天海春香はアイドルになりたい (21)

「アイドルってなんでしょう」

・短め、地の文あります。
・タイトルがあれですが別に鬱話ではないです。

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 次の仕事までの時間を春香と事務所で待っていると、そうポツリと漏らした。二人きりの事務所に響くのは自分の出すキーボードの音だけ。その中で春香の声はしっかりと耳に届いた。文字を入力していた手を止めて声のした方を覗く。席を立って「どうかしたのか」と聞き返しながら春香の向かいのソファに腰をかけた。

「私は、アイドルになれているでしょうか」

しかし春香は一つもこちらを見ずにただ机の上を見つめる。その声はいつもの春香のものとは違っていて、たとえば放っておけば消え入りそうな。敢えて気がついていない振りをした。

「何言ってるんだ。春香はこうやってテレビに出て、雑誌でも表紙を飾って、大きなステージに立って。十分アイドルやってるじゃないか」

実際、春香へのオファーは日に日に増えてきている。オフの日はむしろ少なく、最近は仕事も選んだりしているほどだ。

「それは、そうなんですけど……」

けど? いまいち歯切れの悪い春香が気になった。ストレスか、それとも誰かに何か言われたのか。傷つけられるようなひどい言葉を。

「何か、あったのか」

「あぁ! そんなに心配しないでください! 怖いですよ、顔が」

春香に指摘されて語気が荒くなっていたことに気がつく。いけない、感情的になりすぎた。咳を一つ払う。

まぁ、でも春香がこちらを見てくれたので良しとするか。春香は壁のホワイトボードに視線を移す。

「別に、大したことじゃないんです。この前、部屋の中を整理していたら小学生の頃書いた未来の自分への手紙が出てきて……」

未来の自分に宛てる手紙。
そういえばそんなものを書いたような書かなかったような。仮に書いていたとしても残ってはいないだろうし内容もロクでもないに決まっている。

しかし、春香のは違うようだ。先ほどこちらを一度見たきり、目が合わない。無意識的に合わせようとしていないという方が正しいのだろうか。

「……キラキラしたステージに立って、歌を歌って、1番後ろの人までみんなを笑顔にして、幸せでいっぱいにする。それがアイドルだって」

そう呟いた声はか細くて、複雑に織り交ぜられた布のように様々な感情が絡み合ったものに聞こえた。

「春香は、今の自分がアイドルじゃないって思ってるのか?」

そんなはずはない、あるはずがない。希望を込めて問うた。

「いいえ! そんなことはありません! こうしてお仕事もたくさんいただいて、たくさんの人に見てもらって、すごく……、幸せなんて言葉じゃ足りないくらいに充実しています。それは分かっているんです」

愛おしそうに笑った春香はそっと胸に手を当てる。その動作は何故か悲しげだった。

「だけど、時々考えるんです。アイドルじゃなかったら私はどうしていたのかなって。辞めたいとかそういうこと、考えてるわけじゃないですけど」

もしもの話。誰もが考えたことのあるifの世界。自分が自分でない時のこと。
それは一体どんな風なのか。
春香が今の春香でない世界は、何色だろう。今の春香の世界は、何色だろうか。

「春香は、アイドルじゃなかったら何がしたかったんだ?」

春香がアイドルでなかったなら、世界はどんなだろう。街の広告から春香が消えて、テレビの画面から春香の笑顔が消えて、ステージに春香はどこにもいない。

それは、ひどく淋しく、なんてつまらない世界だろうと思う。

「そうですね……。例えば、毎日学校に行って、休み時間には友達とおしゃべりをして、放課後は寄り道して、お休みの日にはどこかに出かけて……」

……、あぁ、春香。それは。

「でも」

出かかった言葉を飲み込む。春香がそれより早く続けたからだった。

「いまは……、毎日事務所に来て、空き時間に他のアイドルと話をして、レッスンが終わったらたまに寄り道して、オフの日は……」

「あんまり、変わらないな」

そう言うと春香は微かに頬を緩めた。その表情にどこか安堵する。

「そう、ですね……。あぁ、でも」

先程よりはリラックスしているようだ。しかし顔を見てくれないのが気にかかる。春香は思いついたように目を丸くして、そして細めて力なく笑った。

「みんなには、会えなかったですよね……。楽しく話すことも、悩みを聞いたり聞いてもらったり。ただステージの上で輝くみんなを応援してるだけで……」

それは、ifの世界の話。

「雑誌を買って、テレビに出ているみんなを見て、クラスの子と昨日の番組の話なんかをして……」

天海春香がアイドルでない世界のこと。

「さびしいなぁ……」

春香は、深呼吸するようにそう言った。

「淋しいですね、それは」

そう漏れた言葉はきっと春香の本音で、彼女自身が見つけたかったことだった。

春香がアイドルでなくても世界は回っていくし、日本は壊れたりなんかしない。

だけど、それでも。

その世界は、確かに淋しい。

「ファンのみんながいるから頑張れる、っていうのは嘘じゃないですし、本当にそう思ってます。だけど……」

「……そっかぁ。そう、ですよね。うん、そうだよね」

春香は何かを納得したようだ。その瞳に迷いは見えない。春香は真っ直ぐこちらに顔を向けて目を合わせてきた。

澄んだその瞳に映るのは希望か、それとも未来か。

「アイドルがなんだろうっていうこの問いに答えなんて多分一生かかっても出ないと思います。だって応援してくれている人の数だけその人のアイドルがいるんです。だからそのみんなのアイドルに少しでも近づけるなら、私はそれでいいかなって。ううん、それが、いいかなって」

すぅと春香は息を大きく吸い込んだ。

「私、もう一度天海春香として人生をやり直す権利が与えられたとしてもきっと、同じ道を選びます」

もう一度、アイドルに。
もう一度、あなたと。

そう、言われた気がした。胸の奥が大きくうごめく。
心臓の鼓動が脳に響く。それほどの衝撃と喜び。

だって、それは自分と同じだった。

春香がこの道をもう一度選ぶように、自分だってきっと選んでしまうのだろう。

これまで進んできた道がどんなに苦しかったか経験していても、この道がどれほど茨だと知っていても、これから進む道がどうなるかわからず前すら見えていなくとも。

春香は、この道を、「アイドル」を選んでしまう。

これは彼女の性であり、もはやこれは運命と言うに等しい。

「ねぇ、プロデューサーさん」

目を逸らせない。彼女を見ていたい、この瞬間を逃したくない。

そう強く願う自分がいた。今の春香はそれほどの魅力がある。
テレビや雑誌で見るよりもずっと。ステージの時にも負けないくらいに。

その、言葉の先の続きを。


「プロデューサーさんはアイドルって何だと思いますか?」

アイドルとは、偶像であり崇拝の対象。だけどその偶像の本当を知っているのは誰だろう。

そうだな。アイドルっていうのは。

テレビに出て、雑誌で表紙を飾って、大きなステージに立って、みんなを笑顔にする。

そんな力を持った女の子。

だけどそれ以外は世間の女の子と何も変わらなくて。
友達と話すことが大好き。
かわいいものが大好き。
たまには自分の存在意義なんかを考えちゃったりなんかして。

たとえば、そう。

目の前に座る女の子――。

「さぁ、なんだろうな」

天海春香のことを指すんだろう。

なんて、今は言ってやらないけど。とぼけたように溜息を吐いて腰を深くかけ直す。

「ふふっ。……そろそろ、お仕事行きましょう!」

春香はそんな自分の気持ちを察したのか察していないのか微笑むと素早く立ち上がった。それに倣って自分も深くかけたばかりの腰を上げる。

「そんなに急ぐとまた転ぶぞ」

鞄を手に持って、車の鍵を机の上からひったくる。春香はくるりと振り返って嬉しそうに笑う。

「今日はまだ一回もこけてないんですよ! って、わっ!?」

ほら、言わんこっちゃない。

それでも。

この子を、ずっとこれからも傍で見ていたいと思ってしまうのは我儘だろうか。


――これはそんなアイドル天海春香のはなし。

fin.

* * * * *

ねぇ、プロデューサーさん。

私はあなたの傍でアイドルになりたい。

私はあなたと共にアイドルになりたい。

私はアイドルだけど。

そんなことを願ってしまうくらいには普通の女の子だから。

それくらいの我儘は、許してくれますか?

amami side fin!!!

以上です、短いですがありがとうございました。

本当に久しぶりに書いたので長く書くのが難しいです。

今度書く機会があれば、もう少し長めにかきたいと思います。

次回は「如月千早は〇〇でありたい」を予定しています、〇〇の部分はご想像にお任せいたします。

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