伊織「夫婦を越えていけ」 (26)
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あなたは今幸せ?
そう問われたとしたら、この私ーー水瀬伊織はこう答えるでしょうね。
「ええ、幸せよ」
世界にとって自分なんてなんてちっぽけだと教えられ、それでも捨てきれなかったプライドと支えてくれる仲間、時には引っ張られ、引っ張ったパートナーが私の周りにいてくれて、一つの夢が終わって、また新しい夢を追いかけ始めた私をあたたかく見守ってくれる、そんな人たちが私の周りにはたくさんいてくれた。
これを幸せじゃないだなんて、とても言えない。
あなたは今寂しい?
そう問われたとしたら、私の答えは真逆になるわね。
「ええ、寂しいわよ」と。
20も後半の、そろそろ曲がり角が気になるそんな女が年甲斐もなくセンチメンタルになるのは、今日のお昼に親友から貰った1本の電話がきっかけだったわ。
電話の内容はやよいが妊娠したとのことであった。
三ヶ月とのことで、弾む声と喋りが、その喜びの大きさを私に教えてくれたわ。
同級生が先に結婚して、しかも子供を授かるというのは、小鳥から「辛い」とは聞いていたが、まさかこれほどのものとは思わなかった。
アイドルを引退して、第二の人生として選んだ社長兼プロデューサーという職はようやくなんとか形になってきたところで、所属アイドルも事務所の予算も、考えるだけで青くなってしまうというほどではない。
むしろやっと実ってきたというべきか、ここ最近は忙しい日々が続いている。
アイドルという形で私は「水瀬」に挑み、私は「水瀬伊織」を証明した。
だから次はお父様やお兄様と同じ土俵で、また「水瀬」に挑んでみたかった。
あいつや律子とは商売敵になってしまったけれども、まぁぼちぼち仲良くやらせてもらってるわ。
24の時に会社を興したから、もう5年目かしら。そこまでずっと走り続けたからか、やよいと違い、私は妊娠どころか結婚さえまだだった。
愛した人の子が、自分のお腹の中にいるってどんな気分なんでしょうね?
多くの人と出会うこの業界、まぁ元アイドルで、この歳になって自分で言うのも何だけれど人よりも綺麗なのでよくそういう意味で声をかけられる。
ロクでもない、馬の骨以下みたいな奴もいる一方で、誠実で真面目、仕事は丁寧だし気配りも上手で、頭も良いみたいな絵に描いたような「良い人」もいる。
しかしいっぺんたりとも、私はそういう人たちとそういう関係になったことがないの。
「その人とキスしてる自分が思いつかない」
なんてこの歳で言ったら苦笑いでは済まず、
特に春香なんかは大笑いしそうな理由だ。
しかし、よ。
思いつかないものは思いつかないんだし、そしてそこを妥協するのもなんか違う気がする。
なので、私の返事はいつも決まって「ごめんなさい」であった。
そうして普通の人なら折り合いをつけて生きていくところを生来からのそれで逃し続けて未だに私は独り身なのだ。
お寒い話である。
そんな寂しい私を、冷たい夜風が容赦なく吹き飛ばそうとする。
明日は冷えることだろうし、なんなら今日の夜も寒くなることは間違いないだろう。
もう一枚毛布出してもらおうかと、長年勝手に居ついた同居人の顔を思い浮かべる。
独り身と言ったくせに同居人がいるとは、私のちょっと爛れた生活を思い浮かべた人たちはとりあえず正座してちょうだいな。
あいつはね、そういうやつじゃないもの。
あいつは、女の子だものね。
……いや同い年だから女の子って歳でもないか。
「ただいまー」
「おかえりなさいなの。今日は遅かったね」
「んーちょっとね。レッスンしてるのを見てきたし」
「へぇー」
と、私を今時ドラマでもやらないような玄関でお出迎えしたのは、765プロでの私の同期、星井美希だった。
光輝いていた金髪は、年相応の艶のある黒髪に。癖っ毛だったのがストレートにと、アダルトな雰囲気を感じさせるがお肌の感じや顔の雰囲気は10代の頃から変わらず、なかなかにアンバランスな魅力の女性へと成長していた。
「ご飯にする?それともお風呂?」
「先にご飯から頂こうかしらね」
「そう言うだろうと思って、もう準備してたよ。今日はね、じゃがいもが安かったから肉じゃがだよー」
あの頃の美希を知るものならばみんな驚くことでしょうね。
だってこんなにも家庭的になるなんて、誰も予想していなかったでしょ。
お米の炊き方どころか包丁でものを切るのでさえ、おっかなびっくりだったのに。
今ではお肉は硬くならず、じゃがいもも崩れず。
どこに出しても恥ずかしくない肉じゃがを作れるような立派な女性になるだなんて。
食事だけではない、掃除も洗濯も、家事全般お手の物だ。
美希がいなければ、私の生活は酷いことになっていたでしょうね。
片付けてくれる人はいないから脱ぎっぱなしの汚しっぱなし、作ってくれる人も当然いないから料理もない、外で食べるにしたってこんな時間に開いてるような店はこの辺にはない。居酒屋やバーで夕飯というのもなんだかなぁといった感じで、24時間どこでも開いてるコンビニ弁当になり。
汚い家、片寄った食生活、お肌は荒れるわ、ストレスは溜まるわと散々なことなっていたはずだわ。
そう考えると美希様々ね。
美希がいてくれたから、こうやって人間らしい生活が出来てるわけだし。
そうやってテーブルからパタパタ準備する後ろ姿を見ていると、私の視線に気づいたのだろうか。美希がこっちを振り返る。
「どーしたの?ミキのこと、じっと見て。もしかしてもしかしてミキに惚れ直しちゃった?」
「そうだ、って言ったらどうするのよ」
「……照れちゃうの」
もう30も近いというのに、こんな可愛らしい仕草が似合うなんてビックリしちゃう。
アイドル時代の癖か、それとも天性のものなのか。どちらでもいいが、プロデューサーとしての立場から見たら本当にもったいない。
あいつも苦労したことでしょうね、こんなの。
自分が考えに考えて頭ひねったプロデュース案よりも、あくびしながら笑うだけのほうがみんなに気に入られていく。
若さと才能を持て余した、誰もが恋せずにはいられないそんなアイドルだったのだから。
あの頃の時を思いだすと今でも少しドキドキしてくる。
私の若さゆえの傲慢さと、信じられないくらい謙虚になった今とのギャップに。
あの頃の私は、この世の全て余すことなく自分は手に入れられると思ってたし、そう信じていた。
トップアイドルの称号だって、前にいる美希を超えて掴み取れると信じてた。
しかし今はどうなのかしら。
そこまで自分を信じられないというのが、一番最初に返ってくる。
それほどまでに世界は大きく、私はちっぽけだった。
自らが不自由だと理解すること、これが大人になるということになるだろう。
今ならば私たちの歌ってたあの「おとなのはじまり」に込められた想いに気づける。
手始めに私たちを縛る化粧や服装といった「不自由」が、私たちを縛って大人にしていくこと。
あの作詞家の先生もなかなかにやるもんね。
今度何かあったらまたお願いしましょう。
そんなことを考えられるくらい大人になってしまったんだなーと改めて感じてしまう。
昔は飲めなかったコーヒーは、今ではあの時飲んでたオレンジジュースの代わりに飲んでいる時がある。
朝起こしてもらうのは変わらないけれども、何もかも人任せじゃなくて、自分である程度して会社に向かう。
着いたら、消したら増える書類に目を通し、とりあえず山を一つずつ減らしていくことに注力する。
間を見計らってあの子達の出てるレッスンなり番組だったり、CDを聞いたりする。
あの時は、「社長っていつも見ないけれど何してるのかしら」って思ってたけれども同じとこに来たらよく分かる。
見えたらまずいのだ、会社的に。
思えば遠くまで来たものよね。
まぁ、それもそうよね。
やよいが赤ちゃんを授かるぐらいなんですもの。
「そういや聞いた?やよいの赤ちゃんの話」
「ええ、本人から直接電話でね」
「やよいに似てすっごく可愛いはずだから産まれたらすぐ観にいこうよ」
「そうねー、懐妊祝いとか何持っていけばいいのかしらね」
「無難にオムツとかは?ミルクだと気に入らない味だったから可哀想だし」
「なるほどね。……っていうか、なんだかんだ私らが最後ね、結婚してないのも、子供がいないのも」
「小鳥が残ってるの」
「一昨年結婚したでしょ」
「そうだっけ?」
「そうよ」
なんて他愛のないことをを話しながら、肉じゃがとご飯をいただく。
うん、今日も美味しい。
食後のゆったりとした時間。雪歩から貰ったお茶をいただきながら、美希が私にこう尋ねてきた。
「伊織はどう?」
「どうって何がよ」
「結婚したい?赤ちゃんって欲しい?」
「……それを私に聞くのね」
「聞いてほしそうな顔、してたから」
「してないわよ、んな顔」
「してたよ。もう10年一緒にいるんだもん。分かるよ、そんなこと」
真っ直ぐな目が、私を見つめる。
「ねぇ伊織はどうしたいの?」
私が自分のそれを察したのはいつだっただろうか。おそらく15歳か、そこらへんだったと思う。
周りの子が、自分の担当プロデューサーに惹かれていってる時に私だけがそうならなかったってのが理由だけども。
別に私が、自分の担当のプロデューサーを嫌いだってことじゃないのよ。
私をアイドルにしてくれた、私のかけがえのないパートナー。
尊敬こそすれど嫌う理由なんてどこにもなかった。
売れだしてから色んな男の人に声をかけられたわ。同い年の男のアイドルユニットのリーダーとか、流行りの俳優と他にもたくさん幅広くね。
でもね、本当に私にはその人たちと自分がキスしている姿が思いつかなかったの。
その時は別に特になんとも思わなかったのよ。「自分にふさわしい男がいないのが悪い」と恥ずかしげもなく思っていた。
ハッキリと自覚したのは19歳。
アイドルを引退して訪れた、外国で。
そこには男性同士、女性同士、もちろん男女の恋人同士が自然に手を繋ぎ、愛を語りあっていた。
あぁ、本当に世界は大きい。
私はその時、「常識」とかいう不自由に縛られてるんだってことに気づいたわ。
とんでもない大きなカナヅチで頭をぶん殴られたような、そんな気分だったわ。
そうか、そうだったのかと、ようやく分かった気がした。
私はレズビアンなんだ。
だからといってショックではなかった。
むしろスッキリした気分だった。
そして明確に女性が恋愛対象だと自覚したからって、私は何も変わらなかった。
765プロのみんなは素敵な人たちばかりだったけれども、それでも私にとっては良き仲間のままであったし、これからもそうだと信じていた。
でもね、たった一人だけ変わってしまったのがいるの。あいつのことだけどね?
きっかけはたぶん、プロデューサーの結婚式でのこと。
久しぶりに全員集まったってのもあってか、事務所で行われた二次会は大盛り上がりだった。
だからかしらね、私たちの誰1人あいつの気持ちに気づいていなかった。
思春期にかかる流行病みたいなもんじゃなくて、心の底からプロデューサーに恋して愛していた美希に。
そこから美希が何を思ったのか、考えたのかは分からない。
ただ自然と美希は私の旅行に着いてきて、帰国してからも私と暮らしだした。
それが何を思ってのことかは、私には分からなかった。
でもね、美希との旅行は楽しかったわ。
アイドルにいた頃と変わってない顔だったり、変わった顔だったり、はじめて見る顔にたくさん見られて。
1人での旅も悪くなかったけれども、何かを語り合える相手がいるってのはまた格別ね。
だって楽しいことは2倍になるんだもの。
そんな時間を過ごしたからかしらね。私が美希へと惹かれていったのは。
お笑いぐさよね、事務所のみんなにそんな気持ちなんてもたないって言っておきながら、そうなってるんですもの。
ただ近くにいるだけで、一緒に暮らしてるだけでいいってのは、さすがに少女趣味かしら。
もし聞いてしまってこの関係が終わってしまうのかと思うと、怖くてできなかった。
そして聞けないまま、こんなに経ってしまった。
検討はついている、たぶんプロデューサーのことなのだろうと。
私を見るときのあいつの目は、私を通して誰か別の人を見ている時がある。
プロデューサーと使うはずだった時間を私に使っているのだろうと。
そうだと分かっていても、私は何にも言えない。
「私のことを好きになって」だなんて言えるわけなかった。
困らせたくないのが半分、どうせ受け入れられないからと諦めた思いが半分。
「私がどうしたいか、ね」
「そっ。伊織がどうしたいか。どうなりたいかって言いかえてもいいかも」
「あんたからそんな哲学的な言葉が聞けるとは思わなかったわ」
「伊織」
「……分かってるわよ」
そう、答えなんて最初から決まっていた。
旅行の時、美希の笑顔を見たときからずっと。
でもそれはあまりにも大それた望みだった。
今の、私たちが住むここがそんなに優しくないことは作る側ならよく知ってる。
私は生き方としてそれを選んだけれども、その旅に美希を連れてはいけなかった。
大人の「不自由」が私を縛る。
幼い私なら気づかない、もしかしたら無視してたかもしれないそれを、私は受け入れるしかなかった。
だから、私の今の望みは。
「会社があって、仕事があって、あの子たちがいて、……そしてね、この暮らしがずっと続けばいいと思ってるわ。何も変わらなくていい。悪くなるのは嫌だけど、そんなに良くならなくてもいい」
永遠の停滞、それこそが私の望みだった。
朝起きて、美希が作ってくれた朝食を食べて、事務所に着いて、仕事して、美希が作ってくれたお弁当食べて、あの子たちのレッスンをちょっと覗いて。
そして家に帰ってきて、美希が用意して待っててくれた晩ご飯を食べて、暖かいお風呂に入って、そして寝るの。
そんな日々が続けばいい。明日が今日になって、今日が昨日になっても何も変わらなくていい。
飽きるような退屈な日々を、私は今の全部と、そして美希とずっと過ごしていたい。
「
「美希がいても、いいの?」
「あんたがいないと、はじまらないわよ」
これが私の精一杯。
「好き」でも「愛してる」でもなくて、「ずっといたい」
それが私の選んだ、私の生き方。
私はいつか来るだろう終わりの時から全力で目をそらす。
私はそれを終わらせない。
私が終わったと思わなければ、それは永久なのだから。
子供じみているだろうか。……それでも、私は。
あなたは今寂しい?
ええ寂しいわよ。
1+1の答えが2だと分かっていながらも、私は2を作れない。どこまでいっても私とあの子は1+1のままなのだから。
あなたは今幸せ?
そう聞かれたなら、私はきっとこう答えるだろう。
「ええ、とっても」と。
ここが私の幸せの終局地点。
なら次に私がしなければならないことは、これを守っていくこと。
私の新たな人生の指標。
きっとこれが、水瀬伊織だから。
お読みいただきましてありがとうございました。
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