南条光「憧れのヒーローに!」 (38)
エロ描写なし。
バトル要素が少しあるので、一応保険としてグロ描写の注意喚起をしておきます。
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まだ憶えてる。
体感ではなく心が茹だるような熱気を、徐々に心音と重なっていく低く重い響きを。
……あれは、五歳の時だったと思う。
老若男女の背中が遮るその先の舞台で、自分じゃない誰かのために戦うヒーローたちの勇ましさを、アタシはその目に焼き付けた。
まだ憶えてる。
瞳に映った憧憬の色を、魂の昂りを。
だって、いまだに過るんだ。
何者でもなかった少女の心臓に、正義の光が灯った感覚が――――
第一章【爆誕! 正義戦士ストレンジャー】
現在――――【池袋ラボ】
ドーム型の広い室内には無機質な鉄の塊がごろごろと転がっていた。その上、光源の頼りない室内は足元がおぼつかない。
アタシは足元に気を付けながら、モニタに照らされた深い回転椅子の方へと向かった。
回転椅子はモニタの方向を見ている。背もたれが大きいのか、そもそも誰もいないのか、座っている人物を窺うことは叶わなかった。
「はじめまして、南条光」
場の雰囲気にそぐわない幼い声がラボ内で反響した。
回転椅子がくるりと回り、声の主の姿が露になる。
回転椅子に座っていたのは、栗色の髪をツインテールにまとめ不敵な笑みを湛える眼鏡で白衣の幼い少女だった。要素が多すぎて特徴が上手くまとまらない。
一言で説明するならプロデューサーが見たら即スカウトしそうな女の子だ。
見た目的にはアタシと同じくらいの年齢だろうか。
容姿だけで一概に年齢を語るのは危ないけど。うちの事務所にはそんな人が結構いるし。
「あなたがこのラボの……」
「池袋晶葉だ。まあ好きに呼んでくれ」
池袋晶葉……。
アタシの雇い主。
八日前――――【346プロダクション事務所・娯楽室】
「いけっ! 頑張れマスターレッド! 負けるな負けるなーっ!」
「……特撮を観ている光は――じゃなくて、光と観る特撮は面白いなぁ」
テレビはアイドル戦隊マスタージャーを流している。
シーンはリーダーのマスターレッドが怪人クローイのブラッククローを受け止めているところだ。マスターレッドを応援しているアタシの隣で、ぐでーっと横になった杏さんがなにかを言った。
「ん? 今なにか言った?」
「いやぁー、面白いなーって」
「だっろぉ!?」
杏さんは話がわかる人だ。
経験上、アタシくらいの年齢になると、こういった特撮の話をしても理解してもらえないか軽くあしらわれるかされることが多くなる。
だけど、杏さんはそういった偏見が一切ない。杏さんに限らず、この事務所にはそんな気持ちのいい人が多い。居心地が良いから、日曜日の朝には用事がなくても事務所に通うようになっている。
別に家で観れるわけだからあんまり意味ないけど、特撮は誰かと一緒に観た方が面白いに決まってるし!
テレビに向き直ると、マスターレッドがブラッククローを撥ね退けているところだった。
「あ、やった! その調子だ!」
「ぬわはは……」
「今週も面白かったな!」
「そだねー」
うつ伏せの状態でぐぬぬと伸びをする杏さん。なかなか独特のポーズだ。
まるで猫みたいだ。
「そういやさー」
あくび混じりに杏さんが言う。
「ん? なんだ? だらしない顔で」
「結構辛辣だね……。……思ったんだけど、なんで怪人ってヒーローの変身をいちいち待ってあげるんだろ」
杏さんはひねくれたこと言うなー。
でもそういった突っ込みを入れる人間は珍しくない。
仕方ないな。ここはヒーローに理解のある人間として、アタシがひとつ教えてやらないとな!
「そういう突っ込みは野暮なんだぜ!」
「えー、でもおかしいじゃん」
む。
「おかしくない! 怪人にだってポリシーはあるんだよ!」
「そういうのないから悪者なんじゃないの」
むむ。
「変身中に攻撃したら卑怯じゃないか!」
「卑怯は承知で活動してると思うんだけど」
むむむ!
「むぅぅ!」
「ムー?」
杏さんが発したんじゃない、大人の低い声。
はっとして入口の方を見れば、書類を片手に携えたプロデューサーが立っていた。
「ムーってなんだ? ムー大陸か?」
プロデューサーがアタシに近づいて尋ねる。
「い、いや、なんでもない!」
「? そうか」
テーブルに書類を置くプロデューサーの顔は、きょとんとしていた。
隣の杏さんがにししと笑っている。
「そうそう、光に話があってだな」
「話?」
「うん、これ見て」
言って、書類の束を広げて、なかから広告チラシっぽい紙を一枚だけ取り出してアタシに渡す。
なになに……。
「『ヒーローになりませんか?』」
チラシの中身を横から覗き見ながら、杏さんが書いてあることを声に出した。
へぇー、ヒーローかぁ。
ってヒーロー!?
「こ、これ、どこで?!」
「うちの郵便受けに入ってたんだ」
「こんな機密文書が!」
「別に機密文書じゃないんじゃない? っていうか見るからに怪しいけど」
ま、まあ、たしかに怪しいではあるけど。
「んー、まあ書いてあることはでたらめっぽいけど、なんか見た瞬間に光のこと思い浮かべてな。つい持ってきちまった」
普段からヒーローヒーローってばっかり言ってるもんなぁ。
「光にあげるために持って来たんだし、やるよ。いらなかったら捨ててもいいぜ」
「もらう! 考える!」
プロデューサーにはっきりと言って、アタシはチラシを胸に抱える。
そんなアタシを見て、プロデューサーは楽しそうにしていた。
胸に抱えたチラシを少し離して、要項を確認する。
こまごまとしたことが書き連ねてあるが、要約すると結局『ヒーローになりませんか?』というところに落ち着いた。
雇い主の欄には『池袋晶葉』とあった。
現在――――【池袋ラボ】
池袋晶葉と名乗った少女は、アタシを値踏みするようにじろじろと眺めた。
アタシは慣れない視線にたじろぎながらもしばらく耐えた。こういった種類の視線には慣れていないのだが、だてにアイドルをやっていない。慣れない視線をものともしないのが、アイドルの仕事に必要なスキルだ。
すると彼女は「ふむ」と、気取ったように短く漏らして顎に指をそえた。
装いからして、いかにも怪しげな学者っぽいキャラクターを目指している感がある。アタシがヒーローを目指すように、この人にも目指すものがあるのだろう。
ものにもよるが、なにかに強く憧れることは基本的に良いことだ。
よし。
それなら、彼女のことはこれから池袋博士と呼ぼう!
「あの……池袋博士?」
「博士……いい響きだな……」
池袋博士はアタシの問いかけにひとりごちた。
「なるほど、そこそこ鍛えているようだな。たしかキミはアイドルの仕事をしているんだったね? わりかし厳しい界隈なのだな」
「ああ。ただ、修業はアイドルとしてのトレーニングと言うより、趣味に近いけど」
「趣味?」
興味深そうに追及してくる。
「いつ悪の手先が現れようと、即座に対応できるように身体を鍛えているんだ!」
「ほう」
アタシの答えが面白かったのか、池袋博士がにやりと笑った。
一瞬嘲笑かと身構えた。が、そうではないらしい。
なんというか、全然嫌な感じはしない。
そうだな。
こういう怪しい博士のもとで活動するヒーローっていうのも、なかなかありだな!
「さて、今日キミをここに呼んだのは他でもない、あるアイテムの効果を実証する被験者になってもらうためだ」
実証? 実験ってことか?
「えっ! 今日はアタシをヒーローにするために呼んだんじゃなかったのか!?」
だからアタシはこんなところまで足を運んだというのに……。まさか騙されたのか?
「まあまあ、話は最後まで聞きたまえ」
というかチラシにもある程度書いたと思うんだが……そう言って池袋博士が乱暴に取り上げたのは、ごつっとした鉄製の大きなベルト。
まるで今までテレビで観てきたヒーローなんかがつけているベルトみたいだ! カッコいい!
「こいつは私が発明した特殊なベルト。名称は《メタ森くん》だ。まあ特撮に出てきそうな変身ベルトとでも考えてくれ」
へ、変身ベルト!?
マジか!? あのカッコいいベルトに、本当にそんな機能が!?
名前は変だけど……。
上に高く掲げた変身ベルトを、池袋博士は今度は右に持っていく。そして左へ。上。左。下。上。右…………。
「ふふん。聞いて驚くなよ? この天才・池袋池袋博士が開発したメタ森くんには腕力、脚力、耐久力、自己治癒能力等の著しい上昇効果が認められる上、さらに通信機能にVR機能まで備えて――おい! 私の話を聞いているのか!?」
「左! って、うん?」
我に帰ったら池袋博士のなにかに耐えるような引きつった笑顔があった。
「そのベルト……」
「ずいぶんと物欲しそうな目だな。そんな顔をせずとも、テストにさえ合格すればこのベルトはキミにやろう」
「テスト?」
テストがあるのか? 聞いてないけど……。
「ああ。誰でもヒーローになれたら大事だろう? 力を悪用する人間がいるかもしれないしな。決して簡単にヒーローにしてしまっては面白くないからとかそんなことは考えていない。っていうかこれも要項に記入したような気がするが……」
「たしかにそうだな! アタシはそんなことしないけど!」
アタシが言うと、池袋博士は慌てたように取り付けた。
「あ、キミがそうだと言っているわけではないことを理解してほしい」
「もちろん! アタシはアタシがそういう人間じゃないことを知っているけど、池袋博士にしてみれば初対面だもんな。それに、どんな印象の人物だって必ず全員をテストしないと意味ないし」
「うむ、物分かりが良くて助かるよ」
池袋博士はわかりやすくホッとした表情になった。
「それじゃあ早速説明に入ろう」
そう言って池袋博士は地面を蹴って椅子ごとこちらに近づいた。
椅子から降りようよ……。
呆れた顔になっているだろうことが自分でもわかる。
それから変身ベルトのバックルをこちらに見せてきた。
「このバックルを強くタップすることで変身が可能なのだが、まずはテストに合格しないと変身はできない。テストに合格していない状態でバックルをタップすると、テストを受けることができる」
テストって言ったら池袋博士が出題する体力テストやペーパーテスト、あとは面接とかそういうのじゃないのか?
バックルを押すことで受けられるテストっていったいなんなんだろう。ベルトでテストができるのか。
全然想像がつかないな……。
「よくわからないといった顔だな。さっきも言ったが、このベルトにはVR機能がついている。その機能によって、疑似的な精神世界のようなものを作り出すことが可能となっているんだ」
精神世界!
なんか…………めちゃくちゃカッコいいな!
「要はそのヴァーチャル世界でテストが受けられるってことだな。テストの内容は人それぞれだ。性格や好みによって体力、知力――あるいは精神力を問ういずれかのテストに様変わりするだろう。自分に厳しい性格ならそれだけ厳しいテストになるだろうな」
「んー、知力を問うテストって言っても、自分が知っていること以上の問題は出せないんじゃないか? そしたらテストは成立しないと思うが……」
アタシが訊くと、池袋博士はにやりと笑い、「鋭いな」と言った。
「そこはこのベルトにある通信機能が役に立つだろう。また、私が開発した人工知能もこのベルトには搭載されている」
「なんかよくわかんないけどすごいな!」
「そうなのだ。すごいんだ」
池袋博士は得意そうにふんぞり返った。
「まあとりあえずそのテストに合格すればキミは晴れてヒーローになれる――私との契約が成立する。契約が成立したらベルトの効果を実証するためにキミには一か月の正義活動をしてもらう」
一か月と言わずに、一生を正義活動に捧げてもいいつもりだが。
「一か月間の正義活動を終えたら、あとはそのベルトは好きにして構わないが……、場合によってはまた活動に駆り出されるかもしれない。というか駆り出されるだろう。一か月間というのは試運転みたいなものだからな。そこらへんの事情は契約書に記されているから、詳しくはそこで読んでくれ」
池袋博士は再び地面を蹴って、机から契約書を取り出した。トランプの手札みたいな持ち方でこちらに見せる。
細かい字がたくさんあって頭が痛くなるな。
そんなことを考えていたら、池袋博士が契約書を乱雑に机に投げた。
「……せっかくここに来たのに一方的に契約の話をされてもつまらんだろう。テストに移ろうか」
そうだ。アタシは契約の話をしにここに来たんじゃない。
ヒーローになるためにここに来たんだ!
ようやく、だ!
ようやくアタシのヒーローとしての第一歩が踏み出されるんだ!
「まずはベルトを装着してくれ」
言いながら池袋博士がアタシの腰回りにベルトを巻く。
カチャカチャと金属音が響いた。
ヒーローとは関係ないけど、なんか腰に腕を回されるのってホッとするな。
ただの動作と思っていたが、ハグにはなかなか素敵な癒し効果があるようだ。
「付け心地はどうだ?」
「お、おおっ!」
自分の腰に巻き付けられたベルトを見ながら、そんな感嘆詞が沸いてくる。
すごい! すごいっ……!
「よし、じゃあ次はこのヘルメットを被ってくれ」
池袋博士がいかにもヒーローっぽいヘルメットを手渡した。
なんだこのヘルメットは! どちゃくそかっけえ!
「うおお、うおおおっ!」
なんだこれは!
これじゃあ、これじゃあ本当に正義のヒーローじゃないか!
アタシはヘルメットを受け取り、頭に覆い被せた。
おおおっ!
か……カッコいい!
まるでアタシが憧れたヒーローそのものだ!
鏡を探すが、どこにも見当たらない。
とりあえずブラックアウトしたモニタに向かってビシッとポーズをとった。
決まった!
ヒーローだ! もう純然たるヒーローだ!
「感動しているところに悪いが、早くテストを始めないか?」
「そうだったな!」
勢いづけて答えて、アタシは両腕を斜め左に伸ばした。次はその両腕を右に伸ばし、そして右腕を曲げ、左腕と交差させる。その過程を経てから、アタシはようやくバックルを押した。
「変・身っ!」
一瞬の、脳が揺さぶられるような感覚。
頭のなかが真っ白になった――――
現在――――【精神世界】
ここがアタシの精神世界なのだろうか。
どこまでも広がる殺風景な場所。
あたりは真っ赤な色で染められている。一瞬血の色かと思ってゾッとしたが、それよりは明るい赤だと思う。
ヒーローの赤だといいのだが。
よく見ると、この赤はクレヨンで荒々しく塗られたようになっている。下地の黄色がちらほら覗いていた。
『南条光』
声がした。
年齢・性別・感情の判別付かない不思議な声色だ。
声のした方を見ると、場違いにしか思えないアンティーク調の椅子と、古めかしいラジオカセットがあった。ラジカセからノイズが聞こえる。
おそらくさっきの声はこのラジカセから流れたのだろう。
『南条光』
再びアタシの名前が呼ばれる。
「なんだ」
アタシは応えた。
『……これより試験を開始する』
「望むところだ!」
いきなりという感は否めないけど。
いったいどんな試験が待ち構えているのだろう。
あたしは一人ワクワクする。
その思いが顔に出て、アタシは右頬の歪みに気付いた。
『では問おう。お前が思うヒーローの条件を数えろ』
「ひとつ」
即答した。
『ほう……。その条件とは?』
「正しくあろうとすることだ!」
アタシは迷いなく強く、強く答えた。
『…………』
『…………』
ラジカセから沈黙が流れる。
今の問いがテストなのだろうか?
だとしたらアタシにとってこれ以上簡単なテストはない。
アタシのなかで決まっていることをただ答えるだけなのだから。
アタシはこんなにも自分に甘い性格だったのだろうか。
なんだか自分にがっかり――――
『不正解だ』
「なっ!?」
不正解だと!?
「……あ、アタシのヒーロー観に文句があるのか!」
アタシは叫ぶ。
そもそも理想のヒーロー像なんて人それぞれで、正解なんてあるわけがない。
アタシが本心でそう思っていることを正直に述べれば、それが正解のはずなんだ!
……だけど。
このテストはアタシの性格が色濃く反映されているのだ。
ならアタシが正しいと思っていることはこの世界でもある程度正しさが保証されていることになる。その上で不正解ということは……。
とりあえず今はアタシの問いかけに対する返答を待つしかない。
『ヒーローの条件は三つある。信念があること、力を持っていること、力を振るう相手があること』
「無視すんなー!」
ラジカセはアタシの言葉をスルーした。
なんだ、この無礼な無機物は!
これにアタシの精神が反映されているなんて、絶対絶対、正義が負けるくらいありえない!
『一週間後、再び問おう。そのときに正しい答えが言えなければ、今度こそ不合格。二度と試験は受けられないだろう』
「アタシの質問に答えろー!」
『……』
結局、ラジカセは終始アタシを無視。
それっきりラジカセが喋ることはなかった。
「っ――!?」
こっちに来るときに感じたような脳を直接揺さぶるような感覚。
アタシの意識が急速に遠のいていく――――
現在――――【池袋ラボ】
「なんなんだあのラジカセは!」
意識を取り戻して開口一番、アタシはそう怒鳴った。
「うわぁあああ!?」
「わっ!」
池袋博士の絶叫がすぐ側からあがる。
そういえばさっき近くにいたね……。
悪いことしたかな。
「なな、な、なにごとだ!?」
「あ、ごめん池袋博士。つい……」
ヘルメットを外しながらアタシは言った。
池袋博士の顔を見る。彼女は目を白黒させていた。
……ん?
あれ、さっきと立ち位置がほとんど変わっていない気がするんだけど、アタシが精神世界にいる間、池袋博士はずっとここに立っていたのだろうか。
「あの、池袋博士ってもしかしてずっとここに立っていたのか?」
「ずっと? ――あ、ああ、そういうことか。いや、精神世界のなかで過ごす時間は、現実世界で過ごす時間よりもずっと圧縮されているんだ。だからそっちで何時間過ごそうと、こっちでは一秒にも満たない。
そこでキミがどれくらいの時間を過ごしたかは知らないが、アタシからすれば『変身』って叫んで奇抜なモーションした直後、いきなり怒鳴り出したようにしか見えないんだ」
そんなのただの情緒不安定じゃないか!
「で、結果はどうだった?」
「そうだった! 聞いてよ池袋博士! 精神世界に行ったら変なラジカセに変なこと訊かれたんだよ!
「変なラジカセ?」
アタシは精神世界であったことを池袋博士に伝えた。
「なるほどね。一週間か……」
例の回転椅子に深く腰掛けながら、池袋博士は考え込むようにして言った。
「ふむ、私でも予測しえなかったような面白い事態になっているようだな。しかしラジカセか……少しキミの《中身》に興味がわいたよ」
池袋博士の台詞にゾクッとした。
まさか人体実験……。
「ああ、心配しなくとも私は生物学には明るくないしそんなに興味もないから。解剖の意味で言ったんじゃあないよ。心理学の方でだ」
アタシの考えが顔に出ていたのか、池袋博士が軽い調子で弁解した。
「まあロボの関節駆動を理解するために最低限の解剖学は学んであるけどね」
……やっぱり一緒にいるのは不味いんじゃ。
「ところで光よ、キミ、両親は共働きかな?」
「え! なんでわかったんだ!? 魔法か!?」
明らかな話題逸らしだったが、わかっていても驚きのあまり話に乗っかってしまう。
「勘だ」
これについては短く済ませる池袋博士。
「うーむ、とりあえず一週間はラジカセ攻略だな。まあこれは結局光自身の問題になるんだが……」
「そうだな、アタシもしばらく考えてみるよ」
「それなら私からひとつアドバイスだ。精神世界での風景はキミの深層心理を表している可能性がある。夢占いみたいなものとして考えるといい」
「夢占い? なるほど。ちょっと調べてみるよ。ありがとう」
翌日――――【346プロダクション・娯楽室】
レッスンを終え、シャワーを浴びてから娯楽室に寄った。
時刻は19時頃。
時間帯のせいか娯楽室には誰もいなかった。
アタシは暗い娯楽室の電気をつけて、備え付けてある一台のパソコンに向かった。
えーっと、電源は……。
手探りでPC本体(ってシールに書いている)の電源スイッチを探す。
「ここかな?」
指先の感触で凹凸を確かめる。でっぱり部分があったので押してみた。
すると。
カシャッと音がしてなにかが飛び出してきた。
「うぉおっっしょい!」
びっくりして変な声が出てきた。
同時にソファの方から物音がした気がする。まあ気のせいだろう。
そんなことよりなんなんだこれは! PC本体から飛び出してきたこの四方形の物体にはいったいどんな意味があるってんだ!
え? もしかして壊しちゃった!?
「ど、どうすればいいんだ……! プロデューサーに叱られちゃう!」
いや、これはちひろさんにか?
どっちにしろ大変だ!
「あじゃぱー……」
「どったの?」
「あじゃぱぁああああ!?」
叫びながら振り返ると、ケータイゲーム機を持った杏さんがいた。
「今日の光は元気だね」
うん、アタシもいい加減喉が痛くなってきたよ……。
「んで、CDドライブなんか開いてどうしたの? なんで電源入れないの?」
「CDドライブ?」
「わかってないで開いてたのね……。じゃあもしかして電源の入れ方わかんないとか?」
「そうなんだよ! パソコンって難しいね!」
「いつの時代から来たのさ……」
呆れた顔でPCのへんなマークを押す杏さん。
ゴォォと音が鳴って、ディスプレイの色が変わった。
「おお! 杏さんはすごいなぁ! ありがとう!」
「フッ……この程度でお礼はいらねえぜ。……いや、ほんとに」
「んで、光はパソコンでなにをしようとしていたの? この調子だと仮に電源をつけることができたとしても、ろくにやりたいこともやれなかったんじゃないかって思えるけど」
「インターネットで調べ物をね」
「スマートフォンとかないの?」
「高校生になったら買ってくれるって!」
ああ、早く高校生になりたいなぁ。
待ち遠しい!
「……うん、スマホを与えたくない親の気持ちがわかるよ」
そんなキラキラした笑顔を見てるとね……って、どういう意味だろう?
「じゃあさ、馬鹿にしてるわけじゃないけど、ブラウザの開き方はわかる?」
「クラウザー?」
「ブ・ラ・ウ・ザっ!」
「ブラウザってなに?」
「やっぱりそっからかー……」
と言いながらマウスを操作する杏さん。
なんか地球みたいなマークに矢印を添えて、マウスをダブルクリックした。
するとディスプレイに新しい画面が出てきた。
なんとなく馴染みのある検索する箇所もあった。
そこでアタシは「ラジカセ 夢占い」とたどたどしい指さばきで入力し、マウスに手をかけた。
「ヒカルクリーーーック!」
カチカチっとな。
「……IWGP? ワンクリックでいいし……」
杏さんの言葉とともに、検索結果が表示された。
「ラジカセの夢占いを調べるためだけに慣れないパソコンを使おうとしてたの?」
アタシの横で杏さんが首をかしげる。
アタシは検索結果を見ながら「うん」とだけ答えた。
精神世界で出題されるテストの攻略、とは当然ながら言えない。
一番上のサイトを開いてみたが、なぜかなかが見ることができない。
インターネットに繋がってないのかな?
「あれ? もしかしてインターネットに繋がってないのかな?」
「いや、それなら検索エンジンにすらたどり着けないよ。娯楽室のパソコンはフィルタがかかってるんだよ。変なサイトとかあるしね」
フィルタリング?
「これは変なサイトなのか?」
「いや、そういうわけじゃないけどさ」
インターネットって複雑だなぁ……。
いくつかのサイトを開いているうちに、ひとつだけ中身が表示されるサイトがあった。
そのサイトからあいうえお順で語群を調べる。
ら行を見てみる。ラジカセはなかったが、ラジオならあった。
まあどっちも似たようなものだと自分を納得させて、ラジオの文字をクリックした。
「で、満足した?」
パソコンの電源を落として、アタシは席を立った。
電源を落とす際にもひと悶着あったが、そこは割愛。
杏さんは相変わらずソファに寝そべって、ゲームをしていた。
「ああ!」
「っていうか本当に夢占い調べるためにいちいちパソコン立ち上げようとしてたんだね……、なんかあったの?」
うーむ、痛いところついてくるな。
「ちょ、ちょっとね! そういえば杏さん、今日レッスンさぼっただろ? トレーナーがすっごく怒ってたよ」
「げ、マジか」
話題を変えて誤魔化す。
幸い杏さんは血相を変えて乗っかった。
アタシはすかさず続けた。
「ところでずっとどこに隠れてたんだ?」
「ソファの下にね……。ダンロンやってたら時間忘れちゃって」
「ダンロン?」
「ダンシングロンパ。ゲームだよ。――で、そしたらいきなり叫び声が聞こえてね」
「ああ」
じゃああのときの物音はそういうことか。
「杏、今日光に貸し作ったし、ソファの下にいたことは内緒ねー」
口元で人差し指を立てて、悪い顔をする杏さん。
恩は返すのが人道だが、ここはヒーロー的にどうするのが正解か……。
同日――【南条家・自室】
机の上にノートを置いて、アタシはラジカセ攻略について整理する……。
精神世界ではアタシの性格・気質がそのまま問題になる。だというのにアタシの思想を真っ向から否定するのはなにかしらの意味があるのだろうか。しかも、ちゃんとした正解のない道徳の授業みたいな問題で。
だいたい、この問いに正解不正解があるのなら、アタシの不正解の直後にラジカセなりの答えをアタシに教えるのはどう考えてもおかしい。もしかしたら、アタシの不正解までを含めてこれはテストなのだろうか。
やっぱりなにか裏があると見える。
また、ラジオの夢占いを調べてみたところ、ラジオには「人の意見を取り入れる」とか「知識を取り入れる」とかそんなあたりの意味があるらしい。
これはつまり、人の主張も取り入れた方がいいという暗示だろうか。
再テスト時にアタシがアタシの信念を曲げてラジカセの主張を反復できれば、それが合格……?
いやいや! そんなのアタシらしくないだろ!
……でも。
強い信念と言うのは、行き過ぎると頑固にもなりかねない。
新しい意見を取り入れて、自己のヒーロー像をリフレッシュしろというのがこのテストの真意かもしれない。
「うーん」
右手に鉛筆を持って、頬杖をつく。
新しい意見っていってもなぁ……。
そんなの価値観の押し付けじゃないか!
そもそもヒーローは自分の信念を簡単に曲げちゃダメなんだ!
……って考え方が頑固なのかなぁ。
…………。
………………わからん!
「……うがーーーー!」
アタシはノートに三枚目のもじゃもじゃを作った。
五日後――【346プロダクション・娯楽室】
気が付けば再テストを明日に控えていた。
ラジカセ攻略が迫るアタシは今…………
「頑張れ! 頑張れマスターイエロー!」
「がーんばれ~」
…………事務所の娯楽室でテレビを観ていた!
テレビはアイドル戦隊マスタージャーを流している。
シーンはマスターイエローが怪人シャチョサンのティントキラーを受け止めているところだ。マスターイエローを応援しているアタシの隣で、例によって杏さんはぐでっとしたまま右手だけ上げてアタシに続いていた。
今日はプロデューサーも一緒だ。プロデューサーはアタシたちとは別のソファーに座ってマスターイエローと怪人シャチョサンの攻防の行く末を見守っている。
普段のプロデューサーならあまりこの場に同席したりしないが、今日は余裕があるのかな。
それからマスターイエローの反撃が始まり、いつも通りマスタージャーは勝利した。
「正義は必ず勝ぁーっつ!」
ソファーの上でポーズをとり、アタシは高らかに言った。
「ね、特撮を観る光は面白いでしょ?」
「ああ」
杏さんとプロデューサーがなにか話している。
「そうだ光」
「ん? なんだプロデューサー!」
アタシを呼ぶプロデューサーの顔には喜色がにじみ出ていた。
これだけでプロデューサーが伝えようとしてるのが朗報だとわかる。
「これはまだまだ未確定のことだけど、実は先日、光をメインに据えた、ヒーローがテーマのLIVEの企画が立ち上がった」
「本当かっ!?」
「おー」
アタシの隣で杏さんが手を叩く。
アタシがメインの……LIVE!?
「企画が通れば三か月後。とりあえず《ヒーローショー》という仮題がついている」
「ヒーローショー……!」
アタシが、ヒーローに!
……って、そうだった。
明日、アタシは本物のヒーローになれるかもしれないんだった。
でもやっぱり、アイドルとしてのヒーローと本当の意味でのヒーローに優劣つけることはできない。
明日ヒーローになってもなれなくても、ステージの上でのアタシはたしかに輝いているのだから。
プロデューサーからの朗報にひとしきり喜び合って、それからアタシは切り出した。
「プロデューサー」
「……ん? なんだ?」
いつにないアタシの様子に、プロデューサーが身構えた。
杏さんは「ん?」とアタシたちの動向に気が付いたようだ。
「ヒーローの条件って何だと思う?」
虚を突かれたようで、プロデューサーは面食らっていた。
それから少し考えるようにして、
「それはLIVEに向けての質問か?」
本当は明日に迫るヒーローテストの参考として訊いたのだが、それは言えない。プロデューサーが都合よく解釈してくれて助かった。
「そうなんだ。少し、アタシのヒーロー像について再考する機会を作ろうと思ってさ」
「うーん」
プロデューサは腕を組んで悩む素振りを見せる。
杏さんはゲームを始めていた。
「それはやっぱり、人それぞれなんじゃないか?」
「いや、それはわかっているんだ」
そういうのが聞きたいんじゃない。
「ヒーローの条件か……。でも殺人犯だって誰でもベルトさえあれば変身できる特撮ヒーローものもあったしなぁ」
たしかに、そういうのもあったな。
だけど池袋博士が作った変身ベルトには、しっかりとしたヒーローの資格が必要となっているんだ。
龍騎の話とは違う。
「そうだなぁ、誰かを救おうと志すこと、じゃないかなぁ」
誰かを救おうと志す、か……。
ラジカセの「力を振るう相手がいること」って条件を思い出した。
それはつまり、悪の存在を正義側が肯定することになる。
そんなのヒーローらしくない!
だけど、プロデューサーの考えには必ずしも悪は必要ない。
「まあ今考えたんだけど……、改めて言葉にしてみるとわかんないもんだな。こんな感じで大丈夫か?」
「うんっ! ありがとう! 参考になったよ!」
「ねぇそれなんの話?」
翌日――――【池袋ラボ】
メカメカしい自動ドアを抜ける。
ドーム型の室内をまっすぐに歩くと、回転椅子に座ってぐるぐる高速回転する池袋博士の姿があった。
ああああああと言葉になってない声を出しながら、ひたすら回るだけの池袋博士。
しばらく眺めていると、少しずつ減速していって、やがてアタシと視線が合う形でぴたりと止まった。
池袋博士は青い顔をしていた。
「いたのか……うう」
今にも吐いてしまいそうな声色で、池袋博士は口元を手のひらで覆う。
「大丈夫か?」
「回りすぎて気持ち悪い……」
じゃあなんで回っていたんだ。
「回っているとすぐに吐き気に襲われる体質なんだよ。なのになんとなく回りたくなってしまう悪癖は直した方がいいだろうか?」
「まあ、嫌なら直した方がいいんじゃないか?」
「実はそんな自分が割と好きだったりするんだが」
「変な奴だな!」
と、つい心の声を口に出してしまったのだけど。
池袋博士はそれをものともせず、むしろ嬉しそうに、
「そうか? やっぱり変か?」
と言った。
変と言われるのがそんなに愉快なのかな?
それはそれで変だ。
「って、そんなことより変身ベルトだよ!」
「お、そうだったな…………さてと、メーターもーりークゥ~ン!」
「ドラえもんか?」
池袋博士が変身ベルトを取り出した。
「しかし光よ、ヒーローの条件について納得のいく答えは見つかったのか?」
「んー、まあね」
「曖昧な返事だなぁ。心配になってきたよ」
普段からジト目の池袋博士の目がさらに細まった。
「まあキミでダメなら新たな適任者を探すまでさ。そら」
池袋博士から変身ベルトとヘルメットを渡される。
そして再び回転椅子を回しだした。
そんな池袋博士を横目に見ながら、アタシはベルトとヘルメットを装着し、ポーズをとった。
「変・身っ!」
現在――――【精神世界】
再びやってきた精神世界。
相変わらず不気味そのものの赤色世界。
これがアタシの精神を反映した風景だと思うと、自分が少し心配になる。
早速あたりを見回してラジカセを捜す――が、なにも見当たらなかった。
「あれ?」
アタシは首を傾げる。
まさかあのラジカセ、アタシとの約束覚えてないんじゃないだろうな。
いや、アタシが早すぎたとか…………遅すぎたとか!?
「あわわわわっ!」
『南条光』
「あわーーーーーっ!?」
突然の呼びかけに驚いて振り返ると、そこにはラジカセがあった。
……情けない声を出してしまった。
忘れよう。
しかしさっきまでラジカセはどこにもなかったのに。
声をかけられるまでどこにあるかわからないからくりなんだろうか。
『南条光』
「なんだ!」
前回もそうだったが、アタシが返事をしないと何度でもアタシの名前を繰り返しそうだ。
『……それでは試験を開始する』
やはり前回とそっくりそのままの台詞。
テープに録音している音声でも流しているんじゃないかと訝しんだが、そういえばこれはラジカセだった。
『では問おう。お前が思うヒーローの条件を数えろ』
「ひとつだ!」
決まった!
即答してやった!
『……。では、その条件とは?』
「正しくあろうとすることだ!」
以前と一字一句違わぬ言葉。
これがアタシの答えだ!
頑固がいったいなんぼのもんじゃい!
そんな気迫とともにあるアタシの答え。
これまでの事象を整理して考えれば、アタシはもっと柔軟な姿勢でこの再テストに臨むべきだったろう。
相手の意見を取り入れる。
だけど。
自分に嘘をついてまで信念を曲げるなんてことはできない!
それがアタシの正しさなんだ!
これでも一応、人の意見を汲んだ結果だ。
そう。
プロデューサーが言ってくれた「人それぞれなんじゃないか?」って言葉。
結局はそこに尽きる。
ラジカセはアタシに「お前の思う」と前置きして質問しているんだ。だったら、ここは嘘偽りない自分の思想を語るべきだとアタシは思う。
『……』
ラジカセは沈黙を流す。
……なぜそうアタシを焦らそうとしてくるんだ!?
早く! 早く合否を!
シャッと鋭い音が鳴って、カセットのふたが開いた。
「っ!?」
びっくりして肩を震わしたりなんかはしていない!
ヒーロー的に!
カセットのふたが開いて、しばらく様子を見るが、なにも起こらない。
仕方がないからラジカセに近づいて中身を恐る恐る確認してみた。
なかにカセットテープが入っていた。
こわごわとした調子でなかのカセットテープに手を伸ばす。
それは未知の物体に触れようとする原始人のような……。
ええい、なにを恐れることがある!
アタシは意を決してカセットテープをつかみ取った。
もちろんアタシになにもない。
「ふう」
カセットテープを見てみる。
両面に細く白いシールが貼ってあった。
これは名前を書けと言うことだろうか?
……なんの?
「ん?」
カセットテープに意識を取られて気付かなかったが、いつの間にか右手にマジックペンを握っていた。
やっぱりなにかを書くのかな?
アタシの名前かな?
うーん……。
あ。
「そうだ!」
マジックペンのキャップをとって、白いシールにペン先を走らせる。
「できた!」
アタシは満足して言った。
カセットテープの表には
【正義戦士ストレンジャー】
と。
裏には
【ストレンジライト】
との文字が浮かんでいた。
これでいいのかな?
アタシは合格なのかな?
あ、このテープは戻した方がいいかも。
ラジカセのなかにカセットテープを入れ、ふたを閉じる。
するとキュルルルと音を立ててひとりでにテープが回り出した。
「うっ――――」
それを皮切りとして、アタシの意識は遠退いていった。
これで現実世界に帰れる。
……。
…………。
あ、あれ?
そういえば。
…………アタシは結局合格できたの!?
「教えろ―――――――――!」
現在――――【池袋ラボ】
「教えろぉおーーーーーー!!」
「うぁああああ!?」
甲高い叫び声とともに、なにかが倒れるようなひどい音がした。
なんかどっかで覚えのあるような感覚と一緒に音のした方を見ると、池袋博士が椅子ごとひっくり返っていた。
「大丈夫か!?」
アタシは池袋博士の方まで駆け寄って、手を貸した。
「あいてて……」
「大丈夫か?」
「いや、大丈夫だが、そんなことよりキミはどうしてこう毎回毎回叫ぶんだ!?」
「いや、まあ、その……」
今はそう濁す。
「一応理由はあるんだけどな……」
「理由?」
責めるような口調で返される。
「あ、ああ」
――
「合否を教えてもらえなかった、ねえ」
「そうなんだよ……」
アタシは俯き加減で応えた。
「ちなみに正義戦士ストレンジャーってなんだ? キミが考えたのか?」
「ん? ああ……」
「へえ、親しみのある名前にしないのだな。意外だよ。えらく他人行儀じゃないか、ストレンジャーだなんて」
それは……。
「たとえ知らない人でも、困っていたら助ける通りすがりの正義のヒーローって意味で名付けたんだ」
「ああ、なるほど」
池袋博士はつきものが落ちたようなすっきりとした顔で言った。
「でも、ヒーローになれなきゃ名付けた意味もなくなっちゃうけど」
「まあ話を聞く限りは合格っぽいのだがな」
「そうだといいんだけどな……。でもどうなんだろう。教えてもらえないことにはなんとも」
「いや、変身してみればいいだろう」
池袋博士があっけらかんと言い放った。
そうだった! その手があったな!
「池袋博士! お前は天才なのか!?」
「その通りだ」
腰に巻き付けたベルトを見る。
こいつがアタシをヒーローにしてくれるかもしれない。
アタシが憧れたヒーローに!
子供の頃、母に手を引かれて行ったショッピングモールで、アタシは初めてヒーローショーを見た。
アタシは買い物とかよりも、おもちゃで遊ぶ方が楽しかったから、あんまり周りに興味が持てなかったけど……。
そこで行われていたショーに目を引かれた。
子供たちの熱い声援。
その声に応えるように、魂を震わせて悪と戦うヒーロー。
気づいたらアタシもその輪の内にいた。
それからずっと、ヒーローに憧れてきたんだ。
正義のポーズをとって、変身すれば。
憧れに手が届くかもしれない!
両腕を左斜めにぴしゃりと伸ばす。
流れるような動作で右に運び――そしてバックルを押した。
「変・身っ!」
その掛け声とほぼ同時に、アタシの視界が閃光で遮られた。
体中になにかがまとわりつくような感覚。力がみなぎってくるような、なにかが……。
閃光が収まる。
そしてモニタに反射したアタシの姿は――
「ヒーローだ!」
そこには、完璧なヒーローが映し出されていた。
憧れのヒーローそのままの。
テレビで応援してきた彼らのような。
あまりの興奮に膝が笑う。
立つことすら難しい激情の中で、拍手の音が軽快に響いた。
池袋博士を見る。
池袋博士は拍手を止めることなく、薄い笑みを浮かべてこう言った。
「おめでとう南条光。今日からキミはヒーローだ」
その言葉でアタシは実感する。
アタシ、憧れのヒーローになれたんだ……!
一週間後――【喫茶店72】
「美味い! すごく美味い! 誰かを助けたくなる味だーー!」
「どんな味やねん」
ヒーローテストに合格してから一週間、アタシが変身する機会は一度たりともなかった。それはとても喜ばしいことだ。
一応時間があるときにパトロールのようなものはしているが、今のところ誰かのピンチに遭遇したことはない。
日本は平和そのものだった。
今日はとあるバラエティ番組のロケで喫茶店に来ていた。
喫茶店名物の《ぺちゃパイ》を食べて、コメントする。なぜか共演のお笑い芸人にツッコミを入れられたが、それも仕事だ。
「あ、プロデューサー! 撮影終わったぞ!」
『そうか、すぐに行こう』
撮影を終えて、プロデューサーに連絡を入れる。
送り迎えはいまだにプロデューサーがしてくれる。忙しいのに、いつも来てくれるのはなんだか申し訳ない気分になる。
ケータイの通話を切って、カバンにしまった。
すると、ピピピピとどこからともなく電子音が聞こえてきた。
ケータイかな? プロデューサーがなにかを伝え忘れたのかもしれない、とそこまで考えたところで違和感に気付く。
アタシ、こんな着信音使ってない。
じゃあなんの音だ?
不思議に思いながらバッグを探ると、なかで赤い光が点滅していた。
ヘルメットだ。
「ディレクターさん、ちょっと外に出ます!」
「おっ、もう帰るのか? お疲れ~」
「みなさん、お疲れ様でした!」
そうお辞儀して、喫茶店を出る。
周囲の目を気にしながら、アタシはヘルメットを被った。
別に口止めはされてないけど、ヒーローは正体をできるだけ隠すものだからな!
『光!』
「池袋博士か?」
ヘルメットに池袋博士の姿が表示された。
おお! すごい!
万能科学アイテムだ! 本当に特撮みたいだ!
血が滾ってきたぞ!
『ようやく繋がった! 今キミは……そこか。好都合だ! そこから徒歩で十五分くらいのデパートで拳銃を所持した何者かが暴れている!』
「拳銃だって!?」
日本じゃ拳銃は持ってるだけで悪いことなんだ!
なぜそんなものが……。
そういえば総理大臣がトランプって人になったんだっけ?
それで日本も銃社会に!?
『ああ! 向かえるか!?』
「十分以内で!」
アタシは走った。
ヘルメットの画面に赤い地図が表示される。おそらく現在地と目的地と思われる場所で赤い点が明滅していた。
『おい、今のうちに変身しておけ!』
今変身している暇はない!
池袋博士の指示に返事はせず、アタシはバッグからベルトを取り出し、走りながらも腰に巻く。
『聞いているのか!?』
「そんな暇なーーーーい!」
今はただ、全速力で目的地へ向かうのみだ!
現在――――【デパート《ウッウ!》・2F】
デパートのなかは混乱した人で溢れかえっていた。
どこからともなく銃声が聞こえてくる。外からすんなりとデパートに入ることも出来たし、どうやら警察が対応している様子はない。
なぜ警察はこんなにも遅いんだ! もう事件から少なくとも十分は経過しているだろうに!
アタシはあえて人の流れに逆らって走る。
――いた。
そいつはライダースーツのような衣服を身にまとっていた。
ヘルメットを被っていて、顔はわからない。シルエットからして女だろうか?
右手に拳銃を持ち、まっすぐに腕を伸ばしている。
シルエットだけ見ればアタシと同じヒーローのようにも思えるが、黒を基調とする禍々しい色合いは、決してヒーローのそれじゃない。仮にヒーローだとして、あれじゃあダークヒーローだ。
いや、ヒーローが拳銃なんか持つわけない!
ただ女はおそろしいくらい冷静のようだった。
拳銃なんて持っていたら普通、手は震えそうなものだが、その様子はない。
そのくせ格好はどう見てもコスチューム。まさかあれが訓練されたテロリストとかそんな風には思えない。
女が銃を向けるその先には――震えながら死を待つだけの抱き合った母子が。
たった二人の標的があったから、ほかの客はどうにか逃げることができたみたいだ。
ヤバい! 見たところ女は客を人質にしているようではない。
おそらく完全に愉快犯だ。
このままだとあの母子が危ない!
『光! 早く変身するんだ! 光!』
! 女の人差し指が動いた!
引き金が引かれる前に……間に合え!
アタシは母子にタックルするつもりの勢いで突っ込んだ。
同時に、タンと乾いた音が響いて、耳鳴りがした。
母子は無事だった。
「大丈夫ですか!?」
「は、はい……」
良かった……。
つかの間の安堵。
……だが。
アタシは立ち上がり、女をキッと睨む。
こいつが……敵!
「逃げてください!」
アタシは母子の方を見ずに言った。
「でも……」
「行って!」
両手を広げて二人に銃弾が届かないように阻む。
「ありがとうございます!」
背中にそんな感謝の言葉が投げられた。
ほんの少しの満足感を得るが、まだ終わっていない!
『悠長なことをしている暇があるか! 早く! 早く変身するんだ!』
そうだな!
アタシはポーズをとる。
『なにをしている! 普通に変身できんのか!?』
これが変身における普通なんだよ!
ヒーローの変身にはきちんとした手順が必要なんだ!
行くぞ!
「へんっ――」
アタシの言葉はそこで途切れた。
「へんっ……」
身と続けたかったが、不思議なことに声は出てこなかった。
いや、このときのアタシはなにかを不思議に思うことすらできず、ただ真っ白な頭で女に呆けた顔を晒すしかできなかった。
なにが起こったんだ?
『光!?』
誰かの声が聞こえた気がした。
その声に我に返り、脇腹の熱さに気付いた。
アタシはおもむろに脇腹を見る。
アタシのシャツが真っ赤に染まっていた。
なんだこれ……。
まさか。
それを理解したとたん、脇腹の熱さは激痛に変わった。
「いっ!?」
痛い! 痛い! 痛い!
あまりの激痛に朦朧としていた意識がはっきりする。
そして、タンと、乾いた音が響いた。
その意味を理解しようとした次の瞬間には、アタシは銃弾を腹に思いっきり受けてあおむけに倒れた。
これでもかというほど、血がだくだくとあふれた。
「ぃ……ぁああああああああああぁあああああああ!」
『光!』
ステージの上でも出したことのないような咆哮が、意識していないのに喉から飛び出ていた。
このときのアタシには、連続して三つの激情が襲い掛かっていた。
まず困惑。
なぜ?
アタシが今まで観てきた怪獣・怪人たちはみんなヒーローの変身を待ってくれていたし。変身中を襲うのはルール違反じゃないのか?
あいつには実力勝負をする気がないのか!?
次に怒り。
どうしてなんだよ!?
なんで……なんでなんでなんで!
どうして今撃ったんだよ?
アタシはまだ変身もしていないじゃないか!?
ひ……卑怯者! どうして正々堂々と戦おうとしない!
こんなの、こんなの無しだ!
最後に恐怖。
さっきまで異様に熱かった脇腹は、今度はどんどん冷たくなっていった。
そうか……血が抜けたのか。
血が抜けたということは……どういうことだろう?
………………まさか死ぬのか?
アタシ、ヒーローになれたんだ。
憧れのヒーローに!
なのに……なのになんにも成し遂げられないまま、よりにもよってこんなやりかたで終わってしまうのか? こんなの、始まってすらいないじゃないか!
……いやだ。
いやだ!
怖い! 怖い!
怖いよプロデューサー!
『光! すぐに救援を送る! だがそのままでは到底間に合わない! 今からでも遅くない、変身して傷の処置を!』
恐怖を自覚すると、吐き気に襲われた。
熱くて酸っぱいものが喉をせりあがってくる。
「か……ハッ」
『どうした! ……まさか、嘔吐したのか!? 不味い! 今すぐうつ伏せになって、ベルトのバックルをタップするんだ!』
さっきから誰の声だよ……。
ごめん、プロデューサー。
今度のLIVE、できそうにないや……。
体中の力が抜けていく。
感覚がなくなる。
最後、アタシに向けた三発目の銃声を聞いて、アタシは完全に意識を閉ざした。
第一章、了
ありがとうございました。
第一章はここまでです。これから第二章に取り組みます。
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