キノの旅 「秀才の国前日談」「続・天才の国」(45)

キノの旅19収録の「秀才の国」「天才の国」のスピンオフ的なSSです

1話目 「秀才の国前日談」

私の最も幼い時の記憶は、自分が描いた赤色のゾウの絵を先生に叱られたことだ。

なぜゾウを赤色で描き、それをどんな経緯で先生に見せたかは全く覚えていないが、

「ゾウさんは赤色ではありません。なんで、灰色で描かないのですか」

ときつく言われたこと、そのせいでクラスの皆で動物園にゾウの写生に行くことになったことはよく覚えている。

その時、誰よりも熱心にゾウの絵を描いていた一人の少年がいた。

そいつは勉強は勿論のこと、スポーツも出来、同級生の中で最も「秀才」といっていいやつであった。

だが、そいつはもうこの世にはいない。

私が住んでいるこの国では、国が一括して教育を行う。

まず、産まれた赤ん坊はすぐに国が運営する保育施設に預けられ、そこでは育児のプロフェッショナルによってすくすくと育てられる。

しばらくすると、躾のプロフェッショナルや勉強のプロフェッショナルによる教育が始まり、学校も兼ねた施設の中で知識と共にルールやモラルを身につけることになる。

そして、15歳になった日に初めて親や兄弟、親戚に会うことになるのだが、この時にはもう教育のおかげで一人の立派な人間になっているというのがこの国の子育てシステムである。

私が、熱心にゾウを描いていた「秀才」な少年に対抗心を持つようになったのは、躾のプロフェッショナルによる教育が始って2年程たった頃のことだと思う。

施設の中では同じ年齢の子供達は6つ程のグループに分けられて「先生」と呼ばれる人から躾を受ける。しかし、「先生」による教育では十分な技量を身につけられなかった子供は、101号室と呼ばれる教室に集められ「特別指導員」による教育を受ける。

幸いなことに私は一度も101号室に連れていかれたことが無いのでどのような教育が行われているかは知らないが、「特別指導員」による教育を受けるとナイフとフォークの使い方がダメだった者は食事のマナーが、お辞儀の角度がダメだった者は朝起きてから夜寝るまでの挨拶が、クラスの誰にも負けないくらい完璧になって戻ってくる。

そんな「特別指導員」による教育を受けた者でもかなわない人物がいた。それがゾウを熱心に描いていた少年である。「彼」は礼儀の正しさは言うに及ばず、スポーツもでき、勉強も学年トップであった。

勉強やスポーツの成績が学年2位であった私が「彼」に対抗心を抱くのは自然なことであった。一方、「彼」は私を気にすり素振りを微塵にも見せなかった。

それが私の対抗心を徐々に妬みや憎しみの気持ちへと変化させた。

しかし、それを行動に示すことは一切なかった。

何故ならこの国では出来が悪いと見なされた人間は、不良品として廃棄処分されてしまうからである。

それがこの国の大人達が皆、ルールやマナーを尊び無駄な争いを起こさない規範良い人間であるトリックなのだ。

そんな国において、出来が良い人間に嫉妬して意地悪でもしようものならどうなるかは想像に難くない。

実際、授業中に歩きまわって先生の言うことを聞かなかった背の高い男の子や、男勝りでケンカばかりしていた小太りの女の子は101号室につれて行かれたきり戻ってきていない。

私は「彼」に嫉妬心を抱きながらも、規範に従う子供として過ごした。

それは俺や同級生が14歳になる年、つまり親や親戚に会えるまで1年をきるという年のある日のことだった。

「なぁ、ちょっといいか」

施設の廊下で突然、「彼」に話し掛けられた。

「え?何?」

「彼」はそれほど話したことがなく、曖昧な返事しかしなかった私を自分の部屋に入れた。そして真剣な表情でこう切り出した。

「ばかにしないで聞いて欲しいんだけどさ、この国って狂ってるって思わないか?」

私はなんて返事をするか迷った。「彼」は私を何かの罠に嵌めようとしているのだろうか。
いや、だとしたらもっと感ずかれないような巧妙な手段をとるはずだ。おそらく同意を求めているのだろう。

「そうか……俺も実は前からそう思ってたんだ」

私が受け答えすると、「彼」の表情は深剣なものから一気に明るくなった。
ちょうど、長年探していた同志を見つけたかのように。

「だよな、やっぱおかしいよなこの国。ルールが守れなかったり、すぐケンカを起こす人間を不良品と決め付けて処分するなんて。そういう人達だって一人の人間だし、なんというかもっと個性というか多様性が認められていいはずなんだ―――」

奴は暫く熱い思いを語ると本題を話し始めた。

「それでさ、行進をしようと思うんだ。パレードの日に」

「行進?」

奴の計画はこうだった。

今日から10日後の昼、施設から脱け出す。そして、王様の誕生日を祝うパレードで賑わう城の周りでこの国の教育の異常さを訴える行進をするというのだ。

「他に何人くらいいるんだ。その行進に賛成して参加するのは」

私の問いに奴はこう答えた。

「同じ学年で30人。他の学年も入れると200人はいる」

「なるほど。……でもこの施設を出てからでも遅くないんじゃないか?施設にいる間にそんなことしたら不良品児童と見なされて廃棄処分されちゃうんじゃないか」

「いや、施設を出てからじゃダメなんだ。今、施設にいる俺達がやるからこそ意味があるんだ。君も協力してくれるか?」

返すべき返事はひとつしかない。

「もちろん!」

その後、9日間「彼」の意見に賛同する者達でこっそりと集まって計画を練った。

皆、この国を変えて見せるという情熱に満ちていた。

そして、計画を実行する前日の夜、私は先生達がいる部屋へ行きこう言った。

「先生、明日のパレードを妨害しようとしている人達が居ます」

その後の出来事は良く覚えている。

翌日の昼、俺のリークのお陰で施設から脱け出そうとしていたバカ共が一網打尽に捕まった。
その内、殆どは数日のうちに戻ってきたのだが、何人かはしばらくたっても戻ってこなかった。

その中には俺に計画を持ち掛けた「彼」もいた。

恐らく、101号室で最も過酷とされる「考え方」
の教育を受けることになったのだろう。

結局、「彼」が戻ってくることはなく私は首席で施設を卒業した。

結局、「彼」が戻ってくることはなく私は首席で施設を卒業した。
恐らく「彼」は考え方を変えることができず、不良品児童としてなんらかの方法で処分されたのであろう。全くマヌケな奴である。

その後、私は両親がいる実家に移り5年程上級学校に通ってから難関の試験をパスして国の役人となった。

出向というかたちである地区の役場に勤めている冬の日のことだった。

私はきのう入国したという旅人に、この国の住民達がなぜ出来が良いかを説明することになった。

キノと名乗るその旅人は、モトラド(二輪車。空を飛ばないものだけを指す)を転がして応接室に入ってきた。

私が住民の出来が良い理由の根拠として教育システムを手短に説明すると、旅人ではなくモトラドの方が感想を述べた。

「なんだか、キノがいた国に似ているね」

私はどこが似ているのか気になったので詳しく尋ねようとしたが、旅人は

「ボクがいた国では12歳になると、頭を開いて脳の一部をいじるんだそうです。そうするとイヤなことでも笑顔でできる“ちゃんとした大人”になれると教わりました。それ以外は知りません」

と話すだけであまり詳しく語らなかった。その後、旅人はお礼を述べると役場から去って行った。

私は感動していた。どんなイヤなことでも笑顔でできるなんて素晴らしい。素晴らし過ぎる。

いくら秀才な人間でもイヤなこと、面倒くさいことは後回しにしがちだし、行うときは作業効率が落ちる。
だが、それを率先してやってくれる人がいたらどうだろうか。

やりたくないことはその人達に任せ、一般の人間は好きな仕事に専念すれば良い。そうすれば、この国ももっと発展するはずだ。

毎年一定割合で生じる不良品児童の脳をいじり面倒なことをやらせれば、一般人は生活が向上するし、不良品児童は廃棄処分されずに済む。両者とも得をするじゃないか。

旅人の話では脳のどこをどの程度いじるかは分からなかったが、本来廃棄処分されるはずの児童を使って実験をすれば何の問題もない。

私は早速、

『脳手術による不良品児童の性格最適化について』

というタイトルで提言書を書き始めた。

2話目 「続・天才の国」

俺の最も幼い頃の記憶は、子供がどこからやってくるのか母親に尋ねている場面だ。

もし他の国なら「鳥さんが連れてくるのよ」と言うか適当にはぐらかすところだが、この国では事情がかなり違うため、母親をひどく困らせてしまった覚えがある。

俺の住んでいた国は科学技術がかなり発達していた。

大半のことは機械にまかせているうえ、ほぼ全ての病気が治療可能であるため、住民達は何の不十分もなくのんびり生活していた。

しかし、大きな問題が一つあった。子供が出来なくなってしまったのだ。いつからそうなったのかは定かではないが、ある時期を境に住民夫婦の間に子供が出来なくなったらしい。

当時の住民達は、ベッドの上での古典的方法は勿論のこと体外で子供を作る技術の開発など可能な限りの方法を用いて子孫を作ろうとしたという。

だが、いくら研究を重ねても子供を作ることは不可能であった。そこで国は最終的な手段を用いることにした。

他国から子供を連れてくることにしたのだ。無論、拉致や誘拐といった物騒な手段は採らずに、「金」という平和的解決方法によってである。
貧しい国の若い夫婦や、暴力を振るいそうな夫婦の間に生まれた赤ん坊を、彼らの年収に匹敵する金額で買い取り国に連れてくるのだ。

この方法が開始された直後は、「赤ん坊を親から引き離すなんて可哀想」という意見もあったそうだが、国の存亡と秤にかけたのだろう、そんな意見はすぐに消えた。

その結果、俺の育ての親のそのまた育ての親の世代には義務教育を受けている子供が全員、他の国出身という状態になった。

その子供達が結婚する頃になると「他の国から来た人同士なら子供ができるのでは?」という淡い希望もあったようだが、他国出身同士の夫婦の間にも子供はできず、現在でも赤ん坊を他の国から連れてくるという方法が採られ続けている。

云うまでもなく俺や俺の周りの人達は皆、元々はどこか遠い国で産まれた赤ん坊なのだが、産まれた国の個性が残っている者もいる。

例えば、俺の育ての母親は「女の子は足が小さい方が良い」とかいう理由で足の指を丸め込まれていたため小指が大きく内側に曲がっていたし、隣に住んでた碧い瞳の男の子は、額に産まれた時に付けられた星形の傷があった。

俺はというと、黒い髪と瞳、肌は薄い褐色でこれといった身体的特徴がなにもない。

だからだろうか、小さい頃から「産みの親に会ってみたい」という気持ちが強くあった。

このことを友人達に話すと

「今更会ってどうするんだよ。金で子供を手放した親なんかにさ」

と言われるし、そもそも人口が貴重なこの国では特別な理由が無い限り出国が禁止されている(快適に暮らせるこの国から出ていこうとする者など、全くいないのだが)。

だが、俺の好奇心というか生物的本能が親に会いたいと求めているのだ。

だから俺は、合法的に出国できる「子供調達員」になることにした。「子供調達員」とはその名の通り、異国に赴いて赤ん坊を連れてくる要員なのだが並大抵の努力でなることは出来ない。常に危険と隣り合わせの旅道での対応や、連れてくる赤ん坊を見極めるために相当の体力と知識が必要となるからだ。

死に物狂いで勉強し、体を鍛えた俺は二十代半ばでなんとか「子供調達員」になることができた。

そのことを知ると、周りの人達は皆、俺のことを努力の天才だと讃えてくれた。

「子供調達員」として勤務するようになった俺は、機密資料をこっそり閲覧したり、赴いた国々で二十数年前にも子供を金で引き取ろうとする集団が来なかったか尋ねたりして、自分の産まれた国の手掛かりを掴もうとした。

そんなある日のことだった。
「子供調達員」は基本的に5人1組で行動するのだが、俺と同じグループだった1人がゆっくり過ごしたいという理由で辞めてしまった。

代わりにグループに入ってきたのはベテランの「子供調達員」はなんと、俺をどこか遠い国から連れてきた時のメンバーの1人だったのである。


俺はその「子供調達員」と二人きりになった時、思いきって

「俺の産まれた国は、一体どんなところだったんだ」

と尋ねてみた。

ベテラン子供調達員は

「私から聞いことは秘密だぞ」


と前置きをして答えてくれた。

彼によると、どこにあったかは全く覚えていないが、俺の産まれた国は小さい上に貧しく、子供の死亡率が高いため早くに結婚し沢山の子供を作るような所であった。

そして俺は、十代の夫婦の間に産まれた初めての子供で、その国から連れてきた唯一の赤ん坊であるらしい。

なんでそんなに詳しく覚えているか疑問に思ったので聞いてみた。

「それは、あれだ。私達がその国に行ったとき、たまたまそこを訪れていた旅人がいてな、赤ん坊を選別して君を引き取るところまで見学していったんだ。それで結局、その国を出た後に『天才発見器』の事を話したからだ」

『天才発見器』とは赤ん坊を選別するときに使う機械のことであり、その仕組みは他国の国民には教えてはいけない決まりとなっている。

それを旅人に話すとは、この「子供調達員」はかなり口が軽いらしい。

いや、これは幸運だ。俺はその旅人について何か覚えているとがないか尋ねてみた。

「あぁ、そうだな……。たしか、よく喋るモトラドに乗ってて、腰のホルスターに大きなパースエイダー(注・銃器のこと。この場合は拳銃)をぶら下げていたな。それと……そうだ!最初会った時は若い少年かと思ったんだが、よく見てみると若いおなごだった。このくらいしか覚えてないな……」


「そうか。ありがとう」

俺は礼を述べると、移動に使っているトラックに戻り、今聞いたことをメモした。

それから、2ヶ月ほどたったある日の夜。

赤ん坊を確保し国へ戻る道中、俺は皆が寝ているワゴン車を抜け出した。

そして、事前に調べあった近くにある大国に徒歩で向かった。


「そうか。ありがとう」


俺は礼を述べると、移動に使っているトラックに戻り、今聞いたことをメモした。

それから、2ヶ月ほどたったある日の夜。赤ん坊を確保し国へ戻る道中、俺は皆が寝ているトラックを抜け出した。

そして、事前に調べあった近くの大国へ月明かりを頼りに徒歩で向かった。

翌日の昼に目的の国に着いた俺は、持ってきた貯金で中古のオンボロバギーと旅に必要な道具を揃えた。丸3日かけてバギーを新品同様に修理するとすぐにその国から出国した。

自分の本当の故郷を探し求める旅が始まった瞬間だった。

産みの親は今、おそらく40代前半。いくら貧しい国の医療レベルが低いとしてもまだ生きているだろうし、仮に死んでいたとしても俺以降の子供、つまり俺の弟や妹がいるはずだ。絶対に見つけて会ってやる。

俺は取り敢えず、あまり行ったことがなかった東側へと向かった。

最初に行った国は俺の産まれた国ではなかった。そして、その次もそのまた次も。

出来るだけ多くの国を巡るため、俺は基本的には一つの国に3日しか滞在しなかった。

1人旅は危険なことが多かった。動物に襲われそうになったこともあったし、それ以上に人間に襲われることが多かった。初めはパースエイダーを人に向けることに抵抗があったが、そんなためらいはいつの間にか消えた。

病気になることもあった。そんなときは近くの大国に行ったり、それができないときは怪しげな民間療法に頼ることもあった。

いくつもの困難を乗り越え、俺は本当の故郷を求め、貧しい国から貧しい国へと旅を続けていった。

ある日のことだった。

深い森の中の一本道をバギーで走行していると、向こう側から1台のモトラドがやってきた。

運転手は若い少年だ。俺は手で合図をしてそのモトラド乗りを止めた。そして、驚いた。なぜならモトラド乗りは少年のような見た目だが、よく見ると少女だからだ。

その上、腰のホルスターには大口径のパースエイダーが収まっている。

あのお喋りな「子供調達員」の言っていた旅人はコイツのことか!

俺は軽い挨拶をすると、興奮を抑えながら自分が旅をしている経緯を話した。そして、俺が産まれた国に心当たりがないかを尋ねた。


「すみません、ボクには分からないです」

旅人の答えは俺を落胆させた。いや、少し考えてみれば、俺が引き取られた時点で少女だった人間が今も少女のはずがない。一体俺は何を興奮していたのだ。

「そうか。時間を取ってすまなかった」


そう言って俺は、次の国へと向かうべくバギーを発進させた。次の国こそ俺が産まれた国であると信じて。

十代中頃に見える少女は、今にも壊れてしまいそうなバギーとそれを運転する痩せこけた老人を見届けると、モトラドのアクセルを開き走り出した。

少し走るとモトラドが運転手に話し掛けた。

「ねぇ、キノ。さっきの人ってもしかして―――」


(了)


以上です。
キノの旅コミカライズ&再アニメ化おめでとう

因みに、2話目は作中でなんとなく暗示されているキノ不老説に基づいて書いてみました。

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