休日の朝、いつもなら愛しのベッドの上で惰眠をむさぼっている所ですが、私はパッチリ目を覚ましていました。
そして、そのパッチリした目をさらにパッチリさせようと、鏡の前で自分とにらめっこしていました。
休日に早起きしておめかし。そう。今日はデートです。Pさんとデートなのです。Pさんはデートと思っていないかも知れませんが。
今まで中々合わない二人のスケジュールでしたが、まるで引き合わされたかのように丸一日のお休みがピッタリと合いました。
いつか二人で温泉に行こう、いろんな所に行こうと話すようになってから、何か月経ったことでしょう。
あまりのスケジュールの合わなさに、Pさんは私にただの社交辞令を言っているのかと、何度疑ったことでしょう。
しかし、今日こそはあの温泉(混浴だという事はPさんには伝えていない)で・・・
と、そこでPさんから電話がありました。私の声が聴きたくなったんでしょうか。
そんな理由で電話するような人ではありませんけれど、いつかそんな理由で電話をかけあえる間柄になりたいものです。
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「はい。どうかしましたか?Pさん」
「すいません!急に仕事が・・・」
「・・・」
「それで、今日は温泉・・・行けなくなっちゃいまして・・・本当にすいません!」
「・・・Pさん、昨日はイエス言うたでー?」
「いえ、言いましたけど。そのですね、あれからあれが急にあれのあれで・・・」
「・・・んー?」
「いや、確かに急すぎですけど・・・事が事なので・・・」
「んー?」
「あぁ、その、もう時間も無くて、一刻を争うと言いますか・・・」
「んー!!」
電話を切りました。
それなりに時間をかけた自分の顔の化粧を、勢い良く水でぐわしぐわしと落としました。
・・・・・・
・・・・・・
次の日の夜。私は事務所のソファーで体育座りをして、Pさんは私に頭を下げています。
「昨日は、誠に、申し訳ございませんでした」
「・・・別にPさんが謝る必要はないじゃないですか。お仕事だったんですから・・・仕方ないですよねーお仕事だったんですから」
許しの言葉を口にしたつもりでした。
しかし、やっぱり私のへそは曲がったままで、口振りもつい、曲がり拗ねた物になってしまいました。
ええ、分かっているのです。本当にPさんは何も悪くないのだと。
ええ、分かっているのです。一刻を争う状況でも、メールで済まさずちゃんと直接電話してくれる程、私との約束を大事にしていてくれていた事も。
分かっているのです。
ですが、そんなPさんの誠実さや優しさを、もっと甘い形で受け取ることができなかった事が、今の私にはどうしようもなく腹立たしいのです。
「本当にすいません!いつか近い内に、今度こそ温泉に・・・」
「温泉だけですか?」
私のへそは以前、螺旋を描きます。
「へ?」
「何ヶ月も私を待たせて、更には一度約束を破って、これからまた何週間か私を待たせるのに、連れていってくれるのは温泉だけですか?」
「・・・遊園地にも招待させて頂きます」
「うむ、よろしい」
曲がったおへそがするする元に戻っていく感触がします。
いつか温泉と、更に遊園地に連れていってもらえる、Pさんに。
そのいつかを思うと、なんだかおへそが温まって、柔らかくなって行くのでした。
・・・・・・
・・・・・・
「すいません!急に仕事が・・・」
「・・・」
何週間後の、お休みの重なった日。何週間前に聞いたPさんの申し訳なさそうな声がまたもや私の耳に滲みます。
「それで、今日は温泉・・・行けなくなっちゃいまして・・・本当にすいません!」
「んー!!」
・・・・・・
・・・・・・
次の日の夜。事務所でまたもや裁判です。裁判長である私としては、被告人に情状酌量の余地はないように思います。
「その、ですね。俺もあれはですね。あれがですね。あれでしてね」
「ギルティなのに白を切る体ですか」
「・・・誠に申し訳ございませんでした」
「判決。被告人を『高垣楓と映画館に行く』の刑に処す」
これで三つ目です。スリーアウトチェンジで、こっちの攻めになれば良いのですが。
・・・・・・
・・・・・・
「すいません!急に仕事が・・・」
「んー!!」
・・・・・・
・・・・・・
次の日の帰り道。既に裁判を終え、今度は水族館が追加されました。
ここまでくると、悪魔の仕業ではないかと思ってしまいます。
一応、彼女の名誉のために言いますと、ちひろさんは無関係だそうです。
しかし、これでもう四つ目。一体どこまで行くんでしょうか。
・・・どこまで・・・。
・・・ちょっと良い事、思いつきました。
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どうだ。最初に楓さんと温泉へ行く約束をしてから、もう一年は経ってしまった。
追加されたデートの約束は、明日の裁判で、ついに十個になる予定だ。
こうなったのは、ほんの少しの運命の悪戯と、ここに居るおばさんの意地悪のせいだ。
「君、今私の事をおばさんと言ったかね」
「何も言ってませんよ、お姉さん」
この人はこの業界でかなりの力を持ち、なおかつ高垣楓をいたく気に入ってくれているおばさんだ。
高垣楓というアイドルがあそこまで急速に人気になったのは、ほぼこのおばさんのおかげだ。
いや、こんなおばさんなんぞ居なくとも、楓さんならいずれ今の地位まで登りつめていただろうが。
今俺は、そのおばさんと仕事をしている。
といっても、あってないような簡単な仕事なのだが。
「ふふ、まぁ、君が私を罵倒したくなる気持ちも分かるよ。何せ、君の休みを悉く潰してしまっているからね。私は」
そう、四回目以降、俺と楓さんの逢引を邪魔しているのは運命の悪戯ではなく、このおばさんなのであった。
「何でこんな事をするんです・・・無理矢理に仕事をでっちあげてまで」
俺は今から、夜までドラマの収録を見ていなければならない。もちろん俺の担当のアイドルは出演していないドラマのだ。
何故か、おばさん曰く、この現場には俺が必要らしい。何故だ。本当に何故だ。
となりのおばさんはたまに監督や演出と話をしているが、俺がやる事と言えば、おばさんと世間話をするだけである。
「ふむ。何故だと思うね?」
「嫉妬・・・ですか?」
実はこのおばさん、ガチレズであり、高垣楓を気に入るがあまり、俺との仲を引き裂こうとしているのだ。という仮説。
「不正解だ。むしろ逆だよ」
「逆・・・という事は・・・楓さんじゃなくて俺の事が?」
「ははは。私があと二十年若くてもごめんだ・・・とにかく、君の考えることは全部反対だな」
「反対?」
「あぁ。私は君達の仲を裂こうとはしていないし、君をここに拘束しているのも私ではなく・・・これ以上は言えないな」
「何かよく分からんが今拘束って言いましたね」
「ふん。ならばここから帰るか?」
・・・それはできない。
このおばさんに背くことは、高垣楓というアイドルを殺しかねないからだ。
「・・・ふふふ。賢明な判断だ。まぁ、もう少し待つと良い。答えは必ず出るさ」
・・・・・・
・・・・・・
百回・・・百回?
気付けば、俺は百回も楓さんとの約束を破っていた。
あれから二年。むしろよくたったの二年間で百回も約束を破れたものだ。
中にはデート以外の色々な約束も混じっている。
「百回ですか・・・」
楓さんが心底悲しそうな溜息を吐く。
今まで九十九回見てきた光景だが、百回ともなると罪悪感が尋常ではなかった。
「すいま、せん。すいません。すいません。本当にすいません」
最早謝ることしかできない。
「・・・Pさんは、私の事が嫌いですか?」
「そ、そんな事はありません!俺はずっと楓さんと。全部、全部あのババアが」
「あれほどの人がそんな下らない事するものですか・・・」
「そんな、本当に」
「そんなに私と一緒にいるのが嫌なら、嫌なら、はっきりとそう言えばいいじゃないですか」
楓さんが体育座りの自分の膝に顔を埋めて、肩と声を震わせる。
百回の中で、初めて見る楓さんだった。
「あ、明日!明日だけは全部楓さんと一緒に居ます!全部楓さんに捧げます!」
「・・・本当ですか?」
「ええ!もうあんなババア知ったことか!あいつが何したって俺が楓さんを守ります!」
「なら・・・私、Pさんに連れていって欲しい所が有るんです」
楓さんが鞄からゼクシィを取り出し、あるページを指した。
「この式場がいいです」
「・・・・・・・・・・・・」
「もう予約してます」
「・・・いや、その楓さんはアイドルですし」
「あのおばさまが隠してくれます」
「・・・え、まさか」
あのおばさんの言葉がフラッシュバックする。
『私は君達の仲を裂こうとはしていないし』『君をここに拘束しているのも私ではなく・・・』
『君の考えることは全部反対だな』
「私、百回も約束を破られました。Pさんはさっき全部私に捧げると言いました」
「い、いやいやいや、そんな」
「結婚してください」
楓さんのオッドアイが俺の両目を二つの違う色に染めていく。ひいては、心も。
「さぁ」
「すいません!急に仕事が・・・」
ー終ー
『昨日はイエス言うたでー?』という駄洒落を楓さんに言わせたかっただけなので、それ以降は読まなくていいです。
おまけも読まなくていいです。
おまけ
・・・楓さん、何見てるんですか。
トランポリン。はい。
いや、今日はダブルベッド買いに来たんですから。寝具類はあっちですよ。
まぁ、確かに、こんな所で売ってるのは珍しいですけど。
・・・買いませんよ。買いませんからね。
こら、あんまり触るんじゃありません。
こら。買わないって言ってるでしょう。
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ええと・・・ここに置くとかどうですか。
えー?起きたら目の前にトランポリンですよ?何か楽しくなるじゃないですか。
分かりました。Pさんはトランポリンの素敵さを知らないからそんな事が言えるんです。
見てくださいほら、ほらこんな、こんなに跳ねます。
大丈夫ですよ。こんな事もあろうかと頑丈な家を建ててもらったんじゃないですか。
・・・そっちも大丈夫ですよ、菜々ちゃんじゃないんですから。
ほ、ほらっ、ぁ、あ、い?
・・・・・・・・・。
やっぱり、ベッドの傍はやめておきましょうか。
ー終劇ー
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