【艦これ】<霧の中で>他短編 (48)
艦これの短編です.明るいものと暗いものが混ざっています.
それぞれの話の間には基本つながりはなく,設定のゲームとは異なるものが多数あります.
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1483193788
<霧の中で>
現在、鎮守府近海の哨戒任務に携わっている朝潮。海に出て、万一の襲撃に備えて見張る任務である。
今回の自分の持ち場は、小さな孤島周辺。敵がひそんでいないとも限らない、絶妙な位置に浮かんでいる孤島だ。朝潮は孤島に到着し、上陸はせずに、島の周りをとりあえず1周する。
嫌な予感がした。次第に不明瞭になっていく視界。空気は重く、体が濡れていくのを感じる。海に出るものなら、もう慣れたものだ。海霧である。
無線で提督に連絡をし、孤島にて霧が晴れるまで任務を継続するという司令を受けた。朝潮はとりあえず、島に上陸する。霧がいつ晴れるのかは分からない。艤装の燃料を多少でも節約したかったためだ。
島の中を、海辺に沿って歩く。普段は艤装でスイスイと一周する島も、こうして自分の足で歩くとなれば、結構時間のかかるものだ。まして、岩場を歩くというのは、海に出てばかりの朝潮にとって、初めてに近い経験である。朝潮は、その非日常的な岩場を歩くのが次第に楽しくなってきた。身の回りに注意を傾けながら任務は続行しているが、それと同時に、この不安定な岩場を楽しく歩き、島を一周する。
チラリと目に入る、奇妙な影。朝潮は、さっきまでのお遊び半分の状態を切り替え、武器を構える。影を凝視しながら同時に周りにも気を配り、朝潮はその影に近づいていく。疑念が次第に、確信へと変わっていった。深海棲艦が、そこにはいた。
周りに仲間がいる様子は今のところ見えない。しかし、いないと断言できるわけでは決してない。もしも目の前の深海棲艦が武器を構え、鎮守府に攻めこむ準備をしているのであれば、朝潮は瞬時に海に出て、鎮守府に連絡を入れていただろう。しかし、目の前の深海棲艦からは、そんな敵意を感じない。それはただ、岩に腰掛けて、海の方を眺めているだけなのだ。
海に出ようか、陸に留まろうか。また、鎮守府に連絡を入れようか、様子を伺おうか朝潮は迷う。そうしていると深海棲艦は急に、クルリと朝潮の方を向いた。朝潮はぎょっとし、反射的に武器をむける。しかし、深海棲艦は朝潮をしばらく見た後、再び海の方を向く。
再度身の回りを確認するが、味方の存在は感じられない。朝潮は緊張しながら、その深海棲艦に近づいていく。霧に隠れた姿が段々と鮮明になっていき、適当な距離を取り、朝潮はそこに座って戦闘に構えた。再度身の回りを確認したが、味方の存在は感じられなかった。
深海棲艦は相変わらず、海をじっと見つめている。朝潮は、この深海棲艦を見ていると、今この瞬間だけは、敵であるようには感じられなかった。朝潮自身が、この海霧の状況下での任務を楽しんでいるのと同じように、この深海棲艦も、どこか、この状況を楽しんでいるのではないかという風にも感じた。朝潮は、警戒を少々ほぐし、海を眺める。海霧というものは海に出る者にとって、死の引き金ともなる恐ろしいものだ。しかし、こうやって腰を据えてこの海霧を眺めると、この視界いっぱいに広がる淡い白色の風景はどこか神秘的で、鳥肌が立った。
「キレイ」
急に、隣の深海棲艦が声を発する。あまりに急なので朝潮は空耳かとも思ったが、そうではない。「キレイ」と、もう一度彼女は声を発した。
「はい、とても綺麗ですよね」
朝潮は返事を返したが、その返事は帰ってこない。敵だからと諦め、武器を手に、朝潮は海霧を眺めた。長くこの風景を見ていると、段々と視界がぼんやりと歪み、しかし実際に目の前はぼんやりとしているがためにその区別がつかず、頭が酔ってくる。そんな夢現の状況のさなか、朝潮の肩に何かが触れた。
「キャッ!」
「ウワッ!」
肩に触れてきたのは、隣の深海棲艦だ。いくら普段から戦っているとはいえ、こんな手の届く位置まで近づいたのは初めてのことであり、朝潮は、一瞬身構える。しかし彼女は朝潮の真横に腰を降ろすと、再び、海霧を眺める。そして、朝潮もそれに習った。よく見ると、彼女は何一つ武器を身につけていない。こんな彼女に対して武装するのがバカバカしくなり、朝潮は、武器を膝の上に置いて両手でそれを抱えた。
「私は、この霧のために、今は任務を中断しているんです。あなたは、何をしているのですか」
朝潮は、自分の嘘を少し後ろめたく思いながらも、彼女に話しかける。
「・・・キブン」
「気分ですか・・・ちょっと、わかります。そちらの鎮守府は、どんな感じですか」
「・・・」
彼女は下を向き、考えこみ、やがて言葉を発した。
「コワイ」
「怖い・・・なにか、あったのですか?」
「・・・センソウ、ダカラ」
この一言が、それまでほんわかしていた朝潮の心情に、暗い影を落とす。これは戦争、殺し合い。実際朝潮は、何度も深海棲艦に向かって弾を打ち、何度も敵を沈めた。その度に、勝利を喜んだ。しかし、その沈んだ深海棲艦にもそれまでの生涯や、大切な守るべきものがあるのだ。気がついてはいたが、忘れたこと。朝潮はそれに再び気がつく。実際、目の前にいる彼女も、そうやってとり残されてしまった1人なのかもしれない。
「・・・ホントウハ、タタカイ タクナイ。デモ、タタカワナイト イケナイ」
「・・・私も同じです」
朝潮には、大切な人も、守るべきものもある。それは妹であり、提督であり、鎮守府の仲間である。しかしそれらは、そもそもこの戦争がなければ、相手を殺してまで、誰かの大切なものを壊してまでも守ることなど、本当はないのだ。自分の大切なものを守るために、相手の大切なものを壊すことの愚かさに、朝潮は気づいてしまった。
そう、思いを巡らしていると、朝潮の視界は、今まで以上に曇り、不明瞭になった。頬に涙が流れるのを朝潮は感じた。そんな朝潮の背中を、深海棲艦はそっと撫でた。
「・・・ありがとう、ございます」
「ダイジョウブ?」
「はい。あなたのおかげです」
深海棲艦はニコリと微笑み、やがて、元の無表情に戻る。それを見て朝潮は涙を拭い、立ち上がる。
「カエレ」
「・・・そうですね」
辺りを見れば、だいぶ開けてきたこの海霧。朝潮は海に飛び込み、後ろに振り返ることなく、鎮守府を目指す。
「司令官。霧が晴れたので、今から鎮守府に戻ります!」
「了解。気をつけて戻れよ!」
朝潮は無線を切り、鎮守府に向かって、速度を上げる。
もしも、自分の大切なものが壊されてしまったら、もしも、この戦争が敗北に終わったら、もしも、自分が轟沈したら、自分はこの日の出来事を、酷く後悔するかもしれない。それにも関わらず、朝潮はあの彼女を、手元の主砲で打つことはなかった。
それはあの時、あの深海棲艦がすでに、朝潮の大切なものとなってしまっていたからである。
-FIN
<秘書艦>
「私の責任だ。申し訳ない」
提督は部下に向かって頭を下げる。この屈辱は未だ慣れない。彼の作戦が失敗した時、被害を負うのは部下の艦娘であり、提督ではない。彼女たちがボロボロで帰って来る姿を見るたびに、申し訳無さと共に湧き出るやるせなさ。この複雑な感情の中で提督は、ただただ、部下に向かって謝罪をする。
「提督・・・頭を上げてください。大破、中破といっても、私達は無事ですから」
部下に向かって謝罪をし、部下に気を遣われるこの屈辱。提督は、乱れ禍々しく入り交じる感情の中に硬直する。動かない提督に対し、艦娘は小さくお辞儀をし、そそくさと部屋を出て行った。
「司令官、頭を上げてください。生きているだけで儲けものと言いますし、轟沈を出さなかったのですから、気に病むことではありません」
秘書艦の朝潮に慰められ、提督は思わず涙目になってしまう。こんな小さな子を戦場に出し、傷つけ、無能な提督を気遣う。朝潮の優しさに感謝すると同時に、提督は自身の情けなさに絶望した。
提督なんて、やめてしまいたい。彼は何度も何度もそう思っていた。情報のあまりに少ない深海棲艦を相手に、得体の知れない艦娘を戦いに出す。最初は全てが博打。そんな戦争の司令などという難しい仕事を引き受けてしまった自分が嫌になる。自分がいなくなれば、本部から別の提督が赴任し、きっと、今よりも良い仕事をしてくれるのではと思うと、さっさとやめてしまったほうが、国のためなのではという思考が、提督を支配する。
「司令官!」
「ん?」
しかし、こんな不甲斐ない自分でも、艦娘たちはまだ、信じてくれているのだ。そんな彼女たちを裏切り、提督職を辞任するのは、どうなのだろうか。そう考えれば、無責任に提督をやめることもできない。
「司令官、外に出ましょう! 煮詰まった時は、風に当たると良いと言います!」
朝潮に手を引かれ、提督は執務室を出る。途中、すれ違う艦娘に小さく会釈をし、提督は外に出て、海辺に立ち、頭上に広がる空を、ぼうっと見上げた。広い広いこの海に比べれば、自分の存在なんてちっぽけなもの。しかし、ちっぽけな存在でも、与えられた使命がある。
この朝潮の気遣いで、提督はやっと、悲観的思考から抜けだそうとしていた。
「お前らは毎日のように、この海に出て行くわけか」
「はい! 艤装をつけて海の上をスイスイと」
「はは。海の上を歩くか。風が気持ちよさそうだな」
「気持ち良いですよ。司令官も、一度くらい、試してみては?」
「そうだなぁ・・・この戦争が終わったら、一回くらい、やってみるかな」
提督は、こんな風に艦娘と離したことはめったになかった。執務に追われ、指揮を取り、艦娘から報告を受けてまた執務へ戻る。自分の仕事に全てを費やす。そんな生活をしていた。それが、提督たるもののあるべき姿だと錯覚していた。その結果、部下のことを何も知らない上官となってしまった。部下と接しようとしない日々が、作戦の失敗に結びついた。提督はそう感じた。
「戻ろう、朝潮。私にはまだ執務がある」
「はい! 司令官」
提督と朝潮が踵を返し、海に背を向け執務室へと戻り始める。その瞬間、海から黒い生物が姿を表し、2人を襲う。
「うわっ!」
「司令官!」
艤装をつけていない朝潮、武器を持たない提督はなす術なく、海に飲み込まれた。
***
***
どれくらい、眠っていたのか。朝潮はゆっくりと目を覚ます。そして、先ほどのことを思い出し、今の自分の状況を確認する。
狭い部屋に、ベッドと机、椅子。朝潮はベッドに横たわり、机の上には何も置かれていない。見慣れない環境に混乱しながら慎重に部屋を観察すると、ドアが開く。
「おお、朝潮。起きていたのか」
「司令官!」
部屋に入ってきたのは、深海棲艦に一緒に襲われた提督。その時と全く同じ格好で、そこに立っている。
「司令官。ここはどこですか? ドッグの休憩室ではないですし・・・臨時の事務室か何かでしょうか?」
提督は、この場所を鎮守府のどこかであると思っている朝潮に対し、小さく微笑んだ。
「違う。ここはお前の知っている鎮守府ではない」
ベッドに横になる朝潮の手を取り、2人は部屋から外に出る。そこに広がるのは、ただの廊下。しかし、そこを行き交う面々は、艦娘ではない。艦娘の、人類の敵、深海棲艦がそこにいる。
「ようこそ、深海鎮守府へ」
行き交う深海棲艦は2人を見るや、上品に微笑み、会釈をする。朝潮もそれにつられ、深海棲艦に会釈をした。
「深海鎮守府・・・なぜ私はこんなところに・・・」
朝潮はハッとして、提督の顔を見上げる。しかしそこにいるのは、いつもの、地上の鎮守府で見ていた提督そのもの。
「もしやあなたは、深海棲艦の提督なのですか?」
「いや、違う。私はお前の提督だ。海風に共に当たり、雑談をし、共にさらわれた提督だ。」
「司令官・・・なぜ、そんなに落ち着いていられるのですか?」
朝潮の質問に提督は黙りこみ、朝潮と共に部屋に戻る。そして、提督は屈みこみ、朝潮の耳元で、小声で言う。
「朝潮。色々と思うものはあるかもしれない。お前たちの宿敵なのだからな。しかし、我々は今からここで深海棲艦の指揮を取る。今はただ、私の言うとおりに、秘書として動いてくれ」
朝潮は、自分の耳を疑った。深海棲艦とは、我々の共通の敵。何度も挑み、時に勝ち、時に負ける。そんな存在だ。そんな存在に対して、そんな得体の知れない存在に対して、提督は、指揮を取ると言っている。つまり、深海棲艦を動かし、朝潮たちの仲間を傷つけると言っているのだ。
朝潮は、提督の言うことは全て受け入れてきた。無理のある作戦であっても、そして実際にその無理さ故に失敗したとしても、何かしらの思考の元での行為だと思っていた。しかしこの時、朝潮は提督を受け入れることができなかった。深海棲艦に手を貸すということ。それは、自分の姉妹たちを傷つけるということにつながるのだから。
「お願いだ、朝潮。色々と思うことがあるだろう。しかし、今だけは、私のいうことをそのまま受け入れてほしい」
提督の2度めの懇願。朝潮は、首を縦に振る。
「・・・わかりました。私は司令官の、秘書艦です」
提督が深海棲艦に襲われて、この深海鎮守府にやってくる前。深海棲艦は本能のままに艦娘に攻撃をしていた。そして艦娘の強さを知ってからは、うかつに出撃することもできず、艦娘に責められ、必死にそれを受け流すのに精一杯となっていた。
しかし、今は提督がいる、指揮者がいる。提督は深海棲艦を出撃させ、現地で指揮を取り、朝潮はそれをフォローする。指揮を取るために、提督は深海棲艦たちの練度を調べた。深海棲艦たちをよく観察した。それらの練度は次第にわかってきた、しかし、その練度の上昇を左右するものとして、性格が大きな影響を与えるということを、提督は初めて知ったのだ。本気で人を向上させるために、教育者は、一人ひとりをわかった上で、適切な教育をしなくてはならないのだと。
一方、提督のいない鎮守府は混乱していた。鎮守府では、戦艦の長門が代わりに指揮を取っていた。しかし、長門は艦娘であり、指揮者ではない。艦娘の性格も練度もたいてい知っている。しかし、それぞれの艦娘がどのようなスキルを持っているかということを、熟知はしていない。それに、指揮経験も全くない。さらに、そこに付け入るように、今までこちらから攻めていき会敵するにとどまっていた深海棲艦が、自主的に鎮守府に攻めこみ始めたのだ。
長門の不適切な指揮は、急に団結し、故に強くなった深海棲艦に対応することは難しかった。自分も出撃し、深く吟味する暇もなく、それでもなんとか指揮を取り仲間を出撃させるが、上手く行かない。
長門は、今まで悪く言っていた提督に対して懺悔すると同時に、彼に対して苛立ちを覚えた。のんきに外をぶらつき、襲われる馬鹿者であると。本来の長門は、ここまで反抗的にはならない。しかし、今は状況が最悪だ。長門の心は歪んでいく。
「長門さん」
「なんだ!」
執務室に入ってきた駆逐艦に対して、目を見開き、睨みつけ、怒鳴った。駆逐艦は肩を強張らせたが、要件を伝える。
「し、深海棲艦に提督が紛れているとの目撃があります!」
「はぁ?」
長門は、提督を目撃したという艦娘を集め、話を聞いた。話の趣旨は、提督が深海棲艦の後ろの方に立ち、適宜、何かしらの情報をジェスチャーで伝えながら、指揮しているという、なんともおかしな話だった。
今までの長門であれば、安易に、提督は裏切ったのだと決めつけていたかも知れない。しかし、今の長門は臨時の提督。提督として、指揮を取り、苦悩している。そして、今まで悪く言っていた提督の指揮が、それなりに理にかない、しっかりと練りこまれたものであった、また、艦娘のことを考えてあったということを長門は感じていた。そんな人が、安易に艦娘を裏切り、深海棲艦をして艦娘を滅ぼそうとするのだろうかと、長門は思った。長門はそれ以来、提督の救出を第一目標に、作戦をたてることとなる。
そして、1人の艦娘が陣を抜け、提督と朝潮の下へ一直線に走り、乱暴ながらも二人を抱え、そのまま帰投した。あっけない終わり方だった。
「提督、ご無事ですか?」
「ああ、無事だ・・・ありがとう」
「細かいことは鎮守府で聞きます。言葉を整理していてください。提督の命は、私が責任持って保護しますから」
加賀はいつも以上に速度を上げて、2人を鎮守府まで送る。そのあまりの速さに、提督は気を失う。朝潮は艤装で海を駆け抜けることに慣れているが、提督はそうではない。提督は鎮守府に付き、そのまま医務室に運ばれた。そして数時間後ついに目を覚ます。
「司令官! ご無事でしたか!」
最初に提督の手を取ったのは、朝潮である。朝潮はすでに自分たちが過ごしていた環境について説明を終わらせていた。その場にいた艦娘の誰もが信じられないと言った感想だったが、実際に、朝潮と提督が深海側にいた事、そして、2人が不在の間の異変を考えると、それが事実であると認めることができた。
提督は朝潮に支えられながら体を起こし、回りを見渡す。そして、いきなり大声で笑い出す。最初、その不自然な様子から、提督の不調を心配したが、回りの艦娘も、提督につられてケラケラと笑い出した。今までの鎮守府生活において、ここまで、上官と部下との間になごやかな空気が流れたことがあっただろうか。
その後、指揮を失い、中途半端な出撃を繰り返した深海棲艦は、強さを取り戻し、その強さに一層の拍車をかけた艦娘によって、すぐに滅ぼされることとなる。
-FIN
<個性ナシ>
車に揺られ、私はぼんやりと窓の景色を眺める。綺麗な海が、そこには広がる。それは同時に、この車の旅が終わり、いよいよ私の新しい生活、きっと辛いであろう生活が始まることを意味する。
やがて車が止まり、運転手に見送られて私は車を降りる。目の前に堂々とそびえ立つ建物、大規模な施設。海軍の司令機関、鎮守府である。私は今日からここで、艦娘と呼ばれる、無機質を妖精という生物がこねくり回すことで生まれるいう、よくわからない生物の指揮を取るのだ。目的はただ一つ。近年現れ、各地で重大な被害をもたらした『深海棲艦』という海のギャングを抹消するため。私の仕事は、艦娘を指揮し、深海棲艦と戦わせ勝利を収めることにある。それ自体は、軍人として、非常に誇らしいことだ。しかし、問題はその、艦娘という存在の性質だ――
重い気持ちで鎮守府に向かって歩みを進める。ドアの前に立っているのは、1人の少女。話には聞いていた。そう、彼女が艦娘の一員、吹雪である。吹雪は私の姿を見るなり、手を額に当て敬礼し、名を名乗り、私を執務室まで案内してくれる。
「こちらが執務室です」
吹雪がドアを開け、私を通してくれた。綺麗に手入れはされているが、無機的で寂しい部屋。角で積まれたダンボールが、この部屋をいっそう侘しいものにしている。
私はとりあえず椅子に腰をかける。新しく受け持つ鎮守府と、たった1人の艦娘。さあ、これからどうしようか。説明は鎮守府に来る前にひと通り受けた。机に置かれた資料をパラパラとめくりながら、思考を膨らます。
「あ、あのう」
ふと横切る少女の声、吹雪の声。まだいたのか。
「何だ」
「いや、この鎮守府に私しかいない以上、自動的に私が秘書艦になるので・・・」
秘書艦。その言葉は私に絶望を与える。そのシステムを、私はたった今まで忘れていた。提督の激務を補助する目的の秘書艦。それも、艦娘から選ばれるのだ。
「・・・悪いが、今は必要ない。申し訳ないが自室に帰ってくれ、気が散る。」
本心を伝えると、吹雪は少し悲しそうな顔をして帰ってくれた。申し訳ない、これが私の本心だ。純粋に、艦娘と関わりたくないのだ――
艦娘の提督に命じられた時から、私は憂鬱だった。提督が嫌なのでは決してない、むしろそれは誇りである。艦娘が、『女性』が嫌なのだ。恋愛が嫌なのだ。恋をすれば人として終わってしまうと、私には何の根拠もないが、そう思えずにはいられなかった。しかし仕事は仕事。私は上官として艦娘を指揮し、まとめる。
初めは何かとギクシャクしていた関係も時間が経つと馴染み、中には色気を出してくる艦娘もいる。その瞬間が、私には耐え難かった。そういう艦娘とは一切関わりたくなかった。部下と上司、これ以外の何でもない関係を築こうと、私は指揮以外での接触をなるべく避けた。
私は艦娘とできる限り接しないようにしている。しかし、私は決して無能な人間ではないと自負している。鎮守府は順調に大きくなり、順調な成果を上げている。そして艦娘も、戦闘以外では私を放っておいてくれる。良い部下をもったと思う。しかし、たった一つ未だに解決できていない問題がある。秘書艦との接触だ。
秘書艦がいなくては、私は艦娘たちに効率的に司令を出せないし、執務も彼女の援助なしではうまく回らないだろう。しかし秘書艦と上手くやっていくことがどうもできない。プライベートな場で放っておいてくれる艦娘たちも、秘書艦だけは、距離が近いせいか妙に色気を出してくる。これが辛いのだ。男っけのなさそうな吹雪でも、ごく稀にそういう仕草を見せてくる――
駆逐艦の建造の最中。私が妖精に依頼を出して作ってもらうわけだが、意思疎通がそこまで成功していないようで、どんな艦娘が生まれるかはランダムだ。失敗することもある。
「新しい仲間が来たみたいですよ」
吹雪の呼び出しで、私は確認に建造の施設まで歩く。たいていのことは執務室でできるが、これだけは彼女を迎えなくてはならない。私は扉を開け、艦娘を確認する。初めて見る者だ
「霞よ、ガンガンいくわ!」
見た目はよくいる駆逐艦。しかしその反抗的な目、上官の前で腕を堂々と腕を組む非常識さ。私はひと目で、この『霞』の持つ何かに惹かれた。
霞を指揮するようになり、彼女がいかに上官を嫌っているのかが身にしみた。なんと言っても、あらゆる場面で『クズ司令官』と罵るその非常識さからそれが伺える。そして私はついに、初期から世話になった吹雪を降ろし、霞を秘書艦に任命した。任命の時、それほど嫌にしていないのは以外だったが、それは、今の生活を見れば分かることだ。霞は、まるで私のアラ探しが趣味であるかのように隙を見つけては叱ってくる。クズという罵倒語を頻用して、部下の霞が、上官の私を叱ってくる。私も人間なので頭に血が上り、キレそうになる。しかしそんな時霞は、「はあ? それで逆ギレ? だらしないわねえ」と、私の心の弱さを攻めてくれるのだ。だらしない。確かに提督たるもの、若い部下の小言ごときで切れるのは情けない。より冷静に、事実と事実と受け入れ、自分を進化させなくてはならない――
鎮守府が大きくなり、艦娘の数も増え、レベルも上がる。近代化改修というシステムがあり、ある程度の練度を持った艦娘は改修により強化ができる。霞もその例外ではない。普段は私を鍛えてくれる良い秘書ではあるが、艦娘である以上、出撃も訓練もする。霞は着々とレベルを上げていった。しかし改修が進むに連れて、霞は私に対して、初期ほど反抗しなくなった気がする。そういえば、クズと言わなくなった。これは以前よりも私のメリットが薄くなったということだが、霞以上のしっかり者、私に堂々と異論を唱えてくれるものはいないので、現状維持のままだ。
「本部からの通達よ」
霞から手紙を受け取る。それは、『ケッコンカッコカリについて』というもの。私は件名を見ただけで、背筋がゾッとした。そして恐る恐る中を見た。艦娘との絆と深めるためとあり、鼻で笑う。この鎮守府に人間らしい絆なんてものは、作ってこなかったからだ。指揮の時は、艦娘たちは私を便りにしてくれる。しかし、それを超えればただの上司と部下、人と人。
絆のためという理由に呆れていたが、よく読んでみると、ちゃんと戦術的なメリットもあるようだ。一部のスキルの上昇ないし、燃費の改善が見込めるらしい。この効果を最大限に活かすためには、一般に高火力だが燃料を大量に消費する戦艦と結びのがよいだろうと思う。もっとも、この鎮守府で効果が発揮されるかは知らないが。
「・・・司令官」
ケッコンカッコカリについて色々と希望的観測を繰り広げていると、霞が横から口を挟む。霞がいま立っている位置は、私にこの手紙を渡した時と同じ。つまり、私が頭で考えている間、ずっとこの場にとどまっていたということになる。なぜだ。いつもの霞なら、私に事務作業をした後、すぐに自分の仕事に戻るはずなのだ。それは、私がぼうっとしている時に仕事に集中するよう呼びかけてくれるのと同じように、霞も、自分で自分を律し、自分のやるべきことにベストを尽くそうとするのだ。
私は嫌な予感がした。霞を秘書艦にしてから長い時間が立つが、時間が立つごとに心のどこかで感じては瞬時に否定していたことであった。霞の口が開く。
「・・・それ、誰に渡すの?」
霞の目にいつものような反抗心はない。こちらの心情を伺うような、その真剣な目が、霞から降り注ぐ。ああ、もう無理だと思った。提督として艦娘の指揮を取ることを上官より命じられてから、これだけをただただ恐れてきた。こういう結果だけは招かぬよう、一番私を嫌ってくれそうな艦娘を私の近くに置いた。きっと、それが全ての元凶だった。1人に集中的にそのような任務を任せてはいけなかったのだ。その1人が変わってしまえば、もう終わりなのだから。
右手を支えに額を支えて下を俯いていれば、霞が気にかけてくる。
「司令官、大丈夫?」
きっと私は、言葉でもってこの霞に、私のこの気持ち悪さを伝えることはできるだろう。そして霞は、それを受け入れてくれるのだろうか。受け入れてくれれば大吉、また明日から元通りの、そしてもう、こんなくだらないことについて心配することのない日がやってくる。受け入れてくれなければ大凶の大凶、私にもう逃げ場はなくなる。
「司令官、しっかり!」
ああ、初期の霞であれば私のこの状況を根性論で叩いてくれただろう。そうでないのが何よりの証拠。ああ、私は選択を間違えた。いや、予兆が見えた時に、すぐに手を打つべきだったのだ。私の不注意と慢心によって処理を怠ったバオバブの木はもう大きくなりすぎて、私を破壊するのは時間の問題である。
「司令官、司令官」
私は手を動かす。恐る恐る上を見上げれば、霞のうるうるとした涙目が、こちらを見てくる。
「・・・心配かけてすまない。仕事を続けてくれ」
「司令官・・・」
私はこのことを忘れるために、執務に集中した。霞が話しかける隙をなくすくらいに集中した。そして執務を終えたらすぐに霞を部屋に返し、ようやく、静かな自分の世界を手に入れる。戦術的には不利となってしまうかもしれないと思いながら、私はケッコンカッコカリの書類を捨てる。そうしなければ、気が狂いそうだからだ。しかし、明日から再び、艦娘の指揮を取れるかといえば、全くその自信がない。
普通なら寝床に入り、明日に備えているであろうこの時。私は酒を飲む。酔って感情をリセットしようと思ったのだ。
コンコン。執務室のドアが穏やかにノックされる。私はそれを無視する。緊急自体であればもっと荒く慌ただしくノックされるはずであり、したがってそれほど重要な問題ではないからだ。申し訳ないがそれよりも、この絡まりあった心情を朝までにどうにかほどくことに必死なのだ。
ノックの音から少しして、誰かが入ってきた。大体予想はついた。霞だ。私が一番会いたくない相手だ。私のこのだらしない姿を見ても、その心配そうな表情を変えることはない。ああ、なぜ以前のように接してくれないのだろうか。
「・・・司令官。あの、なんか調子が悪そうだったから、それで、心配で・・・」
私はコップに残った酒を一度に口に含む。段々、夢と現実の区別がつかなくなってくる。
「・・・私を気にかけているのか?」
「・・・はい、だって司令官は、私の、大切な人ですから」
霞は顔を赤らめて、そう言う。ドラマなどでは絵になるその光景も、私の前では猛獣の唸り声。静かに恐怖心を煽ってくる。許せ霞。私は君に恨みはない。ただ、君が娘であるということだけで私は拒絶しているのだ。
「・・・霞、私は君を信頼している」
「・・・ありがとうございます」
霞はまた頬を赤らめ、口角を上げる。申し訳ない霞、私は今から君の心を壊しにかかる。
「しかし、それは部下として信頼しているに過ぎない。私は、君たち艦娘の個性をみていない。ただ、この鎮守府で使える奴かどうかしか見ていない。霞、君はただの兵士だ。いくら秘書艦であるとは言え、私に仕事以外のことで話しかける必要はないはずだ。君は艦娘として、私は提督として振る舞えばそれで終わりだ。私のわがままだが、それ以上のことはしないで欲しい。君が仕事以外の何かを私にするとき、私はそれに対して強い不快感以外を抱くことはない。はっきり言って、今日の体調不良は君の仕草が原因だ」
言葉の途中から、霞には意識がないように見えた。そして突然、泣きだす。ああ、面倒くさい方に転がってしまった。そもそも今はもう寝ているはずの時間。言うことは伝えたのだから、早く寝たい。
「・・・ふん! そんなの当たり前じゃない! ここは鎮守府よ、戦いためにある場所よ! あなたは提督は、私は艦娘。ただの上司と部下、仕事だけの関係。あなたの指揮で私は命かけて戦ってるんだから、戦い以外のことなんか考えるわけないじゃない! ましてや・・・そんな、司令官のことなんて・・・」
霞は泣きだし、その場で座り込む。我ながらクズだとは思うが、私の心には、これで解放されるのだという充実感しかない。部下を傷つけておいて、つくづく提督失格だと思う。しかし申し訳ないが、これが本心なのだ。私はベッドに移動する。酒も回り、もう眠い。人を傷つけたにも関わらず、心は非常にリラックスしている。そういえば最近は寝不足だった。今日はいつも以上に、ぐっすりと眠れそうだ。
頭痛で目が覚める。やっぱり酒なんか飲まなけりゃ良かったと後悔する。しかし、脳が覚醒するに従い、体の違和感が徐々に強まる。
「おはようございます、司令官」
目の前には、秘書艦の霞。しかし、その霞は妙にニコニコと上機嫌、いつもの霞らしくない、不気味だ。しかも、私が今寝ている場所は、私にもよくわからない物置部屋のようなところ。そこの床に布団が敷かれ、私はそこで寝ているのだ。
「・・・霞、これは何だ? 何かあったのか?」
私は頭痛の痛みをこらえながら、昨日のことを思い出す。ああ、そうだ。霞に、私の本心を告白したのだ。そして霞は泣きだし、私はそれを横目にベッドに入った。随分クズな行動だが、それほど、昨夜の私は狂っていた。
「思い出したようですね」
目の前の霞が微笑みながら、床で横たわる私に近づいてくる。私はきっと、もう取り返しのつかない選択をしてしまったのだろうと思った。この場で何をされるのやら。覚悟をきめていると、霞はその場で床に座り、掛け布団の中に入ってくる。その様子は、まるで男女の添い寝。ここで私は反射的に拒絶反応を起こし、布団から出ようとする。霞はそんな私を静かに取り押さえた。
「じっとして、司令官」
霞は艦娘である。きっと私をここまで、霞1人で運んだのだろう。それほどの筋力を彼女は持っている。しかし、私も提督を名乗る以上は、彼女たちと同程度の筋力は持っていると思う。もしここで本気の取っ組み合いをすれば、この部屋から脱出できるかもしれない。しかし、私はそれができない。そこまでの気合が全く入らないのだ。霞はそれを見計らったかのように、自分の腕をどかし、私の顔を真正面から見下ろす。
*
*
*
司令官。私は秘書艦として今までやってきました。そして、あなたがどんな人かも、分かったつもりです。
あなたは、本当に真面目で一途な人。自分の使命のために、どこまでも自分を削る人。そして、とっても賢い人。
感情が許してしまいそうになれば、それを覆い隠すように、あなたは理性でもって、それを拒絶するのです。
その結果、あなたは感情が麻痺しています。私がそれを直します。感情まみれにして差し上げます
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目が覚めると、時計の針は午前8時を指していた。私はベッドから飛び起きる。しかし、体は制服を着ている。執務も、この時間にふさわしい程度にやったらしく、出撃までしている。この状況から察するに、自分は普段通りに起き、執務をこなした。しかし何かの拍子に布団に転がり、そのまま軽く寝てしまった。全くその記憶はない。しかし、自分が制服を着たまま寝ていること、一部の執務が済んでいることを考えれば、そうなるのだ。
「あら司令官、お目覚めですか?」
ノックもなしにドアを開けて入ってきたのは、秘書艦の霞。いつも通りのにこやかな様子で変わりはない。
「霞か・・・私は、さっきまで何をしていたんだろうか?」
私が質問すると、霞は首を傾げ、仮眠を取ると言って制服のまま布団に入ったのだと説明した。記憶は全くないが、そうらしい。
「お茶と軽食です」
霞はそれらを2組机の上に置き、いつも通り、執務に入った。私も、仮眠までにやっていたことを確認し、執務を再開する。
艦娘の訓練の様子見をする。私は全くもっていつも通りにやっているつもりなのだが、艦娘諸君に、変わったと驚かれるのだ。どう変わったのかと聞き返せば、以前の提督は、めったに艦娘と関わろうとしなかったと。馬鹿らしい、部下は金の卵、大切に育てるべきではないか。
しかし言われてみれば、いつも以上に体が軽い、心が軽い。仮眠をとったせいだろう。そして私が軽くなれば艦娘たちも軽くなるようで、皆心なしかのびのびとしているように見える。いつまでも動きが堅かった娘も、今日は調子が良い。
様子見を終え、私は執務室に戻る。机で雑務をしている霞が、私が部屋に入るなり微笑んでくれる。
「おかえりなさい、司令官」
そして霞は、本部からの通達を私に差し出した。
「ケッコンカッコカリというシステムが、追加されるようですよ」
書面を見れば、どうやら艦娘とより深い絆を結ぶことで、さらなる強化を目指すというものらしい。基準の練度を見れば、何人か、それに到達しようとしている者がある。誰に渡すべきか。戦績を第一に考えれば戦艦であろうが、そんな気持ちで決めるものでもないだろう。私が誰に与えようかと考えていると、霞が手を止め立ち上がり、私の後ろに立つ。何をするのかと見ていれば、私の肩に腕を回して、椅子の後ろから抱きしめる。
「司令官・・・それ、誰に渡すの?」
甘い声が、私の耳をくすぐった。心地よい声だった。
その後、私は霞と正式にケッコンカッコカリを結び、形式上の夫婦となれた。練度を無理やり上げてからのケッコンである。今までも決して、仲が悪いわけではなかったと思うが、これを期に、霞との距離がさらに近くなったのを実感する。
仕事柄、仲良くすることに時間を費やすことはあまりできない。しかし、開いた時間を器用に使い、私は、霞と仲良くやっている。
-FIN
<変わらぬ愛、感謝>
*既視感があるかと思いますが、楽しんでいただければ幸いです。
鎮守府。海軍の根拠地。そんな血腥い役目に似合わず、穏やかな空気の流れるこの鎮守府。
最近まで、海を荒らす詳細不明の謎の生物『深海棲艦』と、それに対抗する、これまた詳細不明の人間側の兵器『艦娘』との間で戦争があった。『艦娘』は容姿も心も人間的であり、彼女たちを指揮する提督は、人として彼女たちを扱った。そしてついに、長く続いた戦争が終戦を迎えた。今は各国の調査艇が、深海棲艦の生き残り及び住処を調査している。その調査が終わるまで、艦娘の任務は哨戒活動、調査艇の護衛任務、たまに輸送任務程度であり、穏やかで平和な時間が流れていた。
ある朝、そこの最高指揮官である提督のいる執務室の前で、提督の呼び出しを受けた少女『朝潮』は、襟をただし、ドアをノックする。コンコン。中から「入れ」との返事を受け、朝潮はドアを開ける。
「失礼します」
朝潮は執務室に入り、一度、提督に向かって敬礼する。提督は椅子から立ち上がり、朝潮と規律して対面する。
「お呼び出しを受け、参りました」
朝潮は直立不動にして、提督の目を見つめる。その目はまさに軍人の目。提督は無言で、机の引き出しから、手のひらサイズの小さな、しかし上品な箱を取り出す。提督はその箱を開き、朝潮に見せた。
朝潮は目を丸くし、頬を赤くし、口元を手で抑える。その表情はまさに、恋する乙女が持つ、可憐な表情そのものだ。しかし次の瞬間、朝潮は下を向き、声を絞りだす。
「・・・ごめんなさい。少し、考えさせてください」
朝潮は俯きながらお辞儀をして、執務室を出る。提督は言葉を出すことなく、ただ呆然と、そこに突っ立っていた。「ごめんなさい」。朝潮の小さく、かすれた声が、繰り返し提督の頭に木霊した。
翌日。朝潮と同じ艦娘であり、朝潮よりも大きい、つまり朝潮の先輩に当たると言える北上は、穏やかな鎮守府の廊下を、特に目的もなく歩いていた。他の艦娘は、退艦後の将来について必死に考えてみたり、平和な時間を利用して街に遊びに行ったりと、今を楽しんでいる。北上も最近までそうしていた。しかし、この平和な時間が何週間もすぎ、最初の方に持っていた情熱は、もうどこかにいってしまっていた。
暇を持て余し、北上は鎮守府内をぶらつく。長く過ごしていた鎮守府ではあるが、なんとも巨大な施設。まだ行ったこともなく、存在も知らない場所がいくつかある。北上はぶらついていると、『資料室』と看板がかかっている部屋に付く。面白そうに感じ、ドアを開ける。先客がいた。その先客はドアが開くなり、目を見開きドアの方を向き、北上であると確認するや、安心したように読書に戻った。
彼女は朝潮、駆逐艦の朝潮。北上は、幼く人懐こい駆逐艦を好いておらず、むしろ苦手意識を感じていた。しかし、この朝潮とは、朝潮が駆逐艦でありながらそんな苦手意識がなかった。朝潮の、距離を弁えるその態度が北上をそうさせていた。
「何やっているの? こんなところで」
「ああ、ちょっと・・・」
朝潮が手にしているのは、花の図鑑。その隣には、園芸の本や、また別の花の本なども積んである。それを眺める朝潮の頬が赤く染まっているように、北上には見えた。
「あ、北上さん。少し、お尋ねしたいことがあるのですが」
「ん、何?」
暇は北上は、特に何の抵抗もなく、朝潮の話に耳を傾ける。
「この辺りに、お花屋さんはありますか?」
「花屋・・・うん、いくつかあったと思うけど。でもどうして?」
朝潮は頬を赤くして、少し考えて、答えを出す。
「ピンク色のカーネーションが欲しいのです」
「カーネーション。うーん、よくわからないけど、ああいうのは一年中売っているはずだよ」
その言葉に、朝潮の顔がぱっと明るくなる。
「本当ですか!」
「えっ? うん、多分、だけど・・・そうだ! あたしで良ければ、今から一緒に買いに行こう。朝潮ちゃん、今日は用事ないんでしょ」
朝潮はこくりと頷き、本を閉じて部屋に持ち帰り、手早く身支度をして北上と共に外に出かける。
「朝潮ちゃん、外は初めて?」
「はい。いつも明石さん経由で買っていたので」
「ふーん。ああ、じゃああの花の図鑑とかも、自分でそうやって買ったの?」
「はい、そうです」
「だよねー。あんな本が資料室にあるはずないもんね」
他愛もない会話を楽しみ、2人は街を目指す。艦娘は対深海棲艦の武器と言われているが、それは艤装を装着し、戦闘体制に立った時のみ。艤装を解除して普通にしていれば、少女そのものである。
「うわぁ、人がいっぱい」
「はぐれないようにね」
北上に手を引かれ、朝潮は人の網を必死に縫って歩く。そして、駅の中で構える小さな花屋さんに着いた。
「ここが、一番近い花屋だよ」
朝潮は数えるほどしかない花全てに目を通して、ついに首を横に降る。
「すいません、ありません」
「このカーネーションは、ダメなの?」
北上の指の指す先には、プラスチックの看板に手書きで書かれたのカーネーションの文字。色は白色。
「・・・すいません」
2人はその花屋を気まずそうに立ち去る。そして駅の外に出て、北上が知っているもうひとつの花屋を目指す。
「次の花屋は結構大きいから、あると思うよ。ピンクのカーネーションだよね」
「はい。ありがとうございます」
行き交う人々の中で、はぐれないようにと必死になる朝潮。そして、迷子にならないようにと必死に気を向ける北上。やっと、花屋に到着した。
「着いた! ここだよ」
中に入り、商品を見渡す。目的の品は、すぐに見つかった。
「ありました! これです」
「おお! 良かったじゃん」
朝潮は満面の笑みで植木鉢を持ち、購入する。相手をする店員も、朝潮の笑顔につられた。
「2700円になります。おつかい?」
「いえ・・・あの・・・」
「プレゼント?」
「・・・はい」
「えらいねぇ。あっ、ところで、カーネーションの花言葉って、知っている?」
「あっ、いやっ・・・」
店員との会話に慌てた朝潮は、財布から金をこぼしてしまう。周りの人がそれを拾い集め、朝潮は頭を下げながら、それを受け取っている。
「・・・すみません」
「はい」
北上はそばの女性の店員を捕まえ、一つ、質問をした。
「ピンクのカーネーションの花言葉って、なんですか」
その女性の店員は、小さく笑い、「ピンクですよね」と確認してから、軽く耳打ちをするように、北上に教える。北上はそれを聞き、朝潮の行動に納得した。その後、人で溢れかえる道で、朝潮は植木鉢を両手でしっかりと抱え、人と人の間を器用に縫い歩く。そして無事、鎮守府に戻る。
「北上さん、今日はありがとうございました」
朝潮は自分の部屋の前で、植木鉢を両手に抱え、花が乱れない程度まで深く頭を下げる。花屋を出てから今まで、朝潮は両手で植木鉢を大切に抱えていた。それくらい、この花が朝潮にとって大切なものなのだ。
「はいよ、じゃあ、最後に」
北上は、朝潮の耳に口を近づけ、小さく言う。北上の言葉を聞いて朝潮は、今日一番の真っ赤な顔で、北上に微笑んだ。
朝潮は部屋で丁寧に余分な包装を剥がし、下の穴から土がもれないように丁寧にビニール袋の中に入れる。姉妹がどうしたのか質問してくるが、赤い顔で秘密と答え、部屋を出る。向かう先は、執務室。ちょうど、夕焼けの赤い光が窓から指している頃。
***
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昨日の朝、提督は朝潮に告白をした。婚約指輪を箱から覗かせて、告白した。喜んでもらえると、受け入れてもらえると思った。しかし、そうではなかった。「ごめんなさい。少し、考えさせてください」という朝潮の声が、定期的に提督の頭に響く。そして、一度断られたという絶望と、まだ振られてはいないという微かな希望が、提督の中で葛藤する。
告白までのことを思い出していた。指のサイズをさり気なく測り、石言葉、花言葉などロマンチックなものを調べ、どういう風に告白をしようか慎重に選んだ。提督は若い時から軍隊に入り、そして戦争が始まり提督に任命された。女性経験を持たなかった。下手に恋をして、戦争という場で、自分の感情の起伏で誰かを犠牲にするのを恐れた。しかし、今はもう違う、戦争は終わり、恋できる人もいる、そんな中で、提督は意を決して、告白したのだ。
コンコン。ドアがノックされる。提督は我に帰り、「入れ」と言う。
「失礼します」
提督は声で、それが誰かが分かった。朝潮、昨日の朝に勇気を出して告白した、朝潮。提督は自然に、椅子から立ち上がる。
「どうした、朝潮。こんな時間に」
「司令官」
朝潮は、手に持っている植木鉢を、震える手でビニール袋から取り出し、むき出しの状態で、提督に差し出す。
「これからも、よろしくお願いします」
提督の背中から指す、海辺の夕日の赤い光が朝潮の笑顔を染める。そして、それに負けないほどに、朝潮は赤くなっている。
提督は無言で、その植木鉢を手に取る。ピンク色のカーネーション。提督は見た瞬間に理解し、手を震わせながら、それを机の上に置く。そして、机の引き出しから、手のひらサイズの小さな、しかし上品な箱を取り出す。今朝やったことをもう一度ここでやるのだ。提督は箱から、白銀のリングを取り出し、朝潮の、左手の薬指にはめた。リングに埋め込まれたダイアモンドは、夕日を受けて眩しく輝いている。そして、朝潮は口元を抑え、満面の笑みでもって涙を流している。
「嬉しいです」
2人は静かに抱き合う。机の上のピンク色のカーネーションは夕日に照らされ、優しい色で2人を祝福した。
-FIN
<尻拭い>
不機嫌な顔で廊下を歩く提督。先ほど部下と口論をしたばかり。口論が嫌なのではなく、その部下の口調を提督は苦手としていた。そしていつも通り、彼女の姉を通じて、注意してもらおうと思った。
そしてそう思っていたところで、提督はちょうどその艦娘にすれ違う。
「朝潮」
声をかけると、その朝潮は提督の目をまっすぐ見ながら、「はい」と返事をした。
「話がある。今夜執務室に来てくれ」
朝潮は、提督のその高圧的な口調で悟り、複雑な表情で、「わかりました」と返事をした。その頃、もうすでに提督は歩き出している。その日の夜、約束通り執務室で、朝潮と提督が対面している。朝潮は直立不動。提督は机に座り、手を組み、朝潮をじっと見つめる。
「妹が失礼な口を聞き、本当に申し訳ありませんでした」
両手を腰にあて、提督に向かって最敬礼をする形で朝潮は謝罪をする。執務室中に響く、朝潮の声。話題は朝潮型の末っ子である霞について。霞の、人格否定をも含むような毒舌が、霞が着任した時からずっと問題となっていた。提督がそれを指摘しても、霞はそれに、耳を傾けない。その責任が全て、長女である朝潮に降りかかっているのだ。
「・・・これで何度目だ、朝潮」
「・・・本当に、申し訳ありません」
朝潮は再び、頭をこれでもかと下げて、提督に謝罪する。提督は半ば睨むようにしてその姿を見て、ため息をついた。
「・・・いくら艦娘として優秀でも、指示を聞かないようでは私は非常にやりにくい。前にも言ったが、私は今、解体すらも考えている」
「それは・・・」
「私も、解体はあまりしたくない。霞は、育てれば優秀な艦娘だと思う。しかし性格に欠陥がありすぎる」
二人の間に沈黙が走る。朝潮は声を絞り出し、再び、提督に謝罪する。提督は半ば諦めながら、朝潮を解放した。朝潮は絡まりあった感情を無理やり整理し、部屋の前で深呼吸をし、ドアを開けた。
「霞、ちょっと来なさい!」
朝潮は部屋に入るなり、いつも以上に真剣に、霞を呼ぶ。しかしそれも馬耳東風。霞は朝潮を無視し、部屋の隅でじっと本を読んでいるのだ。
「霞!」
「うるさいわね!」
「いい加減にしなさい! 司令官になんて口をきくの!」
「あんなクズにどうして敬語なんて使うのよ!」
「霞!」
今日もまた、霞と朝潮の口論が始まる。霞がやってきてから、定期的に始まるこの口論。始めのうちは別の朝潮型も参加していたが、今はもう、何も言わない。
「まあまあ、朝潮姉さん。今日はもう遅いから、もう寝ようよ」
最後は大潮が止めに入り、二人は口論をやめて眠りに入る。姉妹も、やっと終わったと安堵し深い眠りに入る朝潮も、本当ならこんな口論はしたくはない。妹を叱るのは心が疲れるし、その時間を自分のことに使いたい。しかしそれが許されない。なぜなら、一番艦だから。一番艦であるがゆえに、妹の尻拭いのために動かなくてはならない。
そして、最悪なことに、明日はこの霞と共に出撃するのだ
***
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「心して取り組みなさいね、お姉さん」
出撃準備の際にかけられる、霞の皮肉のこもった言葉。朝潮は一瞬、頭に血が上るの感じたが、どうにか抑える。出撃だ、演習なんかではない。冷静でなくてはならないと、朝潮は自分に言い聞かせる。
朝潮は生真面目であると、艦娘からも提督からも評価が高い。しかし真面目であると同時に、朝潮は非常に臆病であった。臆病であるがゆえに考えこみ、抱え込み、堅くなっていた。臆病な朝潮は出撃の時、いつも、不安に思うのだ。これが、最期かも知れないと。そう思えば、昨日の霞との口論がいっそう胸を締め付ける。もっと優しく接すれば、分かり合えたかもしれないのにと。しかし、それも幻想であった。優しくしても、厳しくしても、耳を傾けてくれないことは朝潮自身が一番良く知っている。
「霞」
朝潮は前をスタスタ歩く霞に、声をかける。霞は細い目で睨んでくるが、これが最期かもと不安の朝潮にはどうってことない。
「作戦を成功させましょう」
朝潮は霞に向かって、優しく微笑みかけた。霞は朝潮を鼻で笑い、何も言わずに前を向く。
この時に作戦は、いくらか特殊なものだった。途中、駆逐艦2隻がいなくては突破できない箇所があるということが、作戦を非常に困難なものとさせていた。そしてその駆逐艦2隻として、犬猿の仲ともいえる朝潮と霞が選ばれたのだから不思議な縁である。そして、この2人を含む艦隊は今、ボスと戦っている。さっき、先輩の爆撃が上手く決まり、艦隊の誰しもが勝利を確信した。目の前で敵が煙を上げながら沈んでいく。朝潮は一瞬、気が緩む。勝って帰れるのだと思い、不安が氷解し、気が緩む。
そして、敵の不気味な動きに気が付く。朝潮は反射的に、後ろの霞を押しのけた。
「っ、何すんのよ!」
その直後、霞の目の前に巨大な水柱が立つ。艦隊の時間が、一瞬止まる。しかし、再び動き出す。ここは戦場だ、油断などできない。霞以外の艦娘は残った敵の確認を行い、そして、もうどこにもいないことを確認し、再度、水しぶきの立った箇所を見ては、艦隊の人数が5人であることを確認する。敵の最後の悪あがきが、朝潮を沈めたのだ。
呆然とする霞は先輩に引っ張られながら、鎮守府へ帰投する。霞の頭の中は未だ混乱し、先ほどの水柱が脳裏に焼き付いて離れない。実際、あれだけ近くにいたのだから、霞はそれを受けて大破していた。それがまた、頭の働きを弱まらせ、先ほど起こった事態を整理することを妨げていた。
常時沈黙の中で鎮守府に帰投し、旗艦が提督に報告をする。朝潮轟沈と。その報告を聞いた提督は目を丸くし、すぐに、隣の霞に目を移す。霞の表情は、悲しんでいるわけでも、かといって喜んでいるわけでもない、どこまでも曖昧な表情だった。
「・・・霞、今日はゆっくり休め。明日のことは、明日考えることにする」
霞は焦点の合わない目でしばらく虚空を見つめ、それから、提督をまっすぐ見る。その瞳は輝いている。それが今までの霞の目ではないことは、誰の目にも明らかなものだった。どこまでも真っ直ぐで、純粋なその目。反抗心のかけらもない、綺麗な目。
「・・・はい、司令官。失礼します」
霞は敬礼をし、執務室を後にする。とても、姉の轟沈を目の前にしたとは思えないその凛とした背中を、先輩と提督は最後まで見つめた。その日霞は、ドッグで疲労を癒やした後にまだ早いにも関わらず、布団で寝た。姉の轟沈を聞き悲しんだ他の姉妹も、霞に気を遣って、部屋ではなるべく静かに振る舞った。
「みんな! 朝よ、起きなさい!」
いつもの声で、一斉に起き上がる朝潮型。眠い目をこすり、寝ぼけ眼の頭で、布団から出る。今日も、一日の始まりだ。
朝潮型2番艦の大潮は、ぼうっとする頭で布団を畳む。布団を畳みながら、ああ、今日からは自分が姉の代わりの振る舞うのだと思い出し、悲しみを押しのけて無理やり気を引き締める。
急に、背筋がゾッする。1番艦の朝潮は昨日沈んでしまった。それは、昨日何度も何度も否定しついに受け入れた悲しい現実。では、それと矛盾するこの拭えない違和感はなんなのだろうか。
大潮は、部屋を見渡す。姉妹全員が、そちらを向いていた。つい昨日まで姉妹とさえも上手くいっていなかった霞が、今、気丈な態度で振舞っているのだ。
「ほら、なにぼうっとしているの! 早く身支度を済ませなさい!」
霞の声に姉妹ははっと我に返り、あまりにも不自然な霞の振る舞いを横目に見ながら、姉妹は素早く身支度を済ませる。艦娘たるもの、朝の1分は非常に貴重だ。この状況下でも、やるべきことに追われている。
姉妹とはいっても、その日のスケジュールで交わることはあまりない。着任してからの日数も違えば、当然練度も違うのだから当たり前だ。しかし、今日の霞の異変は、直接霞と関わる機会がなくとも、そのどよめきは自然に姉妹たちの耳に入ってくるほどに巨大なものだった。姉妹たちはそのことについて何度も聞かれた。昨日のこともあり、姉妹は訓練、出撃などの間に提督にも問われた。しかし、よくわからないことだった。未だに受け入れることができていないのだ。
提督はその日、霞を呼び出す。コンコンと響くノックの音、失礼しますといいながら扉を開け、提督に敬礼する。なんとも模範的な態度。以前の霞は、提督の顔を見るなり何かしらの小言を言っていた。本来なら、何かしらの感謝を表現するような場合であってもそうだった。そんな艦娘だった。
「ご苦労。急な呼び出しで申し訳ない」
「いえ、私は大丈夫です。お気遣いいただき、ありがとうございます」
霞の礼儀正しさに提督は再び不気味さを覚えながら、続ける。
「・・・昨日のことは、もう、大丈夫か? 私は君に、万全な体制で作戦や訓練に望んで貰いたいのだ。無理はしなくて良い。正直に言ってくれ」
提督の気遣いに対し、霞は瞬時に返事をする。
「大丈夫です。朝潮姉さんがああなってしまったのは非常に悲しいです。私の責任でも、あるのですから。しかし私は、司令官の命令であれば、どんな時であろうと受ける覚悟です!」
霞はまっすぐに提督を見つめ、そう答えた。その口調、目に偽りはない。どこまでも真っ直ぐな返事だった。そう、朝潮の従順さを彷彿とさせるような――
一方、霞が提督と話している間、姉妹は部屋でかたまり、霞について話す。
「何か、心辺りはある?」
大潮が妹達に問いかける。誰も、そのようなものは持っていない。そもそも霞は作戦後すぐに布団で寝ていたため、昨夜は姉妹との関わりも殆どなかった。唯一、作戦を共にした朝潮は別だが、もうどうしようもないことである。
「・・・朝潮姉さんと、なんかあったんじゃない?」
霰が言う。無口の霰が真っ先に発言したことに姉妹は少々驚くが、それを皮切りに話は進む。
「確かに、一昨日は口論してたし」
「ああ、そう言えばしてたわ!」
満潮の指摘に朝雲がいち早く賛同する。
「一番仲の悪い朝潮姉さんと口論して、次の日に出撃して、そのまま沈んじゃう・・・確かに、すごい偶然だよね」
大潮が状況をまとめる。すると、荒潮が目元を抑え、すすり泣きを始めているのが聞こえた。
「・・・ごめんなさい、ちょっと、朝潮ちゃんのことで・・・ね」
「ああ・・・ご、ごめん」
「でもー、目の前で轟沈って・・・私達とは比べ物に」
山雲がそこまでいったところで、霞が帰ってきた。昨日までとは違う、綺麗な目で姉妹を見る。
「みんな、もう寝ましょう。明日も訓練よ」
霞の一言で、かたまっていた姉妹はバラバラになり、自分の布団の方へと移動する。霞は全員が布団についたのを確認してから電気を消した。
あまりにも極端なその変化は、姉妹同士でも特に対処することはなく、次第に鎮守府全体に馴染んでくる。最初は戸惑うものの、もともと戦績としては優秀な霞が、反抗をやめ、軍人としては理想的な性格へと変化したのだから実際に文句のつけるところはない。しかし、プライベートな時間を共有する姉妹にとって、その狂った歯車の立てる波及は、徐々に、静かに、自身を狂わせた――
昼ごろ、提督は執務を一旦切り上げ、食堂へと向かっていた。
「司令官」
背中から声を聞き、提督は振り返る。そこには、声で分かっていた通り、霞がいた。
「お疲れ様です」
霞はニコリと微笑み、提督に挨拶をする。霞がこうなってから、もう少しで1週間が経とうとしていた。提督もさすがに慣れ、「ご苦労」と返事をする。
「司令官、お疲れ様です」
更に声がかかる。その挨拶に対し、提督は耳を疑う。振り返れば、無口でめったに口を開かない霰が、霞と同じように微笑みながら挨拶をしてきたのだ。
「ああ、ご苦労」
霰はそのまま立ち去る。そばにいた何人かの艦娘も、それを怪訝な顔で見ていた。霰とは、今でも話をする者は少ない。それくらい無口な艦娘だ。さっきの挨拶ほどはっきりした声も、こういう場ではめったに聞けない。
提督はこの1週間の日を振り返り、背筋が冷たくなるのを感じた。豪快な大潮、毒舌の満潮、おませの荒潮、天然の山雲、世話焼きの朝雲、無口な霰。鎮守府一体を管理する提督なのだから、朝潮型ばかりをかまっているわけではない。しかし、朝潮の轟沈から今日まで、提督は朝潮型に対しては他の艦娘よりは気を配っていた。それを思い出すと、上にあげたような特徴的な性格、欠点について、何一つとして思い出すことができないのだ。その部分だけが、潰れてしまったように。
不安を原動力にして、提督は食堂に行くのを中断し、執務室に戻る。そして、朝潮型のスケジュールを調べる。ちょうど今の時間、大潮と荒潮には予定がない。つまり、食堂で昼食をとっているはずだ。提督は再び、食堂へ急いだ。心を煽り続ける不安が、提督を焦らせる。
食堂を見渡し、大潮か荒潮の姿を探す。2人揃って昼食をとっているのを見つけた。提督は2人に近づいていく。
「・・・ちょっと、良いか?」
2人は提督を見るなり、ニコリと微笑み、ほぼ同時に声を発する。
「司令官、お疲れ様です」
2人の声は、声質、タイミングの多少のズレはあっても、全く同一の内容だった。提督は周りの視線を感じて辺りを見渡せば、皆、どこか悲しそうな表情で、提督を見てくる。それはもう、周知のことであった。
「司令官、どうされたのですか?」
荒潮が心配をかける。この、模範的な丁寧な口調。そして、真っ直ぐな瞳。提督は事情を悟った。
「・・・すまない、私の勘違いだ。食事を続けてくれ」
「司令官、お体が悪いのでは?」
「・・・いや、大丈夫だ。心配かけてすまない」
提督はその場を足早に去る。これ以上、荒潮の、まるで朝潮のような口調を聞いていたら、気が狂いそうだった。今も荒潮は、あの朝潮のような真っ直ぐな目で、純粋な心配をかけながら自分を見ているのだろう。そう思うと怖くて仕方がなかった。
「キャッ!」
「あっ、す、すまない」
「もう、気をつけなさいよ!」
食堂の入り口でぶつかったのは、満潮。いつも通りの高圧的な口調に、提督はどこか安心感を覚える。
段々と朝潮に似ていく姉妹たちを、朝雲は傍目で見ていた。荒潮が始めた時は、ふざけてやっているのだと思った。しかし、まるで朝潮が寄生したかのように、全て振る舞いがそうなっていくのを目の当たりにしては、もう、変わってしまったのだと受け入れざるを得ない。最近までそれに染まらず、時に2人で姉妹について話し合った満潮も、段々と、そちらに傾いていき、今では、もう立派に『朝潮』となってしまった。
「おはよう、朝雲」
顔を洗っていると、満潮が朝雲に微笑みかける。
「おはよう、満潮姉さん」
朝雲は微笑み返し、返事をする。かつての満潮は、もういないのだろうか。そして、自分もいつか知らないうちにこうなってしまうのだろうかと思うと、やりきれない気持ちになる。
せめて、最後の仲間の山雲は染まらないようにと、毎日監視している。しかし、何を基準に、染まっているかいないかを測ればよいのだろうか? 全てを疑えば、もう手遅れだと思える。かといって現状維持では、満潮の二の舞いになるかもしれない。いや、もう自分も山雲もすでに染まっているとまで思えてくる。
「おはよう、朝雲姉さん」
顔を洗い終えるとき妹の霰が、朝雲に挨拶をする。かつて感じた違和感も、もう、感じない。最初からこうなのではという錯覚を、朝雲は感じてはそれを振りほどく。
「朝雲姉さん、どうかしたの? ぼうってして」
「ああ、ちょっと、考え事をね。でも大丈夫よ」
山雲の気遣いに適当に相槌をうち、朝雲はいつも通りの朝を過ごす。
朝雲は一度、この件について提督に相談をしたことがある。姉が段々と、朝潮のように変化していくと。しかし提督はそれについて、真剣には取り合ってくれなかった。むしろ、その話題を避けているようにも感じ取れた。朝雲にも、提督のその気持ちは分かる。日々おかしくなっていく姉たちを間近で見て、違和感を募らせているのだから。
昼食を取る頃、朝雲は満潮と会い、思い切って話をかける。
「満潮姉さん、ちょっといいかしら」
「どうしたの、朝雲?」
「お姉さんたちのことだけど・・・」
満潮は、朝雲のその一言で何かを察し、朝雲から目を背ける。
「・・・私はもう、いいと思うのよ・・・」
満潮は朝雲を置いて、さっさと行ってしまう。満潮の、その朝雲を避けているかのような態度に、朝雲は少し悲しくなった。そして自分も、今まで無意識に姉を避けているということに気づいて、やるせない思いが募る。
そして今日の午後、昼食の後に朝雲に出撃が控えているというのも、このやるせなさに拍車をかける。なぜなら、今回の出撃は、姉妹がおかしくなった現況といえる霞との出撃なのだ。しかも、出撃場所も同じである。
「朝雲姉さん、成功させましょう!」
「うん、成功させましょう!」
出撃前、霞と共に気合を入れる。以前の霞であれば、決してこんなことはしなかっただろうが、もう慣れた態度である。姉妹は変わってしまったということを、朝雲に限らず鎮守府の者は皆、作戦の上では前々から受け入れていた。
戦闘は普通に成功した。難しい海域ではない。戦闘よりも、この海域で得られるオマケが目的の出撃であった。
「見て! ドロップよ!」
旗艦が示す先を、朝雲と霞は見る。オマケ、それはドロップのことである。深海棲艦との戦闘に勝ち、それと引き換えに艦娘が現れるという不思議な現象のことだ。そして艦娘の中には、このドロップでのみ得られるものもある。実際、朝雲と山雲はこれによって、鎮守府の仲間となったのだ。
はっきりとしない姿が、次第に鮮明になってくる。はっきりとなるに従い、朝雲と霞は、ある期待が募る。
「お姉さん、もしかして・・・」
見慣れた制服、長い黒髪、凛としたその表情を見て、2人は確信する。
「駆逐艦、朝潮です。勝負ならいつでも受けて立つ覚悟です」
「朝潮姉さん!」
2人は歓喜で飛び出し、ほぼ同時に朝潮の手を取る。ドロップ仕立ての朝潮は意味がわからず、ただ、2人のなされるがままにされている。朝潮。かつてこの海域で沈んでしまった朝潮。それが再び、この海域で復活した。
そんな二人のことを、他の艦娘は目を細めて見ている。そして、これでこの姉妹は元通りになるのではないかという期待をかける。
***
***
ある日の夜、提督のドアがノックされた。
「失礼します」
礼儀正しく執務室に現れたのは霰。その姿を前に、提督は身を構える。なぜならその日、狂った霞を追うように狂い始めた霰を見たばかりだったからだ。
「どうした、お前のほうからやってくるなんて」
「はい、実は姉妹のことで相談がありまして・・・」
霰がこの時持ちかけた相談とは、『霞がおかしい』ということについてだった。朝潮が沈み、それに伴って霞がおかしくなり、1周間が経とうとしている。これで良いのかがわからなくなり、霰はついに、提督に相談を持ちかけたという。
しかし提督に、この相談に対処するほどの余裕はもうなかった。
「・・・提督として話をするが、鎮守府としては特に支障はない。他の艦娘たちも、もうさほどの違和感はないというし、以前の近寄りがたい霞よりかは幾分マシと言う者もいるくらいだ」
提督は冷酷な対応と分かっていながら、この利益主義的な返答しか、することができなかった。霰のことを考えることができなかった。提督自身が、今の霰の心情を知ることが恐ろしかった。
「・・・そうですか。お忙しい中、失礼しました」
消化不良の表情で、霰は礼儀正しく執務室を去っていった。他人のことを第一に心配し、それでいて冷静に対応する。これはまさに、『朝潮らしい』対応だと、提督は思った。
その後提督は、大潮と荒潮が狂ったことを知った。そして同時に、満潮がまだそうでないということを知り、安心した。しかし後日、その満潮は夜に執務室を訪れてきた。
「霞に続いて、大潮姉さんと荒潮姉さんがおかしくなってしまいました。このまま、朝潮型全員がおかしくなってしまうと、不安になるのです・・・」
「・・・もう、いいじゃないか。人は変わっていくものだ。それのどこがおかしい」
提督は複雑な心境の中で、必死に満潮に対処した。満潮は何か諦めたような表情で、「そうですね」とつぶやき、また、礼儀正しく執務室を後にした。その様子に、以前に執務室へ訪ねてきた霰の姿が重なった。そして後日、朝雲も同じことをしたのだった。
この状況の中で、朝潮がドロップをした。満面の笑みで朝潮を連れてきた朝雲と霞の姿を、提督は今でも鮮明に覚えている、そしてその直後の、それ以上の絶望も――
「霞、落とし物よ!」
「えっ! ありがとう、朝潮姉さん!」
以前とは打って変わって平和になった朝潮型を見て、提督は微笑ましく思う。そして同時に、悲しさも覚える。以前に自分が言った通り、鎮守府には、なんの影響もない。むしろ、メリットでもあるのだから、本来は喜ぶべきなのだろう。しかし、それだけでは拭い切れない何かが、提督の心を押さえつけるのだ。
「司令官、どうかしましたか?」
声のする方を向けば、山雲と霰がこちらを心配そうにじっと見てくる。
「いや、大丈夫だ。心配かけてすまない」
2人はまだ心配そうに提督のことを見ながらも、先に行く。今では誰もが慣れたこのソックリな姉妹の背中に、提督は、かつての姿を重ねあわせた。かつての、『嫌な』朝潮型姉妹の姿を。
-FIN
<ねじ巻き人形>
まだ新参で右も左もわからなかった頃、私が少ない資材の中で必死に出撃し、建造をし、鎮守府自体を大きくしようと務めていた頃。私は1人の艦娘に出会った。
「建造が、終了したのです」
初期艦であり、当時の秘書艦であった電の知らせを聞き、私は新しい艦娘を確かめた。強い奴であることを願いながら、私は扉を開けた。
「駆逐艦、朝潮です。勝負なら、いつでも受ける覚悟です!」
真っ直ぐな瞳、かしこまった態度。私は一目見た時から、この朝潮という艦娘の放つ輝くに、惹かれてしまった。他のどの艦娘よりも、彼女が輝いて見えた。
朝潮は日に日に真面目に努力をし、努力と比例して強くなっていった。私はそれを、自分のことのように喜ぶことができた。能力としては標準的な駆逐艦であり、これと目立った良さはない。他に優先すべき艦娘はいる。しかし、私にはこの朝潮の教育を中断することができなかった。私は、そこまで、この艦娘に惹かれてしまっていたのだ。
あるとき、我が鎮守府は、弱小ながらもそれなりに大きな作戦で大成功を収めたことがあった。その時、朝潮はMVPを取ったのだ。その時の喜びは、今でも一応、思い出すことができる。駆逐艦であっても、真面目に努力していく艦娘は、ここまで成長し優秀な兵士になるのだと、私の価値観をも変えた。
そしてその時、私は感激のあまり朝潮を抱きしめた。周りの艦娘たちは、皆驚いていた。朝潮も驚いていたと思う。しかし、この時本当に一番驚いていたのは、私だったと思う。
朝潮の体は冷たかった。ぎゅっと、よりきつく抱きしめてみた。しかし、やはり冷たい。まるでプラスチックのようだった。肌特有の柔らかさ、凹凸は感じる、しかし体温がなかった。
少し考えれば、分かることだ。彼女たちは、無機的な資材から妖精さんの力によって生まれてくる。故に彼女たちは無機物。生命もきっとない。しかし、これを肌身で感じ取った私の心の中で、何かが音を立てて壊れたような気がした。しかし私は、あくまでも責務として、今まで艦娘を育て、出撃をさせ、敵と戦ってきた。
鎮守府も大きくなり、艦娘も100人以上にまで増えた。それと同時に、当然ながら資材が厳しくなってくる。敵の強さと同時に、鎮守府の資材不足のほうが深刻になっている。
私はこの資材難を如何にして乗り越えようかと模索していると、ふっと、私の頭に一つの画期的であるが非常に残酷なアイデアが落ちてきた。補給をしないと、どうなるのだろうか。
出撃や遠征、演習など、艦娘の仕事は多くある。その過程で資材を消費するのは、建造と補給だ。では、この補給はどれくらいまで伸ばすことができるのだろうか?
私は早速、実験をしてみようと思う。従順な性格で、欠けてもさほど困らない程度の能力の艦娘を選ぶ必要がある。となると、弱い駆逐艦の中でも、そこまで役に立たない駆逐艦だ。駆逐艦はたいてい幼い。従順な者などいただろうか・・・いた、朝潮だ。私は朝潮を部屋に呼び、私の計画を伝える。少々困惑しながらも、彼女はそれを受け入れてくれた。
最初は遠征させ、燃料を減らす。その後、弾薬など再利用できるものは抜き、しばらく私の書類作業を手伝わせた。数日間は、まさに奴隷のように彼女は働いた。きっと彼女らしく、自分が出撃、遠征をしないだけの貢献をしようとしたのだろう。しかし、次第に動きが鈍くなり、うたた寝をすることも増え、ある時、朝潮は力なく、机に伏せていた。
私は布団の敷いてある別の部屋に朝潮を寝かせた。呼吸もしていない、しかし、朝潮は最後に私が見たきれいな状態のまま眠っている。動いていた時と変わらない、冷たい体、姿。
彼女は『モノ』なのだ。生き物ではない。すでに知っていたことだが、私はそれを、より深く実感した。彼女たちが生きているという幻想を、私は今までずっと見ていたのだ。廊下ではしゃぐ駆逐艦の幼い子もモノだ。時に色気で私をからかう娘もモノだ。皆、『モノ』なのだ――
艦娘は兵器。それ以外の何でもない。私は艦娘の戦績、レベルを確認する。明日、今いる艦娘の中で使えない物を一斉に解体、近代化改修に回そうと思う。育成はいつでもできる。しかし、作戦は、今しかないのだから。
私は朝潮に補給をする。朝潮は目を開き、目の焦点が合うと、私に向かってニコリと微笑んだ。
「おはようございます、司令官」
朝潮は今の自身の状況を確認するや、困惑しながら、布団から起き上がり、格好を正す。私は朝潮の手を取り、別の部屋へと向かう。
「あら、朝潮姉さん。久しぶり」
廊下でバッタリと出くわしたのは、朝潮の妹である、満潮と霞。二人共きつい性格だが、霞はいっそうきつく私を睨んでくる。そして睨んだ後、朝潮を気遣う。
「朝潮姉さん、この1週間何をやっていたの?」
「え、えーと・・・」
朝潮は頭を抑え、必死に思い出そうとしているが、思い出せるはずがないだろう。この1週間、寝ていたのだから。
「ごめん、全く覚えていない」
「司令官、朝潮姉さんと何をやっていたの?」
姉を気にかけるこの優しさも、偽物なのだろう。満潮の方を見れば、複雑な表情で、私と朝潮を見ている。丁度良い。満潮も同時に作業をしよう。
「丁度良かった、満潮も一緒にきてくれ」
私は満潮と朝潮を、部屋に連れて行く。朝潮は改二実装のために、満潮は解体のために――
カーンカーンカーン
甲高い音が響き、資材が出てくる。まあ、駆逐艦ならこんなものか。それと同時に、朝潮の改二実装が成功する。予想以上の能力向上に、私は感無量となる。標準的駆逐艦にもかかわらず今まで朝潮を育ててきて、本当に良かった。
さて、次はどの子を解体しようか。
-FIN
<あやつり人形>
「駆逐艦としては、かなり良い仕上がりです!」
改IIへとレベルアップした朝潮は、上機嫌で部屋から出てくる。そしてそんな朝潮を、提督は温かく迎えた。
「これからも、鎮守府のために尽くしてくれ」
「はい!」
元気な返事をし、朝潮は部屋へと戻っていく。さっきまでは平凡な駆逐艦。今は強力な武器。ダイヤの原石である朝潮を、今まで必死に育ててきたことに対して、提督は深く感動していた。
「ただいま!」
上機嫌のまま、朝潮は部屋に入り、妹に改IIの制服を自慢する。妹達は初めて見る、そして自分たちもいずれ着られるかもしれない黒い制服に、興味津々だ。
そこでふと、さっき朝潮と廊下ですれ違っていた霞が疑問を抱く。彼女は姉の満潮と一緒にいるときに、提督と朝潮が一緒にいるところへ出くわした。1週間ほど朝潮を見ていなかった霞は朝潮を心配し、その後、丁度良いからと、満潮も一緒に連れて行ったのだ。その満潮はどこにいるのかという問である。
「朝潮姉さん、満潮はどうしたの?」
上機嫌の朝潮はそこで思考を切り替え、さっきまでのことを思い出す。途中で別れてから、朝潮は満潮を見てすらいない。
「・・・分からないわ。でも、司令官と一緒にいると思うわ」
霞はそれを聞き、何か、言葉で表現しにくい不安を感じたが、実際、朝潮も今日までの1週間提督と共にいたのだから、その関係だろうと思い、満潮のことを考えるのはやめた。
それから、1週間が過ぎた。姉妹にとっては、満潮の欠けた1週間である。
「・・・満潮、どうしたんだろう?」
部屋で自分の時間を過ごしている時、大潮がふと、口を開く。朝潮と似たような事情だろうと思い、姉妹は皆この1週間は特別気にはしていなかった。しかし、実際に1週間経っても、何の音沙汰もないのだ。
「・・・ちょっと、司令官に確認してくるわ」
朝潮は立ち上がり、執務室へと向かう。提督が何かしらの目的の元でやっているのだろうと思っていたが、とにかく、情報が欲しかった。朝潮はドアをノックする。
「失礼します」
提督は執務の手を止め、朝潮を見る。
「どうしました? 朝潮さん」
朝潮は提督の口調に、気持ち悪さを感じる。普段の戦闘や訓練で接している提督は、もっと情熱的で、まさに『上官』という言葉がピタリとはまっているような人だ。部下にたいして、丁寧語やさん付けをするような人ではない。
「・・・司令官。満潮のことについて、お尋ねしたいのですが」
提督はそれを聞くと、首をかしげ、立ち上がり、朝潮を上から見下す。
「満潮は随分前に解体されましたが」
言葉が一瞬、朝潮の耳に入らなかった。何か耳鳴りのような、ポワンという響きの音が、朝潮の耳奥で響いた。そして、体が固まった。そして、提督の告白に口を開け、目を見開いている朝潮に対して、提督は微笑み、口を開く。
「朝潮さん。ここは、戦場ですよ」
提督はそれだけを言って、机に戻り、執務を再開した。朝潮は未だ、その場で体を硬直させている。そんな朝潮が、さも存在していないかのように、提督は執務にとりかかる。
提督が狂ってしまったということは、この鎮守府に属するものであれば、誰もが認めることである。決して無能なわけではない、むしろ戦績だけを見れば、有能と言えるだろう。しかし、今の提督にはもう『ココロ』というものがないのだ。感情が昂ぶり、艦娘を抱きしめるような提督はもういない。ここにいるのは、艦娘を完全に武器とみなし、そして実際に武器であるということを逆手に取って勝手にあやつるコンピュータのような提督である。
「コンニチハ、コンニチハ」
プログラムされたように、全く同じトーンで、全く同じタイミングで艦娘に話しかける提督が、今日も鎮守府に降臨している。無駄を排除し、最も効率的なやり方でもって艦娘をあやつる提督に対して、艦娘たちには怯える以外のいかなる手段も用意されていない。
たとえ姉妹であっても、ある日予告なしに解体されてしまう。その時残された姉妹は、涙を飲んで、それを受け入れるしかない。
私はあやつり人形。そう生きることを受け入れた艦娘のみが、この鎮守府でやっていくことができる。
-FIN
<捨て艦として、最後まで>
「駆逐艦、朝潮です。勝負なら、いつでも受ける覚悟です」
艦娘を建造し、出てきたのは標準的な駆逐艦の『朝潮』。彼女はすでに、この鎮守府にはいる。より高性能でレアな艦娘を期待していた提督は朝潮の顔を見るや、心の中で失望する。なぜ、こいつなのかと。
「ようこそ鎮守府へ、君を歓迎する」
提督は作り笑顔で朝潮を出迎え、秘書艦に他の雑務を投げた。朝潮が部屋から出て行くや、提督は作り笑顔を解き、朝潮が出て行ったドアを睨みつけ、深くため息を付く。資材もただではない。よりによって、今は時期的にも一番厳しい。別のレシピで建造を回していれば、より良い艦娘が得られたのではと思うと、提督はますます深いため息をついた。
一旦は絶望した提督。しかし次の瞬間、彼の顔には、明るく邪悪な笑顔が浮かんでいた。以前から関心のあった戦法に、『捨て艦戦法』というものがあったのだ。弱い艦娘を艦隊に入れ、それ以外を強力な艦娘で埋める。弱い艦娘を弾除けに利用し、突破を目指すのだ。当然、その弱い艦娘は轟沈を前提に出撃させているのだから、轟沈したところで、鎮守府には特にこれといった不利益はない。
提督は朝潮で、この鎮守府では初めての捨て艦として使おうと考えた。そう考えると、提督には、この招かれざる艦娘朝潮は、この鎮守府の勝利の鍵を握った天使のようにさえ見えた。
最低限の訓練のみを終えた朝潮は、ついに、その『出撃』の時を迎える。
「朝潮、出ます!」
出撃の時、朝潮は汚れのない笑顔でもって、提督に誠心誠意を誓う。そして、提督は朝潮と握手をする。
「ああ、精一杯、尽くすように」
「はい!」
朝潮は威勢よく返事をし、海に出ていく。提督はそんな朝潮の背中を見て、ニヤニヤと微笑みながら艦隊を見送った。
鎮守府でも最高の練度を誇る戦艦や空母に囲まれた、レベル1桁の駆逐艦、朝潮。そんな朝潮に対して、周りの先輩は、哀れみの目を向ける。誰がどう見ても、朝潮は捨て艦に違いなかった。しかし朝潮の方は、大先輩と共に出撃が叶うことは、私の最高の幸せと、出撃の前に、先輩の1人にそう語った。朝潮は着任して間もない。青い故に汚いものは何も知らない。故に、この出撃が全く怖くないのだ。
せめて、捨て艦であるということだけでも、教えてあげたい。その先輩はそう思った。しかし、待ちに待った初出撃で、アンテナを張り、まっすぐに艦娘の使命を果たさんとする朝潮の姿を見ると、とてもそんなことはできない。そして朝潮が、自分が捨て艦であるということを知らないままに、戦いはいつも通りに進む。特別良いわけでも、悪いわけでもない。そして順調に、ボスのところまで艦隊は進む。この鎮守府では初めての大破進軍。大破している艦娘は朝潮のみ。
朝潮の疲労と損傷は激しく、いつ沈んでも、仮に会敵の前に沈んでしまったとしても、不思議ではないほどの状況だ。朝潮は朦朧とする意識をなんとか立て直し、目の前に広がる海を凝視する。敵が見えた。
旗艦の指示に従いながら、朝潮は敵に砲撃する。避けられても、運良くあたっても、レベル1桁の駆逐艦程度の火力では、さほど変わらない。それでも朝潮は打ち続けた。敵を気を引きながら、そして敵の弾をどうにかしてよけながら、朝潮は隙を見つけるたびに敵に向かって弾を打った。
あっ――――そして朝潮は、予定通り沈んだ。
冷たい海の水に揺られながら、朝潮の意識は次第に弱まっていく。思考はもうできない。そして、体は冷たい。「精一杯、尽くすように」。提督の声が頭に響くと同時に、提督の手の感触が思い出される。そんな弱った朝潮を、深海棲艦は優しく回収する。
弱い意識の底で朝潮は、深海棲艦の『声』を聞いた。そして、2人は会話を始める。
「さあおいで、捨てられた娘よ」
「捨てられた・・・確かに、そうかもしれません」
「彼女たちが憎いでしょう。あなたを捨てることに一役買った、あの、艦娘たちが。さあ、こちらにおいで。私達は、あなたをそのまま受け入れます」
「・・・ごめんなさい、行きません」
「なぜ? 私達は、あなたを捨てることなどありません、皆、仲間です」
「・・・分かりません。でも、私はこの戦いに、全力を尽くしました。今は、もうそれで、満足なんです」
「彼女たちは、提督は、あなたを捨てたのよ」
「はい、知っています。でも・・・ごめんなさい、疲れてしまいました。少し休んでも、いいですか?」
「あなたにその気がないのなら、仕方がありません。どうぞ、安らかに眠りなさい」
「ありがとうございます」
深海棲艦は朝潮を捨てる。朝潮は水の流れるままに海に漂う。無意識下で出した結論の理由は、朝潮には分からない。しかし、朝潮は他の艦娘や提督を恨むことは最後までなかった。
一方、この捨て艦戦法はぎりぎりのところで失敗し、またしても鎮守府は海域を攻略することはなかった――
提督は不機嫌な顔で、建造のタイマーを見ている。強い艦娘を期待して、厳しい資材を更に厳しくして建造した。その結果、標準的な駆逐艦の建造時間が出てきたのだ。
建造が完了し、扉を開ける。そこにいるのは、以前にも見た、そして不快感を送りつけた艦娘、朝潮。
「畜生!」
提督は腹いせに、建造部屋の扉を思い切り足で蹴る。鈍い音が辺りに響き、朝潮は肩を強張らせ、目を丸くして、提督を見る。
「お前は今から捨て艦だ! 手配しろ!」
秘書艦は感情を起こさず、朝潮に目を合わせずに、事務的に朝潮の手を引く。
朝潮は複雑な気持ちで、なされるままに出撃をする。例の、捨て艦の編成で。
その出撃で朝潮はボスに行く前に沈み、艦隊は主力艦の大破のために、ボスに行くことさえできなかった。
-FIN
<戦争が終わったら>
艦娘が現れるのと同時期に、深海棲艦は姿を現した。
双方は、あたかもそれが決して破れぬ宿命であるかのように戦い、お互いを滅ぼしあった。
この戦争の果てに何があるのか――
確認されている最後の生き残りと、未だ轟沈すら出ていない艦娘の戦いが繰り広げられている。艦娘の勝利は決まったも同然。しかし、実際に戦っている彼女たちからしてみれば、轟沈を出さずに、大切な仲間を1人として失うことなくこの戦争を終えるということに、最大の意義がある。そして無事、艦娘側は完全勝利を果たした。深海棲艦の撲滅という、開戦以来の大目的が今、ここに達成されたのだ。
作戦大成功の知らせを受け、それまで緊迫していた鎮守府はお祭り騒ぎへと一変する。艦娘の誰もが、この最後の戦闘に参加した艦娘たちの帰投を鎮守府の外で出迎える。戦争が終わったことを喜び、誰とも構わず手を取り合う。そんな彼女たちを、提督は執務室の窓から目を細めて見ている。
艦娘は一度大講堂に集まり、終戦に際して提督が一言祝った後、すぐに解散した。せめてこの場で、即席のパーティでも開こうと提督が提案したが、艦娘たちは全員一致で、それを望まなかった。艦娘たちも、自分たちの、自由で平和な時間をより多く過ごしたいのだろうと、提督は思った。そして細かな予定はこれから提督1人で計画を立てることにして、艦娘を極力束縛しないようにした。
終戦の翌朝。提督はいつも通り目を覚まし、身だしなみを整えた。いつもであれば、何人もの艦娘が早朝から訓練をしており、提督は、彼女たちの声を聞きながら朝を迎えていたものだ。しかし、今日は何も聞こえない。海の波の音、鳥の鳴き声くらいしか聞こえない。その状況を、提督は微笑ましく感じる。ああ、これが平和なんだなと。提督は執務をこなす。終戦とはいっても、まだ生き残りがいるかもしれない。そう考えればそこまでめでたくもないのだが、何かがあれば、哨戒の艦娘から連絡が入るはずだと安心し、提督は執務に集中する。
不気味なほどの無音の中で執務をすること数時間。時計はもう昼頃を指している。さすがにおかしいと、提督は感じ始めた。鎮守府では、艦娘は定期的に食事の当番となる。出撃はある程度不定期的なものであるが、それ以外の訓練などは一定のスケジュールに基づいて行う。よって、昼頃がもっとも食堂に人が集中し、当番となっている艦娘たちの動きも活発となる。特に、今のような平和な時であれば、全ての艦娘が食堂に集まっていてもおかしくないし、当番の艦娘もそれに備えて慌ただしくしていても、何の不思議でもない。
そんな提督の予測を裏切るように、朝と全く変わらず、鎮守府は『無音』なのである。あまりにも不気味な『無音』が、鎮守府全体に漂っている。
提督は焦る気持ちを落ち着けようと、哨戒の艦娘に無線を入れる。ただの所在確認だ。しかし、無線をつなげても応答がない。全ての担当艦に無線を入れたが、全てから応答がないのだ。これは非常事態だ。終戦まで戦ってきた間柄だ。彼女たちが、終戦だからと油断しきって任務をほったらかすほど怠惰ではないことは、提督が一番良く知っていることである。
提督は慌てて、執務室を出る。その瞬間襲う、いっそう濃い不気味さ。『無音』という不気味さ。焦る気持ちを制御しながら、提督は鎮守府を歩きまわる。耐えられず、「誰かいないか?」と聞いてみるが、自分の声が虚しく響くのみである。誰からの返事もない。食堂を覗いても、誰もいない。当番さえいないし、料理をした形跡も見当たらない。なんだ、自分へのサプライズかと楽観的に考えてみるものの、あまりに無機的な鎮守府内の様子に、提督は楽観的になることはできない。そして、艦娘の部屋へと足を運ぶ。極力関わらないつもりだったが、あまりに巨大な不安が、提督を動かす。
コンコン。ノックをしても、返事はない。コンコン、コンコン。どの部屋からも、音がない。提督は思い切って部屋を開けた。誰もいない。別の部屋も、また別の部屋も、提督は手当たりしだいに開けたが、誰もいない。
「誰か! いないのか? 返事をしてくれ!」
煽り続ける不安を無理やり払おうと、提督は走りだす。誰もいない。誰もいない。提督は外に出て、倉庫まで全力で走り、艤装、武器などを調べる。そこにも何もないのだ。まっさらになった倉庫を見て、提督の心は折れ、その場で座り込んだ。夢と現実の境目にいるような感覚を、提督は覚えた。
段々と頭の中身が現実に占領され、提督は立ち上がる。そしてゆっくりと歩きながら、艦娘の部屋に行く。何かがあるかもしれない。そんな希望と、それに匹敵する不安を同時に抱え、提督は重い足を動かし、艦娘の部屋を目指す。再度、部屋を観察する。布団は乱れ、物が置かれ、生活感に溢れている。しかし、人がそこにいる時の、あの独特な生活臭が全くしない。あたかも、映画のセットを見ているようだ。
部屋の中央に、まとめて置かれている、数個の封筒。その全ての正面に『提督へ』『司令官へ』などと書かれており、提督へ向けたものであると主張する。提督はそれをゆっくりと手にし、その部屋を出た。提督は鎮守府の全ての部屋を周り、全ての置き手紙を回収した。そして、執務室に集めた。似たような封筒に書かれた、差出人と受取人の名前。封筒いっぱいに大きく書かれたり、普通の大きさで書かれたと、個性が見て取れる。それを見て、提督は自然に涙を流した。この中に書かれていることが良いことではないことを、なぜか確信していた。
提督は手当たりしだいに封筒を開けては中身を読む。
――妖精と深海棲艦は、表裏一体の存在。そして、妖精から生まれた艦娘にとって、これは本能的に知っていること。深海棲艦が滅びれば、それに応じて、妖精も消える。艦娘も消える。役目を果たしたのだから消える、ただそれだけのこと――
誰もいなくなった鎮守府を、提督は1人で歩く。まるで、夢の中にいるようと感じた。艦娘たちの手紙は、完全には理解できなかった。しかし、もう、艦娘はここにはいないということは、確かな事実である。それ以外のことは、提督にとって、もはやどうでも良いことだった。
深海棲艦と戦うことは、艦娘の使命のようなもの。そして、その使命を果たすことは、自分を[ピーーー]ということ。艦娘はどういう気持ちで、今まで戦ってきたのだろうか。それも、提督という他者の指示のもとで。提督は再び、艦娘の部屋に入る。昨日まで誰かがいた、この部屋。今はもう、物しかない。しかし、彼女たちが残してくれたその物が、残されてしまった提督にとっては宝物である。全員が残してくれた手紙をはじめ、絵、写真など。
正式な終戦を迎えたその後、艦娘向けに作られていた鎮守府は再利用されることなく、かといって壊されることもなく、大半が当時のままの形で残された。そして、艦娘たちが残してくれたもの、また、その後提督が残したものを全て公開し、資料館として生まれ変わった。日本を代表する歴史遺産として、今でも、多くの人が世界中から訪れてくる。そこで、半ばボランティアのような形で人々に話をする、初老の男性。彼が話す、今は消えし英雄たちの生き生きとした姿は、多くの人の心を掴んで離すことはなかった。
「では、私が実際に艦娘たちを指揮していた時のことを、お話しましょう。何せもう歳ですので、曖昧なことを言ってしまったり、同じことを繰り返し言ってしまうこともあると思います。広い心で聞いていただければ、幸いです」
資料館、元艦娘鎮守府には、今日も、拍手が響き渡る。
-FIN
乙
閲覧ありがとうございます.
年末なので,溜まっていたアイデアメモを掘り起こし,ssの形にしたものです.
自己満足のための投稿ですが,楽しんでいただけたのであれば幸いです.
以下に,それぞれの話について,ハッピーかバッドかのみを書き残します.
<霧の中で>
ハッピーエンド
<秘書艦>
ハッピーエンド
<個性ナシ>
ハッピーエンド
>>10 で終わりにしていたが読み返したら提督がクズすぎて引いたので加筆
<変わらぬ愛、感謝>
ハッピーエンド.
全く意識していなかったが故か,過去作の「忠犬あさしお」にそっくりになった
<尻拭い>
ハッピーエンド?
<ねじ巻き人形>
バッドエンド
<あやつり人形>
バッドエンド
ねじ巻き人形の続き.
<捨て艦として、最後まで>
バッドエンド
<戦争が終わったら>
一応ハッピーエンド
・・・年始から変な話を落としてごめんなさい
乙です
朝潮ちゃん大好き
過去作
電「二重人格……」
提督「艦むすの感情」
艦娘という存在
朝潮は『不安症候群』
朝潮はずっと秘書艦
映画『艦これ』 -平和を守るために
深海の提督さん
お酒の席~恋をする頃
忠犬あさしお
影の薄い思いやり
欠けた歯車、良質な物【艦これ】
【艦これ】お役に立てるのなら
お役に立てたのなら【艦これ】
【艦これ】<霧の中で>他短編
「お役に立てるのなら」を現在加筆修正中
>>31 おつありです
HTML化の依頼を出しました.閲覧ありがとうございます.良い年になりますように
>>33 おつありです
【書き込みしますがHTML化をよろしくお願いします】
>>30 規制は「殺す」です
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