古風な愛 【原著:星新一 ・ ごちうさ訳】 (26)

香風智乃は美しい少女だった。
少女といっても、初夏の樹のようにはつらつとした感じではなかった。
月の光で虹ができるものなら、それに似ているといえよう。
どことなくすがすがしく上品で、そして清らかだった。


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私がはじめてチノちゃんに会ったのは、まだ少し寒い春のころ、彼女の実家であり喫茶店のラビットハウスでだった。
家の玄関ではなく喫茶店に入ると、出迎えてくれたのが彼女だった。

「いらっしゃいませ」

「うっさぎ、うっさぎ~……、ウサギがいない!?」

彼女は怪訝な表情をしていた。
わたしが崩れた感じの服装をしていたら、彼女は警戒して冷たくあしらったことだろう。
しかし、わたしはちゃんとした服装をしていた。
そして、彼女が話に乗ってきてくれれば、あとの運びには自信があった。

わたしは、今日から居候になることを話した。
名前くらいしか聞かされていなかったらしく、少し戸惑いながらも飼っている兎と一緒に自己紹介をしてくれた。


その後、アルバイトをしているリゼちゃんに加えて、私も喫茶店で働くことにした。
チノちゃんは少し人見知りをするらしかった。
それでも、わたしが明るく振る舞うと、少しずつ受け入れてくれているようだった。
ラビットハウスをもふもふ喫茶に改名しよう、なんて冗談を言ったら、彼女は面白そうに笑ってくれた。
すなおな美しい笑いだった。

その日は一緒に晩御飯を作った。
そのあいまに、チノちゃんは父について話した。
今は喫茶店とバーのマスターで、そとではクールな顔をしているけれど、家ではとてもやさしいんですと言った。




夕食の後は、一緒にお風呂に入って、チノちゃんの部屋で髪を乾かしてあげた。


「この街、とってもすてきだね。これから楽しく過ごせそう!」

「そうですか」

「これからいろんなことをしようね。もし街の外へ行きたかったら、私が連れて行ってあげるよ」


わたしはチノちゃんを抱きしめた。
彼女は、父の許しが出たらと答えた。
いい家庭における育ちのよさを感じさせる言葉だった。

ある休日の朝に、わたしはチノちゃんを散歩に誘った。
彼女は休日はもっぱら、喫茶店で働くか、ボトルシップを作るなど一人で過ごすことが多いようだった。
散歩しながら、この街のことを教えてもらった。
昔は職業ごとに家の色が違っていたと言うので、わたしが将来はピンク色の家のパン屋さんになるのかと話すと、チノちゃんは少し驚き、また嬉しそうな顔をしていた。
買い物をしているリゼちゃんとすれ違い、アルバイト中のシャロちゃんからクレープを買った。
千夜ちゃんがあんこを連れ帰るのを見送り、野良ウサギと戯れていると、チノちゃんの友達のマヤちゃんとメグちゃんや小説家の青山さんに会った。

こうして、チノちゃんの周りにはいつしか人が増え始めていた。
わたしに友達ができれば、積極的にチノちゃんに紹介した。
また、わたしは一人のときには本を読んだ。
ふさわしい話題の種を補充しておかねばならないのだ。
また、物置で手品の道具を見つければ、早速説明書を読んで披露したりもした。
帽子から出てくる花の勢いを見誤り、あごに直撃したときには彼女は呆れた顔でくすくすと笑っていた。


チノちゃんと一緒に、たくさんのことを話して、たくさんのことをした。
はじめのころは照れてそっぽを向かれてしまうこともあったけれど、次第にすなおに笑ってくれるようになった。
そして、年上の友人への好意が少しずつ愛に変わってきつつあるのが、わたしにもわかった。

それから私が高校三年になった春のある日、いつもの公園を散歩しているとき、チノちゃんは何度もためらったあげく、わたしにささやいた。


「愛しています」

「わたしだってそうだよ」

「結婚したいです」


彼女はぽつりと言った。
これだけ口にするのに、心の中でどんなに努力をしたことだろう。
声には動悸の激しさが含まれ、美しい顔はこわばっていた。


「わたしもだよ」


わたしが答えると、チノちゃんの顔にうれしさが一杯にひろがっていった。


「本当ですか」

「本当だよ。だけどね、ちょっと……」


わたしが言葉を濁すと、チノちゃんは心配そうにわたしを見つめた。

「なにか困ったことでもあるんですか?」

「問題と言えるかどうかはわからないけど、故郷にいるわたしの両親のことなんだ。
理解はあるし、だからこそ実家を離れることもみとめてくれたんだけど、やっぱり芯は古風なんだと思う。
ひとつだけ約束をさせられてしまったの。
わたしもまた、その約束だけはまもりたい……」

「どんなことなんですか?」

「かけおちみたいな、やましい結婚だけはしないでほしいって言われたの。
相手の家からも祝福されるような結婚をしてほしいと。
いなかの旧家だから、言うことが古風なんだよ。
おかしいかな」

わたしの説明の途中から、チノちゃんははればれとした表情になった。

「おかしくありません。
そんなことなら古風な方がいいじゃないですか。
私、もっと難問題なのかと思ってしまいました。
大丈夫です。
父も賛成してくれます。
私のお願いなら、なんでも聞いてくれるはずです……」


安心感と幸福感で茫然となったためか、チノちゃんはわたしにもたれかかってきた。
わたしはそれを受け止め、抱きしめた。
彼女のからだは、力をこめたらこわれそうな、ガラスの芸術品のようだった。

それからしばらくすると、彼女の顔はやつれ、見違えるように変わっていった。
わたしが聞くと、彼女はため息とともに言った。

「父に何度か話したんですけど、いけないと……」

「もっと、詳しく教えて?」

「私、どんなにココアさんを愛しているかを真剣に説明したんです。
でも、みとめてもらえませんでした。同性との結婚は許さない、と。
いままで、ほかのことでは、あんなに物わかりのいい父でしたのに……」


チノちゃんは泣き、すぐに家を出て一緒に暮らしたいと言った。
わたしは、それは困るし、だいいち軽率だと言った。
長い間話し合ったあげく、二人でそろってたのんでみようということになった。

チノちゃんのお父さんは、わたしが話し始めると、気難しく顔をしかめて言った。

「言い分はわかっている。そのことについて話し合うことはない」

とりつくしまがない口調だった。
わたしは反論した。
同性での結婚は条例で許可されているし、近所にもそういった女性達はいる。
郷里の家だってちゃんとしている。


しかし、いくら言っても、耳に入らないかのようにチノちゃんのお父さんは表情を変えなかった。
わたしは引き上げた。

チノちゃんは父とわたしの板挟みになって、ますます悲しそうに、苦しそうになっていった。
やけを起こすような性質ではなく、まじめに考え、何とか方法を見つけようとしていた。
しかし、方法は無かった。

父親にたのみ、そのたびに拒絶されているせいか、チノちゃんは痛々しいまでに弱ってきた。
悩みつづけ、気力も弱ってきたようだった。


「私、死にたいです」


思い詰めた、鋭い一本の光のような口調だった。
いっしょになれないのなら、生きていてもしかたがないと言った。


「チノちゃんに死なれたら、わたしだって生きていられないよ」


とわたしが言った。
彼女が、ココアさんは死ぬことなんてありません、と言うかと思ったら、それは言わなかった。
彼女の表情は明るくなった。


「それ、本当ですか」

「うん、本当だよ」

それからは、二人で話すときは死の話ばかりをした。
わたしといっしょに死ぬことを考えると、彼女は楽しくなるらしく、動作もいきいきとしてきた。
それがいかにすばらしく、美しく、幸福なことかを、くりかえして口にするのだった。


わたしたちは話し合ったあげく、その場所を相談した。
わたしは海の近くがいいと言ったが、彼女は湖のある高原がいいと主張し、わたしはそれに賛成した。
そして、出かけた。

景色のいいホテルだった。
部屋の窓からは、湖だの、森だの、遠い雲だの、すがすがしいものばかり見えた。


わたしは一日のばそうかと言ったが、チノちゃんはすぐのほうがいいと言った。
そして、鞄から薬の入ったビンを取り出した。
とてもうれしそうだった。
ビンの中には、二人を永久に結び付ける力がこめられている、そう信じているからだった。

チノちゃんはビンから錠剤を出し、手のひらにのせた。また、わたしの手のひらにも半分をのせてくれた。
彼女はためらうことなく薬を口にいれ、目をつぶってコップの水を飲んだ。


そのあいだに、わたしは薬をポケットに移し、水だけを飲んだ。
このことは何回も練習してきたため、うまくできた。
少しぐらいうまくいかなくても、わたしを信じ切っているチノちゃんは疑わなかっただろう。


チノちゃんはゆっくりと目を開き、まっすぐにわたしを見つめた。
すばらしい目だった。
すみきった、美しい、幸福感にみちた目だった。
わたしにはとても正視できなかったが、全身の力をふりしぼってそれをやった。
とても長い時間が流れた。

「眠くなってきました……」


と彼女が言った。わたしの頭はさえきっていたが、やはり同じように言った。


「わたしもだよ」

「これで、わたしたち天国へいっしょに行けますね」

「そうだよ、もうすぐね。そして、もう二度とはなれることはない……」

「きっと、母も祖父も待っています……。
すてきです。
わたし、父をうらんだこともありましたが、いまはうらみません。
こんなしあわせなことになれましたから……」

薬が効いてきたのか、彼女の声はかすかになり、目を閉じた。


「……わたしをしっかりと抱いていてください」


わたしはやさしく抱いた。
やがて呼吸がとだえがちになり、そのうち二度としなくなった。
からだが少しずつ冷えていった。



わたしは抱きしめ続けた。
このからだのなかの心で、わたしを愛し続けてくれたのだ。
この頭のなかで、わたしとの天国への旅を最後まで描き続けていたのだ。
そう思うと、手をはなす気になれなかったのだ。
チノちゃんの顔は、いつまでも美しく、しあわせそうだった。

しかし、わたしはなすべきことに気づき、ポケットの薬をビンに戻し、ドアから飛び出して大声をあげた。
かけつけてきたホテルの係に、ちょっと外出したあいだに薬を飲んだらしい、と告げた。
ホテルじゅうにざわめきが波紋のようにひろがっていった。



わたしは警察で調べられたが、間もなく帰ることを許された。
彼女を殺さなければならない原因はなにもなく、殺して利益になることもありえないからだった。

わたしはチノちゃんの家に帰り、自分の部屋に閉じこもり、コーヒーを自分で淹れて飲んだ。
ほかに何もする気になれなかった。

ドアの方で訪問者のけはいがした。
わたしが応答しないでいると、客は勝手に入って来た。
チノちゃんの父親だった。彼は沈痛な表情と絞り出すような声で言った。


「私の気持ちを察してほしい」


わたしはなにも答えず、ただうなずいた。
しばらくの沈黙のあと、こんどはわたしが言った。


「わたしの気持ちも察してください」


こんどは相手がうなずき、だまったままだった。
彼はまた、ぽつりと言った。


「私を残酷な父親と思うか」


わたしは首を振り、同じように言った。


「わたしは残酷な女なのでしょうか」


相手は大きく首を振った。
それから、ポケットから封筒を出してわたしにさし出した。

「これでいいんだ。
これは、受け取りたくないかもしれないが、受け取ってほしい。
少ないかもしれないが……」


わたしは簡単にお礼を言っただけだった。


「ありがとうございます」

「ありがとうと言うのは、私の方だ。
チノのからだについて、医者から診断を聞かされたときは、覚悟していたとはいえ、それでも信じられない思いだった。
妻と同じ遺伝性の病気が進行し、あとわずかしか命がもたないとは。
だが、それはどうしようもない事実だった。
わたしは悩んだあげく、最愛のひとり娘に最高のおくりものをしようと思った。
恐怖のない、たのしい、美しい死を……」

「あなたをうらむことなく、しあわせで、清純な死でした」


わたしはそれだけを言った。
また、その通りでもあった。

「すべてきみのおかげだ。お礼の言いようがない」

「いいえ、あなたの思いつきに従っただけです。深い愛がなければ思いつけない……」

それだけ言って、わたしは黙った。
この父親に言うべき言葉を知らなかった。
彼の方でも、これ以上わたしに言うべき言葉を思いつかなかったのだろう。
だが、彼は無理をして、つぶやくように言った。

「チノほどしあわせに死んだ者は、世の中めったにいないだろうな」


そして、苦労して笑おうとしたが、それのできるわけがなかった。
わたしも同様だった。
わたしのからだじゅうが涙で波打っているようだった。
だが、目からが流れ出してこなかった。
おそらく、相手も同様なのだろう。

―了―

青山「というお話はどうでしょうか~」

ココア「わたしなら、お医者さんになってチノちゃんを治して結婚する、完璧なハッピーエンドを目指すよ!!」

ティッピー「わしをさりげなく殺すな!」

チノ「私はココアさんに愛してるなんて言いませんし」

ココア「おや? 『思ってませんし』じゃなくて『言いませんし』ということは、脈アリかな?」

チノ「揚げ足とらないでください。ココアさんは仕事してください」

ココア「は~い」

青山「書き直しですかね」

チノ「……」

チノ「あの、よければ一部いただけませんか」ヒソヒソ

青山「ふふ、いいですよ。後日コピーを差し上げます」

チノ「ありがとうございます!」

ティッピー(チノ的にはアリなんじゃな……)

おしまい

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