【モバマス】まゆを飼う (44)

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 寂しい夜の帰り道。うすぼんやりとした電灯の下、怪しい露天商が目に入った。

 何を売っているのかと冷やかし半分で近寄ると、
 小汚い机を前にした店主の女はいかにも胡散臭い笑顔を浮かべてこう言った。

「お兄さん、疲れてますね?」

「ああ、疲れてる」

「癒しが欲しいと」

「思ってる」

「では、こちらの商品なんてどうでしょう」

 女が言って取り出したのは、まるで小動物を飼うようなケージだった。

 冷たく光る鉄格子の隙間から、そいつはこっちを覗いていた。
 大きな丸い二つの目が、妙な熱を持って俺を見上げてる。

「いくら?」

 女が指を三本立てた。

 俺はズボンのポケットから小銭を出すと、机の上に放り投げた。

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「んじゃ」

「えっ」

 ケージを手にした俺の腕を、女がいきなり鷲掴んだ。
 痛ぇ。どれだけ馬鹿力なんだ?

「なに? これ持って早く帰りたいんだけど」

「いやいやいや、冗談はやめてくださいよ」

 冗談だと? 一体何が冗談か。

 甚だ不服だ不満だと俺が肩眉をつり上げて見下ろすと、
 女は机の上の銅貨三枚を指さし言う。

「あのですね、どこの世に三十円で買えるペットがおりますか」

「違うのか?」

「当たり前です!」

 女が再び空いている方の手で指を三本おっ立てる。……だよなぁ、流石に。

 勢いで誤魔化せないかと思ったが、どうやらそうもいかんらしい。

 俺はやれやれと深くため息をつくと、一体いくらになるのか考える。

 この珍しいケージの中身から考えて、やはり三千、三万、三十万……は露店じゃちょっと高すぎないか?


「三百円。きっかし百円三枚です」

「買った!」

 今度は気前よく全額払い、俺はケージを手に取った。

「まいどありー」

 こうして上機嫌な女の声を背中に受けながら、俺は帰路についたのである。

 早く帰ってこの生き物をあれこれ弄くり回そうと、少年のように心逸らせながら。

===

 汚く狭い我が家に戻ると、俺は小さなテーブルの上にケージを置いた。

 部屋の電気が眩しいのか、そいつは手びさしを作って俺を見上げてる。

 大きさおよそ十センチ。大体スマホと同じぐらい。

「ふむ」

 スマホと言えば、便利な道具。

 ネットの海に繋げれば、寝ころびながらコイツの飼育方法なんかを検索できる。

 ポチポチとキーワードを打ち込むと、あれよあれよと結果が出た。
 その間も奴は「ぴー、ぴー」と、小鳥のような声で鳴いていた。

「餌は……人と同じ。扱い方も、似たり寄ったり」

 ケージの中のソイツと目が合う。

「ぴー?」可愛らしく小首を傾げると、その栗色の髪がふわりと揺れた。
 少し垂れた瞳と薄い顔立ちはどことなく、俺の知ってる少女を思い起こさせる。


「……まゆ」

「ぴー」

 命名、まゆ。別にやらしい理由でつけたんじゃない。
 ただ何となく、何となく……だ。

 その時、俺の腹がぐぅっと鳴った。飯、食おう。

 買い置きのカップ麺をテーブルの下から取り出して、湯を沸かすために台所へ。
 ああそうだ。コイツの分もいるよな、やっぱ。

「しかし、そのまま食わして大丈夫かね?」

 再び検索。どうやら問題ないようだ。

 湯が沸くまでの時間を使って、俺はまゆとスキンシップを取ることにした。

 ケージの扉を開けてやる。
 まゆがおっかなびっくり外に出る。

「ぴ、ぴー」

 とてててて、なんて音が聞こえてきそうな足取りで、まゆは俺の方へとやって来た。

 テーブルの端っこで立ち止まると、こっちに向かって両手を差し出す。


「ぴー?」

 こくり、首をかしげて甘えたような声を上げた。

 どうやら抱っこ……もとい、俺に持ち上げてもらいたいらしい。
 いいともいいとも、そんなことぐらいお安い御用さ。

「ああ、でもちょっと待ってな」

「ぴ!」

 元気な返事。素直な性格じゃあないか。

 俺はカップ麺にお湯を注いで蓋すると、つまみあげたまゆをその上に置いた。

「ぴ、ぴぴ!?」

 おーおー、困ってる困ってる。「動くなよ、絶対だ」言って、ニヤニヤとまゆを見下ろす。

 まゆは蓋の上で熱さにジッと耐えている。

 動けばプラスチックの蓋は軋み、最悪熱湯を辺りにドボンだ。火傷どころじゃ済みはしまい。

「お前も運が無い奴さ。悪い飼い主に買われちまって」

 言って、自嘲する。まゆはただ俺を見上げるだけだ。
 嗜虐心が満たされる。ゲスな性格だと笑う。

 三秒待って、俺はようやくまゆを持ち上げた。


「ご苦労さん」

 心にもない労いだったが、しかし、まゆは嬉しそうに笑って鳴いた。

 コイツにはそれしかできんのだ。
 ただひたすらに媚びて身を守ることしか、もはや選択肢なんて残っちゃ無い。

 小さなお皿に冷ましたカップ麺を分けてやる。
 スープは入れない、熱いからな。

 ついでにサイズの合う箸も無いので、まゆは手づかみで麺にかぶりつく。
 着ている肌着に染みができる。

(着替えも用意しないとな)

 スープを腹に流し込みながら、俺はそんなことをふと考えた。

===

 疲れた夜の帰り道。うすぼんやりとした街灯の下、昨夜の露天商が目に入った。

 またも冷やかし半分で近寄ると、小汚い机を前にした店主の女がワケ知り顔で笑いこう言った。

「お兄さん、困ってますね?」

「ああ、困ってる」

「服が欲しいと」

「思ってる」

「では、こちらの商品なんてどうでしょう」

 女が言って取り出したのは、小さなクローゼットだった。
 いわゆるお人形遊びで使う大きさで、見た目もしっかりしたやつだ。

 パカッと扉を開けて見てみれば、中には可愛らしい服が何着か、ハンガーと一緒に吊られていた。

「いくら?」

 女が指を三本立てた。

 俺はズボンのポケットから小銭を出すと、机の上に放り投げた。


「んじゃ」

「待って」

 クローゼットに伸ばした俺の手を、女がピシャリと一叩き。
 机の上の百円玉を指さし言う。

「あのですね、どこの世に三百円で買える服がありますか」

「いや、あるよ」

「よしんばあったとしましても、そんな安物と一緒にしないで頂きたい!」

 女が再び三本指をおっ立てる。
 俺はやれやれと大きく息を吐くと、財布の中身を確かめた。

「三万です」

「高ぁっ!?」

 言って、俺は万札を三枚出した。

「まいどありー」背中に聞こえる女の声は、昨日よりさらに上機嫌だった。

===

 家に戻ってケージを見ると、まゆはスヤスヤと眠っていた。

 シーツ代わりのティッシュを被り、もこもこした綿の地面に転がっている。

 ガンガンガンと乱暴に、ケージを鳴らすと慌てた様子で飛び起きた。

「ぴっ、ぴぴ!?」

 焦ってる焦ってる。それから俺のことを見つけ、心底嬉しそうに「ぴー」と鳴いた。

「留守番できたか?」

「ぴ!」

「褒美をやろう」

「ぴぴ!」

 ゴトン、まゆの目の前に買ったばかりのクローゼットを置いてやる。
 途端、瞳をきらきら輝かせ始めるまゆ。

 驚いてるな、嬉しそうだ。
 うんうん、大金はたいた甲斐があった。


「中もな、凄いぞ?」

 パカリ。扉を開けて、フリフリの沢山ついた衣装をテーブルの上に出してやる。

 まゆが「ぴぃ~!」と感動の声を上げる。どうやらお気に召したらしい。

 ケージの鉄柵の間から、必死に腕を伸ばす姿がいじらしい。

 ほれほれ頑張れ、あと少しで服まで手が届くかもしれないぞ?

「ぴ! ぴっ! ぴ~!」

 しかしどれだけ腕を伸ばそうと、その頬を柵に押しつけようと、まゆの手が服に届くことはついに無かった。

 俺は「残念だったな」と意地悪く笑い、まゆのおでこを指で押した。

 ぺたり、その場に尻もちをつく。涙目になっているのが俺のゲスな欲望をほどよく満たす。

 その晩はコンビニ弁当を二人で食べた。

 汚れた肌着を無理やり脱がし(抵抗激しいのは羞恥心があるからだろう)代わりにパジャマをくれてやった。

「ぴー」

 ティッシュの代わりに肌触りの良いタオルを渡す。薄桃色のパジャマ姿でくるまるまゆ。

 とろんとした瞳を向けられながら、俺は(ベッドもいるな)と考えていた。

付属品で元をとっていくスタイルぅ……。

ちょっと露天商探してくる

最初は格安か無料で引き寄せ、後々キャラの強化やゲット率を有料にして儲ける…
あれ?この方式を俺は知ってr

……君のような勘のいいPは嫌いだよ

この露天商は一体何ち◯ろなんだ?

===

「ぴー、さん。ぴー、さん」

 奇妙な声で目が覚めた。朝、久方ぶりの休みだった。
 万年床から体を起こすと、ケージの中のまゆと目が合った。

「うふ、ぴーさん」

 パジャマ姿で笑いかける。

 俺に恋人がいたならば、もしやこのような甘い体験を毎朝できたのかもしれない……
 なんてことに思考を飛ばして目を逸らす。


「……ぴーさん?」

 現実だった、妄想ではない。
 幻聴の類も疑うが、すぐにまた「ぴーさん」と呼びかけられたので諦めた。

 喋ってやがる、この生き物は。
 ケージの隅にちょこんと腰かけ、「うふっ」なんて笑ってやがる。

 背中に嫌ーな汗をかきながら、俺はスマホ先生にご教示を願う。
 そうして出て来た答えがこれだ。

『喋ります』

 ジーザス、ファッキン、アンビリーバボー。

 オウムが喋り、九官鳥も喋るので、なんら不思議な話では無いらしい。

 初耳だ。困りものだ。そこまで人に似なくてもいいじゃあないか。
 ただ可愛らしくそこにいて、微笑んでさえいるならば。

 ……嫌だぞ俺は、ある日渡した食事を前にして
「またインスタントですか、呆れますね」などと言いだしかねないペットなんて。


 チラリ、横目で奴を見た。

 相変わらずの愛らしさで、こちらをジッと見つめている。

「……おはよう」

「ぴー、さん!」

「眠れた?」

「ぴっ、ぴっ!」

「まゆ~」

「ぴぃ~」

 少しばかり安心した。どうやら人語が話せるワケではなく、あくまで鳴き声の延長らしい。

 俺は驚かされたことへの罰を与えるために、まゆのケージを開けてやる。


「ぴ……」

 恐る恐ると言った様子で、まゆがケージの外へ踏み出した。
 それからぱたたたた、と音がしそうな足取りでテーブルの端までやって来る。

「ぴー、さん」

 両手をこちらに差し出した。いいともいいとも、抱っこしてやろうじゃないか。

 俺はまゆを持ち上げると、そのまま布団に潜り込んだ。
 枕の横に転がして、俺は大きく欠伸する。

「寝る」

「ぴー」

 二度寝だ、休みなんだもの。

 まゆへの罰はいびきの刑。そのうるささに、睡眠不足で悩むがいいわ。

 頬に寄り添うまゆの温もりを感じながら、俺は再び眠りに落ちた。

===

 日用品を買った帰り道。見知った露天商が目に入った。

 渡りに船とはこのことだと近寄ると、真新しい机を前にした店主の女がこう言った。

「お兄さん今日も困ってますね?」

「分かるのか?」

「ズバリ、家具が欲しいと」

「思ってる」

「では、こちらの商品なんてどうでしょう」

 女が言って取り出したのは、まさに俺が必要としている物だった。
 飼い主が布団だというのに、ペットはベッドとはこれいかに。

「いくら?」

 女が指を三本立てた。「また三万?」訊くとふるふると首を振る。

「いえいえこちら、三千円でございます」

「買った!」

「まいど」

 しかし、手にした瞬間ふと思う。
 少々安すぎるんじゃあなかろうか? と。

 怪訝な顔をしてたからだろう、女が続けてこう言った。


「ところでですね、実はもう一つおススメしたい商品が」

 言って、女はまた違う商品を取り出した。

 それはいわゆるユニットバス。
 風呂とシャワーがセットになって、おまけに配管なんかもついて来る。

「汚れたままは可哀そうでしょう? 今ならセット割引で一万円」

「それはベッドも込みの値段かな?」

「ええ、もちろん」

 確かにまゆは生き物だ。
 今はまだそう気にならないが、やはり清潔さを保ってやるのは大事だろう。

 これも飼い主の見栄と努め。

 お椀風呂でも構わんが、なるべく良い物を与えたい。

「よし、貰おう」

「まいどありっ!」

 しかしまた、手にした瞬間ふと思う。

「……トイレは?」

「はい?」

「トイレ、お便所。ベッドに風呂があるってなら、当然トイレも必要だよな?」

 迂闊、今の今まで失念していた。

 相手はなんだ? 生き物だぞ。食って出すのは摂理であり、それはまゆとて例外ではない。

 女がふいに真顔になって、「気づかれましたか」と声のトーンを一段下げた。

 占めて合計三万三千。高い買い物になってしまった。

===

 気づいてしまうと気になるもので、確認せずにはいられない。結果は案の定である。

「まゆ」

「……ぴ」

「このベッドが、新しい寝場所」

「ぴ」

「着替えはここ、クローゼットの中に入ってる」

「ぴー」

「体が汚れたと思ったらコレ、風呂とシャワーもセットした。ちゃんとお湯も出る優れものだぞ?」

「ぴぃ~」

 動力は単三電池三本だ。お湯が出て来る原理は知らんが。


「そして、まゆ」

「……ぴ」

「トイレも一緒についてるから、今度からはここで用を足すんだぞ」

 長い、長い沈黙だった。

 赤面するまゆの肩が震えている。ああ、分かるとも。

 汚れ物を目の前で発掘され、その処理が済み次第流れで家具の説明を受ける。

 恥ずかしいだろう、そうだろう。
 しかしな、その反応は逆効果だ。

「……ぴぃ」

「よし」

 震える声で一声鳴いて、こくりと頷くまゆの頭を撫でてやった。

 賢いペットは手間いらず。されど省けぬ手間もある。

 下の世話まで面倒見るのも、生き物を飼う者の責任であり義務なのだ。

いったい今まで何処で…

===

 まゆを飼い出して一週間。

 露店の女にあれよあれよと乗せられて、
 俺の財布はマッハの速さですり減った。

 とはいえ鉋をかけたワケではない。

 厚みが無くなったのは事実だが。

「なんか……不公平な」

「ぴー?」

 ケージの中はさながら乙女のワンルーム。

 殺風景でむさ苦しい自分の部屋と比べるまでもなく、
 家具の一つとってもまゆの方が上等な品を使っている。


「ぴーさん、ぴっ!」

 買ったばかりの台所――なんと給湯器までついてる上に
 IH対応の超本格的な代物だ。動力はボタン電池二つである――を使い、
 まゆが作ったばかりの味噌汁の味見をしろとお椀をこちらに差し出した。

 もちろんお椀はまゆサイズ。

 人間の俺には小さいが、職人入魂の品である。……お値段の方も言わずもがな。

 一口啜って(と、言っても一口分があるかも怪しいが)頷いた。

「うん、薄い」

「ぴ~」

 まゆが自分でも味見して、「そうでしょうか?」と言わんばかりに俺を見た。

 けれどもこれは仕方ない。なにせ体格が全然違うのだ。

 もしも俺の味付けた味噌汁をまゆに与えれば、
 たちまちのうちにまゆは高血圧の道まっしぐらになることだろう。


 ……とはいえ料理ができるペットとは、大変都合がよろしく思うのだ。

「でもな、温度は丁度良かったぞ」

「ぴぴぃ~♪」

 どんな些末なことだろうと、褒めれるところは褒めるべし。人もペットも同じである。

 ゆくゆくは自分で自給自足を開始して、俺が餌をやらんでも生活していけるよう自立してくれれば頼もしい。

 その為には家庭菜園などもしてくれまいか。

 もやし畑の世話をする、ほっかむり姿のまゆを想像してふと和む。

『ぴーさん、ぴー』

 収穫したてのもやしを抱えて微笑むまゆ。うん、明日はホームセンターに寄って帰ろう。

 プチトマトを解体して真っ赤な汁まみれになったまゆを見下ろしながら、俺はニヨニヨとほくそ笑むのだった。

かわいい

幸せな世界

===

 ホームセンターでもやしの栽培セットを揃えて帰宅途中、

「待てよ、別にスーパーでも事足りたんじゃない?」とこの世の真理に気が付いてしまったのは
 俺とアナタの公然の秘密。みだりに吹聴しないように。

 おまけに今回、いつもの露店で押し売りされたは赤い毛糸玉。

「きっとお気に召しますよ」

 はてさてどうお気に召すとのたまうのか。

 俺に編み物でも編めと言うつもりか。
 それともまゆが猫のように転がして遊ぶとでも?


「ぴぃ」

 ケージの中に無造作千万。

 突如現れた自分の背の高さほどある毛糸玉を転がすまゆ。

 転がした、そう、大玉転がしの如くコロコロと。

「まゆ……お前」

「ぴー?」

 まさか、猫神様であられたか。

 毛糸の先をクルクルと引っ張り出しながらこちらを見上げるまゆを一拝みして、
 俺は夕食の準備に取り掛かる。

 スマホ先生は博識で、無知な小生が青はな垂らしてご教示乞うと、何でも教えてくれるのだ。

 例えばだ、『インスタントはペットに悪い』……さもありなん。


 俺は三ツ星の病院食も裸足で逃げ出すほどの薄味卵焼きをこしらえまゆの元へ。

「ぴっ!」まゆが作業の手を止めた。

 何の作業か? 

 玉から伸ばした赤い毛糸を均等な長さに切り分ける作業である。

 使っていたのは包丁だ。(ハサミを買わねば)天啓が脳裏によぎる。


「メシ」

「ぴー」

 が、まゆは与えられた食事よりも毛糸の方に夢中だった。
 なぜか振られた乙女の如きセンチな感情が沸き起こる。あ、泣きそう。

「めーしーだーぞー」

「ぴぃ」

 しかし強情へそ曲がり。

 まゆは俺様特製の卵焼きを一瞥すると、
 持っていた長さ数センチの毛糸をケージの鉄柵に結び出した。

 たちまち生まれる赤い蝶々。

 結び目の強さを確認すると、まゆが一仕事終えたかのように額を拭う。

「ぴぃ~♪」

 ……なるほど、どうやらケージの飾りらしい。
 洒落っ気が出たか、おしゃまさんめ。


「玉子、冷めないうちに食べるんだぞ」

「ぴぴぃ!」

 返事は良い。俺も自分の食べる分を作るため、台所へともそもそ帰る。

 その日のうちにまゆケージには、無数の赤い蝶が舞った。
 ……若干不気味ではあるが、本人が気に入っているので良しとしよう。

===

 毛糸玉はまゆの大変お気に召したようで。
 いや、なによりその行動範囲を劇的なまでに広くしたようで。

「ぴーさん、ぴーさん」

 朝、まゆは俺を起こしてくれるようになった。

 以前はケージの中に入ったまま、俺が鍵を開けてやるまで外には出て来れなかったと言うのにだ。

「……お前、また鍵を開けたな」

「ぴー?」

 俺は寝起きのぼたっとした意識の中、「さぁ、なんのことでしょう?」なんて顔で白々しく微笑むまゆに言う。

 まゆは糸を巧みに操り、ケージの内側から鍵を開く術を会得した。

 が、この程度のことでは驚かない。

 世には自ら扉を開け閉めするお利口なワンちゃんニャンちゃんが居るほどだ。
 このぐらいの芸当、まゆに出来てもさもあらん。

 むしろ問題なのはその次で、まゆはテーブルからも降りる術を体得した。

 ケージの鉄柵に固く毛糸を結んだら、台から垂らしてえんやこら。
 棒滑りの要領で少しずつ降りて来るその姿の危なっかしいやら愛らしいやら……。


「ぴぴぃ」

 そしてまた、奇妙な習性も見つかった。

 まゆはやたらと俺に糸を巻きたがる。
 今日もそう、目覚めれば俺の左手の小指には、赤い毛糸が巻かれていた。

 その先は当然の如くまゆへと繋がっておりまして、
 幾重にも腰に巻き付けた毛糸はさながら親父の腹巻のよう。

「それでいいのかお洒落さん」

「ぴ~」

 女子力を劇的に下げながら、それでも本人は嬉しそうだ。

 ……まっ、勝手に居なくなられるよりはマシだろうな。

 聞けば家具の下などに潜り込み、飼い主の気づかぬうちに他界されるげっ歯類なんかもいるそうで。

舞ってる

===

 一人暮らしは気楽なものさ。ただ、時に避けられぬ面倒くささもある。
 例えば公共料金の支払いだとか、あれこれの書類の準備であるとか、後はそう、家事全般に関してだな。

「いいかまゆ? よーく聞け」

 俺は慎ましくも機能美溢れるベランダから渇いた洗濯物を取って来ると、畳の上に正座して座るまゆと向かい合う。

「まゆ、世の中には"芸は身を助ける"なんて言葉がある」

「ぴー」

「朝になると新聞を取って来るワンちゃんや、寝ている飼い主を起こしてくれるニャンちゃんなんかが世にはいる」

「ぴっ!」

 まゆが得意気に胸を張った。そうだな、お前が毎朝俺を起こしてくれるのは知ってるさ。
 今朝だってそう、目覚ましが鳴り出す五分前には俺を起こしてくれたもんな! 

 ……自慢の包丁でおでこをつつくっつー、なんともバイオレンスな方法で。


 俺はおでこに貼った絆創膏にそっと手をやり、渇いた笑いを一つ浮かべた。
 それから「ぴ~?」と首を傾げたまゆに「なんでもないよ」

「ぴ」

「それでだ。今日はまゆに洗濯物の畳み方を教えよう」

 途端、まゆが両手を頬に当てて「ぴぃ~!」なんて。恥ずかしがるか、一丁前に。

 まあな、だろうな。成りはそんなでも女の子だもん。

 しかしな、まゆよ。女の子だという自覚が少しでもあるというのなら、
 そのケージ内に散らかった自分の服を見ても恥を知れ恥を。

 次いでしめやかに反省なさい。

「んじゃ、畳むぞ~」

「ぴー」

 返事は良い。

 俺は取り込んだ洗濯物の山からワイシャツを手に取り畳みだす。
 対面ではまゆも自分の服を俺の真似して畳んでる。

 あー……そのうち俺の分も畳んで仕舞ってくれんかな。
 いや、その為には服は大きすぎ、まゆの体は小さすぎる。

「お前さんを大きくする薬とか、あの女売ってねーのかな?」

「……ぴ~?」

 言って、俺は「ないない」とバカげた話に首を振る。
 そんな俺を、まゆは何とも複雑な顔で見上げていた。

乙カレー

===

 いつもの仕事の帰り道。

 見るたびに身なりが良くなる露天商の女に冗談半分で訊いてみる。

 すると彼女は「はっはっ」と人を小馬鹿にするような、
 小気味良い笑いを披露してこう言った。

「ございますよ、そういう薬」

「えっ」

「お値段少々張りますが、用意できなくはありません」

 言って、女がニタリと笑う。

「最近法改正がありましてね。一部の変た――愛好者の為に、幾つか合法化されたんですよ」

 さらには机の下より一枚の書類とボールペンを取り出して、スラスラと淀みなく語って見せるのだ。

 その妙に手慣れた手付きを見て悟る。

 どうやらこの女にこの手の相談を持ち掛けるのは、俺が初めてじゃあないらしい。


「ただし、一つ注意点が」

「聞こうじゃない」

「保護団体もうるさくてですね……ほら、その、あの子たちは人にそっくりでしょう?」

「まあ……似てるな」

「サイズを変えて、人語も喋ればそれはもう"人"じゃないかって」

「ちょ、ちょっとタンマ」

 俺は片手を突き出して、女の説明を遮った。

「もう、なんですか?」と話の腰を折られた彼女は不機嫌そうに呟くが……

 すまない、今、聞き捨てならない部分があったよな?


「あの……人語を喋る? 人の言葉を話すのか?」

 恐る恐る俺が訊くと、女は一瞬キョトンとした顔になり――
 今度はホントの本当に、人を馬鹿にした笑いを上げたのだ。

 頼りない街灯の明かりの下でひとしきり笑うと、
 彼女は涙を拭うようなワザとらしい演技までして見せる。

「お兄さん、それ本気で言ってるんですか? アナタ、あの子を飼い始めてひと月はとうに過ぎてますよね」

「でも、うちのまゆは鳥みたいな鳴き声しか――」

 不意に、女の笑顔が引きつった。
 まるで予期せぬ言葉が返って来たとでもいうように……。

 けれども俺が疑問を抱くよりも早く、彼女は逃げるように顔を逸らして話し出す。

「とにかく、あの子たちは人語を……解します。喋るのではなく理解する。
 中には、簡単な意思疎通までやってのける個体もいるそうですけど」

 デンと、机の上に分厚い本が一冊置かれた。タイトルは『I:DOLの育て方』……そうしてこちらに向けた顔。

 仄かな明かりの中で浮かべる女の笑顔には、
 一切の感情が存在しないようであり。

 正に、ゾッとするような作り笑い。

「こちらはネットなんかにも載ってない、あの子たちの詳しい取り扱い説明書です」

「ね、値段は?」

「……今回は無知なアナタを憐れんで、無料で進呈致しましょう」

 押し付けるように本を渡されて、俺はその場を後にした。

 帰り際、背中越しに聞こえた言葉が残響のように揺れている。

「薬、ご用意して待っていますから。……彼女共々、今後も私たちをご贔屓に」

 ……だがしかし、女の姿はそれきりだ。

 あれから数週間経つが、寂しい路地の街灯下、怪しい露店はついぞ見かけない。

 その出会いや会話の一切が、夢や現だったかのように……。

乙カレー

まだかや

test

万川ちひろ

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