モバP「日常の一コマ」 (25)

短編集
1.夏のきらめき(神谷奈緒、若林智香)
2.気持ちを掬って(的場梨沙、輿水幸子)
3.世界レベルと個人レベル(ヘレン)
4.ススメ大人への道(日下部若葉、佐々木千枝)

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1.夏のきらめき

 恨めしそうな目も実に可愛らしい。俺は見当違いな感想を抱きつつ、奈緒の持つ企画書に視線をやった。

「どういうことだよこれ! なんであたしの名前があるんだ!?」

 奈緒の声がプロデュース室に木霊する。昼休みということもあって、部屋には俺の他にプロデューサーがひとりいるだけ。しかもそのひとりは奈緒のプロデューサーで、俺の後輩である。

 いくら騒いでも問題はないのだが、元気だなぁと思ったり。歳を実感してすこし落ち込んだ。

「いや、夏だし水着の企画があってもおかしくないだろ?」

「そーだけど! ……いや違うって、あたし! なんであたしの名前があるのかって訊いてるんだよ!」

 右手に掴んだ企画書をぐいっとこちらに押しつけてくる。俺はそれを受け取り、んーと唸る。なんでって言われても難しい。見てみたいからは理由にならないのだろうか。

 企画書は学校のプールを借りた、水着の撮影についての内容だ。直談判しにきている神谷奈緒の名前と、俺の担当である若林智香を含む数名のアイドルの名前が記されている。社内でもいくつか水着の企画はあるから、奇を衒うかと考えてみたが、こうも反対されるとは。

 ため息をつく。もう企画は通してしまったし、変更手続きは面倒だ。まあ、やめろと言わないあたり、奈緒も理解しているのだろうけど。

「そりぁなあ、お前のプロデューサーに許可もらったからとしか」

 奈緒は俺の左斜め前の方に座る、担当プロデューサーに顔を勢いよく向ける。ウェーブのかかった背中に届く長い髪が視界を舞った。こちらからは見えないが、きっと睨みつけていることだろう。後輩は露骨に視線を逸らしていた。

 と、そのときドアが開いた。ひょっこり部屋に入ってきた智香は、腰に届きそうなポニーテールをゆらゆら揺らして、こちらに歩いてきた。人懐こい笑顔に癒される。

「どうかしたんですか?」

「奈緒に水着の撮影が嫌だって抗議されてね」

「奈緒ちゃん、水着がイヤなの?」

「仕方がないよ。無理強いはできない」

 わざとらしく困ったように言うと、間髪入れずに奈緒は吠えた。

「ちげーよ! 水着が嫌なんじゃねーよ、いや、恥ずかしいけどさ……そうじゃなくて、なんで競泳水着なんだよ!」

 才能溢れる突っ込みだった。このプロダクションでは貴重な人材だ。基本ボケが多すぎるんだよここ。

「学校のプールだからな。競泳水着はむしろ自然じゃないか?」

「問題はそこじゃない!」

 突っ込みがいるとこうも楽しいとは。ただ、ちょっとからかい過ぎたか。ふーふーと息を荒げる奈緒を見てちょっと反省。俺は真面目な表情を作る。

「ごめんごめん、ちゃんと答えるよ。親近感を持ってもらうためだよ。学校のプールは誰でも一度は経験することだろ? イメージしやすいんだ。だから競泳水着を着て撮影することで、少しだけ身近に感じてもらいたいんだよ」

 もちろん、売り出し方には様々な方向性がある。触れがたい遠くの存在として売り出すのも十分ありな戦略だ。神秘性や妖艶な雰囲気が人気に直結する場合も多々ある。

 ただ、奈緒や智香みたいな、比較的明るく可愛らしいアイドルには親近感を押し出した方がいいと考えている。遠ざけてしまうと、彼女たちのポジティブな魅力が伝わりにくくなってしまうから。

 奈緒は困ったみたいに眉を寄せた。

「……まあ、そうかもしれないけどさ」

「本当に嫌なら無理しなくていいよ? 今ならまだ間に合うから」

「いや、うーん、嫌とは言わないけど……。智香はいいのか?」

「うん! アタシはちょっと楽しみだなって。ほら、仕事で学校のプールってちょっと新鮮じゃない?」

「でも、水着、あれじゃん……」

「うーん、そうだけど、プロデューサーさんが折角考えてくれた仕事だもん。ちゃんと意味があるって思うから」

 えへへ。照れくさそうにはにかむ智香は、やっぱり可愛くて、この魅力は近くにいた方が伝わると実感する。ちょっとだけ罪悪感も湧いたけれど。

 智香は胸の前で小さくガッツポーズ。

「奈緒ちゃんも嫌じゃないければ一緒に頑張ろうよ! アタシ応援するから! ね?」

 純粋な言葉に、奈緒はあーもうとやけくそ気味に頭をガシガシと掻いた。

「わかったよ! やるよ、やればいいんだろ!」

「やったー! 一緒にがんばろうねっ」

「オ、オゥ。でも、智香だって他人事じゃ」

 と、ここでネタばらしされても困るので、俺は奈緒の言葉を遮るようにまあまあ、と口を開いた。

「とにかく奈緒は参加でいいんだな? 無理強いはしないぞ」

「うん、プロデューサーの顔も立てないとだしな」

「ありがとう。あいつに飯でも奢ってもらえ」

「ああ、そうするよ」

 飛び火した後輩はビクッと肩を跳ねさせてから、がっくりと項垂れた。我関せずなんてさせてやらない。俺は性格が悪いのだ。

 燦々と降り注ぐ陽光は、時折吹く熱気に近い風に揺れる、青いプールに拡散してきらきらと輝やかせた。

 夏らしい、絶好の撮影日和。塩素の香りに懐かしさを覚えながら、奈緒は競泳水着、智香にはスクール水着を着てもらって撮影は始まった。

「奈緒ちゃん可愛いですね!」

 パラソルを用意して日陰を作り、俺と智香、後輩と三人で奈緒の撮影を眺めていた。他のアイドルたちは順番が来るまでクーラーの効いた教室に待機してもらっている。

「ああ、いい感じだな。やっぱり普通の水着と違った魅力があるよなぁ」

「あー! なんかイケナイ視線ですよそれ! それにほら、アタシにだって引き締まったくびれと太ももあるんですから!」

「ん、智香も十分魅力的だよ」

 満足そうに智香は笑う。ちょっと背徳的な感じがいいですね。口にはしない。

 しばらくして奈緒の撮影が終わる。ため息混じりにこちらへやってきた奈緒は、智香に向けて軽く手を挙げた。

「次、智香だって」

「うん、行ってくるね」

「あっ、待って」

 歩き出そうとする智香を、俺は引き止める。これがなければ始まらないだろう。閉じて置いていた段ボールを開封し、中から赤いランドセルを取り出して、智香に渡した。

「これ背負って」

「はい?」不思議そうに首をかしげる智香。「えっ、あのランドセル?」

「だから他人事じゃないって言ったのに……」

 呆れる奈緒を無視して、俺は微笑む。

「いってらっしゃい」

「ええぇぇ!! 聞いてませんよ!?」

 カメラマンから名前が呼ばれて、智香は混乱したまま歩いて行った。困惑と羞恥から普段とは打って変わって自信なさげな智香は、いつもと違う魅力に満ちていた。

「後輩よ、夏はいいな」

「はい、夏はいいですね」

「はあ……」

 夏のきらめく水面に、赤いランドセルはよく映えていた。

「プロデューサーさん!! 恥ずかしいですよー!」

2.気持ちを掬って

 バターンっと騒々しくドアは開かれ、バタバタと俺のデスクに駆け寄ってきた彼女は、バシーンっと書類をデスクに叩きつけた。

 的場梨沙、激怒。なんてタイトルみたいな一文が浮かぶぐらいには怒り心頭な感じだった。鼻息の荒い梨沙の後ろには、息を荒くした輿水さん。どうやら一緒に走ってきたらしい。

 怒られる理由に心当たりはあったけど、輿水さんを連れてくる理由がわからない。

 首を傾げたのは失敗だった。梨沙は怒る理由を理解していないと誤解したらしい。眉はさらにつり上げて、指を俺に向けた。

「ヘンタイ! なによこれ!」

 昼下がりのプロデュース室に罵倒が木霊した。俺のあだ名がヘンタイになった瞬間だった。

「それで、いったいなにをしたらここまで怒らせられるんです?」

 梨沙はガルルとこちらを威嚇していて話にならない。輿水さんは困惑した様子で訊ねてきた。

「いやー、どうだろうね、なにか気に食わなかったのかな」

 ははっと乾いた笑いを飛ばすと、梨沙にキッと睨まれる。いやね、俺としても冗談のつもりだったんだよ。まさか本当に形になってくるとは思わなかったんだ。

 脳内で言い訳を並べてみる。口にするか迷う。それはそれで怒られるだろう。ロリコンと罵られ、今回の問題が露見する可能性が高い。怒られるのはいい。自業自得だから仕方がない。あとでいくらでも謝る。

 問題は梨沙が叩きつけた書類だ。広げるのは憚られる。できればここは穏便に立ち去って頂きたい。

 輿水さんは視線で非難してきた。

「……ちょっとした行き違いだったんだよ。誤解というか、勘違いというか」

「なにをどうしたらああなるわけ!? 最近おかしいと思ったわ! これが目的だったんでしょ!」

「いやだから、ほんとに誤解なんだって。いくらなんでもあれはないよ」

「どうかしらね。 アンタはヘンタイでロリコンだから信用ならないわ」

 過激発言が飛び出すたび、同僚の視線が集まる。この部屋のプロデューサー半分が出払っているのは救いだった。半分が残っているのは痛手だけど。

「ほんと、どういうつもりよ! パパに言いつけるわよ!」

 そのパパさんには先に謝罪していて、なおかつ一応の許可は下りているのだが、これは彼の尊厳と信用のために黙っておこう。

「悪かったって」

 謝っても梨沙はそっぽを向いて取り合ってくれない。どうしたものかと思索していると、輿水さんは仕方ないですねと呟いた。冷や汗が背中を伝う錯覚を覚える。

「その書類ですよね? 見せてください。第三者としてボクが判断しますから」

 膠着した話にそろそろ疲れてきたらしい。輿水さんは呆れたようにいって書類を指差した。恐れていた展開だ。しかも梨沙まで、そうね幸子に判断してもらいましょ、と乗り気ときている。

「いや、うん、大丈夫だよ。そこまでしてもらわなくて」

「ここまできたら同じですよ」

 抵抗虚しく、ひょいっと書類は攫われていった。何事も諦めが肝心だ。自分に言い聞かせて、ため息を吐いた。

 書類はA4用紙六枚からなる次の撮影の衣装案で、三種類のデザインが描かれている。パパさんと梨沙の魅力を熱論したその足でデザイナーと打ち合わせをした結果、俺の元に上げられてきたのはほぼ水着と言って差し支えのない、露出しかないデザインだった。

 なにを話したのか憶えてないあたり、酩酊状態だったのかもしれない。少なくとも素面でこの衣装案を通したのだとしたら、俺の頭はおかしい。

 一枚二枚と用紙が捲られるたび、輿水さんの表情は引きつっていった。気持ちはわかる。俺も初見では同じ表情をした。

 六枚すべてに目を通した輿水さんは、厳しい口調で言う。

「……アウトですね。いえ、むしろよくこれを通そうと思いましたね。というか、よく本人に見せようと思いましたね。そのメンタルの強さだけは評価しますよ」

 めちゃくちゃ辛辣だった。いや、まったくもってその通りなんだけど。

「だから誤解なんだってば。あくまで参考に聞こうと思っただけで」

 梨沙は大仰にため息を吐いた。怒りを通り越して呆れたらしい。こうなってくるとどっちが大人かわからなくなってくる。

「なんでこうも極端なのよ。全部合わせてちょうどいいぐらいだわ」

「本当に面目ない。俺もまさかここまでのものができあがるとは思わなかったんだよ。もちろん、決定じゃないから安心してくれ」

「当たり前でしょ。これ以上ヘンタイとロリコンなんて増やしたくないわよ。パパにも見せるんだからもっとちゃんとしたもの用意してよね」

 ああと応える。梨沙はフンッとそっぽを向いて返事をした。なんだかんだ言いつつも、愛想を尽かされないのだから、梨沙は優しい。この撮影の衣装は、梨沙の喜ぶものにしなくては。

 そう決意したとき、輿水さんは衣装案を眺めながらぼそりと呟いた。

「でも体操着よりはマシかなぁ」

 悲しい呟きだった。ここ最近、輿水さんは各地でバンジージャンプを体験しまくっていた。衣装は動きやすさを重視した体操着。衣装と呼んでいいのか躊躇うものがあった。

「なんかごめん。俺から輿水さんのプロデューサーに言っておくから」

「アタシもごめん。贅沢な悩みよね……」

 ふたりで頭を下げると、輿水さんは焦ったように手を振った。

「い、いえ、イヤだというわけじゃなくて。……でも、ありがとうございます、ちょっとお灸を据えといてください」

 なんというかまあ、方法論の違いだけど、もう少し梨沙と話し合ってもいいのかもしれない。輿水さんのプロデューサーも色々考えてはいるのだろうけど。

 どうせなら笑ってもらいたいよなぁ。と俺は心のうちで呟いた。

 輿水さんのバンジージャンプチャレンジが終わって、しっかりアイドルらしい活動になったのは衣装騒動から二ヶ月後。梨沙の衣装のデザインが決定した頃だった。

 デスクにやってきた梨沙は明るく言う。

「アンタもやるときはやるのね。幸子、喜んでたわよ」

「いや、俺はなにもしてないよ。元々、知名度を上げるためにやってたらしいんだ。たぶん、早く売り出してあげたかったんだろうね」

「ちゃんと幸子のこと考えてるのね!」

「だな。たった数ヶ月で驚くほど人気になったもんな」

「他人事じゃないでしょ? アンタもアタシのことちゃんと考えなさい! それで衣装はどうなったのよ」

 落ち着かない様子でデスク上の書類に視線を行ったり来たりさせる梨沙。俺はわかってるよと応えて、二枚のA4紙を手渡す。

「考えてるよ。だから、ほら今回はこんな感じ」

 決定した衣装のイラストを見て、梨沙はカワイイと声を漏らしていた。

「これで決定。近いうちに完成するから、そうしたら合わせな」

 パッと顔を上げた梨沙の瞳はキラキラ輝いていた。喜んでもらえたようで安堵する。

「感想は?」

「カワっ……」それでも素直になれない梨沙は頬を赤らめて、そっぽを向く。「ま、まあ、アンタにしてはやるじゃない!」

「ありがたき幸せ」

 衣装は梨沙の言葉を採用して、前の三案を合わせ布地を増やして大人っぽく、そして可愛らしくまとめた。梨沙の目指すセクシーさと年相応の可愛さを押し出す、いい衣装に仕上がったと思う。

 梨沙は再びA4紙に視線を落として、口許を弛めた。よほど嬉しいらしい。デザイナーとしっかり話し合った甲斐があった。

「パパさんにも可愛い姿を見せてあげよう」

「アタシはなにを着ても可愛いし、セクシーなの。パパにも、ついでにファンにも見せつけてやるわ!」

 にっと歯を見せる梨沙はやる気満々だ。この調子なら人気だってもっと出るだろう。

「頑張ろうな!」

「当然でしょ!」

 梨沙はまだまだ歩き出したばかり。笑って喜んで、そしてキラキラと輝くアイドルにしようと、改めて俺は決意したのだった。

3.世界レベルと個人レベル

 つまるところ、ぼくと彼女に大した違いはない。

 意識が外に向いているか、内に向いているかの違いだけだ。外にはぼくも含まれるし、内には彼女も含まれる。結局、意識している範囲の違いで、それでも、目指すべき先は同一なのだから差異なんて些細な問題だ。

 他人はぼくと彼女を真逆だというけれど、スタンスの違いなだけで、スタイルの違いなだけで、立つステージは同じだということを理解していない。まあ、理解してもらう必要もない。ぼくさえわかっていれば問題はないだろう。

 ぼくとヘレンさんは、同じ方向を向き、同じ舞台で頑張っている。

 それだけの話なのだ。

 テレビ局での打ち合わせを終えてプロダクションへ戻る頃には、日は完全に落ちていて、定時もとっくに過ぎていた。

 夏もそろそろ終わりだというのに、暑さはまだまだ居座ろうとしている。ロビーに入るとクーラーの涼しさが心地よかったが、汗のせいですぐに肌寒く感じた。

 この仕事は業種柄、勤務時間にムラがあって、会社はまだまだ営業中。良し悪しの判断は捨て置こう。考えても、辞める気はないので意味はないのだ。

 ひとりエレベーターに乗り込み、行き先ボタンを押す。静かに動き出して、何事もなく目的階に到着。プロデュース部のあるこの階は、あちこちで声が聞こえて活気がある。エレベーターを降りると、通りすがった別なプロデューサーに「おう。お疲れ」なんて声をかけられた。迎え入れられている気がして嬉しくなる。

 いい気分のまま、第三プロデュース室のドアを開ける。

「…………」

 見てはいけないものを見た気分。ぼくは静かにドアを閉めた。

 ええと、何事かな。左手の腕時計を確認して、首をひねる。二十時。今日のヘレンさんの予定はレッスンだけ。それもとっくに終わっている。

 幻覚かと思ってもう一度ドアを開ける。ぼくのデスクは、珍妙なポーズをとったヘレンさんに占拠されていた。ヘレンさんは椅子の上に膝立ちになり、グラビア写真のように胸を張り、くびれを強調したポーズのまま、ゆっくりと回転していた。回転が止まると、後輩が丁寧に椅子を回していた。意味不明だった。

「うわぁ、行きたくねー」

 いっそ幻覚のほうがましだ。しかし、この状況を無視もできない。困惑した様子の後輩にだって謝らないと。

 ため息を吐いてから、ぼくは部屋に足を踏み入れる。ぼくに気づいた後輩に目で悪いねと伝えると、安堵の色を浮かべて自分のデスクに戻っていった。ヘレンさんの前で立ち止まる。

 さてはて、どうしてくれようか。かける言葉が見つからない。

 ヘレンさんはぼくを見て、回転したままニヤッと笑った。

「ずいぶんと暗い顔をしているわね。そんなことでは世界レベルにはたどり着けないわよ!」

「いえ、間に合ってます。個人レベルで大丈夫です」

「ふっ……さすがプロデューサーね。最早世界など眼中にないというのね」

 背中を向けたままいうヘレンさん。たぶんドヤ顔をしているはず。

「ええ、そうですね。眼中にないです」

「つまり、自分を研鑽することだけに集中しているのね。私が見込んだプロデューサーなだけはあるわ!」

「……とりあえず止まりましょうか」

 正面がこちらにやってきたところで、回転を止める。ヘレンさんはグラビアポーズをやめて普通に座った。ちなみに彼女の普通は背もたれに身体を預け、豊満な胸を支えるように腕を組み、細く長い脚を組む姿勢を言う。めちゃくちゃ尊大な態度だった。

 さすがに自慢というだけあって、プロポーションとスタイルは抜群にいい。それに顔もいい。快活な性格は雰囲気に出ていて、悪意を感じないからか、威圧感や嫌悪を覚えない。そういうすべてのピースが合わさって、ヘレンさんの行動ひとつひとつは、とても自然に見えた。

 意味不明だけど、なんとなく納得させられてしまう。

 世界レベルは伊達ではないらしい。

「で、なにやってんですか。レッスンはもう終わってるでしょう」

「あなたを待っていたのよ!」何故か自信満々なヘレンさん。言外に喜びなさいと聴こえた気がしたけど、ぼくは、はあと相槌を打つに留めた。「このあとの予定は?」

「もう帰るつもりでしたけど……」

「さすが私ね。タイミングまでバッチリ。これが世界レベルよ!」

「……で、用件は」

「食事に行きましょう。たまにはいいでしょ?」

「それはまあ」

 悪いとは言わない。しかし、躊躇う気持ちがないとも言わない。

「世界レベルを喜ばせる場所なんて知りませんよ、ぼく」

「馬鹿にしないで頂戴! 世界レベルはなんでも美味しく食べるのよ!」

 その理屈はどうなのだろうか。いや、確かに世界と比較しても日本の食事は美味しいほうだし、味は繊細だけども。

 まあ、本人がいいというならいいのか。

「それに、今日は私のオススメを紹介してあげるわ!」

「はあ、……ええ、まあ、わかりました。お願いします」

 目的も意図も行方不明な食事のお誘いは、だけど少し楽しみでもある。世界レベルのオススメとは一体なんなのか。

 そんなふうに前向きに考えて、ぼくは逃げ出したくなる気を紛らわす。

 ヘレンさんの少しだけ真面目になった表情に、少しだけ不安を覚えながら。気を紛らわしたのだった。

 きっと思いつきではなくて、初めからぼくを誘うつもりだったのだろう。

 ヘレンさんの服装は白い無地のブラウスと、タイトなジーンズに濃い紫色のショルダーバッグ。普段と比べると地味と言えるし、換言すれば目立たない格好だった。

 スーツの男と歩いても自然な格好。ヘレンさんは意外と気遣いのできる大人なのです。

 じんわりと汗の滲むなか、ヘレンさんに連れられて繁華街を歩く。高級店だったらどうしようなんて不安になったけど、ヘレンさんが立ち止まったのは意外な店の前だった。

「ここよ!」

「え、ここ?」

「さあ、入りましょう」

 ぼくの疑問を無視してヘレンさんは店のなかに入っていった。ぼくは改めて看板を見直す。どう見てもラーメン屋だった。気を使ってくれているのかな。嬉しいような申し訳ないような気持ちになった。

 後に続いて店に入る。四人掛けのテーブルが三脚。それと十人前後が座れそうなカウンターのある、ラーメン屋としては比較的広い部類の店内だった。客入りはそこそこで、半分ぐらいが埋まってる感じか。もしかしたらピークを過ぎているのかもしれない。

 ヘレンさんは堂々と言う。

「へい、大将! いつもの!」

 どうやら常連らしい。なんか意外だ。と思ったけれど、静まり返る店内。客はまだしも、店員さんも固まっている。

 頭が痛くなってくる。店員さんの視線がぼくに向いたので、軽くお辞儀しておいた。

「……えっと、どれですか?」

 店員さんはぼくにそう訊いてきたので、ぼくも同じようにヘレンさんに訊ねた。通訳しているみたいだと思って、どちらかと言えば緩衝役なことに気づいてため息が漏れた。

「塩二つ!」

「だそうです、お願いします」

 カウンターに通されて、並んで座る。ヘレンさんは水の入ったコップを持ちながら、愉快そうに笑った。

「一度やってみたかったの。どう? 様になってたでしょう」

「そういうのは常連になってからやってくださいよ。というか、収録近いけどラーメン大丈夫なんですか?」

「ふふっ、私が調整してこなかったとでも言いたいの?」

「自主練もほどほどにと言っているのです」

「……あなたは細かいところが玉に瑕だわ」

「世界レベルを相手にするんですからね、細かいくらいがちょうどいいんですよ」

「余計な気は使わなくていいわ。心配なんてするだけ無駄よ。私はなんでもこなしてみせるわ。わかってるでしょう?」

 さて、どうやら見透かされているらしい。たぶん、そういうことだろう。

「順序があります。そして比重も。目的のためには進むべき道があるのです。いまは余計な色をつけたくない」

「私はバラエティでも構わないわ!」

「バラエティを馬鹿にするつもりはありませんが、イメージとして障害になることもあるのですよ。まずは足場を固めましょう。世界に飛び出すための足場を」

 日本の笑いは世界に受け入れられない。文化の違いであり、言語感覚の違いが大きいから。だとしたら、バラエティ方向に進出していっても実りは少ないだろう。

 必要なのは世界共通の評価基準のある技術。たとえば歌やダンス、演技などなど。

 ヘレンさんにはポテンシャルが備わっているのだ。あとは機会だけ。海外にも評価される技術をさらに磨き、そして披露する場を用意する。

 それがぼくの仕事であり、ヘレンさんのプロデューサーとしての使命だ。

 ヘレンさんは珍しく考えるように黙ってしまった。

 それからすぐにラーメンはやってきた。さっぱりした塩ラーメンは、ヘレンさんオススメなだけあって美味しかった。

「あなたも世界レベルになりなさい! 小難しいことなんて考えないで、力で押し通すぐらいの気概を持つのよ!」

 ラーメン屋を出て、駅に向かう道すがら、ヘレンさんは突然力説しだした。考えた結果、ぼくとは真逆の結論にたどり着いたらしい。

「私はあなたが持ってきた仕事なら、なんでも完璧にこなすわ! だからあなたはもっと気楽にいきなさい」

 なんて、ちょっと心配そうに言うものだから、ぼくはおかしくなって吹き出した。余計なことを考えているのはどっちだろう。

「いいんですよ、ぼくは個人レベルで。ヘレンさんのことだけ考えているんです。それはぼくのためでもあります」

 そう、目的は一緒なのだ。ヘレンさんを世界に送り出す。

「残念ながら、この業界は利権とコネで回ってます。実力だけはでは上がれないのです。だから、色々考える必要があります。……もちろんバラエティにも出ますよ。どこから機会が舞い込んでくるのかはわかりませんから」

 ただ、過剰なコメディ色をつけるとアーティストから倦厭される場合もある。バランスが重要なのだ。

「ヘレンさんは余計なことを考えなくていいのです。それはぼくの仕事です、個人レベルの話です。だから、ヘレンさんは堂々としていてください。些事はぼくに任せてください。わかりましたか?」

 子供を叱るようにいうと、ヘレンさんは一瞬ぽかんとして、それからおかしそうに笑った。そうだ、この人はこれぐらい明るくいてくれた方がいい。世界レベルに小さな悩みは必要ない。

「ずいぶんと言ってくれるじゃない! さすがは私の認めたプロデューサーね! いいわ、そこまでいうなら、私はもうなにも言わないわよ」

「ええ、それでいいのです。ヘレンさんは世界レベルを貫いてください。ぼくはぼくの仕事をします」

「それがあなたのいう個人レベルね」

「ええ、ぼくたちらしいでしょ?」

 ぼくとヘレンさんは、同じ方向を向き、同じ舞台で頑張っている。真逆なように見えても、実際真逆なことをしていても、目的は同じなのだ。

 再確認して、ぼくは嬉しくなったから微笑んでみる。感情表現は必要だろう。余計な心配をかけないためにも。

「そうね。でも、その笑顔だけは世界レベルだわ」

 ヘレンさんの微笑みも世界レベルに美しかった。

4.ススメ大人への道

「プロデューサーさんの思い描く大人らしさってなんですかー?」

 給湯室からコーヒーを持って戻ると、ソファーに腰掛けている若葉さんに、昼休みのひと時に相応しい、間延びした柔らかい声音で首を傾げられた。手に持った結婚情報誌にでも触発されたのかもしれない。

 期待の眼差しを向けられて戸惑う。俺からすれば二十歳はまだ大人だと言い切れない。

 俺は向かいのソファーに腰を下ろして、首を捻った。

「考えたことないなぁ。俺だってまだまだ若造扱いされるし」

 愛想笑いを浮かべて言葉を濁す。若葉さんは不満そうに頬を膨らませた。実に可愛いらしいと思う。

「そうじゃなくてー! あくまでプロデューサーさんの思う大人らしさです」

「あー、……落ち着きかな」

「落ち着き……?」

 答えてみて不安になる。落ち着いたままの子供っぽさを持つ楓さんがいるあたり、誤答な気がしてならない。

 若葉さんはうーん、と唸った。答を付け足すべきなのかもしれない。

「あと、色気とか? ほら奏ちゃんとか大人びてるし」

「なるほどー。落ち着きと色気、わかりました」

 ふむふむと考えるように首を縦に振る若葉さん。やっぱり可愛らしく、庇護欲を刺激された。

 それから二人で結婚情報誌を眺めながら、あーだこーだ大人らしさを議論していると、

「お疲れ様です……えっ?」

 明るい落ち着きを持った声とともに千枝ちゃんがやってきた。結婚情報誌と俺たちの顔を交互に見て、驚いている様子だった。

「お疲れ。いや、違うよ? 結婚はしないよ?」

「なんですぐに否定するんですかー。プロデューサーさん、千枝ちゃんのこと好きすぎますよぉ」

「千枝のこと……好き、ですか?」

 頬を膨らませる若葉さんと、頬を染める千枝ちゃん。進むも地獄、退くも地獄……いや、前門の虎、後門の狼かもしれない。

「ふたりとも好きです」

 それでも沈黙は憚られて、面倒な事態になる前に俺は笑う。相手が相手なら糾弾される返答だが、純粋なふたりはえへへ、と嬉しそうに喜んでくれる。

 このままのふたりでほしいものである。

「じゃあ、おふたりはなにをしていたんですか?」

「プロデューサーさんと大人らしさについて話してたのー」

「お、オトナらしさ!」

 千枝ちゃんは瞳をきらきらと輝かせる。どうしてみんな大人に憧れるのだろう。デスクに積もる書類を一瞥して悲しくなった。

「千枝にも教えてください!」

「うふふっ、おねえさんにお任せなの」

 立ち上がって胸を張る若葉さん。背伸びしているように見えたなんて言えない。

「まずは色気ね、こうポーズ」

 小学生になに教えてやがる。心で突っ込む。嬉しそうに真似をする千枝ちゃんの手前、注意もし辛かった。

「次はセリフ。私といいこと……」

 言い切る前に、俺は立ち上がり若葉さんの頭を押さえる。

「大人なら、言っていいこと悪いこと、わかるよね?」

「……ひゃい」

「よろしい」

 むうとむくれる若葉さん。大体落ち着きはどこに言ったのだ。千枝ちゃんは残念そうにえーとこぼしていた。

「わかりましたぁ。千枝ちゃんと一緒に本物の大人らしさ見せつけてあげますぅ」

 諦めの悪い若葉さんはそう言うと、千枝ちゃんの腕を引き給湯室に消えていく。まあ、注意したから大丈夫だろう。

 しばらくして、ふたりはふっふっふと悪そうな笑みを浮かべながら帰ってきた。もうその時点で大人とは遠い気がしたけど、さずかに可哀想なので口にはしない。

 若葉さんは右手を挙げる。

「一番、日下部若葉いきまーす」

「なんのコンテストだよ……」

 千枝ちゃんがぱちぱちと拍手する。俺のぼやきは無視された。悲しい。

 手の仕草で立ち上がるよう促されたので、大人しく立ち上がる。若葉さんは俺の正面にきて、見上げて言った。

「私、あなたのことが……」

「はあ……」

 棒読みだった。演技レッスンを入れておこう。

「どうです! これが大人の魅力です」

 しかし、本人はご満悦だった。千枝ちゃんもおおーと感嘆の声を上げる。もうなにも言うまい。

 続いて千枝ちゃんが右手を上げた。

「二番、佐々木千枝いきます」

「どうぞ」

 千枝ちゃんは若葉さんと同じように俺の正面に立つ。そしていじらしく、祈るように胸元で手を組み、頬を朱に染めて上目遣い。照れているのか、瞳は潤み輝く。

「…………」

 たじろぐ。これは……。

「……千枝、悪い子なんです。だから……いい子にしてください」

「優勝」

 背徳感とか罪悪感とか、大人らしさとは関係ないけど、むしろ大人らしさを手に入れたらと考えると末恐ろしいものがあった。

「えっ、えへへ、嬉しいです」

「えー、ま、まあ、今のには勝てませんけどぉ」

 嬉しそうにほほ笑む千枝ちゃんと、がっくりと肩を落とす若葉さん。大人ってなんだろうと、苦笑い。

「今日は定時に上がるから、あとでスイーツでもご馳走するよ」

 まあ、ふたりが楽しんでいるのならそれでいいか。喜ぶふたりを眺めてそう思う。

 今日も事務所は平和です。

終わりです。
依頼してきます。

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