双葉杏「九家三伏」 (36)

昨今の梅雨というのは本来想像するものとは少しばかし違うものになったと思う。
しとしとと振り続ける長雨。青紫色の花を咲かせる紫陽花。おまけのかたつむり。
梅雨とはなんとなくそんなイメージがついているし、他の人も同じように思っていると決め付けている。
だが実際はどうだ。曇りばかりの日が続いたかと思ったら突如豪雨が降る。テレビでは観測史上だの
非常に激しい雨だのなんやらの警戒が必要だのとても梅雨らしくない。これではただの台風ではないか。
ということを諸星きらりに話したところ

「杏ちゃんもそういうことがわかるようになったにぃ」

と言われた。しかし私は見逃さなかった。一瞬「急にどうしたんだ、この子は」という顔になったのを。
そもそもその返しでは今までの私は季節感皆無の生活をしているように聞こえるではないか。
実際そうかもしれないし、そのことできらりに怒られたこともあったが、私はこれでも現役女子高生なのだ。
JKなのだ。帰りにクレープ屋に寄って買い食いしたり、ゲーセンによってプリクラ撮ったりする年頃なのだ。
無論私はしたことがない。それにアイドルだってやってる。この職業は否応がなしに季節感というのを
感じさせる。やれ水着だハロウィンだクリスマスだ目まぐるしいにもほどがある。赤道直下の国ならば
延々と水着を着ていれば済むのかと思うとちょっと羨ましくなる。実際にどうかは知らない。

このように色々と言っているが最近ではアイドルも満更ではないと思っている自分がいる。
ちゃんと仕事をこなせばそこそこ実入りもあるし、こういうのはいつでも出来る稼ぎじゃないから
仕事を貰えているうちが華なのだ。咲いているうちにこなしたほうがいいと思っている。
ここで種銭を稼いで、アイドルやめたら株やらなんやらで稼ぐというのが専らの計画だ。

だがそれは先の話。私は相変わらず女子寮でだらだらと過しているのであった。

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六畳のワンルームとキッチン、ユニットバス。食堂と大浴場付き。
今となっては当たり前のように思える女子寮の設備だが、アイドルをしているという条件はあるものの
家賃は破格の安さで、しかも防犯もキッチリしていることから事務所近辺に住んでいるアイドルまで
一人暮らしの練習だとかそんな名目で引っ越して来るようになった。休みになると玄関のほうで荷物が
山積みになっているのを食堂に行く時に見かける。場所が場所なだけに業者に頼むことも出来ないので
事務員だのプロデューサーだのアイドルだのが荷物運びに借り出されることになる。

「それで今日は武内プロデューサーなんだね」
「ええ。他に手の空いている方もいなかったので」

武内プロデューサーは荷物を降ろし、額に浮いた汗を拭う。梅雨が明け、いよいよ夏が始まるといった季節。
なのになぜこの人は暑苦しいスーツを着て、引越しの手伝いをしているのか。私にはわからない。

武内プロデューサーとは呼んでいるが彼はプロデューサーではない。プロダクションの事務員なのだ。
どういうわけか私達のドキュメントっぽいアニメでプロデューサーに抜擢されて以来、このように呼ぶ
のが普通になっている。ちなみに私の本来のプロデューサーはアイドルに対する度重なるセクハラ紛い、
問題行動で上司から直々に女子寮近辺への立ち入りが禁止された。

「大変だね。こんな仕事までするなんて。冬は雪かきもしてたでしょ」
「いえ。このプロダクション全体が潤滑に回るようにするのが私の仕事です」

姿も合わせて縁の下の力持ちという言葉がこれほど似合う人間もいまい。そんなことを話していると
今回の入居者がやってきた。眼鏡と白衣とツインテールが特徴の池袋晶葉だ。ウサちゃんロボと称される
踊るロボットを開発し、一人だけ二世代ぐらい未来に生きているのではないかと噂されている。学校の
夏休みが始まったのでそれを機会に越して来たようだ

「おや、杏じゃないか。私の引越しの手伝いをしてくれるのか?」
「冗談でしょ。杏の細腕じゃゲームのコントローラーしか持てないよ」
「そうか。ならばこの荷物を私と彼で運ぶしかないのだが……」

改めて荷物を見る。大小様々なダンボールが積み重なっている。おかげで玄関が狭い。
手が空いている人がいなかったというが、仮に女性が来たとしても手に負えなかっただろう。

「部屋の下見した? これ全部入らないんじゃない?」
「確かに少し多いかもしれないな。二部屋借りて片方を私のラボにするのはどうだろうか」
「晶葉さん。申し訳ありませんが一人一部屋という決まりがあるので……」

言われるまでもなく当然である。そんなわけで玄関で荷物整理が始まった。なぜか私も手伝わされている
のだが、見たところダンボールに書かれた中身の説明には『発明品』だの『製作途中』だの『工具』だの
生活に必要そうなものが見当たらない。

「まずさ。衣服以外はいらないと思うんだ」
「いやいや、工具がなければ発明できないだろう」
「女子寮で発明しないでよ。爆発したらどうするのさ」
「む、じゃあ私はどこにラボを構えればいいんだ」
「事務所のどっかの空き部屋借りれば? 武内プロデューサーに頼んで」
「えっ」

ダンボールに書かれている説明で荷物を仕分けしていた武内さんが顔を上げる。

「待ってください。一個人のために部屋を宛がうことは出来ません」
「じゃあどうすれば使えるんだ?」
「要望書を提出してください。こちらで会議の際に検討して、許可するかどうかを決めます。
 ですが、アイドルの私事のための部屋となるとおそらく許可は出ないと思います」
「何かいい案はないの?」

武内さんは荷物を降ろして、考え出す。

「……以前、池袋さんの開発したロボットは社内でも大変好評だったと聞いています」
「ああ、あのロボットか。あれは私の自信作だったからな」
「あのような会社にとってプラスになる物を製作するということであれば、もしかしたら許可が通るかも
 しれません。しかしそういった場合、定期的に成果を要求されると思います」
「成果か。まぁそのぐらいならば可能だろう。ではその線でやってみるか」
「武内プロデューサーも話がわかるね」

そういうと武内さんは少し照れくさそうに「ありがとうございます」と答えた。

ラボの計画が決まったので、荷物の整理を続ける。日用品や僅かな工具などは残して、後は元々のラボに
送り返すそうだ。それが一体どこなのかなどの疑問は面倒なので訊かないことにした。あれだけあった
ダンボールも必要なものだけ残すと私と晶葉の二人だけでも十分運びきれそうな量になった。

「それでは私は失礼します。また何かあればご連絡ください」

送り返す荷物を車に積み込み終わった武内さんが別れの挨拶をして去っていくのを見送る。本来であれば
女子寮付近はアイドルが怪我する可能性も考えて車両の立ち入りは禁止なのだが、引越しなどどうしても
必要な時に限って許可が下りる。そうでなければ本社から台車で運ばなければならなくなってしまう。
考えたくもない話だ。

我々も残った荷物を四階の晶葉の部屋まで運び入れて、やっと一息つく。なんだかんだで最後まで手伝って
しまった。時計を見ると丁度大浴場が開く頃だったので案内がてら一風呂浴びる事にした。お互い髪を
下ろした相手の姿に驚きつつもゆっくりと湯船に浸かり、疲れを癒し、風呂上りに自販機のコーヒー牛乳
を今日の報酬として奢ってもらった。

私の夏はそんな具合に始まりを告げたのだった。

事務所にプールが出来た。
その吉報はプロダクション内のみならず、当然この女子寮にも速報として入った。

今までも事務所内にはプールが存在した。したのだが撮影用だったため、自由に入ることが
出来ない上に大変狭かった。女子寮の大浴場の湯船のほうが広いぐらいだ。そのためアイドル達は
人目を忍んで普通のプールに行くか、女子寮の裏にビニールプールを設置するかというどうしようもない
二択を迫られていた。ただし休みと金、あるいはツテのある一部のアイドルはどこぞの人目のない海へと
行っているようだがこれは省く。

夏が来るたびに海に行きたい、プールに行きたいと駄々をこねるアイドル達にはプロデューサー達も
なかなか手を焼いていたようだ。弁護するが私は言っていない。この話が社長に届いたらしく
めでたくアイドルが自由に入れるプールの設置が決まったのが梅雨入りの頃だった。

一体いつ出来るのだろうか。そもそもどこに作るのか。そんな話が夏に近づくにつれ、増えていたが
ある日あまりにも突然プールが完成したという報せが入ったので半信半疑も含めたアイドル達が殺到
することとなった。かくいう私もその一人だ。別に興味があったわけではないが、完成したとなれば
浮き輪で浮かばなければいけない。波は無くても漂うことが大事なのだ。

どんなプールなのか。流れるプールだろうか。ウォータースライダーがついているだろうか。そんな
期待を胸にいざ蓋を開けてみると、なんということだろうか。事務所の屋上に25メートルプールが
あるだけだった。先ほどまで更衣室で期待に胸を膨らませていたアイドル達のテンションがプールを
見ると同時にみるみる低下していくのがわかる。水中メガネや浮き輪を片手に固まっているアイドルも
見られる。ただしコースは8コースと多いため、一部の運動好きアイドルがひたすら泳いでいるが、
これは我々の求めたレジャープールではない。競技用プールなのだ。

しかしプールであることには変わり無い。年少組は構わず遊んでいるし、塩見周子はなぜか
ビニールプールを持ち出して、ブールサイドで浸かっているし、浜口あやめはビート版に乗って
水面移動をしようとして失敗している。気落ちしていたアイドルも降り注ぐ太陽の下、冷たいプールに
入れるなら良しとしようと割り切れたのか次々とプールに入りはじめた。私もさっそく浮き輪に尻を
突っ込んでぷかぷか浮かぶ。

眼を瞑っても潮騒は聞こえないし、海の匂いもしないがゆらりゆらり揺れているとそれだけでリラックス
出来る。クーラーの効いた部屋でごろごろするのも良いが、こうして水に揺られるのも悪くは無い。
しかし平穏は長くは続かず、唐突に顔に水をかけられ、驚いた拍子に浮き輪からひっくり返って落ちる。
思ったよりも深かったので浮き輪にしがみ付いて、顔を拭く。見るとプールサイドに水鉄砲を持った
年少組と首謀者が立っていた。

「友紀。許さないぞ」
「当てたの私じゃないよ? 仁奈ちゃんだから」
「仁奈が最初に杏おねーさんを撃ち抜きましたですよ!」

年端もいかない娘に責任転嫁しようとしている成人に制裁をするべく、プールサイドに近づく。
しかし首謀者に煽られた年少組の水鉄砲攻撃が止まず、なかなか辿りつけない。
ガードしながら機会を伺っていると、好機はすぐにやって来た。

「水がなくなったでごぜーます」

どれも同じ型の水鉄砲で一斉に発射していたのだ。全員が同時に水切れを起こし、しゃがみ込んで
プールの水で補給し始めた。それを横目にプールサイドに上陸する。

「人が浮き輪でのんびりしているのを的にするなんて……許さんぞ。
 鼻に水鉄砲突っ込んで口から水を吐かせてやる」
「杏ちゃん、落ち着いて。それアイドルのやることじゃないから」
「いいか、みんな。悪者は友紀なんだよ。さぁ補充したら撃つのだ」

無邪気な年少組は私の言葉に従い、先ほどまで従っていた相手に鉄砲を向ける。
友紀は笑いながら降参降参といいつつ、プールの中に逃げ込んだのでみんなで泳ぎながら追いかけ、
気付けば鬼ごっこの様になっていた。

結局その後ものんびり揺られることはなかったし、友紀の鼻に水鉄砲を突っ込む事も出来なかったが、
その日の夜はいつも以上によく眠れたので良しとすることにした。

後日、日焼け止めクリームを塗り忘れたアイドルに担当プロデューサーから雷が落ちた。

「幽霊を見たの」

そう語るのは篠原礼。そして聞くのは白坂小梅、道明寺歌鈴、依田芳乃、そしてなぜか私、双葉杏。

「昨日の夜、日付が変わる前ぐらいだったわね。部屋で寝ていたらドアノブがガチャガチャって
 回り始めたの。もちろん鍵は閉まってたから開く事はなかったけど、私怖くて布団を頭から被って
 聞かないことにしたの。そのうち今度はドンドンってノック……っていうよりも叩く音ね。
 ただでさえ雷が鳴ってて怖かったのによ? でももしかしたら誰かが呼んでいるのかしらと思って
 勇気を出してドアの覗き窓から外を見たの。でもね誰もいなかった。いつもより薄暗い廊下だったけど
 それだけ。隣の部屋だったのかしらと思って、ドアを開けようとしたらね……開かないの。
 誰かが外から押さえつけてるみたいに」

当時のことを思いだしたのか、身を震わせる。おどろおどろしく話してくれているのだが聞いている
メンバーがメンバーなのでちっとも怖さを感じない。歌鈴は多少怖がっているようだが、
小梅は目をらんらんとさせているし、芳乃は何を考えているのかよくわからない。

昼食を食べ終わり、今日は何をして暇を潰そうかと考えながら二階の自室へ戻っているときに篠原さんに
声をかけられたのはつい一時間ほど前の話だ。普段あまり話さない大人組の人から真剣な目つきで
「相談があるの」と言われたものだから一体どんな相談をされるのかと内心緊張していたのだが、
蓋を開けてみれば幽霊の相談だった。なぜ私が呼ばれたのかは全くわからない。

「それで後は布団で寝ていたの?」
「頭まで被って寝たわ」
「幽霊の姿は見てないの?」

冒頭で幽霊を見たと言っていたが話には出てこなかった。篠原さんは暫し考えた後

「見て無いわね」

と頷きながら答えた。つまりこれは幽霊ではなく人間の仕業かもしれない。むしろその可能性のほうが
高い。

「一応聞くけどさ、誰かにそんなイタズラされる覚えとかないの?」
「誰か? アイドルの? そんな覚えないわよ」
「じゃあお酒に酔った誰かがやりそうな心当たりは?」

頭を抱えて悩みだした。私にも心当たりがあるくらいだし、お酒の席にいることもある篠原さんなら
鮮明に浮かぶのではないだろうか。

「問題解決だね。幽霊の正体は酔っ払いだよ」
「待って。じゃあ具体的に誰だか調べてくれない?」
「えぇー……」

幽霊相談だったはずが、探偵業のようになってきた。しかしこう言うのもなんだが私がそんなことまで
する義理はない。というよりもただ単純にめんどくさい。目星がついているのだから自分で電話するなり
して解決してほしい。そういった旨を話そうとしたら誰かが私の服の裾を引っ張った。振り向くと小梅が
意味ありげに私を見ている。仕方が無い。

「んー。じゃあ誰か調べてみるよ」
「ありがとう。私はこの後、仕事だからわかったらメールちょうだい」

篠原さんの自室から出て、廊下を見渡す。今は昼間なので太陽の光が廊下を照らしている。
昨日は雷雨だったからいつもより暗くなっていたのかもしれない。

「それで小梅は何かわかったの?」
「す、少しだけ……何か感じるの」
「感じるってまさか」
「うん……そ、そういうの……」

今度は私が頭を抱える。幽霊相談が探偵になったと思ったら、また幽霊に戻ってしまった。これで
言っているのがサイキッカーだとかならば「はいはい」で流せたのだが、目には見えないあの子と
一緒にいるという小梅の言葉は信用できる。

「ただこのような場所はー、少々わかりにくいのでしてー」
「なんで?」
「ひ、人が多いところは……生きている人間にくっ付いているのと勘違いすることもあるから……」
「あー、守護霊って奴か。んー、歌鈴、何かいい案ないの?」
「へっ、え、えっとでしゅね!」

突如話を振られて噛んでいるがこれはいつも通り。急な相談だったにも関わらず、今もキッチリ巫女服を
着ていて、実家の家業に対する意識の高さが伺える。さすがは巫女アイドルだ。

「幽霊を祓うにも場所がわからないし……通りそうなところに塩を盛るとかぐらいかな」
「じゃあそれは歌鈴に任せるよ。芳乃と小梅は女子寮とか周辺にそれっぽいのいないか探して。幽霊が
 原因なら多分私の出る幕ないし」
「サボりはダメでしてー」
「サボりたいけどサボらないよ。まぁ餅は餅屋ってことでね。私は幽霊がいないことを前提に調査するよ」

三人と別れた私は早速イタズラをしそうな心当たりに会いに行った。篠原さんと同じ四階の住人。酒を
飲んだらイタズラをしそうなアイドル。

「ということで高垣さんが犯人だと思うんだけど」
「違います」

高垣楓はあっさりと否定した。ミステリアスな雰囲気を漂わせ、その美声で人々を魅了し歌姫と称される
彼女だが実際のところただの飲兵衛だ。酔っ払った高垣さんが女子寮をうろうろする姿は住まう者なら
誰でも見ただろうし、逃げ遅れた新入りが絡まれるのも日常茶飯事だ。しかし意外にも彼女は今回の件に
ついてはきっぱりと否定したのだった。

「昨日は飲んでないの?」
「いえ、飲みました。私の部屋に三人集まって」
「三人? 誰と飲んだの?」
「私と友紀ちゃんと菜々さんです」

そういえば昨日雷が怖いからと部屋に来た仁奈が私の部屋に来る時、階段を登っている菜々と会った
と言っていた事を思い出す。仁奈が挨拶すると挙動不審になりながら挨拶を返して、登っていったと
言っていたがそういうことだったのか。

「飲んでいる間はずっと部屋にいたの?」
「いえ、私がおつまみを探しに一階へ行きました。食堂は残念ながら閉まってましたね」

食堂は昼時と夕飯時しか開いていないので、私もよく昼ご飯を寝ていたせいで逃すことがある。

「それでおつまみは諦めて自分の部屋へ……そういえば途中で変なの見ましたね。薄暗い中、白い光が
 地面をすーって動いてました」
「え、なにそれ」
「さあ? 特に気にせず、階段登っちゃったので」

妙な事を聞いてしまった。まさか本当に幽霊がいるのだろうか。よりにもよってこんな場所に迷い込む
なんて相当なアイドル好きか不運な幽霊だろう。誰が住んでいるか知っていたら絶対に来ないはずだ。
成仏させられてしまう。

「あとはずっと飲んでましたね。二人が帰ったのは日付が変わる少し前ぐらいでしたね」
「なるほど。……二人は結構酔ってた?」
「ええ。どっちも千鳥足でしたね。あ、菜々さんはジュースでしたけど」
「今更そんなこと付け足しても遅いよ」

話が見えてきた。高垣さんに礼を言い、次の部屋へ向かう。菜々は私と同じく二階の住人だ。
おそらく犯人ではない。今ある情報で怪しいのは四階の住人である姫川友紀だ。

「あー、そうそう。なんか廊下で寝てたんだよねー」

けらけらと笑いながらあっさりと自白する友紀。案の定高垣さんからの部屋を出た後、自室に戻ろう
としたらドアが開かず、そのままドアに寄りかかって寝たのだと話す。後でちゃんと篠原さんに
謝っておけと言い含めて、これで一件落着だ。

「私も悪かったけどさー、廊下が妙に暗かったせいもあるんだよね」
「そりゃ外は嵐だったしね。いつもより暗いでしょ」
「だからだったのかな。うーん、あの暗さはそういう感じじゃなかったと思うけど」

これ以上妙な問題が連鎖しても困るので嵐のせいだと決めつけて、友紀と別れる。これで問題は解決だ。
友紀からも連絡を入れるはずだが、一応報告を頼まれているのでこちらからも篠原さんにメールを
送っておく。三人にも事の次第をメールで送り終え、顔を上げると視界内に変な物が入って来て、
思わず飛び退いた。

「おっと、すまない。まだ操作に慣れてなくてね」
「なにこれ」
「移動する電灯だ」

開発者の池袋晶葉は胸を張る。タイヤのついた箱に電球が並列で付いているだけの電灯というにはあまり
にもあまりなデザインに絶句する。普段意味のわからないようなものを作るのだから、もう少しまともな
形にならなかったのか。

「部屋にあるような道具ではこのぐらいが限界でね」

私の感想が顔に出ていたのか、晶葉が不満げに言う。手元のコントローラーを動かすと電灯歩行機械が
あちらこちらへと機敏に動いている。電球は三つも付いていて、全てつけると昼間だというのに眩しいほど
の光を放つ。これだけの動力をどうやって得ているのか。箱の中からケーブルのような物が伸びているし、
他にそれらしいものはないから動力源は箱の中にある。しかし箱自体それほど大きいわけでもないし、
特にひねりもなく電池が数本入っているだけかもしれない。そういうことにしておこう。

「昨日試運転した時は電気を点けると走行が出来なかったのだが、改良して点けながら走れるよう
 になったんだ。これで万が一停電に襲われても懐中電灯で手が塞がずとも先まで見ることが出来るぞ」

コントローラーで手が塞がるのはいいのだろうか。だが彼女の言葉が私の灰色の脳細胞を活性化させ、
今までバラバラ……でもなく割りと繋がっていたピースをさらに連結させた。

「試運転したのって昨日の夜? 何か見なかった?」
「うむ。ここでやったぞ。何時頃だかは覚えていないが。見たものと言えば……ああ、楓が階段を降りて
 行くのを見たな。どうせ酒のつまみでも探しに行ったのだろうが、雷雨で外には出れないだろうし、
 食堂も閉まっているだろうからあのまま戻ったのかね」
「その電球ってもしかして廊下の電球じゃない?」
「……まぁ少し拝借しただけだ。手持ちになかったものでな。しかしなんだ。何かの調査でも
 しているのか?」
「まあそんなところ。協力感謝するよ。あと電球戻しておきなよ」

晶葉と別れ、階段を降りる。要するに話をまとめるこうなる。

昨晩。友紀と菜々が高垣さんの部屋で飲むことになった。しかし一応JKということになっている菜々が
酒を飲みに行くというのは彼女にとって後ろめたいことだ。そのため階段を登る際に仁奈と会った時
相手は何も知らないと言うのにいつも以上の挙動不審になってしまった。

しばし時間が経過し、高垣さんがつまみを探しに一階へと向かった。このとき、すれ違いで晶葉が
廊下に出て、彼女の姿を見たのだ。その後、電球を外し、試験走行を行った。これを楓さんが目撃。
しかし気にせず、部屋に戻る。

やがて飲みが終わり、友紀と菜々が自室に戻る。晶葉が電球を取って薄暗くなっていた上に、酩酊していた
友紀は部屋を間違え、篠原さんの部屋を開けようとする。当然開かず、そのままドアに寄りかかって寝る。
篠原さんが開けようとしても友紀の重みで開かなかった。そして篠原さんは布団の中で怯えたと。

全てがわかってしまえばなんてことはない。ちょっとした偶然の重なり合いだ。大したことじゃない。
全部これで解決した。解決したんだ。私はそう自分に言い聞かせて、残った疑問を押し込める、

その時、携帯がメールの着信を告げた。先程、問題が解決したことを送った小梅からだった。

「いました」

小梅、芳乃、監修の元、怪しいところ全てに塩は盛られた。盛っている最中、他のアイドルに
尋ねられたが、お盆が近いからと話すとみんな納得してくれた。さらに物影など目立たないところには
歌鈴のありがたいお札も貼っておいた。

その晩。三人とトランプをして過していると獣の鳴き声のようなものが一瞬聞こえた。見に行ってみると
三階廊下の窓の近くにあった盛り塩が黒く変色していた。それを見た芳乃が欠伸をしながら
「明日は探さずに済みましてー」と言ってくれたおかげで私も慣れない緊張をようやく解くことが出来た。

『熱いストーブの上に一分間手を当ててみて下さい、まるで一時間位に感じられる。
 では可愛い女の子と一緒に一時間座っているとどうだろう、まるで一時間ぐらいにしか感じられない。
 それが相対性です』

とある科学者が残した言葉だと教科書に載っていた。それを読んだ私はなるほど、つまり休日は早く過ぎ、
今こうして受けている授業は長く感じるということかと解釈した。それは今でも間違ってはいないと思う。

夏休みという時間はこの言葉の後者にあたり、いつもならば膨大に感じる一ヶ月という時間は夏の暑さに
溶けるアイスがごとく、見る見るうちに消化され、気付けばお盆も過ぎて、夏休みも後半に
差しかかっていた。

アイドルという一般学生よりも忙しい身分である私達は当然一般学生よりも計画的に夏休みを過さなければ
ならない。このようなことは夏休みが始まった当初プロデューサーから耳にタコができるほど
聞かされているはずなのだ。

「たすけて」

部屋のドアを開けると最早本来のキャラを忘れ、手には大量のテキスト類を持った前川みくの姿があった。
目は虚ろ。顔色も青ざめ、ネコミミどころか髪も整えている様子がない。いくら仕事がない本当の休日
だとは言ってもこれは率直に言ってひどい。ひどすぎる。以前試験勉強を手伝った事があるが、それ以上に
ひどい。とてもじゃないがアイドルではない。面倒事は嫌なので何も言わず、ドアを閉めようとしたら
両手でドアを掴まれた。持っていたテキスト類が音を立てて、床に落ちる。

「たすけて」

言葉にも力がないが、手の力はすさまじく引いても、試しに押してみても全く微動だにしない。みくの顔が
隙間から覗ける程度の範囲以上広がりもせず、狭まりもしない。とんでもない圧力を感じる。

「ほかの……」
「たすけて」

言語機能が失われている。交渉の余地はない。私が溜息を吐くと、ドアがゆっくりと開き、口角だけを
上げたみくが落としたテキストを乱雑に拾い上げて、ぬるりと入ってきた。先日幽霊騒動を片付けたばかり
なのに妖怪を部屋に招きいれてしまったみたいで恐怖を感じる。ちなみに先の騒動については誰にも
話していない。四人だけの秘密だ。秘密にすべき案件なのだ。

「なんで計画的にやらないわけ」
「違うの。聞いて欲しいの」

衣服、雑誌、その他部屋に散らばる荷物をを脇のほうに退けて、みくが座って勉強できるだけのスペースを
確保する。私はベッドに腰をかけ、みくの言葉を待つ。

「仕事して……遊んで……気付いたらもうお盆が過ぎてたの」
「何が違うの」
「……なんだろう。なんなんだろうね」

ああ、もうこの子は本当にダメなんだと再確認したところでとりあえず教科書見ながら空欄を埋めるだけ
の歴史の宿題をやらせる。というかこんなのやる意味があるのだろうか。ただ書き写すだけじゃないか。
しかしある以上はやらないといけない。他にどんな宿題があるのかテキストを漁っていると嫌な物を
見つけた。

「ねぇ、読書感想文があるんだけど。本読んだ?」

こちらを見ながら心底何を言っているのかわからないという表情をしている。この様子だと課題図書が
何かすらわかってなさそうだ。候補はリストにされ、載っているがどれもこれも普段本を読まないような
人間は絶対に読まないだろうというラインナップがされている。そもそもにして本を手に入れるところ
から始めないといけないのだが、そこは安心。我がプロダクションには読書好きアイドルがちらほらいる。
おそらく入手はそこまで難しくはない。ついでに内容についても簡単に説明してもらって、それで感想を
書くと言うのも手だ。

「杏チャンは終わったの?」
「杏は結構早めにやっちゃう人間だからね」

衝撃を受けて固まっているみくを放っておいて、他の宿題を見る。大量のテキストを抱えていたものだから、
そんなに出されたのかと身構えていたが、授業中に途中まで進めている問題集を最後まで完遂するというのが
あるので見た目よりも量は遥かに少ない。問題集も答えがあるので丸写しで済む。となるとやはり門番に
なるのは読書感想文。そしておそらくは先生の趣味であろう、星についての考察だ。分類としては地学の
分野だと思うのだが、化学の宿題として出されていることがその事実を裏付けている。

「大体は丸写しで済むみたいだし、杏の出番はそんなになさそうだね」
「杏チャン! 宿題なんだから答えの丸写しなんて良くないよ!」
「じゃあ帰って一人でやってよ」
「丸写し頑張ります……」

虚ろな目で黙々と宿題を進めているみくを眺めながら、化学のプリントを改めて見る。上には教科と宿題
の内容。そして下にはマスメが書いてある。それが一枚だけ。考察しろとは書いてあるが、適当な星の
説明を書き入れるだけで埋まりそうなほどマスメが少ない。こんな宿題出す意味があるのかと思うが
出されている以上はやらねばならんのが学生の勤めなのだ。とにかく埋めるだけなら楽に済むだろう。

星について思いを馳せると実家のことを思い出す。私の生まれ故郷である北海道はこの地に比べて
ビルもないし、車もないし、電車の本数もない。あるのは森と畑とヒグマと愉快な動物達、そして満天の
星空だった。夜になり、ふと窓から見上げた夜空にはいつも星が輝いていたし、それを特別だと思うこと
もなかった。しかしこちらに来てからあのような星空を見てはいない。明るすぎる地上の光が星空を
消してしまっているのだ。時々、あの星空が見たくなる時がある。実家に帰る気にはならないけど。

「杏チャン。いつまでそのプリント見てるの」

みくが恨めしそうに見てくるので、いつの間にか寝ていた体を起こす。

「星についての考察だってさ。何書くの?」
「そんな宿題あったんだ」

この猫娘は本当に、本当に夏休みが始まってから一切宿題に手を付けていないどころか、何があるかも
確認してなかったのか。成績悪化を理由に実家に戻される日もいよいよ近くなってきた。

「星……うーん……。猫についてじゃダメかな」
「ダメでしょ。なんでいいと思ったの」
「うーん……。星とは……アイドルにゃあ!」
「ほう」

夏休みの宿題で頭がオーバーヒートでも起こしたのか。みくが意味不明なことを言い始めたがあえて
止めないで話を聞く。みくは右手でぐっと拳を作り、何もないやや斜め上の天井を見上げる。

「みく達アイドルは夜空に輝く星のように……人々に夢と感動を……その人生に光を……照らすにゃあ!」
「アイドルの責任重くない? 私はお金のために働いてるし。あと芝居っぽくやるのはいいけど、語尾に
 にゃあは付けないほうがいいってプロデューサーにも言われてなかった?」
「杏チャンは流れ星となって燃え尽きればいいよ」
「ひどくない?」
「それよりも宿題にゃあ! はい、これ杏チャンの分」

どさりと渡された数学のテキストを見て、私は今日何度目かの溜息を吐き、みくが実家に戻らないために
と宿題を手伝うのだった。

夏は峠を越えて、少しずつ秋へと向かい始めた。

別に木々の色がとか水の冷たさがとかそういった自然のわずかな差異を感じ取ったわけではない。
そういったことは別のアイドルに任せよう。ただ単純にカレンダーの日付が夏の下旬に差しかかり、仕事
も秋を意識したものが増えてきたというだけだ。

さりとてまだ八月であり、暑さは続く。連日事務所のプールは大賑わいだし、アイスはとてもおいしく
感じられる。そして夏のイベントだってまだ終わっていないのだ。

その事に気付いたのはコンビニの帰り道。今日は浴衣を着た人をよく見るなと思いながら、帰宅すると
女子寮の前に浴衣の集団がいた。私はそのうちの一人のピンク髪のギャルに話しかけた。

「今日は浴衣の人をよく見るけどなんかあるの?」
「ん? 杏か。今日はあっちの川沿いでお祭りがあるの」

そう答えた城ヶ崎美嘉の姿をじっと見る。紺色の布地にピンク色の大きな花の縁取り模様が描かれている。
思ったよりもおとなしい格好だ。

「なに? アタシに見惚れちゃった?」
「いや、全身ピンク色の浴衣じゃないんだなって」
「どんだけアタシをピンクに染めたいのよ」

髪がピンクだしなぁとは言わず、他のメンバーも見る。千枝、仁奈、薫の三人が可愛らしい浴衣を着て、
楽しそうにはしゃいでいる。

「今日は保護者役?」
「そんなとこ。莉嘉と二人で行こうと思ったんだけどね、あの子が他の子をどんどん誘っていって……」
「その本人はどこいったの?」
「みりあちゃんを呼びに行ってる」

美嘉は妹の莉嘉がいるからか、とても年下の面倒見が良い。見た目はピンク髪のギャルだが、中身は
しっかりと姉をしているので、時折こうして年少組の相手をしているのを見かける。

「しかしこれに二人足して五人も面倒見るなんて結構大変だね。人出もあるんでしょ? 祭りだし」
「そうなんだよねー。……ねぇ杏」
「いやだ」

嫌な予感がしたので、言い切る前に断る。しかし美嘉は腰を屈めて、私と目線を同じにして、一歩
近づいて来た。胸元が危ういが、動きが気持ち悪いし、目線も怖いしでそれどころじゃない。

「もしものことがあったら大変でしょ? ね?」
「それは大変だけど……でも杏はこれから部屋に戻ってゲームをするという仕事が……」

また一歩近づく。私は一歩下がる。

「それは仕事じゃないよね?」
「うー……わかったよ。じゃあ保護者が出来そうな暇人を見つけてくるよ」

美嘉はにこやかな表情で私から離れる。結局仕事中でも見ないような圧迫感に押し負けてしまった。年下の
面倒見が良いとは言うが、ちょっと過保護なんじゃないかと思う。

「できるだけ早くお願いね★」
「はーい……」

面倒な事になってしまった。時刻は七時をちょっと過ぎたところ。オフの人は食堂で夕飯を食べて、
ゆったりと大浴場の湯船に浸かるのだろう。私もそうしたい。お祭り会場がどのくらいの広さかは
わからないがおそらくそこそこ歩くだろうし、夕飯を食べたばかりの人間はきっと嫌がるはずだ。
私も嫌だ。そうでなくてもオフに面倒事を頼まれてくれそうな暇人なんているだろうか。
汗もかくだろうからお風呂に入る前。食事も食べる前がいい。なおかつ子供の面倒見の良さそうな
アイドル。そんな奴が。

目の前を神谷奈緒と櫻井桃華が通った。私は無意識に二人の手を掴んだ。

「祭り、行きたくない?」
「はぁ? いきなりなんだよ」
「出店、行きたくない?」
「いや、これからあたしは桃華とアニメを見るんだけど」

どのようなきっかけからか知らないが奈緒は時折桃華とアニメを見ている。櫻井財閥もまさか自分の所の
娘が夜な夜なアイドル仲間にアニメを見せられて、その沼へと浸かり始めていることなど知るよしも
あるまい。奈緒は折れなさそうなので桃華にターゲットを変える。

「桃華、祭り行きたくない?」
「それは……どのような祭りですの?」
「夏祭り。射的とかヨーヨー釣りとか屋台の焼きそばとか。食べたこと無いでしょ?」
「ないですわね……」

悩んでいる。揺れている。アニメと祭りを天秤にかけている。あと一押しなのだが、そもそも私が祭りの
内容を知らない。射的とかヨーヨー釣りとかいったけど、本当にあるのかはわからない。さらにデタラメを
重ねて押し切れば後々面倒だし、ここは何か確実な一手を。

「……アニメだとね。夏祭り回ってたまにあるんだよ」
「……奈緒さん。夏祭りに行きましょう」
「はぁっ!?」

桃華は撃沈した。あとは奈緒だけだ。

「まぁ桃華が行くっていうなら別にいいけど……」

と思ったらあっさりと落ちてくれた。

「それじゃあサイフを取ってきますの。もしかして浴衣のほうが……」
「もうすぐ行くみたいだし、必要最低限の物だけでいいんじゃない?」
「ん? 他に誰か行くのか?」
「うん。外で美嘉達が待ってるよ」

これで私の任務は終わった。私はこれから食堂で食事をとるのもいいし、大浴場に行くのもいい。予定通り
部屋でゲームをするのだっていいんだ。

「杏もその格好だし、あたしも着替えなくていいか」
「いや、私は行かないよ?」
「なんでだよ。誘ったのお前だろ?」
「杏はただ代役探ししてただけだし」
「だったらあたしたちも……」
「お二人とも何をしていますの? 早く準備をしますわよ」

桃華にも話の説明しようと思ったが、見るからに楽しみにしていて、とても口に出せない。横を見ると
奈緒が目線で「諦めろ」と言ってきた。確かにこの桃華に水は差せない。私は引きずられるようにして、
再び寮の出口へと向かった。

「あれ? 杏も行く事にしたの?」
「まあね……」

すれ違いだったのか、既に莉嘉とみりあも揃っていた。総勢九名。結構な人数だ。内訳を簡単に言うと
ハイファイ組と城ヶ崎姉妹と私と奈緒だ。ちなみに莉嘉はみりあを連れて来た後、さらに他の人を誘いに
行きそうだったので美嘉が止めたそうだ。人数を競っているわけでもないし、これ以上増えたらまた違う
大人を呼ばなければならなくなる。

「はい、それじゃあ行くよー。迷子にならないようにね。絶対にはぐれちゃだめだよ。心配なら大人の服
 の裾とか掴んでいいからね」
「まるでお姉ちゃんだ」
「姉だろ」

奈緒の突っ込みを受けながら列の最後尾を歩く。さすがに横には並べないので大体二列縦隊に並んで
目的地の祭り会場へと向かう。さすがにこれだけアイドルが固まっていると通り過ぎる一般人の目を
惹きつけてしまう。先頭を歩く姉妹が目立つのでなおさらだ。しかし声をかけてくる人はいない。
応対しなくて済むので喜ばしい。

「出店はどんな種類がありますの?」

どこかへの電話を終えた桃華が振り向きながら尋ねてくる。

「杏は知らん」
「あたしも知らないけど……川沿いの祭りって花火大会じゃなかったっけ?
 テレビで中継してたりする奴だよな?」

言われて見ればそんなのを見たような記憶がある。ということはかなり大きな祭りなのか。人もたくさん
いるのだろう。私は生きて帰れるのだろうか。少し不安になってきた。

「そうでごぜーますよ! 花火がどぱーって」

桃華の前を歩いていた仁奈がジャンプして全身で花火を表現する。こんな狭い中歩きながらよくジャンプ
なんて出来るなと感心する。これもアイドルとしての特訓の賜物だ。

「上がりやがるんですよ!」
「仁奈は見たことあるの?」
「花火はテレビでしか見た事ねーですよ。やったこともねーです」

地雷を踏み抜いた。桃華と仁奈の横を歩いていた千枝の顔が固まる。多分横にいる奈緒も固まってる。
ここは私がどうにかしなければ。

「じゃあ近いうち、花火でも買って女子寮前でやるか」
「本当でごぜーますか!!」

目を爛々に輝かせた仁奈が私に飛びついてくる。さすがに危ないので落ち着かせ、前を向かせる。今日は
みんなでお祭りに行く事が嬉しくたまらないようで、テンションが高い。

「多分そのくらいならやってもいいと思うしね」
「約束でごぜーますよ!!」
「うん、約束約束」

いくらテンションが高いとは言えど、あまりにも適当に答えているように聞こえたのか、疑いの目を
向けてきたので指きりげんまんをして約束する。そうこうしているうちに周りに人が増えてきて、
いよいよ会場が近くなってきたようだ。

「さっきも言ったけど知らない人について行っちゃダメだからね。はぐれたら迷子センターに行きなよ」

幼少組が元気良く返事をする。しかし九人となるとさすがに固まって歩くのが難しい。

「グループでも分けたほうがいいんじゃない? さすがにこの人数で歩くのは無理でしょ」
「そうだね。それじゃあ莉嘉とみりあちゃんと薫ちゃんはアタシに付いてきて」

美嘉の近くにいた三人が一斉に彼女の浴衣の裾を掴む。

「じゃあ千枝と仁奈と桃華は杏と奈緒だね。そっちのほうが多いけど平気?」
「大丈夫大丈夫★ それにさ、ほら、アタシ目立つし」

なるほど。その通りだ。人ごみに紛れてもまだ見つけやすいだろう。こっちの三人組がみんなして奈緒の
服の裾を掴む。私の服は誰も掴んでない。手持ち無沙汰なので私も奈緒の服の裾を掴んだら怒られた。
夏祭りの開催が書かれた看板が見えた。いよいよ祭りの会場入りだ。

数分後。私は人の波にもみくちゃにされていた。最早進路方向は自分で決めることも出来ず、周りの人間
が行く先に自分の体が運ばれて行く。前を歩いていた美嘉の頭はもう見えない。奈緒の姿も見えないが
かろうじて声が聞こえてくる。年少組が私に付いてなくて大正解だった。

「杏、こっちに来るんだ!」

こっちってどっちだよと思いながら、おそらく声のする方向へと波を泳ぐように進む。すると突然波が
途切れ、屋台の立ち並ぶ通りに出ていた。奈緒と年少組三人も無事のようだ。ただ少し目を回したのか、
先ほどよりもおとなしくなっている。離れてしまった美嘉に連絡を入れておく。この人ごみでは返信も
難しいだろうし、気長に待つとしよう。

さきほど飲まれていた波は花火を観覧するための流れで、あのまま花火のよく見える場所まで続くようだ。
しかしあまりにも人が多いため、立ち止まることは出来ず、決められた順路を歩きながら花火を見ることに
なるらしい。私達のいる屋台の並ぶ通りからも見えなくはないだろうが、ビルが立ち並んでいるのであまり
期待は出来ないだろう。

「とりあえず屋台あるし、なんか食べる?」
「そうだな。腹減っちまったし、焼きそばでも買うか」

気を取り直して、近くの焼きそばの屋台まで行く。ごついおっさんがヘラのようなものを上手に使い、
焼きそばを調理している。値段はちょっと高いような気がするが、いわば祭り価格というものだ。

「三人も食べる? 奈緒が奢ってくれるってよ」
「奢らねーよ」

仁奈と千枝は既に夕飯を食べているということなので、私と桃華と奈緒の分ということで三人分購入する。
作り置きしてあったプラスチックの容器に入った焼きそばを渡される。微妙な温かさが手に伝わってくる。
歩きながら食べるのも難しいので、人のいない場所で立ち食いする。食べたそうにしていたので、仁奈に
一口だけ食べさせていると美嘉から合流は難しそうだから各自楽しもうという旨の返信が届いた。

「それじゃあこっちはこっちで楽しむか」
「そうだね。花火も一応こっちから見えなくもないだろうしね。多分」

焼きそばの容器をゴミ箱に捨てて、次なる屋台へと向かう。休んで元気が戻ったのか、あっちだこっちだ
と年少組に引きずられるように移動する。気付けば夕飯を食べたと言っていた二人もわた飴だのイカ焼き
だのを食べている。奢らないと言っていた奈緒のサイフもどんどん軽くなるし、私のサイフも軽くなって
いく。お小遣いが足りないと嘆く彼女達を見たくはないので仕方ない出費だ。

何店か周り、ようやく腹が満ちたのか、ゆったりと瓶ラムネを飲んでいると金髪のいかにも頭の軽そうな
酔っ払った若い男が近寄ってきた。こちらとしてはあまり無碍には出来ないが、オフなのでこういうのは
御免蒙りたい。年少組をかばいながら、奈緒がキレる前にどうにかしたほうがいいなと考えていると、
見知らぬ浴衣を着た二人組の男性がやってきて、こちらににこりと微笑むと、金髪を両脇から掴んで
連れ去っていった。

「念のために連絡しといてよかったですわ」

桃華がラムネを飲みながら涼しげに言う。そういえば来る途中にどこかへ連絡していたが。

「もしかして杏達見張られてる?」
「こういうのは口にすると気になりますのであまり言いたくはありませんでしたけど……。
 わたくし達ともちろん美嘉さん達の身の安全は保障しますわ。櫻井家の名にかけてね」

さすがは櫻井家だ。それ以上深くは詮索しないでおく。

緑色のブサイクの仮面を買ったり、当たりと繋がっているか怪しいひもクジをやり、輪投げを外し、
次なる屋台へとはしごする。今度は射的のようだ。とりあえず年少組にやらせて見るがてんで的に
当たらない。銃身が曲がっているのか下手なのか。代わりに奈緒がやってみるがやっぱり当たらない。
お鉢が回ってきたので仕方なく銃を取る。テーブルに置いてみるが、銃身は曲がってなさそうだし、
コルク弾を詰める時、銃口にも注意を払ったが歪んでいるようには見えない。試しに一発撃ってみると
台の上にあった花火セットに当たり、呆気なく倒れた。単純に下手だったようだ。

四人に褒められて鼻の下を伸ばしていると千枝が

「コツを教えてください!」

と頼みこんできた。念入りに色々調べたり、一発で当てたりしているが射的など初めてだ。コツなど
知らない。一応そう言ったのだがなぜか妙にやる気を出していて、それでもいいのでと言うので
私がやったときと同じように無理に手を伸ばすのではなく、台にしっかりと腕を置き、銃を固定して
目標を銃の先に見据えて撃つように言うと、拳大ほどの兎の人形を見事に撃ち抜いた。私よりもセンスが
いいじゃないかと褒めると「これで大人に近づけました」と喜んだ。どんな大人になりたいんだ。

次の屋台のヨーヨーつりでは年少組の活躍は目覚しく、あっという間に人数分以上の数を釣り上げた。
奈緒だけが坊主だったので年少組に指導をしてもらっていると、大きな音と共に空が明るくなった。
見上げるとビルの谷間から色とりどりの光が見える。奈緒はヨーヨーを自力で釣るのを諦めて立ち上がった。

「やっぱりあんまり見えないね。花火観覧のあの群れに混ざる?」
「うーん……仁奈はどうしたい?」

奈緒がおそらく一番花火を楽しみにしていたであろう仁奈に尋ねる。仁奈は遠い目をしながら。

「もうあれはこりごりでごぜーますよ……」

と言うことなので、ここで見る事にした。花火が上がるたびに歓声があがる。周りを見るとみんなが一様
に空を見上げている。どうにも不思議な光景だ。その中に見覚えのある顔があった。黒川千秋と佐城雪美
だ。二人とも浴衣を着て、手を繋いでいる。髪型も似ているので知らぬ人が見れば、姉妹にも見える。
こちらの視線に気付いたのか、二人が近寄ってきた。

「こんばんは。二人も来てたんだ」
「ええ、佐城さんが見たがっていたから。杏こそ珍しいわね」
「成り行きでね。でもここからでいいの?」
「佐城さんは人ごみは好きじゃないの。まさかあんな人がいるとは思わなかったわ」

当の本人はこちらの話など気にせず、ずっと空を見ている。他の年少組よりも幾分無表情で、その感情を
読み取るのが難しい彼女ではあるが、今は目を輝かせ、夢中で楽しんでいるのがわかる。私もそれに倣い、
空を見る。どこかからか「玉屋」「鍵屋」というお馴染みの掛け声が聞こえてきた。
するとまた一つ、大輪が空に咲いた。

後日、女子寮の前で花火をすることになった。仁奈にはこの前の花火大会ほど期待しないようにと釘を
刺しておいたのだが、当日。話を聞きつけた一部のアイドルがどこからか花火をダンボールで買って来た
ため、女子寮前はちょっとした花火大会の様相になった。一部アイドルが酔っ払ったり悪ふざけで花火を
振り回していたが、まともな大人組によってすぐに粛清されていた。

夏休みが終わるといよいよ秋になってきたと実感する。まだまだ暑いし、木々は緑だが夏は終わったのだ。
きっと海にはクラゲがうようよいるし、海の家は営業していない。コンビニに並んでいた花火もどこかに
消え、おでんの売り出しが始まる。最近は夏でもやっているけれど。

こちらの夏休みは地元よりも少し長く、八月いっぱいが夏休みだ。最初は儲けものだと思っていたが、
過ぎてみればあっという間だし、冬は少し短いらしい。冬の間だけ地元に帰るなんてことも一瞬考えたが
面倒だし、女子寮から離れるのも嫌なのでやめた。

女子寮から離れるのが嫌だ。そんな考えが私の中にあることに今はもう驚くこともない。アイドルの仕事
だって悪くはない。働かずに済むならそれが一番だが、働かざるを得ないならば私はアイドルとして
頑張ろうと思える。スカウトされてから幾星霜。季節だけではなく私も変わったのだ。しかし変わらない
ものもここにある。

始業式を終えて、学校から戻り、スケジュールの確認をする。今日は間違いなく何もない日だ。いつも通り
冷暖房で適温に設定して、部屋着に着替え、ゲームをやる。しかし時計を見る事を忘れない。学校が
始まったという精神的負担を少しでも回復させるためにアレをやるのだ。私はいつも以上に時間を気に
しながら暇を潰した。

夕方近くになると、私は入浴セットを持って、大浴場へと向かう。女子寮を離れたくないと思う理由は
いくつかあるがその一つが間違いなくこの大浴場だ。名前に恥じず、サウナと露天風呂はないものの
水風呂とジャグジーと何十人もが一斉に入れるような大風呂はあるという素晴しい設備だ。利用時間は
決まっており、夕方から日付が変わるぐらいまでしか利用は出来ない。万が一入り損ねても部屋には
ユニットバスが備えられているので問題はない。大浴場もプールも社長が自ら提言して作られたのだ。
会った記憶はないが、とりあえず深く感謝している。

大浴場が開放されると私はいの一番に入り、普段は仕事でも見せないような俊敏さで髪と体を洗うと、
湯船に入る。そして誰もいないことを改めて確認してから、結んだ髪を解き、全身脱力して湯船に浮かぶ。
これが私の密かな楽しみであり、誰にも言えない秘密。そして私の体型が変わらない故に出来る芸当。
次の人が入ってくるまでの時間、私は至福に包まれるのだ。

脱衣所のドアが開く音が聞こえた。私は素早く起き上がり、髪を湯船の外で絞りながら、素早く結ぶ。
夏休みの間、普段よりもアイドルがいたのでこれをやる機会はなかった。今日も多くの学校は始業式だけ
だろうし、出来てもあまり長くは出来ないと予測はしていたが残念だ。しかし誰が入ってくるのだろうか。

果たして入ってきたのはきらりだった。この時間に見るのは初めてだ。

「やっぱり杏ちゃんいた!」

その言葉にぎょっとなる。なぜここにいるのがわかったのだ。私が一番に風呂に入っていることを知って
いるアイドルもいる。例えば運動を終えて汗を流しに来た運動好きや夕飯前にみんなでお風呂に入る年少組
が主だ。周りに広めるような話でもないはずなので、知っている人間はとても限られる。

しかしここで臆面に出してはいけない。私の秘密までが知られているわけではない。もしもここで妙な
反応をすれば、一番風呂をする後ろめたい理由があるのかと疑われてしまう。きらりはそういった人の
機微に対して大変敏感だ。あくまでも私は実は一番風呂が好きだったんだよという風で通さなければ
いけない。平常心だ。

「なんで杏がここにいるって知ってりゅの?」

もうだめだ。おしまいだ。

「たまにねー杏ちゃんが夕方になると大浴場のほうへ行くのを見てたの!」

まだ助かる。

「そっかー。知ってたのか。私が実は一番風呂が好きなのを」
「そうだったんだねー」

助かった。もしもあの秘密を知られたら、すっぽんぽんで髪も解いて浮いていることを知られたら森久保
乃々ではないが恥かしくて死ぬところだった。さすがにきらりとは言えど、知られたくはない。

髪を洗うきらりをじっと見る。私もだがきらりも結構髪の量が多いから、洗い終わると後ろで結び、湯船
に髪がつかないようにしている。ちなみに私は長すぎるので、普通に後ろで一回結んだだけでは間に
合わず、崩れた団子のようなものを作っている。

「それで私に何か用なの?」

体を伸ばして、気持ち良さそうに肩まで浸かっている彼女に尋ねる。

「うーん、用事……きらりが用事って言うよりもー」

ちらりと流し目でこちらを見る。湯船に浸かってリラックスしているせいか、いつもと雰囲気が違い、
思わずドキリとしてしまった。

「杏ちゃんがきらりに用事があるかなーって」

確かに用事はある。後で携帯で連絡しておこうと思っていたことだ。今ここで伝えれば手間が省けるわけ
なのだが、どうにも正面から言うのは恥かしい。きらりは時々私の事を見透かし、そしてこういう風
にちょっとだけいじってくる時がある。

「……今夜、日付が変わる少し前。杏の部屋に来てくれるかな」
「……うん」

いつものようににょわにゃわ言ってくれればこっちも普段通りなのだけれど、頬を赤くしてしおらしく
されるとこっちの調子まで狂ってしまう。なんだかきらりに釣られて、私の顔まで赤くなってきた気が
する。

「にょわー! もう無理ー! 杏ちゃん先上がってるね!」

大きな音と波を立てて、きらりが撤退していった。普段と違う調子だったのは単に上せただけだった
ようだ。私の無駄に削れた精神力を返して欲しい。

きらりが出て、少し経ってから私も上がる。髪をタオルで乱暴に拭きながら、きらりが入れば代わりに
やってくれただろうと思ったが、既にいないのだから仕方ない。なかなか乾かない髪をドライヤーで
とかし終え、部屋に戻る。あとは夕飯を食べてその時間を待つだけだ。部屋の片隅に置いた真新しい
紙袋を見て、ベッドにごろりと転がった。

控えめにノックが鳴る。時計を見ると日付が代わる五分前だった。いつもは鍵を開けて、勝手に
入ってくるのだが今日はそうしないので、私が出迎える。

「こんばんはー」
「うん。入って」

大きな袋を抱えたきらりを部屋に招き入れる。先ほどと同じようにきらりはいつもよりもおとなしいが
時間が時間なのでそれを配慮しているのだ。

「杏ちゃーん……人が来るってわかっているときくらい部屋を片付けてー」
「そんな長居するわけじゃないし、別にいいでしょ。ほら、ベッドにでも座って」

口を尖らせているきらりを座らせて、部屋の片隅にあった紙袋を手に取る。

「はい、プレゼント」
「むぇー」

妙な鳴き声を上げながら、手で大きくバツを作る。どうやら気に入らないようだ。仕方ないので背筋を
伸ばし、深々とお辞儀をしながら紙袋を差し出す。

「こちらが献上の品物となっております」
「もう。ふざけてると日が変わっちゃうー」

確かにもう少しで日付が変わってしまう。私は諦めて、紙袋を普通に差し出した。

「誕生日。おめでとう」
「うん。ありがとうだにぃ」

きらりが紙袋を満面の笑みで受け取る。プレゼント用に包装されたそれをすぐに紐解かない。一度それを
脇に置き、自分の持ってきたプレゼントを両手に持つ。二人で置時計をじっと見つめて、全ての針が
重なるその瞬間を待つ。

そして日付が変わった。

「杏ちゃん。誕生日、おめでとう」
「……ありがと」

私ときらりの誕生日が連日であることを知ったのは私がきらりといることが多くなってから、少し経って
のことだった。元々私は人に自分の誕生日を話すことはなかったし、きらりの誕生日を知ろうとも
思わなかったので、その事に気付けたのは限られた人間だけだった。偶然きらりが誕生日を祝ってもらって
いるのを見て、私はその事を知ったのだ。それから随分と経ってから話の種になんとなくその事を話したら、
きらりは何故話さなかったのかと怒り、その偶然を喜んだ。私自身、誕生日を祝ってもらいたいから
そのような話をしたわけじゃなかったが、きらりの様子を見て、これは祝われるだろうと確信した。

その次の九月一日。今日と同じように日付が変わる前にやってきた彼女は、今日と同じように私から祝福の
言葉を半ば無理やり引き出し、日付が変わると私に祝福の言葉とプレゼントを渡してきた。さすがに
後ろめたさのようなものを感じた私は後日、きらりにプレゼントを渡した。それ以来、私ときらりの
誕生日の密会は続いている。いつも私から連絡するのは物臭な私がきらりの部屋に行く事はないので、
それを見越して部屋の主である私から連絡しているだけだ。毎年やるわけだから連絡などいらないと
思うのだが、これもきっと大切な事なのだ。

渡し終わったので、お互いにプレゼントを開ける。縦長の袋から出てきたのは目がギョロついてて、舌を
出している魚のぬいぐるみだった。

「これサバオリくんじゃん」
「きゃわうぃーお人形だゆ☆」
「そうかな……?」

きらりの美的センスは置いといて、ぎゅっと抱きしめるなかなか心地が良い。私のぬいぐるみと違い
サイズが大きいので抱き枕に出来そうだ。一方、私がきらりに上げたのは髪留めだ。普段きらりが
つけているような奇抜なリボンや小物も考えたのだが、結局目に付いた見覚えのあるウサギのついた
シンプルなものを選んだ。

「このウサギ……杏ちゃんのウサギだにぃ」
「いつの間にかこんな商品あったんだね」

すぐに付けるかと思ったが、大切そうに紙袋に仕舞い、立ち上がった。お互いのプレゼントの感想は
言いあったので密会はこれでお終い。明日も学校があるのでお互いに寝なければならない。帰るきらりを
玄関まで見送る。そこで私はきらりを呼び止め、疑問に思っていた事を尋ねた。

「毎年これやってるけど、普通に昼間に渡しても良くない?」

きらりはそれを聞いて、きょとんとする。

「だって昼間は杏ちゃんが恥かしがって、きらりにプレゼント渡せないゆ。
 きらりも杏ちゃんの誕生日を一番最初に祝いたいから一石二鳥だにぃ」

確かに人前では私はプレゼントを渡せない。こういうのは私のキャラじゃないからだ。深く頷いていると
きらりは言葉を続けた。

「それにこんな偶然だもん。普通に祝うなんてなんだか勿体無いにぃ」

そう言い、きらりは笑う。お互いの誕生日が続くという特別な日だから特別に祝いたい。そこにきっと
深い意味はないのだけれど、でもきらりがそれを嬉しく思うのならそれでいいのだろう。私だって満更
ではないし。もちろんそんなことは言わない。恥かしいし。ドアを開けて、きらりが最後に私に言う。

「杏ちゃん。来年も待ってりゅ」
「うん」

私の答えを聞いて、きらりは満足そうにドアを閉めた。一人になった私はプレゼントされた魚のぬいぐるみ
を抱きしめて、ベッドに転がる。来年はどんなものをプレゼントしようかと気の早いことを考えながら、
静かに眠りに就いた。

季節が移ろい、世界は変わって行く。しかし私達は変わらぬ歳を重ね、この女子寮にいる。

以上。
途中相対性理論が崩壊しています。すみません

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モバP「家篭綺譚」
前作
モバP「春家秋冬」

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