断するせいで転写は飛び飛びになって、面倒な穴埋めクイズを作り出しただけだった。
お昼休みでは友達とご飯を一緒に食べながら、チラチラとスマホを伺って、どうしたのと友達からも訝しがられてしまった。
そんな帰り道。
ドキリとした。
プロデューサーからメッセージが入っていた。
あれだけ気にしていたのに、そのメッセージに気付くのは遅れてしまった。
私は恐る恐る、メッセージを開いた。
『サンセットノスタルジー、企画通った』
歩道だというのに、周りの目を気にしないで私はガッツポーズをした。
近くを歩いていた小学生が、びっくりした顔で私を見ていた。
事務所に着くと、みうみうの姿があった。
ソファーに座っていたみうみうは、入ってきた私を見るや否や、うさぎの如く勢いで私に駆け寄ってきた。
「未央ちゃーん!」
なりふり構わず飛びついてきたみうみうを私は受け止めた。体勢を崩し、危うく尻もちをつくところだった。
「ちょっとみうみう?!」
びっくりして心臓が鳴っていたが、そんなことはおかまないなし。
「やったね、未央ちゃん!」
みうみうが両肩に手を置いたまま、体を離す。正面に実った笑顔を前にして、注意する気なんて吹き飛んでしまった。
「うん。本当に良かったよ」
「ねっ!」
みうみうがまた私に抱きついた。今度は私も抱きつき返して、意味もなくくるくる回ったりした。
部屋にくみちーも入ってきた。
「なに回ってるの、二人とも」
「喜びのダンスだよ!」
「ダンスだったの、これ?」
いつのまにか私も修練していたらしい。
「サンセットノスタルジーのお祝いのダンス。そう、サンセットダンスでだんす!」
「みうみう、変な語尾で誤魔化してない?」
と、私。
「うっ」
「そうね。もう一声よ美羽」
と、くみちー。
「えっ」
「そうそう、もう一回もう一回」
「うんうん」
煽ったのは二人。
みうみは、あたふたと考えを巡らせていた。
「えっと、その……あー。サンセットで……ダンスで……サ、サンノスで、タンゴする……サンノス……タンゴス!」
「タンゴスってなに?」
「聞かなかったことにしてあげるわ、美羽」
「二人が言ったのに!」
抗議するみうみうに私達は笑い声をあげたけど。
くみちーが、気を取り直すように小さく息をついた。
「三人で集まるの、久しぶりだね」
「ほんとだよね」
みうみうが言った。
「未央ちゃんとも久美子さんとも会ってるけど、三人では集まれてなかったもん」
「この前、集まろうとしたんだけどねー」
からかうようなくみちーに、みうみうがうにうにと手を揉みながら視線を逸らした。
「あれはそのー……お仕事の都合で」
「ちゃんと把握しておきなさいよ」
「久美子さんのいけずー」
「まあまあ、二人とも」
こんなやりとりですら、私は嬉しくて笑ってしまった。
少しして、プロデューサーが入ってきた。
「もう三人とも来てたか」
「プロデューサーが遅いのよ」
くみちーの言葉に、プロデューサーはちらりと腕時計を見る。
「約束の時間まで、あと五分はあるのにか?」
「早く来る方が遅刻するよりましでしょ」
「待ち切れなかったのか?」
「……どうでもいいでしょ。ほら、早く企画を見せてよ」
図星のようだ。くみちーはちょっと照れくさそうだった。
プロデューサーが私達に企画書を配る。
出来あがった企画書を、ドキドキしながらめくった。
「テーマは『Restart』だ。新しいスタートとして、改めて舞台に立つ。リバイバルじゃなくて、リメイクってことだな」
衣装は以前にみた白い服を基礎に、銀河を思わせる星が散らされていた。
歌う曲は新しい衣装に合わせた『ミツボシ』のアレンジバージョン。デモを聞かせてもらったが、私とくみちーでやったバージョンとはまた違う。
「まさに『Restart』だね」
「だよね」
呟いた私に、くみちーが自慢げに微笑んだ。
「時間はありそうでない……なんてことは、今さら言うまでもないか」
プロデューサーは私に目を向ける。
「スケジュールに関しては、特に未央がキツいけど、大丈夫だよな」
確認するように言ってきたプロデューサーに、私は頷いた。
「もちろん。任せてよ、プロデューサー!」
私達は三人で事務所を出ることに。
「サンセットノスタルジー、だね」
まだ喜びの余韻に浸っているようだ。みうみうは廊下を歩きながら、手に持った企画書を見つめていた。
「嬉しいのは分かったけど、鞄にしまいなさいよ」
くみちーが注意したが、みうみうは大事そうに企画書を抱きかかえた。
「だって、サンセットノスタルジーだよ? やっとできるんだもん。久美子さんも嬉しいでしょ?」
「そりゃ嬉しいけど。読みながら歩くのは危ないわよ」
「まあまあ、いいじゃんくみちー。今日のところはさ」
くみちーの言うことはもっともだが、みうみうの気持ちは十分わかる。
「えっへっへー」
気持ちがそのまま行動に出てるみたいに、みうみうは弾むように私達より先へ進んだ。
廊下の曲がり角の手前でこちらに振り返る。
「だってさ――」
そんなときに、運悪く人が曲がってきた。
みうみうとその人影はぶつかって、二人とも倒れてしまった。
「うきょあ!?」
「きゃっ」
ぶつかった相手に気付いて、私ははっとなる。
「あーちゃん!」
私は慌てて二人の元へ駆け寄る。あーちゃんは尻もちをついてしまい、バッグが床に転がっていた。
みうみうも同じようでお尻をさすっていたが、すぐにあーちゃんに謝った。
「ごめんなさい、藍子さん」
「うんうん。私こそうっかりしてたよ。美羽ちゃん、怪我はない?」
「あー。たぶん大丈夫です!」
あーちゃんは、みうみうが落とした企画書を手渡す。ぺこぺことみうみうが頭を下げた。
「ホントごめんなさいー!」
「良いって、もう」
「大丈夫、藍子」
「あっ……久美子さん」
かけよってきたくみちーをあーちゃんは見上げる。
それから改めてみうみうを見て、最後に私へ眼を向けた。胸の内がチクリとする。
私は手を伸ばす。
「あーちゃん」
「……ありがとう、未央ちゃん」
浮かべた笑みは、どこか力なくて。
あーちゃんの柔らかな手を掴み、私はあーちゃんが立つのを手伝った。
くみちーもみうみうに手を伸ばす。
「ほら、いわんこっちゃない」
「うう……ゴメンなさい」
立ちあがったみうみうは、改めてあーちゃんに謝る。
「ほんと気にしなくていいから。私も、ちょっとボーっとしてたし」
それからあーちゃんは言った。
「それじゃあ、私は」
「あー、ちょっと待って」
去ろうとしたあーちゃんを私は呼び止めた。
「少し話せない?」
「……いいけど」
「じゃあ、私達は先に帰ってるわね」
と、くみちー。みうみうは不可思議そうに首をかしげた。
「えっ、みんなで帰ればいいんじゃない?」
「いいから」
くみちーはみうみうの背に手を添えて促した。みうみうは状況が飲みこめていないようだが、くみちーに従った。
「えっと。じゃあね。未央ちゃん、藍子さん」
「お疲れさま」
「うん、お疲れ」
二人は廊下の角を曲がっていく。私は二人の背中を見送った。
どうやら、くみちーが気を使ってくれたようだ。
「良かったの? 二人と一緒に帰らなくて」
「うん。今はあーちゃんと話したかったから」
「……」
「あーちゃん、部屋の方に用事?」
「うん。ちょっと忘れものを取りに」
「なら、私も付き合うよ」
私はあーちゃんと並んで、来た道を戻っていく。
先ほどまではあんなに騒がしかった廊下が、急に静かになったように感じた。
「サンセットノスタルジー、企画通ったんだね」
あーちゃんの言葉に、私は驚いた。
「どうして」
知ってるの。言おうと思って、答えを聞く前に理由に思い当たった。
「美羽ちゃんが持ってた企画書、サンセットノスタルジーのでしょ?」
「うん。まあ、そうだね」
少しの沈黙のあと、私は言った。
「言えば良かったよね、サンセットノスタルジーのこと」
「別に、そんなことないよ。未央ちゃんのことだもん」
「うんうん、やっぱり言わなきゃ駄目だったんだよ。あーちゃんも茜ちんも、大事な仲間なんだもん」
もちろん。これは私の活動だ。ポジパは関係がない。わざわざ言う理由もない。
でも、言わない理由もない。
あーちゃんに言えなかったのは、別の理由だった。
「私ね……怖かったんだよ。サンセットノスタルジーをやるの、あーちゃんに嫌って言われたらって」
だから言えなかった。
もし相談してあーちゃんが拒否したら、私は説得できただろうか。自信がなかった。
それで喧嘩にでもなったと、怖かったから。
本当は、ずっと分かっていたことだった。
でもそれを認めたくなくて、気付かないふりをしていた。
「そんな訳ないのにね。あーちゃんが嫌なんていう訳、なかったのに」
私が曖昧な態度を取ってしまったせいで、かえって妙な距離感になってしまった。
「だってあーちゃんなら、私のやることを応援してくれるはずだもん」
あーちゃんは黙って話を聞いていたけど、やがて微笑んだ。
「ずるいなあ、未央ちゃんは。そう言われたら、応援するしかないじゃない」
その言い方はちょっと拗ねたようで、とても可愛かった。
「もちろん、ポジパだって手を抜くわけじゃないよ」
私は両手を後ろで組むと、茶化すようにちょっと大げさに言った。
前かがみになって、あーちゃんの顔を覗き込む。
「ポジパもニュージェネも、未央ちゃんはどれも全力全身だから。サンノスがあるからなんて、いい訳しないでね」
「もちろん。でも、あんまり無理をしないでね」
「分かってる分かってる」
あーちゃんとは駅まで一緒に歩いた。
会話の花はゆっくりと、段々と華やかに咲き誇り駅に着くころにはすっかりいつも通りに戻っていた。
戻っていたと思う。
電車に揺られながら、私はあーちゃんの言葉を思い出した。
あの言い方は確かにずるかったと思う。自覚していた。
あーちゃんに応援してほしいと押しつけているようなものだ。
拒絶されるのが怖かったから、先にああ言ってしまった。
そして、あーちゃんもそれを受け入れてくれた。
あーちゃんの優しさに、甘えたのだ。
ならばせめて、我がままを通しただけの努力を見せなければ。
(頑張らなきゃな……)
遠くでは日が沈み出し、空は夜の闇に染まり始めていた。
それからの日々は、あっという間に過ぎていった。
番組撮影に加え、ライブに向けての準備の数々。
ポジパやニュージェネでの仕事。サンノスのレッスン。
そしてもちろん、学業だって怠ってはいない。
ライブに耐えられるように、基礎レッスンも増やしてもらった。
遊びの予定も減らしたくない。
減らしたら、負けたような気がして。
気付けば、私の手帳に刻まれた予定は真っ黒になっていた。
「こんなに基礎レッスンを入れて、大丈夫なのか?」
なんて言ったのは、トレーナーさんだった。レッスンの終わり、息をついた私にトレーナーさんが聞いてきた。
「平気平気。なによりも基礎が大事って、トレーナーさんがいつも言ってることでしょ?」
「そうだが……根の詰め過ぎもよくないぞ」
「なにいってるの。この未央ちゃん、体調管理はばっちしだよ。ともかく、ライブまでは頑張りたいんだよ。嬉しいことに出番がたくさんあるからね」
「まあ、頑張るのはいいが……」
「心配してもらえるのは嬉しいですけど、今は立ち止まってる場合じゃないんで!」
ピースサインを作って笑う。呆れたようにトレーナーさんは笑っていた。
「本田なら大丈夫だとは思うが……ほどにどにな」
あるレッスンの帰りだった。
その日はニュージェネの二人とのレッスンだった。帰りに三人でいつもいくファミレスに寄った。
ドリンクバーを頼んで、とりとめのない話をしていた。
私はコーラ、他の二人は紅茶とオレンジジュースをとってきた。
しぶりんのお店に、この前は相葉ちゃんが来たらしい。しまむーは美穂ちゃんと響子ちゃんとお茶にいったという。そこで食べたチョコケーキが美味しくて、だから今度行こうと言って――
「未央ちゃん?」
突然名前を呼ばれて、私は顔をあげた。
向かいからしまむーとしぶりんが私の顔を覗いていた。
「えっと、どうしたのしまむー?」
「なんだか未央ちゃん、変ですよ?」
「そんなことないよ。私はいつもどおりの未央ちゃんだよ」
「キャハ」なんて言いながら、私は首をくいっと傾げた。
しかししぶりんは笑わなかった。
「誤魔化しても駄目だよ。未央、ボーっとしてる」
「いやいや、そんなことないって。ねえ」
しまむーに同意を求めたけど、心配そうな表情を浮かべるだけだった。
「ちょっと気張り過ぎじゃない? 今日だって私たちとのダンスレッスンの前に、ボイトレもやったんでしょ」
「うえ……なんで知ってるの?」
「加蓮から聞いたの。一緒に受けてたでしょ」
「あはは……まあ」
「ええ? 昨日も学校の後にレッスン、受けたって言ってませんでした?」
びっくりしたようにしまむーが言う。
「ちゃんと休まなきゃ駄目ですよ」
「大丈夫だって。元気印が目印の未央ちゃんですから。これくらいでへばってたらライブの時に全力は出せないよ」
「気持ちは分かるけど。サンノスのことで気負いすぎじゃない?」
「えっ」
私は言葉を詰まらした。
「未央、気にしてるんでしょ?」
「気にしてなんかないよ。むしろサンノスもあるから、私は頑張んなきゃじゃん」
「それを気負いすぎって言うの。手を抜けとは言わないけど」
「もう、本当に大丈夫だから」
「ふうん」
しぶりんは呟いてから、席を立った。
「あれ、ちょっと、しぶりん?」
「今日はもう帰ろ。しっかり休まなきゃ」
「大丈夫だよ。こうやって話すのも楽しいし、リフレッシュになるよ!」
「未央。リフレッシュもいいけど、体を休めるのも大事だからね」
結局、すぐにファミレスを出ることになった。
中身の減っていないコーラは、溶けた氷ですっかり味が薄まっていた。
「未央ちゃん、ゆっくり休んでくださいね」
別れ際、しまむーが手を振りながらそう言った。
確かに少し、疲れていた。
電車では坐りたかったけど、あいにく席は空いてなかった。
家についた私は、そのままベッドに突っ伏してしまった。指先一つ、動かす気にもなれない。
このまま眠りたかったけど、そうもいかなかった。
(お風呂入ってご飯も食べて……それに、宿題)
鉛のように重い体を起こして机の上を見た。昨日の夜、やろうと思ってやらなかった宿題が乗っていた。
アイドル業も大変だが、それを言い訳にサボるわけにはいかない。
全部を全力でやると決めたのだから。
お風呂に入った後、濃いコーヒーをいれて宿題に向かった。
でも気がつけば、私は机に突っ伏して眠ってしまっていた。
外は薄い膜のような朝霧の中に朝焼けが広がっていた。
変な姿勢で長時間寝たせいで、すっかり体が強張っていた。
窓を開ける。
なにかしようと思っても、頭は全く動いてなくて。
私は長い間、呆然と窓の外に目を向けていた。
その一週間後だった。
その日はポジパのレッスンがあって、その後にサンノスのレッスンが入っていた。
梅雨に入り、小雨がじめじめと降る嫌な日だった。
トレーナーさんが手拍子でリズムを取る。
それに合わせて私とあーちゃん、茜ちんは体を動かしていた。
ターンをするところで、私は血の気が引いた。
いきなり足の踏ん張りが利かなくなった。
支えていた筋肉がどっか行ってしまったみたいに力が抜けた。態勢を崩した私は床に尻餅をついてしまった。
「未央ちゃん!?」
あーちゃんが私の傍らに寄ってくる。
「大丈夫、未央ちゃん?」
「平気平気。ちょっと滑っちゃっただけだから」
バクバクと跳ねる心臓を誤魔化すように笑いながら足を動かす。ひねったりはしていない。
しかし、トレーナーさんは不安そうだった。
「本田、疲れがたまってるんじゃないか。今日はここまでに……」
「だ、大丈夫です!」
私は急いで立ちあがろうとした。
でも、体はすぐには言うことを聞かなかった。
電池が切れたラジコンみたいに、ぴくりとも動かない。
「あ、あれ?」
「未央ちゃん?」
茜ちんも心配そうに私の顔を覗き込んでくる。
「平気、平気」
手を伸ばしたあーちゃんの手を借りて、なんとか起き上がることができた。
「ほら、大丈夫です。やりましょう」
しかし、トレーナーさんは頭を縦には振らなかった。
「駄目だ、少し休憩しよう」
「でも、時間が」
「本田。これはトレーナーの私の指示だ。十分間休憩だ。水分はしっかりとるように」
トレーナーさんは端に置いてあったタオルとスマホを手にレッスンルームを後にした。
「あはは……ごめん。確かに疲れてるかも」
二人の視線が痛かった。誤魔化すように笑って飲み物を飲もうと思った。
でも、いつもならタオルと一緒にあるはずの飲み物がない。
「私、飲み物どうしたっけ?」
「そういえば、今日は飲み物を持って来ていませんでしたね」
茜ちんの言葉に、私は少し驚いた。とんだうっかりをしてしまった。
「あれ、そうだっけ?」
「未央ちゃん。私の飲む?」
あーちゃんが差し出してきたけど、私は首を振った。
「いいよ。自販機で買ってくるから」
「なら私が買ってきましょうか?」
「茜ちんも大丈夫だって。ちょっと行ってくる」
二人から逃げるようにレッスンルームを出る。
酷く気が重かった。
迷惑をかけないようにしているのに。
へばってなんて居られないのに。
だってそうではないか?
泣き言なんて言っていられない。
あれもこれも全部、私の我がままなんだから。
休憩所までやってくる。窓際ではトレーナーさんが誰かに電話していた。
自販機の前までやってきて、商品を目で追っていたけど。
(あれ……お財布は?)
ポケットを探したけど出てこない。
(そうだ……更衣室に)
レッスン中なのだから、更衣室に置いて来ていた。
(なにやってるんだろ、私)
頭が回らなかった。
(早くレッスンルームに戻らなきゃ……じゃなくて、更衣室に。あれ、更衣室? なんで更衣室なんだっけ?)
思考がぐるぐるとまわっていた。
答えまでたどり着かない。壁に手をつきながら歩いていく。
なんで壁に手をついているんだろう?
ふらふらと揺れる頭の感覚が、不意に途切れた。
頭がズキズキした。
喉がカサカサだった。
話声が聞こえてきた。
重たい瞼を開ける。脇に誰かがいた。
ぼやけて良く見えない。それでも見ようとして、首を何度か小さく揺らした。
脇にいた影が、私に気付いたようだった。
「未央ちゃん」
「あーちゃん?」
私の覗きこんでいたのはあーちゃんだった。
あーちゃんは今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「未央ちゃん!」「未央」「未央ちゃん!」
あーちゃんの後ろから茜ちん、くみちーとみうみうが顔を覗き込んだ。
なんでくみちーとみうみうがいるのか。もうサンノスのレッスンの時間か。
それならなんで、あーちゃんと茜ちんがいるんだろう。
そもそも、なんで私はベッドに寝ているのか。
布団はうちのと違って、真っ白で清潔で、生活感の感じられない余所余所しさがあった。
そして薬の匂い。
事務所の医務室だった。
「あれ、レッスンは? どうなったの?」
あーちゃんの顔が強張った。
「覚えてないの、未央ちゃん」
微かに声の震えたあーちゃんに、私は首をかしげた。
動揺をしているようだけど、どうして動揺をしているのか私にはさっぱり分からなかった。
考えようと思っても、頭を覆う薄い靄が邪魔で思考が働かなかった。
「なにが」
ぼんやりと呟いた私に、くみちーが身を乗り出してくる。
「なにがじゃないわよ。倒れたのよ、未央」
「私が……?」
くみちーは怒っているようにも、悲しんでいるようにも見えた。
まるで実感が湧かなかった。
「自販機のそばで倒れたんだって」
「あっ……」
やっとぼんやりと思い出してきた。
あのまま倒れて、少し意識を失って。
それから、誰かに担がれてここまできたのだ。
自分でも信じられなかった。意識を失った経験なんて子供の頃、木登りをして落ちた時だけだ。
でも、考えてみればあの時のように記憶はぷっつりと切れていた。
心配そうにみんなが覗きこんでるのも、一緒だった。
あーちゃんと茜ちんはレッスン着のままだった。
「疲労とストレスからの貧血じゃないかって」
くみちーが言った。
「おかしいな、ちゃんとご飯食べてたはずなんだけど」
そう言ったけど、確かに最近食べる量が少なかったかもしれない。
「バカ言わないでよ……もう」
「あれ、じゃあレッスンは?」
「できる状態じゃないでしょ」
あーちゃんは窘める。本当に心配させてしまったらしい。
申し訳なさで胸がいっぱいになった。
「ゴメンね、あーちゃん、茜ちん」
「ホントだよ、心配したんだからね……私」
あーちゃんの顔がくりゃりと歪んだ。泣くのを必死に我慢していたようだった。
そんなあーちゃんが申し訳なくて、私は励ますように笑って見せた。
「ほんとゴメンって。泣かないでよ」
上半身を起こして、ベッドの柵に体をよりかかる。
みんなを見渡す、くみちーやみうみう、茜ちんだけじゃなくて、奥にはプロデューサーもいた。
「みんなにも心配掛けてごめんね。でも、もう大丈夫だから。休んだしさ。レッスンも……今の時間はサンノスかな?」
つとめて元気に振る舞ったが。
とたん、みんなの顔が微かに陰った。
「どうしたの?」
「あのね、未央ちゃん」
あーちゃんの肩にくみちーが手を乗せた。
振り返ったあーちゃんは顔を俯けた。
私はくみちーに目を向けた。
「サンノスは中止になったわ」
全身から血の気が引いた。
「え、それって。は?」
なにか悪い冗談だろう?
すぐに笑って嘘と言ってくれるんじゃないか。
期待していても、くみちーの表情は沈んだまま。みうみうも、他の二人も。
不安は胸の奥に吹雪の様に積もっていく。
「どういうことなの」
くみちーは答えなかった。どうして黙っているのか。
段々と不安は困惑になり、困惑は怒りへと姿を変えて。
「ねえ、どうして。どうして中止になんか……」
そして怒りは、最後に恐れに変わっていた。
どうしてなんて、馬鹿な言葉でないか。
この状況が、なによりも物語っていた。
「私のせい……?」
くみちーの表情が、微かに強張った。
「ち、違うって。未央ちゃんのせいじゃないって」
みうみうが笑いながら言った。引きつった不器用な笑みだった。
「なんか色々あったんだよ。色々。ねえ?」
「そ、そーですよ。色々あったのですよ!」
茜ちんがうんうんと頷く。
「色々ってなに。いってみてよ、みうみう、茜ちん」
「あーっと……それは」
「ですね……」
とたん、二人とも押し黙ってしまった。
壁にかかった時計の針が進む音が、嫌に室内に響いていた。
焦燥感が胸の内を焦がしていた。
誰かに答えを求めて視線を向けるが、あーちゃんもくみちーも答えなかった。気まずそうに視線をそらしただけだった。
答えは分かっている癖に、そんなことはないと言って欲しかった。
「ああ、そうだ」
はっきりとした肯定が、私の心を凍りつかせた。
プロデューサーだった。
私はプロデューサーの顔を見る。私だけじゃなくて、他のみんなもプロデューサーを見ていた。
「お前が倒れたとき、部長も丁度事務所にいてな。騒動が耳に入ったんだ。それで部長が中止命令を出した」
「待って……その……なんでサンノスなの?」
倒れただけでは、単なる過労で済まされたはずだ。
それに倒れたのはポジパのレッスン中だ。サンノスが中止になる由縁はないはずなのに。
「それは……」
プロデューサーは言いあぐねるように頭を掻いていたけど、続けた。
「トレーナーさんが話したんだ。部長と鉢合わせて、倒れた理由を問い詰められたんだ。それでサンノスのことがあるから、無理をしてるって。部長は、あんまりサンノスに乗り気じゃなかったからな。それで今回の一件だ」
「そんな」
「トレーナーさんを責めないでくれよ。お前が目の前でぶっ倒れて動揺してたんだ」
フロアで電話をしていたトレーナーさんの姿を思い出す。
トレーナーさんが気にかけてくれていたことも、分かっていた。
体中から力が抜けていった。
「じゃあやっぱり……私のせいなんだ」
サンノスの件で色んな人に心配かけて、だからこれ以上心配させないようにどれも全力でやった。
その結果、最悪の事態を招いてしまった。
そう分かっても、私は悔しかった。悔しくて、惨めだった。
「未央、今回は仕方ないよ」
慰めるようにくみちーが笑みを浮かべた。
そんな言葉、かけてほしくなかった。
「なんでそんなこというの」
「あんたが無理してたの、分かってたのに止めなかった。私にも責任はあるから」
私はみうみうを見る。みうみうは笑っていた。
企画書を胸に抱いていた時とは全然違った笑顔だった。
「そうだよ。未央ちゃんが体壊してできなくなったら、サンノスどころじゃないもん」
二人とも私を心配して、だからそんなことを言って。
胸が痛くなった。
「なあ、未央」
プロデューサーが口を開いた。
「今回は駄目だったけど、一回は通ったんだ。また次の機会があるさ。」
優しく、言い聞かせるように。
プロデューサーは心配しているのだ。
アイドルかどうかも関係ない。
知っている人が倒れて心配しない人間なんているのか。少なくともプロデューサーはそうじゃない。
だからそう言う。
言葉はどうあろうと、その意味はこうだ。
諦めろ。
そう、私に強要していた。
なにも間違ったことじゃない。
そんなことは分かってる。
それでも、私は布団を強く握りしめた。
「……嫌だ」
「未央ちゃん?」
顔を覗き込んできたあーちゃんから逃げるように、私は顔を俯けた。
「私は……諦めたくない」
「諦めたくないって言ったってどうしようもないだろ」
怯えながら言った言葉も、プロデューサーはいなすように否定した。
その通り。もう部長からの中止命令は出てしまっている。
ただですら乗り気じゃないのに、中止撤回なんてしないに決まってる。
本当にそうなのかな。
諦めるしかないのかな。
そんなの、やっぱり嫌だ。
だけど、これ以上なにができる。
貴方はベッドで弱々しく横になって、せいぜい言葉を叫ぶことしかできない。
プロデューサーに喚き立てる?
プロデューサーに殴りかかる?
そんなことをやって意味があるとは思えない。
ただ、今の精一杯を私は口に出した。
「……もしサンノスで出れないなら、私ライブに出ない」
自分でも声が震えているのが意識できた。
周りが静まり返る。
私の言った意味を分かりかねているように。
だから、私は言葉を重ねた。
はっきりと、顔をあげて。
今度は声が震えないことを祈りながら。
「サンノスで出れないなら。私今度のライブには出ないから」
「うわきょ!」
「ちょっと、未央?」
目を丸くしたくみちーとみうみう。茜ちんも瞬きを繰り返していた。
「未央ちゃん、なにを……!?!?」
「未央」
プロデューサーが口を開いた。
子供を確かめるように窘めるように。あやすように。
「さっきも言ったろ。馬鹿のことをいうなよ。次はある。なにもそこまで意地張らなくたってさ」
「……次っていつ?」
私の喉は冷凍されたみたいにカチカチに強張って。
それでも私は喉を鳴らした。
「次っていつなの? 教えてよプロデューサー。来年? 再来年? 十年後? 結婚して子供ができたら? それとも孫ができたら? ねえ、何時なの?」
「それは分からないが……」
「プロデューサー言ったよね。私達、人気が出てどんどん忙しくなってるって。そしたらいつ時間がとれるの? 今回だってぎりぎりだったのに。もしもっと人気が出たら? そしたらどんどん難しくなるじゃん!」
私は叫んだ。ただただ必死に、必死に叫んだ。
「今の私たちは今しかいないんだよ?! 有るか分からない次なんか、待ってられないよ!」
「未央ちゃん……」
はっとなる。
今まで怖くて見れなかった。その傍にある顔に目を向ける。
胸が締め付けられた。
あーちゃんの悲しそうな瞳が、私を貫いた。
「なんでそこまで言うの……私たちとも出たくないの?」
「それは……」
出たいに決まってる。晴れ舞台であーちゃんや茜ちんとも立ちたいに決まってる。
私だって、どれだけが楽しみにしていたか。
いろんな顔が脳裏に去来した。あーちゃんも茜ちん、しぶりんにしまむーも。他にもいろんなみんな。
サンノスで出れなくたって、くみちーとみうみうと同じ舞台に立つことはできる。
それなのに、サンノスに拘る理由なんてあるのか。
あーちゃんの瞳が私の決意をいとも簡単にほどこうとしていた。
馬鹿なことと笑ってすぐに謝るべきだと思った。
こんなことになったのも私のせいだ。全部私のせいだ。
勝手に空回りして、まだ迷惑をかけようとしている。
だから――
「なら、私も出ないわ」
その声に、私は顔をあげた。
まっすぐで、眼を見張るほどキレイ顔には、勝気な決意が浮かんでいた。
「くみちー?」
「え、ちょっと久美子さん?」
言い切ったくみちーの隣でみうみうがあたふたしていた。
「いえ、出ないじゃないじゃないわね……もしサンノスが出れなかったら、私アイドル辞める」
今度は私が目を丸くしてしまった。
「くみちー?!」
「久美子さん!?!?」
みうみうはもちろん、あーちゃんや茜ちんも呆然としてた。
「ちょ、ちょっと待てよ、久美子」
プロデューサーはつとめて冷静を装っていたが、その冷静さもなんとか顔に張り付いているに過ぎなかった。
「いくらなんでも、アイドル辞めるって……そんな冗談」
「へえ、プロデューサー、冗談だと思うんだ」
一方のくみちーは、余裕すらあるように腕を組んだ。
「プロデューサー、私のこと信頼してないの」
「信頼してる」
はっきりと。聞いてるこっちが恥ずかしくなるほどプロデューサー言いきった。
「信頼しているから。だから」
「それなら、私達の本気度分かってるんじゃない?」
「ねえ」と、くみちーが私に同意を求めてきた。
私は、静かに頷いた。
そしてプロデューサーを見る。プロデューサー小さく口をあけて、この状態への対処を決めかねていた。
「サンセットノスタルジーが出れないなら、私もでません」
その言葉には耳を疑った。
柔らかな、でも芯のある強い響き。
あーちゃんだ。
なんであーちゃんが。驚きながら横顔を覗き込む。
そこには確かな決意が浮かんでいた。
私の視線に、あーちゃんは笑みを返した。
大丈夫、そう答えるかのように。
「未央ちゃんが出ないなら、私も出ないです」
プロデューサーはさっきより、明らかに動揺する。
「藍子までなにをいいだすんだよ」
「じゃ、じゃあわたしも出ません!」
びしりと手をあげたのはみうみう。
とってつけた感じで、ちょっとおかしかった。
「いや、無理しなくていいからね美羽」
くみちーも呆れるように頬をひきつらせる。
それでも、みうみうは言った。言いきった。
「大丈夫だから。私もサンノスでたいもん! 出れるならすぐに!」
「そうですね!」
元気よく同意したのは茜ちん。
「私も藍子ちゃんや未央ちゃんが出ないなら出てもつまらないですし、失礼ですが辞退させていただきます!」
「美羽……茜まで……」
プロデューサーに、私は頭を下げる。
「お願い、プロデューサー。私のわがままなのは分かってる。私のせいでこうなっちゃったのも。でも、やっぱりサンノスで出たいんだ」
自分のしていることが、どんなことか理解していた。
プロデューサーを脅しているのだ。
今まで私たちの為に頑張ってくれたプロデューサーを、自分たちを人質にして。
軽蔑される手だ。
怒られたっておかしくない。
ふざけるなって怒鳴りつけられて、侮蔑の視線を向けられても。
それでも、私はやりたかった。
「……分かったよ」
プロデューサーは息をついた。観念したように、ゆっくりと。
「善処はしてみる。だから、その馬鹿げた願いだけはやめてくれよ」
そう言ったプロデューサーは、怒りはなく。
少しだけ、微笑んでいた。
仕事が残っていたプロデューサーを除いた四人は、私が回復をするまで待っていてくれていた。
五人で出た事務所を出た頃には、すっかり辺りは暗くなっていた。
雨はやんでいた。
車道を走る車やビルの無機質な輝きのなかを私たちは歩いていく。
「……ゴメンね、みんな」
私は言った。
「なんか、私の無茶に巻きこんじゃって」
こんな時に、弱気な発言をするべきで気はない分かっている。
でも私のわがままに、みんなを巻き添えにしてしまった。よいことではないはずだ。
「未央ちゃん……」
私の隣を歩いていたあーちゃんが心配そうに呟く。
「なにいってんのよ」
前を歩いていたくみちーが振り向いた。
長い髪を揺らしながら、なにを心配しているの? とでもいうように勝気に笑んでいた。
「決めたのは私たちよ? 未央がどうこう言う問題じゃないわ」
「ね?」とみうみうに問うと、みうみうはうんうんと頷いた。
「そーだよ! 無茶ならわたしも負けてないし!」
慰めか分からない言葉に、私は笑ってしまう。
「その通りです!」
茜ちんも答えた。
「私はそうしたいからそうしました。チームプレイですよ!」
「そうだよ、未央ちゃん」
あーちゃんが、優しく私の手をとった。柔らかなぬくもりが包みこむ。
「未央ちゃんが言ったでしょ。私は……」
そこであーちゃんは小さく首を振った。
「私たちは、いつでも未央ちゃんの味方だよ」
部長を説得する条件として、プロデューサーは条件をつけてきた。
以前のみうみうのように暴走をしないこと。そして無茶をしないこと。
他にもいくつか。
私たちはそれに同意した。
そしてプロデューサーは、説得を開始してくれた。
開始してくれたけど、うまくは行っていなかった。いくら日が経っても、いいニュースが耳に入ってくることはなかった。
一週間後、プロデューサーにどうかと聞いてみたこともあった。
プロデューサーは肩をすくめただけだった。
不安の雲が私の心に常に張っていた。
ニュージェネの二人にも、ちゃんと会って伝えていた。
二人とも驚いて、悲しそうで、最後に呆れて。
「まったく、仕方がないな。未央だもんね」
そう、しぶりんは笑っていた。
くみちーはあれ以降、本当に仕事を減らしていた。
単発の仕事や継続中の仕事はこなしていても、新しいレギュラーの話は全部断っていた。
「くみちー、本気なの?」
ある昼下がり。事務所の近くのハンバーガー屋。ポテトを食べているくみちーにあたしは尋ねた。
「当然でしょ」
くみちーは紙ナプキンで指を拭きながら答えた。
「なんなら、辞表だってプロデューサーに預けてるんだから」
「アイドル辞める時って辞表書くものなの?」
「こういうのは形が大事なの。私の本気度を示さなきゃ」
効果があるかはともかく、眼に見えるという意味では覚悟が伝わる。のだろうか。
「ホントにいいの?」
「もう、しつこいわね。未央だって、ライブ出ないの本気なの?」
「うん。もちろん」
私はきっぱりと言った。本心だった。言ったことを撤回したくないのもそうだし。
これだけの気持ちがなければ、きっとサンノスが舞台に立つのは難しいと思ったから。
「ほら、でしょ?」
くみちーは私の言葉に呆れるどころか、満足げな笑みを浮かべた。
「未央が覚悟してるんなら、私が引き下がるわけないじゃない」
その答えは嬉しかったけど、少しだけ心が痛んだ。
「……私は引き下がったら、くみちーも引き下がる?」
「まさか。そんなカッコ悪いことするわけないでしょ」
「だけどその……」
「なによ」
「……プロデューサーのことはいいの?」
一瞬、くみちーの顔が陰ったようだったけど。
穏やかに微笑んだ。
「だからよ。きっとプロデューサーも、そんな私を見たいなんて思わないわ」
「だから」と、くみちーは続けた。
「プロデューサーには頑張ってもらわなきゃね。役得よ? 私の人生を決められるなんて」
はにかんだくみちーは、少し頬が赤かった。
「そもそもなんであんなことを? 事務所辞めるだなんてさ」
「いいのよ。辞めることになったら、ピアノ教室でも始めてみるわ。暫くは今みたいに、お母さんの手伝いだけど、その内に自分だけのをね。そしたら、未央も習いに来てよね」
「そうじゃなくて。なんでそんなことを言ったの」
ライブにでないというのも重大なことだ。
それによって、今後のアイドル活動にかなりの影響を与えるのは間違いない。
でも、それでも細々とはアイドルを続けられる。
辞めるとなると、そのような問題ではない。
くみちーは、手にしていたポテトをくるくる杖のように回していた。
「……負けたくなかったの」
ぶっきらぼうに言った。
「美羽があんなことをやったじゃない。未央だって、倒れるまでレッスン頑張って、その上ライブに出ないって言ってさ。私だけ、サンノスの為になにもできていと思って。悔しかったの」
気まずそうに、くみちーは視線を逸らす。
「この話、二人だけの秘密だからね」
そう言って、ポテトを口に放り込んだ。
そんなわけないのに。
くみちーが居てくれたお陰で、どれだけ私たちは助けられたのか。
でも、それを言うのはなんだかくみちーの覚悟に水を差す様に思えて。
代わりに、私は微笑んで言った。
「流石、くみちーだね」
くみちーは、照れくさそうに笑っていた。
いよいよ梅雨を抜け、夏が顔を覗かせようとしているカラッと暑い日だった。
仕事の資料を貰う為に事務所につくと、奇妙な唸り声が聞こえてきた。
「うー」
まわり込んでみると、ソファーでみうみうが仰向けになっていた。
胸には社会の教科書が乗っている。勉強中のようだ。
テーブルには他にも教科書が乗っていた。
「あ、未央ちゃん」
「誰かと勉強してたの?」
「うん。加奈ちゃんと琴歌ちゃんと。今はお菓子の買いだしに行ってるけど」
「ふーん」
みうみうは教科書を持ち上げて顔の前で広げたが、すぐに諦めたのか、そのまま顔に教科書を乗せた。
「歴史が私を責めてくる……わたし、織田信長も演じたことあるのに……歴史に負けるー」
信長ならば、負けるのはある意味正しいのではないだろうか。
「ねえ、未央ちゃん」
見ると、みうみうは顔から教科書をどかして、天井を見つめていた。教科書を持った手は、ソファーの脇にぶら下がっていた。
「サンセットノスタルジー、どうなるのかな?」
「うーん、どうだろう」
みうみはぼんやりと宙を見つめている。
「不安なの?」
「うん、不安」
こっくりと頷いた。
「サンセットノスタルジーが出れないのもそうだし。そしたら、私も出ないだしさー」
「それは気にしなくていいんじゃない。普通に出ればいいと思うよ」
「でも、未央ちゃんは出ないんでしょ?」
美羽ちゃんは半身を起こして聞いてきた。
「まあ、そうだね……」
みうみうは、再びソファーに沈んでうつ伏せになる。
「それなら、やっぱり私も出ないよー」
「いやいや。強制じゃないんだしさ……本当に無理しなくても」
「うーん。サンノスでも出たいけど、ブエナ・スエルテも初舞台だしさー」
「つっちーと日菜子ちんはなんて?」
「……応援してくれる」
みうみうは教科書を放りだすと、仰向けになって頭を抱えた。
「応援されるのも嬉しいけど二人とも出たいしー、でもサンノスでも出たいしー!!」
足をばたつかせるみうみうに、私は笑ってしまった。
「……ライブまで一か月切りそうだし。サンノスの練習全然できてない」
みうみうは足を止めて、静かに言った。
中止を命じられてから、早くも一か月以上が経とうとしていた。
その間、サンセットノスタルジーの練習は行われていなかった。
プロデューサーから練習を禁じられていた。もし練習していることが部長の耳に入れば、いい顔をしないだろうという。
下手に刺激をしたくないのだろう。
自主的に踊りのステップを練習するようにはしていたが、限界があった。
やろうと思えば数日で仕上げることもできる。でも、万全を期すなら、しっかりと練習をしておきたかった。
(もっと個人で動いた方がいいかも……)
たとえば外部のレッスンスタジオを借りて、三人で集まって練習するとか。
もっともトレーナーさんのように客観的にみてくれる人がいなければ、限界はある。
付焼刃だと分かっていても、やらないよりはいいと思えた。
その数日後だった。
ニュージェネでのレッスンの日だった。
着替えを終えて、私は更衣室を後にした。そんなときにみうみうと鉢合わせた。
「あ、未央ちゃん」
「おっつかれー。みうみうもレッスン?」
「そう、ブエナ・スエルテで。未央ちゃんも?」
「ニュージェネでね」
私は軽く会話をこなしてから、レッスンルームに向かった。
レッスンルームには既にしぶりんとしまむーがいた。でも様子が妙だ。
ストレッチなどをするでもなく、体育座りでのんびりと会話を交わしていた。
「あ、未央ちゃん。お疲れさまです!」
しまむーが元気よく手を振ってくる。
「お疲れ、しまむー、しぶりん……で、ストレッチとかはしないの?」
「それが、ちょっとね」
しぶりんとしまむーが目くばせをした。どうかしたのか。
首をひねっているとレッスンルームに新しい人物が現れた。
くみちーだ。
「どうしたの、くみちー。私になにか用事?」
「いや。今日のレッスンはここって言われてたんだけど……」
訝しがりながら、くみちーは私達を見比べていた。
ますます妙な状況だ。
レッスンルームを、ブッキングでもしたのだろうか。
「あれ?」
さらに姿を現したのは、先ほどすれ違ったみうみうだった。
つっちーと日菜子ちんも一緒。
みうみうは私とくみちー同様に困惑してた。
そんな私たちを尻目に、つっちーが言った。
「あっれー、おっかしいなー。なんでニュージェネと久美子さんがいるん?」
つっちーはきょろきょろと室内を見渡していた。気のせいか、凄くわざとらしい。
しぶりんが苦笑する。
「亜子、その下手な芝居はなに?」
「芝居ちゃうって。ホントにびっくりしてるん」
「うわー、本当に偶然ですねー」
「卯月も棒読みだよ」
「うっ……」
きょとんとしている私達に、日菜子ちんが近づいて着てきた。
「むふふー。たまには白馬の王子様になるのも、悪くありませんよねー」
「どういうこと?」
首をかしげたみうみう。私はなんとなく理由を察した。
「まさか。私たちの為に、こんな一芝居を?」
しぶりんは肩をすくめた。
「サンノスの練習、少しぐらいやっておいた方がいいでしょ?」
ということは、りぶりん達が自らやってくれたということか。
私たちの現状をしぶりんたちも知っていた。変な隠しごとはしないと決めていたから。
でも、まさかこんなこともまでやってくれるとは。
「しぶりん……しまむー……」
「嬉しいけど、どうやって?」
くみちーが言った。
「誰にも秘密でレッスンルームを抑えるなんてできないでしょう」
それもそうだ。レッスンルームは会社の所有物。
それをアイドルが勝手に抑えることはできない。協力者が必要だ。
プロデューサーではないと言っていたし、まさかちひろさんだろうか。
「それは――」
しぶりんが答えようとしたとき、新たな人物が室内に現れた。
「おや、これは一体なんなんだ?」
トレーナーさんだ。
トレーナーさんは眉間にしわを寄せて、怪訝そうに室内を見渡してた。
「みんなでトレーナールームを使って遊んでいるのか?」
「えっと、それは……」
あたふたした美羽の言葉を、つっちーが遮った。
「それがですねー、トレーナーさーん。どうもなにかの手違いで、部屋が一緒になってしまったんですよー」
そんな言い訳、通用しないだろう。
そう思ったけど。
「それは困ったな。他のレッスンルームも空いていないし……休みにするしかないか」
トレーナーさんはそう言うと、端にあった椅子に腰かけた。腕を組むと目をつぶった。
「……えっと、トレーナーさん?」
私の言葉に、トレーナーさんは片目を開けた。
「どうしたんだ。私はここで休んでるだけだ。ただ、もし自主練でもするなら、アドバイスは言うつもりだがな」
私はくみちーとみうみうと顔を合わせた。なるほど、協力者はトレーナーさんか。
驚きは段々と感謝の念に変っていく。
「うー……ありがとー!!」
みうみうがつっちーと日菜子ちんに飛びかかると、二人を抱きしめる。
「ちょっともー。大袈裟―!!」
「むふふ……二人同時なんて……美羽ちゃんは我がままで大胆ですね」
「凛ちゃんと卯月ちゃんも、ありがとう」
くみちーが言うと、しまむーがあたふたと両手を振った。
「いえいえ、そんな」
「そうだよ」
そう言ったしぶりんが、私の視線に気づいた。
しぶりんはウィンクをして見せてから、照れくさそうに苦笑した。
自分でやった癖に。私は笑ってしまう。
「トレーナーさんも、ありがとうございます」
私はトレーナーさんに言った。
「別に、礼を言われる理由はない。ブッキングしたのは私の手違いなのだから」
憮然としていたトレーナーさんだったけど、表情が陰った。
「すまない。私にしてやれるのは、これ位だ」
やはり気にしていたのだ。サンノスのことを。
だから私は、もう一度伝えた。
「本当に、ありがとうございます」
ライブまで、三週間を切っていた。
うだるような暑い日だった。
今年最高の暑さだったという。
もう夕方だというのに、暑さは引くどころか増しているようにさえ感じられた。
じめじめと肌に張り付く暑さに、辟易した。
今日はくみちーの家に泊まりに行くことになっていた。
私の隣を、みうみうが歩いていた。
みうみうが提案者だった。
サンノスの三人でどこかに遊びに行かないかと、ある日みうみうは言った。
するととくみちーが家に誘ったのだ。
仕事の都合などで、三人の予定はうまく合わない。
会えるとしても夕方か午前中と中途半端。
なんやかんやで、泊まりで遊ぶことになった。
途中でスーパーに寄って、お菓子やジュースを買い込んだ。それからレンタルショップでいくつかのDVDも。
くみちーの家に着いて、チャイムを押した。
「やっほー、くみちー」
「こんばんはー」
少しして、ドアの鍵があくと、小さく扉が開いた。
「ほら、入って」
くみちーはドアの陰に隠れるように手招きした。
姿をみせないことに疑問を覚えながら、私たちは家に入った。
すぐに理由を理解した。
くみちーは無地のスウェットを上下に着ていた。
前に来たときは部屋着でも、もっとお洒落なものを着ていたのに。
よく見れば、化粧も最低限だ。
「くみちーもそんな恰好するんだ」
「キレイにはオフの日も必要なの。誰かにいったら怒るからね」
その飾らなさが、返ってくみちーのキレイさを際立てていたけど。
事情の飲めないみうみうが、首を傾げていた。
今日もくみちーが料理を作ってくれるらしい。キッチンからはいい匂いが漂ってきていた。
「久美子さん、家の人は?」
みうみうが訪ねた。
「今日は二人で出かけてるの」
「また?」
「そう。今日は気を使ってくれたみたいね」
料理はハンバーグだった。美味しいのだけど、バリエーションは増えていないらしい。
やっとコーンスープにした意味があったと、くみちーは喜んでいた。
それぞれお風呂に入ってから居間で映画を見ることにした。いくつか借りてきた中から、SFアクションを選んだ。
こう言ってはなんだが、想像よりも楽しめた。
単なる派手なアクションだと思ってたけど、コメディチックで、でもちょっとホロッと泣かされる映画だった。
そのあと、最近あったことなんかを話したりした。
その中でピアノの話題が出て、みうみうが聴いてみたいといいだした。
くみちーは了承した。
「この時間に弾いても大丈夫なの?」
「平気よ。うちは防音をちゃんとしてるから」
教室も兼ねているピアノ部屋に移動する。
明かりはスタンドランプだけ。温暖色の輝きが、室内を照らし出す。
最初に弾いたのは、この前と同じお願いシンデレラ。
同じ曲のはずなのに、弾き方をかえているのか、雰囲気のせいか。前より穏やかに胸の内に響いた。
その後も何曲か弾いてくれた。しまむーやしぶりん、かれんの曲。
私たちは壁際の椅子に坐りながら、その音に聞き惚れていた。
その内に、みうみうの頭がこくりこくりと船をこぎ出した。
みうみうは朝から番組収録があったから、疲れてるのだろう。
「もう、寝よっか」
くみちーが言った。
歯を磨いてから、くみちーの部屋に向かった。
ベッドは私とみうみう、床に引いた布団にはくみちー。
並びはみうみうを真ん中に、段差のある川の字になっていた。
電気を消して少ししすると、隣から可愛い寝息が聞こえてきた。
「もう寝たのね」
みうみうを起こさないように、小声でくみちーが言った。
くみちーは体を起こすと、ベッドに頬杖を掻いてみうみうの顔を覗き込んでいた。
「気持ちよさそうに寝ちゃって」
くみちーがつんつんと頬をつつく。「うにゅう」なんて変な声をみうみうが上げて、私は笑ってしまった。
「疲れてるなら無理して遊ばなくていいのに。ライブも近いんだしさ」
「……だからじゃないかな」
くみちーが静かに呟く。
「だから、今のうちに遊びたかったんだよ」
私たちは無言になった。くみちーは目を細めながらみうみうの額を優しく撫でた。
「ねえ、未央」
くみちーが言った。
「また三人で遊ぼうね。どんな結果になってもさ」
「……うん、もちろんだよ」
薄闇の中、くみちーと私は微笑みあった。
「じゃあ、お休み」
くみちーは布団に戻り、私も眠ろうと努力した。
でも、眠れそうになかった。きっとくみちーも。
二人の間で眠るみうみうの寝息が、穏やかに部屋に響いていた。
ライブが来週に迫っていた。
主演アーティストはもちろん、一部のコラボについても発表がなされていた。
その中に、サンセットノスタルジーの名前はなかった。
ネットで検索してみたりしても、サンノスのことを気にかけている記事はポツポツとあるだけだった。
私たちのタイムリミットは明後日だった。
私たちが出なければ色々な予定の調整も必要だ。それを考えてのことだった。
他の子を巻き込むのも、やっぱりよくない。
あーちゃんはきっと抵抗するけど、私が説得すれば最後は折れてくれるはずだ。茜ちんもそう。
みうみうだって。
やっぱり、どこかで巻き込んでしまったという思いがあった。
そんな訳ないと分かっていても。くみちーとそのことを話したことがあった。
くみちーも同じ意見だった。たとえ私達が出ないとしても、みうみうだけはちゃんと出演させよう。
できればくみちーにも出てほしかったけど、くみちーの意思は固かった。
学校帰り、ポジパのレッスンのある日。少し早くついた私は、自販機で買ったジュースを飲みながら休憩所で休んでいた。
窓からは太陽の鮮烈な光が差し込み、強い陰影を作り出していた。
私はふと、壁に貼ってあったライブのポスターに目を向けた。
ポスターまで近づき、並んでいる名前に目を通す。
自分の名前を見つけると、それを静かに指でなぞった。
その指は、次にみうみう、そしてくみちーの名前に触れる。
もし、サンノスが間に合わなければ、このポスターは嘘のポスターになる。
きっとくみちーは本当に出ない。私も出ない。いろんな人に迷惑がかかるだろう。
考えるだけでゾッとする。
このポスターを剥がしたい衝動に駆られた。
強引に引きはがし、画鋲が地面に転がって、私はポスターを両手にもち、クシャクシャに――
私は首を振った。
例え想像でも、そんなことはできなかった。
人の気配に私は顔を向けた。
見覚えのない中年の男性がこちらにやってきていた。
身にまとったスーツは立派で、堂々としていた。
首からは社員証をぶら下げていた。
私と視線が合うと、気軽な作り笑いを浮かべて小さく手をあげた。
私は会釈を返した。彼は自販機の前に立つ。飲み物を買いに来たらしい。
「昔はね」
なにを買うか決めかねていた様子の彼は、唐突に言った。
「ここにタバコの自販機があった。五、六年前さ。信じられないだろうがね。それが分煙だ禁煙だで、なくなってたんだよ。以来めっきり、こっちには来なくなった」
彼はポケットから取り出した小銭を自販機の中に入れた。
「まあ、それでよかったのかも。今の時代、シンデレラに煙草の臭いは似合わない」
彼は首を傾け、私の方を覗き込む。なにを見ているか気になったようだ。
「ライブはまさに、シンデレラの舞踏会といったところか」
「そう、ですね」
「舞踏会に出るんだから、気をつけなきゃいけないことは色々ある。たとえばたたずまい。胸を張って背筋を伸ばして」
自分の言葉に合わせながら、彼は姿勢を正した。私も自然と姿勢を正す。
「衣装も大事なのはもちろんだが、装飾も気をつけなきゃ。これがやっかいだ。高い宝石をこれみよがしに着ければいいわけじゃない。全体のバランスを考えなきゃね。じゃないと宝石と付けている人間、どっちが装飾品か分からなくなる」
「だろ?」彼は横目に同意を求める笑みを浮かべる。
私が頷くと、彼も満足そうに自販機に向き直った。
自販機の明かりが横顔を照らす。目の下のくまが目立ち、顔の皺も深い。
「だが、装飾は装飾だ。あくまでその人を輝かせるための。その装飾品に拘って、舞踏会を欠席するなんてありえるかな?
彼女達はもう、立派な装飾品を持ってる。彼女達に似合った、ぴったしの。なのに彼女達はまだ装飾品を付けたいと言う。
それも、今の彼女たちには似合わない古ぼけた装飾品だ。
その装飾品一つで、彼女たちのバランスががらんと崩れるかもしれないんだぞ? 俺に言わせればそりゃあ」
彼は小さく両手を広げた。
「怖い話だ。奇麗で、それこそ王子様のダンスパートナーになれるような子たちなのに、ちっぽけな装飾品に拘る。その装飾品をつけなきゃ。舞踏会に出ないという。
それはわがままだよ。
誰もがシンデレラさ。でも、ガラスの靴には限りがある」
彼の瞳が私を捉えた。
「分かるだろ? 履けなかった子もいる」
口元は微笑しているようだったが、眼は笑っていない。
もしかしたら、口も笑っているつもりはないのかしれない。
笑みが張りついたまま剥がれなくなっただけなのかもしれない。
嬉しい時も楽しい時も怒っている時も悲しい時も辛い時も。
別れを言わなければならないときも。
笑顔でいるように努力をして。
いつしかそれに疲れて、こちらに来るのをやめたのかもしれない。
「たった一つのちっぽけな装飾品の為に、ガラスの靴を投げ捨てようとする。その意図はなんだと思う?」
沈黙が降り注いだ。
彼は笑顔を張りつかせた顔で私を見ている。
私は眼を伏せた。自販機の唸りだけが空気を揺らした。
顔をあげて、ゆっくりと口を開いた
「……きっと、大事な思い出なんです。周りからは古ぼけて見えても……見えてるからこそ、本当の輝きを見せてみたいと思うんです」
「他の装飾品は、大事じゃないっていうのか?」
「大事なものって、一つしか持っちゃ駄目なんですか?」
問い返した私を、彼はじっと見つめていた。
「それに」と、私は微笑んだ。
「たぶん、意地っ張りなんですよ。シンデレラって」
「……なるほどね」
彼はボタンを押すと、自販機が音を鳴らす。
とり出したコーヒーを手に、元来た道を戻っていった。
その途中、彼は振り返った。
「俺にはやっぱり、理解出来ないよ。思い出は思い出じゃないか?」
彼は私の言葉を待つ訳でもなく、歩いていった。
その夜。
サンノスの参加を知らせるメッセージが、私のスマホに届いていた。
晴れた日だった。
駅から降り立った私達は、長いエスカレーターに乗って駅を出た。
行きかう人混みを抜けて駅を出ると、右手に観覧車を望むことができた。
生ぬるい風に乗って、潮の匂いが鼻をくすぐった。
「いい天気だね、未央ちゃん」
風に飛ばされぬよう、帽子を手で押さえていたあーちゃんが小さな顎を傾け、空を見つめていた。
青一色の空に、燦々と輝く太陽に目を細める。
「うん、そうだね」
それから視線を、私達の正面にある大きな建物に目を向けた。
そこは首都圏でも有数の多目的大型ホールだった。
ライブは明日。
今日は前日リハーサルの日だった。
私はあーちゃんと一緒に電車でやってきた。
広々としたホールの前は、すでに準備でごったになっていた。何百人ものアイドルを支える、何千人もの人々。
機材を運び込む彼らの脇を抜けてホールに入る。控室に向かう。
予定の時間よりまだ早かったが、かなりの数のアイドル達が中にはいた。
控室はあーちゃんや茜ちんとは同じだけど、しぶりんやしまむーとは別だった。
見たところ茜ちんの姿はない。まだ来てないのか、別の部屋に遊びに行っているのか。
過ごし方は様々だ。念入りに鏡の前でチェックする人もいれば、リラックスしたように話してる子たち。
緊張した面持ちで当日台本とにらめっこしている子。
そしてマイペースな人も。
「あ、未央ちゃん! おっはよー」
マイペースの代表ともいえる行動をしていたゆっきーが、キャッチボールを中断して私に手をあげた。
「おはよう、ゆっきー」
「さっき、美羽ちゃんが探してたよ」
「みうみうが?」
「舞台を見に行くって」
私は一人、荷物を置いて舞台の方へ向かう。
舞台上、セットに勤しむスタッフ達の合間でみうみうが誰かと話していた。
相手はくみちーのようだ。
みうみうが私に気付く。くみちーも振り向いて手を振った。
「おはよっ、未央」
「未央ちゃん! おっはよー!」
「みうみう、私を探してるって聞いたけど」
「探してるというか。練習が始まる前に、三人で舞台、見たいと思ってさ」
なら、ちょうど目的は叶ったわけだ。
私は客席に目を向ける。何千も並んでいる客席に。
翌日には、ここがお客さんでいっぱいになるだろう。それを考えると自然と身が引き締まった。
ゾワゾワするような高翌揚感。
想像する。客席のお客さんのうねり、地響きのように響き続ける声援で盛り上がり、それが爆発する瞬間。
それを、この三人で感じられる。そんな日が来るなんて。
横を向くと、くみちーと目が合った。
ほぼ同じ瞬間に、互いに向きあったことに驚いた。
くみちーが不敵に笑む。
「やっと、ここまでこれたね」
「うん、そうだね」
同意を求めようと、くみちーの奥に立っているみうみうに目を向ける。
はっとなった。
客席を見つめているみうみうの横顔。。
その頬には、一筋の涙が伝っていた。
「どうしたの、美羽?」
くみちーも驚きの声を上げる。我に返ったみうみうは、私達に首をかしげた。
「どうしたって――」
そこで、自分の頬に流れる涙に気付いたようだ。
「うえ?」
みうみうは驚きながらで涙を手の甲で拭う。
「えへへ……あれ?」
笑いながら、でも止まる様子もなく。それどころか次々と零れおちていった。
その内堪え切れなくなって、みうみうは両手で顔を覆った。
「ちょっと、みうみう?」
「……嬉しい」
息をつまらせゆっくりと手を退けて。
ぽろぽろと涙を流しながら、満面の笑顔を浮かべていた。
「やっと、三人で舞台に立てるって思うと、私……嬉しいよ」
「もう、なに泣いて――」
くみちーは言葉を止めて、自分の眼がしらに細い指を持っていった。
「ちょっと……やめてよね……こっちまで……ああ、化粧が」
泣いてる所を見られたくないのか、くみちーはそっぽを向いたが、手で何度も拭う仕草をしていた。
「もう……リハーサルもまだなのに、泣かないでよ二人とも」
「そういう未央だって」
「……まあ、ね」
くみちーに指摘されなくても分かっている。
私も泣いていた。
くみちーも泣いていた。
みうみうも泣いていた。
三人で泣いていた。
「久美子さーん……未央ちゃーん」
みうみうが私たちの肩に手を置くとギュッと身を寄せる。
近づいた顔は、涙でボロボロだった。
「二人とも酷い顔」
「うるさいわね。未央だってそうじゃない」
おかしくなって、笑ってしまって。
それでもやっぱり涙は止まらなくて。
しばらくの間、私たちはこの瞬間をかみしめていていた。
全力でやりきった舞台の余韻に、静かに浸る暇もなかった。
次に出てくるユニットを紹介した後、私達は袖に捌ける。
「おつかれ、二人とも!」
薄暗い舞台袖。地響きのように会場を揺らすイントロと歓声を背後に、私達は円になるように小さく肩を抱き合った。
「お疲れさま、未央ちゃん。茜ちゃんも……!」
穏やかに、でも感情をあふれさせながらあーちゃんが微笑んだ。
ポジティブパッションの舞台の後だった。
「お疲れさまです……!」
この時ばかりは、茜ちんも感極まった堪えるような声をあげた。
ぎゅっと肩を組む力を強めて、ちょっと痛いほど。私も答えるように抱きしめ返す。
傍にあった温もりが、すっと離れた。
名残惜しくてその方を見ると、あーちゃんが淡く笑んでいた。
「ほら、未央ちゃん。早く次の舞台の準備にいなきゃ」
あーちゃんの言うとおり。
この後には、次の舞台が待っていた。
出られるだけで十分なのに、文句まで言うのは贅沢だ。
それでも、もう少し間をあけてほしかった。
この二人との時間を、もっと浸っていたかったから。
どこまでも、自分はわがままだ。我ながら少し呆れてしまう。
「頑張ってくださいね! 私も応援してます、ボンバーですよ!」
茜ちんは両手でぎゅっと握りこぶしを作った。
「ありがとう、茜ちん」
それから、改めてあーちゃんに頷いた。
「いってくるよ」
あーちゃんも頷き返す。その顔に、僅かな寂しさが浮かんだように見えた。
私は足早に控室に戻っていく。すぐに着替えを済まさなければ。
「未央ちゃん!」
叫んだあーちゃんに、私は振り返った。
あーちゃんは、精一杯に大きく腕を突き出して。
「ふぁい、ふぁい、ふぁい、ふぁい、ふぁい、ふぁい!!」
大声で、私を後押ししてくれた。
回りのスタッフや横の茜ちんの視線に気づいたのか、あーちゃんの顔が真っ赤になった。
それはズルイよ。
私もなんだか顔が赤くなって、それから笑顔が顔に広がって。
拳を大きく上げて返した。
着替えを終えると、靴を履き替える。
ガラスの靴から、別のガラスの靴へ。
新しいガラスの靴は、黒いブーツで。
あしらわれていた三つの星を、私は指でゆっくりなぞった。
登場するための舞台裏へ向かう。
すでに、くみちーとみうみうが立っていた。
それぞれに造詣の違う、白と星を基調に彩られた衣装だった。
くみちーが私を見取ると、両手を腰に当てた。
「遅いわよ、未央」
「これでも全速力で来たんだからね」
「ポジパの舞台、よかったよー!」
控え室のモニターで見ていたのだろう、みうみうが駆け寄って私の両手を包むように握った。
「へへ、ありがと」
「あれだけ全力で、体力はちゃんと残ってるでしょうね」
からかうようにくみちーが言った。
「あったりまえでしょ? この本田未央。体力には自信があるからね」
「倒れたのはどこの誰よ」
「それには目をつぶって欲しいというか……」
「もう、ホント頑張り過ぎは駄目だよー。いや、でも今は頑張ってほしいけど……うう」
自分で言いながら混乱したみうみうは頭を抱えた。
全く、なにをやってるのか。気が抜けるようで笑ってしまって。
「そろそろです!」
スタッフさんの声に、緊張が走った。
いや、最初から緊張しっぱなしだ。
みんなそれを誤魔化していただけだ。舞台の前はいつもそう。
だってあんなに大きな舞台だ。緊張をしない方がどうかしてる。
私もだった。
少し前まで同じ舞台にあがっていたはずなのに、その熱はもう引いていた。
それでも時間はやってくる。これまでの沢山の経験と沢山のレッスンの全てをぶつける瞬間が。
この瞬間の為に、私たちはやってきた。ここ数カ月の出来事が頭を巡る。
夕焼けを見つめたあの瞬間から生まれた小さな願いが、ここまで私たちを連れてきた。
ここは、私がなにかを言わなきゃ。二人の緊張をほぐすなにかを。
二人を引っ張るなにかを。
「あの――」
「二人とも、リラックスだからね!」
なんて声をあげたのは、みうみうだった。
そんなことを言っておいて、顔にはこれでもかというくらいに緊張が浮かんでいた。
思わず笑ってしまう。
「ちょっと未央ちゃん笑わないでよ?!」
「ゴメンゴメン」
「でもだってさ。美羽、すっごい顔引きつってるよ」
くみちーも、笑いをこらえ切れていなかった。
「そ、そんなこともないもん。ちょっと聞いてよ」
おほん、と大きく咳払い。
「こう言う時はね、リラックスする手段があるんだよ」
なんて、なんだか自慢げに言った。
みうみうが言ったことを、私たちは実行することにした。
みうみうが呼吸を合わせる。
「せーの」
三人で顔を合わせるように立って、両手を頭の上に持って行って。
「みうさぎぴょーんぴょーん!」
「みおうさぎぴょーんぴょーん!」
「くみこうさぎぴょーんぴょーん!」
声を合せて体を跳ねた。
少しの間の後、くみちーが噴き出した。
「もう、これなに?」
「舞台前にやるようにしてるの。緊張を解くためにさ」
「緊張しないっていうか……気が抜けるっていうか」
「リラックスしてるってことだよー!」
しばらく笑いあっていたけど、それは波のようにゆっくりと引いていき。
私たちは、頷き合った。
「いい」
くみちーが口を開く。
「お客さんの思い出も視線も、全部私達で独占するわよ」
「分かった、久美子さん!」
「了解だよ」
私たちはマイクを手にとって。せりにスタンバイする。
前の演者の曲が終わった。歓声が上がる。呼吸を整える。
イントロが始まった。
サンノスの為の、ミツボシのイントロが。
このアレンジでは、いつもよりもイントロは長くなっていた。
合わせて、ゆっくりとせりが上がっていく、胸の高鳴りも強まっていく。
オレンジ色のスポットライトが、スモークが巻かれる舞台に照らしている。
お客さん達が、目の前に現れる。息を大きく吸い込み。
「―――!」
歌い出す。三人で揃えて、最初の声を。
血の気が引く。
みうみうの声が聞こえない!
マイクの調子が悪いのか、ミスなのか。
またすぐにイントロに入る。
スポットライトは夕焼け色から夜空の青に変化する。
心臓がバクバク跳ねあがりながら、踊りに集中する。
ターンもステップも、少しぎこちなくなってしまってないか。
お客さんは気付いていないのか。歓声を上げ、無限とも思えるペンライトの煌きが私たちを包みこんでいる。
そんな非現実な光景も、マイクのミスが浸らせるの阻害する。
波に乗り切れない。
恐怖を拭え。集中するんだ。
Aメロの歌い出しは私。マイクを手に、少しだけ体を前に出して。
次に歌うのがみうみうだった。
くみちーと私は目くばせをした。
みうみうのマイクに、くみちーも気付いている。
仮にマイクの調子が悪いままならば、アドリブで乗り切らなければ。
杞憂だった。
誰よりも不安だったはずのみうみうは、そんな不安なんか存在しないとでもいうように力強く、声を響かせた。
負けてられないとばかり、透き通るようなくみちーの声が響いて。
そして三人で揃えて。
大きく息を吸い込んで、サビに入った瞬間。
ライトが瞬いた。
星を現した白い輝きをが駆け巡り、バックスクリーンに星が瞬く。
手が大きく動く。緊張がゆっくりと解き放たれていく。体が動く。
足も腕も指先も喉も肺も唇も舌も全部が動く。
自由になる。意識が遠のきそうなくらいの興奮が体中を駆け巡る。
まだまだ行ける。まだまだ走れる。
間奏。
踊りながらお客さんの顔が見えるよな気がする。みんな笑っている。
私たちは目を合わせた。
二人とも満足していて、でも分かってた。
こんなもので喜ばないで。
もっと凄いのが来るよ。だから。
「いっくよー!!」
間奏の終わる直前に私は叫んだ。
神経の瞬きは流星群みたいに頭の中を駆け巡っていく。
私の指が震えているのが見える。
怖いからじゃない。我慢している。
次の瞬間の為に。
そして、弾け出す。
遠慮なんかしないで!
全身を大きく動かす!
私たちの動きにお客さん達のペンライトが合わせて揺れる!
星の海を作り出す!
その海に、私たちの声が響く!
リズムよく鳴り響く曲に合わせて、でも支配されずに支配して。
髪の毛一本までもが、笑っちゃうほど思うがままに動いていた。
伴奏も、舞台を照らすスポットライトの輝きも、なにもかもが高まっていく。
色んな人達の顔が浮かんだ。私に、私たちに勇気をくれた人たちの顔。
そして隣で歌う、みうみうとくみちーの顔を。
歌いあげ。
それは急速にすぼまった。
スポットライトは、私たちだけを照らし。
お客さんも、波が引く様に静まり返り。
心臓がマグマのようにゆっくりと、熱く波打つ。
それが嫌というほど耳に響いた。
息を吸い込み。
永遠と思えた静寂を打ち破る。
想いを込めて。
このミツボシ。
私が最初に、そして最後に出会った。
三つ目のミツボシへの想いを。
夢じゃない、この三人で舞台に立てていることを。
ここにいるって叫ぶ為に。
ライトも、歌も、ファンのみんなも。
全てが最高潮へ向かう。
スポットライトは朝焼けを示す真っ白な輝きに変わる。
汗が小さな星のように舞う。
そのむこうで何万倍ものペンライトの星が浮かぶ。
お客さんの歓声も私たちの歌声も全てが合わさって、どこまでも上って。
翔ける、翔ける。翔けていく。
キラリと輝くその場所を目指して。
私たちは手を伸ばした。
空に瞬く、星達を求めるように。
私たちだけが掴める、あの輝きへ。
手の中に感じた輝きはふっと消えて。
歓声が、私たちを包みこんだ。
そうして、私たちサンセットノスタルジーの初めての大舞台は終わった。
ライブの後、サンノスだけで集まることはなかった。
打ち上げをしようと約束をしていたけど、予定が中々合わなかったのだ。
みうみうやくみちー、それぞれと会えそうなタイミングはあった。
でも、どうせ集まるならな三人そろって。そう思っているうちに、機会を逃していた。
打ち上げの方も、このままではなあなあで終わりそうだ。
寂しいのだけれど、悪いことでもない。
予定が合わないということは、みんな忙しくしているということだから。
特にみうみうだ。
みうみうはブエナ・スエルテでの活動がより活発になっていた。
ライブでも三人の舞台は、大きな声援を受けていた。
くみちーの方は仕事を絞っていた影響で、仕事数がちょっと減っていたけど。
「なあに、久美子ならすぐに取り戻せるさ」
プロデューサーも特に気合いを入れて取り組んでいたから、言ったとおりになりそうだ。
空いた時間で、くみちーは家のピアノ教室の手伝いをしていると言っていた。
私の方は、まあいつもどおりだ。
ニュージェネレーションやら、ポジティブパッションやら、である。
今度、ポジティブパッションでミニライブが決まった。
その衣装合わせのために、私はあーちゃんと茜ちんの三人で衣装室にやってきた。
部屋の中に入って、少し驚いた。
衣装室なのだから衣装が所狭しと置いてあるが、今日は特にごちゃごちゃしていた。
「ゴメンなさいね。今は整理中なの。この前、ライブもあったしさ」
呆気に取られている私たちに、トーレーナーさんの一人が言った。
私を測って、あーちゃんを測って、最後に茜ちん。
手持無沙汰になった私は、整理中の衣装に目を向けた。
新しい衣装や、どこかで見た懐かしい衣装。色とりどりの衣装が並んでいるのは、今さらながら圧巻だ。
この前着た衣装もあるのだろうか。
「あっ……」
衣装の合間を歩いていると、奥にあった見覚えのある衣装に気がついた。
サンセットノスタルジーの最初の衣装だ。
三つ揃いの衣装は、並んでハンガーにかかっていた。
ダンボールの中ではなかったようだ。
ハンガーラックから自分の衣装を取り出して、抱きかかえるように両手で広げた。
思えば、サンセットノスタルジーで集まれたけど、この衣装は着ずじまいだった。
まあいいか。またの機会に着ればいい。
「未央ちゃん?」
並んだ服の向こうから、あーちゃんが声をかけてきた。
「どうかしたの」
「うんうん、なんでもない」
私は衣装を元の位置に戻してあーちゃんの元へ行こうとした。
でも、と振り返る。
やはり、少し入れ方が雑だった。これではしわになるかもしれない。
しっかり整えて、ハンガーラックにかけ直す。
「おしっ」
綺麗に戻すことができた。
改めて、三つ並んだ衣装に目を向ける。
次に会えるのはいつだろうか。
いつかはわからないけど、またきっと出会えるはずだ。
そう信じている。
信じる為に、手を伸ばし続けようと思う。
ちょっと不器用で。
キレイでも、カッコよくもなくても、必死にもがいて。
それが、私達らしい。
私は少し微笑んで。
軽い足取りで踵を返した。
――本田未央「Re:サンセットノスタルジー」《終》――
終わりです
サンセットノスタルジーは、多分すっごく不器用なユニットだと思います。
支え合って、競い合う。
この三人のことを、ちょっとでも好きになって頂けたら嬉しいです。
読んで頂いた方、ありがとうございます。
この作品を少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。
皆さん感想ありがとうございます。感謝感激であります。
もし、どこかでまとてくださる人が居る場合、お手数ですがレス87で、ユニット名が
『ブエナ・ステルテ』
となっていますが。
正確には
『ブエナ・スエルテ』でございます。
お手数ですが掲載の際はぜひ修正をお願いいたします。
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