これからぼくが自殺する部屋 (237)


オリジナルSSです。



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 第一章 咲坂悠一

彼は、咲坂悠一と名乗った。

どうしてぼくが彼と話をしているのか。
それは、ぼくが自殺したからに他ならない。

「君は自殺かな。それとも、他殺かな」

彼は躊躇うことなく、耳を疑うような事を口にした。
自殺か他殺か、だって。どうして平然とそんな事が聞けるのか。
そう考えたのは一瞬で、すぐにぼくは自殺です、と彼に対して呟いていた。

「ありがとう。データは多いほうがいいから」

「…はい。それで、ええと…ここは、どこなんですか」

改めてこの何もない部屋を見回した。
あるのは、たった一つ。部屋の中央にある、大きな扉。
この部屋には家具と呼べるものすらなかった。窓でさえ、ここにはない。

「ええと、端的に言うなら、死後の世界かな」

「端的に言わなければ、どこでしょうか」

「どこだろうか。…でも、言うなれば、こうかな」





「これからぼくが自殺する部屋」


「順を追って話そうか」

彼はこの部屋のシステムについて語りはじめた。
ぼくには、とてもではないが信じられないことばかりだった。
彼は表情一つ変えず、この部屋には三つのルールがあることを説明した。

1.死んだ人間の人生をその人に成り代わって過ごすこと
2.死んだ人間の人生を使い他人の人生を全うさせること
3.七人の人生を救うと一つだけなんでも願いが叶うこと

との事らしい。説明を行われた今でも、とても信じられない。
けれど、ぼくは確かに自殺した。その事実が説明に説得力をもたせた。
なるほど。無意識にそう呟いていたぼくは、とりあえず情報を得ることにした。

「全う、とはどう定義されるのですか」

「その人の人生を、幸せにすること」

「もしくは、世への未練が断ち切られること、かな」

未だに断片的な情報しか集まってはいないが、自らを納得させた。
されど、ぼくにはもう、願いなんて存在しない気がする。
考えを汲んだように、彼は笑ってぼくに言った。

「それは、これから考えていけばいいんじゃないかな」


「とりあえず、君が担当するべき人間のリストが作成されている」

彼はどこから取り出したかも分からない、一枚の紙をくれた。
佐倉徹。七瀬翔。咲坂未来。綴真也。北条千夏。結城久。
今の段階では、この六名を担当することになった。

「ぼくの担当する方々は、どのような基準で選ばれているのですか」

「そうだな。これは、近しい人物がリストアップされるみたいだ」

「他にも教えていただける情報があれば、教えてください」

彼は一つ腕組みをすると、何やら考え込んでいるそぶりをとった。
どうだろう。どちらかというと、言葉を吟味していた。
考えをまとめたのか、彼は口を開いた。

「ええと、リストの人間に成り代わる際は、身体はその人のものが使われる」

「人生を全うさせた段階で再びこの部屋に戻ってきて、身体を手に入れる」

「人を幸せにする過程では、どのような方法をとっても構わないんだ」

つまるところ、声や容姿を似せることの心配はないらしい。
最も危惧していた事柄について答えを得た。
ああ、そして。彼は続けた。

「そして、彼らが亡くなる十日前から、君は彼らに成り代わる」


「では、そろそろはじめるとしようか」

その声と共に、鈍い音を立てて扉が部屋の内側に向かって開かれた。
扉の先はただ白い空間が広がっているだけであった。
ぼくはそこへ向かって歩を進めていく。

「君はまず、綴真也となって人生を生きてゆく」

一歩。さらに一歩と、ぼくは扉の先へと進んでいく。
君は誰を救うのかな。背中越しに、そんな声が聞こえた。

「そういえば。咲坂さんの願いは、なんですか」

「………」

「すみません。答えたくなければ、構わないんです」

今後の参考にしようと思って。ぼくはそう自らの言葉をフォローした。
嘘ではない。願いなどもうぼくのどこにも存在しないのだ。
彼の方を振り返ると、彼は少し寂しげに呟いた。

「ぼくの願い、か」

彼の瞳は、ずっとぼくを見つめていた。
揺らぐことのないその視線が、彼の意思を物語っていた。
ぼくは彼のことを何も知らない。けれど、たった一つ、それだけはわかった。

「ぼくの願いは—————」










「——————————咲坂悠一を、生き返らせることだよ」


 第二章 綴真也

ぼくは駅のホームに立っていた。

通行人の声によってぼくは現実に引き戻された。
何をやっているんだ。自殺志願者か。ちょっと来なさい。
どうして、ぼくはここに立っているのだろう。そして、ぼくは誰だ。

ぼく。ぼくの名前は。ぼくの名前は…何だっただろうか。

通行人はぼくの腕を掴んで離さなかった。どうやら、飛び込むつもりだと思っているらしい。
騒ぎを聞きつけた駅員が、慌ててこちらへとやってきた。彼らと目があった。
まずい。咄嗟にそう判断したぼくは、手を振りほどき逃げた。

階段を一気に駆け上った代償は、心拍数の上昇と共に現れた。
肺が痛い。足が痛い。そして、なぜ、このようなことになっている?
ああ、そうだ。まずは、ぼくは誰なんだ。ぼくを証明できるものを探してみた。

ぼくはデニムのポケットから、ぼくのものであろう財布を見つけた。

保険証やら、運転免許証はどこにあるのか。
自分の財布のはずなのに。そのとき、携帯電話が鳴った。
携帯を開いてみる。メールが届いていた。メールの差出人は…咲坂未来。

未来です。先ほど、警察から連絡がありました。
七瀬翔さんが、自宅で亡くなっているのを発見された、と。
後日事情聴取に呼ばれるそうですが、今日、会ってもらえませんか。

咲坂未来。七瀬翔。どこかで聞いたことのある名前だった。
今、何も分からない状況で頼りになるのは、咲坂未来という人間だけだ。
思い出したように財布を取り出し、運転免許証に記載されているぼくの名前を確認した。

そうだ。





ぼくは、綴真也になったんだった。


「—————その人の人生を、幸せにすればいい」

咲坂悠一はそう言っていた。全て思い出した。あの部屋のことも。
ぼくは携帯を操作して、綴真也という人物に関する情報を集めた。

ある程度綴真也に関する人物像が固まったところで、ぼくはメールを作成した。

わかった。ぼくは、どこへ行けばいい?
簡潔に了承と疑問を交えたメールを送信した。
するとすぐに、咲坂未来からのメールを受信した。

ありがとうございます。
では、大学の向かいの喫茶店で。
窓際の席の一番端に座っていますので。

どうして、咲坂未来はこのように落ち着いていられるのだろうか。

今のぼくは、七瀬翔について何も知らない。
ゆえに、実感がなく自殺した、と聞いても驚けない。
なのに、咲坂未来はなぜこのように落ち着いていられるのか。

続けて財布を探すと、大学の学生証を見つけた。

綴真也。その横には、清潔感のある好青年の写真があった。
ああ、鏡を見ていなかった。今のぼくは、このような顔をしているのか。
先ほどからちらちらと女子高生がこちらを見ている理由が、ようやく分かった気がする。

大学の向かいの喫茶店。大学の住所を確認した。
ぼくはこの駅の名前を確認し、続けて携帯で場所を調べた。
なるほど。ここからならば、そう遠くはない。まずは、行ってみよう。

ぼくは、何か大事なことを忘れている気がする。


二十分ほど電車に揺られた先の駅では、誰もが忙しなく行き交っていた。

駅に設置されている地図を見ながら、ぼくは四番出口を探した。
そこを上がると、目の前には、大きな大学の校舎が見えていた。

ええと、確か。この大学の向かいの喫茶店。そこの、一番端の席だった。

ぼくが後ろを振り向くと、こちらをみている女性がいた。
ああ、彼女が咲坂未来だろう。遠目から見ても彼女は美人だった。
彼女の表情を確認し、対面の席に腰掛け、アイスコーヒーを店員に頼んだ。

「遅れてごめん。ちょっと、道に迷っちゃって」

「いえ」

彼女はそれから、しばらく口を開かなかった。
それが一瞬だったか、数十分だったかは定かではない。
次に彼女が口を開いたのは、コーヒーが運ばれてきてからだ。

「真也さん、コーヒーをお飲みになるんですか」

しまった、とぼくは心の中で舌打ちをしていた。
無難だろうと思っていたが、綴真也の好みではなかったか。
彼女は静かにぼくに視線を向け、ぼくは下を向いている他なかった。

「最近。いえ、ここ三週間ほど。皆さん、明らかにおかしくなっています」

「真也さんは大丈夫。そう思っていましたが、そうではないようです」

「同じようになるのでしょうか、私も。死ぬのでしょうか」

彼女は誰かに問うたわけでもないかのように、そう呟いた。
私も。彼女はそう言った。文脈から考えるに、何人も自殺している?
それは、ぼくの担当している六名の事だろう。残ったのは二人。最後の二人か。

「大丈夫だよ。ぼくは、死ぬつもりなんてないし、死なせもしない」

言ってから後悔した。綴真也はこのような物の言い方はしなかった。
もっと合理的で、理路整然としていた性格だったはずだ。
彼女は唖然としたように、ぼくに言った。

「ふふっ。真也さんは、いいように変わっちゃったのでしょうか」

「なんだか、そっくりです。懐かしい感じがします」

「ぼくは、誰に似ているのかな」

「それはもちろん。決まっています」





「咲坂悠一に」


「咲坂悠一、だって?」

そう言えば、そうだ。彼女の名字は咲坂。そうある名字じゃない。
咲坂悠一の外見から判断するならば、彼女は彼の妹だろう。
思わず声が出てしまった。落ち着かなければ。

「はい。咲坂悠一。ご存知の通り、私の兄です」

「…事の発端は、兄さんの自殺からはじまりました」

「ぼくは結城久を救うんだ。そう言って、自殺しました」

彼は。咲坂悠一は、結城久という人物の為に自殺した?
そしてどういうわけか、その自殺が連鎖している。
彼女は心当たりなら、ある。そう続けた。

「ここまでについて、何か間違いがあれば指摘してください」

何も知らないぼくには、その説明に間違いがあっても分からない。
今は彼女の言葉の真偽がどうであれ、信じるしかない。

「大丈夫。続けて」

「次に亡くなったのが、久さんです。結城久」

「彼は以前話した通り、事故に遭いました。一時は死の淵を彷徨いました」

「ですが、どういうわけか…彼は奇跡的な回復を見せ、その後に」

「自殺した、か」

「はい。以前話した通り、罪の意識から、だったのかもしれません」

「彼は自殺する直前まで、ずっと呟いていたでしょう」










「俺が咲坂悠一を殺したんだ、と」


すぐに、ぼくは携帯の送信履歴から彼らの呼称を手繰り寄せた。

そして、同時に考えた。咲坂悠一は自殺したと彼女は断言した。
それなのに結城久という人物は俺が殺したと述べている。
この違いは何だ。言う通り、罪の意識なのか?

「でも、悠一は自殺のはずだ。久さんが罪の意識を感じる必要はない」

「ああ、話を遮ってしまってごめん。とりあえず、最後まで続けよう」

「わかりました。問題は、ここからがあまりに不可解なところです」

「次に亡くなった…つまり、佐倉徹。北条千夏」

「そして今日。ついさっき亡くなった、七瀬翔の三名の亡くなり方です」

亡くなり方。その三名も自殺のはずだ。彼女はそう言っていた。
ならば、状況の事を指していると考えるのが自然だろう。
不信感を抱かれないように、ぼくは彼女に言った。

「ぼくもそう思う。彼らには自殺するだけの理由がないように思える」

「ええ。前回の事情聴取の際、遺書について言及されたでしょう」

「うん。あの内容に、やっぱり関連があるのかな」

ぼくは自らの額に冷や汗が浮いているのがわかった。
話を合わせるしかない。少しずつパズルのピースは揃っていく。
咲坂悠一の自殺から、その背景に至るまで。それらが一つの絵になっていく。

「そう。追求されたのは、あの一点だけ。咲坂悠一の遺書の一節」





「これからぼくが自殺する部屋」


目眩がした。

咲坂悠一という存在が、ぼくを苦しめる。
死体が歩くというような感覚は、この事だろうか。
このようにつまらない事を考えなければ、おかしくなりそうだ。

「あれは、いったいどこの事を指していたのか、皆目検討がつきません」

「自殺したのは、彼の自室でした。けれど、そこからは遺書以外なにも」

「それなのに、遺書には、その場所を重要視するかのような言葉ばかり」

ぼくはその場所を知っている。彼は死してなお死を選んでいた。
咲坂悠一は何を隠している?彼女を幸せにするにはどうすれば。

「そして、その三人は、遺書の事を調べた後、すぐに亡くなりました」

「きっと今回の事情聴取もそれに焦点を当てて追求してくるでしょう」

「もしかしたら、私たちが彼らを殺したとも思っているかもしれない」

自殺に次ぐ自殺。さすがにそう考えてもおかしくはない規模だ。
ひとりふたりならば、せいぜい後追いと考えるだろう。
だが、五人だ。五人もの人物が死んでいる。

「だから…真也さん。私と一緒に、真相を探ってくれませんか」

「何も分からないままでは、死んでも死にきれません」

死にきれない。その言葉がぼくの心を動かす材料になった。
ああ、ぼくは彼女と同じではないか。ぼくもとても死にきれない。
ぼくは確かに自殺した。けれど、その経過を思い出せる様子は全くない。

全てを思い出すまで、ぼくは咲坂悠一の死の真相を追うことにした。


本日はここまでです。
少しずつ更新していこうと思います。


修正です。

>>12

×「あれは、いったいどこの事を指していたのか、皆目検討がつきません」
◯「あれは、いったいどこの事を指していたのか、皆目見当がつきません」

としてお読みください。失礼しました。そして少しだけ投稿します。


「とりあえず、今日は解散にしよう」

本当であれば今からでも悪くはなかったのだが、情報が足りない。
彼女の言葉も真実であろうけれど、側面的だと思った。
ぼくは綴真也の視点からの情報を求めた。

「では、明日。こちらから連絡致しますので、よろしくお願いします」

「こちらこそ」

ぼくは電車に揺られながら、事件のことしか知らないのだな、と思った。
結局のところ、ぼくは咲坂未来との関係性を知ることはなかった。
追々聞くにしても、どんな顔をして尋ねればよいものか。

仮に、この綴真也と咲坂未来が恋愛関係にあったとしたならば、問題だ。

ぼくは、君とどういう関係だっけ。とてもそんな質問はできない。
普通の女性ならば、きっと感情的になり、敵意を向けてくるだろう。
そこまで考えたところで、彼女ならそんなことはないだろうと思った。

知り合いが五人も亡くなっているというのに、あの冷静な態度。
連続して発生する身内の自殺に、神経が慣れてしまったのだろう。
そんな彼女の存在が眩しくてたまらなかった。彼女のその、強さが。

自らの住所を尋ね歩いた先は、とある集合住宅の一室であった。
エレベーターを降り、右に進んだ先の角部屋に、綴真也は住んでいた。
電車に揺られていたときに発見したキーケースから一本ずつ差し込んでいく。

ドアを開いた先は、ぼくが想像していた綴真也の人間性を表していた。

家具は驚くほど少なく、生活感は虚無感に埋め尽くされていた。
部屋の間取りを確認し、同居している人間がいないことを確かめていた。
荷物を漁り、冷蔵庫を漁り、ようやく落ち着いたのが午後十時を過ぎてからだった。

ぼくは、円形のガラステーブルに設置されていたノートパソコンが気になった。


電源を入れて起動するまでの間に、ぼくは冷凍庫の中身を確認した。

咲坂悠一は言っていた。亡くなる十日前に成り代わる、と。
つまるところ、ぼくの寿命は二時間後には九日になる。
だが、九日までに死んでは意味がないと思った。

ぼくは死者であっても、綴真也はまだ生者だった。

きちんと区分けされた冷凍庫の中身は、作り置きのものばかりだった。
どれも食欲を煽るような出来栄えだった。電子レンジに感謝した。
遅めの夕飯を終えたぼくはノートパソコンと顔を合わせた。

デスクトップにはインターネットのアイコンと、テキストファイルのみ。
ここでも綴真也の性格に難を覚えることとなった。几帳面だ。
ぼくが彼として生きている間は、気をつけねば。

そこでぼくは気付いた。今日は何月何日だろうか。

駅を出て、咲坂未来と喫茶店の席に座るまで、そんなに距離はなかった。
けれど、肌を焼かれるのではないか、と思うほどには暑かった。
誰もが薄手のシャツを着ていた辺り、季節は夏か。

再度携帯電話で日時を正確に確認すると、八月二十日と表示されていた。
つまり、七瀬翔は八月二十日に亡くなり、ぼくは三十日に死ぬ。
余命十日。セミよりも少し長いが、ぼくは人間だ。

インターネットで自殺について調べてみたが、特に成果はなかった。

日本では、毎年数えきれないくらい自殺者が出ていることは知っている。
年間約三万人と発表されているが、それは処理が追いついていない結果。
実際の年間自殺者は、それを遥かに越えるという説もあると聞いていた。

ぼくはデスクトップに表示されている、もう一つのアイコンをクリックした。


そこに書かれていたのは日記のようだった。

これは咲坂悠一の自殺とこの事件を結びつける手掛かりになるかもしれない。
画面をスクロールしているうちに、ぼくは彼女の言葉を思い出した。
佐倉徹。北条千夏。七瀬翔の三名は遺書を調べて死んだ。

室内の温度が数度下がったような感覚に襲われた。

これを調べた人間は、どういう経緯かは分からないが、死ぬのではないか。
だが、警察はそれを追求している、と咲坂未来は言っていたのだ。
となれば、警察関係者が死ぬ可能性だってあるはずだ。

…なのに、誰ひとりとして死んでいるような話し方ではなかった。

分からない。情報があまりにも少なすぎる。
ようやく情報が点となり、彼女の話から線となった。
これを一つの絵とする為には、さらなる情報が必要だった。

ぼくはとりあえず、考えを整理するため、近くのメモに書きだした。

1.自殺の順番は咲坂悠一、結城久、佐倉徹、北条千夏、七瀬翔。
2.咲坂悠一のメモから判断するに綴真也と咲坂未来も自殺する。
3.結城久が咲坂悠一を殺したと述べていることについての理由。
4.「これからぼくが自殺する部屋」が、全ての鍵を握っている。
5.咲坂悠一の

そこで、ぼくは最後の情報を連ねる文字の上を黒く塗り潰した。
どうしてだろう。ぼくには分からない。無意識での行動だったのか。
気付いたときには、ぼくの書いたメモは文字が読めない程塗られていた。

「——————————咲坂悠一を、生き返らせることだよ」

あの言葉には、どのような意味があるのだろうか。
咲坂未来が言うには、彼は望んで自殺したようではないか。
なのに、なぜ、咲坂悠一は咲坂悠一を生き返らせようとするのか。

…何の為に、咲坂悠一は死を選んだのか。

それを知ったとき、この負の連鎖は終わるのだろうか。
あるいは、ぼくも彼女も、この螺旋の歯車になるのだろうか。
そう考えているうちに、ぼくはまどろみ、咲坂悠一の夢をみていた。

そこにいた咲坂悠一は、幸せそうな顔で死んでいた。


短いですが、本日はこれにて投稿を終了します。
ありがとうございました。


少しだけ書き溜めが出来たので投稿します。
進み具合が遅くて申し訳ありません。


残りの余命は九日間。それまでに、彼女の人生を全うさせると決めた。

生き残っているのは、ぼく。つまり、綴真也。
そして、咲坂悠一の妹である、咲坂未来。
もう他に誰も残ってはいないからだ。

ぼくは早朝の六時に起床し、固いベッドから腰をあげた。

綴真也の遺品、とも呼ぶべきものを口へ運び、ぼくの栄養の糧にした。
彼は何を思って、この部屋で一人で過ごしていたのだろうか。
部屋を見回して、ああ。そう言えば、忘れていた。

咲坂悠一の自殺に繋がるかもしれない、綴真也の日記。

昨夜は結局、慣れないことばかりですぐに眠ってしまった。
ぼくは夢を見ていた気がする。咲坂悠一に関する夢を。
思い出せそうにないので、洗面所で顔を洗った。

そして、ぼくはテキストファイルを開いた。七月三十一日と記載されている。

今日、つまり、七月三十一日。友人である咲坂悠一が自殺した。
言うまでもないが、ぼくたちには親しい人間などいない。
故に六人は集まり、彼の死について言及し合った。

議論の形式としては、ぼくの案でブレイン・ストーミングを採用した。

誰もの表情に焦燥感が見られ、ルールを設定しなければ破綻してしまう。
そう判断した上で、その議論の進行と司会はぼくが務めた。
だが、核心に至るようなことはなかった。

これは私事だが、ぼくには到底、咲坂悠一が自殺するとは思えない。
ぼくは言いこそしなかったが、殺人という線も捨てきれはしないと思う。
誰がやったか。それについても未だ不明だが、そういう考えも存在している。

そう思うことがあったからこそ、今日から日記という形式で思考を整理している。

この感情に論理性を求めるなど愚かなことだが、そうでなくては納得できない。
ぼくたち七人はかけがえの無い存在の友人だからである。
後日、警察が事情聴取に来るらしい。

そのときまでに、ぼくは警察に最大限の協力が出来るよう、言葉を選んでいる。


綴真也という人間は、ぼくの想定より遥かに合理的な人間だと思った。

そして、綴真也は、咲坂悠一が自殺をするとは思えない。そう記載していた。
彼は慎重な人間なのだろう。なればこそ、こう書くだけの根拠がある。
それが私情でも根拠があろうと構わないが、一歩前進だろう。

日記にはまだ先があるようだったが、ぼくは先に身辺整理をしようと思った。

それはなぜか。咲坂悠一の言葉を、もう一度反芻していた。
彼は全てを知っている。ぼくはそう確信していた。
ぼくに関係のある事件なのだ、と。

「—————これは、近しい人物がリストアップされるみたいだ」

彼は間違いなくそう言った。近しい人物。
つまり、この事件のどこかに、ぼくが関係している。
どこでどのようにかは、手掛かりすら見えてきてはいないのだが。

ぼくは未だに、自らの事をかけらも思い出すことができていなかった。

ゆえに、綴真也の身辺から、ぼくに繋がる何かを探そうと思ったのだ。
咲坂未来に協力したいという気持ちと、ぼくのことの二律背反だ。
いくつか本棚からアルバムらしきものを抜き取って眺めた。

そこに写っているのは、いつでも七人で集まる男女の姿であった。

咲坂悠一。結城久。佐倉徹。北条千夏。七瀬翔。咲坂未来。綴真也。
綴真也がていねいに写真の詳細について書いているので、すぐに分かった。
各人物の顔と名前を正確に記憶した。つづり、とはこういう字を書くのか。珍しい。

だが、ぼくに繋がりそうだと思える写真は、そこにはなかった。


ぼくは、咲坂未来に送った昼以降に会おうというメールの返信を受けていた。

分かりました。では、真也さんのご都合に合わせます。
何時頃がよろしいでしょうか。こちらはいつでも大丈夫です。
とりあえず、私の方でも咲坂悠一についての手掛かりを探してみます。

わかった、なら、十五時に前回の喫茶店の前で待ち合わせをしよう。

さて。綴真也らしいメールを送信した後、ぼくは悩んでいた。
咲坂未来に綴真也に対する疑念を抱かせてはならない。
咲坂悠一の死の真相を知り、人生を全うさせる。

その為には、一挙一動に気をつけなければ。そう思った。

ゆえに、ぼくは綴真也という人物の服装一つにもこだわりを見せた。
アルバムからコーディネートをそのまま引用して着回した。
未だに慣れない綴真也の身体を使い、外へ出た。

「お待たせして、申し訳ありません」

「ぼくも、今さっき着いたところだから」

「そういえば、悠一の自殺について、何か分かったかな」

「いえ。新たに発見できたことは、何もありません」

「そっか」

「真也さんは、何か分かったことはありますか」

「………」

考えていた。この事を彼女に言うべきかどうか。
真相を探るにあたり、間違いであれば弊害となり得るだろう。
けれど、綴真也という人間の意見を聞いて判断できる存在は、今、彼女だけだ。

「悠一は、自殺じゃないかもしれない」


「というと、誰かに殺された可能性がある、ということですか」

「そういう可能性もある、として話を聞いてほしい」

「分かりました。続けてください」

「まず、最初に。話を疑わずに、全て肯定していくことにしよう」

「以前に君がぼくにしてくれた説明を、全て肯定するとする」

「ならば、そこで一つの矛盾が生まれる。分かるかな」

「…はい。久さんの言葉でしょう。俺が殺した。そう言っていました」

「うん。ぼくたちから見て、咲坂悠一は自殺だと判断している」

「しかし。結城久の視点からすると、咲坂悠一を殺したのは結城久らしい」

「どちらも肯定するとしているから、咲坂悠一の死、という言葉を使おう」

「どうして結城久の認識で、咲坂悠一の死は、殺人と判断されるのか、だ」

「つまり、結城久は咲坂悠一の死の原因を知っている、ということですか」

「知っている、と断言はできない。だが、心当たりがあるのは間違いないと思う」

「咲坂悠一だけでなく、結城久についても焦点を当てるべきだとも思う」

「と、ぼくが昨日考えたことは、そんな感じだよ」

「ありがとうございます。真也さんを頼ってよかった。でも、となると」





「咲坂悠一を除いた六人の中に、殺人犯がいるかもしれない、ということですか」


「友人は疑うことはしたくないけれど、そういう可能性もある、ってことかな」

「すみません。真也さんだって、兄さんのことで傷ついているはずなのに」

「いいんだ。考えをまとめたところで、今後のことを考えないかな」

ぼくの余命は十日。綴真也の余命も十日。咲坂未来に至っては不明である。
突然彼女が自殺する可能性だって十分にある。効率的にいかねば。
複雑に頭を巡る考えに反して、ぼくの舌は流暢に回った。

「とりあえず、引き続きお互いに咲坂悠一と結城久について調べよう」

「君は学生だ。ぼくも学生だが、君より自由になる時間は多い」

「時間が合えば、もう一度ここに集まって話をしよう」

「わかりました。そうしましょうか」

「ああ、それに…今日は私から連絡するはずでしたのに。ありがとうございました」

「気にしないでいいよ。じゃあ、今日は解散だ」

そう言って、ぼくは彼女の手元にあった伝票を拾い上げた。
申し訳なさそうな表情をしていたが、静かに笑った。
ここは甘えておくべきと判断したのだろう。

「また、夜にでも連絡するよ」

「はい。私も、何かあれば連絡します」

ビジネスライクな会話だが、何となく綴真也と咲坂未来の関係を理解した。
ぼくの印象では、友人というよりかは、先輩と後輩のようだった。
ぼくに残された余命は九日。時間はない。急がなければ。

その間に、まずはこの身体の持ち主である、綴真也について知ることにした。


短いですが、更新は以上です。
ありがとうございました。


>>30 修正です。

×「友人は疑うことはしたくないけれど、そういう可能性もある、ってことかな」
◯「友人を疑うことはしたくないけれど、そういう可能性もある、ってことかな」

としてお読みください。失礼しました。
引き続き話を書き溜める作業に戻ります。


即興でゆっくり更新していきます。
投稿を終える際には告知します。


ぼくはまた綴真也の家へと戻り、綴真也に繋がる答えを探していた。

彼は日記に、ぼくたちには親しい人間などいない。そう書いていた。
つまり綴真也についてよく知る人間は、残るは咲坂未来だけだということだ。
だが、彼女からどうやって綴真也の過去を聞けばいい?記憶を失くしたとでも言うのか。

時を刻んでいく秒針が、ぼくの焦りを助長させていた。

名案と呼べるものに行き着かなかったので、ぼくはもう一度日記に目を落とした。
前回は、確か七月三十一日の日記を読んだ。まだ先があったはずだ。
スクロールしていくと、次は八月五日の日記であった。

八月五日

咲坂悠一が自殺してから約五日。今度は結城久が自殺した。
あり得ない。どうしても結城久の自殺を肯定することなどできない。
なぜ、彼は生を掴みとり、自殺することを選んだのか。全く説明がつかない。

そういえば、彼は言っていた。俺が咲坂悠一を殺した、と。

道理で考えれば、結城久は咲坂悠一に対して罪の意識があったことになる。
しかし、結城久が咲坂悠一を殺す理由など、ぼくには思いつかない。
咲坂悠一が自殺した頃には、彼は病室にいたではないか。

ああ。もしかしたら、こういうことなのか。

結城久は何らかの形で咲坂悠一の自殺の後押しをした。
だから直接手を下すことがなく、それに気付いた結城久は自殺した。
考え直してみたが、特に不自然な点はない。これも、候補の一つとなるだろう。

警察は未だに事情聴取に来る様子はない。
ということは、咲坂悠一の死は自殺と判断されている。
つまり、警察が事情聴取に来る際には、捜査はほぼ終わっている。

…ぼくたちは、警察の捜査の確認の為だけに、使われるのだ。


綴真也という人間の冷静な判断力に、ぼくは驚嘆せざるを得なかった。

友人の死という現実を目の当たりにしても、綴真也は動じなかった。
それどころか、自らで事件の背景を明かそうと考えている節すら見られる。
ぼくは、綴真也と咲坂未来はどこか似たもの同士だったのではないか。そう思った。

気になる点は確かにあった。彼の洞察力にも前述の感想を抱いていた。

そしてまたスクロールしていくと、次は八月十日の日記だった。
綴真也は友人の自殺についてのみ日記を書いていた。恐らく次もそうだろう。
咲坂悠一の自殺から約十日間に、咲坂悠一を含め三人もの人物が亡くなっている。異常だ。

八月十日

ぼくは悪夢をみているのだろうか。
ささやかな幸せを手に入れた代償だったのだろうか。
どうして彼らが死ななければならないのか。ぼくには未だに分からない。

数少ない友人である佐倉徹までもが亡くなった。

ぼくたちは疑心暗鬼になっている。ぼくは素直に自らの感情をそう読み取った。
あまりの短期間に、三人の友人が命を落とした。理由は未だ不明。
理由が明らかにならない以上、不安は晴れない。

そして、佐倉徹の死によって、警察もようやく重い腰を上げたようだ。

この一連の死に事件性を見出したのだろう。
既に何人かの家を回った後のようで、彼らは定型句を述べた。
お悔やみ申し上げます。言葉など必要なかった。ただ、死の真相を明かしてほしい。

彼らはぼくに一枚のコピーを渡してきた。

恐らく先輩であろう刑事はこのコピーを咲坂悠一の遺書だ、と述べた。
心当たりはありませんか。何でもいいのです。些細な事でも。本当に、何でも。
ぼくは最後の一行に既視感を覚えた。無理もない。そこには、こう書かれてあったからだ。





「これからぼくが自殺する部屋」


そうだ。

ぼくはこの部屋の事を知っている。
知っている。違う。誰かから聞いたことがあった。
誰だったか。思い出せない。ああ、思い出した。北条千夏の言葉だ。

以前に北条千夏はその部屋について語っていた記憶があった。

ぼくは安易な言葉で捜査を撹乱するわけにいかず、そのまま嚥下した。
その代わりに、ぼくは自らの考えを刑事に対して述べていた。
自殺だとは考えられない。真相を明かしてくれ、と。

彼らはただ、一刻も早い解決を目指します。そう目標を掲げただけだった。

帰り際に、ぼくに一枚の名刺を差し出した。何か思い出せば。
分かりました。告げると、含みのある顔で帰っていった。
きっと、ぼくも容疑のリストにあがっているのだ。

こうなってしまったら、警察もぼくの話を鵜呑みにはしないだろう。

もう警察を頼りにはできない。今この時も事件は風化しようとしている。
それだけは阻止せねばならない。ぼくはそれだけは認めない。
咲坂悠一の遺書をメモして、日記を締めくくる。





ぼくの死については、誰にも責任はありません。
この世に未練がない。それは、真実であり、嘘でもあります。
だから、結城久を救うため、これからぼくが自殺する部屋に行ってきます。

                            咲坂悠一


一度投稿を終了します。
ある程度書き溜めた際、投下を再開します。
ここまで読んでいただいた方、ありがとうございました。


八月十日までの日記を読み終えたぼくは、喉の渇きで我に返った。

時刻は十八時過ぎだった。考えながら読んでいたら、こんな時間だ。
ぼくは冷蔵庫から麦茶を取り出し、氷を入れ、一気に煽った。
激しい頭痛によってぼくの思考はクリアになった。

真相へと足を踏み入れるにつれ、真相への道は遠くなっていく。

綴真也の言葉を借りるならば、そこには論理性が存在しなければならない。
物事を不明瞭なままにはしておけない。何かの形で、理由付けねば。
まだ日記は続いているようだった。先に全て読んでおこう。

八月十五日

ぼくの予想は的中した。違う。的中してしまった。
残るは三人。七瀬翔。咲坂未来、そして、ぼく。綴真也だ。
ついに、部屋の事を知る人物までもが自殺してしまった。北条千夏だ。

このところ、大学へ全く顔を出していない。部屋すら出ていない。

しかし、誰もぼくのことなど気には留めないだろう。
今までだってそうだった。ぼくの今までの人生は、無意味だった。
何の意味もなく日々を過ごしていたぼくは、ただ、死を願っていた事を思い出した。

…あの日、咲坂悠一と出会うまでは。

ああ、今はそんな感傷に浸っている場合ではない。
今のぼくの思考はこの事件の真相に反して、とても明瞭だった。
さて、ここからは少し、言葉を吟味しつつ日記を書いていこうと思っている。

まずは前述した通り、ぼくの予想が的中したことについてまとめよう。
咲坂悠一の自殺が七月三十一日。結城久の自殺が八月五日。佐倉徹が八月十日。
そして、今日。唯一、部屋への手掛かりを持っている北条千夏が自殺したのが、八月十五日。

ぼくはこの一連の自殺についてとある法則性を見出した。










この自殺は、五日ごとに行われている、ということを。


ぼくは北条千夏の語っていたことをよく思い出せない。

彼女が、これからぼくが自殺する部屋について知っているのは確かだ。
だが、何を語っていただろうか。ぼくは非現実的な言葉に耳を傾けなかった。
決して反りが合わないというわけではなかった。むしろ、ぼくは彼女を好いていた。

ぼくたち七人は死を選んだ、似たもの同士なのだから。

そういえば、佐倉徹の死について思い出したことがあった。
結城久が自殺してから、彼は一変してしまったように思えるのだ。
何かを調べていた。そう。そうだ。ぼくは今、そう思えてならないのだ。

なら…何を調べていたのか。遺書。咲坂悠一の遺書?

違う。それだけは、断じてない。警察が事件性を見出したのは彼が死んでからだ。
咲坂悠一が自殺し、警察が捜査をした後、ぼくは何度か彼の家へ行った。
しかし、ぼくが咲坂悠一の遺書を発見することはなかった。

恐らく、一定の成果を上げるまで警察が保管していたのだろう。

つまるところ、佐倉徹が咲坂悠一の遺書について調べていた線は消えた。
佐倉徹は、咲坂悠一の遺書ではない、何かを調べていた。
ああ。何か、糸口か掴めそうなのに。

警察は今、最初の死である、咲坂悠一の事を調べていた。
そう。だからこそ、彼らは咲坂悠一の遺書を持ってぼくを訪ねた。
佐倉徹が自殺する前には、咲坂悠一と結城久の二名が亡くなっているのだ。

ああ。分かった。佐倉徹は咲坂悠一の遺書を調べてはいない。
全て理解したわけではないが、佐倉徹の死の原因は、分かった気がする。
彼は調べていたからだ。残された遺書のことを。そしてそれを読んで、彼は自殺した。





…恐らく、結城久の遺書が存在するのだろう。


綴真也の記録していた日々は、ここで終わりを迎えていた。

当然だ。七瀬翔が自殺したというメールを咲坂未来から受け取った。
受け取ったのは、綴真也ではなく、綴真也に成り代わったぼくだったからだ。
それゆえ、綴真也は七瀬翔の死についての日記上での言及が行われず、ここで終わった。

もし、もう少し成り代わるのが遅かったならば、彼はここに何を綴ったのだろう。

咲坂未来と綴真也の視点からの情報によって、事件の背景の輪郭が見えてきた。
残るは、細部を埋めるだけの情報だ。これはいったい、どう集める?
ああ、そして…ぼくは咲坂未来の人生を全うさせなければ。

まずは、この日記から気になった点を箇条書きにして抽出することにした。

・一連の死は五日ごと連鎖している?
・北条千夏は部屋について知っている?
・結城久は咲坂悠一の自殺を後押しした?
・綴真也は咲坂悠一によって命を救われた?
・結城久が残した遺書が存在する可能性がある?

ぼくが気になったものとしてはこの五点に加え、以下の一文だった。

・ぼくたち七人は死を選んだ、似たもの同士なのだから。

この一文が、咲坂悠一を中心とする死の連鎖に繋がっている気がした。
何か根拠があるわけではなかった。…何だろう。これは、ぼくの記憶だろうか。
そして、ぼくは気付いてしまった。残された時間は、もうほとんど存在しないことを。

ぼくは、彼らの死の十日前から成り代わる。
そして、ぼくのリストに上がっているのは六名。
残った人間はぼくである、綴真也。そして、咲坂未来。

七瀬翔は八月二十日に亡くなり、綴真也は八月三十日に亡くなる。
そして、綴真也は、言っていたじゃないか。自らの日記で。
…この死は、五日ごとに連鎖している、と。つまり。





咲坂未来は、八月二十五日をもって、人生を終えるのだから。


本日の投稿分は以上です。
ありがとうございました。


>>43 修正です。

× ・一連の死は五日ごと連鎖している?
◯ ・一連の死は五日毎に連鎖している?

としてお読みください。失礼しました。
なんだか読んでくださっている方がいて幸いです。
引き続き書き溜める作業に戻ります。ありがとうございました。


数レスだけ投下していきます。
何度も申し訳ありません。


ぼくは瞬間的に時刻を確認した。既に二十時を回っている。

ぼくは綴真也として三日目に突入しようとしている。
彼女を救わなければならない。だが、疑念を抱かれてはならない。
咲坂未来は八月二十五日をもって死を遂げる。それを省いても、あと二日と少し。

たった二日。それだけで、ぼくは咲坂未来の人生を全うさせるのか。

咲坂悠一はこう言っていた。全うさせた段階で部屋に戻る、と。
ぼくの担当する人数は六名。そして、彼らは五日ごとに亡くなっていく。
つまり、もともとぼくに使える時間は、たった五日間しか存在しなかったのだ。

そして、ぼくは最終的に全員の死を見届けて、合計三十日間を過ごすのか。

綴真也の人生を知り、咲坂悠一の死の真相を知り、咲坂未来の人生を全うさせる。
ああ、そんなことが、ぼくにできるのだろうか?だが、やらねばならない。
そういえば、明日は警察に事情聴取に呼ばれているのだったか。

そこでまた、新たな情報が手に入ればいいのだが。

そこで、ふと思いあたった。人生を全うさせた後は、どうなるのか。
ぼくはそのままあの部屋に戻る。だが、残された綴真也は、いったいどうする?
五日間の記憶がないであろう綴真也は、空白の時間を埋めに真相を探ろうとするのだろうか。

…綴真也もぼくと同じように、自らに残された五日間を使って。

もう一つ、ぼくにはあまりにも不可解な点があることに気がついた。
咲坂悠一は確かに言っていた。七人の人生を全うすると、願いが叶う、と。
だが、ぼくに提示されていたリストには、六名分の名前しか記載されていなかった。

ぼくは六人の人生を全うさせたあと、どうなる?





ぼくは、いったい、だれになる?


夜空に浮かぶ黄金の月だけが、夜道を歩くぼくを静かに照らしていた。

少し、外の空気を吸おうと思っていたからだ。
行く宛があるというわけではなかった。
ただ、不安を払拭したかった。

ぼくは、すぐにでも行動を起こさなければならない状況下にあると言えるだろう。

しかし、どうすればいいのかが全く分からなかった。
今現在の時刻の事もある。携帯を取り出し、確認した。二十一時。
どうしてかぼくは、綴真也も、咲坂未来をも死なせたくはないと思っていた。

これは、あの部屋での事とは何の関係もない、個人的な感情だった。

ぼくは彼らを哀れんでいるのだろうか。それとも同情しているのか。
たった一つ、そんな些細な答えですら、分からなかった。
けれど、ぼくにはそれだけで十分だと思った。

ぼくは綴真也でありながら、綴真也の導き出した答えを否定していた。

きっと、彼らを幸せにすれば、自殺を思い留まってくれるだろう。
何の証拠もなしに、ぼくは希望に溢れた想像に縋っていた。
死んだ分、誰かに生きてほしかったのかもしれない。

そんな事を考えていると、ぼくは綴真也の家の前に戻ってきていた。

これからぼくがはじめることは、運命に抗うことだろう。
本来彼らが生きられなかった明日を、ぼくは歩ませようとしている。
そしてそれは同時に、咲坂悠一の死の真相を追うこととも言えるだろうと思った。

ぼくは、寂しかったのかもしれない。

彼らの生という形で、遺したかったのかもしれない。

ぼくという存在が、彼らの人生のどこかに存在していた、という証拠を。


はじめよう。

ぼくがぼくとしてこの世に存在していた、という証拠を残す為に。
綴真也の人生を救う為に。咲坂未来の人生を救う為に。
ぼくはどんな手を使ってでも、彼らを救う。

八月二十三日の早朝六時。

咲坂未来が確実にこの世に存在する時間は、あと一日と十八時間。
八月二十五日になってしまえば、咲坂未来はいつ自殺してもおかしくない。
それまでに、ぼくは彼女を救うのだ。そして彼女を救うことにより、綴真也をも。

ぼくは時刻が七時を迎えようとした瞬間には、咲坂未来にメールを送った。

真也です。大事な話があるんだ。
今日、警察の事情聴取が終わってから、会えないかな。
咲坂悠一の死について手掛かりを掴んだかもしれない。君の話が聞きたい。

メールを送信してから数分と経たないうちに、返事はやってきた。

はい。では、事情聴取の際、一緒に行きましょうか。
こちらも思い出したことがあるのです。
お時間はどうしますか?

わかった。なら、以前の喫茶店に、十時に集合しよう。

咲坂未来から了承のメールを受け取り、一息ついて、携帯を閉じた。
こうしている間にも、咲坂未来の死へのカウントダウンは続いているのだ。
一刻を争うとはこういう事を言うのだと、ぼくは死してから気付くことになった。

「ぼくは、間違っているのかな。運命を歪曲させようだなんて」

それは綴真也に対して問うたのか、自らに対して問うたのか。
…死者であるぼくが、生者の生を願うだなんて。
ぼくは自嘲気味に微笑していた。

どこからも返事の帰ってこない問いが、ただ、部屋に響いた。


数レス分の投下は以上です。
ありがとうございました。

恐らくこのような不定期更新が繰り返されると思うのでご了承ください。
それでは引き続き書き溜めを進める作業に戻ろうと思います。


3レス分のみ更新します。


「朝早くからメールして、ごめん」

「いいえ。私は、むしろ感謝すべき立場ですから」

「そう言ってくれると、助かるよ。とりあえず、何か頼もうか」

ぼくは期を見計らっていた。咲坂未来もそれに気付いているようだった。
軽快な口調。けれど、その態度の中には緊張が渦巻いていた。
彼女も同様であるようで、ただ、その時を待った。

「思い出したことがあって。そして、その時に気付いたことがあるんだ」

「まず、千夏さん。彼女は、咲坂悠一の遺書にあった部屋の事を知っていた」

「そして、結城久について。彼は、咲坂悠一の自殺の後押しをしたかもしれない」

ぼくは慎重に言葉を選んでいた。言葉を舌の上で転がしていた。
結城久については、前回の補足という形になるが、伝えておくべきだろう。
全てを包み隠さず伝えて、彼女の言葉からヒントを得る。そして、答えへと辿り着く。

「まず、結城久についての補足をしようと思うけれど、これは言葉通りだ」

「何となく分かります。そして、罪の意識から。そういうことですか」

「うん。ああ、そして、北条千夏のことについて、なんだけれど」

「すみません。それについてなんですけど、私も思い出したことがあって」

「ああ、ごめんなさい。私の話は後に回して、続けてください」

「わかった。でも、簡単なことだ。北条千夏はあの部屋について語っていた」

「それがどういうものかは覚えていないんだ。けれど、それだけは確実なんだ」

「ええ。私もそれを思い出したのですけれど、少し記憶と相違があるようで」

「相違。どこか矛盾しているだとか、そういうことかな」

「いいえ。もしかしたら、私の勘違いかもしれないのですが」

「構わない。どんな些細なことでもいいから、教えてほしい」

「はい。千夏さんは、あの部屋の事を、こう呼んでいませんでしたか。簡潔に」





「自殺する部屋、と」


「自殺する部屋?」

どういうことだ。咲坂未来も慎重に言葉を選んでいたはずだ。
咲坂悠一の遺書に書かれていたのは「これからぼくが自殺する部屋」だ。
そして、あの部屋でも、咲坂悠一はそこについて遺書と同じ名称を用いていたはずだ。

「私の記憶違いだといいのですが。でも、そう言っていたように思うんです」

「けれど、私は千夏さんが略称を用いる人だとは、到底思えないんです」

「ほら。色々なところで、正確なところがありませんでしたか」

咲坂未来からみて、北条千夏を正確な人間だと判断している。
彼女の洞察力には目を見張るものがあった。そう言うなら、そうなのだろう。
なら、どういうことなのだろうか。自殺する部屋、というのがあの部屋の正式名称なのか?

「しかし。咲坂悠一は、これからぼくが自殺する部屋。そう書いていた」

咲坂悠一もそう言っていた。そう続けそうになってしまった。
慌ててその言葉を嚥下してから、彼女へと視線を戻す。
思案していた彼女は、思いついたように言った。

「もしかしたら、私たちは読み間違いをしていたのかもしれません」

「読み間違い。ああ、すまない。分からないから、教えてくれないか」

「ええと、これは推測ですが、遺書を区切って読めば、そうなりませんか」

これからぼくが、自殺する部屋に行ってきます。そう読むというのか。
しかし、区切ったところで、根本的な意味に変化はない。
だが、これは重要な違いだ。そう思った。

咲坂悠一は間違いなく、あの部屋について区切らず、こう言っていたからだ。





これからぼくが自殺する部屋、と。


これは、ぼくだけが知ることのできた事実だった。

となると、咲坂悠一はあの部屋の正式名称を知らなかったのか?
あるいは、知った上で、呼び方に変化が起こったのか。
呼び方を変えるだけの、何かがあったのか。

「すみません。事件には直接関係なさそうな話でした」

「そんなことはない。これは、きっと関係がある」

「真也さん。なぜ、そう確信できるのですか」

ぼくは彼女の素直な問いに対して、言葉に詰まった。
ぼくは綴真也ではないからだ。ぼくは、死んだ人間だからだ。
きっと、そんな事を言っても信じてもらえはしないだろう。そう思った。

「…君が言うんだから、間違いない。ぼくは、君を信じてるから」

そう言って、ぼくは彼女への答えをにごすしかなかった。
けれど、心の何処かで彼女を信じているぼくも、確かにそこにいた。
これは真実であって、嘘でもある。咲坂悠一の遺書を、ぼくは反芻していた。

「………」

「やっぱり、私には違いがわかりません」

「真也さん。いいえ、あなたは、本当にそっくりだと思います」

「咲坂悠一に、かな」

「はい」

「今の言葉と一言一句違わず、咲坂悠一は私にそう言いました」

「けれど、ぼくは咲坂悠一じゃないよ」

本当は綴真也でもないんだ。そう続けたかった。
彼女の瞳は揺れていた。その寂しさを、表すかのように。
ぼくは、彼女を幸せにするために、彼女を不幸せにしているのだ。

…誰でもない存在であるぼくは、いったい、彼女の何者に成り代われるのだろうか。


更新は以上です。
ありがとうございました。


少しだけ即興で投稿していきます。
投稿を終了する際には告知いたします。


「そろそろ、いい時間です」

しばらく続いていた沈黙を破り、彼女は言った。
確かにそうだ。そろそろ、呼ばれていた時間だったはずだ。
咲坂悠一と北条千夏の言葉の相違を確かめるのは、今は不可能なのだ。

「うん。そろそろ、歩きはじめようか」

今回は私が。ぼくより先に彼女が伝票を持ち、店を出た。
彼女は義理堅い人なのだ、と内心で感嘆していた。
歩きながらでも。そう前置きして、言った。

「これからぼくが自殺する部屋に行ってきます。そう書いていた」

「それにも関わらず、咲坂悠一は自室で自殺していることになる」

行ってきます。そう書くのは、何か不自然ではないか?
もし、ここがぼくの自殺する部屋です。それならば、理解できる。
なのに…これでは、死んでいるのに、どうやってその部屋に行くというのか。

「これは、いったいどういう…」

いったいどういう、まで言いかけたところで、ぼくは気付いた。
自殺したから、咲坂悠一は自殺する部屋にいたのだ。
彼は、自殺する部屋に行く為に死んだのだ。

それは、なぜ。すぐに思い当たった。七人の人生を救い、願いを叶えるため。

しかし、咲坂悠一は咲坂悠一を生き返らせる為に自殺した。
そしてさらに、自殺する部屋でも死を選んでいた。
それでは自殺した意味などないではないか。

違う。咲坂未来は言っていた。咲坂悠一は結城久を救うために自殺した、と。

どういうことだ。生前の咲坂悠一は結城久を救うために自殺した。
死後の咲坂悠一は、咲坂悠一を生き返らせる事を願った。
複雑に絡まった死の連鎖は、どこへ続いている?





そしてなぜ、咲坂悠一は死してすら、死を選ぶ?


警察署内には、特有の張り詰めた空気が漂っていた。

外の空気と同じだったのは、せいぜい受付付近までであっただろう。
ぼくと咲坂未来は、以前受け取った名刺を取り出して尋ねた。
するとすぐ、少々お待ち下さい。そう言い案内された。

「どうして、ぼくと彼女は別室で聴取を行われるのですか」

ぼくがそう尋ねた相手は、恐らく綴真也の日記に記載されていた先輩の方だろう。
椅子は、一つしかないですから。冗談のつもりだったのかは、定かではない。
ぼくは綴真也らしく、そして綴真也の思考傾向を辿り、答えを出した。

「綴真也と咲坂未来の供述が食い違う瞬間を、待っているのですか」

「…なるほど、なるほど。ふむ」

「綴真也さん。あなたは、随分聡明な方のようだ」

「正直に話しましょう。その通りです。私はあなたがたを疑っている」

彼は上手だった。単刀直入に述べた事実に対して、動揺を示さない。
さらに続けて、ぼくの自尊心を煽り、答えを待っている。
恐らく、こういう事に手馴れているのだろう。

「では、信じてもらえはしないでしょうが、ぼくは、彼らを殺していない」

「そう、主張しておきます。これでぼくたちの関係は、対等なものになった」

「そちらも証拠が揃っていないのでしょう。だから、こうして呼ぶ他なかった」

彼もこの場でやった、やっていないの水掛け論をするつもりは、なかったのだろう。
ぼくはやっていない。しかし、綴真也がやっていないという保証はない。
綴真也を乗っ取っておいて失礼だが、それは事実だった。

「綴真也さん。とりあえず、お話を伺うのは、一息ついてからにしましょうか」


「外で、何か飲み物でも買ってきましょう。何がいいですか」

では、コーヒーをお願いします。思わず口が滑るところだった。
ああ。ええと。迷うふりをして、彼にお茶を頼んだ。
分かりました。少し待っていてください。

「ああ。緑茶しかありませんでしたが、これで構わないですか」

「はい、ありがとうございます。いただきます」

「ええ。たばこ、よろしいですか」

署内の喫煙スペースまで遠くて。最近は、喫煙者が迫害されつつありますから。
同じ喫煙者でも、マナーがなっていないと、こちらまで被害を受ける。
ぼくが大丈夫ですと言うと、彼は携帯灰皿を取り出した。

「ごちそうさまでした。ええと、もうはじめてくださって結構ですよ」

ぼくがそう言うと、彼は二本目のたばこを慌てて消した。
ふう。一つ深呼吸をすると、彼の雰囲気が変わる瞬間を肌で感じた。
では、お話を伺わせていただきます。それと同時に、一枚の調書を取り出した。

「綴さんは、こちらの思惑が分かっている。こちらも、綴さんの思惑が分かっている」

「そこで提案なのですが、一つずつ確認をしていく、という形でどうでしょうか」

「つまり、そちらが調べた内容に食い違うところがあれば、追求していくと」

ぼくの瞳を見つめる彼は、どことなく咲坂悠一の揺らがない意思を彷彿とさせた。
その通りです。綴さんがやっていないという以上、合致するはずですから。
彼は疑っている姿勢を隠すようなことはしなかった。彼は本気だ。

「わかりました。それでは、話を整理しながらなので、時間はかかりますが」

ぼくは一つずつ思い出していった。
綴真也に成り代わり、咲坂未来から得た答えを。
そして綴真也が積み上げてきた、堅実な思考の結晶の一つ一つを。

「まず。咲坂悠一の自殺についてから、話そうと思います」


「なるほど。お話はわかりました。今日は、このくらいにしましょう」

七瀬翔までの自殺について一通り語ってから、彼は言った。
やっていないと証明する為に画策していた案は、意味を成さなかった。
彼らは他殺である可能性も探っている以上、犯行が不可能だと証明せねばならない。

アリバイ、というものについてだが、これは思わぬところで証明されていた。

彼らの親族であったり、付近に設置された防犯カメラから、不審な人物はいなかった。
もし、仮に犯行が行われたのだとしたら、それは密室での殺人である、と。
警察側でも藁をも掴む思いでぼくたちに賭けていたのだろう。

ぼくのアリバイについても、見たこともない隣の住人が証言していたそうだ。

彼らに七人の他に親しい人間がいなくとも、それは証明された。
確かに、今の世の中、他人の目につかぬように生きることは難しいだろう。
科学技術の発展について感謝する一方、彼は苦虫を噛み潰したような表情をしていた。

「それでは、失礼します」

「ええ。ご協力、ありがとうございました」

「はい。また何かあれば、ご連絡いただければ。こちらからも」

これは本心だった。ぼくに残された時間は少ない。
情報源は、いくつあっても足りない。そう言える状況だった。
そして、彼に背を向けて数歩ほど歩いたところで、彼が背中越しに言った。

「すみません。もう一つだけ、よろしいですか。今、思い出したことがあって」

「はい。何でしょう。ぼくが答えられることなら、なんでも」

「咲坂悠一の遺書の一節についてなんですが」

ぼくは心臓が高鳴るのを感じていた。これを問われるときが来たか。
彼は本当に今思い出したのか。それはぼくには分からない。
ただ、固唾を飲んで、彼の問いを待っていた。

「これからぼくが自殺する部屋、と記載されていましたが、そうなんでしょうか」

「そう、とは…どういうことでしょうか。その。何が仰りたいのか」

「ええと、私が聞いたところによると、その部屋は」





「自殺する部屋。そう呼ばれているところの事なのでは、と思いまして」


「知っているのですか」

ぼくは間髪入れずにそう答えた。答えてから、しまったと思った。
彼に対して自殺する部屋と呼ばれているところに関しての情報を明かしていない。
必然的に再び疑いの目がかけられるのは避けられないことだろう。しかし、もう遅い。言ってしまった。

「と言っても、詳しくは調べていないのですが。ええと、私には、娘がいまして」

「これが、都市伝説だとか、そういうのが好きな娘でして」

「一度、気になって聞いてみたんですよ」

都市伝説。つまり、誰でも知る余地があったということ。
娘、ということは…彼の年齢から推測しても、二十代前半までだろう。
どういう経緯で広まった噂かは分からないが、これも手掛かりとなり得ると思った。

「何だったかな。ええと、そう。願いが叶う、だとか」

「若い層を中心に広がっている噂でして。咲坂悠一も、その一人かと」

「しかし、そうなってしまうと、自殺と判断せざるを得ないのです。残念なことに」

ぼくは冷や汗をかいていた。ぼくは知っているのですか。そう答えた。
つまり、連鎖的にその情報が咲坂悠一に対しても回った、とも考えられるだろう。
そうなってしまうと、都市伝説に踊らされた若者が自殺した、ということでこの話は終わるのだ。

「ウェルテル効果という言葉もありますので、事件性については認められない可能性が」

「それは、確か。連鎖的に同様の自殺が起こること…だと、記憶しています」

「適当に言ってしまえば、その通りです。ですから、その…」

捜査が終わってしまえば、彼らという情報源は失われてしまう。
それだけは避けねばならなかったが、それを覆すだけの証明はできない。
心臓が脈打つ人間が、死者だと自称して。誰が、そんな戯言を信じるのだろうか。

「…これから、人と会う約束をしておりますので。失礼します」


「あなたのところでも、同じようなことがあったのですか」

咲坂未来から受信していたメール通り、再び喫茶店にて落ち合った。
ぼくの事情聴取があまりにも長引いていたためのことだった。
同じようなこと、と言う辺りに大差はないと判断した。

「そう。そして、この一連の死はウェルテル効果で片付けられる」

「確かに、伺った話では自殺とみて間違いないでしょう。しかし」

「死の背景にある真相だけが、そこにはない。そう、言いたいと」

はい。彼女はまた、ぼくを咲坂悠一だと言った時のような表情をしていた。
きっと、彼のことを思い浮かべているのだろう。悲しい顔だった。
しかし。進展は確かにあった。あの刑事の言葉だ。

「あの刑事さんも、遺書の部屋のことを、自殺する部屋だと言っていた」

「それは、確かですか。ああ、疑っているわけではなく、言葉の綾で」

「気にしなくていいよ。ぼくも、自分の耳を疑ったくらいだからさ」

咲坂未来のところでも、同様に、咲坂悠一の死からの経過を尋ねられた。
彼女はぼくより聡明であるから、ぼくより先に来たのだろう。
もう、空は黒く塗りつぶされようとしていた。

「今日は、疲れただろう。明日、また会えないかな」

「つまり、今日は解散ということで、一度考えを練り直す、と」

「そういうことかな。ぼくも分からない事だらけなんだ。あの部屋の事も」

遅い時刻なので、彼女を最寄りの駅まで送り、ぼくも家へと戻った。
時刻を告げる針は一回りし、どこまでも正確な存在だった。
正確な存在。北条千夏だ。彼女は、知っている。

…正確な存在である彼女が、どうして不正確な部屋のことを口にしたのだろう?


>>51 修正です。

× どこからも返事の帰ってこない問いが、ただ、部屋に響いた。
◯ どこからも答えの帰ってこない問いが、ただ、部屋に響いた。

こちらの方が表現として良いかと判断したので、修正です。

>>67 修正です。

× 不正確な部屋
◯ 不正確な存在

としてお読みください。失礼しました。

--

それでは引き続きもう少しだけ更新を行います。
ここまで読んでいただいた方、ありがとうございます。


ぼくは家へと戻り、ここまでの経過を綴真也と同様に日記形式にして吐き出した。

これをすることによって、綴真也の心境を汲めないかと思ったのだ。
だが、上手くはいかなかった。ぼくには彼が分からなかった。
せいぜい、つけられる日記はあと、二日分だろう。

時刻は二十三時を差していた。言葉を吟味する、とはこれほどまでに難しいことか。

あと一時間で、咲坂未来の確定している余命は残り二十四時間。
咲坂悠一の死の真相は未だ見えそうにないままだった。
ぼくはなんて、無力な存在だというのか。

明日は彼女とずっと一緒にいよう。明日こそ。明日こそ、真実を。

そう決断したぼくは、すぐに自らの考えを不安によるものからだと判断した。
ああ。綴真也の心境は汲めずとも、思考は似ていているな、と思った。
このぼくの心の中を表現するなら、不安の裏返し、だろう。

ぼくは未だ書かれていない日記の日付だけを記載して、ベッドに入った。

今日は早めに寝て、彼女を死なせない為に体力を温存しよう。
稚拙な考えかも知れないが、それがぼくにできる精一杯のことだった。
ああ、ぼくは生前、考えが回らない人間だったのだろうか。そんなことを思った。

「どうして、いつも一人でいるのかな。気になって」

「誰も、ぼくとは話が合わなくて。どうしてかはわからない」

「ああ、本当に、つまらない。もう、死んでしまいたくなるくらいに」

これは誰の記憶だろうか。綴真也の記憶。それとも、ぼくの記憶?
夢と現の狭間でどうして、こんな夢をみているのだろう。
綴真也の悪夢は、いつ終わるのだろうか。

「なら、ぼくたちは、似たもの同士だ」

「きっと、話も合うと思う。ぼくと友達になろう」

「ああ、ごめんなさい。自己紹介がまだだった。ぼくの名前は」





「咲坂悠一」


>>69 修正です。

[ × ]

そう決断したぼくは、すぐに自らの考えを不安によるものからだと判断した。
ああ。綴真也の心境は汲めずとも、思考は似ていているな、と思った。
このぼくの心の中を表現するなら、不安の裏返し、だろう。

[ ◯ ]

そう決断したぼくは、すぐに自らの考えを不安によるものからだと判断できた。
ああ。綴真也の心境は汲めずとも、思考は似てきているな、と思った。
このぼくの心の中を表現するなら、不安の裏返し、だろう。

としてお読みください。表現が適切ではありませんでした。
失礼いたしました。


ぼくは早朝の四時に起床し、改めて身支度を整え、時刻は五時を指していた。

今までは軽食で済ませていたが、今日はきちんと食べておいた。
今日、咲坂悠一の死の真相を解き明かさなければ、彼女の死はほぼ確定する。
それだけは避けなければならない。ぼくの為にも。そして同様に、咲坂未来のためにも、だ。

「ぼくは、きっと彼らを救ってみせる」

また、答えの帰ってこない部屋の中で呟いた。
こうして言葉にしなければいけない。そう思ったからだ。
咲坂未来に七時にメールを送るまで思案を続けたが、成果はなかった。

では、また喫茶店で会いましょう。支度があるので、九時頃でよろしいですか。

うん。じゃあ、待っているから。そう返信し、ぼくは思考の海に落ちた。
ぼくはその海の中を、ただ浮かんでいるだけの存在だった。
考えがまとまらない。焦燥感だけが残った。

「待たせるつもりはなかった。ごめんなさい」

「いいえ。…今日は、何かあるのですか」

「今日は、ずっと一緒にいないか」

「ずっと一緒に、ですか?それは、ええと」

「ああ。変な意味じゃないんだ。単純に」

「私は構いませんよ。そうしましょう」

彼女が見せた数少ない笑みは、誰もを惹きつけるような笑みだった。
ぼくにも、そして咲坂未来にも、もう時間は残ってはいない。
陰が残る彼女の表情をみて、ぼくは彼女を抱きしめた。

「ぼくは。ぼくは、絶対に、君を救ってみせる」


彼女は黙って、ぼくの腕の中にいた。

どうしてぼくはそんなことを言ってしまったのだろう。
ぼくの言葉の意味も問うこともせず、ただ、ぼくを受け入れた。
知らぬ間に、ぼくは涙を流していた。悔しかった。何もできないぼくが。

「…少し、歩きましょうか。あなたと、話がしたいのです」

ぼくの手をとって、咲坂未来は歩きはじめた。
行く宛など、なかったのだろう。ただ、歩き続けた。
これ、美味しいんですよ。こういう店は、はじめてですか?

咲坂未来は心から楽しむかのように、ぼくを励ましてくれていた。

きっと、彼女の中では、これは励ましていることにはならないのだろう。
当然。そう思っていても不思議でないくらい、自然な笑みだった。
ぼくはそれに釣られて、少しだけ笑えた気がしていた。

「ありがとう。今日は、ぼくが誘っていたのに」

「いいえ。あなたは、少し背負いすぎだと思うのです」

「私のような若輩者に言われても、説得力はありませんが」

そんなことないよ。ありがとう。ぼくはそう本心から言うことができた。
君と出会えてよかった。そんな言葉すら口に出しそうだった。
あ。彼女は言う。それを尋ねると、続けて言った。

「なんでもありませんよ。こうして笑えたのも、久しぶりかなって」

「あなたのおかげです。本当に、ありがとうございました」

「よかった。でも、ぼくのおかげじゃないよ」

それは綴真也に向けられていた言葉のはずなのに、ぼくは照れていた。
その表情に勘付かれない為にも、ぼくは彼女の後ろを歩いた。
遅い時間だから。そう言って、彼女を駅まで送った。

「また、明日も会えないかな」


「それでは、お電話をお待ちしています」

「うん。それじゃあ、また明日」

「ええ。さようなら」

ぼくは家へ戻り、ノートパソコンと顔を合わせていた。
明日はどうすればいいのだろうか。明日は、咲坂未来の余命の日だ。
あの笑顔を、失わせたくはない。多くの不幸があろうと、彼女に生きてほしい。

前日に八月二十四日の記載をしていたところまでスクロールし、日記をつけた。

今日も、何の収穫も得ることができなかった。
咲坂未来はずっとぼくを励まし続けてくれていた。
ぼくは何もできていない。綴真也も助けられないのか。

綴真也も、咲坂未来も死なせはしない。そう決断したはずなのに。

もうすぐ時刻は二十四時を指そうとしている。
ぼくは、明日も咲坂未来と一緒にいよう、と思っている。
彼女に自殺をさせない為だ。ぼくに残っている方法はこれだけだ。

あなたのおかげです。そう言ってくれたことも、無かったことにしたくない。

ぼくは、彼女に言ったのだ。
きっと君を救ってみせる、そう言ったのだ。
帰りも、また明日会おう。そう約束した。そうしたら、彼女は。

彼女は、咲坂未来は、なんと言った?





「さようなら」


「あなたのおかげです。本当に、ありがとうございました」

彼女は、ぼくにそうも言っていなかったか。
ありがとうございました。日常会話なら不審な点はない。
だが、ぼくたちの立場では、その言葉はあまりにも深く重い解釈になる。

ぼくが彼女の立場なら、こういうだろう。ありがとうございます、と。

どうして、そのような言い方をしたのだろうか。
ぼくはすぐに考えを巡らせた。思い出した。彼女の言葉。
あ。彼女は何かに気付いた物言いをしていたではないか。あれだ。

そしてどうして、咲坂未来はぼくの言葉の真意を問わなかったのか。

彼女は何かに気付いていた。この事件の根底に関わる何かについて。
そうとしか考えられない。問わずにはいられないはずなのに。
それなのに、彼女はぼくの言葉を受け入れていた。

もうすぐ八月二十五日になろうとしている。時刻はどこまでも正確だった。

電話をかけよう。勘違いなら、ぼくは迷惑がられるだけで済む。
だが、勘違いでなければ、彼女はもうすぐ自殺してしまう。
それだけは認めない。コール音が耳の奥で鳴り響く。

まだか。まだ、出ないのか。もしかすると、もう寝ているのか?
そうであってほしい。そうであれば、どんなにいいことか。
出てくれ。ぼくは君を救うと誓った。約束したのだ。





「もしもし」


「繋がった。やっと繋がった。君は今、どこにいる?」

「ごめんなさい。それだけは、答えられません」

「君は今、自殺しようとしているのか」

「そうなら、止めてくれ。ぼくは君を救う。どんな手を使ってでも」

「…やっぱり、携帯の電源は切っておくべきでした」

「決心が、揺らいでしまいます」

「揺らいだっていい。生きよう。彼らの分まで、ぼくたちは生きるんだ」

「それは、できません。そうしたら、彼らの死は、無駄になってしまいます」

「少しだけ話をしましょう。私は、あなたと話がしたい。そう思っていました」

わかった。話をしよう。ぼくは可能な限り優しい声音で言った。
けれど、彼女にはそれが伝わっているだろう。
少しでも時間を稼がなければ。

「あなたと出会えたことで、私は自殺する決心ができたんです」

「あの部屋は、本当に実在するんだ。そう信じることができたからです」

「君は。君は、何を言っているんだ。ぼくは、それを証明なんてしてはいないよ」

証明なんて、できるはずもない。死ななければ、行けない部屋なのだから。
そしてそれを咲坂未来が納得できる要素を並べられる自信もない。
彼女はどのような理由から、そう判断したと言うのか。

「今日。あなたと共に街を歩いて。私は、確信しました」










「あなたは、綴真也ではないのでしょう?」


「…いつから、ぼくが綴真也じゃないと、そう思うことができたのかな」

「綴真也さん。いいえ、あなたの事を、あなたと呼びはじめた、そのときから」

「不思議でした。どこか、亡くなった兄さんにそっくり。最初はその程度に思いました」

「けれど、そう思えばこそ、あなたが咲坂悠一に見えていった」

「違う。ぼくは咲坂悠一じゃない。誰かも分からない」

「なら、誰でもないあなたに、一つだけ」

「あなたが綴真也でない事を認めてくれたから、私は幸せに死ぬことができるのです」

「信用が、確信に変わりました。誰でもないあなたに、私は感謝しています」

「私は幸せになる為に、たったこの一瞬だけ、不幸になるだけです」

「どうして、君は死を選べる?幸せになる為にとは、どういう意味なんだ?」

「忘れたのですか。あなたは、私に言ってくれたでしょう」

「必ず君を救う。私は、信じていますから」

「信じていますから。かけがえの無い、七人の友人を」

「誰でもない、あなたの言葉を」

「そして」










「咲坂悠一を」


通話が切断されると共に、ぼくが成り代わっている綴真也の身体に変化が訪れた。

なんだ。この感覚は。身体が思うように動かない。
右手が、左手が。そして、身体が白い光に包まれていく。
気付いた。咲坂未来は自殺したのだと。人生を全うしたのだと。

ぼくの指は勝手に動き始めて、綴られる事のない八月二十五日が生まれていく。

八月二十五日。咲坂未来は亡くなった。
けれど、ぼくは全てを思い出した。ありがとう。
後のことは、全て綴真也に任せてほしい。君のおかげだよ。

これは、綴真也の意思なのか。再び綴真也に成り代わろうとしているのか。

咲坂未来が言っていたように、ぼくもかけがえの無い友人を信じている。
君なら、きっとぼくたちを救ってくれる。そう思っている。
君の記憶が流れ込んでいるが、悠一そっくりだ。

咲坂未来が君の事を咲坂悠一だと思うのも、無理はないな。

自殺する部屋、というのは、本当に存在しているのか。
もっと千夏さんの言葉を聞いておくべきだった。
けれど、これでようやく七人が揃うのか。

あとは、君が全てを思い出せば、ぼくたちはまた、幸せになれる。

君が考えていた綴真也への問いに対しての答えだけれど。
ぼくは、咲坂悠一に人生を救ってもらったんだ。
だから、今度はぼくが救う番なんだ。

ぼくは、君のおかげで、人生を全うできるんだ。
君のおかげで、ぼくも安心して自殺することができるんだ。
綴真也の意識であり、ぼくの意識が消える直前、綴真也は呟いていた。





「ありがとう」


「おかえり」

ぼくに対して咲坂悠一はそう言った。
ぼくは失敗したのだ。何が彼らを救ってみせる、だ。
何一つ、ぼくは彼らを幸せになどしていない。ぼくが彼らを殺した。

「ぼくが彼らを殺したんだ。彼らは、ぼくによって殺されたんだ」

「彼らの死に、意味なんて。ぼくは何もできなかった」

「それだけは、絶対に違うとぼくは思う」

咲坂悠一は、ぼくの肩を痛みすら感じるほどに押さえつけ、言った。
その目には涙すら浮かんでいた。何が彼をそうさせるのか。
ぼくは彼らに成り代わる。彼らを殺し続ける。

「咲坂悠一さん。あなたは、どうして死してすら死を選ぶのですか」

彼は答えなかった。言いたくないという様子ではなかった。
まだ、ぼくには知らねばならないことがあるのか。
ぼくはまた、殺さねばならないのか。

「まだ、君はそれを知るときじゃないんだ」

「知るとき。ぼくに、それを、いつ教えてくれるのですか」

「あなたは、我慢できるのですか。ぼくによって、友人が殺されているのに」

彼は口を閉ざしていた。まだ、それを知るときではないらしい。
そうだ。願い。ぼくは願いを叶えて、咲坂悠一を含む全員を救えばいい。
七人の人生を救い、彼らを幸せにすればいい。ぼくの心に、再び希望が宿っていた。

「次は、咲坂未来となって人生を生きていく」

「つまり、君は次に、七瀬翔の人生を全うさせなければならない」

「ぼくが頼れるのは、君だけなんだ。君が全てを思い出さないと、この螺旋は終わらない」

螺旋が、終わる。死の螺旋が終焉を迎えて、彼らは幸せを掴み取る。
ぼくにそれが出来るなら。ぼくは誓った。彼らを必ず救うと。
彼の方を振り返らずに、行ってきます。そう言った。

「ありがとう」

彼は心から感謝している声音で言った。
まだ、咲坂悠一の死の真相は明らかになっていない。
ぼくが光の中へと消える直前、彼は誰に対してでもなく、呟いていた。





「今度は、ぼくたちが君を救う番なんだ」


以上で第二章 綴真也は終了となります。
ここまで読んでいただいた方、ありがとうございました。
まだまだ先は長いですが、ゆっくりお付き合いいただければと思います。

それでは、このレスをもって本日の更新を終わります。
度々になりますが、本当にありがとうございました。


本日は投稿できそうにないので、ここで告知しておきます。
申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。

それでは、失礼いたしました。


>>76 修正です。

× 「信じていますから。かけがえの無い、七人の友人を」
◯ 「信じていますから。かけがえの無い、六人の友人を」

としてお読みください。失礼しました。

本日は予定しておりませんでしたが、書き溜めができたので投稿します。
とは言っても毎回の如く3レス程度くらいですが、ゆっくりと。


 第三章 咲坂未来

咲坂未来に成り代わったぼくは、どこかの部屋の中で目覚めた。

相変わらず、誰かに成り代わるという感覚には慣れそうになかった。
よく考えれば、女性の身体に成り代わるのは、これが初めてではないだろうか。
ぼくは自らの事をぼくと呼んでいるあたり、ぼくの生前の性別は男性であったのだろう。

背の高いシックな姿鏡に咲坂未来の身体を映した。

つんと高い鼻に、すらりとした輪郭。
腰近くまで届きそうな流麗な黒髪、僅かに曲線を描く睫毛。
少々つり目がちな咲坂未来の大きな瞳には、彼女の意思が浮かんでいるようだった。

ぼくはまず、この状況を全て整理するところからはじめようと思った。
このまま考えがまとまらずに暗中模索していても意味はない。
部屋を見回し、学習机の上にあったメモを取った。

・綴真也は恐らく八月三十日に亡くなった
・咲坂未来は八月二十五日に亡くなる
・次は七瀬翔の人生を全うさせる

とりあえず、必ず念頭に置いておかなければいけない情報はこの三つだろう。
そうだ。咲坂未来の人生を使って、七瀬翔という人物を救うのだ。
これが最終的に彼ら全員の幸せに繋がるのであれば。

・「これからぼくが自殺する部屋」と「自殺する部屋」の相違について
・一連の死が五日毎に行われていることへの合理的な理由
・ぼくにどうして六名分のリストしかないのか

この事についてもそうだろう。まだ明らかになっていない。
真相を追う過程で必ず留意しておくべきことだろう。
それに。再びペンをメモ帳に走らせていく。

・結城久の遺書の存在について
・彼女の最後の言葉の意味
・咲坂悠一はどうして

これは不必要だろう。彼は言っていた。まだ話すときではない、と。
どのような過程であれ、追々話してくれるつもりなのだろう。
どうして、死してすら、死を選ぶのか。その理由を。

…彼らは、何度ぼくに殺されれば救われるのだろうか。


今一度ぼくは、現在の状況を確認してみることにした。

ええと、ぼくは目覚めたということは、寝ていたのだろうか。
それとも成り代わる直前まで、ここで横になっていたということなのか。
どちらにせよ、彼女が他人の部屋でそのような事をするとは、到底思えなかった。

となれば、ここは咲坂未来の部屋だと考えるというのが妥当だ。

彼女は成り代わる直前まで、自らの部屋で何をしていたのだろうか。
ああ、そういえば。今の日時を一応確認しておかねば。
部屋にある時計では、今は十一時十六分か。

「咲坂未来。咲坂未来。咲坂未来。私は咲坂未来です」

彼女の存在を記憶するかのように、声質もとい声音を確認していた。
間違いなく、透き通ったようなこの声は、咲坂未来の声だ。
何を思って、咲坂未来はぼくに感謝を告げたのか。

モノクロのカーペットの中央に設置されていた、白い円形のテーブル。
その上に置かれている白い携帯電話は、恐らく彼女のものだろう。
ぼくは、今更プライバシーに頭を抱えつつ、それを開いた。

想定した通り、本日の日付は八月十五日。咲坂未来の余命は、あと十日。

そして同時に、それは七瀬翔の死へのカウントダウンの合図でもあった。
ぼくは前回の事で学んだ。彼らの死は避けられない事であると。
ならば、どうするべきか。情報。情報を集めるのだ。

咲坂悠一は言っていた。全てを思い出すまで、この螺旋は終わらない、と。

つまり、ぼくが全てを思い出すことによって、死の連鎖は終わる。
彼らを生かす為に、ぼくは彼らを殺すのだ。矛盾している。
ここでは、咲坂未来も綴真也も、ぼくを知らない。

…彼らと共に過ごした五日間は、存在しない五日間となっている。

けれど、ぼくだけは忘れない。忘れてはならない。

彼らの言葉を。そして、想いを。


七瀬翔からのアプローチは、想像通りの方法でやってきた。

未来。千夏が死んだ。自殺だ。
これからちょっと会えないか。話がある。
時間と場所は、未来が決めてくれ。俺はどこでもいい。

七瀬翔は自らを俺と呼ぶのか。そして、咲坂未来を未来、と呼ぶ。

呼び捨て、という辺りに親密さを感じさせるが、どうなのだろう。
綴真也と咲坂未来はそうではなかったようだ。だが、彼は。
慎重に行かねば。ぼくは再び携帯電話を開いた。

わかりました。では、大学前の喫茶店で会いませんか。時刻は一時に。

そこまでメールを作成して、ぼくは送信を思い留まった。
咲坂未来を思い出せ。彼女はどこまでも礼儀正しく、謙虚だった。
ぼくは咲坂未来に成り代わった。違う。今、ぼくは完全に咲坂未来なのだ。

わかりました。では、身支度があるので、一時に大学前の喫茶店でお待ちしています。

これが咲坂未来のメールと呼べる及第点というところだろう。
きっと彼女なら、このような感じのメールを送る。
ぼくにはそう思えてならなかった。

そして、七瀬翔のメールについても、違和感を覚えていた。

七瀬翔。彼も、だ。北条千夏が自殺した、ということに動揺が見られない。
メールの文面上だから、だろうか。それにしたって、異常だ。
まるで、友人の死を、知っていたかのように。

待て。今、ぼくは、何を思った。友人の死を知っていたかのように?
ぼくが綴真也になる前、綴真也は単独で法則性を見出していた。
それは、つまり。彼も…七瀬翔も、何かを知っている?

七瀬翔は、こうなることを知っていた?


これにて、投稿を終了します。
再び更新がある際は、ここで告知いたします。
ここまで読んでいただいた方、ありがとうございました。


咲坂未来は真相を解き明かそうとしていた。つまり、知らなかった。

だが、七瀬翔の場合はどうだ。まだ、判断するだけの材料は揃っていない。
七瀬翔も咲坂未来のように、異様な精神力があるというのか。
そのどちらかでなければ、説明がつかないのだ。

とにかく、刻一刻とタイムリミットは近付いている。

部屋着と思しきものから外着に着替える際、内心で彼女に謝っておいた。
誰とも知れない人間に身体を乗っ取られ、身体まで見られている。
彼女にとっては、屈辱以上のものだって感じるだろうに。

咲坂未来が持っていた服は、落ち着いたファッションが多かった。

メイクをせずとも、街を歩けば注目を浴びるであろう彼女の造形に感謝した。
ぼくはどうにも生前は男性であるらしく、メイクなど分からない。
咲坂未来のセンスを思い出し、同じように着こなした。

今日は平日の昼間。そうだ。咲坂未来には、家族はいるのだろうか。

咲坂未来の兄が咲坂悠一。そして彼は自室で自殺したと言っていた。
つまり、同居している可能性だって十分にある。両親もだ。
着信履歴にお母さん、お父さんと表示されていた。

咲坂未来は学生だ。両親に扶養されていると考えるべきだ。

だが、咲坂未来は家族に対してどのような振る舞いをとっていたのか。
綴真也に対しては敬語だった。ぼくに対しても敬語だった。
なら家族に対してはどうだ。敬語?否めない。

否めない。そうではない。…ぼくは心のどこかで、そうだと確信していた。


まずはこの家に関して知るべきだろうか。

窓から外を眺め、この家が二階建てであるだろうことを推測した。
扉を開き、廊下を覗いた。部屋はこの部屋を含め、三室存在していた。
となると残りの二部屋のどちらかが咲坂悠一の部屋だと言っていいだろう。

改めて廊下を見回し、咲坂未来の部屋の位置を覚えておいた。

そして、部屋の前にあった少し急な階段を、手すりに掴まりながら降りた。
綴真也に成り代わっていたときより、幾分か視点の位置が低い。
小回りというと変な言い方だが、これも便利だろう。

階段を降り、一階のリビングであろう場所に続く廊下に出ると、声が聞こえた。

女性の声だ。十一時に起きた、ということは、今日は休日なのだろう。
となると、咲坂未来の父親と母親が家にいてもおかしくはない。
不審がられないようにせねば。息をのみ、扉を開いた。

「おはようございます、お母さん」

「あら。未来ちゃん。もう、起きてきたの?」

「はい。今日は、少し出かけよう。そう思っているのです」

そう。未来ちゃんは、お友達と遊びに行くの?そう尋ねられた。
今は明言するべきではないと判断し、彼女が学生だということを利用した。
間違いなく、彼女は頭がいい。参考書を買いに行こうと思うのです。そう答えていた。

「そう。なら、お金をあげなくちゃ。お昼は、外で食べてくるつもりなの?」

「少し遅くなるかもしれませんので、いただければ嬉しいです」

「もちろんよ。ええと、一万円あればいいかしら」

ありがとうございます。ぼくは形だけの笑顔を浮かべておいた。
その笑顔に影響されたかは定かではないが、嬉しそうな声をあげていた。
そして、ぼくは気付いた。この家族の異常さを。狂っている。そうとすら、思えた。

どうして、笑っていられる?
どうして、そこまで、普通でいられる?
どうして、咲坂未来の家庭は、歪んでしまっている?





…咲坂悠一は、この家で自殺して二週間近くしか経ってはいない、というのに。


これで本日の更新を最後とさせて頂きます。
ここまで読んでいただいた方、ありがとうございました。
かなり稚拙な文で申し訳ないので、批評などをいただけると幸いです。

ありがとうございました。


そして、ぼくは咲坂未来にも疑問を覚えることとなった。

どうして咲坂未来は家族という近しい間柄で、敬語を使う?
一軒家で金銭に余裕はあるのだろうが、お嬢様とは呼べないだろう。
あくまで、人よりはお金を持っている。その程度だと言えるのに、どうして。

小説やドラマの中では、お嬢様と称される人間は、すべからくていねいだ。

それは架空の物語の中であっても、それらしい役割を演じている。
だが、咲坂未来は違う。お嬢様と呼べるほど裕福ではない。
だったら、なぜ。どうして壁を作るようなことを。

幼少期からの癖であったり、その方が楽と言われれば、それまでだ。

けれど、ぼくは引っかかっていた。そこに、何か意味があるのでは、と。
証拠も根拠も何もない。ただの直感だ。そして、母親の態度。
これが咲坂未来の日常であったことは確実だろう。

考えを巡らせていると、時間が経っていた事に気付く。約束の時間に遅れる。

ぼくは名前も分からない母親に行ってきますを告げ、外へ出た。
行ってらっしゃい。心から嬉しそうな声が背中に響く。
恐ろしくて仕方がなかった。咲坂未来の家が。

「遅れてしまって、申し訳ありません」

「俺は別に気にしてない。むしろ来てくれて助かってる」

「単刀直入に言おう、千夏の件だ。これで四人。あの話は、本当だったわけだ」

北条千夏の件。あの話。そこから推測するならば、自殺する部屋の件か。
やはり、七瀬翔は何かを知っている。ぼくの記憶のかけらを。
彼は運ばれてきたカフェオレを飲み干し、言った。





「これからぼくが自殺する部屋、って話はさ」


「翔さんは、どこまで、ご存知なのですか」

ぼくは平静を装えているだろうか。態度に出ていないだろうか。
声に出して、咲坂未来の声を借りたぼくの言葉が震えているのを感じた。
七瀬翔は五日後に自殺する。それまでに、核心に至るだけの情報を聞き出すのだ。

「詳しいことは俺も知らない。聞いてたけど、聞いてないようなもんだった」

「でも、あれだろ。悠一は、その部屋に行こうとしてたんだろ」

「なんだっけ。そう。久を救うために、だ」

どうやら、咲坂悠一が結城久を救うために自殺したことは、間違いないらしい。
咲坂未来を疑っているわけではなかったが、事実の誤認を疑っていた。
してたんだろ、という辺りが、言伝のようなニュアンスだ。

「ええと、その話は、千夏さんから伺ったのでしたか」

「そう。前、千夏が言ってただろ。未来も話、聞いてなかったのか」

「あ。店員さん。俺、カフェオレおかわり。ええと、未来は紅茶でよかったよな」

こちらに話を振られるとは思っておらず、はい、とだけ答えておいた。
答えてから思い出したが、確かに紅茶を飲んでいた気がする。
咲坂未来と七瀬翔が親しい関係なのは間違いない。

「ああ、それでだけど。俺は、ちょっと調べてみようと思ってる」

七瀬翔は遺書を調べて自殺した。咲坂未来は言っていた。
咲坂未来も同様に遺書について調べて自殺していた。
つまり、自殺するだけの文言が書かれている。

「それなら、私がご一緒してもよろしいでしょうか」


「それは、いいけど。どっちかっていうと、いてくれたほうが助かる」

「それでは、翔さんが知っている事を教えて下さい」

「さっきも言ったけど、少ないぞ」

七瀬翔は腕組みをした後、唸りつつ考えをまとめていた。
彼は彼なりに真剣に考えていることがわかった。
そして、ゆっくりと口を開いていた。

「ええと、悠一は、これからぼくが自殺する部屋に行った…らしいこと」

「それは、未来も知ってる通り。久のやつを救うためだ」

「ほら。事故にあったろ。あれでだ」

事故。そういえば、言っていた。詳しくは聞けなかったが。
つまり、事故があって、結城久は生死の境を彷徨った。
咲坂悠一が自殺した理由は、結城久を助ける為。

咲坂未来は言っていた。奇跡的な回復をみせた、と。
そして、結城久は言っていたらしい。俺が咲坂悠一を殺した、と。
つまり。咲坂悠一の願いは、結城久の奇跡的な復活によって叶えられていた?

自殺する部屋については、北条千夏が語っていた。

なら、結城久はその部屋のシステムを理解し、罪の意識を感じた可能性がある。
そこまではいい。だが、そこからだ。どうして、結城久は自殺した?
咲坂悠一に救ってもらった人生を、なぜ、彼は手放した?

まだ、分からない。けれど、確実に真相へと近付いている。

ぼくは改めて七瀬翔に対して同行する意を伝え、彼もそれを了承した。
咲坂悠一の言う通り、誰の死も無駄ではないのだろうか。
パズルのピースは確実に揃ってきている。

…そこに描かれる結末は、ハッピーエンドであればいいのだが。


「では、まずは何から調べるべきでしょうか」

「そうだな、俺も分からないことだらけだから…どうしような」

「なら、今度は私が知り得ていることについてお話しようと思うのですけれど」

頼む、と一瞬だけ真剣な表情になった七瀬翔に、驚いた。
七瀬翔もまた、かけがえの無い友人を失った事を悔いているのか。
誰もが誰ものことを、そう称していたことについて理由がわかった気がした。

「これからぼくが自殺する部屋。あれは、自殺する部屋と呼ばれるものらしくて」

「ええと、どういうことだ。それは、別の部屋ってことか?」

「いえ。同一である、と推測されます」

「これからぼくが、自殺する部屋に行ってきます。そう読めるのではないか、と」

「なるほどな。それだと、悠一が家で自殺した理由も、合点がいくな」

「ええ。でも、どうしてそんな妙な名前なんでしょうか」

これは、咲坂未来の声を借りているぼくの本音であった。
経過はどうあれ、最終的に幸せを掴み取ることの出来る部屋なのに。
なのに、なぜ。都市伝説的には、願いが叶う部屋、の方が適切な名称だろう。

「やべえ。なんだっけな。それ、千夏が前、由来について語ってたぞ」

「なんだっけ。自殺するから、自殺する部屋って言うんだ」

「ええと、それだと意味が被ってしまいます」

思い出してくれ。ぼくは心からそう願っていた。
度々になるが、ぼくは誰も死なせたくはないと思っている。
ここでぼくが全てを思い出すことができたなら、死の螺旋は終わるのだ。

「悪い。やっぱり、思い出せそうにない。また千夏に聞ければいいんだけどな」


「すまん。無神経なこと言ってたな。忘れてくれ」

「いえ。それは、翔さんも同じ事ですから」

「それでは、お話を続けます」

これまで綴真也と咲坂未来が積み上げてきた思考の結晶を、七瀬翔に託した。
そこには、少しだけぼくの主観的な考えも織り交ぜられていたのだが。
彼も話を聞くうちに事件の輪郭を理解してきているようだった。

「では、話し合いの形式は、ブレイン・ストーミングでいきましょう」

「なんだ、それ。真也がやってたやつか。否定しない、だっけ」

「はい。肯定するところからはじめていきましょう」

話の種を否定するという形で摘み取ってしまっては、芽は永久に出ない。
それがこの事件でどういう役割を果たしていた花か分からない。
それだけは避けねばならず、綴真也に感謝していた。

「ここまで亡くなったのは、咲坂悠一。結城久。佐倉徹。北条千夏」

「咲坂悠一は、結城久を救うために、自殺する部屋に行くために、自殺」

「ここまでは確かだと言えるでしょう。間違っていたら、指摘してください」

記憶のどこかで、咲坂未来がそう言っていたのを思い出して、懐かしんだ。
ぼくにとっては、数日前、昨日のことのようなことだったのに。
それは、この世界のどこにも残ってはいないのだ。

「合ってる。恐らく、だけど。けれど」





「不確定なのは、ここからなんだよな」


「…そういうことになります」

「正しくは、自殺する部屋。願いが叶うんだろ」

「そう聞いています。千夏さんも、そう仰っていたはずです」

ぼくには確かめようがないので、はずです、と不確定要素を匂わせた。
七瀬翔が願いが叶うことについて知っているなら、前進だ。
また一歩進んだ会話ができるということだ。

「未来の言いたいことは、なんとなく分かる。久のことだろ」

「悠一は、死にそうだった久を救った。なのになんで、久は死んだのか」

「分かるのですか。私の考えていることが。何もかも、お見通しだというのですか」

「そんな大層なもんじゃねえけどさ。俺ら七人は、友達だろ」

「友達の考えぐらい分からなくて、どうやって友達やるんだよ、って」

「…そうでした。なんか、私。変なことを聞いてしまいました。ごめんなさい」

正しくは、今の咲坂未来は、咲坂未来ではない。
ぼくの心境が彼女の表情となって現れているから分かるのか。
それがどうであれ、彼は人並み以上に人の心に敏感なのかもしれないと思う。

「今日は、解散にするか。未来も、疲れてるだろ」

言われてみれば、そうかもしれない。ぼくは、疲れている。
彼らもそうであろうが、ぼくは、二人の自殺を見届けているのだ。
その想いを託されたからこそ、背負うぼくは疲れているのかもしれない。

「ありがとうございます。では、今日は解散にしましょう」


「送らなくて大丈夫か」

「はい。これから、書店に寄りますので」

「そうか。何かあったら、連絡してくれ。こっちからもするけど」

はい。それでは、また。ぼくはさようなら、という言葉を使わなかった。
使えなかった。そうではない。使いたくなかった、からだった。
もう誰にも、誰からにも言いたくも言われたくもない。

ぼくは近所の書店というものを知らなかったので、散策することにした。

いつまでも大学前の喫茶店ばかりを頼ってはいられない。
咲坂未来の居住地の周辺地理についても理解しておかねばならない。
どこに何があって、どこに何がない。無知は、いずれ綻びとなってやってくる。

「君、可愛いな。少しだけ、俺と話でもしないかな」

声をかけられて振り向いた先には、軽薄そうな男性の笑みが浮かんでいた。
そうだ。ぼくは今、咲坂未来。彼女は人目を惹く存在だった。
どう対処するべきか。無視するべきだろうか。

「…失礼します」

「ちょっと待ってよ、話あるんだからさ」

「急いでいるのです。お願いですから、離していただけませんか」

今になって、やっと七瀬翔の心遣いの意味を知ることとなった。
明るいうちなら大丈夫だろう。ぼくはそう思っていた。
けれど、この身体は咲坂未来のものだった。





「遅れてごめん。ええと、その人は、未来の友達かな」


「つづ。いえ。真也、さん」

「どうにも遅いから、探していたんだけれど」

「それで。未来にそんな友達がいたとは、ぼくは知らなかったな」

男がいるのか。咲坂未来の腕を掴んでいた男は、どこかへ消えてしまった。
そして、綴真也。彼を見た瞬間、ぼくは涙が溢れそうであった。
ごめんなさい。ごめんなさい。謝りそうであった。

「助けていただいて、ありがとうございます」

「いいよ。ああ、それに呼び捨てにしてすまなかった」

「いえ。気にしないでください。それで、真也さんは、どうして」

どうしてここに。そう続けようとするぼくの意図を汲んだのだろう。
今日、約束をしていただろうか。そう問いたかったのだが。
これはただの偶然だよ。彼は一言、笑って言った。

「今日。恐らく連絡があったと思いますが、千夏さんが亡くなりました」

「そう、みたいだ。ぼくには、信じられないよ。納得できない」

「ぼくだけは、北条千夏の死も、絶対に認めない」

踵を返して、それじゃあ。微笑した綴真也を、ぼくは、呼び止めた。
ただ、ぼくは彼の思い出に浸りたいだけなのだろうか。
学習参考書を教えてほしい、と言った。

「適当なところだと、この辺だろう。君の役に立てばいいんだが」

「ええと、ぼくはそろそろ家へ戻るよ。勉強、頑張って」

「はい。私も遅くなってしまったら、家が」

家が。そこまで言い、ぼくはあの異常な家について思い出していた。
自らの子供が死んでいるというのに、笑顔に満ちた家庭。
何もかもが狂っているような、あの家の事を。

「やっぱり、君の家は、咲坂悠一の死を何とも思ってはいないんだな」


「もう少しだけ、話でもしようか。あの喫茶店で構わないかな」

綴真也は、咲坂未来を心から励まそうとしていることが分かった。
そして、彼が続けて言った言葉。咲坂未来の家庭についての、手掛かり。
ぼくは彼の優しさにつけこんで話を聞き出そうとしている自分を、ただ嫌悪した。

ぼくは何て、浅ましい人間なのだろう。人間とすら、呼べるのだろうか。

席について、綴真也はサンドイッチを注文していた。
七瀬翔と既にこの席についていたこともあり、迷わず紅茶を注文。
何かしら不信感を抱かれてもいないようだったので、意を決して、ぼくは言った。

「はい。咲坂悠一の自殺から、二週間と少ししか経ってはいないのに」

「どうして。どうして、あのような顔ができるのでしょう」

「それは、君が一番よく分かっているだろう」

「その口調。それが、何よりの証拠だろう。君の、唯一の反抗だ」

「そう思われてすら、いないのかもしれないけど」

「そう、でした。私は。私は」

綴真也は頭を振るようにして、ぼくの前から会計を終え、立ち去った。
無理に話さなくていい。そういうニュアンスだったのだろうか。
それを見て、ぼくは彼に感謝のメールを送り、帰宅した。

「ただいま戻りました。遅れて申し訳ありません」

「いいのよ。もう少し遅かったら、心配していたけれど」

「お金。ありがとうございました。無事、良書を購入しました」

そう。よかった。お腹空いているでしょう。
すぐに作るから。名も分からぬ母に、ぼくは恐怖していた。
奥からは、父親と思しき気配もする。ただ、足を踏み入れる事を躊躇っていた。

…食卓の底へと続く、この家に。


「ただいま帰りました。お父さん」

「未来か。今日は、何をしに出かけていたんだ」

「はい。本日は、学習参考書を購入するために外出しました」

そうか、と再び視線を落とす、名も知らぬ父親。
そしてときおり、こちらの方を含みがあるように視線を向ける。
心底うんざりしたように深い溜息をつくと、短く整った前髪をかきあげ、言った。

「未来。その話し方は、いい加減どうにかならないのか」

「あら。いいじゃない。あなた。とっても礼儀正しいって、評判よ」

「そういう問題じゃないんだ。未来。お前は、その。普通に、話せないのか」

今、咲坂未来は咲坂未来ではない。だからこそ、やろうとすれば可能だ。
けれど。彼女は反抗している。綴真也は間違いなくそう言った。
彼女は、意図的にそうしている。それなら、ぼくは。

「申し訳ありません。こちらの方が、幾分か楽なので」

「気に障るようでしたら、改善できるよう尽力致しますので」

「未来ちゃん。気にしなくていいのよ。その方が、とってもいいわ」

ありがとうございます、と母親のフォローに礼を述べ、席についた。
なぜか、ぼくは礼儀作法について一通り知っているらしい。
意識せずとも、滑らかに食事が口へ運ばれる。

ぼくは、いったい、だれなんだ?


ぼくは味も定かでない緊張感の中で食事を終え、階段を登っていた。

家の間取りをさり気なく確認しておいたが、客間は二階のようだ。
ということは、一階にあった部屋は、両親のものだろう。
となれば、勘付かれることなく、部屋に入れる。

見つかったなら、咲坂悠一の事を思い出していた、とでも言えばいい。

きっとあの母親ならば、感涙必至の表情をしてくれるだろう。
ぼくは二部屋のうち一部屋を開けたが、何もない。
生活感がまるでない。客間だろう。

もう一部屋を開けてみた。こちらにも、何もない?

そんなわけがない。間違いなく、咲坂悠一はこの家に住んでいたはずなのに。
綴真也の言葉からも、咲坂未来の言葉からもそう推測できる。
隠し部屋でもあるというのか。ありえない。

その時、誰かが階段を登ってくる音が聞こえた。
どちらだろう。父親か、母親か。可能なら、母親が望ましい。
彼女は咲坂未来の事を溺愛しているようすだ。それなら、なんとかなるが。

「あら。未来ちゃん。こんなに暗い廊下でどうしたの」

「その。兄さんについて、お伺いしたいのです」

「うふふ。未来ちゃん、変なことを言う」

ぼくはすぐに悟った。この家の歯車がずれてしまったのは、この母親のせいだと。
真顔。そこには何の感情も浮かんではいなかった。完全な無があった。
ゆらゆらと一歩ずつ近付いて、目の前で、彼女は言った。





「あなたに、兄なんて存在しないでしょう?」


投稿はここまでです。
見て頂いた方、ありがとうございました。

本当に面白い。更新楽しみにしてます。
あとどれくらい続くんだろう


「存在しない?」

そう。そうよ、未来ちゃん。私の子供は、あなただけなのよ。
どこまでも静かに薄く笑う目の前の人間は、いったい何を思うのか。
再び階段を登る音が聞こえ、今度は父親がやってきて、私に対して問うた。

「未来。また、悠一について聞いたのか」

また。それに、悠一。確かに咲坂悠一という人間は存在していた。
また、とは何だ。そして、なぜ咲坂悠一の部屋はない?
母親を寝かしつけ、リビングで顔を合わせた。

「はい。兄のことを、思い出していたものですから」

「もう、あの部屋には何もない。業者が全て持っていただろう」

「あれが…母さんが、悠一のことを忘れようと、違うな、自分を守ろうと」

「未来には、許せないのだろうが。ああする他、母さんは自分を保てない」

「出来のいい妹に比べ続けられ、日々叱責され続けた兄の自殺」

「俺も責任でもある。あれを止めるべきだったんだ」

父親は疲れきった表情で、リビングにある黒い革張りのソファで頭を抱えた。
ぼくはガラステーブルを挟んで対面に座り、彼の言葉を待っていた。
時は着実に進んでいるはずなのに止まっているようだった。

「ああ。悠一。悠一が、生き返ってでもくれれば、俺たちは、また」

また、なんだというのか。幸せになれるとでも言いたいというのか。
ぼくは理解した。この家を繋ぎとめているのは、咲坂未来だと。
彼女を扶養するという義務のもと、成り立っているのだと。

「お前のその口調も、そう思えば、あの頃からだったよな」


「お前は、昔から頭が良かった。そして、誰より悠一の事を慕ってた」

「悠一も、お前の事になると我を忘れてた。いい兄妹だと俺は思った」

彼は一つ一つを思い出そうとするかのように、ぼくに語りはじめた。
それは罪の意識からなのか。それとも、ただの回想なのか。
声は震え、涙を流す父親を見ているだけだった。

「思えば俺も、あれと同じだったのかもしれない。ただ、お前に期待した」

「学校でも、何かにつけては誰も寄せ付けない好成績。高嶺の花」

「誰もがお前をそう誉めそやしたよな。天才、神童と」

「それに反して、悠一はあまり、勉強に関しては…性に合わなかったらしい」

「誰もが望む家庭に、悠一という綻びがあった。あれはそう思った」

「俺が仕事に行っている間、虐待に近いものまであった」

彼は腕を擦り、優しく子供の頭を撫でるかのように触れていた。
果たしてその位置は、咲坂悠一に行われた虐待らしき箇所だったのか。
ぼくの、咲坂未来の顔を見ようとはせず、その視線は宙だけを彷徨っていた。

「俺は、あれの言葉を真に受けた。これは教育。あなたは何もしていない、と」

「その通りだった。俺は金を稼いで帰ってくるだけ。あの頃からだ」

「だから何も言えなかった。これは言い訳だろうがな」

「そう。あの頃からだ。お前が、俺たちに、敬語を使うようになったのは」

「最初は、あれに怯えてやっていたのかと思った。でも、気付いた。違う」

「お前はいつも、俺たちを人殺しを見るような目で見て悠一を庇っていた」

「つまり」





「お前にとって、悠一を除いた家族は、最早、家族ではなかったからだ」


「そうなんだろう。お前は、俺たちを家族だなんて認めたくなかった」

「他人には敬語。それは分かる。けれど、俺たちに対する理由は、それだろう」

「お前がそれを止めない限り、咲坂悠一は永遠にお前の中に居続ける。愛情のようなもの」

お前は本当に、できた妹だよ。彼はそう言って、たばこを一本取り出した。
この家で灰皿を見たことはない。なら、禁煙をしていたのだろう。
それが今回の事で過剰にストレスがたまり、ということか。

ぼくも、彼と同様の感想をもった。咲坂未来は、本当にできた人間だと。

咲坂未来は、たった一人の兄の為に、決して剥がれぬ仮面を被った。
咲坂悠一という存在を忘れない為に。忘れさせない為に。
自らに色を重ね、元の色も分からない程に。

…咲坂未来にとっての家族は、咲坂悠一だけであると、自らに刻み込むために。

彼はそこまで語った後でも、ぼくに真意を問うようなことはしなかった。
きっと、咲坂未来の心の中を、もう既に理解していたのだろう。
そしてそれは、もう決して修復出来ないものだ、とも。

「俺は、どんな手を使ってでも、お前の人生を全うさせる」

「これは、咲坂悠一への贖罪だよ。そして、お前への、な」

それは本当にぼくに対して言ったのかと疑うほど、微かでかすれた声だった。
彼から溜息と共に吐き出される燻らせた紫煙はゆっくりと弧を描いた。
そしてそのあと、それは誰かも分からない人間の顔に見えた。

静寂だけが支配する部屋の中で、彼はぽつりと呟いた。





「…悠一」


ぼくは彼を置いて自室に戻ると、掛け時計で時刻を確認していた。

綴真也の言葉も思い出していた。何とも思っていない、と語るその表情も。
確かに自殺するまでは何とも思っていなかったのだろう。咲坂未来という存在を除いて。
しかし、自殺してからは、何とも思っていないふりをせねばならない状況に追い込まれていたのだ。

そして今日の、正しくは昨日の出来事を回想していた。

咲坂未来の家庭は歪んでいた。狂っていた。
それは、咲坂悠一の自殺が発端となっていたのだった。
そうじゃない。それよりずっと前から、この家庭は狂っていた。

自殺の原因はこれだけではないにせよ、一端に含まれているのではないか。

咲坂悠一の家庭で、このようなことがあったからこそ、死を選べたのだ、と。
彼の死の一端を担っていたのは、この家の存在だったのかもしれない。
ぼくは咲坂悠一の部屋を開き、家具一つない部屋を見回した。

ここに、咲坂悠一は住んでいたのか。日々、自らの存在を否定されながら。
きっとこのあたりに寝転び、ここに並んでいた小説を抜き取り。
ここで、そう。ここで咲坂悠一は、遺書を。遺書を。

ぼくは。ぼくは、何を思い出そうとしている?

ぼくは直感的に、洋室の上部にある加工された柱に目をやっていた。
暗いが、目を凝らすと人為的につけられた跡が確認できた。
咲坂悠一は、ここで、首を吊って死んだのだ。

目眩がする。

分からないことだらけだった。思い出せば思い出すほど。
ぼくは何を知っている?ぼくが殺したのか?
未だぼくへの手掛かりはない。

…なぜ、ぼくは、咲坂悠一の死の瞬間を知っているんだ?


本日の更新はここまでです。
ペースが遅くて申し訳ありません。
コメント、全て拝見しております。感謝です。

>>106 さん

第七章+αを予定しております。
まだまだ先が長いですが、お付き合いくださいませ。


七瀬翔が自殺するまで、今日を含め、あと四日。

確実に生存しているまでの期間とするならば、あと三日。
永遠に終わらないような気さえする、螺旋のような夏の一瞬だった。
八月十六日。今日も雲ひとつ無い晴天の空と言える。相変わらず、本当に暑そうだ。

「おはようございます。お父さん、お母さん」

ぼくは、昨日のことなど覚えていないかのような振る舞いで挨拶をした。
すると、既に朝食を作っていた母親は、おはようと笑った。
それを見て、ああ、壊れているのだ、と思った。

「おはよう、未来。昨日は、その。よく眠れたか」

そして同様に、父親も仮面を被っているのだ、とすぐに分かった。
呼称の違いだ。昨夜はお前、と言っていたあたり、彼の本音なのだろう、と。
そして今日からも再び、他人の集合体と言える家族が、本当の家族のように成り代わる。

「はい。お気遣い、ありがとうございます」

「ああ。今日は暑いから、どこか外へ行って勉強してくるといい」

「金なら、俺が出そう。たまには、何か贅沢でもしてくるといい。使ってしまって構わない」

それは、彼なりの咲坂未来への配慮だったのだろうか。
どこか寂しげな笑みを浮かべて、彼は、ぼくにお金を握らせた。
遊びとかには、使うんじゃないぞ。少しだけ、そう冗談めかして笑った。

「それじゃあ、俺はそろそろ、行ってくる」

「はい。あなた、行ってらっしゃい」

「お気をつけて。お父さん」

行ってくるよ。咲坂未来に向けられたその笑みは、確かに父親のものだった。
彼もまた、この狂ってしまった家庭を整合させようとしているのか。
それは分からないけれど、彼は確かに、彼女の父親だった。

「それでは、私も。夜までには、必ず戻ります」


少しだけ寂しさを覚えたのは、ぼくの存在を見抜けなかったことだ。

無理もない。彼は、咲坂悠一と咲坂未来を養う為に、脇目もふらず働いた。
母親が正常だったならば、ぼくに気付いたかもしれなかったのだ。
そういう意味では、不幸中の幸いと呼べるのだろうか。

シンプルなデザインの咲坂未来の財布には、ほとんど何もなかった。

ただ、お金だけはあまりにも十分すぎるほどに、そこにあった。
そして予備校のゴールドパス。各高校の成績上位者のみに配られるそれ。
今一度年齢を確認してみたが、咲坂未来は十八歳とのことらしい。高校三年生か。

あとは定期券と、保険証と。この辺は一般的なものばかりだ。

とりあえず父親から貰ったお金を入れ、街を歩いた。
相変わらず写真の着回しだったが、さながらモデルのようだった。
以前散策を行った際、ネットカフェを見つけていたので、そこへ向かっていた。

室内の冷気を逃さない為にと設置されたのであろう、二重のドアをくぐった。

アスファルトの照り返しで陽炎ができるほど暑い外と、この室内の、気温の差。
予想していたことだったというのに、ぼくはその差に目眩を覚えていた。
壁に手をつき十秒、二十秒。ようやく治った。外には出たくない。

ぼくに残された時間は少ないというのに、どうしてネットカフェにきたか。

それは、当然ながら一般的に設置されているネット環境を目的としていた。
綴真也に成り代わった際、あの刑事は言っていた。都市伝説だ、と。
今の世の中、ネットで手に入らない情報の方が少ないのだ。

そう思って息巻いてネット環境のあるオープン席を探していたが、埋まっていた。

仕方がない。そう思って、わざわざ会員証を作り、個室の席を選択した。
恐らくそうそう数時間も居座らないだろうに。非常に面倒だった。
しかし、オープン席よりかは落ち着いて調べられるだろう。

ぼくは本来の好みであるだろうコーヒーを片手に、電源ボタンを押した。


あまりにも容易に見つけることのできた検索結果に、ぼくは目を疑った。

これからぼくが自殺する部屋、では特に何もヒットしなかった。
そこで、自殺する部屋、というワードで検索してみた。
すると、かなり多くの情報が存在していた。

個人のブログから掲示板、ホームページに至るまで、それはあった。

しかしここからが問題であり、どれもが噂程度の信憑性なのである。
見出しを大文字で修飾し、右下に小さく可能性を匂わせる。
マスコミの宣伝広告を彷彿とさせる出来であった。

それでもいくつか調べていくと、ところどころ知っている情報があった。

・何人かの人生を救うと、願いが叶う
・自殺した人だけが行くことのできる部屋
・他人の人生を救うときには、他人を乗っ取る

というような記述であり、ニアピンと言える情報だった。
しかし、事実であろうが他人を乗っ取るという表現は心に刺さった。
ぼくが気になったのは、二行目についてである。自殺した人だけが。そうある。

「——————————君は自殺かな。それとも、他殺かな」

咲坂悠一は、ぼくにそう言っていたはずだ。自殺か、他殺か。
彼はそれを知らなかった?そうとは考えにくい。ならば、どうして。
自殺者しか行けない部屋で、自殺か他殺かを問う理由とは、いったい何だ?

現状では、ネットの情報のほうが信憑性はないと思っている。
だが、近からず遠からずな情報が並んでいる以上は、留意する必要がある。
文章と現状の整合性をとっていた時、ぼくは気付いた。あまりにも不可解な点について。

咲坂悠一は、結城久を救った。なのに、どうしてか咲坂悠一は未だ願いを抱いている。





…叶えられる願いは、一つだけだったはずだというのに。


ぼくはアプリケーションの方のメモ帳を開き、考えをまとめていた。

こうして一つ一つ文字に起こさなければ、忘れそうだったからだ。
記憶の引き継ぎはできるにしろ、ぼくは機械ではなかった。
打ち込んでから、ぼくはまたコーヒーをいれてきた。

この事を咲坂悠一に尋ねても、恐らく教えてはくれないのだろう。

自らの力で咲坂悠一の死への真相に辿り着かねばならない。
彼はそう言いたいのだろうか。思い出せということか。
ぼくという存在が生前、何をしたかということも。

どちらにせよ、思い出さない限りは何も出来ない。

そこまで考えたところで右下の時刻を確認し、ぼくは電源を落とした。
料金を支払い、お釣りを受け取る際に手を握られてしまった。
店員の彼には申し訳ないが、今のぼくは恐らく男だ。

「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」

そう言って心からの笑みを浮かべる店員に、苦笑いを返す他なかった。
残念ながら、君の恋は成就しないだろう。本当に残念ながら。
一つ目のドアをくぐり、外の熱気に身体を慣らした。

外に出ると、もう陽が傾きはじめているのが見て取れた。

ぼくは想定外に思考に時間を費やしてしまった、というわけだ。
咲坂未来の身体も、空腹という形で悲鳴をあげていた。
ぼくも同様の感想ゆえに、適当な店に入った。

咲坂未来はスタイルの良さからして、小食であるという情報を得ただけだった。

そんな事をしているうちに、十五時を迎えようとしていた。
ぼくは不器用な人間なのだ、と実感せずにはいられなかったのだった。
綴真也だとか、咲坂未来ならば、もっと素早く思考して解決していただろうに。

…七瀬翔は、今、何をしているのだろうか。


そう思ったところで携帯電話を開き、連絡先から七瀬翔を選択。

メールという形を取らなかった理由としては、ぼくの愚鈍さが原因だった。
残された時間は少ないというのに、かなり時間を浪費してしまった。
電話をかけたのが十五時過ぎ。彼の余命は、二日と九時間だ。

留守番電話サービスセンターに、お繋ぎします。

機械的な音声と共に運ばれる焦燥感は、ぼくを駆り立てた。
確定された事項が変わったのではないか。七瀬翔は自殺したのでは。
そう思う心が、ぼくに連続して電話をかけさせる発破となっていたのだった。

留守番電話サービスセンターに、お繋ぎします。

ぼくはそこで冷静になった。まだ、ぼくは部屋へと導かれていない。
ということは、未だ七瀬翔は自殺していないのでは、と。
ただ失敗しただけなのかもしれないのだが。

綴真也も咲坂未来も、ぼくと真相を追うことによって自殺した。

君のお陰で。幸せに死ねる。彼らの言葉を思い出して、整合性を取る。
ということは、ぼくは彼らの自殺を後押しした張本人である。
幸せにした、もしくは世への未練を失くさせたのだ。

ならば、同様に七瀬翔が自殺したならば、ぼくは部屋へ導かれる。

そこまで論理を組み立てて安堵するまでに、ぼくは十数分を要した。
相変わらず要領が悪い。そこで、ぼくはふと想いを馳せた。
綴真也。咲坂未来。君のお陰で。幸せに死ねる。

…ならば、彼らはどちらの想いを抱いて、自殺していったのだろうか。


仕方がないので、ぼくは咲坂未来の家に戻り、母親に経過を報告した。

本日も、私は学業に専念することができました。
このまま調子を崩さぬよう、尽力したいと思っています。
お母さんの期待に応えられるよう、最大限の努力を致しますので。

ぼくは咲坂未来の真意を代弁するかのように、固い口調で礼を述べた。

そう。よかった。嬉しい。頑張って。
たった一人の、私の子供。期待しているから。
あなたはきっと、立派になる。あなただけは。あなただけは?

記憶を辿り、虚空を彷徨う手をみて居た堪れなくなり、ぼくは自室に戻った。

咲坂未来もまた、この家に居場所などなかったのかもしれない。
周りから羨望も憎しみも含んだ視線を向けられ続けた彼女は、何を思う。
…決して剥がれぬ仮面を被り、操り人形のように、日々を過ごし自らを。自らを?

なんとなく、ぼくは理解した。あの部屋の名前の由来、というものを。

この部屋も、彼女にとっては自殺する部屋なのだ、とも思った。
それは正しくないか。自殺した部屋。そう呼べるのではないだろうか。
それを確かめるのは、きっとぼくが七瀬翔の死を見届けた後の事なのだろう。

北条千夏は知っている。あの部屋の存在を。そして、あの部屋のシステムを。

ならば、ぼくが北条千夏にそれを確かめるまでに、理論を構成しておこう。
気付いた。ぼくもまた、連続する人の死の中で、摩耗していると。
人の死を受け入れようとしている…ぼくがいることが。

…ぼくは、彼らの何者に成り代わろうとしているのだろうか。


季節は夏。それでなくても、どうしても汗をかいてしまうのが人間なのだ。

咲坂未来は立派な乙女と言えるだろう。ならば、風呂に入らねば。
ぼくは彼女を乗っ取っておいて、内心で彼女に謝り続け、風呂に入った。
なるべく、彼女の身体を見ないように身体を洗ったと言い訳したい気分だった。

ほのかに滴る汗をバスタオルで拭いながら、ぼくはベッドに腰掛けた。

疲れている。咲坂未来の身体であったというのも理由の一つだろう。
それもあるが、ぼくは精神的にまいっているのだと思った。
まどろみそうになったとき、携帯の点滅をみた。

そこには、ぼくが再三かけた七瀬翔への留守番電話への返答が記録されていた。

よかった。やはり七瀬翔はまだ生きている。ぼくの理論は正しかった。
ここで溜息をついて、安堵感ゆえに再び夢を見そうだった。
身体を起こし、携帯電話を耳にあて、再生した。

「もしもし、翔だけど。何かあったのか」

「千夏の言葉を思い出せそうで、色々調べてたんだ」

「けど、結局思い出せなかった。それで留守番、悪かったな」

聞いたら暇な時でいいから、かけ直してくれ。それか、メールで。
そこまで続いた七瀬翔の言葉を聞いて、ぼくの口から再び溜息がこぼれた。
ぼくは心の何処かで、思い出さなくてよかった。そう思っていることに気がついた。

…思い出さなければ、七瀬翔は、きっと自殺することはないのだろうから。

けれど、ここで立ち止まってはいられない。ぼくは彼らを救うのだ。
そうやってぼくは、人を死に追いやっている事を正当化している事に気付いた。
ぼくは咲坂未来の母親と、何ら変わりはないのだ。本当に弱い人間だ、と自責していた。

それでも、ぼくは前に進まなければならない。携帯を開いて、七瀬翔にメールした。





「未来です。明日、お時間があれば、お会いできませんか?」


本日の投稿分については以上です。
ここまで読んでいただいた方、ありがとうございました。
引き続き、書き溜めを進める作業に戻ろうと思います。それでは失礼します。


>>122 修正です。

× 「もしもし、翔だけど。何かあったのか」
◯ 「もしもし、俺だけど。何か、あったのか」

× 「未来です。明日、お時間があれば、お会いできませんか?」
◯ 「未来です。明日、お時間が合えば、お会いできませんか?」

としてお読みください。こちらの方が適切かと思い修正しました。
何度も申し訳ありません。失礼いたしました。

これにて本日のレスを最終とさせていただきます。
ありがとうございました。


>>119 修正です。

× 店員の彼には申し訳ないが、今のぼくは恐らく男だ。
◯ 店員の彼には申し訳ないが生前のぼくは恐らく男だ。

としてお読みください。表現が適切ではありませんでした。
本日で第三章が完結するところまで投稿します。

では、投稿をはじめます。よろしくお願いします。


「ああ。俺も未来の話が聞きたい。場所はどうする。どこでもいいけど」

ぼくはそのメールに対し、十一時に喫茶店という変わりない文章を送信した。
話が聞きたい、ということは何かしら思うことがあるのだろう。
夢に落ちる直前まで、ぼくは咲坂悠一の事を考えた。

「私には、友人と呼べる方がいないのです」

「なら、ぼくが未来の友達を作る。一人にはさせないよ」

「ぼくは、未来の兄でもあるけれど、未来の友人でもあるつもりだよ」

「つまり、兄さんは私の初めての友人というわけですか」

「そう。辛い時に支えあって、一緒にいる」

「兄妹と友達に、大差はないよ」

「ありがとうございます。この恩は、忘れませんから」

「いいよ、気にしなくて。未来が変わったのも、ぼくのせいなんだよな」

「友達を作るなら、やっぱり、似たもの同士じゃないといけないよな。ぼくが探す」

「では、もし兄さんが困っていたならば、私が必ず、助けますから」

「それは心強いな。ありがとう。その時には、頼むよ」

ええ。どんな手を使ってでも。必ず、兄さんを助けます。
ぼくは咲坂未来の夢をみていた。これは、彼女の過去だろうか?
彼女が言った「どんな手を使ってでも」という一言が、ぼくに重く響いた。

咲坂未来は、咲坂悠一の為に、死という選択を用いて手を差し伸べていた。


今日も家族に成り代わった他人の家の玄関で、行ってきますを告げていた。

向かう先は相変わらずの場所だが、日に日に気温があがっている。
肌もそれを感じているようで、少しだけ日に焼けたような気がしていた。
咲坂未来に申し訳なさを感じつつ、ぼくは七瀬翔の待つ喫茶店へと急いでいた。

「お待たせして申し訳ありません。来ていただいてありがとうございます」

「礼はいいよ。俺のほうもだからな。ま、何か注文しよう。腹減った」

「朝食を抜いているのですか。少しだけでもきちんと食べた方が」

今度は、ぼくが咲坂未来にあてられてきているのだな、と思えた。
自然と彼女の持ちえる人を気遣う精神がぼくの中に芽生えているのだ、と。
付き合いとして注文した軽食に口をつけ、咀嚼を終えてから、ぼくは彼に尋ねていた。

「その。話を聞きたい、ということは、お尋ねになりたいことがあるのでは」

「ああ。そうだ。そうなんだが、何というか。考えがまとまらない」

「なら、それを今から一緒に考えるとしましょうか」

そうしよう。だがその前に、飯を食わないとな。彼はそう言って笑った。
そしてそれは、咲坂未来を励ますための笑みであるとわかった。
それを察したとき、ぼくは咲坂未来の笑顔を見せた。

彼もまた、ぼくの意図を察したのか、再び微笑を浮かべていた。

七瀬翔の余命は、残り一日と十二時間しかありはしない。
それまでに、ぼくは経過はどうであれ、彼の人生を全うさせるのだ。
経過はどうであれ、と内心思うあたり、ぼくはどうしようもない罪悪感を覚えた。

「では、翔さんのお考えをお聞かせ願えますか」


「俺が調べていたのは、千夏の件だ。悠一の件でもあるけどな」

「それで。千夏の職場の人間に話を聞きに行ったんだが、変な話を聞いた」

「千夏の職場に、自殺してから、生き返った人間がいる。そういう話を聞いたんだ」

ぼくは声をあげそうになってしまいそうになった自らを、必死で律した。
生き返った。それはつまり、あの部屋で願いを叶えたということ。
自らが、あるいは他人が生を願ったのかは定かではないが。

「それに関連するんだけど、気付いたんだよ。四人とも、五日毎に自殺してる」

心臓が痛むほど跳ねたのがわかった。ついに、これに気付いたのか。
それならば、七瀬翔の自殺は間近に迫っているのだ、とぼくは直感していた。
そして再確認していた。彼もまた、友人の死を、心から悼んでいる存在なのだ、とも。

「酒の席で、ええと、千夏の部下だったか。その人が言ったらしいんだが」

「普通のやつなら、そんな突拍子もない話をされて信じるわけもない」

「だが、酒の席だ。話の肴に、と聞いたらしい。そうするとな」

七瀬翔が語ったのは、咲坂悠一があの部屋で述べたルールについてだった。
彼は話の内容を不確定事項として語っていたが、寸分違わなかった。
つまり、あのルールに間違いはない。ならば、何を思った?

「さっき言っただろ。千夏の件なんだが、また思い出したことがあったんだ」

「その部下が言うには、五日毎に自殺するようなルールは存在しない」

「でも、確実に千夏は言ってた気がするんだ。ええと、確か」

彼は氷のみになってしまったソフトドリンクのグラスをかき回して思案していた。
五日ごとに死ななくてもいい。ならば、彼らの自殺には何の意図がある?
偶然ならば、それで片付けられる。だが、彼は意味深に言った。





「咲坂悠一を救うなら、五日ごとに自殺するべきかも、ってな」


「それは」

「それは、どういう意味なのですか」

「分からない。分からないんだ。だから、未来の話を聞きたかったんだ」

ぼくは、自らの焦燥感を隠しきれずにいることができなかった。
五日ごとに自殺するようなルールはない。だが、五日ごとに自殺している。
そして彼の言葉を信じるならば、彼らの五日ごとの自殺の手引きは、北条千夏のもの。

「すみません。少し。その。動揺してしまいました」

「いや。俺こそすまない。問いじゃなく、答えがほしかったろう」

「いいえと答えれば嘘になりますが、これだけでも十分な情報だと言えるでしょう」

ぼくと彼は新たなドリンクを注文し、互いに無言のまま時を過ごした。
北条千夏は何を意図して彼らを自殺させたのだ。何の意味が。
意味。意味は、咲坂悠一を救うため。なら、なぜ?

「他に、その生き返ったという方のお話についてはありますか」

「多分これで全部だ。相手もうんざりするほど根掘り葉掘り聞いてきた」

「俺の目の色がおかしいと思われてたんだろうが、千夏の友達と言ったら納得した」

彼は自嘲気味にそう言いながら、寂しげな微笑を浮かべていた。
笑っちまうだろ。やりきれなそうに呟く彼を、ぼくは見ていられなかった。
咲坂未来に対して、すまない。そう先に謝罪してから、ぼくは彼女の声を借りていた。

「今は亡き友人の為にここまでしている方を、笑うことなどできません」

「世間の誰があなたを笑おうと、私だけは決して笑いません」

「私だけは。私だけは、必ずあなたの味方です」

彼は驚いたようにぼくを見ていた。これは咲坂未来の意思であっただろうか。
きっと彼女なら、彼に対して同じ事を言っただろう、と思っている。
彼は目尻に涙を溜め、何かを思い出すかのように、言った。

「お前は。お前は、やっぱり、悠一の妹だな。悠一に、そっくりだ」


「よろしければ、明日も会っていただけませんか。お時間が合えば」

「もちろんだ。こっちから頼みたいくらいだよ」

「ああ、明日はバイトだった」

働かないと、生きていけないからな。まだ赤い目を擦り、彼は笑った。
ぼくはその言葉の意味について、追求することはしなかった。
夜になる。多分夜に連絡するから、出てきてくれ。

「分かりました。それでは、今日はありがとうございました」

「ああ。ありがとうな。じゃあ、また、明日」

「ええ。では、また、明日」

気をつけて帰るんだぞ。ナンパされたら、連絡してこいよ。
彼はその背中が見えなくなるときまで、ぼくをそう言って励ました。
ぼくは自らが傷つこうと、他人を想う七人の友人に対して、敬服していた。

また明日。

彼からその一言が聞けただけで、ぼくは自然と口元が緩んでいた。
きっと生前は、深く意味を考えもせずに日常に溶け込んでいたであろう言葉。
それなのに、死してからその言葉のありがたみというものを認識できたような気がした。

ぼくは帰宅してから、日常となりそうであった母親への礼を口にした。

未だにぼくの舌は、この母親に対して礼を述べることへ不服を感じているらしい。
咲坂未来はこの自傷行為とも呼べる言葉を、何度並べたのだろうか。
ぼくは眠りに落ちる前に、あの言葉を声に出していた。

「また、明日」


ぼくは時刻を確認し、慌てて飛び起きたが、すぐに昨日の事を思い出した。

また明日。再びぼくはあの言葉を反復していた。
そしてすぐに、今まで死を見届けた彼らの事を想っていた。
彼らに希望に溢れた明日を歩ませてあげたかった。あげられなかった。

もう、七瀬翔の確定された余命は二十四時間を切っている。

八月十九日午前八時。残されているのは、十六時間。
そして運の悪いことに、彼のアルバイトによって夜しか会えない。
七瀬翔に七瀬翔は明日自殺するかもしれないという事を告げるべきだったか?

ぼくは、その考えに至っていたぼくをただひたすらに嫌悪していた。

ぼくは他人に成り代わるという立場に置かれている。
だが、それは決して他人の死を軽んじられる立場ではないはずだ。
それなのに、どうしてぼくはそんなに簡単に死を受け入れようとしているのか。

それは自らが死者であるからゆえに、生者が妬ましいからなのだろうか。

心の何処かで、ぼくも彼らのように生きてみたかったと思っているからなのか。
自分自身の本意が分からなかった。どうしてぼくはそう考えるのかも。
この苦しみを分かち合える友人が欲しかったのかもしれない。

スプリングの軋むベッドの上で、ぼくはただ呼吸しているだけの存在だった。

七瀬翔がいない今、ぼくにできることといえば、考えることだけだろう。
咲坂未来の部屋を見回した。何もかもが整えられている部屋だった。
規律に囲まれているかのような。模範囚のような…牢獄だった。

窓からどこまでも澄み渡った青空をみて、自由に羽ばたきたいと願った。

今回の成り代わりで得た重要な情報である、七瀬翔の言葉を反芻していた。
五日ごとの自殺という提案は、北条千夏という人間によるものだと。
そこに何の意味があるのか。部屋のルールに関係するのか?

…北条千夏は何を望んで、そのルールを設定したのだろうか?


ひたすら考えを巡らせていたが、ぼくにその答えは出せなかった。

それは情報が足りないせいなのか、やはりぼくが愚鈍なせいなのか。
そんなことを考えてはみたが、両方であると結論づけた。
それでも真相へと近付いている実感はあった。

身体を起こしてみると、既に正午を刻もうとする時計がそこにあった。

部屋のドアがノックされ、母親の貼りつけたような笑みがぼくを迎えた。
ご飯よ。お腹がすいたら、食べにいらっしゃい。それとも、今?
確かにお腹がすいていたぼくは彼女と共に階段を降りた。

「こうして、ふたりでご飯を食べるのも、久しぶり」

「はい。この頃は主に三人で卓を囲んでいましたから」

「そう。三人で卓を囲んで。お父さんに、お酒を注いで」

それから、それから、どうしたんだったかしら。
母親の笑顔に陰が差した。また、思い出そうとしているのか。
誰も彼も、思い出せば不幸になる。いっそ忘れるのも方法だろうと思った。

「お母さん、最近、おかしいのよ。いいえ、違う。これが正しいの」

「未来ちゃんの隣の席に、男の子がいるの。きっと、この子は私の子供なの」

「どうして、ここには、その子がいないの。ああ。名前は、ゆ。ゆう。思い出せない」

それを見て、苦しんでいるのは父親と咲坂未来だけではないことも理解した。
誰もが苦しんでいるからこそ、互いに形が違えど、色々な手段を取っていたのだ。
咲坂未来は暗に兄の存在を示し、父親は全てを無に帰し、何もなかったふりを続けた。

母親は自らが忘れることによって、壊れた家庭を特異な方法で収束させようとした。

ああ。彼らは、確かに家族なのだ。壊れていようと、狂っていようと。
それでなければ、既に、この家族は崩壊していてもおかしくないではないか。
ぼくが咲坂未来の声を借りて、答えを教えようとしたとき、咲坂悠一の母親は呟いた。





「悠一」


咲坂悠一の母親の慟哭にすら思える啜り泣きを耳にしながら、階段を登った。

自室の扉を閉めたというのに、まだ彼女の声はこちらにまで届いていた。
全てを思い出したのだろうか。ぼくが彼女にできることはない。
あれ以上の咲坂未来の真意を代弁することはできない。

咲坂未来の復讐は、これで終わったのだろうか。

しかし、咲坂悠一を救えなかった事に対する、自らへの復讐はこれからも続く。
彼女は決して自らを許さないだろう。ぼくにはそう思えてならなかった。
ぼくは本当に彼らの人生を全うさせたと、胸を張って言えるのか。

咲坂悠一の部屋に反して、何もかもが揃っていたのに、ここには何もないような気がした。

ぼくはベッドに腰掛け、窓から吹き抜ける風にまどろんでいた。
こうしていると、ぼくは実は咲坂未来で、全てが錯覚だったとすら思える。
ぼくはこうすることによって、心の何処かで生者だと認識したかったのかもしれない。

「どうして、兄さんが死ななければならないのですか」

「互いに支えあうのが兄妹。そう、仰ったではありませんか」

「なのに。それなのに、どうして。幸せそうな顔で死ねるのですか」

ぼくが次に目覚めたときには、既に陽は隠れ、月だけがぼくを照らしていた。
飛び起きて時刻を確認した。午後十一時五十六分。何をしているんだ。
慌てて携帯を確認して、安堵した。未だ彼からの連絡はない。

アルバイトはまだ終わっていないのか。まだ猶予はある。出かける準備だ。

そのとき、携帯の着信音が部屋に響いた。発信者、七瀬翔。
操作する手が、震える。ボタンが押せない。咲坂未来の事を思い出した。
これは、今から会おうという連絡。そう言い聞かせて、通話ボタンをそっと押した。

「もしもし。未来です。私は、どこに行けば—————」





「ごめん。約束は、守れそうにないみたいだ」


「待ってください。翔さん。自殺だけは、やめてください」

「よく分かったな。さすが、友達なだけはある」

「これは、冗談ではありません!」

ぼくは答えも、声の抑揚一つも、咲坂未来に似せる余裕などありはしなかった。
ただ、咲坂未来という人物の声を借りて、七瀬翔の生を願っていた。
時刻が変わろうとしている。彼の生が死へと成り代わる。

「俺もさ。思い出したんだ。でも、だからこそ、未来には言えない」

「でもさ。これは、俺が死ねばいいんだ。皆が死ぬ理由はない」

「違います!翔さんが死ぬ理由も、どこにもありません!」

もう、俺に残された時間はないんだ。彼は、そう言ってかすれた声を届けた。
ぼくは自らが何を叫んでいるかも分からなかった。それでも、叫んだ。
死んではいけません。死んでは、誰もの死が報われません、と。

「今度はさ。俺が、咲坂悠一を救う番なんだよ。それに、皆もな」

「あいつらとは、よく喧嘩もしたけどさ。やっぱ、俺たちは仲間なんだよ」

「救わないと。これは、礼みたいなもんだ。それに最後まで、未来も、ありがとう」

パーティ。結局、できなかったな。皆、揃ってやるつもりだったのにな。
許してくれよ。未来は絶対に自殺するんじゃないぞ。これは、俺との約束だぞ。
最後にすら、最後だからこそ、彼はわざと明るい声を出して笑い、ぼくにそう遺した。

「すぐに、皆を連れて帰ってきてやるから、待っててくれ」

「数日か、数週間か、数ヶ月か。どれくらいかかるかは、わかんねえけど」

「言いたかった。生きてりゃあ、言えたんだろうが。ありがとう、ってさ。あいつに言うんだ」










「咲坂悠一に」


ぼくは気付いた。この光は、月が照らしている光だけではないことを。

同時に悟った。七瀬翔は自殺したのだと。そして、ぼくはまた、殺したのだと。
救えなかった。頭の片隅で想定していたというのに、それは重く響いた。
ぼくはまたあの部屋へと導かれ、他人に成り代わり、人を殺す。

「ぼくは。また、ぼくは。誰も救えやしないのか。ああ。ああ。どうして」

パーティをしたかった。彼は最期まで、そんなささやかな希望を抱いて自殺した。
もし、ぼくが彼らを救えたら、きっとやろう。パーティを。絶対に、だ。
そしてまた、咲坂未来は咲坂未来に成り代わり、ぼくは消える。

「私は、五日後に自殺するのですか。人生、わからないものです」

それが咲坂未来の口から響いた声だと気付くまでに、数秒かかった。
彼女もまた、どこまでも明るい声でそう言っていた。
きっと、記憶も覗いているのだろう。

「私は、幸せそうに自殺しているようです。なら、心配はいりません」

「どうして。どうして、そう言えるんだ。ぼくは、彼ら。君の友人を殺したんだ」

「もうお忘れになったのですか。前回の自殺の際、確かに私はあなたに言ったはずなのですが」

信じていますから。誰でもない、あなたの言葉を。そう言っていた。
根拠も何もないぼくの言葉を、信じているとでもいうのか。
そして何事もなかったかのように、彼女は尋ねた。

「本当に、あなたは咲坂悠一ではないのですか。不思議でなりません」

「ぼくは咲坂悠一じゃない。咲坂悠一は既にあの部屋にいた」

「なるほど。ああ。全て理解しました。それなら」





「…それなら、後ほどお会いいたしましょう。約束、忘れないで下さい」


「おかえり」

咲坂悠一は、嬉しそうな顔でそう言った。どうして、笑っていられる?
咲坂未来についてもそうだ。彼女は最後に何を悟ったというのか。
分からないことだらけで、藁にも縋る想いで、彼に問うた。

「綴真也。咲坂未来。七瀬翔の三名は、きちんと人生を全うしたのでしょうか」

「君が言いたいのは、どちらの意味で自殺したか、ということかな」

「はい。…彼らは、どのような想いを抱いていたのか」

どちらでもあると言えるだろう。彼は間髪入れずにそう言った。
どうして、そう断言できるのか。ぼくには分からない。彼の真意も。
これだけは間違いないと思う。思うじゃないな、絶対に。彼は、笑った。

「君は他にも聞きたいことがあるんじゃないのかな。答えられることなら」

「では、お聞きします。今日は、いったい、何月何日なのですか?」

「今日か。はっきりとはしないけど、なんとなく分かるよ」

それでもいいので、教えてください。ぼくは言った。
どうしてか…違う。この質問が意味を成すと直感したからだ。
咲坂悠一は、含みのある表情をしていた。意図に気付いたのだろうか。

「きっと、今日は。誰も歩めなかった、八月三十一日だと思っている」

「なら、ぼくは、八月三十一日に目覚めた、ということですか」

「そういうことだよ。君は、気付きはじめているのか」

なんとなく、ですけれど。ぼくは曖昧にそう答えを濁していた。
確信には至っていない。それに、そう言えるだけの証拠も存在していない。
けれど、彼らの言葉で。ぼくは、自らが誰であったか。それに気づき始めていたのだ。

「そして、もう一つ伺いたいのです。あのルールについてです」


「あのルール。それが、ぼくが説明したものの中であれば、答えよう」

「はい。願いは、七人の人生を救えば、一つ叶う。間違い、ありませんか」

「ああ。それは絶対に正しい。そう言い切ろう。信じるかは、君次第だけれど」

それを確認するだけの材料もないが、とりあえずは鵜呑みにすることにした。
それならば。瞬時に理論を構成してゆき、手掛かりとなる言葉を探す。
質問の順番も、求める答えを悟られてもいけない。言うのだ。

「もし、ぼくが仮に、咲坂悠一を含む全員を生き返らせる事を願えば、叶いますか」

「それは不可能だ。誰か一人の生ならば、願うことができる。分かるだろう」

「咲坂さんが咲坂悠一の生のみを願っているというのが証拠ですか」

そうだ。願えるのなら、ぼくはそれを願いたいけれど。
寂しそうに微笑を浮かべる彼は、ぼくの中で、七瀬翔と重なった。
しかし立場が違う以上には、七瀬翔に対するような感情は生まれなかった。

「では、最後に。この部屋には、五日ごとに自殺するようなルールはありますか」

ぼくがそう問うたとき、彼の表情に一瞬だけれど変化があるのを見逃さなかった。
これは、咲坂悠一の死の核心へと至る為の重要なピースだと判断した。
彼はぼくの揺らがない意思をみて、溜息をついて言った。

「そのようなルールは、ここには存在しない。これにも、間違いはない」

「ルールはあの三つ。他に隠していることも、不足していることもない」

そうですか。質問は以上です。ありがとうございました。
ぼくは彼へ心からの感謝を示し、彼の視線から目を背け、背を向けた。
彼はそれを見てか、ぼくに対して再び礼を述べていた。ありがとう。そう聞こえた。

「次に君は、七瀬翔の人生を生きてゆく。もうすぐ物語は、終わりを迎える」


「何度も言うようだけれど、ぼくには君しか頼れる存在がいないんだ。すまない」

ぼくは。咲坂悠一は言った。彼らは幸せだったと思っているよ。
世への未練か、幸せか。比重を数値化したならば、間違いなく幸せだ、と。
それは彼が他人の死で狂いそうになっているぼくへの、最大限の心の安寧へと繋がった。

「ああ。最後に、もう一つだけ尋ねたいことがあるのです。構いませんか」

「いいよ。ぼくに答えられることならば、何でも答えると言ったから」

「なら、聞きます。咲坂悠一さん。あなたは、何人を救った?」

この問いの答えが予想通りならば、ぼくは咲坂悠一の死の真相へと近づく。
彼は、ぼくが他人に成り代わっている間に、何をしていたか、だ。
何もしていない気がした。それはぼくを待っているから。

「ぼくが現在までに救った人数は、六名だ」

「やはり。やはり、そうなのですか。なら、あなたは」

「まだ、その答えを聞く時じゃない。しっかりと、思い出すんだ」

自らが誰であったか。記憶を辿り、思い出すんだ。
彼らのやろうとしていることが、輪郭だけであるが、わかってきた。
綴真也。咲坂未来。七瀬翔の三名が、どのような想いを抱いて自殺したかの理由が。

「綴真也。咲坂未来。七瀬翔の誰もが咲坂悠一の事を信じていました」

「だから、ぼくは。あなたを信じることにします。そして」

「必ず、あなたも。ぼくが救ってみせますから」

ぼくがそう言って振り返ると、彼は目元に涙を溜め、ただひたすらに泣いていた。
彼は、ぼくに対して謝罪を繰り返した。すまない。すまない、そう言って。
泣きはらした後の彼の表情は、どこまでも穏やかな笑顔があった。

「それでは、行ってきます。待っていてください」

再び、咲坂悠一に対して背を向けて、歩き出す。
次にぼくを待ち受けているのは、北条千夏という人間の人生だ。
ぼくが、彼らの死によって狂ってしまう前に、全てを終わらせ、掴み取るのだ。





…彼らの歩めなかった、八月三十一日を。


以上で、本日の投稿を終了します。
同時に第三章 咲坂未来の終了となります。
補足修正などがありましたら再び書き込む予定です。

それでは、ありがとうございました。
引き続き書き溜める作業に戻ろうと思います。
まだまだ長いですが、ゆっくりお付き合いくださいませ。


投稿を開始します。
ごゆっくりお付き合いください。


 第四章 七瀬翔

ぼくは七瀬翔に成り代わり、気付けば夜のネオンの中にいた。

これで三人目に成り代わったことになる。今度は再び男性の身体だ。
どうも、咲坂未来の視点より随分と高く、身長は百八十くらいなのだろうか。
七分丈のシャツから見える腕は筋肉質であり、スポーツをしていると予想してみた。

とりあえずここまでの経過を確認したかったのだが、書くものがない。

携帯電話のメモ帳を開くのもいいが、時間がかかりすぎるのが難点と言える。
万が一、という事態に陥らない為にも七瀬翔の服を確認していた。
すると想定通り、七瀬翔は財布を持って外に出ていた。

七瀬翔。彼は十九歳らしい。だが、学生証らしきものはなかった。

そして咲坂未来で慣れていたので驚いたのだが、彼は金銭を殆ど持っていない。
千円札が四枚。百円玉が一枚。十円玉が三枚、一円玉が九枚だった。
咲坂未来の財布の中には、常にこの倍程度は入っていた。

七瀬翔は、単に必要以上の金銭を持ち歩かないだけなのであろうか。

ぼくは夜であっても、容赦なく人を不快にさせる気温による汗で、我に返った。
そうだ。外に出てきているということは、何か予定があったはずなのだ。
それとも、もう既に予定を終え、これから帰宅する予定なのか?

彼はアルバイトをしていると言っていたはずだ。なら、そうなのか?

それは今、確認しようがなかった。概ね探ってみても、証拠はなかった。
仕方がないので、ぼくは現在地について特定しようと試みた。
ここはどこだろう。人の往来の前だ。辺りを見回す。

すると、ぼくの印象だが、ここは待ち合わせの指定地点らしき場所のようだった。

時刻は二十一時五十分。もしかすると、誰かと待ち合わせをしているのだろうか。
携帯電話を探っていくと、北条千夏からメールが届いていた。
やはり、佐倉徹の自殺についての件だった。

ならば、これから北条千夏という人間と待ち合わせをしていたのだろうか?


過去のメールを辿っていくと、それらしきメールをいくつか読み取れた。

北条千夏です。先程、佐倉徹が自殺したと連絡がありました。
これから会えないでしょうか。時刻は二十二時丁度に、いつもの駅前で。
私も色々思い当たる節があるので、翔に話を聞きたいと思っています。それでは。

今度は改めて大きく辺りを見回すと、上部に駅の名前が掲げられていた。

時刻は記載されている約束の時間の直前。つまり、ここで合っているのだろう。
もし、ここに来る直前に七瀬翔に成り代わっていたら、大変だった。
そういう意味ではよかったと言えるが、人が死んでいる。

ここで改めて七瀬翔の言葉遣い、呼称の確認をしておいた。

一人称は俺。誰しもを呼び捨てで呼ぶ。これは親密さの現れだろうか。
それとも人懐っこいと言うべき性格なのか。定かではないのだが、そうらしい。
北条千夏のメールを読むに、ぼくは彼女に対してキャリアウーマンという想像をしていた。

咲坂未来が言うには、どこまでも正確な存在であったとのこと。間違いない。

だが、恐らくこれから彼女から語られることは、どこまでも不正確な存在のこと。
そうでなければ、七瀬翔の人生を使い、そういう展開に持っていく。
必然的に、自殺に追い込まなければ真相は掴めない。

神様がこの世に存在しているのならば、ぼくは一生信仰などしないだろう。

ぼくは既に死者であるから、一生などというのは戯言なのだが。
少し駅を入ったところに設置されている鏡で七瀬翔の姿を確認していた。
短髪だが整髪料で髪型を整えており、髪…これはダークブラウンと言えるだろう。

後々ぼくもこの髪型が出来なければ七瀬翔には成り代わりきれないのだ。
今のうちによく観察しておかなければ、まずいことになる。
そうこうしている間に後ろから声が聞こえた。

「翔。ここにいたの。駅前と約束をしていたから、表を探していたのに」


北条千夏だろうか。彼女が、彼らの自殺を手引きした張本人なのか。

上質なパンツタイプのスーツを着こなし、スクエアフレームの眼鏡。
少々着崩してはいるが、十分にファッション、と呼べる着こなしをしていた。
髪はブラウンだろうか。恐らくだが、前髪にのみ緩いパーマを当てているのだろう。

「顔色が優れないようだけれど、どうしたの。身体の調子でも悪いの」

北条千夏は心配そうに、七瀬翔であるぼくの顔色を伺っているようだった。
メールを確認した際に七瀬翔は誰彼構わずな振る舞いをしていた。
ならば、ぼくも同様に振る舞えば怪しまれることはない。

「ああ。悪い。ちょっと、考え事しててな。ほら。メールの、徹のことだ」

「その話についてなのだけれど、ここではゆっくり話せない。行きましょう」

髪を耳にかけ、ぼくを置いて一人で先に進んでしまっていた。
千夏。待ってくれよ。七瀬翔の言葉を吟味しながら、彼女に並んだ。
北条千夏は街行く人の視線を独占していた。その、あまりある美貌ゆえに。

そんな彼女と並んでいたぼくは、他人から恋人同士に見えているのだろうか。

行き着いた先は、どうにも想定外の一般的なファミリーレストランだった。
彼女はドリンクバーを注文し、メニューを見ながら唸っていた。
翔は何にするの。今日は私が持つから気にしないで。

無難に無難といえるようメニューにも思考を重ね、ハンバーグセットを頼んだ。
北条千夏はきのこパスタを注文し、ドリンクバーへと向かっていた。
違和感。これまでにない、異常なまでの違和感があった。

北条千夏は綴真也と咲坂未来、七瀬翔と比較しても、異常と言えるほど冷静だった。

彼らは友人の死を前に、明るく振舞っている中にも陰があった。
なのに、北条千夏という人間は、全くもって…それを感じさせなかった。
生前の七瀬翔が語っていた通り、彼女が彼らを殺した、と言うべきなのだろうか?

「お待たせ。ああ、混んでいるから、注文が来るには長そう」


「千夏。それで、徹の件なんだが。なんで徹は自殺したのか—————」

お待たせいたしました。ハンバーグセット、きのこパスタでございます。
思わず店員に目線を向けてしまい、会話内容を聞いていたのか視線を逸らしていた。
ああ、すまない。ありがとう。慌ててそれをフォローして、そこには無言の空気が残っていた。

「…とりあえず、食べましょう。翔もお腹が空いているでしょう。食べなさい」

「分かった。なら、話は後でだ。ありがとう。いただきます」

北条千夏はていねいにパスタを巻き取り、零すこと無く口に運んでいった。
そんな些細な動作でさえ、周辺にいた男性の視線を奪っていた。
ぼくが食べている姿を、彼女は嬉しそうに見ていた。

「ごちそうさまでした。ああ、お腹がいっぱい。翔は何を飲む?取ってくるけど」

「なら、カフェオレを頼む。冷たいほうな。よろしく」

「わかった。ちょっと待ってて」

ここまでの流れを見ていると、彼女は案外ドライな性格なのだろうか。
しかし、一挙一動に目をやっていると、潔癖症とも呼べる所作が見えていた。
どちらも同居していると言うべきか。そして七瀬翔とはさながら恋人のようだった。

「お待たせ。それじゃあ、はじめましょうか。徹のことについて」

「ああ。俺もまだ、詳しく知らないんだ。千夏は、何を知ってる」

「…何も知らない。どうして自殺したかも、私は知らないけれど」

彼女は嘘をついている。彼らは言っていたはずだ。北条千夏は知っている、と。
言葉は完璧だ。けれど、視線が七瀬翔の瞳を見ていない。
嘘だ、と否定することは簡単だ。

…けれど、どうやって、ぼくはそれが嘘だと証明すればいいんだ?


ぼくは死者だとは述べられない。まして、七瀬翔でないことも。

だが、方法はそれしかない。ぼくが自らを死者だと述べるしか、術はない。
ダメだ。早まってはいけない。綴真也を思い出せ。考えるのだ。
北条千夏は何も知らない。七瀬翔も何も知らない。

それを前提として、真相について、話を組み立てればいいのだ。

意見を否定せずに話を組み立てる。それが彼のやりかただったはずだ。
ぼくは七瀬翔でありながら、綴真也に成り代わればいいのだ。
北条千夏は何を隠している?それを今から確かめる。

「なら、俺と一緒に考えてくれないか。友達が自殺していくなんて、信じたくない」

「信じなければいけないにしても、納得するだけの理由が、ないんだ」

「頼む。千夏。協力してくれ。俺は、真実が知りたい」

ここまで既に三人が自殺している。咲坂悠一、結城久、佐倉徹。
ぼくが北条千夏に対して、自らの意見として述べるのも不自然ではない。
何より、七瀬翔は友人の死を心から悼んでいた。ぼくはそれを利用しているのだ。

「…わかった。協力する。私もしばらく会社を休むから、そうしましょう」

「ありがとう。なら、今日は、表面だけでも整理しておかないか」

「いいわ。そうしなければ、暗中模索でしょうから」

ぼくは成り代わりによって再三繰り返した説明を、言葉にして並べた。
だが、重要な点については全て伏せ、彼女の言葉から綻びが生じるのを待った。
この時点でぼくが行った説明は、少しでも調べれば誰でも分かる程度の話をしておいた。

「とりあえず、今日はここまでしよう。付き合ってくれて、ありがとうな」


けれど、彼女はただ、ぼくを静観しつつ頷くだけだった。

何杯目か分からないアイスカフェオレを飲み干し、会計を後ろで待っていた。
行きましょうか。そう口にする彼女には、もう感情、と呼べるものは見えなかった。
北条千夏が彼らを死に至らしめたとするならば、彼女はもう、人間ではないように思える。

「今日は、私の方こそありがとう。感謝してるのよ、これでも」

夜風に髪をなびかせていた彼女は、口元だけで薄く笑った。
どうして、そうやって笑っていられるのか。ぼくはそう問いたかった。
君は人を殺しているのか?ぼくはぼく自身の言葉で、彼女に尋ねたい想いだった。

「この後、時間あるかしら」

ぼくは、今後の予定など全く知らなかったのだが、ある、と答えておいた。
一刻でも彼女のそばにいて、一挙一動に目を向け、その言葉から、真相を探り出す。
そこまで思案するのに一瞬もかからなかったぼくは、再び隣に並び、街を歩きだしていた。

「こうやって歩くのも、久しぶりかも」

連れて行かれた先は夜でさえ開店しているセレクトショップだった。
好きなものを買いなさい。そう言われ、七瀬翔の趣味であろうものを選んだ。
これで合っているのかは定かではないのだが、やはり無難というものを選んでおいた。

「ふうん。いいじゃない。よく似合ってると思う」

彼女は普通の会社員であろうはずなのに、どうしてこうも金遣いが荒いのか。
言い方は悪いが、ぼくは恋人に貢いでいるようにしか見えなかった。
七瀬翔も、普段よりこういうことを受け入れていたのか?

「何度も言うけど、今日は付き合ってくれてありがとうな。楽しかった」

「いいのよ。私がしたくてやってるのだし。ああ、聞きたいことがあるのだけれど」

「聞きたいこと?なんだよ。今日の礼もあるし、俺に分かる範囲でなら、もちろん答えるぞ」

「ありがとう。なら、聞くけれど」










「あなた、誰?」


「誰。誰って、何…言ってんだよ。千夏。俺だ。分かるだろ?七瀬翔だよ」

「言い繕わなくてもいいのよ。私には分かってる。私は自殺した」

「…今、私で、四人目を担当している。そんなところ?」

あり得ない。生者が死者を見抜くなど。ああ、だが、咲坂未来もそうだった。
彼女もまた、北条千夏と同様にぼくの存在について見抜いていた。
だが彼女の比ではない。北条千夏は全てを知っていた。

「当たり、でしょう。もう少し、歩きましょうか。着いてきて」

彼女は再び、唖然としているぼくを置いて歩き出していた。
だが、これは好都合ではないか?彼女に嘘を指摘する必要はもうない。
ならば、順当に行けば彼女の口から咲坂悠一の死への手掛かりが語られるはずだ。

深夜に差し掛かろうとしている閑散としたカフェの一角を陣取り、彼女は言った。

ここまでの経過を話してもらえるかしら。教えてほしいの。
その時やっと北条千夏が何かしらの感情を浮かべているのがわかった。
恐らく、ぼくは彼女に比べ情報というアドバンテージがほぼ無い。ならば、ぼくは。

「降参です。確かに、ぼくは七瀬翔じゃない。その前に、聞きたいことがあります」

「ぼく。ぼくということは、あなたは、綴真也。もしくは、咲坂悠一なの?」

「分かりません。けれど、その前に、なぜ見抜けたか教えて下さい」

これは単純な問いでもあり、未来を見通した質問でもあった。
これから先に北条千夏に成り代わるにあたり、参考にしたいと思った。
彼女に、と考えるあたり、ぼくは既に北条千夏の死を受け入れているのだろう。

「そんなのは簡単。どこか曖昧な七瀬翔の言葉」

「それなのに、食事の作法は明らかに咲坂未来のようだった」

「さらに、七瀬翔とは思えない論理の構成力。さながら、綴真也のようよ」





「そして、些細な癖に至っては、咲坂悠一にそっくりのあなたは…誰?」


「見抜けて当然よ。私たちは、互いがかけがえの無い存在なのだから」

咲坂未来の言葉を思い出した。街を歩いて。そして、北条千夏の言う、癖。
ぼくを綴真也でないと見抜いた理由は、これであったというのか。
ぼくは、追い詰められているというのに、笑っていた。

「あなたがたの友情というものに、ぼくは敗北したようです」

七瀬翔の言葉ではない、ぼく個人の素直な感想を彼女に述べていた。
そして同時に、ぼくは咲坂悠一を中心とする友情に、あてられてしまった。
勝ちも負けもありはしないわ。北条千夏はそう言って、さらに言葉を付け加えた。

「理由はこれだけじゃないけど。自殺する部屋の存在を知っていたから」

「なるほど。そういうことでしたか。なら、話は早いです」

「ああ、その話し方。なんだか、不自然よ」

翔の顔で敬語を使われると、なんか鳥肌が立ちそうなのよ。
言葉にならない雰囲気であった一角の空気が、少しだけ和んでいた。
だが、流されてはいけない。彼女は三人の自殺の後押しをしている存在なのだ。

「では、こちらからも…いえ。こっちも、知ってることを話そうか」

「俺が知ってる範囲でなら、答える。分からなければ、答えられないが」

「それでいいわ。今日のところはとりあえず、一つだけ、聞いておくとする」

「ええと、そう。私。北条千夏は、五日後に自殺する。それで間違いない?」

「…恐らく、そうだ。今のところ、自殺は一度も止められなかった」

「千夏は八月十五日に、どういう経過を辿っても自殺する」

そう。北条千夏は自らの余命を宣告されても、他人事であるかのようだった。
なぜ、そう落ち着いていられる?死ぬのだ。この世から消えるのだ。
ぼくなら恐ろしくてたまらず、狂ってしまうかもしれない。

「ま。私は自殺するつもりだから、特に驚きはしないけれど」


「今日はこの辺でお開き。色々考えたいこともあるのよ。あなたのこととか」

彼女は冗談めかして笑い、すぐにぼくに背を向け、駅の方へ去っていった。
また連絡するから。ぼくも彼女に背を向けたとき、そう聞こえた。
ああ。ぼくは、彼女に友人であるかのように挨拶した。

時刻は二十四時になろうとしていた。彼女の余命は、あと四日。

自殺するつもりだから。北条千夏は確かにそう言っていた。
今回は、例外とも言えるパターンになった。ぼくの存在を見抜かれた。
七瀬翔ぶらずにすむのは、精神的な余裕があるからいいが、これも疲れそうだ。

「ぼくは、どうするべきなんだろうか」

ぼくはそれを声に出して、自らに対して問うていた。
北条千夏は自殺するつもりだ、と宣言していた。止めるべきか?
止めても、どうにもならない。そんな考えがぼくの中に確かに存在していた。

そして、七瀬翔も同様に自殺する。

彼女の背が見えなくなってから、例外なく状況整理をはじめていた。
とりあえず、ここはどこだろう。七人の居住地域に近い場所だといいのだが。
そういうわけで携帯電話を取り出して調べてみると、咲坂未来の地域から三駅もない。

大雑把にしか調べていない七瀬翔の自宅を調べると、ここから電車で二十分程だった。

七瀬翔の財布から千円札を抜き取り、残金が三千円代へと突入していた。
両手に抱えるセレクトショップの洋服代の、十分の一以下だ、と落胆していた。
咲坂未来の時と同様に、ぼくはこの現実を七瀬翔のものだと錯覚したがっているようだ。

七瀬翔の自宅は、二階建ての古ぼけたようなアパートだった。

触るだけで手が汚れてしまいそうな手すりが設置されている階段を登り、二階へ。
両隣の人間関係も気になるので、ぼくはできるだけ静かに自室へ入った。
誰か同居している可能性もあったのでただいま、と声をかけて。

…けれど、七瀬翔は恐らく、ひとり暮らしであったらしい。


気になったのは、綴真也に反しての、あまりある生活感だった。

部屋の中央部にカバーつきの炬燵が設置されており、漫画雑誌が散らばっている。
何度も読み返していたのであろう、というような汚れ方をしていた。
壁を見ていると、手作りのシフト表がそこにあった。

今日と明日はアルバイトがないらしく、合計で三連休であったようだ。

少ない本棚には大学受験用の参考書もある。彼は浪人生なのだろうか。
預金通帳をみてみると、十数万円という預金がそこにあった。
バイト代をいくらか自宅へ送金もしているらしい。

ここまでで固まってきたのは苦学生であるという印象だけだった。

そういうわけであったから、彼の財布には普段よりお金が入っていないのか。
生前の七瀬翔も言っていた。働かなければ生きていけない、と。
確かにそうだ。一度でも休んだら赤字になる。

だが、七瀬翔は、思い出してしまって、自殺した。

七瀬翔に成り代わるまでの経緯を回想したぼくは、服を着替え、横になった。
そして再び身体を起こし、やっておかねばならないことを思い出した。
もちろん、ここまでの状況整理と新たな問題点の追求である。

・咲坂悠一が救った人数は六名
・ぼくが目覚めたのは、八月三十一日
・北条千夏は五日後に自殺するつもりである
・あの部屋のルールに追加要素は存在していない
・北条千夏の自殺の後押しについての真相も探るべき

・結城久と佐倉徹の自殺についても情報を得ておく

ここまでで自らが重要視しなければならないと思った情報は以上だった。
特に注目するべき点は三点目と五点目だろう。最も近しい存在だ。
六点目については未来への見通しという程度で記載した。

…北条千夏は、どういう経緯で彼らを死に至らしめたのだろうか?


「七瀬くん。ぼくたちは、きっと、似たもの同士なんだ。友達になれると思う」

「友達。友達か。お前に、俺の、なにが分かるって言うんだ」

「何も分からない。言ってくれないから」

「なら、俺とお前の、どこが似てる?今まで話したこともなかったろう」

「そっくりだよ。寸分違わない。不思議なくらい、鏡写しだ」

「死を選んだもの同士。ほら。そっくりだろう?」

ぼくが自室で目覚めたときには、昨日買ってもらった洋服が袋からこぼれていた。
慌ててそれをかき集め、今後のぼくの予定について思案していた。
北条千夏は言っていた。また連絡するから、と。

…ならば、ぼくは待っているしかない。彼女からの連絡を。

だが、アクションを起こさなさすぎたとしても、それはそれで問題だ。
時間は有限だと、ぼくはこれまでに何度感じていたことか。
とりあえず、今日は様子を伺ってみる他ない。

今日連絡がなければ、明日こちらから行動を起こしてやればいい。

五日後に自殺することは、ほぼ確定しているのだから、それまでは一安心だ。
安心などできるはずもないのだが、そう思わなければ続かない。
それまでに、七瀬翔について情報を整理しよう。

まずは、なんだろう。表面的なところからだろうか。

七瀬翔。十九歳。職業は現在正確に言うならフリーターだろう。
参考書の難度を見るに高レベルな所を狙っている。
実家に仕送りを続けている苦学生。

…そして、思い出した。夢での会話を。あれが事実である、とするならば。

咲坂悠一が作ろうとしていた咲坂未来の友人は、似たもの同士。

…つまり、誰もが、自殺志願者ということになる。


北条千夏から携帯電話へと着信が入ったのは、昼を過ぎてからだった。

やっと連絡が来たか、と思う反面に、まだ生きていると安心する自分がいた。
彼らの生命は、薄氷の上に成り立っていると言えるのだから。
安堵の裏返しの溜息の後、通話ボタンを押した。

「もしもし。起きてるかしら。それとも、今まで寝ていたのかしら」

「起きてますよ。ああ、すみません。起きてるよ、千夏」

「成り代わりって大変そう。死にたくなる」

もう死んでいるのだが、という指摘はしないでおいた。
ほんの少しだけ、彼女の最大限の冗談と察せたからであろうか。
六畳一間の蒸し暑さに汗をかき、それを拭いながら、言葉を待っていた。

「今は七瀬翔の家に居るんでしょう?で、あなたは私の連絡を待っていた」

「そういうことだ。わかってるなら、もっと早くかけてくれよ」

「なら、今から出てこれる?一時間後に、駅前で」

あ、昨日のとこなら、あなたも知ってるでしょう。そう確認された。
誰かも分からない人間に対して、ずいぶんな心遣いだと思う。
それも含めて彼女はもてるのだろうな、と内心思った。

「わかった。まだ土地勘については怪しいから、多めにみてくれ」

「ええ。道に迷ったら連絡してきてもらえるかしら」

「ああ、了解。じゃあ、後でな。千夏」

ぼくは、心の何処かでこの状況を楽しんでいたのかもしれない。
完全な誰かに成り代わっていた前の二名と比べて、自らの言葉を述べられる。
それが非現実の中の現実の中であれ、確かに誰かに届いていると実感していたからだろうか。

「あなた…じゃなかった。翔。迷ったら連絡すると言ったじゃない」


「悪い。迷ったわけじゃないんだが、どうにも用意に手間取ってな」

「いいでしょう。暑いのだし、どこか入らない?死にそう」

「俺は選べる立場じゃない。エスコートしてくれ」

メールだとあれほどていねいだった彼女の本質は、こうであったか。
確かに面と向かわなければ慇懃無礼と言うほどの人は、いるらしいのだが。
こうも、ギャップを目にしてしまうと、なんとも言えない気分になってしまうのだ。

「ここでいいかしら。翔はご飯を食べたの?」

「そういえば、食ってないな」

「わかった」

ぼくは、彼女の奢りで回らない方の寿司屋に連れて行かれ、散々食べさせられた。
回転寿司であればと切に願った。値段が書いていないのは胃に悪い。
その後、炎天下の中を練り歩き、喫茶店に落ち着いた。

「美味しかった。また機会があれば食べたいと思うくらいだったわ」

「そうだな。にしても千夏は、そんなに高給取りなのか?」

「いいえ。出世コースではあるけど、まだまだよ」

なら。そう言いかけて、気付いた。彼女は自殺つもりだと言っていた。
つまり、もう金銭に関して気遣う必要など、どこにもない。
最期のひとときを今、彼女は楽しんでいるのだ。

「なんで千夏は、そんなに嬉しそうで、楽しそうなんだ。これから自殺するのに」

「そんなことは決まってる。友人の幸せの為に、死ねるのだから」

「…今度は、私が咲坂悠一を救う番なのだから」


「千夏もか。千夏も、そう言うんだな。俺に誰もがそう言って自殺した」

「何も知らなかった翔が成り代わっても自殺に結びついたなら、結果は変わらない」

「どのような道筋を辿ろうとも、結局誰も彼も自殺する。そう気負わなくていいと思うけれど」

どうして、そこまで楽観的に物事を構えていられるのだろうか。
それともなんだ。彼女にはそれを覆すだけの計略でもあるというのか?
ぼくはすぐに、あり得ないほど真剣に存在するかも分からない計略を推理した。

「北条千夏は五日後に自殺する。それが分かっているのだから、情報交換でもしましょう」

「…いいだろう。そうしよう。なら、まずは千夏が質問してくれればいい」

「そう。なら、これから自殺する三人は幸せそうだった?」

その問いは、ぼくの心に重く響いた。咲坂悠一は幸せだったと断言していた。
けれど、ぼく自身そうであったかと言われれば、答えられない。
答えを濁していたとき、北条千夏はぼくに言った。

「あなた、自らが誰かもわからないのに、真剣に思案するあたり、優しいのよ」

「そんなことは。ぼくは結果的に、彼らを。彼らを、救えなかった」

「口調。私も、きっと、幸せだったと思っているけれど」

「そうか。なら、今はその答えに腰を落ち着けておくとするよ」

「そうして。じゃあ、次の質問。あの部屋の事を教えて」

「教えて?千夏は、知っていると聞いていたが」

「だいたいは知っているけれど、自殺しないと確かめられないでしょう」

「それもそうか。ええと、千夏は何について聞きたいんだ?」

「何だろう。そこには、いったい何があるの?」

「何もない。白い部屋があって、中央に扉があるんだ。部下から聞いてないのか」

「あなた、そんなことまで知ってるの。お酒の席だと、説得力が」

「なるほどな。他には、咲坂悠一がいるくらいか」





「なんですって?」


冷静な彼女が一瞬だけでも大声をあげたという事実に、ぼくは驚いていた。

咲坂悠一がいる。それに対して、何を驚くことがある?
彼は最初の自殺者だ。そこにいても、何らおかしくはないはずだ。
自殺者は合計七人。ぼくの存在を除けば、順番は正しく、間違いはないはず。

「俺は何か変なことを言ったか。嘘じゃないぞ。これは事実だ」

「いいえ、あなたの事を疑っているわけじゃないの」

「それで。願いは本当に一つだけなの?」

「咲坂悠一に聞いた限りだと、願いは一つだと言ってたが」

「補足しておくと、人を生き返らせる場合は一人しか生き返らせられない」

「って、言ってたはずだ。これも間違いない。それに、あの三つのルールしか存在しない」

「そう。ありがとう。今のところ、質問はこれだけ。質問していいわよ」

「なら、聞こう。五日ごとのルールを作ったのは、千夏だな」

「咲坂悠一を救うには、という話のものかしら」

「そうだ。七瀬翔は言っていた。北条千夏があのルールの事を語っていたと」

「ええ。ルールとは呼べないけれど、そういう話をしたのは、確か」

「…結果、三人を自殺させたのも、私なのかも。けれど」





「その話を私にしたのは、自殺した、佐倉徹なのよ」


佐倉徹。未だに人物像もはっきりとしない人間が、今ここで来るというのか。

自殺させたのは北条千夏。しかし、それを持ちかけたのは佐倉徹?
それを鵜呑みにしたとして、どこにそのメリットがある?
北条千夏が三人を自殺させるだけの理由は何だ?

「どういうことだ。三人の自殺の原因は、佐倉徹の言葉だってことか」

「そういうこと。でも、私は翔にそれを話した記憶はないのよ」

「別に、言い逃れってわけじゃないの。本当にそうなの」

彼女は前日のように嘘をついている素振りはない。だが留意しよう。
留意した上で、情報を引き出していかなければならない。
ここでそれを追求することは不自然ではない。

「なら、それについて、誰に話した?そして、いつ、どこで話していた?」

「知ってるかは分からないけれど、咲坂悠一の自殺の後。佐倉徹にだけのはず」

「どちらかというと話された、という立場だから、言い方は正しくないのだけれど」

話された、という事は一方的に佐倉徹が北条千夏に語っていた、ということ。
ならば北条千夏が確認を取るように反復し、七瀬翔はそれを聞いた?
咲坂未来も七瀬翔も自殺する部屋について知っていた。なら。

「場所はどこか知らないが、咲坂悠一の自殺の後、六人で集まった。違うか」

「そう。場所は、咲坂未来の家から最寄りの駅のカラオケボックス」

「集まって長居をして話し合うには、最適の場所でしょう」

そうだった。綴真也の日記に記載されていた事項と一致している。
パズルのピースは今、一つの絵を描こうとしている。
何もかもが全て、一つに繋がっていく。

「そこで、結城久は、ずっと俺が殺したんだ、なんて呟いていたかしら」


「そうだ。千夏。千夏は結城久の遺書について、何か知らないか?」

「結城久の遺書、ですって?咲坂悠一の遺書ではないの」

「違う。綴真也は自らの日記にそう書いてた」

「確かに存在していたかは分からない。でも、綴真也は可能性を匂わせていた」

「そしてこうも続けた。佐倉徹は結城久の自殺後から一変した、と」

「それ。本当に間違いないかしら。結城久の遺書なんて」

「ああ、けれど、自殺する直前に私個人で佐倉徹に会っていたとき」

「彼の。佐倉徹の言葉は、どこか…伝聞形式になっていたような気がするのよ」

伝聞形式になっていた。ということは、どこかから自殺するだけの情報を得た。
佐倉徹は何かしらの持論を構成し、それを結城久の遺書で裏付けた?
いったい、そこには何が書かれているというのだろうか。

「そのときには、佐倉徹と何か話したのか。その。自殺についてだとか」

「いいえ。会っていたとは言っても、偶然会ったみたいなもの」

「ええと、何を話したかな。咲坂悠一の自殺について」

「結城久の自殺についてもそう。どちらかというと、そっちが主」

「自殺する部屋は、確かに存在するらしいんだ。だから、俺は。そう言ってた」

「それで、その後」





「きっと、これで、誰もが自殺してくれるはずだ、って言ってたと思うの」


「なんだって?」

ぼくが今度は大声をあげる番となってしまった。
北条千夏の言葉を鵜呑みにすれば、佐倉徹が友人を殺した。
殺したと言えば間違いになるのだろうが、自殺の後押しをしていたのだ。

「結城久は。結城久は、自殺する部屋について知っていたのか」

「知っていたと思う。だって、私が話したのは、誰もが生前の時だったし」

「話の繋ぎくらいな話題だったから、誰もが適当に聞いてたはずだと思っているけど」

なら、結城久は五日ごとに自殺するルールとやらを知っていたのだろうか。
それを問うと、彼女は首を振っていた。それはないはず、と言って。
咲坂未来が結城久を励ますために、そばにいたと言うのだ。

「これも言伝だけれど、未来が嘘をつくとは思えないから、聞いてはいないはず」

「集まったときの事、言ったでしょう。結城久は壊れる直前だった」

「そんなときにそんな話を聞かせたら、自殺するわよ」

確かにそうだ。では、結城久は何を自殺する部屋の存在の根拠としていた?
体感しなければ分からないはずだ。奇跡とも呼べるそれを実感。
奇跡。奇跡。そうだ。結城久は奇跡を実感したのだ。

「結城久は、奇跡的と十分に呼べるだけの回復があり、生を得た」

「そしてあの部屋のルール。七人の人生を救ったならば」

「あなた。それ。結城久は、それで自殺を?」

自らで咲坂悠一の死の代償を実感したからこそ、存在の根拠とできていた。
結城久は咲坂悠一に罪の意識があった。なら、死して何を願う?
そうだ。当然、咲坂悠一の生を願うのが友人だろう。





…なら、どうして咲坂悠一は、自らの生を願っているんだ?


「ごめんなさい。私はこれから用事があって。自殺じゃないわよ」

平然とした顔で、とんでもない事を言うあたり、彼女は咲坂悠一のようだ。
面と向かって自殺ではないという宣言は安心の糧になるのだが。
周りの客にちらちら噂されるのは勘弁してほしい。

「わかった。ええと、かなり時間も過ぎてるな。今日もありがとう」

「ええ。次に会うときには、私の余命は三日。映画みたい」

「冗談になっていないから、やめてくれないか」

ごめんなさい、と言葉に反して笑っている彼女をみて、非現実だと思った。
死ぬのが怖くないのだろうか。突然死ならまだ実感はないだろう。
しかし彼女は自殺するのだ。自ら、死を選択するのだ。

テーブルに残された千円札三枚をレジに持って行き、会計を済ませた。

少し多かったが、交通費の足しにしろという意味合いだったのだろうか。
昼過ぎに会っていたというのに、もう既に陽は沈んでいた。
何時だろう。確認すると、二十時を回っていた。

長居して申し訳ない、と喫茶店の店員に苦笑いを含んだ会釈をして、外に出た。

相変わらず夜風は生ぬるく、咲坂未来と同様、温度差に目眩がしていた。
北条千夏は帰って行った。だが、ぼくは十分な情報を得ていた。
引き続き調べることも必要だが、考えを整理しよう。

いい時間帯だからか、駅前は人で混雑していた。

なけなしの財布から自販機でコーヒーを購入し、一気に煽った。
渋みが心地いいと思う反面、それが同時にぼくの喉の潤いを奪っていった。
だがしかし、一時でも喉の潤いを得たのは、ぼくにとっては十分な気力となっていた。

道を思い出しながら帰宅する頃には、時刻は二十一時になっていた。


帰宅してから、七瀬翔という人物像を再確認させられることになった。

炊飯器には米がない。そして買い置きの米もない。あるのはカップ麺の残骸。
家探しをしてみても、どうにも非常用の食料と思しきものがなかった。
これではその日暮らしではないか。半額の惣菜が主なのか?

土地勘もなく困っていたので、駅へと続く道の間に発見したコンビニに向かった。

やる気のなさそうな深夜帯特有の挨拶のおかげで、眠気は煽られた。
これが気温が落ち着いている時期ならともかく、今は夏だ。
少し歩けば汗をかくし、必要以上に空腹になる。

大きめの弁当を温めてもらい、ぼくは家への道を急いだ。

ぼくの空腹が腹八分目になる頃には時刻は二十一時四十分だった。
これから三日は、食に関して思案しておかねばならない。
これが綴真也であれば、と昔を懐かしんでいた。

さて、と自らにそう声をかけ、紙とペンを取り出した。

書く方が記憶として定着しやすい、という一般論の実践である。
新たに注目するべき点と、事件の経過について考えた。
そこには主観も入っているが、この方がいい。

事件の経過については、以下のように順序立てて書き起こしてみた。

・咲坂悠一は、結城久を救うために、自殺した(事件の発端?)
・六人で集まった際に北条千夏が佐倉徹から五日ごとの自殺について聞いた
・それを知らなかった結城久は、咲坂悠一の死の代償を実感していたから、自殺した

・自殺した際に結城久は遺書を遺した?
・そしてそれは佐倉徹の持論を裏付けるものだった?
・「自殺してくれるはずだ」という言葉を遺し、佐倉徹は自殺した?

・北条千夏は自ら「咲坂悠一を救う」事を仄めかし、自殺しようとしている
・七瀬翔は北条千夏の言葉の真意を思い出し「俺が死ねば」と遺し、自殺に至った
・咲坂未来は「全てを思い出した」から自殺に至った。七瀬翔の自殺の際に彼女はぼくに

ぼくに、まで書き起こし、気付いた。
綴真也と咲坂未来は、ぼくの記憶を覗いて、何を悟った?
「君が全てを思い出せば、ぼくたちは」「全て理解しました」とは、なんのことだ?





…彼らは、あの瞬間に真相について理解できたというのか?


二十二時半に文章をここまで書き起こしてから、ぼくは考えていた。

あの時点で、事前情報という名の経験をしてきた彼らは、真相へ辿り着いた?
ぼくにはまだ北条千夏、佐倉徹、結城久に成り代わる使命がある。
そこで彼らの記憶の欠片を手に入れなければならない。

だが、それはつまり、全員に成り代われば真相へは辿り着けるということ。

彼らは言っていた。幸せになれると。ならば、まだ何かしらの手があるのだ。
全員が死してなお、全員が幸せになれるだけの理論があるはずだ。
聡明な彼らとは違うが、ぼくもきっとそこへ辿り着く。

その時、携帯電話に着信が入っていた。北条千夏だ。

これまでの事を考えても、まだ自殺するとは考えにくい。
それなのに携帯の着信音を聞くだけで、これほどまでに恐怖する。
相変わらず手の震えはおさまらなかったのだが、ぼくは電話に応えていた。

「もしもし。翔だけど」

「私よ。北条千夏。分かるでしょ」

「ああ。何か、用だったか。明日のことか?」

「別に電話のときくらい、普通のあなたのままでいいわよ」

「そうか。いえ、そうですか。ぼくとしてもこちらの方が楽で助かります」

電話の内容はこうだった。明日の十三時に再び駅で待ち合わせ。
その際にまた情報交換をしようと思うので、互いに質問を考えること。
両名どちらも不可解な事に行き当たった場合、互いに知恵を絞ろうというもの。

「わかりました。その。そちらは特に代わりはありませんか」

「なに、それ。私が今すぐにでも自殺するのかもって思ってるんでしょう」

「いえ。そうじゃなくて。ああ、そうです。ぼくは北条千夏が心配でたまらないんです」

「大丈夫よ。私が自殺するのは八月十五日。もうすぐ八月十二日。三日あるのよ」

「たった三日しかないのです。にしても、心境の変化でもありましたか」

「ああ。あなたの件に協力してること?あったはあったかしら」

北条千夏からその後そのことについて語られることはなかった。
彼女は内に何を隠しているのだろうか。ぼくは彼女がわからなかった。
ぼくが切る際に、また明日というと、彼女も同様に嬉しそうに言ってくれた。

「また明日」


ぼくは綴真也と咲坂未来のおかげか、早朝に起床する癖がついていた。

もしくは生前のぼくは早寝早起きを掲げる健康的な人間だったのだろうか。
定かではないが、時間を有意義に使えることに感謝していた。
今日も北条千夏と会うまでに、考えなければ。

ここまでで理由付けられていない自殺としては、佐倉徹のみとなっている。

今までの人物もかなり抽象的だが、それでも一応、理由づけられている。
咲坂悠一を救うため。誰もが幸せになるため。だが彼にはない。
佐倉徹が自殺に至る経緯は分からない。理由もだった。

ここでぼくは危険なことだったが、仮説を立てることにした。

仮説を立てることにより、思い込んでしまう可能性があったからだ。
そうと決まれば動かないことにならないうちに、考えをまとめてしまわねば。
まずは佐倉徹の人物像だ。呼称は俺。他人をどう呼ぶかまでは不明。そして、なんだ。

…そして、佐倉徹を他六人と同様に、とても友情に溢れた人間だと考えよう。

そうなると、佐倉徹が自殺した理由も、今までと同じだと考えられる。
次に考えるべきことは、彼の言葉の意味なのではないか。
自殺してくれるはず、という言葉の意味だ。

してくれるはず、という中の「くれる」が最大の焦点と言えるだろう。

くれる、ということは、佐倉徹もしくは全員にメリットがあると解釈できる。
そうなれば綴真也と咲坂未来と同様に、真相へと辿り着いたのか?
ああ、ここで真相という言葉を用いるのは適切ではない。

咲坂悠一の死の理由はわかった。今度は咲坂悠一を中心とする死の連鎖のことだ。

その背景についてを真相と定義するならば、ぼくは何を探ればいい?
順当にいけば死の連鎖がどうして発生したかという点についてだろうと思った。
そしてどのように彼らは幸せになるつもりだったのか、という事柄についてもそうだろう。

…ようやく、物語の終着駅がみえた気がした。


「元気ないじゃない。もしかして朝食を食べていないとかなのかしら」

間違いではないのだが、それは間違いでもある。考えこんで眠れなかった。
それに次いで夏の暑さで日が昇るにつれ食が進まなかったのだ。
成り代わるなら春や秋がいいなとなんとなく思った。

「なら、食べに行きましょう。私もお腹すいてるのよ。忙しくて」

近辺で老舗と呼ばれる蕎麦屋へ足を踏み入れ、ぼくはざるそばを注文した。
彼女はざるうどんを注文し、手早く空腹を満たし、礼を述べた。
まったくもって、彼女には世話になりっぱなしだ。

「いいの。どうせ自殺するんだから。翔は大学のお金貯めてたし」

「ありがとう。そういえば、忙しいって言ってたな」

「ええ、身辺整理してるのよ、最近」

彼女が言うには、自殺してから何かしらと漁られたくはないらしい。
必要なものは置いておいて、不必要なものに関しては処分しているそうだ。
昼夜問わずで、思いついたままにやっているそうで、彼女も同じく眠そうだった。

「やっぱり、なんだか実感が沸かないのよ。自分で死ぬっていうのに」

「そりゃ、俺だって。俺はどうやって自殺したか知らないが」

「忘れられることって、幸せで、寂しいことと思う」

彼女のふいに見せた感情は、咲坂未来の母親を彷彿とさせた。
全てを忘れ全てを壊し、全てを再生させようとした母。
今の彼女の心境は、それに似たものがあるのか。

「私は。咲坂悠一のことが好きだったのよ」


「ふられちゃったんだけど。ま、歳も違うし、仕方ないわよ」

「でも、ふられてから思った。私も誰とも関係を壊したくないなって」

「だから、何もかもを忘れて、元通り。彼も同じだった。なんだか、寂しいわよ」

彼は私を救ってくれた。だからかな。そう言って、彼女は微笑していた。
彼女が寂しげな感情を抱かずに、本当の笑顔を見せてくれる日は来るのだろうか。
余命三日。それまでに、ぼくは彼女を幸せにしてあげたいと、心の底からそう思っていた。

「あなたにこんな話をしても仕方がないのに。ごめんなさい」

「いえ。それにしても、あなたをふってしまうだなんて、勿体無いな」

「口調。そう言ってくれると、私もなんか、自信取り戻せそうよ。ありがとう」

ぼくから見ても、北条千夏は本来の意味で、いい女と呼べる存在だろう。
そんな彼女も、咲坂悠一の夢の通り、一度は自殺することを選んでいたのだろうか。
好きな男性のために死を選ぶだなんて、映画のようだ。ぼくは、彼女の言葉を思い出していた。

不思議な雰囲気のまま、ぼくは彼女の隣を歩き、彼女の家へと足を踏み入れた。

喫茶店に毎回長居もできないでしょ。そう言って笑っていた。
ならばカラオケボックスでも、と思っていたが、何か意図があるのか。
身辺整理をしているだけあって、綴真也以上に部屋は何も存在していなかった。

「どこか、座って。と言っても、座るところしかないけれど」

「ええと、北条さんは、どうしてぼくをこの部屋に呼んだのですか」

「今は二人だし、いいわ。そうね。誰かに知っておいてほしかったのかな」

北条千夏という人間の真意を。誰にも語れない、心の本音を。
そういえば、確かに最初、七瀬翔に対しては真実を話さなかったはず。
彼女は死の連鎖を、自らの死によって塞き止めようとしているのかもしれない。

「あなたが誰でもないからこそ、これだけ気軽に話せるのかも」


「ねえ。翔は…じゃなくて。あなたは、何を願うの?」

それを問うた際の彼女の表情は、さながら、純真無垢な少女のようだった。
サンタクロースの存在を信じているかのような、そんな顔だった。
ぼくはそんな彼女に対し、具体的な答えを出せなかった。

「どうでしょうか。未だに、決まっていません」

「ぼくが誰かを思い出せれば、何か個人的な願いもあるでしょうが」

「けれど…ええと。もし、思い出せなかったら。みなさんの幸せを願うつもりなんです」

幸せ。そっか。やっぱり、あなたは優しい人よ。
一瞬だけみせたその笑みは、本当に嬉しそうな笑みだった。
あなたって、サンタクロースみたいよ。今は夏だけど。彼女は言った。

「ぼくのことはいいんです。よかったら、情報の交換をしませんか?」

「そうしましょうか。いつまでも変な雰囲気は嫌だもの」

「はい。では、ぼくからでいいですか?」

「ええ。私は正直に話すつもりだけど、間違うこともあるかもしれない」

「気付けば指摘します。まずは、一緒に考えてほしいのです」

「…確認、と言うべきでしょうか。自殺の理由を」

そう前置きをしてから、ぼくは昨日の夜に思いついたことを語っていた。
財布の中に昨日書いたメモを入れて、補足事項を記入していた。
なので話す際に考えずとも、滑らかに話は進んでいた。

「私の自殺の理由はもう話したから、それはそれで間違いないけれど」

「私はあの部屋に行って、咲坂悠一を生き返らせようとしてる」

「多分、他のみなもそうなんじゃないかしら。恐らく」





「でも、佐倉徹については、全く真意が読めそうにないのよ」


「私。あの言葉の真意はわからないけど、なんとなく分かったことがあるの」

「くれるはずだ、の「はず」のところ。信頼の表れじゃないかしら」

「つまり、佐倉徹の自殺には二つの意味があったのかも」

二つの意味。そこまで考えて、その意図を答えられる前に辿っていく。
佐倉徹は恐らく誰かを生き返らせようとした。それが一つ。
なら、二つはなんだ。信頼の表れ。それはつまり。

「…佐倉徹は、全員を自殺させるために自殺した。そういうことですか」

「そうだと思う。そこに何の意味があるのかは、わからない」

「でも、あのルールのことを思い出してみてよ」

あのルール。彼女はどれの事を言っているのか。七人の人生を救うこと。
そうだ。彼らは七人。なら、数は合う。そして彼は何を思った?
咲坂悠一の言葉を思い出せ。彼は、何を言っていたのか。

「彼らの死の十日前から成り代わる。そのルールについて言いたいのですか」

「そう。それに則れば、誰もが誰かの自殺した直後から成り代わる」

「あなたは記憶を失くした。思い出す他、やることは一つ」

「咲坂悠一と、そして皆の自殺の真相を探ること」

「佐倉徹は、そこまで読んでいたと?」

「そうかもしれない。あなたに…言ったかしら?彼女も、言ってた。ああ、部下よ」

「あの部屋に行ってから、私は記憶を数日間失くしていた、そう、確かに」

「もしかしたら記憶を無くす日数にはぶれがあるのかもしれない」





「あなたは、いったい、何月何日に自殺したの?」


咲坂悠一の死の真相を探れば、誰もが自殺していく。

これはここまで実際にぼくが体験したことであり、それが証拠だった。
佐倉徹は死者でありながら生者の考えを完璧に読みきった。
つまり佐倉徹の計画は未だに進行中ということ。

「ぼく。ぼくは、思い出せないのです。何月何日に自殺したか。誰かすらも」

「ごめんなさい。責めているわけじゃなかったのよ。単純な問い」

「それがわかれば、あなたのことだってわかるかも」

「だがしかし、記憶を失くしてすぐの人も、ずっと前の人もいるかもしれない」

「そう。だからこそ、それを特定しないと個人には辿りつけないの」

「…これも一つ、あなたに、役立てばいいのだけれど」

佐倉徹は友人を信頼した上で自殺した。死の真相を探らせることを目的として。
彼はルールに則り、いったい、どんな利益を得るというのだろう?
彼らが言っていたように、誰もの幸せに繋がるのか?

「きっと役立つと思います。本当に。本当に、ありがとうございます」

「いいのよ。自殺する前に、誰かに私の事を印象づけておきたかっただけよ」

「なんというか、それは嘘であり、真実である。そう、言えるんじゃありませんか」

「今でも、悠一の事は好きなのよ。ロマンティックじゃないかしら」

「ええ。あなたも、待っていてください。必ず、ぼくが救い出しますから」

「…悠一の言葉だったら、私は今頃嬉しくて自殺してるわよ。でも、ありがとう」





「信じてる。私も、彼らと同じように。誰でもない、あなたの言葉を」


「では、おじゃましました。明日はどうしたらいいでしょうか」

「ええと。私は、明日は用事。色々、人に会っていこうと思ってるの」

「なんか、そんな小説を読んだ気がします。なんだったかな。思い出せない」

とりあえず、今のところは自殺するつもりはないのよ。また、笑っていた。
ぼくは自然と彼女の言葉を信じるようになっていた。また明日。
明日に会うことはなくとも、ぼくはそう言っていた。

彼女は恐らく、今までに出会った人間に別れと悟られぬように会いにゆくのだろう。

それが過去、彼女にとって、いい思い出の人間だろうと、そうでなかろうと。
身辺整理、というのは人間関係の整理も兼ねているのかもしれない。
彼女の自殺を知ったとき、その人々は何を想うのだろう。

ぼくは感傷に浸っていたのかもしれない。彼女の言葉を聞いて。

ぼくは、彼女の人生の一片に、心の片隅にでも、遺れたのだろうか。
そうであったなら。せめて、死すときだけは、幸せでいてほしいと思った。
きっと、またぼくは止められないだろう。けれど、ぼくは、彼女を幸せにしよう。

「ありがとうな、悠一。お前がいなかったら、死んでたかも」

「いいんだ。七瀬くんも友達ができた。ぼくも友達ができたんだから」

「ああ、悠一。俺ら、もう友達だろ。悠一も、俺のことは翔って呼んでくれよな」

「わかったよ、翔。これからも、ずっと。よろしくお願いします」

「こちらこそ。何かあったら、絶対助けてやるよ」

「あはは。なら頼りにしてるよ、翔」

ぼくは夢のなかで、また七瀬翔の夢をみていた。
彼もまた、咲坂悠一によって救われた人間の一人であった。
彼らは、決して揺らがない友情のもと、成り立っているのだと思った。

…それなら、ぼくは、君に救われたのかな。咲坂悠一さん。


ぼくが次に目覚めたときには、既に午前九時を回っていた。

そういえば、今日はアルバイトがあったはずだ。どうするべきか。
そんな事を考えても仕方ないだろう。時間は一刻とて惜しい現状なのだ。
そのとき、部屋のドアがノックされていた。誰だろう。こんなに朝早くからに。

「はい。今出ます、少し待っていてください」

立ち上がってから気付いたが、ぼくは寝苦しさの中で服を脱いでいた。
それを思い出し、慌てて適当な服を上下見繕い、袖を通した。
はいはい、と返答を続けながらぼくはドアを開けた。

「警察です。朝早くから申し訳ありません」

最寄りの警察署の刑事です、と述べるその刑事の顔には、見覚えがあった。
綴真也のところには十日に行っていたはずなのに、なぜ遅れた?
単純に、順番が回ってくるのが遅かっただけなのか?

「え。えっと、警察の方。悠一の自殺についてですか。真也から聞きました」

「それならば、話は早いです。七瀬翔さん、お話を伺いたくて」

「はい。では、上がってください。すぐに飲み物を」

お構いなくと言う刑事の対面に座り、奥からもう一人入ってきた。
刑事は基本的にペアで捜査するものなのだろう。
ぼくは再三の説明をまた行った。

「真也のところには十日に行ったと聞きましたが、どうして俺のところは」

「ああ。夜に伺っていたのですが、外出されているようでしたので」

「そういうわけで、本日は朝早くから伺わせて頂きました」

なるほど。警察もようやく事件性を見出してきたところだと書いていた。
ならば今のところは事件性について取捨しているところか。
まだまだ警察の腰は重いのだ、と思っていた。

「では、ありがとうございました。また伺うかもしれません」


恐らく、七瀬翔の身体で会うことも、もう無いだろう。

というか、彼らに会うことは今後一生ないと思っている。
次は佐倉徹が自殺するまでなのだ。つまり、事件性を見出さない。
はい。さようなら、とそれとない言葉に真実だけを織り交ぜて告げていた。

ここまで調べて積み上げた事に反して、やはり目ぼしい話はなかった。

彼らは恐らく捜査という捜査も今のところは行っていないのだろう。
やっと見出した事件性のとっかかりを探っているところか。
しかし、もう彼らについて考えても仕方がない。

そして、今日は北条千夏に会うこともない。どうやって過ごすべきか。

それは決まっているのだが、やはり事件について考えるしかない。
それにしても、事件の何について考えるべきか、ということに悩んでいた。
そうは考えつつも、やはり、ぼくの頭の中は佐倉徹の言葉の意味でいっぱいだった。

彼は何をしようとしているのか?

咲坂悠一のこともそうだ。彼ら二名の考えるところが、ほとんど読めない。
佐倉徹は何かを企てている。そして咲坂悠一も同様に隠している。
彼らは共犯なのか?何か同一の目的があるというのか?

何も分からないままだった。

ぼくは頭の片隅で考えていることがあった。自殺する部屋という名称の由来である。
もう、ぼくはそれについて確信していた。それは咲坂未来のときから。
なかなか、理にかなったような名前だな、と思っていた。





自殺する部屋は、自らを殺す部屋。

自殺する部屋は、他人に成り代わる部屋である。

…自らを殺せば、それは、他人に成り代わるのと同義なのだから。


>>150 修正です。

レスの最下段に改行を加えておりませんでした。
レイアウトが崩れていますので脳内補正をお願いします。

そして同時に、本日の第四章分の投稿を終わります。
これからも引き続きゆっくりとお付き合いください。

それでは、本当にありがとうございました。


第四章 七瀬翔の終了までを投下します。
よろしくお願いします。


ぼくは思考を重ねていることが理由からか、空腹で我に返った。

時刻はもう十二時だ。そろそろ昼時だろう。食べに行くべきだろうか。
北条千夏と街を歩いた際、よさそうな店をいくつか見つけた。
だが、そういえば七瀬翔はあまりお金がないのだ。

仕方がないので前回のコンビニへと足を運び、同じ弁当を購入した。

何度もここを往復するのも億劫なので、ぼくはいくつか買いだめをしておいた。
飲み物から必要なものに至るまで。必要経費として許してほしい。
できるだけ安価なものを買ったことを言い訳したい。

ぼくの弁当が空箱になるころには、さらに日差しがきつくなっていた。

太陽は真上から少しずつ傾きはじめ、部屋の窓からぼくを攻撃していた。
どうやら七瀬翔にはそれを防ぐだけの遮光カーテンがないらしい。
うんざりしたぼくは、部屋の角で日差しを回避していた。

ついに我慢ならなくなったぼくは、ユニットバスで冷水を浴びていた。

ああ、思考が明瞭になっていくのが分かる。なんと気持ちいいのか。
ぼくはそこで五分ほど冷水を浴びながら考えを巡らせていた。
だが手掛かりとなるだけの事柄は思いつかなかった。

その代わりと言ってはなんだが、ぼくは北条千夏の言葉を思い出していた。

ぼくは何月何日に自殺したというのか。ぼくが目覚めたのは八月三十一日。
自殺してすぐ意識があったなら、今頃、思い出しているかもしれない。
だが、目覚めたということは、それまで眠っていたことになる。

どれくらいの期間眠っていたのかがわかれば、それは個人の特定に繋がるのでは。

きっと、北条千夏の自殺後、またあの部屋に導かれるのだろう。
ならばその時に咲坂悠一に問うのだ。ぼくは何日間眠っていたかを。
だが、彼は答えるだろうか。今回の質問の意図は明確すぎる。不可能だ。

…そういえば、咲坂悠一を除く六人は、どうして願いを叶えていないんだ?


普通に考えればそうだ。咲坂悠一は結城久をという願いを叶えている。

ならば、咲坂悠一には願いを叶えるだけの手段があったはずだ。
最後…つまり八月三十日には、綴真也は自殺している。
それなのに、何故彼らは願いを叶えていない?

未だに七人を救っていないのか?それとも、未だに救えない状況下にあるのか?

思い出せ。ぼくは一度こう考えたはずだ。咲坂悠一は、待っているのだと。
ぼくが全てを思い出す瞬間を、ひたすら待ちわびていたのだと。
そして条件が達成されたそのとき、彼はどうする?

…咲坂悠一は、自殺するつもりなのだ。

そうなれば、咲坂悠一の自殺をする為に必要な条件は、ぼくの記憶を取り戻すこと。
彼は早くから自殺を望んでいたのなら、知っているならどうして教えない?
これも六人が願いを叶えていない事と関連があるというのだろうか。

もしかすれば、彼ら七人が願いを叶える為の条件は、同一なのではないか?

そして、もともと置かれていた状況も、ぼくと同じだったのではないのか?
ぼくのリストには六人。願いは叶えられない。そうに違いない。
咲坂悠一のリストにも六人分しかないのではないか。

ぼくはそこまで考えたところで、次の言葉が出なかった。

これはあまりに仮説だけで構築された理論だと、気付いたからだ。
それも、彼の口から語られなければ、絶対に実証されることはないのだ。
考え過ぎで疲れたのだろうか、ぼくは空腹になり、弁当を温め、腹を満たした。

明日には連絡が来る。それまで、少し眠ろう。二十一時まででいい。

精神的にも参っていたのだろうか。常に人の死と隣り合わせの十五日間。
ぼくという存在の知り合いが居ない事への不安。誰もが他人。
ぼくにも、彼らのような存在が、いたのだろうか。

…咲坂悠一は、ぼくの友人となってくれるだろうか。


ぼくは、部屋に鳴り響く着信音が最後のものだと直感していた。

時刻は二十二時。まだ二時間あるというのに、その不安は拭えなかった。
どうしてかぼくはその時には、手の震えはそこにはなかった。
通話ボタンを押して穏やかな声で、彼女に言った。

「お疲れさまでした。これから、自殺する場所でも探しに行くんでしょう」

「あなた、四日間でずいぶん私の事を理解してくれたみたい」

「お付き合いします。どこに行けばいいですか」

なら、また駅前で。色々回ってみるから、時間かかっちゃうかもしれない。
彼女は笑ってそう告げ、二十時半を待ち合わせの時刻に指定した。
ぼくは彼女に買ってもらった服に袖を通し、家を出た。

…もう、この家に帰ってくることもない。七瀬翔に、行ってきますを告げていた。

待ち合わせの場所に向かうまでの足取りは、重くもなく、軽くもなかった。
電車に揺られながらも、一歩を踏み出す勇気も、後悔もなかった。
ただただ指定された道程を歩き、そこへ向かうだけだ。

「お帰りなさい。身辺整理もとい、人間関係の整理はどうでしたか」

「どうかな。散々よ。私が自殺するって勘付いた人もいたみたいよ」

「もう、口調については指摘されないんですか。寂しい気がします」

ええ。もう、七瀬翔は私の中で、あなたという存在に成り代わってるから。
北条千夏という人間に感涙しそうだった。ぼくを認めてくれた。
それを見て、馬鹿じゃないの、と軽く笑ってくれた。

「じゃあ、行きましょうか。行き先はあの部屋だけど、道程を楽しみましょう」


「どこがいいのかしら。即死出来るなら有難いけど、迷惑はかけたくないのよ」

「でも、自殺するからには、誰かしらに迷惑はかかりますけれど。仕方ないな」

「そうなのよ。この際気にしない方がいいのかも。なんだか、デートみたいよ」

自殺の為のデートか。ぼくはそれもいいのかもしれないな、なんて思った。
これから死にゆく彼女を見送る。ああ、ぼくは壊れてきているのだ。
人の死を何とも感じなくなってきているぼくが、そこにいた。

「ぼくは、あなたの死を何とも思わなくなってきているようなのです」

「あら。それは、残念。でも、あなたは、よく頑張ってくれていると思う」

「この世界に、たったひとりだけ。その中で、ひたすら他人の生を願ってきた」

あなたも、報われるべきよ。彼女の笑顔には、もうどこにも陰はなかった。
思い残すことはないのだろうか。ぼくにできることはないのか。
そう思ってみても、やはり、ぼくは無力だった。

「あなたは今、自らがそんなにも狂いそうになっていても、私たちの生を願う?」

「自殺前のお世辞はいらないから、あなた自身の言葉が聞きたいのよ」

「ぼくは。ぼくは、あなたたちを助けたい。そう思います」

けれど、ぼくには、それを覆すだけの力がないのです。
そう言うと、彼女は涙を流して、助けて。力無く、そう呟いていた。
それは、彼女が見せた最初で最後の、心からの叫びであり、彼女の願いであった。

「約束してくれたでしょう。だから、私は、あなたを信じるから、自殺する」

「なんだか最後まで重い女で申し訳ないけど、あなたを頼らせてほしい」

「…ええ。ぼくは必ず、あなたも、咲坂悠一も、誰もを救います」





「なら、私は私にとっての過去を、あなたにとっての未来を教えようかしら」


「あなたは次に、結城久の自殺直後である、北条千夏に成り代わる」

「佐倉徹に遭遇するチャンスは一回。あなたは、そこで全てを暴くのよ」

「決して揺らいではいけない。何もかもを知っているように断言していくの」

彼女の瞳には、もう先程の感情は消えていた。吹っ切れたのだろうか。
ぼくは忘れない。彼女の一言一句を、何もかもを。彼女のその想いすらも。
ぼくは成り代えるのだ。彼女の過去を、ぼくの未来に。そして、彼らの未来に。

「言及するポイントは一つ。全員を自殺させることへの理由について」

「他にもチャンスはあるかもしれない。けれど、私が知っているのはそれだけ」

「八月九日の…二十二時十五分だったかしら。いつもの待ち合わせ箇所で遭遇するのよ」

全てに正確だと言われる彼女の言葉は、恐らく真実なのだろう。
九日ということは、四日目。佐倉徹の自殺する日時の直前ではないか。
ぼくはやらねばならない。彼女がぼくを信じて、命の代償を託しているのだ。

「私があなたに言えることは、それだけ。後は勝手気ままに自殺するだけよ」

「ありがとうございます。本当に、ありがとうございました」

「私はまだ死んでない。ほら、歩きましょう」

ぼくと彼女は、たった四日間だけだったけれど、友人になれたのだろうか。
彼女は目的地を決めたようで、ぼくはそれに従うだけの存在だった。
窓ガラスに映る、窓の景色を眺めるその顔は穏やかだった。

「自殺するなら、やっぱりなんていうか、景色のいいところで自殺したいのよ」

「飛び降りですか。落ちる瞬間、怖そうです。ぼくには自信がない」

「ちょっとやめてよ。自殺、できなくなるでしょう」





「ぼくは、やっぱり、死んでほしくなどありません」


「この世界でたったひとり、あなたはぼくを認めてくれたんだ」

「せっかく、やっと。ぼくは、あなたと友人になれたと思っていたのに」

「ぼくは生前、悪いことでもしたのでしょうか。どうして、どうしてこんな形で」

「こんな結末は、嫌です。ぼくは、どこまで人を殺さなければならない」

「違う。あなたは、殺してない。私が、自殺する。それだけよ」

あなたって、本当に悠一そっくり。悩む姿も、喜ぶ姿も、何もかも。
あ、言っておかないと。箪笥の右から二番目の引き出しは、私の勝負下着。
使ったらダメよ。まだ履いてないのだから。それと、身体は大事に使いなさいよ。

「ぼくが、咲坂悠一であればよかったのですが。本当に、すみませんでした」

「むしろ、今はあなたがあなたでよかったと思ってる。ありがとう」

「あなたも、私も。生き返ったら、どこかで会いましょう」

「そう。翔が、パーティするんだって言ってたのよ。そこで会いましょう」

「きっとあなたなら、すぐに友達になれる。いいえ、もう、友達」

「あなたは、そう。言うなれば、八人目の友人、よ」

それじゃあ、そろそろ行かないと。会える日を楽しみにしているから。
私は行ってきますを言うから、あなたは行ってらっしゃい、で私を送るのよ。
あなたと出会えて幸せよ。だって、死ぬ瞬間まで、私は、笑顔でいられるのだもの。

「それじゃあ、行ってくる。ありがとう。さようならは言わない」

「言うなら、そう。また明日。格好つけすぎかしら」

「いえ。行ってらっしゃい。千夏さん」

あなた、ようやく私の事、そう呼んだ。友達だってのに、遅いのよ。
そういえば、あなたの名前、知らなかった。いいか。
次に会ったとき、教えて。それじゃあ。

「それじゃあ、また明日。誰でもない、あなた。行ってきます」





「はい。また明日。行ってらっしゃい、千夏さん」


北条千夏は、夜の光の中に消えた。そして、ぼくも光の中に消えていく。

ぼくは再び、あの部屋へと導かれる。
ぼくはまた、ぼくではない誰かに成り代わる。
そして七瀬翔は、本来の七瀬翔へと、成り変わっていく。

「本当なら、殴ってやりたいところだけどな。約束。破ってんじゃねえか」

「ごめん。君が、七瀬翔かな。謝っても、謝りきれないよ」

「けどよ。お前は、千夏の友達なんだろ」

うん。ぼくは静かにそう言った。なら、いい。許してやるよ。七瀬翔はそう言った。
俺は五日後に自殺か。俺も身辺整理でもしてみるか。彼は笑っていた。
パーティ。呼んでやるから、ちゃんと来いよ。約束だ。

「今度は、約束破るなよ。俺たちを助けてくれるんだろ。待ってるから」

「だから、俺も。友達を信じて、自殺してやる。感謝しろよな」

「ありがとう。きっと、救う。きっとじゃない、絶対」

お前、本当に悠一じゃねえのかよ。違うよ。ああ、記憶でもそうだな。
そろそろ、お前も消えるのか。ま、残りの人生でも、俺は変わりなく生きる。
心配すんな。千夏の友達なら、俺とも友達だろ。気にすんな。じゃあ、俺も言うか。

「なんて言うか。ああ、こういう雰囲気は、苦手なんだけどな。あとは頼む」

「うん。また明日。ぼくもなんだか、よくわからないんだ」

「ああ、悠一にでもよろしく言ってくれ」

言っておくよ。彼は、本当に慕われているんだな。ぼくは心からそう思った。
ぼくは生前で、そんな人間であったのだろうか。そうであればいい。
ぼくはぼくでなくなる直前、七瀬翔からも、こう言われた。

「また明日」


「咲坂悠一さん。七瀬翔。いえ、翔から伝言です。よろしく、と」

「ありがとう。君は、彼と友達になったのかな」

「ええ。千夏さんとも、友達に」

そうか。本当に、ありがとう。やはり、頼れるのは君しかいないんだな。
咲坂悠一は感慨深いものを感じているのか、そう呟いていた。
次は北条千夏。千夏さんの人生に成り代わるのだ。

「咲坂さん。ぼくは、何日間眠っていたのですか」

「申し訳ないけれど、それは答えられない。君自身のことだから」

「そうですか。それは、ぼくが思い出さないといけないこと。ということですか」

「そうだ」

「なら、わかりました」

「君は、少しだけ変わった気がするな」

「ええ。もう、ぼくは一人じゃない。翔も、千夏さんもいるんです」

「そうだ。咲坂さんも、ぼくと友達になってくれますか」

「もちろんだ。いや、もう友達と言えるよ」

ありがとうございます。ぼくは気付けば、目に涙を溜めていた。
そうだ。ぼくはもう、一人ではない。その五日間が、無きものになっていても。
彼らに託された人生を、ぼくが救わなければならない。そうでなければ、ぼくが救われない。

「次は、北条千夏の人生に成り代わって生きてゆく」


「ぼくは、千夏さんが言うに、八人目の友人だと言えるそうです」

「八人目の友人か。なかなか、いいと思うよ」

「そうでしょう。本当に」

「そういえば、以前に尋ねた日にちのことですが、間違いないのですか」

「と言うと。今日が八月三十一日ではない、ということかな」

「いえ。とても曖昧に仰っていられたようなので」

「ああ。ここでは、どうにも時間の概念というものが存在しないみたいなんだ」

「けれど、ぼくの体感時間からすると、恐らく八月三十一日かな、と」

「なるほど。ここにはどうして家具がないのでしょうか」

「分からない。けれど、取り出そうとすれば取り出せるよ。このように」

咲坂悠一は、ぼくにメモを渡した時と同様の動作で椅子を取り出した。
この部屋にようやく色らしい色が芽生えたような気がする。
なかなか便利な部屋なんだな、と思っていた。

「取り出せないものはあるのですか」

「やってみたけれど、人間は不可能のようだよ」

「日用品と食くらいなら取り出せるらしい。とても便利だ」





「…では、咲坂悠一さんは、生前と同じように自殺するつもりなのですか?」


「ぼくは、そのつもりだけれど」

「そうですか。ただ、聞いてみたかっただけです」

「色々自殺の方法はあるけれど、転落死だけは避けたい。即死でも」

「ぼくもそう思います。高いところは、怖いので」

「全くだよ。その点これはいい」

彼はやはり、どこからともなくと言ったように一本のナイフを取り出した。
果物ナイフだろうか。シンプルで切れ味が鋭いことがわかる。
嬉しそうにナイフを見つめる彼に恐怖していた。

「ああ、すまない。すぐに仕舞うよ。それに、扉はもう開いているよ」

「そうでした。ちょっと驚いてしまって。すみませんでした」

「そういえば。もう一つ、聞きたいことがあります」

「うん。何かな。答えられる範囲で、だが」

「ええ。成り代わった際の彼らの自殺は、生前と同様ですか?」

「そのようだとぼくは思っている。どのような経過であれ、同様の方法での自殺だ」

「付け加えておくと、成り代わった人間が自殺する際は、どうなるかわからないが」

「ありがとうございます。それでは、そろそろ、行ってきます」

「ああ。今更言うのもなんだが気をつけて」

行ってきます。ぼくは彼に驚いていた。果物ナイフを取り出したことに。
だって、彼の言葉が本当ならば、それは確かに矛盾するのだ。
ゆっくりと思い出してゆく。ああ、これは矛盾。





…ぼくの記憶では、咲坂悠一は、首を吊って自殺していたはずだというのに。


これにて、第四章 七瀬翔は終了です。
次回より、第五章 北条千夏を開始する予定です。
そしてこれにて本日の投稿分を以上とさせていただきます。

補足修正がある場合は、後日に行わせていただきます。
コメント、一つ一つ大切に読ませていただいております。

少なくて申し訳ありません。
引き続き書き溜めの作業に戻ろうと思います。
それでは、ここまで読んで頂いた方、本当にありがとうございました。


 第五章 北条千夏

ぼくは、北条千夏の家の玄関で気がついた。
以前行ったことがあったからだが、すぐに分かった。
右肩には上質なビジネスバッグ。左手にはビニール袋があった。

どうやら帰宅直後であるようで、ぼくは彼女の家へと足を踏み入れた。

家の間取りは1LDKである。女性のひとり暮らしには適当な広さだろうか。
女性らしい淡い色でまとめたその部屋には、まだ生活感があった。
身辺整理をはじめたのか、はじめた直後だったのだろうか。

廊下を進みリビングへ出ると、入って左の棚の上に写真立てがあった。

そこにはやはり、常に七人で笑顔を振りまいている彼らの姿があった。
そこに映る北条千夏も、本当の笑顔と思しきものを見せていた。
それを見て、ぼくは深く溜息をつかざるを得なかった。

家の中で気がついたのは好都合だ。今のうちに調べたいこともある。

帰宅した直後ならば、今は遅い時間と考えるべきか。
後ろを振り向き掛け時計を目にすると、二十三時を過ぎていた。
すると、しばらく会社を休むと言っていた彼女のことだ、会社だったのか。

視点の高さの違いにも気がついた。百六十と少しだろうか?

とりあえずシックなデザインのスクエアテーブルに荷物を下ろした。
中身は酒と惣菜と、化粧水だろうか。それに生理用品。
少し目を背けたくなったが、仕方がない。

財布を漁ってみると、社員証と四万円と少し、キャッシュカードがあった。
北条千夏。二十六歳。会社名は、有名企業だった。営業課長。
その若さで営業課長は出世コースなのだろうか。

もっとも、北条千夏は大学生と言われても、全く違和感はないのだが。


咲坂未来の時と同様、家探しには気が引けたが、やるしかない。

ぼくは箪笥の右から二番目だけは決して開けようとは思わなかった。
既に彼女の口から聞いていたからである。それはよくない。
それ以外を概ね見てみたが、至って普通のようだ。

咲坂悠一に好意を寄せていたということは、独身だったのだろう。

思い描いていた独身女性の生活通り、と言われれば、その通りのようだった。
金銭という問題もあるため、預金通帳を確認したが、心配なかった。
金銭管理はしっかりしていたのだな、という印象があった。

七瀬翔であるぼくに対してお金を使ってくれていたのは、決意していたからか。

そこでまた振り返った。二十三時。もうすぐ佐倉徹の余命は四日になる。
今回の確定されたチャンスは一度だ。失敗するわけにはいかない。
ビジネスバッグを探すと、ノートパソコンを発見していた。

起動までにそう時間がかからないあたり、高性能なものだったのか。

デスクトップにあったのは主に仕事関係のものであるらしかった。
綴真也のように日記はつけていなかったのか。あったら言っているだろう。
となると、このノートパソコンは、ぼくにとってメモ帳代わりになるということだ。

書いたり消したりする手間が少なくて済む。ありがたい。

メモ帳を開き、ここまでの事を回想していく。
今度重要視するべきは、北条千夏のチャンスのことだろう。
佐倉徹のことについても言及しなければならない。さて、どうするべきか。

ぼくは思案しつつも、キーボードのタイピングをはじめた。


まずは今回重要視しなければならない問題について、まとめた。

・佐倉徹と遭遇するのは八月九日。二十二時十五分に、駅前で遭遇する
・尋ねなければならない問題は、全員を自殺させるだけの理由
・佐倉徹は結城久の遺書について何を知っているか?

と、今回の成り代わりでしか調べ得ない情報については、この三点だろう。
佐倉徹に成り代わってしまえば、ぼくは彼から情報は引き出せない。
北条千夏であるからこそ出来ることをしなければならない。

いつもの待ち合わせ箇所、というのは駅前の事で間違いないだろう。

最後に「いつも」と使ってくれたあたり、少しだけ友情を感じた。
佐倉徹に遭遇する為には最低十分前にはいるべきだろう。
ここから何分くらいだろうか。調べなければ。

・どうして自殺した咲坂悠一を除く六人は願いを叶えていないのか
・咲坂悠一が二つ願いを叶えようとしているかについての理由
・咲坂悠一は果物ナイフによって自殺した可能性がある?

咲坂悠一に関係する謎を提起するとすれば、このあたりだろう。
ぼくは彼に対し、記憶について濁していた。それが功を奏したのだろうか。
となれば、それも一つ、留意しつつだが、重要な手掛かりとなりえるのではないのか。

・咲坂悠一の自殺。結城久を救うため(事件の発端)
・六人でカラオケボックスに集まり北条千夏は佐倉徹から話を聞く
・結城久はそれとは別に咲坂悠一に対して罪の意識があり、奇跡を実感し、自殺

・佐倉徹は「自殺してくれるはずだ」との言葉を遺し自殺
・北条千夏は咲坂悠一を救う為に自殺。佐倉徹へのヒントを遺す
・七瀬翔は集まった際に北条千夏の言葉を聞き、それを思い出し、自殺

・咲坂未来と綴真也は、咲坂悠一の死の真相を追い、真相へと辿り着き、自殺
・そして咲坂未来と綴真也は、ぼくの記憶を覗いた際、本当の真相へと辿り着いた

事件についての重要なポイントと、事件経過についてまとめるなら、こうだろう。
一応時系列順に、なおかつ簡潔にまとめられただろうと納得した。
さて、ぼくはここから何を考えだすべきだろうか?

…そして、佐倉徹については、彼をどうやって追い詰めればいいのだろうか。


事件の輪郭としては、もう全てが形となって、そこにある。

けれど、その輪郭を埋めるだけの情報が揃っていないのだ。
ぼくは思っていた。佐倉徹の言葉の意味が分かれば、表面の謎は消える。
そしてあとは、咲坂悠一の思惑について明らかにすれば、この連鎖は終わるのだと。

そういえば。そういえば、携帯電話を確認していなかった。

恐らく、結城久の自殺を告げるメールが届いているだろう。
メールの差出人。佐倉徹。そこには端的に一言。結城久が自殺した。
ぼくはそれを読み、すぐさま会えないか、という内容を含みメールしていた。

北条千夏のメールは作りやすかった。とてもていねいだったからだ。

だが、返事はいつまでたっても来なかった。もう一時を過ぎている。
仕方がないので服を脱ぎ、部屋着に着替え、ベッドに入った。
これは北条千夏の身体の眠気だろうか。非常に眠い。

「やめて。離してよ。私には、もう、何も、残ってないのよ!」

「何もないなら、作ればいい!ぼくが君を救うから」

「友達になろう。ぼくの名前は、咲坂悠一」

次に目覚めたのは、時計が九十度を向いていたときだった。九時だ。
目を擦り、携帯を開いてみても、佐倉徹からの連絡はない。
だが彼は死んでいるというわけではないようだ。

どうすればいい。彼からの連絡がないのは、意図的なものか?

携帯電話のメモリーから、佐倉徹を選択。発信音が続く。
電源が入っていないため、お繋ぎすることができません。

判断が難しい。ただ単に電源の入れ忘れか、充電切れか。
意図的に連絡を遮断しているとするならば、彼は何をしている?
彼は今、持論を練っているのではないか?綴真也と同様に、自らの理論を。

…ならば、ぼくはどうやって彼に遭遇すればいい?


だが、ぼくは本当に北条千夏に言われた時刻以外に遭遇するべきだろうか?

恐らくだが、このまま最終日まで待ち、駅に行けば遭遇するだろう。
しかし。それまでに、一度でも会ってしまえば、予定事項に変化が出ないか?
些細な事で運命は変わる。結果、同じ事柄に収束するだけであって、経過は分からない。

慎重に行かねばならない。これは唯一、北条千夏が遺してくれたチャンスなのだ。

佐倉徹が意図的に連絡を遮断しているならば、それは恐らく持論を練るためだ。
もし理論が構築されるまでに出会い、何らかの言葉を交わしたとしたら。
そうすれば、その理論へ辿り着くまでの佐倉徹は消えてしまう。

それだけは、絶対に避けねばならない。

となると、ぼくにできることは今、何もないのかもしれない。
佐倉徹を追い詰めるだけの理路整然とした言葉を考える他に、何もない。
もしくは、事件に関するだけの事を考えねばならないのだろう。それが使命だから。

そういえば、北条千夏となった今、七瀬翔も咲坂未来も綴真也も生きている。

彼らに助けを乞えばどうだ?ダメだ。それも何らかの変化が起こるかもしれない。
連鎖的に何かが起こる可能性だけは、全て防がなければならない。
ぼくがこうしているのもその一端になりそうだが。

となると、近々に迫っている佐倉徹への言葉を考えるべきだろう。
断言していく。何もかも知っているかのように話していく。
佐倉徹についての情報を今再び思い出さなければ。

彼は六人で集まった際、北条千夏に語ったと言っていたか。

つまり、佐倉徹は北条千夏の言葉を全て確実に聞いていることになる。
さらにあの時点で自殺についての理論を確立させた張本人。
綴真也や咲坂未来と同等レベルの聡明さだろう。

…ならば、ぼくはまた、彼らに正体を見抜かれることになるのか?


こう考えよう。見抜かれるべきなのか?それとも、見抜かれないべきなのか?

どちらが正しい。言葉の中で見抜かれるべきか、それとも自ら白状するか。
佐倉徹。君の計画は上手くいっている。ぼくがその証拠なのだ、と。
しかし言葉を交わせば、遅かれ早かれ気付くのではないか?

計画の成功を知らせる人間が目の前に存在すれば、彼はきっと安堵する。

そこだ。そこで彼から情報を引き出さなくてはならない。
つまり、北条千夏として今までの情報を語り、最後に白状すればいい。
その間に佐倉徹に考える時間を与えてはならない。考えはまとまった。これでいい。

話の順序だけをシミュレートしながらぼくは次のことを考えた。

ぼくは、どうすればこの螺旋を終わらせることができるのか、だ。
終わらせることのできる条件らしきものは咲坂悠一の言葉から伝わっていた。
だが、ぼくが思い出したところで、咲坂悠一はどうやって螺旋を終わらせるというのか?

この螺旋は咲坂悠一が終わらせるのか?それとも、ぼくが終わらせるのか?

咲坂悠一は言っていた。咲坂悠一を生き返らせることが願いだと。
仮に願いが叶ったとしよう。咲坂悠一が生き返った。なら、それでどうなる?
彼が自殺したという事実がなくなるだけで、残りの六人は自殺という事実の上に存在するのだ。

これでは、何もかもが意味を成さない。

彼らの言う幸せとは何だ。やはり、咲坂悠一を含む七人全員の復活だろう。
しかし、咲坂悠一は願いを既に叶えている。もう、願いを叶えることは不可能なのだ。
となれば、七人が自殺を遂げ、願いの総数は六になってしまう。これでは。…ああ、大丈夫だ。





…ぼくという、八人目の存在がいるのだから。


なら、彼らは自らの生を願い、ぼくが咲坂悠一を生き返らせる。

全てはそれで決着し、死の螺旋は終わりを告げ、新たな生の螺旋が構成される。
そこにぼくは居ないのだ。ああ、なるほど。そういうことだったのか。
パーティには、行けない。ごめん。翔。それに、千夏さん。

だが、頭の片隅で確かに引っかかっている記憶。そして、その可能性。

ぼくは誰であったか。仮説だらけの理論が、もうすぐ完成しようとしていた。
これが形を成したとき、ぼくの計画は破綻し、死の螺旋は終わらない。
それだけは、信じたくない可能性だった。彼らを救うために。

…どちらにせよ、ぼくという存在を消去しなければ、これは終わらないのだから。

ぼくは生き返ることはない。どちらの未来へ行き着いたとしても。
そこまで分かれば、それでいい。少し、寂しいけれど。
彼らには、世話になった。これは恩返しだ。

考えすぎたせいか、頭痛がする。少し眠ろう。時間はあるのだから。

また、誰かの夢を見るのだろうか。北条千夏の夢か。
彼女をふってしまうだなんて、咲坂悠一はぜいたくものだ。
ぼくが彼の立場であったなら、喜んで承諾しそうなものなのだが。

「彼ら全員、あなたの友達なの?」

「そうですよ。なかなか、個性的でしょう」

「ええ。でも、話合うかしら。歳も離れてるでしょう」

「大丈夫ですよ。話なんて、合わせる必要ありません。自然と合います」

「ええと、そう言えば、名前を聞いていませんでした」

「千夏。北条千夏。よろしくお願いします」

「ええ、こちらこそ。…千夏さん」





「よろしく、悠一」


久しぶりに長く眠っていた気がする。疲れも取れたと実感していた。

北条千夏もまた、綴真也と同様らしく、いくつか冷蔵庫に備蓄があった。
おかげさまで食に困ることもなかった。金銭的な面でも。
女性の手料理に少しばかり感動していた。

そんな事を考えているあたり、ぼくは慣れてきているのだな、と思った。

この異常とも呼べる事態の中で、心の中に、落ち着きが生まれている。
ぼくが壊れてきているせいなのか、それとも友人のおかげか。
会いたい。会いたい。彼らに再び会いたいと願った。

ただ、寂しかった。

言葉を交わしたい、ぼく自らの言葉を述べて、語り合いたい。
ぼくが記憶を取り戻せたとしても、それが叶うことは、未来永劫ない。
再び友人と言葉を交わせる時が来たとするならば、佐倉徹が自殺した時だろう。

彼女は狂ったぼくを見て何を思うだろうか。友人の関係を破棄するだろうか。

人の死を目の当たりにして、もうほとんど感情が芽生えないのだ。
もう、人の心など、成り代わりの際どこかに置き忘れてきたのだろうか。
ぼくは彼らを幸せにするまで、人でありたいとも願った。無い物ねだりだろうか。

ぼくはクローゼットから既にコーディネートされたセットを取り出し、街に出た。

ここならば、誰もが他人なのだ。誰もぼくを知らない。
ぼくも、誰も知らない。ぼくが唯一、対等な立場でいられるのだ。
雑踏を眺め、遠巻きにぼくを見ている男性陣をよそに、ただ、呼吸していた。

この街には何もかもが揃っている。けれど、ぼくの行く場所だけは、なかった。

こんな事をしていても、仕方がない。時刻は十七時になろうとしている。
…誰でもない彼らを見て羨んでいても、事は進展などしないのだ。
立ち上がり、バッグを持つ。駅へ向かおうとした時だった。





「ああ、千夏じゃねえか。こんなところで、何してんだよ」


そこには、七瀬翔と咲坂未来が立っていた。

綴真也の時と同様、涙が溢れそうになり、慌てて顔だけを背ける。
数回の深呼吸を終えたあと、ぼくは彼らにできるだけ明るい声を出した。
あら。あなたたち、何をしているの。デート?珍しいこともあるじゃない、と。

「千夏さん。お久しぶりです。翔さんとは、偶然お会いしたのです」

「未来。お前な、分かりきってることを否定するのは、やめてくれ」

「なんとなくわかってた。で、二人は用事で出かけてたのでしょう」

個人個人の用とは何だったのか、という意味合いで問いを投げかけた。
七瀬翔は、ただ街へ出てきただけだという。同じ心境なのか。
咲坂未来は、綴真也と書店に行った帰りだそうだ。

「そういう千夏は、何でこんなところに居るんだ。待ち合わせか」

「…千夏さんの私服は、久しぶりです。いつも、スーツでしたから」

「何でかしら。わからない。言うなれば、寂しかったのかもしれない」

言ってから後悔した。彼らも思うところがあるというのに。
心情を吐露したいと思っているのは、ぼくだけではないはずなのに。
淀んだ空気がぼくたちの間を這いまわっていた。ああ、ぼくは。どうして。

「ごめんなさい。そういうつもりは、なかったの。今日は家に戻る」

「いえ。私としては、気持ちを代弁していただいて、すっきりしました」

「千夏も未来も、また連絡するからさ。俺も、今日は帰る。疲れたからな」

灯りはじめたネオンを背に、誰もが別々の方向へと消えていく。
ぼくが一瞬彼らの背を目にしようと振り返ったとき、彼らもそうだった。
ああ、ぼくは、彼らと同じ考えだったのか。少しは友達らしくなれたのだろうか。

そんなことを思った。


家に戻った頃には、既に時刻は十九時前になっていた。

事件に関しては時間を浪費してしまったと言えるだろう。
しかし、人間としては有意義な時間を過ごせた。そう思っていた。
ぼくは再び、少しだけ、人間らしさを取り戻せた気がする。実感していた。

「千夏さん。あなたがぼくの立場なら、どうしていたのでしょうか」

きっと手早く事件を解決に導き、誰もを幸せにしたのだろう。
真相を突き止め、咲坂悠一の思惑を暴き、佐倉徹の考えも上回るのか。
彼女に成り代わったというのに、そういうところは、成り代わりきれなかった。

「佐倉徹は———」

そこまで口に出して、思った。咲坂悠一は自殺し、六人も自殺した。
合計、七人が自殺しているはずなのだ。ぼくという異分子を除くならば、だ。
佐倉徹はぼくの存在を知らないだろう。なら、普通に考えて数には含めないだろう。

それならば、佐倉徹の計画は完遂していなければならないのではないか?

誰もが佐倉徹の思惑通りに自殺していった。なら、条件は揃ったはずだ。
咲坂悠一を救うことも可能なはずだ。しかし、どうしてそれができていないんだ?
まだ、佐倉徹の計画は終わっていないのか?まさか。あり得ない。そんなことが、あるわけが。

考えよう。だが、考えれば考えるほど、同じ結論に達していた。

もし、佐倉徹の計画が未だに完遂されていないとするならば。
そこに理由は一つしか存在しない。ぼくのことだろう。
ぼくは彼の事を知らない。思い出せないだけ?





…佐倉徹は、八人目である、ぼくの存在まで計画の一片にしていたというのか?


>>190 修正です。

× だって、彼の言葉が本当ならば、それは確かに矛盾するのだ。
◯ 何故なら彼の言葉が本当ならば、それは確かに矛盾するのだ。

>>204 修正です。

× 真相を突き止め、咲坂悠一の思惑を暴き、佐倉徹の考えも上回るのか。
◯ 真相を突き止め、咲坂悠一の思惑を暴き、佐倉徹の考えも上回る。

としてお読みください。表現が適切ではありませんでした。
そして同時に本日の投稿を以上とさせていただきます。
読んで頂いた方、本当にありがとうございました。

補足修正がある場合、また後日行います。


ぼくは北条千夏の遺した食事に手をつけながら考えていた。

彼らは七人の自殺志願者という経歴の集まりと言えるはずだ。
それは彼らの言葉から、あるいは綴真也の日記からそれは伺えるのだ。
ならば、佐倉徹は閉鎖的なコミュニティの中から抜けだしていたということか?

そう考えるべきではない。両方に身を置いていた?

それならば異分子である、ぼくの介入に関しても違和感はない。
不特定多数から佐倉徹に選定されたぼくが、計画の一端となっただけか?
それはどうにも納得できない。咲坂悠一の言葉だ。近しい人間。そうあったはずだ。

であれば、あのリストの全員が、ぼくの事を認知していなければならない。

もしくは、生前ぼくが一方的に近しいと認識していたのだろうか。
それはなんだか寂しいことだが、こうして友人になれたのだから、いいか。
改めて問うた。ぼくは誰だ?違う。ぼくは、誰である可能性が最も高いのだろう?

恐らく、思い出した事を咲坂悠一に告げれば、その根拠と証明を彼は求めるだろう。

誰々である、という想像は簡単だ。これは誰にだってできる。
しかし、それを論理的に、かつ確実な根拠を提示し、証明しなければ。
ぼくの言う論理は、綴真也や咲坂未来や北条千夏と比較すれば、稚拙なものだが。

そこで初めて、物語は最終局面へと動き出すのだろう。

ダメだ。考えがまとまらない。以前のぼくと何ら変わっていない。
情報を選べないのだ。最初のぼくは、情報があまりにも少なすぎたから。
そして今度も、選べない。情報が多すぎるからだ。ぼくは融通がきかないと思う。

部屋の角で何をするでもなく、蛍光灯のちらつきを見ていたときだった。

携帯の着信音が部屋に鳴り響く。気付くまでに数秒かかった。
佐倉徹か?ゆっくりと立ち上がり、ぼくはテーブルに向かっていく。
ソファの前に腰を下ろし、ディスプレイに表示された、発信者名は、七瀬翔。

「もしもし、翔?どうしたの、こんな夜に。寂しくなったのかしら」

「そんなことねえよ。なんて言えばいいんだ。ええと、その」

「何。はっきり言いなさい。男らしくないわよ、それ」

「なら、言うけどさ」





「千夏さ。なんか、俺に話したいこと、ねえのかよ」


「何よ、話したいことって」

「別に俺個人にじゃなくてもいいんだが、誰かにさ。何かないのか」

「誰か。ねえ、考える前に聞かせて。どうして、そんな事を思ったのかしら」

そんなの、見りゃ分かんだろ。七瀬翔は北条千夏であるぼくの悩みを見抜いていた。
それはやはり、ぼくの悩みは北条千夏の表情となって表れていたらしい。
となれば、友人である彼が気付くのも無理はないのだろう。

「俺に話せないなら、未来だって、真也だっている。無理すんなよ」

「そう。なら、話があるのだけれど。明日、会ってもらえないかしら」

「ああ。当たり前だ。で、俺は何処に行けばいい?場所は千夏に任せた」

ええと、そう。大学前の喫茶店でどうかしら。ああ、いいよ。そうしよう。
ありがとう。気にすんなって。彼はそう言って笑ってくれた。
未来と真也も誘ってみる。じゃあ、また明日な。

彼は覚えているはずもないのに、切断音の後にもその言葉の余韻が残っていた。

また明日。明日になれば、彼に会えるのだ。ぼくが殺した七瀬翔に。
ぼくの中では、願いは叶ってばかりだな、と少し思っていた。
成り代わり続ければ、ぼくは何度だって彼らに会える。

…けれど、その度に彼らの死を見届けなければならないのだが。

本音としては、ぼくは彼に話すべき事など見出していなかった。
未だに迷っていた。彼らを頼るべきかどうか。彼らに全てを話すべきか。
ぼくは彼から言われた友人という言葉の盾を使い、自らを守っているだけなのだ、と。

「だから、これは天罰なのかもしれない。そうでしょう、千夏さん」


今までと同じでいい。ただ、事件について言及する環境を整えよう。

七瀬翔が佐倉徹の名前を出さなかったのは、連絡がつかなかったからだろう。
それは好都合とも言えるのではないか。彼に聞かれる心配もない。
どう話を切り出すべきだろうか。これも今まで通りか。

窓を開け、空を見た。そこに星は輝いていなかった。

エアコンを三時間稼働設定にし、ぼくはテレビをつけてみた。
今までの成り代わりの中で、初の試みだった。娯楽とも呼べることだ。
だが、これには別の意図もあった。その番組に見覚えがないか、探していたのだ。

北条千夏は言っていた。あなたは何月何日に自殺したの、と。

もし、ぼくがあの中の人間であれ、そうでなかれど、特定する手掛かりになり得る。
生前どの番組かを見たことがあれば、その日までは生きていることになる。
つまらない番組にも血眼になって記憶の取っ掛かりを探していた。

三十分ほどを使い探してみたが、ぼくの感覚ではどれも新鮮なものだった。

目を惹く番組はあったが、記憶とは何ら関係がなかった。
時間を気にしつつも番組を見てみた。なかなか、面白かった。
最後まで見られなかったのは残念だが、少しは気が晴れたと思う。

そして、思った。自殺する部屋というのは、都市伝説なのだと。

世の中にメディアなどは数え切れないほど存在している。
ならば、どこか一箇所でも自殺する部屋の事を取り上げていないか?
十分にありえる話だ。若い層を中心に広まっている。進行形だ。話題性は十分だろう。

佐倉徹の余命が二日になろうしていたとき、ぼくは行動を開始した。

ノートパソコンが再び役にたった。この近辺でネットカフェなど知らない。
北条千夏の家は無線による接続らしく、速やかに接続が行われた。
自殺する部屋で検索をかけていく。以前よりも重点的に。

その中に、次の一行があった。





「自殺する部屋より帰還した、子供たちのインタビュー」


名も知らぬような雑誌社だった。

そこには四人ほどのインタビューの最初の数行のみが掲載されていた。
「あの頃は、人生が何もかも嫌で」「あの時は本当に」などと言ったものだ。
やはり、肝心の内容については言及されていない。購買意欲を煽るためなのだろう。

しかしこういう雑誌社ほど、どういうわけか業界では息が長いものだ。

この深夜帯から問い合わせてもまともな対応などしてもらえるわけがない。
雑誌社の所在地と電話番号。そして雑誌の名前を紙にメモした。
言ってしまえば、彼らはゲームをクリアした人間だ。

つまり、この一連の死に関する手掛かりがつかめるかもしれない。

恐らく子供たちの名前は明かしてはもらえないだろう。
しかし、ぼくが求めているのはその雑誌だ。そのインタビューだ。
北条千夏の身体でよかった。対応も恐らく丁寧になるだろう。ありがたい。

あまり眠気もなかったので、続けて自殺する部屋に関して調べていた。

やはり以前に調べた通りの情報だったが、気になったのは一つだけだ。
「自殺する部屋は自殺した人間のみが行ける」という一文だ。
調べてみると、そう掲載しているサイトは割と多い。

つまりどこかで信憑性のある情報が発信されていたのでは、という推測をした。

それが誰の呟きであれ、大々的な宣伝広告の中であれ、だ。
誰かがそう語ったからこそ、その情報はこうして蔓延しているのだ。
ぼくは今誰かの呟きとやらに頼らざるを得ない状況だということを再確認した。

速報性のある雑誌ではないが為に、就業時間は少し遅いようだった。

佐倉徹の余命は二日。どちらか一日でアポを取らなければならない。
そういえば約束の時間は十時だったか。九時には電話をかけるとしよう。
そこまで考えをまとめ、程よい眠気が襲ってきたので、ぼくはベッドに入った。

もう夢は見なかった。


起床したのは八時。少し夜更かしが過ぎただろうか。

目覚まし時計を止め、固めのベッドから身体を起こす。
前方にあるテーブルの上には雑誌社の番号。
そうだった。電話をかけるのだ。

だがそれ以前に、一日の活力となる食事を摂らなければ。

と言っても、やはり、電子レンジで温めるだけというものなのだが。
それだけでも十分に美味なのは彼女の腕の成せる技なのか。
その間に顔を洗い、身支度を整えておかないと。

量は少なく、品目は多くの食事を並べながら、考えてみた。

自殺する部屋で願いを叶えれば、自殺がなかったことになるのか?
どうしても、墓の中の死体が歩き回る…とは、考えにくい。
そんなことがあれば、一面トップを飾るだろう。

となると、自殺した事実そのものがなくなると考えるのが自然だろう。

雑誌社側もそれが事実であれ嘘であれ、確認しようがない故にネタになる。
インタビューされる側も同様なのだ。互いに利益があるのだろうか。
だが、もしそれに真実が混ざっていたら。そう思ってしまう。

ノートパソコンを開き、再度自殺する部屋に関して調べてみた。

今度は「自殺 部屋」などのワードに幅を広げて検索してみた。
すると、やはり前述の記事なども引っかかるのだが、気になるものがあった。
どうにも、自殺ゲームと呼ばれる都市伝説好きの中高生から大学生までの集団自殺の事らしい。

その中の誰もが誰もの生を願い自殺する、というルールのもと行うらしい。

だが、その存在は噂だけで確認されてはいないそうだった。
事実ならば、それは成立したと考えれば納得は十分にできるだろう。
誰にも確認されず、彼ら自身しか、それを証明できる存在はいないのだから。

…ああ、そろそろ時間だ。間に合わなくなってしまう。


「ごめんなさい。用意に手間取ってしまって。今日は持つから許して」

やった、と必要以上に声を上げてくれる七瀬翔に対し、感謝を覚えた。
それを見て、では、と引き際を選んでくれる咲坂未来にも。
そうしよう。合わせてくれた綴真也に対しても。

「先日、彼女と書店に行ったんですけれど—————」

話のきっかけにと、綴真也が咲坂未来との事柄について語ってくれた。
学習参考書を買いに行っていたそうだ。ぼくにそっくりだ。
それを聞き咲坂未来は頷き、七瀬翔は指摘する。

「そういや、千夏は最近何してんだ?やっぱ、仕事は忙しいのか」

「いえ。会社から休みをもらったから、ゆっくりしているわよ?」

彼女が言っていた事実には反するが、休みをもらった、と答えておいた。
以前のような雰囲気にはなりたくないが為の、自己保身とも言える選択だった。
次いで誤魔化す為に、料理を作ったり、テレビを見ているとも続けて付け加えていた。

誰も、ぼくの悩みの内容について指摘するものはいなかった。

きっとぼくが語り出すのを待っているのだろう。じっと、静かに。
語れるだけの雰囲気を作ろうと、彼らは、尽力してくれてもいるのだろう。
ここで言わなければ、彼らの心遣いを無にすることになるのだ。それなら、ぼくは。

「ありがとう」

「その。今日集まってもらったのは、悩みがあるからなのよ」

「私は、久の自殺について、納得できていないの。いえ、するつもりもない」

「理由が知りたい。それで。あなたたちに、言っておかなければならない事があるの」

ぼくは死者だと。ぼくは、北条千夏に成り代わった、成りすました存在だと。
声が震えるのが分かる。自らの顔色が青ざめていくのもわかった。
それでも、言わねばならない。彼らの、友人として。

「これは、嘘をついているのでも、何でもないの。冗談のつもりもない」

「わたし。いえ。ぼく、というべきでしょうか。はじめまして」

「ぼくは、北条千夏ではないのです。そして、ぼくは」





「自殺する部屋から、来たのです」


「分かりました。では、あなたが北条千夏でない、という前提でお話を伺いましょう」

「納得は今のところ出来そうにもありません。今も、千夏さんだと疑っています」

「…しかし、あなたが北条千夏でないことを前提としなければならない状況」

「もとい、そうするだけの意味があるのでしょう。続けてください」

咲坂未来は合理的な人間だった。七瀬翔は綴真也に対し耳打ちをしている。
恐らく、考えをまとめるだけの情報を得ようとしているのだろう。
綴真也は感情を見せず、顎に手をあて考えているようだ。

「ありがとうございます。では、何か証明できることがあればいいでしょうか」

「ああ、ぼくから質問だ。その前に、自殺する部屋について教えてくれないか」

「ぼくも彼女と同様に、信じられそうもない。必要な情報を先に提示してくれ」

はい。では、まず。そう前置きをして、自殺する部屋のシステムについて語った。
三つのルールがあること。そしてそれに続いて知り得た部屋の情報を。
そしてぼくは誰でもない誰かであり、真相を探っていると。

「ならば、ぼくたちは既に自殺している、ということになるのかな」

「そうだと考えられます。ぼくが言うのもなんですが、冷静すぎます」

「今のところ、自殺するつもりはないからかな。身近に感じられないんだ」

「興味本意で聞くんだけれど、ぼくが自殺する日、というのは分かるかな」

「八月三十日です。どのような方法をとったかは、定かではないのですが」

咲坂未来が手を上げた。七瀬翔は思案している状態にあるらしい。
彼女もまた自らが自殺する日について尋ね、ぼくはそれに嘘偽りなく答えた。
人生わからないものです。あの日と同じ言い回しで、彼女は、ぼくに笑ってそう答えた。

「…では、これまでの経過を私たちに話していただけますか?」


「つまり、咲坂悠一の思惑を暴き、結城久の遺書を発見し、佐倉徹の計画を知る」

「大まかに言えば、そういうことであっているかな。ぼくもよく分からなくて」

「それで正しいと思います。結城久という人物の遺書に関しては、不確定ですが」

「それは、ぼくの日記を読んだから、そう思った。これについてもあってるかな」

「その通りです。何か根拠でもお有りだったのかと、尋ねたい気持ちでしたが」

「待て。待てよ。話によりゃあ、悠一も誰も全員帰ってくる方法があるってか」

「どうにも、そうらしいのですが。考えていただきたいのは、そこなのです」

「ええと、私たちは徹さんに遭遇する際、同行した方がよいのでしょうか?」

「どうでしょうか。予定では、北条千夏の一名のみが遭遇するようなのですが」

「で、何だっけ。自殺するのは、止められない。それであってるんだよな?」

「はい。ぼくの力不足とも言えるのですが、それは。本当に申し訳ありません」

「責めてんじゃねえよ。確認しとかねえと困るからだよ。なんか悪かったな」

「ここで考えるべきは、彼がぼくたちを自殺させようとするその意図だろう」

「私もそう思います。徹さんも兄さんを慕っていましたから、理由は分かります」

「しかし、願いの数は六。君を入れても、ようやく七になる。少し腑に落ちないな」

「ぼくを担当していたということは、ぼくも君を知っていなければならないはずだ」

「会ったことも見たこともない人間を一方的に近しい人間とは定義しにくいから」





「…ならば、君は。間違いなく、ぼくたちの友人である可能性が極めて高い」


「…では、願いの総数を六とした上で話を進めるのが最善策だろうと思う」

「君が、本当に特殊な例、という可能性もあるからだ。それで、いいかな」

「はい。となると、六人を自殺させて、どのように七人を生き返らせるか」

「私。思うのですが、本当に、七人を生き返らせようとしたのでしょうか」

「ええと、徹が自分だけが得するように仕向けた可能性、ってことか?」

「そうとも考えられます。しかし、逆の場合も考えられないでしょうか?」

「それは、つまり。自らが損をするように仕向けた可能性。そう言いたいと」

「はい。今更ですが、私たちはかけがえの無い七人です。それは揺らがない」

「でしたら、その上で。私なら、自らを犠牲にしても皆を守りたいと思います」

「願いの総数は六。徹さんは、元々自らを数には含めていなかったのでは、と」

自らを数には含めていなかった?非合理的だが、納得はできる。
そうすれば、六人は生き返り、彼にとっては誰もを幸せにするシナリオだ。
だが、どうだ。記憶を共有した綴真也と咲坂未来は、何を見た?何を悟っていたんだ?

「そういえば、咲坂悠一は死してすら死を選んだ。君はそう言っていたんだっけ」

「ええ。そうなのです。それについても、意図が分からなくて。それに—————」

「…まさか。咲坂悠一も、同様の意図があった。綴さんは、そう言いたいのですか」

「生前に自らを犠牲に他人を救い、あの部屋で咲坂悠一を復活させ、六人を救う」





「…そしてそれを達するだけの条件が、死してすら死を選ぶ理由なのかもしれない」


「そして、考えるべきは、佐倉徹のことだろうか。七人を自殺させる理由だ」

「そりゃあ、そうした方が徹に得があるから、って考えるべきじゃないか?」

「理由は不明確ですが、その通りだと私も思います。どうして、全員なのでしょう」

「ぼくの意見ですが、全員というより、七人と呼ぶ方がいいのかもしれません」

「思うんです。どうして七人を自殺させなければならないのか。ええと、そして」

「どうして六人ではいけないのか。五人では。四人では。そう考えてしまうのです」

「それは、そうだな。確かにそうだ。けど、たまたまそうなっただけかもだぞ」

「それならそれでいいのですが。ぼくはなんというか、理由付けがほしくて」

「事を起こすに至っては、やはりリスクの懸念という点ではないでしょうか?」

「リスクというと。すみません、よくわからなくて。どういうことでしょうか」

「ほら。何かするに、メリット・デメリットを考えませんか。効率とも言いますが」

「って言うと、七人が自殺する方がデメリットが少ない、ってことでいいのか?」

「そう推測できるかもしれません。七人以上となると、また難しい話ですけれど」

ぼくは他人の意見がもらえるということに、ただ感謝していた。
暗中模索と言える状況の中、その霧が晴れてくる感覚さえしていくのだ。
少しずつ、推測であるが納得できるだけの意見、そして情報が積み上げられていく。

「ああ。すみません。忘れていました。ぼく、電話をかけないといけなくて」


「もしもし。ええと、少々お伺いしたいことがありまして」

そう切り出してかけていたのは、昨日調べた雑誌社宛にだった。
アポを取ろうとしてみたが、先日から取材で担当が出払っていたらしい。
三日後ならお時間を作れるのですが。そう言われ、しぶしぶ電話を切るしかない。

「申し訳ありません。急なお電話、失礼いたしました。ありがとうございます」

「ああ。いえ、こちらこそ。少し前のなので、どこにあるか。すみません」

「確か。ええと。八月五日までなら、うちも暇をしていたのですが」

「八月五日まで。それは、確かですか。いつからですか」

「七月の最終週から、八月五日くらいまで、ですか。ネタが入らなくて」

「その間であれば、いつお電話しても、伺っていただけたと」

「はい。何しろ、ネタが何もないものですから」

「そうですか。ありがとうございました。また、お電話させていただきます」

八月五日までなら、あの雑誌社は暇。彼は確かにそう言っていた。
なら、八月五日までに電話をかければいい。ぼくには、その手立てがある。
またお電話、というくだりは過去へ向けて告げられたのだが、気付くはずもないか。

「ごめんなさい。手掛かりが見つかりそうなところがあって、電話を」

「ぼくから提案なんだけれど、とりあえず今日のところは解散にしないか」

「ああ、時間がないことは分かってる。けれど、一人で案をまとめてみようと」



「わかりました。では、これから少し、歩きませんか?」


「君には、千夏さんの番号で繋がるんだろう?なら、大丈夫かな」

「考えがまとまったら、すぐにかけるよ。約束する」

「はい。本当にありがとうございます」

感謝の礼を三人に述べたあと、ぼくに残っていたのは後悔の念だった。
ぼくのやり方は間違っている。人の運命を弄ぶような事をして、情報を得た。
こうするしかなかったと、自らを保身する考えすらそこにあった。言い訳もできない。

「…そして、すみません。ぼくは最低の人間です。責めても、構わないのです」

「今も、心のどこかで悲劇のヒロイン気取りをしているのです。ぼくは」

「ぼくは。あなたがたを救う、という名目のもとに、殺すのです」

ぼくはまだ死ぬと決まったわけじゃないよ。綴真也はそう言った。
咲坂未来も同様に言った。あなたが殺すわけではないのです。寿命だ、と。
七瀬翔も。受験があるから、とても死んでも死にきれねえよ。そう言って、笑った。

「それに、ぼくは君の事を全く信じていない。だから、自殺は君のせいじゃない」

ぼくはそう言って笑ってくれる綴真也にも、何も言えなかった。
気にしないで。全くと言いつつ、彼も、ぼくをぼくとして扱ってくれた。
ありがとう。ぼくのたった一言だけであったが、感謝の気持ちの精一杯であった。

「それと。もう今の君には時間がない。ならば、次のぼくらに全てを託そう」

「そうだ。佐倉徹に成り代わった君が、四人に協力を求めればいい」

「君は先程、何かしらの証明をしようとしていただろう?」

「…なら。きっとそこにいるぼくたちも、きっと君の事を信じるだろうから」



「そうじゃなくても。ぼくは、友人である君のことを、信じているよ」


「それじゃあ、また明日。君と会うことも、もうないのだろうけれど」

「私は少し、残りの余命を楽しんでみるとしましょう。また明日」

「また明日、だ。俺もだ。ラーメンでも食いに行こうかな」

「はい。ありがとうございました。皆さん、また明日」

彼らは今から、ここについてのできごとを忘れると言っていた。
それは佐倉徹から情報を引き出すため。できごとを歪曲させないために。
陽も傾きはじめ、ぼくたちは互いに背を向け消えていく。あの日と寸分違わずに。

…いつか、彼らと肩を並べて歩く日が来ればいい。そう思った。

家に着いたぼくを待っていたのは、ねっとりと絡みつく不安だった。
彼らはまた、ぼくに自らの命を託してくれる。それに応えなければならない。
夏の空気だけではない、じっとりとした空気が、玄関を開ければすぐそこに佇んでいた。

けれど、今のぼくにはその不安を払拭するだけの友人がいるのだ。

世界が違えど、生者であれど、死者であれど。彼らは笑ってくれた。
理由はそれだけで十分だと思った。一度捨てた命。それを有効利用しなければ。
ぼくは服を脱ぎ、やはり冷水でシャワーを浴び、涼しさに少し風邪を引きそうになっていた。

今日は早めに寝ておくべきだろう。

佐倉徹と遭遇し、彼の計画について知らなければならない。
だが。その後に残っているのは、咲坂悠一の思惑についてである。
それは誰に尋ねればいい?咲坂悠一は恐らくだが、語らないであろうに。

ならば、ぼくの記憶の欠片を埋めるしかないのだろうか。

これはぼくの予想だったが、佐倉徹があの自殺を提案したと言っていた。
ならば、咲坂悠一と結城久の自殺は、彼らの自己判断のもとだ。
咲坂悠一についてはまだいい。だが、結城久のことだ。

…ぼくは、結城久に成り代わった際、何を知らねばならない?


遮光カーテンの合間を縫って陽が部屋を照らしたのに気付いたのは、八時だった。

起きてすぐに、ぼくは昨日考えていたことについて首を捻った。
結城久の自殺は五日後。これも佐倉徹の計画の一端だ。
だが、それは計画するより早く起こっている。

結城久は咲坂悠一を救う為に自殺したと考えるのが妥当だろう。

ならば、結城久に成り代わった際、咲坂悠一は既に自殺しているはずだ。
つまるところ、そこでぼくが人生を全うさせる人物など、存在していないのだ。
ぼくは誰を殺すことになる?咲坂悠一より先に自殺した人物など、いないはずなのだ。

…ぼくという存在の可能性を除けば。

ということは、結城久に成り代わった場合、ぼくはぼくと遭遇するのか?
ドッペルゲンガーのような感覚に陥るだろう。間違いない。
そしてそれに出会い、ぼくは記憶を取り戻す?

咲坂悠一のシナリオは、それであったというのか?

だが、誰の携帯のメモリーを覗いても、それらしき名前は存在しなかった。
存在しないような存在を追いかけている。幽霊なのか、ぼくは?
否定しつつも、否定しきれないのがぼくの存在だった。

それとも、今まで人生を全うさせた人物を再び全うさせるのか?

なんだかそれはおかしい。そうであれば、ぼくが綴真也を七回殺していてもおかしくない。
それに咲坂悠一についてもそうだ。既に願いを叶えていても不自然ではない。
つまり、同一人物を複数回救うということはかなわないのだろう。

…やはり、ぼくという八人目の存在が重要視されるのだろうか?


正午を回っても、ぼくは腰をあげることはなかった。

刻一刻と針は回っていく。止まることなど知らぬように。
前述の疑問から言えば、やはり願いは一つで間違いはないだろう。
適当に自殺し、願いをストックし、こちらで億万長者にでもなれるのだから。

特に証拠はないが、そう思わざるを得なかった。

十五時。冷蔵庫の中身も残り少ないが、もうぼくには関係がない。
書き置きでもして謝っておくべきだろうか。そうでなくても知られるだろう。
ただただ時間だけが過ぎていく。答えはいつまでたっても、一つも出る気がしなかった。

十八時。やっとぼくは重い腰を上げた。

何か案があるわけでもない。けれど、やらねばならない。
服は彼女のスーツを拝借しておいた。仕事帰りに見せかける為だ。
七瀬翔はあの時知らなかった。つまり、誰にも話していないと考えられる。

駅前で遭遇するとは言っても、どの辺りなのだろう。

駅前と言えども、その広さはなかなかなものだった。
十八時過ぎともなると、会社員から学生までもが行き交う場になる。
二十二時十五分ともなれば、人は少ないのだろうけれど。地理を把握しておこうか。

一回り終え、窓から駅が見える喫茶店に落ち着いたのが、十九時前だった。

駅に隣接している店舗にも足を伸ばし、この有様だった。
だが、どこで会うかわからない。いざというときに困らない為だ。
北条千夏ならば、正確に言うだろうし、以前の地点だと推測できるのだが。

ぼくは窓際の席に腰掛け、雑踏を眺めているだけだった。


持ってきたノートパソコンで情報を整理していて、思ったことがあった。

部屋のルールそのものを覆せないだろうか、という考えだった。
恐らく、指定されたルールは絶対に覆せないのだろう。
できるなら、咲坂悠一がやっているだろう。

ならば、ルールに則り、ルールを乗っ取ろうというような案だった。

指定された条件は三つしかない。その中に穴がないだろうか、と考えた。
五、六杯目になりそうなコーヒーを飲み干し、思案を続けた。
改めてルールを記載したテキストファイルを開く。

何度みたかわからないが、もう一度確認しておかなければ。

1.死んだ人間の人生をその人に成り代わって過ごすこと
2.死んだ人間の人生を使い他人の人生を全うさせること
3.七人の人生を救うと一つだけなんでも願いが叶うこと

この三つだ。ここからぼくは何ができる?

一つ目に関しては今も実行中だ。成り代わって過ごしている。
三つ目は救ってからになってしまう。なら、綻びは二つ目だと言える。
死んだ人間の人生を使い、他人の人生を全うさせる。簡潔かつ明瞭だと思った。

直感的にこの二つ目が重要だと思った。

普通の人間ならば多数の友人がいて、速やかに願いを叶えて行くだろう。
だが、彼らは七人しか友人がいない。だからぼくがここにいる。
ぼくが佐倉徹と成り代わり、話し合うべき点はこれだ。

時刻は二十二時を指そうとしていた。そろそろ行かなければ。

佐倉徹の顔は覚えている。話し方も概ね掴んでいる。
喫茶店とは到底思えない支払いの金額を終え、駅へ向かった。
同様に数時間居座っている人間がいるせいか、特に目は気にならなかった。

駅の向かいにある広場にあった手すりにもたれかかり、彼の到着を待った。


「あら。徹じゃない。こんなところで、何をしているの?」

メールの履歴から判断するにこの程度の口調なら間違いはないだろう。
できるだけ自然を装い、彼の姿が見えた時点で広場から出た。
そしてそのまま駅へ向かう姿を見つけた体を貫いた。

「なんだ。千夏さんか。びっくりしたよ。俺は、その。ちょっと」

「私は仕事帰りなのよ。ちょうどいいところで会った。時間ある?」

「ない…わけじゃ、ない。いいよ。少しだけなら、俺も大丈夫だから」

佐倉徹は実際に言葉を交わしてみると、繊細そうな男性だった。
中性的な容姿をしていると言うべきだろうか。誰もがそう思うだろう。
口調としては綴真也と七瀬翔を二で割ったというところか。やはり、中点だ。

先程とは違う店舗の喫茶店に足を運び、彼にコーヒーを手渡した。

彼はコーヒーが好きなのか。なんだかぼくと気が合うな、と思った。
ぼくは久しく飲んでいなかったカフェオレに口をつけていた。
さて、いつ切り出すべきか。佐倉徹の表情をみていた。

「なんだか、こうして二人で話すのも久しぶりでしょう」

「そうかな。ああ、そうだな。うん。千夏さんは、話でもあるの」

「いえ。何もないわよ。偶然会ったから、声をかけたの。邪魔しちゃった?」










「自殺の」


「これから私たちを自殺させるのだもの。目、合わせられないわよね」

「きっと、彼らは五日ごとに自殺するわ。悠一の為に自殺していく」

「もしくは、あなたが握りつぶした結城久の遺書の行方を探して」

彼の唖然とした表情が、ぼくの視界に入ってくる。
奥であり角の席を陣取っておいてよかったと内心思っていた。
こんな話は店の中心ではとてもできない。人の目がありすぎるのだから。

「徹。あなたは、七人を自殺させて、六人だけを生き返らせるつもりでしょう?」

「誰もが幸せになる。確かに。でも、そのリストにあなたは入っていない」

「久の遺書をあなたはどこへやったの?もう、捨てちゃったかしら」

彼の動揺を見て確信した。結城久の遺書は存在するのだ、と。
そして質問は質問ではなくなった。事実確認と言うのが正しいだろう。
ここからは様子を見ながらカードを切るしか無い。推測が外れる可能性もある。

「あの話。翔が、聞いていたみたいなのよ。それで私のところを訪ねてきた」

「カラオケボックスのドア。空いていたのでしょう。荒れたし、あり得なくない」

「私はどんな手を使ってでも悠一を助けるわ。あなたの計画にも、黙って乗る」

「でも。残された皆は、どう?本当に彼らは辿り着けるかしら。あなたの計画に」

「徹はこれから自殺する。時間もない。彼らは後追いと考えるかもしれないわよ」

「ただ、あなたの自殺に途方に暮れて、私の自殺に途方に暮れて。それで終わり」

「嘘も真実も闇の中。咲坂悠一は救えない。救えるかもしれないけれど、難しい」

「あなたの計画で回避しなければならないのは、全員が自殺しないことでしょう?」

彼は意を決したのか、言葉を吟味しているのかはわからなかった。
ぼくが見る限りでは、どちらでもあったと言えるだろう。
冷や汗らしきものを浮かべながら、彼は言った。

「もし、俺が話せば」










「彼らを、全員自殺させてくれますか?」


本日の第五章の投稿分は以上です。
読んで頂いた方、ありがとうございました。
補足修正があった場合、また後日行う予定としています。

それでは失礼します。


「いいわよ。約束はできないけれど、善処しましょう。私にも目的がある」

「分かりました。では、その前にあなたの掴んでいる事を教えて下さい」

「ええと。恐らくですが、あなたは北条千夏でない。そうでしょう」

彼は真相への一片に行き着くまでに、そう時間を要しなかったようだった。
特に驚きはしなかった。必要以上の情報を開示した為だろうか。
しかし、こちらは表情で答え合わせができたのだ。

「はい。ぼくは確かに北条千夏ではありません。先に言っておくと、誰かも」

「けれど、俺の計画には賛同してくれる。それは、どうしてですか」

「彼らを救うため。今、あなたの計画が最もリスクが低い」

「先に結論から話しましょう。あなたの予定通り、残りの四人は全員自殺します」

「きちんと五日間の間隔を開けて。計画は成功です。しかし、終わっていない」

「終わっていない?俺は六人を生き返らせることができなかったのですか」

「ぼくが見ている限りは、ですが。ええと、掴んでいる情報についてでしたか」

「ぼくは事件の輪郭については殆ど。後は、あなたの計画の理論について」

「そして、咲坂悠一の思惑を暴くことが、残された事柄でしょうか」

先に大まかに情報を開示し、それを埋めるだけの事柄を語っていく。
彼は時折コーヒーに口をつけながら軽く頷き、小さな手帳にメモを取っていた。
整合性が合わない箇所を発見する為なのか、新たな計画を練っているのかは定かではない。

「となると、俺はどこかで失敗した。もしくは、達成できない状況にあるのかな」


「今度は、ぼくから質問してもいいでしょうか?」

「ああ。うん。嘘はつかないつもりだ。何でも聞いてほしい」

「では。あなたは、どうして四人を自殺に追いやろうとしているのですか?」

「………」

彼は考え込んでいるようだった。説明するだけの言葉を纏めているのか。
少し待ってください、と一息ついているあたり、そうだろう。
視線を彷徨わせながら、よし。彼は口を開いた。

「先に言うと、悠一と久の自殺の間隔は偶然です」

「そして、第一に、彼らを自殺する部屋に向かわせる為です」

「結城久はどうしてか今も願いを叶えていない。叶えられない状況だ」

「それはなぜか。俺たち七人には、他に近しい存在など一人もいないからです」

彼は七人と言ったか?七人。なら、ぼくは何のために存在している?
彼の計画に巻き込まれただけなのか。意図して巻き込んだニュアンスではない。
となると、ぼくは。ああ。少しずつ、答えが積み上げられていく。すぐそこにある出口まで。

「あの部屋のシステムを例に出しましょう。咲坂悠一の死後に、結城久は自殺した」

「この時点で自殺者は二名。成り代われる人数は一名となります」

「七人の自殺の時点で、合計六名に成り代われる」

「それでは、彼らの願いは叶わないのではないですか。ぼくは、そう思っている」

「いいえ。叶うのです。二つ目のルール。あれを、逆手に取るのです」

「死者の人生を使い、死者の人生を全うさせるのです」

「ですが、しかし。なぜ、俺の計画は破綻しているようなのでしょうか」

「あなたは、あの部屋に行ったのでしょう。そこには皆は、いたのですか」

「ええと。いえ。いませんでした。あるのは扉と、咲坂悠一がいるだけです」





「咲坂悠一が?」


「そうだ。おかしい。何かがおかしいと思えば、それなのかもしれない」

「彼は願いを叶えたはずだ。あり得ない。なら、何故あの部屋にいる?」

「あの。あの。そういえば、結城久。あの遺書は、どこにあるのですか」

ああ、と彼は思い出したようなそぶりの後、捨ててしまったよ。そう答えた。
あなたは次に俺に成り代わるのなら、結城久が自殺した直後ですか。
なら、彼の病室の、上から二段目に彼の遺書があります。

「あなたは、どうして結城久の遺書を捨てたのですか」

「それは、友人を信頼しているからです。彼らはきっと辿り着く」

「最初にあなたがああ言ったのは、俺の表情から答えを読み取るためでしょう?」

「驚きはしましたが、俺は信じて疑っていません。みななら、きっと調べる」

「そしてなくなった遺書の行方。咲坂悠一の自殺。俺の自殺も、全て」

「きっと。きっと彼らが解き明かし、俺の犠牲だけで全ては済む」

「いいえ。ぼくはあなたも救うつもりです。全員を救い、幸せにします」

「あなたは、誰なんでしょうか。俺にとっての。俺たちにとっての」

「分かりません。けれど、何者にも成り代われますよ。友人にだって」

「誰でもない、からですか。面白い。じゃあ、俺とも友達です」

「ああ、時間がない。では、俺のこともよろしくお願いしようかな」



「…もし、全員を救いたいなら、あの部屋のシステムを考えたほうがいいと思います」


「神様が作ったものだろうが、なんだろうが。完璧なものは存在しません」

「必ず何か穴がある。俺が死者の人生を利用しようとしたように」

「ええと、恐らく。説明しなくても、すぐにわかるでしょう」

「彼らに。あの四人なら、すぐです。頭がいいですから。俺よりずっと」

「すみません。もう、時間もない。いってきます。それじゃ、何かおかしいかな」

「そんなことはありません。ごめんなさい。そして、いってらっしゃい」

時刻は二十三時三十五分。彼の余命は、最低で二十五分間。
彼もまた、どうして、そんなに最高の笑顔で自殺できるのだろうか。
それにはもう、答えは出ている。友人を信頼しているから。それしかないのだ。

「ああ。言い忘れていました。あなたのことも、信頼していますから」

「俺のことは、余裕があれば救ってください。余裕があれば、ですよ」

「まずは、あなたが報われるべきだ。俺は、そう思っていますから」

ありがとう。ぼくは駆け出す彼の背に、精一杯の声で、そう叫んだ。
また、止められなかった。けれど、彼の言葉で、殆ど全てが繋がっていた。
ぼくが誰であるかも。ほとんど核心へと、そして確信へとも至ろうとしている。

「…ぼくは、報われることなんて、きっと、ないのだと思うけれど」

数分が経った。もう、彼を追いかけて自殺を無理に食い止めることも不可能だろう。
食い止めようとしても、神の意図とやらでも働いて、佐倉徹を殺すだろう。
ぼくはやってきた店員に対して、二つケーキセットを頼んでいた。

彼とは、あまり話せなかった。

ただそこにあったのは、友人を救いたいという強い意志だけだった。
自らの命を賭してでも救いたい。それ以外の考えは、彼のそこにはなかった。
ケーキセットが運ばれ、ぼくのところに一つ。そして、彼のところに一つ、供えていた。

…ありがとう。そして、ごめんなさい。そう、謝りながら。


ケーキセットを食べ終え、彼のところへ追加の一杯を頼んだ。

怪訝そうにしている店員を余所目に、ぼくは笑っていた。
もし、彼と再会できるなら、どんなことを話していただろうか。
彼は繊細な男性のようだった。どんな話題を好んで、嫌っただろうか?

追加のコーヒーが運ばれてきた頃には、やはり、こうなってしまったか。

この光は、店内の誰にも見えていないのだろうか。
北条千夏が北条千夏に成り代わろうとしている、この光は。
指と手が勝手に、というと語弊だが、動き出し、ケーキセットを取った。

「結局。あの箪笥は、開けなかったの。あなた、紳士かしら」

「そんな大層なものでもありません。それは、佐倉徹のケーキです」

「いいのよ。残したら勿体無いし、それに。すぐ、あっちで会えるんだから」

「それにしても、記憶は読めても、考えは読めたりしないのかしら」

「勘弁してほしいですよ。美人だな、と思ってるくらいです」

ありがとう、と笑いながらケーキを口に運ぶ北条千夏。
私。結構、いい景色で自殺してるじゃない。参考にしようかしら。
ビルの屋上とかだと、雰囲気ないもの。最後の最後まで、花がなきゃダメよ。

「徹が言ってたように、あなたも早く報われないと」

「そうなる日が来ればいいのですが。どうにも、善人じゃない」

「そうかしら。人の為に必死になってる姿が善人じゃないなら、私は悪人よ」

どうでしょう。ぼくはそう言いつつ、答えを濁すしかなかった。
既にぼくの中で答えは決まっていたからだ。ぼくは彼らの友人になった。
ならば、ぼくも彼らの為に命を賭すことも、また当然の選択と言えるだろうからだ。



「…携帯。鳴ってるわよ。これは、あなた宛てじゃないかしら」


「本当だ。綴真也。何かわかったのもしれません」

そんなことはいいから、早く出ないと、間に合わなくなるわよ。
北条千夏の言葉で我に帰ったぼくは、慌てて通話ボタンを押していた。
彼もまた、慌てているようだった。いったい、彼は何がわかったというのか?

「君か。まだ北条千夏に成り代わってないか」

「はい。と言っても、今成り代わってるところなのですが」

「わかった。なら、間に合ったのかもしれない。咲坂悠一のことなんだけど」

「いいかな。彼はあの部屋にいた。それは間違いないか」

「はい。確かに咲坂悠一はあの部屋にいました」

ぼくを包みこむ光が、大きくなってきた。
北条千夏はケーキに口をつけるのを待っているらしい。
最後の最後まで彼女はどこか、変わった気遣いがあるな、と思った。

「となれば、考えられる可能性は二つしかないんだ」

「まず、一つ。咲坂悠一は願いを叶えていないかもしれない」

「願いは一つだけ。ルールに則れば、そうあってしかるべきのはずだ」

北条千夏が、小さく呟いている。
ああ、私も、少しだけわかっちゃったかも、と。
そんなあなただから、私は、きっと。あなたのことを。そうなのよ。

「二つ。咲坂悠一の存在を否定するパターンだ」










「咲坂悠一は———————————————!」


「おかえり」

「ただいまというべきでしょうか」

「佐倉徹も自殺した。本当に、幸せそうに自殺していたよ」

そうですか。ぼくも彼の動作を真似して、椅子を取り出してみた。
どこにでもあるような椅子。ゆっくりと座ってみる。
なかなか座り心地がいいように思える。

仕舞おうと考えると、どこへともなく消えていった。

色々なものを取り出してみても、部屋の中は虚無感にあふれていた。
別にもので満たしてみたかったわけではなかった。
そんなぼくを彼は見つめていた。

「咲坂悠一さん。ぼくは、ほとんどわかってしまったようなのです」

「わかってしまった、では、少しダメかな。思い出さないと」

「では、質問をしたいのですが、構わないですか?」

「うん。いつもの通りだけれど」

「はい。それでは、咲坂悠一さん。あなたは、本当に願いを叶えたのですか?」

「そのはずだ。なぜなら、ぼくがその証拠といえるからだよ」

証明はできないが、自らを証拠としたか。なら、願いの総数は六なのか。
自らが願ったから証拠と言える。納得はできる話だ。
ぼくは次の質問をいつ切り出す?

「次は。次は、佐倉徹の人生を歩むのでしたか」

「そうだ。何か、困ったことでもあるのか。心配事とか」

「いえ。確認程度のことです。ああ、そういえば、次の質問ですが」





「ぼくは、結城久に成り代わった際、誰の人生を全うさせなければならないのですか?」


「君は、ずいぶんとこの部屋のシステムについて理解してきたようだ」

「ええ。そういう環境下にあるので、当然かもしれません」

「そうだな。それは、その時に教えようと思う」

「ならば、目下の結城久の人生を先に全うさせる、ということでいいのですか」

「ああ。君も少しずつ、思い出してきたんじゃないのかな。そろそろ」

「どうでしょう。未だ分からないことだらけですよ、ぼくは」

嘘だった。もう殆ど、事件の輪郭も、システムについても理解していた。
ぼくに残された使命は彼らをどうやって生き返らせるか、だ。
その為には、彼を騙すことすらも厭わなかった。

「そうか。扉はそろそろ開けておこうと思うけれど、どうするかな」

「いえ。思いついたことがあったので、少し待っていただけませんか」

ぼくはそう言って、先程と同じ動作でテーブルと椅子を取り出しておいた。
食なら取り出せる、と言っていた彼の言葉を思い出し、やってみる。
見事にケーキセットとコーヒーがテーブルに鎮座している。

「これ。千夏さんか、佐倉徹が来ることがあったらと思って」

ぼくは咲坂悠一と向かい合い、ケーキセットを食べ終え、扉に向かった。
さて。残りの成り代わりは二名。既に物語は終盤となっている。
やることは一つだけ。あとは方法を考えだすだけだ。

「それでは、行ってきます」

「ああ。行ってらっしゃい」

ぼくは光の中に消えていく。彼はいつも、ぼくを名残惜しそうに見る。
どうしてなのだろうか。なぜ、ぼくを恨めしそうに見る?
ぼくは彼に何かしただろうか。いや、したか。










ぼくが咲坂悠一を殺したからだ。


これにて第五章 北条千夏の投稿が終了です。
次回より、第六章 佐倉徹を投稿予定です。

ここまで読んでいただいた方、本当にありがとうございました。

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