【モバマス】まゆを飼う (44)
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寂しい夜の帰り道。うすぼんやりとした電灯の下、怪しい露天商が目に入った。
何を売っているのかと冷やかし半分で近寄ると、
小汚い机を前にした店主の女はいかにも胡散臭い笑顔を浮かべてこう言った。
「お兄さん、疲れてますね?」
「ああ、疲れてる」
「癒しが欲しいと」
「思ってる」
「では、こちらの商品なんてどうでしょう」
女が言って取り出したのは、まるで小動物を飼うようなケージだった。
冷たく光る鉄格子の隙間から、そいつはこっちを覗いていた。
大きな丸い二つの目が、妙な熱を持って俺を見上げてる。
「いくら?」
女が指を三本立てた。
俺はズボンのポケットから小銭を出すと、机の上に放り投げた。
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「んじゃ」
「えっ」
ケージを手にした俺の腕を、女がいきなり鷲掴んだ。
痛ぇ。どれだけ馬鹿力なんだ?
「なに? これ持って早く帰りたいんだけど」
「いやいやいや、冗談はやめてくださいよ」
冗談だと? 一体何が冗談か。
甚だ不服だ不満だと俺が肩眉をつり上げて見下ろすと、
女は机の上の銅貨三枚を指さし言う。
「あのですね、どこの世に三十円で買えるペットがおりますか」
「違うのか?」
「当たり前です!」
女が再び空いている方の手で指を三本おっ立てる。……だよなぁ、流石に。
勢いで誤魔化せないかと思ったが、どうやらそうもいかんらしい。
俺はやれやれと深くため息をつくと、一体いくらになるのか考える。
この珍しいケージの中身から考えて、やはり三千、三万、三十万……は露店じゃちょっと高すぎないか?
「三百円。きっかし百円三枚です」
「買った!」
今度は気前よく全額払い、俺はケージを手に取った。
「まいどありー」
こうして上機嫌な女の声を背中に受けながら、俺は帰路についたのである。
早く帰ってこの生き物をあれこれ弄くり回そうと、少年のように心逸らせながら。
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汚く狭い我が家に戻ると、俺は小さなテーブルの上にケージを置いた。
部屋の電気が眩しいのか、そいつは手びさしを作って俺を見上げてる。
大きさおよそ十センチ。大体スマホと同じぐらい。
「ふむ」
スマホと言えば、便利な道具。
ネットの海に繋げれば、寝ころびながらコイツの飼育方法なんかを検索できる。
ポチポチとキーワードを打ち込むと、あれよあれよと結果が出た。
その間も奴は「ぴー、ぴー」と、小鳥のような声で鳴いていた。
「餌は……人と同じ。扱い方も、似たり寄ったり」
ケージの中のソイツと目が合う。
「ぴー?」可愛らしく小首を傾げると、その栗色の髪がふわりと揺れた。
少し垂れた瞳と薄い顔立ちはどことなく、俺の知ってる少女を思い起こさせる。
「……まゆ」
「ぴー」
命名、まゆ。別にやらしい理由でつけたんじゃない。
ただ何となく、何となく……だ。
その時、俺の腹がぐぅっと鳴った。飯、食おう。
買い置きのカップ麺をテーブルの下から取り出して、湯を沸かすために台所へ。
ああそうだ。コイツの分もいるよな、やっぱ。
「しかし、そのまま食わして大丈夫かね?」
再び検索。どうやら問題ないようだ。
湯が沸くまでの時間を使って、俺はまゆとスキンシップを取ることにした。
ケージの扉を開けてやる。
まゆがおっかなびっくり外に出る。
「ぴ、ぴー」
とてててて、なんて音が聞こえてきそうな足取りで、まゆは俺の方へとやって来た。
テーブルの端っこで立ち止まると、こっちに向かって両手を差し出す。
「ぴー?」
こくり、首をかしげて甘えたような声を上げた。
どうやら抱っこ……もとい、俺に持ち上げてもらいたいらしい。
いいともいいとも、そんなことぐらいお安い御用さ。
「ああ、でもちょっと待ってな」
「ぴ!」
元気な返事。素直な性格じゃあないか。
俺はカップ麺にお湯を注いで蓋すると、つまみあげたまゆをその上に置いた。
「ぴ、ぴぴ!?」
おーおー、困ってる困ってる。「動くなよ、絶対だ」言って、ニヤニヤとまゆを見下ろす。
まゆは蓋の上で熱さにジッと耐えている。
動けばプラスチックの蓋は軋み、最悪熱湯を辺りにドボンだ。火傷どころじゃ済みはしまい。
「お前も運が無い奴さ。悪い飼い主に買われちまって」
言って、自嘲する。まゆはただ俺を見上げるだけだ。
嗜虐心が満たされる。ゲスな性格だと笑う。
三秒待って、俺はようやくまゆを持ち上げた。
「ご苦労さん」
心にもない労いだったが、しかし、まゆは嬉しそうに笑って鳴いた。
コイツにはそれしかできんのだ。
ただひたすらに媚びて身を守ることしか、もはや選択肢なんて残っちゃ無い。
小さなお皿に冷ましたカップ麺を分けてやる。
スープは入れない、熱いからな。
ついでにサイズの合う箸も無いので、まゆは手づかみで麺にかぶりつく。
着ている肌着に染みができる。
(着替えも用意しないとな)
スープを腹に流し込みながら、俺はそんなことをふと考えた。
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疲れた夜の帰り道。うすぼんやりとした街灯の下、昨夜の露天商が目に入った。
またも冷やかし半分で近寄ると、小汚い机を前にした店主の女がワケ知り顔で笑いこう言った。
「お兄さん、困ってますね?」
「ああ、困ってる」
「服が欲しいと」
「思ってる」
「では、こちらの商品なんてどうでしょう」
女が言って取り出したのは、小さなクローゼットだった。
いわゆるお人形遊びで使う大きさで、見た目もしっかりしたやつだ。
パカッと扉を開けて見てみれば、中には可愛らしい服が何着か、ハンガーと一緒に吊られていた。
「いくら?」
女が指を三本立てた。
俺はズボンのポケットから小銭を出すと、机の上に放り投げた。
「んじゃ」
「待って」
クローゼットに伸ばした俺の手を、女がピシャリと一叩き。
机の上の百円玉を指さし言う。
「あのですね、どこの世に三百円で買える服がありますか」
「いや、あるよ」
「よしんばあったとしましても、そんな安物と一緒にしないで頂きたい!」
女が再び三本指をおっ立てる。
俺はやれやれと大きく息を吐くと、財布の中身を確かめた。
「三万です」
「高ぁっ!?」
言って、俺は万札を三枚出した。
「まいどありー」背中に聞こえる女の声は、昨日よりさらに上機嫌だった。
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家に戻ってケージを見ると、まゆはスヤスヤと眠っていた。
シーツ代わりのティッシュを被り、もこもこした綿の地面に転がっている。
ガンガンガンと乱暴に、ケージを鳴らすと慌てた様子で飛び起きた。
「ぴっ、ぴぴ!?」
焦ってる焦ってる。それから俺のことを見つけ、心底嬉しそうに「ぴー」と鳴いた。
「留守番できたか?」
「ぴ!」
「褒美をやろう」
「ぴぴ!」
ゴトン、まゆの目の前に買ったばかりのクローゼットを置いてやる。
途端、瞳をきらきら輝かせ始めるまゆ。
驚いてるな、嬉しそうだ。
うんうん、大金はたいた甲斐があった。
「中もな、凄いぞ?」
パカリ。扉を開けて、フリフリの沢山ついた衣装をテーブルの上に出してやる。
まゆが「ぴぃ~!」と感動の声を上げる。どうやらお気に召したらしい。
ケージの鉄柵の間から、必死に腕を伸ばす姿がいじらしい。
ほれほれ頑張れ、あと少しで服まで手が届くかもしれないぞ?
「ぴ! ぴっ! ぴ~!」
しかしどれだけ腕を伸ばそうと、その頬を柵に押しつけようと、まゆの手が服に届くことはついに無かった。
俺は「残念だったな」と意地悪く笑い、まゆのおでこを指で押した。
ぺたり、その場に尻もちをつく。涙目になっているのが俺のゲスな欲望をほどよく満たす。
その晩はコンビニ弁当を二人で食べた。
汚れた肌着を無理やり脱がし(抵抗激しいのは羞恥心があるからだろう)代わりにパジャマをくれてやった。
「ぴー」
ティッシュの代わりに肌触りの良いタオルを渡す。薄桃色のパジャマ姿でくるまるまゆ。
とろんとした瞳を向けられながら、俺は(ベッドもいるな)と考えていた。
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「ぴー、さん。ぴー、さん」
奇妙な声で目が覚めた。朝、久方ぶりの休みだった。
万年床から体を起こすと、ケージの中のまゆと目が合った。
「うふ、ぴーさん」
パジャマ姿で笑いかける。
俺に恋人がいたならば、もしやこのような甘い体験を毎朝できたのかもしれない……
なんてことに思考を飛ばして目を逸らす。
「……ぴーさん?」
現実だった、妄想ではない。
幻聴の類も疑うが、すぐにまた「ぴーさん」と呼びかけられたので諦めた。
喋ってやがる、この生き物は。
ケージの隅にちょこんと腰かけ、「うふっ」なんて笑ってやがる。
背中に嫌ーな汗をかきながら、俺はスマホ先生にご教示を願う。
そうして出て来た答えがこれだ。
『喋ります』
ジーザス、ファッキン、アンビリーバボー。
オウムが喋り、九官鳥も喋るので、なんら不思議な話では無いらしい。
初耳だ。困りものだ。そこまで人に似なくてもいいじゃあないか。
ただ可愛らしくそこにいて、微笑んでさえいるならば。
……嫌だぞ俺は、ある日渡した食事を前にして
「またインスタントですか、呆れますね」などと言いだしかねないペットなんて。
チラリ、横目で奴を見た。
相変わらずの愛らしさで、こちらをジッと見つめている。
「……おはよう」
「ぴー、さん!」
「眠れた?」
「ぴっ、ぴっ!」
「まゆ~」
「ぴぃ~」
少しばかり安心した。どうやら人語が話せるワケではなく、あくまで鳴き声の延長らしい。
俺は驚かされたことへの罰を与えるために、まゆのケージを開けてやる。
「ぴ……」
恐る恐ると言った様子で、まゆがケージの外へ踏み出した。
それからぱたたたた、と音がしそうな足取りでテーブルの端までやって来る。
「ぴー、さん」
両手をこちらに差し出した。いいともいいとも、抱っこしてやろうじゃないか。
俺はまゆを持ち上げると、そのまま布団に潜り込んだ。
枕の横に転がして、俺は大きく欠伸する。
「寝る」
「ぴー」
二度寝だ、休みなんだもの。
まゆへの罰はいびきの刑。そのうるささに、睡眠不足で悩むがいいわ。
頬に寄り添うまゆの温もりを感じながら、俺は再び眠りに落ちた。
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日用品を買った帰り道。見知った露天商が目に入った。
渡りに船とはこのことだと近寄ると、真新しい机を前にした店主の女がこう言った。
「お兄さん今日も困ってますね?」
「分かるのか?」
「ズバリ、家具が欲しいと」
「思ってる」
「では、こちらの商品なんてどうでしょう」
女が言って取り出したのは、まさに俺が必要としている物だった。
飼い主が布団だというのに、ペットはベッドとはこれいかに。
「いくら?」
女が指を三本立てた。「また三万?」訊くとふるふると首を振る。
「いえいえこちら、三千円でございます」
「買った!」
「まいど」
しかし、手にした瞬間ふと思う。
少々安すぎるんじゃあなかろうか? と。
怪訝な顔をしてたからだろう、女が続けてこう言った。
「ところでですね、実はもう一つおススメしたい商品が」
言って、女はまた違う商品を取り出した。
それはいわゆるユニットバス。
風呂とシャワーがセットになって、おまけに配管なんかもついて来る。
「汚れたままは可哀そうでしょう? 今ならセット割引で一万円」
「それはベッドも込みの値段かな?」
「ええ、もちろん」
確かにまゆは生き物だ。
今はまだそう気にならないが、やはり清潔さを保ってやるのは大事だろう。
これも飼い主の見栄と努め。
お椀風呂でも構わんが、なるべく良い物を与えたい。
「よし、貰おう」
「まいどありっ!」
しかしまた、手にした瞬間ふと思う。
「……トイレは?」
「はい?」
「トイレ、お便所。ベッドに風呂があるってなら、当然トイレも必要だよな?」
迂闊、今の今まで失念していた。
相手はなんだ? 生き物だぞ。食って出すのは摂理であり、それはまゆとて例外ではない。
女がふいに真顔になって、「気づかれましたか」と声のトーンを一段下げた。
占めて合計三万三千。高い買い物になってしまった。
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気づいてしまうと気になるもので、確認せずにはいられない。結果は案の定である。
「まゆ」
「……ぴ」
「このベッドが、新しい寝場所」
「ぴ」
「着替えはここ、クローゼットの中に入ってる」
「ぴー」
「体が汚れたと思ったらコレ、風呂とシャワーもセットした。ちゃんとお湯も出る優れものだぞ?」
「ぴぃ~」
動力は単三電池三本だ。お湯が出て来る原理は知らんが。
「そして、まゆ」
「……ぴ」
「トイレも一緒についてるから、今度からはここで用を足すんだぞ」
長い、長い沈黙だった。
赤面するまゆの肩が震えている。ああ、分かるとも。
汚れ物を目の前で発掘され、その処理が済み次第流れで家具の説明を受ける。
恥ずかしいだろう、そうだろう。
しかしな、その反応は逆効果だ。
「……ぴぃ」
「よし」
震える声で一声鳴いて、こくりと頷くまゆの頭を撫でてやった。
賢いペットは手間いらず。されど省けぬ手間もある。
下の世話まで面倒見るのも、生き物を飼う者の責任であり義務なのだ。
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一人暮らしは気楽なものさ。ただ、時に避けられぬ面倒くささもある。
例えば公共料金の支払いだとか、あれこれの書類の準備であるとか、後はそう、家事全般に関してだな。
「いいかまゆ? よーく聞け」
俺は慎ましくも機能美溢れるベランダから渇いた洗濯物を取って来ると、畳の上に正座して座るまゆと向かい合う。
「まゆ、世の中には"芸は身を助ける"なんて言葉がある」
「ぴー」
「朝になると新聞を取って来るワンちゃんや、寝ている飼い主を起こしてくれるニャンちゃんなんかが世にはいる」
「ぴっ!」
まゆが得意気に胸を張った。そうだな、お前が毎朝俺を起こしてくれるのは知ってるさ。
今朝だってそう、目覚ましが鳴り出す五分前には俺を起こしてくれたもんな!
……自慢の包丁でおでこをつつくっつー、なんともバイオレンスな方法で。
俺はおでこに貼った絆創膏にそっと手をやり、渇いた笑いを一つ浮かべた。
それから「ぴ~?」と首を傾げたまゆに「なんでもないよ」
「ぴ」
「それでだ。今日はまゆに洗濯物の畳み方を教えよう」
途端、まゆが両手を頬に当てて「ぴぃ~!」なんて。恥ずかしがるか、一丁前に。
まあな、だろうな。成りはそんなでも女の子だもん。
しかしな、まゆよ。女の子だという自覚が少しでもあるというのなら、
そのケージ内に散らかった自分の服を見ても恥を知れ恥を。
次いでしめやかに反省なさい。
「んじゃ、畳むぞ~」
「ぴー」
返事は良い。
俺は取り込んだ洗濯物の山からワイシャツを手に取り畳みだす。
対面ではまゆも自分の服を俺の真似して畳んでる。
あー……そのうち俺の分も畳んで仕舞ってくれんかな。
いや、その為には服は大きすぎ、まゆの体は小さすぎる。
「お前さんを大きくする薬とか、あの女売ってねーのかな?」
「……ぴ~?」
言って、俺は「ないない」とバカげた話に首を振る。
そんな俺を、まゆは何とも複雑な顔で見上げていた。
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