ヴィーネ「ガヴリールの大切なものって…何?」 (26)

ガヴは何かに頓着するタイプではない、と私は考える。
駄天使と化した今だからではなく、誰もが心惹かれるような天使だった頃からだ。

他人との関係がさっぱりしていて、手を離されたら縋ることもなく立ち去ってしまいそうな、そんなイメージがある。

そういったイメージから気になることがある。何が彼女の心を占めているのかということだ。
やっぱりネトゲだろうか。

家族とか友達とか恋人とか、人は誰もが心に誰かを住まわせている。趣味でもいいのかな。
それは人が明確な意思を持たずに生き続ける為に必要なものなんじゃないのかなと私は思っている。
天使でも悪魔でも、そういうところは人間と変わりないはず。

勝手に思っている枠組みにガヴを押し込んで考えるのはおかしいことだけど、気になるのだ。
彼女には誰かが住んでいるのかな。彼女は何を大切に思っているのかな。

私は、ガヴリールという個人が気になる。まだ出会って日は浅いのだし、日が浅いのだから、彼女のことをもっと知りたい。

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ヴィーネ「おはよ、ガヴ」

ガヴリール「……おはよ…」

夏休みが始まって5日ほど経った朝、そこそこ晴れの日、私はガヴの家を訪ねていた。
扉を開けて出てきたガヴの蝉の音にかき消えそうな声と、痛いほどの夏の光に負けないくらい暗いクマを見て、ため息をつく。

ヴィーネ「まーた夜遅くまでゲームしてたんでしょ」

ガヴリール「…正解」

ヴィーネ「部屋もどうせ散らかってるんでしょ。まず掃除したげる」

ガヴリール「さすがはおしかけ女房」

ヴィーネ「だ、誰がおしかけ女房よ!いいから顔洗ってきなさい!」

ヴィーネ「失敬。カーチャンだったか」

バカなこと言うガヴを放っておいて私は部屋へと上がりこむ。
ガヴが扉を閉めて、鮮明な蝉の音がくぐもったものへと変わったのを感じた。

この部屋の惨状を見てもうほとんど何も感じない事にある種の悲しみを覚えながら、私は散らかった部屋を掃除する。
黒いワサワサした生き物が現れないことを祈りながら。


ヴィーネ「あんた…こんな部屋でよく生活できるわね」


ガヴリール「慣れだよ慣れ」


ガヴリール「それにヴィーネちゃんが掃除してくれますし」


私はキッとガヴを睨みつける。


ガヴリール「ごめんって」


ガヴリール「しっかしまぁよくお世話してくれるよなヴィーネは」


ガヴリール「私だったら絶対にやらん」


ヴィーネ「以前のガヴならやりそうだけど」


ガヴリール「昔ならやってたかもな」


ヴィーネ「じゃあたとえば私がすっごく自堕落な生活を始めたら、ガヴはどうする?」


ガヴリール「ヴィーネが?」


ヴィーネ「私が。あと学校にもあんまり来なくなったりしたら」


ガヴリール「そーだなー。別にいいんじゃね」


ヴィーネ「・・・・」ムスー


ガヴリール「…なんだよむすっとすんなよ」


ヴィーネ「してないわよ!」


ガヴリール「してるだろ…あ!」


ヴィーネ「うわっ、な、なに?」


ガヴリール「馬鹿だなー私。ヴィーネが自堕落な生活を送り始めたら困るに決まってるじゃん」


ヴィーネ「え、え?」


ガヴリール「誰が私に課題を見せてくれるんだ!」


ヴィーネ「……」


ガヴリール「誰が私の家を掃除してくれるんだ!」


ヴィーネ「…腐ってんなー」

こういう所だ。こういう所が、彼女らしくもあり同時に怖い所だ。
私が本当に堕落した生活を始めても、学校に来なくなっても、私を訪ねてこないんじゃないだろうか。
たとえ訪ねてきても、その動機は「友達」だからじゃなくて「都合の良い存在」だから、なのかもしれない。


深刻に考える必要はないのかもしれない。冗談だと思うのが普通だ。
だけど、私とガヴを繋ぐ糸はとても脆いような気がしてならない。
本心が見えない。本来優しい性格だってわかってるんだけど、不安が募る。

ガヴリール「うん、うまい」


ヴィーネ「そう?よかった」


掃除を一通り終えた後、私たちは昼食をとっていた。もちろん作ったのは私だ。


ガヴリール「昼メシ食ったら眠くなってきた」


ヴィーネ「せめて皿洗いくらい自分でしなさい」


ガヴリール「ゔえー」


ヴィーネ「どっから声だしてんのよ。ほら、立って立って」


ガヴリール「立てない立たせて」


ヴィーネ「子どもかよ」

引っ張れと言わんばかりに伸ばした柔らかい手を握って重い腰を上げさせる。
ゆっくりゆっくり、ガヴはロボットみたいに立ち上がった。私は立ち上がったガヴの手を離すことなく、写真を眺めるみたいに彼女の顔をぼうっと見ていた。


ガヴリール「な…なに、この状況。恥ずいんだけど」


ヴィーネ「わっ!ご、ごめん!」


私は驚いて手を離した。なにやってるんだろう、私。


ガヴリール「…どしたの?」


ヴィーネ「え?」


ガヴリール「いや、ヴィーネやたらと遠い目をしてたから」


ヴィーネ「そ、そう?そんなことないわよ」


ガヴリール「ふーん」


ガヴは食器を持って洗い場へと向かう。
ガヴのことをぐるぐる考えながら過ごしているからあんな状態でも思索に耽ってしまった。それにしてもそんなにわかりやすく顔に出てたかしら…。

ガヴリール「また遠い目してるぞ」


ヴィーネ「わっ!」


ガヴは食器を洗って濡れた手をジャージで拭きながら戻ってきた。


ヴィーネ「あ、洗い物もうおわったの?!」


ガヴリール「もう…?やっぱ今日お前ボーッとしすぎ」


ガヴリール「熱でもあるのか」


ヴィーネ「なっ…!」


まだ少し濡れた手を伸ばして私のおでこに触れる。


ガヴリール「なさそうだな」


ヴィーネ「せ、せめて拭いてから触れなさい!」


ガヴリール「お、ちょっと熱くなった」


ヴィーネ「ばか!!」

ガヴリール「なんか知らんけど、宿題、やるんだろ」


ヴィーネ「…あ、あぁ、そうね」


忘れていた。どうせガヴは夏休み最終日になってから私に宿題を見せろと言ってくるに違いないから、出る芽は先に摘んでおこうと私はやってきたのだ。
掃除にご飯に、ガヴの世話をしにやってきたのではない。


ガヴリール「学生たるもの勉学に勤しむべし」


ヴィーネ「説得力ないわね」


ガヴはいそいそと教科書やらプリントやら筆記用具やらを取り出してきた。


ガヴリール「さあやるぞ!」


ヴィーネ「ど、どうしたの?ガヴの方が熱あるんじゃ…」


ガヴリール「ヴィーネ!」


ヴィーネ「は、はい!」


ガヴリール「昨日をもってしてネトゲの期間限定クエストは終了した!」


ガヴリール「次のキャンペーン、経験値1024倍キャンペーンが始まるのは明日の19時から!」


ガヴリール「つまり!」


ヴィーネ「つまり…?」


ガヴリール「宿題へのモチベーションが存在する余地があるのは今だけなんだ!わかるか?!」


ヴィーネ「…よくわかりません」


ガヴは本当にそう思っているのだろうか。いつもの彼女ならゲームの間にゲームをやってそうなものだけど。自発的に勉強するだなんてありえない…は流石に言い過ぎよね。
私が怒りだすから、だったらやだな。

私たちは宿題を始めた。ガヴができるところは自分でやらせて、わからない場所は私が教える。いつもの風景。
ガヴは普段勉強をしないだけで、決して賢くないわけではない。彼女が本気を出せば私の学力なんて簡単に飛び越えていくだろう。


ガヴリール「ヴィーネ、ここわからん」


ヴィーネ「えっと、ここはね…」


エアコンが冷たい空気を運ぶ音と、ペンが文字を連ねていく音、教科書のページがめくられる音、遠くから聴こえる蝉の音、時々交わされる会話。
不規則ながらも規則的に存在するかのような音たちに感化されたのか、思わぬ言葉が漏れてしまう。


ヴィーネ「ガヴリールはさ…」


ヴィーネ「…大切なものって、ある?」


ガヴリール「…は?なに、急に」


しまった、口に出してしまった。という焦りが私を支配していく。
ここで止まってしまうともう先がないような気がして、焦りに飲み込まれそうな言葉を押し出すような形で声にする。


ヴィーネ「ガヴリールは…何を大事にして過ごしてるのかなって……!」


ガヴリール「……」


ガヴは少しだけ目を細めた。問いを切り出した時の怪訝そうな顔はもうなくなっていた。


ガヴリール「…ネトゲかな」


ヴィーネ「…ですよねー」


ガヴリール「こっちの娯楽はスゲーよな。あっという間に駄天しちまった」


ガヴリール「天使学校を首席で卒業した私をここまでダメにしたんだ。人間恐るべしだよまったく」


ヴィーネ「…そうね。あんなに天使だったガヴをここまで落とし込んだし、私も同じことを思うわ」


「……」


会話が終わると示し合わせたように、それぞれが自分の課題へと向かっていた。
私は想像通りの答えに、問いを続ける意思が折れてしまった。
全身の力が抜けて、気怠くて、思考に蓋をされたかのような酷い感覚。怒りでもなく、悲しみでもない、この感情はなんなのだろう。


私はガヴの答えに何を期待したんだろう。何が大切であって欲しかったのだろう。

ガヴリール「おわったー!」


ヴィーネ「おつかれさま」


ガヴリール「いやぁ~私ってやればできるんだなって再認識したよ」


ヴィーネ「普段からちゃんとやりなさい」


ヴィーネ「しかもまだ一つ終わっただけだからね。気を緩めないように!」


ガヴリール「へいへい」


ガヴは立ち上がって体を伸ばしながら窓際まで行き、閉めっぱなしだったカーテンを開ける。
眩しい光が差し込むのではないかと思い目を細めたが空は薄闇に染まっていた。時計を見ると19時だった。


ガヴリール「いつの間にこんな時間に…」


ヴィーネ「もう遅いし、私そろそろ帰るわね」


ガヴリール「もう遅いし、泊まっていけば」


ヴィーネ「…あんた、私に夜ご飯作らせたいだけでしょ」


ガヴリール「皿洗いはするよ」


ヴィーネ「まったく…食材は?」


ガヴリール「昼でつきた」


ヴィーネ「買いに行きましょうか…」

夕ご飯の買い出しに行くために私たちはスーパーまで歩いている。
ずっと向こうに見える山々に吸い込まれていく茜色が夜の訪れを示している。


ガヴリール「蒸し暑いな」


ヴィーネ「そう?日中よりはだいぶましだと思うけど」


ガヴリール「日中は外に出ないからわからん」


ヴィーネ「コケ生えるわよ」


ガヴリール「えっ、生えないよな」


ヴィーネ「家にずっと引きこもってる人の体にコケが生えたってテレビで見たわ」


ガヴリール「マジで!? これから風呂の時念入りに体洗おう…」


ヴィーネ「いや外に出ろよ」

ヴィーネ「ガヴ、何食べたい?」


ガヴリール「ヴィーネが作ってくれるならなんでも」


ヴィーネ「調子いいわね」


ガヴリール「本心だよ本心」


…本心。その言葉に身体が固まる。ガヴの本心。霞がかった場所。


ヴィーネ「ほんとにそう思ってる?」


ガヴリール「思ってるよ」


ガヴリール「他人の家掃除してくれて、宿題も一緒にやってくれて、飯まで作ってくれる」


ガヴリール「そんな天使みたいなやつに嘘つくかよ」


じわり、と何かが染み出したのがわかったのと同時に、醜い私の本心に気が付いた。
彼女のことを知りたい、そんな言葉で覆い隠した私の本心はこんなに独りよがりなものだったのか。


ヴィーネ「ねぇ、ガヴ。もう一度聞いてもいい?」


ガヴリール「ん、なんだ」


ヴィーネ「ガヴリールは…何を大切にして過ごしてる?」


ガヴリール「……」


ガヴリール「…ネトゲかな」


ヴィーネ「…」


いくら夏の夜であっても、涼しいわけじゃない。
それでも、胸の真ん中あたりが冷えていく。夏の香りも熱も、全てが沈静する。


ヴィーネ「ずっと、引っかかってることがあるの」


ヴィーネ「私たちは…友達なのかなって」


辺りが一層暗くなって、夜に飲み込まれそうになった気がした。

ヴィーネ「ガヴリールは家の掃除しないし、課題もやらないし、ネトゲばっかりやってるし」


ヴィーネ「自分勝手だし、いっつも無愛想だし、そっけないし」


ヴィーネ「…時々わからなくなるの、ガヴリールの中で、私はどんな存在なのかが」


ヴィーネ「私はただ都合の良い存在なだけなんじゃないかって」


ヴィーネ「友達…じゃないのかなって」


ヴィーネ「友達だと思ってるのが私だけなんじゃないかって、不安になるの」


鬱積していた気持ちが際限無く言葉として溢れ出そうになる。
少しでも不安を押し出せば気持ちが楽になるものだと考えていたけれど、酷いものだ。
審判を待つように、身体が震える。


ガヴリール「…なるほどな」


ガヴリール「今日1日変だった理由はそれか」


ガヴリールは物思いにふけるように暗い空を眺めている。
今の彼女の後ろに重心のかかった気怠そうな立ち姿は、やはり昔のような面影は無い。
重力に逆らおうとしないその瞳は、やがて私を捉えた。


ガヴリール「…そうだな」


ガヴリールは口を開いて、語り始める。

ガヴリール「昔の私は出来る子だったろ」


ガヴリール「出来る子っていうのは色んな人に頼られるんだ」


ガヴリール「それは嬉しいことだった」


ガヴリール「けどさ、誰かを頼るっていう行為にはそいつに責任を押し付けている側面があると思うんだ」


ガヴリール「自分のできないことを誰かにお願いして、そいつが失敗したら白い目で見るんだよ」


ガヴリール「私の勝手な理想像を創り上げて、その通りじゃなかったら文句を言うんだぜ」


ガヴリール「今まで色んな人から頼られたよ。その中にはそういう奴もいた」


ガヴリール「色んな奴から頼られてるとさ、自然と色んな奴を見るようになる」


ガヴリール「そうすると目が肥える…とでもいうのかな、こいつはどういう奴なのかっていうのが少し話すとなんとなくわかるようになってきたんだ」


ガヴリール「薄汚れたフィルターみたいなのがかかっちまって、駄天する前から少し辟易としてたな」


ガヴリール「…だからさ、その…」


ガヴリール「…そういうことだよ」


ヴィーネ「…ん?」


ヴィーネ「全然わからないんだけど」


ガヴリール「察しろよ!」


ヴィーネ「だって今の話に私出てきてないじゃない!」


ガヴリール「だ、だから……」


ガヴリール「…~~~あ~~!!」


ガヴリール「私がヴィーネに出会った時、こいつは良い奴だってすぐわかったんだよ!」


ヴィーネ「えっ…」


ガヴリール「…初めて会った別れ際、なんて言ったか覚えてるか」


ガヴリール「友達になって欲しいって、私言ったよな」


ガヴリール「知らない場所で友人がいない状況が怖かったのは事実だったけど、それ以上に」


ガヴリール「それ以上に、お前がいいやつだってすぐわかって……仲良くなりたいと思ったんだ」


ヴィーネ「ガヴ…」


ガヴリール「実際ヴィーネは私が落ちぶれていっても今こうして一緒にいてくれてる」


ガヴリール「私の目に狂いはなかったということだ」


ガヴリール「自信持ちなって。私とヴィーネは友達だ。それに..」


ガヴリール「…ヴィーネみたいな良い奴、他にいねーよ」



全てが氷解していく。心からの安堵に大きなため息が漏れる。
じわじわと温かな気持ちが染み出して、途端に身体が夏の熱に支配される。
なんてくだらなかったのだろうか。なんて馬鹿馬鹿しいのだろうか。

ヴィーネ「……う、うう」ポロポロ


ガヴリール「えっおい大丈夫か」


ヴィーネ「わああーーーーん!!!」ダキッ


ガヴリール「ちょっ!急に抱きついてこないでよ!」


ヴィーネ「だって!だってえー!!」ポロポロ


ガヴリール「よしよし。不安だったんだろ。安心したんだろ」


ガヴリール「馬鹿だよ、お前。初めから意味のないこと気にしてさ」


ガヴリール「悪かったよ、いつも素っ気なくてさ。ヴィーネの優しさに甘えすぎてたよ」

ガヴリール「泣き止んだ?」


ヴィーネ「うん…もう大丈夫」グスッ


ガヴリール「じゃあそろそろ離れて」


ガヴリール「さっきから通行人の目が痛い」


ヴィーネ「…やだ」


ガヴリール「え、ちょっとヴィーネ」


ヴィーネ「優しくしてくれるまで離さないから」


ガヴリール「えぇ…なにすればいいんだよ」


ヴィーネ「ガヴが考えて」


ガヴリール「え~…。んじゃ手、繋ぐか?」


ヴィーネ「うん!」


ガヴリール「こんなんでいいのか…」

ヴィーネ「ふんふんふ~ん♪」


ガヴリール「急に元気になったな」


ヴィーネ「だって安心したんだもん」


ガヴリール「なんかヴィーネが幼くなった気がする」


ヴィーネ「そんなことないわよ」


ヴィーネ「ガヴはさっきからずっと下向いてるけど、大丈夫?」


ガヴリール「大丈夫だよ。ただ…」


ヴィーネ「ただ?」


ガヴは大きく天を仰いで、独り言のように呟く。


ガヴリール「……空が暗くてよかった」




「心模様」 完

以上となります。不慣れなので見づらい所が多くてすみません。
お目汚し失礼しました。

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