穂乃果「行くよ!リザードン!」Part2 (273)

前スレ

穂乃果「行くよ!リザードン!」
穂乃果「行くよ!リザードン!」 - SSまとめ速報
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ロクノシティ、その南部が燃えている。

それは残る戦場が一つ、ポケモンセンター前。
南ことり、優木あんじゅの対峙の場だ。

経緯を遡ろう。

トレーナー、非トレーナーを問わず大勢の人々が安全を求めて逃げ込み、その入り口を警察の部隊が固める陣容。

日本警察も荒事慣れこそしていないが、決して無力ではない。
センターの警備には特にポケモンの取り扱いに優れた精鋭たちが回されていて、押し寄せるアライズ団の戦闘員たちとは互角の攻防を繰り広げていた。

だが、状況は優木あんじゅの登場によって一変する。
…殲滅。それも五分足らずで。


あんじゅ「手応えがないのねぇ…?まるで蕩けたバターみたい」


生身の左手、包帯に包まれた右手。
左右に広げ、さながら毒蛾めいて血溜まりと炎熱の舞台を揺れ歩く。

その背後には、合わせ揺らめく大蛾が一匹。
虫ポケモンとしては異質の属性、ほのお・むしタイプ。
その羽ばたきには?気を纏い、“たいようポケモン”の異名を誇るウルガモス。

人々やポケモンを寒気から救う逸話を多く持ち、太陽の化身として信仰を受けることもある善性のポケモン。
だがあんじゅは悪道を行きながら、そんなウルガモスを手懐けている。むしポケモン使いとしての技量はまさしく白眉。

朱翅がひらめき、舞う鱗粉が風に乗る。
細かな鱗粉の粒子の全ては火の粉。触れれば燃え、視界一面は見る間に炎の海へと変わっていく。
穂乃果のリザードンのような一点集中火力とも、曜のバクフーンのような爆発拡散型とも異なる、音もなく拡がる静の炎。

“ねっぷう”。
点ではなく面の焼却をあんじゅが命じれば、警官たちに抗う術はない。
傍らのペンドラーも猛進に蹂躙を加え、センター前には不具の重傷を負った人々がうず高く積まれている。


あんじゅ「んん~っ、清々しい気分。最近なんだか不愉快な戦いが多かったけれど…やっぱり戦いはこんな風に、一方的でなくっちゃね?」

圧倒的。
雑だが、そう評してしまうのが最も端的だろう。
自覚している通り、あんじゅはこのところ戦績に恵まれていない。だがそれは、あくまで撹乱役に徹していたため。
今日の手持ち六体こそが、優木あんじゅの本領なのだ。

そうして警官隊の八割以上が排除され、アライズ団はセンターへと雪崩れ込むべく列を成す。

ツバサの目的を達成するためには暴れ回って目を引く必要がある。
どうせ暴れるなら、洗脳薬“洗頭”で多くのトレーナーたちからのポケモン強奪を並行するべきだと。

あくまで合理的に、より多くの利益を。それはアライズ団の一貫した活動方針。


あんじゅ「それじゃ、総員一斉に…」

ことり「こんばんは、オトノキタウンの南ことりです。ちょ~っとお話いいですかぁ?」

あんじゅ「あら…妙なのが湧いてきた」


状況は対峙へと至る。

…ざわついている。

生き残りの警官隊、それにセンター内から防衛線に協力するべく歩み出てきたトレーナーの一部が口々に不安の声を漏らしている。


「鳥面(バードフェイス)…?」
「まさか、本物の?」「都市伝説じゃなかったのか」
「最悪だ…」「アライズ団に加えて鳥面まで!」


あんじゅ「ふふっ、聞いてはいたけど、本当に同類に堕ちていたのねぇ?」

ことり「全く同じのつもりはないけど、否定する気もないかなぁ…」


ほんわりとした声はことりそのもの。狂気に飲まれている様子はない。
ミカボシ山で希の真心に、海未の鉄拳に、おまけで全てを聞いた穂乃果から思いっきり頬をつねられて、心中を覆っていた暗雲は拭われている。

それでもことりは、敢えて仮面を被って現れた。
この面はスペア。普段使っていた方の面は希に叩き割られたが、器用かつ要領のいいことりは同じ面を非常用に作っていた。

小首を傾げ、あんじゅが煽るような声音で尋ねかける。


あんじゅ「それで?わざわざ警官たちの前にそんなお面を被って現れて、何のつもりなのかしら?」

ことり「うふふ、秘密です」


いつもの口調ではぐらかし、シマエナガのような鳥を模した白面の嘴へ指先をピンと立てる。
心境を吐露するつもりはない。ないが、面を被って現れた理由はちゃんとある。
それは犯してしまった罪への贖罪。

ことり(海未ちゃんが言ってくれた…一緒に歩けばいいって。穂乃果も、ずっと一緒だよって言ってくれたの。嬉しかったなぁ…)

ことり(…だからこれは、ことりが二人の隣を歩く資格を得るための戦い。色んな人を傷付けてきた私が、少しでも…ほんの少しでも償うための…誰かを守る戦い)


自分の罪をなかったことにはしない。スペアの仮面はその決意の証。
警官の前へと姿を晒し、全てが終われば自首を。相応の刑に服すつもりでいる。
二人を待たせてしまうだろう。それでも、二人は待っていてくれる。

ことりは面を外し…居合わせたすべての人々へと素顔を晒す。
背格好を覆い隠していたボロ布のマントを剥ぎ捨てる。

目に…人々は息を飲む。
まだ年若く愛らしい、こんな少女が鳥面の正体?

二つ、ボールを掴んで足元へと落とす。現れる二匹の竜!


ことり「…ここは通しません」

『ボアアアアッ!!!!』
『ヌメエッ!!』


対竜を引き連れる、その姿は人々が伝聞していた“鳥面”の特徴に合致する。

ならば、やはり。

…ただ、現状では少女の矛はアライズ団、その幹部、優木あんじゅへと向いている。
可能性に賭し…残る警官らと戦えるトレーナーたちは、アライズ団の構成員たちとの戦闘に専心を。

対し、あんじゅは観察を。
直接の対峙は初めてだが、オトノキタウンの三人が歩んできたレベルの向上は概ね同じだろうと推し量る。

だとして…ダイイチシティの頃の高坂穂乃果と比較して、なんと精強に育ったものか。
あんじゅは小さく肩を竦め、ことりへと声を掛ける。


あんじゅ「ボーマンダにヌメルゴン、600族を二体。あの日、芽を摘み切れなかったツケってとこかしら?」

あんじゅの声に、ことりは柔らかな笑みを崩さないままに首を小さく傾ける。
余裕を感じさせる。少女が独自の旅路に、重ねてきた悪との戦いの影を見る。


ことり「ことりは負けません」

あんじゅ「負けられないのはね、私も同じよ?」


ツバサの、自分たちの夢が成就する時は目前。
その先の世界に後顧の憂い、オトノキタウンのトレーナーたちを存在させる理由はない。
正面に向き合い、あんじゅが目に宿すは兇気!!


あんじゅ「蕾を踏み散らすのも楽しいけれど、咲いた花を手折るのも嫌いじゃないの。摘んであげるわ、南ことり!」

『プヒィィィィッップ!!!!』

ことり「飛ぶね。おねがいっ、ボーマンダ!」

『グオァァオオオッ!!!!』


ウルガモスのさざめき、ボーマンダの号哭
と。
一世一代の決斗、南ことりは竜翼に夜空を舞う。




同時刻、ロクノシティの高層を突っ切るハイウェイに爆走する一台のバイク。
黒髪は疾風に靡き、すぐ隣を同速に駆けるはソノダゲッコウガ。
さらにはファイアローを追従させ、園田海未は高空へと目を向ける!

その先、高速に飛空しているのはテッカグヤ。
エアームドを伴い、統堂英玲奈は後方を追走してくる海未のバイクを見下ろしている。

海未のバイクはフルスロットル、アウトバーンさながらに速度制限など皆無。
それもそのはず、広大な高速道路上には何故か一台の車も見当たらない。

否、訂正を。
ただ一台、黒塗りの高級車だけが英玲奈よりもしばらく先を全速で走行している。
英玲奈はその車を追っていて、海未はその英玲奈を追っているという状況にある。


英玲奈(フフ、やはりこうなったか)


内心に笑みを。ダイイチシティでのファーストコンタクトに海未を討ち逃し、英玲奈は既にこの絵図を見ていた。
この状況という話ではない。
大きく成長した海未が園田流を超えた園田流として、面前に現れる未来を見ていたのだ。

達人は達人を知る。
ソノダゲッコウガ、その鋭気に満ちた水流を見るだけで、英玲奈には海未の成長がはっきりと感じ取れている。


海未「まずは…止めなくては!!」

英玲奈「やってみろ、園田流。いや…園田海未!」


既に流派ではなく、個人として見るべき相手。
接敵、精神は加速し、交戦へと没入していく!

と、その前に。こちらもここまでの経緯を、簡素ながらに辿るべきだろう。

英玲奈の仕事は先述の通り、政治家たちの抹殺だ。
淡々と、粛々と。
斬り捨て、貫き、爆ぜさせ燃やし、潰して砕き、あるいは建物ごと圧壊し、それが最適であれば自らの手で首を捻り。
70余名の市議会議員、うちの37人を既に弑している。
凄烈なペースで殺め続けながら、独り言に自戒している。


英玲奈「フフ、一人で殲滅というのは流石に無理があったか」


想定していたよりも、議員たちの逃げ足が速い。
ある者は自家用のヘリで、ある者は一般人に紛れ込み、様々な手段で街からの逃走を図る政治家たち。

この非常時、街のために陣頭指揮を執ろうと奮起している議員もいるがそれは少数派。
逃げる気がないなら後回しで構わない。ヘリはテッカグヤで撃ち落とし、一般人に紛れた議員はメタグロスの念波で背後から脊椎をへし折った。

迅速にして神速。容赦は皆無。
それでも既に、10名ほどが街からの逃走に成功したと連絡を受けている。


英玲奈「まあ、構わないがな」


役目の重要点はあくまで警備網を裂くこと。半数殺せば既に上々。

英玲奈は無人のビル上階に身を伏せ、スコープを目に当てている。
その隣にはメタグロス。通りを走っていく一台の車を視界に収め……


英玲奈「やれ」

『ギュオオオッ』


無機質な鳴き声と共に、メタグロスは四腕の一本をロケットパンチめいて射出している。
英玲奈が観測手を務めての超長距離狙撃。いや、狙撃と呼ぶには少々大雑把かもしれないが…

一人の政治家が乗った車が二キロ遠方、“コメットパンチ”、流星めいて降った鋼鉄の拳に叩き潰され、爆発炎上。
生きている可能性など微塵もなく、メタグロスの鉄脚が念波に引き戻されたのを確認してカウントを。


英玲奈「38…そして」

視線を70°左へ。
そこには総延長が50キロを越える長大な都市高速。
逃げ出そうと車に飛び乗った人々はわずかも動かない渋滞に巻き込まれていて、未だにクラクションが泣き喚いている。
動くはずもない。早々に車を諦めて放棄した人々がいて、放棄された車は既に障害物でしかない。
そんなどん詰まりから、英玲奈はさらに左へと視線をずらす。

その方向にもハイウェイは伸びているのだが、嘘のように車が見当たらない。延長工事が行われている区画だ。
そんな建設途中の部分には、街の外部へと続くルートが存在している。
舗装が甘いが、既に走れる状態ではある。

そこを走っていく一台の車は黒塗り、公用車に間違いない。
そして車に乗っているのは、英玲奈が狙いを定めている議員らの中でも大物の一人、ロクノシティの副市長だ。

あまり良い評判のない、保身にしか興味のない男。
そんな噂通りに特権を活かし、まだ立ち入ることのできない未完成の高速道を逃路に選んで街の外へ。


英玲奈「これ以上狙いやすい的もないがな」


メタグロスを収め、テッカグヤを繰り出す。
そして飛翔、空から車を追走する!

【UB04 BLASTER】
鋼鉄の巨身、テッカグヤの姿は地上からも目立つ。
地上、それを見上げているのは海未だ。

エンジンが掛かったままに打ち捨てられていたバイクの車体を器用に起こし、鉄馬に跨りアクセルを吹かす。


海未「えっ…ニシキノ博士、真姫のお父様が!?」

真姫「……っ、そうなの。馬鹿な副市長と、狙われやすいハイウェイに…!」


そんな会話を真姫と交わしてから、まだ十分は経っていないだろう。
電波障害に電話が使えなくなっているロクノシティだが、海未と真姫はオハラフォースから偶然の助力を得て、特殊な無線機に連絡を取り合うことができている。

真姫から手短に聞かされた戦況を素早く飲み下していた海未だが、最後に聞かされたその言葉には思わず噎せそうなほどに驚かされた。
統堂英玲奈に狙われる副市長、狙われやすいルート、そして同行している真姫の父!

海未(実に…厄介な状況です)


副市長、ロクノの情勢に明るくない海未でも知っているほどに評判の良くないその男は、病院の警備を自らの逃走のために引き連れていこうとしたのだという。
そこに名乗りを上げたのが真姫の父、ニシキノ博士だ。

「自分が代わりに行こう、ポケモン博士が護衛に付くなら文句はないだろう」と。

副市長は大いに納得し、警官隊へと唾を吐きかねない勢いで怒気を散らし、ニシキノ博士を車へと乗せて去って行った。
だが真姫はもちろん、海未もよく知っている。


海未(ニシキノ博士には、戦闘センスがまるでないのです!)


病院の患者や避難者を救うためには、どうあっても警備を減らすわけにはいかない。
ニシキノ博士は聡明にしてモラリスト。
自らが死ぬ可能性を理解していて、それでも状況を収めるための人身御供として手を挙げたのだ。

だが、海未は怒っている。


海未「馬鹿げています。そんなことをして…真姫がどれだけ悲しむと!!!」

オトノキタウンのトレーナーたちは同い年、穂乃果、海未、ことりの三人の仲の良さばかりを人から見られがちだ。
だが真姫も一つ年下、同じ町で生まれ育った幼馴染の一人。

多忙さと立場の違いから一緒に行動できることは少ないが、生真面目で、気位が高く、素直になれない、けれど心優しく、愛らしい笑顔を時折見せてくれる真姫。
そんな彼女を海未は、妹のように愛しく思っている。それは穂乃果とことりも同じだろう。

そんな真姫が、プライドの擬人化のような性格の真姫が、無線越しに海未へと涙声を漏らしたのだ。


真姫「お願い…パパを助けて…っ」

海未「当然ですっ!!!」


1000cc水冷直列4気筒エンジン、スーパーチャージャー搭載。
誰のものかもわからないが、この車体なら海未の求める速度に足りる。
園田流は万事に通じることを信条とする流派。バイク如き、とっくの昔に母から曲乗りまでを叩き込まれている。海未にとって何の造作もない!

海未「ファイアロー、そしてゲッコウガ」

『ファルルロッ!!』
『……ゲッコッ!!』

傍ら、現れたゲッコウガは既にソノダゲッコウガへと変化を遂げている。
今の海未に迷いは一切なし。明鏡止水、かつ闘気が青炎と燃えている。

そしてバイクを走らせる。直線道路に走り出し、わずかな助走から…爆速!!!!

素早く結ばれるゲッコウガの印。
操作された水をトランポリンのように、弾みをつけて街中に置かれた斜面を描く前衛オブジェへとタイヤを掛ける。
そのままスピードを緩めることなく…


海未「………征きますっ!!!!」


高空へ舞う!!!
封鎖されている検問所を通る必要も、どん詰まりの高速道から合流する必要もない。ハイウェイへと海未のバイクが躍り出る!!

前空にはテッカグヤ、追走する海未のバイクは鉄獣の唸りを。


海未「まずは…止めなくては!!」

英玲奈「やってみろ、園田流。いや…園田海未!」


これが経緯の全て、状況は冒頭へと回帰。
海未は鋭く英玲奈を見据え、英玲奈は冷静にテッカグヤへと命じる。


英玲奈「テッカグヤ、“タネばくだん”だ」


一つの球体がテッカグヤから投下される。
それは海未の前方へと流されながら降り…宙に弾ける。
撒き散らされる大量の小型種子、その全てが小爆発を起こす爆弾!
ハイウェイへと爆華繚乱、破壊の嵐が咲き乱れていく!!


海未「………」


さながらクラスター爆弾、テッカグヤの火力はさながら爆撃機。
その仕手こそは統堂英玲奈、裏社会最強の戦闘屋。


海未「不足なし!!!」


表の最強、園田流継承者としての自負と意地。
真姫の父を救いたい、真姫を泣かせたくないという気持ち。
穂乃果とことりと、ずっと一緒にいるんだという約束。

全てにおいて、負けられる理由が一つもない!

覚悟なら既に決まっている。
海未はさらに加速、爆炎の中へと突入していく!!!




ことり「ボーマンダ、“かえんほうしゃ”!」

あんじゅ「ウルガモス、“ねっぷう”。対流で抑えなさい」


天と地に視線を交わし、ボーマンダは口から大火を、ウルガモスは翅風に火を乗せて。
ぶつかり渦を巻き、初撃は互角に炎が舞う。


ことり(ウルガモス、強いって聞いたことはあったけど、ボーマンダの炎を抑えられるんだ…)


炎蛾を観察、視界に収めつつ、ことりはポケモンセンターから離れる軌道で飛んでいる。
あんじゅを引き寄せるように、付かず離れず攻撃圏を保ちながら。


ことり(ううん、まずはポケモンセンターから引き離さないと)

あんじゅ「露骨な誘導ねぇ…ふふ、乗ってあげるけど」

意図は承知の上、あんじゅはことりの移動に伴って戦場を移動させている。
外野の邪魔が入らない方がやりやすいのはあんじゅにとっても同様だ。

アライズ団にとってセンターの襲撃とポケモンたちの洗脳強奪はあくまでおまけ。
今に限れば、南ことりの排除の方がよほど優先度が高い。
離れていくならとあんじゅが踵を返して交戦を離脱すれば、そこから何かの間違いで南ことりがテレビ局の方面へと向わないとも限らない。

ツバサの強さはあんじゅにとっての絶対だ。絶対だが、物事には時間制限がある。
オハラの私設部隊のせいで、想定していたよりも早く戦線が収束しつつある。
自衛隊が到着してしまえば長期戦は余儀なくされ、長引けば長引くほどに他の地方からの援軍が考えられる。
そこで四天王やチャンピオン級にでも出張られれば目も当てられない。
ツバサの元へ向かう可能性のある強者は、この手で潰しておかなければ。


あんじゅ(ウルガモスで落としてペンドラーで轢く。それが最適ではあるけれど、ドラゴンは面倒よねぇ…)


お互いが初見、あんじゅはことりの手持ちをほぼ知らない。
飛んでいるボーマンダ、地上にはヌメルゴンがその後を並走。
対してことりは横の情報共有である程度の情報を得ているが、しかし初手から知らないウルガモスが出てきている。頭を切り替えて挑まなくては危険だろう。


ことり(虫使いだけど、確かサザンドラは持ってるんだったよね。それとUBを一体…気をつけなくちゃ)

あんじゅ(ペンドラーを狙ってきた。次はヌメルゴンでウルガモス狙いかしら?
まずはセオリー通りのタイプ相性、頭数を削る狙い…)

ことり「ヌメルゴン、“だくりゅう”っ!」

あんじゅ「けど甘い。“いわなだれ”」

ことりの指示に、ヌメルゴンは振り向きざまに水の奔流を解き放とうとする。
圧を重視した水波は泥砂を巻き込み、広範囲に濁流を成してウルガモスとペンドラーの両方を狙う、そんな算段。

だがあんじゅは読んでいた。

ペンドラーの特性は“かそく”。
毒紫の大百足はブレーキ知らず、継戦すればするほどにその速度を増していく。

そんなペンドラーは既にポケモンセンター前で警官隊との戦闘を経て、限界速まで加速済み。
200キロオーバーの巨体が高速で這う姿は、例えるならば重戦車。
弩級の突進、建物を突き崩して瓦礫を生み、ツノで跳ね上げる!


ことり(速い…っ!?)


飛来する瓦礫はまるで高射砲、ボーマンダは迂闊に攻勢を狙えない。
そして地上、直撃を受けたヌメルゴンは怯んでしまい“だくりゅう”は不発!


『ヌメメっ…!!』

ことり「ヌメルゴンっ、危ない!」

あんじゅ「見逃す手はないわねぇ。ウルガモス!」


あんじゅはウルガモスへと“むしのさざめき”の令を。
軋りにむしタイプのエネルギーを乗せて放つ特殊撃、命中率の高い技だ。耐久力の高いヌメルゴンだが、“いわなだれ”に続けて受ければ重いダメージを負ってしまうのは間違いない。


ことり「下に!」

『ボァアアッ!!!』


ことりはボーマンダにすかさず滑空を!
刃のような翼は風を切り裂き、ヌメルゴンとウルガモスの間を高速で飛び抜ける。
瞬間、ことりとあんじゅの視線が交錯し…ことりはボールから赤光を放つ!


ことり「戻って!ヌメルゴン!」

あんじゅ「ギリギリでボールに収めた…攻撃軌道に自分の身を晒して。勇敢なのねぇ?それとも死にたがりの馬鹿かしら?」

褒めているのか煽っているのか、あんじゅは喉を回すような声でことりへと声を掛け、パチパチと戯けた調子で掌を叩いている。

あんじゅが呆れ、嘲るのも無理はない。ことりの選択はあまりにもギャンブルに過ぎた。
間一髪でヌメルゴンの回収は間に合い、ダメージなく一撃を乗り切ることができた。

ただ、それは偶然に上手くいっただけ。
あと二秒タイミングが遅れていれば、“むしのさざめき”へと身を晒したことりは死んでいたかもしれない。
まだ命を賭すような局面ではないにも関わらず!

そんな選択をしたことりの表情には、かつての狂気が…


ことり(あ、危なかった…怖かったよぉ、穂乃果ちゃん、海未ちゃぁん…!)


狂気が蘇ってはいない。
つい、後先を考えずに飛び出してしまっただけ。臨死を踏んだ危機一発に身をブルブルと震わせている。
すうはあと呼吸を整え、恐怖を一旦飲み下し。


ことり(……ダメだなぁ、ことりは。穂乃果ちゃんと海未ちゃんみたいには行きません)


ことりには予感がある。自らそう決めてもいる。
この戦いが自分にとって、生涯で最後の一戦になると。

最後…と言っても、何もここで死ぬだとか、そういう話ではない。
生き残ってやるという気持ちで一杯だ。
最後というのは、あくまでポケモンバトルに関してのこと。


ことり(たくさん戦ってきて、そしてやっぱり思ったんだ。ことりに…戦いは向いてないって)


他人から見て、ことりは既に強者の域。
誰が集計しているわけでもないが、旅立ちからの全ての戦闘での勝率を計算すれば穂乃果と海未よりも高い。
負ければ殺されるような戦いを勝ち続けてきたのだから当然だ。

ただ、その戦いは常に命を投げてのものだった。
火中に身を投じて勝ち筋を拾うような、そんな戦い方をひたすらに繰り返してきた。

ずっと自分を騙して奮い立たせながら、無理して戦ってきた。
穂乃果ちゃんみたいな勇気はない。海未ちゃんみたいな強さもない。
ただ少し、二人より嘘をつくのが得意で、自分は血も涙もない復讐者、そんな風に自己暗示をかけてやってきた。

でも、もう魔法は解けた。
原動力は狂気で、その狂気はもう失われてしまった。

今、ボーマンダにしがみつく手は震えている。


ことり(穂乃果ちゃん、海未ちゃんはまだまだ強くなれる。でもことりの強さは間違った強さで、きっとここが行き止まり)

燃える街の空には上昇気流が吹き上げていて、ただ飛んでいるだけでもボーマンダの身は揺れる。
青の竜体には、しっかりと掴める場所があるわけではない。
翼の根元に手を掛けたり、竜鱗の隙間に足先を掛けてみたりで辛うじて姿勢を保っているだけ。

気合いにぎゅっと指の力を強め、ことりは恐怖に負けじと未来に想いを馳せる。


ことり(罪を償う間は穂乃果ちゃんたちにポケモンたちを預かってもらおう。
そしてもし罪を償えて出てこられたら…もう一度、ポケモンコーディネーターを目指すの)

ことり(だからこれが…私の最後のポケモンバトル)


烈風に負けじと顔を上げ、覚悟の目が地を見据える。
ほんの絞りかす、狂気の残滓を勇気へと変えて。


あんじゅ「……良くないわねぇ?」


あんじゅもまた、数々の修羅場を潜っている。より多くの死線を越えている。
感じ取るのは危険の兆し。南ことりのあの顔は…


ことり「ボーマンダ…“げきりん”っ!!」

咆哮!!

ことりとボーマンダは翼を広げ、あんじゅから一旦距離を離す。
十二分に助走距離を取り、そして斜めに滑空。
ドラゴンタイプのオーラを身に纏い、その矛先はあんじゅの傍ら、加速に身をうねらせるペンドラー。
爆発的な威力を誇る全身突撃を!


あんじゅ「右よ」

『ドラァッ!!!』


経験豊富なあんじゅは、ボーマンダの始動に方向を特定している。
下す指示、ペンドラーは高速でそれを回避!!


あんじゅ「威力は十分、当たればワンショット。だけど雑ねぇ?同じ“げきりん”でもツバサのガブリアスと比べれば…」


そう口に煽りかけ、言葉を止める。
遠空、通り過ぎたボーマンダの背にことりの姿はなく…あんじゅの背後へと回り込んでいる!!


ことり(……刺すっ!)

あんじゅ「いつの間にっ…!?」

それは希との一戦で見せた戦法の攻撃型、ことりが勝利を収めてきた常套戦術。

ボーマンダが烈風と共に通過する瞬間、ことりはその背から地へと転がり落ちている。
同時にボールを開閉、クッション性に富んだ純白の綿竜、チルタリスの翼に身を包んで負傷を抑えた。相手がボーマンダに気を取られている隙を突いて接近したのだ。


ことり(この人は、アライズ団だけは止めなくちゃいけない!)


即座に立ち上がり、片手に揺れる赤い薬液。
ことりは洗脳薬“洗頭”の注射器を手にしている!

あんじゅは驚きに目を丸く、包帯に包まれた右腕でとっさに身を庇っている。
だが構わず。ことりの針は右腕へと突き立てられ、そのまま押し込む。
薬液が体内へと注入されていく!!


あんじゅ「な、あ…!!」

ことり「……!」


ことりが重ねてきたポケモンバトルは闇。
英玲奈のように殺しはせずとも、相手の手持ち全てを倒す必要はない。トレーナーを昏倒させてしまえばいいだけ!

柔らかな物腰と春風のような声、滅多に声を荒げない穏やかな気性。
その三つに印象を隠されがちだが、南ことりはなかなかに頑強な芯を持った少女だ。

人への洗脳薬の使用をにこに非難され、希に心配を掛け、海未に正された。
自分の行いを心から反省し、罪を償うつもりでいるのは先述の通り。

ただし! それは時と場合による。

優木あんじゅ、今ここでこの人を急いで倒せば多くの人を救える。
もし自分が負けてこの人をフリーにすれば、多くの善良な人たちや大切な友達の誰かが次にやられるかもしれない。


ことり(今だけ、最後の一回ですっ…!)


安定した人格のことりに欠点を見出すとすれば、優柔不断という一点が大きかった。
細やかな性格なのだが、反面わりと、大事な決断は後回しにしてしまう癖がある。

だが旅路を経て、たくさんの間違いを経て、それでも少女の心は成長している。決断力が育っている。
世界の命運と罪科を天秤に掛け、ことりは迷わず前者を取る。

今は手段を選んでいられない!

重ねた罪に小さな功、どの程度の量なら気絶で済み、どの程度を注入すれば廃人と化すかは詳細に把握済み。
卒倒させ、後遺症は残さないギリギリの量をあんじゅの右腕へと射ち込んでいる!!

だが…ことりは首を傾げる。


ことり「ん~…もしかして、効いてない?」

あんじゅ「危ないわねぇ…ロクに戦わないうちに眠らされちゃうところだった、けどっ!!!」

ことり「きゃあっ!!?」

あんじゅは包帯に包まれたままの右腕をことりへと伸ばす。
異様は明らか。チルタリスが翼を広げ、ことりとあんじゅの間をとっさに遮っている。

その翼を鷲掴む!!


『ち、チルルッ…!』

ことり「え、えっ…?」

あんじゅ「ふわふわして掴みやすい翼ねぇ?これなら…余裕でッ!!」

ことり「そんなっ!?」


あんじゅの右腕がチルタリスを振り回し、地面へと叩きつける!!!

いくら防御的で攻撃翌力はそれほどでないチルタリスとはいえ、進化体のポケモンだ。
それを生身の人間が掴み上げ、力任せに投げ付ける? ありえない!

だが、その答えはすぐに露出する。


ことり「人の、腕じゃない…?」

振り回した勢いに包帯が解け…白。
否、灰色の右腕が姿を見せている。それは人の形ではなく、甲殻に覆われたような硬い質感。
指先は鉤のように鋭利で、その爪にチルタリスの羽を掛けて、怪力で無理やりに投げ飛ばしたのだ。

疑問を漏らしたことりへ、あんじゅは悠とした笑みで問いかける。


あんじゅ「タイプ:ヌルというポケモンを知っているかしら?」

ことり「タイプ…?」

あんじゅ「知らないでしょうね。それじゃあ、アルセウスは?」

ことり「……アルセウスなら。シンオウ地方の神話のポケモン…」


頷き、あんじゅは右腕、指先を攻撃的に曲げ伸ばししてみせる。
ギシリ、ギシリとした動感は怪物めいて、チルタリスが庇ってくれなければことりはどうなっていたかわからない。

チルタリスはダメージを負ってこそいるが、まだ無事。
あんじゅとことりの距離感に警戒を払っている。

だが構わず、あんじゅは会話を継続する。


あんじゅ「タイプ:ヌルはアローラ地方である組織に生み出されたポケモン。色々な生命体を掛け合わせた、ツギハギのね」

ことり「……」

あんじゅ「作られた理由はUBへの対抗策。シンオウ神話の創世神、アルセウスの性能を再現することを目指していたらしいわ。そしてあえなく失敗…」

ことり「ウルトラビースト…」

あんじゅ「そう。私たちはUBを保有しているから、その対抗兵器のデータも集めていたの。そんな時に右腕を潰されちゃって、義手を着けるかって話になったんだけど…」


優木あんじゅはリスクに賭した。
より高い攻撃性を求めて、タイプ:ヌルのデータを用いた生体義手を移植する選択をしたのだ。

アライズ団はそれ以外にも様々なデータを保有している。
例えばミュウツー細胞、例えば英玲奈のデオキシス細胞、数々のUBに、大陸に資金を求めれば先端技術も潤沢に利用できる。
そんな技術の粋を集め、タイプ:ヌルのデータを叩き台に創り上げたのがあんじゅの右腕。

本家の緑脚よりも、アルセウスの白と金の脚に色は近く灰色。
違和感なく扱いやすいように五指を添えて、その腕の力は今や、並みのポケモンよりも上を行く。

歪な笑み、ことりへと右掌が伸ばされる。


あんじゅ「つまり、私の腕は擬似アルセウスってこと。素敵だと思わない?」

ことり「あ、あはは、ことりの趣味とは、ちょぉっと違うかなぁって…」

あんじゅ「そう、残念ね。ちなみに、色々と教えてあげたのは…」

ことり「……のは?」

あんじゅ「冥土の土産、ってとこかしらねぇ。死になさい?」

ことり「ぴいぃっ!!?」


あんじゅの腕から光弾が放たれる!

アルセウスの姿は正確に確認はされていない。その能力も明らかにはなっていない。
なのであんじゅ自身も理解していないが、放たれた光弾はアルセウスの専用技、“さばきのつぶて”の劣化版とでも呼ぶべきもの。

劣化版とはいえ神の片鱗、威力は折り紙付き、受ければ即死は間違いなし。
だが、ことりはチルタリスに庇われつつボーマンダに拾い上げられて間一髪で空へ!


ことり「し、死んじゃう…!チルタリス、大丈夫…?」

『チルッ…!』

ことり「うん、ありがとう…」


重傷ではないが、無傷でもない。
チルタリスに無理はさせない方が良さそうただ。

地上、あんじゅは攻勢のギアを上げるつもりらしい。
ウルガモスを一旦ボールへと戻し、手に取るのは別の一体。
先の対話、ことりは怪腕の手首にメガリングを目にしている。そのリングが輝き…メガシンカ!!


あんじゅ「ふふ…暴れなさい?メガカイロス」

『ギィィィッ!!!!』

ことり(メガシンカまで。こうなったら、戦い方を変えないと…!)


ボーマンダとチルタリス、二匹の背を撫で、ことりは手早く戦術を組み直していく。




海未「突入します」

『コウガッ!!』


螺旋の水渦を身に纏わせ、海未とソノダゲッコウガは英玲奈によって投下された緑火の中へと身を躍らせている。

UBテッカグヤ、その容姿は門松に似る。
本体のタイプははがね・ひこうながら、竹筒を束ねたような外見のままに“タネばくだん”は草エネルギーを収束させた攻撃だ。
飛散したクラスターボムは路面を叩き、爆炎と共に草蔓が繁茂して道を封鎖していく。
普通に走れば爆炎に巻かれ、または植物にタイヤを取られて転倒、大事故を免れない。

だが海未はゲッコウガの水に爆破から身を守り、車体を斜めに左右へと切り返す猛攻の渦中を巧みにすり抜けていく。
ゲッコウガもまた忍の身のこなしに爆塵の中を突破していて、英玲奈は眼下にそれを見留めている。


英玲奈「良い動きだ。だがまだ遠い」

海未(距離は詰まりましたが…)


海未のバイクは超高速で飛ばし、背後の爆風にさらなる加速を得て猛進。

しかしテッカグヤの飛行も早く、出足の差は大きい。
真姫の父らが乗る車の直上へ、テッカグヤの巨身は既に到達している!


英玲奈「テッカグヤ、“タネばくだん”」

海未「まずい…!仕方がありません、ここは…」


投下された爆弾を防ぐべく、海未は次策を繰り出そうとハンドルから手を離しかける。
が、その手は止まって車に着目を。後部座席右の窓、ニシキノ博士が身を乗り出している。

オトノキタウン出身、海未とはもちろん顔見知り。
助けようとしている意図は通じているようで、博士は海未へと頷きつつも、両手で大きく丸を作っている。
「大丈夫」と言いたいのだろうか。海未が見ていると、ボールを片手にポケモンを車体の上へと解き放つ!

英玲奈「ほう?」

『ガロオッ!!』

海未「ブリガロン…なるほど!」


くさ・かくとうタイプ、鎧のような甲殻を背負った屈強なポケモンだ。
現れると同時、両腕で車上へとしがみついている。降り注ぐ“タネばくだん”へと身を呈し…爆発!

しかし、ブリガロンは無事かつ、博士らの乗る車も無事。
その特性は“ぼうだん”。弾丸や爆弾のような系統の衝撃を受け止め、全て無効にしてみせる。
激しい戦闘となれば不向きを露呈するが、ポケモンの知識は博士だけあって盤石。
その頑丈さをフルに活かした性質はブリガロンの真骨頂!


海未「流石は真姫のお父様、見事な対応です!」

英玲奈「ならば、手を変えるだけさ」

ゴウ!と、テッカグヤの両腕に当たる部位、長尺の竹筒めいた部位が火炎を吹かす。

門松のような、という感想はあくまで人から見て似ていると言うだけの話。
その複数の筒が連なった形状の本質は、自らを空へ、宇宙へと打ち上げるロケットだ。

両腕の下端はそのまま噴射口のように数本の円筒が連なっていて、そこから可燃性のガスを猛烈な勢いで噴射することで自身を打ち上げ、飛行を可能としている。
体長10メートル近く、重量1トンにも及ぶ大重な体を、強力無比のブースターで強引に飛ばしているわけだ。その火力は推して知るべし。
故に呼称コードは爆風、【UB04 BLASTER】と。

そんな両手、噴射口を一時的に下へと向けさせ、車両とブリガロンに狙いを定めて英玲奈は命じる。


英玲奈「“だいもんじ”」

海未「ならば、ファイアロー!“おいかぜ”ですっ!」


大火力が解き放たれる直前、海未は後方に遅れて飛ばせていたファイアローへと指示を下す。
“はやてのつばさ”。ファイアローの特性は風を纏う飛行技に限り、後手でも先手を取れる神速を可能とする。
『ファロッ!!』と高鳴き、熱気を帯びた翼のエネルギーの全てを羽ばたきへ、強い風へと変換する。
海未とソノダゲッコウガ、その背を押す疾風!超加速を!!!


海未「ゲッコウガ!!“ハイドロポンプ”っ!!!」

『ゲッ……コウガッ!!!』

コートの裾が強風に靡く。

海未はトレーナーらしく動きやすい服装、少し暖かな秋服に、上着だけを新調したものへと着替えている。
黒のロングコート、この決戦用にことりが用意してくれた服だ。

黒く、強く、闇めいて。
それは海未の中の“かっこいい”の基準を的確に抑えていて、袖を通せば嬉しさにむず痒い。
「わあ、海未ちゃんの好きそうなやつだ…」とは穂乃果の弁。

爆走に黒影、コートの裾はマントのように靡く。ゲッコウガの首元にも赤がマフラーのように靡き、相棒であると強く印象付けている。

海未の指示に空へと放たれた“ハイドロポンプ”はテッカグヤの炎とぶつかり合い、見事に相殺に成功!

生じた大量の水蒸気、英玲奈から路面への視界が閉ざされた隙に、海未は車の真横へと到達。
窓からはニシキノ博士が顔を覗かせ、海未の登場にわずか緊張を緩ませる。


「すまない…助かったよ園田くん」

海未「いえ、無事で良かったです。本当に…」


ニシキノ博士の隣には噂の男、英玲奈のターゲットである副市長が恐怖に青ざめながら、小声に誰かを罵っている。
まずは真姫の父だけ救い出して安全圏へ…そんな考えも一瞬浮かぶが、そういうわけにもいかないだろう。


「…降り口まではまだ距離がある。そもそも降りたとして逃がしてくれる気はないだろうが、一体どうすれば…」

海未「博士、一つお願いが」


すぐさま頷いた真姫の父へ、海未は何かを手渡す。
やかて、車は視界を遮った水蒸気の中を抜け出していく。

上空、英玲奈はテッカグヤを次撃の準備へと移行させている。

英玲奈「次はどうする?」


爆撃を防ぎ、火炎を鎮火してきた。
ならば質量攻撃だ。“ヘビーボンバー”、オハラタワーを倒壊させた重撃でハイウェイごと車を突き崩す。
視線を下に、路上を確認し…車とゲッコウガ、車へと氷で横付けされたバイクは空。

そう、空座だ。
園田海未がいない?


英玲奈「…!」


水飛沫がうなじに掛かり、英玲奈は鋭く振り向く。
そこには海未!ゲッコウガの水流で空へと舞い上がり、単身テッカグヤの背へと乗り込んできたのだ!
重心を沈め、既に英玲奈へと向かい駆け寄ってきている。
それは蹴撃の前動作、蹴り落とすつもりだと英玲奈は察する。
振り向き、気付かれた瞬間に海未は口を開く。


海未「どうすると聞きましたね。こうします!」

英玲奈「奇襲か、好ましい!」

海未の動作に躊躇はなし、それは英玲奈もまた同様。
姿を見て即座のコンマ2秒、手には拳銃が握られている。


英玲奈「まずは成長を見せてくれ」

海未「!」


その引き金に迷いは皆無!!

スタームルガーmkⅡ、威力よりも携行性と精度に重点の置かれた細身の銃だ。
ダイイチシティでの初戦で海未を穿ったのと同じ物で、あの日と違うのは先端にサプレッサーが装着されている点だけ。

死線に…園田流は殺気を読む。

腕と肩、重心に視線、体幹と足の角度まで。
相手の姿から得られる情報を即時に統合、宙に描かれる殺意の線に攻撃軌道を予測する。

基本的にはポケモンと生身で対峙することになった場合の対処術なのだが、海未の卓越したセンス、そしてなにより“きずなへんげ”によるゲッコウガとの接続が海未に超感覚をもたらしている。
リンクで強化されるのはゲッコウガだけではない。海未もまた同様に!


海未「……はッ!!!」


弾丸の軌道を予測、そこに腕を翳し…薙ぐ!
チュリンと高音、払う動作に沿って脇へと逸れる弾丸。

思わず、英玲奈は関心に唸っている。
園田海未は無傷。“きずなへんげ”の力こそあれ、生身の少女は自力で銃弾から身を守ってみせたのだ!


英玲奈「防弾コートとはな」

海未「親友のお手製です。少々重たいので、普段着にはできません…がっ!!」


ダタと踏み込み、鋭く重い足撃を放つ。
中段に二連、腕でいなされた力の流れに身を翻し、上体の軸はピタリと定めたままに上段へと回し蹴りを。

英玲奈はそれまでを左腕で防ぎ、空いた右腕で海未の足へと銃口を向ける。
だが動じず、海未は裏拳で叩いて射線を逸らす!


英玲奈「やるな」

海未「そちらも」

交わされる視線と拳、最中にも路上への攻撃が止むことはない。
爆弾の投下に業火の投射、テッカグヤは絶え間無く攻撃を降らせていて、ブリガロンとゲッコウガが果敢な防戦を続けている。

海未の右方、空ではファイアローとエアームドがやりあっている。
タイプ相性では優位も、英玲奈のエアームドは試合巧者で互角。

ポケモンたちが戦うのと並行し、海未と英玲奈は体術戦を繰り広げている。
拳に手刀、低姿勢からの打突に、下段蹴りと直突きを。
英玲奈の腕が蠢きデオキシス細胞が活性、扇状に広がった腕で強振!!!


海未(見切る!)

英玲奈「…!」


触腕に大爪を成し、コンクリートをも抉る一撃。
しかし海未は身を逸らし、それを見事に躱している。
海未の旅路は統堂英玲奈へのリベンジを意識して駆け抜けてきた道。

同瞬、二人は短く呼吸を整えている。
高速で飛ぶテッカグヤの上でもバランスを崩さない体幹は共通、体術戦だけでは決着が長引くと双方が判断している。

海未は長期戦を望まない。デオキシス細胞を宿す英玲奈の体力がどれほどの物か測りようがなく、スタミナが無尽蔵だとすればジリ貧に追い込まれかねない。
英玲奈にとっても早期決着が望ましい。海未に時間をかけるほど、車を逃してしまう可能性は当然ながら高まっていく。故に…


海未「エルレイドッ!!」

英玲奈「行け、ギルガルド」


判断は同じく、二人は高速の手捌きでポケモンを繰り出している。
奇しくも刃と刃、エルレイドとギルガルドはその鋭利をぶつけ合う!!

英玲奈「ルール無用の戦闘において、最も重要なトレーナースキルは出し入れの判断と速度。園田流はそこに重きを置いていたな」

海未「よくご存知ですね」

英玲奈「本で読んだ。良い技術は取り入れる主義なんだ」


曜との野良試合で見せたように、海未はその気になれば剣聖の居合いめいた速度でポケモンを繰り出せる。
だがそれは英玲奈も同じ、園田流の技術をトレースしている。正当継承者の海未から見て遜色ない再現度!

エルレイドは肘の刃を伸ばし、鋭く斬撃を繰り返していく。
応じるギルガルドは剣と盾に宿ったポケモン。
鋼は本来エルレイドの格闘に弱いのだが、併せ持つゴーストタイプが体術の衝撃を透かして通さない。
ならばとサイコエネルギーを刃に、盾へ刃へと繰り返される斬打。

しかし不利、エスパーにゴーストは相性で勝る。
撃ち出される“シャドーボール”を避けつつも掠め、エルレイドへとダメージを負わせている!


英玲奈(同着での繰り出しが功を奏したな)

海未(不味い、相性が優れません…)


エルレイドの繰り出しから海未が狙っていたのはこの足場、テッカグヤへの巨大な背中へと浴びせる“インファイト”の猛撃。
相性こそ等倍だが、背に乗っているからこそ一方的に殴ることができる。
地の利を活かし、大ダメージを与えられるはず。

が、ギルガルドの存在に狙いが阻害されている。

付喪神めいたギルガルドは英玲奈の意のまま、攻撃時は刃を前面に、かと思えば専用技の“キングシールド”で盾を前面に。
エルレイドの連撃を防ぎ止め、防いでは攻め、高速の攻防スイッチは器用かつ強力。判断力に長けた英玲奈と完璧に噛み合っているのだ。

すると、ぐらり。
突如、エルレイドが膝を屈している。


『エ、ルッ…!』

海未「エルレイド!?大丈夫ですか!」

英玲奈(“かげうち”。ゴーストタイプの先制撃を決めさせてもらった)

海未の目にはエルレイドが何をされたかが見えていない、英玲奈が指示した様子もないタイミングだった。
だが、それは英玲奈の技術。
鹿角姉妹へも伝授した、ハンドサインでポケモンへと指示を下し、相手の虚を突くテクニック。

ギルガルドは影を伸ばし、エルレイドの影へと一斬を与えて体力を削ったのだ。そして英玲奈は冷徹!


英玲奈「今だ、園田海未を斬れ」

海未「……」

『ギ、ギル……ッ』

英玲奈「何…?」


一転、身を傾がせたのはギルガルドだ。
エルレイドは屈したままにも関わらず、剣盾の身を斜めに…倒れ伏す!

唐突な打倒、英玲奈はすぐにその正体を看破している。
ギルガルドの足元の影へ、ごく目立たない細羽が突き立てられている。

ギリースーツを纏った狙撃手めいて、海未の足元の影から立ち上がる一羽のフクロウ。


英玲奈「ジュナイパーか…!」

海未「“かげぬい”。よくやってくれました!」

オハラタワー、ツバサとの戦いでも見せたように、くさ・ゴーストタイプを併せ持つジュナイパーは影を操る射手だ。
気配を消し、小さな影へも身を沈め、潜むことができる。

ゴーストタイプは自身と同じ属性ながら、ギルガルドの数少ない弱点の一つ。
さらに攻撃を受けた時はブレードフォルム、能力を攻撃へと割いていたために脆かった。故に、ジュナイパーのかげぬいに一撃必倒!

だが、海未はいつジュナイパーを繰り出していたのか?
一つ、英玲奈は見切れていなかった。
海未の繰り出しの速度はまさに神速、エルレイドを出したタイミング、同時にジュナイパーをも展開して自分の足元へと忍ばせていたのだ。


英玲奈「戻れ、ギルガルド」


英玲奈のポケモン展開速度は園田流が定めた極地、奥義の域へと確かに達している。
だが海未はより上を。既に海未のポケモン術は繰り出しの一点においては、守・破・離の三段目、離へと至っている!


英玲奈「園田流を越えた園田流。フフ…面白い!」

海未「妙に嬉しそうですが、ジュナイパー、追撃です。“かげぬい”を統堂英玲奈へ!」

英玲奈「容赦もないな、それでこそだ。テッカグヤ!」

海未「っ…!足場を覆すつもりですか!」

ぐるりと、英玲奈の声に応じ、テッカグヤは背と腹の上下を入れ替える。
海未と英玲奈のバランス感覚がいくら優れていようと立っていられるはずもなし、二人は宙に投げ出される!

だが仕掛けた側、英玲奈はもちろんながら手段を持っている。
テッカグヤの硬質な背へと片手をあてがい、ただそれだけで英玲奈の掌は張り付いている。
掌を変形させ、強固な吸盤のように吸着させているのだ。


英玲奈「忌々しいが、便利でもあるな。デオキシス細胞は」

海未「なんでもありですね…!」

英玲奈「フ、君も中々だが」


海未もまた落ちていない。
黒のコートの袖からは硬質なワイヤーが伸びていて、テッカグヤの体の一部へと器用に巻き付けている!


英玲奈「仕込みワイヤーとは。まるでスパイ映画だ」

海未「あらゆる状況に想定を。貴女との一戦に覚えたことです」


片手には黒の重み、英玲奈の拳銃は再び海未を狙っている。
しかし瞬間、手に衝撃。英玲奈の指が折れている!


英玲奈(指弾か…!)

海未「だああっ!!」


銀玉に指を叩かれ、思わず銃を取り落とす英玲奈。
海未はすかさずワイヤーで反動をつけて蹴りを放つ!

ふっと、浮遊感。
蹴りを放っていたはずが、海未の体は宙に浮いている。
英玲奈もまた同様、重力任せのフリーフォールへ!!


海未「な、っ…!!」

英玲奈「テッカグヤを回収させてもらった。状況が優れなかったのでな」

海未「くっ、ファイアロー!」


呼び寄せ、海未はファイアローに背を掴ませて宙に制動を。
ジュナイパーとエルレイドはテッカグヤが反転した時に既にボールへと納めていて、高空の攻防はギルガルドを一体倒した海未に軍配か。

英玲奈もまたエアームドの脚に掴まり、空を舞っている。
視線を交わし、海未は一声を。


海未「以前に貴女のポリシーを聞きましたが…もう三度以上殺そうとしていませんか?」

英玲奈「なに、今のが三度目さ。ただ今日は…あれは無しだ。存分に戦ろう」


グライドからの着地、再びのハイウェイ上。
英玲奈は即座に空へとテッカグヤを再展開させている。そして手にはボールをもう一つ。


英玲奈「行くぞ、メタグロス」

海未「…!」

姿を現わすのは鉄脚の怪物、オハラタワーで猛威を奮った英玲奈の主力だ。
テッカグヤを爆撃機に例えるならば、メタグロスはさながら歩行戦車!

高速道での戦いに海未は身構え、しかし英玲奈は海未に構わず先方の車へと目を向ける。
メタグロスの背へと乗り、四つ脚を蠢かせての前進を。
ガシャリガシャリと、重々しい出足に反して加速、加速していく。


海未「私を無視するのですか!」

英玲奈「どうせ追ってくるだろう?」

海未「無論です!」


追う手段がない?
否、バイクの回収手段は仕込んである。
海未の落下に手元へと戻ってきたゲッコウガが空へと水柱を打ち上げ、それを見たニシキノ博士は海未から手渡されていたボールを開ける。

『ゴアァアアアッ!!!』

車外、少し前方へと現れるバンギラス!
その巨体に路上を軋ませ、海未から命じられていた通りの行動を。

走り抜けるニシキノ博士たちの車、その車体に横付けで固定されていたバイクを剥がし取る。
そして海未へめがけ、全力で投げる!!


海未「ゲッコウガ!!」


応じ、ゲッコウガは飛来したバイクを宙に受け止める。
海未はそのままバイクへと跨り、再度アクセルを全開に!

再びのチェイスへと心を落とし込みつつ、海未の目は道先の空、降る無数の光を見ている。




ことり「ボーマンダ、“りゅうせいぐん”」

あんじゅ「大技…後先は考えず?」

ことり「チルタリス、“りゅうせいぐん”」

あんじゅ「あらぁ、全力ね」


ドラゴンタイプの最強技、流星群を二連発。
高らかな咆哮が共鳴し、ロクノの夜空からは煌赫の落星が霰と注ぐ。
威力は絶大、破壊規模は圧倒的!

そんな“りゅうせいぐん”だが、強い技には反動が付き物だ。
そんな多分に漏れず、放ったドラゴンポケモンは疲労に能力を低下させてしまう。

あんじゅはほくそ笑む。
南ことりは勝負を焦っている。ここを凌げば勝利は大きく近付くと。

だがことりは星々が地を食い荒らすよりも早く、ボーマンダとチルタリスをボールへと収めている。

交代に、繰り出すのはヌメルゴンとドラミドロ。
ことりはにっこりと微笑み…あんじゅはその意図を汲み、さっと顔を青ざめさせる。


あんじゅ「ちょっと、嘘でしょ?そんな偏った技構成…」

ことり「ヌメルゴン、“りゅうせいぐん”」

あんじゅ「ふ、ふざけた真似を…!」

ことり「ドラミドロも“りゅうせいぐん”っ!」

あんじゅ「ちょっとぉぉ…!?」

降る、降る、降る!!

熱と光を宿した星々は貫き、砕き、落ちて噛み食らう。
アスファルトが穿たれ、ビル群を叩いた星はその壁面を豪快に破砕していく。
砕かれた瓦礫は落ち、ガラスが落ち、破壊した全てはさらなる質量としてあんじゅへと落下していく!


あんじゅ(最ッッ悪…!大都会のど真ん中と“りゅうせいぐん”の相乗効果、壊せば壊すほど威力が増して…!)

ことり(ここは避難完了区域、じゃなきゃこんな作戦はできない。たくさん壊しちゃってごめんなさい…でも!!)


手を緩めず。
ルール無用の試合において、最重要なのはポケモンの入れ替え。
そんな園田流の思想を、海未が鍛える姿を頻繁に見学していたことりもまた理解している。

“りゅうせいぐん”の疲労による能力低下も、ボールへと入れ替えてしまえば解消される。
海未のように素早い入れ替えはできないが、その隙に攻められる可能性は瓦礫による追加攻撃で埋める。

ドラゴン使いだからこそ取り得る戦術、入れ替えを駆使したデメリットなしでの大乱射!!


ことり「ボーマンダ!チルタリスっ!“りゅうせいぐん”!!!」

あんじゅ「ッッ…!!」


やるならば徹底的に!破壊の嵐が破壊を呼ぶ!!!

ことり(よしっ、うまくいってるかな…)


ことりが“りゅうせいぐん”の連発へと思考を至らせたのは、先ず優木あんじゅの足を削ぐべきだという考えから。
現状、あんじゅが繰り出してみせた手持ちの中で最も警戒するべきは、“かそく”でスピードの乗り切ったペンドラーだ。


ことり(今のあの子、これまで見たポケモンの中で一番速いかもしれない…)


それもそのはず、今のペンドラーは単純計算で通常時よりも四倍の速度。
元よりスピードのあるポケモン、それが速力を増して200キロオーバーの巨体で路上をビル壁をと駆け巡る。
あんじゅも折を見て移動に利用しつつことりを攻めてきていて、今のところの攻守の要と呼ぶべき存在だ。

しかし普通に攻撃しても易々とは仕留められない。
高速で動かれては攻撃が当てにくく、そもそも元々のレベルが高いために当てたとしても生半可では倒せない。

だったら、と。


ことり「ビルとか、色々崩して潰しちゃいますっ!」

あんじゅ「ああもう、ありえないっ…!」


速いものを仕留める時のセオリーに忠実に、点でなく面で。
見える広範囲、区画全域を丸ごと攻撃で埋めてしまえば速く動こうが関係ない。
ペンドラーは降り注ぐ流星群を見上げ、回避の可能性を模索する。
物陰に隠れる?それでどうにかなる威力ではない。
ビル壁を登る?そのビルが崩落してくるのだ。
いくら駆け回ろうと逃げ場はどこにもない。瓦礫がペンドラーの身を叩き、動きを止め、その上から叩きつける流星の驟雨!


『ド、ラッ……』

あんじゅ「ペンドラー!っ、この…」

ことり「まず一匹…!」


あんじゅはペンドラーを回収しつつ、歯噛みにことりを睨んでいる。
当然、あんじゅも同じく攻撃範囲内。メガカイロスに抱えられ、辛うじてといった体で星の雨から逃れ続けている。

習得できないデンリュウを除き、ことりの手持ちには“りゅうせいぐん”を覚えているポケモンが四体いる。
入れ替えながらの隕石乱打はそのメリットを最大限活かした攻撃だ。
これが公式戦であれば、常に規定の数のポケモンをフィールドに置かなくてはならないというルールがある。
同時に二体の入れ替えも不可、そのタイミングには制限が掛けられている。
だがこれは野試合、殺し合い。
ルール無用の状況に、攻めをためらうほどにことりは青くない!

ことり「このまま、メガカイロスも倒しますっ」


街は既に空襲を受けたような有様で、しかし攻め手は緩めず。

流星群ループは三周目へ。
再びボーマンダとチルタリスが、空へと咆哮を上げるべく首を上向けている。

だが、やられ放題でいるあんじゅではない。


あんじゅ「図に…乗らないでよね?メガカイロス、“ギガインパクト”!!」

ことり「きゃあっ!!」


ノーマルタイプ最強の物理撃、“ギガインパクト”。
あんじゅからの指示に即座、メガカイロスはアスファルトへとツノを叩きつけている。

メガカイロスの特性“スカイスキン”は、ノーマル技を自属性の一つ、ひこうタイプへと変換して一致技として放つことができる性質だ。
ポケモンにおけるタイプ、属性で、鳥や羽を持つポケモンが分類される事が多いのがひこうタイプ。
その中には“つばさでうつ”など、見ようによっては“たいあたり”のようなノーマル技と変わらない物も存在する。
その違いは生体エネルギーの属性。ひこうタイプポケモンが生み纏うそれは、いわば風の力。翼に大気を孕み、圧力を伴う烈風撃。

だとして、強力無比の攻撃力を誇るメガカイロスがそれを繰り出せば…
沸き起こる気流は凄絶、その規模はまさしく小台風!!!


チルタリス、ボーマンダとその背に乗ることりはその圧に苛まれ、思わず顔を覆っている。


ことり「………!!…?(息ができない、声も出せないっ…!)」


距離は離れているにも関わらずの予期せぬ一撃、これこそがメガシンカ体の暴威。
ボーマンダ、チルタリス共に嵐に舞う木の葉のように、飛行姿勢を保つだけで精一杯だ。
もちろん“りゅうせいぐん”の発動はキャンセルされていて、あんじゅがその隙を見逃すはずがない。

ビルを垂直に駆け上る白影は痩躯。
瞬間、ことりは殺気に身を震わせる。
気付いた時には既に面前、細く鋭く、カミソリのように研ぎ澄まされた貫手がことりへと迫っている。

ことり「!!」

あんじゅ「フェローチェ、南ことりに“どくづき”」

ことり「っ、…!回って!」


まさに間一髪、暴竜は翼を翻す!!
身を傾け、UBフェローチェが胸部を狙った貫手からことりを守っている。
ただ、その掌はボーマンダの竜鱗を穿っている。回避できたわけではなく、あくまで自分を盾にしただけ。

低く呻くボーマンダ、しかしことりにはそれを案じる間もない。


『ギュアアアッ!!!!』

あんじゅ「ふふ、ようやくこっちのペースになった。ほら、休む間はないわよ?」


メガカイロスが襲来している!
カイロスの時と比べ、ツノは鋭く強固に、目は血走り鳴震する翅。
耳をつんざくノイズは呼叫、ことりは思わず顔をしかめている。


ことり(まともに攻撃を受けたら危ないよね、さっきの威力もすごかったし…なら!)


近付かれる前に落とすのが定石。
メガシンカしようとあくまで虫タイプ、手持ちを入れ替える必要はない。


ことり「“かえんほうしゃ”をお願いっ」

あんじゅ「火炎を浴びせる、妥当な判断ね。けれど!」

ことり「きゃあっ!!?」


あんじゅは右、怪腕から光弾を放っている。
薙げばショットガンのように撃ち出される礫がボーマンダを叩き、その挙動を遅らせる。

秒瞬、死線にわずかな遅れは危機を招く。
メガカイロスは翅を鳴らし、ツノを広げてボーマンダの胴体を挟み込む!!

『グオオオオッ…!!!』

ことり「ボーマンダさんっ!!」


フェローチェとメガカイロスから立て続けに攻撃を受け、ボーマンダは意識を保ちながらも翼を動かす気力を失している。
このままでは墜ちる!応じ、チルタリスがその体の下へと滑り込み、支えようと羽を羽ばたかせる。

が、横を見れば再びのフェローチェ。迫る凶撃!


あんじゅ「邪魔よねえ、そのふわふわしたの。蹴り飛ばしなさい?」

ことり「危…!」


警句を伝える間もなし、痛恨の一打が綿羽を貫き、チルタリスの体へと深刻なダメージを刻み付けて弾き飛ばす。
支えがなくなれば自明、ボーマンダは真っ逆さまに地へ。当然ことりも落ち…その身は地へと叩きつけられている。

竜体が重みで路面にヒビを入れ、ことりはそこから数メートル離れた位置に肩から落ちて転がった。


ことり「う、う…っ…!」


意識はある。チルタリスが一度落下を緩めていてくれたおかげで、落下距離自体は二階からの転落ほど。
とはいえ戦闘に荒れたアスファルトへの落下だ。頭を打たなかったのは不幸中の幸いながら、左肩から二の腕にかけての骨は間違いなく砕けている。
息を吸うだけで凶悪な痛みが走り、左手は指を曲げることすらままならない。
それでもことりは気丈に、打ち落とされたチルタリスとボーマンダの様子を確認する。
二匹ともまだ意識を保てている。苦しそうに顔を上げながらも、戦意は切れていない。

一旦、回収して休ませなくちゃ。タイミングを見て、まだ出番はあるはず。

ボールへと回収するため、赤光の軌道を定めようと立ち上がろうと気持ちを入れ直し…
ことりのそんな思考は、駆け上がる別の痛みに塗り替えられる。


ことり(……そんな、そんなっ…!)


肩腕の痛みにばかり気を取られていた。
力が入らず見下ろせば左脚、ことりの柔らかなふくらはぎを瓦礫の破片が刺し貫いている。
血がだくだくと溢れ出している。燃える街に照らされ、路面が赤黒く染まっている。

立とうとしても貫かれたままに地面へと固定されていて、破片を抜かなくてはどうしようもない。
だが深々と刺さっていて、おまけに破片の突端は重そうな石片で固定されている。
ことりの細腕ではすぐには退けられそうもなく、思わず悲痛な声が漏れる。


ことり「これじゃ、歩けない…!」

あんじゅ「くすっ…血の赤、いい色ねぇ。普通の子にしては頑張った方じゃないかしらぁ?“りゅうせいぐん”には本気で驚かされたもの」

ことり「お願いっ、抜けてっ…まだ戦わなきゃ…戦わなきゃいけないのに…!」

あんじゅ「あなたの顔、ドールみたいに綺麗ね。焦燥に潤む瞳も、痛みに滲んだ脂汗も、全てが一つのアートみたい。いつもなら迷わずお持ち帰りなんだけど…」


あんじゅは寄る歩を留め、生身の左腕を軽く上げる。
傍ら、メガカイロスは歩みを止めず、そのままことりへと近寄ってくる。ギシャン、ギシャンと軋り擦れる両のツノ。

あんじゅ「今日は遊ぶ気も、時間もないの。ごめんなさいね。“ハサミギロチン”」


ゆったりと、綽々と下された指示は即死技。
あんじゅの表情にいつもの稚気はなく、冷徹な悪の幹部として戦いの決着を命じている。

彼女がカイロスを好むのは、その恐ろしげな容姿から。
技の一般呼称として“ギロチン”と呼ばれてはいるが、カイロスのそれの断面は鋭利に程遠い。
突起めいたツノで挟み込み、力を込め、無理やりに潰すように押し切る。

そんな戦い方は相手へと恐怖を与える。
相手から死のイメージを与え、冷静を奪い、思考を妨げる。
優木あんじゅは恐怖を司るトレーナーだ。
むしタイプを好むのは、けたたましい羽音が呼ぶ生理的嫌悪を好むため。

その恐怖を体現するのがメガカイロス。
眼光は狂乱、殻と薄翅が摩擦に音を立て、鋭いツノがことりへと迫る。


ことり「……あ、あっ…!」

あんじゅ(ようやく呑まれてくれた。恐怖に囚われれば、もう反撃の一手なんて浮かばない。さようなら、南ことり)

ことり(死にたくない、死にたくないよ…私は穂乃果ちゃんと、海未ちゃんと…!)

あんじゅ「…!?」


ことりの手は自然と、吸い寄せられるようにボールへと伸びている。
それはことりの自発的な意思ではなく、まるでポケモンが呼んだかのような。
素早く押される開閉スイッチ、待ちきれないとボールが爆ぜ、現れたのはヌメルゴン!

ことりの胴体を引きちぎるべく閉じられたメガカイロスのツノ、その内側。
ヌメルゴンが左右の腕で、ツノが閉じるのを食い止めている!

ことり「あ…ヌメルゴンさん…」

『ヌメエェッ!!!』


恐怖に囚われたことりを叱咤するように、ヌメルゴンは穏やかな顔を強張らせ、視線を尖らせて声を上げている。

ポケモンは種類、タイプを問わず、人の心を読みとる生き物だ。
洗脳で仲間になったヌメルゴンだが、その経緯は歪でもことりの真心は伝わっている。慈愛に満ちた少女だと理解している。

ことりの手をボールへと伸ばさせたのは、まだ出会ったばかりの主人を死なせてなるものかというヌメルゴンの意地だったのかもしれない。


あんじゅ「小癪ね…そのままねじ伏せなさい!」

『ギュアアアッ!!!!』


あんじゅの指示に、メガカイロスはツノにより一層の力を込める。
徐々に、徐々にと大角は閉じられていき…


ことり「ありがとう…ことりはまだ戦える。“れいとうビーム”っ!!」

『ヌメアッ!!』

あんじゅ「…退きなさい、カイロス」


口から吐き出す蒼白の光線、こおりタイプが弱点なメガカイロスは身を躱して後退していく。
『ヌメッ!』と一声、ヌメルゴンは猛るように吠えている。
メガシンカ相手だろうと竜の意地がある。メガカイロスを退かせてみせたのは600族の矜持!

あんじゅ「粘るのねぇ。でもまだまだ…」

ことり「ぐ、うっ…」


あんじゅは攻勢を緩めない。
まずは右腕から放たれる光弾、アルセウスの力がことりへと殺到する。
ヌメルゴンがことりを庇い、数発がその背へと突き刺さる。爆塵がことりを巻き込んで吹き荒れている。

そして満を辞し、白閃。
フェローチェの“とびひざげり”がヌメルゴンの腹へ、深々と突き刺さっている…!


あんじゅ(落とした)


あんじゅがそう目した通り、十分にヌメルゴンを打倒しうるダメージが通っている。
その性能を攻撃力とスピードに特化させたUBフェローチェの一撃だ。
いくら耐久に長けたヌメルゴンだろうと既に手負い、そこへ深く受ければ耐えられるはずもなし。

だが、ことりはポケモンを信じる。

ヌメルゴンと瞳を交わし、留めた魂の残り火を汲み取っている。
それは気付け、眩んだ意識を照らす灯火。高らかに指示の声を!


ことり「おねがいっ!“りゅうのはどう”!!」

あんじゅ「なっ…!?」


ハチノタウンで過ごした僅かな時間の中に、ことりは花陽からポケリフレについてのコツを聞き学んでいた。
ごく短い時間ではあるが、手持ちのポケモンたちを労い、優しく撫で、愛情を深めた。

その想いに応えるように、ヌメルゴンは堪えている。踏みとどまっている。
ヌルヌルとした粘液に覆われた体表が、フェローチェの膝蹴りの芯を少しばかりずらしていた。あとは気持ちで耐えた!

素早いフェローチェを逃さないようにとその細身を抱きかかえ、ゼロ距離で浴びせかけるドラゴンブレス!!!

あんじゅ「……このッ」

『ッ、ロー、チェ…!』

『ぬめぇ……!!』

ことり「ヌメルゴンさん…!」


攻撃したのはヌメルゴンだけではない。
振りほどこうと、フェローチェは密着したままに貫手をヌメルゴンへと浴びせている。
刻まれた負傷に意識が飛び…ダブルノックアウト。同時に二体が倒れ伏している。

が、ヌメルゴンは最後にもう一仕事。
尾を振り回し、ことりの足を抑えていた重しを跳ね除けた。


ことり「あり、がとう…っ!う、ぐううっ…!!」

あんじゅ「あらあら、その脚で立って…頑張るわねぇ」


よろ、よろと。重心を傾かせつつ、ことりはあんじゅと距離を取るべく必死に歩く。
その姿はひどく哀れめいていて、あんじゅの嗜虐心を誘って仕方がない。
…けれど、あんじゅは笑わない。


あんじゅ「……思いの源がどこにあるのかは知らないけれど、頑張るのね、あなた」

ことり「友達が、頑張ってるのに…私だけ倒れるわけには、いかないの…!」

あんじゅ「……同じよ、私もね」


サディスティックな愉しみと遊び心に苦杯を舐めてきたが今日は違う。漏らした言葉は素直な賞賛だ。
そして負けられない、真摯な思いはあんじゅも同じ。

ツバサのために、英玲奈のために。


あんじゅ「そして私の夢のために。…焼け死になさい、南ことり」

ことり(……来る、っ!)


あんじゅがボールを割り、再臨したのは炎蛾ウルガモス。
羽ばたき…“ねっぷう”、炎の波が押し寄せる。

だが眼前の灼熱に、ことりは目を開いたまま逸らさない。

二人の視界、高所に交差するハイウェイ。
遠雷のように響く戦音は刻一刻と近付き、そしてついに二人の攻撃圏へと到来している。

ことりは感じ取っている。
あんじゅも気付いている。

ハイウェイを疾駆してくる二つの影を。
園田海未と統堂英玲奈、それぞれにとっての肩を並べるべき相棒の到来を!


ことり「…!ドラミドロ、“ヘドロウェーブ”っ!!」


ハイウェイ上から一瞬の視線。
ことりはその目に要求を読み、すかさず行動へと移す。
現れたドラミドロは蔦のような体から毒液を猛烈に吐き出し、ハイウェイの底部をドロドロに腐食させる。

直後、高速道を通過する震動。
重量500キロオーバー、鋼鉄の四足がその直上を疾駆し…崩れ落ちるハイウェイ!!
メタグロス、その上に乗った英玲奈が下へと落ちてくる!

対し、あんじゅもまた行動を起こしている。
メガカイロスを飛翔に差し向け、剛力に任せてハイウェイを切断、さらに叩き込む“ギガインパクト”!!!

巻き起こる大破壊、暴風に礫片が渦飛ぶ。
しかし破壊の渦から颯爽、飛び降りる黒鉄の唸り。

切り返す両腕、操舵に宙を舞い…

水渦に緩衝、地を叩くタイヤ。
接地と共にアクセルを全開、靡く黒髪、伸ばされる手と、その凜とした眼差しは!


海未「ことり!!」

ことり「海未ちゃんっ…!!」

海未はことりを片手で抱き上げ、押し寄せる熱波から斜走に逃げ抜けている!!

だけではない、海未のパートナー…否、既に半身。
ソノダゲッコウガは旋風めいて、“ねっぷう”の波を縫うように身を躍らせる。
“ハイドロポンプ”で形成した忍者刀を逆手に━━━閃斬。

下からの磨り上げ、逆風の軌道でウルガモスを切り捨てている。撃破!!!


海未「酷い傷です…大丈夫ですか、ことり」

ことり「うん…大丈夫だよ。ありがとう、海未ちゃん」


大切な親友を間違っても取り落とさないよう、海未は片手ながらに力強く抱き寄せている。
もう片手で器用にバイクを走らせながら、ウルガモスを回収するあんじゅと既に着地している英玲奈へと注意を向けている。

まだだ。まだ戦いの最中。それどころか激化はここから。
けれど、少しだけ。ことりは嬉しさに身を浸している。

ことり(うふふ、なんだか…子供の頃から憧れてたおとぎ話の、王子様とお姫様みたい)


白馬ではなく、けたたましく嘶くバイクだけど。
海未の柔らかくも引き締まった胸板にぎゅっと顔を押し付けて、ことりは一人じゃない幸せを胸いっぱいに吸い込んで目を閉じる。


ことり「だけど…」

海未「…?どうしました、ことり」

ことり「今日は…お姫様にはなりませんっ!」

海未「ことり、無理は禁物……いえ、違いますね。今日は無理をしましょう。お互いに、限界まで!」


偶然に、海未が通りかかってくれた。合流することができた。
だけど予感がある。海未とことりにとって大切なもう一人、穂乃果はきっと一人で戦っている。
なのに一人、守られるだけの立場でいられるわけがない!


ことり「メガシンカ!!!」

『リュウウッ!!!』


メガリングの輝き、現れるメガデンリュウ!!

車輪が弧の轍を描き、減速の一瞬にことりを下ろしている。
乗せたままでは満足に戦えない。
ことりが機動力を削がれていても、それぞれ別働で補い合う方がより力を発揮できる。

ことりの手持ちは五体目の竜、メガシンカによりタイプにドラゴンが追加されるメガデンリュウ!
すかさず放つ“10万ボルト”、標的は英玲奈が空から呼び寄せているテッカグヤ!!

英玲奈「速いな、避けきれない。エアームド!」

『ギュイイッ…!!』

ことり(テッカグヤの盾に…!)


ことりは英玲奈と対峙するのは初めてだ。
だが今の一手に、その高い実力は窺い知れる。

見るべきはエアームドを捨て駒としたことではない。
英玲奈の指示に、エアームドは一切の迷いなく身を呈した。
それだけの信頼をポケモンと築けているという点を見るべきで、ことりが今までに戦ってきた有象無象の悪党たちとは明白に一線を画している。

それはあんじゅも同様。
ここまでの戦いで瞳に悪意と憎悪を滾らせながらも、手持ちのポケモンたちに向ける目は彼女なりの慈しみを感じられる。

敵二人はまだ動く気配がない。
ザっとターンを返して停止、エンジンを吹かす海未と、ことりは短く声を掛け合う。


ことり「強いね…あの人たち」

海未「ええ、掛け値なしに。裏の人間であれ、技術は真の一流です」

ことり「うん。でも勝たなきゃね…穂乃果ちゃんのために!」

海未「そうですね。穂乃果には負けられません!」


何を言わずとも自然と、二人は穂乃果の勝利を心から信じている。
だから負けられない。穂乃果に置いていかれるわけにはいかない!

一方、英玲奈とあんじゅも肩を並べて声を交わす。
まさに百戦錬磨、戦況の急変にも動揺の色はない。目的を素早く切り替えている。

あんじゅ「いいの?落とされちゃったみたいだけど」

英玲奈「構わない。標的変更だ」

あんじゅ「南ことりと園田海未。ダブルバトルで二人を討つ。それでいいかしら?」

英玲奈「ああ、それで行こう。あの副市長など小物さ。今日でなくとも殺ろうと思えばいつでも殺れる」


オトノキタウン出身、雛鳥から翼を広げるに至ったトレーナーたち。
そのうち二人が合流したならば、その始末は何よりも優先される。

意思を確かめ合った上で…あんじゅはくすりと微笑みを。


あんじゅ「ねえ、なんだか楽しいの」

英玲奈「なんだ、いつもの悪い癖か?」


揶揄うように声を返した英玲奈へ、あんじゅはゆるやかに首を左右させる。
視線は鋭いまま、しかし口元は何故だか安らかに。
少し視線を揺蕩わせ…自分の脳内を探るように口を開く。


あんじゅ「ううん、なにか…失くしたものを、得られなかったものを取り戻してるみたいな」

英玲奈「なるほど。少し、わかるぞ」


二人の声は、思いは過去を向いている。それは小さな感傷。
不遇だった、恵まれなかったこれまでの生涯を思い起こしている。
もし普通の人生を送れていたなら、こんな風に人と純粋に力を比べ合うこともあっただろうか。
海未とことりのような友人を得る機会もあっただろうか。

だが英玲奈とあんじゅ、二人の道は過去にはない。


英玲奈「やるぞ」

あんじゅ「ええ」


宿る表情は対の鬼神、眼光の闘気は更なる深淵へ。

ことり「海未ちゃん」

海未「ええ、来ますよ」


応じ、身構える二人。
英玲奈の右手にはメガリングの輝き。そしてあんじゅ、怪腕とは逆腕に…


ことり「リングがもう一つ…!?」

海未「馬鹿な!」

あんじゅ「ふふ、良いリアクションをありがとう。そして…」


メガシンカは一人に一体、それは人間のエネルギーがそれで限界だから。
だがあんじゅの右腕、擬似アルセウスの怪腕はそれだけで膨大なエネルギーを内蔵している。
故にあんじゅは、自前の体と別個で二つのメガリングを所有することが可能なのだ。

呼ぶのはさらなる一体、あんじゅの生身の左手が開閉スイッチを押している。
ボールが開き、光が満ち…
現れたのは赤い鋼体に両腕のハサミ、戦闘に最適化されたフォルム、はがね・むしタイプのハッサムだ。そして。


英玲奈「メガシンカ」

あんじゅ「メガシンカ…!」


ポケモンと人との絆の証、メガリングとメガストーンが輝いている。
英玲奈の輝きは青、メガメタグロスを。
あんじゅの輝きは赤、メガハッサムを。

鋼機と戦虫、新たな戦力が場へと現れ、しかし海未とことりに動揺はなし。
たとえ想定より多くのメガシンカ体が現れようと、二人で力を合わせれば切り抜けられない場面はない。目を見合わせ、頷き、散開。

そしてすぐさま、四人はそれぞれのポケモンへと指示を下す!

先陣、英玲奈はテッカグヤを動かしている。

両腕のブースターを下へ向けて火を吹きながらの滞空、から一転、指示に従っての攻勢。
命じるは“ヘビーボンバー”、狙うはことりの毒竜ドラミドロ。


英玲奈(あれは厄介だ。早々に潰さなくてはな)


腐食の毒液は攻撃だけでなく足場崩し、さらには地面下への潜行などなど使い道のパターンは多様。
英玲奈は即座にそれを見抜き、まず落とすべしと判断している。

ドラミドロ。ドラゴンではあるが、その細身に耐久性の低さは明らか。
これまでことりの戦いを支えてきた毒竜の頭上から、重量1トンにも及ぼうかというテッカグヤの体が降っている。

真上からの直落、轟音!!!


『ドラ…!ラ……』


文字通りの圧倒を受けて、ドラミドロはその下敷きから逃れようと身を捩らせる。
が、成らず。無念の声に倒れてしまう。


英玲奈「よくやった、テッカグヤ」

ことり「ドラミドロさん!…けどっ!」


奇しくも、ことりの意図は英玲奈のそれとクロスしている。
早期に落とすべき、そう目したのは飛行手段にして多彩な技を有するテッカグヤ。

今攻撃を降らせたばかりのテッカグヤヘ、既に一匹を差し向けている。


ことり「疲れてるのにごめんね…突っ込んで!ボーマンダさんっ!!」

『グオオオッ!!!!』

英玲奈「ほう」

向かうはボーマンダ!
吼え哮り逆鱗、大顎を開き、テッカグヤの硬い体へと爪牙を突き立てる!
ドラミドロへと攻撃を下した直後、テッカグヤの反撃は遅れている。
だが鋼の体は一撃で易々と落ちることはない。振り払うべく浮遊、からの再度、“ヘビーボンバー”で叩き潰すべく勢いを付け…

ボーマンダの口中、熱火が渦を巻いている!


ことり「おねがいっ!“かえんほうしゃ”っ!!」

『オオオオオッ!!!!』

英玲奈(零距離か…)


物理と特殊、俗に言う二刀流。
そんなボーマンダの“かえんほうしゃ”はまさに竜火。
リザードンのようなタイプ一致のそれには及ばずとも、テッカグヤの鋼を加熱し歪ませるには十分すぎるほどの威力を有している。

『フゥゥゥ…』と響くのはテッカグヤの声。
鉄管に風が吹き込み、内部で反響しているような、そんな声とも音とも付かない響きは弱点である炎火で直に炙られる苦悶の声。

まだだ。異界からの生物UB、その力は底知れない。
息の限りに吐火を続けるボーマンダ、はがねタイプにとっての弱点である炎に巻かれたまま、テッカグヤは上空へと舞い上がる。
人と比べて遥かな巨身、意思の疎通が困難なポケモン。
だが英玲奈は殺戮の日々に、テッカグヤとの間に間違いなくある種の絆を築けている。


英玲奈(そうだ、それでいい)


視線を交わし、送るハンドサイン。
テッカグヤが頷いたように見えたのは、きっと間違いではないだろう。
そのまま高速、ボーマンダをアスファフトへと叩き付けて圧殺すべく、ナイアガラめいて落下!!

ことり(ボーマンダさん…大丈夫。ことりは信じてるよ)

『グ、ウォ…ボアアアッ!!!』

英玲奈「…!」


空中、ボーマンダは凄まじい落下速度と壮絶な重量のエネルギーに、その両翼へと限界までの力を込めて逆らっている。
もちろん炎は休むことなく吐き続けていて、それは完全なる無呼吸運動、竜であれ地獄の辛苦。

だがことりは一片の疑いを持つこともなく信じ抜く。
幼体、タツベイから数々の戦いをくぐり抜けてきた。トレーナーとポケモン、想いは深く通じ合っている。
先のダメージで既に満身創痍。であれ、ボーマンダは考えている。
この怪物は放置できない。主人に危害が加えられる可能性が高い。それも致命的な。
ならばここで、こいつだけは倒す!

そんなボーマンダの意地がテッカグヤの体を傾け、“ヘビーボンバー”は不完全な形での墜落となる。
ボーマンダを完全に下に踏み付ける形ではなく、壮絶な勢いのままに両者が横腹から地面へと叩き付けられている。

口から漏れた火が絶え、テッカグヤの体には残火が揺らいでいる。
そのまま、二体が動くことはなく…相討ち!!


英玲奈「よくやった、テッカグヤ」

ことり「ありがとう、ボーマンダさん…!」


両者労い、ボールへと収めながら既に次動へと移っている。
その片脇、海未のバイクが嘶きに宙を舞う。


海未「失礼!」


言葉と共に、前輪を浮かせてあんじゅへと叩きつける!!

回転する硬質な合成ゴム、トレッドの溝はダメージを生む凶器。
その空転が顔を捉えれば髪を巻き込み、摩擦に皮膚を削ぎ、あるいは頭蓋を砕くだけの威力があるだろう。

だが、無論ながら海未に殺人の意思はない。

達人は一目に相手の技量を測る。
あんじゅの身のこなし、所作は鋭く、その右腕は怪にして剛。
纏ったエネルギーは猛烈で、二体のメガシンカにあんじゅの腕撃を加えて三手。
海未はその腕が待ち受ける最中へとポケモンたちを放り込むのを嫌った。
故に、海未の初手は自らが前衛。

そして目算の通り、あんじゅの腕はバイクの前輪を悠と掴み止めている。怪物的な膂力で!


あんじゅ「ええと、あなたとは初めましてよねぇ。初見のレディに轢き逃げを試みるのは如何なものかしら?」

海未「80キロで突っ込んだバイクを掴む方を、淑女と呼べるかは大いに疑問ですが」

あんじゅ「あら、余計に失礼。モテない…わよっ!!!」

握…!撃!!
右手は猛と閉じられ、空気が爆ぜてボムと破裂音。
そのまま金属ホイールごと握り潰し、あんじゅは海未ごとバイクを放り投げる!

が、海未はその動きに先んじて応じている。
ハンドルに手を掛けたまま、背と腹、表裏の筋力だけで体を横薙ぎ。


海未「モテなくて結構。生憎ながら、大切な人はもう二人もいますので!」

あんじゅ「痛っ!?」


ドロップキックめいてあんじゅの左肩を蹴りつけ、バイクが投じられる直前に手を離して着地。
低い姿勢に手を張り、体制を立て直しつつすかさず攻勢!


海未「ファイアロー!“オーバーヒート”ですっ!」


メガハッサム、その体はハッサムの頃と比べ、さらに戦闘へと最適化されている。

両手はギザギザと鋸歯のような刃へと変化していて、ハサミと言いながらも鋭利に切るよりは力任せに断つ。あるいは硬性を活かして叩き潰す用途へと特化。
その他の部位も装甲に厚みを増し、カラーリングにも黒が増えて威圧的に。

知らない人間が見れば戦闘用のロボットと見紛うような、非生物的なほどに鋼鋼しい外見へと変貌している。

ただし、弱点はある。
進化前と変わらずタイプ相性で見ればほのおに極端に弱く、さらに装甲が厚みを増したことで排熱が劣化している。
長時間の戦闘には向かず、自身からの熱で自滅してしまいかねない。
それの脆弱性を知った上で、海未はファイアローへとほのおタイプの絶技、“オーバーヒート”を命じている!

だが優木あんじゅ、こちらもまた巧者。
踏んだ場数は海未よりよほど多く、火気を高めていくファイアローの姿にも動じていない。

あんじゅ「あの姿勢から横蹴りだなんて、よくもまあ器用な真似を…けど無駄よ。“バレットパンチ”!!」

海未「くっ…!」


メガハッサムは機動、背翅を鳴らして前へ翔ぶ。
気付いた時には既に着弾、ファイアローの胴をメガハッサムの鋼鉄の手が叩いている。海未が躱せと指示を下す間もなくだ。

だけではない!
二体連動、メガハッサムの後にはメガカイロスが続いている。
先制の軽打は硬くも軽く、ファイアローのオーバーヒートを一瞬遅らせど打倒には至っていなかった。
そこへダメ押しを叩き込むべく、メガカイロスが迫る!!


海未「攻撃は中断、回避に専念を!ファイアロー!」

あんじゅ「あらぁ、ポケモンを見てばかりじゃ寂しいわね」

あんじゅの腕は光を纏い、上からの殴り下ろし。海未を殺めようと狙い澄ます!

すかさず左手、親指で弾く小粒の鉄球。
放たれたパチンコ玉、十八番の指弾はあんじゅの手首を痛烈に叩く。
まともな生物であれば構造上、それで必ず一瞬は動きが止まる…はずだった。

しかしあんじゅは意にも介さず、鷲の鉤爪めいて五指を広げて海未へと叩き落としてくる。
擬似アルセウス、その肩書きは伊達でなく、パチンコ玉風情で止まるような代物ではない。

まともに受ければ死は確実。海未は身を切り返しながら避けるべく体を流す。
だが間に合わない、この軌道は…


海未(片腕を持っていかれる…!)

ことり「“コットンガード”っ!海未ちゃんを守って!」

海未「これは!」

あんじゅ「あら、鬱陶しい…」


チルタリスの羽毛、綿のような白毛が舞い、空気を孕んで膨れ上がる。
それは雲のように海未とあんじゅの間を遮り、姿を寸時包み隠している。

だが構わず、あんじゅはそのまま腕を振るう!!


あんじゅ「小細工を。けれど場所はわかってる!」

ことり「…っ!」

海未「大丈夫…です!!」


腕は容易くコットンガードの綿壁を貫き、しかし纏わりつく膨大な繊維の塊は腕の振りを微かに鈍らせている。
海未は見切り、両肘を畳み、前腕を用いて回し受けの要領。コンパクトな動作でそれを受け流す。

一打の勢いに腕を痺れさせながらも、辛うじて致死圏からの脱出に成功!


あんじゅ「惜しいわね…」

海未「助かりました、ことり。!?危ないっ!」

一撃を逃れ、それだけで危急が終わるはずもない。
ことりは既に手負い、それを英玲奈が狙わない理由はどこにもない。

青の硬輝、四つ脚にさらなるパーツを加えた姿、メガメタグロスがことりへと迫っている。

英玲奈がここまでメガシンカを利用していなかったのは、メタグロスをあくまで乗り物として利用していたためだ。
これまで甲殻類めいていた姿は趣向を変え、まるでフロートユニットを装着したかのような格好に低空を滑っている。
問題は前面に迫り出した四本の大腕。メタグロスの主要武器とでも呼ぶべきパーツなのだが、いかんせん大きく、その上に乗れば英玲奈の視界が遮られる。故に、未進化で使役していた。


英玲奈「だが、追走をやめた以上は気兼ねする必要もない。“コメットパンチ”」

ことり「きゃあっ!!?」

海未(歩くのがやっと、今のことりでは避けられない。ボーマンダは先の攻防に倒れ、チルタリスは私を守るためここに。
メガデンリュウは速度を欠く。ことりを守れる位置取りではありません。…だとして!)

素早く巡らせる算段、これしかない唯一の選択肢。
海未は傍ら、攻勢に備えて控えさせていたゲッコウガをことりの下へと向かわせる。

颯爽、滑り込むゲッコウガ。
間一髪のタイミングでことりを脇へと退け、そこへ降り注ぐ鋼鉄撃!!!


『ゲッ、コ……!!』

海未「すみません…っ!」


流水に駆け舞い、磨いた術と体捌きで強撃を逸らす。
そんな戦闘が身上のゲッコウガが真っ向、強靭にして重剛、メガメタグロスの一撃を受けて耐えられるはずもなく。
放射、網目状に亀裂が走るアスファルト。叩き砕けて舞う礫片。
完膚なく、潰され倒れ伏すゲッコウガ…!

ことりは唖然、小さく口を開けている。
目を流し、海未と瞳を合わせ…状況を理解。
地のヒビ目、その中心に倒れているゲッコウガへと駆け、悲鳴混じりにその身を抱きしめる。


ことり「ゲッコウガさんっ!!!」

あんじゅ「あらあら、覆い被さるように庇っちゃって。優しいのねぇ?」

英玲奈「ゲッコウガを潰せたか、助かるよ。そして…そのまま死んでくれ」

海未「させませんっ!!」


海未は脳回路をフルに活動させ、残る手持ちに敵のそれを含め、ここからの戦線の流れを組み立てる。

英玲奈は引き続き、メガメタグロスへと攻撃指示を下している。
彼女が海未のエースたるゲッコウガに向けている警戒は強く、間違っても起き上がらないようもう一撃を加えようと言うのだ。
それをことりが庇うというなら好都合。まとめて叩き潰すまでと。

あんじゅは勝利の気配を嗅ぎ取っている。
二体のメガシンカ体に加え、ボールから解き放つもう一体。
三首の邪竜サザンドラが吼え、その悪姿を露わにしている!!

ことりもゲッコウガを庇いつつ、無防備ではない。
メガデンリュウを身の前へと立てていて、簡単に潰されるつもりはないと瞳に強く意思を宿している。
チルタリスも弱ってこそいるが、未だ健在だ。

さあ、どう動くべきか。
短く深く、呼吸に酸素を取り込み、頭を回せ、回せ。
生涯に二度はないほどに脳を酷使、回路がオーバーヒートしそうな勢いで海未は道筋を組み上げていく。
思考時間は瞬きほど。海未はボールから新たな一体を!


海未「バンギラス、サザンドラを食い止めてください!!」

『ギラアアス!!!』

あんじゅ「あら、良い手駒を揃えてる…」


あんじゅは海未がこれまでに戦った中でも屈指の優秀なトレーナーだ。
あの奇妙な腕がさらに攻勢を苛烈にしているのだから始末が悪い。


海未(ただ、メガシンカを二体率いる負担はそれなりに掛かっているはずです。
サザンドラを繰り出したのは盤面圧を高めるため。三体目に指示を出す余裕はないはず!)


つまりサザンドラはフリー。
だとすれば、同程度の種族値を誇るバンギラスなら抑え役を務められる。

あんじゅの残り、メガシンカ二体はことりの力に託す。
メガデンリュウもいる今、ことりの実力なら防戦に専念すれば耐えられると信じて託す!

そして海未が攻めるべきは!

海未「ファイアロー!今度こそ…“オーバーヒート”ですっ!!」

英玲奈「迎え撃て、メタグロス」


はがねタイプを中心に扱う以上、炎撃とは常に相対さなければならない。
あともう数歩の勝利を掴むため、ここは正面から受けて立つ。

英玲奈はメガメタグロスを前進、燃え盛るファイアローと正面から激突を!!

散る羽毛、灯る燐火。
既に手負いだったファイアローは“しねんのずつき”に弾かれ、宙にその身を浮かせている。
メガメタグロスはまだ倒れない。その頑強に揺るぎはない。

回収、入れ替えに繰り出すはユキメノコ!


海未「“シャドーボール”ですっ!!」

英玲奈「あくまで攻めるか、意気は買おう。だが!」


“コメットパンチ”、再度の鋼拳がユキメノコの体を叩いている。
エスパーに対してのゴースト、氷に対しての鋼。双方が弱点撃を放ったならば、モノを言うのはやはり種族値。


『ひゅるる……』

海未「っ…!」


メガメタグロスは未だ倒れず、ユキメノコだけが意識を失して身を伏せている。
二体を立て続けに落とされ、海未は唇を噛み締めている。これがメガシンカの猛威…!

そんな海未の心を読んだかのように、英玲奈は静かに口を開く。


英玲奈「園田海未、君はトレーナーとして望むべく要素の全てをバランスよく持ち合わせている。だが惜しむらくはメガリングの非所持」

海未「……」

英玲奈「ゲッコウガは優秀だ。だが脆かった」

海未「だとして!諦める理由にはなりません!」

二撃を浴びせ、メガメタグロスは弱っている。
海未はその足元へとボールを投じる!

相手が低空を浮いていればこそ、出来る小さな隙間もある。
そこへ投じられたボールから現れたのはエルレイド、既に密接しているなら駆け寄る間は要さない。


海未「“インファイト”ですっ!!!」


憂慮なき猛撃、凄絶に叩き上げる両拳!!

メガメタグロスの口から非生物的な声が漏れ、体を構成している部位の連結が途切れて崩れ落ちていく。
火炎を浴び、影弾を浴び、さらなる攻勢についに倒れるメガシンカ体。
だが英玲奈のパーティーは決して一匹に頼らない。まだ手札は残されている。


英玲奈「倒されたか、だが!」


海未へと駆け寄る英玲奈、既に異形を隠す気はなし。
右腕へとデオキシス細胞を活性化させ、槍のように変化させて突き出す!

海未は半身に身を逸らして回避、上体を傾けて後ろ足を左から蹴り上げる。
二歩下がってそれを躱し、英玲奈は次の一体を場へ。

メタグロスとは違う方向性ながら、またしても機械めいた姿の異様なポケモンが。
虫のようでいて非生物的もあり、背中には巨大なキャノン砲を背負っている。
浮遊しつつ、鳴き声を軋らせる!


英玲奈「まだだ。行くぞ、ゲノセクト!」

海未「また奇妙なポケモンを…!ですが、何が来ようと!」

『チ、ル…!!』

ことり「チルタリスさんっ…ごめんなさい、ありがとう!」


メガカイロスとメガハッサム。
二体からの苛烈な攻撃に、ことりを守り耐え続けていたチルタリスがついに沈んでいる。

最後の抵抗にと放とうとした“りゅうせいぐん”。
しかし、あんじゅの腕から放たれた光弾はその気力をチルタリスから削ぎ落としている。


あんじゅ「させないに決まってるでしょう?あんなのに晒されるのはもうこりごり」

ことり(まだあと少し…耐えなきゃ。チャンスは絶対に来る!)


メガデンリュウを前面に、ことりは目を皿にしてあんじゅを観察する。
まだ勝機は潰えていない。近付けさせないことを最優先に、ことりはメガデンリュウに指示を下す。


ことり「“10万ボルト”!ありったけをおねがいっ!!」

『デェン…リュウウウウッ!!!!!!』

あんじゅ「…はぁ?どこを狙ってるのかしら。手当たり次第に拡散…確かに近付けはしないけど、電力切れを待てばいいだけ。愚策もいいところねぇ」

ことり(もう少し、もう少し。耐えるっ…がんばって、デンリュウ!)



空から降る御柱のように、メガデンリュウの放電は長く高く、底知れず続く。
あんじゅはそれを放置し、英玲奈の援護へ向かおうかとも一瞬考えている。

だが、そうはしない。
今の戦術の意図は知れないが、背を向けて追撃されればメガシンカでも一撃で落とされかねない電力だ。
それだけではない。何より信じている。


あんじゅ(園田流だか知らないけど…オトノキの小娘一人に負けるような柄じゃないわよね、あなたは)

英玲奈(あんじゅは勝ちが近いか。流石だな)


相方の優勢に、自身も攻めのギアを上げている。
細胞を蠢かせて槍に突き、平に薄めて手刀に切り、横薙ぎの足刀は正真正銘の刃めいて空を裂く。

響く轟音、バンギラスとサザンドラは一進一退の攻防を続けている。
能力が拮抗しているポケモン同士、トレーナーの指示がなければ戦いは膠着へと陥りがちだ。


英玲奈(だが今はそれで構わない。状況は優勢、ならばそのまま膠着していろ)

海未(ことりを助けに…)

英玲奈「行かせはしない」


海未の手元に残っているのはエルレイド一体、それにボールに一匹。
英玲奈もまた腰のボールは残り一つ。それを手に取り、一気呵成と叩きつけている。
現れたのは英玲奈が最も重用するポケモン、全身凶器とでも呼ぶべき姿のキリキザン!

英玲奈「詰めだ。行くぞ」

『キザンッ!!』

海未「キリキザン…あの時とは違います。エルレイド!」

『エルルッ!!』


ダイイチシティでの対峙、格上との実力差を思い知らされた一戦。
キリキザンは海未が初めて目にした力の象徴とでも呼ぶべきポケモンだ。

ことりはツバサのドラゴンに魅せられた。
海未はそんな影響を受けてはいないつもりだったが、同じく刃を武器とするエルレイドを手持ちに加えたのはキリキザンの姿を深層意識に刷り込まれていたからなのかもしれない。
そしてそれは間違いではなかった。対峙に応じることが出来る!

擦れ、響く刃音…

キリキザンの“つじぎり”を、エルレイドの刃が受けている。
瞬間、加速する斬撃戦!

英玲奈(互角か)

海未(レベルはキリキザンが上、エルレイドはダメージを負っている。相性は有利ながら、ハンデで対等…)

英玲奈「ならば、死ぬのは君だ。海未!」

海未「っ!」


英玲奈が飛び下がり、ゲノセクトの砲撃が海未へと注いでいる。
爆発は小規模、体制を崩すに留め、すかさず英玲奈自身が前へ!


海未(ゲノセクトではなく、手ずからですか!)

英玲奈(君の残り一体はジュナイパーだ。ギルガルドが落とされた影からの一撃、あれを防ぐためには爆塵に姿を見失うことがあってはならない)


ゲノセクトを牽制に置き、あくまで仕留める姿勢は暗殺者の慣習。
派手好きのあんじゅとは趣味が異なる。大破壊では確実性がない。戦いとは相手の絶命を確実に視認してこそ。

突き出される腕、隙はなく間もない。
ただ受けているだけではジリ貧は確実…海未は決死の覚悟に死地を踏む!!

海未「はああッッ!!!」

英玲奈「…!」


拳の引きは小さく、踏み込みは大きく。
全体重を拳へと乗せ、重心は低く、体幹はブレさせず!

決死の間合いに超集中、海未は英玲奈の一撃を掻い潜って懐へと潜り込んだ。
そして俊撃、胴へと叩き込む三連打!!!


海未「ふううッ…!!」

英玲奈「か、はっ!」

海未(園田流の真髄、対ポケモンの拳打。まともに捉えれば、ある程度のポケモンまでなら御し得る技です…!)

英玲奈「素晴らしい、一撃だ。……だが!!」

海未「ぐっ、ふ…!?」


英玲奈は倒れない。
海未の拳は確かな手応えを得ていたにも関わらず、返しの五指が海未の脇腹を抉っている。

服を裂き、その下の皮と肉を裂かれて溢れる鮮血。
とっさに身を逸らした、致命ではない。だが英玲奈の攻勢は止まらない。


英玲奈「私がまともな人間ならば」

海未「ぐはっ!!」

英玲奈「今の一撃で倒れていただろう」

海未「……!ぐ…!」

英玲奈「鎖骨、胸骨、肋骨を砕かれた。だが倒れない。やはり…死ねない体らしい」

海未「い゛っ…、ぎ…!」

英玲奈「………私を終わらせるのは君。そんな気がしていたんだがな」

海未「………っ、…!」


血溜まりができている。
切られ、穿たれ、抉られて折られ。必殺の一撃で仕留めきれなかった海未に待つのは間合いの内、蹂躙の時。

だくだくと溢れる血、海未は懸命に身を躱していたが…
その傷はついに、致死量へと達している。

数々の人間を殺めてきた英玲奈から見て、それは確実に死に至る傷だ。
一つ一つの傷に致命傷はないが、出血のペースが人の耐えられる域を超えている。

血は命のガソリンだ。
その管が壊れ、漏れ出したなら生命の火が潰えるのは自明の理。

英玲奈は胸の内、強い寂寥感を味わっている。
強さへの姿勢、自道への真摯な思い、相手への尊敬と手を抜かないスタイル。
海未は、その全てが好ましい少女だった。

もし叶うならば、膝を付き合わせて強さというものについて語り明かしてみたかった。

だが、既にその道は閉ざされている。
キリキザンとエルレイド、一進一退の戦いを終わらせるべく目線を上向け…


海未(………まだ、です…!)

虫の息、ながらに深呼吸を。
血が抜けて冷え切っていく体、あとわずかの残り火を絶やさないよう気持ちを保つ。

相手が勝利を確信した時が最大の好機。
だが隙を見せない英玲奈からそれを得るには、ここまで追い込まれる他に道はなかった。

ゆっくりと、腰のボールに指を当てる。
開閉スイッチを押す、ただそれだけの動きに命が尽き掛ける。


海未(まだ、まだです。たかが、血が足りないだけ…あとで、レバーでも食べれば治ります…!)


死線に身を晒し、ようやく見切れた。
デオキシス触手と英玲奈の殺人術が併さった軌道を。
次は勝てる!次こそは!!


海未「だから!!!」

英玲奈「!?」

海未「あと一度…私に力を。ソノダゲッコウガ!!!」

『ゲッ…コウガッ!!!』

英玲奈「何、だと…!?」

冷静、冷徹。
そんな英玲奈の鉄面皮に、明確な驚きが宿っている。
園田海未のボールから現れたのがゲッコウガなら、南ことりを庇って倒れたあれはなんだ!?

ことりの傍らに倒れているはずのそれを見ようと目を向け、しかし立ち上る雷の柱にそれは隠されている。
だが英玲奈は状況と記憶から答えを導き出す。
ゲッコウガが倒れた後、その姿はどうなっていた?
見ていない。南ことりが覆い被さって隠し、そのまま視認できていない。

事実、ゲッコウガは今そこにいる。
可能性の糸、唯一辻褄の合うそれは…!


英玲奈「“イリュージョン”か…!」

海未はニシキノ博士と一度接触している。
その時にバンギラスを手渡していて、バイクの回収に活用していた。
だとして、他のボールを受け取っていた可能性!

シルフカンパニーの開発したロック機能により、一人が持つボールは六つまでしか機能しない。
だがボールを減らす機会はあった。南ことりと接触したタイミングだ。

つまり!


海未「明察通り、あれはニシキノ博士のゾロアーク…!」

英玲奈「……っ」


あくタイプのゾロアーク、その特性は“イリュージョン”。
手持ちの中にいるポケモンへと、完璧に姿を変えることが可能な能力を有している。ただし、ダメージを受ければ変身は解除される。それを、ことりが庇って隠したのだ。
英玲奈もあんじゅもその能力に、そしてことりの機転に騙されていた!


海未(ゲッコウガ…水分を操る能力で、私の体から溢れ出る血を留めてください。そうすればあと少し、私はまだ戦えます…!)

『ゲッコ…!!』

英玲奈「まだ立つとはな…!」

英玲奈はついに口元をはっきりと綻ばせ、頬を緩めて笑みを溢している。
断ったと思った可能性、そこにはアディショナルタイムが残されていた。

地に伏し、血に染まった頬と黒髪。
それでも水気を纏って立つ海未の姿は夜叉めいて凄絶で、息を飲まずにはいられない。

死に瀕し、集中は極限へ。
海未とソノダゲッコウガのリンクはこれまでにない高まりを見せていて、一心異体とでも呼ぶべきシンクロへ。

すらり、伸びる青。
海未の手にはゲッコウガのそれと同様、ハイドロポンプ刀が握られている。
応じるべく、英玲奈はデオキシス細胞で片手を大刃へと変形させ…


『ゲッコッッ!!』

英玲奈「…!?」


完全に英玲奈の虚を突いたタイミング、ソノダゲッコウガは海未の指示を仰ぐことなく“みずしゅりけん”を放っている。
否、指示をする必要がないのだ。意思は完璧に共有されていて、海未が見切った英玲奈の挙動もゲッコウガへとフィードバックされている。
故に、英玲奈がするハンドサインさえ要さずのノータイムでの指示!

“みずしゅりけん”は英玲奈らを捉えることはなく飛び、英玲奈は大声で叫んでいる。


英玲奈「あんじゅ!後ろだ!!」

あんじゅ「な、あっ…!?」


炸裂する水塊!!
メガカイロスとメガハッサムに背後から着弾する“みずしゅりけん”。
圧縮された膨大な水が叩き付けられ、水気が舞い散る。
二体の虫は倒れずとも、その全身はずぶ濡れていて…

海未(今です、ことり!)

ことり(待ってたよ、信じてたよ…海未ちゃんっ!!)

あんじゅ「濡れ、て……まずいっ!!?」

ことり「メガデンリュウっ!!その二体めがけて、“10万ボルト”っ!!!!」

『リュウウウウウウウッッッッ!!!!!』


迸る最大電力、そして通電!!!!
ぐっしょりとそぼ濡れ、虫翅もどこか萎れた印象の二匹。
そこへメガシンカ体、メガデンリュウの電力を浴びせれば深く、奥底へと浸透する強力な電気エネルギー。
焼き焦がし、体組織を損ね、口からは煙が上がり…!


あんじゅ「嘘、でしょう…!?」

ことり「はあっ、はぁ…っ!倒した、二匹…!」


メガカイロスとメガハッサム、二体は崩れ落ち、意識を失っている!
ことりは粘戦の末、二体のメガシンカ体を撃破したのだ!!


あんじゅ「だったらっ!!」

ことり「…っ、サザンドラ!メガデンリュウ、あと少し頑張って…!」


あんじゅの執念は隙を作らない。
メガシンカ体を落とされた驚きも一瞬、フリーにしていたサザンドラへと指示を下してバンギラスを葬っている。
そしてメガデンリュウへと差し向けている!


あんじゅ「あと少し、あと少しなのよっ…!負けられない!!こんなところで!!」

ことり「私だって…!!絶対に負けられないっ!!負けたくないっ!!!」


ことりとあんじゅ、二人は最後の意地を咆哮めいてぶつけ合う。
二体は共にドラゴンタイプ、相性は相克。主人に従うように咆哮、吐き出されるブレスが互いの身を叩く!!

『キリリリリ…!斬ァ!!』

『…………コウガッ!!!』


抜き打ちに一閃、忍らしい逆手での斬伐はキリキザンに二の太刀を許さない。
手負いのエルレイドを退けたキリキザンだが、負ったダメージに動きが鈍ればソノダゲッコウガの敵ではない。

旅立ちの日、鉄組みの足場での死戦に戟を交わした二体。
かつて立ちはだかった大きな壁を、ゲッコウガは今、一刀の下に踏み越えてみせた。

同様、海未と英玲奈はこれが最後と斬り合いを繰り広げている。
その勝負の天秤は、遥かに海未へと傾いている!


海未「フぅ…ッ!!!」

英玲奈「っ、ぐ…!!」


腰から擦り上げるように肩口へ、水刀が切り上げて抜けている。
これで七斬目。たたらを踏みつつ、英玲奈は鋭く腕槍を突き出す!

海未「それは覚えました!」

英玲奈「………!」


剣先を回し、槍を巻き込むように跳ね上げる。
そこから流れるように切り抜ける、園田流の清流の太刀!
八つ目の斬線を刻まれ、それでも英玲奈は即座に再生を。


海未「人域どころではありませんね。ポケモンをも上回る再生速度…!」

英玲奈「人でいたかったよ、叶うならば」


ゲノセクト、その背の砲門に光が宿る。
とある組織によって機械へと改造を受けたポケモンで、闇のルートに乗ってアライズ団へと流れてきた。
タイプはむし・はがね。英玲奈とあんじゅのどちらが持つかという話になった。

いつもであればあんじゅに譲る。
だがゲノセクトの境遇は自分とどこか被るように思えて、英玲奈は自分が持ちたいと主張した。
驚きながら、あんじゅが保有権を譲ってくれたのを英玲奈は克明に覚えている。

斬り合いの渦中、英玲奈はゲノセクトへと叫ぶ!


英玲奈「倒せ…勝て…勝つんだ!私たちの道はそこにしかない!!“テクノバスター”!!!」

海未「貴女の顔は…悲しげに見えて仕方がありません。ここでその道を断ちます!!“ハイドロポンプ”ッ!!!」


炸裂!!!
霧煙に空が燻り…

ゲノセクトが力を失い、錐揉み状に回転しながら地へと落ちる。
ゲッコウガは立っている。瞳に力を保っている。
“ハイドロポンプ”の水圧が砲撃を完全に凌駕したのだ。そして、これで英玲奈の手持ちは尽きた。


英玲奈(ああ、そうなのか…)

海未「はああっ!!!」

英玲奈(今日、ここが…私の道果てか)

オオオオ…と慟哭のような声。
メガデンリュウ、サザンドラ、二体の竜は、同時にその身を崩している。
それぞれが激戦を潜り抜けてきた直後、互いが浴びせたブレスはとどめの一撃に十分すぎた。


ことり「お疲れ様、デンリュウさん…」

あんじゅ「そん、な…っ…!そんな!そんな…!!」

ことり「あとは…」

あんじゅ「嘘っ!!!」


右腕を垂らし、獣めいた低姿勢であんじゅは駆ける。
荒れ果てた路面を爪先で削りながら駆ける。言葉にならない叫びを上げながら駆ける。

ことりへと接近しながら、あんじゅの目には涙が浮かんでいる。
もう理解しているのだ。一手足りないことを。

海未の六匹目がゾロアークへと入れ替わっていたなら、本来いるはずのそのポケモンは…

あんじゅ「私は…私はっっ!!あの掃き溜めから、私を救い出してくれたツバサに…!友達になってくれたツバサに!!英玲奈のためにも!!!」

ことり「……っ」


悲痛が伝わってくる。
生来慈しみ深く、そして闇をも知ったことりの心は、あんじゅがかつて身を置いていた暗澹を思って共鳴に痛む。
けれど、退けない。絶対に。


ことり「…ごめんね。ことりにも、大切な人たちがいるから」

あんじゅ「ツバサと英玲奈と…ずっと一緒に居たいだけなのに…っ!!」


悪の道でしか生きられなかった。
闇の世界では足を止めれば闇に食われる。
泳ぎ続けなければ生きられない鮫のように、誰からも見下されないように、付け入られないように、食い物にされないように暴れ続ける他の道はなかった。

その道が、途切れている。

ことりの足元、陰に潜んだそれが立ち上がる。
海未の手元にないならば、当然ことりへ、元の持ち主へと手渡されている。所有権が戻ったわけではない。
ただ、本来であればそうだったように、肩を並べる姿はよく似合っている。

ことりはジュナイパーへ、静かに指示を下す。

ことり「お願い…ジュナイパー」

『ホロロウッ…』

ことり「………痛くないように。“かげぬい”」


音もなく放たれる矢羽。
いかに擬似アルセウスの腕を持っていようと、妨害のない中で放たれたポケモンの得意技を防ぎ止めるにはあんじゅ自身の動体視力に反射神経、その他諸々のスペックが足りていない。

足元、あんじゅの影へ、ストトと矢が刺さる。

一歩、二歩。振り絞るように歩き、あんじゅはことりへと手を伸ばし…


あんじゅ「つば、さ、えれな…ごめん、ね……」


そこが、優木あんじゅの行き止まり。
左、もがくように伸ばした生身の指は、ことりの頬をそっと掠め…そして意識は闇へと落ちた。


ことり「………勝ったよ…!」

『ホロロ…!!』


激戦を乗り越えた喜びか、あんじゅへの憐憫か。
ことりの頬には一筋の涙が伝っていて、それでも片腕を突き上げる。高々と、誇らしげに。

アライズ団幹部、優木あんじゅを失神させ、捕縛。
南ことり、勝利!!

英玲奈「………」

海未「………ッ…!」


海未の首、皮一枚が裂けている。

それは見切りの証。
英玲奈が突き出した一撃を、頭を傾けただけで避けてみせた。頸動脈を斬られるのを防いだのだ。

英玲奈も決死、海未が右手に翳したハイドロポンプ刀を弾き飛ばしている。
そして海未は左手…拳が、英玲奈の胸を打っている。

既に限界、力のない一打。

海未の膝にはもう、わずかな力しか篭っていない。
英玲奈が返しに腕を振るえば、そこで海未は殺されてしまうだろう。

だが…海未の口元には、涼やかな笑みが浮かんでいる。

英玲奈「か、ぐ……うっ、…!?」


英玲奈はよろめき、胸を押さえ、のけぞるようにたたらを踏んでいる。
その表情には苦悶が宿り、普段の俊敏な身のこなしは失せ、瓦礫の中に混ざった釘を踏み抜いてしまう。
靴を貫き、足の甲へと抜け…傷が再生しない。


英玲奈「………何、をした…?」

海未「デオキシス細胞、その核を打ちました」


ミカボシ山、デオキシスシャドーたちとの度重なる交戦が功を奏した。
その体に核があることを知れていた。

再生のエネルギー源は全てそこから供給されていて、ソノダゲッコウガとのリンクに鋭敏な感覚を得た海未ならばそれを見抜ける。
交戦に、確実な隙を見計らい…拳で撃ち抜いたのだ。

苦悶の理由を知り、英玲奈は膝を折る。
呼吸は浅く、視界は霞む。それでも不敵に笑い…海未へと告げる。

英玲奈「私は、負けられない。ツバサとあんじゅ、二人との約束のために」

海未「……いえ、もう終わりです。貴女なら、勝負が決したことはわかるはずです」

英玲奈「私は…死ぬまで退かないぞ。止めたければ…殺せ」

海未「………」


英玲奈は妄言を吐いているわけではない。
デオキシス細胞のコアは衝撃に機能を止めるが、それだけでは再起動する。
コアの機能回復までは長くて五分、短くて一分。それまでに…殺さなくては。

海未は屈み、手近な鉄パイプを拾い上げている。
十分だ。これで英玲奈を殺せる。

傍らにはゲッコウガも寄ってきている。イレギュラーはない、万全だ。


海未「………」

英玲奈「………」


けれど、カランと。海未はそれを手放している。

海未「……殺せません」

英玲奈「私は君や仲間を殺そうとした。何度となく」

海未「それでも…殺しません。あなたが再生して向かってくるのなら、何度でも、何度でも私が返り討ちにしてみせましょう」


海未の瞳が揺れている。
自分でも非合理的なことを言っているとは理解しているのだろう。
それでも、心は理屈ではない。
海未の心は統堂英玲奈を、一人の好敵手を失いたくないと叫んでいる。


英玲奈「……フ。甘いな、君は!!」

海未「っ…!!?」


英玲奈は立ち上がり、海未の襟首を剛力で掴み上げる。
そして投げる!!


海未「な!」

ことり「海未ちゃんっ!?」

地面に叩きつけるのではなく、ふわりとした軌道で。
ちょうどことりがいる場所へと海未は飛ばされ、ことりの細腕が海未を抱きかかえている!
支えきれず、よろめき…ジュナイパーと、俊敏に回り込んだゲッコウガが二人を支えた。


海未「何を…!」

英玲奈「さよならだ、園田海未」

ことり「あっ…!?」


ことりの瞳はそれを捉える。
瓦礫の裏、ビル壁の影、崩れた壁面の側…いつの間にか、警察の部隊が銃を構えている。

その全ては“議員殺しのテロリスト”統堂英玲奈へと向けられていて、上からの厳命は万事に優先しての射殺。
海未が躊躇ったままに側にいれば、きっと彼らは“不幸な事故”として、海未ごと英玲奈を射殺していただろう。
戦場の中だ、わかりはしない。

英玲奈はそれを知って、海未を放り投げた。

道半ば、悔いはある。
だが、勝者は生き延びるべきだ。

「撃てっ!!!」

海未「……あ…」


銃弾の雨が英玲奈を貫く。
一斉射撃、英玲奈の再生機能はまだ働いていない。
穿たれ、食い破られ…身体中から血を流しながら、英玲奈は倒れている。
自己再生が働いている間は一滴たりと流れなかった血が、湯水のように湧き出している。


英玲奈「……血は赤、か」

海未「そんな…そんな…っ!」


手を戦慄かせる海未へ、涙を浮かべて海未を支えることりへ。
英玲奈は静かな笑みを向ける。


英玲奈「……楽しかったよ、園田海未、南ことり。私と、それにあんじゅと…遊んでくれて、ありがとう」


血塗れだ。だが気高く美しい。


英玲奈(勝てよ、ツバサ)


…英玲奈の体から力が抜ける。

それはデオキシス細胞の作用だろうか。体は砂のように崩れ落ち、原型を留めず、風に流されていく。
後には血染め、弾痕と斬線が刻まれたアライズ団の団服だけが残されている。

主人を失ったその服へ、海未は言葉にならない感情に呻き…

海未「私も…楽しかったですよ、統堂英玲奈…」


その感情は夕方の別れ際、子供が友達との名残を惜しむような。
小さく、呟きだけを残し…意識を闇へと落とす。

海未とことり、二人の戦いは終わった。
ことりもまた意識を朦朧とさせ、失神したままのあんじゅの手へと錠が掛けられるのを目にしている。

医師たちから応急手当てを施され、ストレッチャーに乗せられながら、意識の残滓に夜空へと呟く。


ことり「穂乃果ちゃん…勝ってね…」


言葉は夜風に舞い…穂乃果は耳をくすぐられ、自然と呟いている。


穂乃果「……うん、勝つよ」

ツバサ「強気ね」


ロクノシティの長い夜、最後の戦いが始まる。




時刻は夜の底を周り、月光はほの柔らかに光を落としながら西へ傾いている。

警官隊は倒れている。にこも邪魔にならない壁際へと這い、そこで気を失っている。
燃える街は不思議と静まり返り、世界には対峙する二人だけ。そんな錯覚を抱かせる。

すっと、ツバサの片頬を涙が伝う。
穂乃果はそれを目に、隙は見せないままに問いかけを。


穂乃果「泣いてるの?」

ツバサ「ええ、耳はいい方なの。勘もね」


互いの様子に間合いを伺い、対峙から数分の間が経った。
その間に、並行して繰り広げられていた多くの戦いが幕を下ろしている。

ロクノシティの社屋に据え付けられたデジタルの時計盤。
見れば時刻は集合と定めた時を回ったが、英玲奈、あんじゅは姿を見せていない。鹿角姉妹や他の団員たちも同様に。

街の静けさはツバサへと不吉を告げている。辿り着けたのは結局、自分ただ一人。
しかし今は戦いの時だ。
指先で涙の筋を拭い、視線と殺意を澄ませていく。

穂乃果は黒竜、リザードンと肩を並べている。X体へのメガシンカ、体皮は黒く、吐炎は青く。
その存在は紛うことなきエース、高坂穂乃果というトレーナーを語る上で決して欠くことのできない大黒柱。

対し、ツバサの隣にはガブリアス。
ミュウツークローンが倒れた今、頼るべきはやはり積年の相棒だ。
腹から吐き出したミュウツーのボールとは別に、腰にはボールが六つ。


ツバサ「ボールの所持制限、ロック機能。それを無視できるボールを一つ作るためだけに、結構な費用を費やしたわ。
それで持ち込んだミュウツーは倒されちゃったけれど…ここまで消耗なく辿り着けた。喜ぶべきでしょうね」

穂乃果「にこちゃんの…みんなの戦い、無駄にはしないよ。ね、リザードン」

『リザアッ!!!』

ツバサ「相変わらず息が合ってる。まあ、アナタについての情報はほぼ人伝てだけど…」

ツバサは穂乃果を侮らない。

オハラタワーで面した時に比べ、随分と力を増している。
幾多の経験を経たのだろう。ロクノシティを駆け抜けるのにも戦闘を要しただろう。
その全てを切り抜けてここに立っているのだ、レベルの向上は推して知れ。

それでもまだ、レベルはツバサが上と見る。
だが、力の差は覆る。それをツバサは誰よりも知っている。

向き合い、ゆっくりと弧を描くように歩く。
リザードンとガブリアス、双方がいつ何時でも動き出せる臨戦。
ままに相手を直視しつつ、言葉を交わす。


ツバサ「ずっと、格上ばかりと戦ってきた」

穂乃果「…」

ツバサ「今でこそ組織のボス、悪の首魁だなんて呼ばれているけれど、元の私は最底辺の住人。
私にとって世の全ては頭上の蓋。邪魔なそれを蹴って、蹴って、蹴散らし続けてここまで来た」

穂乃果(動物みたいな目。野生…って言えばいいのかな。冷たいままで燃えてる)


綺羅ツバサの人生は強者との喰らい合い。
持ち合わせた才気で格上を打倒し、自身がそうやってのし上がってきた。
いつの間にか、自分が強者の立場へと回っていた。それでも磨いた牙は未だ鋭いまま。

メガリザードンXとガブリアス、双方がドラゴンタイプを持っている。
つまりは相克。潰されるわけにはいかない。そのまま仕掛けるか、あるいはまず入れ替えるべきか。
呼吸の間にさえ気を払う状況…と、穂乃果がツバサへと右手を伸ばしている。

その意図を汲めず、ツバサは思わず首を傾げている。


穂乃果「ん。」

ツバサ「ん。…って?」


掌を上に、何かを要求するように短く一声。
そう、穂乃果にはまず何より言うべきことがある。


穂乃果「返して。ことりちゃんのイーブイ!」

ツバサ「ああ、そのこと。…くすっ、その表情」

穂乃果「…」


目を開いて眉をキリリと、ぐっと結んだ口はなんともわかりやすく怒りを表している。
まるで意地悪な上級生から友達が取られた物を取り返しに来たかのような、そんな表情にツバサはつい、小さく笑いを漏らす。

だが穂乃果は真剣だ。
ことりも海未も、三人が旅路を経て強くなってきた原動力は、突き詰めればことりのイーブイを取り返すため。
ついに辿り着いたその機会に、穂乃果の瞳は魂の炎を映している。

その真剣を汲み、ツバサは腰のボールの一つへと一瞬目を向ける。


ツバサ「返せと言われて、どうぞと素直に返す悪役はいない。欲しければ掴みなさい。自分でね」

穂乃果「そのボールに…!」

ツバサ「アナタが勝てるのならだけど」

穂乃果「勝つよ。そのために今日まで旅をしてきたんだから!」

そこで言葉は途切れ、二人がボールに手を掛ける。
リザードンとガブリアスはそのままに、新たな一体を繰り出そうと試みる。

が、仕掛けはツバサが一瞬速い。
穂乃果の右手へと何かがぶつかり、痛みが鋭く骨に響く。痺れに動きが止まっている。


穂乃果「痛…っ!?」

ツバサ(拾っておいた石を投げただけ。けれど動きが止まれば…)


ボールを投じ、弾けさせたのはツバサ一人。
現れたのは白に紫、悠然とした佇まいに、泳がせる両手は鞭のように。
穂乃果は痛みに顔をしかめながら、その姿へと警戒の声を。
海未とことりに聞いている、疾さと靭さを兼ね備えた強力なポケモンだと!


穂乃果「コジョンド…!」

ツバサ「強いトレーナーに育ったようだけれど、当人の戦闘力の欠如。その点は補えているかしら」

穂乃果「…!」


ツバサとコジョンド、共に踏み込んで前へ。
脚は地を鋭く蹴り、大股の前歩は五歩で穂乃果を致死圏へと収める。

二歩、三歩、ツバサは身を沈め、コジョンドは叩きつけるべく両腕を引く。
どちらかの打撃が決まれば良し。無論狙いはポケモンでなくトレーナー。殺めて即座に終わらせる!


ツバサ(これは試金石。トレーナーアタックも防げない人間に、この場に立つ資格はないわ)

穂乃果「…リザードン!“フレアドライブ”!!」

ツバサ「な…!?」


ツバサは驚きに目を見開く。
リザードンの存在はもちろん意識している。即座に穂乃果を守ることができないように、ツバサたちはリザードンとの間に穂乃果を挟む軌道で前へ出ているのだ。

そこへ火炎を放てばどうなる?穂乃果ごと炎に巻かれて自滅で終わり。
絆を交わしたトレーナーだけを焼かない炎、そんなコントロールもある程度は効くが、とっさに放った“フレアドライブ”に細かな制動は不可。その選択肢はありえない!

ツバサ「派手な自殺?付き合うわけにはいかないわね。コジョンド、跳ねなさい」

『フウゥッ!』


火炎を伴い前へと出たメガリザードンX、ツバサは自分をコジョンドに抱えさせ、上への跳躍で一撃を回避している。
リザードンは穂乃果の傍らを通り過ぎていて、炎は寸時、穂乃果の全身を包んでいて…

ブンと強く、右腕を払えば拡散、消える炎。
穂乃果はツバサを見上げている!


穂乃果「惜しい、リザードン!このまま行こう!」

『リザアアッ!!』

ツバサ「無傷…?」


高温の炎に身を包まれたというのに、火傷の跡も、服が焦げた跡もない。
手品めいたそんな様子に、ツバサはコジョンドに抱えられ、滞空したまま思考する。何故?

そこでツバサは気付く。
夜陰の薄暗さに見落としていたが、炎に照らされた姿をよくよく見れば、穂乃果の肌は濡れた質感に光を照り返している。
髪はしっとりと、服も同様に。その潤いは全身を包んでいる。


ツバサ「なるほど、耐火の…」

穂乃果「そう、スタントジェルってやつ!」


穂乃果は決戦に備え、予め全身にスタントマンが用いる耐熱ジェルを塗り付けていた。
炎に包まれて火だるまになっても無傷でいられる代物だ。
長時間炙られればどうなるかはわからないが、瞬時ならば問題はなし。
旅路に得た様々なツテを利用して手配した最高品質の代物だ。
全てはこの日、この戦いのために。

その仕込みが効力を発揮したことに、穂乃果はまず一つと小さく頷いている。

思い返せばダイイチシティ、旅の出鼻を優木あんじゅに挫かれた。


穂乃果(トレーナーに攻撃してくる人がいるなんて、最初はすごくびっくりしたな)


痛くて怖くて、ことりがイーブイを奪われたことは悲しくて悔しかった。
けれど唯一、命を賭けるという感覚を知れたことは良かったのかも知れない…穂乃果はそう考えている。


穂乃果(たくさん戦ってわかったよ。ポケモンたちは戦ってる時、ずっと命を賭けてるんだ。
ポケモンを戦わせるなら、自分だって危険な目に遭うのは覚悟しなくちゃ。一緒に命を賭けなくちゃいけない!)


そうして魂を添わせてきたからこそ、穂乃果と六体のポケモンたちとの絆は深く強い。
海未もことりも、あの敗北がなければここまで短期間では強くなれなかったはずだ。全ての起点はあの日にある。

命を賭した戦いに油断はありえない。期すべきは万全に重ねての万全。
耐火ジェルだけではない、ツバサの攻撃から身を守るための手段はいくつも用意してきた。あとは力をぶつけるだけ。


穂乃果「さあ、ここからだよ!」


リザードンは穂乃果を巻き込むことを恐れずに戦える。
猛り、尾火は赤々と勢いを増している!


ツバサ「資格は十分、というわけね。ガブリアス、“じしん”!」

『ガブァアッッ!!!』

穂乃果「飛ぶよ、リザードン!!」


鮫竜は地面を叩き、激震と共に穂乃果とリザードンへ走るエネルギー。
メガリザードンXはほのお・ドラゴンタイプ。地震の一撃は弱点として刺さる。

なら空へ!
穂乃果を掴み、背へと乗せ、リザードンは夜空へと舞い上がる!

瞬間、雷鳴のような破砕音が数キロ四方へと響き渡る。
それはガブリアスの一撃による豪砕音。地表を割り、クレーターめいて凹む路面!
走る亀裂は街の地形を大きく窪ませて歪ませる!!


穂乃果(すごいパワー…ここで戦ったらにこちゃんたちが危ない!)

ツバサ(……これ以上やれば電波塔の機能に支障が出るわね。それは避けなくちゃいけない)


穂乃果は気絶しているにこと警官たちを巻き込みたくない。ツバサは主目的、テレビ塔を倒壊させたくない。
両者の利害は無言に合致し、交わす瞳はお互いに移動の意思を物語る。

穂乃果はリザードンに乗ったまま、今度こそ右手をボールへと触れさせている。そして傍らへとバタフリーを展開。
ツバサはガブリアスを飛翔させ、背へと飛び乗りコジョンドをボールへ収める。そして入れ替えに繰り出すのはジバコイル。

飛ぶ穂乃果、その背をツバサが追って空へ。

穂乃果とツバサは上へ、上へと高度を高めていく。
ロクノシティの夜に舞う二体は、戦線を収めつつある地上からよく目立つ。
多くの人々が見上げる中、黒空を切り裂いたのはツバサからの電撃!


ツバサ「ジバコイル、“10万ボルト”」

穂乃果「避けるよ!」


リザードン、バタフリー、共に旋回して躱している。
「避けるでしょうね」とはツバサ。
高速で飛行するガブリアスの横でジバコイルに電撃を放たせつつも、その一撃を当てるつもりでは放っていない。


ツバサ(距離が離れすぎてる。機動力を見るつもりで撃たせたけれど…あのバタフリーも思ったよりは動けるわね)

穂乃果「リザードン、やり返して!」

ツバサ「おっと、危ない」


蒼炎が吐き出され、ツバサたちはそれを躱している。
開戦しているが、戦況はまだ鍔迫り合い。

火炎と雷撃を幾度か撃ち合いながら、やがて双方は高層ビルの壁面に添って上へ飛ぶ格好になる。
オハラタワーには及ばずとも数十階、見上げれば首が痛くなるほどの高層建築。

その壁面を昇る途上、穂乃果はツバサを見下ろす位置で滞空へと移行している。


穂乃果「ここまで来れば十分かな」

ツバサ「随分と半端な場所を選ぶのね。空でやり合うつもり?」


応えず、穂乃果は右の手首へと手を添える。
ツバサはそれを目に、訝しげに警戒を高めている。


ツバサ「メガリング…とは、少し違うわね」

穂乃果「力を借りるね、真姫ちゃん…」

メガリングへと機械仕掛けのパーツを被せた形状、放たれる波動を増幅する仕組みが備えられている。
説明書は読んだ。その手のものを読むのは苦手だが、幸いそれほど難しくはなかった。
穂乃果はダイヤル状のパーツへと指を掛け、それをギリリと時計回りに回転させる。


穂乃果「メガシフト…」


瞬間、放たれるメガシンカの光。
リザードンの体を眩い光が包み込んでいく!

ツバサはその光を目に、口元を不敵に笑ませている。


ツバサ「なるほど?面白い芸ね」

穂乃果「メガリザードンY!!!」

『リザアアアアッッッ!!!!!!』


その肌は黒から橙へ、呼気は赫赫の赤炎!
X体からY体へ、リザードンはメガシンカからメガシンカへの変貌を遂げている!

そして穂乃果の手は天を、夜空を指している。
特性は“ひでり”。夜にも関わらず、リザードンから立ち上った炎気は夜空に光を成す。強く照る擬似太陽を生み出している!


穂乃果「リザードンっ、“だいもんじ”!!!」

擬似太陽によって場を満たす炎のエネルギー、その火勢は超絶。
双角の中心にさらに一本、大角を増やしたメガリザードンYは大きく息を吸い、翼に炎気を孕み、尾の火を強く揺らめかせて口を開く。

穂乃果の指示から遅れて一秒、圧縮された炎弾がツバサたちへと放たれている。


ツバサ「避けなさい」


壁面へと着弾、瞬時に拡散!!!
五線を描き、“大”の一字がビルの壁面を黒焦がす。
縦に数十メートル規模、極炎が超熱にビルを軋ませる!

ツバサとガブリアスは共に回避、炎の風に煽られて揺れる前髪。
と、穂乃果は間髪を入れない。リザードンはさらなる追撃、次の炎の投射姿勢へと移行している。


穂乃果(ガブリアスも飛べるけど、タイプはじめん。空での戦いなら私たちが有利だよ!)

ツバサ(なるほど、間髪入れずに来られたのでは確かにやり辛い…)


しかし、次に穂乃果の口から漏れたのは驚きの声。
ツバサの行動は信じられない一手!


ツバサ「ガブリアス、好きに泳ぎなさい」

穂乃果「落ちた!?」


綺羅ツバサは両手を広げ、ガブリアスの背から手を離す。
超人めいたツバサであれ、重力には逆らいようもない。それはつまり背面を地に向けた投身!
当然ながら、その身はビルの壁面に垂直に、地面へと目掛けて落ちていく!

だが、自殺ではない。
ジバコイルを先んじて壁面の燃えていない箇所へと張り付かせていて、仕込みは既に済んでいる。


ツバサ「ジバコイル、磁力を張り巡らせて」

『ギュギュギュギュギュ!!!』

穂乃果「あっ!?」


ツバサは立っている。
壁面に真っ直ぐに、見下ろす穂乃果と視線を合わせる形で背を伸ばしている。
上へ、上へ、悠然と壁面を歩いている!

ツバサ「ジバコイルが壁面を磁石に変えたわ。私の靴には鉄板が仕込んであるから、こんな芸当も可能ってわけね」

穂乃果「え、ええ…」

ツバサ「もちろん、腹筋も背筋もフル活用で支えなきゃ姿勢は保てないけれど。そしてガブリアス、“げきりん”!!」

『ガブリァッッ!!!』

穂乃果「!!?」


穂乃果たちの横ざま、壁面からガブリアスが飛び出してきている!!
ガブリアスはその鮫肌を器用に操り、地面を高速で掘削、潜行することのできるポケモンだ。
それが鍛え上げられたツバサのガブリアスともなれば、掘る場所さえあれば地であれ空であれ方向を問わない。

ガブリアスはツバサを背から降ろした直後、ビルの壁へと潜り掘りながら上へ。
そして飛び出しざま、穂乃果たちの真横から奇襲を仕掛けたのだ!!

そして鋭利な腕ヒレはリザードンの腹部を掠めた。
あくまで紙一重、ダメージは深くない。だが穂乃果を取り落とさせている!


『リ、ザアッ!!』

穂乃果「大丈夫、リザードンはガブリアスに気をつけて!バタフリーお願い!」

ツバサ「ジバコイルはそのまま磁力を保って。もう一度行くわよ、コジョンド」

『フウッ!』


ツバサは磁力を支えに重力など感じさせない力強さで壁面を駆け、コジョンドはトン、トンと軽やかにビルを跳ね上がる。
穂乃果はリザードンと離れ、バタフリーに背を掴ませた状態で飛翔を保っている。

だが迫るツバサたち、穂乃果はすかさず指示を下す!


穂乃果「バタフリー、“ねむりごな”っ!!」

『フィイイッ!!!』

ツバサ「自分を巻き込む軌道で粉を散布…」

穂乃果「私には効かないよ、毎晩浴びて慣れたもん!」

ツバサ「報告にあった通り、耐性は獲得済みってわけね。確かに接近戦を防ぐには適した戦術。なら近付かないだけのこと。“がんせきふうじ”」

穂乃果「っ、避けて!」


ツバサの指示に、コジョンドは震脚の要領で壁面を踏み砕く。
重力に従って落下しようとする巨大な瓦礫を、鞭のような片腕で打ち付けて跳ね上げる!

鈍重ながらに巨大なそれは、穂乃果とバタフリーめがけて迫っていく。
ひらり、ひらりと蝶翅をはためかせて右へ、左へ。
目も眩む高高度、直撃を受ければ落下からの即死は免れない。あくまで慎重に避け続ける。

と、三発目の岩弾を躱した直後、その影から面前へ躍り出るツバサ!


ツバサ「呀!!!」

穂乃果「うわっ!!」

掠めた。血が滲んでいる。


穂乃果(あ、っっぶない…!!)


鋭利に頸部を狙った手刀を、穂乃果は紙一重で避けている。
避けたというよりは壁面を駆け上がると言う異常なシチュエーション、ツバサが目測を誤ったという方が正しいだろう。
ともあれ穂乃果はとっさに首を引き、隙間はなく触れながらも深くはないという回避。
ツバサは舌打ちに悔やみ、穂乃果は大きく息を吐いている。

達人の手技、モロに受ければきっと首が折れていた。
直後、“とびひざげり”を放ってきたコジョンドから、穂乃果はバタフリーの高度を上げることで逃れている。


穂乃果(そうだとは思ったけど、やっぱりポケモンは向こうの方がレベルが高い。トレーナー同士にも差があるよ、悔しいけど)


水平な地上ではなく、垂直の壁に沿っての立体戦、感覚を掴み間違えれば死へと直結する。
穂乃果が仕掛けたシチュエーションだ。だがツバサは早くも感覚を掴み、平常通りとでも言わんばかりの攻勢を仕掛けてきつつある。

ガブリアスは壁面から飛び出してメガリザードンYを襲撃、空中からすぐさま踵を返して壁面へと潜るという攻撃を繰り返している。
リザードンは辛うじて直撃を逃れ続けているが、それも時間の問題かもしれない。


穂乃果(私もリザードンもギリギリだなぁ…)


ツバサとコジョンドに攻められつつも、バタフリーを壁面近くに飛ばせているのは“だいもんじ”の火が巻き起こし続けている気流の影響。
バタフリーはあくまで蝶、ここまでの高高度を飛ぶのに適したポケモンではない。
穂乃果との旅路に鍛えられたからこそ飛べているが、必死で風を掴んで舞ってくれている状況。それが炎風に煽られたのでは、方向を見失い墜落の危険性がある。

故に、ツバサとコジョンドに攻められながらも攻撃圏から逃れられずにいる。

だが、状況は一変する。


『フィイッ!!!』

穂乃果「…!うん、偉いっ!よし…反撃行くよ、バタフリー」

ツバサ(……仕掛けてくるつもりね。何かしらの準備ができたってとこかしら)


まだ格下の自分がツバサに勝ちを拾うにはどうすればいいか。
考えた末に辿り着いた唯一の道筋、か細くも力強い光を掴み、手繰る。

旅路の始まり、あの敗北の日。共にいたのはヒトカゲだけではない。
キャタピーもまた、ほぼ同じだけの時間を穂乃果と共有してきている。
種族値が低い?関係ない。バタフリーは穂乃果にとって、勝利へと繋ぐための大切な鍵!


穂乃果「よし…あれ、やるよっ!」


力強く、穂乃果はバタフリーへと合図を出す。

穂乃果「“おいかぜ”っ!!」


穂乃果の指示に応じ、バタフリーは両の翅を大きくはためかせる。
風を掴み、逃さずに前へ押し出し、その繰り返しが気流を作り出す。

上空、壁面、火災の中。特殊な環境に、バタフリーが気流の動きを把握するまでに時間を要していた。
バタフリーの一鳴きは、その把握が完了したという合図。

三度、四度と羽ばたきが重なるごとに、バタフリーが生み出した風の流れは強烈な吹き下ろしとなり、上に位置する穂乃果からツバサへと風の壁が襲いかかる!


ツバサ「“おいかぜ”?へぇ、なるほどね」


穂乃果の戦術に納得を得て、ツバサは小さく頷いた。
なるほど、理に適っている。ツバサは壁面に直立して穂乃果を見上げているが、その姿勢を保つために全身に負荷を掛け続けている。
靴裏は磁力で固定されていると言っても、裏を返せば体の支えはその二点だけ。
なら風で圧し、壁から刮ぎ落としてしまえと、そういう考えか。

理解し、少し拍子抜けとばかりにツバサは肩を竦める。
理には適っている。だが、綺羅ツバサを理で押せると考えたのなら…

ツバサは風を意に介さず立ち続けている。
嵐のようなそれを物ともせず、穂乃果へと迫るべく歩を前へ進めていく。


ツバサ「見くびられたものね」

穂乃果「もちろんそれだけじゃない!“バタフリー、“ねむりごな”!」

『フリイイッ!!!』

ツバサ「…おっと」

次手!
穂乃果はバタフリーにすかさず粉の散布を命じている。
その意図はシンプル、ツバサは表情に危機感を宿して身を翻す。
後背へ目を向け、コジョンドへと素早く指示を飛ばす!


ツバサ「抱えて跳ねて。避けるわよ」

『フウッ!』

穂乃果「風で追いかけて、バタフリー!」


“おいかぜ”の気流はしばらくの間、その場に残る。
それを利用し、バタフリーは次の行動へと移行している。先とは異なる挙動で翅を舞わせ、飛散させるのは薄紫に輝く眠りの鱗粉。

定量を吸えば人もポケモンも眠らせてしまうその技は、生じた風に乗ることで猛烈に拡散されていく。
プラス、バタフリーは風の軌道を微細に操作する。
二つの技を織り合わせたなら、それはただ漫然と広がる粉ではない。風に乗って素早く精密に迫る攻撃へと変化を遂げている。


穂乃果「ここは空、眠らせれば勝ちだよ!」

ツバサ「確かにその通りね。危険な攻撃だわ」


ツバサはコジョンドの強靭な足腰でしなやかに跳ね、左右へと駆け回り…
しかし、内心に嗤っている。


ツバサ(ま、悪い戦術じゃないわね。けれど既知。あんじゅのビビヨンが似た事をするもの)

ツバサ(違いは“おいかぜ”による風の持続力、けれどまだ避けられるレベル。吸わなければいいだけの事…隙を見て潰す!)


が、穂乃果の瞳はここで輝いた。


穂乃果「準備完了!!」

ツバサ「…準備。ここまでが?」

穂乃果「リザードン!!」

『リザアアアッ!!!!』

穂乃果「“だいもんじ”っ!!!」

ツバサ「…!っ、それはまずい」

秒瞬の気付き、それがツバサに回避をもたらした。
メガリザードンYがガブリアスとの攻防の合間、求めに応じて吐いた炎弾は穂乃果の目の前へと着弾し、そこからツバサへ目掛けて瞬速の勢いで火線を描く!

その火は威力を増していて、ビル壁へと広がるのではなく真っ直ぐに線を描いてツバサを追う。
コジョンドはツバサからの指示に跳ね、辛うじてそれを躱す。が、穂乃果は逃さない!


穂乃果「バタフリー、追いかけて!」

ツバサ「なるほどね…」


穂乃果の戦術は三段、否、四段構え。
この特異な場での戦闘に、高所を抑えて地の利を取る時点から既に積み上げは始まっている。

おいかぜ、ねむりごな、だいもんじ。

その3ステップは、要はオハラタワーで鹿角姉妹に見舞った小麦粉による爆破の応用だ。
風で流れを生み、そこに鱗粉を乗せる。虫タイプが炎を弱点としているように、バタフリーの鱗粉は可燃性。
風に可燃性の粉を大量に混ぜ込み、そこに高火力で着火。
さらにバタフリーの風で煽り、軌道を操作すればどうなるか?


ツバサ(炎が追いかけてくる。生きているみたいに!)

穂乃果「バタフリー、右斜め上!!」


穂乃果が手掌を煽り、動作に応じてバタフリーが粉を撒き、風を巻く。
着火は一度で十分。送られ続ける良質な可燃物と大量の酸素はリザードンの炎を絶やす事なく、それは穂乃果の意のままに踊る自在の炎!

海未は“おいかぜ”を加速に用いたが、穂乃果はそれを攻撃に使う。
“ねっぷう”の域ではない、“ほのおのうず”の漫然とした火力にも留まらない。
例えるならば、天災や空襲に引き起こされる火災旋風にも似た大火力!!!


ツバサ(二つの補助技を火力へと転化してくるとはね。炎の舌…いいえ、もっと自在。そう、まるで炎が腕みたいに)

穂乃果(私が綺羅ツバサに勝つにはこれしかない。この人が知らない戦術で攻め続けるしかない!)


ポケモンと人の付き合いは長い。
その歴史の中でポケモンはタイプ別に分類され、それぞれ異なる性質を持つ多くのポケモンたちが放つ技もまた系統立てられている。
ファイアローの“おいかぜ”とバタフリーの“おいかぜ”が違う挙動にも関わらず同技と類されているように、分類され、最適化されている。

トレーナーの実力はセンスだけでは測れない。
技の種類がある程度限られているが故に、経験値が強くモノを言う。

綺羅ツバサのような百戦錬磨へと穂乃果が食らいつくためには、技を織り成して未知の攻勢を仕掛けていくしかない。
それでようやく、少しだけ差を埋められる。

続く火炎風、ツバサはガブリアスに壁面から突撃をさせるべきかと視線を流す。
だがメガリザードンとの攻防に専心していて、こちらの援護に気を回す余裕はなさそうだ。


ツバサ(空の優位は向こうにある。にしても、やっぱりメガシンカ体は厄介ね)

穂乃果(リザードンが頑張ってくれてる、今のうちに……ぐっ!?)


ドクンと、穂乃果の心臓が強く脈打っている。
それは危惧していた一つの要因、早くも顕在化したデメリット。


穂乃果(XからYへ、二度目のメガシンカの負担…!)


手渡されたメガシフター、そこに添えてあった説明書に、真姫の丁寧な字で記されていた。メガシンカはトレーナーへの負担も大きいと。
それは生命を燃やすような行為。故に、メガリングは一戦に一度しか使うことができない。
だがメガシフターは、真姫の手でそのリミットを人為的に外してある。
乱用には気を付けるようにと、説明書に何度も強く書いてあった。

“信頼してるから、帰ってきて”と最後に小さく書き添えてあった。


穂乃果(けど、ここは無茶するとこ。信じてくれてありがとう…真姫ちゃんっ!!)

ツバサ(少し、様子がおかしい?メガシンカの影響かしら)


気付いている。

それはまだ戦況に好転をもたらす綻びではない。
だが、ツバサは冷たい目に笑みを湛えている。相手の体に時限爆弾が埋め込まれているのを知ったようなものだ。

メガシンカの負担をツバサは知っている。ツバサもリングを有している。だが、まだ使っていない。
使えないのではなく、使うわけにはいかないのだ。


ツバサ(今はまだ、ね)


そんな状況にも、ツバサはごく短時間に打開策を見いだしつつある。
空を舞い、炎を暴れさせる穂乃果の挙動を凝視。


ツバサ(もう二度、避けたタイミングで戦場を切り返す。操作しているのはあくまであの子、人の動きには癖がある)


右手と左手の動き、角度の連動。
仕掛けるタイミングはある。そこへコジョンドで、“ストーンエッジ”を打ち込んでトレーナー諸共バタフリーを落とす。

算段し、神経を研ぎ澄ます。
コジョンドの長尺の袖のような腕へと片手を掛け、穂乃果の動作にタイミングを図る。


穂乃果(右腕、大振りで一発…!)

ツバサ(その炎風が通り過ぎた直後、左のショートレンジで薙ぎ払ってくる。そのタイミングで…)

穂乃果「今ッ!!」

ツバサ「前に…!?」

掛け声と共に、バタフリーと穂乃果はツバサの脇を抜けて急落。
体の周囲へと炎を渦巻かせ、擬似“フレアドライブ”とでも呼ぶべき勢いで落ち…


ツバサ「しまった…!」

穂乃果「だああああっ!!!!」

『フィイイイッ!!!!』

『ギュギュギュユユ!!!?』


猛炎はツバサより下方、安全圏でビルの壁面へと張り付いていたジバコイルに叩き付けられている!!
元は“だいもんじ”、それがさらに威力を増している。
炎が弱点のジバコイルが耐えられるはずもなく、全身を包み込んだ炎に返しの雷撃を放つ間もなく目を回す。一撃必倒!!!


穂乃果「やった!!」

ツバサ「やられた。わかりやすいパターンでの軌道は私の隙を突くための撒き餌だった、と」

穂乃果「私は戦ったりはできないよ。でも小さい頃からずっと海未ちゃんを見てるから、強い人がどんな風に戦うかはわかってる!」

ツバサ「…洞察を逆利用されたわけね」


ジバコイルがいなくなれば磁力は失われる。
靴裏を支える磁力が失われれば当然、人が壁に立てるはずもない。
ツバサにとってこの戦場で戦い続ける理由は皆無。ジバコイルを回収し、コジョンドをもボールへ納めて背を下に。
背筋を伸ばしたまま、地上へと落下していく。


ツバサ「ガブリアス!!」

穂乃果「リザードン!!」


場所を変えるべくツバサがガブリアスの背に乗れば、穂乃果もリザードンの背へ。
瞬間、ツバサはガブリアスで仕掛ける!


ツバサ「叩き落としなさい」

穂乃果「うわ、近っ…!メガシフト…X!!!」

『グルゥオオオッ!!!』


迫るガブリアスの腕刃、それを受けるならば物理攻撃に長けた黒竜態、メガリザードンXへと転じるのが最善。
判断は一瞬、穂乃果はそれを間に合わせ、リザードンは竜爪で一撃を受け止めた!

ツバサ「便利ね、そのリング。西木野真姫が作ったの?」

穂乃果「………ッ…、ふんだ、教えないよ!」

ツバサ「そう。この戦いが終わったら西木野真姫を狙うのもいいかもしれないわね。アライズ団のために頭脳を使わせてあげなくちゃ」

穂乃果「させないっ!!」


交わす会話は交戦の中に。
リザードンとガブリアスは舞い、街空を流星のように駆けながら戟を重ねている。
高速の高空戦、地上から見上げる人々の目には対の光が∞を描くようにぶつかり合いながら流れていくようにしか見えていない。

激突する爪とヒレ、穂乃果とツバサの視線。


穂乃果(メガシンカ、三回目…心臓の辺りがキリキリ痛い…!)

ツバサ「負荷が掛かっているようだけれど。その調子で最後まで踊れるのかしら?」

穂乃果「“おにび”っ!!」

ツバサ「避けて。ふふ、搦め手を使う余裕があるならまだ大丈夫そうね」


ガブリアスの尾が弧を旋り、リザードンは頭突きで衝撃を相殺。
二体から竜族のオーラが飛散し、ロクノの空を綺羅星のように照らし出す。


ツバサ「世界を一度ぶち壊す」

穂乃果「…?」

ツバサ「話した事はなかったわよね。私の目的よ」

大空の拮抗。
幾度となく鋭撃を交え、リザードンとガブリアスは互いに決め手を持てていない。

そんなポケモンたちにインターバルを与える意図だろうか、ツバサは口を開いている。
穂乃果を見据えたまま、両腕を広げて黒の団服を夜空に同化させる。
体の輪郭線が闇に溶けてしまえば、見えるのは鬼気と稚気を宿したエメラルドグリーンの瞳だけ。

受け止め、穂乃果は怯まない。


穂乃果「……なんでそんな事するの」

ツバサ「よく言うでしょう?世界に存在する富の大部分を、ほんの数%、あるいは数える程の人間が独占しているって。この世界はもう行き詰まってるの」

穂乃果「でも、たくさんの人が幸せで暮らしてる。その世界を壊すなんて」

ツバサ「それは何割?」


首を傾け、ツバサは問う。
対の翠眼が斜めに光り、開かれた口からは舌の紅が覗いている。


ツバサ「“たくさんの人”。この国、あなたが育ってきた環境は恵まれてるからそう思うだけ。私が這い上がってきた泥の中には幸せな人なんて一人もいなかった」

穂乃果「……」

ツバサ「泥を舐めて育てばわかる。この世界は出来損ないだってね」


穂乃果は押し黙る。
気圧されたわけではない。ツバサの言葉に理を見たわけでもない。
ただシンプルに、分かり合えないと感じている。

…と、街からの灯りがツバサの顔を照らし出す。


ツバサ「……なんて、理由は全部後付け」

ツバサは試すような目をしている。
悪戯っぽい笑みすら浮かべている。

その顔は悪の首魁と言うよりは、まるで公園に君臨する子供たちの女王。
天空の謁見に、ツバサは穂乃果へと問いを投げる。


ツバサ「私の理屈、あなたの耳にはどう聞こえたかしら。
それらしい?薄っぺらい?それとも納得できたか。耳を右から左って可能性もあるかな」

穂乃果「理解できないなって。私には守りたいものがたくさんあるもん」

ツバサ「そう。ま、どう聞こえたとしても構わない。だって全部、上っ面の言い繕いだもの」


ツバサは穂乃果から目を逸らす。下界に目を向ける。
初めて明確に、隙を見せている。穂乃果が不意打ちをしないと確信しているように。

穂乃果はわりと手段を選ばない。
状況が許す限りの要因をフル活用して勝ち上がってきたトレーナーだ。
だが今、その隙を突こうとは思わない。
ツバサから目を逸らし、同じく遥か眼下、夜景と火災に明らむロクノシティを見下ろしている。この世界を見下ろしている。

ツバサ「誰だって生涯に一度は考えるはずよ、世界で一番偉くなってみたいって」

穂乃果「そりゃあ、まあ…一回ぐらいは」

ツバサ「世界征服。それが私の、アライズ団の目標」

穂乃果「……世界、征服?」


大陸からのチャイニーズマフィア、洗脳薬“洗頭”、大量殺人をも厭わぬ冷酷非道の巨悪。
そんなツバサから飛び出した言葉はリアリストとは程遠く、穂乃果の耳にひどく素っ頓狂に響く。
まさかそんな、夕方の子供向けアニメじゃあるまいし…


ツバサ「きっとひどく子供染みてるんでしょうね」

穂乃果「うん、子供っぽい」


迷わずの即答。
非難ではなく困惑、どんな顔でそれを聞けばいいのか穂乃果にはわからない。

ツバサは微かに笑んでそれを受け、言葉を継ぐ。


ツバサ「けど、仕方ないでしょう?私たちは大人からの愛情もまともな教育も、衣食住の権利も何一つ持たずに子供のままで這い上がってきた」

穂乃果「……」

ツバサ「言うなれば私たちは、世界の歪みが奏でるトロイメライ。世界の隙間に生まれたバグ。
そして私たちの荒唐無稽な夢は、あと一歩で叶うところにまで来ている」


差し伸べた指は、まっすぐに穂乃果を指している。


ツバサ「私を止められる可能性が残っているのは、もうあなた一人だけ」

ツバサは滔々と語る。
その形の良い口から流れ出るのは、高坂穂乃果という少女を構成する多数の要素。

優しい家族、気心の知れた友達。
美味しい食事に心地よい服、寛げる家。
裕福すぎず貧しくもなく、立場の束縛もない家庭環境。
オトノキタウンの美しい自然、足を伸ばせば都市圏からも遠くない程よい文明。
賢すぎず愚かすぎず、五体満足に健康な体と心。


ツバサ「そして、何より可愛らしい容姿まで」

穂乃果「え、えっと…」

ツバサ「事実を述べているだけ。照れる必要はないわ」

穂乃果(賢すぎずって部分が気になったんだけど…)

ツバサ「あなたは人として望むべく全てを与えられた存在。言ってみれば現社会の幸福の象徴」


そう言われても、穂乃果にはまるでピンとこない。
自分より裕福な人間なんていくらでも…


ツバサ「もっと金持ちはいるでしょうね。けれど物事にはバランスがある」

穂乃果「バランス…」

ツバサ「例えば。一度の食事に十万を使える人間は、それだけの社会的な立場とストレスに晒されている。金を持てば責務が付きまとう」

穂乃果「…」

ツバサ「小原鞠莉を見ればわかるでしょう?
持てる者の責務に追い詰められ、咎なくして命を落としかけた。幸い、友人運はあったみたいだけど」

ツバサの口は止まらない。
手振りを交え、穂乃果へと語りかけ続ける。


穂乃果(英玲奈さんが言ってたっけ、お喋りだって)


幸せの受け取り手は常に人間、感じられる幸福のキャパシティには限界値がある。
舌の肥えていない子供が食べるファミレスのハンバーグと、贅を尽くした大人が食べる最高級のステーキ、値段は違えど幸福は等価…いいえ、子供の方が幸福かもね。
ストレスに晒されない絶対的な地位を築いた富豪にはもう若さがない。
どんな富豪だって、薄毛と加齢からは逃れられない。
労働の果て、残されるのは疾病のリスクに怯える日々。


ツバサ「そんな全てのバランスの中で、あなたは幸福の中心にいるの。高坂穂乃果さん」

穂乃果「………」

ツバサ「対して。私はあなたの持つ全てを持たずに生まれてきた。ルックスは除いてね。
現社会における不幸の象徴…そんなところかしら」


そしてツバサは片手をひらり、煽って長語りの締めを示す。


ツバサ「世界が覆るか否か、私とアナタ、コイントスをするにはピッタリの表と裏。そうは思わない?」

穂乃果「……世界がどうだとか、わかんないよ。私まだ17歳だし」

ツバサ「だからいい。バイアスが掛からない」

穂乃果「でも!ツバサさんが世界を潰すつもりなら…私は負けないよ。どんなに世界が酷くても、手の届くみんなを守りたいから!!」

ツバサ「それでいい。捩じ伏せてみせなさい、乗り越えてみせなさい」

穂乃果「絶対に負けない。綺羅ツバサっ!!」

ツバサ「新世界の試金石になりなさい、高坂穂乃果」


蒼炎猛り、竜哮響いて組み合う二体の竜。
メガリザードンX、ガブリアスは互いの腕を抑え、敢えて浮力を失する。
高空戦に帰着が見えないのなら、強制的に状況を変えるまで!

劫と風を裂く垂直落下、二体は錐揉みに螺旋を描いて地上へと向かう。
穂乃果とツバサ、二人はそれぞれの竜の背へとしがみつきながら烈空に睨み合う。

それは二つ星の天降星。
空気摩擦に熱までを帯びながら、見上げる人々の頭上へと凄絶な勢いで直落…!!

響き渡る悲鳴、落ちる!!!


穂乃果「リザードンっ!!」

ツバサ「ガブリアス」


二竜は急落のギリギリに体を立て直し、双方を地表へと叩き付けるべく投げの姿勢へと移行している。
だがそれは同着。勢いを殺しつつも、双方が地上へと叩き付けられている。
ダメージを負い、唸り、しかし二匹はすかさず体勢を立て直して眼光を交わす!

寸前、穂乃果とツバサは竜の背から離れている。

そこは広大な敷地を誇るロクノシティ中央公園の中心、広々とした人工湖の中央に設けられた直径100メートルを越える浮島だ。
離れた湖畔には避難者たちの姿が大勢見られ、人々の耳目は決戦へと集められている。

ツバサは片袖にペラップの脚で引っ掛け、頼りない羽の浮力に落下を免れている。
だが弱小と見せたその鳥が海未とことりを全滅に追い込み、穂乃果を地上へと落とした事は記憶に強く刻まれている。

穂乃果はリザードンから手を離した瞬間にバタフリーを展開、落下速度を軽減させてすぐにボールへと戻している。
バタフリーの出番はまだ先だ。ふわりと宙を舞いながら、腰から二つのボールを選び取る。


穂乃果「リングマ、ガチゴラス!出ておいで!!」

ツバサ「パワー系が二体。ならこの子で相手をしましょう。カビゴン!!」

『カァビ……ゴンッ!!!』

穂乃果「…!」


新たな手勢を目の前に、穂乃果は戦いへと心を落とし込む。心臓の軋みは忘れてしまえ。

負けられない!

思いを強め、決戦は激化する。

身長2メートル超、体重は460オーバー。
ボールから現れたカビゴンが両脚を踏みしめれば、ズンと浮島が揺れて湖面が波立つ。

離れ見守る人々は、対峙するその二人を知っている。
片や誰もが震える巨悪星、アライズ団の綺羅ツバサ。
もう一人、この少女にはどこかで見覚えが。
…そう、人々の注目を集めたミカボシ山の動乱、ロクノテレビのクルーたちを颯爽と助けてみせた少女、高坂穂乃果。

人々がどちらを応援するかは明白だ。
心に悪を抱える者はツバサを、明日に希望を求める者は穂乃果を。

湖畔から距離はあれど、互いを応援する声は二人の耳へと届いている。
だが意に留める暇はない。視線と攻防に散る火花!


ツバサ「“おんがえし”」


即座、ツバサはカビゴンへと命じている。
タイプ一致のノーマル技、全力で殴り付けるだけのシンプルな打撃技だ。

振り上げ…叩きつける!!!


『ゴラアッッ…!!!』

穂乃果(ガチゴラスの周りの土が抉れた…すごい威力!)


進撃するカビゴン、迎え撃つリングマとガチゴラス。
岩タイプを有し、カビゴンの攻撃に耐性のあるガチゴラスが前面で受けている。

だがカビゴンは鈍にして重、そして何よりも頑強。
その攻撃はさながら重戦車の突撃めいて、パワーには自信のあるガチゴラスをたじろがせる。
腕が振るわれ、受けるたびの空震。ズン、ズズンと空襲めいて重音が響き渡る。


穂乃果(でも怯んでられない!)


穂乃果もまた、リングマへと攻撃の令を!

穂乃果「リングマ!」

『グマアアッッ!!!』

ツバサ「“かみくだく”ね、流しなさいカビゴン」


ツバサのレギュラーの一体、その実力は伊達ではない。
弱点であるスピードの欠如、そこを高レベルで補っている。
リングマが猛然と閉じた熊牙を幅広な掌ではたき、カビゴンらしくない軽やかな所作で受け流して防御。

リングマが現れた時点で穂乃果の決定撃はツバサにも読めている。
広い腹部へと格闘タイプ、“インファイト”の一撃を叩き込んで打倒しようと狙っているのだろう。


ツバサ(だとして、見るべきはそこよりもあの子の挙動…)

穂乃果(ペラップ対策は練習したよ。単純だけど…声は出さずに指示する!)


リングマが技を放つ際、穂乃果は呼びかけて注意を引く以外の言葉を発していない。
手に数本の指を立て、簡易なハンドサインを送るのをツバサはしっかりと目にしている。

鹿角姉妹との一戦でサインの概念を学んだのだろう。見様見真似ながら、最低限は様になっている。


穂乃果(これならペラップが私の声を真似しても大丈夫。元々言ってあるもんね、ペラップが出てる時は声が聞こえても無視してって!)

ツバサ(妥当な対策ね、けど甘い。不慣れは隠せない。ポケモンが振り向いて指示を確認する一瞬、そこに隙が生じる)


ツバサが手を伸ばし、その先に掴まっていたペラップが宙を舞う。
声帯模写が使えなくとも、ペラップの技はそれだけではない。


ツバサ「ペラップ、“おしゃべり”」

『ペララララララアップ!!!!!!』

穂乃果「っ、ガチゴラス!」

『グアオオオオオオッ!!!!!』

ペラップの大音鳴は敵対するポケモンの耳を打ち、脳を揺らして思考をかき混ぜ、混乱へと落とし込む。
受ければ致命的…が、海未とことりからその技も聞いている。


穂乃果(音を打ち消すには音で!)


穂乃果はガチゴラスへと“げきりん”、大咆哮の指示を下す!!

大顎が開かれ、豪哮が轟く。
音と音の波がかち合い、ぶつかり合って拡散!
その大音響は遠くまで届き、湖畔で見守る人々の耳をもビリビリと揺らして痛めつけている。
だが、穂乃果に少しの誤算。


穂乃果(押されてる!危なかったっ…)

ツバサ「辛うじて打ち消したようだけれど、餅は餅屋。音を使った攻撃ならペラップが優る。そして一手、ガチゴラスをペラップに割けば…」

『ッッッゴォン!!!』

穂乃果「り、リングマぁ!!」


丸太のような太腕、カビゴンの一撃はさながらハンマーめいてリングマの背を捉えた。
リングマは上からの殴り下ろしを両腕でガッシリと受けた。にも関わらず、力尽くでガードを突破されてしまったのだ。
それは絶対的なレベル差、素のパワーに開きがあると認めざるを得ない。


穂乃果「リングマ、大丈夫!?」

『ぐ、マアッ!!』

ツバサ「倒れないか、いいファイトね。あなたと似た目をしてる」

穂乃果(“おんがえし”が強い…ポケモンに慕われてるんだ。悪だとか関係なく、強い!)


チャンピオン絢瀬絵里に並ぶとまで称される、その実力は伊達ではない。
その気になればガブリアスの“じしん”などで街並みを突き崩すことも可能だが、ツバサは戦況を把握できなくなる大破壊をあまり好まない。

ツバサ(ミュウツークローンで足元を掬われたのも、結局のところ調子に乗ってグシャグシャ崩しすぎたせい。死角を生むのは好ましくない)

穂乃果(視線が一瞬も途切れてくれない…逆転の手を仕込む暇がないよ…!)

ツバサ(情勢は有利。問題は…)


穂乃果とツバサは同時、脇で死闘を繰り広げる二匹の竜へと目を向ける。
リザードンとガブリアス、レベルはガブリアスが上だ。だが、ツバサは視線を尖らせる。


ツバサ(リザードン。この子の手持ちではレベルが頭一つ抜けている)

穂乃果(街中の戦いをほとんどリザードンで切り抜けてきた!集中して経験を積ませた結果が出てる…戦えてる!)


メガシンカによる能力向上を含めてようやく互角。激しく鎬を削り合う戦況だ。
ガブリアスが“じしん”で仕留めるべくモーションに入るが、リザードンは“ニトロチャージ”で始動より先に潰す。

ツバサ(ふうん?技が多いのね)


メガリザードンの奇異にツバサは勘付いている。

真姫の開発したメガシフターは、X体とY体にそれぞれ別で技を覚えさせられるのだ。
物理特殊と得意分野が分かれるメガリザードンにお誂え向けの特性と言えるだろう。


ツバサ「技の多さ、戦い方の幅は驚異。でもシフト時に体力が回復するわけではない」

穂乃果(バレてる…けど、それはいい!大切なのはタイミング、逆転するにはここから…ッ、!!心臓が…バクバクして、破れ…!)

ツバサ「あら、苦しそう。顔に死相が浮かんでるわよ。チートスペックの負債はトレーナーが背負うってところかしら。それじゃあ、“じしん”」

穂乃果「あっ…!」


カビゴンは片脚を高々と振り上げる。
それは“じしん”の予備動作、リングマとガチゴラスを同時に仕留められる広範囲撃。それを許せば戦線が崩れてしまう。穂乃果は焦燥に声を上げる!


穂乃果「止めなきゃ!ガチゴラス!お願いっ!」

ツバサ「…なんて、“じしん”はフェイント。カビゴン、“おんがえし”」

穂乃果「しまっ…!!」


大振りの予備動作を取りやめ、腕を畳んでコンパクトに振るわれる一撃。
それはさながら鉄槌、ガチゴラスの首筋へと振り落とされるカビゴンの豪腕。

…メシャリ。

嫌な音を残響させ、強靭な顎を誇る岩竜はその顔面を地へとめり込ませている。
幸い、まだ息はある。すかさずカバーを図るリングマ、だがペラップが嘴を開いている。

大きく息を吸い込んでいる!


ツバサ「これで一手、足りないわね?……“ばくおんぱ”」

穂乃果「あ…っ!ぐう、ああああああっ…!!!」


音。およそ秒速340mの暴圧は純然たる暴力だ。
綺羅ツバサのレギュラーが一体、常に連れているペラップが搦め手だけの存在なはずがない。
嘴から拡声器のように放たれた大音響はまさに爆音、爆発にも似た威力で一帯を叩く…!

ガチゴラス、リングマ、そして穂乃果までがその音の嵐に巻き込まれている。
離れて戦っているリザードンだけがどうにか被害から免れていて、しかしガブリアスとの戦闘にこちらを守る余裕はない。

全方位攻撃だ。ツバサとカビゴンも巻き込まれている。
だがツバサは特製の耳栓を嵌めて平然、カビゴンは豊富な体力でそのダメージに耐えている。

結果、薙ぎ倒されたのは穂乃果たちだけ。
音の壁に身を叩かれ、穂乃果は地へと痛切に転げている。


穂乃果「か、はっ…!!」


身を起こしつつ、喀血。
鼓膜が引き裂かれたように痛い。
破けているだろうか?いや、微音は聞こえている。とっさに耳を塞いだのが功を奏したか、破けるのは免れたらしい。
だが耳よりも深刻なのは体の深奥に刻まれたダメージ。

吐いた血の出所はどこだろうか?わからない。はっきりしているのは痛みだけ。

穂乃果(あ、うぁ…!痛い…痛いよぉっ…!息が出来ない、胸も肺も、お腹も、関節も、全身が燃えてるみたいに…!)

ツバサ「決まった…と、普通の相手なら確信するところだけど。アナタが相手じゃそうはいかないわね…穂乃果さん」

穂乃果(うっ、ぐううっ…!お父さん、お母さん…雪穂っ、海未ちゃん、ことりちゃん…)

ツバサ「私は高坂穂乃果を侮らない。決してね」

穂乃果「……助、けて…」


…高坂穂乃果は普通の少女だ。

多数の駒が行き交う運命のボードゲーム、その中枢へと気まぐれに駒が置かれただけ。

才はある。心も強い。
だが、それは彼女を構成するいくつかの要素に過ぎない。

心優しく慈しみがあり、食い意地が張って少し自堕落で。
人並みに不真面目で、友達思いで家族が大好きで。

諸々を並べ立ててみればなんのことはない、単なる17歳の少女。
それが世界を背負い、悪の頂と相対し、意地をぶつけ合って痛撃を受け、死痛に苛まれている。

浮かぶのは家族と友達。旅路に行き交ったたくさんの人々の笑顔。

なんで私なんだろう。
痛いよ、口から血が止まらない。
嫌だ、死にたくないよ。

心に駆け巡る言葉、弱音の数々。
否、弱音と呼ぶべきではない。少女には当たり前の感情だ。
ズクズクと暴れ疼く臓器に、体をくの字に横たえた穂乃果の目からハラハラと涙が溢れる。

無口だけど優しいお父さん、厳しいけど愛情たっぷりのお母さん、生意気だけどなんだかんだ可愛い雪穂。

助けて。漏れた言葉は誰に向けて?
空から海未ちゃんとことりちゃんが、誰か助けが現れる?…幻想だ。

ツバサは戦いの最中、高空で自論をぶち上げた時も何度も時計を確認していた。
きっとシティ全体の戦況を把握している。テレビ局へと残された強者が辿り着くまでの時間を把握して測っている。

だとして、やっぱりツバサの言った通り、この人を止められるのはもう自分しかいないのだ。

じゃあ、自分が負けてしまえば?

穂乃果「…助けて…?違う、助けなくちゃ…っ」

ツバサ「カビゴン、その子の頭を叩き潰して。それで漸く…終わり」

穂乃果「お父さん、お母さん、雪穂…海未ちゃんとことりちゃん、真姫ちゃんに、それにみんな。私が勝たなきゃ…大切なみんなが死ぬかもしれないんだ…!」


涙は拭わない。
痛みに熱を帯びた頬に、水滴が心地よいから。

状況を把握しろ。
吹き飛ばされたのが功を奏している。
くの字に背を曲げた穂乃果、初めてその手元がツバサから隠されている。

珍しく、ツバサは慎重になっている。
自分では近寄らず、鈍重なカビゴンに穂乃果の始末を任せている。

彼女にしてみれば長い長い計画と野望の帰結点、万全を期すのも無理はない。
重い足音、近寄ってくる。でもまだ数秒の距離がある。

最善のプランを考えろ。覆すには、意表を突くには…!

穂乃果「作戦っ、Cッ!!!」

『グ、マアアァッ!!!』
『ゴラァスッッッ!!!』

ツバサ「カビゴンの足を掴んで?死に損ないが…」

穂乃果「お願いっ…マリルリ!!」

『ルリイッ!!!』


現れたのは水タイプ、特性“ちからもち”で高攻撃力を誇るマリルリ!
転がった姿勢、自分の背でボールの開閉を隠した。
必然、ツバサの対応はコンマ数秒遅れている。

だがツバサは動じない。マリルリを見た時点で次手を読んでいる。


ツバサ(“ちからもち”からの“アクアジェット”、高威力の先制技でペラップを潰す気ね。読めれば応じようもある。突っ込んできなさい、すぐさま潰す!)

穂乃果「“アクアジェット”っ!!!」

『ルリルッ!!!』

ツバサ(読み通り)


マリルリは水気を撒き散らして地面を滑り、ツバサの傍らにいるペラップへとまっすぐに迫ってくる。
が、ツバサは戦況を全体で見ている。
ペラップを落とされたとして問題はない。ガチゴラスとリングマは既に死に体、マリルリを次手で潰せばほぼ詰みだ。

腰のボールへと手を掛け…


穂乃果「そこっ!!!」

『マリリイッ!!!』

ツバサ「手前の地面を殴りつけた…!?」


穂乃果はペラップを狙ってはいない、マリルリに“アクアジェット”で殴らせたのは手前の地面。
水玉模様に丸々と、その体には大量の水気が含まれている。

全身を満たしたその水分を、拳打の一撃に炸裂させる。
高々と立ち上る水柱、それは膨大な水量!!

誰へと当たるでもなく立ったその水柱へ…


穂乃果「今だよっ…メガシフトっ!!」

『リザァアアアッ!!!!!』

穂乃果「“だいもんじ”!!!」

ツバサ「な…!」

黒竜は橙の赫炎、メガリザードンYへと再び転じるや否や、大火力を口から放つ。
その狙いは…マリルリが立てた大水柱。
瞬間、ツバサは意図を汲んで表情を歪める!


ツバサ(大量の水分、それも細かな飛沫…そこに“だいもんじ”の火力がぶつけられれば…!)

穂乃果「くらえっ!!水蒸気爆発!!!」


膨爆!!!!!

水が加熱を得て水蒸気へとなる瞬間、その体積を1700倍にも膨張させる。
“アクアジェット”の水柱、“だいもんじ”の火力、条件は十二分。
高熱の塊が直撃した瞬間、体積の増加はまさに文字通り爆発的!!
熱を孕んだ蒸気が穂乃果とツバサの戦う浮島を満たし、蒸気はもうもうと高空にまで立ち上る。

そして、穂乃果は耐熱ジェルを塗っている。
とっさに身を伏せて爆風からも身を守り、傷を得ずにその爆発をやり過ごしている。

プラス、穂乃果とポケモンたちは作戦を共有している。
高らかに宣言した作戦C、視界が覆われる直前に敵影をはっきりと確認している。

霧中に仕掛ける一斉の攻勢、レベルが上のポケモンに抗しうるとすれば唯一このタイミング。
作戦C、何が起きるかを知っていた。そのアドバンテージを活かすしかない!

ポケモンたちの決死の特攻。リングマ、ガチゴラス、マリルリがそれぞれに雄叫びを上げ…!!


やがて、視界は晴れる。


リングマがうつ伏せに倒れている。
両腕は“インファイト”、放った連撃に損なわれ、きっと腕の骨が折れている。

ガチゴラスも倒れている。
十八番である“もろはのずつき”をカビゴンへと直撃させ、そのまま前のめりに倒れている。

カビゴンは…倒れている。その巨体を仰向けに、意識を失して倒れている!
リングマとガチゴラスの奮闘は届いたのだ。
レベルが上の相手へ身を削って迫り、打ち倒したのだ。
その闘志は愛する主人、穂乃果のために!


『ルリ…ィっ…!!』

『ぺ、らっ……』


愛らしい容姿のマリルリ、しかし漏らす声は雄々しい勝鬨。
水蒸気爆発に視界を遮った直後、改めてペラップへと攻撃を仕掛けたのだ。

カウンター気味に音の攻撃を浴びた。
だが辛うじて持ち堪え、そして一打にペラップを打ち倒している。

霧中に戦況は大きく動いた。
ツバサの手持ち、ジバコイルに続き、カビゴン、ペラップが倒れている。

これで半数。そしてツバサは…!


ツバサ「……ようやく、アナタというトレーナーを掴めた気がする」

無事だ。
高温の水蒸気に巻かれる直前、一匹のポケモンを繰り出してその魔力に身を守っている。

傍らにはピンクと白、水色の愛らしい四足獣。
悪のボスが持つにはあまり相応しくないポケモンが控えている。


ツバサ「助かったわ、ニンフィア」

『フィア、フィアッ!』


いや、ツバサがこだわりを持たないのは今更だろう。
ペラップやカビゴンは、悪のトレーナーにそれほど相応しいポケモンとは言えないかもしれない。
ただ気に入ったポケモンを扱うだけ。それが綺羅ツバサ唯一の流儀。

ニンフィアはフェアリータイプ、ことりのイーブイの進化体だ。
この姿へと進化させたのは諸々の要素を考慮してのこと。可愛いからという理由ではない。


ツバサ「可愛いのは否定しないけれど」


冗談めいて呟き、ツバサは薄らいだ濛々の煙へと目を向ける。
風が吹き、水蒸気が晴れ…


ツバサ「高坂穂乃果…あなたのトレーナーとしてのスタイルを一言で表すならば…さしずめ、“リザードンマスター”。
複数の戦術パターン、その前提にレベルを突出させたエース、リザードンの存在がある」


恐ろしい、危険な相手だ。
バタフリーの火炎誘導、マリルリの水蒸気爆発、もしかすれば他のポケモンたちにも連携パターンがあるのかもしれない。

…否、恐ろしい相手“だった”。


穂乃果「…………」

『リ、ザ…ァッ…!!リザアァッ!!!』


リザードンは必死に叫んでいる。火竜はその目を潤ませている。
穂乃果を呼ぶ。(目を開けろ、まだ寝る時間じゃないぞ)と声を張り上げる。

だが、その声は届かない。
穂乃果は…仰向けに倒れた高坂穂乃果の心臓は、その動きを止めている。

浴びせられた“ばくおんぱ”、その軋みは深刻だった。
水蒸気爆発の直前、再度のメガシフト。その負荷もあっただろう。

だが、何より。
白煙の中、視界が閉ざされる直前、ツバサもまた穂乃果の位置をしっかりと捉えていた。
それは豊富な戦闘経験に裏打ちされた瞬時の判断。穂乃果の場所をはっきりと見捉え…


ツバサ「ニンフィア、“ムーンフォース”」


命じたのだ。

放たれたフェアリータイプ、魔力の波動は穂乃果の胸を無慈悲に貫いた。
それは特殊攻撃。物理的に肉が削げた訳ではない。
だがツバサが育て上げたニンフィア、その一撃。

弱り切った穂乃果の心臓は、そのダメージに耐え切れなかったのだ。

血を吐き、よろめき…
ツバサへ、否、傍らのニンフィアへと手を伸ばし。


穂乃果「か、えせ…!こ、とり、ちゃんの…イーブイ……」


…倒れた。

それは明確な帰着。
まともに言葉を交わした回数は少ない。けれど言い切っていいだろう。好敵手だったと。
ツバサは踵を返し、手向けの言葉を投げかける。


ツバサ「……お休みなさい、旧世界の象徴」

高く、高く。長く、昏く。

リザードンは心を通わせた主人、いや、相棒の心臓が動きを止めたことに哀しみの咆哮を上げている。
メガシンカが解けた。角は二角へと戻り、纏った炎は勢いを失している。


ツバサ(……解けた、か。あの子の心臓は、確実に動きを止めてる。頭を潰す?…いいえ、少し疲れた…)


不思議と、ツバサは喪失感を抱いている。
数々の敵を殺めてきた。老若男女、自分より若くても構わずに。
その全てにさしたる感慨を抱いたこともなかったのだが、高坂穂乃果の死はツバサの心に欠落を抱かせている。


ツバサ「穂乃果さん。運命が掛け違っていれば、私たちは違う関係になれたかもしれない。そうね、例えば……友達に」

感傷に浸るのは趣味ではない。
誰に聞かせる訳でもない。だが、その言葉は自然と口をついていた。

穂乃果が一度地へと伏せた時、涙を流していたのをツバサは見ている。
「助けて」と口にしたのも聞いている。

侮らない。蔑むでもない。
ツバサはただシンプルに、その涙と言葉を日の当たる場所を生きてきた人間の限界と捉えていた。
結局はただの少女だった。そう思い、穂乃果への興味を失しかけた。


ツバサ「けれど立ってきた。私を窮地に追い込んだ。尊敬に値するわ、心から」


ガブリアスがリザードンへとラッシュを掛けている。メガシンカが解け、トレーナーを失った今、トドメに時間は要さないだろう。
マリルリもまた穂乃果の死に涙を零していて、ニンフィアが牽制の視線を送っている。


ツバサ(まだ予定時間内。最寄りの実力者、絢瀬亜里沙がテレビ局へと到達するまで12分…間に合った)


残ったポケモンたちを処理する必要も時間もない。リザードンだけを仕留めればそれでいい。
ツバサはガブリアスへと目を向け、決着へと指示を出そうとする。

…背後。
リングマが微かな意識に、折れた腕で這っているのに気付いていない。
穂乃果の亡骸へと近付いているのに気付いていない。

穂乃果は夢を見ている。

こことは似て非なる平和な世界、家族や友達はそのままに、ツバサやあんじゅ、英玲奈たちとも仲良く笑い合える世界…そんな夢を。

ツバサさんはキリッと颯爽と格好良くて、私が行かないようなおしゃれな店とかを紹介して連れて行ってくれたり。
男の子からも女の子からもモテモテで、でも私なんかに構ってくれる。
それがなんだか嬉しくてくすぐったくて、ついつい敬語で喋っちゃうんだ。私らしくないけどね。

あんじゅさんはことりちゃんと同じくらい、うーん、もしかしたらもっと女子力が高いかも。
流行にとっても詳しくて、スイーツとかファッションとか私じゃとても叶わないぐらいの最先端を生きてる!
でもよく知ると意外と抜けてるとこがあったりして、ツバサさんたちからいじられてるのを見て、私も今度からかってみようかなぁって思ったり。

英玲奈さんもクールそうに見えて、喋ってみたら三人の中で一番可愛い物好きだったり。
海未ちゃんみたいに自分を律して生きてる感じだけど、猫に猫言葉で話しかけてるとこを見ちゃったんだよね~。
それと甘いものと石が好きなのは今と同じ…石が、石が好きで。


英玲奈「この石は長い歳月を掛けてゆっくりと蓄電していく性質がある。見たことはないか?」

穂乃果「えっと…あ、これ雷の石!」

英玲奈「その通り。市販品は人工的に電気を注いであるがな」


駆け巡る記憶、これは甘ったれた夢でもナンセンスな幻でもなく走馬灯。
実際の過去、ミカボシ山で交わした会話の記憶。

穂乃果はその石を拾っていた。
何かに使えるかもと、ことりのデンリュウに電気を注いでもらっていた。

蓄電する石…

ポケモンたちには話してある。
メガシフターの説明を読み、心臓への負担を知り、もしもの自分が倒れた時は時は一か八か…


『グ、、マ…ッ!!』

穂乃果「がッッは!!!」

ツバサ「!?」


満身創痍、リングマは意地で辿り着いた。鋭い爪が穂乃果の胸ポケットを貫いた。
放り込んでいたのは雷の石、蓄電したそれを砕けば電流が流れる。穂乃果の体が衝撃に跳ねる。
どうせ死ぬなら一か八か、砕けたそれは天然のAED…!!


穂乃果「………まだ…ぁ…ッ!」

ツバサ「……な…に!?」


流石のツバサも意表を突かれている。

高坂穂乃果は立ち上がった。
輝かしい可能性、あるかもしれない理想の世界。
そんな夢想から離れ、喉に溜まった血を吐き捨て、過酷な現実へと帰還を果たしている。

そして起きざま、即座にボールからポケモンを展開している!!

穂乃果「ドリュウズ…ッ!“アイアンヘッド”!!!」

ツバサ「っ、…く、ニンフィア!!」

『フィアアッ!!』


ドリュウズは穂乃果が展開した瞬間、即座に地下へ。高速で潜行、ドリルめいてツバサたちの足元から現れる!

フェアリーの苦手タイプ、鋼の一撃。
当たれば落ちかねないその攻撃を、ニンフィアは間一髪で避けている。

が、もう一撃!!


『ルリイイッ!!!!』

ツバサ「……!」


ツバサはとっさに後背へと飛び退く。
直後、叩き付けられる圧倒の水圧!!

穂乃果はドリュウズに声で指示を出すと同時、マリルリへとハンドサインで指示を下していた。
みずタイプの物理撃、ニンフィアの体を強かに捉えたのは“たきのぼり”!!!

『フィ、……ア、アッ…!』

穂乃果「……帰ろう、イーブイ。ことりちゃんのところに。私たちの町、オトノキタウンに…」

『ふぃ、あ……』


ぐらりと、横様に倒れる。
元より耐久性の高いポケモンではない。マリルリの剛力をモロに受けて耐えられる道理はなし。

穂乃果はその体をギュッと抱きしめ…ツバサは何かを投げて寄越す。


ツバサ「……お見事ね。このボール、渡しておくわ」

穂乃果「あ、ニンフィアの…」

ツバサ「アナタが勝てばそのまま持ち帰ればいい。私が勝てば、もう一度貰っていくだけ」

穂乃果「…うん。ありがとう」


ツバサは時計へと目を落とす。

残された時間は少ない。
絢瀬亜里沙の到着までは10分を切っている。
桜内梨子、渡辺曜も続けてテレビ局へと辿り着くだろう。
そうなれば詰み。四天王クラスが三人、流石に無理だ。

それ以前に、ツバサの残りは二匹。穂乃果の手持ちは四匹。
目の前の穂乃果に負けかねない状況だ。

ツバサ「……強いわね、穂乃果さん」

穂乃果「……必死、だから」


ツバサは、穂乃果に勝った後のことを考えている。
目的はその先にある、まだ燃え尽きるわけにはいかない。
故に、負担の大きいメガシンカを惜しんだ。

対し、穂乃果はこの一戦に完全燃焼。
遥か格上のツバサを相手に、ここで燃え尽きたって構わないと命を絞っている。

今を燃やす者と先を見据える者。どちらが間違いというわけではない。
状況によっては後者が勝つこともあるだろう。
だが、こと今に限れば、勝負の秤は穂乃果へと傾いている。

すうっと、穂乃果は肺いっぱいに息を吸い込み…


穂乃果「………メガシンカ。メガリザードン…X」


蘇生しても心臓への負荷が回復したわけではない。
だが穂乃果は躊躇わない。痛みはありのままに受け入れ、燃え尽きるならそれまで。
もう一度、リザードンを高みへと導く…!!

ツバサもまた、息を吸い込む。
右手首、メガリングへと指先を掛け…

綺羅ツバサは死病を患っている。余命は長くない。

不浄と汚濁の中を這い上がってきた小柄な体は多くの損耗と病を得ていて、とうに限界が近い。
穂乃果のように体を酷使せずとも、ただ一度のメガシンカで大きな負担となるだろう。

刑務所の環境はその死期をさらに早めた。あとどれだけ持つかわからない。


ツバサ「だから夢見た。突拍子もない憧れを…この世界の頂を。
不幸に生まれ、不幸なままに大人しく死んでいく。そんなの冗談じゃない。この世界に、消えない爪痕を残してやる。って」

穂乃果「……」

ツバサ「でも…今は何より優先したいことがある。穂乃果さん、アナタに負けたくない」

穂乃果「……全部受け止めるよ。だから、とことんやろう。ツバサさん」

ツバサ「………メガシンカ!!!」

光が爆ぜる。ツバサの口から鮮血が漏れる。

歪で過剰なエネルギーに、ガブリアスの腕は溶けて鎌のように変形する。
筋繊維は膨張し、刺々しく、戦闘のみに特化した生命体へと姿を変える。

それはきっと、生物としては間違った進化なのだろう。
膨張した筋肉は動き辛く、あるいは速度が低下しているかもしれない。

だが関係ない、ガブリアスは後悔しない。
深く心を通わせた大切な主人、ツバサの意思を成すためならどんな力でも受け入れよう。乗りこなしてみせよう。


ツバサ「行くわよ……メガガブリアス!!!」

『ガブアアアッ!!!!』

穂乃果「燃えるよ、メガリザードンっ!!!」

『ザアァァドッ!!!!』


ぶつかり合う意思は焼けて焦げ、文字通りに死力を尽くし。決戦は最終局面へと突入する。

メガガブリアスが低く吼える。
その声は静かな烈気に満ちていて、空気を引き裂くように夜を震わせ湖面を揺らす。

体力にも時間にも猶予はない。
穂乃果とリザードンは視線を鋭く、重心を前のめりに戦気を滾らせる。


穂乃果(数で有利を取れてる。このまま押し切るんだ)

ツバサ(時間がない。だとして…)


ひらりと、穂乃果の勢いを透かすようにツバサは背を翻す。
メガガブリアスへと飛び乗り、張り詰めた雰囲気に似つかわしくない柔らかな笑みを浮かべる。


ツバサ「どうせ追ってくるでしょう?」

穂乃果「う、わっ!!?飛んだ…!」


ツバサは空へ。
公園の浮島、ツバサがこの場所に拘る理由は一つもない。
数で穂乃果にリードされている以上、マリルリとドリュウズを展開済みのフィールドからは離れるのが吉。

歪な形状の体で器用に風を掴み、浮けば気流が渦を巻く。
ダウンバーストめいた圧が穂乃果のサイドテールを揺れ躍らせ、瞬きの間にジェット機さながら、猛然の勢いでメガガブリアスが飛翔している!!


穂乃果「テレビ局の方向…追わなきゃ!!」

ツバサ(来なさい。迎え撃つわ)

穂乃果はメガリザードンへと飛び乗りつつ、ボールを手に取りポケモンたちを収めていく。
激戦に倒れたリングマとガチゴラス、ドリュウズまでを一旦収め、マリルリは共にリザードンの背に。
そしてツバサから渡されたニンフィアのボールを絶対に落とさないようカバンへと収め、遅れることおよそ10秒。


穂乃果「飛んで!!」

『リザアッ!!!』


余力を残す必要はない、正真正銘の全速で。
リザードンの黒翼が追走、ロクノのビル群を擦り抜けるように突き進む。

メガガブリアスは低空を滑る。
アスファルトに樹々、歩道橋に信号に、乗り捨てられた車やバス、その全てをソニックブームに蹴散らしながら、暴君めいて蹂躙の前進行。

メガリザードンは中空を舞う。
両翼の羽ばたきは最小限に、風に乗り、後背へと流しながら前へ、前へ。
尾の蒼炎はアフターバーナーさながらに残滓を描き、黒影は決して敵を逃さない。

ツバサと穂乃果、お互いが視認できる距離にいる。
メガシンカの形状変化に伴い、ガブリアスの速度は低下している。
メガガブリアスはガブリアスの完全なる上位互換ではない。言ってみれば、スピードを犠牲にパワーを得た形態だ。

これまでリザードンは加速技、“ニトロチャージ”を織り交ぜることで辛うじてガブリアスの速さに追い縋っていた。
だが今や速度差は逆転。先行したはずのガブリアスへ、リザードンは見る間にその距離差を詰めつつある。

だが無論、ツバサはメガガブリアスの速度を把握している。


ツバサ(だからニンフィアを渡した。ボールをカバンに収めるための3秒、その3秒の猶予で辿り着く…)


尾で地を叩き、砕け割れる舗装。
逆鉾のような先端をアンカーにブレーキを掛け、急速に飛翔を留め反転、穂乃果たちを視界に収めている。

そこはロクノシティ最大規模の駅前道路。高層ビルが立ち並び、線路が往き交い、人々が交錯するペデストリアンデッキが掛けられた一角。
メガガブリアスの速度を鑑み、この場所へ辿り着くための数秒を稼いだのだ。


ツバサ「悪役らしく華々しく。この場所、大破壊にはお誂え向きでしょう?」

穂乃果「っ、リザードンっ!!上に飛んで!!」

ツバサ「派手に行きましょう。“じしん”」

『ガァァブ……リアアッ!!!!!』

重く深く、激震が響く。
メガガブリアスが両腕の鎌を地面へと打ち込めば、星の表層へと刻まれる裂き傷。
地面タイプ、エネルギーが突き上げるように暴れ回り、視界全ての高層ビル群を一斉に薙ぎ倒していく!!!


ツバサ「私のガブリアスの“じしん”は威力だけではない。遠隔破壊の微細なエネルギー調節、伝播する震動の強弱までを操れる」

穂乃果「…!!?揺れが空まで…ビリビリって!」

ツバサ「唯一、私のいるこの場所だけが安全地帯。そして崩れ落ちるビル群は全て、アナタの方向へと殺到する」

穂乃果(避けられない!!)


綺羅ツバサはあくまで技巧派、大破壊にもコントロールを求める性分だ。
破壊範囲を無為に広げることなく、細かに視認できる500メートル半径だけにエネルギーを集中させている。
そして重高なビル群が猛然、穂乃果とリザードンを叩き潰している!!!

全てが崩れ、静寂……は、わずか。
キュイイィと底から響くは高音、その音は徐々に勢いを増していく。


ツバサ「勿論、これで終わるとは思っていない」

穂乃果「う、ぐああっ、危なかったあっ!!」


突き抜く!!
倒壊したビルの側面から突き出した先端は鋼、猛回転で貫くドリルはドリュウズだ!
降り注ぐ瓦礫に応じて展開、押し潰されるよりも高速で大穴を穿ち、穂乃果とリザードンは再び空へと飛び上がっている。

その面前、迫るメガガブリアス。
突き崩したビルは盤石の攻勢を生むための時間稼ぎ。
両の鎌を広げ、竜力と烈気を露わにリザードンへと襲いかかる!!


ツバサ「“げきりん”」

穂乃果「マリルリ、“アクアジェット”っ!!」


即応、遅れた仕掛けは始動の速さで埋める。
穂乃果と共にリザードンの背に乗っていたマリルリが、指示に素早く身を踊らせる!

命を燃やす戦場だからこそクールに、ここはセオリー通りにガブリアスの弱点を突く。


穂乃果(メガシンカでも地面タイプに変わりはない、マリルリの攻撃が当たれば!)

ツバサ「構うか…薙ぎ払いなさい!!ガブリアスッッ!!!」

『ル、リイイイッ!!?』

穂乃果「そんなっ!!」


対してセオリー無視、ツバサの判断に迷いはない。
ガブリアスの腕鎌がマリルリの水撃を受け止めている。
相性を跳ね除け、ガブリアスの、ツバサの意思がマリルリを打ち払う。
降りかかる水撃ごと吹き飛ばし、撃破!!

ツバサ「次」

穂乃果「ドリュウズっ!!」

ツバサ「下ね、読めてる。“じしん”!!」


瓦礫の下、穂乃果は倒壊から身を守るために繰り出したドリュウズをそのまま潜行させていた。
潜り、抉り、マリルリの一撃に続けてガブリアスの足元からの急襲!!

だがツバサはそれを見抜いている。
迫る死に研ぎ澄まされる感覚、接地していないにも関わらず瓦礫の微細な振動を聞いている。

ドリル回転、深々から貫き上げたドリュウズ。
その体へ、メガガブリアスは“じしん”の一撃を直接叩き付けている!!!

相性は倍付け、全身が破砕するようなダメージ。ドリュウズは声もなく意識を失している。


穂乃果「…っ」

ツバサ「残り二体…!」

これで同数、メガガブリアスの力は圧倒的だ。
ツバサの戦術はスピードの低下を物ともしない。
その分パワーが上がっているのだから、そこで補えばいい。
地形を崩す。有利なフィールドを即座に形成する。そうしてペースさえ握ってしまえば、先手を取られたところで問題はない!

公式戦とは非なる戦い、ルール無用の戦いこそがツバサの本領!!


穂乃果「作戦Dッッ!!!」

ツバサ「…!」


だがそれは穂乃果も同じ、旅路はルールに護られない戦いの連続だった!
数で並ばれた事にも動じず、崩れた街並みに響き渡る声は穂乃果の強さ。

その攻め手は層を成す。ただドリュウズをぶつけただけではない。
ツンと鼻を刺す異臭に、ツバサの嗅覚が危急を告げている。
激しく警鐘を鳴らしている!


ツバサ「メタン臭…!」

穂乃果「リザードンッッ!!!」


吐火…引火、豪爆!!!!

大爆発は凄絶に、踊り狂う炎は穂乃果の眼下、視界の全てを満たしている。

ツバサの嗅いだメタン臭、それは都市ガス。
ドリュウズはただ攻撃を仕掛けたわけではない、それは二段の仕込み。
作戦D、それはリザードンとドリュウズの連携撃。
その潜行力を活かし、ガス管を掘り当て穿つ。そのガスをツバサへと誘導し、リザードンが着火すれば結果は明白。爆ぜる猛炎!!!

都市のインフラをモロに破壊してしまうため、普段は決して使えない禁じ手だ。
だが既に崩れた街の中。この手を今使わずにいつ使う!

それは獄炎。煉獄の顕現。
見下ろし…穂乃果は口を開く。


穂乃果「……まだだよね!」

ツバサ「そう、まだ終わらない!!」

ガスは漏出を続け、火は燃え続け、それはさながらソドムとゴモラ。
溢れる油が燃え続ける油田のように、地は炎に満たされている。

その赤の舞台、その中心。炎は揺らめき、踊り渦巻いている。
漫然と燃え続ける紅に、確とした流が形成されている。


穂乃果「腕の動きで炎を流して、ツバサさんを巻き込まないようにコントロールしてる…!」

ツバサ「好!!」


それは妙技、それは絶技。
ガブリアスと双璧を成すツバサの矛、コジョンドは太極拳めいた所作で爆破を受け流してる。
相性は等倍の格闘タイプ、炎を無傷に受け流す常識外。それが何の技かと博士に問えど、類せる者はいないだろう。
それはツバサと過ごした歳月の、培った絆と功夫の結実!

穂乃果は驚かない。
ツバサならそれぐらいはやってみせるだろう。常識なんて彼方に捨ててきた。

だから既に攻めている。
踊る炎を突き抜け、竜爪がコジョンドを撃ち抜く!!!

穂乃果「“フレア……ドライブ”ッッ!!!!!」

ツバサ「……辛苦了。コジョンド!」


大技フレアドライブ、その反動は折り込み済み。
ガブリアスとの戦いに大きく削られたリザードンの体力は残りわずか。だがまだ生きている。残りは一体、それで十分!!

ツバサはコジョンドを労い、退けた炎が寄ってくるよりも先にとメガガブリアスへと飛び乗る。と同時、再びの“じしん”。
駆け巡る豪震、火舞台を踏み壊して空へ舞う。即座、追う穂乃果。


ツバサ(残り五分を切った。テレビ局へ…!)

穂乃果(あと少し、あと少しっ…!!)


残りの体力はメガガブリアスが優る。
メガリザードンは風前の灯火、受ければ落ちる。だが穂乃果はバタフリーを残している。

ツバサは血の塊を吐く。幾度目かもわからない吐血をする。絶え間なく込み上げる臓血。
だが瞳は輝きを失わず、追いすがる穂乃果に絆すら感じている。

穂乃果の鼓動は荒く弱く、既に不定。全身は軋み、呼吸は乱れ、痛みは許容量を超えて感知すら怪しい。
ツバサへと手を伸ばす。先を飛ぶ光へ、届けと指先までをいっぱいに伸ばす。

二人の戦いはタワー上層のカメラに捉えられ、全世界へと中継されている。
遠景だ。映像は荒い。だが燃えて滾り、今にも尽きようとする生命の煌きはただ美しい。

穂乃果が善、ツバサが悪。

そんな前提をも忘れ、人々はただ見入っている。魅入られている。
血に塗れ、鬼気を宿し、苦悶に涙し、口元は微かに笑み。そんな二人の姿をただまっすぐに見つめている。


穂乃果「綺羅、ツバサぁああああッ!!!!!」

ツバサ「高坂穂乃果!!!!!」


やがて、対峙。


二体の竜はその飛行を止めている。
二人のトレーナーは決着の場を定めたのだ。
ロクノテレビ上空、星一つない黒天に。


穂乃果「友達になれてたかもしれない。そう言ったよね」

ツバサ「フフ…聞いてたの」

穂乃果「私もそう思う。運命が違えば、きっと親友になれてたって」

ツバサ「どうしてかしら。アナタを謂れなき理不尽に巻き込んでばかりいるわけだけど」

穂乃果「イーブイを、ニンフィアに進化させてたから」

ツバサ「そう。けれど…意味のない仮定ね」


ツバサは穂乃果を見上げる。
高高度に座すリザードンへと目を向ける。

呼吸に気を練り、濃く浮かんだ死相を払う。
まだ。ここでは終わらないと強く意思し、水平に伸ばした手はメガガブリアスへと下す決着撃の指示。


ツバサ「“げきりん”。リザードンとバタフリー、二匹を蹴散らして終わらせる」

『ガブッ…!』

穂乃果はツバサを見下ろす。
バタフリーをボールから出し、リザードンの背を撫でる。

二匹の姿がヒトカゲとキャタピーに被る。旅立ちのあの日がフラッシュバックする。
一度止まった心臓に鞭を打ち、今ここに立つ自分は命の残響。
なら、燃え尽きたっていい。世界を守る?それすらどうでもいい!


穂乃果「私は勝ちたい。勝とう…リザードン、バタフリー」

『リザァ!!』
『フリィッ』


掲げる腕、メガシフターのダイヤルを捻っている。


穂乃果「メガシフト」


XからYへ、発動する特性は炎気が生み出す擬似太陽、“ひでり”。
光が差す。それは擬似太陽の…否、違う。
地平線の彼方、強い光にツバサは目を覆う。


ツバサ「太陽…」


日が昇るには少しばかり時間が早い。
だが暁光は現れたのだ、街を照らすように。世界を照らし出すように。
高坂穂乃果は叫ぶ。命の残り火を絶叫に燃やすように…!


穂乃果「夜…っ、明けろおおおおっ!!!!」

ツバサ「……滅茶苦茶ね、アナタって」


ツバサが笑う。素敵なものを見て笑う。

世界を覆った闇が払われ、長い長い夜が明け…

ツバサは腕を振り下ろす。
指示に絶哮。牙を剥き、メガガブリアスが舞い上がる!!!

ツバサ(ソーラービーム)

穂乃果「“ソーラービーム”!!!」

ツバサ(読み通り)


メガリザードンY、“ひでり”からの“ソーラービーム”はその定型戦術の一つだ。

なら耐えられる。
ツバサは経験に裏打ちされた確実な自信を以って、脳裏に素早くダメージ計算を済ませている。
イレギュラー要素はバタフリー。だが“ねむりごな”が意味を成す戦況ではない。
メガガブリアスの火力ならば、効力を発揮するよりも早く叩きのめしてしまえる。
炎以外の攻撃を穂乃果が選択した以上、“おいかぜ”はもう意味を成さない。
他にも補助技の選択肢は複数あるが、どれもツバサとガブリアスを止め得ない。

空の一点へと陽光が結集していく。
既にブラフの可能性もなし。


ツバサ「憂慮はないわ。そのままよ」

穂乃果「突っ込んでくる…今なら!作戦Bっ!!!」

ツバサ「…!」

作戦。穂乃果がそう口にする時、それはリザードンを軸とする連携撃の合図だ。
そしてそれを口にするのは、相手を逃れられない段階へと追い込んでいるから。

ツバサは理解し…退かない。敵を信じている。ガブリアスを信じている。


ツバサ「どうせ逃れられないのでしょう?なら正面から打ち破る。それだけよ」

穂乃果「お願い、バタフリー!」


放つは“サイコキネシス”、向ける先は上空へ。
不可視の力はエスパータイプの上級技。
だがタイプ不一致、種族値は低く、希のポケモンたちがやってのけた大破壊には遠く及ばない。

だが、穂乃果にとってはそれで十分だ。

力の形状は凸。
リザードンが集めた陽光の軌道上、レンズ状に凝縮させる念動波。
曲げるだけでいい、集めるだけでいい。屈折させ、収束させるだけでいい!

収斂火災!!
虫眼鏡で集めた陽光が火を灯すように、メガリザードンYの“ソーラービーム”、その軌道上にただ添えるレンズ状の念波!!


穂乃果「リザードン……今ッッ!!!!」


下す腕、降る光。
作戦Bは一点収束、超高熱の炎柱と化した“ソーラービーム”が降り注ぐ。
綺羅ツバサとメガガブリアス、長い夜を共に駆け抜けた仇敵へ!!!

灼熱だった。
天からの陽光は元の技の範疇を上回り、圧倒的な威力がツバサたちを飲み込んでいた。
事前のダメージ計算は一切の意味を成さず、ツバサを守るのはメガガブリアスが身に纏う竜気だけ。

だが…突き抜けた!!!


『ガブ…リアアアッ!!!!』

穂乃果「………」

『ア……ァス…!』

ツバサ「………ああ、届かない…か」


メガガブリアスの鎌は空へと伸びている。
高みへ、少しでも高みへと手を伸ばしてきたツバサの姿を体現している。
15センチ。ツバサが生きてきた生涯の道のりは、あと15センチの距離を残して新世界へと届かない。
鮫竜の鎌は、穂乃果の首へと届いていない。

リザードンは力を使い果たしている。
バタフリーが反応できる速度ではない。
届けば勝っていた。だが仮定に意味はなく、リザードン×バタフリー、穂乃果の最後の一手は間違いなくツバサを凌駕したのだ。

暴竜、メガガブリアスは力尽きている。

メガシンカが解ける。ガブリアスへと戻る。
ツバサの口から血が溢れ、リングは輝きを失っている。
必然…ツバサは落ちていく。


穂乃果「ツバサさんっ!!!」

穂乃果は手を伸ばす。
既に限界のリザードンだが、主人の意思を汲んで降下を開始する!

収束されたソーラービーム、その炎柱の威力は凄まじい。
ロクノテレビの電波塔へと着弾し、高熱に捻じ曲げ業火へと包み込んでいる。

落ちれば死は免れない。

穂乃果は手を伸ばす。最後のメガシフトは少女の心臓を壊している。
既に痛みで息が吸えない。けれど構わず、リザードンの背で必死に手を伸ばす。

悪虐のテロリスト、罪なき大勢を殺めた極悪の徒。
だけど、だけど!


穂乃果「死なせたくない!!!」

ツバサ「………本当に、素敵ね」

穂乃果「掴んでっ…!!」


届く、あと少しで…!
穂乃果が伸ばした指は、ツバサが力なく伸ばした指先と触れ合っている。

背を下に、落するツバサもまた死に瀕している。
穂乃果の手を取り、残された力を振り絞って身を起こし…その甲へ、柔らかな口付けを。


穂乃果「へあ…!?」

ツバサ「再会のおまじないよ。お呪いとも書くけれど。アナタのこと、好きになっちゃった」


放す。するりと、穂乃果の手をすり抜ける。
丸く大きく、目を見開いた穂乃果の顔が遠ざかっていく。

ツバサ(手を離した理由は二つ。このまま落ちればリザードンが軌道を立て直せない高度へと突入する。穂乃果さんを巻き込んでしまう。それと…)


ツバサはガブリアスを、自分のために戦い続けてくれた相棒の、傷だらけの背中を抱きしめる。
ギザギザと鮫肌、添わせた肌に血が滲む。こんな特性でなければ、もっと撫でてあげたかったけれど。


ツバサ(掴み止めてもらったとして、この子を助ける間がないものね)


穂乃果は見下ろしている。
離れてしまった手の感触、甲に残された緋色、吐血の血に彩られた口付けの跡。
呼ぶ声も、叫ぶ力もなく、薄れる意識にただ見下ろしている。
リザードンが翼を翻し、炎に巻かれないよう上昇へと転じ…

意識を戻したガブリアスは大好きな主人を、ツバサを庇うように両腕を回す。

そして、人竜もろとも。
綺羅ツバサとガブリアスは、ロクノテレビ、電波塔の先端に突き刺さっている。
鋭利かつ頑強、巨大なそれに、脇腹を深々と貫かれている。

血色を、生気を失いながら。見上げ…
ゆっくりと、ツバサは口を動かす。


「また会いましょう」


炎は渦を巻く。
高熱が塔を歪め、鉄を焦がして融解させる。
それは世界を揺らした大悪の断末魔。多くの犠牲を生んだ野望の道果て。
放たれた灼熱は溶鉱炉めいた高音、全てを崩れ朽ちさせ、ツバサを飲み込み…


「……また会えるよ、きっと」


静かに呟き…
穂乃果の意識は、そこで途切れた。

【ロクノシティ編・完】

【エピローグ】




ロクノシティ、綺羅ツバサ率いるアライズ団による騒乱から三ヶ月以上が経過した。

三幹部、綺羅ツバサと統堂英玲奈の死亡、優木あんじゅの逮捕により、騒動はようやく終結を見た。

だが大規模な破壊に都市は機能を失い、犠牲者の数は四桁にも上る。
死者の中には議員ら多くの要人も含まれていて、街は一度殺された、そう言っても過言ではない。

それでも今、ロクノシティは再建の途上にある。
死からの再生を、生まれ変わりを遂げようとしている。

その再生の中心地…
市内で最も地価の高い区画に大きくスペースを確保した建設予定地を、高台から少女が見下ろしている。

柔らかな金髪が微風を含み、指を毛先に絡めれば芳しくも嫌味でない香水の香りが広がる。
6の字にまとめられたチャームポイントの毛束が揺れて、見下ろす少女は小原鞠莉。
眼下に広がる広大な敷地、作業員とゴーリキーらが地均しに勤しんでいるその土地には、PMCオハラの新社屋が建てられる予定だ。


鞠莉「ふふ…運命に背負わされた大損も、これでようやく回収済みかな」

果南「まったく…ちゃっかりしてるよ。鞠莉は」

ダイヤ「本当に。一連の騒動で最も利益を得たのは鞠莉さんでしょうね」

鞠莉「シャイニ~☆」


並んで立つ親友二人に、鞠莉はおどけてポーズを取ってみせる。
世の中は前に進み始めている。喪に服した自粛の風潮は明け、悼みながらも人々は笑顔を取り戻しつつある。

その再生の道筋に大きな役割を果たしたのは他でもない、鞠莉が先頭に立つ小原家だ。

武力で都市の人々を守り、再建に大財を投じ、表と裏の人脈を駆使して世界から掻き集めたマンパワーも提供し。
過去が知れて地に堕ちたオハラの信頼は、窮地を糧に再び昇っている。
重要なのは過去でなく、今何を成したか。

人々は闇に潜む悪を認識した。
チャイニーズマフィア、アライズ団。一つの組織が滅んでも、そこに出資していた大陸の悪辣な富豪たちは残っている。
安い悪役の捨て台詞めいて、第二、第三のアライズ団はきっと現れる。

だが同じくマフィアだった過去を持つオハラなら、きっと人々を守ってくれる。
毒を以て毒を制すべし。民衆はそう考えたのだ。


鞠莉「人類の歴史は破壊と再生。発展にスクラップアンドビルドはつきもの。
私はオハラの財と人脈で、ロクノを世界で指折りの大都市へと育てていくつもりよ」

果南「抜け目ないんだから。アライズ団が騒ぎを起こしたって聞いた時、待ってましたって顔で笑ってたし」

鞠莉「ビジネスチャンスを逃さなかっただけ。水戸キングが言うでしょ?人生楽ありゃ苦もあるって。逆もまた然りデース☆」

ダイヤ「水戸黄門はキングではありませんわよ」

鞠莉「ンー…ダイヤは細かいし堅い。柔らかくしてあげなくちゃね?」

ダイヤ「ちょっ!?鞠莉さん!人の胸を、あっ!おやめなさい!」

果南「あはは、はしゃいだら転ぶよ?」

纏わりつく鞠莉の指を振りほどき、ダイヤは顔を赤らめて身を抱いている。
堪能したとばかり、鞠莉は指をわきわきと蠢かせながら満足げに首を縦に。

凋落から返り咲き、活き活きとした親友の姿を目に、果南とダイヤは肩を竦めて笑い合う。
二人の立場は変わっていない。
四天王の一角と、ダイイチシティのジムリーダーのままだ。

果南が実感している変化は些細、なんだかファンが増えたなぁという実感。
あの晩の圧倒的な暴れぶりはどこかからか人々へと伝聞されたようで、屈強な男性ファンが一部と、多くの女性ファンが増えた。そんな実感がある。

だとして、何が変わるわけでもない。
何時もそこにある海のように、泰然と佇むのが松浦果南。
リーグで強者との心踊る戦いを待ち望みながら、親友たちとの日々を過ごしている。

ダイヤの身に埋め込まれたデオキシス細胞は統堂英玲奈亡き今、人間とポケモン細胞の唯一の融合例だ。
故に、多くの学者や研究機関がダイヤへと興味を示している。
圧倒的な再生能力は、不死を願う多くの権力者たちからも強い興味を示されている。研究材料とするべく狙いを定められている。

だが、鞠莉と果南がいる。
実力者と権力者。二人が大切な親友を実験材料とするような真似を許すはずもない。
三人はお互い、守り守られながら手を取り合って生きているのだ。

と、ふと…

鞠莉は口元を歪めている。
惨事を予見し、計画のうちと飲み下して踏み越えた少女は、怪魔の片鱗を笑みとして浮かべている。


鞠莉「本当に…人心は移ろいやすく、流されやすい。オハラを信じ、新たな火種を抱え込んだことも知らずに。フッフッフ……!oh゛ッ!?アッoh…いひゃい…」

果南が頭をはたいた。ダイヤが頬を摘んでいる。
魔王めいて笑ってみせた鞠莉へ、すかさずの制裁を下している。


ダイヤ「ふざけない」

果南「叩くよ?」

鞠莉「hmm、叩いてから言わないで…でもね、おふざけはハーフ、本気も半分よ」


金色の瞳は憂いを含んでいる。
人よりも少しばかり遠くまで、大局を見渡せる慧眼は、これからの未来への不安を宿している。
鞠莉はゆっくり、真剣に言葉を紡ぐ。


鞠莉「人々がオハラに力を求めれば、オハラはそれだけ多くのものを孕んで膨らんでいく。行かざるを得ない。
……少し怖いの。その力が御しきれない規模に膨れて、私のコントロールを外れれば…」

小さく震える鞠莉の手。
その手に、果南とダイヤがそっと指を添わせる。


ダイヤ「怖がらないで、鞠莉さん。そのために私たちがいます」

果南「だけじゃないよ。千歌たちも、ルビィたちも成長した。助け合える仲間もたくさん増えた」

鞠莉「ダイヤ、果南…」

ダイヤ「それでも不安なら…果南さん」


ダイヤが促す。
意を汲んで頷き、果南は満面の笑みで、二人の親友をその両腕の内へと招く。


果南「怖いなら、久々にさ。怖くなくなるまで…みんなでハグしよ?」

鞠莉「…!ふふ、かなぁん♪ダイヤっ♪」

ダイヤ「……幸せですわ。こうして二人の温もりを感じられることが」


果南の力強い両腕へと二人は身を預ける。
果南もまた、二人の体温へと重心を傾ける。

ようやく訪れた平穏、束の間かもしれない凪の時にそっと目を閉じる。ギュッと身を寄せ合う。
世界に溺れないように、波間にお互いを見失わないように。




アキバ地方の端、海沿いの片田舎ウチウラタウン。
そこに位置する高海千歌の実家、旅館十千万には温泉がある。

程よい温度の単純アルカリ泉、鼻をくすぐる微かな温泉香が心地良い。
源泉掛け流し、浴槽へ注がれ続けるお湯は水音に心を安らがせ、洗い場に置かれた風呂桶がカポンと音を立てた。

そこには真昼の陽射しの中に二人、肩を並べる少女の姿。
一人は湯に肩までを浸して足を伸ばし、実家風呂でのびのびと寛ぐ高海千歌。

そしてもう一人は…


聖良「本当に、良いお湯ですね」

千歌「えへへ、でしょ?」


長めの紫髪が湯に浸らないようタオルでまとめ、確と自信に満ちた瞳もまた紫。
鹿角聖良が、千歌の隣で湯へと身を浸している。

ただ、その眼差しからはかつての張り詰めた色は失せている。
どこか柔らかさを得た表情で、片手を湯から上げて伸ばし、伝う水滴の感覚を楽しんでいる。

しなやかな肢体に胸元の曲線。聖良の大人びたスタイルの良さに、千歌は思わず見惚れて「はあ~」と感嘆を漏らす。
果南の健康美とも、ダイヤの筋の通った美しさともまた違う、優美な艶に思わず感心してしまう。

そんな千歌の視線と意図に気付いて、聖良は目元に笑いを含ませる。


聖良「あなたも存外、良いスタイルだと思いますよ?顔に似合わず」

千歌「顔に似合わず…あはは…」

千歌はほんのり凹んでいる。
あまり可愛くないと言われたと思ったのだ。だが聖良にはそんな意図はなく、小さく首を振って訂正。


聖良「そこでショックを受けられても。顔が悪いと言っているのではありませんよ?
言い方を変えましょうか。可愛らしい顔に見合わず、蠱惑的なスタイルですね」

千歌「へ?あ…可愛らしいって、そんなぁ」


褒められて今度は動揺する千歌。
この手の持って回ったような褒め方をする人間は今まで周りにいなかった。
目新しくてくすぐったくて、嬉しさにへらりと笑いを零している。

そんな千歌の足には銃創の跡が今も残っている。
塞がってはいるが、あどけない顔に似合わない痛々しい痕跡が刻まれたまま。
聖良の精神にもあの一戦、ウツロイドの精神汚染の影響はまだ残っていて、半日足らずしか起きていられない。限界が来れば電気が切れたように眠ってしまう。

だが二人の間にわだかまりは残されていない。
まだ少しの遠慮はあるが、笑い合う様はむしろ睦まじさを感じさせる。

浴場から離れ、本館の一室からはわいわいと声が聞こえてくる。
ルビィ、花丸、善子、それに理亞が騒いでいる声だ。


善子「理亞、次はこれよ。貴女の顔立ちならヨハネの眷属たる黒装束がきっと似合うはず…」

理亞「…」

ルビィ「うわぁ…!」

花丸「おお、デビル感バッチリずら」

ルビィ「じゃ、じゃあ…ルビィも理亞ちゃんに、これ着てみてほしいかも…」

理亞「……」

善子「へえ、メイド服ね」

ルビィ「えへへ、曜さんから借りたんだぁ。理亞ちゃんならクラシックスタイルのこれが似合いそうだなあって」

理亞「………」

ルビィ「わぁ、かわいい…!」

花丸「美味しいお菓子と紅茶を出してくれそうずら~」

善子「やるじゃないルビィ。理亞、次はこっちよ!黒魔術の真髄たる赤魔の…」

理亞「………!いい加減にして!毎日毎日…私は着せ替え人形じゃない!」

ルビィ「あ、えへへ…理亞ちゃん、これはイッシュ地方のアイドルの衣装のレプリカでね、着てみてほしいなって…」

理亞「き、聞いてない…!?やっぱりイラつく!ルビィ!!」

ルビィ「ぴぎゃっ!?ごめんなさい!!」

花丸「ご立腹ずらね」

理亞「お前もずらずらうるさい!!」

花丸「ずらあっ!?」

同い年、四人の声は少し離れた浴場にまでコロコロと響く。

ルビィ、花丸、善子。あの夜を潜り抜け、三人は逞しさを増している。
それぞれが手持ちを六体に増やし、トレーナーとして独り立ちしている。
それでもまだまだ年齢は子供。旅行がてらに旅館に、それも友達の家の旅館に宿泊となれば気持ちが弾む。
随分とはしゃいでいるが、今は前夜からの宿泊客たちがチェックアウトしたばかりの合間の時刻。多少うるさくしていても構わない。
そんな三人に纏わりつかれ、理亞はうんざりと叫び…けれど、口元は笑っている。


聖良「思いもしませんでした。あの子があんなに楽しそうにしている声を聞ける日が来るなんて」

千歌「楽しそう、かな?すごく怒ってるような…」

聖良「ふふ、そうでもありませんよ。理亞だけじゃない。私こそ…こんな場所にいられるなんて」


聖良は目を細め、どこか遠くを見つめている。

鹿角姉妹の処遇を語るには、まずウツロイドに関する諸々から。

あの日、ツバサが撒いたウツロイドの怪電波。その影響を調査するため、ニシキノ博士を筆頭として他の地方からも博士号を持つ研究者たちが集まり検査基準を定めた。
そして行政主導で大々的に行われた検査の結果、影響を受けた人間があまりに多すぎた。
怪電波に悪心を掻き立てられて罪を犯してしまった人の数は、罪の軽重を問わず数えれば万に及ぶ。
ウツロイドの影響で罪を犯してしまった人々を裁けば社会が回らなくなる。

折衝が重ねられた結果、基準を満たし、影響が認められた人々は一切の罪に問われないという臨時の法が定められた。

しかし、アライズ団員たちは基本的にウツロイドの影響を受けていない。
全員が捕えられている。刑務所へと収監されている。

聖良は確かにあの日、ウツロイドから直接の洗脳を受けた。
だが過去に多くの罪を犯している。殺人も自白している。脱獄も罪の一つだ。

なのに何故、聖良と理亞は例外の扱いを受けたのか。

聖良(ツバサさん、英玲奈さん、あんじゅさん。三人が、私たちを…)


新たに設けられていたアライズ団のアジト、警察が踏み込んだそこには一つの記録があった。それはUBウツロイドの所有記録。

ツバサたちは強い洗脳作用を持つウツロイドを、聖良と理亞の二人に交互に持たせていたと。
それにより洗脳を施し、強制的にアライズ団に従事させていたというデータを残していたのだ。完全なる捏造の記録を。

そして計画決行の当日、聖良へとウツロイドを持たせることで仕込みは完全を成す。
聖良がウツロイドを持ち操っていたという一度の事実、それだけがあれば残りは架空の記録で十分だ。確かめようもないのだから。

ウツロイドの洗脳に影響された人間を無罪にする以上、鹿角姉妹もまた罪に問えない。
むしろツバサらアライズ団による被害者と見るべきだ。

だが理亞はともかく、聖良は重ねた罪が多すぎる。

諸々の判断を重ね…その身元は、オハラへと預けられている。
新たな悪の出現に備え、オハラフォースの戦力へと組み入れられた。
悪の道に示してきた力を、今度は人々を守るために振るうのだ。
今はウチウラタウンで療養しつつ、ゆくゆくは鞠莉の指揮下で戦いの日々に身を投じることになるだろう。

それは形を変えての贖罪。
強大な力へと組み入れるのは、監視の意味をも兼ねている。
無論、聖良は一も二もなくそれを受け入れている。社会が判断を下したならば従うまで。


それでも疑問を拭えずにいる。本当に、それでいいのだろうかと。

聖良「何人もの運命を、可能性を閉ざしてしまった私が…新たな道を歩き出しても良いのでしょうか」

千歌「……」


千歌には全ての事情を聞かされている。
生い立ちも、生きるために重ねた悪事も、ウツロイドの事が嘘だということも、聖良はここにいるべき人間ではないということも。

洗い場から響いていた水音、シャワーの音が止まった。桶に貯めた水を被る音が響いている。


千歌「うーん。難しいことはわからないけど…」


それでも。千歌はふにゃりと笑い、
「私は、聖良さんがうちの温泉に浸かってくれてることが嬉しいな」と言った。
そうして笑ってくれるのが、許してくれるのが救いに感じられて、聖良は静かに目を伏せる。

聖良「あの人たちは、どうして多くの団員たちから私と理亞だけを助けてくれたのか。考えない日はありません」

千歌「……なんとなくだけど、似てたのかなって」

聖良「似てた…?」

千歌「あの人たちは多分、選べる道がなかった人たち。聖良さんたちもおんなじで。
でもギリギリ引き返せる位置にいて、それなら、自分たちの分も幸せになってほしかった…んじゃ、ないかな…?自信はないけど…」

聖良「……的を射ている、かもしれませんね」

千歌「……だから、うん。聖良さんも理亞ちゃんも、幸せにならなきゃ駄目だよ。絶対、絶対に!」


力強く言い切る千歌、薄紅の瞳が聖良をまっすぐに見つめてくる。
あの夜、ウツロイドの中にまで潜り込んできた少女。
あどけなく弱々しく見えて、その深奥に秘められた強い光。
アライズ団という道しるべを失った聖良を、その瞳はやんわりと鼓舞し、そっと導いてくれる。

瞳に。輝きに吸い寄せられるように、聖良はぐっと千歌へと顔を近付ける。


聖良「……そうですね。幸せにならなきゃ。私たちは、幸せになりたい」

千歌「あ、あのー聖良さん。近い近い。照れちゃうなぁって。えへへ」

聖良「ありがとう、助けてくれて。……千歌さん」

千歌「へぁ…!?」


両腕を回す。
肌と肌、湯に火照った柔らかな感触が触れ合い、お互いの心音が伝わってくる。
二人の鼓動が早まっている。湯に当てられたせいか、赤らんだ首筋の艶に魅せられたのか…


━━━ガン!!!!


二人の背後。強く、投げ落とされた風呂桶が床を転げている。

千歌を抱いた聖良へと注がれるのは鬼神の眼光、灰色の髪からシャンプーの香りを漂わせた渡辺曜。
隣には水濡れた小豆色、桜内梨子が怒っているような、興奮したような…なんとも微妙な表情で千歌と聖良を見比べている。

洗い場にいた二人が戻ってきたのだ。


梨子「ち、千歌ちゃん…?これは一体…」

曜「離れろ…!千歌ちゃんから離れろッッッ!!!」

千歌「ち、違うよ梨子ちゃん!?落ち着いて曜ちゃん!」

聖良「ふふ…ごめんなさい、千歌さん。少し湯に当てられて」

千歌「あ、うん、だ、大丈夫!」


千歌へ優しく笑んで身を離し、そして聖良は首を回す。
ウツロイドを介して千歌と思考や記憶を共有し、惹かれているのだ。親友二人と争うほどに。
曜と梨子へ、挑戦的な眼差しを向けている。

聖良(フフ。まだ明確に、あなたたちのモノと言うわけでもないんですよね?)

曜(こいつ…ッ!千歌ちゃんと、裸の千歌ちゃんと!私でもまだッ…!!)

梨子(こんなところにダークホースが…でも今の光景、これはこれでわりと…!)

千歌(うーんびっくりした。柔らかかったなぁ…)


睨み合う三人、三者三様に交錯する思い。
その中心点に身を置きながら、千歌は自分の立場がより複雑化したことを理解している。
トレーナーとしても人間としても大きく成長を遂げた。
向けられた三つの好意がわからないほど子供ではない。
腕を組み、首を捻り、むむと唸り…


千歌(ま、いいや。上がったら私もルビィちゃんたちと理亞ちゃんで遊ぼーっと)


と、明後日へと思考を投げた。




南ことりは刑務所にいる。

無機質な小部屋、面会のための小窓に顔を向けている。
深い慈愛、優しさを湛えた瞳には似合わない、冷たく色のない空間だ。

向かいの部屋、面会相手の扉が開くのを待っている。
しなやかな指先は、トン、ストンと穏やかに拍を刻む。相手が現れるのを待っている。

ガシャ、ギギと無機質な硬音。
扉が開き…


あんじゅ「……」

ことり「あんじゅさん」


現れたのは優木あんじゅ。アライズ団、三幹部でただ一人の生き残り。
当然ながら収監中、超のつく重罪犯だ。

と、いうことは。

小窓越しに向かい合い、ことりの側は外部からの面会者。捕まっていない。罪人ではない。
そしてあんじゅの口が、ことりの立場を簡潔に説明する。


あんじゅ「また来たのねぇ、“刑事さん”」

ことり「うふふ、お仕事ですから」

刑事さん。ことりを指して言っている。

灰色のコート。生来の着こなしのセンスで上手くまとめて凛とした印象だが、普段と比べるとかなり実用性に傾いた服装だ。
それを脱ぎ、折って傍らへ。
ふわりと笑う様子は愛らしくもしたたか、確かに刑事らしさを感じさせる。

食えない子ねと首を傾げ、あんじゅは片手をひらりと揺らす。


あんじゅ「まあ、嫌いじゃないけど。あなたのことは。可愛らしくて、なかなか私好み」

ことり「あはは、照れるよぉ」


…と、ことりの背後から刺すように鋭い声。
壁際、腕を組んでもたれかかっている小柄な人影。睨む瞳の先輩刑事、にこからだ。


にこ「ちんたら喋ってんじゃないわよ。ほら、尋問尋問」

ことり「あ、ごめんねにこちゃん」

あんじゅ「あらぁ、あなたもいたのね。小さくて見えなかった」

にこ「あぁ!?これでも154はあるんだけど!アンタんとこの綺羅ツバサと同じよ!綺羅ツバサと!」

あんじゅ「あなたはあまり好かないわねえ、矢澤にこ。貧相だもの…」

にこ「うっさい!!」

時を遡り、あの晩。

戦いを終えて応急手当てを受け、海未が搬送されていったのを見送り、穂乃果の勝利を中継に見届け、落下したのを保護されたと伝え聞き。
心配に胸を痛めながらも、自分はここまでだと。
自首しようと、暇のありそうな警官を探していた。

だが騒動が終息しても暇な警官がいるはずもない。
忙しなく行き交う彼らを救護所で見つめながら、どうしたものかと途方に暮れていた。

と、そこへ新たに大勢の負傷者たちが運び込まれる。
自首できないなら何か手伝いたいが、痛みでまともに身を起こせない。
大人しくベッドでそれを眺め…

瞬間、負傷者たちの中からゾンビめいて一人が立ち上がる!
看護師たちの悲鳴、ミイラじみてグルグル巻きの包帯を引きずり、その人物はよろけてことりへと歩み寄る。
そして高らかに掲げた手で、手首へと手錠を落とす!!


「捕゛まえたァ…!」

ことり「きゃああ!?……って、にこちゃん…?」

にこ「ことりぃ…諸々、戦いの様子は聞いたわ。アンタを逮捕する!」

ことり「え、あ、はいっ」

にこ「あんたたちがぶっ壊したバイク窃盗の容疑でね!!」

ことり「バイク…?え、もしかしてあの…あれは海未ちゃんが…」

にこ「うっさい!黙ってしょっぴかれなさい!」

ことり「ええ…?」


そんなやり取りの末、ことりはにこに逮捕された。
と、わけのわからない行動だが、にこは決して錯乱していたわけではない。
説明するには経緯をさらに掘り下げ、騒動より前に真姫とニシキノ博士が完成させていた洗脳解除薬に触れなくてはならない。

希との一戦で最後の最後に洗脳を解いたその薬は、ことりが投薬してしまった悪人たちにも投与されていた。
医療分野の権威ニシキノ博士、親友の役に立ちたいと奮起する真姫、天才と呼ばれる親子が力を合わせて開発した薬は最善の効果を発揮する。
見事に昏睡は回復し、そして彼らは一様に口にしたのだ。

投薬された時の事を「何も覚えていない」と。

もちろん、そんな都合の良い話はない。
にこの息のかかった国際警察の刑事たちが目覚めてすぐさま彼らを脅しつけたのだ。
この場で牢にブチ込まれるか、全てを“忘れて”立ち去るか、と。

実のところ、現行犯でないため逮捕できない人間が大半だったのだが。

ともかく脅しの効果は覿面で、彼らは口を噤んで立ち去った。
国際警察のすることだ、後から強請れる相手でもない。
マスコミに情報を流そうともシャットアウトは簡単。そうすればすぐさま逮捕すると何重にも脅しを掛けてある。

そしてにこはことりに微罪を被せた。
ことりを逮捕し、重傷の身で仲間の刑事たちに後を託し、彼らがバイク窃盗の罪状を作り、既に記録されていた“鳥面”南ことりの犯罪記録と摩り替えたのだ。

荒々しい力技だ。だがそれを許されるだけの功績をにこは残している。
そしてことりもまたそれを見逃されるだけの、あの優木あんじゅの逮捕に協力したという功績を残している。

そして何より、にこが同僚刑事たちの協力を得られたのは…


にこ「身に覚えのない罪でブチ込まれたくなけりゃ、黙ってにこの言うことを聞きなさい。慢性的に人手不足の国際警察、その手駒になってもらうわ」

ことり「え、えっ?」

にこ「戦いは今日が最後?とんでもない。アンタにはみんなを守れる才能があるの。
力のある奴には責任がある。重ねまくったとんでもない罪は牢獄なんて辛気臭い場所じゃなくて、現場で!最前線で!にこと一緒に償いなさい」

ことり「…!まだ、よくわかってないけど…にこちゃんに任せます!」


その処遇はある意味での執行猶予、揉み消した罪の証拠は国際警察が握ったまま。ことりが再び道を踏み外せば、すぐさま監獄へと送られることになるだろう。
そしてことりは今、国際警察に籍を置いている。にこの部下として、各地を忙しなく飛び回っている。

そんな二人は週に数度のペース、優木あんじゅからの聞き取りに訪れている。今日の訪問もその一環と言うわけだ。

あんじゅ「警察の犬にねぇ…ご苦労様。あなたにはもっと華やかな場所が似合うと思うけれど」

ことり「うふふ、意外と楽しいんだよ。行ってみたかったカロス地方にも行けたし、にこちゃんは厳しいけど優しいし…」

にこ「おしゃべりを楽しまない」

ことり「ふぐっ、痛いよにこちゃぁん…」

あんじゅ「ハードな手刀…スパルタねぇ」


呆れたように呟くあんじゅ、その右腕には何重もの拘束が施されている。

擬似アルセウスの片腕。
高レベルのポケモンと遜色ない戦闘力を誇るその腕は、ダイヤのデオキシス細胞のような融和とは異なり接ぎ木のようなもの。
危険なら切り落としてしまえ。そんな意見もあったのだが、それは非人道的が過ぎると拘束処置となっている。

そう、人道が慮られている。
ここは刑務所だが、ロクノシティ刑務所のような悪辣な場所ではない。

ツバサの蹂躙による開放、奈落から生き残った一人の刑務官の証言。
あの場所で行われていた非道の全ては世の明るみへと晒された。
国内全ての刑務所に改めて監査が入り、あんじゅは結果として常識の範疇での刑務所生活を送っている。

殺人に扇動、誘拐に破壊活動。
三幹部の罪は他のアライズ団たちの比ではない。
死刑にされて然るべきだと世論。じきにそう判決が下るだろう。だが、執行には大きな障害がある。

多大なる影響力を誇ったアライズ団、その三幹部唯一の生き残りとなれば扱いには慎重を要する。
迂闊に死刑へと踏み切れば暴動が起きる危険性がある。新たなテロが実行に移される可能性がある。どんな影響が出るかわからない。

故に。極めて扱い辛い爆弾として、優木あんじゅは刑務所内に永らえているのだ。


あんじゅ「ねえ、私の“お人形さん”たちはどうなったのかしら?」

にこ「教えるわけないでしょうが、アホ」

ことり(全員無事。真姫ちゃんの薬が効いて、脳麻痺から立ち直って生還…)


それはせめてもの幸いだろう。
彼女たちの心の傷は容易くは癒えないが…

と、あんじゅが身を乗り出す!目を爛と輝かせ、左手で透明の壁を叩く!


あんじゅ「私は娑婆に戻ってみせるわ。どれだけ掛かっても、何があってもね」

刑務官が気色ばみ、にこは身に力を入れるがバランスを崩し、顔をしかめる。

にこは五体満足ではない。
外見こそ健康体だが、ミュウツークローンとの激闘で内臓をいくつか損なっている。
隣にはゴロンダが付き添っていて、そんなにこの体を支えている。
部下を、ことりを招き入れたのは、いざという時のために後進を育てておきたいという意図もあってのことなのだ。

唯一。ことりだけは身じろぎせず、あんじゅの眼光を微笑のままに正面から受け止めている。
傍らに揺れる触覚、水色の先端が逆立ち、ことりを守るようにそよいでいる。


『フィア!フィアッ!』

ことり「ありがとう、ニンフィア。大丈夫だよ」

あんじゅ「……あら、ニンフィア。あなたのところに戻ったのね。良かったじゃない」

ことり「ここから出て何をするの?綺羅ツバサも、統堂英玲奈ももういないのに」


優木あんじゅは嗤う。一笑に伏す。


あんじゅ「もういない?馬鹿馬鹿しい」

ことり「……」

あんじゅ「英玲奈とデオキシス細胞の融和率を知ってる?78%、半分はとっくに超えてる。あの戦いでさらに上がっていたはず。ふふっ…人間じゃないのよ」

ことり「……」

あんじゅ「刑務官に尋ねたわ、英玲奈はどうやって死んだのかって。全員がこう答えるの。血塗れで倒れてそのままって。
嘘よ。塵になって消えたはず。その意味は一つ、“核を残して休眠に入った”だけ。デオキシスのように。
何故嘘をつくの?そう言えと言われているからでしょう。私に英玲奈の無事を知らせないために!」

ことり「……」

あんじゅ「それに。ツバサとガブリアス、骨の欠片も出てこなかったんでしょう?牢屋にいたって聞こえてくる話はあるのよ。
死んでないわ。ツバサが死ぬはずがない。ツバサと英玲奈が私を残して死ぬはずがない!私を残して逝くわけが…!!」

ことり「……死んだよ。綺羅ツバサも、統堂英玲奈も」

あんじゅ「ッ……そう信じていればいい。束の間の希望に縋っていればいい。二人とはそのうちまた会える。私も遠くない日にここから出てみせる」

ことり「もし出ても、また私が捕まえてみせます。何度だって、何度だって」

あんじゅ「精々楽しみにしておくわ。南ことり…!」

にこ「……もういいわ、そいつ牢に戻して」

にこの声に、刑務官があんじゅを引っ立てていく。

その間も、ことりとあんじゅは目を逸らさない。一瞬たりと。
ことりが見せた強固な正義の意志に、にこは少し嬉しそうに口元を笑ませている。大切に育てていかなくちゃと。

去り際…ことりは、あんじゅの頬を伝った雫を目に留めた。小さく動いた口を見た。


あんじゅ「だから、早く帰ってきなさいよ。寂しいじゃない…ツバサ…英玲奈…」

ことり「……負けません。絶対に」


あんじゅの横顔に、ことりは予感めいたものを感じている。
あの三人の間に絆があるなら、きっと。

そして自分も、親友二人を思い出してふと寂しくなる。
忙しさに、しばらく会えていない。
そして壁の時計を目に呟く。今日は大切な日なのだ。


ことり「そろそろかな…」




再び、ロクノシティ。

綺羅ツバサが没した地、ロクノテレビの電波塔跡に真姫、それに凛と花陽の姿がある。

穂乃果のメガリザードンとバタフリーが放った極光に鉄塔は熱されて歪み、その先端でツバサを穿ち、炎上し、やがて機能を失った。
ロクノテレビは暫定的に他の街にある支局へと拠点を移していて、テレビ塔が新たに立つまでは旧式の電波塔を利用して放送を流している。
今はようやく再建の目処が立ったばかり、立ち入り禁止区域として廃墟の様相を呈している。


花陽「真姫ちゃぁぁん、お昼ごはんの準備ができたよぉ~」

凛「凛とかよちんが作ったお弁当だよー!美味しそうだよ!早く来ないと食べちゃうよー!」

真姫「ああもう、待って。食べたら抓るからね、凛!」

数十メートル先、草むらにレジャーシートを広げた二人が手招きをしている。
呼ばれつつも行かないのは、まだ計測した値の書き留めが終わっていないからだ。

なにやら複雑な機器に表示された細々とした数値をノートに写し、真姫はしかめ面で眉を顰めている。


真姫「やっぱり…間違いないわね」

凛「真姫ちゃん真姫ちゃん、サンドイッチとおにぎりどっちがいい?」

真姫「サンドイッチ」

花陽「はい、どうぞ♪」

真姫「むぐ……トマトとチーズ、いいわね。って、ヴぇえっ!?なんでここにシートが移動してるのよ!」

凛「かよちんがお腹が減って死にそうな顔してたし、真姫ちゃんが来ないからこっちから来てあげたにゃ」

花陽「フシギバナさんがツルで、広げたままのシートを上手く運んでくれたんだよ」

真姫「全く…あと二分も待ってくれれば良かったのに」


呆れたように笑い、真姫は観念してシートへと腰を下ろす。
芝生でなく敷石の上。尻の下が硬くて冷たいが、あくまで三人で食べようとしてくれる気遣いはとても嬉しい。


真姫「美味しい。ありがと、二人とも」

凛「えへへ、凛は具を挟んだだけだけど…」

花陽「そんなことないよ、凛ちゃんは他にも色々手伝ってくれたんだよ?まな板とかフライパンを洗ってくれたり。片付けが一番大変なんだから!」

真姫「ふふ、今度は私も一緒に作るわ」

凛「うんうん!」

花陽「えへへ、楽しみ」


凛と花陽に軽く笑み、真姫は再び難しい顔へと逆戻り。
調査の結果が芳しくなかったのだ。

綺羅ツバサが息絶えたはずの地で、綺羅ツバサが痕跡を残さず消えた地で、真姫は可能性を探っている。
いくら大火の中であれ、骨くらいは残るはずだ。身に付けていた物品、金属なりボールなり、なにかしらは残るはずだ。
それが消えたとすれば…


真姫(ウルトラホール…)


異世界へと通じる穴。
UB、ウルトラビーストたちが現れる空間の歪み。
そこを通って綺羅ツバサは、あるいは綺羅ツバサの骸は消えたのではないかと真姫は睨んでいる。
実際、人間がウルトラホールを通って異世界へと渡った事例は既に確認されている。

そして数度に渡る調査の結果…


真姫(ウルトラホールが開いた形跡がある。それも、ここ数ヶ月の間に。だとして、タイミングは一度しか考えられない。綺羅ツバサはそこに消えたのね)

消えた、とは言っても生きているとは考えにくい。
焼けた鉄塔の先端に残されていた血痕はツバサとガブリアスを併せても致死量に達していた。
死体が異空間に飲み込まれただけ…

そう考えたいが、断定はできない。

警察のエスパーポケモンたちの過去視も通じない。
映像が乱れて視認できないのだ。それはきっとウルトラスペースが現れていた影響なのだろう。

だがここまで。真姫はクルクルと不機嫌に毛先を弄り、ノートを閉じてカバンの中へと放り込んだ。


真姫「どうしたってわかるのはここまでね。あとはお手上げ…」

凛「調査おしまい?」

真姫「おしまい」

花陽「お疲れさま。はい、スープだよ」

真姫「ありがと…」

花陽がポットから注いでくれたコンソメスープを啜りながら、真姫は暖かな陽光に視線を泳がせる。
平和だ。だが不安要素を多分に含んだ、今にも崩れそうな砂上の楼閣。


真姫「疲れた。はなよ…」

花陽「わあ、えへへ…よしよし」

凛「ちょ、ズルいにゃ!かよちんの膝枕!」

真姫「凛はいつもベタベタしてるでしょ…癒される」


ここのところ、三人はいつも一緒にいる。

街を出て、ロクノでの戦いを経て、凛と花陽の二人も旅が癖になったらしい。
しかし相変わらずジムバッジにはあまり興味がないようで、忙しく飛び回る真姫の護衛として四六時中一緒にいるのだ。

真姫としても助かっている。

騒動から数ヶ月が経過したが、世の中は安全とは言い難い。
とりわけウツロイドの症状への特効薬を開発してみせた真姫の頭脳を狙う人間は多い。


真姫(こうなるのはわかってたから功績は全部パパに被ってもらったけど、それでも嗅ぎつける人間はいるものね…ウツロイドの脳波干渉を打ち消すだけの、すごく限定的な薬なのに…)

凛(寝ちゃった?)

花陽(うん、寝ちゃった。すごく疲れてるみたい…よしよし)

凛(えへへ、ツンツンしてる真姫ちゃんも寝顔は可愛いねー)

花陽(ぎゅってしてあげたくなるねえ…)


覗き込み、撫で、そして二人は顔を上げる。
凛が音なく立ち上がり、花陽は真姫を起こさないよう静かに腰からボールを手に。

真姫の耳に響かないよう、凛は抑えた声で口を開く。


凛「出てきてよ。真姫ちゃんの近くをウロチョロされて目障りにゃ」


声に応じ、六人のトレーナーが姿を現わす。
布で口元を覆って目だけを出し、衣服はごくごく目立たない量産品のファストファッション。
顔を隠した布を取ればすぐさま街中に馴染んで姿を消せる、そんな佇まい。

一様に、微かに重心を後ろに掛けている。
あらゆる状況に応じて動ける姿勢、明らかに堅気ではない。プロだ。


「西木野真姫を渡してもらおう」

凛「まーたそれ?聞き飽きたにゃ。どうせあれでしょ、抵抗してもしなくても目撃者の凛たちは消すって」

「話が早いな。死んでもらう」

凛「いいから、さっさと掛かってきてよ。真姫ちゃんが起きる前に終わらせるから」

花陽「エルフーンさん、真姫ちゃんの耳に優しく蓋をしてあげてね。…よし、やろっか凛ちゃん」

凛「軽く流してくにゃ!」

「死ねっ!!」

真姫「………ん、寝ちゃってた…?」

花陽「おはよう、真姫ちゃん♪」

真姫「……?ちょっと、なんで二人して私の手を握ってるのよ」

凛「えへへー、真姫ちゃんが凛たちの名前を呼ぶから握っててあげたにゃ」

花陽「可愛かったねえ」

真姫「ヴぇ…!き、気のせいでしょ。忘れなさい!」


真姫は首を傾げる。
睡魔に襲われて朦朧とした意識の中、凛と花陽が誰かと戦う姿を見た気がしたのだが。
にこにこと笑う凛と花陽、戦闘の形跡はどこにも残されていない。


真姫(夢かしらね)


だが戦闘はあった。夢ではない。
真姫の目につかない草むらには気絶させられ、ツルで縛り上げられた悪党たちが転がっていている。
どこかの組織の構成員か、真姫を狙う権力者の手の者か。そんなプロたちを一蹴し、凛と花陽は傷一つなく笑っている。

元より才のあった二人は真姫との旅路で多くの悪人たちとの戦いを経ている。
重ねた実戦経験に、今やダブルバトルならアキバ地方で最高峰とまで称されることも少なくない。

公式のバトルをほとんどしていないにも関わらず広がった名声、それこそ二人の実力を物語っていると言えるだろう。
オハラグループ主導、オープン参加のダブルバトルトーナメントが企画されている話も耳にする。
現状、参加表明をしている優勝候補は渡辺曜と桜内梨子のペア。
高海千歌と黒澤ルビィ、津島善子と国木田花丸、旅路に知己を得た面々も出ると聞いている。

そこに颯爽と現れ、多くのトレーナーたちと鎬を削るのもいいかも。
そんな風に二人は考えている。


凛「そろそろ起きよ。風邪引いちゃうよ」

花陽「えへへ…起こしてあげるね、真姫ちゃん」

真姫「……ふふ、ありがと。凛、花陽」


頼もしい親友たちに手を引っ張られ、真姫はゆっくりと身を起こす。
前途に待ち受ける困難は少なくない。だけどきっと乗り越えていけると、真姫は二人の手の温もりに感じている。

そして三人はテレビを見られる場所へと向かう。そう、今日は…!




【ポケモンリーグ!】


梨子「ようこそ、ポケモンリーグへ…って、お友達に言うのはなんだか慣れないね」


亜里沙「私の大好きなポケモンリーグに私がいるんです!やったぁ!」


果南「ロクノシティでの記録を見てから、ずーっと戦ってみたかったんだよね」


希「いやあ、まあ色々あったけど…四天王最後の一人。ウチを倒すのは骨が折れるよ?」





《高坂家、居間》


雪穂は一人、テレビ画面を見つめている。
CSテレビ、各地方のリーグ戦を流している番組だ。
アキバリーグ、ここ数日行われている戦いで、挑戦者が四天王を突破した。
マルチタイプ、六体を自在に駆使して堅固なる壁をこじ開けた。

録画し、この数日だけで何度も何度も繰り返して見た映像。そのダイジェストが流れている。

そして今、チャンピオン戦が始まろうとしている。

だが、雪穂はテレビを消した。よく知るその人の勝利を確信しているから。


雪穂「私も…みんなみたいに。よし、いこっか。ヒコザル!」

『ヒコッ!』


玄関のドアを開け、踏み出せば旅の始まりだ。
そして一歩。父と母に見送られ、雪穂の旅路が幕を開ける!

数年後、高坂雪穂は天才こと絢瀬亜里沙と歴史に名を残すライバル関係として火花を散らすことになる。
だが、それはまた別の話。

話はリーグへと戻り…

東條希は四天王のままでいる。
絢瀬絵里もまた、チャンピオンのままでいる。

洗脳の影響とはいえ大きな被害を生んでしまった二人は、騒乱が完全な終息を見せた翌日、すぐさま辞意を表明した。だが…

公的な立場の人間も大勢が罪を犯してしまっている。
前述した通り、裁けば社会が回らなくなる。ウツロイドの影響が認められた者は罪の大小を問わず不問。

絵里と希、影響が大きい二人が責任を取って辞めれば、さらに上の人間も辞めなければならない論調になる。
社会は二人に辞職を許さない。あの日、罪を犯してしまった権力者や醜態を晒した政治家たちもいる。彼らは二人を逃さない。

“あの絢瀬絵里も洗脳されるほど”

そんなフレーズで、権力者たちの免罪符に利用されているのだ。

人々を見捨てて街から逃げ出していた政治家らも、洗脳を盾に居座っている。
彼らが裁かれることはないだろう。絵里がいようといるまいと。
それでも免罪符として名を利用され続けるのは絵里にとって苦濁であり、それでも彼女は女王で居続けなければならない。全力を尽くして負けるその日まで。

それが絵里にとっての償いであり、無敵である限り責め苦。

敗北を喫した希は、挑戦者へと身を伏して懇願した。


希「お願い…エリチを解放してあげて…!」


力強く頷き、そして今、挑戦者は女王の間へと踏み入れる。

アキバ地方全土へ、CSも含めれば世界中へと流れている中継映像。
冷たく悲しい瞳をした絢瀬絵里の面前、青みがかった黒髪が静かに揺れる。

歩いてきた旅路を背負い、親友たちの思いを背負い、園田流の看板を背負い。

挑戦者、名は園田海未!


海未「貴女を救います。絵里!!」

絵里「超えてみなさい。出来るものなら」







そしてまた、少しの日が流れ…

物語の終着点は雪解けの春。
アキバ地方の山頂、ポケモンリーグ王者の間。

ぜえ、はあ、と息を切らしながら、足音が山を登っていく。

足音は一つではない。
引きずるような一つに沿って、ゆっくりと、ゆっくりと伴うもう一つ。

長々と続く階段の途中、表情をぐしゃりと歪めて腰を折った少女の顔を、付き添い肩を貸すもう一人が覗き込む。


ことり「大丈夫?穂乃果ちゃん」

穂乃果「ひい…き、きつい!心臓がバクバクする…」

ことり「え、ええ!大変…どうしよう…!」

穂乃果「ことりちゃん…おんぶして…」

ことり「わ、わかったよ穂乃果ちゃん。国際警察の一員として鍛えた足腰で…」


「自分で登りなさい!!これくらいなら大丈夫だと真姫に聞いています。まったく、ことりも甘やかさないでください」


穂乃果「げえっ…ここ、監視カメラで見てるんだ…」

ことり「あはは…あとちょっとだよ。頑張ろ、穂乃果ちゃん♪」


山の上だ。酸素が薄い。
フラフラになりながら、穂乃果は玉座へと至る階段を登っていく。

叱責を受けたのはごもっとも。サボり心が芽を見せただけで、本当に歩けないほどきついわけではない。
ただ、かなり苦しいのも事実だ。ツバサとの一戦の後遺症に、永らく眠りに就いていた。

目覚めたのはかなり最近で、ようやくリハビリを終えたばかり。
そんな体には高山の環境はなかなかにハード。一歩一歩、足を引き上げては踏みしめている。

世の中は少しばかりの変化を遂げていた。
雪穂は旅立ち、ことりは刑事に。そして海未は…


海未「ようこそ…穂乃果。頂へ」

穂乃果「……本当に、チャンピオンなんだね。海未ちゃん!」

穂乃果の心臓はボロボロだ。
メガシフターの負荷はあまりにも大きかった。一命こそ取り止めたが、寿命は確実に削れているだろう。

穂乃果が長い眠りから目覚めた時、偶然そばにいたのは真姫だった。
自分の全身にまとわりつく管を見て、うまく動かない体を認識して、穂乃果はまず(真姫ちゃんに怒られちゃうなあ)と考えた。

無理をするなと念を押されたのに、それを全力で無視した形だ。
なので恐る恐る、窓の外を見ていた真姫へと声をかけた。

うまく喉が動かず、しゃがれた声で、「真姫、ちゃん…」と呼びかけた。


振り向き、目を丸くし、真姫は穂乃果へと駆け寄ってくる。
うひゃあ、怒られる。
しかし違った。ボロボロと大粒の涙を流しながら、謝ってきたのは真姫の方だった。


真姫「ごめんなさい…ごめんなさい!無理をさせて…私のせいで…!!」

穂乃果「……!??」


泣きじゃくる真姫をうまく動かない手で撫でながら意識を失い、数時間後にまた目を覚ました時にようやく何ヶ月もが経っていると聞かされて驚いた。
海未もことりもその日のうちに飛んできた。やっぱり号泣された。
そこからは順調な回復を見せ、そして今、穂乃果はここに立っている。

穂乃果「えへへ、四天王に勝ったわけでもないのにここに来るのはなんか遠慮しちゃうな」

海未「いいんですよ。穂乃果はそれだけの貢献をした。活躍をした。これは私だけの意志ではなく、みんなの総意です」


口にした通り、穂乃果は四天王を突破したわけではない。
心臓はボロボロ、メガシンカを使えない。どころか、激しい戦いに身を晒せない。
それでも海未が、四天王が、一連の出来事に関わった全ての人たちが、穂乃果がそこに立つことを望んだ。

あの日の号泣が嘘のように済ました顔で、真姫がクールに佇んでいる。


真姫「この一戦だけ。全力で戦っていいわ、穂乃果。パパも裏で控えてくれてる。危なければ止めるし、何かあってもすぐに治療できるから」

穂乃果「うん、ありがとう。真姫ちゃん!」

ことり「それじゃあ…見てるからね、穂乃果ちゃん、海未ちゃん」


力強い頷きに笑い、穂乃果の頬をそっと撫でてことりが去る。
王者の間にはわずかな客席がある。普段は使用されることのない、リーグの協会員が監査に訪れた時のための席だ。

そこでは二人が旅路に親交を深めたトレーナーたちが見守っている。
絵里や希、にことことり、花陽と凛に、千歌たちもいる。

穂乃果は客席へと笑顔を向け、久々の戦い、静かな高揚に深呼吸を。
大丈夫、薄い酸素にもそろそろ慣れた。

広いフィールドを挟んで向かい、深蒼の衣装に身を包んだ海未が嬉しそうに笑みを浮かべている。

海未「本当に…本当に嬉しいです、穂乃果。ずっと夢でした。ここであなたと戦うのが!」

穂乃果「私もだよ、海未ちゃん。それにしてもチャンピオンっぽくなってるなぁ…見ないうちに」

海未「何ヶ月も寝ているから悪いのです。先を行かせてもらいましたよ」

穂乃果「ちゃんと四天王に勝って挑戦したかったけど…ごめんね、体が」

海未「関係ありません。これはあの日の、旅立ちの戦いの延長線」

穂乃果「……そうだね!」


突き抜ける青空に、穂乃果は思いっきり伸びをする。
四天王を突破したわけではない、これはあくまで非公式のエキシビジョン。

それでもやるからには勝つ。全力でぶつかる!


海未「単純に。どっちが強いか決めましょう。穂乃果っ!」

穂乃果「二回負けたけど、三度目の正直。今度こそ勝つよ。海未ちゃんっ!!」


穂乃果と海未、互いを意識し続けてきたライバル二人。頂での戦いが幕を開ける。

さあ、長い旅路に答えを出す時が来た。

戦場地形はフラット、6vs6のフルバトル。
遮るものは何もなく、邪魔が入ることも決してない。
雌雄を決するための条件は全て揃っている。
あとは二人が力をぶつけ合う、ただそれだけ。


穂乃果「行くよ」

海未「いつでもどうぞ」


初手は直感、穂乃果と海未はそれぞれにボールを掴んで投じる!


穂乃果「行けえっ!マリルリ!」

海未「お願いします、ファイアロー!」

『ルリイッ!!』

『ファロロッ!!』

穂乃果(よしよしっ)

海未(ふむ、相性は不利…)

みずうさぎポケモン、みず・フェアリーのマリルリが丸々と短い手を振るっている。
その高い攻撃力はツバサとの一戦で存分に猛威を見せた。
加入は遅かったが、穂乃果のパーティのタイプバランスを補う一匹だ。

対してファイアロー、ほのお・ひこうタイプは海未にとっての切り込み隊長。
穂乃果は強敵、絶対に負けたくない相手。
だが定型を崩すことなく泰然と迎え撃つ、それがチャンピオンとしての矜持。

二匹は睨み合い、トレーナーは同着に指示を交わす。


海未「“おいかぜ”です」

穂乃果「“はらだいこ”だよっ!」


双方、選択は同じく補助技だ。
ファイアローは特性に疾風を纏い、最速で羽を羽ばたかせる。
“おいかぜ”、翼が大きく前後すると共に風が巻き、背から煽る突風が激しい気流を作り出す。
海未の背から吹く強風、加速の風陣が形成される!


海未(これで速度に利を得ました…が。厄介)

穂乃果(マリルリの“はらだいこ”は強いよ!)


ボムボムボムと、マリルリは丸っこいフォルムを自らの拳で強烈に叩きつけている。
打楽器めいて、自傷のダメージはマリルリの体力を削っていく。
だがそれは戦いのリズム、自らを鼓舞する戦舞曲。
力を引き出すためのツボを叩いている。全身に猛烈な力を漲らせている!

穂乃果「よしっ、いいよマリルリ」

『ルリリリリ…!!!!』

海未(迸るオーラ、なんという圧力…ですが“はらだいこ”は想定内。ここは)

穂乃果「マリルリ、“アクアジェット”!!」

海未「先制技ですか、しかしファイアローはさらに疾い!“ブレイブバード”ですっ!!」


特性“はやてのつばさ”、ファイアローはひこうタイプの技を全て先行で放つことができる。
マリルリの“アクアジェット”もまた先制技だが、同じく始動の速い技同士ならば素のスピードがモノを言う。

熱気を孕んだ翼に加速の風を乗せ、勇猛な突進に浴びせられる翼撃“ブレイブバード”が直撃!!!
高速の突進に、マリルリは体をズズと後方へと押し込まれていく!

海未「そのまま押し切ってください!!」

穂乃果「ううん、まだ大丈夫だよねっ!」

『ファルォオオッ!!!』

『マリ、ルル…リ!!』


押し込みが止まっている。
青の水玉模様は後退を留め、ファイアローのその体を掴み止めている!


海未「っ、耐えきられた…」

穂乃果「今だっ!!」


纏っていた水気を手先に結集、マリルリはファイアローの背を力任せに叩きつけた。
まさに豪撃。膨大な水分が爆ぜ、水柱はビル五階ほどの高さにまで立ち上る。

タイプ弱点、突撃の反動に体力を減らしていたファイアローが耐えられるはずもなし。
『ファルル…』と申し訳なさそうに鳴き、海未は優しく頷いて応え、ボールへと収めている。

たかが“アクアジェット”、にも関わらずこの威力。
客席の面々は思わず息を呑み、海未は飛散した水滴を顔に浴びながら頬を弛める。心から嬉しげに両手を広げて声を上げる!


海未「それでこそ穂乃果です。私の大好きな高坂穂乃果です!」

穂乃果「待たせちゃったね!海未ちゃん!」

海未「ええ、待ちました!寂しかったですよ!」

穂乃果「えへへ!じゃあ今日はたくさん遊ぼう。次を出してよ!」

海未「言われずとも。ユキメノコっ!」

『ヒュルルル…!』


こおり・ゴースト、現れたのはトリッキーな戦術を得手とするユキメノコ。
海未の繰り出しは相変わらずの神速、いや、さらに速度を増している。
現れた新手に穂乃果は笑い、マリルリへと指示を下して戦闘は次の局面へ。

昂ぶる二人のその姿に、客席も自然と笑顔を浮かべている。
この戦いに血はない、陰惨はない。
これこそがポケモンバトル本来の姿。高め、競い合う二人の若きトレーナー!


ことり「がんばって~!」


穂乃果「ことりちゃんが私を応援してるよ!」

海未「ふふ、戯言を。私を応援しているのです!」


冗談めかして煽り合い、穂乃果が滑らせる視線。
その曲線軌道をなぞるように、マリルリは水禍を引いてフィールドを泳ぐように滑る。

ユキメノコは海未からの細かな指示に雪気を舞わせる。
マリルリは“はらだいこ”の直後にオボンの実を食べて体力を回復した。が、“ブレイブバード”を受けて残りはわずか。


海未(“こおりのつぶて”で落とせるでしょうか?ですがここは)

穂乃果(何かを狙ってるの、顔でバレバレだよ)

海未(バレているでしょうね、しかし結構。貴女は突っ込んでくる。何故ならここは、仮にブラフだった時に勝ち筋を逃しかねない局面)

穂乃果(海未ちゃんは嘘がつけない性格…だけどここは“もしかして”があっちゃいけないとこ。乗る!!)

再度、マリルリは“アクアジェット”の突撃を敢行している。
その水勢は既に瀑布めいて、怒涛の一撃がユキメノコの冷体を捉える。痛烈に!!


『ひゅる、る…!』

『ルリッ!…ぃ!?』


水拳を叩き込んだ。
ユキメノコの痩身はぐったりと揺れて、完膚なき一撃打倒!
だが同様に、攻撃を決めたはずのマリルリも意識をぐらつかせている。

そしてそのまま、二体は同時に倒れ伏している。


海未「“みちづれ”です。よくやってくれました、ユキメノコ!」

穂乃果「うぐっ、やっぱりかぁ…!」


ゴーストタイプ特有、名前にそのままの効果を持つ特殊な技だ。
攻撃を受け、倒されれば怨念が相手へと襲いかかる。
怨念と言ってしまえば不可解かつオカルティック。だが、要はゴーストタイプのエネルギーの奔流。

マリルリは素早く“アクアジェット”で襲いかかったはずだ。
しかし、海未の神速の繰り出しは並みのトレーナーのそれとは異なる。
投じる前、ボール越しに既に指示を与えていた。ユキメノコの動作に数秒の猶予を与えていた。
故に、“みちづれ”は既に発動していたのだ。

穂乃果(お疲れさま、マリルリ!やられちゃったけど二体やっつけた、リードは保てたままだよ)

海未(これで構いません。“はらだいこ”を発動させたマリルリをどこで止めるかは一つの問題点。それを潰せた今…)


穂乃果はドリュウズを場へ。
「お願いね!」と声をかけ、『ドリュウッ!!』と返じる姿は闘志いっぱいだ。

対して海未、ボールから開放したのはエルレイド。
白と緑、力強くも落ち着いた眼差しは戦闘時の物静かな海未とリンクする。


海未「………」


穂乃果は万全ではない。病み上がり、目覚めてまだ日も浅い。
だが海未は全力を振るう。万策を尽くして叩き潰す。それが二人の礼儀であり絆だからだ。

眠っていた数ヶ月、当然ながら海未は鍛錬を積んでいた。
そしてチャンピオンの座に着いたことで、新たな力を供与されている。

その手首、Zリングとは逆の手。輝く光は新たなるリング!


海未「……メガシンカ!」

穂乃果「おおっ…!」

光に包まれ、エルレイドは容貌を変えている。
その姿はメガシンカの中では極端な変化を遂げていない方だろう。
両肘のブレードは赤く染まって腕全体を覆っている。背にはマントのような部位が付随している。
目に付くのはそれだけだ。

だが姿の変化は大きくなくとも、全身に迸るオーラははっきりと様相を変えている。

見間違えようもない、それは明確にメガシンカ。
メガエルレイドが穂乃果たちへと刃を向ける!


海未「ここからは貴女の知らない私。覚悟してください、穂乃果」

穂乃果「やばいッ!ドリュウズ潜って!!!」


ギャギャルと高速回転、からの超掘削。
ドリュウズはメガエルレイドから視認できない地中へと姿を隠している。

タイプ相性は不利、しかし土の中はこちらのフィールドだ。
掘削音が低く唸る。地中を掘る振動が響いている。
どう攻めるかはともかく、潜っている限り負けはない…

海未「そう思っているならば…甘いっ!!!」

『レェイドッ!!!!』

穂乃果「ど、わあっ!?!!」


海未の気勢に応じ、メガエルレイドが裂帛に地面を殴る。
深く、浸透する衝撃とエネルギー。沈黙は一瞬…重轟と大破砕!!!!!

メガエルレイドの攻撃力は凄烈の一言。
堅土で埋められたフィールドだけでなく、その奥底の大山までに衝撃を響かせている。

土は打震に膨れ、捲れあがり、砕けた大地からはドリュウズが引きずり出されている。
瞬間、エルレイドの刃が駆ける。横薙ぎに一閃、有無を言わせぬ撃破の剣光!


穂乃果「…っ!」

海未「まだ“おいかぜ”は吹いている。このまま攻めます!」


海未は穂乃果のパーティを熟知している。
ドリュウズ、リングマ、ガチゴラス、格闘に弱いポケモンが三匹。
無論、そこは遠慮なく攻めていく。
穂乃果が戦力を惜しむならば、メガエルレイドで押し切る。


海未「リザードンで来なさい、穂乃果!」

穂乃果「言うこと聞く理由はないよ!おねがいっ、バタフリー!」

海未「なるほど、それも一つの選択肢ですが」


バタフリーは格闘を大きく減じて受けられるポケモンだ。
種族値は低いが、ダメージが四分の一ともなれば易々とは落ちない。

そもそも、海未は穂乃果とそのポケモンたちの強さを熟知している。バタフリーだろうと600族相当の戦力とまで捉えている。

過大評価?そんなことはない。
チャンピオンになった今でも、穂乃果は親友であると同時、海未より半年ばかり先達の眩い憧れでもある。
深い愛情の対象でもあり、なにより、永遠に終わることのないライバル同士なのだ。


海未(誰に負けたって、穂乃果にだけは負けられないのです。それは向こうも同じはず!)

海未(ですが、今に限れば甘い)


海未のエルレイドが覚えている技は当然ながら格闘だけではない。
手元、結集する晶光は透き通る青。凍て付くオーラが拳を覆っている!


海未「“れいとうパンチ”です!」

穂乃果「バタフリー、気をつけて。斜め後ろに二秒!」


穂乃果は警句を発するだけ、技の指示を下していない。

バタフリーは滞空してはひらり舞い、滞空しては斜めに舞いと移動だけを繰り返している。
下される指示は飛ぶ軌道、ただそれだけを誘導している。


『フィィイッ~』

穂乃果(そのまま、そのまま!)

海未(……穂乃果は何かを狙っている!)


幼馴染の目線に勘付き、それはほんのわずかな違和感の察知。
すかさず、海未はエルレイドへと警句を飛ばす!


海未「二歩先!踏み込みを浅く!」

『エルッ!!』

穂乃果「げっ!!?」

指示を受けて即応、メガエルレイドは踏み込みの歩幅を変える。
四歩で至っていたはずの間合いを、大回りに六歩でバタフリーへと迫る!

穂乃果が狙っていたのは足場崩し、エルレイドに掘り返される前にドリュウズが完成させていた小規模な落とし穴のトラップだ。
バタフリーを回避に専念させ、エルレイドに追わせて誘導していた。
そしてエルレイドが片足をその穴に取られた瞬間、“ねむりごな”を浴びせて無力化するつもりでいた。

穂乃果もまた、海未のパーティを熟知している。
四天王からチャンピオン戦までの動画は何度も何度も飽きることなく見返した。だけでなく、海未の癖にも気付いている。
というよりは園田流の癖だ。
幼い頃から見て来たからこそ、歩幅や間合い、攻撃タイミングのような細々とした部分を知っている。

気付く気付かないの癖ではない、知らなければ見抜けない型のようなもの。
それを理解できるのは園田流の人間を除けば、穂乃果とことりくらいのものだろう。

その体捌きや動きの流れは人型のポケモン、特にエルレイドとゲッコウガの二体に顕著に現れる。
その既知を利用し、穂乃果はエルレイドを穴へと誘い込もうとしたのだ。

だが、海未は穂乃果の思考を見抜いた。穂乃果の看破を海未が看破した。
親友同士の一戦だからこそ、その凌ぎ合いは深く激しく!

となれば必然、無防備なバタフリーへと迫るメガエルレイド!!


『エルレイッッ!!!!』

『ふぃいいっ…!!?』

穂乃果「バタフリーっ!!」


鋭く振るわれた拳、“れいとうパンチ”が直撃してバタフリーを捉えている。
炸裂する凍気、突き抜ける衝撃がその体を弾き飛ばしている!


穂乃果「や、やるね…海未ちゃん」

海未「ふふ、閃きと奇策は穂乃果の強さ。ですが、易々と食らうつもりはありませんよ」


バタフリーは冷気に舞い落ち、穂乃果と海未が会話を交わす間も必死に翅をバタバタと動かしている。
だが飛ぶ力は残っていない。その動きは徐々にゆっくりと、やがて意識は失われた。


穂乃果「ありがとね、バタフリー」


優しく礼を告げてボールへと収め、これで情勢は逆転だ。
マリルリ、ドリュウズ、バタフリーを倒され、穂乃果は次で四体目。


穂乃果「いけえっ!リングマ!!」

『グマアァッ!!!』

海未「あくまでリザードンを温存しますか。ならば遠慮なく、他を削るまで」

穂乃果(リングマ、作戦通りに!)

リングマはノーマルタイプ、格闘技を得手とするメガエルレイドにはあからさまに相性の悪いポケモンだ。
だが海未も客席も、誰一人として穂乃果が無策だとは思わない。

一体、何を仕掛けるか…


海未「仕込む前に潰します。エルレイド!!」

穂乃果「今っ、リングマ!!」

『グオオ!!!』


追い風をマントに含み、背を押されながら駆けるメガエルレイド。
両手の鋭刃を翳し、リングマを打倒すべく迫る速度は高速で!

だが穂乃果の策は、仕込みは既に完了している。
リングマはエルレイドの突進に合わせ、足で地を鳴らした。応策はただそれだけ。


海未「…!?」

迫るエルレイド、その手前の地面を思い切り踏んだのだ。
そして素早く飛び下がる。瞬間、エルレイドの目の前へと舞うのは細かな粒子。見覚えのあるその粒子は、海未が強度の警戒を払っていたその粉は!


海未「“ねむりごな”…!?」

穂乃果「浴びせたっ!!」


“れいとうパンチ”を浴びせられ、地に落ちてからもバタフリーは翅を動かしていた。
穂乃果と海未が会話している間、力を振り絞って翅をそよがせ続けていた。

粉を落とし続けていた。
穂乃果からのハンドサインを受け、主人へと勝利をもたらすために死力を振り絞って!

そして地面に堆積した粉は、リングマが踏みつけることで舞い上がった。
無警戒、深い呼吸に鋭く踏み込んだ直後のメガエルレイドはモロに粉を浴びてしまう。吸ってしまう。眠りに落ちている!


穂乃果「今だよ!リングマぁっ!!」

『ガウォオオッ!!!!』


“かみくだく”に“インファイト”に、熊牙に熊掌、猛打を浴びせて怒涛のラッシュ。
圧倒を誇るメガシンカ体であれ、眠ってしまえばあらゆるポケモンは等しく無力。
幾撃も幾撃も、起きる前に攻め落とすという覚悟!


海未「……攻め時と見れば一気呵成、流石ですね」

穂乃果「よおおしっ…偉いよリングマ!」


海未がボールへと収めるよりも早く、リングマは猛攻にエルレイドを攻め落としている!!!

これで残りは三体ずつ、穂乃果と海未は薄い酸素を胸いっぱいに取り込んで、深々の呼吸に思考を立て直す。

凛「ふー…」


客席、束の間のインターバルに、身を乗り出していた凛は自席の背もたれへと身を預けて息を吐いている。
春先、まだ微かに雪の残る高山だというのに熱い。
隣に座る花陽の頬も火照っている。戦いの熱気に煽られたのだ。
取り出したハンカチでうっすら浮かんだ汗を拭いつつ、花陽は隣に座っているにこへと尋ねかける。


花陽「にこちゃん、どっちが勝つと思う?」

にこ「ここまでは互角、だけど優勢は海未よ」

凛「そうなの?」


首を傾げる凛。そこへ横からダイヤと鞠莉が口を挟む。


ダイヤ「リソースの差。奇策と正道。ですわよね」

にこ「そう。穂乃果は仕込みでようやく食らいついてる。対して、海未は真正面からそれを受けて対等。となれば…」

鞠莉「残してるカードの量で勝負は決まる。そうよね?」

にこ「その通り…と、思うわ。にこはね」

花陽「やっぱり、ブランクは大きいのかな…?」

凛「ううん、穂乃果ちゃんにも海未ちゃんにも勝ってほしいけど…」

ルビィと花丸、善子は息を飲んでいる。
ジムでハイレベルな戦いを見慣れた三人にも、この一戦は強く煌めいて見えている。

ポケモンのレベルが高い?技の応酬が激しい?
そこではない、見るべきは火花を散らす二つの意思の輝きだ。


花丸「……ルビィちゃん、善子ちゃん、帰ったらマルとバトルしよう」

善子「フ…上等。堕天させてやるわ!ルビィ!ずら丸!」

ルビィ「ルビィも…もっと強くなりたいっ!」


強い胸の疼き、まだ大舞台へと登る前のトレーナーたちは二人の姿に羨望を抱く。
ようやく六体を揃えたばかり。だけどいつか、いつかは自分たちも、あんな場所で戦ってみたいと!

情熱を撒き散らし、強い思いを伝染させ。

穂乃果と海未は瞳を交わす、次手のボールへと手を掛けている。


穂乃果「リングマ、一回戻っててね。ガチゴラス!!」

海未「ふむ…こちらはバンギラスですっ!!」

奇しくも同じく岩タイプ、現れたのは二体の重量級。
かたや恐竜、かたや怪獣。恐るべき方向が高山の頂点に響き渡る!!

バンギラスの登場と同時、特性によって巻き起こされるのは砂嵐だ。
吹く突風、散る砂塵。視界は悪化し、昼だというのに空は薄茶けて霞んでしまう。


穂乃果「あっ、砂嵐を起こされたら…」

海未「ふふ…仕込みはもう使わせませんよ」


バタフリーが“ねむりごな”を落としていたのは一箇所ではない。
穂乃果に指示をされ、滞空、舞うの繰り返しに空を舞っていた。
その滞空のタイミング、粉を散らしてトラップを仕込んでいたことに、エルレイドが眠らされた段階で海未は気付いている。


海未「ですが、これでリセットです」

穂乃果「流石は海未ちゃん…よく見抜いてくる」

海未「ずっと見てきましたからね、穂乃果のことは」


一度策に嵌れど、二度目、三度目はない。
海未の正道は穂乃果を効果的に抑え込む。

客席、絵里は前チャンピオンとしての視線。
自らを破った新王者、海未の姿を誇らしげに見つめている。


絵里「穂乃果は枠に囚われない戦術、海未は良い意味で型に嵌った戦術。翻弄されても動じず、すぐに自分の型へと流れを引き戻してる」

希「手練手管の穂乃果ちゃんを、正々堂々の戦いへと逆に引きずり込んでいってる感じやね」

絵里「だけどわからないわ。穂乃果はまだ仕込んでる。海未がどこまで完璧に応じられるかで勝負は決まる」


戦うことのなかった穂乃果、その姿もまた絵里には眩しく映る。
戦っていればどうだっただろう。勝敗はわからない。負ける気はさらさらない。

ただ一つはっきりしているのは、その一戦は間違いなく楽しかったはずだという点。


絵里「ふふっ…羨ましいわね、海未」


響く強震、ガチゴラスとバンギラスが激突している。

穂乃果(粉は砂嵐で流されちゃったけど、まだ仕込みは生きてるよ!)


絵里が見た通り、穂乃果はまだアドバンテージを残している。
エルレイドに地中から掘り起こされる直前、ドリュウズは土中の岩を程よい形状に砕き回っていた。
それは謂わば後続のための弾丸作り、ガチゴラスへと繋ぐための仕込み。


『ゴラアアアッ!!!!!』

海未「…!」


ガチゴラスは大顎にホイールローダーめいて地面を掬い上げ、鋭い岩をそのままにバンギラスへと撃ち放つ。
スピードはガチゴラスが上だ、距離を取りつつ、岩を跳ね飛ばして浴びせていく。


海未「鈍重な身でヒットアンドアウェイを気取りますか」

穂乃果「そっちはもっと遅いもんね!」

海未(確かに…)


バンギラスは悪タイプ、“イカサマ”の攻撃を、ガチゴラスへと浴びせていく。
相手の勢いを利用してダメージを刻むテクニカルな技だ。
だが、決定的な有効撃かと問われればそうでもない。

海未の中に、ガチゴラスと入れ替えてくる予測はあった。
流れを考えればジュナイパーかゲッコウガを出したかった。

だが、撒き散らされたバタフリーの粉を処理する必要があった。
突き詰めれば、バンギラスの繰り出しを強いられた形だ。


海未(やはり一筋縄ではいかない。面倒なトレーナーですね、穂乃果は。そして…楽しい!)

ガチゴラスが遠距離から放つ岩へ、バンギラスは“ストーンエッジ”で応じていく。
だが手数で劣る。基本性能では上回れど覿面な有効打がない。
ガチゴラスはバンギラスを削り、削り、隙を見ての必倒の一撃を狙っている。
体力が尽きるのはどちらが先だろうか?
ドリュウズの仕込みは些事だが、実に鬱陶しい。


海未(……リングマとリザードン。こちらはジュナイパーとゲッコウガ。問題はありません!)


残りの手札を計算し、海未は腹を決める。
大技を狙っている?ならばこちらも乗りましょう!


穂乃果(海未ちゃんが動く!)

海未「バンギラス!!“ばかぢから”ですっ!!」

穂乃果「隙の大きい技!ガチゴラス!“じしん”っ!!」


どちらもが火力の高いポケモン、後に残してしまえば処理が面倒だ。
ならばここで相討ち上等、穂乃果と海未の意図を二体はしっかりと汲んでいる。

(こいつは確実に倒す!)


『ギャオオオオッ!!!!!』

『グルアアァアア!!!!!』


対の大咆哮と衝撃が重なり合い、塵煙が失せないうちに二人のボールから赤光が伸びる。
要求通りの見事な相討ち。二体は地に倒れ伏している!

穂乃果「お疲れ様、ガチゴラス!」

海未「ゆっくり休んでください、バンギラス」


穂乃果にとってマリルリが倒れた今、バンギラスの処理は大きな課題だった。それが済めば、先の見通しが立てられる。

対して海未、こちらもまた戦闘運びは計算通り。
まかり間違ってガチゴラスを仕留め損なう、それだけが最も厄介な状況。


客席、見守る梨子が呟いている。


梨子「勝負が見えた、かな…?」

千歌「え、もう!?」

曜「うん、これは穂乃果ちゃんは厳しいかもしれない」

千歌「ええ、なんで?」

果南「残りは二体、エースはリザードンとゲッコウガ。ね?」

千歌「あ、そっか…でも穂乃果ちゃんなら!」

梨子「普段ならわからないけど、今は万全の戦いじゃないから…」


海未は目元を涼やかに笑ませる。
詰みの見えてきた戦いにも油断せず、残りの算段を積み上げていく。


海未(故に、バンギラスは相討ちで構わなかったのです)

穂乃果「もう一回よろしく、リングマ!」

海未「お願いします、ジュナイパー」


再登場、リングマが気合いに吠える。
両腕を獰猛に振り回し、この試合のMVPを攫ってやるとばかりに気合いを高めている!!

ジュナイパーは静かに佇む。
旅立ちからを見つめてきたオトノキタウンのトレーナーたち、二人の行く末を見届けるべく戦場に立つ。

と、客席から柔らかな声が。


ことり「かっこいいっ♪がんばってジュナイパ~!」


元の主人、ことりからジュナイパーへの声援だ。
クールな狙撃手の眼差しは一転、途端に相好を崩している。
モクローの頃のような笑顔で、ことりに片翼をぶんぶんと振っている。


『ホロロロウ!』

海未「こ、こら!集中してくださいジュナイパー!ことりとは後で遊べますから!」

穂乃果(かわいい)


気を取り直し、海未とジュナイパーは穂乃果たちに向き直る。
わりと狡猾も厭わない穂乃果だが、今の隙を突くことは流石にしない。
ことりの応援の影響にジュナイパーがよそ見をし、結果勝ちましたでは流石に格好が付かないだろう。

…と、穂乃果が海未へとドヤ顔を向ける。

穂乃果「ミスしないように教えてあげるよ、海未ちゃん。リングマにはジュナイパーのZ技、“シャドーアローズストライク”は効かないもんね!」

海未「おや、ご丁寧に。ですが!」

穂乃果「ん?あれっ!?」


キラリ、煌めく海未のZリング。
応じ、ジュナイパーが翼の下に忍ばせているのは緑石。草タイプに応じたZクリスタル!


海未「今日はこちらの方が都合が良い。そんな気がしていましたので!」

穂乃果「ぐぬっ…だけど!!」

海未「…!」


輝きはもう一つ。
長袖に隠れていた穂乃果の手首、そこにはZリングが光を放っている!
目覚めてからのリハビリの日々、海未と戦うと決めてからの少しの間。
穂乃果は頂に立った幼馴染に勝つために、万策を尽くして手段を探し求めた。
そして手に入れた一つの可能性、それがZリング。
海未も持っている以上、勝利の方策にはなり得ない。だが差を埋めるためには必携!

それを目に、客席に広がる静かな驚き。
にこは思わず大声を上げている。真姫へと突っかかっている。


にこ「ちょっと!あれ大丈夫なの!?」

真姫「大丈夫…なはずよ。穂乃果は元々やたら生命力が強い子だったもの。随分弱っちゃったけど、一度のZ技くらいなら!」


穂乃果「決めてるもんね、海未ちゃんとのこの戦いだけは…死んでも全力を尽くすって!!!」

海未「………それでこそ!!!」


いつもは窘める役の海未、だが今は穂乃果を止めようとは思わない。
来るというなら受け止めるだけ、叩き伏せるだけ!

穂乃果のZクリスタルは黒、悪タイプに応じた石だ。
二人は同時にリングへと手をあてがう。
光を放ち、Z技の予備動作へと移行する!

穂乃果は両手を広げ、相手を脅しつけるように。
海未は両手を合わせ、天へと伸び上がるように。

愛らしい動作だ。だが穂乃果も、海未の顔にも照れは一切ない。今はただ勝つことに集中している。
そして輝く!二人の体から、ポケモンたちへと可視化されたエネルギーが送られていく!


海未「穂乃果ぁあッ!!!」

穂乃果「海未ちゃん!!!」


互いが組み立て、折り重ねてきた戦線から一転、それは勝ちたいという思いのぶつかり合い。
リングマは悪Z、“ブラックホールイクリプス”。
ジュナイパーは草Z、“ブルームシャインエクストラ”。
発動は同着、それぞれがタイプエネルギーの超圧縮。技の体を成す前にぶつかり合う。

閃光……炸裂!!!!

……戦場、爆塵が渦を巻いている。
視界は覆われ、交撃の結果は未だ見えず。

ただ、そこに響く咳。


穂乃果「げ、げほっ…!げほっ!!」

凛「穂乃果ちゃんっ!」
花陽「大丈夫っ!?」


凛と花陽が心配に声を上げる。他の観客たちも腰を上げている。
Z技の反動、人の生命エネルギーをポケモンへと供するのは、今の穂乃果にはあまりにも…!


ことり「…大丈夫っ」

真姫「でしょうね」


ただ二人、真姫とことりは動じていない。
オトノキタウンの住人、十数年を穂乃果と共に過ごしてきた。
そんな二人は穂乃果の体力にまだ余裕があると、その表情に感じ取っている。


真姫「ふふっ、案外元気じゃない」

ことり「がんばって…穂乃果ちゃんも、海未ちゃんも…!」

やがて、一陣の風が吹き…

視界が晴れ、リングマとジュナイパーは倒れている。
ジュナイパーの一撃はもちろん、リングマのZ技もタイプ不一致ながらに弱点撃。

高まったエネルギーが互いを飲み込めば、双方立っていられる道理はなし。


『ほろろぅ…』

海未「……お疲れ様です、ジュナイパー」


海未はジュナイパーを、旅路の全てを知る戦友の一人をボールへと引き戻す。
と、すぐにフィールド外、自分の傍らへと繰り出した。

ジュナイパーは立っていられない状態ながら、意思を汲んでもらえた事で海未へと嬉しそうに笑う。


海未「最初からずっと、私たちと一緒にいてくれましたね。だからあなたも見届けてください。私と穂乃果の、最後までを」

穂乃果「ありがと、リングマ。ゆっくり休んでてね」


穂乃果もまた、リングマをボールへと収め、そして透き通るように笑っている。
今にも消えそうな笑みを浮かべている。

どうにかここまで漕ぎ着けた。
最初の戦いと同じ、病院での戦いと同じ、相棒同士の一対一に。

だがそれは海未にとって望むところ。
選んだわけではなく余り物。
だが運命によって穂乃果と海未に決定付けられた、絶対的な有利不利。

水と炎、ゲッコウガとリザードン。

だが侮りはしない。全力で叩き潰すまで。


海未「負けませんよ。ゲッコウガ!」

『……コウガッ』


ここは命を張らなくても良い戦場だ。
だが主人を守る。負けたくないという主人の意思を守るだけ。忍の本分に変わりはない。

園田流が併せ持つ柔と剛、剛を体現しているのは騎士めいて刃拳を振るうメガエルレイド。
だとして、柔を体現するのはゲッコウガだ。今までも、そしてこれからも!


海未「“きずなへんげ”……ソノダゲッコウガ!!」

『ゲッ……コウガ!!!』

踊る水流、ソノダゲッコウガから迸る青の気は水でありながら、壮麗な花火のように美しく咲き誇っている。
絶え間なく湧き上がり、柳のように振り注いでいる。

手には逆手に水剣、研ぎ澄まされたハイドロポンプ刀。
背には“みずしゅりけん”の素体を背負い、その姿は現チャンピオン、園田海未の隙のない強さを見るものに静かに示している。
水流操作は既に極み、王者の主軸として相応しい域へと到達している。あの果南のカイオーガが操る暴乱を制してみせたのもゲッコウガだ。


穂乃果「すごいや。かっこいいよ、海未ちゃん。だけど…私たちだって負ける気はない!行くよ!リザードン!!」

『リザアアァッ!!!!』


ボールから飛び出し、火竜は雄々しく舞い上がる。
高山の山頂、天空に近い場所。いつもより近い陽光を受けて、尾の赤は煌々と燃えている。
灼熱は熱く美しく、ただ佇むだけで生じる蜃気楼。
勇壮に、厳かに。

ロクノシティのあの夜とは違う、負けても殺されるわけではない。自分も相棒も。

だが、リザードンが燃やす闘志はあの戦いと変わりない。
いや、別種ではあるが、燃える温度だけならさらに高い。
何故なら主人たちと、穂乃果と海未と同じように、リザードンとゲッコウガもまたライバル!!

旅立ちの日に戟を交えて以来、リザードンはこのカエルニンジャに勝つことを大きな目標として戦ってきた。
二度負けた。だが三度目はない!!
育ててきた炎を今、大きく燃え上がらせる時!!!


『ザァァァアドッ!!!!!』

穂乃果「わかってる。負けたくないよね。私もだよ!!」


Zリングとは逆、もう片手。
そこには当然のように、メガリングが嵌められている。
これまで自分の意思を叶え続けてきてくれたポケモンが、リザードンが求めている。負けたくないと吠えている!

なら、応えよう。
穂乃果はメガリングへと手を掛ける!


穂乃果「無理をするなら限界まで、ここで死んじゃうならそれまで。海未ちゃんとの戦いで死ねるなら本望ってやつかも」

海未「…ですが、燃え尽きないでくださいね。私もことりも寂しくて生きていけませんので」

穂乃果「えへへ……行くよ。メガシンカッ!!!」

真姫(全ての責任は、使用許可を出した私に。もし死んだら…そうね、一緒に死んであげる)


全員が息を飲む。リザードンが光に包まれていく。
一度だけ、一度だけ。だが、耐えられるのだろうか?

穂乃果の胸に痛みが走る。針で刺したような痛みが走る。
だが小さい。ほんの小さな痛みだ。大丈夫、大丈夫だと、穂乃果は自分に言い聞かせる。

真姫は手元の計器に心臓の数値を見ている。
裏では真姫の父がもっと細かな数値を見てくれている。

メガシンカに伴う数値の激しい変化。それを目に真姫は眉を顰め…
しかし、真姫はデバイスをパタンと閉じる。


真姫(止めたって聞かないでしょ?大丈夫。この戦いだけは全部許すから。倒れたら治す、それだけよ!!)

穂乃果(ありがと、真姫ちゃん。大好きだよ!!)


穂乃果は横目に、真姫の眼差しに全てを察している。
数値が芳しくないことも、そのままデバイスを見れば中止を告げたくなるような数値だということも。

だが継戦を許してくれた真姫に、穂乃果は心からの感謝を。
だってこの戦いを終えられないんじゃ、死んだって死にきれない!


穂乃果「メガリザードン…Yッ!!!!」

『グオオオオオオッ!!!!!!!』


決戦の姿は橙色、“ひでり”に陽光を生む太陽の化身。
ソノダゲッコウガが海未の現し身なら、メガリザードンYは穂乃果のそれだ!

終の変化を遂げた二匹は地と空に睨み合い…


穂乃果「リザードンっ!!!」

海未「ゲッコウガ!!!」

XとY、二つの進化態からYを選んだ理由はただ一つ。
ゲッコウガを貫き得る牙を持った形態だからだ。


穂乃果「“ソーラービーム”!!」

海未「そう来るでしょうね。ゲッコウガ、避けながら“みずしゅりけん”ですっ!!」


陽光の力を集め、束ね、光の柱として打ち下ろすのが“ソーラービーム”。
本来であればチャージを要する強力な攻撃も、強い日の下では即座に撃ち放つことができる。

能動的に強陽を生めるメガリザードンYにとって、それは十八番とでも呼ぶべき技の一つ。
サブウェポンながらにメインと呼んでも過言ではない大技だ。
そして、それは草タイプに類されるエネルギー。つまりはゲッコウガを仕留め得る!

だが海未は無論、それを読んでいる。
問題はない、焦ることはない。


海未(“ソーラービーム”は直上からの打ち下ろし、極大のレーザーのようなもの。まともに受ければ危険ですが…)

『コウガッ…!!』

海未(そう、それでいい。着弾の前に一瞬先に、注いだ光に地上が焦げる。0コンマ1秒以下、見てから照射を脱出できる間がある。ゲッコウガならそれだけで十分!)

『ザアアアァアド!!!!!!』


極光が地を焦がす。一本ではない、二本、三本と。
光の柱が注ぎ、神罰めいたその攻撃をゲッコウガは紙一重で躱していく。

反転、放つ水弾!
“みずしゅりけん”は美しい曲線軌道を描き、空中のリザードンへと殺到していく。


穂乃果「炎で受けて!!」

『グルゥザアァッ!!!』

海未「炎弾を細かく吐き分けて…器用な真似を!」


指向性の拡散炎弾、“だいもんじ”を応用している。
実質的に五発の炎の練り合わせから形成されている大火力を分散し、襲いかかる水手裏剣を受けてみせた。

水に炎をぶつければ当然、膨れ上がって水蒸気爆発!!
白い靄に空が覆われ、リザードンはそこに姿を隠している。


穂乃果(メガリングで繋がってるから私には居場所がわかる。けど海未ちゃんには見えてないはず。今のうちに次の準備を…)

海未「させませんっ!!!」

穂乃果「っ!」

ソノダゲッコウガは空を舞う。
水気を練り固めて宙に足場を浮かべ、そこを跳ね上がって青空に隠れたメガリザードンを見捉えている!

そして“きずなへんげ”の感覚リンク、海未とゲッコウガは視界を共有している。

宙空、ハイドロポンプ刀が翻る。
リザードンの胴体へと高水圧を叩き込むべく青剣は鋭く舞う!


穂乃果「ゲッコウガは飛べないよ!相手せずに逃げよう、リザードン!!」

海未「飛べなくても跳ねることはできる。追い詰めてみせましょう、ゲッコウガ!!」


天空の激突。

空はあくまでリザードンのホーム、翼に舞えば間合いは自由。
だが相性の有利不利が覆ることはない。ゲッコウガは水刀に追い立て、竜爪と刃が幾度目かの鋭音を響かせる!

炎が吐き出される、水が弾ける。
空からは光が降り、翼を留めんと凍光が放たれる。
竜と悪、解き放った波動。そして穂乃果と海未の意地はせめぎ合って、青空に極彩の虹を描く。

互角。互角だ。

穂乃果が重ねた無理は、客席の予想を遥かに上回ってリザードンの力を引き出している。
相性不利なはずの相手と、対等に渡り合っている!

どうして拮抗が生まれているのか、それを正しく理解できているのは、きっとことりだけだろう。


ことり(穂乃果ちゃんは海未ちゃんに二回負けてる。リザードンとゲッコウガも同じ…だからかも。

穂乃果ちゃんもリザードンも、きっと悔しくて悔しくて、ずっとずっと海未ちゃんとゲッコウガに勝つためのイメージを描いてきた。

海未ちゃんは今チャンピオンになって、たくさんの情報を詰め込んでいってるところ。
ずっと眠ってた穂乃果ちゃんの頭には、今は海未ちゃんに勝つためだけの情報が詰め込まれてる。

動きのくせ、技の傾向、タイミングと声の状態まで。海未ちゃんメタ、って言えばいいのかな…?
だからきっと今、二人は互角に戦える。あんなに楽しそうに戦える…!)


ことりは願う。終わらないでと。
力を競い合う穂乃果と海未は眩しい笑顔に勝利への意思を宿していて、それはきっと二人にとって、人生最良の時なのだ。

だけど時間は有限で、本当の全力でぶつかり合えるのはこれが最後だろう。
だからせめて…ことりは祈るように両手を合わせる。


ことり(最後まで…頑張って!)


穂乃果「リザードン!!!」

海未「ゲッコウガッ!!!」

いつの間にか、戦闘は地上へと下っている。
二匹は傷を負っていて、ダメージはリザードンの方が幾分か深い。

距離は最接近、高速で移動しながらも二匹は眼光を突き合わせている。
高らかに手を掲げ…穂乃果と海未は、既に決着撃の指示を下している!!

天に収束する光、あくまで押し潰すべくは陽の力。“ソーラービーム”が放たれんとしている。
それを目に、海未とゲッコウガは仕掛けていく!!

砕かれ蒸発させられ、何本目かもわからぬ水刀を形成して構える。
ハイドロポンプの残弾はゼロ、是が非でもこれで決める。


海未「今ですっ!!!!」


瞬刀、突き抜けんと振り抜く切っ先は園田流の剣閃。
無拍子めいて、ゲッコウガは一足飛びにリザードンの懐へと飛び込んでいる。


海未「そのまま切り捨てて、これで私の…!!」

穂乃果「待ってたよ…海未ちゃんっ!!」

穂乃果は構えている。メガリザードンに構えさせている。
腰溜めに両手を合わせ、そこに結集している“気”の弾光。

空、幾度となく放ち続けてきた“ソーラービーム”はブラフだった。
全てはこの一瞬、この一撃。決着を求めた海未が、ソノダゲッコウガへと深斬を命じるタイミングを狙って!!


海未「“きあいだま”…!」

穂乃果「ゲッコウガを、海未ちゃんを倒すために…ずっとずっと隠してた秘密兵器」

海未「タイプ弱点…っ、しかし!!」

穂乃果「外れやすい技だけど、この距離なら外さないっ!!」

海未「そのままッ!!斬り抜いてくださいっ!ゲッコウガ!!」

穂乃果「リザードンっ!!!“きあいだま”ぁぁあ!!!!」


交錯━━━!

一匹が立っている。
一匹は倒れている。

ポタリ、ポタリと滴るのは水の雫。
倒れた片方の体から、冷たい水気が土を濡らして…


穂乃果「リザー、ドン…っ」

『………』


それは腹部に刻まれた斬閃、ソノダゲッコウガによる“ハイドロポンプ”の一刀の跡から滴る水滴だ。

そして、フィールドのもう片端…!


『ゲッ……コウ、ガッ!!』

海未「よく…よくっ…!耐えてくれました…!」


ゲッコウガは立っている。
満身創痍、体力を数値化するならきっと残りは1。
“きずなへんげ”も維持できず、ただ立っている。しかし立っている!

リザードンの“きあいだま”は直撃していた。
その細身の胴体へと光と衝撃を叩き込んでいた。
ダメージ量は間違いなく倒れるに足りていた。

だが…耐えた。
それはトレーナーとの、海未との絆。旅路に培った篤い信頼の証。
ポケリフレを丹念に施されたポケモンのように、海未のために、あと一線を気合いで耐えてみせたのだ!!

審判員がリザードンとゲッコウガを見比べている。
勝利の判定が下されようとしている。


海未「………?」


ふと、過ぎる疑問。
自分とゲッコウガの間にはこれだけの絆が築かれていた。
負けられない戦いに、あと一歩を耐え抜くだけの絆が。

だとして…


海未(穂乃果とリザードンの間に、同じだけの絆がないと?ありえない…!!)


気付き、叫ぶ!!


海未「ゲッコウガ!!リザードンが何かを仕掛けてきま…!」

穂乃果「流石は海未ちゃん…だけど!!!」


穂乃果は高らかに叫んでいる。
リザードンは地に顔を伏していた。ドリュウズが荒らし、たくさんの亀裂ができた地面に口元を埋めていた。
海未が察した通り、ゲッコウガが耐えたならリザードンも耐えている。

穂乃果とリザードンの絆もまた、海未たちに勝るとも劣らない!!

そして伏したまま、海未たちからの死角となる地の穴へ…


穂乃果「全力で……“オーバーヒート”ッッッ!!!!!」

『リ…ザァアアアァァアアアッ!!!!!!!!!!!』

海未「…!!」

絵里(……凄いわ、穂乃果)


絵里は看破していた。
穂乃果の仕込み、ドリュウズにリザードンの炎を通すための軌道を掘らせていたことを。

当初の穂乃果の計画では、密閉性の高い地下から迫る炎の軌道はステルスな必殺撃となるはずだった。
メガエルレイドの一撃に割破されて穴は十全を成さなくなった。が、しかし、炎を届かせるだけなら機能する。


絵里(切り替えたのね、最後の最後、リザードンとゲッコウガが持ち堪えると踏んで。最後の最後、死角から駄目押しの炎を届けるための道筋へ)


立ち上がり、踵を返す。
退位した女王は穂乃果たちの旅の結末を見届け、そして一人のトレーナーへと戻っている。


希「行くん?エリチ」

絵里「ええ、先に行ってるわね」


絵里は伸びをする。

また旅をしようか、行ったことのない地方に行くのもいいだろう。会ったことのないポケモンに会うのもいいだろう。
世界はこんなにも広く、知らないことで溢れている。驚きと喜びに満たされている!


絵里「行きましょう、フリーザー」


空を見上げ、絵里は大空に舞い上がる。
きっと二人の戦いにあてられたのだ。また目指してみたくなった。


絵里「もっと高みへ!」


そして、フィールドには…黒煙が燻っている。
ゲッコウガが倒れている。リザードンが立っている。

穂乃果が、片腕を突き上げている!


「ゲッコウガ、戦闘不能!よって勝者…高坂穂乃果!」

審判員からの勝利宣告が下され、客席は一斉に沸き立つ!!
どちらかに肩入れしていたわけではない。ただ、騙された。海未の勝利だと思わされた。
そこからのあと一線、土壇場で覆してみせた穂乃果を讃える歓声だ!!

穂乃果、穂乃果、穂乃果と呼ぶ声。
親しく、心から愛しい、大切な人たちの呼び声が残響。

ああ、勝ったんだ。海未ちゃんに勝ったんだ…!

実感に身を震わせながら、幸せに身を浸しながら、穂乃果はゆっくりと全身から力を抜く。力が抜けていく。
静かに、眠るように、背後へと倒れる。


「穂乃果っ!!!」
「穂乃果ちゃんっ!!!」


この声はすぐわかる。海未ちゃんとことりちゃんだ。

今戦ったばかり、フィールドの向かいにいたと言うのに、倒れていく穂乃果の背を抱きとめたのは海未だった。
敗北と同時、穂乃果へと駆け寄ってきていたのだろう。

ことりのしなやかな指が頬に触れているのもわかる。
柔らかであたたかで、春風のような香りのする優しい手だ。

二人に抱き留められながら、穂乃果はゆっくりと目を閉じている。


海未「穂乃果…!穂乃果!嘘ですよね、目を閉じないで…お願いです!目を!」

ことり「穂乃果ちゃん…穂乃果ちゃんっ!嫌だ、嫌だよ…目を開けて…!」

ぽたぽたと、頬に雫が落ちてくる。
海未とことりの瞳から、大粒の雫が溢れ落ちてきている。
その感覚がくすぐったくて、穂乃果はゆっくり目を開ける。

海未とことり、くしゃくしゃに崩れた二人の親友の顔をそっと撫でる。


穂乃果「えへへ、大丈夫だよ。ちょっと疲れただけ…」

海未「そんな…!死んだら嫌です!穂乃果!」

ことり「駄目っ…駄目だよぉ…!」


蝋燭の残り火が尽きるように、瞼は閉じられ…

と、ひょっこりと。
海未とことりの間に赤髪が顔を覗かせる。呆れたような、ホッとしたような、そんな顔で穂乃果を覗き込んでいる。
そして軽く、デコピンを一発。


穂乃果「あいたっ!?」

真姫「意味深な言い方しないでよ、穂乃果。大丈夫よ、二人とも。本当にただ疲れてるだけだから」

海未「そ、そうなのですか…?」

ことり「ほのかちゃぁん…!」

穂乃果「あはは…ごめんごめん…」

ぎゅっと強く抱きしめられながら、温もりを感じながら、穂乃果は手を握って開く。
血液の巡る感覚、風が頬を撫でる感覚、二人の髪の毛が鼻をくすぐるむず痒い感覚。

まだ生きてる。人生は続いていく。
どうやら、ここがゴールではないらしい。
終わらない旅路に、穂乃果は疲れた心臓をドキドキと高鳴らせる。
興奮は負担になる?ちょっとくらいは大丈夫。

でも次は何をしよう。
考えた時、ふと気付く…あれ?絵里ちゃんの姿がない。

そういえば…フリーザーが飛んでいくのを見た気がする。
穂乃果は力強く身を起こす!


穂乃果「…旅に出なきゃ!」

海未「穂乃果!?」
ことり「穂乃果ちゃん!?」

穂乃果「えへへ、隠居するなんて性に合わないよ。絵里ちゃんを追いかける!チャンピオンじゃなくてもいい!目標だったんだよ!戦ってもらわなきゃ!!」

真姫「ちょっと!?今日は安静にしてなさい!!」


生まれ持ったバイタリティは、新たな目標にエネルギーを生む。
くたびれきっていた心臓へ、新たな活力を供給する。
客席のみんなへ笑顔を向けて、まだまだ!駆け出した足は止まれそうにない!

『ザァド!!』

リザードンは負傷も忘れて穂乃果へと添う。
主人が新たな目標を見つけたなら、そこに向かって飛ぶだけだ。

穂乃果は竜の背へと飛び乗り、そして元気一杯に声を上げる!



穂乃果「行くよ!リザードン!」




【完】

おまけ1 各キャラ手持ち一覧(未登場含め)



『μ's』

穂乃果:リザードン(メガ)、バタフリー、リングマ、ガチゴラス、マリルリ、ドリュウズ

海未:ソノダゲッコウガ、ジュナイパー、ファイアロー、エルレイド、ユキメノコ、バンギラス

ことり:チルタリス、ドラミドロ、デンリュウ(メガ)、ボーマンダ、ヌメルゴン

凛:ガオガエン、ライチュウ、ポワルン、オンバーン、ズルズキン、ヘラクロス

花陽:フシギバナ、ドレディア、エルフーン、メブキジカ、ナットレイ、ジュカイン

真姫:シャンデラ、レパルダス、ジャローダ、ゴルーグ、ポリゴン2、スターミー

絵里:フリーザー、アマルルガ、Aキュウコン、ユキノオー(メガ)、フリージオ、パルシェン

希:フーディン(メガ)、マフォクシー、スリーパー、デオキシス統合体、クレセリア、ソーナンス

にこ:ゴロンダ、マダドガス、フライゴン、ルガルガン、クチート(メガ)、ドヒドイデ



『Aqours』

千歌:ベロベルト、ラッキー、ガルーラ(メガ)、ムーランド、オオタチ、エテボース
(エンブオー)、(ロズレイド)、(ギャラドス)

梨子:バシャーモ(メガ)、キテルグマ、ジャラランガ、キノガッサ、ローブシン、カイリキー

曜:ルカリオ(メガ)、カイリュー、ダダリン、ニドキング、バクフーン、ミロカロス

善子:ドンカラス、サメハダー、アブソル、グラエナ、ダーテング、カラマネロ

花丸:ツボツボ、ドータクン、ヌオー、コータス、キリンリキ、ドダイトス

ルビィ:ピクシー、ムシャーナ、バイバニラ、メガニウム、ペロリーム、デデンネ

ダイヤ:エンペルト、ラランテス、Aガラガラ、ボスゴドラ、プクリン、ディアンシー

果南:ニョロボン、ギャラドス(メガ)、ゲンシカイオーガ、オーダイル、ダイケンキ、ラグラージ、(カメックス)

鞠莉:アシレーヌ、ペルシアン、チラチーノ、メタモン、ギャロップ、Aダグトリオ



『アライズ団』

ツバサ:ガブリアス(メガ)、コジョンド、ジバコイル、カビゴン、ペラップ、ニンフィア、(ミュウツークローン)

英玲奈:キリキザン、エアームド、メタグロス(メガ)、テッカグヤ、ギルガルド、ゲノセクト

あんじゅ:カイロス(メガ)、ウルガモス、ペンドラー、フェローチェ、ハッサム(メガ)、サザンドラ

聖良:ムクホーク、マニューラ、マッシブーン、ヒードラン、デンジュモク、ウツロイド

理亜:レントラー、グライオン、マニューラ、ムウマージ、ヨノワール、グレイシア



『その他』

雪穂:ゴウカザル、スピアー(メガ)、オノノクス、ラプラス、エレザード、ユレイドル

亜里沙:ミミッキュ、サーナイト(メガ)、トゲキッス、アブリボン、フラエッテ、クレッフィ

おまけ2 嘘予告



雪穂「私に才能があるとして、それはきっと秀才止まり。ううん…凡才だね、きっと」

亜里沙「亜里沙は雪穂のことが大好きだよ。大・大・大好き!」




【あれから二年、物語は新たな局面へ】




ことり(穂乃果ちゃんが消息を絶って、もうすぐ一年。どこに消えちゃったの…?)

海未(必ず見つけてみせます。そのために王座も返上したのですから)




【消えた穂乃果、異変を見せる世界】




希「いやぁ、あちこちで噂になってるんよ。海未ちゃんとことりちゃんの娘を見かけたって」

海未「み、身に覚えがありませんが!!?」


~~~


凛「あの子、かよちんに似てる…」

花陽「目の色は凛ちゃんと同じ…?」

「私たちは“教団”。今は亡き英雄、高坂穂乃果の遺志を継ぐ徒」

雪穂「訂正してよ…お姉ちゃんは死んでない!!!」




【新たな絆、新たな舞台】




絵里「ふふっ、弟子って初めてでなんだか嬉しい。仲良くしてね、雪穂?」

雪穂(も、元チャンピオンと二人旅…!)


~~~


ルビィ「ぅゅ…敵がたくさん…理亞ちゃん、やれる?」

理亞「生意気。やるわよ、ルビィ」


~~~


雪穂「つ、ついに来た…ダブルバトルリーグ決勝…!」

千歌「ふっふっふ、私こそ無冠の強豪!高海千歌!あ、言ってて悲しくなってきた…」

曜「そんなことない!かっこいいよ千歌ちゃん!それに無冠も今日まで。一緒に優勝するんだからさ!」

雪穂「二人とも有名トレーナー…勝てるかな?」

亜里沙「えへへ、負けないよ。雪穂と一緒だもん!」

【一斉、芽吹く不穏の蕾】



にこ「動かないで。個人的には不本意だけど…逮捕するわ、小原鞠莉」

鞠莉「Oops!なら…ここで闇に消えてもらおうかしら。刑事さん?」


~~~


果南「立場の違いって、悲しいよね。でも…ごめん、ダイヤ。ここで倒すよ」

ダイヤ「わたくしはもう、あの日の泣き虫ダイヤではありません。受けて立ちますわ…アキバリーグ、現チャンピオンとして!」


~~~


花丸「ああ、豪華客船が…ごちそうが沈んでいく…善子ちゃん不運すぎ。一度ちゃんとお祓いするべきずら」

善子「堕天使にお祓い?嫌よ!浄化されちゃうじゃない!ってそれより、何よあのポケモン…」

亜里沙「緑の光、エネルギーがたくさん集まって…うわわ、止めなきゃ!」



【遂に姿を現す、新たなる敵】



「これは洗脳ではなく、世界規模でのパラダイムシフト。全ての人々に根付いた価値観を捻じ曲げたんです」

雪穂「こ、これじゃ…誰が味方で、誰が敵なのかわかんないよ!?」

ことり「落ち着いて、雪穂ちゃん。それくらいでオトノキタウンの絆は消えませんっ!」


~~~


真姫「現状は教団、オハラ、オトノキ勢の三つ巴…梨子、あなたは?」

梨子「千歌ちゃんはオトノキに、曜ちゃんはオハラに付いた。私は…ここであなたを捕えるよ、真姫ちゃん」

真姫「……っ、教団…!」


~~~


聖良「なるほど、その子が噂の…園田海未と、南ことりの」

「デザイナーベビー。優れたトレーナーの髪や血痕から採取したDNAを掛け合わせました。無断ですが。あなたでは勝てないと思いますけど…」

聖良「けれど、所詮は紛い物ですよね?見せてあげますよ。UBマスターの力をね」

「仕方ありません。遊んであげて、かもめちゃん」


~~~


英玲奈「教団に力を貸せ、あんじゅ」

あんじゅ「クローン…?ふふっ、そっくりね。外のいざこざに興味はなかったけれど…」

「助力していただけるなら、今すぐに脱獄の手助けを」

あんじゅ「決めたわ、叩き潰してあげる。教団、あなたたちをね。英玲奈を…私の友達を、侮辱するな…!!」




【渦中、帰還する英雄】




ツバサ「見渡す限り敵だらけ。どうかしら?一時休戦、共闘っていうのは」

穂乃果「うげぇ、多っ…さ、賛成!とりあえず…メガシフト!!!」

【そして…】




絵里「お願い、雪穂…亜里沙を止めて。このままじゃ、あの子は世界を…!」



……





雪穂「そう、私は凡才だよ。英雄とか呼ばれるような、選ばれた人間じゃない。だけど…」

亜里沙「どんな終わりになっても、亜里沙は雪穂のことを愛してるよ。ずっと、ずっと」

雪穂「凡才だってなんだって、この戦いだけは負けられない」

亜里沙「でもね…もう駄目なの。止められない…大好きなみんなを、お姉ちゃんを、雪穂を…全部全部全部…!終わらせなきゃいけないの!!!」

雪穂「でも、お姉ちゃんと違ってわりとビビりだからさ、命を捨てる勇気はないんだ。だから…二人で。一緒に帰ろう!亜里沙!!!」




【To Be Continued】

終わり

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2017年04月07日 (金) 00:16:15   ID: oDUChKMQ

傑作
曜ちゃんパが好き

2 :  SS好きの774さん   2017年06月01日 (木) 00:12:41   ID: N9_SNYml

一日かけて読んでしまった。名作

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