俺専用 (60)
「あ」
ふと、立ち止まり上を見上げる先輩。
一歩遅れて俺も立ち止まって振りかえると
先輩はなにかをじっと眺めてるようで。
「どうしたんですか?」
そう聞いてから、同じ方向の空を眺めてみた。
雲が一割を切っている、紛れもない晴天。
ここまでの晴天になると遠くの空が逆に白く見えて
晴れてるのかなんなのかわからなくなる。
先輩はチラッと俺を見てから空の一点を指差して。
「ん? ほれ見てよ、飛行機雲飛行機雲」
そう細く伸びていく白い線を愉快気に示した。
「…あ~」
「反応が薄いな~」
「まぁ、だって飛行機雲ですからね」
「じゃあ飛行機雲を最後にこうやって見上げたのはいつ?」
薄くなっていく線を名残惜しそうに見つめてから、
俺の方に向き直りジト目でこっちを見る先輩に
そういえばこうして見るのは純粋だった小学生以降無かったのかも知れないと思う。
「夏の大きな入道雲とかさ、冬に雪が降り始める瞬間とかさ。
春先にたんぽぽを見つけたときとかさ、秋の紅葉茂る山とかさ。
そういった物って、年取るごとに感動、薄れちゃうよね」
「…まぁそうですね。特に最近は色々とズレてきてますし」
「私は、いつまでもこうして季節ごとの流れ見たいのを、感じてたいな」
俺は、先輩から視線を逸らして再度空を見上げてみた。
そこにはもう、飛行機雲の姿は無かった。
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「いっ」
読んでいた本から目を上げて声をした方を見れば、
縫い物をしていた筈の彼女は人差し指を咥えて涙目で俺を見ていた。
家事が得意で手先が器用、料理が上手でそつがない、
そんな彼女のパーソナルから見れば珍しい失敗だった。
「大丈夫か?」
「ん、痛い」
「そりゃそうだろ…」
俺は本に栞を挟んで立ち上がり、
棚に常備してある救急絆を取り出し彼女に近づく。
彼女が舐めた為に大して血はでていなかったが、
それでも放って置くと人差し指の腹にぷっくりと紅い液体が膨らむ。
「珍しいな、お前が裁縫で怪我なんて」
「えへへ。君がさっき本読んでたじゃない?」
「あぁ」
「その横顔を見ながらやってたらプスッて」
「…馬鹿」
くるりと指先を一周するように救急絆を貼って
彼女の広い額を軽く小突いて隣に座る。
「あれ?」
本を読み始めたら中断することを基本的にしない筈の俺に
不思議そうな顔をする彼女。
「お前がまた怪我したら困るからな」
俺がそういうと彼女は、ひどく優しい笑みを浮かべた。
「う」
下校中、坂の途中で立ち尽くしている後輩を見つけた。
俺が忍び足で近づきその後頭部をポンと叩くと、
後輩は上のような呻きを上げて慌ててこちらを向いて構える。
「なんだその手は? 蟷螂拳か?」
「え、あ、先輩」
不意に後頭部を叩いてきた不埒者が俺だと気づいて
目を開いて体勢を直し軽く頭をさげる後輩。
「なにを見てたんだ? 道端でボウッとしてると轢くぞ?」
「いや、そこは避けてくださいよ…」
「無理だ」
嘆息をつき、その後付近の木に向き直る。
「くもの巣、見てたんです」
「くもの巣?」
「はい、今日の昼ごろ軽く雨が降ったじゃないですか」
「少しだけ天気雨が降ったな」
「それで、水玉がくもの巣について真珠のネックレスみたいで」
丸く、規則正しく形作られたくもの居住スペース。
その節々の繋ぎ目にたまる大小様々な水滴が、日の光を反射してキラキラと光る。
「綺麗だな」
「へ!?」
「くもの巣が」
「あ、そ、そうですね……」
「……なに勘違いしてるんだ?」
「べ、べつにしてません!」
―――
TOT現象しかり、ゲシュタルト崩壊しかり、
人間の脳というのはなんだかんだいって貧弱な作りをしている。
同じ字や物を見続けると認識に齟齬が発生して、
正しく視認できなくなったり。なにか行動を起こそうとした次の瞬間に
ぽろりとなにをしようか忘れてしまったり。
脳のCPUはどうにも性能が悪くちょくちょく処理落ちするような
どうにも出来がいいとは言い難い作りをしている、
コンピュータの記憶媒体としてはジャンクもいい所だ。
だが、じゃあそれは脳味噌自体の性能の限界なのかといったらそうじゃない。
RAMとしてもROMとしても脳味噌自体のスペックは華々しい、
見た物、聞いた物、嗅いだ物、味わった物、触れた物、
その全てを記憶し、忘却せず、一生を過ごすだけの容量があり
実際そういった能力を持ち、過ごし、死んでいく人間も存在する。
暗算で三桁以上の累乗計算を行う人間も存在する。
何千という未来を幾許かの時間で読み取り最善を狙い戦うものも存在する。
しかしそれはもはや人外魔境の様相を呈した存在、
一種の超能力というべき物。従って僕の様な一般人(この場合一般人という
括りが必ずしも人類の中で最も普遍的な形から外れてないという意味ではない)
が使いこなせる脳の能力などたかが知れていて、
ゆえに僕は鐚走の家に向かって歩みを進めていた。
本日、僕はふとその活用し切れてない脳の度忘れの所為で
鐚走の下の名前をすっかりかっきりさっぱりしっかり忘れてしまった。
人間というのは本当に適当な生き物で、前述のような特殊な脳回路をしてる
人物でなければ物事をどんどんと忘れていく。
どんなに得意な科目だって、一年もやらねば解式なんて忘れるし。
どんなに親しい相手だって、一度も呼ばねば下の名なんて忘れる。
僕はいつも鐚走のことは鐚走としか呼んでいなかったし、
あいつも僕のことを名前で呼んだことなど過去一度も無いだろう。
それでもやはりたった二人の友人の名前を忘れるというのは
不実極まりない当然のマナー違反だろうので。
僕は事前連絡、所謂アポイントメントを取ることなく
思い立ったが吉日とばかりに鐚走の家にのんびりと歩いている。
いや、べつに家に向かってるからといって
本人に会って直接「お前の名前なんだっけ?」という質問をするつもりではない。
流石に人付き合いに疎い僕でもそれはタブーだということくらいは理解できる。
僕は足を止めて目の前に広がる異様な光景に
しばし目を留めて、三秒程度してから踵を返して
来た道をそのまま辿って帰路に着いた。
アポイントなど、そもそも取る必要はないのだ。
僕はあいつの家に行って誰かに答えを教えてもらいに来たわけじゃない、
あいつの家を見に来ただけなのだ。
さて、関係ないがここは石垣島じゃない、
ましてや沖縄ですらない、立派な首都圏である。
そして広い、由緒正しく格式高い旧日本家屋。
それが鐚走の実家、なのだ。
端から端までで1200m走ができるあいつの家はでかい、
そして異様で、異端で、異形で、異常だ。
広い敷地に存在する屋敷といって構わない日本家屋。
その高い高い屋根よりもさらに高い石垣。
厚さも優に1mを超える分厚い石の壁が周囲をグルリと囲っている。
僕が見たかったのはその光景だけだ。
だからさらに正鵠を記すのであれば、僕は家を見に来たわけですらなく。
家を囲むこの圧倒的な存在感を誇る壁を眺めに来たのだ。
この石壁は、そのまま鐚走の名前を表している、
名は体を現すなどという陳家で陳腐な物言いがすんなりと当てはまるほどに。
鐚走監獄。
僕のたった二人の友人の一人が彼だった。
べつにその二人が僕にとっての愛と勇気って訳じゃないが、
しかし我ながら自分の交友関係に対し少々疑問を覚える。
友人なんて心の底から信頼できて、助け合える、
自分の全てを打ち明けられる親友が一人居ればいいと聞くが、
ならば件の二人の友人がそれに匹敵するかと言えばとんでもない。
―――
『雨宿り 流星 ボールペン』
私は雨が好きだ。
雑踏の中にいながら、傘の下、自分のいる所を雨が区切ってくれてるようで。
普段なら聞こえる足音や他人の話し声、ノイズ、ノイズ、ノイズ、ノイズ。
雑音が、雨音という雑音で書き消されて私と言う個が隔絶される。
その感覚を私はこの上なく好ましく思っている。が、それは濡れる事を良としてる訳ではない。
現に物書きとしての活動によって衣食住を得てる私は、
最近では少数派である直筆での執筆を行っていることも相俟って
原稿用紙が濡れぬように近隣の店舗にて雨宿りを敢行している訳で。
ここでセカンドバックを見つめ、溜め息の一つもつかせてもらった。
その中には前述の通りバックアップなど存在しない原稿があり、
さらに情報を追記するならば、私は万年筆を使う更なる少数派で、当然インクは水に滲む。
やはり主義を曲げてでもボールペンかなにかにするべきだったと嘆息を重ねる。
最近のボールペンはガラスに書けるものもあると言うのに私もレトロである。アナクロだ。
雑誌エリアの向こうの空は厚い雲が見え、止む気配のない雨がアスファルトをたたく。
趣味と言うか日課として聞いてるラジオは射手座流星群の到来を話題にしていたが
これでは星もなにも月すら観測できないだろう。
流星群の存在を教えた時の妹の表情を思えば残念至極であるが、こればかりは仕方ない。
私の雨が好きだと言う趣向が天候に影響を与えたという場合でなければ、
これは妹に対し私が罪悪を感じるのは不実であろう。
「……」
しかし、同居人の機嫌は取っておくに越したことはない。
そう結論づけると私は炭酸飲料の2リットルペットを掴むと、ビニール傘と合わせてレジに運んだ。
流星があの雲の向こうにすでに存在するならばこの雲を消してくれないだろうかと思いながら。
『傘 算数 ブランコ』
傘が壊れた。
いや、そりゃ確かに安物のビニール傘ではあるけれど、
買った当日も含めてまだ片手で数えるくらいしか使ってないのに。
こうもあっさり根本から折れてしまうとは、春一番に対し感嘆すら沸く。
仕方なしに折れた傘を持って自宅に帰還しようと歩みを早めると、
霧雨の中の公園で金属の軋む音がする。
みれば強風の影響か、無人のブランコ二つ、ただ空虚に揺れていた。
私は霧雨に打たれながら、ブランコがその動きを止めるのを見届けてから
折れた傘をそこになにくれとなく立て掛けて。自宅に向けてその歩みを再開した。
遅いよ、なにをしていたの? と、帰宅するなり妹に言われ。
次いで、傘を持って行ったのになんでそんな濡れてるの? と、問われた。
私は呆れる妹に、強風に傘をもってかれたと事実を若干歪曲させて伝えて
渡されたバスタオルの代わりに、わざわざ出無精の私が雨の中を外出した理由を妹に差し出す。
宿題をしていたのかい? ……いや、遠慮しておこう、私は知っての通り文系でね。数字は苦手だよ。
自室の中心のテーブルに広がる算数ドリル、まだ数学と呼ばれる前の基礎勉学。
中国では暗算と言う言葉は暗殺と策略を掛けた意味合いになると言う無駄な知識を
ひけらかして妹をあしらい、自分の湿った髪を撫で付ける。跳ね上がった。
頼む事を諦めた妹は机に向かい早々に頭を抱える。
私はそれに苦笑を浮かべ、手伝う代わりに気分転換をと話を始めた。
――私の友人の話をしよう。
『伊達眼鏡 マグカップ アイロン』
眼鏡と言う物を自分は愛用している。
愛用、などと言ってもまぁ、単にコンタクトに趣向を変えた際に癖が抜けずに
苦肉の策として買ったと言うのが現実なのだけど。
しかしフレームだけのそれは比較的安価でド近眼の自分のレンズの厚さが反映されず、
種類の選択の幅が広いので、いまではお洒落の一環としている。
前使っていた黒ぶち眼鏡だと自室で文庫を片手に紅茶を嗜んでいても
どうにも眼鏡自身が野暮ったくて、イマイチ様にならなかった。
それに普通の眼鏡だとズレると当然ズレた範囲は裸眼になる。
いつだったか友人に「なにをそんなに怒ってるの?」と冗談半分にアイロン掛け中に問われたもので。
また、雨や室内外の気温差などで視界がぼやけることもなく。
料理をしてても湯気で白くならない事には感動したものだ―玉葱は御免被るけれど。
……と、言うのが゙私゙の友人が先程まで゙私゙に対して行った伊達眼鏡、
ひいてはコンタクトの良さに対する講義だった。
私はマグカップの中のカフェオレを啜りながら、その他人の夢の内容や自慢に並んで
非常にどうでもいい話を反芻しながら。いくら眼鏡を華麗なものに変更しようと
結局は人物自身の造形と似合っているかいないかだろうと思い。
楽しそうに語っていた友人を想起し人知れず笑みを浮かべた。
『飛行船 座布団 彼岸花』
これ、この毒々しいまでの紅い花あるじゃん、えっと…、リコリス?
……それは、単子葉植物網ユリ目ヒガンバナ科の彼岸花の事かな? リコリスはその英名だけれど…。
というような会話を、相変わらず似合わぬ伊達眼鏡をかけた友人と交わしたのは、
確か先週だったように記憶している。
珍しくその日は友人宅へお邪魔し、その際にだされた座布団のカバーに感性を疑うような、
当人でさえ毒々しいと表する彼岸花が描かれていた。
その圧倒的な威圧感に私は一瞬だが座るのをためらった物だ。
さて、豆知識だが、彼岸花には二つ花言葉がある。
一つは再会。これは彼岸花としての花言葉。
一つは悲しい思い出。これはリコリスとしての花言葉。
春と秋の季節にある彼岸、この花が咲くのは後者で、名の由来もそこにある。
彼岸、彼方の岸。
向こう側の岸。悲しい思い出。
中々に暗喩的ではないか、と不謹慎にも物書きの性格でつらつらと物思いに耽る。
話は飛ぶが飛行船、これは素晴らしい乗り物だ、非常に安全かつ快適らしい。
HからHeに内封気体を変更して以降事故の事例はほぼ皆無で、友人は飛行船を利用して
短期間の旅にでると言った際に私の蘊蓄を引用して再会をと彼岸花を寄越した。
しかし、あぁ、しかしながら、君は彼岸花を最初になんと呼んだか?
リコリスの花言葉は悲しい思い出で。友人は別れ際にそれを私に託して、
そして彼岸に行ってしまった。彼方の岸へ行ってしまった。
飛行機の事故は宝くじを一枚買って一等に当たるより困難と言うなら、飛行船は?
座布団を指差して笑った友人は幸運にも不幸に見回れたのだろうか?
とにもかくにも、友人の意図は裏切られ。彼岸花はリコリスとして私の元で枯れ果てる。
黒く縁取りされた友人の写真を見て、やはり伊達眼鏡は似合わぬと思った。
鏡越しの自分
故の正反対
同一に限りなく近い相違、相似
矮小と広大
共に歩く君と僕
魔法使いの同居人
不味い煙草
金銭感覚の狂い
アルバイト、いえない仕事
安い2DKのアパート
不幸と幸福の総和=0
規定の幸福量
二人ぼっちの世界
長い長いお話
暗闇と光るモニター
過去と現在との相似
魔法使いの彼女
パイプベッド
キャスター椅子
―
機械的な街
偽名移住
カードキー
偽装工作
大量の本
仕事
―――
部室棟、通称旧館と呼ばれる校舎。
その中の一室、文芸部と書いてある部屋の扉の前に俺はいた。
「…おい、文芸部と書かれてるが本当に使っても良いのか?」
「構わないらしいよ。少なくとも彼女はそう言ってた」
「彼女?」
「そう」
微笑みを絶やさず返答しながら、目の前の少女は文芸部の部屋の扉を開く。
そして目に入った部屋、文芸部の部室は非常に簡素な物だった。
小さな本棚と折り畳みの長机、そしてパイプ椅子がいくつかある。
それがこの部屋にある物のすべてだった。……いや、もう一つだけ、
――正確には一人なのだが、一つだけと思うほどに――身動ぎのしない長髪の少女がいた。
パイプ椅子に腰掛けて、扉の開閉の音にも見向きもしないで窓の外を眺める人形の様な少女。
先程あいつが言ってた、"彼女"と思わしき少女は、少ししてようやくこちらを向いて、
「――周防九葉」
そう短く呟いた。
俺はそれが彼女自身の名であることにしばらく気付きはしなかった。
非常に平坦で平淡な声質、淡白で希薄な声量。俺は再度空の観察に戻った周防九葉に向かって
念のための質問というか、確認をさせてもらう。
「あー、周防さん? いいのか本当にこの部屋を借りても」
彼女は空から目を逸らすことなく。
「――いい、私は―――気にしない」
そう言い放った。
内容よりも彼女が発する、音と形容しかねない声に気圧されて黙る。
「ね? 僕の言った通りだろキョン」
「はいはい、その様だな、……佐々木」
意気揚々と俺の顔を覗き込んできた佐々木が笑う。
そして人差し指をたてながら喉を鳴らす様ないつもの微笑みとともに、
「では明日から放課後はここに集まってもらうからねキョン」
それが、俺が本格的に逸脱する事になった切っ掛けで、
俺の人生で最も輝く三年間の開幕記念日だった。
正直認めたくなかった部分もある。それでも否応なしに気付いてしまうことがある。
年を少しずつ重ねる毎にはっきりと形作られる現実と言う名の自分の天井、限界。
誰にも一度は経験したことのある自身の万能感、万有感、
自分が特別だと思えた根拠の無い自信、自分を中心に世界が回ってると本気で思えたあの頃、
その全てが嘘偽り夢幻だと気付いていて、それを俺は認めたくなかったんだ。
この世には正義の味方はいない。
超人的な能力を持ち、一人で世界を変えられる人間など存在しない。
超能力者も、未来人も、異世界人も、宇宙人も、地底人も、天上人も、透明人間も
スパイダーマンもバットマンもスーパーマンもウルトラマンもウルフマンもゼブラーマンも、
この世には存在しやしない。仮に存在しても、彼らは接触してこない。
超能力者は接触してこない。
未来人は接触してこない。
異世界人は接触してこない。
宇宙人は接触してこない。
地底人は接触してこない。
天上人は接触してこない。
透明人間は接触してこない。
スパイダーマンは接触してこない
バットマンは接触してこない
スーパーマンは接触してこない
ウルトラマンは接触してこない
ウルフマンは接触してこない
ゼブラーマンは接触してこない。
接触してこない物は観測できない。
観測できないものは、存在してもしなくても変わらない。
だから存在しない。
一種逆恨みにもにた鬱屈した気分、それと同時に知覚するガキな自分の卑称さ矮小さ、
所詮学校の塀の中で大半を過ごす囲まれた世界。
認めたくないと思うほどに身動ぎとれなくなるこの状況で、
それでも数少ない安息をもたらしてくれるのが、学校での友人との対話と言うのがまたなんとも言えない。
結局、どう足掻こうとも俺はどうしようも無いほどに一般的な男子中学生だった、
その為、なんの疑問も抱くことなく一般的な男子高校生に昇華した。いや、なにも思わずにと言う訳じゃない。
誰にもあるようなメランコリーさも、今まで通っていた中学から去ることに対する空虚な感覚も
そりゃ確かに有るにはあった。けど、結局高校なんてのは義務教育みたいなもので、
俺は大した感謝も感涙も無く中学を卒業したし。
大した感慨も感動もなく高校に入学した訳だ。
「どうもよろしくお願いします」
恙無く進行した式を終えて、恒例の自己紹介を無難にこなした俺は、
席に座り直し一息、前の席の女子に話しかける。
「しかしまさかまた同じクラスとはな佐々木」
「ふふっ、僕も予想外だったよ。……でもお陰でこの一年間は楽しく過ごせそうだ」
―――
「……ここが住居ですか?」
「一応ね、しかも結構人が入ってて開いてる部屋は無いんだ」
「それで、貴方は私にここに住めと?」
「うん、まぁ一応ね。身寄りがないんでしょ? 僕が言い出しっぺなんだから責任くらいはとるよ」
六月末、僕は松葉杖を突きながら骨董アパート前で以上のような会話を交わした。
包帯でぐるぐると巻かれた状態の先のない右手首を制服の袖から見せる子荻ちゃんと。
二階の奥、みいこさんの部屋を過ぎて短い廊下を少し歩いた先の僕の部屋。
ポケットから出した鍵で扉を開けて中に入る僕と子荻ちゃん。
「……絶句ですよ」
「いや、まぁ確かに狭いけど家賃めちゃくちゃ安いし結構いいところだよ?」
「一時的なアジトとしてなら兎も角、ここを住居として長期的に使用するだなんて……」
「つっても僕は特に家電製品とか所有しない人間だからね」
「……絶句ですよ」
「二回も絶句しなくてもいいんじゃないかな?」
今月頭に哀川さんと僕で行った首吊高校潜入作戦。
そこで起こった事件はまだ記憶に新しい。
姫ちゃんと子荻ちゃんも、その悲しいほどに被害者で、切ないまでに加害者で、
僕は、自分のできることを、できる範囲で、できるだけやり、
その結果が、子荻ちゃんの生だった。
あの場で、僕がとっさに彼女の襟を引かなければ、
彼女はバラバラの肉塊に変わり果てていただろう。
「自分の行動の結果としての状況」、僕は哀川さんとのその後の対談によって
姫ちゃんの方はともかく子荻ちゃんの方は完全に自分でどうにかしろと言われた。
ついでに姫ちゃんはまだ入院中。
「まぁ流石に布団くらいは用意するけどさ、新しく君のためだけに部屋借りてあげるほど
僕って裕福なわけじゃないんだよね。無職の大学生だしさ」
「確かに貴方も働くには不向きそうですからね」
「お互い様だよ、いまは」
松葉杖の僕と片手をなくした子荻ちゃん。
どちらも労働には向かない体調である。
まぁ子荻ちゃんはそんなことを言った訳ではないだろうけど。
座布団もなにもこの部屋にはないので、
とりあえず子荻ちゃんには床に直接座ってもらう。
お茶だそうにも茶葉もヤカンも湯のみも無いので代わりに水をコップに入れて置いてみた。
ものの見事にシカトされた。う~ん。
「しかしいまさらだけど、よくもまぁ素直についてきたね子荻ちゃん」
「は? どういう意味ですか?」
「いや、子荻ちゃんなら得意の策で逃げようとも思えば絶対に追跡不可能な位に
僕から逃走できただろうと思ってね。ただでさえ僕は松葉杖で君は足自体は自由だ」
「……そうですね。あえていうならば、タイミングを見失ったんですかね」
「タイミング?」
「貴方を殺すタイミングも逃し続け、貴方の口車に乗っかり、そして結果私はここにいる。
逃げるタイミングもなにもかも、いまの私にはないんですよ。だから、一種の諦めです」
力なく肩を竦めて見せる策士。
それは取りようによっては戯言遣いに対しての敗北を認めたようにも取れる。
「……そうとってもらって構いません。私は確かに貴方に敗北し貴方に救われた。
貴方がついて来いと言ったからついて行くし、貴方がここに住めというならそれも承諾しましょう」
肩にかかる長い黒髪を左手で払って、
疲れたような微笑を浮かべる子荻ちゃん。
「それに、私もあなたに個人的な愛情を向けていますし」
……あぁそういえばそんな会話もした気がするかな。
というかその誤解は解かれてないままなのか。
ぼくとしてはまぁ展開が楽そうでいいのだけど、
たらしになったみたいでそれはそれでやだなあ。
「……まぁいいけどさ。それについては色々とノータッチでいた方が
ぼくも子荻ちゃんも幸せだと思うんだ、個人的に」
「なるほど、確かに互いに愛情を向けあう年頃の男女がこんな狭い部屋に同棲というのは
世間的にも問題がありますからね。その辺はとりあえず不問ということで」
「……」
ぼく個人としては同居、もしくはルームシェアなんてのも今時で良いなと思うのだけど、
戯言遣いたるぼくとしては策士の彼女の発言を尊重する形で。
ぼくと子荻ちゃんの同棲生活が始まった、と言っておこうと思う。
しかし子荻ちゃん。
確かに好みだとは言ったけど、こうも素直に好意と受け取って
しかもあんなにもぼくが嘘つきでペテン師で詐欺師で戯言遣いだと言ったにも関わらず
なんの疑いもなくぼくに好意を向けるというのは、策士としてどうなんだろう?
やっぱり環境の所為で恋とかと無縁だとそういったところは純粋なのだろうか?
……正直ぐっと来ます。
「よろしく、戯言遣いさん」
「……よろしく子荻ちゃん」
―――
ということで同棲生活一日目。
この場合、上記の流れから一夜たっての明くる朝のことを指すと思ってもらって構わない。
「おはようございます」
ぼくがこの間まで使用していた布団から目を覚ます子荻ちゃん。
当然だが彼女をぼくの家に連れてきてその日に布団一式を買える筈もないので、
子荻ちゃんにぼくの布団を一時的に譲渡したのだ。
さらに当然だがぼくはその横で一緒に、なんて展開はさらにある筈もないため、
床に直接着の身着のまま眠る羽目になった。
首やら腰やらが痛むが、そこは若さとキャラとハートが大まかカバーだ。
「おはよう子荻ちゃん、ボロい布団でごめんね。よく眠れたかい?」
「……あなたの匂いがしました」
「そっかー」
どういう反応すればいいのかわからず、適当に流してしまった。
正直辛すぎる、素なのはわかるけど突っ込みたくて仕方がない。
巫女子ちゃんが入れば捻りの効いた鋭い突込みを即座に入れてくれるだろうけど、
ぼくには生憎そういったことには疎いのだ。
みいこさんからはよくボケ(罵倒ではなく)とよく言われている。
まぁそのみいこさんの方がよほど天然ボケな気がしてならないけれど。
哀川さんにしてもボケと言うか力技で突っ込みもクソもねじ伏せる感じだし。
ううむ、突っ込み力が育たない。
閑話休題。
というかなんださっきからなんなのかなその表情は、
いいからぼくの布団からでてくれると嬉しいんだけど。
匂いがした発言とかその体勢とか色々と色々なんだよ。
「えっと子荻ちゃん?」
「……はい?」
「とりあえず朝食でも食べる?」
「えぇ、いただきます。けどなにも食べ物の香りがしませんよ?」
「残念だけどこの家には調理器具の一つもなくてね。
子荻ちゃんの着替えとか色々買うついでに外に食べに行こうかと思って」
「そうですか、わかりました」
ある程度会話を交わす短い間に意識は覚醒し終えたのか、
布団からひょいと立ち上がって両手を上げてのびをする子荻ちゃん。
やっぱり胸が大きい。強調されるような形になってより一層。
「……なにか不穏な気配を感じました」
「気のせいだと思うよ」
「そうですか?」
「そうです、間違いなく気のせいだよ、子荻ちゃんもちょいとお疲れ気味で感覚が鈍ってるんじゃないかな?」
―――
「それでさ、学校はどうしようかって話なんだよね」
ぼくは朝食と昼食を兼ねた食事、
お洒落に言うならブランチをファーストフード店で取りながら
向かいに座ってコーヒーを啜る子荻ちゃんに話しかけている。
ぼくらが座る席の間には少量の衣服と小物。
いつだったか巫女子ちゃんの買い物に付き合ったときの
購入した量と比較すると明らかに少ない。
というのも子荻ちゃんがそんなに外にでることもないし、
不経済の無駄遣いだからと、必要最低限以外のお洒落着や嗜好品を
まったくといって良いほどに程に手に取らなかったからだ。
「それは澄百合、のことですか?」
「いや、そうじゃなくて。べつのそこらの普通の高校だよ、
日本じゃ高校までが義務教育みたいな所あるからね。
女の子だからそこまで深刻になることもないだろうけど、
やっぱりでておいたほうが今後の生活にも影響あるし」
「……興味ありませんね。一般人がやる勉学を私が必要するとでも?」
「ま、そうだよね。だったら直接大学なり行った方がいいよね」
関係ないけど子荻ちゃん、買ったばかりのスリムジーンズとTシャツというラフな格好。
やっぱり澄百合の制服は目立つ。
「……そもそもこの腕でどうやって勉学に励めと?」
いまだ包帯の解かれぬその右手首。
ぼくも両手の指を十本の内九本折ったことがあるけれど、
しかしそれとはやはり比べられないのだろう。
それにぼくは両利きだけど子荻ちゃんは違う。
義手をつけるにしてもリハビリとか色々お金も時間もかかるし、
そう上手くはいきやしない。
「……ごめん、少し無神経だったかな」
「べつに構いません。不自由はありますけど、その内慣れるでしょうし」
「……」
少し、打ち解けてきた気がしていただけに
この沈黙はむやみやたらに気まずく重く感じる。
完全にぼくのハンドリングミスだ。
どうにか子荻ちゃんに笑顔を作らせないと。
「あー、そうだ。じゃあなんていうのかな」
「……なんでしょう」
「永久就職ってのは……?」
「……は?」
さらに沈黙。
墓穴を掘った上に、脱出しようと横穴を掘ったら水源見つけて溺れた感じだ。
ストレートに自爆。ぼくは馬鹿か。
「…………」
子荻ちゃんはいぶかしむ様に、というかもろにぼくをいぶかしんでいる。
目を細めてぼくをじっと見て身動きひとつしない。
ここで「なんちゃってー!」なんて言ったらまた場の空気も変わるのだろうけど、
しかしぼくはそんなキャラじゃないので黙ってコーヒーを啜るにとどめる。
子荻ちゃんだけならいざ知らず、赤の他人にまで白い目を向けられるのはごめんこうむる。
チキンと呼ぶがいい。
「……昨日はノータッチと言っておきながら、次の日にはプロポーズですか?」
そんなつもりではなかった。
いや、確かにそう聞こえないでもないけど。
女の子には結婚という道もある、という一つの話だったつもりなんだ。
やっぱり子荻ちゃんはそういうところがストレートでピュア。
可愛らしいけど扱い辛い。或いは可愛らしいから扱い辛いのか。
彼女の策士としてのスキルはある程度以上その容姿に助けられている気がする。
無論彼女からすれば自身の容姿も客観的に理解した上で策に利用するのだろうけれど。
じゃあいまのこれがその策、あるいは類する何かなのかと言えば……ないな。
「いやいやいやいや! そうじゃない、そうじゃないよ子荻ちゃん
ちょいと勘違いしているみたいだけど、べつにプロポーズとかそんなんじゃない。
まさか! まさかだよ子荻ちゃん! そういう手もある、そう言おうとしただけでね、
べつに結婚しようって誘ってるつもりじゃないんだよ。本当に。
君ならぼくが嘘をついてるかどうかくらいわかるだろ?
わかるよね? うん、よかった。実に助かるよ子荻ちゃん。
それだけ聡明なら安心だ。まさか貧乏でその日暮らしな大学生と
その場の流れに流されて結婚してしまうようなへまはしないだろうとぼくは安堵するばかりだよ。
子荻ちゃんのことだからきっとその慧眼を持ってして格好よくて金銭にゆとりのある
性格も素敵で君を守ってくれる正直な男性を見つけるだろうと思うよ。
まぁ、ぼくも正直という点じゃそこそこいい線言ってると思うんだけどね、
だけど他の面じゃどうしようもない奴だよぼくって人間はさ。
毎日が苦労と苦悩で一杯で息抜きの一つもできないような生活になってしまう、
そんなのはごめんだろ? わかったらぼくみたいな甲斐性無し以外にいい男でもだね……」
「……私はべつにそれはそれで悪くはないと思いますが」
無言の時間に耐えきれず立て板に水、のべつ幕無しに捲し立てた結果
自分の首を絞めすぎて骨までぽっきり逝った音がした。
ついでに話の腰も折れた気がする。ぼきぼきだ。
……どうしよっか。
一拍、子荻ちゃんが手に持ったままだったカップを口に運び、
音もなくソーサラーに戻す間の静寂。
そして子荻ちゃんは言い聞かすように口を開く。
「それに、私はあなたに個人的愛情を向けてるといったはずですよ?
あまりそういった事の後にする話じゃありません」
「……でもね子荻ちゃん。
好き、とか嫌いとか、そんなものは食べ物と同じなんだよ、
突然ひっくり返るし、ふとした拍子に入れ替わる。
特にぼくみたいな奴は、少し踏み込めばすぐに後悔する」
「それは私が決めることです。
私は別に裕福さ余暇も求めてません。そんなもの、必要ありませんから。
婚姻というものは、そういったものではないのでしょう?
それに繰り返すようですが、あの高校に通い殺戮を知り、
こんな腕をした私を誰が求めるというのですか?」
いくらでもいる、とか、まぁそんな気休めの言葉を吐こうとして。
黙った。騙すのも誤魔化すのもぼくの独壇場でぼくの十八番だが。
なんとなくそうするのを躊躇ってしまった。
理由は、わからない。
「私は、好いた人と共に居たいという気持ち。
それを互いに持ち、行動に移した結果が結婚という形だと解釈してます。
あなたが私にこの前言った言葉は嘘ですか?」
だからそれは君の勘違い、誤解、錯覚、気のせい。
そう切り払うことは容易く、そして非常に困難だった。
どうするか悩み、そうしてできた空白の時間にだした正直者たるぼくの答えは。
「嘘じゃないよ、君が望むのなら。結婚、しようか?」
「……あは」
自身を偽って彼女の笑顔を守る。
偽善にまみれた選択だった。
―――
カランと扉の上部についた来客を知らせるベルが涼やかな音を鳴らし、
私は久方ぶりに聞くその音を受けながら店内に足を進める。
「マスターいつもの」
「はい」
カウンターに座って私が注文すると、
すでにマスターは私の顔を見て用意していたかのように
素早くいつものカクテルを私の前に差し出す。
店内にはどこかで聞いたことがある、
しかし曲名がでてこないようなそんなクラシックが
邪魔にならない程度の音量で静かに流れている。
私はカクテルを少し眺めて、少し口に含む。
甘い、爽やかなアルコールの味がした。
私の他に客は二人だけ。
小さい店というのを除いても、相変わらず少ないお客に
人知れず微苦笑が浮かぶ。
そしてその二人のお客も、
大して間を置かずに代金を置いて
カランと小さなベルの音と共に店をでていってしまった。
残ったのは、私とマスターだけ。
「相変わらずね」
二人だけになり、クスクスと私は笑いながら
あまり似合ってるとは思えないバーテンダーの服装をした
客と常連以上に古い付き合いのマスターに話しかける。
「それは店がか? それとも俺がか?」
「両方、かな」
「ま、そうだな。どっちも確かに相変わらずだ」
ポーズでしていたグラス磨きの手を休めて、
彼はカウンターの向こうにある椅子に腰掛け
客用のそれより小さなグラスに度数の低いお酒を注ぐ。
「だが、お前も久しぶりのわりに変わった様には見えんぞ」
「そうかしら? でもこの間鏡を見たら白髪があったのよ」
「そんなもん、俺だってとっくだ」
笑って、一口グラスに口を付ける彼。
私もそれにつられて半分まで減ったカクテルを飲み干す。
彼はそんな私を見てまた少し笑って、立ち上がり扉に向かう。
「今日は久しぶりだし、たまには語り合うか橘」
「それはいいけど、でも少ないお客さん逃がしていいの? キョンさん」
「ま、大丈夫だろ」
そういって、彼は扉のノブにぶら下がる表札を裏返した。
―――
「結婚、とかしないんですか?」
新しく作ってもらったXYZを飲みながら私は問う。
いつまでも、指輪のつかない互いの左手の薬指。
二十歳も半ば以上過ぎ、
同級生だった友人で結婚してる人も少なくは無い。
私はいわゆるOLって奴で毎日お仕事だし、
彼は彼でこんな所でこんなことをしている。
あまり、出会いと縁があるとは言い難い。
「考えてない訳じゃないがな」
「相手がいないってのはなし」
「……あー」
「佐々木さんも涼宮さんもいたでしょう?」
彼は言われて目を逸らす。
わかりやすい反応に私は嘆息をつく。
高校時代、中学時代から想いを募らせていた彼女達は、
しかし無残に散り、佐々木さんは別の男性と結婚して
涼宮さんは確かいまは自分の会社で仕事一筋のような形で過ごしてる。
二人とも、魅力的過ぎる女性だったろうに。
「否定は、しないさ。ただ俺は友達以上としては見れなかった
それだけ、なんだよな……きっと」
「それだけ、なのよね。あなたにとっては」
ただそれだけが、しかし圧倒的な壁だった。
本当に悲しいけど、それだけの話。
その二人だけじゃなくて、他にもチャンスはあっただろう。
全てが素敵で耽美で知的な女性ではないだろうけど、
でもその中の一人も彼を虜にできなかったというのなら、
それは哀しくて悲しいようにしか思えない。
「お前だって、人のこと言えないだろう」
「私は、青春時代は組織でお仕事だったし。
社会人になってからは、そんな余裕……ないわよ」
「余裕、ね」
くいっとグラスを傾ける彼。
度数の低いといっても、立派にウイスキー。
バーテンダーという立場の所為かお陰か、
ずいぶんとお酒には強くなったみたいで。
小さくて、確かに客は少ないけれど
でも私だけじゃなくて、他にも昔馴染みの友達も来てるみたいだし。
個人的には、自分の店に友人が集まって騒げるというのは
すごく素晴らしいことだと思うのだけど。
「それに関しては同意だな。
谷口や国木田も先週来たし、古泉も先月だかに顔を見せに来た」
「ちょっと連絡取ればここで同窓会ができそうね」
「ま、会いたくても会えない人間もいるけどな」
「……もっと未来で、きっと会えるわ」
「だといいな」
彼の先輩であった未来人の朝比奈さん、
私の同輩であった同じく未来人の藤原君、
その二人は自分達の生きる時代に戻ってしまった。
どんな気分なんだろうか、他の友人達はこうして関係を続ける中で
自分だけがどこか遠くへ行くというのは、
疎外感とか孤独感とか虚無感とか。
小さい頃、親の都合で転校したことを思い出す。
「まぁいまは博士課程進んでるあのハカセ君に期待するしかないな」
「あぁ、あなたが亀を川に放り投げたという……」
「曲解だ」
等々、アルコールが少しずつまわり
顔が少し熱くなってきた私と彼は
しばらく二人だけで会話を続け、時折笑っていた。
そのちょっとした感覚が心地よく、
ゆえにどこか物悲しかった。
「好きです」
と、先程の会話の流れで言えたなら楽だった。
「私とかどうですか?」
なんて冗談交じりに言えそうだったのに。
アルコールの酩酊感なんてのは、
べつに勇気を助長する程の物ではなかった。
「おっと、もうこんな時間か」
「え? うわっ、嘘よね?」
言われて見てみれば、壁にかかっている洒落た時計は
日付が変わって既に一時間の経過を伝える。
別に明日は休みだから慌てる必要は無いのだけど、
しかし予想外に俊足だった時間に私は驚いた。
気づけば結構お酒も飲んだ気がする。
「じゃあそろそろ帰らなきゃ……。えっと、いくら位?」
椅子から立ち上がりマスターである彼に聞いてみる。
足元が軽くふら付いたが、この時期のこの時間帯は風が酷く冷たい、
外にでて深呼吸すればずいぶんと頭もすっきりするだろう。
そんなことを考えながら財布を取り出すと、
彼は少しあごに手をやり逡巡してから。
「いや、今日はいいよ。俺の奢りだ」
そう豪気なことを言い放った。
「こんなに飲んじゃったし、店も閉めさせちゃったのに悪いと思うんだけど……」
私が座っていた椅子、
そのカウンターには空になったグラスがざっと両手で足りない位ある。
それに彼はこの後片付けなども一人でしなくてはならないのだし
色々とこのまま帰るのは後味が悪い気がする。
という感じのことを口にしてみると
彼は「は、お前がそんなん気にするとはな」と
ちょっと小馬鹿にしたように言って見せた。
「どういう意味かしらね」
「べつに。ただ、変わってないようで、やっぱり変わってるんだなって思ってさ」
「……それはそうよ。変わったようで変わってなくて、
変わってないようで、変わっていて。ぐちゃぐちゃになってくのが、人だから」
「ないまぜだぁな」
すいっとまるで素面みたいに歩いて
使ったグラスたちを流しに手早く運んでいく彼。
どうしようか、手伝おうか? とか思ってるうちに全部片されて、
私は間抜けに立ち呆ける形になってしまった。
「また、来いよ。近いうちにさ、ちょいちょい顔をだせ。それでいいから」
「え?」
「つまんないんだよ、お前来ないと」
水道から流れる水の音が、どこか心地よい。
カチャカチャと、食器の触れ合う高い音が、少し楽しい。
「なんかさ、よくわかんないけど、
寂しい……、のかな? まったく三十路も近い男が情けない話だが、
でも、お前が今日久しぶりに来て、すげぇ楽しかったし、
お前がどうこう思う必要はないから。だから、また来いよ」
食器の相手をして、こっちに顔を向けないで、
彼はそう照れ隠しなのかぶっきらぼうな調子で言葉を落とす。
それを受けて、私が一体どんな表情をしてるのか、
だから彼はずっと知らないままで、私もわからないままで。
「そう……する、ね」
「あぁ。頼むわ」
アルコールの所為とは違う理由の熱さが、
私の顔全体を覆うのを感じて私は一人笑い彼に背を向ける。
大人になって履くようになったヒールの音を小さく立てて、
私はカランと言う音と共に店をでた。
「……はぁ、さむっ」
言葉と共にでた吐息は、
軽く白く凍って、風とともに流れて消えた。
冬が、もう近い。
「ちょ、ちょっと待て橘!」
雲が流れて、月が見え隠れして。
さぁて、行こうと思った矢先に、彼に呼び止められた。
「これ、着て行けよ。その格好じゃいくらなんでも寒いだろ」
彼は腕に持っていた薄手のコートを私によこした。
茶色い、長い間使っているのであろうコートを。
「いいの?」
「あぁ、ちょっとボロいかもしらんが、我慢してくれよ。
まだ冬本番じゃないからそれで間に合うだろ?」
「……うん、ありがとうキョンさん」
「気にすんな。じゃ、俺は片付けの続きあるから」
「ん、ばいばい」
そういってまた店に戻ってしまう彼。
私は受け取ったコートに腕を通して、
少し丈が長く余ってしまった袖を握りながら。
今度こそ帰路に着いた。
もう、寒くは無かった。
―――
カランと扉の上部についた来客を知らせるベルが涼やかな音を鳴らし、
私はその音を受けながら店内に足を進める。
店内にはどこかで聞いたことがある、
しかし曲名がでてこないようなそんなクラシックが
邪魔にならない程度の音量で静かに流れている。
一枚のコートを、羽織ることなく腕にかけていた私は
カウンター席の一つに腰を下ろす。
マスターは、黙ってグラスを磨いていた手をとめて
扉にかかる表札を裏返して、戻ってきた。
カウンターの向こう、一つの椅子に腰掛けて
静かに微笑むマスターに私も微笑を返す。
「マスターいつもの」
「はい」
座ったマスターのすぐ手元に置かれたお酒、
それらはシェイカーに入れられ、振られ、そしてグラスに注がれる。
私はそのカクテルを少し眺めて、口を付ける。
甘い、爽やかないつもの味がした。
―――
目が覚めると視界には見慣れた天井が目一杯広がっていた。
当然だ、目が覚めて知らない天井が広がっていたらおかしい。
拉致や記憶喪失か、それに類するなにかや順ずるなにかが起きている、
というかそもそも寝起きの頭で一々天井がどうこうとか意識しない。
僕が意識したのはだから正確に言うならば天井ではなく、
それよりも幾分高度を下げた空間に漂っている白い煙だ。
火事だ。
とは思わない、僕にとってこれはこれでまた見慣れた物、
それでいて天井よりは意識するに値する物。
煙草の煙、ではない。
もっと悪質で素面で鼻腔に入れるにはそぐわない香りを伴う煙。
……いや、煙は大抵人体には害か。
「人の部屋で吸うのはやめてくださいと再三言っているんですけどねぇ……」
起きて視界に入るのが天井と煙だけという時点で
僕が二段ベッドの上に居るか、もしくはこの部屋に家具がないか、
どちらかだということは想像がつくだろうけれど、僕の部屋は後者。
なので僕は起き上がってすぐに目に入った
部屋の隅でパイプを銜えて不気味に笑っている知り合いに意味の無いとわかっている声をかける。
「あはは~、おはよう御茶ノ水君」
「誰ですかそれは……」
呂律が回っておらず、且つ目が虚ろな少女の姿に呆れながら
床に手を付き立ち上がろうとして、
その手が床ではなく変な物体に触れたのに気が付いた。
ほぼ純アルコールの酒というのも憚られる例のアレ。スピリタスの瓶。
「……なぜこんな物がここに?」
「喫茶様が昨日いきなり火炎放射がやりたいって買ってきたんじゃーん」
「でしたっけ?」
見ればなるほど、曝け出された壁の一部が焼けている。
壁紙だって意外と高いのに、僕は馬鹿か。
などと頭を抱えていると少女は一際強くパイプを吸い込み、
一拍置いてからぶはぁと親父のように大口を開けて煙を吐き
覚束ない足取りでこちらに近づいてくる。
「茶葉さん、キスしようぜー」
「嫌ですよ。吸ってるわにとキスすると確実に煙を送り込んでくるんですから」
「にゃはは~、だってつまんないもーん。つまんないつまんないつまんねぇ!
なんで一人素面なんですかぁ? 馬鹿にしてんのか私を!」
どれくらいの時間一人でやっていたのだろう。
この少女はうさぎよりも寂しがり屋で放置しすぎると手首を切る癖があるから困る。
……まぁうさぎの方の話はガセだけれど。
「……はぁ」
「んむっ!?」
虚空を見つめ今にもぶっ倒れそうな少女が再度パイプを銜えて
煙を多量に吸い込んだのを見計らい彼女を抱き寄せ、
その唇に自分の唇を重ねて自身の肺に煙を送り込む。
途端強い酩酊感と高揚感が僕の身体を駆け巡る。
と同時に死にすぎた味雷を刺激する鋭く不味い味。
「……あー」
「うぇへへ。もっかいしよーぜー」
一口分だというのに全身に蔓延る虚脱感と虚栄感。
ヤニクラした時に近い頭の重さと視野狭窄感にアルコール摂取した時に似た酩酊感。
これは今日一日もこの部屋からでられないだろうと
まだ正常に稼動する脳で判断した後、
へらへらと葉っぱと、多分キスの所為で笑う少女に再度口付ける。
「んふ~」
それに対し目も閉じずにへらへらと笑う少女。
正直虚ろな瞳を虚空に投げる少女を至近で見つめるというのは
まだ少々素面が残る自分の精神衛生上よくないので、
だらんと下がった少女の手に握られたパイプを奪いつつ自分が目を瞑る。
なんと色気の無いキスシーンだろう。
でも問題ない、どうせ見てる人間など居ない。
締まりの無い少女の唇に自分の舌を割り込ませ
煙の味がする口腔を蹂躙する。
「んっ、はぅ……」
途端に荒くなる少女の息、
抱きしめる腕の中で小さく跳ねる体躯。
丁度いい、どうせすぐ足元に先程まで僕が寝ていた布団がある。
僕は少女の身体を力ずくで
へたれた薄い布団に少女を押し倒し、覆いかぶさる。
状況の変化についていけない少女を置いて、
僕は奪ったパイプを銜えて煙を強く吸い込む。
肺に流れ込む中毒性のある濃い煙はすぐさま僕の正常な思考を奪い
そしてみるみるうちに脳髄を高揚感と万有感で覆ってしまう。
息を止め、十分に毒素を巡らせてから、
先程したように少女に口付け煙の口移しを行う。
……あぁ、なんか楽しくなってきた。
「抹茶……」
少女はここでやっと僕の名を呼ぶ。
けれど返事はせず、黙って僕は少女の衣服を剥ぎ取っていく。
少女の顔は相変わらずにやけ顔のままだが、
……よくみれば可愛いものだ。
可愛いどころか絶世の美女だ。
そうか僕はいままでずっと思い違いをしていたんだ、
青い鳥と同様、僕の望むものはここにあったんだ。
僕はきっと世界一の幸せ者なのだ。
世界はこんなにも愛で溢れ返っていて、
僕は愛に埋もれて生きている。
素晴らしきかな世界。
ラブ&ピース。
―――
「気持ち悪い……」
ラストシーンの台詞を最初に持ってきてみた。
でも気持ち悪いものは気持ち悪かった。
いや、後遺症とかじゃない、
ハーブ系はそこまで強くないし酒やキノコ類と併用した訳でもない。
そうじゃなくて、なんというか。
毎度ながらの嫌悪感だ。
賢者モードみたいな。
トリップっつーかトランスしてる僕は正直気持ち悪い。
あと、隣の部屋から聞きなれた男の喘ぎ声が聞こえてくるのが拍車をかけている。
「あ゛ー。マジで抜けた後のこの倦怠感が無ければいいんですけどねぇ……」
幸福感もなにもあったもんじゃない。
抜けた瞬間に倍になって帰ってくるもんだから堪らない。
みれば先程ぶっ飛んだ僕が絶賛してた絶世の美女は全裸のままで汗とか色々に塗れて隣で寝てるし、
本気で死にたくなってくる。
中毒性も抜けた後の後遺症もない格安のドラッグってないものだろうか。
誰か開発してください。
僕は近くに転がってるスピリタスの酒瓶を割って
その破片で自殺をしようかなぁとか考えていたのだが、
薄いコンクリートの壁越しに聞こえていた低い嬌声が
おきまりの五十音三文字目と同時に消えたことで思いとどまり酒瓶を床に戻した。
「とりあえず服を着ましょうか……」
思えば少女だけでなく自分も全裸だったので
とりあえず周囲に散らばった服を回収して着ようとする。
が、汗やその他諸々の水分でずいぶんと着用するに適さない状況になっていたので中止。
別途新しい服を取り出して、汚れた服は近くのランドリーに出す予定の集まりに混ぜておいた。
「気持ち悪い……」
再度劇場版の台詞を持ってくる。
先程までは神父のケツにキスだってできる位に幸せ絶頂だったのに、
本当、もうドラッグはやめよう。
と一日に二度位は平均でしている決意を新たにしてみる。
なにがラブ&ピースだ、道行く僕に投げかけられるのは愛でも平和でもなく石礫だ。
下手するとパンダに乗った青い連中に鉛玉すら投げかけられない。
「そうか……。僕って屑野朗だったのか」
再認識。
死にたい。
一人欝に浸りながらとりあえず汗を掻いて身体に水分を与えてやろうと思い
狭く匂いの籠もった部屋からでると、
僕が扉を開けた音とほぼ同時に隣の部屋も開いた。
顔を出したのは先程の嬌声の主である顔見知りの下衆男。
「おっ、二重愛好者。生きてたのか」
下衆男は僕の顔を見るなり、
汗で光る顔を笑みの形に歪ませて不愉快に声をかけてくる。
「……監獄こそ、今日も軽快に盛ってるようですね。
本当、人の家でよくもまぁそこまでできますね、死んでくださいよ頼みますから。
あと二重愛好者とか言うな下衆」
「だってそうだろうが? てめぇがヤんのはいつもマグロばっかりじゃねぇか
マグロなんぞ死体とやってのとかわんねぇだろ?
しかもどいつもこいつもまだまだ女って言うにははえーガキばっか。
幼女愛好者《ぺドフィリア》と死体愛好者《ネクロフィリア》で二重愛好者《ダブルフィリア》ってな。
いんやぁ俺もネーミングセンスあるとおもわねぇ?」
「そんなこと化物喰らいに言われたくはありませんよ。
どうせ今日も顔面崩壊の熟女が相手でしょう?
あんなの女じゃありませんよ化物です、よくあんなのでおったちますね?
僕なら吐きますよあんな生物の全裸なんて」
「あぁ? 俺に喧嘩売ってんのか?」
「先に吹っ掛けて来たのはそちらでしょうに、
僕は水が飲みたいだけですよ。というかそれ以前に僕の家に化物連れ込むな、
奴ら外見もそうですけど臭い香水をつけたりして匂いがつくんですよ」
言うだけ言って僕は目を逸らして
狭い台所の低いシンクからコップに水を注ぐ。
決して美味くは無い、ありふれた無色透明の水道水。
それを一気に飲み干し、再度水を注いで後ろの男に渡す。
「ん? あぁ、悪いな」
「こういう所は悪いと思うんですね君は」
「あー、まぁ"アレ”も悪いと思ってねぇ訳じゃないんだぜ?」
「でしょうね。それでいて継続するのが君って男です」
「そう怒んなよ。あんま表にださねぇだけで感謝もしてる」
「素直になれないってのが一つのアビリティとして認められるのは女の子だけです」
「……フィリア」
「化物専門家」
「よし、表に出ろ」
「いやですよ。なんでさらに汗をかかなくてはいけないんですか」
半裸の男が二人ぐったりしながらの会話。
本当に実りの無い会話だ、絵にもならない絵図だ。
とりあえず僕は手近にある窓を音も無く開けて部屋の換気を促す、
このままでは家中不快な匂いで充満する。
微妙に湿った身体にヒンヤリと形容するには
些か刺々し過ぎる冷たい空気が勢い良くぶつかっていく。
僕はため息をついて床に直接腰を下ろし、
ズボンのポケットに入れたままの一つの箱を取り出す。
拉げた、白いマイナーな煙草の箱。
「お前まだそんなの吸ってんのか?」
「僕は普通煙草は苦手なんですよ」
「メンソ系にも種類は色々あるだろうが」
「いいじゃないですか、これが好きなんだから」
箱をあけて中からライターと煙草を取り出し、
箱同様に草臥れた煙草を銜えて火をつける。
フィルターから滲むメンソールの味が唾液に混ざって舌を刺激する。
僕の好きな感覚。
吸い込み、肺に送り、息を止める。
工程はパイプと変わらないけれど、
感じるのは爽快感とニコチンの味。
酩酊感や高揚感は存在しない、落ち着いた感覚。
「ふぅ……」
嘆息と同時に煙を吐き出した。
白い煙は冬の吐息の濁りとは違い、長時間眼前を漂い
やがて窓から入ってきた風に掻き消されてしまった。
会話も無く、狭い空間で煙草を吸っては
流れる煙に視線をやってまた煙草を口にする。
そんな微妙な時間を怠惰に流していると。
「ゲホッ! ……えふっ」
突然、僕の居た部屋から少女の咳き込む音が聞こえてきて、
次いでおえという単語と共に液体が床に叩きつけられる音と饐えた匂いが部屋から染み出してくる。
「おいおい、お前のダッチワイフが吐いてんぞ」
うげっ、という表情を思い切り作って僕の方を向く下衆。
僕はその面に煙を存分に吐きかけて返事をする。
「一応言って置くと、今日はノリで連れ込んだ女でも仕事でもありませんよ」
「ってことはわにか? なるほどわになら仕方ねえな」
ハーブ類の過剰摂取での嘔吐。
よくあることだ。僕の部屋でってのはあまりないけど、
つーかあってたまるかという話ですけど。
「景気良く吐いてんな、やけ食いした後に吸ったのか?」
「いっそ殺してください」
「やなこった」
―――
「いやぁ、参った。参ったくたびれた」
先刻の醜態の結果を洗い流すためにシャワーに入ったわには
現在身体も髪も拭かず、服も着ず僕の隣に座りながらそう言いながら煙草を銜えて笑った。
台所の床は水で作られた足跡と、いくつかの小さな水溜りが偏在している。
「まさか寝ゲロする羽目になるとは思わなかった」
「笑って言うことじゃありません。そして服を着てください」
「相変わらず良い乳してるよなお前は」
「はっはー、お前には触らせねー」
「いや、そんなことは良いから服を着てください」
「はぁ? またゲロ服着ろってのか?」
「他にも服あるでしょうが、頼みますから、マジで」
「じゃあ俺が用意してやろうか」
「お前の用意する服は痴女でも着ないようなのばっかりじゃねえか、死ね」
あの後、ゲロったわにを風呂に放り込んでから
布団と服を洗って床に散ったのを雑巾で拭いて部屋を換気してと
僕一人で非常に苦労した。
下衆野朗は野次を入れることしかしなかった、死ねばいいのに。
―――
01.
夜の蜘蛛は殺せ。
朝の蜘蛛も殺せ。
02.
僕の妹はおかしい、
狂っていると言って過言で無いほどに、おかしい。
親戚の間でも忌避され阻害され、
聞くところによるとクラスの方ででも孤立し孤独らしい。
学校を歩いていれば一日に一度は妹の話題を耳にする、
今日はなにをしたとかしてないとか
昨日はなにをやらかしたとかどうとか
そんな妹の一挙手一投足の話題が、絶えない。
けれど僕はそれに対して
なにか策を講じようとか言う助ける気持ちや、
可哀想とかどうとか言う同情の感情を持ちはしない。
持つ意味が、無い。
迫害される。
多人数が同一の空間で同時に過ごすという行為上、
大なり小なりそれは当然どこかに生じる自然現象だ。
その対象が妹だと言うだけでそこになにか感慨を持つほうがおかしいのだ。
あって当たり前の事象。
それに対してわざわざ手を出すほど僕は傲慢じゃない。
――いや、そもそもとしてだ。
狂っている僕の妹は、そんなものを必要としていない、
迫害されて居ながら、僕の妹は自身のクラスの中心に存在する。
というよりも、中心に存在するからこその、孤独なのか。
中心は、単一。
その他大勢から一定の距離を取られた円、その真ん中。
あそこまで行き着いた奇人を、僕は妹以外に知らない。
なんで専用って書いてるのに書き込んでるですかねぇ(困惑)
―――
「先輩、良い夫婦の日だそうですよ」
11月22日。彼女はツンと澄ました顔で空を見上げながらそういった。
個人的にはゾロ目で、休日の前。という事以外別段どうということもない
平日に過ぎなかった今日は一つだけ年下の彼女のその言葉で良い夫婦の日に変わった。
「それはそれは、僕等にはトンと関係のない日だね」
変わったけれど、だからと言ってなにと言うわけじゃない。
僕も彼女も婚姻関係にある配偶者なんていない。
辛うじて僕等とどうようの一人身の人間に関係するとしたら両親だけれども、
僕等にはそれすらもない。良い夫婦では決してなかった両親の子だ。
子は鎹、とは世の中中々ならないものだ。悲しいかな。
「関係ない……ですか」
明らかに落胆した声色。
無思慮だったかもしれない。僕等がそういう家庭環境であるのは
彼女もよぉく知っていることで、それでも口にしたのならば
なにがしかの意図があると思って然るべきだったのかもしれない。
けれど、僕等は一つだけ年の差があるただの先輩と後輩でしかなくて。
これが恋人だったりしたのなら、まだ違う歯の浮いた台詞の一つでも
口にできたのかもしれないけれどこの場に置いて頭の片隅に浮かんだ
その台詞は不相応だと僕は判断した。
「……」
だから黙る。
どうしようもないから。
「ねぇ先輩」
このSSまとめへのコメント
このSSまとめにはまだコメントがありません